「自信を持ってオススメします」匿名希望30歳・19歳2004年12月8日
松本漢方クリニックにお世話になり、もう2年近くになろうとしています。私の体験などは、その他の方々の壮絶な体験に比べたら、何て事のない物ですが、これから治療を始められる方、まだステロイドの恐さが十分理解できてない方の為に、少しでもなればと思い、振り返ってみようと思います。といっても、日記などを付けていた訳でもないので、喉元過ぎればの諺通り、忘れてしまってる事の方が多いのが、正直なところです。
しかし、他の治療では、こんな言葉は、絶対に口に出来ないと思います。治ったから、熱いものは喉を通り過ぎていったのです。今の医療は、喉に熱いものを留めたまま、さらにもっと熱いものを詰め込んでいるようなものです。
平成14年2月頃、これまで体験した事無い程、アトピーが悪化しました。私は、幼い頃から、卵等、食物アレルギーがあり、冬、空気が乾燥してくると、肘や、膝、脇の下などの柔らかい部分が、痒くなったりしていました。小学生の時、それがアトピー性皮膚炎という病気(今は、病気ではないと理解しています。)と言われましたが、別に病院へ行くこともなく、ほったらかしていました。
今になって、今回思ったより早く治ったのは、この時、その後も、ほったらかしておいたからだと思います。私の父は、柔道整復師(いわゆる、ほねつぎ屋さん)で、普通の人に較べると、医療に対する知識がありましたので、私は薬と言う物は、ほとんど服用した事がありません。だから、この時もほったらかしていました。
中学、高校の時は、症状は治ったかのように消失していましたが、大学4年の頃から、だんだんと再発してきました。私は、タバコも酒も飲みませんが、一人暮らしで、食生活は最悪でした。しかし大騒ぎする程でもなく、またまた、ほったらかしていました。
それから6年間、冬になると、少し痒いぐらいの症状が続いていましたが、突然、凄い勢いで、症状が全身に広がり始めました。原因は、今でも、全く解りません。とにかく全身痒くて、そのうち皮膚が所々切れて、血とリンパ液が滲み出てきました。2週間の間に、顔面以外の全身の皮膚が炎症を起こし、かさぶたになり、歩いた後には、真っ白に皮膚が積もりました。体重は、1ヶ月で10キロ落ちました。何もする気にならないし、体に力が入りません。何とか自力で治してやろうと思っていましたが、いよいよ無理そうだと思い、どこか病院を捜す事にしました。
今は、インターネットという、情報を集めるのには、大変便利なツールがあります。アトピー関係で、いろいろ検索してみましたが、出てくるわ、出てくるわ!物凄い数の情報がヒットします。しかし読んでみると、ほとんどが、最終的には何かを売りつけるような感じです。それが、皮膚科のページでも同じで、一見正しい理論を書いているようでも、最後には「私が発明した○○を塗れば、治ります。」等とあり、胡散臭いものを感じ、どれも信頼して治療を任せられないと思いました。その時、「高槻?結構近いな。」と開いたのが、松本漢方クリニックのページでした。
開いた途端、文字ばっかりのページでしたが、読んでみると、「なるほど!」と思える理論でした。実は、私の仕事は、鍼灸師です。だから、松本先生の論文も、全く医学の知識の無い人よりは、幾分良く理解できたと思います。それで、お世話になろうと思いました。
治療を始めて思ったのは、「食事制限が無いのは、楽やな。」でした。普通、アレルギーの治療では、必ず食事の制限があります。それが無いのは、患者としては、非常に楽でした。それから、漢方のお風呂、これが、非常に気持ちのいいものでした。思う存分、お湯の中で体中を掻き毟り、それが収まったら、ゆっくりと湯船に浸かりました。しばしば、そのまま眠ってしまった事もありました。煎じ薬は、今でも美味しい物ではありませんが、特別不味くもありません。何より、免疫寛容を助けてくれると思えば、何てこと無いです。
私の場合、ステロイドは使っていないので、リバウンドというものはありませんでした。初診時が、一番酷かったと思います。では、何故、こんなにも激烈な症状が出たのか?松本先生に質問されて、母が後で思い出したのですが、幼い頃、目の周りがただれて、眼科に行ったとき、リンデロンという薬を塗られたそうです。その時、免疫が抑制されたのでしょう。しかし、恐ろしい事です。本人も、母親さえも忘れるほど、遠い過去に抑制された免疫のリバウンドが、こんな形で噴出するなんて!今のお母さんは、赤ちゃんの顔に湿疹が出ると、すぐに皮膚科に行って、貰って来た薬を塗ります。うちに来る患者さんにも、多く見られます。そんな時、今では止めるように説明します。将来大変なことになるからと・・・・
途中、ヘルペスが3回出ましたが、抗ヘルペス薬で、すぐに良くなりました。しかし、あのヘルペスというやつは、痛かった!
半年を越えたぐらいから、だんだん症状は減少してきました。それに前後するように、弟のアトピーが酷くなり始めたので、一緒に診て貰う様になりました。弟の方が、私より酷かったのですが、今では、かなり良くなっています。それでも、まだ、血液検査をすると、IgE抗体の数値は高いので、完全に免疫寛容を起すまでは、お世話になるつもりです。
お薬も送ってもらってばかりで、もう松本漢方クリニックの方へは、あまり行っていませんが、松本先生、最後まで宜しくお願いします。
これから治療を始められる方、この松本漢方クリニックの治療は、一応プロの私が、自信を持ってオススメします。迷うことなく、松本先生を信頼して、そして自分自身の体を信頼して、一時の苦しみと戦って下さい。皆さんの熱いものが、早く喉元を通り過ぎることをお祈りします。
私は、子供の頃から指に赤切れができていたりで手は荒れていました。手だけで、他に皮膚のトラブルはありませんでした。20歳の時に花粉症になり、3年間で3回、かゆみがとれるという注射を鼻にしました。おそらくステロイドだったでしょう。その後は、妊娠、授乳があったので、薬をつかうことはありませんでした。
手と手の甲は、ガサガサだったりかゆかったり水ぶくれなどがあり、軟膏をよくぬっていました。あせもはできた事がなかったのに、2005年夏、秋になっても治らず、おでこもかゆくなりカサカサに。まさかアトピー?大人になってから?
友人の勧めで、西宮にある有名な?漢方の医者へ通うようになり漢方薬を3ℓ毎日飲みました。顔も体もカサカサで皮がふけのように落ち、3ℓも飲んでいるのでトイレの回数も多く、かなり辛かったです。かいてはだめと言われ、とても辛かったです。
よくも悪くもならないまま半年が過ぎたある日、顔が腫れ、腕はワニのような皮膚に。その医者は「ここまで酷くなったら、一度ステロイドを飲んで状態をよくしてから漢方を飲むように。」と。え~。私はステロイドを使いたくないから頑張って飲んでいたのに、この人は信用できないと思い、次の日松本先生の元へ。
以前から高槻にアトピーを治せる医者がいるとは聞いていましたが、子供を二人連れて電車で通うのはきついなと思い、漢方なら同じようなものだろうと自転車でいける西宮の医者にいっていたのです。
でも全く違いました。飲む量も少ないし、甘みもあって飲みやすいし、「かいてもいい」とのこと。どれ程薬草風呂が気持ち良かったか。
松本漢方クリニックにお世話になるようになったのが、2006年6月。毎日きちんと沸かして飲み、2日に一度薬草風呂にはいり、それでも花粉症の時のステロイドがきつかったのでしょう。背中もお腹も真っ赤で、あつくてかゆくて寝れず、夏休み中は実家に帰り両親の世話になりました。体重はどんどん減り、(164cm50kgが43kgまでになり)それでも薬草風呂はきもちいいし、お母さんだし、子供のためにも治さなくては、と先生を信じ飲み続けました。
2007年4月。花粉の時期も終わる頃、首が少しかゆいけど見た目にはすごくきれいになりました。(お風呂は週一回ぐらい)その後、妊娠を機に漢方は飲んでいません。一時は生理もとまり、私はどうなってしまうんだろう。こんな汚い顔で人に会いたくないと、家にとじこもりがちになっていましたが、妊娠中に悪化するかなとドキドキしましたが、とても元気に過ごし、元気な子を出産しました。
今ではアトピーだったと言っても誰も信じない程きれいになりました。
当初から松本先生のところに来ていれば、もっと早く治ったかもしれません。
がんばって飲み続けて本当によかったです。
ありがとうございました。
私の体験を読んでいただき、アトピーを治療していく上で、少しでも参考にしていただければと思います。特に私のように、大人になってアトピーがひどくなった方には、ぜひ読んでいただきたいです。(私は、30才の時にひどくなりました。)また、その家族の方にも、ぜひ読んでいただきたいと思っております。
最初に申し上げれば、私の症状は、決して軽かった方ではないと思います。どちらかと言えば、ひどい方ではなかったかなと思います。しかし、松本漢方クリニックに通って、2年半くらいが経ち、汗をかいた時などは、多少かゆみが出ますが、見た目に、昔アトピーであったとは、初対面の人にはわからないと思います。
まずは、私の症状について書いておきます。
私は、幼少の頃に、小児ぜんそくにかかり、近くの診療所で、体質改善を行っておりました。その方法は、週に2回、注射をするというものでした。(今では調べようがありませんが、松本先生によると、その注射にステロイドが入っていたのではないか、疑わしいとのことです。)小2~小5までの4年間ぐらい続け、小5の時には、小児ぜんそくは出なくなり、完治しました。
しかし、小児ぜんそくが治ったのと同時期に、アトピーが出てきました。引き続き同じ診療所で、アトピーの治療をしました。中学生になった時より、冬場に、体全体がかさつくようになり、なかなか治りませんでした。
そのため、今までかかっていた診療所より、皮膚科専門の病院に変えました。その病院からもらった薬をつけると、今までかさかさしていた皮膚が、ほんの一晩で、きれいに治りました。当時は、とても嬉しく、「いい病院を紹介してもらって、よかった。」という気持ちだったのを覚えています。しかしながら、その薬に、ステロイドが入っているとは聞かされませんでしたし、そのステロイドのせいで、もっと大変になるとは、夢にも思っていませんでした。
その後、体がかさついたら薬をつけ、大学の頃には、1ヶ月に数回付けるだけになりました。社会人になり、たまに薬をつけるという事は変わっていませんでしたが、自分がアトピーだという事を意識することはありませんでした。
しかし、今までのステロイドが一気に出たのか、また、生活習慣が悪かったためか、仕事のストレスがたまっていたのか分かりませんが、30才の1月くらいに、急に体中が乾燥し、皮膚がかさつき始め、しだいにぼろぼろになってきました。皮膚科の薬を毎日塗り、いつもならすぐに良くなっていましたが、その時は、塗れども塗れども一向に良くならず、逆にひどくなっていきました。その年の6月には、いくら塗ってもどうしようもないくらいになって、松本先生のお世話になることになりました。
それからは、ステロイドのリバウンドとの戦いでした。ストロイドを塗るのを止めてから、皮膚がぼろぼろとめくれてくることはもちろんの事、皮膚が乾燥するため、つっぱっており、体を動かすと、皮膚が裂けそうになって、激痛が走りました。また、めくれた皮膚から黄色い汁が出てきて、頭の先から足の指先まで、普通の状態のところはありませんでした。また、皮膚がめくれて、薄くなったせいか、人が後ろを通るわずかな風だけで、痛みが伴いました。体中が痛いため、横になって寝ることができず、座って、机に伏せて寝ていました。
その頃は、乾燥した皮膚が潤う、お風呂に入っている時だけが、気が休まる時でした。1日3回は入浴し、特に夜の入浴時は、2時間くらい入って、湯船で寝る毎日でした。そのような日々が、6月から12月までの6ヶ月くらい続いたと思います。
その間の一番衝撃的だったことは、毛が抜けていったことです。9月くらいから髪の毛が抜け始め、1ヶ月後には、もうほとんど抜けてしまいました。髪の毛だけではなく、体全体の毛が抜けていきました。その頃の落ち込みようは、今までになかったものでした。
本当にこの6ヶ月間の出来事は、今でこそ、“大変だったなぁ”と振り返ることが出来ますが、当時は、何もかも嫌になり、すべての事が投げやりでした。(私の場合、会社が1ヶ月の有給休暇を与えてくれ、配置転換をしてもらったおかげで、今でも会社に在籍しています。しかし当時は、まったく仕事が手につかないため、一度、会社に退職する旨を伝えていました。)
その後、痛みなどは和らぎ、髪の毛も生えて(抜け始めて6ヶ月くらいで、きちんと生えそろいました。)きましたが、体から黄色い汁が出たりするのは、続いていました。丸2年経った頃から、症状も落ち着いてきました。
本当に今振り返っても、ステロイドのリバウンドは、とても大変なものでした。しかし、アトピーは必ず治りますし、ステロイドに頼らない生活は、必ず来ます。治療方法は、特に難しいものではありません。私は、単に、ステロイドを塗らず、松本漢方クリニックからもらう煎じ薬を飲み、軟膏を塗り、入浴剤に入ることだけでした。あと付け加えるなら、お酒を控え、たばこを止め、規則正しい生活に変えました。
これから、アトピーを治されようとされている方、およびその家族の方に、3つの事を言いたいと思います。
まず、1つは、ステロイドのリバウンドに負けない事。人によって違いはあると思いますが、リバウンドは、上記していますように、痛みや、皮膚のかさつき、かゆみが伴います。かゆみだけなら掻くだけですみますが、痛みが出てくると、肉体的にも精神的にも疲れてきます。しかし、そこで安易にステロイドを塗らずに、我慢をしてください。何があっても辛抱して、治っていく自分を楽しみに、観察していってください。
2つ目は、自分がアトピーであるという事を、過度に意識しない事。顔が赤く腫れたようになり、見た目にあまり良くないため、人と接する事を避けるようになりました。夏場などは、特に薄着になるため、外出をする事さえほとんどしなくなりました。そのような生活を送っていると、何事に対しても、やる気が失せてきます。この様になると、治療をしていく事自体が嫌になって、治る前に、ステロイドを塗って楽になりたい、と思った時もありました。どんな症状が出ようとも、アトピーになってしまったのは仕方がない事なので、くよくよせずに、明るく前向きに、生活を送ってください。いつもと同じように、人と接し、いつもと同じ生活を送るように心がけてください。
3つ目には、家族の協力が必要な事。煎じ薬を作ったり、入浴剤の用意をしたりする事はもちろんの事、落ちた皮膚の掃除や、汁のついたシャツなどの洗濯を、嫌がらずにしてほしいと思います。毎日の事なので大変ですが、アトピーを治すのに落ち込み、投げやりになっている本人が、少しでも前向きな気持ちになれるように、してあげてほしいです。出来ましたら、励ましてあげてください。身の世話ができるのは、やはり家族しかいないと思います。
最後になりましたが、自分がアトピーを治すことに懸命になり、さまざまな迷惑をかけた家族、休みまでもらい、アトピーに理解を示していただいた会社の皆様、そして、私をここまで治していただいた松本先生に、感謝を申し上げます。
「現在治療中」K.M.36歳2003年10月16日
現在、私は、36歳会社員の営業マンです。はや松本漢方クリニックを訪れ、4年くらいになるとおもいます。それまで、アトピー性皮膚炎のような状態には、なった事がなく、社会人になって、二つ目の現在の会社に入って、多分、1年位たってからの事です。最初は、蝦に刺された後のような、帯び状のふくらみが前腕にでき、痒みが有りました。日に日に広がっていき、胸、腹あたりにも広がり、県内の良いと評判の皮膚科を受診しました。その時は、詳しい説明もなく、環境が変わった為の蕁麻疹だろうという事で、塗り薬を2種類もらいました。当然この薬の説明もなく、確かにその薬を塗ると帯び状のふくらみも引き、見た目には、健康そのものの状態です。しかしこれが、人生大事な時期が悲惨な時期に変わる始まりでした。薬を塗らないと、風呂上りなど乾操して痒いので背中、腕に塗り、少し湿疹みたいになると、強いほうの薬を塗り、この薬は、肌身を外せませんでした。旅行に行く時も、必需品でした。この薬を使い始めて、4年位経った時でしょうか。先輩から、≪顔が赤いぞ、酒飲んでるのか≫と言われ、はっと、しました。それから、もしやと思いインターネット、本などで、アトピー性皮膚炎について調べました。分かったことは、今まで塗り続けていたのは、ステロイド薬という事、それまでは、仕事の忙しさも有りましたが、身体の状態を軽く考え、診察をして、詳しく話しも聞かず、薬をもらって帰るだけでした。それから、いろいろ調べていくうちに、松本Drのアトピー性皮膚炎とは、というあらゆる論文に感心し受診しようと思いました。しかし、私は九州に住んでおり、なかなか仕事も休めず、しからば、ステロイドをやめ、どこまでできるか自分でやってみようと思い、にわか考えの先輩から強酸性水を言われ、やってみましたが全く効果がなく、薬を止めるとどんどん顔、身体の赤みが増えてきました。顔には、ぶつぶつしたカサブタができ、(松本Drの診察でヘルペス)カサブタを剥いでも剥いでも、治らず、たまらず、松本漢方クリニックを受診した事を憶えています。それから、煎じ風呂、煎じ薬、赤い塗り薬、を使っての治療を始めました。始めて1年半位が一番きつかったです。私は、一人暮らしで、仕事も終わるのが遅く、煎じ風呂を煎じ、1.5時間風呂に入っていると上がるのが夜中3時4時で、そのあとの痒みと格闘して疲れ果て、寝るのは朝方でした。それでも何とか週末まで、耐え、週末は休み、ひたすら寝て、煎じ風呂に入り、痒みと格闘し煎じ薬を飲み、という生活が続きました。当然この時期は、皮膚がズル剥け状態で、まっ赤で、首は横に3,4本ナイフで切られた後のようになっており体液が固まり、掻くと体液が出てき、手の甲は傷だらけ、肘内も傷だらけ、顔も少し腫れあがり、眉毛も少し抜け、常にどこかを掻いている状態でした。特に膝の裏、首廻りは、ひどく、階段の上り下りがきついし、仕事では、車に乗っている時間が多く、左右の確認時、首だけを回せず、身体ごと、左右確認をして、運転していました。鞭打ち状態のような感じです。日頃の痒さも、煎じ風呂に入っている時が、一番気持ちよかった事を憶えています。上がって乾燥してくると、痒みと、格闘するのですが・・。
私の仕事は、病院廻りの営業で、お客様である、Drもあまり気にしてくれなかったことは幸いでした。が私も男、ナース達の目は気になりました。仕事の時は、しょうがないにしても、やはり週末食事の買出し、コンビ二などに、いくのはやはり、人目が気になり、たまりませんでした。しかし、いつかは、治ると信じ、痒いときは、掻いてもいい、と言う、松本Drの言葉を信じ掻きまくって、消毒し掻きまくって、消毒をし続けていました。
それが、それまでは、掻くと、皮膚が捲れ、ボロッと剥げて傷になっていたのが、段々と、剥げず、赤くなる位で、皮膚がしっかりしていっていると言うことを実感できるようになって来ました。また、この時期は、よく喉が渇いてました。1日に500CCのペットボトルを4本、入浴時に4本くらいスポーツドリンク系を飲んでました。毒された皮膚は、どんどん、剥げていき、車の中、部屋の中は、剥げた皮膚だらけになりました。面白いように剥げていくのです。Tシャッツを脱ぐと、ふわっと粉が舞う状態でした。掃除が、大変でした。身体の赤みも次第に取れていき、煎じ薬と、赤い塗り薬の治療になってからは、精神的にも肉体的にも、計り知れないほど、楽になり、少し、不精するようにもなったりして、松本Drの御叱りを受ける事も有りました。一進一退を繰り返しながら、良くなっています。未だ、治療中の身ですが、早く完治することを信じ、頑張りたいと思っています。同じ様に、きつい思いをし、今、悲惨な状態にある方、大丈夫です。死にはしません。松本Drの治療を信じ、最後まで、頑張って下さい。必ず、治ります。以前の綺麗な身体に戻る事を信じて!未だ、完治してませんが、また、これからも松本Dr宜しくお願い致します。
松本先生へ
私が初めて松本漢方クリニックに通うようになってから、4ヶ月が経ちました。
治療が終わってから2~3週間になりますが、健康そのものであんなに痒くて痛かった手もすっかり元通りです。
4ヶ月前に松本漢方クリニックを訪れた時の私の症状は、両手の指のほとんどにひび割れ、手の甲には痒い湿疹があり、首の周り、耳の裏辺りも痒く湿疹がありました。ハンドクリームやアロエなどいろんな良いといわれるものを塗ったりしましたが、少しもよくなりませんでした。私は3年程前に、顔、体中に赤い湿疹ができ痒い症状が続いたことがありました。初めは瞼が赤く痒くなり皮膚科でもらった薬を塗るようになりました。次第にその薬が効かなくなったので病院に薬について聞くとステロイド剤が入っていると言われました。ステロイド剤の副作用の怖さを聞いた事があったので、塗るのを止めました。
そのとたん、顔、体中に赤い湿疹と痒みの症状が始まりました。皮膚科に不信感を覚えた私は、内科で診察を受けましたが、血液検査でアレルギー反応が無い為、原因がわからないといわれました。原因がわからないまま、私は抗ヒスタミン剤を処方され飲み続けました。次第に痒みがおさまり赤い湿疹も消えていきましたが、完全に治ったという自覚はなく、いつの日かまた同じ症状が出るのでは無いかといつも不安でした。今思えば、ステロイド剤をやめたことで体中に湿疹ができ、それを抗ヒスタミン剤で抑えていたのだと思います。
私が松本先生に初めて診察していただいた時、「アトピーやな。」と一言、その後で「大丈夫。ちゃんと治したる。」と言う言葉と握手でした。先生のその言葉と握手で涙が出そうになりました。また、血液検査の採血時に「アレルギーは人間の体にとって正しい症状ですよ。」と言われ、この医院に来て本当に良かったと思いました。それから漢方薬を煎じて毎食前3回飲み、傷口の消毒、赤い軟膏を塗る日々が始まりました。3年前に内服していた抗ヒスタミン剤によって湿疹が出てくるとの事でした。飲み始めて一週間、現状維持のまま特に他の部分に湿疹が出なかったので、2週間目の診察で漢方薬の種類が変わりました。飲み続けて3週間目が過ぎたころ、ひび割れの数が減少し、手の甲、首、耳裏の湿疹が新しく出来ることがなくなっていました。
診察に行くたびに「出たか?」と先生に聞かれるのですが、どんどんと症状は薄らいでいきました。本当に少しずつですが、湿疹が枯れて黒っぽい肌になり、痒いのですが新しい皮膚に生まれ変わるための痒さのようでした。
漢方薬を飲み続けて1ヶ月が過ぎた頃には、指の傷はなくなり湿疹も黒っぽい肌もきれいになくなっていました。
しかし、眼科の診察結果ではアトピー性白内障であると診断されました。かなり小さなもので現段階では視力に関する心配はないと言われたもののかなりショックでした。アトピー性白内障は強い薬の服用や痒さを我慢するために顔や頭などを強く叩くのが原因だそうです。そのため、症状が消えても薬を飲み続けることになりましたが、新たな湿疹や症状が出ることはありませんでした。
幸いにも私の血液検査では、アレルギー反応の数値が標準値以下であり、これ以上の症状もでなかったからでしょう。飲み続けて3ヶ月を過ぎた頃に治療を終了することになりました。最後の診察時に出していただいた2週間分の煎じ薬も飲み終えて、今に至っています。現在では煎じ薬を飲まずに過ごしておりますが、アトピーの症状はまったく出ていません。
先生の診察を受けていなければ、また、同じステロイド剤を使用し更に辛い日々が繰り返されていただろうと思うと怖くなります。先生のおかげでアレルギーの事も薬の怖さもよく知ることができました。何より治るということがわかり、気持ちがとても楽になり不安もなくなりました。
松本先生のおかげで、このような手記も提出できるほど自信を持つことができ、元気になることができました。感謝の気持ちでいっぱいです。
松本先生、本当にありがとうございました。
「もし松本先生と出会ってなかったら・・・」34歳女性2005年1月23日
東京都
「もし、あの時、松本先生と出会ってなかったら・・・」そう思うと、今でもぞーっとします。今、私が、日々健康で、すばらしい人生を送れているのは、すべて松本先生のおかげと言っても過言ではありません。私が今まで生きてきた中で、一番ラッキーだったこと・・・それは、松本先生と出会えたことです!
アトピーで苦しんでいらっしゃる方が、一人でも多く、松本漢方クリニックと出会い、健康で、すばらしい人生が送れることを願い、微力ながら、この手記を書かせて頂きます。
私が、始めて、自分がアトピーだと自覚したのは、就職を目前に控えた、1992年秋のことでした。顔や首に、かぶれのような湿疹ができたのです。そのときは、新宿(東京都)にある某大学病院で、顔用、首用と、それぞれステロイドを処方され、何の疑問も持たずに使用していました。
その後、さほどひどくはならなかったのですが、その後、首の前面に、今度はニキビが出始めました。もともと病院嫌いなので、ほおっておいたのですが、どんどんひどくなるばかり・・・
そうこうしているうちに、大学の卒業式となり、美容院で、写真用にメイクしてもらいしました。すると、その翌日から、顔の右半分が茶色にかぶれ、あわてて、以前処方されたステロイドを塗りました。塗ればよくなるのですが、塗らないと、またすぐ茶色にかぶれてしまいます。
そうこうしているうちに入社となり、本社のある大阪府高槻市の寮で、2ヶ月の研修を過ごすことになったのです。ある夜、寮でくつろいでいると、急に、顔に蕁麻疹のようなものができて、真っ赤になってしまいました。急いで、近くの救急病院に行きました。すると、注射を打たれ、とりあえず、その日は症状が落ち着き、帰宅・・・
しかし、それからしばらくして、また同じような症状が・・・慌てて、タウンページで、夜開いてる病院を調べたら、高槻駅の近くの松本漢方クリニックが、8時まで開いてるではありませんか!急いで、病院に駆け込みました。この時、松本漢方クリニックを選ばなかったら、今でも、私は、アトピーで苦しんでいたと断言できます。本当にラッキーでした。
その時頂いたせんじ薬で、蕁麻疹はもちろん、あれだけ治らなかった首のニキビが、あっという間に引っ込みました。「この先生は、信用できる!」と、そのとき直感しました。
その後、ステロイドのリバウンドで、肝心の顔と首が落ち着くのに、半年くらいかかりました。リバウンドの症状は、一見、悪化したように見えるので、会社の人や友達は、「大丈夫?」と、かなり心配してくれましたが、私は先生を信じていたので、とにかくせんじ薬と赤い塗り薬を続けました。
今でも忘れられないのは、制服のブラウスの、襟のうなじのあたりが、ガサガサになっていたことです。私の皮膚が、かさぶたのようになっていたので、擦れて、ブラウスが毛羽立っていたのです。お風呂に入れば、皮膚の剥けたのが浮かんでいました。かなりグロテスクな光景ではありましが、そのときは、「悪い皮膚が剥がれて、新しい皮膚ができてるんだ。」と、妙に嬉しかったように記憶しています。
また、さすがに、顔から黄色い液(リンパ液?)が出たときは、驚きましたが、松本先生に電話したら、わかりやすく症状を説明してくださって、安心しました。
そうこうしているうちに、ある日、お風呂から上がったら、まさに「顔の皮が、一皮剥けた」ように、きれいになっていました。皮膚が生まれ変わったんですね!翌日、会社の人もびっくりしていたのを覚えています。
その後もお薬を飲み続け、その年の冬には、見た目は、まったくアトピーだとわからないくらいまでに回復しました。(その間、何度か軽いリバウンドを経験しました。)
もう、12年も前の話なので、その後どれくらいお薬を飲み続けたかは、残念ながらはっきりと覚えていません。3年くらいは続けていたでしょうか?ただ、2~3年に一度、すごく疲れたときや、ストレスの溜まった時に、突発的にアトピーが出るので、その都度お世話になっています。
今回、手記を書くきっかけになったのは、そう、またアトピーが「こんにちは」していきたのです。年末年始にかけて風邪をひいてしまい、病院から処方された風邪薬を2週間ほど飲んでいたら、ある日、首に赤いブツブツができ始め、あっという間に首全体に広がってしまったのです。首だけならスカーフで隠せるし、以前頂いた赤い塗り薬があったので、それを塗っていたら、首はだいぶ楽になってきました。基本的に、アトピーは放っておいたら治りますから。
ただ、今度は、顔が腫れてきて、顔にも赤みが出てきました・・・女性として、さすがに、これは放っておけません。
松本先生にいきさつをお話したら、風邪薬として処方される抗炎症剤なども、抗アレルギー剤の一種とか・・・それは知りませんでした。普通の人だったら、首がこんなに赤黒く腫れたら、気が動転すると思いますが、私は大丈夫。それは、松本先生がいらっしゃるからです。「アトピーは治る!」こう断言してくださったのは、後にも先にも、松本先生だけです。
最後になりましたが、松本先生、いつまでもお元気でいらしてくださいね。
そして、この手記をお読みの方へ・・・治療の過程で、疑問が生じたら、迷わず、松本先生に質問してください。ご存知のとおり、松本先生は早口なので、圧倒される方もいらっしゃると思います。でも、とにかく、納得がいくまで質問してください。松本先生は、必ず答えてくださいますよ。
以上
「“人生のターニングポイント” は松本先生との出会い」匿名希望31歳2005年1月30日
新潟県
何気なく、大学院の研究室で見ていたHPが、私の人生を変えてくれました。
それまでは、なんとなく使っていたステロイド剤に不安を覚えながら、その場しのぎの堂々巡りをしていました。小さい頃は、それほど出ていなかったアトピーの症状も、大学に入り、不規則で不安定な生活が始まった途端に、一気に「噴出!」していきました。
「決定的で、完治に至る」治療法は、ないのだろうか?治療とはいえない薬を、ただもらいに行く皮膚科通いを、一生続けなければならないのだろうか?一生負い目に感じて、肌を掻き続けるのか?・・・そんな悩みを抱えながら、8年間もの時間が過ぎていっていました。
HPを見た瞬間、「ピン」ときました。「これって、ホンマモンちゃうか?」と叫んでいました。松本先生の、漢方による治療法のことです。それでも、すぐに松本漢方クリニックを訪ねることはしませんでした。それまで、散々いろんな先生にやられてきたことを考えると、勇気が出ませんでした。「また同じことの繰り返しだったら・・・」と。
学校を卒業し、社会人になって、決心せざるを得ない状況がやってきました。忘れもしない、26歳の晩秋でした。ステロイドが、まったく効かないのです。治まっても、サイクルが短い、赤みが引かない・・・肌が、明らかに危険だというシグナルを出しているのです。これは、来るべき時が来たなと悟りました。
すぐに、新潟から高槻に向かっていました。お会いして、信じられる先生だと意を深くし、「盲目的に、松本先生の治療法を実践してみよう!」と、漢方薬と消毒液をいただいて帰りました。
それからが、地獄の始まりでした。リバウンドとの戦いです。最初の2週間は、爛れた顔を隠すように、職場に行っていました。ステロイドを使えないのですから、当然のごとく、リンパ液が噴出してきます。痒くて、ベトベトして、仕事になりません。追い討ちをかけるように、目がぼやけてきました。ステロイドの影響による、白内障です。さすがに、ギブアップせざるを得ませんでした。4ヶ月休職することにしました。その間に、目の手術を受け、来る日も来る日も、薬草風呂に入って、リンパ液をぬぐい、消毒し、寝て、起きるだけの生活を送りました。
忘れられないのがリバウンド生活に入り、1ヶ月経った時のことです。私の体は、ヘルペスにも冒されていました。熱が出て、顔には見たこともない湿疹のようなものが出ていました。リンパ液も噴出して、とまりません。母親が、これは相当まずい状況だと察知してくれたようで、松本先生に、深夜にもかかわらず、電話をかけていました。松本先生の、親身で適切な指示のおかげで、大事には至りませんでしたが、今でも思い出すと、涙が出てくるほど切なかったです。それでも、不思議と「大丈夫、必ず直るで~!」という松本先生の言葉を疑うことはなかったです。
4ヶ月後には、リバウンドの山も越え、職場に復帰しました。リンパ液が止まるようになるまでには、半年はかかりました。それからは、日増しに、少しづつですが、良化していきました。普通の生活に支障が出なくなったのは、10ヶ月くらい経った頃でしょうか。
平成17年初頭で、5年が経ちましたが、いまでは、顔の色が、中学生の頃のようになっていっているのが分かります。さすがに、肌の色や硬さは、すぐには戻りませんでしたが(今でも、完全にもどったとは思いませんが、日々変化しているのはわかります。)、痒みはほとんどありません。あの日のHPがなければ、今の私はありません。
5年間、いろんなことがありました。学生時代から、私のアトピーを理解して、連れ添ってくれた彼女との別れもありました。アトピーが原因とは考えたくありませんが、完治するまで、結婚はできないという私の態度が、少なからず影響したのは事実です。今では、これも運命だと思っています。
うれしいこともありました。アトピーが気にならなくなり、集中力も持続するようになって、2つの難関国家資格を取得することができました。3年前には結婚し、今では、一児の父親です。私の人生のターニングポイントは、松本先生との出会いです。
「ステロイド容認派?」の先生方がおっしゃるような、「アトピーとの共存」「ステロイドをうまく使おう」「QOL」等々の治療方針は、馬鹿げています。「自分がアトピー患者なら、そんな人生を受容できますか?」と伺いたいです。重篤なアトピーのほとんどの症例は、ステロイドが引き起こしているのは、疑う余地がないことです。医学界のことはよく分かりませんが、松本先生のような「ホンマモン」が、マイノリティーであることも事実です。(そのほうが、松本先生の偉大さが際立つから、いいのか!)
松本先生には感謝しています。これからも、多くの人が、松本先生に人生を変えてもらうことでしょう。私は、もうすぐ卒業できそうです。ありがとうございました。合掌。
「成人アトピーになって」34歳女性2004年5月9日
私の実家は、高槻にあります。22歳で結婚してから、早、12年が経とうとしています。結婚してからは茨木市に住み、23歳で長女を出産しました。とにかく一生懸命、慣れない育児に奮闘しながらも、幸せな生活を送っていました。
布オムツを手で洗うようになりだしてから、手荒れがひどくなり、指の間には、小さないくつもの痒みを伴う水疱が出来、ひび割れて、指を開く事も困難なほどでした。(主婦性湿疹と診断される。)夏場は、汗をかくと、内ひじと首に痒みがありました。しかし、それ程気にもせず、またさほど心配するほどのものではありませんでした。その頃、アトピーという言葉すら詳しくは知らず、自分がアトピーだとも思ってもいませんでした。でも子供の頃、そばを食べて、突然、全身の皮膚と口の中、気管のまわりにまで蕁麻疹が出て、呼吸困難になって以来、そばアレルギーだと分かり、多少のアレルギーは持っているんだと思っていました。自分で自覚していたアレルギー症状は、この程度でした。
この間、皮膚科には、手荒れの治療にのみに通い、病院で調合された軟膏を塗っていました。ステロイドが入っていたかどうかは分かりません。この時、評判がいいと聞き、茨木市にあった吉川皮膚科に行きました。何時の間にか手荒れは良くなりました。夏場の汗による首の痒みは変わらずにありましたが、気にもならない程度のままでした。
そうこうしている内、主人の転勤で、和歌山市に引っ越しをし、次女を出産しました。次女は、先天性の病気が発見され、すぐに入院し、NICU(新生児集中治療室)に入れられました。私は、母乳を運ぶ為、産後すぐから、当時3歳の長女を自転車の後ろに乗せ、片道1時間半の道のりを毎日通いました。ひと通りの検査が終わり、手術の日程まで決まりかけていた頃、また転勤で、大阪へ戻る事になりました。紹介状を持ち、すぐに大阪大学付属病院へ行き、生後7ヶ月で、無事に手術を終え、病気は完治して、また元の生活に戻る事が出来ました。この間、手荒れや首やひじの痒みは、すっかり忘れていました。
ここから3年の間に、また、徐々に首とひじの痒みが出始め、吉川皮膚科や阪急高槻駅近くにある大桑皮膚科に、数回通いました。青い丸い容器の軟膏が、顔用、体用と出されました。自分で気付かないうちに、この頃から、少しずつステロイドと付き合い始めていたのでしょう・・・・・
次女も、私に似たのか、よくオムツかぶれやあせもができて、蚊に刺されると、何故か患部が芯があるように硬くなり、汁が出て、ぽっこりと腫れてしまい、あげくに水疱瘡後のような痕がしばらく残りました。じくじくするので、次女もこの頃から、皮膚科のお世話になりはじめました。私も子供も、以前はさほどひどくなかったので、ずっと通院してはおらず、症状が出れば行く、を繰り返しておりました。
平成7年に長男を出産し、長女の幼稚園など、更に忙しい子育てに負われて、あっという間に月日が流れていき、次の転勤で、大阪の堺市に引っ越しました。この頃から、次女は「アトピーでは?」というような皮膚になり始めていましたが、やはり軽いものでした。アトピーよりも、夏の蚊に刺されて腫れる方を心配したものです。この虫刺されから、ひどい「とびひ」になったからです。この時、夏場ひどくなる私の首とひじのアトピーも、軽い気持ちで、ついでに治療に行きました。堺市百舌鳥(もず)にある白鷺(しらさぎ)診療所というところがよく効くと、近所の方に教えられたのです。
小さな診療所で、おじいさん先生でした。診察してもらうと、「ああ~、かわいそうに、痒いね~。」と言われ、看護婦さんが「アレルギーを抑える注射ですからね~。」と言いながら、ガラスの大きな注射器で打ちました。その後、患部に軟膏をすり込み、赤外線ランプを患部に当てました。そして飲み薬、軟膏を出され、持ち帰りました。ここでは「毎週、薬が切れる頃に、来て下さい。」と言われ、律儀にもきっちりと通い、その度に、今思えば自殺行為とも言えるステロイド注射を打たれたのです。じくじくの患部が、その注射をすると、その日の夜にはきれいになっているのです。もちろんステロイドとは一言も言われる事なく、副作用の説明など、全くありませんでした。私は、ステロイドが良くない事さえ、この時は知らなかったのです。愚かな事だと、今になって思います。次女も、注射こそしませんでしたが、ステロイド軟膏や飲み薬を飲み続けました。
堺市には、3年在住し、三重県に来ました。次女のステロイド使用は、ここまででした。この時、6歳です。三重に来て、次女は、嘘のようにアトピーが出なくなり、体力がついたからなのかななどと、のんきに考えていました。私もママさんバレーに入り、運動を始めましたが、やはり汗に弱く、夏の練習でひどくなり始め、ある日突然、入浴中に背中が異常に痒くなり、飛び上がるように風呂から上がってきました。その日を境に、私のアトピーはどんどんひどくなり出しました。背中、ひじ、ひざ、首、額と、あっという間でした。
あわてて三重県津市の大谷皮膚科に行って診察を受け、先生は、「急に環境が変わったり、ストレスなどのために悪化したのでしょう。」と言われました。「痒み止めの飲み薬と軟膏を処方します。」と言われたので、私が、「以前注射を受けていたのですが、こちらではされないのですか?」と聞きました所、「あまり打たない方がいい。」と言われました。(この時はまだ、私は、ステロイド注射とは思っていなかったのです。)女性なので、やはり見た目をとても気にしました。
そこでもあまり良くならず、先生が女性で、患部を見せやすいし、話しやすいとの近所の評判を聞き、別の皮膚科へ行ってみました。津市の山本皮膚科でした。ここでもやはり、丁寧に風呂の浸かり方、洗い方、服はどんなものでないといけない等、指導されました。この時、私の背中は、血だらけ、傷だらけの状態でした。「痒くて仕方がなく、眠れない為、痒み止めをもらいたい。」と言った所、数種類の痒み止めを机の上に出され、「あなたが好きなのを選んで下さい。」と言われて、驚きました。結局、ステロイド軟膏と痒み止めを処方されただけでした。
この頃、心配した母が、民間療法の入浴剤を送ってきました。「冷え取り療法」というものでした。しかしどれを試しても良くなるものはなく、「この先、一体、自分はどうなっていくのだろう。」ととても不安になりましたが、何の解決方法も見つかりませんでした。
始めに書いたとおり、私の実家は高槻市にあり、松本漢方クリニックのことは、少しは耳にしていました。茨木市に住んでいる頃にも、松本漢方クリニックに通っているお子さんを持つお母様に聞いた事がありました。その当時はひどくなかったので、あまり深刻に受け止めていなかった為、そのままになっていました。そして偶然、私の友人が松本漢方クリニックへ行っている事を聞き、「ダメ元で行ってみようか・・・・・」と思い、平成13年3月30日に、次女を連れ、友人とともに松本漢方クリニックの門をたたきました。
2001年6月30日(土)
松本漢方クリニックに一歩足を踏み入れて、まず匂いに驚き、入り口では、遠方からの患者さんのために、漢方を宅配で送る準備をしていました。私も、三人の子供を抱えていて、毎回通うことは出来ないので、この宅配システムがあると知って、診察を決めたのです。
待っている間、松本先生のお願いが記された紙と手記を手渡されました。「必ず治してあげます。その代わりに、完治したあとには、必ず手記を書いて下さい。」とありました。アトピーは治らないとあきらめかけていた私には、「治してあげる」という言葉は全て信じられず、「でも、もしかしたら・・・・・」とわずかに期待をも持ちました。私はもちろんのこと、次女も何とかしてあげたいと思っていたので、もう他に行く所はない、とにかく今は、ここにゆだねるしか残されていなかったのです。
4月1日から、治療を始めました。始めは、次女と一緒に始めましたが、私が、4日目からすぐにリバウンドが出だし、この状態では、とてもじゃないけど子供のリバウンドのケアまでは無理だと判断し、次女の方は、私が一段落してから、することにしました。この間も、家族で2番煎じを飲んだり、漢方薬湯に入っていました。
リバウンドは、想像以上に恐ろしいものでした。皮がベロンと簡単にむけ、蛋白が出、腫れとむくみ、そして全身が真っ黒になりました。全く眠れませんでした。毎日、来る日も来る日も、新聞配達の音を聞き、朝方ウトウト・・・痛みで横にもなれず、コタツに入って座って眠りました。いつも悪寒がしました。なのに痒みを和らげるために、アイスノンをいくつも抱きました。本当に、見るも無残とは、このためにある言葉だと思いました。
勿論、家事、子育て等はいっさい出来ませんでした。何より辛かったのは、夫にこの姿をさらしていることでした。どんどん醜くなっていく姿は、自分自身でも相当なショックでした。夫に「大丈夫か?」と聞かれただけで、泣き崩れてしまいました。見た目以上に、精神的に参っていました。そんな私を見て、夫は「これを頑張ったら、治るんやろ?俺、仕事なんかどうでもいいから、休みとって、おまえの面倒みよか?」と言ってくれ、その目は、涙で一杯でした・・・。この時に、「がんばらな、あかん!」と思いました。子供たちも何もいわず、本当に良く手伝ってくれました。
朝起きてから1時間以上は、痒くて痒くて掻き続けては、発狂寸前で、子供の朝の支度すらしてあげられませんでした。ひどい時には、ウトウトし始めた時間で、学校へ行ったのさえ知らない日もありました。動けない間は、近所の人が、下の子の幼稚園の送迎や買い物、時には、掃除、洗濯、夕食の支度までしに来て下さいました。それもリバウンドのひどい2ヵ月半もの長い間、毎日です。親からは、宅配で、すぐに食べられる食品が届きました。夫は、毎日、漢方薬湯の前後にするケアを、どんなに疲れていても嫌な顔一つせずに手伝ってくれました。
まじめに、薬湯前には全身をきちんと消毒し、1時間半浸り、出てからは、薬湯を全身に塗った後、真っ赤なベトベトした薬を塗り、チューブの軟膏をさらに塗りました。しばらくは気持ち悪いので、服を着る事が出来ません。洗濯をいくらしても、変な油くさい臭いで、その服を寝る前に着るのが、また最悪な思いでした。
ひどいリバウンドで、体力的にも精神的にも参ってきて、夜中、発作的に死のうと、何度かキッチンで手首に包丁を当てました。子供たちのために、自分の携帯電話に遺書を打ち込み、保存したりもしました。そのくらい、私は、壊れる寸前まで来ていました。精神安定剤をもらおうと、初めて漢方薬の注文以外に、松本先生に電話をしました。私はどうも、何度電話をしても、不安を聞いてもらうという事が出来ませんでした。過去、別の皮膚科で、少しの質問をしただけで怒られたり、叱られたりしたために、拒否反応が出ていたからです。「どうですか?リバウンドはひどいですか?」と松本先生は言われ、私は「はい、全然眠れません。」としか応えられず、とうとう、安定剤のことは話せませんでした。代わりに、松本先生が「睡眠薬を出しますか?」と言われたので、「いえ、無しでやってみます。」と言い、睡眠薬は断りました。この時、「皆さんの書かれた手記を送って頂きたい。」と言い、2日後には届きました。
必死で、読み漁りました。自分と同じ思い、同じ苦しみ、いえそれ以上の人がたくさんいる事に驚きました。皆さんの症状の改善状態と比べながら、少し頑張る気になれました。
参考までに、私の治療開始からの経過を記します。
── 療養日記 ──
2001年8月17日(金)
<1ヶ月目>
4/1から、漢方煎じを始める。4日後から、リバウンドが出始め、全身赤黒くなる。日に日にひどくなり始める。
4/4から、漢方風呂を始める。今まで、シャワーだけでも痒くて辛かったので、絶対辛いと思っていたら、何と、1時間浸かれた。
リバウンド4日目、手の甲まで真っ赤になり、顔面はむくみ、まぶたは腫れ、全身にすごい寒気が・・・幼稚園行事に行けず、主人に行ってもらう。
リバウンド6日目、異常なほどののどの渇き。
リバウンド7日目、2時間薬湯に浸かったら、韓国のあかすりのように皮が取れる。そのせいで、翌日から全身ヒリヒリ・・・夜中は痒いので、何度も起きてしまう。痒みを少しでも軽減させる為、アイスノンで冷やしながら布団に入る。この頃から、下の子の幼稚園の送迎に出て行けなくなり、近所の方に協力をお願いする事になる。首が回らず、むち打ちの様な動きになる。
リバウンド10日目から、近所の人が交代で、毎日様子を見に来て下さり、買い物や夕食の支度をして下さるようになる。気が重かったが、有り難くて、親切を受けることにした。子供たちも、本当に良く協力をしてくれるようになった。春だと言うのに、コタツに入り、ケロイド状態になっている体の痛みで、横にもなれず、座って1日の大半を過ごす。この頃から、覚悟はしていたものの、精神的にかなりきていて、主人に「どうや?」と聞かれただけで、泣き崩れた。主人も泣いた。言葉で言い表せないほど、皮膚の状態はひどく、辛かったのです。1日のうち、ほとんど眠っていない・・・。夜中、バスタオルを顔に押し当てたり、携帯メールに遺書を打ち込んだりするようになり、いつ発作的に自殺をしてもおかしくないほどの極限状態になっていた。
まぶたの痒みがひどくなりだし、おでこは皮がむけ、蛋白が汁のように流れる。実家の母から、冷凍食品など、すぐに調理出来るものを送ってくれる。
リバウンド31日目から、下痢をしているわけでもないのに、なぜか便がたくさん出るようになり、1日に4回行く日もある。相変わらず、まだコタツで座って眠る日々が続いている。風呂上りのケアは、依然主人がしてくれる。時には長女がしてくれる時もあり、有り難い。早く、せめてケアくらい自分で出来るようになりたい。
5/20の朝日新聞に、成人アトピーの特集が載っていた。えらい皮膚科の医者数名のコメントがあり、やっぱり「ステロイドは、怖い薬ではなく、上手く付き合っていくことが大切だ。」と、どの医者も答えていた。
5/23 妹から、切り抜きが届く。「ノンステロイド・ノンアトピー」という、リバウンドなしで、ステロイドも使わず、アトピーを治す治療法が出来たらしい・・・図書館や書店で探すが、見当たらず、読まずじまい。木酢エキスを患部に塗ると、3ヶ月で完治したというのもあった。
5/29 初めて朝まで、痒みで目覚める事がなかった!朝起きてからが、大変!冷やしても効かないほどに、強い痒みがあった。でも、1時間おきに痒みで起こされ、全身冷凍人間のようにアイスノンや氷枕で冷やしまくらなければ、少しの睡眠さえ取れなかった私にとって、夜中目覚めなかったという事が、どれ程嬉しかったかわかりません!この日は、顔の赤味も、少しマシだったように思えた。
5/30 松本漢方クリニックに、漢方薬注文の電話をした。松本先生が電話に出られた。「蛋白は、まだ出ていますか?」と聞かれ、「以前ほどではなくなってきています。」と答えると、「蛋白が出なくなって、少しずつ皮膚が回復していきますから。」と言われ、松本先生の口から「回復」と聞いただけで、すごく嬉しかった。
「写真を撮っておいてね。」と言われたが、どうしても撮る気になれず・・・松本先生に手記をおくってもらう様頼んだら、漢方薬と一緒に届き、全部読み漁った。読んで驚いた事に、私よりひどい人がどれほどいらっしゃっただろうか・・・「まだ軽い方かもしれない・・・」と、この日初めて思った。ステロイド注射を打ち、ステロイドの飲み薬を飲み、ステロイドの軟膏を塗ってきた私だったので、ひどく辛いんだと思っていたのに、反面、「私だけじゃないっ!皆、これと戦って乗り越えてきたんだ!」とすごく勇気が湧いてきた。
<3ヶ月目>
1日5時間くらい調子がいいと、眠れるようになって来た。痒みも、湧いてくるような痒みが少しマシになってきた。全身の痒みは、まだある。
6/4 蛋白がほとんど出なくなってきた。掻きむしっても、一部、皮が潰れにくくなってきた。黒い皮膚(特に、手の甲と足の甲)も、少しずつ薄くなってき始めた。まだ顔は、おでこや目の周りはひどく、たぬきか酔っ払いのような感じだ。子供が水疱瘡になり、小児科へ行くと、当然、「カチリ」という白くトロッとした塗り薬が処方されると思っていたら、何と、副腎皮質ホルモン剤のチューブが出た!処方箋薬局の人に、「これは、ステロイドですか?」と訪ねると、「違います。先生がお出ししているものです。心配ありません。」と言われた。リバウンドでゾンビのような顔で、小児科へ行っている私に、「ステロイドは、少量なら大丈夫。」という言葉はもはや通用せず、その足で、別の処方箋薬局へ聞きに行った。そこでは「ステロイドが入っています。普通、水疱瘡では、処方するような薬じゃないんですけど・・・」と困惑されていた。またその足で、子供を連れ、別の小児科へ行った所、ようやく「カチリ」を処方され、帰って来た。驚くことに、とびひの薬にも、ステロイドが入っている。テレビで見たが、風邪薬にも、咳の炎症を抑えるのに、ステロイドが入っている。私は、今、異常なほどのステロイド恐怖症になっている。
6/7 髪の生え際が薄くなり、ボロボロとフケのように皮が落ちる。髪が随分長くなり、切りたいが、美容室にはまだまだ行けそうな状態ではない。
6/8 痒みの範囲が、広がってきた。風呂で皮をむけばむくほど、痒みが広がってくるように思う。近頃また、夜中、痒みで目が覚める。子供たちの参観に行ってやれなかった・・・今まで、決して欠かしたことのない子供の行事・・・申し訳なさで一杯。この頃、強い痒みが毎日で、夜も眠れない日が続く。外の気温も日増しに暑くなりだし、少しの汗をかいただけでも、地獄のような痒みが襲ってくる!洗濯物を庭に干しに出るだけで、恐怖だった。汗に、とにかく弱い!
<4ヶ月目>
7/1 この日から、4ヶ月目に入る。今まで、アイスノンと氷枕で冷やしながら眠らなければならなかったのが、この日から、突然のように、無しで眠れるようになる。
7/3 この頃から、また夜中起きないで済むようになってきた。しかし起きてから、1時間程は、猛烈な痒みが襲ってくる。
7/4 この日から、風呂上りのケアが、自分で出来るようになる。汗の恐怖があるので、雨が降ると嬉しい。この頃から、幾分マシだった背中の痒みが、どんどんひどくなり始める。痛みも、もれなくついてきた。脇まわりや、肩、鎖骨まわり、首、肩甲骨まわりがひどい。薬湯では、シールをめくるように、積極的に皮を剥いだ。睡眠不足がたたっているのか、薬湯に浸りながら寝てしまう事が度々あった。この頃は、汗との戦いがほとんどで、あとは、薬湯から上がった後しばらく、猛烈な痒みと戦う事に必死だった。背中や下腹を掻くと、白く粉をふいたようになる。傷は部分的ではあるが、だいぶ少なくなってきたように思う。以前から比べると、随分マシになっているように思うが、その時その時痒くて辛いので、手放しで良くなっていると思う余裕はまだなかった。リバウンドが出始めてから、115日が経っていた。
2001年9月3日(月)
<5ヶ月目>
初めて、一日主人と外出。猛暑で、汗をかくと痒くなるので、車からは出られないが、丸4ヶ月間、家の中だけで過ごしてきた私のために、気分転換にと連れ出してくれた。帰りが遅かったので、この日初めて漢方風呂をサボった。少し体の傷も減ってきたように思う。この月は、8月ということもあって、汗との戦いだった。以前に比べれば、少しずつ良くなってきているように思えてきた矢先、お盆あたりから、額の左側にブツブツが出来、痒い。アトピーとも少し違うように思え、まるで、毛虫か何かに刺されて様で、一晩でみるみる広がって、顔の半分は、お岩さんのようになり、また蛋白がダラダラと止まらなくなった。不安になり、松本先生に電話すると、「ヘルペスだと思うから、近くの皮膚科に行って、抗ウィルス剤をもらって飲んで下さい。」と言われた。「ヘルペス?」傷も減り、ようやく治癒期に入ってきたと喜んでいた矢先の事で、ショックだった。以前通った山本皮膚科へ行くと、スゴイ顔になった私を見て、先生は、「今更、ステロイド離脱なんて、せんでいいのに~。今年は猛暑で、皆、アトピーがひどくなっているだけやから、涼しくなればマシになるのに。」といわれた。この病院でもステロイドを散散使わされてきていたので、何度も「抗ウィルス剤ですよね?」と念を押したら、先生が不機嫌になった。「涼しくなれば、マシになる・・・」その言葉に、心の中で「マシに・・・では、困る!完治じゃないと!」と言っていた。「治せないくせに、偉そうに・・・」と少し思った。まだもらった薬が不安で、インターネットで松本先生にメールをし、薬が大丈夫なものかどうか、確認をとった。松本先生はすぐに返事を下さり、「大丈夫。」との事で、初めて安心できた。「松本漢方クリニックでない病院で、薬をもらってと言った事で、返って、あなたを不安にさせたようなら、申し訳ありません。」と松本先生のコメントがあり、驚いた。私は、三重県にいるので、高槻まで通うのは大変と、配慮して下さったのに・・・アトピーの方は、また少し傷が出来たり、マシになったりと、目に見えた回復はなく、足踏み状態で、肩まわりや、背中、腰にまだまだ強い痒みがある。皮膚はまだガサガサしており、掻くと白く粉をふいたようになるので、潤うようになるまではまだ遠い感じである。
<6ヶ月目>
この月に入った途端、気温がグッと下がって涼しくなり、汗をかくのが減ったせいか、1日の中で痒い時間がグッと減ってきた。子供達も2学期に入り、幼稚園の送迎も、近所の方にお願いしていたのが、自分で行ける様になった。ひざから下は、皮がむけ難くなって来たし、傷もほとんどない。まだやっとひざから下だけだけれど、それでも治癒の兆しが見えてきたようで、何となく嬉しい。
「アトピー 鼻炎手記」31歳男性2007年9月15日
私は子供のときからアレルギーと診断され、手荒れや鼻づまりとずっと付き合ってきました。日常生活にはほとんど支障がなく、たまに薬(ステロイドも使ってました)を塗るくらいの症状でしたので、なるべくゴム手袋をするようにしたりして、刺激のないようにしてきました。しかし、社会人になって飲食業をしていたので、ゴム手袋をいちいちするわけにもいかず、手荒れは慢性的なものになっていきました。ステロイドでなんとか抑えていましたが、手はいつもひび割れて、赤く腫れている状態でした。
3年程前に転職し、家電製品などの修理を行う店で働くようになりました。
治ると思っていた手荒れもましにはなりましたが、慢性的にひび割れがあり、花粉症がこのころからひどくなっていきました。おそらく家電製品のほこりなどが原因だと思います。いいかげんアレルギーを治さないといけないなと思い始め、ステロイドはその場しのぎで、だんだん効かなくなるのも知っていたので使わないようにしました。(薬を使って抑えても絶対アレルギーは治らない。
何とか体が慣れてくれないだろうか、体が強くなればアレルギーだって治るのじゃないのか)そんな根拠のない自信というか希望を勝手に持ち、花粉症がひどいときでも薬はいっさい使いませんでした。しかし、エアコンクリーニングなど洗剤を使う業務もあったので手荒れがまたひどくなり、我慢しきれず市販のひび割れクリームならいいかなと思い使い出しました。
(後で松本先生に聞くとステロイドを使うのと変わらないみたいです。)
案の定これも最初は効き目がありましたが、だんだんと効かなくなりました。
(この醜い手と一生付き合うのかな…)そんな時、たまたま知り合いの看護婦の方に「これって治らないのかなぁ」と尋ねたら松本漢方クリニックのことを教えてくれたのです。ホームページを見て確信しました。(ああこれや!やっと治るわ!)
松本先生の理論、患者さんたちの手記を拝見して、私の中に疑う気持ちはこれっぽっちもありませんでした。ありがたかったことは松本漢方クリニックが家から本当に近所だったことです。世界でアレルギーを治せる唯一の人間(いつもおっしゃってますが(笑))がこんな近くにいたなんて!!
松本漢方クリニックでいただいた煎じ薬を飲み始めて、私の場合2~3ヶ月でピークがきました。今まで見たことのない手の腫れようで、皮膚もぐちょぐちょでした。
かゆくて眠れないこともありましたが、そんな状態は1ヶ月間位だったように思えます。とても接客できるような手でありませんでしたので、仕事中は綿手袋と、その上に軍手をしていました。
家電修理の店で働いてるので、それは違和感なくすることができ助かりました。
松本漢方クリニックに通い始めて約1年。今ではひび割れも皆無できれいな手になっています!みなさんの手記を読んでいると私は本当に軽度のアレルギーだったと思います。こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが私の場合、自分の手の変化を写真に撮りながら少し楽しんでいたところもあります。これは松本先生やみなさんの手記に支えられ、絶対に治るものだと信じていたからこそです。ピークを越えたと感じたときは達成感のような何ともいえないうれしさでした。
これからの人生において、大きな変化と自信を与えていただきました。
松本先生、スタッフのみなさん本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。
すべての出会いに深謝!
「アトピー(中間報告)とアレルギー性鼻炎」K・K37歳2005年3月3日
私がアトピーを発病したのは、2歳の頃である。主に、肘、膝の裏、背中に発症していたと思う。アトピーが治まるまでは、ステロイド剤(飲み薬+塗り薬)を使用しており、12歳頃に、その症状は一旦治まった。
しかし、アトピーと入れ替わりに、アレルギー性鼻炎を発病した。以後、松本漢方クリニックにかかるまで、アレルギー性鼻炎は治まらず、毎年3月から5月頃は、耳鼻科から出される飲み薬を服用した(ステロイドor抗アレルギーor抗ヒスタミン剤が含まれているはず)。
2002年1月に、突如、肘、背中が痒くなり始めた。ステロイドによって抑えられていたアトピーの再発、あるいはステロイドの副作用と思われる。そのうち顔も痒くなり、赤黒くなってきた。
この頃には、本やインターネットにより、ステロイドの怖さを知っていたため、ステロイドを使わないという病院へ行ったが、保湿剤(ザーネ軟膏)をもらうだけであった。
その後、症状はさらに悪化していったため、口コミで知った、漢方を使用する病院にかかるようになった。しかし、諸般の事情で引っ越され、診てもらったのは、2週間ほどであった。
2月頃からは、背中、首の周りがずるむけになり、リンパ液でぐじゅぐじゅの状態で、首をまわすのも大変つらい状態であった。そのころは、雑誌で知った、液状キトサン(天然保湿剤)を塗っていたが、症状は全く改善しなかった(保湿剤は、皮膚に膜を作るようなのであるから、逆に汚染異物を体内から排除することを妨げる?)。また、顔も掻きむしっていたため、この頃には、、眉毛もなくなり、会う人にはよく、「アトピー?」と聞かれ、嫌な思いをした。
さらに、5月の中旬には、顔が痛くなり、寝ることも出来ない状態となった。この頃が最大のリバウンドで、一番つらい時期であった。どうにも我慢が出来ない状態が続いたため、別の病院で診てもらったが、そこでは、プロトピックを処方された。その医者に、「ステロイドのような副作用はないか?」と尋ねたところ、「そのような報告は、一切聞いたことがない。」とのことで、胡散臭いと思った。インターネットで調べたところ、やはり免疫抑制剤の一種であることが分かった。ステロイドと同じようなものだと思い、服用しなかった。結局、この時期もステロイド剤は使わず、液状キトサンを塗るくらいであった。
家では、妻も、産まれたばかりの双子の世話に一番大変な時期であったが、一緒になって掻いてくれたり、マッサージをしてくれたりと、本当によくしてくれ、ありがたかった。そして、その頃に、妻が、インターネットで、松本漢方クリニックを見つけてくれた。松本理論を見てはじめに思ったことは、「今まで診てもらった医者とは、正反対のことを言っている」である。特に、「掻きたければ、掻けばいい」と言う医者に、これまで会ったことがなく、「ほんまか?」と思った。ただし、松本理論を読み直し、さらに松本先生から直接話を聞いて、次第に、「アトピーは治るはず」と感じるようになった。
初めて松本先生と対面した時は、医者らしからぬ風貌にびっくりしたが、「絶対に治してやる!」と言って、握手してもらったときは嬉しかった。松本漢方クリニックに通い出して、最初の数ヶ月は、朝と晩に、消毒液と漢方浴剤の原液を塗ったが、傷口に染みて、結構痛かった(今となっては懐かしい思い出)。風呂の準備や煎じ薬などは妻に任せっきりで、痒いときには、夜中でも妻に背中を掻いてもらったりと、自分も大変だったが、家族も大変だったと思う。
松本漢方クリニックに通院して、約1年後、500円玉程度の大きさの蕁麻疹が、肩、首に集中して発症するようになった。以後三ヶ月程度の周期で、蕁麻疹が発症しているが、松本先生にアトピーの治りかけに多い症状だと言われ、徐々にアトピーの完治が近づいているのだと思う。
また、通院から1年経った頃には、顔を見ただけではアトピーだとはわからない程度になり、無くなった眉毛も生えて、元通りとなった。
さらに、通院から2年程度で、背中もだいぶんきれいになり、かゆみの程度も和らいできた。IgE抗体の数値は、一度リバウンドを見せたが、その後は減少しており、現在では、少し痒みはあるものの、松本漢方クリニックにかかる以前とは比較できない程に治ってきていることを実感している。
松本漢方クリニックにかかって3年弱、2005年2月現在では、蕁麻疹もあまりでなくなった。漢方浴剤の風呂に入ると、風呂上がりにまだ痒さはあるが、普段は、あまり痒みも感じず、普通の生活がおくれるようになっている。
また、松本漢方クリニックに通院するようになって、アレルギー性鼻炎は、今のところ発症していない。