●アトピーのはじまり
社会人となり、スーツに革靴姿のごく普通のサラリーマン生活が始まった。なれない事もあり、一年目の夏に水虫になり、市販の薬で治療していた。そのうち足の甲が被れてきたため、皮膚科に行ったところ、水虫薬の使用方法を謝って大量に患部に塗っていたのが原因と分かった。病院でステロイドを貰って治療し足の腫れ、すぐに完治した。当時、「アトピー」という病気の存在を知らなかった。
それから数年後、膝の裏が痒くて眠れない日が続くようになった。ステロイドの薬ですぐに治ったことを思いだし、皮膚科でステロイドを貰い患部に塗った。その日から眠ることができるようになったが、数週間後、また、再発し始めた。それ以降、完治-再発を繰り返すようになった。また、ステロイドを塗る量(範囲)も増えていった。どんどん皮膚が悪くなっているのが分かった。ちょうどその頃、子供に湿疹ができ皮膚科に診察にいった、そこで「アトピー」とい病名を知り、アトピーについて色々調べようになった。
調べているうちにステロイドは良くないことを知った。今まで自分が使用したステロイドは、かなり強めのステロイドであったことも分かった。
それ以降、ステロイド以外の治療法について調べた、インターネットでは、アトピー患者がどんな治療をしていか書き込む掲示板などがあり、温泉治療や病院の紹介などが書き込まれていた。そこと同時にアトピー商法なる書き込みもあり、全てを疑いつつも、信用できそうな塩素治療法を試していった。
そんなある日、横浜から大阪に転勤することになった、掲示板に松本漢方クリニックの書き込みがあったのを覚えていたので、松本漢方クリニックのHPにアクセスし手記を読ましてもらい、転勤してから松本漢方クリニックに行くことを決めた。
●松本漢方クリニックに通院
医院に入ると、漢方の臭いと先生の大きな声が聞こえてきた。
先生の話を聞き、IgE抗体、ステロイド、抗アレルギ-剤や抗ヒスタミン剤ことを詳しく知り、学生時代に鼻炎科に通院し治療を受けていたことも、アトピーの原因の一つであることも分かった。自分は治療にかなりの年月がかかることが予測されることが分かり落ち込んだ。しかし、子供さえ治ればいい、そのための実験台になっていいと思い漢方治療を始めることにした。また、IgE抗体の数字が低くなれば治るという目に見える数字で状態がわかることを知ったのが、気持ち的にもヤル気になった。
●治療の日々
異物を体から出す、これまでの間違った治療のリバウンドは、とてもつらかった。夜になると、関節部は痒く、体は熱く、全身から汗が出て、眠れない日が続いた。自分は、IgE抗体が上昇する一方であったが、子供の症状はよくなっていった。子供の症状をみて、「続けていれば治る。」と信じることもできた。
夜眠れたかどうか、夜中に体を掻いて出来た引っ掻きキズの多さによって、次の日の体の状態が変わり、一日一日生活することが精一杯で、「死んだ方が楽なんだろうな~。」と思ったこともあった。
しかし、妻が自分の体の事をとても心配してくれた、それが支えになって頑張ることが出来た。そんな日がしばらく続いた、自分は風呂上がりに薬を塗ることが日常化になっており何も負担にはなっていなかったが、妻は、毎日、自分の出勤前の朝早くから漢方を煎じこと、夜遅く帰ってくる自分のための漢方浴の準備と、大きな負担をかけていた。
自分のつらそうな態度、桁はずれのIgEの数値(自分は、松本漢方クリニックで歴代上位は入る数値を記録しているのではないか?とポジティブであった。)で、妻は、漢方治療に疑いを抱き、松本先生と口論にもなった。しかし今では、自分の「この治療法信じて続ける」という意志を尊重して協力している。
●さいごに
松本漢方クリニックに通ってから、市販の薬を飲むのをやめ。以前より皮膚が良くなったと感じたら、IgE抗体も減少しており、数値として現れている。まだまだ、普通の人に比べれば数値は高いが、このまま漢方治療を続けていこうと思っている。娘も「湿疹」が出る時期があり、痒がっているがお互いに励まし合っている。
今度、大阪から東京に転勤することになり、また、大きく生活環境が変わることになり、体がどう反応するかは分からないけど、湿疹ができても「免疫を付けるため」「毒素を体から排泄させるため」という事を頭にいれて生活していきたいと思う。
今後、世の中は、花粉症や化学物質などで、アトピー患者は増えると思う。また、技術の進歩で色々な情報が収集できるようになり、正しい情報なのか、間違った情報なのか、判断しにくい時代。そんななか、早くに松本先生と出会えたことは、自分にとっても子供にとっても「運がよかった。」と思う。できれば、もっと早く先生に出会いたかったです。まだ、皮膚は完治していませんが、松本先生、スタッフの皆さん、これからもよろしくお願いします。
「アトピーの漢方治療」31歳女性2006年1月5日
私が松本漢方クリニックを初めて訪れたのは、2000年の7月でした。幼い頃はアトピーの症状があったのですが、成長するとともに、次第にアトピーとわからないほどになっていました。
しかし、社会人になって、生活環境の変化やいろんなストレスが原因なのか、顔面にアトピーの症状が出るようになりました。約一年間、ステロイドやプロトピックを処方する皮膚科にかかっていたのですが、顔面から始まった症状は、次第に全身へと広がりました。一向に改善されない症状を見て、このままでは薬漬けになってしまう、と危機感を抱き、インターネットを使ってたどり着いたのが、松本漢方クリニックでした。
「必ず治してあげるよ。」と自信満々におっしゃる松本先生でした。松本漢方クリニックのホームベージを何度も読んでいた私は、治療のメカニズムも理解していましたし、その先生の言葉に勇気付けられて、漢方での治療を開始しました。
治療を開始して1ヶ月間は仕事を休みましたが、その後は通常の生活を送りながら治療を続けました。
最初の3ヶ月間くらいは、乾燥やかゆみが激しくて、辛い日々が続きましたが、必ず治ると信じて、治療を続けていました。
すると、4ヶ月くらいたった頃、どす黒くなって、乾燥していた手の甲や腕の皮膚が、だんだん普段の皮膚の色になってきたのです。そのことに気づいてから1ヶ月くらいで、すっかり症状が改善されていました。
その後1,2度程通院しましたが、アトピーがすっかり気にならなくなったことと、遠方からの通院が面倒になり、自分の判断で治療を止めてしまいました。
それから約2年後、顔面の乾燥が激しくなり、かゆみが出てきたので、一度通院し、漢方を飲んでいたところ、1カ月程でよくなりました。
そして更に1年半ほど経ち、またアトピーらしい症状がでたので、漢方治療を始めました。
後から考えると、アトピーが発症するときには、大抵、大きくストレスを感じる時期でもありますが、松本漢方クリニックで処方される漢方薬を飲むと落ち着くし、良くなると、自分に自身をもって言い聞かせることができました。そしていつも症状が良くなることを身をもって経験しています。
時々勝手に治療を中断してしまい、決してよい患者とはいえませんが、常に治療しなきゃと自分に強制するのもしんどいので、楽に治療に望んでいます。まだまだ完治するのは先になりそうだし、途中でまた悪化することもあるかと思いますが、あきらめずに頑張っていきたいと思います。
「わたしのアトピー治療」匿名希望32歳2005年2月10日
- わたしのアトピーの経歴
乳児のころからおむつかぶれがひどく、肌の弱い子かな、という感じだったらしい。小学生のころは、ぜんそくにもなった。春と秋は、ひじやひざの裏がかゆくなり、リンデロンをぬっていた。ぬると、すぐにすべすべになり、終了。高校生ぐらいから、だんだんとなくなってきた。
結婚後、また湿疹がでた。「住居が変わったからかな。」と思っていたが、リンデロンをぬってもなおらなかった。背中ににきびのようなぶつぶつができ、顔もかさかさになった。
そこで、何かいい治療方法はないかと、インターネットを調べていると、掲示板に松本漢方クリニックの書き込みがあり、ホームページをのぞいてみた。
②松本漢方クリニックにて
ホームページをみて、いろいろな手記を読んで、すごく感心した。「本当になおるのなら、すごい!」と思った。夫や家族の者にも、プリントアウトした手記を読んでもらい、この治療方法にチャレンジしていいか相談した。漢方は初めてだし、お金もずいぶんとかかるということなので、少し躊躇していた。
しかし、松本漢方クリニックをおとずれて、状況は一変した。松本先生の力強い言葉に、あくしゅ。看護師さんの、よくわかる説明と、励まし。「この治療方法で、がんばってみよう!」と、勇気をもって帰った。
③治療 その1
せんじ薬とお風呂が、わたしの治療だった。飲み薬は、意外とすんなりと飲めた。二番煎じまで、きっちりと飲んだ。
お風呂は、自宅の風呂は高温が出ないため、実家の風呂に通うことになった。毎日1時間前に、母が、お風呂に薬を入れてくれた。1時間入るのは大変だったが、すぐになれてしまった。秘密兵器を買ったからだ。それは、お風呂テレビ。
1週間ぐらいしてから、手記にあったように、全身がかゆみにおそわれた。そこからは、とまることのないかゆみとの戦いが始まった。皮膚の色も茶色に変わり、顔、くび、背中がとくにつらかった。夜は寝られずに、松本先生に睡眠薬をもらった。つらくて、仕事もおぼつかなかったが、赤い薬をぬりつつ、ただただ、日々が過ぎるのをまった。
5月から始めた治療は、夏にはピークを迎えていた。汗をかくと、よけいに痛くてかゆい。歩くと、息切れをして、生きていることさえつらかった。
秋になり、少し涼しくなると、様子が変わってきた。汗をかかなくなり、すこし楽になったせいか、体の状態も、幾分よくなってきたようだった。まだ皮膚の色は茶色だったが、傷がだんだん減ってきた。リンパ液も減り、臭さもましになった。
冬が来ると、旅行に行こうかと思うぐらい回復した。毎日のお風呂は変わらなかったが、漢方生活にもずいぶんなれ、気持ちが明るくなった。
そして5月。1年たったとき、「お風呂を、二日に1回でいいよ。」と、先生がおっしゃった。「やったー!」と思ったのもつかの間。私は妊娠してしまい、飲み薬はやめ、お風呂だけの生活になった。
しかし、つわりがひどく、1時間のお風呂が耐えられなくなり、妊娠中の治療は、ストップしてしまった。
④治療 その2
翌年1月に、無事出産した。妊娠中はホルモンバランスが変わるせいか、アトピーに悩まされることなく過ごした。
次に松本漢方クリニックに行ったのは、子どもの乳児湿疹の相談だった。2ヶ月の子どもは、2週間のお風呂だけで、すっかり治ってしまった。
しかし、その治療に付き合ってた私の体は、また思い出したのか、2回目のリバウンドに突入した。
前回と違い、乳児をかかえての治療となるので、かなり覚悟した。しかし、1回目のリバウンドほどはひどくなく、4月に始まったリバウンドは、8月には少しましになっていた。夜もしっかり眠れたし、襲ってくる恐怖のかゆみも、1日に数えるぐらいだった。
その後、少しかゆくなっては治り・・の繰り返しで、お風呂も二日に1回になり、楽になってきた。「早く卒業できたらいいな。」と、毎日がんばっている。
手記って、こんなんでいいでしょうか?
早いもので、足掛3年になります・・・これからも、よろしくおねがいします!
「アトピー手記 第一部」T.N.30歳2005年10月5日
2004年12月21日、松本先生より「手記を書いてください」との言葉を頂きました。「やっと手記が書ける!」と家族で喜んだのですが、自分が辿ってきた経過を記すことは、思った以上に難しく、今日まで10ヶ月あまり延び延びとなってしまいましたことを大変申し訳なく思っています。これから治療を考えておられる方、治療中の方やその御家族の方々にとって、松本漢方クリニックでの治療について何らかの参考になれば幸いです。
1.発症まで
私が「自分の肌は他人の肌とは少し違うかもしれない。」と思い始めたのは、幼稚園の年中組であった、4歳ごろのことでした。普段からとても汗っかきで、膝の裏が度々汗でかぶれてしまい、幼稚園で「あせもですね。」と言われたことを覚えています。当時は、あせもが出たところに、ベビーパウダーをつけてもらってしのいでいました。ただ、顔や腕といった目立つところはすべすべとしていたこともあって、家族を含めてあまり深刻には考えていませんでした。
ただ、小学生にあがったころには、膝の裏が「とびひ」になり、近くの内科で薬をもらい、包帯を巻いていたこともありましたし、中耳炎になって耳鼻科に通った際は、耳や鼻に薬をつけて頂いていました。今になって考えると、ステロイドとの付き合いはこの頃から始まっていたのかもしれません。
小学生の間は、ストレスがあると、首の後ろや肘や膝の裏にじゅくじゅくした湿疹が出るようになりました。10歳の頃、市民病院の皮膚科の先生が独立されたとのことで、池田市にある病院に2、3回通いました。診断は「とびひ」でした。薬をもらって、しばらくすると湿疹は治まるのですが、一年くらいあくと、また同じ箇所に湿疹があらわれます。この頃はもらった薬を使い切らないことがほとんどで、「薬をまじめに塗らないから、また湿疹が出るのかな?」と考えていました。当時は気づかなかったのですが、何年か経って、その銀色のチューブの形から、ステロイドの一つであることがわかりました。ただ、自分の皮膚の状態は、まだそんなに深刻な状態ではないと思っていました。
同じ頃、水いぼにも悩まされました。治療は至ってシンプルで、外科のお医者さんに切り取って頂き、ヨードチンキで消毒するというものです。痛くてたまらなかったので、「薬で治せないものか。」と子ども心に思っていましたが、「切り取るのが一番だ。」との医師の意見で、その治療を続けました。
中学生になると、あせもや水いぼがでていた皮膚の症状は軽くなったのですが、代わりに神経性の胃炎に悩まされることが多くなりました。市販の薬でも、病院で薬をもらっても効かず、吐き気に襲われる日が続きました。しかし、中学2年生のある日、突然ウソのように吐き気がなくなり、喜んだのもつかの間、また湿疹があらわれるようになったのです。
首は、ブラウスの襟の部分があたることもあるのか、部活動でサクソフォンを吹いていて、首からストラップを提げていたためか、よく湿疹が出ていました。そこで、以前に小学校の頃通っていた皮膚科を思い出したのですが、もう開業はされていないとのことで、仕方なく市販のオロナイン軟膏などを塗ってしのいでいました。(注、後日、ステロイド剤が含まれていたことを知り、大きなショックを受けました)
高校生になると、おしゃれ心が芽生えたこともあって、いろいろなシャンプーを試すようになりました。私がとても後悔していることですが、某大手企業のシャンプーを使用したところ、頭皮が赤く腫れあがり、フケのようにぽろぽろと皮がはがれました。あわてて、近所に開業したばかりの駅前の皮膚科にかけこんだところ、「これは長引きますね。掻いてはいけません。皮膚がむけてしまって、次の皮膚が不完全なうちに掻いてしまうから、炎症になるのです。頭皮は薬の吸収率が他の部位に比べて悪いから、この薬を処方します。」と言われて、もらってきたのがステロイドの「リンデロン」のローションでした。はじめは素直に塗っていましたが、よくなる兆しも無く、皮膚の状態は、却って悪化していくようでした。
これは薬に頼っていてはいけない、シャンプーを変えたら良くなるかもしれないと、一縷の望みを持って、自分なりに皮膚についての勉強をはじめました。けれども当時出ていた書籍からは、皮膚が生まれ変わるしくみについて理解できたけれども、自分の肌に起こっている現象の原因についてはあまり触れられていませんでした。無添加の化粧品を探したり、よいといわれているものを試したりしましたが、どれも同じようなものでした。ステロイドはよくないということを知ったのも、この頃です。リンデロンがかなり強いステロイドであることも知り、こんな強い薬でも治らないなんて、と絶望的な気持になったことを覚えています。それからは薬を塗ってもよくならないことから、その皮膚科に行くこともなくなりました。痒いときには、石鹸で洗って、オロナイン軟膏などを塗っていました。頭皮と首以外は健康な皮膚の状態を保っていたので、なんとか顔や他の部分に広がらないことを祈るばかりでした。
大学に進学してもその状態は続き、一進一退という感じでした。
2、発症
忘れもしない21歳の時のことです。
大学3回生の春から夏にかけて、人間関係の大きなストレスに見舞われ、不眠症に陥りました。それをきっかけに、頭皮だけであった湿疹が、一番出て欲しくなかった顔に広がってしまったのです。大ショックを受けた私は、皮膚科の医師が開業したという話を聞いて、最寄りの駅から2つ離れた皮膚科を訪ねました。そこでの診断は、「成人性アトピー性皮膚炎」でした。そのときまで、自分がアトピーであることの自覚はなぜかまったくなかったのです。アトピーは治らない、一生うまくつきあっていかなくてはならないとの言葉を聞いたとき、絶望感にさいなまれました。「ステロイドは塗りたくないのですが。」という私の主張をよそに、1週間分のアルメタ軟膏と、強力酸性水、オリブ油、睡眠薬が処方されました。1週間その治療を続けてみましたが、じゅくじゅくしていた部分が乾燥する程度で、痒みは引きませんでした。
2週間目の処方も同じものでした。処方箋を持って訪れた調剤薬局で、「この睡眠薬は少し強めですよ。気をつけて使ってくださいね。」と言われ、このまま私はどうなるのだろうと、ますます絶望を感じました。来年は4回生、卒業論文を書かねばならないし、進路も決めなくてはならない。その時にこんなことになるなんてと、暗い気持になりました。
そんな中、近所の方から、四国の有名なアトピー治療をする病院が、入院治療をするか否かを判定する予備診療を、大阪で行っているという情報がもたらされました。このころ、マスコミでこの病院がしきりに紹介されていたこともあり、いたたまれなくなった私と家族は、紹介をしていただき、診察を受けました。診察場は、病院という雰囲気ではなく、会議室のような感じで、治療法についてのビデオを見て、その後医師が診察するという流れでした。しかし、ショックだったのは、ステロイドを使用することに対する同意の署名を求められたことでした。「ステロイドを使用しない」とうたわれてはいましたが、ステロイドそのものではなく、ステロイドが入った独自の軟膏と、ステロイドの毒性を消すために、SOD食品とルイボスティーを使用するという意味であったのでした。
その結果、私は入院治療をする必要がないと診断され、軟膏と健康食品で治療することとなりました。軟膏にはさすがにステロイドが含まれているだけあって、三ヶ月ほどすると、顔の見栄えはよくなりました。さすがに、もとのような内側からすべすべした肌ではなく、外側から人工で作り上げたような異質な肌になり、ちょっとした刺激でかぶれてはいましたが、炎症が治まっただけでも良かったのではないかと、当時は思っていましたし、周囲にも「良くなって、よかったね。」と言われて、私も調子に乗っていました。
薬もステロイドが使われていると知っていたので、怯えながら局所的に使っていましたが、とくに目立った症状もなくなり、化粧などの刺激を極力避けることによって、アトピーの症状は抑えこまれていたかのように見えました。しかし、何かを塗らないとバリバリと乾燥するようになり、化粧品などで保湿しなければなりませんでした。また、頭皮の状態は相変わらず湿疹がでていました。こればかりはどうしようもなく、シャンプーをとっかえひっかえする日々が続いていました。
私の体内に押さえ込まれたかに見えたアトピーでしたが、25歳の3月から4月にかけて、今までにない勢いでリバウンドが噴出してきました。まず、頭皮から額の部分が腫れあがり、腕にも広がり、ぼこぼこした状態で皮がぼろぼろとめくれてきました。しかし、またあの機械的な診療を受けるのか、と思うと疑念がわいていました。そんな中、友人が私の肌の状態を見かねて、宝塚市にある皮膚科を紹介してくれたので出かけました。
そこでは、話をよく聞いてくれはしましたが、一貫して西洋医学を主張する先生で、「アトピーは治らないから、しっかりとステロイドを塗らなくてはならない。色素沈着を起こすのはステロイドを塗らなかったからだ。」と、「アトピーが治ると言うのは、アトピービジネスだ。みんな騙されているのだ。」と話されました。そして、顔には新薬の「プロトピック軟膏」、体にはザーネ軟膏とリンデロン軟膏を混ぜたものが処方され、アレルギーを抑える薬として抗アレルギー薬の「ザジテン」を朝晩2錠飲用するよう指示されました。私自身、以前にアトピーの友達にプロトピックの名前を聞いていたこともあり、「プロトピックは新薬で、臨床例が多数あるとは思えない。本当に安全なのですか?」と聞くと、ドイツ語の論文を出してこられ、「プロトピックを使用するのは、今一番進んでいる治療法である」と説明を受けました。ただ、プロトピックは免疫を抑制する力がとても強いため、症状を起こしている肌に塗ると燃え上がるような痛さを感じることがあるとのことでした。
とても痛くて痒くてたまらなかった私は、薬を塗り、ザジテンを飲みました。すると、湿疹はさっと引きました。なんと恐ろしい薬でしょう。もちろん、薬を塗り続け、ザジテンを飲んでいなければ、効果は持続しません。ですが、効果が持続する間隔がだんだんと短くなっていき、薬を塗っていても、常に赤い湿疹がでるようになってしまったのです。「今の私は、薬物中毒者みたいなものだ。でも、どうやったら抜け出せるのだろう。」とよく自問自答しました。よいといわれる化粧品や健康食品は片っ端から試していました。でも、根本的に問題を解決するものではなく、少しましになったと思っても、すぐまた元通りの赤い顔になってしまいます。これでは、意味がない、何かでアレルギーを抑制することの技術の高さを求めるのではなく、別の理論を探さなければ。今まで、アトピーに有効だという能書きばかりを見てきた私でしたが、別の視点が必要であるのではないかと考え始めたのです。
そんなうちに大学院を修了し、就職して、宝塚市の皮膚科に通い始めて3年近く過ぎようとしていました。明らかに状態は変らないのに、先生は「ステロイドを強くして、アトピーをおさえつけないといけない。」「悪くなるのは、薬をちゃんと塗らないからだ。」とおっしゃるばかり。その方法で改善するどころか、もとの肌はどんどんと赤黒くなり、悪くなる一方でした。反面、通販で入浴剤や、敏感肌用の化粧品を購入したりしていましたが、ないよりは良いという程度で、決定的にこれでよくなるものではありませんでした。
2003年の12月ごろ、診察中、皮膚科の先生の机の上に、レベルでいうと最強のステロイド剤があるのを見つけました。「このままではもっと強いステロイド剤を処方されてしまう。それが効かなくなったら、どうしようもなくなる。今のうちになんとかしなければ。」という思いから、ステロイドを断つ方法を考える方向に向かっていきました。その頃、「ステロイドを使用しません。」というS病院の記事をたまたま見つけたので、診察を受けることにしました。
2004年の1月5日、免疫抑制剤をやめる気持で、S病院を訪ねた私でしたが、そこで紹介されたのは「プロトピック軟膏」。さらに保険診療が効くからという理由で、全身レーザー照射を薦められ、当ててみることになりましたが、一度当てただけで皮膚がやけど状態になってしまい、より状況は悪化してしまいました。結局、S病院も一回いったきりで、行かなくなってしまいました。
ステロイドもプロトピックも使わなくなりましたが、結果としてアトピーの状況は、リバウンドを起こして顔はバリバリに赤くなりましたし、そうなると、何を食べてもアトピーに繋がる気がして、食欲も落ちました。体重も5キロほど落ちて、やせ衰えてしまいました。仕事の休み時間に、そっとソファーに横になる日が続いていました。
それから、悶々とした日々が続きました。仕事は、アトピーとは別の理由もあって、2004年3月で退職して、それからは専門学校で試験勉強に励む予定でした。ただ、アトピーが悪化していたこともあり、痒くて痛くてなかなか集中できません。でも、信頼できる病院がない・・・。毎日鏡を見ては、健康な肌の人と見比べ、ため息をつく日々でした。
3、松本漢方クリニックとの出会い
2004年5月12日、たまたま集まった高校のクラブの同窓会で、友人が、松本漢方クリニックで花粉症の治療を受けているという話を聞きました。実は、松本漢方クリニックの話を聞くのは初めてではなく、その5年位前に軽く話を聞いたことがあったのです。それから友人は、結婚による転居もあって、松本漢方クリニックへの通院をやめていたのですが、この年の春から、再び行き始めたとのことでした。私は少し惹かれるものを感じました。友人もそれを感じたのか、松本漢方クリニックのインターネットアドレスを、携帯メールで通じて送ってくれました。それから、松本漢方クリニックのサイトで、理論を、アトピーやリウマチからすみずみまでしっかりチェックしました。私の感想としては、「怖い!!」の一言でした。治療法などを紹介する場合は、どれだけ楽に治ったか、どれだけ効果があったかを強調すると思うのですが、松本漢方クリニックの体験談では、リバウンドがどれだけ凄かったかが強調されており、治療への恐ろしさが先にたってしまったのです。また、資格試験の受験を控えていたこともあり、リバウンドが起こってしまうと差し障りがあるのではないかと考えていました。友人にその旨を伝えると、「松本漢方クリニックに行きたくなったら、いつでも言って。」と返事をくれました。しかし気になった私は、勉強の合間を見つけては理論を読んでいました。体はますますだるく、疲れやすくなっていました。
2004年5月26日水曜日。その日は、顔がさらに腫れあがり、パンパンになって、朝から目が開かなくなりました。私の状態をのぞきにきた親は、「今日は寝ておいたほうがいいよ。」と言って、仕事に出かけていきました。私は、布団を頭からかぶって考えました。なんでこんなことになったのだろう。私はこれからどうしたらいいのだろう。でも、逃げてばかりいたから、こんなことになったのだ。私は思い切って、友人に連絡をとってみました。友人もいきなりのことで困ったと思いますが、「木曜日は休みだから、今日の午後に行こう。一人で行くのは心細いと思うから、一緒に行こう。」と言ってくれました。
松本漢方クリニックの印象は友人から聞いていた通りでした。待ち時間に手記を読み、看護師さんにお話をうかがい、患者さんの写真を見せていただきました。リバウンドの過程を経て、皮膚の状態がよくなっていく様子がとてもよく理解できました。ただ、写真を見て「私もこんなリバウンドを乗り越えられるのだろうか?」と少し不安にもなりました。
その時、看護師さんが、「あなた、(黄色ブドウ球菌に)感染しているんちゃう?」と言って、体温を測るように体温計を持ってきました。結果は37.4度で、感染しているということでした。
そして松本先生との対面。「インターネットを見た?」と聞かれ、話はスムーズにすすんでいきました。感染していたためか、松本先生は早めにお話を切り上げてくださり、血液検査を受け、煎じ薬と入浴剤を1週間分と、赤い薬3個とエルタシン軟膏1本、消毒液1本、抗生物質を処方していただきました。診察が終わった後は、友人に、「大丈夫だよ。良くなっていくよ。」と友人の体験談を交えながら励ましてもらい、帰途につきました。
ぼろぼろで泣きそうだった私に付き添っていてくれたことに本当に感謝しています。これから、アトピーとの闘いが始まるのだと思うと怖くなりましたが、ステロイドやプロトピックはもう絶対に使わないぞ!という決意を胸に、治療を始めることになりました。
治療1ヶ月目 IgE抗体 12980
帰宅して、すぐに飲み薬を煎じて飲みました。飲んだら、体が少し温まったような印象を受けました。家族は、今までルイボスティーを煎じていたこともあって、さほど驚きはないように見えましたが、念のため、松本漢方クリニックでの治療について説明をしました。感染していたこともあり、とても体がだるかったので、入浴はせず、抗生物質を飲んですぐに休みました。感染による熱は、2日続きました。顔はパンパンにふくらみ、リンパ液がにじんでいる状態でした。資格試験を目指していたので、休むことにはとても抵抗があったので、午後から2時間ほど勉強しました。ただ、痛がゆさで、時折休まずにはいれませんでした。
5月28日(3日目)、熱が36.4度と平熱に下がったので、起き上がって勉強をしました。顔は相変わらず真っ赤で、人に顔を見られるのが辛かったのですが、予備校の自習室で勉強をしました。この日初めて入浴剤を使いました。驚いたことに、入浴すると、以前宝塚の病院で処方された、ザーネとリンデロンの混合薬のにおいが体から漂いはじめたのです。1時間入浴しないといけないとのことでしたが、頑張って2時間入浴しました。すると、体からモロモロと垢のようなものが、大さじ2杯ほど取れてきました。入浴している間は楽なのですが、お風呂から上がると、刺すような痛痒さが襲ってきました。必死で一番絞りを全身につけ、赤い薬をつけました。
5月29日(4日目) 目覚めてみると、半端でないほどの目やに。洗顔しても、次から次にあふれ、目がかすんでくるのです。昼ごろになるとおさまっていました。
体のだるさはかなり楽になり、感染による熱も落ち着いたかに思えました。顔は相変わらずパンパンで、目も開きにくい状態でした。顔の皮がポロポロとめくれました。
5月30日(5日目) 母親が私の顔を触って、「なめらかになってきている、久しぶりや。」と、驚いた声をあげました。私も、顔の腫れを感じながらも、自分の体の中で皮膚が作られていることを実感しました。今まで、薬で作り上げた皮膚の感触で、「自分の皮膚」であるという感覚がなかったのです。また、今までひどかった肩こりが楽になっていました。夜は、顔から流れるリンパ液が気になって眠れませんでした。
5月31日(6日目) 顔は一転してどす黒くなりました。分厚いかさぶたが顔に貼り付けられている感じで、触るとザラザラしている様子です。体のアトピーは、顔に比べると落ち着いた感じを受けました。
6月2日(8日目) 次第にリバウンドが進んでくる気配があり、起き上がるのが苦痛。診察で、前回の検査結果の紙を渡されました。IgE抗体は12980。思わずのけぞってしまいました。こんなに高いとは想像していなかったので、涙が出そうになりました。「ここから、リバウンドが始まっていくなんて、数値はどれだけ上がるんだ!」と想像すると怖くなりました。けれど、松本先生に「治るよ!」と大きな声でおっしゃっていただき、握手していただいたので、勇気がでました。今後も、同じ薬で様子を見ていくことになりました。体力が次第に落ちていくのが、自分でも実感してきました。地下鉄の階段を上がるのも一苦労です。手すりにつかまりながら、必死に歩きました。
6月3日(9日目) 首の下あたりから胸にかけて、皮がめくれてきました。耳の後ろの傷からのリンパ液の量が増え、もの凄いかゆみで、顔と耳を掻きむしるようになりました。今まで現れていなかった手の甲に、赤い斑点のような湿疹、手のひらにも、ごく小さな水泡が現れました。痛みはありませんでした。
6月4日(10日目) 顔のつっぱりが取れて、表情が少し楽になりました。手の湿疹が前日に比べて増えました。
6月5日(11日目) 手の湿疹が大きい水ぶくれになり、手全体に広がり、腕から手の指までがパンパンにはれ上がりました。いつものように学校で資格試験のカセットテープを聴いていたところ、どろりとしたものが首をつたいました。ふと手に取るとリンパ液でした。両耳の後ろの傷から、大量にリンパ液が溢れていたのです。ティッシュペーパーを当てても、泉のようにどんどん溢れてきます。タオルを押し当てながら帰宅し、消毒液で消毒しました。体がむくみ始め、痛さ、痒さが今まで感じたことのないほどです。「もう学校で勉強するのは無理だ・・・。」と痛感した一日でした。ただ、一つの希望は、夜、入浴した後、鏡を見ると、アトピーが出る前の白い顔が、一瞬、現れたのです。アトピーが出るようになってからは見ることの無かった、白い顔。時間が経つと皮がはり、赤黒いかさぶたに覆われるのですが、「絶対に治るんだ!」と、気持が前向きになりました。
6月6日(12日目) 腕はパンパンにはれてかなり痛みがひどく、中に水分が入っている感触があり、曲げ伸ばしにも一苦労。あまりにしんどくて、少し泣きそうになりました。そしてこの日を境に、手に無数のひび割れのような傷が出来はじめ、リンパ液がにじむようになったため、ペンを握ることがとても難しくなりました。
6月8日(14日目) 友人と待ち合わせて3回目の診察を受けました。診察で、体力が落ちていること、むくみが現れたことを訴えたところ、松本先生から、プロテインを一日5杯ほど摂取するように薦められました。リンパ液がすぐににじんでくるために、アシスタントの方に、「きちんと、シャワーで、消毒液を流していますか?」と尋ねられました。一生懸命流しているつもりだが、「きちんと流れていないのだろうか?」と思い、不安になりました。
帰りに、友人に付き添ってもらい、プロテインを選びました。なかなか条件にあったたんぱく質の量を含んでいるプロテインが見つからず、悩みましたが、ようやく一つ見つかったので購入しました。
この週の特徴として、体中に痛みがあるため、動きが非常にゆっくりになりました。食べるのに口を開けるのも傷が引っ張られて痛み、手には無数の傷が出来ていたため、ペンを持つのにも突き刺すような痛みを覚え、握り締めて文字を書きました。手の傷が空気に触れるのが辛かったため、家族が持っていた使い古しの白い綿の手袋をはめるようになりました。気力を振り絞って毎日、日記が書けたのは、この日まででした。
体に消毒液が残らないようによくシャワーで洗い流すように心がけるようになりました。痛みがあるので、なかなかうまく流せないのも一つの原因と思われました。力が出ないので、しばらくお風呂の椅子に腰掛けてから、よろよろ立ち上がって消毒液を流すという感じで、シャワーだけでもかなりの時間がかかりました。着替えるだけでもかなりの皮が落ち、ホコリのように周囲に舞い落ちるので、対策として、厚手で、大き目のチラシを取っておき、その上で着替えたり、体を掻いたりするようにしました。後は、そのチラシを捨てて、簡単に掃除をするのです。自分の体から落ちた皮の量や、皮の感じも観察できて、結果的には良かったです。入浴後は、恐ろしいほどのかゆみに襲われるようになり、赤い薬をつけて掻くのですが、収拾がつかなくなり、横になるのが午前3時や4時。しかし、横になっても眠れず、すぐに朝がくるのでした。
ついに起き上がれなくなり、寝たきり状態になるが、眠れず、痛みと痒みに24時間苦しむ状態になりました。アトピーの経過についてのメモさえも、取れなくなってしまいました。ほとんど天井をみて、体を掻きながら過ごすので精一杯。傷口が増えはじめ、リンパ液の量もそれに伴って増えました。
6月20日(26日目) 以前から受験を考えていた試験の一つを受けました。家族はおぞましい状態で試験に行く私に呆れていました。モーレツな痒みで、ボリボリと掻くと、大量のリンパ液が出てくるため、休憩のたびにタオルでリンパ液を抑えながら、ひたすら痒みと戦う日になりました。椅子に長時間腰掛けるのが久しぶりであるためか、足が浮腫んで、とんでもない太さになり、動かすだけで、激しい痛みが襲いました。試験が終わり、体をかばいながら家までたどり着くのが精一杯でしたが、ずっと自分が目標にしてきた試験であったので、アトピーの苦しさよりも、最後まで問題を解いた、という満足感は大きいものでした。
6月22日(28日目) 松本漢方クリニックに診察を受けに行きました。体じゅうに彫刻刀で彫ったような傷が無数にできてきたので、入浴剤の処方が赤ちゃん用に変更されました。確かに、入浴中の傷のあたりは優しくなったのですが、痒みの激しさは相変わらずでした。足にも傷が無数にでき、リンパ液がじわりとあふれました。汗なのか、リンパ液なのかわからない状態でした。この頃からリバウンドによる浮腫みが更にひどくなり、足は象の足のようにふくれあがりました。松本先生に「プロテインを飲めよー。」と喝を入れられました。浮腫みがひどいため、血液検査を受け、蛋白の値を計りながら、状態を見ていくことになりました。また、浮腫みのために靴が入らなくなり、男性用のサンダルを履いて松本漢方クリニックに通いました。
治療2ヶ月目
6月27日(64日目) 二度目の資格試験を受けに行きました。足がパンパンの状態で、靴のかかとを踏みながら歩きました。問題をといている最中に、「ボゴッ」という音がして、なんだと思いましたら、足先の血液がつまったような、息苦しい状態になりました。「とにかく、最後までやりぬきたい」と、やっとの思いで試験を終了し、自宅に帰って、シャワーで体を消毒して床につきました。「もっと早く、免疫抑制剤の恐ろしさに気づいていたら、松本漢方クリニックの治療を始めていたら、今日の試験は、もっと元気に受けられたのかもしれない。」と思うと、とても悔しくて涙が出ました。
7月2日(39日目) 赤い薬が足らなくなり、松本漢方クリニックに赤い薬のみ2個もらいに行きました。この日は、松本漢方クリニックを紹介してくれた友人の母上にご馳走していただき、友人も交えて、高槻でご飯を頂きました。二人から、「何年かかっても、松本先生だったら、絶対に治るよ。」と力づけられて、とても励みになりました。この言葉があってこそ、この後に起こる大きなリバウンドの波を超えていくことができたと思っています。
帰宅した後、靴下からはリンパ液が漏れ出していました。ガーゼを何重にもして足に巻きつけていましたが、腫れ上がった足の傷口から出てくるリンパ液の量は、私の想像を超えていました。
このころから、両親は私の体からリンパ液が流れ、皮がたくさんめくれていることの対策として、二つの部屋に、朝と夜と分けて寝床を敷いてくれるようになりました。まず、朝私が消毒している間に、夜汚れたシーツやタオルケットの皮を払い落としてから、洗濯して、部屋を掃除し、別の部屋に布団を敷いて、消毒後は新しい床で休み、夜の入浴中に、部屋を掃除して、もとの部屋に布団を敷くといったサイクルが定着しました。そして、布団で休む前に、赤い薬を体につけ、新聞紙を敷き、チラシを広げた上で、気が済むまで体を掻きました。手のひらいっぱいになるほどに皮がめくれ、疲れてきたらチラシを丸めて捨てて、敷いてある布団に横になり、休むのです。それでも、次の日には、布団の中で掻きむしった皮とリンパ液でいっぱいでした。
7月6日(43日目) 松本漢方クリニックで診察を受けました。松本先生は、私が診察に入ると、静かに、論理的に話をしてくださり、「治るよ!」とおっしゃっていただきました。手記で書いておられる方も何人かいらっしゃいますが、毎週、私がつらい体をおして高槻まで診察に向かうのは、松本先生に「治る!」と励ましていただくためだけだといっても良かったと思います。診察が終わってから手記を読んでいると、顔からどろりとした液体が溢れてきました。ティッシュで拭うと、リンパ液のとても濃いもので、どろりとした膿そのものでした。思わず、赤い薬を手に取り、塗りつけると、リンパ液がかえってどんどんあふれ出てきたので、ティッシュで拭いながら家まで帰り着きました。
7月9日(46日目) 朝、食事を取ろうとして起き上がろうとすると、体中がほてった感じで、うまく起き上がれないのです。熱を測ると、37.4度の熱がありました。あわてて、抗生物質を飲み、横になりましたが、なかなか体が思うように動かない自分にとても苛立ち、布団の中で一日中泣いていました。
7月13日(50日目) 診察。この頃はぼんやりとしか記憶がないのですが、とにかくぐったりとして、一人では外出する力がなくなってきました。足の裏に無数の傷があり、足全体もパンパンに腫れて、歩くことが難しい状態だったので、この日は、初めて母親に松本漢方クリニックに付き添ってもらいました。「どうや?」と聞かれ、「リバウンドが激しく出ていて、リンパ液がたくさん出ています。どうしたらいいですか?」と尋ねる私に、松本先生は「君はまだ僕の理論をわかってないなぁ。」とおっしゃって、笑われたのを覚えています。松本先生の理論を何回も読んで、頭では理解できてはいても、ずっと他の病院で言われてきた「アトピーは、ステロイドによって押さえ込むべきもの」という言葉は、思ったよりも自分の体の中に浸透していることに気づいた一瞬でした。本当に恥ずかしくなりました。母親は、待合室で手記を読んだり、他の患者さんの保護者の方とお話をしたりして、松本漢方クリニックの治療法に信頼をもったようでした。
診察を受け、家に帰りましたが、意識は朦朧としていました。とにかく体が辛く、寒くて仕方がなかったので、お風呂に入るときだけが幸せでした。お風呂に入ると、痒みが薄らいで、居眠りをすることができるからです。居眠りをしながらも、ぶくぶくとお風呂のお湯に顔をつけてしまい、窒息死するのではと危惧したこともありました。お風呂から上がった後は、足が痛いために、つま先立ちでお風呂のお湯を捨てて、お風呂を簡単にシャワーで掃除して、一番絞り液を体につけて、赤い薬を塗るのですが、本当に意識が飛ぶのではないかと思うくらい、体が締め付けられるような痛みなのです。私がお風呂から上がった後は、父親が風呂掃除をしてくれていましたが、ものすごい皮の量が落ちているために、「本当に治るんかいな・・・。」と、ぶつぶつ言っていました。けれど、私が信じて行っている治療には、私に向かって何も言うことはありませんでした。
7月15日(52日目) シャンプーしていると、前髪が50本くらいまとめてズボッと抜けました。ついに来た!という感じでした。もともと頭皮にステロイドを塗っていたのだから、絶対に抜けると思っていたのです。「頭髪が抜けて」という手記を、インターネットで必死になって読みました。苦しい思いを乗り越えて、元気になっておられる方がいる、私も乗り越えなければと、気持を新たにしました。この日を境に、どんどんと髪の毛が抜けていきました。ロングヘアだったために、抜けた髪の量が、余計に多く見えました。横になっていても、枕に髪の毛がはりついており、身づくろいしようと櫛をとおすと、恐ろしいほどに抜けました。怖いので、タオルを頭に巻きつけて、ターバンのようにして、髪の毛のことはあまり考えないようにしました。しかし、風呂掃除をする父親が、ゴミ箱に捨てられた大量の髪の毛を見て、「大丈夫なんか?」と時折たずねてきました。このときの事を考えると、今でも涙がでてきます。
7月17日(54日目) 夜、突然、耳が詰まって聞こえなくなりました。耳の中では「ゴボゴボ」と水が流れるような音がして、詰まったような感じと、痛がゆい感じで、頭痛がして、苦しくてたまらなくなりました。寝る姿勢を変えればなんとかなるだろうと思いましたが、それは気休めでしかありませんでした。熱が出たため、抗生物質を8時間おきに服用しました。
7月20日(57日目) 母親が、松本漢方クリニックに、耳について相談の電話をしたところ、「耳鼻科で、掃除してもらいなさい。でも、絶対にステロイドはつかったらいかんでー。」との答え。高槻まで行ける状態ではなかったので、母親に、松本漢方クリニックでいつもどおりの薬をもらってきてもらい、それから近くの耳鼻科に付き添ってもらいました。耳鼻科で耳の中を吸引してもらうことになりました。小さいころにお世話になった先生だけあって、ステロイドを使わないで下さいとお願いしたところ、快く承知してくれ、耳を掃除してくれました。すると、すこし熱をもってはいるものの、とても楽になりました。耳の中が湿疹だらけで、リンパ液が出てきて、耳の中を圧迫しているとのことでした。
治療3ヶ月目
7月27日(64日目) 松本漢方クリニックで診察と血液検査。先日の血液検査によると、まだ蛋白の値が低いので、松本先生からは、「プロテインを15杯飲め!」と檄をとばされました。ぼんやりしており、待合室で手記も読めないまま、ただ冷房の寒さに体を震わせていました。他の人も手記に書かれているかたがおられますが、体温の調節ができないために、酷暑といわれているにもかかわらず、本当に寒く、がちがちと震えていました。夏だというのに、着古したトレーナーにパーカーを羽織って、やわらかいスラックスを着用し、首はリンパ液が流れているので、大きなガーゼでスカーフを作り、首に巻きつけました。ひたすら風が皮膚に当たらないように努力しました。風が傷だらけの皮膚に当たると、本当に痛い!!必死で帰ると、体を掻きながら横になりました。このころから赤い薬の使用量が一気に増え、一週間で5個、6個を使い切っていました。エルタシン軟膏もかなりの量を使っていましたが、松本先生に、できるだけ赤い薬を使うように指示されました。
7月28日(65日目) 松本先生から、電話で、「蛋白のアルブミンの値が下がる一方なので、アミノバクトを処方します。プロテインは忘れずにちゃんと飲んでるか!」とご連絡を頂きました。体のだるさにもかかわらず、食欲は旺盛で、三食はきちんと食べ、おやつは、野菜をたくさん入れたラーメンを作ってもらって食べました。喉が渇くので、頻繁にお茶を飲み、果物を食べていました。あまりに辛くて動けないときは、食事や飲み物を母に運んでもらいました。
7月30日(67日目) アミノバクトで、一刻も早く自分の体調を持ち直したいと思って、松本漢方クリニックを訪れました。松本先生は状況を察してくれ、次の診療日のことも考えて、4日分だけ処方してくださいました。朝晩と食後に服用するのですが、体を助けている、という感覚があったためか、精神的にとても落ち着いてきました。体調は極めて最悪でしたが、「これで絶対良くなる。しんどいけれど、絶対に頑張る。」と自分に言い聞かせました。
8月2日(70日目) 耳鼻科に行き、耳を掃除していただく。少しずつですが、耳の痒みについてはかなり落ち着いた状態になっていました。ただ、外出することは、とても苦痛でした。着替えるたびに大量の皮が落ちるのは相変わらずなのですが、その皮の表面積が次第に大きくなっていました。手のひらくらいの大きさのものもありました。
8月7日(75日目) 食欲が無くなり、無理やり食べたら、嘔吐してしまいました。何か悪いものでも食べたか、と思っていたら、時間とともに胃の調子も落ち着きました。おかゆを食べて、あまり刺激の強い食べ物は摂らないようにしました。
8月10日(78日目) 松本漢方クリニックにて血液検査を受けました。相変わらず、熱も一日一度は38度近くまで上昇していました。前髪がほとんど抜け落ちていたので、頭にスカーフを巻いて、更に帽子をかぶりました。髪は、前から後ろに向かって、生え際から抜け落ちていくようでした。血液を採取する際、看護師さんと、アシスタントさんは、「がんばってるよ!この腕の状態だったら、早いよ。1年くらいで治るかもよ。」とおっしゃり、私と同じように髪が抜けてしまった患者さんのスライドを見せていただきました。一年後のその方は、髪も、肌も、健康な状態になっておられて、とても励まされました。ただ、またしてもアルブミンの数値が下がっており、松本先生から「プロテインを飲んでいるか!20杯飲みなさい。」と電話をいただきました。水に溶かして飲んでいたプロテインであったが、この際牛乳と混ぜてみたら、より吸収が良くなるのではないかと考えて、牛乳に混ぜて飲むようになりました。
8月11日(79日目) 松本漢方クリニックがお盆休みに入るというので、とても心細く感じて、どうしたらいいのかわからず、翌日松本先生に電話をしました。「リンパ液が大量に流れて、大変なのです。」と訴えると、「君はまだ僕の理論をわかってへんなぁ。リンパ液は、いくら流れてもいいんやで。怖いのは、蛋白の数値がこのまま下がり続けることや。」と言いながらも、「困ったら、電話しなさい。」と、自宅の電話番号を教えてくださいました。結局、ご自宅に連絡することはありませんでしたが、後から思えば、診察を受けるたびに、「困ったら、電話しなさい。」とおっしゃって頂いていました。質問があるときに、松本漢方クリニックまで行き、順番を待つことを思うと、とても心強いものでした。リンパ液が半端でなく大量にあふれ出るので、布やティッシュを巻きつけるのですが、感染が怖くて、傷口に触れるところは、ガーゼを使用していました。体じゅうにたくさんのガーゼを必要とするので、パッケージに書かれている電話番号に電話をして、卸売りをしているところを教えていただき、大量に購入しました。
8月17日(85日目) お盆明けに診察に行きました。気がかなりしっかりしていたので、今度の血液検査の結果は絶対良くなっている!と思ったのにもかかわらず、電話で知らせていただいたことには、アルブミンの数値は下がっており、かなり落胆しました。松本先生からは「EBウイルス感染症かもしれない。調べてもらうようにします。」とおっしゃっていただきました。このとき、本当に自分が嫌になりました。どうしたらいいのだろう?と、悔し泣きしました。その時、母親が「続けていたら、治るんやろ?今ここでステロイドに戻ったら、また最初からやりなおしなんやろ?」と静かに話しだしました。その言葉で気を取り直しましたが、この日あたりは、何を言われても落ち込み、他人の反応が恐ろしく気になりました。よくよく考えたら、生理も二ヶ月止まっていることに気づいたのもこの頃でした。
8月24日(92日目) 家を出るときは出ていなかった熱が、上がり始めて、待合室で熱を測ってもらいました。38度ほどの熱。行き帰りもふらふらで、松本漢方クリニックの前の階段で転ぶ。あまりリンパ液の出ていなかった太ももの裏がわに傷が出来始めました。熱があるときは薬湯に入れないので、お風呂が待ち遠しくてたまりませんでした。眠れないのですが、お風呂に入っているときだけはうつらうつらとしていました。熱が下がったときを見計らって、一日二度入浴してみたりしました。それでも、お風呂のお湯は白くにごり、剥がれ落ちた皮膚でいっぱいになりました。
治療4ヶ月目
8月31日(99日目) 松本漢方クリニックにて、診察と血液検査。やはりEBウイルス感染症であったとのことでした。どこで感染したのだろうという疑問もありましたが、「リバウンドの一つの山の過程なのだ、乗り切らなければ!」と自分を励ましました。この日も、診察帰りに、頭がぼんやりしていて、松本漢方クリニック前の段差で転倒してしまいました。体中から皮がどんどんとめくれていくことにも慣れつつあったのですが、相変わらずリンパ液が大量に溢れ出すことには、本当に辟易しており、はやくリンパ液が止まらないか、ということばかりを考えていました。ただ、インターネットの手記を読んでいると、自分と症状の出方が似ている方がおられ、その方の手記をプリントアウトしたものを、少しずつ読みました。その方の過程を読むことによって、来月の今頃はもっと良くなっているはずだ、と希望を持つことができました。
「花粉症とアトピー」32歳女性2003年11月23日
私は、8年ほど前から花粉症になり、花粉の時期になると、鼻水、鼻づまり、目のかゆみ、くしゃみの日々を送っていました。
花粉症の時期は、毎年2月~4月ぐらいだったので、市販されている花粉症の薬を服用し、過ごしてきました。年々、症状はひどくなってきていました。薬は効かなくなってきており、次第に皮膚科に通うようになっていました。
そこでの薬は、症状を抑えるものであり、ステロイド剤でした。ステロイドの恐さを知っていたので、症状のない日には、なるべく服用しませんでした。それから何年か過ぎ、2年くらい前に、突然顔が真っ赤になり、ヒリヒリとして、外に出られない状態になってしまいました。
びっくりしてアレルギー科に行ったところ、「花粉症が顔に出たというのは、聞いたことがない。別の病気ではないか。」と言われました。私の中では、顔がひどくなってきたのは、花粉の量が多くなってきたからだなと思い、アレルギー科の先生の言う事には、納得できませんでした。
松本漢方クリニックは、娘が通院していたので、来院しました。松本先生から、すぐに「花粉症です。」と言われ、先生の説明を聞くと、納得できました。
毎日、漢方煎じ薬・塗り薬をはじめ、顔の赤みは、一ヶ月ほどで、すっかり元の様になりましたが、手の湿疹がだんだん真っ赤になって、ひどくなってきました。少し前から、手の甲に湿疹が出てきていました。
始めは、漢方薬を飲んでいるのだから、良くなると思っていたのですが、来院した時よりひどくなってきたので、「どうしてなんだろう?」と思っていました。松本先生の説明を受け、今は、体の中で反応している時期なのかと分かり、毎日、漢方薬を飲み続けました。
手の赤いのは、最初、手の甲だけだったのですが、両手に広がり、ひじの下まで広がっていきました。半年ほど経った頃から、赤みのところが無くなっていき、今では、手の一部に、赤いのが残っている状態です。
花粉症のほうも、全くないわけではないのですが、辛い症状はなく、軽くなりました。
松本漢方クリニックの方々を信じてきた結果だと、思っています。有難うございました。
私とアトピーの出会いは、今から13年前の春で当時17歳でした。
最初二の腕の裏に、白い円形の斑点が出来ているのに気がつきました。
痒みもなく特に気にしていなかったのですが、何日かして別に少し赤い円形の痒みのある斑点が出来、腕だけでなく、足にも出るようになりました。
痒みがおさまらないので、一度皮膚科の病院で見てもらう方が良いと思いました。しかし、その時の私は、皮膚科へ行った事がなく、こういう症状の知識もなく別に皮膚科の病院ならどこでも良いという安易な考えでした。
知り合いに、大桑病院を紹介してもらいそこで初めて診察をしてもらいました。そして症状を説明したのですが、先生からは特に説明も無く、「これ塗ったら良くなるから。」と言われ無色透明の軟膏を塗られました。これが、初めてステロイドを塗る事になったきっかけです。しかしこの軟膏がどういう物であるかという説明は無く、薄く塗ってくれと言われた事くらいしか印象がありません。そして何日か使いましたが、塗ってしばらくすれば、確かに驚くほど症状は良くなります。しかし、次の日には、又戻っている様な感じで、塗ったら綺麗になるけれども、なぜ根本的に治らないのだろうという疑問が日に日に増して行くばかりでした。それでもこの軟膏がステロイドと言う事を知らない私は、毎日塗り続けました。そして、とうとう元よりも悪くなって行く事に不安になり、病院で相談しました。すると今使っている物より強いステロイドを出して来たのです。これもまた本当に塗ればすごく綺麗になりました。しかし使い続けても効果は、前のものと変わりません。綺麗になっても又すぐに悪くなります。もうどうしていいのか、分かりませんでした。しかし、悪いままの状態では、痒みが酷く、ただれも酷いので塗らずにはいられません。でも塗っても結果はわかっていました。もう最初の症状とはまるで別ものです。このままの治療方で治るのかという不安と、この軟膏は何なのかという怖さで、つらい毎日でした。そして、最初にステロイドを塗ってから3ヶ月程過ぎたある日、私の症状と通っている医院を知った、近所の方から、松本漢方クリニックに行きなさいと進められました。松本漢方クリニックでは、漢方で治療すると聞いた時は、半身半疑でしたが、今の治療では、一行に良くならないので、私は松本漢方クリニックに行く事に決めました。そして、私は松本先生に出会い、これまでの事を説明し、その時初めて、私が塗っていた軟膏がステロイドであること知り、ステロイドの怖さを知りました。こういう薬に私は無知であった為、何の疑いもなく塗っていましたが、大変な事をしてしまったのだとその時思いました。たった3ヶ月でも、ステロイドは私の人生を大きく狂わしました。ステロイドを私の体からぬくため、私は漢方薬を飲む生活が始まりました。味は苦くなかなか慣れませんし、めんどくさいですが、それでも頑張って飲み続けました。説明通り、最初は、どんどん悪い所が出てきて、体中痒くて、たまりませんでした。時にはあまりの痒で寝むれない日もありました。半年に一回、血液を検査しますが、数値は、上がる一方です。漢方を飲み、1年半暮らした頃、痒みも大分おさまり、数値も下がって、私は治って来たのだと思いました。
私は調理師の職に就き、実家を離れ、一人暮らしをしていましたが、仕事の疲れと供に、漢方を炊くのがめんどくさくなり、医院にも通わなく成りました。そんな日が1年以上続き、ある日仕事で、荒い物をしていました。その時にたぶん指から菌が入ったのだと思いますが、指がパンパンに腫れて、ドロドロにただれ手首から先が、ゾンビの手の様に、とても人に見せられる様なものでは無い位でした。それから私は仕事が出来なくなり、自宅療養という形で仕事を休み久しぶりに松本漢方クリニックに行く事になりました。
松本先生は、その時大変怒られました。治りきっていない体をほったらかし、菌に感染し自分では、どうする事も出来ずに、悪くなってからまた医院に来たのですから、本当に私は馬鹿だったと思います。その日から又漢方薬を飲み続けました。1ヶ月後、仕事も復帰しましたが、仕事は本当にきっかつたので、正直、毎日漢方薬を煎じる事は、出来ませんでしたが、出来るだけ飲むよう心がけました。それからは、悪くなったり、良くなったりの繰り返しの日々が続きました。ある日足の痒みが酷くとうとう膝の裏から菌が感染したらしく、足がパンパンに腫れて、棒になり、足を曲げる事が出来なくなりました。松本先生に相談して、お風呂の漢方薬を進めてもらい、私は、一人暮らしをやめ実家で暮らし、毎晩お風呂で漢方風呂にしてつかりました。しかしその頃、本当に痒みが酷く、布団で眠れない日々が続き、とうとう私は、風呂で寝る様になりました。風呂につかっている間は、痒みはありません。しかし、風呂から上がれば、直ぐに痒みがおそってきます。この頃が一番つらい時期でした。
そんな生活が2年近く続き、やっと布団で寝れる様にもなりました。
痒みを感じる事もありますが、血液検査の数値も上がったり下がったりですが、ピークは過ぎたといった感じでした。
しかし、この頃ですでに10年近く経ちました。それでも漢方薬を飲み紅い軟膏を塗る事を続けるしかありません。
仕事をしながら、漢方を煎じ、飲む事は、私にとっては大変な作業であり、毎日は、飲めていませんが、13年たった今、ほぼ普通の生活ができるようになりました。
13年前に、松本漢方クリニックに行っていたら、私は、もっと違う人生だったと思います。ステロイドは本当に怖い薬です。
しかし、私はステロイドによって、知識も持ち、自分と同じような人とも出会い、とても勉強になりました。
お金と時間はかかりましたが、健康にはかえられません。ステロイドを知らない人は沢山いますし、それお平気で塗る医者も沢山いると思います。
私は13年前、松本漢方クリニックを紹介してくれた近所のおばさんのような存在になれたらいいと思います。
これまで何度か漢方を飲まなかった、私を見捨てず診察してくれた、松本先生と支えてくれた家族に本当に感謝しています。
有り難うございました。
私は、現在31歳の男性です。松本漢方クリニックにかかってから1年が過ぎました。この1年間、今まで経験したことのない、ほんとに辛い日々がありました。それを支えてくれ、乗り越えることが出来たのは、家族であり、友人であり、そして皆さんが書かれた手記でした。不安になったとき、たくさんの手記を読み、安心し、励まされたことから、私も恩返しができればと思いながら手記を書きます。
1、治療前の私
私は小学生の頃から、アレルギー性鼻炎と言われ、季節の変わり目に目がかゆくなり、鼻水が滝のように流れ出て、いつもティッシュを鼻に差し込んでいました。しかし、小学生の頃は、耳鼻科などには一切いかず、季節のものだけだったのでそのままほっておきました。
中高校生になり、市販の薬を少しずつ飲むようになりました。そのころから激しい運動などをすると、咳が出るようになり、冬になると、背中がかゆくなりかさかさになる等の症状が出てくるようになりました。しかしそれも1年中ではなく、ほっておくだけで全く何もない季節もありました。
大学生の時、アルバイトで手が荒れ、荒れが直っても、指の間に水疱ができ、それがつぶれて、また出来ての繰り返しになったことがありました。そのときにフルコートという薬を塗りました。驚くほどの効き目で、すぐに直りましたが、またすぐに水疱が出来るのを繰り返しました。
そのまま就職し、結婚して、ある日妻に、1度皮膚科に行ってきたらと言われ、近所の皮膚科に行きました。そのとき、医者に、「これはアトピーだと思います。手の平なので少しきついめの薬をだします。これを塗ってみてください。」と言われたと思います。ステロイドをもらいました。しかし、当然これも以前と変わらず、治ったかと思うとまた出てきての繰り返し、2度ほど通ってそれきりになりました。とは言いつつ、ここまでは、それほど気にするような症状ではありませんでした。28歳の時です。右こめかみにニキビのような湿疹ができ、それが赤くふくらんできて、約5㎜の大きさをキープし、3ヶ月ぐらい治りませんでした。またこれは冬期だけですが、背中と同じように頭の皮膚もかさかさになりました。そこでまた別の皮膚科にみてもらうことになりました。「これはなんですか?アトピーですか」私は聞きました。先生は、「まだわかりません。これを塗ってみてください。」ステロイドの塗り薬が幾種類も入ったケースから「比較的弱い薬です」と言って渡され、頭には液体状の薬をもらいました。はっきり言って私自身もアトピーと認めたくなくて、正直まだアトピーと決まった訳じゃないと思い安心しましたし、楽観的に考えていました。新たなステロイド生活が始まりました。それからは少しずつひどくなっていきました。病院も1度変えましたが、薬が強くなっただけで同じでした。おかしいと思ったときには2年が経っていました。全身の至る所に広がって、ステロイドを塗っても以前ほど回復しなくなり、比較的ましな季節になっても戻らず、このままでは絶対に治らないと感じました。
2、きっかけ
松本漢方クリニックの話を聞いたのは、私の姉からでした。姉も知り合いから聞いた話でした。とにかく私は松本漢方クリニックのホームページを見て、先生の理論を読みました。今まで全くアトピーに関する知識のなかった私は、世界が変わるほど驚きました。今まで私は何をしていたんだろうと思いました。ステロイドの治療に対して疑心暗鬼になっていた私は、素直に先生の理論を受け入れることが出来たのです。
次の日、妻にもホームページを見てもらい、1度松本漢方クリニックに行ってみると話し、妻も賛成したのでその日から一切のステロイドをやめました。それから1週間後、8月の終わりでした。私の体は、どんどんひどくなり、赤みが出て職場でも「どうしたのか?」と言われるぐらいになり、やっと松本漢方クリニックを訪れました。 待合室での独特の漢方の香りと診察室から聞こえてくる松本先生の大きな声、不安と希望でどきどきしながら、待っていました。採血の後、初めての松本先生との対面でした。「私の言うとおりにすれば絶対に治るよ、必ず治してあげるから」といつもそうでしたが、松本先生の自信たっぷりの言葉に何度も励まされました。
3、治療はじめ
私は、完全になめていました。手記を読んで大変なことになるのは分かっていましたが、これ程とは思ってもみなかったのです。正直言って私は今までそれほどのステロイドを使っていないと思っていたのです。確かに2年間はステロイド漬けでした。しかしそれまでは、あまりステロイドを使っていないと思いこんでいたのです。他の手記を読んでも私よりひどい人はたくさんいました。まさか私がここまでとはという信じられない思いでした。先生は、「今まで使ったステロイドは遡ってすべて出てきます。」と言っていました。昔から花粉症に悩まされていた私の体には、30年間、当然多量に蓄積されているということを思い知りました。
治療3日目
体のあちこちの皮膚が、ぼろぼろとめくれてきて、気が狂いそうな程の痒みに襲われました。特に朝にもシャワーをするようにいわれた私は、起きてすぐに全身に消毒液を塗り、シャワーを浴びていたのですが、出るとものすごい痒みに襲われ、保冷剤をタオルにまいて体にあてていました。
1週間
体はもちろん顔もぼろぼろになり、微熱がずっと続き、仕事も休みがちになりました。熱が出るのは菌に感染しているからで、抗生物質をずっと飲むようになりました。9月というのに、寒気がし、厚着をして震えていました。
2週間
仕事から帰ると、足がむくんでぱんぱんにふくらんでいました。また、股間の両側のリンパ腺がふくらみ、さわると少し痛みました。
3週間
妻が次男を出産しました。私は妻の病院で次男を見ましたが、それからは実家で過ごすようになり、仕事も完全にいけなくなり、休職しました。その時は足だけでなく手もぱんぱんにふくれて、足の膝は曲げることさえもしづらく、普通の革靴に足が入らなくなっていました
1ヶ月
これ以上ひどくはならないと思っていましたが、ここからが1番大変でした。眉毛が抜けました。そして、手の平と足の裏の皮膚が割れてきました。痛くて痛くて、箸もうまく握れず、身動きがとれませんでした。風呂、飯、寝るとき以外は1日中新聞紙をひいたソファーに座っていました。動く度に皮膚の粉が落ちることと、足からリンパ液がにじんで出てくるからです。足がむくむようになってから、異常にのどが渇き、水分ばかり大量にとっていましたが、その割に、おしっこは1日3回ほどしか出ず、むくみがどんどん大きくなっていき、ひび割れもひどくなり、不安になって先生に聞くと、栄養が流れてしまっているからで、アミノバクトとプロテインを飲むようにいわれました。
1ヶ月半
髪の毛が抜けてきました。さすがにショックでした。すでに眉毛は無く、他の体毛と言う体毛はほとんど抜けていました。今思えばここがピークだったと思います。足も手もひび割れて、ほとんど動けず、夜はかゆくて眠れず、本当にこれで治るのか、こんな状態がいつまで続くのかと不安でなりませんでした。先生にお酒は飲んでいいのですかと聞いたことがあります。先生は、「ええけどよけかゆなるかもしれんで」といいましたが、私はええんやったら飲もう、どうせ何もして無くてもかゆいんやからと思い、よくお酒を飲みました。飲んだ方が寝付きがよかったと思います。
2ヶ月
やっと治る兆候が見え始めました。足のむくみがとれてきたのです。同時にひび割れもだんだんと治ってきました。それでもまだかゆくて風呂に入った後でも、かくと皮膚がぼろぼろ落ちて3足のむくみはほとんどとれ、髪の毛も少しずつ生えてきました。あまり皮が落ちなくなってきましたが、まだまだ痒みは続きます。しかし風呂に入る度にましになっていく実感がありました。
3ヶ月半
そろそろ何とかもう少しで仕事にも復帰できるかなと思い、先生に相談したところ、「よし、それではスピードアップしてみよう」と言って、違う煎じ薬をもらいました。赤っぽい薬で飲むと少し甘みのあるさらに飲みにくい薬でした。私はやっとここまで来たかとほっとしていたのですが、その薬を飲むとなんと、またリバウンドして皮膚がぼろぼろになってきました。その時はほんとにショックでかなり落ち込みました。
4ヶ月
結局仕事には復帰できませんでしたが、やっと自宅には帰ることが出来ました。次男が生まれてから実家にいたままの私は子供ともほとんど会うこともできませんでした。リバウンドは結構ひどかったのですが、ちょうど生まれて3ヶ月ほどの次男の顔にアトピーが出てきたので、次男と一緒に私の皮だらけの風呂に入りました。
6ヶ月
何度かリバウンドを繰り返していますが、やっとリバウンドの間隔も長くなり、皮膚の状態も落ち着いてきました。先生に相談したところ、元の薬に戻し、来月に仕事へ復帰することを決めました。次男はいよいよひどくなり、真っ赤な顔でほっぺから汁がでるようになりました。私と次男はますます長い時間一緒にお風呂に入っていました。薬湯の入り方はいろいろ試しましたが、やっぱり、5時間続けて入るのが一番でした、また、薬湯を蒸らした直後の絞り汁をガーゼに付けて拭くのがすごく効きました。
7ヶ月
3月です。仕事に復帰しました。まだ顔色も悪く、背中にはぼろぼろが残っていましたが、それはすぐによくなってきました。その後は軽いリバウンドを何度か繰り返しましたがだんだんとぼろぼろもなくなり、蕁麻疹が出たりしましたが、一時に比べると奇跡のようにきれいになりました。また次男も日に日にきれいになっていき7月頃にはきれいな顔に戻りました。
1年が過ぎて手記を書き始めて、今はもう12月になりましたが、私の体は、まだ痒みが残っています。夏の間は少し蕁麻疹が出たぐらいでした。9月頃に少し咳が続きましたが、これはすぐに治まりました。11月に入り、少し、薬湯をさぼっていると、ちょっと脇腹にぶつぶつが出てきました。次男も、今また顔にぶつぶつが出始めています。しかし、一年前、松本漢方クリニックに行く前のままでは、今頃私は、どんな姿になっていたのだろうと考えるとぞっとします。今では普通の人と顔色も変わらず、生活には全く支障がありません。思い切って行動したことがほんとによかったと思っています。
松本先生の治療は、ほんとにつらかったし、漢方薬のお金もはっきり言って高額で、家の家計もかなり圧迫していましたが、全く何の後悔も無く、「やってよかった」とつくづく思おうばかりです。治療には家族の支えが不可欠でした。家族がいるからがんばれたし、家族の大切さを改めて実感しました。完治にはもう少し時間がかかるようですが、息子と一緒に風呂に入って、きっちりなおしていきたいと思います。今、アレルギーに苦しんでこのホームページを見ている人たちや、現在治療中の人たちに、松本先生の治療が、ほんとにすばらしいものであることを保証してこの手記を終わります。
最初は、手のアトピーを治療する為に受診しました。
アレルギーの治療をしている医院をインターネットで調べてみた結果、一度松本漢方クリニックに行ってみよう、ということになりました。
待合室には多くの患者さんの手記が置いてあり、いくつか読みながら診察の順番を待っていました。
手記を読んで、数々の患者さんを治療してきたという実績はわかりました。
しかし、自宅から遠いこともあり、手記だけでは、通院するかどうかは決心できませんでした。私にとっては、私自身のアレルギーが治らなければ困るからです。診察時、松本先生が「絶対に治します。」と断言されたことが印象的でした。他の医者は、曖昧な言葉でごまかし、決して治すと断言することはなかったからです。 断言して頂くことで、とても安心できました。
そこで、ここなら信頼できると判断して、松本漢方クリニックで治療することに決めました。最初は、アトピーの薬が処方されました。飲み始めて数日後、見た目の症状は悪くなりました。しかしそれは、薬が効果が現れている証拠ということで、その後も安心して飲み続けました。
1年後、喘息の症状も現れるようになり、アレルギー全般の薬を処方されました。薬はとてもまずい味でしたが、我慢して飲み続けました。
その後、仕事が忙しくなり、薬はしっかり飲み続けていましたが、2年ほど受診するのを忘れてしまいました。これは、今考えると失敗でした。病気を治すということは、患者自身で治すことであり、先生や薬は、あくまでも治療の手助けをしてくれるにすぎません。薬だけに頼らず、定期的に受診すべきだったと反省しました。2年ぶりに受診し、喘息に特化した薬に変える事になりました。その薬が、それまで飲んでいた薬と比べてとても飲みやすい味だったので、驚きました。
薬を煮ている時に出る匂いも、薬の味も、紅茶に似ていました。
それからは、1年に1回は受診することにしました。
2006年12月12日
IgEの数値:156
2007年9月5日
IgEの数値:110
2008年10月22日
IgEの数値:111
2009年4月11日
IgEの数値:98
現在、喘息の症状はありません。皮膚の状態も良く、時々ほこりを吸ったときだけ鼻水が出る、という状態です。しかし、症状が良くなったからといって薬を飲むのをやめるのは良くありません。
IgEの数値が正常になるまで、そして、全てのアレルギーが完治するまで、飲み続けます。
最後に、アレルギーの治療は大変です。家族の協力が必要だと思いました。
10月にまた受診する予定でおります。今後ともよろしくお願いします。
思い返してみれば、小さい頃は小児喘息で、季節の変わり目に薬を飲み、耳鼻科にもよく通った記憶があります。学生の頃は、指先に小さな水泡ができて痒くじゅく,じゅくになり、薬屋さんにすすめられるままベトネベードを塗り続け、治ったらまたぶり返し、又薬を塗りのそんな連続でした。
結婚を期に大阪に来てからは、水が合わないのか一段と症状が悪くなり、手のひらや甲までも湿疹の範囲が広がりました。「主婦性湿疹ですね。」と言われ、飲み薬とアンダーム、ひどい時はリンデロンの軟膏をもらった事もあります。
出産に育児、慌しい生活に追われなかなか病院にも行かず、持っている薬や薬局で買った薬などでだましだましの日々を送っていました。そして家を引越した頃から症状が悪化し、いわゆるムーンフェイス。上半身は赤紫っぽい湿疹に覆われ、普段は外に出るのが大好きな私でしたが、人と顔を合わせるのが怖くて家に引きこもり、心配する夫。子供達までも拒絶するくらいに、精神的に参っていました。
そんな時に知人の紹介で松本漢方クリニックに出会ったわけです。
診察室から聞こえる大きな声に、ちょっと戸惑いながらも診察を受けました。「絶対治してあげるから大丈夫!!」と強く手を握り、その言葉で私の心に1つの希望が見えてきました。
治るかもしれない・・・
リバウンドは思っていたほど強くなかった気がします。今はもう入っていませんが、漢方のお風呂は本当に気持ち良く、あの頃の唯一の楽しみでした。
せっかちな私としては、なかなか治らないのでイライラした事もありましたが、松本漢方クリニックに通院して4年ちょっと、今では顔はもちろん、上半身にできていた赤紫っぽい湿疹もきれいに治り、手足の関節に残るくらいになりました。
今では毎日元気いっぱいに、明るく過しています。
松本先生 ありがとうございました。
「アトピー治療中間報告」30歳女性2006年12月29日
私が松本漢方クリニックで最初に診察してもらったのは、1997年12月のことでした。症状は目頭から鼻筋にかけて赤くなり、首の後ろにはアトピーができていました。それまでアトピーで皮膚科に通ったことがなかったので、友人が教えてくれたこの松本漢方クリニックに行ってみることにしました。その当時はまだまだインターネットが普及していたわけではなく、松本漢方クリニックでの治療法について全く知識がないままでした。漢方の病院だし身体に良さそうだなという思いからでした。
最初に処方されたのは、漢方の煎じ薬と赤い塗り薬、消毒薬、エルタシンでした。漢方を飲み始めると徐々に顔全体が赤くなってきました。首のアトピーはすぐにひきましたが、それまでもできていたニキビが酷くなり始めました。年齢的にも多くでる頃でしたが、学生から社会人へと成長してもなかなか治りませんでした。顔の赤みもひきませんでした。
顔の赤みは漢方を飲み続けても症状が突然変わることはなく、ひどくなってくるのも良くなってくるのも、徐々にという感じでした。ニキビは一つ治ったと思えばまた新たにできるというような状態でした。IgE抗体量も上昇の一途をたどっていました。症状がはっきりと良くなってきたと実感したのは、仕事を辞めてからでした。仕事をしていた頃は朝から晩まで働き詰めで帰宅するのも遅くなることが多く、睡眠時間もあまり取れていませんでした。今思えば、疲れやストレスを抱えていることもアトピーの治りを遅らせる要因だったのではないかと思います。IgE抗体量もこのころを境に下がり始めました。
これで治っていくのかと思っていたのですが、昨年の夏の終わり、それまで何の症状も出ていなかった足に突然アトピーができ始めました。最初は左足首にプツプツとできる程度だったのですが、次の日には膝にまで広がり、さらには右足、両腕にもできていきました。アトピーと戦ってきてこれほど酷くなったことはありませんでした。一日中かゆくて、寝ていてもかゆさで目が覚め、おさまるまで掻きまくるということを続けました。両手、両足のアトピーができている間は、漢方のお風呂にも入るという治療をしました。幸いにもそれ以上に広がることはなく、かゆみは2ヶ月ほどでほとんどなくなりました。痛くて辛いということは想像できますが、かゆいということがこんなにも辛いことだと始めて知ったのはこの時です。今思い出しても本当に辛い期間でした。
私はそれまでステロイドを使って治療してきたということがありませんでした。アレルギーに関しては、10歳頃まで軽い喘息だったのですが、その薬を飲むくらいでした。松本漢方クリニックでの治療を始めて数年して、風邪薬なども、市販のものや他の病院で処方されるものは一切服用してはダメということを言われました。それらの薬もアトピーに影響しているものが入っているから、私の症状にも関係しているということでした。松本先生の「病院はここだけや」という言葉がとても印象的でした。それ以来、私は松本漢方クリニックで風邪薬はもちろん、頭痛薬や、便秘薬まで処方してもらっています。
これまで通院してきて、なかなか症状も改善されず、途中何度もひるみそうになりました。ここまで戦ってくることができたのは、身体の中にあるアレルギーを根本からなくしたいという思いでした。私の家系は、祖母、父、私とアレルギー体質を受け継いでいて、もし将来私にも子どもができたら、その子もアレルギーに苦しむことになるのでは・・・という不安があったからです。そして最初に松本漢方クリニックを訪れてから約8年半が経って、ようやく中間報告ができるまでになりました。現在は結婚し、家庭での生活を送っています。松本先生という信頼できる先生に出会えたことで、子どもにアレルギーが出たとしても、必ず治してもらえる!という安心感があります。
松本先生に、最後の手記を書くよう言われるまで、後どのくらいかかるか分かりませんが、これまで体内に溜めていたものを出し切るのですから、根気良く治療を続けていきたいと思います。これからもお世話になりますが、よろしくお願いいたします。
私には多くの方の手記に書かれているようなリバウンドの経験もなく、その方々の苦しみは私が想像できるものではないと思いますが、アトピーを治したいという思いは同じだと思います。どうか諦めず、最後まで松本先生についていって下さい。必ず良くなるということを信じて。