「娘のアトピー治療 ~生後 20 日から 1 歳 7 ヶ月まで~」
匿名希望(お母様記述)1 歳 7 ヶ月
2018 年 5 月 29 日
匿名希望(お母様記述)1 歳 7 ヶ月
2018 年 5 月 29 日
同じ境遇の方の参考になればと考え、経過と工夫したところなどを重点的に記したいと思います。経過は写真がわかりやすいので時系列に載せながらコメントを書いていきたいと思います。
生後半月頃から発疹が出始めました。出産した病院の助産師さんにほとんどの赤ちゃんが出るからびっくりせずにとにかく石鹸で洗ってあげてと言われていたのでそうしていました。1ヶ月健診ではアズノール軟膏を処方されました。
12月下旬に小児科を受診、ステロイド軟膏を使用しました(12月22日から1月18日頃まで) 塗っても塗ってもどんどん発疹がひどくなり、使う量が増えるのが怖くなり塗るのをやめました。
この頃は保湿をとにかく頻繁にしましたがどんどんひどくなり、夜も1時間置きに起きるようになりました。風呂敷で「おひなまき」にして寝かせました。一度掻き始めるとエスカレートして掻くのが止まらなくなり自分で作った傷の痛みで目が覚めてしまうパターンが多かったので、手足をくるんでしまうことである程度の効果は得られました。暑い季節は上半身だけ「おひなまき」にしました。
漢方治療を始めて1週間で少し症状が緩和されたように思いましたがそこからリバウンドが始まり、みるみるひどくなっていきました。
夜は痒くて眠れず、夜中1時~5時の時間帯は添い乳が外れると泣くので添い乳しっぱなしでした。「おひなまき」をしてもほどくか風呂敷越しに掻いてしまうので、夜中でもしょっちゅう軟膏を塗って、掻きむしりそうになったら私が代わりに掻いてあげて、を繰り返しました。体重が減り始めたのはこの頃からです。とにかく頻回授乳と睡眠(成長ホルモンの分泌の為)の確保に気を使いました。少しでも足しになるようにお風呂上がりの白湯をミルクに変えました。後頭部やあごのまわりにしこりがいくつもできていました。リンパが腫れているようです。
全身に発疹がありましたが特に顔がひどく、浸出液が常に出ている状態でした。薬を塗るのに触るのをためらうくらい痛そうでした。薬草風呂の成分にいかに長い時間触れているかが大事だと聞いて一番搾り汁をコットンに含ませ、薬草風呂に入っている間(お湯に浸かっていない部分)や普段の塗り薬をする前に一番ひどいところにパックしていました。スプレーボトルに入れて携帯するのも良いそうです。
ネオヨジンをお風呂の時に塗るようになりました。おしっこの回数が減ってきていましたが、成長が進んでおしっこの間隔が空くようになったためか、おしっこの量が減ったためか判断ができませんでした。保育園の慣らし保育が始まり、担当の先生におしっこが他の子より少なめと聞いて、やっぱりおしっこ量自体が減っていたのだとわかりました。徐々に変化していくと、成長による変化なのか治療による変化なのかわからないということが他にもありました。
2017年5月
一番体重が軽かったのが5月です。肋骨が見えるくらいまで減ってしまい心配で仕方ありませんでした。悪あがきですが浸出液の出が少しでも緩やかにならないかとガーゼ&ネットをしてみました。軟膏の成分の浸透を助け、掻きむしりも多少防げるのでガーゼ&ネットは良かったのですが、ガーゼは少しチクチクします。このころはやはり少し覇気がありませんでした。
4
離乳食を始めたのと浸出液が出なくなり少し体重が増え始めました。時間短縮の為、赤と黄の薬を手のひらで混ぜてから塗りました。全身に塗るのに40分くらいかかっていたのが15分くらいで済むようになりました。おしっこの量も増えました。6月中旬には体重の増え方が順調になり始め、ほっとしました。良く笑うようになり、体のしんどさからも解放されつつあるのかなと思いました。
顔の皮膚にツヤが戻り、もとの肌色が分かるようになってきたと実感できた頃です。薬で汚れた服は煮沸して落とす他にも色々試しましたが最終的には洗濯石けんを使ってぬるま湯で、洗濯機で洗うとほぼきれいになりました。食品アレルギーが卵、小麦、牛乳に出ました。パンを2カケ食べても後で嘔吐しました。嘔吐の機会が多いせいかこの1ヶ月体重の増えは勢いがなくなりました。
やや離乳食に飽きたのか、暑さのせいか食欲が減退。8月半ばにはほとんど食べない日が続きました。2回食から3回食に進むことができません。この時期は足首に深い掻き傷ができていました。4ヶ月の頃に寝返りをしたきり運動の発達がなかなか進みませんでしたが、11ヶ月になる手前でようやく寝返り返りができました。精神面では毎日成長がわかるくらいすごいスピードで進みました。
顔はずいぶんきれいになってきました。痒みはまだまだ強いです。離乳食は相変わらずあまり食べないので、味付けをいつもより少し濃い目にしたり、おはしで食べさせたり、ご飯の時間以外の時も例えば調理中に味見のようにあげてみたりと、いろいろごまかしながら食べさせました。
1歳になる少し前から離乳食を急にしっかり食べるようになり、身体がしっかりしてきました。食品アレルギーのものは先生の指示で毎日少しずつ増やしながら食べさせていました。この頃には卵の黄味は4分の1程度食べられるようになりました。10月中旬から3回食にしましたが、完食したり残しても半分くらいで良く食べてくれました。
おなか・背中はずいぶんきれいになりました。体重はまだ少し成長曲線から外れていますが順調に増えていました。
2017年12月この月から保育園に入り、発疹がまた少し増えました。12月の終わり頃(1歳2ヶ月)ハイハイができるようになりました。運動の発達の遅れが過酷な治療と関係あるのか気になっていましたが、同じ治療をしていた同じくらいの月齢の子が運動に全然遅れはなかったので、個性だということがわかりました。
じゃがいもとツナのマヨ和えを食べて蕁麻疹がでました。唇が腫れ、口の中がかゆそうにしていました。
4月に転園し、また慣れない環境からのスタートで徐々に発疹が増え、連休明けから1週間ほどでこのような状態になりました。ピーク以来の酷さに感じます。今回はチュビファーストという筒型包帯を使いました。使用感はとても良く、もっと早く使えていたら良かったのにと思いました。そういえば手記でチュビファーストを使っている方がいたけど、ここに来てようやく何のことだか分かりました。
さいごに
治療を始める前にはこんなに大変な治療になると想像もしていませんでした。手記は読んでいましたがどこか他人事というか、「まだ赤ちゃんやし早いうちなら短期間でリバウンドもそこまでひどくはならないのではないか」と楽観的に考えていたのです。一番大変だったのは体重が減ってしまったことでした。みるみる痩せて、痛々しくて、心配で毎日そのことばかり考えていました。人生で一番飛躍的に大きくなる時に逆に減ってしまうなんて、あとあと何か困った事になったりしないか、弱々しい身体で他の感染症などにかかって重症化したりしないか、松本先生は「大丈夫や」と言ってくださってはいたのですが、治療の止め時を今か今かと考えながらひたすら薬を塗る毎日でした。
朝昼晩の塗り薬、2日に1回のお風呂、3食の前後に煎じ薬(母の私だけ飲んでいました)洗濯物とお布団の処理(毎日たくさんの皮フが落ちました)ほとんどそれだけで毎日が過ぎて行きました。外出してもお昼の塗り薬の為に家に戻る為、また、掻いて血だらけになる為にせいぜい1〜2時間が限度でした。松本漢方クリニックに診察に来た日は4~5時間の外出になり、毎回スリングも私の洋服も血だらけになりながら帰りました。
幸いだったのはそんな毎日を送っていても、主人が治療を止めたいと言わなかったことです。なかば強引に私が始めた治療でしたが、いつも協力的に愚痴もこぼさず手伝ってくれました。祖父、祖母もきっと言いたい事はあったに違いないのですが否定的な事を言わず、「あなたが決めたことやったら」と温かく見守ってくれました。松本漢方クリニックを紹介してくれた友人がくれた「出してあげるのが親の仕事」という言葉にもずいぶん助けられました。
理屈ではこの治療が正しいと分かっていても、痩せていく痛々しい我が子を目の当たりにすると、やっぱり何度も何度も不安になりました。どこまでだったら体重減っても大丈夫なのか、おしっこ減っても大丈夫なのか、この治療を続けるのは他にどんなリスクがあるのか、わからないことだらけで不安でした。すべては私の勉強不足からの不安ではありましたが、昼夜問わずの頻回授乳に、私自身も頭皮・耳から2ヶ月以上浸出液が流れ、不眠が続き、手記を読む余裕もなかったのです(私が読んだ限りでは私の知りたい事が載っていなかったです)。この治療は誰もが最後までやり遂げられるわけではないのでしょう。私一人ではとても続けられないし、周りから否定されれば心も折れていたと思います。松本先生は赤ちゃんの治療では過去に何度も苦い経験をされているようで、ピークが過ぎるまでは先生はいつもピリピリされていました。一番ひどい時は「心配やから毎日電話かけてきて」と言ってくださいました。ピークが過ぎて浸出液も止まり、だんだん肌が戻ってきた頃、「君は不思議な女や。なんで治療を続けられたんや。」とおっしゃいました。今回初めて松本漢方クリニックでお世話になり、先生の人柄を理解するのに時間がかかりましたが、嘘をつかない、研究熱心な先生であることは初めから感じられましたし、先生の理論は腑に落ちました。
手記にも勇気づけられました。待ち合いで声をかけてくれた患者さんや、看護師さんに元気をもらいました。周りの協力は必須です。特に主人には感謝しています。何気ない一言に助けられることもありました。気持ちはいつも綱渡りのような状態でしたが周りのサポートが私の不安な気持ちよりわずかに上回っていたのだと思います。
もう1つは自分の為です。あとあと楽をしたかったのです。食べ物や環境にアレルギーを持っているお子さんを持つ方の話をいろんなところで耳にしましたが、除去食や毎日の徹底的な掃除はとても大変そうでした。できれば何でも食べられて、どんな環境でも順応できたほうが私もこの子も楽なのは明白です。だから完治にこだわりました。そして1番の理由はこの子が他の病気に一切ならず、一番しんどい時期でも笑顔を見せてくれていたので今日まで止めずにこられたのだと思います。いつもしんどそうにしていたら他の治療を探していたかもしれません。今は無事保育園に通うようになり(一度辞めました)徐々に少なくなっていた症状がまた出てきています。ピークの時ほどではないですが両足の皮がほとんど剥けてしまいました。傷は痛々しいので1日も早く治ってほしいですが、身体もしっかりし、大きな声で元気よく遊んでいる姿を見ていると不安はありません。きっとこんな感じを繰り返しながら少しずつ良くなっていくのかな、気長に構えて治療を続けていきたいと思います。松本先生にはたくさんのストレスをかけたことと思います、見放すことなく診ていただいて感謝しています。看護師、スタッフの皆さんにはいつも娘をかわいがってもらい、成長をみてもらって、私自身癒されています。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。