私は、生まれたときからアトピーでした。物心ついたころ、やっと、自分は、人と何かが違うと感じるようになりました。普通に、近くにある病院、大きな総合病院、何件も、色々な所に通いました。普通に貰った薬を飲み、塗り薬を塗り、どんな薬か疑いもせず、服用していました。私が大きくなってから、ステロイドが良くないものと知りました。
こんな私でも、結婚することができ、愛知県から高槻に転勤したのが、運命でした。偶然、通う病院を探していたら、「松本漢方クリニック」の名を知りました。勇気を振り絞って、朝一番に行きました。
診察を待っていると、診察室のほうから、すごい怒鳴り声が・・・内心、「大丈夫かな~」と思っていました。私の番になり、診察室に入ると、先生らしくないなーと思いました〔すいません〕しかし、「治してあげるから。」と、握手を何度もしてくれて、少し安心しました。
家に帰り、早速煎じ薬を煎じると、臭くてたまりませんでした。しかも、飲んでみると、気持ちが悪くなりました。でも、治さなきゃと思い、頑張って飲みました。
飲んで、二日後に、顔が真っ赤になり、数日後には、汁が出てきました。朝には、瞼がくっついて、まつ毛が殆んどなくなってしまいました。2度目に病院に行ったとき「やっぱり、出たねー。体は正直だ。」と言われ、少しほっとしました。
次に、首が腫れてきて、体はボロボロになって、全身真っ赤。でも、何週間に1日くらい、楽な日がありました。半年、こんな感じで、家からも出ず、ご飯も、旦那に買ってきてもらって、本当に迷惑かけたなって思っています。
半年たったころから、腫れはでなくて、汁もでなくなりました。ちょっといつもと違うカサブタが出来てきて、皮膚がポロポロ剥がれるようになり、常に新聞紙の上にいるようになりました。ちょっと掻くだけで、いっぱい粉が出て、すごかったです。
夏頃には、人前になるのも平気になり、まだ完璧ではないですが、前の皮膚とは全然違うのが分かりました。所々ボロボロしていますが、今では、確かに、とても快適に過ごしています。
少し良くなり、時々サボっていますが、ラストスパート、頑張りたいと思います。
「私のアトピー体験」匿名希望31歳・3歳・1歳2004年11月13日
初めて来院した日、多くの手記を目にし、励まされました。そして私も、書ける側になれた事をとても喜んでおります。と同時に、今頑張っている方々の、少しでも励みになればと思います。
私の約15年間続いたアトピー生活。今は辛かった事も、ゆっくり考えなければ思い出す事も無い位に回復し、本当に感謝しております。
中学生の頃から足、次第に顔、首、手。頻繁に病院へ通い、抗ヒスタミン剤、ステロイド剤、体質改善の注射・・・今考えると、怖い位の薬を飲んだり塗ったりしていました。それでも、初めの頃は尚っていたかの様でした。夜掻いた傷は朝塗れば次第に治るという感じでした。だから薬は手放せませんでした。
それを繰り返し、社会人になる頃になれば、手は黒く顔は緑色のウミが溜まる。真っ赤。毎日化粧を塗りたくり、外へ・・・。そのうち、朝起きて自分の顔を見ると、生きる気すら無くなる・・・そんな気分で仕事も休んだり、病院へ寄ってから行ったりという状態でした。
私は掻かなければ治るんだと考え、包帯で手を縛りタンスに結び、顔もミイラの様に包帯でグルグル巻きにして寝てみたり、徹夜をしたり。良い病院があると聞くと走り、アトピーと書いてある本を読む。薬局では「あなたアトピーでしょ?」と、弱みに付け込んで来るかのように声をかけられ、化粧品、入浴剤、ビタミン剤など何でも勧められて、私も『何とかなるかも』とあれこれ試しましたが、どれも効果が無い。
『友達はオシャレ、化粧と楽しくキレイに過ごしているのに、私だけが何故!?身内でも私だけだし・・・何故!?』
と、何に責めていいのかもわからず、イライラと落ち込みの日々でした。
そんな私に、希望の光が差し込んだのは25歳の春でした。
会社に入って来た子が、きっと昔アトピーで、今は大分良くなった感じだと、私が勝手に思い話しかけました。
「どこの病院行ってるの?」
それが、私と松本漢方クリニックの出会いでした。
その子はすぐに辞めてしまい、すごい巡り会わせだと思いました。あの日、話しかけなければ、今の私はまだ暗闇だったかもしれません。
初めて来院した日、松本先生の一言がとても心を打ちました。
「絶対に治してあげるから!」
そして握手。
私は泣いてしまいました。ポロポロと涙が溢れて、こらえるのが大変でした。
今まで誰も言ってくれなかったし、聞いた事の無い言葉でした。
その後、毎日漢方風呂、消毒、煎じ薬、とにかく必死でやっていました。
リバウンドは聞いていましたが、実際とてもキツく、首の後ろに大きいコブの様な物はできるし、眠れないし、今まで普通だと思った所にも出て、しばらく家に篭りきりでしたが、松本先生が「困った時は電話をしなさい!」と言って下さったので、とても力強く、その時期を乗り切る事が出来たのだと思います。
始めの頃は両親も半信半疑でしたが、今では困っている人に教えてあげたくなるねと言います。
正直、お風呂も長く入るのはとても退屈だし、薬も苦いし・・・とてもとても大変でしたが、松本先生の言葉、握手、家族の協力、治したい気持ち、日々楽になる現実・・・いろいろな事が自分を支え、今こうして笑って語れます。
もっと早く出会えていればとも思いますが、私の場合2人の息子が私と同じ境遇に遭わなくて済んだのが、とても喜ばしい事であります。
そして、あの日松本先生が言って下さった『治る』は、本当に感謝しております。
あの頃怖かった鏡が見れるようになり、オシャレも出来る様になりました。
私の息子は、生まれた時には気が付きませんでしたが、3ヶ月頃からおむつかぶれが生じ、始めは実家の母が用意してくれた、薬局の薬を塗っていました。
1歳に近づく頃より、下半身の痒みがひどいらしく、手加減が出来ずにすごい力でボリボリと掻いてしまい、血が出て痛くて泣いていました。
近くの小児科へ行き、ステロイドとは違う薬を貰い塗っていましたが良くなりません。主人はステロイド!と言うのですが、私は以前より松本漢方クリニックに通っていたので、それだけは絶対避けたいと何度も話し合い、反対される中思い切って松本漢方クリニックへ連れて行きました。
見た目はそんなにひどくなかったのですが、夜になると痒くなる様で、1日何回も泣いて起こされ、消毒をすると泣き叫び、近所からは「最近すごい泣いている子がいるね」と噂され、治してやりたい親が毎日必死でやっている行為が、息子と近所、主人には否定されている様で、一時はとても悩みました。
消毒と塗り薬では追いつかなく、お風呂にも入れる事にしました。主人が反対だったという事もあり、ベビーバスを買い、いっぱいのオモチャを浮かべて暇にならない様精一杯相手をし、1回1時間の時もあれば、10分の時もありましたが、親子で頑張りました。
そのおかげで今3歳になりますが、ほとんど良くなり「にんこう先生の薬はゆうちゃんの薬やな~」と言い、自分で塗っています。ひどい時には、外でもいつでもパンツの中に手を突っ込んで掻いていたのがウソの様です。私も夜はぐっすり眠れるようになり、本当に良かったです。
「困ったら赤いお薬を塗る!」 息子はそう言います。
私の息子は、5ヶ月の頃から顔と耳が切れて出血し、とても可愛そうな状態でした。周りから「どうしたの?」と、よく聞かれました。
この頃は体調の悪い事が多く、入院生活も3度し、その間おむつかぶれなど起こし、幾度と薬を塗った方が・・・と勧められましたが、2度と同じ失敗は繰り返すものかと心に強く思っていたので、他にかかっているので・・・と上手く断り、体調の落ち着いた10ヶ月の頃、松本漢方クリニックへ向かいました。
その時は、顔と耳でした。
小さいので消毒と塗り薬のみで頑張りました。
あっという間に完治。
アルバムを見るとびっくりします。1ヶ月程ですっかりでした。
本当に良かったです。
「松本漢方クリニックでのアトピー治療の手記」匿名希望32歳2013年7月10日
小さい頃は、時々アトピーが出る程度でした。
高校2年生のある日、突然、顔、首などがブツブツと赤くなり、とてつもない痒みに襲われました。家にあった小さい頃からアトピーが出たときに塗っていた薬(ステロイド)を塗っていました。
でもこの時のアトピーは小さい頃に出ていたものとは、出方が違い、だんだん、その薬では効かなくなり、違う病院に行きました。
その病院で処方された薬(ステロイド)を塗ると、また良くなりました。
再び、その薬を擦り続ける日々でした。
毎日、毎日、薬を塗り続け、塗らないと痒くなる日々でした。
ある日、ふと、“私は一生、薬を塗り続けるんだろうか?”と不安になり、色々な人にアトピーの話をしていると、知り合いの方がこの松本漢方クリニックを教えてくれました。
『高槻の松本漢方クリニックは、治療は漢方らしく、大変らしいけど、
治った人が何人かいて、とてもきれいな肌になっていたよ』と聞きました。
“治療が大変??治るのに??アトピーが治るなら、治療が大変とか全然大丈夫!”とこの時は思っていました。
松本漢方クリニックの診察は、待ち時間もけっこう長く、たくさんの方が来られていて、いざ診察室に入り、松本先生に会うと、一言目に「治したる!君が僕の言うとおりにしていたら、大丈夫や!」と言われました。
そんなことを言うお医者さんは、今まで数々の皮膚科や、アレルギー科に行っても言われたことがなく、驚きと、“よし!頑張ろう!”と思いました。
治療は、今までステロイドを使って免疫を抑制してしまっていたので、おもいっきり出して、治す、と若かった私に簡単に説明してくれました。
出すのか・・・とちょっと気が重くなりましたが、治るなら!!と思い、頑張ろうと思いました。
煎じ薬は、2番煎じも作って、水筒に入れて学校にも持って行きました。
うちは6人家族だったので、ゆっくりお風呂の薬に入ろうと思うと、学校から帰って来てすぐにお風呂の薬を作り始めて、1時間ゆっくり入りました。
遊ぶ約束もほとんど断りました。それもこの時の私には辛かったです。
治療を開始して、しばらくすると、全身をモーレツな痒さが襲いました。
痒さのあまり眠れず、松本漢方クリニックで軽い睡眠薬も処方してもらい、毎晩寝ていました。
とにかく、痒くて、痒くて、痒くて、常にイライラし、熱もよく出ました。
顔と首が特にひどく、顔は真っ赤に腫れ、まぶたも腫れ、ホッペはかきむしったせいで、グチュグチュの汁が出て、ボコボコ。
私はこの時、19才でした。
一番良い時期?に、外に出たくない、人に会いたくない、よく泣きました。
親を恨んだり、どうして私ばっかりこんな目に・・・。
そんな事ばかり思い、肌が綺麗な同世代の女の子を見ては、落ち込み、自分を嘆いていました。
そして、ステオリドを塗っていた自分に腹が立ちました。ステロイドを処方していた医者にも腹が立ちました。
そんな日々が続き、あまりにも辛く、少しマシになったかと思ったら、またひどくなり・・・。
いつになったら普通の生活が出来るのだろう??いつまでこのまま治療を続けていけばいいのだろう?そう不安になって、ある時、松本先生に『いつまで治療を続けたらいいのですか?本当に治るのですか?』と疑うような聞き方をしました。
松本先生は激怒され、『信用できないなら、他の医者に行け!』と言われました。私は診察室で、泣きました。
松本先生は、その後、手記をもう一度読んで来い、と言いました。
私は正直、こんなにも辛い治療で、先生には怒鳴られて温かい言葉もかけてくれないなんて・・・とこの時は治療を辞めようかと思いました。
でも、手記を再び読み、やっぱり頑張って治療を続ける決意をしました。
何週間か経ち、再び診察の日が来て、診察室に入ると、松本先生は笑顔で『僕を信じて、ずっと来てくれてありがとう』と言ってくれました。
あれから数年、長かったけど、私は本当に良くなりました。
今では、アトピーだったと言っても信じてもらえないくらい、良くなりました。
松本先生は怒ると怖いところも正直ありますが・・・でも、まっすぐな先生です。正直な先生です。本当に患者さんの事を思った治療をしてくれる先生です。
出会えて、本当に良かったと思える医院でした。
これから、後もう少し治療を続けますが、この手記を読んでくださった患者さんの、少しでも励みになればと思います。
松本先生に出会えたことは幸運でした。
看護師、保健師になって10年以上が過ぎました。医療の本質が何かずれているような気がしたのが5年ほど前。それから様々なことを独学で勉強してきました。
現在医療の問題点は様々ありますが、そのなかでも医療がマニュアル化されてしまっていることはとても残念な点です。こういう症状にはこういう処方をするというガイドラインに沿って多くの治療がなされていますが、理想の医療はそういうものではないと思います。
(理想の医療ができないという点については、患者側の勉強不足により医師が余裕のない診察をせざるをえないことも大きな原因なのですが。)
しかし「この症状はどうして起こるのか」「本当の原因はなんなのか」「症状が激しいことが本当に病気が重いということなのか」「目先の症状を抑えるのではなく、病気そのものを治したい」といったことを考えながら診療されている先生は、松本先生が初めてでした。
本当に松本先生は天才です(笑)先生のHPは寝ずにすべて読みました。難しくて理解できないとこともありますが。とてもすんなり受け入れられ、私の30年間の体の経過がこういうことだったのかと納得できました。
以下私の今までのアトピー歴です。
物心ついたときはアトピーで、薬を塗るのが当たり前であった。
小学生
顔に薬を塗って登校すると「お前の顔、てかてかだな。なにか塗っているだろ?」と冷やかされたのを覚えている。
症状は、顔や肘の内側にかゆみや軽い湿疹があったが、それほど苦しかった記憶はあまりない。薬を塗るのは日常的で、何の薬を塗っていたのかは分からないが、おそらくステロイドは入っていたと思う。
中学生
この時期がかなりひどかった。全身がかゆく、特に顔はぼろぼろでお化けのよう。授業中もかゆくて机の上でぼりぼりかきむしり、机の上は皮だらけで隣の席の子から嫌そうな目で見られたのがつらかったのを覚えている。
母が友達からいい皮膚科があると聞き、その皮膚科にかかるようになってから劇的によくなって楽になった。(もう少し大きくなって知識が増えてから処方箋を確認したら、ステロイドが入っていたから、当たり前のことでした。)
それからしばらくは自分がアトピーであることを忘れるくらい、薬を塗っていれば普通の生活であった。
高校生
アトピーの症状は薬を毎日塗っていたから安定していた。花粉症がひどくなった。ずっとくしゃみと鼻水が止まらなかった。
カップラーメンを3日程続けて食べたら頭にかさぶたがいっぱいできた。
大学生
一人暮らしを始めたら症状が一気にひどくなった。食生活がひどかった。
コンビニのお弁当ばかり食べていたからかもしれないと思う。
実家に帰って母親のご飯を食べるようになると症状は治まっていったけれど、ステロイドの塗り薬は相変わらず塗っていた。
社会人
看護師として働き出す。ストレスからか、症状は悪化するが、皮膚科でステロイドが処方されるのを毎日たくさん見ていたので、なんの疑問も抱かず自分も塗っていた。
結婚
結婚してから約5年間、皮膚科に勤めることになる。最初は毎日大量のステロイドが患者さんに処方されるのを見て、それが当たり前だと思っていた。
1年たち、2年たち、どれだけ薬が処方されても治らない患者さんたちをみていてようやく疑問に思い始めていた。
このころがおそらく一番強いステロイドを日々塗っていた時期だと思う。
抗アレルギー剤やステロイド剤も内服していた時期が少しあったが、飲んでも治らないと思い、内服薬はやめた。体中に湿疹が出てはステロイドを塗って抑える目々だった。
離婚
結婚生活の中で激しいストレスからか体調を崩し、アトピーの悪化でステロイド漬けの日々であり軽いうつ状態の自分に、一人娘のためにもこのままではいけないと気持ちを奮い立たせ、離婚を決意し娘を連れて実家に帰った。
あいかわらず強いステロイドを毎日塗っていた。離婚後から環境ががらっと変わった。子供を幼稚園に預けて保健師として働き出した。この2年半で様々なことを勉強した。自律神経、酵素栄養学、マクロビオティック、添加物、ゾーン理論、心理学等々。そして今の生活スタイルが出来上がった。とにかくできる限り自然の摂理に従うこと、それが自分の生活の基本姿勢になった。今考えるとそれらのことで食事から摂取する化学物質や身の回りで使うものの化学物質はかなり減ったと思うし、体のバランスが徐々に整っていくのを感じていた。
ステロイドを使う量は徐々に減り、強さも一番弱いものになっていた。
また人から見えない部分に出た湿疹は何も塗らずに放置した。2年がたった今は体にはほぼ湿疹が出なくなった。最後に残ったのは手と顔と首のひどい炎症と軽い喘息、花粉症。どれもステロイドや抗アレルギー薬を使ったところばかりだった。
内視鏡室勤務
このころは最も弱いステロイドをちょこちょこ塗る程度だったが、内視鏡室に1年半勤めることになり、手荒れがひどいことからステロイドを塗ってからビニール手袋をして仕事をする目々だった。今考えるととんでもないことでぞっとしてしまう。ステロイドを手にパックしているようなものだった。
内視鏡勤務が終わって、あまり手にステロイドを塗らなくなってから、少しずつ手に変な症状が現れ始めた。水ぶくれ、あかぎれ、浸出液がでてくる。今考えるとステロイドを塗らなくなったことにより免疫力が回復し始めてヘルペスと戦い始めていたのかもしれない。
松本漢方クリニックヘ
ステロイドはどうもおかしい。その思いが強くなり、自分で離脱に踏み切った。3か月ほどは何とかなったが手、顔、首のかゆみ、浸出液、痛みで耐えられなくなってきたところで、松本漢方クリニックを知りHPを寝ずに読んで、これだと思った。数週間後大阪へ。アトピー治癒への道が開けた。漢方を飲み始める。
1日目
顔が真っ赤になる。手は少し皮がむけ始める。
すごく不思議だったのは、食欲が抑えられたこと。いままで食べても食べても満腹にならないのが悩みだったが、三食の普通量の食事で満足できた。
メンタルも落ち着いた。いままでの私だったら、皮膚がひどくなるとふさぎ込んだりあわててステロイドを塗ったり家族に当たったりしていたが、こんな状態で家事もできない私に代わって野菜ジュースを作ってくれる父や、「こういうときは仕事なんて1週間くらい休んじゃいなさい」と私の選んだ道を応援してくれる母、真っ赤な私の顔に頬ずりしてくれる娘に感謝の気持ちでいっぱいでした。いままで自分がどれだけわがままで身勝手な考えをしていたか、身をもって教えられた。みんなありがとう。
4日目
顔が真っ赤で、ぼこぼこしていた。首にもじんましんのようなぼこぼこ、ぶつぶつができた。手は皮がむけ始めた。小さい水ぶくれがどんどんできてはつぶれて黄色いリンパ液やべとっとした体液が出てきた。
5日目
顔が真っ赤で外出もできず、仕事を休んで引きこもっていた。精神的にずいぶんへこんで心が折れそうになった。が、家族が支えてくれた。両親が「いざとなったら仕事はやめてしっかり治療して、また働けばいい」と励ましてくれた。
6日目
朝顔を見ると、ずいぶん赤みが減っていた。手の皮がぼろぼろむけました。
漢方がなくなるので先生に電請しました。検査結果と「喘息がアトピーになって治るから」だけ言われた。皮膚の症状は何も聞かれなかったのがおかしくて、電話を切った後笑ってしまった。皮膚科の先生で皮膚の症状を見ない、聞かない先生は初めてだった。先生のHPを読んでいない人だったら、不信感を抱くかもしれない。でもひどい喘息発作がなければあとは気にしなくていいということととらえることができた。HPはすべて印刷し本にして持ち歩いていたので、また最初から読み直し始めた。
7日目
夜中ひどいかゆみで何度も目が覚めた。掻きたいだけ掻いた。朝起きたらそれほどひどくはなっていなかった。朝シャワーを浴びた後、目の周りのひどいかゆみに襲われた。2時間ほどで和らぎました。
手にできる小さい水ぶくれは増えた。赤い薬を塗った後数時間すると皮がぼろぼろむけた。
2週目
顔の腫れはだいぶ引いたが、まだ赤みが残っていた。この週は顔よりもだんだん首がひどくなり真っ赤でぼこぼこだった。手はかゆみもひどくかくとリンパ液が出て痛い。手がぴりぴりするが、ヘルペスと戦っていることが分かっていたので特に気にしない。手のひらにはさらに大量の小さい水ぶくれができた。
手の甲や指は皮がぼろぼろむけたので、楽しんで剥いた。この週は仕事が大変だった。採血や予防接種などの仕事でビニール手袋をしなければならず、困った。どんどんひどくなりこのままでは仕事ができなくなると思うと焦った。
課長がアトピーに対して理解がなく、手が使えなくなると解雇するとまで脅されたが、直属の上司や仲間が進んで仕事を代わってくれたり励ましてくれたためなんとか乗り越えた。毎日先端を切った綿の白い手袋をして仕事をした。
仕事途中で急にかゆくなりかきむしって白い手袋が黄色いリンパ液でぬれ、何度も手袋をかえた。注射の仕事の時はこの上からビニール手袋をしてやった。
母が毎日私が仕事から帰ると漢方を煎じてくれていて、白の綿手袋も漂白して洗ってくれたことは本当に助かった。
14日目
週末だけ漢方風呂に入った。2回目に入った後赤の薬をぬってしばらくするとす一っと首の痛みやかゆみ、ぼこぼこした感じが引いて気持ちよかった。
21日目
少しずつ顔の赤みが消えてきた。首から鎖骨下にかけてひどいかゆみと赤み、腫れぼったさがある。手は相変わらず、少しかゆみが引いたかと思うとひどいかゆみに突然襲われ、見ると新たな水ぶくれがたくさんできていた。私の免疫が回復し始めてヘルペスと戦ってくれているのだなとうれしかった。仕事ができなくならないよう用心しながら掻いた。全体的にごわごわした感じはまだ抜けない。何年も皮膚科に勤めて患者さんにステロイドを素手で塗っていたことや、看護師時代にステロイドを塗ってからビニール手袋をして仕事をしていてことでステロイドを相当浸透させてしまっていたのだろう手の皮膚はなかなか正常な皮膚の作り方を思い出してくれないのかなとひどいことをしてきたことを反省した。とにかく今、見た目はひどい状態だけれど、私の皮膚におこっている現象が正しいのだと自分に言い聞かせた。
1ヶ月
顔の赤みがほぼ消えた。まだかゆみは時々あるけれど、掻いても皮膚が破れたりすることもなくなった。首も少し腫れぼったさがなくなったが、まだまだかゆみが出ては掻いて皮膚が破れた。手は水ぶくれができなくなってきた。おかげでじくじくした感じがなくなり乾いてきたのでだいぶ楽になった。が、指の関節のごわごわした感じはまだまだあり、時々ひどいかゆみにも襲われた。
3ヶ月目
白い綿の手袋をしなくてすむようになった。ひどいかゆみと水ぶくれができては皮がむけるのを10回以上繰り返し、ようやくリンパ液が出なくなった。
4ヶ月目
関節のごわごわ感がなくなった。少し手が荒れた人くらいになり、精神的にもとても楽になった。ところが肘窩の湿疹がでてきた。小さいころステロイドを一番塗っていた部分だからなのだと思う。
続きはまた治ってから書こうと思います。先生、もう少しお世話になります。
手記
私は1977年に福島県に生まれました。私がアトピーと診断を受けたのは、保育園に通っていた頃と母に聞いています。
今まで何十もの皮膚科にかかりました。私は皮膚科に行くのが大嫌いでした。なぜなら、アトピーを治してくれないからです。幼い頃は母に連れられて行くのですが、医者の答えはいつも同じで、「大きくなったら治ります。」とか、「薬(ステロイド)をきちんと使ってください。きちんと塗らないから治らないのです。」を言うばかりでした。ステロイドを塗ればなるほど良くなります。しかし暫くするとまた湿疹が出てきます。それの繰り返しに不信を抱いた母は薬を塗るのを控え、医者にその不安を伝えると「あなたに何がわかるのですか!きちんと薬を使わないから治らないんだ!」と母を責め立てました。
また、別のほとんどの医者は私の顔を見る事もせず、私からの質問を拒絶する態度を見せ「塗り薬(ステロイド)を出しますのできちんと塗ってください。」で終わります。まさに一分診療です。私は幼い頃から大人になってからも皮膚科に行った帰り道にはよく泣きながら帰りました。そして私は確信しました。医者はこの病気を治してくれないと。医者の中にははっきりと「アトピーは体質なので治りません。ステロイドを使いながら一生付き合っていかなければなりません。」と言う医者も数人いました。それでも母は諦めず、私に健康食品や健康器具を買い与え、なんとか治そうとお金を沢山使いました。
私は大人になってから、皮膚科は薬をもらいに行くところだと割り切るようにしていました。医者は薬出しマシーンだと思えば何を言われても辛い感情を押し殺すことができました。思えば私の人生はアトピー主体の人生でした。
何をするにもアトピーが邪魔をします。他の人達と同じスタートラインに立てず、身体が醜い自分がとても嫌いでした。今思えばとても幼い考えだとは思いますが、小学生の頃から自殺願望がありました。とは言っても死ねるはずはありません。高校時代には、どうせ治らないなら、薬を使って普通の体に見せかけ、普通の人のように自分のやりたい事をやろうと決意しました。
自分らしく生きるために太く短い人生を選択しました。
薬を使っていてはいつか身体がボロボロになると承知の上でした。
高校を卒業してから上京し、一人暮らしを始めました。それからは薬を使いながら自分のやりたいことをやり、無我夢中で生きました。貧乏でしたが充実した日々でした。しかし、あまりにも忙しくしていたのと、薬の副作用が重なり夢を断念せざるを得ませんでした。25歳の時でした。頑張って順調に上ってきた道もアトピーにより閉ざされました。その悔しさは半端なものではありませんでした。才能や努力ではどうにもならないものがあると再確認しました。
その頃使用していた塗り薬はマイザー、リンデロン、プロトピック、プロペト、ヒルドイド、飲み薬はセルテクト、慢性蕁麻疹と診断された時は加えてジルテック。減感作療法も試しました。身体の不調からアルバイトも長時間労働ができず、家ではほとんど寝ていました。生活費を稼ぐので精いっぱいの日々、このまま寝たきりになるのを待つだけでした。それでも後ろ髪を引かれる思いで東京に居続けました。思った通り体調が悪化しながら数年経ち、このまま動けなくなり親や兄弟に世話になるのだけは避けたかった私は、結婚をするしかないと考えました。もちろん相手を選ぶ権利なんてアトピーの私にあるはずもありません。私を気に入ってくれた相手に条件をつきつけました。私の故郷に帰ること、子供は望めないこと(プロトピックは妊婦・授乳中はNG)、遠くない未来に寝たきりになり要介護状態になること(薬の副作用)、意見が分かれた時は全面的に私に譲ること(相手を選べない私の最低限のプライド)等です。その条件を全部のんだのが今の夫です。病気がなかったら結婚なんてしなかったと思いますが、私は30手前で結婚をし、余生を送る事になりました。
その頃の私は常時脱力感があり、また度々気分が悪くなり一日中横になって過ごしていました。とにかく原因不明の体調不良により一日の稼働時間が短く、普通とは程遠い生活をしていました。鬱や情緒不安定などの症状もでていて、気力はなく廃人同然でした。昼過ぎに起きて近くのスーパーに買い出しに行き、夕飯を作るのが精いっぱいでした。結婚生活は条件だけで結婚したので紆余曲折ありましたが、自分の身体と向き合う余裕はできました。このまま寝たきりになるのを悲観していたある日、本屋でアトピー治療の本を見つけました。やはりステロイドを推奨している本が多くありました。しかしその中に脱ステロイドを推奨している本を見つけました。早速購入して読みました。本当にステロイドを止められるなら再起できるかもしれない、真っ暗闇に小さな光が見えました。私はリバウンドを覚悟でステロイドを止めました。2007年2月21日の事でした。プロトピックは止めず、本に書いてあった通り、シャワーを数日に一回にしました。ステロイドを止めてしばらくして皮膚はガサガサボロボロになり、夜眠れないほど痒い日々が続きました。痒いのも辛いですが自分の皮膚が人間とは思えないくらい醜いのが辛かったです。しかし、体調不良は軽減し起きている時間が長くなっても辛くなくなってきました。
それは嬉しく感じましたが、波があり、その後も胃の不調などの体調不良はありました。顔に塗っていたプロトピックもイタチごっこが嫌になり思い切って止めました。身体に続き顔も酷くなり、口は開かず、首を動かすのも大変でした。グジュグジュして扱いづらいリンパ液も出ていました。顎の下あたりにしこりができて痛く、癌かと焦りましたがおそらくリンパの腫れだったのだと思います。その頃書いていた闘病日記の内容は全部書ききれませんので省略します。その頃、貧乏でインターネットと無縁だった我が家でしたが、遂にインターネットを導入しました。早速アトピーや脱ステに関する情報を調べているうちに松本漢方クリニックのホームページにたどり着きました。もっと早くインターネットを導入していれば人生が大きく変わっていたのかもしれません。猜疑心の強かった私ですが、患者さんの手記を読み、すぐに本物と確信し、松本医師の論文を読んで納得。生まれて初めてアトピーについて納得する答えをくれたのが松本医師でした。アトピー以外では風邪もあまりひかず丈夫な私でしたので、アレルギーは病気なのかと不思議に感じていたことが何度もありました。子供の頃からアトピーで、薬を使い、止めてはまた酷くなるということを繰り返し、これは薬を使っているからよくならないのではと薄々思ってはいました。これほどスッキリと納得のいく答えを教えて頂き頭の中のモヤモヤが一瞬で消えました。周りに流されず自分の信念を持ち正しく患者を治療し続ける松本医師に感銘を受けました。2007年9月4日に松本漢方クリニックを訪ねました。
9時半からの診察ということで8時半くらいに松本漢方クリニックに着きました。
扉の前に「当医院ではステロイドを使用しません。ステロイドを欲しい方は他の医院か薬局へ行ってください」との張り紙。インターネットで見たとおりでうれしくなりました。しばらく待っていると医院の方が扉を開けてくれました。中に入ると漢方の匂いがしてこれもネット情報通りでした。待合室にはたくさんの患者さんの手記があり、読みたかったのですが間もなく呼ばれました。母と看護師さんの話を聞き、またしばらく待合室で待つと名前を呼ばれ、診察室に母と入りました。松本医師はネット情報通り白衣は着ておらず大声で、壁には「怒るな!こどものため。」「政治の話はするな!」などの張り紙、ネットでいろいろ知っていた私は思わず笑ってしまいました。松本先生は私が見てきた医者とはまるで違いました。話を聞き答えをくれます。何気ないいろいろな話もしてくれます。母と私は笑いが止まらなくなったくらいです。そして必ず治るからと握手して下さいました。とても嬉しく本当に大阪まで来て良かったと思いました。その後、漢方を買って、処方箋をもらって帰路につきました。
松本漢方クリニックが近くにあれば、通院して先生にパワーをもらったり、手記を読んだりできるのになあと思いました。
早速煎じ薬と赤い薬、消毒と漢方風呂を開始しました。9月15日くらいから症状が酷くなり、顔や体全体にぶつぶつが出て痒い。痒くて眠れず、首は動かしたり空気に触れたりしただけでも痛い。ネットで読んだ手記の通り強いリバウンドの始まりです。自分でステロイドを止めた時よりもずっと激しいリバウンドでした。私は25年くらいステロイドを使っていたので、リバウンドも強いし、良くなるのにも相当の月日がかかると覚悟していました。その頃の闘病日記を読むと辛かった当時を思い出し涙が出ます。とにかくゾンビ状態で、痒い痛い辛い。リンパ液に悩まされ、痛くて動けず一日中身をこわばらせ、半介護状態、夜も眠れず、一日が異常に長く感じ、拷問のようで、死にたいと何度も思いました。しかし松本先生の言葉を思い出し、いつかきっと良くなると気持ちを奮い立たせました。途中ヘルペスにもなりましたが松本先生にすぐ相談し薬を送って頂きました。私は遠方で松本漢方クリニックには3回しか行っていませんが、電話で先生とお話もできるし薬も送ってくれます。とてもありがたいことです。ましてあのゾンビ状態で大阪まで行くのは至難の業です。このリバウンドの時期は実家で過ごしました。両親には大変世話になり、本当に感謝しています。父も漢方風呂を一日3回沸かしてくれました。両親は親身になって私を励まし続けてくれました。早く良くなって恩返しがしたいといつも思っていました。この時期の細かい症状を書くと切りがないので省略します。
その後は酷くなったり、少し良くなったりを繰り返しましたが、私が普通の生活を取り戻せたと実感したのは2009年2月、アルバイトを始めた頃からです。松本先生の言うとおり、ステロイドを長年使っていたところが治りにくく、わたしの場合は肘の裏側からアトピーが始まったので、そこと腕の付け根の背中側、首はしつこく痒みが出ました。でも薬付けだった時の廃人のような生活ではなくなり、朝起きて一日仕事をし、夜寝るという普通の生活ができる喜びを日々感じていました。原因不明の体調不良はなくなり、見た目もパッと見は普通の人間に見えるようになりました。温泉にも堂々と行けるようになりました。とてもありがたいことです。2010年9月には都会から福島に戻り、夫が開業し、私も専従者として働くことになりました。自営業ということもあり、フルタイムどころかそれ以上働きました。普通に働ける事が夢のようでした。その頃は煎じ薬を飲むだけです。幼い頃から風呂上がりにはほぼ全身に保湿クリーム(ステロイド含む)を塗っていた私が今は何も塗らなくても平気になりました。顔にも化粧水すらつけていません。出かける時はパックスのUVクリームを塗り、ファンデーションはつけません。化粧品代が掛からずエコな感じです。
2011年2月初旬に松本漢方クリニックに電話し、先生とのお話のなかで普通に仕事ができていることを告げると、手記(中間)を書くように言われました。やっとその時が来たと、とてもうれしく思い、きちんと書きたいと強く思いました。
私たち夫婦は子供を作らない約束で結婚しましたが、時の流れは状況を変えました。薬も止め、両親も孫を見せてくれと言うし、夫も私もなんとなく子供が欲しいと思うようになりました。私も若くないので、松本先生に手記を書くように言われ、勝手な判断で申し訳ないのですが、妊娠してもいいような錯覚に陥り、2月下旬に妊娠しました。
そして2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。私は事務所で仕事をしていましたが、あの時の地震は立っていられない程の揺れでした。私の実家は海から50メートルくらいのところでしたが庭に水が来たくらいで、なんとか難を逃れました。隣村は津波で壊滅状態でした。地震と津波は天災で避けることはできませんが、原発事故は人災です。原発が爆発し始めたと聞いた時はもう終わったと思いました。それと同時にものすごい恐怖でした。わたしの住んでいるいわき市は原発から45キロくらいの場所です。断水のなか籠城していましたが、3月15日4号機が爆発、私たち家族は会津若松の旅館に避難しました。その後夫の実家(栃木県)に避難しました。ガソリンもなく片道切符で、電車が動いている駅にギリギリ辿り着くという状況でした。リバウンドの強い時期にこんな災害にあったらと想像するだけでゾッとします。私は妊娠初期ということもあり、放射能の影響を考え、中絶を考えました。しかし両親や夫に反対され踏み止まりました。一難去ってまた一難、子供には病気で苦しんで欲しくないと強く思っていた私は不安で仕方がありませんでした。
しかし不安だからといっていつまでも仕事をしないわけにもいきません。子供のために移住も考えましたが、両親も地元に留まると言うし、いろいろなしがらみもあり断念せざるを得ませんでした。国は福島県民をモルモットにするつもりのようです。日本国民として納税の義務を果たしていますが、権利はどこに行ってしまったのでしょう。夫は4月に地元に戻り、私は5月の連休明けに戻りました。順調にいっていた事業は赤字が続き、放射能の影響で両親は畑仕事ができなくなりました。原発事故は人間の生きる源である自然を破壊しました。自然が豊かで魚は豊富、野菜や米もおいしい田舎の良さが奪われました。原子力はクリーンなエネルギーとうたっていた国や東京電力が今は福島を汚染地帯と呼びます。無知な田舎の民を金という餌で釣っていいようにあしらい、都会の電力を作らせる。莫大な経費をかけながらなぜ何百キロも離れた場所に原発をつくるのか、それは危険だからです。こんな危険なものを今も推進している人がいるのですから不思議です。しかしその人も自分の庭には作りたがらないでしょう。話がアトピーとは関係ない話にそれてしまいました。しかし上に立つ人達の安易な考えで沢山の人が苦しむ構図は、アトピーのステロイド治療と似ている気がします。金や名誉も大事かもしれませんが、自然や健康がなければ何の意味もないと私は思います。根本の部分を見ず、目先の欲に溺れる指導者に憤りを感じずにはいられません。
私は幸運にも松本漢方クリニックのホームページに辿り着き、これがアトピー治療の答えだとすぐに気づき松本漢方クリニックを訪ねましたが、今も間違った治療で身体を蝕まれていっている私のような人がいると思うと苦しくなります。人生台無しです。私の人生も台無しです。でも松本先生や両親のおかげで、
第2の人生を歩む事ができています。今はそれを幸せと思って生きています。
子供は2011年11月20日に生まれ、今は3カ月になりました。
私は今も福島にいますが、原発事故後では本当に子供を諦めなければならなかったと思います。原発事故当時は妊娠していた事をタイミングが悪いと思っていましたが、今は逆にタイミングが良かったと思うようにしています。出会えないと思っていた我が子に出会えたのですから。放射能はとても怖いですが、こうして普通の人と同じように生活できるなんてステロイドを使っていた当時は考えられなかったです。ステロイドは麻薬のように身体を蝕み、止めると症状は必ず悪化します。しかし漢方はステロイドとは全く違います。原発事故後は避難や妊娠、事業の再建、出産、育児とバタバタしていて煎じ薬を飲めませんでした(言い訳ですが)。しかし症状が悪化することはありませんでした。
私は漢方の素晴らしさを再確認しました。今は授乳中ということで、煎じ薬を飲んでいいのか悪いのか等をまた松本先生にご指導願いたいと思っています。治療が中途半端になっている事と手記をずっと書かなかった事を大変申し訳なく思っています。原発事故から1年が経とうとしている今、子供も3ヶ月になり生活がようやく落ち着いてきました。また自分の身体と向き合い、最後まで漢方を続けたいと思っています。松本先生は死ぬのを待つばかりだった私に生きる喜びを与えてくれました。子供に出会えたのも薬を止めて体調が良くなったからです。本当に感謝しています。これからも悩めるアトピー難民の救世主としてお元気で活躍してください。最後に私の身勝手で自己満足な言い分が沢山書いてある長文を読んでくださりありがとうございます。
これを期にアトピーで苦しんだ第1の人生を思い出にして、これからは前を向いて生きて行こうと思います。
「松本漢方クリニック手記」33歳男性2005年10月31日
松本漢方クリニックの手記は量が膨大でありますし、さまざまな症状の方のものが合い混ざっております。私は手記の全てが参考になるとは思えなかったので、いつも自分に近い条件の人のものを拾い読みしておりました。まず私の症状とここに通うまでの経験を申し上げますので、参考にしてください。
- 現在 年齢33歳、男、松本漢方クリニックに通って1年と5ヶ月
- 生後まもなく症状が現れ、5歳ごろには湿疹が強く出ていた。
- 以後、主にアトピー性皮膚炎、アレルギー性鼻炎を慢性的に患う。
- 中学から大学(=13~22歳)まで運動部におり、その期間は比較的症状は経度であった。
- 高校時代には、結膜炎を経験した時期があった。
- 大学卒業後就職した会社では、内勤の部署に配属される。それ以降症状は強くなり、ステロイドの塗り薬と、錠剤を使用していた。
- 従来通っていた病院はすべて西洋医学の皮膚科であり、短期的に症状は改善されるものの、完治しないことから、医者の発言にも処方される薬にも信頼を失くしていた。
- 症状は局部的であり、人目につかない箇所だったが、昨年の春から、瞼にかゆみが生じ、黒くなってきた。本格的な治療を希望していたので、漢方は胡散臭い存在であったが、西洋医学のアプローチは信用できず、妻がHPで見つけてくれた松本漢方クリニックに通いだした。
現在の私はまだ治療の途中なのですが、3回目の血液検査の結果、IgEや個別アレルゲンの数値が落ちてきたせいなのか、松本先生に手記の提出を依頼されましたので、「ここの病院に通っていいのだろうか」と思い悩む方々に向けて書くことに致します。
正直に書くように言われましたので、松本漢方クリニックの感想を率直に申し上げますと、松本漢方クリニックは多くの開業医院とは異なり、患者を乱雑に扱います。また多くの大学病院と同じく、医師は横柄です。ここまで待合室の患者が混雑する状態が継続的に発生しているのに、待ち時間の改善策については有効なものが出ませんでしたし、多くの患者が診察を待っているのに、時事問題などの世間話を持ち出されたこともあります。また一方的に早口に話されるまま、短い時間で診察を打ち切られることがしばしばありました。こちらが何度質問しても、明快な回答を得られたことはほとんどありません。
診察のために長い待ち時間を費やしても、釈然としない気分になって診察室から出てくるだけであり、診察の必要性も感じないようになっていましたので、私は途中から診察を受けずに薬をもらいに行くだけにしました。処方される薬は、同じ種類の煎じ薬と粉薬、赤い塗り薬でした。他の漢方の医院では、患者の症状の変化に合わせて煎じ薬の内容を変化させていることに比べると、物足りなさや不足を感じました。
しかし私は、医師の人柄や、対応のきめの粗さに我慢し、今後も通院し続ける予定です。それは松本漢方クリニックのHPを通じて拝読した「理論」を信用しているからです。私は医学の知識がありませんので、松本理論の価値が分かっておりませんが、あのシンプルさは胸を打つものがあります。ステロイドを必要悪と認めている現在の医学会の中で、ステロイドを完全否定する松本理論はユニークで、「かけてみよう!」という気にさせるものであります。またこれまでの血液検査の実績も、松本理論を裏付けております。
以上、松本漢方クリニックのメリットとデメリットを正直に申し上げましたので、通院するかどうかの判断の参考にしていただければと思います。
以上
私がアトピーと診断されていたのは、小学生の頃からです。肘の内側がいつも痒く、痒みがひどくなると、近所の皮膚科にいっては、塗り薬(多分ステロイド)を貰い、少し塗ると、綺麗に治っていました。就職するまでは、その繰り返しでした。
今から6年くらい前に、目の周りにポツポツと湿疹ができて、あっという間に、顔が真っ赤にはれました。そして、いつも行っていた皮膚科に行きました。そのときに、またステロイドの薬を貰ったのですが、新聞などで、ステロイドの怖さを少し知り始めていたので、なかなか塗れずに悩んでいました。その頃、友達に松本漢方クリニックを紹介してもらい、行ってみました。
漢方薬の臭いが辛くて、逃げ出したいときもありました。臭いが辛くて、戻してしまうことも何度かありましたが、鼻をつまんで飲みました。皆さんの手記を読んで、覚悟はしていましたが、2月程たった頃から、赤い湿疹ができて、とてもとても痒くなりました。顔や肘の裏はもちろん、今までアトピーができたこともない、足の甲、ふくらはぎ、ふともも、乳首なども、痒くて痒くてたまりません。掻くと、黄色い汁がでてきて、とても悲しい気分の日々が続きました。そんなときは、皆さんの手記を読んで、励まされ、がんばることができました。
私のIgE値は、皆さんと比べると、さほど高くなく、症状も比較的軽かったような気がしますが、よくなってくると、せんじ薬をサボってしまうのがよくないのか、なかなか完治しません。季節の変わり目には、花粉症の症状がでたり、皮膚がまた赤く痒くなったりします。
近頃、また症状が軽くなり、妊娠したこともあって、またせんじ薬をサボっていますが、妊娠中や出産後のことでも、相談にのって頂きたいので、また松本先生の所にいきたいと思います。きっと子どもにも、何らかのアレルギー症状は遺伝するかとは思いますが、絶対にステロイドは使わないでおこうと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
この手記を書くことに、どう向き合ったらいいのかなぁと、ずうっと考えていたのですが、まず書いてみることにしました。私は、生後4ヶ月からこのアトピーと共に過ごして来たので、もう33年間の付き合いになります。
33年間のなかの約20年間は、何らかの形で、ステロイドと関わってきました。幼い頃から、「これは、軟膏です」と言われ続け、言われるがままに、塗っていました。その薬を塗っている時に、母はこう思ったそうです。――顔には塗らないでおこう――手や足、背中など、痒いところには、少量とはいえ、痒ければ痒いほど、その痒みを取ってもらいたい一心で塗っていたように思います。塗っても治らない、時には酷くなる、ということを疑いもせず。
治らないと言う事を小中学校、高校と思いながらも、薬の事など疑う事もせず塗っていました。塗れば、一旦治まったように見えるので、酷くなってきた、と思えば塗り、薬が無くなった時にはすぐに病院にも行きました。
思春期で、ホルモンに変化が出れば、治る人がいる、とも言われましたが、
治る事などありませんでした。湿疹が抑えられたように見える事はあっても、治ったなんて思えた事はなく、そして私が高校生のときだったと思います、薬について、医師の説明が必要になったのは、そこで初めてこの薬、ステロイドの塗り方を知った時は驚きました。「一日塗ったら、二日空ける。」と書かれてあったのですから・・・そんな塗り方、誰も教えてくれたことない・・・と私は思いました。そして20歳を過ぎた頃、親戚の人に、松本先生の事を、漢方薬と言う事で行ってみる事にしました。今まで、治る、治す、と言われながらも、治った事などなかったので、最初から半身半疑と言うのが、正直な私の気持ちでした。実際に松本先生と出会い、すごくストレートにものを言われる方だなぁ・・・と今でも忘れません。
「20年前塗ってたんやから、治るのには倍の40年かかると思っとき・・・と。」
この言葉を聞いて、どうしょう・・・とも思いましたが、不思議と信じることが出来ました。漢方薬を飲み始めてすぐに、今まで隠れていた深い部分からも出始め、働いていたので職場でも日々とまどいながらも、リバウンドの日々は続きました。松本先生に予め、リバウンドの事を教えてもらっていたので、頑張る事が出来たように思います。周囲の人には、ただ酷くなっているようにしか見えなかったみたいで、よく心配されたものです。私自信も、もちろん不安はありました。手や背中など化膿して、皮膚に穴が空いたようになっていくんですから・・・。あれがリバウンド!!ステロイドだと思うとあんなふうになるのは、もういやです。松本先生の所に通うようになってから、自然と思うようになりました。「ステロイドは、いりません。この薬には、入っていませんか?」と、違う病院(風邪をひいた時に行く近くの病院)に行っても、医師にも言い、薬剤師の方にも再度、聞く、聞けるようになりました。身近な所にステロイドは、あるんだと言う事もしりました。以前は1000を軽く越えていた数値も今では、300~400を行ったりきたりしています。薬を(煎じる方)きちんと飲まない私に、粉の方を・・・と付き合って下さる、松本先生に怒られ?!ストレートな言葉に、耳が痛いぁ・・・と思う事がありながらも、それが実は、ありがたくもあります。信じられるからでしょうか。
「アトピー手記」匿名希望36歳2007年11月5日
~松本漢方クリニックに出会う以前~
20歳頃、就職してストレスからか、うちひじが痒く、湿疹ができました。近くの皮膚科で薬(ステロイドだと思います)をもらい、荒れると塗っていました。
そのうち、夕方になると蕁麻疹がでることがあり、飲み薬(たぶん抗ヒスタミン剤)もでました。湿疹の箇所は、まぶた、首、脇などに増え、気付けば、24歳頃には、3本の薬(強さの違うステロイド剤と思います)を塗るようになりました。
薬を塗れば、すぐにきれいになりますが、ちょうどその頃、テレビで「ステロイドの依存症、ステロイドの副作用」についての番組を見て、初めて自分が怖い薬を平気で塗っていたことに気付きました。
その為、地元では評判のいい皮膚科に行き、今まで塗っていた薬を見せると、「あなたは、こんな薬を塗るほどひどくない。この薬はやめたほうがいい。」と言われ、「脱ステロイド」を勧められました。その時もらった冊子には、今までステロイドを使っていた人が、それをやめると、ものすごい副作用があらわれる、という事が、細かく書かれていました。覚悟はしていたものの、顔、首、体が、痒み、皮膚がめくれる、乾燥でがさがさ、予想以上のひどさでした。販売の仕事をしていましたが、あきらかにお客様の視線が、私の肌のひどさに驚かれているのが分かり、精神的にもまいり、1~2週間仕事を休みました。
今思えば、松本漢方クリニックの漢方薬、消毒、入浴剤、赤い塗り薬、抗生物質なしで、よく我慢できたと思います。確か、いったん、3ヶ月くらいで、脱ステロイドが終了したかのように、普通の肌に戻っていきました。
でも、甘いですよね。ステロイドの副作用は、そんなものではありません。
<その後、28歳結婚式、お化粧がしたい!>
その頃には、化粧をした次の日は、目がパンパンに腫れるようになっていました。でも結婚式だけは、きれいにしたい!おでこは、ステロイド肌になっていましたので、きれいにみせる為、結婚式の一週間前から、皮膚科でステロイドをもらい塗ってしまいました。(ばかでした。)
それからは、ステロイドを塗らず、化粧もほとんどしない生活でしたが、なんとか普通の生活を送っていました。
<30歳長女出産>
ついに、ステロイドの副作用、もともとのアレルギーもでたのでしょうか。授乳を続けているうちに、胸にものすごい湿疹がでてきました。痒み、痛み、授乳がつらい、粉ミルクに変えようか、悩みました。長女は3ヶ月くらいで夜泣きをせず、寝てくれるようになったのですが、私が夜寝る時の首、体の痒みで、なかなか寝られなくなりました。
家事をしていても、鳥肌がたつような痒みに襲われ、はかどりません。きれいに掃除がしたいのに、体の痒みで、掃除をする気になれませんでした。余計に痒みが増しそうだからです。体が温まると痒いので、昼寝もできませんでした。お風呂にも入れなくなりました。子供を連れて、外に遊びに行きたいのに、汗をかくと痒みが増すので、なかなか連れていけませんでした。下着は裏返しにして着ました。縫い目に肌があたるだけで痒い。着れる服は綿100%のみ。おしゃれもできない。冬なのに、体が温まると痒いので、いつも寒い環境にいました。セーターなんて着れない。
どうして私だけ・・・本当に死んでしまいたい、と思ってしまうほど日常生活が困難になりました。
<31歳頃、首に蕁麻疹がでる>
この頃、夜寝付けないのがつらくて、家に残っていたステロイドを、少し塗ったこともありました。
32歳頃、皮膚科でステロイドではない塗り薬や、ステロイドと同じような新しい薬が処方され、結局、脱ステロイドできませんでした。蕁麻疹の薬、抗ヒスタミン剤を、1~2ヶ月飲んでいる頃、だんだん薬が効かなくなっているのを感じました。
<途方に暮れる>
ふと、パソコンを開き、アトピーの治療、薬について、適当に見ていました。すると、今塗っている薬、飲んでいる薬が、危険であることを知りました。色々、検索していたら、松本漢方クリニックで治った。という文章にたどりつき、松本漢方クリニックのHPにたどり着くことができました!!!
1~2週間、松本漢方クリニックのHPを読み、色々考えました。とにかく、まずは、「今飲んでいる薬をやめてみよう。」と思い、止めて2日目の明け方4時くらい、口が腫れ上がりました。すごくおそろしくなりました。HPの手記の通りのことが、私の体におきていると思ったからです。
すぐに、実家の母親に電話して、泣きながら、「今日松本漢方クリニックに行きたい。もうここしか行く所はない。」と訴え、長女を実家に預け、新幹線で京都へ。口が腫れ、顔がおかしいので、帽子をかぶり、サングラス、マスクをしてでかけました。
電車の中で思いました。HPだけ見て新幹線に乗ってしまったけど、本当に実在するのかな、と。もしなかったら、もう終わりだ、
も、神様はいました。よかった、あった、
~松本漢方クリニックと出会う~
やっとたどり着きました。もっと早く出会っていれば、とも思いましたが、出会えただけでも、幸せなほうかもしれません。今現在でも、幼い子供に危険な薬を塗っている人がいると思うと、未来の子供達が心配でたまりません。
自分がアトピーでつらい思いをしたからこそ、病気や薬について、きちんと調べ考えて対応するようになったことは、良かったと思います。
2週間分の薬をもらい、帰宅。治療開始。嬉しかったのは、温かいお風呂に入れること。何ヶ月も、痒みが出ないように、体を温めていなかったから、お風呂に入れるだけで、普通の人になれた様でした。しかも、普通は掻いてはいけない。と言われるのに、掻ける。開放された気分でした。
<治療を始めて>
2日目までは、湿疹が治って良くなっていきました。しかし、3日目から、13日目までは、どんどんアトピーがでてきました。夜はほとんど寝れませんでした。睡眠薬を出していただけると言われましたが、もう少し頑張ってみようと思い、断りました。その1日か2日後に、夜寝る事ができるようになりました。
薬湯に入ると、痒みが出て、傷口が早く治り、お肌が潤います。とても柔らかいお湯です。それで、夜の痒みを出し切ってくれるおかげで、よく眠れます。アトピーの人にとって、夜の痒み、地獄ですよね。
しばらくたって、薬湯に入って30分後、蕁麻疹が、首、うで、上半身にものすごく出るようになりました。毎日約半年くらい、出ました。つらかった。一体、いつまで、出るのか、子供が寝てから、夜な夜な薬湯に入り、出ると蕁麻疹が多少治まるまで、2~3時間は痒みと違和感で、眠れませんでした。
<子育てをしながら、治療をする。>
現在も、痒みがひどい時、湿疹がひどい時、季節の変わり目、汗をかく時期は、薬を送ってもらい、乗り切っています。経済的な理由もあり、お薬は大事に使わせてもらっていますので、調子のいい時は、赤い塗り薬だけで、生活しています。赤い塗り薬だけで、人並みな生活ができるようになったのは、本当に松本先生のおかげです。お化粧もできるようになりました。おしゃれな服もきれるようになりました。まぶたの赤みも消えました。ゆっくりですが、ステロイド肌から、元々の自然な肌に戻ってきているのがわかります。
これからも、お薬のお世話になると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。やはり昔、強いステロイドを塗った、首や脇は、もう少し元の肌にもどるのに、時間がかかりそうです。それから、5才と2才の娘は、湿疹がでた時は、松本漢方クリニックの治療しかしていませんので、年々肌のトラブルはなくなってきています。
松本先生のおかげで、人並みの生活ができるようになりました。これからも、家族、実家の両親もお世話になります。どうぞよろしくお願い致します。
3才のときにアトピーと診断され、酷くなったら薬をもらって塗るという生活を続けていました。
19才の時に手の指にアトピーが出始め、いつも通り薬をもらいましたが何度塗っても治らずどんどん酷くなり5本の指も手の甲も真っ赤になってしまいました、松本漢方クリニックに通い始めた頃は子供の頃からのステロイドの影響ですぐに漢方薬の効果を感じることはできませんでした。
しばらくすると良くなり始め1年を過ぎる頃には痒さや痛みで眠れない日は激減していました。
2年半経った頃には驚くほど手がキレイになりほとんど薬を飲まなくなってしまいました。
その後、出産や子育てでさらに病院から足が遠のいて行きました。
妊娠中はいつもカサカサしていた首や顔はツルツルになり産後1年から少しずつアトピーが酷くなりました。
3人目を出産後、やはり痒みが出始め、数ヶ月後には腕が曲げられないほど悪化しました、もう1度漢方薬を飲み始めました。
少し動いただけで激痛が走り夜も眠れない日々が1年以上続き少しずつ傷が減っていきました。
まだ完全ではありませんが普通に暮らせるようになればと願っています。
手記が遅くなり申し訳ありませんでした。