「アトピー手記」匿名希望39歳2004年7月13日
私が松本漢方クリニックを初めて訪れたのは、平成9年6月です。それまでは、何年間くらいでしょうか、お尻に軽い湿疹が時々出来て、そのたびに、皮膚科でステロイドを処方してもらっていました。
そうするうちに、平成6年の連休明けには、鼻水とくしゃみがひどくなり、止まらなくなりました。それまではそのような症状を起こしたことがないので、風邪か鼻炎かと思ったのですが、耳鼻科で花粉症と診断され、飲み薬をもらいました。この花粉症は、それから毎年、連休明けに症状を引き起こしていました。
ところが、平成9年の連休明けに、花粉症を薬で抑えた後、今までお尻にだけできていた湿疹が、両腕や両脚、腹部、背中などにも急に広がり、症状がひどくなりました。そんなときに、母から松本漢方クリニックのことを聞かされ、勧められました。
初めて松本漢方クリニックを訪れたとき、漢方治療というのはすぐに効果が出るものではないという認識があったので、「どういう治療なんだろう?」と不安だったのですが、松本先生からは「絶対に治してあげるから。私を信じて。」と言われました。
治療は、漢方薬の飲み薬と、風呂に入る前に患部に塗る消毒液、赤い軟膏、漢方薬のお風呂によるものでした。治療を開始してから2ヶ月くらいは、症状がひどく、たいへんつらい思いをしました。ステロイドを止めたため、リバウンドというのでしょうか、猛烈に痒くなり、もともと症状がひどかったお尻にいたっては、傷口から黄色い浸出液が出て、会社での仕事(デスクワーク)にも支障がでました。ほっとくと、浸出液で下着がガビガビになってしまうため、トイレに拭きに行ったり、下着を穿き替えたりと、仕事に集中できず、これは本当につらかったです。それでも、私の場合は、顔に症状が出ておらず、服を着ている部分だけでしたので、周囲にも気づかれず、その点は助かりました。
「こんなことが、いつまで続くのだろう。」と思いながら、治療を続けていると、お尻の症状もましになり、浸出液も少なくなりました。両腕、両脚についても、湿疹が乾いたような症状になり、軽くなってきました。今から考えると、この2ヶ月間、よく辛抱できたな、この2ヶ月間があったから、今こうやって、ほとんど症状がでないようになったんだと思います。その後は、一時的に湿疹がひどくなることを繰り返しながら、今では局部的に痒くなる程度になりました。
松本先生を信じて、ずっとやってきて、本当に良かったです。まだもう少し時間がかかると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
「病気の原因を知り完治へ」36歳男性2015年10月6日
きっかけ
わたしが松本漢方クリニックを知ったのは、妻の勧めからでした。妻は数年前、サービス業をしていました。当時の妻の仕事は忙しく、通勤先まで距離が遠かったこともあり、朝の4時ごろに起き、帰ってくるのが終電の時もありました。また、食事も睡眠も十分ではありませんでした。そのせいか、全身にアレルギーのような皮膚炎をおこすようになり、仕事にも支障が出て、休職することになりました。
いくつかの病院で治療を受けましたが、あまり効果がなく、インターネットで見つけた松本漢方クリニックのホームページに書かれていた松本院長の考えや、患者さんの手記を拝見し、感銘を受け松本漢方クリニックでの治療を決意しました。
3年ほどの治療の結果、妻のアレルギーは完治しました。その経過があったので、私も妻の勧める松本漢方クリニックの門をたたくことになりました。
私は妻から松本漢方クリニックを勧められるまで、いくつかの病院での治療を試みましたが、治まることなどなく、かえって症状がひどくなるようにさえ感じていました。
症状と他の病院
過去を振り返って思い出すと、私のアレルギー症状は、中学三年生の2月の下旬に患った風邪をきっかけに始まったものでした。外出すると目が痒くなり、くしゃみが出るといった、いわゆる花粉症のような症状で、そのときは「えらい長引く風邪やな。」としか感じませんでした。しかし、その翌年から必ず、2月の後半に風邪をひき、その後、花粉症のような症状が出ました。そして、27、8歳まで、年により酷さの差はあれど、治まることはありませんでした。
これといった治療はせず、市販の点鼻薬を使用していました。たまに市販の飲み薬も服用していました。これらは一時的な効果はあっても、治るというようなものではありませんでした。
27,8歳以降の症状は、花粉の時期になると体が痒くなるというものでした。アトピーのような症状で、そのかゆい箇所は年々変わっていきました。たしか首、脇の下、腰、足の付け根、ひざ裏、くるぶしの内側、足の指先の間へと、上から順に、毎年かゆい箇所が下がっていったように思います。
いずれの箇所も、掻きむしって透明の液体が出る、ちょっと収まって、かさぶたになる。また痒くなって掻きむしる。これの繰り返しで、徐々に皮膚が黒ずんでいく。痒くなる時間帯も大体決まっており、酷くなるのは仕事の終わった18時~21時頃と、寝るときでした。皮膚に症状が出だしたときから、何回か病院に行きました。
始めは家の近くの皮膚科でした。その時は足にできていたので、水虫と疑われ、皮膚をとって細菌検査をしました。結果は水虫ではなく、原因不明。冬だったので寒冷蕁麻疹という症状だと断定されました。抗生物質の入った塗り薬を与えられ、症状が出れば塗っていましたが、全く良くなりませんでしたので、2、3回塗って捨てました。
その後、アレルギーには漢方薬が効くというインターネット上の記事を見つけ、家の近くにあった漢方を取り扱う皮膚科と内科をやっている病院に行きました。
どのような薬を出されたかは記憶にないのですが、タケダやツムラの粉末の漢方薬でした。これも半年ほど毎日飲み続けましたが、一向に良くならなかったのでやめました。
このあたりで妻に教えてもらった松本漢方クリニックにかかるようになりました。確か33歳の時でした。この時はもう花粉の時期とか関係なく、常にどこかが痒かったです。
松本漢方クリニック
初めて松本漢方クリニックにかかった日、血液検査をしました。よくよく考えると、今まで行った病院では血液検査をしなかったように思います。私の症状や話を聞いて、先生は「免疫力が落ちているだけ。絶対治るよ。安心して。」とはっきり言われました。「変な先生やな。ほんまかい。」と思ったけど、ここまで言う先生は会ったことなかったので、試してみようと思いました。
検診が終わって出されたのは漢方の煎じ薬と赤、黄色の塗り薬でした。煎じ薬はすぐにはわからなかったけど、赤、黄色の塗り薬。これが結構効いた。かゆみが足のかかと付近に定着して、ジュクジュクとボロボロ具合がかなり酷かったとき、この二つの塗り薬は他の薬よりも、はっきり効いているのがわかりました。
夜寝る前にかかとに塗り 薬を塗った箇所ラップで巻いて密着させ、靴下をはいて寝ると、朝には大体きれいに治まっていました。
2、3か月たって煎じ薬の方も徐々にですが、効果を感じられるようになりました。「これは続ける価値がありそうだ」という気になりました。そして松本漢方クリニックで治療を開始して一年半経った現在、ほぼ完治したような状態だと思います。体も今までのような症状はなく、痒くなってもすぐにひきます。先生にも「血液検査の結果も良くなった。今ある煎じ薬が最後にしましょう。」と言ってもらえました。
この松本漢方クリニックにかかった1年半の間に、先生の論文を読み、自分でも何が原因だったかを調べてみてわかったことは、『どんな症状にも原因があること』。食事や、生活環境(職場、空気、水)ストレスも原因の一つだと思います。知らずに体内に取り入れてしまっている不必要な何かを、体は必死に出そうとしている生理的現象、それが痒みのような症状であると思います。他の病院で処方された薬は、出てきた症状を抑制するようなものが主で、根本的な治療ではありません。松本漢方クリニックでの治療は、その体の正常な働きを、より高めるように手助けするものだと思います。
治療の方向性を示してくれた松本先生と松本漢方クリニックを紹介してくれた妻、そして頑張った自分の体に感謝したいと思います。ありがとうございました。
「アトピー手記」匿名希望30歳2014年4月26日
皆様初めまして、いよいよ自分も松本先生より中間報告を書くように言われたので日記を振り返りながら、書いていくことにしました。
会社の上司から高槻の松本漢方クリニックを紹介して頂き、ホームページの論文や手記を読ませて頂いて、引き付けられるものがあったので受診しました。
松本先生は手記で皆さんが書かれていた通りの先生で、「絶対治るよ」と力強く握手してくれました。看護師さんも丁寧に説明してくれました。
手記にも書かれていたけど、薬を煎じたり、入浴剤を煎じてお風呂に入ったり、消毒したり、何種類か薬を塗ったり、本当に大変で経済的にも精神的にも肉体的にも家族の協力(両親と同居)がなかったら続けることはできませんでした。
2014年1月7日に初診で漢方の煎じ薬と入浴剤を1週間分処方してもらいました。初診後帰宅して、煎じ薬を飲み、漢方風呂に入りました、お風呂に入っている方が楽なので5時間入りました(4月15日まで毎日煎じ薬を飲み、漢方風呂は4時間~5時間入りました)。その時の症状は顔の目の辺りと耳が特に酷くリンパ液が止まらない感じで、まつ毛にリンパ液がついて、瞬きするだけで痛く目も充血していました。あとは左の腕と身体のあちこちに湿疹のぶつぶつがぱらぱらありました。
今まで、風呂で顔をつけたことがなく、松本先生から顔もたっぷりつけなさいということで何回もつけていました。結構気持ち良かったです。
いつもお風呂あがりが辛かったですが、入浴後軟膏をたっぷり塗りました。リンパ液でてるとこは塗りづらかったです。耳からリンパ液が垂れそうになるたびに拭き取っていました。そのあと錠剤を飲んで寝ようとしたものの、1時間程度でリンパ液が垂れる部分が気持ち悪くて、ほとんど眠れませんでした。
1月8日起きたら顔中リンパ液と軟膏が混ざって固まったままで、すぐに漢方風呂に入りました。入浴後軟膏を塗りました、耳からはいつも通りリンパ液が出ていましたが、2~3回拭き取ったくらいで、あとは固まりとなっていました。目の周りはリンパ液が少し出ていて、まつ毛が固まって瞬きすると痛いままでした。
夜は普通のお風呂に入り、入浴後軟膏を塗りました。耳からは1~2回垂れそうになる感じで、あとは固まっていましたが、いざ寝るとやはりリンパ液が垂れてしまい眠れませんでした。
1月14日(1週間後)徐々にリンパ液の出る量も少なくなり、顔の症状も少しずつ改善しつつ、症状が出ていなかった背中などに湿疹が出てきました、アトピーの湿疹が出ている皮膚以外のところがしっとりしてきました。
2回目の診察で血液検査の結果、IgE抗体値が1200近くあり、免疫寛容が起こる速度に関係するリンパ球の数値が低いことがわかりました。
1月21日(2週間後)顔の既に出ていたところは薄くなり、出ていなかったおでこや鼻筋ラインに湿疹が出てきて痒くなりました。耳からリンパ液が出なくなりました。
2月10日(1ヶ月後)目の充血が少しずつなくなってきました。耳や顔の症状が改善し今まで気持ち悪かったり、痒かったりして目が覚めていましたが、ある程度眠れるようになりました。身体の方は薄くなってきたかと思えば、また酷くなるのを繰り返していました。
2月27日(1ヶ月半後)頭痛がするようになりました。顔の見た目は、アトピーだとわからないくらい改善しましたが、外出すると、掻き毟りたくなるくらい、おでこや目の周りが痒くなりました。
3月15日(2ヶ月後)今まで食べて平気だった醤油を口にすると数分の内に唇や口内が腫れるようになりました、だいたい2~3時間でひきました。
4月7日(3ヶ月後)頭痛がおさまり、外出時の顔の痒さもほとんどなくなりました。
身体の方は、右肩と背中少し酷い感じで痒いです。
以上が中間報告になります。
下記にアトピーの経歴を記載します。
・生後3ヶ月くらいアトピーを発症し、ほぼ全身に出ていたみたいで、1ヶ月くらいステロイド塗っていたみたいです。
・小学生までは耳が切れているくらいで、牛乳は控えるように言われていたので、飲んでいませんでした。よく、風邪やインフルエンザにかかっていました。
・中学生では耳も治り、牛乳を試しに飲んでみて、特に何もなかったので、時々飲むようになりました。
・高校生で引越しをして1年後の高校2年の時に、湿疹が胸から出だしてきて、1度近くの皮膚科に診察して見るものの、アトピー性皮膚炎と言われ、いきなりステロイドを塗られました。
もともと薬は身体によくないと思っていたので、それっきり塗りませんでした。
塗られた後、すぐ症状はひきましたが、1週間後また出てきました。
次から次に湿疹が出てきて、ジュクジュクし、2ヶ月後くらいには顔も酷くなり、そこから半年くらい学校を休み、玄米菜食という食事療法で改善しました。簡単に改善したと書いていますが、そのときが一番酷く、妖怪人間みたいな状態がしばらく続き、本当に治るのだろうか?という不安と恐怖や焼けるように身体中熱かったり、痛かったり、痒かったり、リンパ液の量も尋常でなくまたリンパ液の臭いもきつく、布団の上に新聞紙やビニールを引かないと布団が液でグッショリしてしまうくらいの感じでした。
毎日が地獄でいっそのこと死んでしまったら、楽と思ってしまうくらい酷かったです。家族にも暴言を吐いていました。本当に悪かったと思いました。
治ったら治ったで、食事療法で食べたらいけないといわれた動物性蛋白質、砂糖をまた食べるようになりました。
一番酷い時期というまではいきませんが、また症状が出てきて、玄米菜食をするというのを繰り返してきて、徐々に動物性蛋白質のものも食べなくなり、砂糖も控えるようになりましたが、それでも出てくる湿疹に疑問を持ちつつも、現代医学では治せないものだと思っていたので、諦めていました。
酷い時には、高校の時に診断書をもらう為に通院した京都の病院に行き、かゆみ止めの漢方薬のトウキインシを飲んでいました。
そういう生活が現在まで続いていましたが、顔が酷くなるということが7年くらいなかったのですが、去年11月頃から顔が酷くなり、京都の病院に行き診察してもらい、ステロイドを使用していない、保険対象外の塗り薬を塗りましたが、ほんの少しくらいしか症状が改善せず、1月の始めに11月頃より一気に酷くなり、京都の病院ではダメだということで、上司に相談して、新しい病院を探していた時に、上司の奥さんがアトピーを治したという松本漢方クリニックをその上司から紹介して頂き、ホームページを見て手記や理論を読んで、受診することに決めました。
今までは何か漠然と生きていたように思います。なるべく嫌なことしんどいことはさけるように生きてきたと思います。でもアトピーの治療を通して人生を振り返って、自分のやりたかったことやらないといけないことが分かってきたように思います。それと感謝が足りなさすぎるとも思いました。 アトピーでしんどいからやってもらって当たり前、自分のことだけしか考えてなかったように思います。
これからは家族をはじめお世話になった方に恩返していこうと思います。
松本先生へ感謝の気持ちとアトピーで苦しまれている方の役に立てばと思い手記を書かせて頂きました。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
松本先生、スタッフの皆様ありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します。
私は、アトピーとの付き合いはとても長く、生後数ヶ月の頃、背中一面にあせものようなものが現れました。びっくりした母は、小児科に連れて行き、そこでもらった塗り薬を塗った所、たちまちきれいになったそうです。今思えば、これが、アトピーの始まりだったようです。
その後、膝の裏、太もも、手などに湿疹が出始め、夜中に、痒くて掻きむしり、朝になると、シーツなどは、血だらけになっていたそうです。それから、病院に何件も行き、薬局で買った漢方薬も、飲んだりしました。
そして、小学校へ入学する少し前、茨木では評判のよい皮膚科の噂を聞き、そこへ通うようになりました。その皮膚科には、3~4年、定期的に通い、飲み薬、塗り薬を続けていました。
その後は、湿疹が出たときに行って、薬をもらっていたので、小学校高学年の頃には、人が見ても、アトピーだとわからなかったと思います。それから中学、高校、短大と進みましたが、その頃は、たまに指の先が痒くなったりする程度で、気にもしていませんでした。
社会人になってから、変化がありました。1つ目は、花粉症がひどくなり、初めて耳鼻科に行って、薬を飲みました。2つ目は、汗をかくと、葦麻疹が出るようになりました。初めは小さくボツボツと出る程度でしたが、ある日、サウナに入ったら、体中が腫上がったように、でこぽこになりました。その後、急激に冷たい風に当たったときにも、蕁麻疹が出ることがわかり、また昔行っていた皮膚科に行くことにしました。
皮膚科で、蕁麻疹が出ることを言うと、「アレルギーを抑える注射をしましょう。」との事で、注射を打ちに通いました。1週間に 1本×5回=1セットで、1年間は、蕁麻疹が出ないということでしたが、結果的には、半年後には蕁麻疹が出ました。またその皮膚科に行き、蕁麻疹がまた出たことを言うと、「もう1セットしますか?」と言われました。しかし、これには抵抗があったので、「もう少し様子を見ます。」と言って、帰ってきました。
それから、私は悩みました。ステロイドが悪いことはわかっていますが、止めると湿疹が出るし、どうしたらいいのかわかりませんでした。そんな時に、職場の先輩から、「友人が松本漢方クリニックに行って、アトピーが良くなった。」という話を開き、高槻だし、近いし、一度行ってみようと思いました。
1999年3月末、松本漢方クリニックに行きました。問診表を書いた後、「手記を読んで、お待ちください。」と言われ、変わった病院だなというのが第一印象でした。診察室に入り、初診だということで、今までのアトピーの経歴を話した後は、松本先生が、アトピーに始まり、今の政治についてまで、力強く、大きな声で語られ、少しびっくりしてしまいました。最後には、「絶対に治してあげるから。」と言って、握手をして頂き、「この先生を信じて、頑張ろう。」と決意しました。その日は、消毒薬と、赤い塗り薬と、煎じ薬をもらって帰りました。
漢方を飲み始めると、すぐに、他の方が手記に書かれているようなリパウンドが起こるのかと思っていましたが、私の場合は、変化が出始めたのは、11月中旬に入ってからでした。何となく足の甲がカサカサし始め、痒くなりました。11月末には結婚式を控えていたので、なんとか乗り切らないとと思い、必死で消毒し、赤い薬を塗っていました。
無事結婚式を終え、新居に引っ越ししたとたん、体が痒くなりました。特に両足首がひどく、我慢できずに掻いていると、赤紫色に腫上がり、像の足のように、くびれがなくなってしまいました。そのうち、黄色い汁が出始め、皮もボロボロ剥けて、足が重だるくて、立っているのが辛くなってきました。すぐに松本先生に診察してもらい、その日から、漢方風呂に、足だけ浸かることにしました。とにかく歩くのが辛く、会社も休みがちになりました。
2000年を迎え、リバウンドが体中に広がってきました。急に太ももが痒くなって、一掻きすると、掻き跡が黒くなったのには驚きました。新年早々、久しぶりに実家に帰ると、母が腫上がった私の足を見て驚きました。それから、あれよあれよという間に、全身が真っ黒になってきました。正月だというのに、松本先生の自宅へ電話をかけさせてもらい、漢方風呂に入る様、アドバイスを頂きました。
しばらく実家で面倒を見てもらうことにし、会社も、約1ヶ月休ませてもらうことにしました。その間、体中が赤黒く腫上がり、だるく、ほとんど動きませんでした。体中から汁が出てきて、皮はめくれてしまい、ひりひりと痛くてたまりませんでした。皮がめくれたせいか、寒くて寒くて、厚着をして、こたつに入り、ストーブをつけても、寒さがおさまりませんでした。夜は、布団に入ると、15分ほどで体が痒くなり、全然眠れず、いつも明け方にうとうとする程度でした。
こんな毎日の中で、楽しみだったのは、漢方風呂でした。このお風呂に浸かっているときだけは、痛みも痒みもありませんでした。1日に、2,3回は入っていました。それにもかかわらず、毎回、湯船には、めくれた皮がいっぱい浮かんでいました。しかし、お風呂上りは大変でした。皮膚が乾くと、痛みが出るので、乾かないうちに、素早く赤い薬を塗りこまないといけません。全身に塗るとなると、大変で、どうしても間に合わない部分も出てきます。塗った部分も、じわじわと薬が染みてきて,お風呂上りは、しばらく痛みに耐えていました。
1ヶ月間くらいは、毎日、漢方風呂に入っては、薬を塗りこみ、煎じ薬を飲む、の繰り返しでした。「本当に治るのだろうか?」と、不安になった時期もありましたが、いつも自信満々で、「必ず、治してあげるから。」という松本先生の言葉を信じて、頑張りました。
2月に入って、会社に復帰しました。その頃には、汁の出方が、少しはましになっていましたが、やはり出るので、しっかり汁を吸い取ってくれる、厚手の綿の下着を着て、会社に行っていました。(冬だったので、助かりました。)手の甲、指の先も、皮膚がでこぼこして、汁がしみ出てくる状態だったので、いつも手袋をしていました。一日仕事をして帰ってくると、体が、汁と乾燥でバリバリになっているので、家に着くと、すぐ漢方風呂に入っていました。
3月に入ると、汁があまり出てこなくなりました。しかし、皮膚はまだまだ黒く、乾燥もひどかったです。特に手先の乾燥がひどく、深いしわが多数できて、象の肌のようにごわごわで、そのしわに沿って、あかぎれが20個くらいできて、痛かったです。
それからは、徐々にですが、皮膚の黒さも薄くなってきて、夏には、なんとか半袖を着ることができました。喜んでいたのも束の間、2回目のリバウンドがやってきました。2000年11月のことです。
今度は、手先からやってきました。指の間がカサカサしてきたなぁと思っていたら、あっという間に手の甲まで広がり、最後には、肘まで広がっていきました。2回目は、全身にはならず、ほっとしましたが、家事をするにも、仕事をするにも不自由で、手先は、予想以上に痛みが強く、辛かったです。でも、2回目ともなると、「ずっと、この辛い状態が続くわけではない!」とわかっているので、1回目よりは、気は楽でした。20○1年2月頃には、2回目のリバウンドの症状も落ち着きました。
辛いリバウンドの症状は、この2回でしたが、その後も、定期的に、足の甲がカサカサになったり、手の指先が荒れたりしました。しかし、回を重ねるごとに、確実に範囲は狭く、症状も軽くなっていきました。症状は軽くなってきても、私の場合、IgE抗体の量は、なかなか減りませんでした。やはり、長年ステロイドの薬、注射をしてきたからだと思います。「せめて注射をする前に、松本漢方クリニックを知っていれば・・・」と、このときになって後悔したのを覚えています。
それから、しばらくは煎じ薬を飲み続け、IgE抗体の量も減り、ついに、2003年春、松本先生から、「手記、書いて!」とのお言葉を頂きました。本当にうれしかったです。
私は、松本先生に出会うまで、「アトピーとは、一生の付き合いになる。」と思っていました。今までの病院で、一度も「絶対に治してあげる」なんてことを、言われたことがなかったからです。
本当に、松本先生と出会えて、よかったと思います。出会えていなかったら、きっと、まだ今もステロイドを編し編し使って、生活していることでしょう。松本先生、看護師さん、スタッフの皆さん、どうもありがとうございました。
手記を書くのが遅くなってしまい申し訳ありません。
ステロイドとの闘いが始まったのは平成17年春ごろからでした。
幼少の頃からアトピー性皮膚炎と診断されて、母親に連れられて皮膚科に通う白々だったそうです。今、思うとそのときからステロイド?だったのです。
中学生から高校生になっても汗をかくとやはり痒く辛かった様に思います。
社会人になると塗薬はたまに皮膚科に行き時間のない時は薬局で市販の薬を購入していました。症状がひどくなってきたのは、32歳ごろ生活変化と、ストレスによるもので全身に及びました。飲み薬と、塗り薬を毎日処方されるがままにしていましたが、症状が治まることもなくひどくなっていきました。で結局春から半年位で病院を3 4箇所変えて診察を受けましたが何処も同じステロイドでした。時には布団が悪いと言われ板の間で寝た事もありましだ。そのころには、仕事場で顔や首が赤く腫れ上がって周りの人から沢山のアトピーの治療方法を聞き教えてもらい、その中に松本漢方クリニックがあり自分でもパソコンで調べてみて一度行ってみようと思ったのがはじまりでした、医院の近くに来ると漢方薬の臭いがし待合室には、すごい数の患者さんがいましを。診察室に入り先生から言われた言葉は「必ず治してあげる」でした。この先生を信じて治療を受けよう、アトピーを治したいと思いました。まず最初に頂いた薬は、勿論漢方の煎じ薬.漢方の入浴剤,消毒液.抗生剤の軟膏、紅い塗。藁・抗生物質の飲み薬等、すごく沢山の薬でした。家に特ちり黒つまずどうして使うのか説明密を嫁と-緒に見ながら1つ1つやりました、それは手間乞時間も掛かるもので仕事をしながらの治療は想像を遥かに超える過酷な戦いでした。全身の痒みに掻きまくり、キズからは汁と血が滲み出て、お風呂に浸かる事2時間以上、大きくない風呂釜にずっと座るのは腰やお尻は悲鳴をあげましだ。仕事から帰り家に着くと煎じ薬を飲みお風呂場で食事を済ませ浸かってはイスに腰掛又浸かり、その繰り返し、湯船は皮だらけになり体はふやけ皮膚はボロボロと、お風呂の後は消毒や紅い塗り薬、その頃は一日に1個塗り薬が無くなっていました。飲み物は1番から4番まで煎じた漢方を飲み職場にも持って行っていました。1週間もすると体から出る汁は服もすぐに濡れ何回も着替え夜は眠れなくなり。微熱は出てくる肌は全身赤くキズだらけ耳からは汁が流れ朝起きるのは辛く体はだるく、酷くなる事ばかりでした。私のIgE抗体は38000台を超えていました。それが何時数値が下がり良くなることは全く誰にもわからずただひたすら続けるしかなかったのです。1ケ月過ぎた頃病院に行ってるのかと回りの方から心配されるぐらい症状は酷く3ケ月過ぎたころには外出も辛く、とにかく痒くて痒くて四六時中掻いていました、実際孫の手を買いに行き背中もボリボリと家も車の中も皮が落ち白い粉だらけになっていました。産まれたばかりの息子がパパと言葉を覚えた頃限界でした。1年弱です、仕事は接客もあるのですが人前に出れる顔つきではなくなりこれ以上回りの人に迷惑を掛けるわけにはいかないと思い、休職願いを職場に申し入れました。本当に幸いなことに休みを頂く事ができ約2ヶ月間休職いたしました。この闇夜は全く眠れないだめ朝はゆっくりと起き夕方からお風呂に6時間入りお天気のいい日には先生から言われた様に海水浴に出かけ海に入っては又砂浜で焼き又海に入り、その繰り返しの毎日で、焼けた肌は皮が分厚くだんだん肌が綺麗になっていきましだ、勿論痒みはまだまだあり肌も焼けていない所はまだすっきりせず、でもこのひと夏で大分変わりました。IgE抗体は30000台になりました、まだ正常な人に比べるとどれ程酷い数値でしょうか、仕事復帰してからも生活スタイルは変わらず、漢方の香りや煎じ薬を飲むのがとても心地良くなっていました、余り症状は変わらず痒みは酷くまだまだ自分の体の皮を家中まいていました。2年が過ぎた頃仕事の関係でお風呂に入る時間が無くなり先生から2日に1回でいいと言われ少し落ち着いたかと思いました、最初は一日1個の紅い塗り薬も1週間に1個ぐらいに減り顔も体の色や肌も普通に戻ってきました、その証拠に回りの人からは治って良かったなと声をかけられる様になりました。まだ治療途中ですが年末には会社の社長よりあれだけ酷いアトピーをどうやって冶したのか教えてほしいと言われレポートを提出した程でした、まだIgE抗体は10000台にもいきませんがこれからも漢方を続けていき、もう治りましたと松本先生に言われるまで諦めず頑張っていきたいと思います。今治療を初めようと悩んでいる方、治療中の方、どうか諦めず自分の体を元の正常な姿に戻してあげて下さい、辛いです、しかし必ず楽になります信じて続けて下さい、一緒に頑張りましよう、治しましょう。
茨城県
親の話や写真、松本漢方クリニックに置いてある手記などから、私は生まれた頃からアトピーもちだったと思います。しかも成長するにつれてアレルギーの対象が増えていったタイプで、特に卵と牛乳が反応しました。反応した物は除去していく生活を送ってきました。
決まった時間に蕁麻疹が出たり、汗をかく程度の運動後や入浴後に、顔・首・膝裏の箇所にミミズバレが出たこともありました。しばらく放置するといつの間にか治まるので、子供ながらに不思議に思っていました。
高校1年の冬、顔や首にひどいカサツキを感じてクリームを塗ったこともありました。親が見かね、自分も思春期だったこともあり、近くの病院で薬を処方してもらい、安易に使ったものでした。
19歳の頃、運転免許を取ってまもなく、長期間の運転をした次の日に、顔が風船の様に腫れ上がったことがありました。
この頃までによく処方されたのは、ステロイド系・抗アレルギー系の薬。VG軟膏やセレスタミンを使用したこともあるし、体質改善にと、抗ヒスタミン剤の注射を打ち、タウリン配合の漢方薬を服用したこともありました。私は徐々に薬に対する不信感を募らせていきました。いくら塗っても、飲んでも、注射しても、完治しないし、薬を塗ればすぐツルツルになるが、やめるとアトピーが発生するし。繰り返すたび酷くなる感じさえしたのです。
20代の頃、図書館でそれまでに使った薬のことを解る範囲で調べました。確かに、皮膚炎に処方される薬であることは理解できたのです。ただし「長期服用は避けること」「妊婦は服用を避けること」「副作用がでる場合あり」を読んだ瞬間、できれば使うべきではないと、素人の私でも判断できました。
そのころ通院していた各病院やクリニックの医師たちから、「アトピーは遺伝」「アトピーは一生付き合うもの」等言われたことを、当時の私は素治に受け入れて、将来子供を産んだら、明らかにアトピー持ちの子供が産まれてしまうからと、結婚も諦めてしまっていました。(未婚時の杞憂でした(笑))
会社勤めを始めると、人前に出ることが多いこともあり、アトピーの症状がでると、使わない方が良いと知りながら、セレスタミン等を使用していました。
2002年の結婚を機に、アトピーの薬を一切やめて、素人版脱ステロイドを始めました。某栄養補助食品を取り入れ、プロテインを大量に採りました。栄養学のようなものも勉強しました。
脱ステロイドを始めた頃は、徐々に体全体が浮腫み始め、特に肘から手にかけて腫れ始めました。2ヵ月経つと、手から腕全体と首周辺が酷くなったり良くなったりを繰り返しました。皮膚がいつもボロボロの状態でした。
脱ステロイドを始めた約1年後、「本気で治したいが、どうすればよいのか」を夫と話し合いながら、インターネットで調べた正にそのとき、松本漢方クリニックのホームページにやっと出会うことができました。
ホームページを読み、「ここに行けば治るかも」という期待と、これまでの病院に対する不信感をちょっぴり感じながら、その1週間後に夫と松本漢方クリニックへ行きました。
初診2003年9月2日、この日からアトピー性皮膚炎の完治を目指しました。院内に入ると元気な声がする。芸人さんがいるのか・・・いやいや松本先生でした。初診の時、「絶対治してあげる」と握手されたこと、ホームページを熟読して更に勉強するよう言われたことが印象に残っています。待合室にはホームページ掲載以上の数の手記があり、かなりの枚数に目を通しました。その後も、この手記たちが治療の励みになっています。
松本漢方クリニックからの帰途、どうせ治るのなら、治って行く過程を楽しもうとさえ思えてきました。煎じ薬用の鍋は明るいレモン色を使おう。薬湯タイムはラジオ番組を聴こう。痒いときは掻こう。
初診時(2003年9月2日)の検査で、IgE数値が 1441。
素人版ながらも脱ステロイドをしていたから、リバウンドは少ないだろうと内心期待していました。
松本漢方クリニックから帰宅し、早速、煎じ薬と薬湯を使い始めました。40分近く煎じ薬を煮出したり、薬湯を作ることは正直面倒でしたが、自分の体を1日も早く健康なものにするためと、家族と協力して続けてきました。
2003年9月から11月頃にかけ、手・腕が少し浮腫む位。かゆみも体温が高めのとき位で、以外に楽なのだと楽観的でした。
2003年12月から2004年1月頃は、冬の空気の乾燥のせいか、肌のかさつきと痒みが続くようになりました。薬湯に入ると、何とも言えない安堵感がありました。入浴後の赤い軟膏を塗る時には、加湿器が必須アイテムでした。
2004年1月、IgE 1068。
2004年の2月下旬から4月頃の春先には、花粉によるアレルギー反応で、リバウンド症状が強くでました。特に手・腕・首に炎症が続きました。体温が高く、肌の炎症が続いていると松本先生に電話で相談したところ、バナンを服用するよう指示されたこともありました。
4月下旬には炎症も治まりました。
2004年5月上旬には、短期の海外旅行に行ける状態なりました。
2004年5月のIgE 857。
数値も3ケタ台に下がってきたので、私はゴールが近いぞと、勝手に勘違いしていました。
2004年の夏、今までにないくらい汗をかきました。自宅にいる時は、なるべくシャワーを使いましたが、外出先では替えのTシャツとタオルを持参し、頻繁に取り替えました。日帰りの外出なのに、まるで2、3日泊まりに行くような荷物になることもありました。
2005年10月、IgEの数値が 5100に跳ね上がりました。
それを真似るように、リバウンドもだんだん強く出るようになりました。こんなに辛いものなのかと悲観したこともありました。しかし、これが本来の免疫力が目覚めた証拠なのだと思いました。私のステロイド離脱のための本当の闘いはここから。
2005年の春頃、私は花粉によく反応するらしく、手・腕・首が赤く腫れ上がり、痒いので掻くとたいてい透明の液体が出てきました。掻いたところがカサブタになり、きれいに治ってまた腫れ上がってというサイクルを、3日から1週間毎に繰り返していました。
2005年5月、IgE 3435。
それまでどうにか続けていた趣味のダンスもお休みすることにしました。
2005年の夏から秋にかけ、体全体が浮腫み、腕は曲げづらく、腕だけ熱を持った状態で、布団から起きて生活することもダルイと感じる日々が続きました。
上唇に大豆1粒位のデキモノが2回できました。松本先生にヘルペスにかかっているからと、抗ウィルス剤をすぐ送っていただきました。
不眠気味にもなりましたが、勤め先の好意で、勤務シフトを変更してもらい、午前中自宅でウトウト寝(仮眠?)して、午後から出勤したこともありました。私は通常であれば人の倍眠るほうなので、眠れないことはかなり辛かったです。職場では、仕事内容もデスクワーク中心で私の負担にならないような簡単なものに変えてくださいました。
2005年9月、IgE 8610。
視力、右0.5 左0.8(以前は両方1.2)
この頃の私はとても家事ができる状態ではありませんでした。朝食の支度から薬湯の準備まで、暫く家族がしてくれたこともありました。家族の協力なくしてこの治療はできないと痛感しました。
2006年1月、体調的には手・腕・首に若干の腫れとカサツキと痒みが残っていますが、精神的には以前と比較してかなり楽になった気がしています。朝起きてからの感じが違いますし、身の回りのことや家のことが大分できるようになってきました。睡眠もバッチリです。
夫も私の手の感触が、以前のゴツゴツした感触から大分軟らかくなってきたと言っていました。趣味のダンスも再開し始めました。
2006年1月、IgE4760。
視力、右0.4 左0.6
松本先生が私の今までのIgEの数値で折れ線グラフを書いてくださいました。3つ目の山に挑戦しているように見えました。今度こそリバウンドの峠を越え、完治に近づいたと思いたいです。
今後も松本先生、スタッフの皆様、よろしくお願いいたします。
治療中ではありますが、手記という形でご報告いたします。
松本先生、その節は大変お世話になりまして、ありがとうございました。
治療が終了して、手記をと思いつつ、日々の忙しさにかまけて送信が遅くなりました事、お詫びいたします。
さて、私は平成16年9月に松本漢方クリニックを受診しました。それまでの経緯を記しますと・・・
平成14年冬
風邪をひく → 風邪の症状は治ったのだが、咳が数ヶ月続き、(夜中に咳き込んで眠れないほど)様子が変だったので、平成15年1月 病院を受診
平成15年1月
診断は、「咳喘息」
治療薬は「フルタイド 100ロタディスク」 という吸入薬、「アストミン錠」、「メジコン錠 15㎎」
平成15年2月
「フルタイド 200ロタディスク」に変更
平成15年5月まで約4ケ月
同上の治療を行う→症状が治まった為、治療終了
平成15年6月
胸と鼻の下に赤い発疹ができる。皮膚科受診
診断は 「脂漏性湿疹」治療薬は「アクアチムクリーム」 「ニゾラールクリーム」
平成15年9月
左耳からの耳垂れ、かゆみ、痛み→高熱を伴い、1週間熱が下がらず。耳鼻咽喉科受診。 診断は 「外耳炎」
治療薬は 「フロモックス錠」 「リンデロン点耳薬」 「リンデロン軟膏」
この時、高熱のせいだと思っていましたが、首まわりに赤い発疹ができました。
平成15年10月
症状が治まった為、外耳炎の治療終了
平成15年12月
外耳炎の時以来、ずっと首周りがあざのように、赤くただれたようになっていた為、皮膚科受診
治療薬 「アンテベート軟膏0.05%」 「ケナコルトA軟膏0.1%」
幾日か続けていたが、効き目がないように思い独断で薬を塗らなくなる。その後も首周りの湿疹やあざ状のただれは、引いたり出たりの繰り返し。
平成16年6月
またしても左耳の中のかゆみで受診。治療薬 「レスタミンコーワ軟膏」
平成16年7月
左耳が治らず。 治療薬 「ガチフロ錠」 「フロモックス錠」 「クラリシッド錠」 「リンデロン点耳薬」
同時に首周りの湿疹が薬の副作用ではないかと医師に問うた所、首用にと「ロコイドクリーム」を貰う。ロコイドクリームについては、効き目がなく独断で塗らなくなる。
平成16年8月
外耳炎の症状は治まったが、首・ひじの内側の湿疹がひどくなり、受診。
アレルギー体質ではと言われ、「アンダーム軟膏」「アレグラ錠」を2週間投与。8月半ばに、湿疹が今まで見たことがない位できて、かゆみもひどくなる
「ヒルドイドソフト」 「マイザー軟膏とアズノール軟膏とレスタミンコーワ軟膏」の混合薬、「ジルテック錠」投与
医師にステロイド薬と聞いていたので、怖くなり軟膏の塗布を独断で止める。
平成16年9月
松本漢方クリニックと出会う。弟がアトピー皮膚炎であった為、漠然と自分もそうではないかと疑い始める。ステロイドのリバウンドについても、インターネットで調べるうちわかり、ステロイドを使わない治療法はないかと検索するうちに、松本漢方クリニックにたどりつく。
松本先生のお話や手記を読み、ここしかないと確信する。しかし、内心はリバウンドが怖くて、受診をためらい、何度も何度もネットの松本先生のお話を読みました。顔にリバウンドが出たら・・・外に出られなくなったら・・・不安はたくさんありましたが、こうして何もせずにいたって治らない、顔に出て、外に出られなくなったら、会社も休職すればいいと決意を固めて受診した事を思い出します。
ここからは、皆さんと同じです。漢方の入浴剤を使っての治療と、漢方の煎じ薬、消毒と赤い塗り薬での治療です。煎じ薬に関しては、まずいとは思ったものの、治す為と思えば、味には慣れてしまっていました。会社へもペットボトルを持参して、飲むわ飲むわ・・・。同僚にも、私は治療中だからくじけたら、励ましてねと頼み、「もっと飲めー!」と声を掛けて貰っていました。
苦痛だったのは、入浴。私の場合、首と肩と肘の内側と膝の裏というように全身に湿疹が出ていましたので、最低1時間は首までお湯に浸かる事が、苦痛で苦痛で・・・。夏場だったので、温度を高くしすぎてのぼせたり、首まで浸かる姿勢に苦慮したり・・・また残業で遅くなった時などは、眠たさを我慢して入浴するうち、寝てしまっていたり・・・私が入浴した後、くさいと言いつつも、その漢方風呂に入ってくれた家族。家族の協力があって、できた治療だと思います。退屈な1時間もデッキを持ち込んで音楽を聞きながら入浴したり自分なりに少しでも楽しく長く続けられる様、努力しました。
そういえば、もう一つ大変だったのが、赤い軟膏です。どんなに摺り込んでも、洋服についてしまうので、この時期会社への洋服は、白色はご法度でした。また首元や腕を出す季節にも関わらず、隠したいが為に、暑いのを我慢して洋服を選んで着ていました。
今から思えば、かゆみで夜も熟睡できず、身体をかきむしっては血だらけになり、よく頑張ったなと思うのですが、私の場合は、松本先生のおっしゃるところによれば、リバウンドも軽い方らしく、顔にも 湿疹が出来なくて幸いでした。受診のたびに、松本先生に、「顔には出ますか?」とお尋ねし、「出る時は出る!」とポーンとおっしゃって頂く度、「そうだ、私は決意して来たんだった!」と思い返し、頑張るぞと思ったものでした。
そうこうして続けていくうち、いつのまにか首のあざのような湿疹が消え、体の湿疹の範囲も小さくなり、かゆみも気にならなくなっていました。血液検査の結果、まだ値は正常値まで戻ってはいなかったのですが、症状がなくなった為、約1年の治療をもって、「一応、終了!」とのお言葉を頂戴した時は、本当に嬉しかったです。「花粉症の時期には、少し症状が出るかもよ。」と松本先生に言われ、少し覚悟はしていますが、今のところ、症状は出ていません。
私は、平成15年から、次から次へと何がしかの症状が出て薬漬けになってしまっていました。あの時、松本漢方クリニックを知っていればというのが残念ではありますが、松本先生と出会えた事は、幸運中の幸運でした!本当にありがとうございました。
アトピー皮膚炎と言われ、悩んでいらっしゃる方、松本先生を信じて、そして自分自身の治そうという気持ちを信じて頑張って下さい。結果は必ず、ついてきます。
「アトピー中間報告」匿名希望31歳2005年1月30日
私が、松本漢方クリニックに初めて来院したのは、今から約6年半前(1998年)。きっかけとなったのは、微熱が2ヶ月ほど続き、そのうち、首のリンパ節が、しだいに腫れてきました。
ある時、急に高熱が出た為、急いで大きな病院へ行きました。すると、即入院。その日から、ステロイドの点滴治療が、約2週間、毎日、朝晩2回続きました。悪性のリンパ腫ではないかと、当時は、大変心配でしたが、検査結果は、悪性ではなく、ひとまず安心しました。ステロイドの点滴というのが、ちょっと気になりつつも、無事退院。
しかし、退院後10日ほどたってから、やはり心配していた副作用が現われ始めました。おでこと首周りが、痒くて痒くて、あっという間に、ぶつぶつと発疹が出来、リンパ液がにじむようになりました。それからも、どんどん痒い&発疹の範囲は増えつづけ、お尻、足、腕、胸と、本当にひどい状態で、痒さのあまり寝れない日が続きました。
妹がアトピーで、以前、松本漢方クリニックに2年ほどだったか通っていたのを知っていたので、いろんな薬を使う前に、迷わず松本漢方クリニックへ。(1998年5月)漢方薬の煎じ薬、消毒薬、塗り薬を処方していただき、半年ほど通いました。血液検査の数値も少しづつよくなり、まだ完治までは行ってないものの、あちらこちらと、部分的に出ては、治り、の繰り返しを続けている状態でした。
ちょうどその頃、妊娠をしたので、松本先生に相談すると、「漢方なので、妊娠してても大丈夫ですが、気になるようなら、一旦中止してもいいです。」と言われたので、妊娠中はやめることにしました。妊娠中、少しの出ては治りの繰り返しはあったものの、特にひどくなることもなく、そう気になるほどでもなかったのですが、産後2ヶ月たった頃、また以前同様の痒みと発疹が出てきました。(1999年8月)またすぐに松本漢方クリニックに行き治療開始。
リバウンドはそれほど出なかったので、漢方を飲み始めて、2ヶ月もすれば、以前同様、時々出たり治ったり程度になってきました。それでも1年ほど通ったでしょうか?数値も下がってきて、松本先生が「手記、書いてくださいね。」とおっしゃってくださったので、もう通わなくてもいいと解釈してしまい、そのまま通わなくなりました。手記を書こうかと思ったけれど、自分の中で、完治という感じがせず、ひどくはないけど、まだ出たり治ったりの繰り返しもしてるし、「マシになったけど、完治でない。」という思いがあったので、書けずにいました。
それから約1年後(2002年2月)、私は、再び妊娠しました。通わなくなってからも、ずっと出たり治ったりの繰り返しでした。ステロイドの薬が怖いのはよくよくわかっていたけれど、赤ちゃん用のムヒベビー(非ステロイドと明記されている)なら、大丈夫だろうと、妊娠期間中は、それをずっと使用していました。でもあまり効き目もないので、気休めに塗ってはいるものの、お尻を中心に、ふともも、足に、どんどん発疹が広がりました。妊娠中なので、検診の度に、担当の先生に、「塗り薬出しましょうか?」と言われました。でも、先生のくれる薬は、どうせステロイドだろうと思い、結局、自己流のままムヒベビーを使用。
それでも、産後は、前回と違って、ひどくならずに、少しづつですが、落ちついてきました。そしてまた、出たり治ったりの繰り返し。よくよく考えると、花粉の季節(秋と春)にひどくなっていたような気がします。
そして、松本漢方クリニックに行かなくなってから、約3年半後(2004年4月)。私は、再び出産。妊娠期間中は、特にひどくなることもなく、いつもどおり、少し出たり治ったりの繰り返し。その度、自己流でムヒベビーを使用していました。
2004年6月。産後2ヶ月半。突然、首が痒くなってきたと思い、掻いていると、少し赤くなり、それが次の日には、かゆみも強くなり、範囲も広がり、首から胸の下まで、あっという間に真っ赤で、ブツブツと発疹が出来ました。また、アトピー・・・今回は、今までで1番ひどいリバウンドでした。左腕は、関節の少し上辺りから、手首まで、左足は、足首を中心に、ふくらはぎまでが、水泡でびっしり。それは、もう皮膚じゃない。象の皮膚のような、ごわごわとした、なんとも気持ちの悪い皮膚に!!そして、パンパンに腫れ上がり、太さは、通常の1.5倍くらいになりました。足首と腕の関節は、曲げることすら出来ないくらい腫れてしまい、ジュクジュクしたリンパ液が、どんどん溢れて出てくる。
迷わず、松本漢方クリニックへ。松本先生に、ここ数年の出来事を告げると、「騙されたな!」と・・・「この薬は、大丈夫。」と信じて使っていた薬が、またアトピーをひどくする原因になっていたとは、ほんとに恐ろしいことです。あまりにひどかったし、全身に広がっていたので、今回は、いつも使っていた煎じ薬の他に、お風呂の入浴剤も処方されました。
実家に戻り、赤ちゃんを見てもらって、せっせと入浴。朝は、消毒液で消毒して、シャワーして、塗り薬。昼からは、入浴剤入りのお風呂に1時間入り、また消毒と塗り薬。夕方も、時間があれば30分でも入浴。そして、夜に、再び入浴。
そんなことを、ひと月半ほど毎日行っていると、次第に腫れも痒みも治まってきました。以前と変わらない状態にまでなったので、その後は入浴剤はやめて、煎じ薬、消毒、塗り薬のみで過ごしています。
10月~11月。治療を始めて3ヶ月ほど経った頃、落ちついてきた肌に、再び少し発疹が出はじめました。おそらく花粉の影響でしょう。しかし、そのまま治療を続けていると、2週間ほどで、また改善されてきました。
現在、また出ては治っての繰り返し中ですが、血液検査の数値は、かなり下がってきて、松本先生からも「手記を書いてください。」と言われました。私的には、完全に治ってから、「治りました!!」と、胸をはって書きたいのですが、あの本当にひどかった状態から考えると、今は、まだ完治こそしてないものの、気分が沈みこむような、引きこもりになるような状態からは抜け出ることが出来たので、そのことだけでも、現在アトピーで、とても辛い思いをされてる方々に、報告させていただきたいと思い、手記を書くことに決めました。
この煎じ薬で、花粉症なども改善されると聞いているので、毎年かなりひどい花粉症の私は、アトピーと共に、こちらも完治出来るまで、もうしばらく、頑張って治療を続けて行こうと思っています。
また完治した際には、報告させていただきたいと思います。
「アトピー手記」匿名希望35歳2006年10月24日
私がアトピーになったのは、幼児期でした。なかなかよい治療法がなく、ステロイド[フルコート]を使用していまいした。一時的によくなる為使用していたのです。成長と共に、症状があまりでなかった為、治ったかに思っていました。
しかし、30歳近くなった時の事でした。仕事の人間関係で精神的に、ストレスが溜まりだした頃から、アトピーの症状が再びでるようになったのです。
はじめは手あれから顔へと、かゆみの、症状がでるようになったのです。
松本漢方クリニックは、妹が数年前にお世話になっていて、完治していたので、すぐにかけこみました。
せんじ薬を飲みはじめると、顔から手足、体全体へと真っ赤になり、眉がなくなる程ひどくはれ上がりました。
以前のフルコート使用していたためか全身に症状がでて、痒みがひどく、なかなか眠れなくなる日々が続き、時には、アレルギー熱がでたり、寒気をかんじたり、疲れがなかなかとれない毎日が続きました。
そのため、治療段階で一度症状がひどくなるというのは、わかっていましたが、回復傾向がなかなかわからない為、急にはよくならないとわかっていても、精神的にひどく落ち込んでいた時期もありました。
しかし、「必ず、治る」という先生の言葉だけを信じようと思いました。
治療過程では、皮膚のはれがなくなり、赤みがなくなり、黒ずみを経て、皮がポロポロとれるようになりました。一時的によくなっても、季節の変わり目には症状がひどくなったりと、よくなったりと、一喜一憂する毎日でした。
あれから4年。赤みもなくなり、かゆみもなくなり、皮膚の色が戻ってきました。現在ではゆっくり眠れることに幸せを感じています。いま悩んでいる方には、「絶対、完治できる」といいたいです。自分自身が治るという強い意志をもつことも大切です。
治療には時間がかかりましたが、私にとってはよい経験になったのではないかと思います。
松本先生、ありがとうございました。
「アトピー手記」匿名希望34歳2008年3月26日
私が急に全身に熱をもち身体が赤く腫れ上がり眠れないほどの痒みがでてきたのは6年ぐらい前の事です。
アトピーと分っていても治療方法が分からず、ただステロイドは良くないと聞いていても、ステロイドを使わない病院があるのかというと探すのに苦労しました。
私の友人から「松本漢方クリニック」を紹介していただき、同時期に妻がインターネットで「松本漢方クリニック」を見つけ、行ってみました。
初めは不安でしたが、みなさんの手記を読み必ず治るのと信じ治療を続け、また妻の献身的サポートもあり治療を続けることができました。
半年後くらいからお風呂に入っているとボロボロと皮膚のカスみたいなのが取れだして、きれいな皮膚になっていくのが実感でき、そこからは直ぐに治っていくのが分かりました。
やっぱり信じることが大切だと思います。
完治せずに治療をやめたせいか、最近からだが痒くなってきましたが、松本先生に薬をもらえばまた必ず治ると信じているので、何も恐くありません。
今回で完治を目指し、アトピーになっている人がいたら私は「松本漢方クリニック」を紹介します。