「アトピー手記」T.F.75歳2005年1月10日
平成8年頃、私は、湿疹で、近くの病院にかかりましたが、病名も分からず、全治しませんでした。
平成14年の春より、平成15年春頃まで、京都の有名なアレルギーの病院を受診致しました。漢方薬とステロイドの軟膏を渡され、治療しておりました。はじめのうちは、少し快方に向いていましたが、結果は、全治に至りませんでした。
そんな時、息子が、インターネットで松本漢方クリニックのホームページを見つけてくれました。松本先生の理論によると、最強で、劇薬のステロイドが、原因である事を知りました。それで、とるものもとりあえず、早速駆けつけました。
これが、私にはよかったのです。松本先生から、「絶対に、治してあげる。」と力強い言葉を頂き、私も、絶対治ると感じました。
しかし、治療を続け始めると、前腕部等のかゆみがひどくなり、真夏には、眠れない日々がありました。皮膚はかさかさになり、象の足のようになりました。ひび割れするし、痒いし、痛いし、一時は絶望致しました。しかし、松本先生の「絶対、治してあげる。」と言われた言葉を信じて、辛抱に辛抱を重ねて参りました。
秋風の吹く9月頃より、少しずつ回復に向かい、12月に受診した時は、本当に楽になっていました。
松本先生にお会いしなければ、今でもステロイドを使い、一生苦しんだ事だと思います。本当に感謝しております。有難うございました。
「アトピー手記」匿名希望44歳2009年10月22日
物心がついたころには、背中や肘の内側、膝の後にアトピーが出ていました。その頃は「アトピー」と言わなかったのか、アレルギー体質とお医者さんから言われて、それは大人になったら治ると言われていました。
多分そのころから、母が市販で買ったフルコートFというステロイド剤を塗っていたのだと思います。アトピーが出たらステロイドを塗り、善くなったら塗らない・・・その繰り返しを小学校くらいまではしていたでしょうか。
その後肌は弱かったものの、結婚するまではほとんどステロイドを使用しなかったと思います。結婚してから指にアトピーが出て始め、あかぎれのようにとても痛いのに痒い状態が、良くなったり悪くなったりで、二人目の妊娠をきっかけに顔に出始めました。
その頃にはもう当たり前のように・・ステロイドを使っていました。
子供の検診か何かの時に、保健婦さんに大阪府の羽曳野病院がアトピーに良いと教えられて、3年間通ったでしょうか。弱いステロイドだからとずっと塗り続けていました。当然善くなることはありませんでした。ステロイドはよくないと分かりながらも、もうステロイドを塗らずには、いれない状態でした。
そんな時ご近所の人から、新大阪にステロイドを一切使わない病院がある、知り合いの子供さんもキレイに治ったと聞き、ステロイドの離脱がどんなものか分からず、軽い気持ちで通い始めました。ちょうど10年前のことでした。
それから、本当に壮絶な日々を過ごしました。全身に拡がり気が狂いそうなくらい痒い、痛い、傷はジュクジュクになり黄色い汁がでる、眠れない・・・ただただ耐えるだけでした。カポジ水痘様発疹症にもなりました。でもこの病院の先生に掻いてはいけないと言われていたので、掻くことに罪悪感を感じ、それでも掻いてしまい、後悔ばかりしていました。足が象の様に浮腫んだり、傷が痛くて外に出ることさえ辛い毎日でした。薬はツムラなどの粉の漢方薬・ビタミン剤。もちろん塗り薬は、ステロイドではないもの。そんな状態が2年ほど続いたでしょうか・・徐々に肌はキレイになり、顔の赤みも引き、ほぼ普通の人と変わらない生活が出来るようになったのです。
でも花粉や何が原因か分からないのですが、たまに悪化するときがありましたが、そんな時は、抗アレルギー剤を飲んでいました。飲んだかといって、善くなることは一切ありませんでしたが。
もうすっかりステロイドも離脱したはずなのに、アトピーは思うように善くならない。
ただ病院に薬を貰いに行くだけ・・・この病院で一番酷いときの私のIgEは6040でした。それが一番調子の良い時で2000弱まで下がっていました・・・いえ今思えば、そこまでしか下がっていなかったのです。
2年ほど前から、また急にアトピーが悪化し首がジュクジュクしてきて、それがだんだんと拡がっていき、腕・背中、とうとう顔にまで出てきました。
病院の先生は、花粉、ストレスが原因だというのですが、花粉の時期が終わっても善くなるどころか、徐々に拡がっていき背中、足、腕、手の甲、顔・・・掻いてしまうので傷だらけになってしまいました。夜は痒さで眠れず、明け方にウトウトしたらもう起きる時間。子供のお弁当を作らないといけないし、仕事をしていたので眠れないのでとても辛かったです。でもステロイドの怖さを知っているので、ステロイドを使おうとは一切思いませんでした。
9年間通った病院ですが、思い切って病院を替えた方ガいいのかな・・・と悩んでいた時主人がネットで調べていたら、松本漢方クリニックに辿り着いたのです。
早速パソコンを開きました。何かとても難しい理論が書いてあり、私は何度も何度も読み返しました。なんとなく理解できたようには思いましたが、手記を読んで正直一度ステロイドの離脱をしていても抗アレルギー剤などで免疫を抑えていたと言うことは、再びあのリバウンドがあるのだと思うと正直怖いような気持ちになりました。
でもこのままでは、せっかく子供の手も離れ自分の時間が持てるようになる、主人とも出かけられる、でもこんな体じゃ、外出することすら憂鬱・・・今度こそ本当にアトピーを治したいという気持ちで、松本漢方クリニックを訪れたのが去年の7月の始めでした。
インターネットの手記で読んだ、想像通りの医院と先生でした。ちょっとせっかちな先生ですが、優しく「必ず治してあげる」と力強く握手をしてくれました。
その夜から、再び戦いが始まりました。治療に専念するため、休職しました。
痒くて痒くて・・・特に首が外気に触れると痛い。足の傷が酷いので、立つとズキズキ痛むし、浮腫んで足が上がらない。いったん掻き出すと、気ガ狂ったように掻いてしまう。でも松本先生は「痒いときは掻いてもいい」というので、おもいっきり掻きました。あとで掻きすぎて血が出てそれが痛くて、多少の後悔はありましたが、掻くことの罪悪感がないだけとても気が楽でした。夜も眠れないので睡眠薬を処方して頂きました。睡眠薬なんて飲んで大丈夫なのかなと心配しましたが全然大丈夫でした。善くなってきたら薬なしでちゃんと眠れるようになりました。
何を質問しても返ってくる的確な答え、いつも診察のあとにしてくれる力強い握手・・・この先生とならアトピーを治せると確信しました。
精神的にはとても辛い毎日でした。こんな体の自分が情けない。主人や子供に不憫な思いをさせて申し訳ない・・・そう思うと涙が止まりませんでした。
「速く治したいなら毎日薬湯に5時間入りなさい。」先生にそう言われて2ヶ月仕事を休職している間、さすがに5時間は無理でしたが毎日3時間浸かりました。浸かりながらテレビを見たり、居眠りしたり・・・最初は少し苦に感じたときもありましたが、途中からはリラックスしながら入っていました。約2ヶ月近く入り続けたら、全身の傷の痛みはかなりましになりました。
でもこの2ヶ月の間に色々な体の変化がありました。アトピーはほぼ全身に拡がり、おでこがジュクジュクになり、黄色い汁が垂れてきて、朝起きると髪の毛がおでこにくっついて、カピカピになっていることもありました。ある日突然めまいがして、座り込むと、周りのものがぐるぐる回って・・しばらくするとそれは治まりましたが、これほど酷いものはなかったものの軽いめまいは、何度かありました。
傷はましになったけど、まだ夜も眠れない、痒みもある、全体に赤みもありましたが、9月から仕事に復帰しました。それからは、目に見えて善くなるというようなことはありませんでしたが、ゆっくりと確実に善くなってきているのは実感しました。
10月の初め頃だったと思いますが、お風呂に浸かっていると、足に蕁麻疹のようなものが出てきました。もう山を越したと思いました。
7月の初診の時にした血液検査でIgEは8000台でしたが、1年で2000台まで下がりました。赤い塗り薬も塗る面積も減り、お風呂も今は週に1度です。煎じ薬は当然毎日飲んでいますが・・・
私の場合、ステロイドは離脱していましたが、その後も抗アレルギー剤をずっと飲んでいました。ずっと免疫を抑えてきたのですね。
松本漢方クリニックでお世話になって、1年3ヶ月。私は10年前ほど酷いリバウンドではなかったけども、もうこんなことは二度と繰り返したくありません。
春は花粉で、汗をかく6月くらいからは、首、肘の内側が悪化しましたが、そんなに酷くなることもなく、汗をかかなくなった今は治まってきています。
まだまだ痒みはあります。また花粉の季節、汗をかく季節もやってきますが、もう怖くありません。必ず治るのですから・・・
あと何年かかるかは分かりませんが、最後まで頑張ります。先生宜しくお願いします。
今リバウンドで苦しんでいる方、これから松本漢方クリニックに通おうと思われている方、漢方の力、自分の治癒力を信じて頑張って欲しいと思います。
感謝とお礼
思い返せば昨年(平成23年)5月中旬より足首から上半身にかけて、ひどい痒いみと腫れに悩まされ、辛抱出来なくなり6月10日に紹介状も持たず松本先生の所へ駆け込みました。
松本先生の診断を受け「少し時間を要するが、必ず治してあげるから」
との自信に満ちたお言葉を頂き、初回(6月10日)の検査結果はIgEの数値が2018と異状の高数値で原因が何からか不安の毎日でしたが、松本先生の言葉を信じ決められた薬を、指示通り続け次回の検査まで、2回目の検査は7月8日結果は1630 3回目の検査は10月29日に結果は846と数値も検査を受ける度に下り、下半身の状態も日を追うごとに痒みも腫れも無くなり随分楽になり、ただただ初診に受けた時の松本先生のお言葉に感謝する今日この頃です。
松本先生本当に有り難うございます。
「アトピー手記」」匿名希望57歳2011年11月22日
アトピーが5ヶ月でほぼ完治
50歳中頃から急にあちら、こちらに吹き出物が出来、ほっておいても治らず地元の皮膚科に通っていましたが、思わしくなく、出張でよく京都に行く事があり大きな病院でと思い、ある大学病院へ行ってみました。でも、以前の病院と何一つ変わらず、病名もはっきりせず、同じ塗り薬でした。
リンデロンVG 軟膏 0.12% 5g 50本
リンデロンDP 軟膏 0.064% 5g 5本
ジフラール 軟膏 0.05% 10g 6本
デルモベート スカルプローション 0.05% 10g 4本
約、3年間、2病院で通産、皮膚外用合成副腎皮質ホルモン剤(ステロイド)を塗り続けて来ました。
ほぼ8割程度まで治っていましたが、知人の話を聞いて松本漢方クリニックを知りました。
平成23年6月4日から治療開始。
松本先生からは、貴女がステロイドを使った文だけ、リバウンドがきますよと言われましたが、そう深くは考えていませんでした。
毎日、煎じ薬、塗り薬、2日に1回の漢方風呂を続けて1ヶ月程すると、ひどかった足から体液が出始め、その1週間後位から治っていたかと思っていた、手、足、背中、首から下に出始め、これが先生が言っておられたリバウンドかと思いました。
7月末から段々ひどくなり、体液は出る、体全体は痒い、夜は眠れない、ヘルペスは出る、最悪の状態が続き、お盆、70日目には手、足が赤く腫れあがり、パンパン、又、又最悪状態、でも1週間程でおさまり始めました。
改めて、ステロイドの恐さと、治っていたのではなく、抑えていただけだった事が分かりました。
ゴールの見えない治療、いつまでこんな状態が続くのかと思と、憂うつな毎日でした。松本先生から写真を撮っておくようにと言われましたが、私の場合撮ってありません。
ゴールの見えない日々、撮る気にもなりませんでした。
松本先生からは、女性よりも、男性の方が治りは早いですよと聞かされていました。
その後、9月に入り徐々に楽になり始め、自分でも峠を越したかなと思う様になり、10月に入るとビックリする程にまで治まって来ました。
治療を始めて、5ヶ月半、まだ少し黒味を帯びている所や、先生からは、二、三度リバウンドが来る人もありますよと聞かされています。安心はしていられませんが、私自信、ゴールは近いかなと思っています。
皆さん、松本先生の言われる通りに治療していれば、必ず治ります。
ただ、人それぞれリバウンドの状態が違います。
そのリバウンドをどう乗り越えるかだと思います。
誰もが一度は不安に陥る時があると思います。
そこで松本先生に医院のホームページ、又は待合室に皆さんの手記等はありますが、同じような症状の患者さん、又終えられた方々の直接の声を聞ける様なシステムが出来ないでしょうか。
プライバシー、個人情報等の壁がありますが、同意を得られた方だけでも出来ればと思います。
少しでも、治療中の患者さんの不安が取り除かれ、今後の励みになるのではないかと思のですが、松本先生、本当に有り難うございました。
「アトピー手記」匿名希望58歳2012年9月28日
- 発端
2010年の秋、背中の肩胛骨付近に、茶色い1cmほどの痣(あざ)のようなものができた。放っておいたが、かゆい。それで掻いていたら、手足に、紅いぷっりとした突起がでて、猛烈にかゆくなった。かゆいところは顔以外のすべてにひろがり、夜は寝られなくなった。疲れ果てて寝てしまうが、無意識に掻いている。ひっかき傷だらけになっていた。
- 病気の広がり
突起は最初Immくらいの小さいものだが、掻いているうちに周りにチェーンのように広がり、また掻くと、さらに広がっていく。そして点は赤い面になって、体中が、そういう赤い大小の小判のようなものに覆われてしまった。
赤い小判のようなあざは、場所によってはじゅくじゅくしていて、皮膚がもりあがっているが薄くなってもいるように見えて、容易には搔けない。
- 病院にいく
たまらないので近所の病院にいった。皮膚科だ。背中のあざをけずって顕微鏡で調べた結果、乾燥肌であると言われた。病名は、自家かんさ性皮膚炎と言われた。銭状湿疹に近いとかとも言われた。2つの病院をまわったが、病名は多少ちがったりもしたが、治し方は同じであった。つまり、ステロイド軟膏をもらって、朝晩つけ、のみ薬を朝晩のんだ。
- 効果なし
ところが、2010年11月くらいから通院したが、翌年の春になってもいっこうに治らない。それどころか、全身に広がった。ひざ下、太もも、腹、背中、胸、腕、これらが交代でかゆくなる。落ち着く暇はない。かかりつけの皮膚科の医者に治らないことを訴えると、はっきりとこう言った。「加齢によるもので、これは治りません」。残酷な話である。
- 松本漢方クリニックを知る
妻が昔高槻で働いていたことがあり、松本漢方クリニックの名を友達から聞いたと教えてくれた。なかなか個性的な?医者だとも聞いた。ステロイドは使わないということも聞いて、どんどん強いステロイド剤を飲まされていた私は、もう限界だと思い、松本漢方クリニックへ変えようと思った。6月に松本漢方クリニックに行ったころは、
かなりひどい状態で、藁にもすがる思いであった。
待合室で闘病記をかたっぱしから読んで、ひょとすると、ここで治してもらえるかもしれないと、期待をもった。そして名前を呼ばれて先生の診断をうけた。
- 松本漢方クリニックの先生とスタッフ
看護士さんの説明で、セオリーを聞いて、いままで完全に間違った治療をしていたことをはじめて知った。看護士さんに話を聞いている間、隣の部屋の松本先生の声がばんばん聞こえてくる。個性的というのは間違いない。いざ彼の前に座った。そのとき私は半袖姿で、腕にあちこち湿疹があり、裸になるほどのことはないようだった。その後も、ひどいときも、あまり全部先生に見せたことはない。たぶん腕の一部で十分だったのだろう。
血液検査の結果、ステロイドが体に濃くのこっていることが判明し、漢方でなおすから、がんばろうと先生に握手してもらった。とても力強い。お金はかかるけど、そんなことは言っていられない。
- 2011年6月から、煎じ薬、漢方入浴剤、塗り薬を使った。7月にはそれを使っているにもかかわらず、顔まで病気が来た。先生はヘルペスだと言われた。目の周りが腫れて、うわまぶたが垂れてきて片方の目が一部ふさがった。赤いし、かゆいし、仕事がら人前にも立つ(教師である)ので、生徒も異変にきづくのだ。
- 夏休み
夏休みに逃げ込むように学期が終わり、入浴を長時間くりかえした。午前中から風呂にはいり、やることがないから本を読み、昼食を食べるときに一時出て、午後はビデオを1,2本見たり、延々と音楽を聴き、夕方まで風呂の中で生活した。まるでカバのような生活である。
浸かっていると薬効のせいでかゆみがおさまり、患部に漢方入浴剤がしみこんでいくような気持ちがする。あまり湯で薄めすぎると効かないと思うので、30cmの深さにとどめ、体を平らにした。しかし、ヒザが出てしまうから患部のところどころがどうしても液から出て、乾いてしまう。気は心で、治れよ治れよと呪文のように言い聞かせるように入浴剤をかけてやった。この集中的な時間の使い方で病状はすごく楽になり、松本先生の診断は自分に合っていると確信できた。
- 2011年9月から2012年冬まで
湿疹は出るだけでたみたいだった。赤から茶色になって、だんだん色が薄くなった。大きさも縮んで、肌色に近付いている。夜寝れないということは2011年の夏以降はほとんどなくなった。体は、以前は本当に妖怪百目のようで凄かったが、いまは普通だ。他の体の部分もところどころ茶色くくすんでいる程度まで色あせた。だから漢方入浴剤を瓶にいれておいて、患部に塗ることにした。これでも十分効いているように思う。
10.松本先生への感謝
通院するたびに何度も「絶対に治る。がんばろう」と励ましてもらった。
患者とともに闘う医者だ。役所や保険の問題もある。松本理論を標準治療に認定させなくてはならない。悩んでいる同病のみなさんに参考にしていただくとうれしい。
私はまだ完治ではないが、日常生活には支障がないところまで治った。
約2年かかった。要注意なのは、無理をして頑張ったり、働きすぎたりすると、免疫力が落ちて、治りかけたところが膨れ、かゆみがぶりかえす。だが予言通り、松本先生の言う通りになった。医者に元気づけられ、一緒に考え、病気を治すのは本来の自分の健康回復力であると教わった。皮膚病は治ろうと体が働くからこそなのだ。松本先生ありがとう。(写真探してますけど、まだ見つかりません。ごめんなさい。出てき次第送ります)
「アトピー 手記」匿名希望65歳2012年5月15日
私と松本先生と尋常性乾癬
~私は現在65才男性です、ある大手食品会社に入社し、東京・大阪・広島など各地を転勤してかなりの地位に就くことが出来ました。
現在も関連会社で現役です~
◎発症の時期と経過
私が29才の正月休みの間、手の甲が痒くなりあっという問に広がりました。
休み明けにある大学病院に受診したところ、三日に「尋常性乾癬」の診断があり、その先生がステロイドの新薬を処方され劇的に改善しました。
ところが、少しすると又発症しステロイドと当時新療法としての「紫外線照射療法」を併用しました。
これは、私のために設備してくれたものですが、小規模で手探りの状態でした。
三ヵ月後に名古屋に転勤となり、その先生の紹介で、ステロイドをあまり使わない「紫外線療法」を大規模に行っている、市内の大学病院を紹介され、L型全身照射を毎週一回受けるという状況で、1年もするとほとんど問題の無い状態になりました、その後は発症すると一ヶ月(4回)通うという繰り返しですごしておりました。
8年後に広島に転勤となり、皮膚病の名医がいるという町医者に言ったところ、やはりステロイド塗布でありました。
自分は出来るだけステロイドは使わず、発症箇所に気になったときに塗布しておりました。一.
この間広島から東京、そして又広島とそんな生活を20年していました
◎松本先生との出会い
関西に転勤となり、ステロイドも即効性が無くなり困っていたときに松本先生を紹介されました。
紹介者の友達がひどいアトピーで困っていたのがすっかりよくなったから言ってみたらどうか、というものでした。
半信半疑でしたがホームページを読み、ステロイドを使わないというところに共感し、受診しました。
病院は漢方独特の匂いがあり、一時間待ってやっと先生に会いました。
◎松本先生との診療方針の確認とその後の経過先生との面談は上述の今までの経過説明と、先生の治療方針説明であった。
ステロイドは症状を一時的に抑えるだけで、決して根治療法ではない、人間は外部からの敵(たとえばアレルゲン物質)から自分を防御する能力があり、それが見える形(たとえばアレルギー反応)で発症する。
従って、かなわない・参ったと体が自覚すると防御反応が止まり、発症しなくなる。
それを、助けるための療法(漢方による)をする。
従って、先生の療法は外敵に身をさらすことになえるので、今まで薬物(ステロイド等)療法をやっていれば要るほどリバウンドは大きく一時的にひどい状態になる、それに耐えられるかどうかにかかっている。
貴方は耐えられますか?というものであった。
松本先生の熱心な説と必ず直してやるとの言葉を信じて、治療に入った。
果たして3ヵ月後にはひどい状態になり、たとえば入浴時には皮膚のはがれたものが湯面全体に2mm厚さとなった。
それを乗り越えると、半年後には本当によくなり、そのころから少しずつ、治療をさぼるようにもなった。
一年半後に東京に転勤となり、また発症も抑えられたことから、半年ほど放置したところ、少しずっ症状が出てきて今日に至っている。
もちろん、先生から防御反応データが良くなっているから、治療をやめて良いと言われていない中での自己判断が大きな間違いであった。
松本先生を信じ、先生の指導を守れば間違いなく完治するであろうと信じているので本手記を投稿しています。
以上
初めは耳でした8月25、26日の連休に何となく耳に違和感があり、腫れているのかな、と思って鏡を見るといつもより大きくなつてました。ダンボの耳:みたいだと苦笑混に思っていたのが29日の夜、仕事から帰ってお風呂に入る前に今度は右腕が、ぱんぱんに腫れているのに気付き、翌日、仕事には行ったもののこれは、普遡じゃない、すぐに病院に行ったほうがいい、と言われ、そのまま家に帰、以前に通っていた皮膚科に、痒みを伴う湿疹があったのでひどくなると行っていた、という感じでしたが、2年ほど前にステロイドが怖いわかり、脱ステロイドを目指し、だんだんと足が遠のいて行きました、(その間ネット「ATP―C-UEゲル」という塗薬を知り使っていました)そこでは診るなり「紹介状を書くから総合病院に行け」とのこと。ステロイドは使いたくない、と言われました、だったらここでは何もできない」と言われました(正直、ショックでした)その時は患部を冷やす湿布液だけ出されたのでそれをガーゼに浸して湿布しておきました。翌日総合病院の皮膚科に。ここでもステロイドは使いたくない、というとあまり歓迎されてない様子でした。とりあえず検査とたぶん感染症だろう.と抗生物質と塗り薬、抗アレルギー剤を出され、検査結果が出る頃にまた来るように、と言われました。9月3目に再来院。検査結果から感染症でないとわかり抗生物質はまったく効かないことが判明、確かに薬を飲んでも腫れはひかず、最初は右腕だけだったのが左腕も腫れ、そのうちに膝も腫れてきました。顔も腫れ、一時、これは誰?と自分で思うくらいでした。
病院では原因がわからない、と念のために整形外科にも回され、レントザンを撮ったりしましたが、骨や筋肉には異常がない、原因がわからない、とお医者さんも首を傾げている有様。皮膚科に戻されても「経過を見るのも治療だから」と歯切れの悪い答えのみ。さらにアトピー皮膚炎の治療も「ステロイドを使わないと時間かかる」と。これでは埒:が明かない、と読んでいたメルマガで知った松本漢方クリニックに行くことを決意決、5日後電話問い合わせ、行けば診察してもらえることを確かめ、翌日は休診日なので7日に行くことにしました。翌朝、仕事場まで自転車で行き、そこから歩いて大阪行きのバスに乗り、向かいました。待合室で「メンソレータムは尿素を使っているからダメ」とあったのを見てちょっとぎょっとしました(なるべく肌によいものを、と尿素を使った美肌水というのを使っていたので)それが原因だと知ってびっくり、腫れたのはヘルペスウィルスが原因だと一発で見抜いていただいた時は、地元の医者は何だ、と思いました。とりあえず漢方薬と漢方の入浴剤で集中的に治そう、と言われ、どっさりと出された薬を持ってその日のバスで帰宅。お風呂の用意をして夜中に入り、その日は久しぶりにぐっすりと寝ることができました(やはむしばらくは眠りがかなり浅かったようです)正直、薬が嫌いで極力飲まないようにしていました。幸い、あまり痛みとは縁がなく、鎮痛剤は買ったこともありません。病院で出された鎮痛剤も飲まないで終わったことが多かったくらいです。皮膚科でもなるべく弱い薬を、と気を使ってもらっていたので(一度、耳鼻科で出された薬を見せたら「こんな強い薬はダメだ」と怒られたことがありました)そこまで薬の害を受けるとは思いませんでした。
一週間ほど仕事は休み、とにかく漢方薬を煎じては飲み、お風呂は適当になっていましたが。暑い時期なので長く入っていられないんです。お風呂は好きなほうだとずっと思っていました誤が、違ったのか、と。ほとんど水みたいな
温度にしてやっと一時間くらい浸かっていました。ただこの入浴剤誤高い。一回分が1000円以上する。だとしたら長く入ってないと勿体ない。つくづくお金に左右される性格です……一ヶ月くらいたち、松本漢方クリニックに薬を頼んだ際、月が替わったので保険証を送るように言われ、保険証だけでは、ととりあえずその後の経過を手紙にしました。10月11日に送ったものです。
(引用)まずは顔の腫れが引いてくれました。一時は自分でも誰?と思うくらい変わっていたので(その顔で仕事にも行ったのですが)ほっとしました。顔は特に湿疹が出るでもなく、触った感じはけっこうつるつるしていい感じです。
ただ最初に腫れた耳は時々痒く、触ると耳朶のところが少し硬い感じもしました(今はないです)一週間ちょっとで腕の腫れが引いてきました。今はほとんど戻っています。ただ二の腕から下が黒くなったのはそのままで、半袖のシャツを着て日焼けをしたような感じになっています。ところどころ白いところもあって、日焼けの皮がむけていく感じもします。腫れが引いてからも左腕の二の腕あたりに腕を伸ばしたりすると突っ張るような感じはけっこう長くありました。最近、ようやくなくなった気がします。特に痛くはありませんでした。腕も特に目立つ湿疹はありません。手首が荒れてしわに添って傷めいたものになっています。もともと手首はこうなる前から湿疹ができていたので戻った?
と思ったりもしました。足も目立つ湿疹はありません。膝がまだ腫れている感じです。膝を曲げてしゃがみこむと突っ張る感じがあります。右膝には以前怪我をして縫った跡があるのですが、そこだけ白いままで、前より太くなっています。足もまだ全体的に黒ずんで、膝はやけに搬々に見えます。
一度、漢方のお風呂に入っていた時に痒くて手足を掻き毟ったことがありました。本当に気が狂いそうな痒さでした。ただその後、六時間ほどまったく痒くありませんでした。その後も痒さはあります湛、だんだんとそこまでではなくなった気がします。掻いてもキズができるほどではなくなりました。
(引用おわり)
今から思えば、顔が最初に治ってくれて助かりました。さすがに腫れが引いた後で目元のしわがやたら目立った気がしてリンクルクリームを大丈夫かな、と思いつっ塗ってみたところ、それなりに効果はあった気がします。
ただ成分に不安が。あとびナビというサイトがあって「甘草・グリチルリチン酸の危険な話」という話題が、グリチルリチン酸にもステロイド剤と同じ作用がある、となったら心配にもなろうもの。グリチルリチン酸は強い抗炎症作用を有しており、副腎皮質ホルモンである、塩類皮質ホルモンと類似している、らしい。そもそもステロイドは人間の体にもともとあるホルモンで、だから害は少ないだろう、と最初は考えられていたようなのですが、ホルモン自体がメチャクチャ微妙なもので多くても少なくてもダメ。外から与えられると簡単にバランスを崩す。それで病気が引き起こされる。だから安易に使ってはいけない、と私は解釈しているんですが……脱ステロイドを決心して代わりに使っていた「ATP-C・U・Eゲル」も調べたら入っている。抗炎症作用が認められているから化粧品に使うと医薬部外品になるようでむしろアトピーの人にお勧めの商品になっているみたいです。化粧品に関しては、尿素がダメ、と知ってから、じゃあ、化粧水は何を使えばいいの、と途方に暮れました。とりあえずグリセリンならいいか、と植物性を購入それまでは薬局で手に入るものを使っていました。悪くはないと思うんですが。今のところは漢方の入浴剤を入れた時、蒸した後でまずエキスを絞るのですが、それを化粧水代わりに使っています。
年も明けて(大晦日から元旦は毎年恒例のカウントダウンライブを強行したという無茶もやりましたが(22時開演、23時開始で2時過ぎまで立ちっぱなし、で、朝のバスで帰るまで寝られないという無茶です)特に悪化したこともなく、治ったかな、と楽観的に思える日もありましたが、やはり、痒い、と思わず掻きむしってしまう、と。仕事が終わる頃に痒くなることが多いのは、「ストレス?」と自分で苦笑していました。自覚は薄いので、他人から「ストレスがあるんじゃないですか」と問われてびっくりしたくらいですが。
今は痒みもほぼ手首だけです。汗をかいた時に髪の毛の生え際とか痒くなりますけど、痒みの質が違います。掻くと引っかかるので傷を作る率も高いようです。それほど深い傷ではなく、特に染みることもないし、わりと簡単に治っていると思うのですが、希望もあるかもしれません。
一時期はやたらヘルペスができていました。前から唇以外によくできて(鼻の下とか)あ一、また免疫が落ちた、と間に合えば塗り薬をちょこっと塗っていました(今から思うとあまりちゃんとは塗ってなかった)今回は電話での診察の時に話して飲み薬を貰いましたが、正直あまり飲んでいません。
何となく飲む機会を逸してしまって。けっこう治るのが早かったというのもあります。あ、出た、と思っても二、三日で収まっていた感じです。
眉毛の下あたりに出た時はちょっと心配しました。ヘルペスは目に入ると大変だと聞いていたので。前にも一度出て、眼科で薬を貰ったこともありました。幸い、目には支障がなく、今回もそれほどひどくならずに治りました。
ヘルペスは、よく「むずっとした時に薬を使うと早く治る」と聞くのですが、最近は、あれ、これがそうかなと、感じる時はあっても表に出なくなりました。ただの気のせいかもしれませんが。
と思っていたら、三月に入ってまたヘルペスが出ています。なかなかしつこいです。手首は相変わらずひどい時はひどいのですが、何とか普通に仕事はしています。前はそんな手首をお客様に見せるのは失礼だから、とサポーターをつけたほうがいい、と言われましたが、何となく圧迫されるようで心配でした。
今もどうかと思うことはあっても何となく終わっています。
今のところ他の薬はほとんど飲まずにきています。風邪かな、と思う症状は時々ありますが、それほど悪化もしないので。ただ時々無性に眠いやらだるいやらはありますが。これもヘルペスのせい、と松本先生に言われ、まだまだか、と思っています。いろいろやりたいことがあるのにできない不満はありつつも惰眠をひたすら貧って凌いでいます。幸い仕事も暇な時期で助かりました。
それを含めていろいろなことをなるべくいい方に考えていこうと思っています。
今は爪がボロボロになっているのが気になっています。松本先生いわく「遺伝子が傷ついている」とのことなのですが、わたしはそれほど薬も飲んでないと思うんですが。鎮痛剤は必要ないから家にないし、他に病気もなし、前に貧血気味で病院にかかった時に「貧血はそれほどひどくない。くらっとするのは低血圧だからじゃないか」との診断で「血圧を上げる薬を出そうか」と言われたことがありますが、即座に「いりません」と断りました。松本漢方クリニックに行く前に出された抗ヒスタミン剤も結局ほとんど飲まなかったし。あと考えられるのはストレスでしょうか。自覚がないだけであるのでしょうか(他人事としか)
「アトピー皮膚炎は完治しない」「うまく付き合っていく病気だ」と聞いて、冗談じゃない、完治させてやる、と思った気持ちは今も変わりません。
まだまだ道は遠いかもしれませんが、完治を目指します。
「私のアトピー奮戦記」48歳男性2006年10月8日
■喘息との闘い
- 3歳頃から小児喘息の発作が始まったという、月に1、2回発作で病院通い、ペニシリンを打って抑えていたのを覚えている
- 物心ついてからも、月に一度は喘息発作で、よく学校を休む痩せてひ弱な生徒だった
- 発作が起こると、当時新薬として発売されていた「メジヘラーイソ」という吸入剤で、気管を拡大してしのいでいた、これがステロイドとの付合いの始まりだと思われる
- 小学校3年頃から太り始め、徐々に肉が付いて体質が変化した
- 高校に入ってから小児喘息も出なくなり、治ったかと喜んでいた
■アトピーとの闘い
- しかし、高校卒業頃から、脇の下あたりに発信が出て、痒みを覚えるようになっていた。当時は、これがアトピーとは知らずに過ごしていた
- 大学入学と同時に、下宿生活という生活環境の変化で、外食で油もの中心の食事となり、血液が濁って体が変化したのであろうか、全身に湿疹が出て、痒くて眠れない日が続いた。堪りかねて、皮膚科にいったら、アトピーと診断されて、ステロイドの注射をうたれ、直後の2週間ほどは直ったように見えた。しかしその後は、同じような痒みが戻ってきて、同時にもらったステロイドの塗り薬が手放せなくなった
- この頃、親が探してきた漢方薬店で調合してもらった飲み薬を3ヶ月ほど飲んだら、湿疹が治まり、漢方薬の絶大なる効果を知る機会になった
- それから、7~8年程度の周期で全身に発疹出て、そんな時は、漢方薬を処方してもらって3ヶ月位すれば全身の発疹は抑えられた。それでも、しばらくしてから、脇の下などの一部に発疹して、ステロイドの塗り薬でしのいできた
- 夏や季節の変わり目などに、痒みが出て、その都度ステロイドを塗ってしのぐ生活がずっと続いていた。この様な繰り返しが、20年程度続いてきた
- ステロイドを塗ったらどうなるのか、医者に聞いても明確な回答はなかった。薬剤師の友人が、皮膚が薄くなって血が止まりにくくなると教えてくれる程度の知識だった
■激しいリバウンド地獄
- 平成10年2月頃から、ステロイドが効かず、塗ってもすぐにかゆみが出るようになる
- 漢方薬店に電話したが閉店していて、どうしたらよいのか途方にくれる毎日だった。あれこれ探し回って、耐葉蕩なるお茶で、体内の不純物を出し切れば、後は自然に治るという謳い文句を信じて、服用することを決意。思えばこれが地獄の始まりだった
- 耐葉蕩を飲みだしてから、これまで押さえ込んできたアレルギーのリバウンドが始まり、一斉に吹き出し始めた。言葉で言い表せないような痒みを伴って、毎日皮膚がぼろぼろむけ、かきむしると体液がにじんで乾いてまたにじんでの繰り返し。体中がヒリヒリして、夜は眠れず、一睡もせず会社に出かけたことが何度かあった。ひたすら耐え続けたが、いつ直るのかの不安と痒みとの葛藤の毎日。このために会社で眠気が出て、昼間の集中力が落ち、仕事が手に付かずという日があり、夜は痒みと体の火照りで眠られない日々が6月から9月までの4ヶ月、その後10月から翌年の3月頃までは少し眠れるようになったものの、依然眠れない日々は続いた。やっと回復したと思えるようになったのが平成11年5月頃だったであろうか
- この世の地獄とはこのことだと何度思ったことか、耐葉蕩を飲む人の手記を読んでは自分を落ち着かせるのが精一杯の日々。何故俺がこんな目にあうのか、いろんな思いが輻輳して、気分的に不安定な日々の連続だった
- 落ち着き始めて耐葉蕩の会社の人がもう大丈夫と言ってくれたのだが、2度と同じ経験をしたくないとの思いで、その後1年間飲み続けた。今にして思えば、耐葉蕩の効果よりも、体本来の治癒力で、推移したのではないかとさえも思えるほど時間を要した
- ところが、回復したと思った翌平成12年7月頃に、また全身に発疹が再発、この時ホームページで松本漢方クリニックを知り、煎じ薬と薬草風呂の日々が始まった。耐葉蕩をのみ始めた時ほどではないが、痒みで眠れない日が続き、約4ヶ月程度苦しむこととなった。しかし、松本先生の治療は、紫色のクリームで皮膚のケアも同時に行うので、以前のような激しい痒みはかなり抑えられているように感じた。その後ずいぶん改善した頃、自分の判断で通院を止めてしまった
- この時の判断は誤っていたことを約2年後に知ることとなった。平成14年3月頃、再度発疹が始まった。以前ほど酷いものではないが、やはり眠れない日々が続いた
- 再度、松本先生に診ていただき、「免疫の記憶は消せない、その記憶の回数だけ、発疹は出てくる」と言われ、4ヶ月程の通院でかなり落ち着いてきた今でも、煎じ薬は絶やさずのみ続けている
- 免疫の記憶が消えるまで、どれくらい時間がかかるかわからないけれども、松本先生の指導の下、必ず克服するとの決意で、進んで生きたいと強く思っている
■アレルギー体質について
- 松本漢方クリニックで、ステロイドがアレルギーの根源を皮膚に溜め込む作用があることを初めて知り、知識のなさが体をとんでもない方向へ向かわしめるという怖さを実感した
- なぜアレルギー体質になるのか、これまで、疑問が解けなかったが、ある本で、幼児期に過保護に育てるのが、一つの原因で、寒い時期に暖かくしすぎると、副腎の耐力を低下させて、それがアレルギー反応として出現する、という主旨の記述を読んだ
- そして、それを克服するには、毎晩水風呂に入って、副腎を鍛えることが必要だということだったので、昨年12月から、毎晩風呂上りに冷水を浴びることも併用している
- またある本では、出産後の排便が十分でない新生児の宿便が悪影響を及ぼすという内容を、読んだが、今となってはどうすることもできない
- 別の本では、断食がアトピー克服に効果があるとの記述もあり、今後勉強してみたいと考えている
■必ず治る!
- 松本先生から、回復に向けての心強い激励と漢方の処方を頂き治療を行ってきたが、うれしいことに、先日私のアレルギー反応指数が低下したとの報告を頂いた。その際、先生から克服を記述するように依頼されて本稿を記した
- 松本先生の処方する漢方薬は、体内のアレルギー反応の元を押し出す効果が強いので、始めはかなり厳しいリバウンドを経験することになるが、皮膚のケアと併せて治療すれば、必ず回復に向かうことを実感している
- アレルギーに立ち向かおうとする患者の皆さん、私の例を見ても必ずアレルギーは克服できることが少しはお分かり頂けたでしょうか。必ず勝つ!という強い気持ちを持って、松本漢方クリニックでの治療に専念して頂きたいと念じています
『インターネットで松本漢方クリニックをみつけて」
「なぜ顔にぱかり出るのだろう」
松本漢方クリニックに出会う前の7ヶ月間、繰り返す「顔」のトラブルに、わけ(/)わからないまま振り回されたのでした。そして、インター-ネットで松本漢方クリニックみつけ、治療を始めて2ヶ月治癒の目途が見えてきた今、これまでを自分なりにまとめてみたいと思います。
きっかけは1998年12月、旅先でした。
全身に渡って、突如皮膚に赤みが広がり、痒みというよりは熱を持ち痛むという症状でした。びっくりして薬局に飛び込み「医者に行くと強い薬をだすけど、これなら…。」とすすめられた外用剤(弱いらしいステロイド剤)と痒み止めらしき内服剤を買い、その場で水をもらって飲みました。
すぐ帰宅して、2、3日様子を見たものの治まる様子がないのでほとんど行った事もない、皮膚科へ行ったのでした。
そこで(士、外用剤(リドメックス・コー‐ワ軟膏)と内服剤2種(抗アレルギー剤と杭ヒスタミン剤)が出され、外用剤を10日間塗り、内服はその後もしばらく続ける様にとの事で、いわれたとうりにしました。塗り薬に関して医師「この薬はだらだら塗り続けるとよくないけれど、集中的に使ってぱっと止めれば大丈ノミだから…」と指を折って数えてこの日まで塗りなさいという事でした。飲み楽に関しては、症状が引いてからもしばらく飲み続けるようにとの指示でしたので、永く続けて副作用はないのかと尋ねると「全くない」という事でした。ですから飲み薬に関しては以降も安全だと信じていました。ステロイド剤を塗った最初の10日間、思い返せば「顔」にばかりに総りました。痒みが少ない上に、身体は服で隠れたので気にならなかったのか、あるいは症状が早く引いたのかも知れません。ところが顔は人目触れる所です。早く治さねば仕事ができないとぽかりに、僅かな赤みも気になって一生懸命に塗ったこと記憶しています。
それ以降、顔ばかりがむず痒くなって湿疹が出る⇀皮膚科ヘ行く⇀薬を飲む、その繰り返しで悩みました。「どうしてでしょう」と尋ねると、ある時には、「何か激する事しをしたか」と聞かれ「顔そりをした」と言うと「顔そりなんかするのは日本人だけだと、アメリカの皮膚科学会では笑われる。と言われ、ある時には、「顔にばかり出るのはおかしいからパッチテストをしましょう」と化粧品やシャンプー類など+数種しましたが、すべてマイナスでした。
そうやって半年以上繰り返す顔の湿疹に疑問を待ちながらも、飲み薬を続けて飲めば治まっていました。外用は、ワセリン(サンホワイト)が出されていました。ところが、ある日、飲み薬が効かなくなってしまいました。医師の処方で1日に飲む回数を増やして、薬の強さを増しても効きません。
頬の赤みは、面状に広がり痒みも増してきました。 こんな事は始めてです。仕事にも支障が出てきて、本当に困りました。
1999年6月末、知人に話すと「これを飲むといい」と粉状食品をすすめられ、酵素食品という事だけであまり説明も聞かず、ワラにもすがる思いで1週'間飲んだのでした.皮膚科の内服薬を続けたままで、飲み始めると、よくなるどころか日増しに症状が悪化して、7月初めには突如激しく炎症が噴出して腫れ上がり、別人の様にになりびっくりしました。
今でこそ、その酵素の食品によって促されたリバウンドだったのかと思うのですが、当時は何も聞かされていない、治癒のメカニズムも知らず薬の「リパウンド」も考えられない位に無知でしたので、又もや慌てて、「こんな風になつてしまった」皮膚科科に行ったのでした。
医師は「おかしいですね。(自分で)ステロイトドを使ってないよね。食べ物に心当たりある?」と、今度は血液検査をすることになりました。幸い「あなたの場合慢性化する恐れがあるから」という事で、ひどい皮膚症状になってきてもステロイド剤は出されず、外用はワセリンに亜鉛華単軟膏が加わり、内服は抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤のままでした、しかし私はもうその時の治療に対してかなり信頼できない気持ちでした。話を聞いてくれるし、
高圧的ではないタイプの力だったのですが、「わからない」ようで、忠者としては不安になります。テストや検査ばかりで「治る道筋」が示されません。検査結果がわかれば、そしてこの治療を続ければ治ると言うのでしょうか。
この時点で、「任せられない」と真剣に考え始めました。鏡の中の顔は今まで見た事もない形相です。痒みと顔面に熱を帯びた痛みで何も手につきせん。何とかしなくては…。私は自分に起こっている事が何なのか、治す事ができるのか、知りたいと思いました。(それまで通った皮膚科の医師からはまだ病名も特定されずに「湿疹」というだけでした)この時唯一の気がかりは三日後の仕事でした、人に集まってもらって私が講師をするというものでした。
場所も借りていて参加者の予約も入っています。いまさら穴を空けるわけにはいきません。この主までは話をするどころか、(何も手に着かないほどの辛さでした。私はこれっきり、この日のため、と覚悟して自らステロイドを塗りました半年間いっさい使う事がなかったステロイド剤の効果はすばらしいもので、一日の使用で瞬く間に炎症を治めてくれ、浮腫みも引き、赤みが残るものの何とか人前で話すという仕事を無事終わらせたのでした。7月8日の事でしたし。この状態は「ステロイド効果」にすぎないと思って(±いても、誰もが望みを持つように、私も「このまま治っていくかも知れない」と思えました、しかし疑問は何一つ解決されていません。とにかくすぐインターネットで思いつくままに調べ始めたのでした。ステロイド剤、アレルギー、アトピー・・・・皮肉な事ですが、ステロイド効果がもたらしてくれた気持ちのゆとりでした。http//www,yahoo、cojpはヤフーとい最もよく利用されるインターネットの検索エンジンです、そこから「健康と医学」のジャンルの中の「病気」を開き「アレルギー」一「アトピー、性皮膚炎」を開くと60件ほどのホームペジリすとが出てきましたそこには、今までほとんど関心を持たずにきた「アトピー」の世界がありました。(松本漢方クリニックもここからたどり着いたのです、)私のテーーマは、「アレルギーとは何か」「アトピー性皮膚炎とは何か(私はアトピーなのか」「アトピーだとしたら、完治する方法はないのか」という事でした。様々なホームぺージで情報を得て照合する中、ステロイドを止めなけオしばよくならないらしい、という事、 アトピーの場合「治す」治療法が確立していないらしくてほとんどが「症状の軽減」の為の原因除去に終始していました 。一見患者団体の様に見せてアトピーグッズを、通販している企業のカタログは、「簡顛に治らないアトピー」の為に開発された、永遠に使い続けなければならないアトピーグッズのオンパレードでした。私はなんともすっきりしない、暗い気持になりました。そんな中、「松本漢方クリニック」という、テキストばかりの地味とも言えるホーームページを見つけたのでした。ざっと読み、これはすごい事が書いてあると出会いを直感し、プリントアウトしたのでした。そして、何回も理解しようと読みました。その内容たるや、本質的な答えを見つけられず薄暗がりの中を手探りしていたような私の疑問に対して、非常に明快に答えてくれるしろものでした。そして、「アレルギーとは何か」から、「完治のメカニズム」まで一挙に勉強させられたのでした。松本先生よる整理されたアレルギーの原因・結果・根本治療法・完治の理論の前には、それまでに知ったすべての治療法が「除去」と結果対応に終始していて「根本治療」ではないように,思いました。論より証拠という言葉がありますが、私にとっては論こそも納得がいくものでなくてはなりませんでした。
気長にあれこれ試してみる余裕などありませんでした。どうしても治さなくてはいけません。そういう意味で、松本先生の理論の「真実」は、理系でもない医学に素人の私にも解り「これだ!」と直感したものなのでた.松本漢方クリニックを知ったその日、私は飲んでいた抗ヒルタミン剤と抗アレルギ一剤をやめました。これも(生体の免疫システムに影轡,を及ぼすと松本理論の中にあったからです。リバウンドを覚悟して、松本漢方クリニックに行く事を決めたのです。
正直に言って、松本理論を読むまでは、「私のようにソ病歴も浅い者が一般にいうアトピーといえるのだろうか」とか、「ステロイドを10日と1日しか使っていないのにリバウンドなど起こるのか」などと考えていまし。そして、というかやばり内服剤を、やめて3日後からたちまち症状が激しく変化し、顔はでこぼこ、所々ごわごわに硬くなり、赤黒く浮腫み、深いしわを刻むという生まれて初めて見る悲惨な顔になったのでした。ステロイドを1日だけ使用した日から6日後、飲み続けていた内服剤をやめてから3日後の事でした。私は、確かに薬の影響を受けている・・・:,さあこれで、松本理論で'学んだ事が証明されてしまいました。予想,通りです。この半年間、抗アレルギー・ヒスタミン剤でブロックし続けただけなのでした。ステロイド外用は無知なりにも怖れがあったのですが、「これは安全」といわれた抗アレルギー・ヒスタミン剤は「悪さ」をしないとインプットされていて、最後まで飲み続けたのでした。そう、松本理論を読むまでは、仕事の段取りをつけ、新幹線に飛び乗ったのはいうまでもありません』新幹線の中では、やはり自分の顔を意識して人をめを避けるようにうつむき、ひたすらインターネットからコピーした「手記」を読んでいました。「ここへ行くしかない 、ここで治療すれば治る。」と自分に言い聞かせていました。7月14日、こうして高槻の松本漢方クリニックにたどりつきました。
松本先生にお会いするまでは、自分の今までのり症状の変化について、あれも話そうこれも話そうなどとメモにまとめていました。ところが松本先生は、私の顔をご覧になった瞬間、「ああ、解っている。任せなさい」という表情をされました。私も病歴の細かな説明など不要という気にさえなりました。治療に対する「信頼感」を持ってこの場にいる自分にその時気がついたのでした。なぜならば、どんな経過でここへ来ていても松本先生の治療で必ず治るからです。皆が共通のリバウンドの過程を踏んで治癒していく事は「松本理論」で納得し、「手記」を読んで解っているからです。唯一気になるのは、自分のリバウンドの期間はどれくらいかという事ですが、「それは、身体だけが知っている」のですから、治療を始めたら自分に起こるリバウンド症状を受け入れていく事だけなのです。東京からという事で、松本先生は開口一番「どうして、来の?」尋ねられました、その問いには、「どこで知ってここまで来たの?」と、「ここまで来て治療しようと,思ったのは、なぜ?」「遠くから、よく来たね」が、全部混ざっているように思い、インターネットの松本理論と手記で自分なりに「解って」ここに来ている事をお話したのでした。松本先生はまるで仲間や同志や教え子にでも語るような口調でパワフルにご自分の考えを聞かせて下さいました。その気迫には圧倒されしるほどでしたが、それは、「真実」をつかんでたくさんの人を治しきっている人のみが持つ事のできる自信と、間違った事が正されない世の中の仕組みと闘い続けるエネルギーなのでした。こんな先生がいらっしゃる事に、とても感動を覚えました。自分はもう治ったも同然という気がして、より多くの人を治してあげて欲しい、と思いました。インターネットも、この時ほど役に立つと実感した事ありませんでした。翌日から、松本漢方クリニックの治療がスタートしました。煎じ薬を飲み始めた次の朝には、顔が全体にパンパンに浮腫んで瞼も腫れ、目やにまで出て、別人の様な顔になっていました。以降、真っ赤な炎症が噴き出して広がり、時間を置いて次々に新たな炎症が噴きだす状態が続きました。顔全体の浮腫も夜になると引いて朝は又パンパンに浮腫んでいるし、炎症のリズムと浮腫のリズムがずれるので毎日朝と夜で全く違った顔になり、日々の変化も全く予測がつかない伏態でした、ピークを超すと徐々に色が茶色に治まっていきます。この最初の山のピークが終わり、浮腫も引いて土色の炎症の跡が日毎に薄くなっていくと、このまま治っていくのかなと思いました。ところがそう,思えたのもつかの間、顔がむずむずとしてきて皮膚に熱を感じ、顔の表面がジンジンしてきて新たな炎症が噴き出してくるのです。次の始まりでした。大きい山小さい山がありましたが、そんな繰り返しが幾度か続きました。全体として痒みは少ない方だと思います。全身の症状としては、最初の一週間は、おなかがゆるくなりました便秘秘気味であった私としては嬉しかったのですが、それは一週間で元に戻ってしまいました。
熱はずっと37.2度位が続いていて身体はだるいのが続きました。「病気」ではないのだからという気持ちと、「顔だけ」なのだからと思い、表面の症状が少し治まった時をねらって外に出る仕事をこなそうとしましたが、そうした日はぐったり疲れて、帰宅するとすぐ横になり、’眠ってしまっていたのを覚えています。幸い、自分の裁量で仕事をしていましたので、人に頼んだりしながら一定期間は覚悟を決めて治療に専念しよう、と思いまし自分の顔がこんな状態になる体験は初めてなので、気分は晴れず、毎日頻繁に鏡を見ていました。
しかし一方では、治る道筋が理解できていたので、治る過程としてすべて受け入れていこう考えられて、客観的に自分を見つめる事ができました。それは事前に、あるいは治療の最中も、繰り返し松本先生の論文と忠者さんの手記を読ませていただいた事が大きいと,思っております。
このような私のリバウンドは5~6週間続きました。炎症が起こらなくなり、熱を測らなくなった頃からは平熱になり、浮腫みもすっかり引いて身体も気持ちも外に向けて動くようになりました。8月21日の診察では、「あとは、きれいになっていくだけです」とのお言葉をいただきました。リバウンドの山は終えたようです。もうすぐ治療開始から8週目になろうとしています。頬はほとんど赤みがひいて健康な状態になり、うっすら土色の跡が残る目の周りも日に日に色が取れていく気がして、嬉しいのです。湿疹の赤みではなく、漢方の煎じ薬で健康的な血色のよい顔色となり、冷え`性だった私は代謝の良い汗がかきやすい身体になっています。体内の効果に加え、漢方入浴剤と赤紫の塗り薬は古い角質を落とし皮膚の生まれ変わりのサイクルをとても早くしてくれているという実感があります。
リバウンドの時期に思ったのは、繰り返し炎)症が出るものの、炎症の噴出一赤みと腫れが引く一土色の跡が残る一跡が薄くなり肌の色に近づく、というサイクルがとても早いのです。汗疹やにきびなど出ても即治ってしまうのでもわかります。この漢方の三位一体の相乗効果である、身体の持つ治癒力を促進する効果はすばらしいと思いました。まだ治療半ばではありますが、私としては久しぶりに見る透明感のある肌の状態です。顔のトラブル続きだった私は、自分の「健康な肌」をずっと見ていなかった気がします。まだ治ってはいないのですが「健康な状態」こそが、きっと「美しい」という事なのだと、言い尽くされている事なのに改めて実感した次第です。
たまに、顔や首がうっすら赤くなる事があります、以前でし/こら、「これがいけなかったかな」と、避ける思考になったのですが、かまわず、この治療期間に何でもやって、私の身体が反応するものにはちゃんと反応させて(抗体を戦わせて)いいんだ、と思えるようになっています。それが、松本先生がおっしゃる“自然免疫寛容”を促し、結果として根本治癒につながる力向だ、と解らないなりにも解釈しています。こんな短い期間でここまでになった事は、最短の距離で治癒に導いていただいた、と深く感謝しております。
最後まで、完治まで、治療を続けたいと思っています。
どうぞよろしくお願い致します。
たまに、顔や首がうっすら赤くなる事があります。以前でしたら、「これがいけなかったかな」と、避ける思考になったのですが、かまわず、この治療期間に何でもやって、私の身体が反応するものにはちゃんと反応させて(抗体を戦わせて)いいんだ、と,思えるようになっています。
それが、松本先生がおっしゃる“自然免疫寛容”を促し、結果として根本治癒につながる方向だ、と解らないなりにも解釈しています。
こんな短い期間でここまでになった事は、最短の距離で治癒に導いていただいた、と深く感謝しております。
最後まで、完治まで、治療を続けたいと思っています。
どうぞよろしくお願い致します。
私は子供の頃から“はたけ”のような皮膚炎が体のあちこちに出来ていました。冬になると症状が現われ、夏になると治るので、あまり気にせず、大人になるまで過ごしてきました。だんだん症状が酷くなってきたのは、50歳を過ぎた頃からで、最所は左手親指が乾燥したみたいな感じで皮膚が割れて次に足の裏も割れ始めてきましたが、市販の薬を塗り絆創膏を貼って過ごしてきました。
しかし症状は除々に、手や足、体にも広がってきました。特に足の裏の症状が酷くなり、あるき始めが痛くなっていきました。たまりかねて、近くの皮膚科へ行き薬を出してもらいましたが、なかなか治らず、終いには「これは水虫だ」と言われ、4ヶ月程水虫の薬を飲みましたが、一向に治らず、水虫ではなく、結局、皮膚科の先生にもわからないとの事でした。
松本漢方クリニックに行ったのは、平成19年の秋でした。その頃は手も足も酷い状態で、特に足の裏は干上がった、田んぼが地割れを起こしている様な感じで痛くてたまりませんでした。
松本先生は一目見るなり「これはアトピーだよ、必ず治してあげるから」と言って下さいました。
以来漢方薬を飲み、お風呂に入って、塗り薬をつける日々が始まりました、がなかなか効果が現れず、何度かやめようかと思いましたが、先生の言葉を信じて治療を続けてきました。
おや?と感じたのは、翌年のお盆を過ぎたあたりです。
足の裏に少しですが綺麗な皮膚が現われはじめたのです。
それから除々にですが治ってきました。
治療を始めて約2年を過ぎた頃には、手も足も体もすっかり綺麗になりました。これまで続けられたのは、毎月お薬を送り続けて下さったお陰です。
松本先生始め医院の皆様に感謝します。
有難うございました。