「今度こそは、治ると確信した!」44歳男性2005年10月10日
私は、20代前半から、花粉症の症状が出始め、鼻水・くしゃみ・目の痒みに悩まされてきました・・・仕事が調理関係ということで、当初内科の先生に相談したところ、『セレスタミン』という薬を処方され、服用しました。結果、鼻水が止まり、喜んでいました。
28~38歳までの10年間、この『セルスタミン』を服用し続けてきました。
38歳の夏、肩にポツンと『おでき』の様なものが出来、それが痒くてたまらなく、それが1つ2つと徐々に増えて、ついに痒みに耐え切れなくなり、皮膚科に通い始めました。そこで処方されたのが、『VG』『マイザー』という2種類の軟膏薬と、『アレロック』という飲み薬でした。それを飲み始めてから、2週間程で皮膚の状態が良くなりましたが、しかし、あっという間に前よりも酷い状態で再発してしまいました。
それから今年の3月くらいまで、近所では名医と評判の皮膚科、大学病院を含め5件の病院にかかりましたが、どの病院でも処方されるのは、同じ薬ばかり・・・一向に良くはなりませんでした。
しまいに湿疹が、頭から足まで全身にでき、特に背中の湿疹は酷い状態で、皮膚が薄くなり、破れてしまいそうな状態でした。家族からも「酷いな!」と言われ、このままでは取り返しのつかない事になると思い、インターネットでアトピーについて調べていくうちに、【松本漢方クリニック】の存在を知りました。ホームページに書かれている内容を読んでいくうち、率直に思ったことは、「やっと見つけた!」という思いでした。
2005年3月22日、初めて松本漢方クリニックに伺ってみると、中から聞こえてきたのは、患者さんに対して怒っている松本先生の声。(正直、怖い先生やなぁ~って思いました。)
そして自分の診察の時間。松本先生の第一声は、「治してあげるから!」と力いっぱいの自信に溢れた言葉でした。その後、先生の診察を受け、治療方針等の話をしていくうちに、松本先生の指示に従っていけば、治るだろうという自信と、それと同時にステロイド薬の恐ろしさを知りました。10年間という長期間『セレスタミン』というステロイド薬を服用してきた結果が、この身体になったのだと言われ、ショックを受けました。(「薬で鼻水を止めることは、人間の持つ代謝機能を止める形となり、体内の毒素を出さなかったために、身体におでき状の湿疹となってあらわれた。」と言われたんです!)
インターネットであらかじめ知っていましたが、松本漢方クリニックでの基本治療方針は、ステロイド薬で乱された代謝機能を正常化することだと、改めて説明を受け、それと同時に、治療開始当初は、身体に残っているステロイドを排除することになるため、後遺症が出ると説明されました。
治療開始後、一週間ほどで、微熱が出て、全身が赤紫に腫れ上がり、それに伴って痛みが酷くなってきて、これが後遺症の恐ろしさだと実感するとともに、これまで服用してきたステロイドの恐ろしさと知ることとなりました。
さらに一週間後、身体が亀の甲羅のように硬くなり、すごい痒みと、痛み、発熱で、夜眠ることが出来なくなってきました。この日からが、私と妻の、本当の意味でのアトピーとの闘いとなりました。夜は眠ることが出来ず、一ヶ月の平均睡眠時間は2時間ほどでした。痒くてかいた身体からは血がにじみ、シャツや布団に血が付着。痒みを抑えるのと、薬を塗るため、夜中にシャワーを浴び、そのたび、妻に消毒をしてもらい、薬を塗ってもらいました。自分では消毒するのも、薬を塗るのも、それをする体力すらなかったからです。眠りたいのに眠ることが出来ないということが、どれほどつらい事か、改めて実感しました。
4月の終わり、後遺症との闘いと、睡眠不足が重なり、ついに倒れてしまい、救急車に運ばれ、入院することに・・・入院の最中、身体の神経が過敏になり、虫が飛んでいるだけで身体が痒くなってしまい、気が変になってしまいそうでした。
5月の中頃、ずっと続いていた発熱も治まり始め、身体の痛みも落ち着いてきて、ようやく眠ることが出来るようになって来ました。身体の腫れがなくなると、湿疹もなくなっていき、そこからはどんどんと回復していきました。
今では(2005年10月)、何事もなかったかのような身体に戻ってきました。湿疹が出来てから、人の目が気になり、恥ずかしくて、大好きだった温泉にも行くことができませんでしたが、今では恥ずかしがることなく、堂々といくことが出来ます。
松本漢方クリニックの治療を受けて思ったのは、この治療の大変さです。後遺症への苦しさから、治療を放棄しかけた時に叱咤激励してくれる家族の理解、治療中に生活を支えてくれた、妻の力がなければ、私個人ではやり遂げることは出来なかったと思います。
今にして思えば、いろいろな皮膚科に通っていた6年間、あれは一体何だったのか。
この医院に通いはじめて半年で、昔のようなきれいな身体に戻してくださった、松本先生の治療に感謝です。松本先生のおっしゃられたあの一言、「治してあげるから!痒いときはかけばいい!」は、一生忘れることが出来ません。
最後に、ここまでやり遂げる事が出来たのは、時には厳しい松本先生と、献身的に協力してくれた家族に、感謝の気持ちでお礼を言いたいと思います。本当にありがとうございました。
「アトピー手記」匿名希望66歳2013年4月20日
アトピーからの脱出(中間報告)
- 経緯
もう随分以前から、秋~春の間は乾燥で脚に湿疹が出ており、オロナイン軟膏やアロエ軟膏など家の常備クリームで凌いでいた。
2011年の秋冬も同様の対応をしていたが、痒みが収まらずまた左脚の皮膚の状態も酷く、翌2012年初めに近くの皮膚科を受診した。「乾燥と判断しますが、ここまで来たらステロイドが早いので」と、イトロンを処方してもらい、約2週間で治療を完了した。
また、その後、薬局から尿素入りの保湿クリームを購入、両脚、両腕の乾燥部分に塗布しこの乾燥シーズン(2012年5月中頃まで)を過ごしてきた。
毎年のこの湿疹は乾燥が原因のため、例年、春を過ぎると全く収まってしまうことから、軽く考えていたが、2012年の秋の湿疹は様子が違っていた。
2012年10月末、左脚にいつもより大きいニキビのような、湿疹が顕れた。
妻が松本漢方クリニックに6月よりお世話になっていた関係で、尿素はダメとの情報を得ていたため、植物由来の天然保湿オイル「ニーム・オイル」を使って凌ごうとしたが、湿疹が増え、繋がり、腫れてきた。また、部位も拡大し、年末くらいには両脚、両腕に加え、膝の裏、背中、肩、腰と湿疹が出始めたため、意を決し2013年1月4日、松本漢方クリニックを訪ね、治療をお願いするに至った。
- 治療の経過(2013年1月4日~4月20日)
(1)1月4日(治療開始)
「一気に行くか!」と松本先生からせんじ薬と赤・黄軟膏、ゲンタシンを処方していただき、治療が始まった。薬草風呂は妻と共用で2日に1回の割り。
またこの日の血液検査の結果は、非特定IgE=227とアレルギー状態を示し、単なる乾燥ではなく、アレルギー疾患であることが証拠だてられた。
(2)1月4日から2月8日までの状態(治療開始から36日間)
湿疹は急速に拡大、先生の「一気に行くか!」の意味がこれだったのか、と理解。両脚に加え太腿にも湿疹が発生、また両腕は赤く腫れ、肩や背中や腰にも湿疹が広がり、更に1月14日(治療開始から10日目)くらいからは、猛烈な痒みで夜、ろくに眠れなくなる。
また、薬草風呂の入浴時間であるが、始めのうちは、逆上せて30分位しか入れなかったが、看護士さんの「長く入るほど早く治る」とのご指導で、お風呂の温度を少し下げ、2時間みっちり入るようにしたところ、皮膚の状態が改善され出したように思う。
そして、2月4日(治療開始から32日目)、漸く、何度か痒みで目覚めることはあっても、朝まで眠れるようになった。この間、辛い22日間であった。
2月7日(治療開始から35日目)全身の写真を撮り、余りにも大きく拡大している湿疹に改めて驚くが、脚や腕や腰や肩など、枯れてきている様子であり、また、脚のキシルも減ってきている。どうやらピークは過ぎたようだ。
2月8日の血液検査の結果は、非特定IgE=715。
(3)2月9日から3月3日までの状態(治療開始37日目から59日目までの23日間)
痒みも日ごとに楽になって来、2月18日(治療開始から46日目)には痒みで目が覚めることも無く、以降、朝まで安眠出来るようになった。
また、脚のキシル、脚、腕、背中のチクチク感の対策として、1月11日(治療開始から8日目)からベルクスロンを処方して頂いているが、2月26日(ベルクスロン服用開始から47日目)には両足のキシルが出なくなり、また背中を除いて腕や脚のチクチク感も無くなっている。
なお、2月中旬(治療開始から37日目、ベルクスロン服用開始から30日目)頃から、免疫力の向上故か、肩こりや目の霞み、声のかすれ、
などの症状が出始め、3月2日(治療開始から58日目、ベルクスロン服用開始から51日目)にはこれらの症状がピークになった。ヘルペスとの闘いが活発になるとこのような辛い症状になるのだろうか?
そして翌3月3日(治療開始から59日目、ベルクスロン服用開始から52日目)に、これらの症状が急に無くなった。昨日までの不快感が嘘のようであった。戦いが一段落したのであろうか。
(4)3月4日から4月20日現在までの状態(治療開始60日目から107日目までの48日間)
アトピーの痒みも殆ど無く、また僅かずつではあるがアトピーの皮膚の変色も薄くなってきているため、松本先生のご指示で、4月5日(治療開始から92日目)から赤・黄の軟膏の塗布をそれまでの1日2回から1日1回に変更。また、脚の一部を除いて赤だけを塗布する事とした。
また、3月17日(ベルクスロン服用開始から66日目)には最後まで残っていた背中、特に両肩甲骨周りのチクチク感もなくなったため、松本先生のご指示で翌3月18日からベルクスロンの服用を止めることとした。
また、毎年の事ではあるが、今年も檜の花粉症が発症していたため、4月5日に松本先生にお願いし、粉薬を処方して頂いた。2週間服用した4月19日現在、花粉症は治まっている。この10年間の花粉症は何だったのだろうか、とさえ感じるスピード解決であった。
- 雑感
(1)小生のアトピーの症状は軽いほうだと思われる。しかしそれでも治療開始から36日間は辛い日々であった。中でも、夜、ろくに眠れなかった22日間は、「何時までこんな状態が続くのか?」「この治療法で良かったのか?」と自問自答することも多かった。こんな時に、松本先生の書かれた論文や、コラムを読み返し、「これで良いのだ」と改めて納得したり、患者の皆様の手記から自分に近いものを選んで、「自分もあと4ヶ月程度で、楽になるかな・・」などと、希望を見つけることが出来たりもした。これらの文章に元気を頂いた事に大いに感謝している。
また、治療開始から、この治療の目標を「免疫力向上による若返り」と定め、完治の折には若々しい自分に戻るのだ、と自分に言い聞かせたことも、辛さを乗り越える力になったと思う。
尚、薬草風呂の2時間は、「般若心経を暗記する」、「日頃、なかなか通して聞けない長い交響曲のCDなどをゆっくり聴く」、などの目的を作り、楽しい時間となるよう工夫した。
(2)以前、妻のアトピー対策のため、アレルギー市民講座に出席した事があるが、「ステロイドの大量療法でアトピーを完治させる」という発表内容に疑問を抱き、「それは対処療法では?」と疑問をはさんだところ、「徹底的な対処療法が根本治療に繋がる」との説明であった。
つまらない情報に惑わされ、妻のアトピー治療を回り道させた事を反省している。例え間違えていても自分で納得できない方法に依るべきではない、と改めて心に刻んだ。
(3)自然の保湿オイルなら大丈夫、と「ニーム・オイル」を使用したことがあるが、ネットで良く調べると、分子構造が「ステロイド」とほぼ同じとのこと、使用期間は短かったが小生の脚のアトピー治療を長引かせる結果になったのでは、と反省している。自然のものではあっても安易に使用してはならない、と心に刻んだ。
(4)尿素がDNAを壊す、このことは松本漢方クリニックで始めて知りました。何故、尿素入りクリームが薬局で無造作に売られているのか、また、食品添加物、残留農薬問題などを見ても、この国の遺伝子汚染に対する取り組みは驚くほど甘いと感じます。アレルギー大国、癌大国の汚名を返上するべき基本的施策が今や最重要課題と思うが、政治家からも官僚からもその気を感じない。残念では有るが、取り敢えずはこんな社会状況であることを理解し、自分で自分を護る意識を研ぎ澄まさなければ、と強く感じる。
(5)今回の治療を通じて松本先生に沢山の知識を頂きました、また沢山の本も読みました。そして世の中では却って患者を破滅に導く恐ろしい治療が沢山行われていることも知りました。
患者ひとりひとりが医者の言葉を鵜呑みにせず、自分なりに理解しようとする事が益々大切なのだ、と思います。
- 最後に
4月20日現在、小生のアトピーは治療開始から107日目、痒みが治まり、皮膚の変色部分も、少しではあるが薄くなってきています。このような短期間でこれだけの成果をもたらして頂いた松本先生を始め、看護士さんやスタッフの皆様に感謝いたします。
また、まだまだ皮膚の変色部分が治るためには時間が掛かると思いますが、完治まで引き続きのご指導を宜しくお願い致します。
「アトピー 喘息 花粉症手記」匿名希望64歳2013年8月30日
気管支喘息、花粉症、体の痒みで病院をいろいろ変わり、吸っていたタバコもやめ治療をして来ました。薬を服用している時症状は無くなり、もう治ったかと薬をやめると直ぐ元にもどり、いっこうに良くなりませんでした長年つらい思いをしてきました。随分前になりますが、胃の調子が悪くなり、松本漢方クリニックに通院した事を思いだし、今回平成24年11月16日に受診開始、2週間、3週間
1ヶ月以前の治療では、とっくに症状は楽になっていました。今回の漢方治療では即効性はなく、リバウンドをしながら少しずつ改善、半身半疑の治療、
でも通院を重ねる事に今までの治療がなんだったのか、あれも、これも私の考え方まで、すべて否定され、すごく怖さを感じました。免疫力を上げる治療今で9ヶ月が過ぎました。咳、痒み、だいぶん改善してきました。花粉症は年末になってみないと、松本先生の必ず治る、の言葉を信じ絶好調になりましたと言える様に頑張って治療を続けて行こうと思います。でも、なぜ、
松本漢方クリニックと同じょうな考え、治療をする病院が少ないのでしょう。
「指がかゆくなくなった!アトピー完治・突発性難聴途中経過」 40歳男性2015年10月28日
アトピーの始まりは小学4年でした。両手がしもやけのようになり、水疱ができ始めました。その時は、すぐ治ると思い、まさか20年以上苦しめられるとは思いもしませんでした。
親と一緒に行った病院では、ステロイド(リンデロンだったと思います)を処方されました。始めはあっという間に症状が治まって、「すごい!」と思ったけれど、長く使うにつれて効果が薄くなり、手指だけだった症状が、汗をかきやすい首、肘、膝、股関節にまで広がっていました。
夏はジュクジュク、冬はボロボロ。このときは自身の身体を恨みました。何より辛いのは痒みです。「何をするのもメンドクサイ」、そんな状態で、ずっと水疱をつぶして気を晴らしていました。どうにも痒みが我慢できない時は、熱湯に手を突っ込んでいました。痒みを痛みに変えることで我慢していたのです。身体に悪いと周囲から言われましたが、痒みに比べればよっぽどマシでした。この生活が延々と続きました。
自分の身体を誤魔化しながら高校、大学を卒業し、就職しました。このまま乗り切れるかと思っていましたが、入社2年目で身体に大きな異変が起こりました。夜中に耳元でピーッ!と鳴り続ける鋭い音がするようになりました。突発性難聴でした。すぐに大病院に入院しました。
当時診てくれた担当医の表情が絶望的だったことは、今でも印象に残っています。検査結果は相当悪く「最重度」、数値化すると200dBでした。(ダンプカーのクラクションも聞こえない状態だそうです)。
不安に駆られながら治療を開始しました。治療方法は大量のステロイドを毎日点滴することでした。心配だけど他に選択肢はありませんでした。幸いなことに1週間ほどで中程度まで回復しましたが、そこから横ばいのままで、結局2週間で退院することになりました。
担当医とのやり取りは今でも忘れられません。突発性難聴の原因を尋ねたのですが、「原因は不明で 何故治るか不明だけど 昔ながらのステロイド点滴を採用した。ここまで回復したのは奇跡的。」との回答でした。「何故治るかはわからない」と聞いて絶句しました。
「さてどうするか」と考えたときに、地元であるJR高槻駅の近くに漢方を使う病院があったことを思い出しました。それが松本漢方クリニックでした。そして、意を決し訪問しました。
院内に入ると漢方薬の濃い匂い。そして受付を終え待合室で待っていると、突然、診察室から怒号が聞こえてきました。あれは驚きました。「どうやら先生が患者を叱っているらしい。しかも1度や2度じゃない。これはとんでもない病院に来たぞ」と思ううちに、自分の診察の番になりました。
松本先生に初めてお会いしたときは強烈なインパクトだけあったと覚えています。ステロイドを使用していたことやら何やら色々叱られて、そして最後に一言、「必ず治してあげるから」と言われました。あの時の目の強さは印象的でした。(自分の免疫が治すということを理解した上での先生とのやりとりです)
それから漢方薬での治療が始まりました。せんじ薬と入浴剤、赤い軟膏に消毒液を処方されました。他の患者さんの手記を読んで長丁場になることは覚悟していましたので、気長に良くなるのを待つつもりでいました。一番ありがたかったのは、「痒いときはバリバリ掻いても松本漢方クリニックの消毒液(ネオヨジ)を使えばよい」と言ってもらえたことでした。
それから数年の間、苦しい時期もあったけれど、リバウンドも余り酷くなく、症状は軽快していっているように思っていました。ただ、先生からは、「いつどんなリバウンドが来るかは予想できない」と毎回言われていました。他の患者さんの手記を読んでも結構強烈なリバウンドがあったと書かれている方が多かったので、「自分もそのうち来るのかな」と何となく考えていました。
事態が急変したのは今から2年前の夏のある日でした。引っ越しして一人暮らしを始めた頃です。何故だか顔が熱く、鏡を見ると顔に無数の赤い斑点ができていました。しばらくすると落ち着いたのですが、それから毎日、突然顔が腫れあがる症状が続きました。それから日を追うごとに症状が悪化しました。熱が出るだけでなく、顔や首回り、そして右腕がボンレスハムみたいにパンパンに膨れ上がり、皮膚がはち切れそうになりました。朝起きて出社するとみんなに心配されるような日々でした。「とうとう来たんですね、派手なリバウンドが」そんな気持ちでした。そして痛みでどうにもならない状態になり松本先生に電話相談した結果、自宅療養をしようと決意しました。
戦いの日々が始まりました。毎日、先生に体温を報告し、抗生物質と漢方薬の治療を続けました。リバウンドの辛さは想像を絶するものでした。熱は38℃前後から変化せず、顔、首、両腕がパンパンに膨れ上がって変形しました。四六時中痛みがあり、皮膚が切れてかさぶただらけで痒く、痒みと痛みで寝ることもままなりませんでした。このときが一番つらかったです。外出もできないので母に頼んで食事の手配をお願いしました。親のありがたみを痛感させられました。そして、先生との電話は治療のためだけではありませんでした。自分が一人でないことを毎日気づかせてくれたのです。先生がよく診察室で電話を受けていることを思い出して、「ありがたいことだな」と一人納得していました。1週間を経過した頃、症状は改善の兆しを見せました。熱は37℃前半まで下がり、顔の症状は収まって、瘡蓋(かさぶた)だけになりました。しかし代わりに足が腫れ上がりました。これが曲者で、歩くと症状が悪化しました。トイレに行くたびに症状が悪化するとか勘弁してほしいと思いました。ただ、峠は越えたようで、「生きていれば何とかなるさ」と思って結構気楽に過ごしていました。そして闘病生活も1か月ほど過ぎたころ、全身瘡蓋ボンレスハムの生活を無事乗り切って、一般の生活に戻ることができました。
何とも難儀な1ヶ月でしたが、良い方向で新たな身体の変化が起こっていました。一つは指先のアトピー症状が出なくなったことです。痒くないのです!まさかこんなにストレスない状態になるとは夢にも思いませんでした。関節部位もきれいなもので、今でも自らの手指や腋などの関節部位を見ると、よかったなあと思います。あとは肌ツヤが良くなり、皮膚が丈夫になったことですね。会社のパートさん曰く、ゆでたまごの殻を剥いた感じらしいです。10年近く漢方薬を飲んで体質が変わったのでしょうね。
現在の僕はアトピーを乗り越えたので、難聴を治療すべく漢方薬を処方していただいています。また長い時間がかかるかもしれませんが、自身の免疫力を信じて気長に取り組もうと思います。松本先生には只々感謝するばかりです。まだまだお世話になりたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
最後になりましたが、僕の手記に最後まで目を通して頂いたみなさんに、お礼申し上げると共に、長く健康に過ごせますようお祈りいたします。ありがとうございました。
「松本漢方クリニック様に出会って(アトピー手記)」75歳男性2016年5月14日
10年くらい前に、アトピー皮膚炎になり、体が痒くて、夜もぐっすり眠れなくなり、掻きむしり手足がボロボロになり、体から粉が出るようになりました。病院に行き、飲み薬とステロイドの塗り薬をもらいそれを付けても良くならず、3軒病院を変えてみるも、悪くなるばかりで、体中傷つき始めました。
4軒目の病院の皮膚科は、塗り薬をたっぷり付けて頂き、すごく良くなりぐっすり眠ることができてすごい先生に出会えたと思いました。これで助かったと思いました。でもまた体中ボロボロになって、痒くもなってきたので、飲み薬が悪いのかと思い、飲み薬を止めましたが変わりませんでした。次に塗り薬も止めでも良くならず、4軒目の先生に相談すると、塗り薬の塗る量が少ないからだと言われ、先生が「付けてあげる」と言われ、手袋をして、木のコテで塗り薬をたっぷり付けて包帯をして下さいました。これ以上は薬を出せないと言われるほど、めいっぱい薬を出して下さいました。今度は、手足の皮膚が、5cmくらいアカ切れのように割れ始めました。手が固くなり、朝起きて自分の手をマッサージしないことには、施術が出来なくなり、体がなんとなくだるいと思ったら、熱が上がり、朝の体温は37度で、昼からは38~39度まで上がり始める毎日でした。熱も出るため、隣の市の総合病院に行き、毎日点滴を3時間掛りで行いましたが、2週間しても変わらず、内科、外科、皮膚科と診てもらっても原因が分からず、最後に整形外科の先生が、「私が必ず原因を見つけてあげる。もし分からなかったら、金沢大学病院を紹介してあげる。立派な先生が多くいるから、心配するな。」と言われました。血液検査をし、結果を聞きに行きました。すると先生が、「いや申し訳ないが何も分からない。大きいことを言ってすまない。金沢大学病院に行っても検査方法は同じだから、原因は分からないと思う。ただ一つ思うことがある。免疫が下がっているように私は思う。」と一言言われました。
熱を下げるのに、薬を1日3回飲みました。すると、体温が35度になっていきました。今度は頭の皮膚が傷つき液が出て、理髪店の方もびっくりし、「散髪するのは無理。早く病院に行け。」と言われました。昔母親に、頭から汁が出て、そのうちに腐って死んでいった人が多くいた、と聞いたことがあったな、と思い出しました。正直、自分はもうおしまいかと思いました。それから、もう病院では無理だと思いました。免疫力を上げなければと思いました。体はますます悪くなり、顔は青々しくなり、7kg痩せました。
その後、体が、きれいになって、熱も下がり、元気になって良かったと喜びました。しかし、目を開けたら、その喜びは夢の中の出来事でした。何も変わらぬ現実に引き戻されました。そして、その後ふと以前、カラオケを歌いにお店に行った時に、アトピーで顔を見るのが申し訳なく思う人が次に会った時に、きれいに治っていたと聞いたことを思い出しました。そこでその店に向かい、その方が次に来たら知らせてもらうようお願いをしました。運良く、その3日後にその人と連絡を取ることができました。
その時、教えていただいたのが、松本漢方クリニックでした。土曜日にも診てもらえることを聞き、早速富山県から、大阪府高槻に向かいました。先生は、ボロボロになっていた私の手を、素手で握り、しっかりと握手をしてくださいました。これで生きてゆけると思いました。4時間かけて大阪に来て良かったと思いました。先生と出会うことができて、人生が変わりました。先生に「日本一の先生ですね。」と言ったら、「世界一だよ。」と言われました。1年くらいかかりましたが、段々頭の傷も良くなり、手足の割れも無くなり、青白い顔も赤みが出て今、大変だったときのことを思うとゾッとします。その後会った、整体師の仲間に、お前はもうだめだと思ったと言われました。丼ぶり飯を食べても、痩せていき、10kgほど落ち、ステロイド薬の恐ろしさに気づきました。
今思うと、病院の先生が悪いのではないのだと思います。今は病院にもお世話になったので感謝しています。ただ、病院では何も原因が分からなかったのに、松本先生は「ヘルペスが増えています。」と言われ免疫がすごく落ちていることをきちんと検査し、教えて下さいました。本当にありがとうございました。
今は、趣味として元気にカラオケ教室や、歌と踊りの会もできて、皆と楽しく歌を歌いながら仕事では整体店で、施術をしています。生き生きとした毎日を充実して過ごさせていただいております人生いろいろありますが、楽しい毎日が戻ってきました。感謝の気持ちでいっぱいです。
2008年頃 現在
私がアトピー性皮膚炎を発症したのは、今から15年前の事でした。
主人の仕事の関係で、アメリカで暮らす事になったのですがその準備や不安でストレスが重なったのか、顔中に湿疹が次々と広がり始め、人相が変わってしまう位になってしまいました。それでも日本にいる時は、一時的な症状だろうと過信して近所の皮膚科へ行き、ステロイド剤を処方してもらい、それを塗ってしのいでいました。ステロイドを連用そるのは恐ろしいという事は、前々から知識としてあったのですが、どうしても湿疹だらけの顔を人に見られたくないと思う気持が強く、悪化して塗るという事を繰り返していました。
そしていよいよアメリカへ渡り、そこでの生活が始まりました。
もう回りには誰も知っている人がいないから気にする必要もないかと思い、ステロイドを塗るのを止めました。昔、何かの雑誌でステロイドの恐ろしさを目にしたことがあり、特に顔の皮膚は体の中で一番うすい部分なので、ステロイドを塗り続けると血管が浮いたような状態になり、大変なことになるという記事を読んだことがありました。ただそのステロイドの恐ろしさを知ってはいても、やはり顔面ジクジクした体液の出るかさぶただらけのみにくい顔を人に見られるのは、女性としては大変つらい事で、元地で知り合ったアメリカ人ともなかなか打ち解けられず、悶々とした日々を過ごしていました。
そんな時、日本に住む友人が心配して、「食生活を見直したら、アトピーが治る」という本を送ってくれました。わらおもすがりたいと思う私は、食生活を大々的に改善してみました。
玄米、魚、大豆製品、野菜を多めにとるという方法です。実践した結果、顔や体にあった湿疹は少しですが、緩和され、人前には何とか出られるようになりました。二年間のアメリカでの生活を終え、日本に帰国しましたが、その後もずっと食事には気をつけていました。ただ、アトピー症状の出ない完璧な肌の状態になれず、体中のあちらこちらに湿疹が出来て、化粧も満足に出来ませんでした。そして、今日から3年くらい前の事です。秋口に、体中に、赤い湿疹多数出来て、痒みも酷く耐えられない状態になりました。
体だったらいいかなと思い、近所の皮膚科で処方されたステロイド剤を塗ってしまいました。それでも多量に、3~4ヶ月間は塗ったでしょうか、5ヶ月位になり暖かくなった頃からおさまり、安心したものの、また次の冬が来ると同じ様な湿疹が前にも増して出てきました。後に松本先生に診てもらった時、この様な湿疹が出来る理由を聞くと、先生が、「寒さのせいで体の代謝が落ちているせいでしょう」とおっしゃって下さいました。「冬になるとこのように出てくる湿疹、これは一生治らないのではないか?」と疑問を感じた私は、近所でかかっている皮膚科の医者に「ステロイドを使わずに、この湿疹を治したい。」とつい言ってしまいました。するとその先生は、血相を変えて「ステロイドを使わないでこの湿疹を治したいなんて無理な話だ。あれだけきちんと塗りなさいと言ったのに何で塗らないのだ。あんたにはこのステロイドを今日から5本渡す。これを毎日ずっと塗り続けなさい。」ときつく怒られてしまいました。ステロイドを塗りたくない私は、他に何か良い方法はないのか?助けてほしいというやり場のない気持ちで一杯だったのです。私の主人は、薬品関係の仕事をしているで、いつも私が塗っているステロイドの強さを調べてもらったら、強さを5段階に分けたところ2番目に強いかなり強力なステロイドだとわかり、ショックを受けました。そんな時偶然にもインターネットで、松本漢方クリニックの存在を知りました。そこにはアトピー性皮膚炎がおこる原因やステロイドを使用しないで治す事が出来るという、信じられないような内容が書かれていました。私が無我夢中で松本先生のアトピーについてのいろいろな文章を時間がたつのも忘れ、一気に読み続けました。今まで色々な本や雑誌でアトピーの治療法について読んだことはありましたが、松本先生の書かれた文章は今までずっと私が捜し求めていた真実だと確信しました。体験談なども読み終えて時、私は感動して泣いてしまいました。何が何でもこの方法でアトピーを治してやると強く決心した私は、その2日後松本漢方クリニックを訪れました。診察時、看護師さんに「ここがあなたにとって最後の皮膚科になると思います。」と言われた言葉がとても印象に残っています。松本先生は、「なにか困った時はここに連絡して」と携帯の番号を教えてくれました。真剣に患者と向き合おうとしている松本先生の姿勢が感じられ「ここに来て本当に良かった。この先生にとことんついて行こう。」改めて決心しました。血液検査をしましたが、その結果コルチゾールという値が基準値より低く、松本先生から「過去にステロイドの注射をしていないか?」と聞かれました。その時、私は思いあたる事がありました。
松本漢方クリニックを受診する半年位前、五十肩の症状がひどくて私は受診した整形外科で、肩にステロイドの注射を二回ほど打ったことがあったのです。
先生は「ステロイドの塗り薬、内服よりもステロイドの注射は体にとって一番悪いもので、コルチゾールの値が低いのは、ステロイドの注射を打った事で、副腎の働きが低下しているためで元の状態に戻るためには、しばらく日数がかかるだろう。」とおっしゃいました。私は「何てバカな事をしてしまったのだろう。」ステロイドの注射を軽く打ってしまった事を後悔するばかりでした。
翌日より医院で頂いた治療薬を服用していくと、早々リバウンドの症状があらわれました。「これから痒みとの戦いになるのだろうな。」思うと同時に、「ここまで症状が顕著にあらわれるとは、すごい事だ。」と感心しました。
漢方薬のお風呂も一日おきに入りました。最初お風呂に一時間入る事はかなり負担でしたが、お風呂に入る事で、どんどんアトピーの症状が良くなっていくことがわかり、長年悩んでいた冷え症も改善されるなどしてお風呂に入るのが楽しくなっていきました。漢方のお風呂と同時に、漢方薬も服用し続けていく中で、アトピーの症状はだんだん良くなってはいくものの、顔に出来るヘルペスにずっと悩まされっぱなしでした。
ヘルペスに効く内服薬を1週間服用しても症状はなかなか良くならず、あせったりもしましたが、松本先生にいつも「あなた免疫が戦っている証拠です。と励まされて、なんとか乗り越えられました。松本先生に処方して頂いた薬で治療を始めてから一年位たつと、私の皮膚の状態も赤みかかった状態が涸れたようになり、かなり落ち着いてきました。でも以前に、強いステロイドを塗っていた部位は、茶色いしみとなって残り、今も消えません。
もしステロイドあのままずっと使い続けいたら、私の体はどうなっていたのだろうと想像するだけでも苦しくなります。そして、治療を始めてから一年半たった頃、症状の方もかなり良くなったため、松本先生から体験談を書いて下さいと言われました。一生治らないと思っていた私のアトピー性皮膚炎が良くなって体験談を書けるなんて幸せな事でしょう。
今私はほとんど出来なかった化粧をしっかり出来るようになり、おしゃれも楽しめるようになり、人生が変わりました。
もし私と同じ様にアトピー性皮膚炎で悩み苦しんでいる人がいたら、是非松本先生の治療を受けてほしいと思います。アトピーを治すために、食生活を変えたり、いろいろな健康食品を試してみたりしましたが、松本先生が行っている治療方法が、本当にアトピー性皮膚炎を治す真実だと思います。
松本先生、本当にありがとうございました。
これからも悩める患者さん達を助けてあげて下さい。
私とアトピーとの付き合いを年史風に書いてみたいと思います。
3歳頃 物心がついた頃は、体のあちこちを掻いていた。
5歳頃 朝起きたすぐの日課は、体中を掻く事、しゃがみ込んで10分間は掻いていたような。
7歳 第一のピーク関節の内側を重点として、血とリンパ液にまみれる状態で、皮膚科巡りの始まった頃。治療といえば塗り薬。
10歳頃 小康状態、何処の皮膚科に行っても、変り無し。
15歳頃 思春に入って多少改善。しかし波あり。
18歳頃 小康状態、何処の皮膚科に行っても、相変わらず塗り薬、23歳頃 良くなったり、悪くなったり、適当な薬でごまかす。
29歳頃 カナダに遊学。バイト先で極端に悪化。薬を塗りまくってやり過ごす。環境が悪かったのか、水のせいか、しかし何故かバイクで旅に出ると、改善、食生活は決して良くなかったのに。
4ヶ月かけてアメリカ大陸一周。人生最良の時かな。
30前半 小康状態、体の調子が落ちると悪化、たまに薬局の薬でごまかす。
30後半 今で言う所のニート状態、昼夜逆転、調子悪化。それでも何故か毎日、歩いて図書館通い。仕事は盆暮れの酒屋でバイトのみ。ボウリングにはまり、親に借金して再びカナダにスキー旅行に行ったり、これって極悪遊び人。人生最悪の時。
37歳頃 状態は悪化の一途。ここで松本漢方クリニックと出会う。治療開始。
40歳頃 ほぼ完治。(症状が無くなって、自分で治ったと思っただけ。)
42歳頃 かってに治療を止めたが、再び発症。再び治療開始。
44歳頃 止めていた治療を、症状悪化と、又再開、今に至る。
私の場合は、症状的にはまだ軽い方だったが、時に無気力になり絶望感にさいなまれ時間とお金を無駄に浪費するには十分だった。このアトピーの苦しさは、経験した者にしかわからない。言葉では伝わらない見た目のひどさだけでも、本当の苦しさは人には理解できない。それはたとえ家族の者でも全てを解かりは出来ないでしょう。だからもしこの手記を読んだ人。あるいはたまたま偶然でも松本漢方クリニックのウェブサイトに行き会った人は、どうか良く考えて色々な事、資料も調べて自分の判断で決断して下さい。
私はこの松本医師以外で、絶対に治ると言った医師には1人も行き会えませんでした。それにこれほど多くの手記も見たことありませんでした。とにかくよく自分で考えて下さい。自分の為になる治療は何なのかを。
中間報告
松本先生に感謝しています。
1、松本先生の
2010年の夏は猛暑でした。8月13日は豪雨でした。靴に水が入り、
8月16日から、水虫になりました。9月中旬まで売薬の水虫薬をつけておりましたが治りませんでした。たまたま通りかかった松本漢方クリニックで水虫のお薬を改善しました。松本漢方クリニックの待合室で、手記を読みました。アレルギーを克服した方々の手記に食物アレルギー克服体験がありました。水虫の診察の最後に私の卵白アレルギーのお話を、松本先生に相談しました。
松本先生は、「食べられるようになりますよ」との事でした。
さて今回は中間報告です、私は、約30年間、卵白アレルギーと戦かってきましたが、約3ヶ月間で卵を食べられるようになりましたので、以下に報告します。2010年の猛暑が、私を松本先生に結びつけてくれました。私の感動の喜びの話しを始めます。
2、卵白アレルギーの初診
「耳かきの先っぽ」大の卵から食べなさい。煎じ薬を飲んで、蕁麻疹が出なければ、卵の量を、次の日は倍にして増やしていきなさい。
蕁麻疹が出たら、卵の量をその量で続けなさい。蕁麻疹の出た所には、黄色と赤の塗り薬をつけなさい。との指示でした。
3、私の対策
卵を2個、買ってきました。ゆで卵にして1mm立方の粒を作りました。
煎じ薬とセットで、1mm3から始ました。2日目は、1mm3の卵白2粒。3日目は3粒。8日目は、8mm3を、1粒。9日目は、2粒。
16日目は、64mm3を、ひと粒。とうとうキャラメル大の卵白を、食べ始める頃に、3回目の松本先生の診察がありました。
4、卵白アレルギーの3回目の診察
「当面の目標は、かつ丼」です。松本先生は、「食べなさい」と。
帰り道に、スーパーで、だし巻き卵を買って帰りました。キャラメル4個大のだし巻き卵を食べました。
5、卵の入った食品にトライ
その後、いろいろトライして食べています。
たい焼き、ロールケーキ、カツ丼、仕出し弁当の目玉焼き、ポテトサラダ、卵白つなぎのラーメン、温泉卵、いずれも大きさを4分の1~2分の1
そのままの大きさに、増やして自身をつけて、食べています。
6、当面の目標
松本先生から、煎じ薬を飲まなくてもO Kの指示をもらえる様になる事です。
7、20歳台~51歳までの振り返り
22歳頃に、蕁麻疹が出ました。29歳頃まで原因がわかりませんでした。
長岡京のK先生方々、京都市内Y先生、長岡京のM先生方々、にお世話になり、注射や、ねむくなる薬やら、試しました。「肉を食べなさんな」
「竹の子はやめときなさい」いろいろと食べずに20歳代を過ごしました。
長岡京のE先生が、LOG検査をして下さり、蛋白アレルギーと判明したのが29歳の時でした。「卵は去けるしかない!!」その後松本先生に出会うまでの20年間、卵は食べませんでした。しかし、失敗します。何かと卵が入っています。風邪薬にも塩化リゾチュームは、卵白で培養しつくられていますし、カレーにも入っている事があります。
8、処方
卵を食べないのに、混入した卵成分で発症した際には、皮膚科の先生に処方していただく薬の世話になりました。例えば、31歳前後に2年間、米国ニューヨーク州の大学に留学中、学内のR先生からお薬をいただきました。
帰国後、東京葛飾のK先生には、強ミノ、注射と塗り薬を頂きました。
6年間居住した福島県では、薬なしで、我慢して過ごし、一月位かけて治しました。30歳~49歳までは、妻が気づかってくれ、食材に卵白材料は、ほとんどなくなりました。50歳~51歳は、茨木市で単身赴任中です。卵なしでの料理は、なかなか大変です。50歳の冬に、蕁麻疹が出ました。外食の野菜炒め風の料理に卵白が入っていたようです。高槻の皮膚科でお薬をもらいました。
9、感謝
松本先生は、私は、卵料理を食べられるようになり、とても嬉しいです。
有り難うございます。
「アトピーとリウマチを患って」58歳女性2004年9月10日
先ずは、松本先生初め、医院のスタッフの方々に、心よりお礼を申し上げたいと思います。完治はまだですが、日常生活レベルでは、かなり不自由なく過ごす事が出来るようになりました。言葉で言ってしまうと、この一行に尽きるのですが、それがどういうことかというのは、同じ病を経験した人にしかわかってもらえないと思います。あのつらくてみじめだった頃の事を思うと、今日この程度にまで改善された事が、どれ程の喜びであるかは、言葉では言い尽くせないと思います。松本漢方クリニックを紹介してくれた友人にも、感謝です。
血液検査の結果、リウマチと診断されてから、1年と3ヶ月(平成16年8月現在)、症状が出始めたことにさかのぼれば、1年と8ヶ月になりますが、今日までの経過を、ざっとたどってみようと思います。
<平成15年1月頃>
手の指と足の指に、違和感と軽い痛みを感じるが、フラメンコのレッスンのせいかなと思っていた。痛みもあったりなかったりで、最初はさほど気にもしていなかったが、そのうち足の裏の痛みもだんだんひどくなってきた。3月にヨーロッパ行きを計画していたので、何とかしなければと思い、カイロプラクティックに通い、かつかつ出発日までに歩けるようになった。
とはいうものの、「異国で、痛みが再発するのでは」という不安を抱えての出発であった。ところが不思議な事に、ヨーロッパ滞在中(40日間)は、出発前の心配も杞憂に終わり、あの坂と石段のリスボンやモンマルトル界隈を一日中歩き回っても、何の支障もなく、無事旅を終えて帰ってきたのである。
ところが、その喜びもつかの間、帰国して一週間も経つか経たないかで、また手足の指、足の裏の痛みが再発したのである。カイロプラクティックに行っても良くならず、先生の「ひょっとしたら、リウマチ因子があるかもしれない。」との言葉で、検査を受ける気になり、整形外科へ行った次第である。
<平成15年6月11日>
整形外科にて、血液検査を受ける。その結果、リウマチと判明。色々な写真を見せられながら、説明を受ける。それまでリウマチに関しては、ほとんど無知であった私には、医者の説明は、あまりにもショックであった。見せられる写真は、全て、骨が変形したものばかりで、この病気は、現代医学では、未だ発症原因すら判っていないし、進行そのものを止める術はないとのことであった。あまりに希望のない話に打ちのめされ、その時点では、症状としては未だ軽かったのだが、精神的に相当参ってしまったのを、今でも覚えている。
その日は、非ステロイド系の薬を二週間分もらって帰ったが、薬は、ほとんど飲まなかった。
<平成15年9月>
友人の紹介で、別府の寒冷療法の先生に診てもらう。
自宅での寒冷療法のやり方を習って帰り、2ヶ月位それを実行したが、症状としては、現状維持以上のものではなかった。
<平成15年10月>
この頃から、アトピーの症状が出始める。顔が赤っぽくなり、むくみも出ている。皮膚がカサカサになって、ボロボロ剥ける。それまで皮膚科で出してもらっていた軟膏(ステロイド)をつけても、一向に治まらない。今までと勝手が違うなと思っていたが、今から思えば、あれがすでに一種のリバウンドだったのだと思う。
<平成15年11月>
知人の紹介で、松本漢方クリニックを知る。その方から、電話で話を聞き、直感的に、「これだ!」と思った。「リウマチとアトピー、両方を解決するには、これしかない。」と確信し、翌日高槻へ行った。
「絶対に、完治してあげます。」という自身に満ちた松本先生の言葉に、やっと救われる思いだった。煎じ薬と薬湯、灸の仕方等の説明を受けて、帰る。
「これを、毎日、自宅で実行するのは、大変だな、どこまで励行出来るだろうか。」と一抹の不安もあった。しかし、「やるしかない」ということも、はっきりしていた事であった。下関に帰ったその晩から、薬湯に入ったが、全ての手順にかかる時間を含めると、三時間以上かかった。これを毎日続けていく事の大変さを思い、改めて、腹をくくり直した次第である。
初めて、煎じ薬を作って飲む。思ったより、飲み易い。
アトピーの症状は、胸、背中、尻、手足、顔に現れる。特に顔の腫れがひどく、人相が変ってしまった。
リウマチの痛みは、小指、膝、足裏にある。「何度かリバウンドが来ますよ。」といわれていたが、「何度クリアーしなければならないのだろうか。」と、少々心配にもなった。
膝にお灸をしたが、1時間でヘトヘトになった。
<平成15年11月30日>
気のせいか、体全体が少しほぐれた感じで、肩の凝りも、少し取れた様。
<平成15年12月3日>
二度目、松本漢方クリニックに行く。
前回の血液検査の結果、アトピーの値が非常に高い。松本先生から、「これからのアトピーのリバウンドは、相当なものになるだろう。」との事。どの程度のものになるのかと、それも心配。
リウマチの症状は、右膝が相当腫れていて、歩行困難。右手首も、相変わらず痛む。
<平成15年12月>
薬湯入浴中、全身が痒くて、かきむしるので、皮膚がいっぱい水面に浮いている。腰の周りやお尻が、どす黒く変色していたが、少し薄くなった様だ。顔の腫れは変らず、赤味は、やや引いている。
足裏の痛み、腰の痛みがひどい。夜、痛みで、よく眠れない日が続く。
<平成16年1月>
年明けの頃から、顔の腫れがだいぶ引いてくる。アトピーも、だいぶ治まってくる。1月末には、アトピーの跡も、少し薄くなる。
一方、右手指の痛みがひどく、包丁が持てなくなる。
<平成16年2月6日>
松本漢方クリニックへ行く。
身体のあちこちかが痛くて、自分で灸をする事が相当負担となり、しばらく止めていたので、先生に叱られる。
肩、腕、膝、足裏、指、手首等の痛みがひどくなる。首が相当に凝っている。痛みと緊張で、全身が疲労し、バリバリにこわばって固まっている感じ。
<平成16年2月・3月>
アトピーより、リウマチの症状がひどくなる。両膝の痛みがひどくなり、様式トイレの便座に、腰を下ろすのもつらくなる。
<平成16年2月・3月>
4月に入ってから、アトピーの症状がまたひどくなり始める。明らかに、2度目のリバウンドである。今回は、顔のむくみは現れないので、助かる。しかし、背中、胸、腰、頭、脚と、全身に症状が出て、その痒さといったら、凄まじいものであった。特に背中は、一時皮膚が赤く盛り上っていた。
アトピーの一回目のリバウンドは、2ヶ月くらいでほぼ落ち着いたが、今回は、その倍以上長くかかった。3ヶ月を経過した頃から、やっと一番ひどいピークが過ぎたようであるが、その後も、かなりの症状とかゆみに悩まされた。
一方リウマチの方は、それと反比例するように、次第に改善していった。気がついてみると、箸が楽に持てるようになった、ヘアブラシが使える、ガス栓をひねる事が出来る、爪切りが使える、色んな物を掴むことが出来る、等々・・・・・
出来て当たり前の事というのは、長い時間の中で改善されていった時には、見過ごされがちであるが、よく考えてみると、「以前は、こんな事出来なかったなあ・・・」と、気付かされる事がたくさんあった。
やっとトンネルを抜け出せそうな所まで来た、という思いである。
<平成16年7月14日>
松本漢方クリニックへ行く。
この日から、アトピーの治療の薬に切り替わる。血液検査の結果、初めて、アトピーの値が下がり始めた。
<平成16年8月>
それから1ヵ月半経った今現在(8月半ば)、アトピー、リウマチ、どちらも更に改善されてきた。現在の状態は、アトピーの背中も、皮膚がだいぶきれいになってきた。痒みは、まだ残っている。リウマチに関しては、手の指がまだ充分に曲がらないので、こぶしが作れない、左腕が、まっすぐ上にあがらない、といった程度で、これが全て完治するまで、気を緩めずに、治療を続けて行こうと思っている。
松本先生の治療を受け始めてから、1年足らずで、ここまで来れた事の喜びは、言葉では表せないものです。完治に至るまで、これからもよろしくお願いします。
「短期でアトピー完治」62歳男性2015年12月2日
50代半ばより、上腕や胸部に発疹ができ、皮膚科に通い始めました。自宅や勤務先から交通の便の良い複数の医院を選び、診察を受けお薬を処方していただきました。
当初2年程は、処方された軟膏を塗って痒みが治め、半年ほどしてまた痒みが・・・ということを繰り返しましたが、次第にその間隔が短くなり、発疹の部位も背中から脇腹へと広がっていきました。
そこで医院を変えようと思い、ネット検索に頼ることにしました。医院を決めるにあたって、何を判断基準にすればよいか、素人にはわかりませんでしたが、ある時、「当院ではステロイドを絶対に使いません」と謳うホームページが目についたのです。“ステロイドが何なのか”もわかりませんでしたが、他院とは違う治療方針をお持ちなのだという事のみは、わかりました。
さっそく初診をお願いし、検査を受け、お薬をいただきました。お薬は漢方の軟膏と煎じ薬でした。その後、検査の結果を聞きにいくために再び来院し、追加のお薬をいただきました。結果として、その2回のみの診察で快癒し、今に至っております。
初診時に、「他院では“湿疹”と診断された」と申しますと、「“湿疹“は症状であって原因ではない」とサラリと諭され、素人ながら「なるほど」と得心したのを覚えています。
その後あわただしくしており、快癒のご報告が遅れました。お世話になってからすでに3年ほど経過しますが、“湿疹”とオサラバできたようです。
松本院長様、ありがとうございます。