「アトピー手記製薬会社勤務(薬剤師)の立場から」
26歳2015年9月26日
26歳2015年9月26日
こんにちは。初めて、この様な手記を書かせて頂きます。これからの治療に不安を持っている方や、現在の治療に対して不安をお持ちの方など、様々な方がネットや松本漢方クリニックの待合室で、私の手記を読むのだろうなあと想像しながら、今、手記を書いております。今回は、私のアトピー治療で経験したこと、そして、皆様にとって悪者(?)であろう薬剤師と、製薬会社からの視点も交えて、書かせて頂きたいと思います。
まず私がアトピーを本格的に発症したのは、19歳の時でした。幼い頃から、アトピーは持病で有しておりましたが、思春期を迎えると、症状は落ち着いておりました。しかし、ある日を境に、首が赤くなり、かゆみが止まらなくなりました。
症状が出た事で、無知な私はまず最寄りの皮膚科に行くことにしました。そこで、ステロイド軟膏とビタミン剤の処方をして頂きました。やはり、そこはステロイド剤なので、効果はテキメンに現れ、私はまるで魔法のクスリを手に入れたかのような気分でした。そこで、赤くなる度に薬を塗ることを、繰り返し行っていました。そうすると、段々と病巣が拡大し、気付けば上半身全てが赤くなるまで、拡がりました。
これは、何かがおかしいと思い、ネットでステロイドについて、調べてみました。その時、初めてステロイドという薬の怖さを知ることとなりました。恥ずかしながら、薬科大学に通いながらも、ステロイドに関しては非常に無知でありました。
現在の教育では、ステロイドは万能薬として扱われています。しかし、これは薬剤師の端くれそして、製薬会社に勤める私に言わせると、仕方のないことだと思います。他にクスリは無いのです。皮膚科の先生が悪いのではないのです。すべての先生は、学校で習ったことや製薬メーカーのデータを信じているに過ぎないのです。そして、場当たり的な治療で、(一部の我々みたいな被害者を除く)患者さんはこの治療で満足しているのだと思います。
少し話は逸れてしまいましたので、話を私のアトピー治療の変遷に戻したいと思います。全身症状が出てきた私は、すぐに病院を転々としました。なんとか、ステロイドを使わない医者はいないのかと探す日々でした。毎月、毎月、病院を変える日々が、1年続きました。
1年経ったある日、知り合った先輩に松本漢方クリニックの事を教えて頂きました。なんと漢方薬で、治療を行うとの事でした。「漢方?」はじめ私は非常に懐疑的でした。この科学が進歩した時代になぜ漢方薬なのかと。私は劣等生でしたので、漢方薬の授業はほぼ寝ており、完全に無知でした。しかし、もうその時はそんなことも言っていられない状況で藁にもすがる思いでした。今でも、初めて松本漢方クリニックに行ったときのことは覚えています。阪急高槻市駅を降りて、商店街を抜けて、ミスタードーナツが入ったビルの2階の階段を上って、松本漢方クリニックの扉を開いたことを鮮明に覚えています。本当に不安でいっぱいでした。今までの人生を振り返ると、これが大きな転機でした。あれ、何だか変な宗教勧誘っぽい文章になってしまいましたね。失礼しました。ただ、本当にあの時、勇気を振り絞ってよかったと心の底から思っています。
そして、松本漢方クリニックに入ると、漢方の独特な匂いと先生の罵声(患者さんへの激励)が入り乱れておりました。待合室で、自分の順番を1時間近く待ったあと、いよいよ順番がまわってきて、診察室に入りました。
先生の第一声は「なんで俺のところに来たんや?」でした。私はこれまでの経緯をすべて話しました。それを聞いて先生は、「俺なら治せる」と自身満々におっしゃって頂きました。私は嬉しくて、涙が出る思いでした。
2009年に治療が始まりました。はじめて受け取った薬剤は、大量の袋詰めされた漢方薬でした。とんでもない量の漢方薬を初めて渡されて、「うげ!なんだこれは!」と衝撃を受けました。現在では市販の煎じ器を使っていますが、その時は鍋でひたすら煮ていました。
煎じた後、その茶色の液体を飲み、魔法のクスリ(ステロイド)は思い切って捨てました。すると、最初はやはりステロイド離脱症候群が出ました。これは、漢方薬の副作用ではなく、しっかりと認められているステロイド離脱症候群とよばれるものです。かなり顔が赤くなり、どこにも行きたくなくなりましたし、夏なのにジャージを着たりして、なんとか耐え忍んでいました。
そこから、3か月ぐらいで、ようやく落ち着いてきました。アトピーは少し落ち着いてきましたが、喘息が非常に長引いたりしました。また、ヘルペスが原因で肩凝りがひどかったり、不眠症になったり、国家試験のストレスで十二指腸潰瘍になったりと、先生の治療を受けている期間に、多くの病気になりましたが、先生はそのたびに原因を明らかにし、適切な治療をしてくれました。
治療の過程で、色々なことがあると思いますが、松本先生は、本当に素晴らしい医者です。間違っていることは間違っていると言える医者です。こんなに、真摯に患者と向き合う医者を私は知りません。
ただ、他の医師を批判しないであげてください。日本の医師は世界で1番低賃3金、且つよく働くと言われております。日常業務に忙殺されながらも、少しでも患者さんのためと思い、働いています。そして我々製薬会社は確かに、みなさんのような患者さんを相手にお金を稼いでいます。ただ、みなさんを不幸にしたくて、働いているのではないという事はお分かり頂きたいと思います。悪いのは、教育なのです。小さい頃から刷り込み教育を受けてきた我々は、教科書を否定できないのです。すべての人は、自分のしていることは誰かの役に立っているという思い込みで動いているだけなのだと思います。
最後に、なぜ私が患者さんでありながら、なぜ製薬会社に勤めたのか?を明らかにして、この手記を締めくくりたいと思います。私も、初めは薬剤師なので漢方薬で人を救いたいと思いました。ただ、薬剤師は所詮薬剤師なのです。現状のままだと、医師の下で働く駒に過ぎないことに気づきました。そして、自分ができることに限界を感じました。それならと思い、少しでもお金を稼げて、患者さんに良い薬を届ける製薬会社に入社しようと思い、恥ずかしながら現在に至るところです。いつの間にか患者さんのことなど、もう置き去りにして、毎日自分の地位やお金のために働いております。
今回、手記を書くことを提案頂いて、本当に感謝しております。あの時の患者だった自分を思い出すことができました。皆さんも、私のように、過去を絶対に忘れないようにしてください。皆さんの治療は必ず終わります。それを信じてください。松本先生を信じることから、治療はスタートします。拙い文章にも関わらず、最後まで読んで頂きありがとうございました。治療がんばってください!応援しています!
末筆ながら、松本先生には感謝申し上げたいと思います。いつも私に力強い言葉をかけてくれた先生がいたから、辛い時期を乗り越えることができたと思います。本当にありがとうございました。