「ステロイドと縁が切れました(アトピー手記、経過報告)」
37歳2017年9月18日
37歳2017年9月18日
【はじめに】
松本漢方クリニックを初めて訪れたのは、2017年2月14日でした。これまで、漢方の煎じ薬と抗ヘルペス剤の服用、漢方の煎じ風呂、漢方の塗り薬を使った治療を行っています。一言で申しますと、半年前は、ステロイドのリバウンドで全身からリンパ液が噴き出し、全身包帯でほぼ寝たきりの状態でした。歩くこともままならず、体中の激痛に24時間耐える日々でした。
しかし、8か月経った現在、まだ完治とは言えませんが、リンパ液は止まり、体中の痛みも消え、夜も眠れるようになり、外出することができる体になりました。完治まであとどのくらいかかるのかは分かりませんが、治療経過をここに記させていただきます。
現在、ステロイドのリバウンドの最中で苦しんでおられる方、これから松本医院に通おうか思案されている方のお力になれれば幸いです。
【私のアトピー歴】
私は20歳の時、顔からアトピーを発症しました。現在36歳で、この16年間、民間療法、皮膚科のステロイド、瀉血療法、マクロビオティックなどの玄米菜食など、様々なことをやってきました。ステロイドの塗布期間は10年ほどで、顔にも体にも塗ってきました。
20歳から30歳の10年間は、大学、就職、仕事の時代でした仕事は忙しく、家に帰るのが0時を過ぎることもあり、皮膚科のステロイドで何とかしのぐ毎日でした。その後、結婚、出産をし、アトピーは一気に悪化しました。ステロイドが強くなっていくばかりで、いろんな治療を試みましたが、一向に治る気配はありませんでした。
息子が1歳4か月の時(私は32歳でした。)、脱ステロイド治療を始めることにしました。その時は、松本漢方クリニックではなく、別の病院で治療を行っていましたが、リバウンドについてそれなりの知識はあるつもりでした。ステロイドと完全に決別する覚悟の上で、また、息子が幼稚園に通うまでには治したいと始めましたが、そうたやすい道のりではありませんでした。
ここから、激しいリバウンドが始まり、地獄のような日々が数年間にわたり続くことになります。
【治療経過】
脱ステロイド開始。顔からも体からもリンパ液が溢れ出ました。皮膚はずる剥けになり、全身が大やけどのような状態でした。ブラジャーはもちろん、パンツも履けません。服を着ることすらできず、体をタオルと包帯で覆って布団に入る日々でした。皮膚が空気に触れると激痛が襲います。ミイラのような状態で、ベッドから数センチ動くことすらできません。体も膿でぐちゃぐちゃになり、どこが胸だか分らなくなるほどただれていました。胸にタオルをいつも当てており、ブラジャーができるようになるまで2年かかりました。体からは膿が溢れ、悪臭がします。自分の体は腐っているのではないかと思ったほどでした。
顔はカポジ水痘様発疹症を発症し、目も口も開けられないほど腫れ上がり、ぶつぶつと膿が溢れ出ました。目と口が開くまで4か月かかりました。家族ですら私が誰だか分からないような顔になりました。耳たぶは逆立ち、耳の穴からは、黄汁が流れ落ちました。やけどのような状態なので、皮膚は機能しません。空気に触れることができない激痛で、顔は息をするための口の穴をあけたガーゼで覆い、来る日も来る日も、痛みに耐え続けました。朝起きると、顔も体も硬直し、ただれた皮膚がカチカチに固まり、ロボットのようにギシギシと歩いてお風呂へ向かいます。ドロドロの膿を洗い流すのに激しい痛みで、死にたいと思う毎日が続きました。
こんな状態が1年7か月続きました。この時期が最も辛かったです。いつまで続くのか、本当に治るのか、やっぱりステロイドを使うしかないのか、でも、それは絶対にイヤだ。もう一度この苦しみを味わうなんて二度とごめんだと思いました。進み始めたらもう後戻りはできませんでした。しかし、トンネルの出口があまりにも遠すぎて、過酷すぎて…何度心が折れたか分かりません。歩き始めた息子の、そばに寄ることも、抱き締めることもできませんでした。終わりが全く見えず、痛みに耐え続ける壮絶な日々でした。
この頃は、東京の病院で瀉血療法という治療を行っていました。上記のような状態で、往復8時間かけて新幹線で一人、東京まで通いました。到底、外を歩ける状態ではありませんでしたが、気合でした。治りたい一心でした。多い時で月6回以上、少なくなっても月1回のペースで東京に通い、瀉血療法を受け、脱ステロイドを進めましたが、通院して3年…。お金も時間もかけて、苦しみに耐えに耐えましたが、別の病院を探すことに決めました。
家のことは、すべて実母に任せきりになりました。同居してもらい、息子の世話、家族のごはん、私の世話まで、母が全てやってくれました。感謝してもしきれないほど助けてもらっているのに、痛みと苦しみで、母に強く当たることもありました。本当に申し訳なく思います。主人も、こんな状態の私を見放さず、いつも優しく接してくれました。家族の支えのおかげで、リバウンドの数年間を乗り越えられたと思っています。
【3回目のリバウンドの最中に松本漢方クリニックへ】
1回目のリバウンドと同じくらい苦しい状況でした。しかし、1回目と明らかに異なっていたのは、喘息の症状でした。死ぬ思いでこの3年ステロイドと縁を切るために戦ってきたのに…。喘息は命にかかわるものでした。リンパ液でどれほど全身がぐちゃぐちゃになっても、死ぬことはありません。しかし、息が止まると、3分で死に至ります。
喘息の発作が毎晩、数時間続きました。咳が3時間以上出続け、しゃべることもできず、息が2割ほどしか吸えませんでした。本来救急車を呼ぶべき状況でした。しかし、病院に行けば、いとも簡単にステロイドの注射を打たれます。そんなことをされれば、それを体から出すのにまたどれほどの時間と苦しみを味わうか…。苦しくてのたうち回り、どうしようもなく、ステロイド吸入を使いました。そして、吸入すれば治まります。しかし、翌日もまた同じ状況が起こります。それが2週間続きました。やっとステロイドを絶ったのに…。これでは何の意味もない。
そして、ネットで検索し、松本漢方クリニックを見つけ、足を運びました。全身の皮膚はぐちゃぐちゃで、皮膚がひきつれて体をまっすぐに保つことができないので、椅子に座るのもやっとでした。椅子にもたれることすら不可能でした。松本先生の診察を受け、血液検査で、私のTARC(アトピーを示す値。通常は450)は9,800でした。IgE(アレルギーの程度。正常値は170以下)は4,000、ACTH(副腎の値)も乱れ、副腎皮質ホルモンは機能していませんでした。
【松本先生の治療開始】
2017年2月14日に松本漢方クリニックを訪れた時、藁をもすがる思いでした。先生が「吸入ステロイドを使わなくても、漢方の煎じ薬で気道を広げることはできる」と言われた時、光が差しました。そして、昼間も夜中も息苦しかった状態に、煎じ薬を飲み始めて2週間で変化が起きました。そして、吸入も使うことがなくなり、昼の息苦しさも、2か月後にはなくなりました。おかげさまで、今のところ、喘息は出ていません。
「ステロイドは良くない…」。これを読んでおられるあなたは、ステロイドについてそう思っておられるのではないでしょうか。世間では、皮膚科の99%はステロイドを処方し、何の疑いもなくそれを塗り続け、何年経ってもアトピは治らず、小さな子供までもが薬漬けです。非常にシンプルに、松本先生のおっしゃることを申しますと、アトピーを治す方法とは、自分の免疫を上げ続けることです。そして、「免疫寛容(自分の免疫が体の中に入ってきた異物と戦わなくなる)」という状態を起こすことです。
免疫を上げるために、漢方風呂、漢方の塗り薬・煎じ薬を用いられます。また、体の中のヘルペスウイルスと戦うために、抗ウイルス剤の飲み薬を処方されます。お金も時間もかかるかもしれません。ですが、必ず完治し、もう薬を塗る必要のない、痛みもかゆみも、不快感もない日常が送れる日が必ず来ます。
私自身、正直なところ、まだその状態には至っておりません。しかし、おかげさまで、ステロイドとの縁は切れました。もう一生、ステロイドを塗ることはありません。外出することもできるようになりました。人と話をし、食事をすることもできるようになりました。まだできないことも色々あります。指先には水疱ができ、水仕事には痛みとかゆみが伴います。顔の左側はリンパが腫れていて痛みがあります。朝起きて、お風呂に入らなければなりません。皮膚の手当てをすることも続いています。しかし、半年前のことを思うと、日常が戻りつつあります。
脱ステを始めて5年目になります。普通の日常生活とはあまりにも程遠い生活でした。想像を絶する日々でした。呼吸ができて、話ができて、歩けて、笑って、食事ができて…そんな日々を送れる日が来てほしい。自分の思いどおりに体が動かせること。家族と笑って話ができること。子供を抱きしめられること。気持ちよくお風呂に入り、気持よい布団で寝ること。当たり前の生活がどれほどありがたいことか。
脱ステをして、日常生活が送れなくなることは覚悟の上でした。でも、私は甘かった。6か月ほど頑張れば完治するのではないかと、頭のどこかで思っていました。ここまで過酷な日々が何年も続くとは思っていませんでした。でも、リンパ液で全身ぐちゃぐちゃになっても、もう一度ステロイドを使おうという気持ちは起こりませんでした。もし、これを読んでおられるあなたが、脱ステ中で苦しんでおられるなら…。必ずリンパ液が止まる日が来ます。それは明日、明後日ではないかもしれません。
社会との関わりを絶たれ、人生の希望を失い、自分のやりたいことも諦め、絶望の中をさまよっておられるかもしれません。そのお気持ちは痛いほどわかります。脱ステの苦しみは、体験した者にしかわかりません。何のお力にもなれないかもしれませんが、どうか、希望を捨てずに、乗り越えてくださることを心からお祈りしています。
脱ステの苦しみの中、私の心が一番欲していた言葉。それは、「必ず治りますよ」「〇月には楽になりますよ」と誰かに言ってほしかった。この言葉がどれほど欲しかったか分かりません。松本先生はおっしゃいます。「必ず治るよ」と。「医者が治すのではない。自分の免疫が治すのだ」と。自分の免疫を上げ続け、免疫寛容を起こすことこそがアトピー完治への道であると。本当に遠い道のりだと思います。「何月何日に治る」ということが分かれば、気持が楽になるのに…と思いますよね。
アトピーは、なぜかゆい?痛い?この、私を苦しめる不快症状の正体とは何か。いつも考えていました。松本先生の論文を読み、それが何かがやっと理解できました。かゆみや痛みという不快な症状は、「免疫(リンパ球)が体の中で戦った証として出てくる『結果』」でしかありません。体内のリンパ球が異物と戦った結果、かゆみが生じるので、私たちが意識的にできることは、「外に出た傷を治す」ということです。そして、免疫を上げ続けること。これが一番の近道なのですが、実際は本当に遠い道のりだと感じています。免疫を上げれば、かゆみや痛みが生じます。しかし、免疫を上げ続ければ、いつの日か(個人によってその期間は異なりますが)免疫が異物と戦わなくなる日が必ず来ます。その日がくれば、かゆみや痛みは自然となくなります。
人間の体とは、常に、免疫を上げようとしています。そこに、病院で出される免疫抑制剤(風邪薬、咳止めetc…そして代表としてステロイド)を体内に取り入れている以上、免疫は抑制されるため、異物との戦いも生じません。そのため、ステロイドを塗っている間は、一時的に、かゆみも痛みも出てきません。しかし、残念ながらそれは、アトピーが治ったということではありません。薬をやめれば、免疫は上がり、また痒みが出ます。また、薬を塗る。かゆみが止まる。薬を塗る、塗る、塗り続ける…。一生…ですか?
そのあいだ、副腎は、自分自身の副腎皮質ホルモンを作れなくなっていきます。そして、様々な臓器が、ステロイドの副作用により蝕まれていきます。副腎も肝臓も腎臓も…ホルモンバランスも崩れていきます。ステロイドでダメージを受けた副腎は、そう簡単には回復しません。一般的な皮膚科の治療は、免疫を下げ続けます(それによって痒みを一時的におさえます)。松本先生の治療は、免疫を上げ続けます。やっていることが、真逆なのです。そして、ある一定点まで免疫が上がれば…。体は外からのステロイドを必要としなくなり、皮膚は正常に戻り、内臓も機能し始める。ホルモンも整い、自力で良くなっていきます。
体は日々生まれ変わっています。皮膚も、筋肉も、内臓も、血液も、全てがすごいスピードで新しく作り続けられ、3か月あればほとんどのものが新しくなっています。人間の体は驚くほど精密で、高機能です。自力で元に戻ろうとするし、免疫を上げようとする。私が何も指示を出さずとも、毎日、リンパ球は3,000から5,000の癌の元に圧勝してきている。今までずっと、何十年も。
自分の体を信じて、自分の免疫を上げることが、アトピーの完治への道だと今は理解しています。真理とは、常にシンプルなものであると私は思います。松本先生は、私の免疫を上げるための力を貸してくださいます。いつもありがとうございます。
いまは、医者が病気を作り出す世の中です。食べ物が溢れ、情報も溢れ、自分自身が正しいものを取捨選択しなければなりません。人が言うから、医者が言うから…ではなく、「自分自身がどう感じるのか」、「その物事の本質はどういうものか」、「理由は何か」と、自らの頭で考え、本物を見極めていくことが大切なのかもしれません。私は、「アトピーになってよかった」とは決して思えません。ですが、病を患ったことで、どんなことでも自らの頭で考え、物事の本質を追求し、様々な情報を処理する能力を鍛えることができるようになりました。
いつも、病の本質を探究され続けている松本先生に感謝です。自分の免疫を信じ、完治までの道のりを歩んでいきます。どうか、あと少しでありますように。そして、近い将来には、「おかげさまで、完治いたしました。」とのご報告ができることを強く願っています。
【脱ステ後4年の経過のあらまし】
〇2013年10月~2015年5月(息子が1歳4か月でした)
1回目の激しいリバウンドで、全身包帯の寝たきりの生活が1年7か月続く。睡眠はほぼとれない。生理も止まる。血と膿だらけの顔で、目も口も開かない4か月。歩けず、話せず、私の顔だとは分からないほどのぐちゃぐちゃの顔。一番苛酷だった時期。
〇2015年6月~2016年3月
少し、外出できるようになるが、まだまだ体は自由に動かせない。顔も腫れ、皮膚がカチカチに固まっている毎日。笑うと顔にヒビが入る。痛くかゆく、人前には出られない顔だった。睡眠時間は2時間ほど。汗がうまくかけない。汗腺が破壊されている。ホルモンバランスも崩れたままである。
〇2016年4月~8月(息子が4歳。幼稚園に入園。)
2回目の激しいリバウンドが4か月続く。初めと同じく、ほぼ寝たきり。体がひどく、リンパ液との戦いが続く。睡眠時間は1時間。夜中に痛みがピークになる。昼間も痛みで動けず、布団の中で数センチ動くこともできない。
〇2016年9月~11月
リバウンドがおさまり、少し外出できるようになった。睡眠時間3時間。
〇2016年12月
3回目の激しいリバウンド。全身の激痛に24時間耐える日々。服もきれず、寝返りもうてない。睡眠時間1時間。生理も止まる。全身の関節が痛みで動かせない。皮膚が皮膚でなくなる。ずる剥けの体をタオルで保護する。トイレにも行けない状態がここから約半年続く。
〇2017年2月
松本漢方クリニックの扉をたたく。煎じ薬(40分鍋で煮出す)を3種類、抗ヘルペス剤、漢方風呂、漢方の塗り薬を毎日続ける。苦すぎる煎じ薬を毎日1.2L飲む。でも、この苦しみから脱することができるならば、どんな治療でもする。自分の免疫を信じて、治療を続ける。
〇2017年3月
喘息の症状がだいぶ緩和されてきた。煎じ薬の2週間のむだけで、夜中の吸入ステロイドが必要なくなる。アトピーは、まだまだ…。ぐちゃぐちゃの皮膚で激しい痛みに耐え続ける。シーツも布団も血と膿で毎日汚れる。日に何十枚とタオルを使って皮膚を保護する。空気が触れるのが痛い。全身ずる剥けている。まだ一向に回復の兆しはみえない。
〇2017年4月
顔からリンパ液が溢れ出ている。胸、お腹、背中、首の皮膚が硬直して数センチも動かせない。ビリビリとした激痛が24時間続く。睡眠時間は1時間。痛みが止むことはない日々。自分で服を着ることもできない。トイレもお風呂も家族の手を借りる。漢方の煎じ風呂を、鍋で濃く煮出して、洗面器にいれる。そこに、顔を1時間浸すことを繰り返す。そうすることで、リンパ液がましになり、腫れがいくらか和らぐ感じがした。お風呂に入るのも激痛で、苦しい毎日だった。
〇2017年5月
痛みが少しずつ和らぎ、体中のリンパ液も減ってきた。家のなかを少し歩けるようになる。そして、5月の終わり。半年ぶりに、1人で車の運転ができるほどになった。腕を少しずつ動かせるようになってきている。
〇2017年6月
息子の幼稚園の送迎ができるようになるほど回復する。まだ、体中の痛みは残る。腕はあげられない。しかし、外を歩けるようになった。
〇2017年7月
煎じ薬などの治療を始めて半年。痛みが確実に減ってきている。生理が来るようになった。皮膚は、まだ黒く硬いが、以前よりも可動域が広がった。朝に起きた時の痛みはまだ続く。お風呂でカチコチの皮膚をゆるめ、黄汁を洗い流し、薬を塗ってケアするのに1時間ほど。半年前は朝のお風呂に3時間ほどかかっていた。激痛だった。しかし、痛みが減り、皮膚のケアにかかる時間も短縮されてきている。
〇2017年8月
汗がしっかり出るようになってきた。汗腺が回復してきたのだろうか。かゆみも少しずつ和らぎつつある。バストトップの黄汁はまだ少し残る。しかし、顔から体からとめどなく出ていたリンパ液は完全に止まった。
〇2017年9月(現在)
松本漢方クリニックの治療を始め、8か月。朝起きた時の皮膚の痛みが、だいぶ軽減されてきた。数か月前まで、痛みで布団をめくることさえできなかった。しかし、それが過去になりつつある。痛みがなくなる日も近いのかもしれない。
脱ステを他の病院ではじめましたが、松本先生のところへ早く足を運んでいれば、ここまで苦しまずに、もう少し短い期間で脱ステを終えられたのかもしれません。ほんとうに険しい道です。
しかし、やっと光が見えてきています。あと少し…がんばります。これを読んでくださったあなたにも、光が差しますように…。それを心から願っています。
・痛み:左頬のリンパの腫れがあり、顔に違和感がある。鼻と耳の免疫を上げる漢方を飲むと、痛みが改善されることを感じる。
・かゆみ:顔、首、胸にある。しかし、全体的に軽減されてきている。
・リンパ液:バストトップのみ。ブラジャーにガーゼをはさんで薬で保護する。
・朝の皮膚の硬直:お風呂に入り、漢方の塗り薬をぬる手当は必要ですが、30分で終わるようになりました(以前は3時間かかっていました)。薬が必要なくなる日も近づいてきている気がします。
・手の指先の水疱:減ってきています。痛みなしに、水仕事が自由にできるようになる日が早くきてほしいです。