本当に只の偶然であった。大学2回生の時に首の喉の所が乾燥して痒くなり、掻いたら爛れたので、皮膚科に行くとアトピーだと言われ薬を使って治療をした。そして、また少し酷くなりかけてきたのでネットで病院を調べているとこの松本漢方クリニックを見つけた。本当に偶然、たまたまであった。
偶然と言う言葉が相応しい。大学2回生の時に行った病院で手と足もアトピーだと言われその部分にも薬を使った。この薬はよく効き首の爛れもすぐに治り、手と足にあった夏にあせものようになっていた所もきれいになった。僕の場合、それほど重度なアトピーでなかったため4年で2度病院に通っただけであった。今回も薬がなくなってネットで調べている内に松本漢方クリニックの手記を見つけて初めて自分の使っていた薬がステロイドだったと知った。よくよく考えれば薬の効きが良すぎた。特にシップは強力で2,3日にはきれいに治っていた。ステロイドの悪評は聞いていたし、ただ止めて治ったように見えているよりは、やはり治療をし、本当の治るほうがいいと思いこの松本漢方クリニックに行こうと決めた。
前に自分は軽いアトピーだと思っていたし、もっと酷い人は大勢いるであろう。しかし、リバウンドと呼ばれる一端酷くなる状態は本当に辛いものであった。寝ていても掻いてしまい、起きて血だらけの手にクリームを塗りまた寝ようとするが掻いてしまう。痛みと痒みの繰り返しである。こんな感じでほとんど寝れない状態が続いた。春先に治療を始めて夏ぐらいまでは生きた心地のしない毎日であった。夏すぎぐらいからはだんだんと状態がよくなり睡眠に対してはほぼ大丈夫になった。ただ、やはり汗をかくと痒みが起きた。そしてまた春を迎えた頃、驚くべきことが起こった。いつも毎年のように苦しんでいた花粉症にならなかったのである。どんなに今年は花粉量が少なめですよ、と言われていても関係なく花粉に苦しめられていた自分としては信じられないことであった。一度なると毎年なるという花粉症との知識は誤解であった。毎年なるのはただ単に花粉の飛んでいる時期だけ薬で抑えているだけであって、根本的な改善にはなっていないのである。治療を通じて世間一般のアレルギーに対しての考え方より先生のおっしゃっている話のほうが納得できる、しすじが通っていると感じた。
今現在、1年半ほどでまだ治療中ではあるが少しずつだがアレルギー指数は落ちてきている。僕の場合、漢方治療という保険がきかなく高い治療費を払い続けるのが大変なので一ヶ月に一度しか病院にいけないのが治る期間を長くしていると思う。先生方にも申し訳なく思うが、本来のように通院すると生活ができない。ゆっくりと治していきたいと思う。それと最初に完治してから手記を書く約束だったはずであるが、完治してからでは書かないと治療中にこの手記を書かされていることに対しては遺憾ではある、しかし、少しでも多くの人にアレルギーという病気に対して興味をもってもらえれば幸いである。
手記を読んでお待ちください、そう言われてきた自分がその手記を書く立場になったと考えると不思議な気持ちですが、少しでもこの手記を読んでくださっている方の参考になればと思います。
リバウンドについて他の患者さんも手記を書いておられますが、私は痒くて眠れないということはありませんでした。それでも痒くてジュクジュクして、精神面で大変でした。それでも乗り越えられたのは、松本先生に掻いてもいいとおっしゃって頂けたからかなと思います。
普通、病院の先生は、患部を掻いてもいいなんて言わないと私は思います。
母にも昔から痒くてもあまり掻かない方がいいのではと言われていたので、私にもそれが染みついていたというか、外出時はもちろん、家の中でもできる限り掻くことを我慢するように心がけていました。でも正直リバウンドは我慢できるレベルではなかったというか、掻かずにはいられない、掻くことに疲れてしまうぐらい痒かったという感じでした。傷が残るのではと心配してくれる親の気持ちもわかるので我慢したいという思いもありましたが、先生には掻いてもよい、むしろ掻くべき、位のことを言われていたので気持ちの面でとても楽でした。もし、治療の一環として掻くことを止められていたら、ストレスは相当のものだったのではないかと思います。
リバウンドについては手記を読んで想像はしていたのですが、これがそうかと実感するまでは意外と長かったです。いつ来るのだろう、もうリバウンドになっているのじゃないのか、などと今から考えてみるととても甘く考えていたように思います。
でも実際ひどくなってくると今までの比ではなく、医院に通う前からジュクジュクすることのあった顔の頬はともかく、今までそんなことのなかった足やお尻などにも症状が出て唖然としました。ジュクジュクしている頬も放っておくと乾いてかさぶたみたいになるのですが、やっぱり気になって触ってしまうし、痒いと我慢できずに掻いてしまい、またジュクジュクしてくるので、それをティッシュで押さえる、でもいくら押さえても染み込んでくるし、乾いたと思っても寝ている間に掻いてしまってジュクジュクの繰り返し、といった感じでした。お尻なんかも痒くて、じっと座っているのがつらいこともありましたし、太ももの裏側の部分はズボンにまで染み込んで、友達にどうしたんと言われたこともありました。
松本漢方クリニックに通う前よりも明らかに症状がひどくなって、もともと何もなっていなかったはずの足など目につく場所にも症状が出たので父はとても心配していました。私の心境としては、確かに今まで出たことのない部分にまで症状が出たので正直ショックでしたが、悪いものが出切ってしまうまでは仕方ないというか、ショックよりも痒さに疲れていたといった感じでした。
痒さに疲れる、なんて自分でも初めて使った言葉だなと思いますが、本当にこのときが一番しんどかったです。
ピークが過ぎると、時々痒いことはあっても肌自体はつるんとなって、足やお尻の部分は色が紫っぽい茶色?の様になりましたが、頬は普通の皮膚と変わらないぐらいによくなりました。足やお尻の色も徐々に薄くなって、今ではちょっと日焼けしたかなぐらいの色になっています。
家族や美容院の人なんかによくなったねと言ってもらえたときは嬉しかったですし、見守ってくれた友達、支えてくれた家族に感謝しています。
まだ医院には通っていますが、先生にもう大丈夫と言っていただける日まで頑張りたいと思います。
つたない文章ですが、読んでくださってありがとうございました。
「アトピー手記」匿名希望29歳2009年6月29日
私は平成19年3月に背中にプツプツと湿疹ができて痒くなりました。1月に子供を出産したので体質が変わったのか育児などのストレスが出たのでしょうか。
しばらくは薬を使わず我慢していたのですが、背中全体に湿疹が広がったので自宅近くの皮膚科を受診しました。その皮膚科では「乾燥性の湿疹」と言われました。授乳中でしたので飲み薬はなく保湿剤とステロイドの塗り薬をもらいました。ステロイドを塗るのは正直抵抗があったのですが痒みに負けて塗ってしまいました。症状はステロイドを塗るとましになり、塗るのを止めるとまだ出てくるというのが1ヶ月ほど続きました。
この頃に自宅から少し離れた所にアトピー治療で有名な皮膚科があると聞いてその皮膚科に行ってみました。そのの皮膚科でも前の皮膚科と種類は違いましたが、やはり保湿剤とステロイドの塗り薬を出され「ステロイドは湿疹のひどいところに少量塗るだけで全身に塗るわけではないから怖がらなくて大丈夫」と説明されました。何度かこの皮膚科に通い、薬の種類を変えながら過ごしましたがあまり改善がなく、手の指にも水泡のような湿疹ができて痒くて掻いて潰してしまうこともありました。その皮膚科の先生には「この治療で良くならないなら他の病院へ」と言われてしまい行くのを止めました。
ステロイドを使うのは抵抗があるし他の皮膚科へ行っても同じことの繰り返しになると思ったので、母と相談し地元にある松本漢方クリニックを受診することにしました。母も私もずいぶん昔ですがお世話になったことがあり松本漢方クリニックがステロイドを使わないことを知っていました。今思えば最初から松本漢方クリニックを受診していれば良かったです。
受診したのは平成19年6月でした。松本先生や血液検査をしてくれる先生に「ステロイドを使わずにすぐにここに来れば良かったのに」と言われました。痒いのが辛いから掻かないようにステロイドを塗って抑えていたのですが、ここでは「痒ければ掻けばいい」と言われ、この言葉は私にとってとても気が楽になる言葉でした。
治療は煎じ薬と赤い軟膏、傷ができた時に塗るエルタシン軟膏、それに薬湯の入浴剤でした。煎じ薬は授乳中でも大丈夫と言われたので安心して服用しました。最初はまずくてなかなか飲めませんでしたが慣れてしまえば問題ありませんでした。薬湯風呂には2日に1回のペースで入るように言われました。入浴の前にはイソジン消毒液で全身を消毒しました。この消毒液が傷にしみて数分待つのが苦痛でした。でも薬湯風呂につかっている時は気持ち良くて心の休まる時でした。
ステロイドを塗っていたためいつかはそのリバウンドが出てくると説明を受けていましたが1ヶ月ほど経ってもリバウンドが出てくることはありませんでした。このままリバウンドなく治るのでは…と思ったこともありました。でも痒みは常にあり、手の指の湿疹だけがひどく家事をするのが億劫でした。そのため子供を連れて実家に戻って療養することにしました。
症状に変化が現れたのは8月の半ば、お盆を過ぎた頃でした。太ももが赤く斑になり熱をもつようになりました。湿疹というより蕁麻疹が広がったような感じでした。これが腕やお腹にも広がっていき、痒みもひどくなりました。顔も赤く腫れたし、微熱で体がだるい日もありました。漢方薬を飲み始めて2ヶ月経ちようやくリバウンドが出てきたのです。
この頃から本当に痒みがひどくなり、気分が落ち込む日々が始まりました。痒みで夜も眠れませんでした。子供の世話をしなければならないのに散歩にすら出ませんでした。実家にいることに甘え、母に任せっきりにして1日中クーラーをきかせた部屋に閉じこもっていました。体が痒くて掻いたら黒い皮膚がむけて爪が黒くなったり、朝起きたら布団のシーツが体から落ちた細かい皮膚でいっぱいだったり、薬湯風呂につかっていると細かい皮膚が浮いたり、自分で見ても気持ち悪かったです。左足首が腫れて抗生物質を服用したこともありました。
一番症状がひどかった時は耳の皮膚がめくれ黄色い汁が出てくるようになりました。もちろん痒みもありました。触ったり掻いたりすると余計に汁が出て耳がジュクジュクになりました。この汁のせいで耳が聞こえなくなるのでは…などと不安になったりしました。赤い軟膏やエルタシン軟膏を塗っても汁が出てくるのですぐに薬がとれてしまい効果がなく、汁が垂れないように両耳にカーゼを当ててテープで止めていました。ガーゼをとる時は汁が固まって止まっていることもありましたが、それがガーゼにくっついてとりにくく無理にはがすとまた黄色い汁がでてくるという繰り返しでした。けれどこの症状、受診時に松本先生に診ていただくとヘルペスだということがわかりました。血液検査でも確かにヘルペスウィルスの抗体の数値が上がっていました。リバウンドの真っただ中で抵抗力が弱まっていたのかもしれません。授乳中だったので飲み薬は服用できませんでしたが、抗ウィルス薬の軟膏を塗ることで劇的に症状が改善したのをよく覚えています。それまでは汁が出るばかりで新しい皮膚が再生されることがなかったのに、抗ウィルス薬の軟膏を塗り始めると徐々に汁の出る量が減り耳が乾燥した状態が増え新しい皮膚が覆うようになったのです。耳の症状が改善されると体の痒みはまだあるものの、私の気分はだいぶ明るくなりました。
耳が治り、手の指の湿疹もずいぶん良くなり、赤く斑になっていた体が落ち着いて来たのは11月を過ぎていたと思います。ポロポロ落ちていた皮膚片もだいぶ少なくなり、痒みのピークも超えた感じがありました。出産後ずっとなかった生理もこの頃にまた始まりました。6月から始めた煎じ薬、体全体にひたすら塗り続けた赤い軟膏、1日おきの薬湯風呂…これらを途中で止めず続けて良かったと思えました。この後もこれらを続け、体の湿疹や赤い斑はほとんどなくなりました。皮膚の色が以前より黒かったり背中にまだザラザラした感じが残っていましたが、平成20年1月には実家から自宅に帰ることができました。
自宅に帰ってからも煎じ薬と赤い軟膏は欠かしませんでした。すでの日常のことでしたので家事などに追われても面倒ではありませんでした。ただ、薬湯風呂は先生の許可を得て回数を減らすことができました。億劫だった家事は手の指の湿疹が治って億劫だと思うこともなくなりました。半年前の自分とは全く違う明るい自分になったと思います。
平成20年秋頃だったと思います。ずっと続けてき煎じ薬が飲めなくなってしまいました。口に入れてもどうしても飲み込むことができず吐いてしまうようになったのです。作り方を変えたわけでもなく、自分でもどうして飲めないのかわかりませんでした。とにかく松本先生に相談しようと思い受診しました。松本先生は怒ることもなく、無理に続けさせようともせず、煎じ薬を粉薬に変更してくださいました。その時「粉薬より煎じ薬の方が効きが良いから、粉薬に変えることで治りが遅くなるよ」と説明してくださいましたが、私は飲めない煎じ薬より粉薬の方が良いと思いそれからずっと粉薬を服用しています。
平成20年11月から平成21年2月頃の冬の時期ですが、毎年悩まされていた手のあかぎれがほとんどなく、体の乾燥も例年よりずいぶんましでした。体質が変わったのかも…と思いました。そして家族や症状のひどかった頃を知る知人には「本当に綺麗に良くなった」と言われるようになりました。
今は平成21年6月ですが、赤い軟膏を塗る範囲がとても狭くなり背中の一部になっています。粉薬はお守りのように服用を続けています。血液検査のIgEの数値はピーク時よりずいぶん下がってきました。松本先生に「もう大丈夫」と言っていただける日を目指してお薬を続けていこうと思っています。
私は治療を始めて2年でここまで症状が良くなりました。ここまでこられたのは松本先生のおかげであることともちろんですが、両親をはじめとする家族の支えがあったからです。もしかしたら今後また症状が悪化することがあるかもしれませんが、とりあえず今は完治へ向かっていると信じています。それまで松本先生や医院の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
受診のため松本漢方クリニックに来て待合室で待っていると、私が経験したのと同じような症状に見受けられる方がいらっしゃることがあります。そのような方に「私も同じような時期がありましたけど今がここまで良くなりました。完治までの期間は人それぞれ違うとは思いますが必ず治りますよ」と声をかけたくなります。実際に声をかける勇気はありませんが、この手記を読んでいただくことで少しでも希望を持っていただけたら幸いです
これから治療を始められる皆さんの参考になればと思っております。
私は、幼いころから、ひじの関節、ひざの後ろなど、いつもカサカサしていました。「大人になったら治るかな?」と思いながら、ステロイドやいろいろな薬を塗ってきました。その薬もどんどん強いものになっていくのに、いつも同じところが治らない。強い薬は、体の負担も大きいと思い、弱いのにすると、またひどくなる。このままでは、いつまでたっても繰り返しだと思い、松本漢方クリニックに行って、アトピーを治そうと思いました。
ホームページで手記を読み、治すには仕事を休むか、辞めなければいけないと思って、会社に6ヶ月休職させてもらいました。漢方も飲んだことがないし、不安でいっぱいでした。松本先生に会い、診断してもらったとき、「治してあげるから。」と言って、握手してもらったとき、頑張ろうと決めました。
そこから、リバウンドとの闘いが始まりました。夜は、全く眠れない。眠れても、痒くてすぐに起きてしまう。だから、朝から寝ることにした。完全に、昼と夜が逆転していた。それでも治るなら、全然かまわなかった。でも、リバウンドはすごかった。熱も出るし、指がむくみ、赤ちゃんのような指になった。足もむくんできて、歩くことが出来ない。もちろん立つこともできない。これが、寝たきりかと思った。松本先生に電話をして、「プロテインを飲みなさい。」と言われたので、漢方とプロテインを飲むことにした。体温調節が出来ないから、汗をかいたり、夏なのに急に寒くなったりした。食べ物にも気をつけて、温かいメニューや、たんぱく質が豊富なヨーグルトや豆腐、納豆などを中心にしていた。
3ヶ月ぐらいむくみが続き、むくみの症状は、少しずつ良くなってきた。落ち込んだときには、松本先生に励ましてもらったりして、過ごした。松本先生もびっくりするぐらい高かった数値も、検査の度に下がっていき、症状もマシになってきた。
6ヶ月完全に休職し、仕事に復帰することが出来た。まだ完全に治ったわけじゃないし、まだまだ数値も高い。でも、治療する前の私より、きれいになってきたと思う。家族や友達からの励ましがあったから、頑張ってきました。本当にありがとう。
松本先生の「治してあげるから。」と言って握手してもらったことを思い出して、頑張っています。本当にありがとうございます。今は、「アトピーを治して、きれいになりたい。」という大きな目標をもって、日々努力しています。
まだまだ治療中ですが、松本先生に「治ったね。」と言ってもらえるまで、頑張るつもりです。松本先生、アシスタントの皆様、これからもよろしくお願い致します。
お願い
- IgE抗体量がすごく高かったのですが、だんだん下がってきているので、変移を表すグラフを挿入して頂けませんでしょうか?
- たくさん松本漢方クリニックで写真を撮って頂きました。それを個人がわからない程度のものを、載せて頂けませんでしょうか?
(ひどいときと、だいぶ良くなってからの2パターンです)
これから治療を始められる皆さんの、参考になればと思います。
私は3人兄弟で、3人ともアトピーです。
5歳のころから、体の一部にぶつぶつが出てきました。初めはあまり気にしなかったのですが、ほっといても治らず、近所の皮膚科に連れて行ってもらいました。もらった薬で落ち着きました。汗に弱く、夏は特にひどくなりました。その度にステロイドを使っていました。起きている間掻いてはいけないと、意識して我慢していても、夜寝ている間知らないうちに掻き毟り、朝起きればシーツに血が付いてることは珍しくありませんでした。私の場合、アトピーは一部分に集中していて、服を着ていれば人からは気づかれない程でした。それが唯一の幸いでした。
飲み薬・塗り薬を使い続け、完治することなく10年以上が経ちました。これ以上ひどくならなければいい、一生治らない病気だと思っていました。
約3年前、アトピーの従姉から松本漢方クリニックを紹介してもらいました。漢方を使い、臭いはきついし、なによりリバウンドが大変と聞きました。でも、必ず良くなるよと言われ、兄弟3人、母に連れられて行きました。
「絶対治してあげる」と言われ、「そんな簡単に言えるものですか!?」と正直驚きました。「痒かったら、掻きなさい」の言葉には、今まで聴いたことのないことで、すごく気が楽になりました。
煎じ薬を飲み、薬の入ったお風呂に入り、赤い薬を塗って・・・リバウンドがやってきました。とても痒いのです。「掻きなさい」との松本先生の言葉を信じて、乾いた皮をはぎました。気持ちよかったです。もちろん掻けば血や汁が出て止まらず、本当に辛かったです。
でも、一番ひどい時期は半年ぐらいで済み、今では本当にきれいに治りました。ただ、右手があかぎれのようで人の目に付くのが気がかりですが、昔のことを思うと大した事ありません。
ここまで治していただいてありがとうございました。あと少しお世話になります。
私は子供の頃から、乾燥肌でよく手も荒れていました。それに調理後水洗いをするようになってから、湿疹のような物ができていき、どんどん痒いので掻き毟っていると、しまいには皮膚がジュクジュクになって、高槻にある近くの皮膚科へ行く事にしました。そこで処方してもらった時は、ステロイドかは分かりませんが症状が軽快していきました。そのため処方された塗り薬はその後もう使用しなくなっていました。
けれど大学生時、又もや症状が悪化しこのままでは不味いと思ったので、今度は別の茨木市にある皮膚科に行ってみる事に。そこで気付くべきだったのですが、当時はステロイドが危険な塗り薬だとは理解しないまま、ただ治るからという理由だけで利用していました。そして卒業後も、酷くなれば更に通いという感じで、アトピー性皮膚炎の真の姿を知らずに治った気でいた矢先の出来事です。
たまたまインターネットを活用していると、ステロイドは良くない、大変危険であると分かったのです。「このままじゃ永遠に完治しないのか」と歯痒い思いで一杯でした。そして一生ステロイドに頼って生きていくのは嫌だと、私が住む大阪周辺で人工合成品のステロイドを用いずに治せる皮膚科の検索を小まめに掛けていった結果、松本漢方クリニックの存在を確認。多少不安はあったけれど、迷っている場合ではないと直ぐ様訪問しました。
2011年10月半ば頃から私は早速、治療を開始していきました。
まず始め血液検査を行いIgE抗体について調べてもらうと驚いた事に値が232も。一般の方で20前後の値だと聞いていたので、10倍近くも高い値を見て正直ショックでした。しかし、先生は「絶対治るから」とすごく自信に満ち溢れていて、私自身も「弱音を吐いていちゃいけない」と自信を持ってアトピーと真正面から立ち向かおうとする決心がつきました。
11月は、思ったよりも肌が綺麗でした。煎じ薬を毎朝、昼、晩の食前に一回ずつ分けて飲み、さらに黄色軟膏と赤色軟膏を肌に、塗って乾いたらまた塗ってと同様の動作をただひたすら行っていました。そして2週間たってから行くと、次のステージという事で先生から漢方風呂に入ってみようとなり、それを足していきました。漢方風呂に入ってからみるみる内に肌が以前にも増して、酷くなってきたように感じます。この異常な肌の荒れは、ステロイドを塗り続けた代償であると教わりました。
12月になると、先生から微熱になるかもしれないと言われ、37℃以上になったら飲んでほしいと、飲み薬を処方してもらいました。しかし、実際私は一度も熱が上がらなかったため、使用せずに済みました。漢方風呂は6時間きっちりと、入るようにしました。その変わり、肌はパリパリに乾燥して冷やしておいた液を体に垂らすと、乾いた時に異常に痒くなったので数時間しか眠れない日がほとんどでした。
1月は先月に比べ、表面的にそこまで酷い状態ではなく安心して検査してもらいに行きました。するとそこで出た数値(IgE)が247と前回より+17上昇していました。先生曰く、ステロイドを離脱すると制御していたものが、外れその結果起こるリバウンド症状と前々から聞いていたので、それほど心配にはなっていなかったけど睡眠不足が続いていたので免疫力は大丈夫かなと心配は多少していました。
2月になり、少しずつ書き傷が減り始め、ジュクジュクだった皮膚も数日も立てば治まってくれるようにまでなってきました。
そこで再検査すると数値は209と-38減少していました。
しかしまだ、睡眠時の掻きむしりはちっとも治っておらず酷くなってはまた鎮まり、酷くなりの繰り返しで精神的にだいぶ参っていました。
ここで先生に「掻きたかったら掻きまくってもいい」と言われ、少し気持ちにゆとりを持って症状と向き合えるようになりました。
3月から、急に手や腕、足等を通して他の部位も含め発疹が酷くなり、ブツブツができてきた。見解では、今まで隠れていたのが遂に姿を現した証拠ではないかと考えている。そしてこの時期が来るのと同時進行で黄色軟膏と赤色軟膏の消費が激しくなってきた。そしてエルタシンもよく使用する頻度が増えた。特に腕付近の発疹が中々消えず、掻きむしってしまう事がけっこうあり、
ジュクジュクになってしまい消毒と併用させて塗り薬、変わらず煎じ薬とを用い、ひらすら治すのだけに徹底をしていました。
4月にもなり、睡眠の支障に少しずつではあるが変化し始めた。寝ていても、そこまで無意識に酷く掻きむしらなくなっていた。けれど、ジュクジュクみたいな所は減少しているものの、数か所はやはりある状態。このような症状からも確実に免疫力が増加の傾向にあると言えます。
現在は、毎日の食事と栄養バランスに気を配り、運動も小まめに取り入れながらの自己管理を行っています。寝る事の恐怖は、まったく感じなくなりました。手の甲も質感がツルツルに変わっています。さらに、より実感したのは行きつけの美容院で、スタイリストさんから、首まわり綺麗になったねと言われた時です。まだ、手の平は完全にツルツルとは言いませんが、今のまま継続していき本来の潤いある肌を取り戻すために、これからも他の薬に頼らず、先生を信じて治療に専念していくつもりです。
「アトピー手記」匿名希望27歳2004年11月8日
私が松本漢方クリニックにお世話になるようになったのは、大学に入学した年(19歳)の夏前でした。
始めは、右手指の痒みから始まったものが、2~3ヶ月の間に、両肘・首にまで広がりました。それまでにも、小さい頃に、肘や膝の裏がかさついたり、急激な温度差(夏場に、急に冷房の室内に入るなど)で、首全体が赤くなるなど、肌のトラブルはありました。しかし、自分は、アトピーとは、全く無関係だと思っていた為、「まさか、私が?」と、戸惑いました。
丁度その頃、3歳年上の姉が、すでに松本漢方クリニックのお世話になっており、私とは比べものにならないほどの、全身アトピーが、改善の兆しを見せている時でした。治療の大変さを間近で見ていただけに、自分も治療を始めるまでには、かなり悩みました。でも改善している姿を間近に見ることができていたので、「きれいな肌になるために、私も頑張ってみよう!」と、松本漢方クリニックにお世話になることを決心しました。
私の場合は、治療を始めてから1年程で、肘・首の肌はきれいになり、後は手指だけという状態にまで改善しました。そこで気を抜いてしまった私は、勝手に漢方の服用をやめてしまいました。
それから5年程経ち、就職して、環境が変化したこともあり、アトピーがまた出てきました。ストレスなども重なり、以前よりもひどい状態になり、顔にまで出てしまいました。「もう一度、今度こそ、しっかりと治そう!」と思い、再度松本漢方クリニックを訪れました。
現在、再び漢方を飲み始めてから、1年になろうとしています。その間、2度程、顔中にヘルペスができ、仕事も休み、外にも出られない程の状態になったこともありました。その度に「大丈夫。絶対にきれいになるから、松本先生の所に行っておいで。」と、姉に励まされ、又、松本先生の言葉を信じながら、飲み続けました。
おかげで、今では、顎と首が少しかさつくことと、手指の痒みがあるぐらいにまで良くなりました。けれど、今度は勝手にやめてしまわずに、松本先生が「もう、飲まなくてもいい。」と言って下さるまで、きちんと飲み続けようと思っています。
これからも、きれいな肌を目指して頑張りますので、よろしくお願いします。
「アトピー手記」匿名希望26歳2006年3月19日
私は、現在26歳ですが、赤ちゃんの頃からアトピー性皮膚炎でした。発疹はそんなにひどくなかったものの、ずっとステロイド軟膏をぬっていました。
しかし、10歳の時、ステロイドは良くないと世間で言われ始め、心配した母親がステロイドを塗るのをやめました。すると、世に言うリバウンドが出て、高熱のあと、皮膚がぼろぼろになり、学校も休みがちになってしまいました。
1年後ぐらいには、いったん綺麗になったのですが、12歳の時に修学旅行に行くというとき、当時通っていた皮膚科で、念のためとかなり大きな注射を打たれました。今思うと、あれはステロイドの注射で、あれだけ大量に直接投与されたのかと思うとぞっとしますが、そのときは何も知りませんでした。
その後、また皮膚がぼろぼろになってしまい、それ以後二度とステロイドは使いませんでした。医者にもステロイドを出されるので行かなくなり、痒さとしんどさと闘いながら、学生時代を過ごしてきました。
しかし社会人になると、しんどいからといって簡単に仕事を休めはしません。もうこれではだめだと思い、インターネットでステロイドを使わない皮膚科を探し、松元医院に行きました。
私は、ステロイドをやめて15年もたっていたので、漢方薬の効果が同じようにでるか不安でしたが、松本先生の「絶対治してあげる」という言葉に励まされ、大変そうだけどがんばろうと思いました。
血液検査で、私はもともと数値が高くなかったので、弱い状態に変化してしまった皮膚を正常な状態に戻すため、毎日煎じ薬をのみ、漢方のお風呂に入り、漢方の軟膏をぬりました。幸いステロイドはやめていたため、漢方薬を飲んでもリバウンドはありませんでした。しかしその分劇的に変化はなく、時間はかかりましたが、少しずつ痒みが楽になっていきました。
漢方は、煎じるのやお風呂の準備などとても手間がかかりますが、私は初めてすぐに以前より調子がいいと感じられたので、挫折することなくこれまで続けて来ることができました。時折黒くなっていた部分の皮膚がぼろぼろになり、少しつらいこともありましたが、おさまった時には、黒さが抜けていました。
現在、松本漢方クリニックに通い始めて3年たとうとしていますが、赤黒かった皮膚はだいぶ白くなり、あと一息といったところです。
最近では、学生時代より元気にすごせている気がします。ステロイドは塗るだけで簡単に良くなり、とても楽なので、ずっと使ってきた人に漢方治療は大変かも知れません。効果も、人によりそれぞれだと思います。しかし私のような変わった事例にも効果がありましたことをここに記させて頂きます。
小学校六年生ぐらいからアトピーでした。最初は赤い湿疹みたいなものからの始まりで顔から白い粉が出たり、そして病院に行くとアトピー性皮膚炎ですと言われました。血液検査をして結果を見てみると米、小麦、ダニが高かったです。ホコリ取り機を買って生活し食生活ではパン、めん類を約8年くらい食べずごはん類をずっと食べていました。健康食品も飲んでいました。学生生活も終わり社会人になり現場の人や皆が病院あっちこっち行ってみんかと言ってくれ、3,4軒行きましたが治らずどうすれば治るかと薬局に相談に行ったこともありました。
そして、松本漢方クリニックを知ったのはある携帯のサイトから知り、アトピーのサークルに入り知りました。パソコンで場所と診断時間などちらっとだけ見ました。日曜日もやっているので仕事の休みの日に行きました。
初診で診断を受け完治までの事を聞き、リバウンドが出る事を聞きました。一回目の血液検査の結果がIgeが9220、リンパ球が11,7、好中球が66,2ありました。仕事をしながら漢方の入浴と食前の苦い煎じ薬の飲み薬続けているうちにリバウンドがでました。頭痛が一週間続き、一ヶ月間全身真っ赤で皮膚がぼろぼろで粉が出て皮膚がかたくなりました。入浴では湯槽に入っている間はかきっぱなしで風呂上りが風呂上りが乾燥して一番かいかったです。体中粉が出て一時間かきっぱなしで落ち着くまで塗り薬をぬれませんでした。リバウンドから一ヶ月がたち、つらくなっているので仕事にも、外に出るのも嫌になり診断書で休むことに決めました。8月に入り、二回目の血液検査の結果がIgEが12470、リンパ球が74,3、好中球12,6ありました。診断書で休むようになって、5~6時間風呂に入り傷が少し減ってきました。両耳がむくんできました。むくみは何日かで治りました。つめを見てみると表面がめくれて黒くなっていました。入浴ではかゆみが減ってきました。風呂上りもまだ粉が出るけど少しましになり30分かきぱなしです。
9月に入り、だいぶよくなってきたと思っていたら風呂上がり、全身真っ赤になりました。毎日、風呂上がり真っ赤で治らなかったので、電話をして先生に聞いたら蕁麻疹と言われ、約一ヶ月続きました。蕁麻疹が治ったころに3回目の血液検査をしました。IgEが9360、リンパ球が58,5、好中球が17,0ありました。2回目の血液検査と比べてよくなっていました。今現在見た目もよくなり働きながら今の治療を続けてがんばっています。
「アトピー手記 中間報告」21歳男性2009年8月29日
私がアトピーで松本漢方クリニックに通い始めたのは2年前2007年の七月の初旬だった。松本漢方クリニックに通う以前は淀川キリスト教病院の皮膚科に世話になっていた。幼少の頃はもっと多くの病院に通っていたこともあるが覚えていない。松本漢方クリニックに通い始めた頃と比べると体調は格段に良くなっている。薬湯の準備と入浴に三時間ほど拘束される事を除けば、普通の生活が出来るようになってきた。それでも症状が酷くなる季節には寝不足で一日中ダルかったり、関節部分の湿疹が酷くなると傷口に布が触れる痛みで歩きにくくなり、ちょっとした移動も鬱陶しく感じる。こんな状態でも、「学校いけるし、まぁいいか」と思えるくらい初診時の2年前は酷かった。
淀川キリスト教病院に通っていた時代に中学・大学と二回入院している。脱ステロイドの為に入院するが、退院後は社会生活を送るのを円滑にするために又ステロイドを用いる、の繰り返しだった。ステロイドをアトピーを管理するための一つの手段だと、淀キリの医者たちは考えていた(別に彼等が積極的にステロイドを使おうとしていたわけではない、あくまで体調管理の一手段として捉えていた)みたいだ。だが自分の実際の経験としては、初期の段階で症状は良くなるが、ステロイドを使い続けるほどに、年々症状が酷くなっていった。
症状が年々酷くなり、ステロイドでの管理が不可能だと悟り始めたのが2年前。大学2回生、ステロイドの使用を止めて、全身に火傷状の湿疹が出来、常に浸出液が湧き出ている状態だった。この状態に至りステロイドは無理と判断して、海水やら温泉やら、他の治療を摸索している段階で「漢方」もその一つとして挙がってきていた。そして以前に親が松本漢方クリニックのことを話題にしていた事を思い出す。しかし当時は漢方に興味が無かったために、詳しく松本漢方クリニックのことを調べていなかった。現在はネットで簡単に調べる事が出来るので、医院のHPのアトピー治療に関する記事を読んで行くうちに、何となく納得出来たので一度行ってみる事に。心身ともにズタボロ、やや鬱状態で受けた初診で社会に対して憤慨する医者を目の当たりにして余計に気を凹ましながら、漢方薬の入ったビニールを抱えて家に帰った。漢方治療を始めてもすぐには良くなるはずも無く、日に日にリバウンドで酷くなる体を見て嘆く。全身鮫肌、火傷状態。文字どおり頭からつま先までなんらかの皮膚の異常がある状態がつづく。大学はこの間行けなくなった。春学期(前半の半年)の途中から大学には行けていなかったが、秋学期(後半の半年)は休学する事に。学校など行っても勉強など出来る状態では無い。週一回の診察以外は外出する事も無く、家で布団の上。体力の消耗と寝不足と非情な不快感。精神的にも鬱傾向が強くなる。しかし、薬湯入浴から上がると、一部カサブタを形成している事に気付く。そして入浴時間は長い方が多少なりとも気分が楽になる実感。この実感が治療の方向性は間違っていないと自分を思い込ませる。夏が終わり冬になり、歳が明ける頃には外出も簡単に出来るようになっていった。松本治療を始めた頃は考えに浮かびもしなかったが、成人式にも出席できた。現在は、上にも書いたが季節的に症状が酷くなる事も有るが、何とか普通の生活を送っている。
中間報告だが私の治療経験の「まとめ」として、やっぱりステロイドは必要ない。松本治療を始める場合は、治療について自分を納得させる。次に身の回りの人間を納得させる。そして治療中は周りの人間に手助けしてもらう。助けを求めなければ続かないと思う。特に、周りの人間を納得させることが重要。これをしっかりしておかない、治療の大きな障害となり得る。社会生活をまともに送れなく成っている様な重症の人間は、意地で治療を継続するしかない。この状況で治療方法に納得していない人間は邪魔者以外の何物でもない。
人間て基本的に自分以外のこと考えませんから、治療に専念している者の心を折るような事してきます。だから環境を整えて「意地」で治療。
松本治療の問題点。時間的拘束が大きい。晩に家帰ったら薬湯作って、飯食って、風呂入って、上がって薬塗ったら、結構な時間になる。後は寝るだけ。晩にテレビ見る時間も本読む時間も作りにくい。見ないし読まない人には関係ないけど。次に、アレルギー完治のメカニズムが結局、信じる信じないかになる。「まぁ、治ればいいので」人には関係ない。私は実際にステロイド抜いて、IgE抗体の値が減って、症状が良くなっているから続けているだけ。病気が治るのが一番重要だから理論に興味ない人間には関係ない。私は、なんか腑に落ちない気がする。言葉に表せないが。最後に一番問題点、治療継続の上での障害、「治療費が高い」これ何とかなんないのかな。まぁ治療は続けるけどさ。
アトピー治療の経験は決して良い思い出ではないが、人生の糧にはなりそう。