生後2ヶ月頃から顔に湿疹が出始め1歳頃には、膝の裏や肘の内側にも広がり、掻きむしって赤く腫れかわいそうでした。
様々な小児科、アレルギー科、皮膚科にも行きましたが、原因は分からず、ステロイドの対症療法は、どこでも同じで良くなりませんでした。その頃松本漢方クリニックを知り合いの方に紹介してもらいました。
松本先生の話に、とても納得できたので頑張りました。
毎日のお風呂は、大変でした、痒みも変わらないようでした。
良くなったり悪くなったりで心配でしたが、2歳半には、綺麗な子供らしい肌になりました。
久しぶりに6歳になって、おちんちんの痒みで掻き毟っていたので、来院しました。
いただいたお薬塗ると、今度はすぐに良くなりました。又来てよかったと思いました。
今まで有難うごだいました。これからもよろしくお願いします。
私の娘が、初めて痒がったのは、生後一ヶ月も経たない時の事でした。顔や背中に発疹が出来て、赤くなり、一ヶ月検診で診てもらった時には、「乳児湿疹」と診断され、塗り薬をもらいました。
しかし、日がたつにつれひどくなり、3ヶ月のころには掻いてただれてしまうようになりました。病院にいくとステロイドの入った薬を処方され、「ひどいときだけ使えば大丈夫だから」と言われて使いました。確かにぬると治りました。しかし、また出てくるのです。それの繰り返しで6ケ月までいきました。
6ケ月になり保育所に入所すると風邪をひき、抗生物質や乳酸菌の入った薬をもらいました。すると、飲ませてしばらくたったとき呼吸困難になり、アナフィラキーショック状態になってしまったのです。
急いで救急車を呼び入院という事態になりました。薬があわなかったのだろうということで、違う抗生物質を飲みしばらく入院したのですが顔はパンパンにはれあがり、腕は掻いてただれて今そのころの写真を見ても本当にかわいそうなほどになってしまいました。
そんな時、父親が会社の人から松本漢方クリニックの話を聞いてきて藁をもすがる,思いで、行ってみることにしました。生後8ケ月、6月のことでした。
病院は漢方薬の匂いで最初はびっくりしましたが、松本先生に「絶対に治してあげるからね」と言っていただき、とりあえず言われたとおり入浴剤で治療を始めました。また、離乳食から血液検査でひっかかっていた乳製品や卵を除去していたのですが、松本先生は「何でも食べさせなさい。掻いてもいいからね」と言ってくださりました。
最初はアナフィラキーショックの怖さが先行し、なかなか踏み出せなかったのですが、耳掻き一さじくらいから始め少しずつ食べれるようになってきました。入浴剤入りのお風呂に入り始めてから、少しずつ痒がるのがましになり、夜中に痒がって起きることが少なくなりました。本当にありがたかったです。
冬に向かい、乾燥でまた痒がり始めましたが、以前よりはましでしたし、また春になると少しずつおさまってきました。1年経つと見違えるようにきれいになり、夏はアトピーである事を忘れるくらいでした。
入浴剤に入らなくても肌はきれいで、ぐっすり夜も眠り、1年前から考えるとうそのようでした。ケーキもアイスクリームも卵焼きも何でも食べられるようになり親子共々本当に嬉しかったです。さすがに、冬は乾燥してか少し痒がりましたが眠れないほどではなく、入浴剤のお風呂に入るだけでおさまっていました。
今年は、春先からいつもの30倍の花粉が飛んでいると聞いていましたが、
春はまたひどくなり、花粉が多いところに1日いた日は夜中2時間くらい痒がって眠れない日がありました。松本先生が以前「花粉は最後まで残るよ」と
おっしゃってた言葉の意味がこのことだなとよくわかりました。花粉の時期が少しずつおさまってきた今、少しずつ痒がる時間が短くなってきていますが、まだ痒がっています。
でも、この2年間松本先生に診ていただいたおかげで、いろいろな物が食べられるようになり、体もきれいになりました。完全に治るのはまだ先の事かもしれませんが、きれいな肌でアトピーだったことを忘れられる日がくることを願っています。
もう少ししたら、2人目も生まれます。また、お世話になるかもしれません。そのときは、最初に湿疹が出た時点で松本先生に診てもらおうと思います。
今度はステロイドを使う前に・・・先生、またお願いします。
「アトピー手記」匿名希望1歳11ヶ月2005年8月15日
私(26歳女性)が、松本漢方クリニックに通院するようになったのは、2004年の7月のことだった。中学生の頃から、花粉症がひどく、産後、アトピー性皮膚炎も発症したため、学生時代に友人から聞いていた松本漢方クリニックを訪れた。現在、後天的免疫寛容を目指して、日々漢方薬を煎じ、飲み続けている。今回、先に後天的免疫寛容に至った息子(1歳11ヶ月)の手記を代筆する。
2003年9月 誕生
11月頃~ 脂漏性湿疹ができる。頭にかさぶた状のものができ、髪の毛と共に剥がれ落ちる。口の周りや、おしりがかぶれやすく、乳幼児健診で、アンダームを処方される。
2004年3月 耳の周りのかぶれがひどく、きしるや、血がにじむようになり、小児科で受診。ステロイドの軟膏を処方される。この時アレルギーの血液検査も行い、卵(加熱・非加熱とも)に反応。
薬学を出ていながら、薬嫌いの私は、息子に処方された薬を塗ることに、積極的ではなかった。本人も、眠れないほどや、機嫌が悪くなるほどかゆがることもなかったので、常用はしていなかったが、ひどくなったと感じたときに、少量塗ってしまった。
2004年7月から、私が松本漢方クリニックに通うようになり、息子の傷にも、赤い軟膏を塗り始めた。息子も受診させたかったが、長い待ち時間、ぐずらず待つ自信がなく、先延ばしにしていた。小さいお子さんを連れて、きちんと受診されている方々には、脱帽。
2004年11月 あいかわらず、口・耳の周り、おしりがかぶれやすい。度々風邪を引き、小児科で受診。胸がゼロゼロと鳴っていて、喘息の卦があると言われる。抗生物質、抗ヒスタミン薬、気管支拡張薬などが処方される。小児科への通院は中止し、松本漢方クリニックで受診。
育児休暇を終え、私が9月に職場復帰したため、息子は保育園へ通うようになった。それまで風邪を引いたことは一度しかなく、丈夫だった息子だが、保育園生活を始めて、しばらくすると、度々風邪を引くようになった。長引くと、咳が続き、胸がゼロゼロと鳴るようになった。上記の薬が処方されたが、松本先生のお話を伺っていたので、飲ませるという選択肢はなかった。
次の休日に、松本漢方クリニックへ連れて行った。松本先生は、息子の顔を見るなり、「アトピーやな。治るから。」とおっしゃった。皮膚症状はそれほどひどくなかったので、喘息症状のほうを先に取ってやりたいとお伝えし、葛根湯、喘息の煎じ薬と入浴剤を処方していただいた。「アトピーも喘息も、アレルギー疾患であるが、全身の皮膚が対象となるアトピー性皮膚炎より、気管支という限定した部分に限られる喘息のほうが治りやすい。」と話された。
二つの薬を煎じ、息子に飲ませた。毎食後と、寝る前の処方だったが、夕食後と、寝る前の時間が近かったので、夜中、目を覚まして泣いたときに与えた。食後、満腹すぎると飲みきれないこともあったが、嫌がることなく飲んでくれた。胸のゼロゼロという音は、二日目には気にならなくなった。
体調が回復してから、二日に一度、漢方風呂に入った。眠くなるとぐずり、1時間以上浸かることは大変難しく、30分が限界だった。浴槽内で立ったまま座らないため、下半身は浸かっていても、肝心の上半身はでてしまっていた。湯を浸したタオルを患部に当てたり、手桶ですくってかけてみたりしたが、効果があったかどうかは疑問。朝(保育園に行く前)晩(風呂上り)取り置きした煎じ液を塗布。赤い軟膏は、日に何回となく塗った。保育士さんにも事情を説明し、赤い軟膏を塗ってもらうようお願いした。
2005年3月 口の周りのアトピーは治まってくる。耳の周りとおしりは、あいかわらず。両肘の内側、背中の首の付け根あたりが、新たにひどくなり、掻き毟って、時には血がにじむ。
3月末に引っ越したが、新しい保育園でも、同じように赤い軟膏を塗ってもらうようお願いした。二日に一度の漢方風呂と、朝晩の塗布。患部のジクジクがひどい時は、エルタシンも塗った。
2005年6月 強い日差しが刺激となるのか、耳の周り、首すじの状態が最悪に。炎症を防ぐため、こまめにエルタシンを塗る。
2005年7月上旬 とびひ発症
2005年7月中旬 ジクジクした様子がなくなり、急にきれいになる。
皮膚は赤黒く、浸出液がにじみ、痛々しい状態だった。保育園ではやっていたとびひが感染し、発熱。抗生剤(内服、塗り薬)をしばらく続けた。水疱の痕は目立ったが、一週間ほどで完治した。
その頃から、ジクジクした皮膚が急にきれいになり始めた。皮膚の色は若干赤黒く、カサカサした感じはあるものの、引っ掻いても傷にならなくなった。日に日に治っていく様子が見て取れた。周囲の人間からも、随分きれいになったと言われるようになった。つい一ヶ月前まで血がにじんでいたとは思えない、きめ細かい肌になった。
他の乳幼児の患者さんの手記を拝見すると、数ヶ月で治った例から、数年かかった例など様々である。息子の治療を始めて数ヶ月のころ、まったく良くなる様子がなく、少々不安であった。ステロイド使用歴の殆どない息子は、すぐに治ると思っていたからだ。先に治療を始めていた私の状態は、見かけ上悪化する一方で、不安に拍車をかけた。
しかし、抗アレルギー剤やステロイドで症状を抑え込むだけの対症療法を選択すれば、息子は、私と同じになってしまう。私のアレルギー体質を受け継いで生まれた息子に対し、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。治してやりたい。あせっても仕方がない。松本先生を信頼して、気長に続けようと、漢方風呂に入ること、八ヶ月、息子は、後天的免疫寛容に至った。
現在は、私がまだ漢方風呂に入っているため、すっかり習慣となった朝晩の煎じ液塗りは続けている。本人もそうするものと思っていて、脱脂綿を片手に、「くすり、ちょんちょんする」と持ってくるので、やめることもないか、と。痒いところには、自分で赤い軟膏を塗ることも。二歳にもならない子供でも、できるようになるのだなと感心している。
私はまだまだお世話になりますが、松本先生、医院のスタッフの皆様、本当にありがとうございました。松本漢方クリニックを教えてくれた友人も、ありがとう。理解し、支えてくれた夫にも、感謝。
「アトピー性皮膚炎との闘い」9歳2014年1月18日
アトピー性皮膚炎
娘は、生後間もなくして「アトピー性皮膚炎」と診断されました。生後3ヵ月を過ぎても乳児性湿疹がなかなか良くならず、腕や足の関節が赤く切れて痛々しい状態が続きました。ミトン(手袋)をはめてもすぐに外してしまい、かきむしっていたことを思い出します。この頃から、赤ちゃん特有のつるつるした肌ではなく、弱い薄い皮膚で乾燥しがちでした。
最初の小児科(生後の乳児検診~1歳過ぎまで通院)
4ヶ月の時、初めてアレルギーテスト(採血)をしてもらい、「卵白」にクラス3の反応が出ました。離乳食の頃は、卵を除去する指導も受けました。
〈処方されていた薬〉
以来、一年間は定期通院をして上記の薬をもらっていました。娘の皮膚の状態は、全くと言っていいほど何の改善も見られません。
そして11ヶ月の頃、高熱が出て、胸から肩にかけてカポジー水痘様疱疹ができました。水ぶくれがつぶれて、消毒をして薬を塗るのも包帯を替えるのにも号泣し、とても可哀想な状態でした。これが初めてのヘルペスです。
二つ目の小児科(1歳過ぎ~7歳始めまで通院)
一年通った小児科で改善が見られず、悩んでいた頃に「アレルギー科」のある小児科を見つけて通院を始めました。
1歳時の採血テスト…「卵白」クラス2「IgE値 20」
3歳時の採血テスト…「卵白」クラス1。「ダニ、ハウスダスト」クラス3。「カモガヤ、オオアワガエリ」クラス5。「IgE値 297」↑
4~5歳で「IgE値 150」程度
6歳「Ige値 333」↑
7歳「IgE値 684」↑
〈処方されていた薬〉
・セルテクトドライシロップ
・クラリチンドライシロップ
・アルメタ軟膏とヒルドイドソフト軟膏の混合
・リンデロンVG軟膏
アレルギー薬としては、だいたいこの処方が続きました。約4~5年の間、抗アレルギー薬とステロイド入りの塗り薬を使っていました。
アトピーの症状が慢性化していた部分は、ひじの関節、手首の関節、ひざの関節、太ももの裏、足首、です。症状は少し軽くなったり、重症化したりの繰り返しで、その間にヘルペスにも何度もかかり、その度に薬を服用して、その場しのぎの治療方法しか受けることができませんでした。
一年を通して、春と秋はイネ科の花粉症が出て鼻水や目のかゆみ、夏は汗をかくと慢性化部分の湿疹がジュクジュクしてかゆみがひどくなり、夏場は絶対と言っていいほど「とびひ」にかかりました。冬は乾燥肌に悩まされ、肌はいつも粉をふいたようにカサカサ、ウールのセーターは生まれて一度も着たことがありません。常に肌に刺激の少ない綿の衣服を選び、掻いてはダメと叱り、本当にかわいそうな幼児時代を過ごさせてしまったと思います。
幼稚園を卒園し、いよいよ小学校へ入学することになり、環境の変化がアレルギーをひどくしてしまうのではないかと心配でした。
この頃、いつもの小児科で、処方される薬がひとつ増えました。
・シングレアチュアブル錠
医者からは、喘息の薬だと聞きました。娘は喘息の症状は出たことがありません。なぜ処方されたのか、きちんとした説明もないまま薬だけが増やされていきます。恐ろしいことです。
松本漢方クリニックとの出会い
このまま、小児科へ定期的に薬をもらいに行くことを続けていいのか?娘のアトピーはいつになったら良くなるのか?戸惑うばかりの日々でした。人は、「アトピー可哀想ね。大人になるにつれて良くなっていくというから、気長にね。食べ物に気をつけるといいらしいよ。」と言います。この言葉を何度聞いたことでしょう。
見かねた私の実家の家族から、病院を変えてみてはどうか?と提案されました。一年生になった娘の今後を心配して、このまま何も変わらないのでは可哀想だと言うのです。母親である私もそんなことは百も承知、できるならば何とかしてあげたい。しかし、幼い子を持つ母としては、かかりつけ医を失くしてしまうことが恐かったのです。これがそもそもの間違いであったことを、私は深く後悔することになります。後悔では済まされないのです、娘を長い間、薬漬けにして苦しめてきたのですから。
小学校が夏休みの間に、私の妹から情報をもらいました。(妹の整体の先生がアトピーの治ったお子さんのことを知っていて、どんな病院にかかっていたのかを教えていただきました)
ホームページを調べて『松本漢方クリニック』を知り、松本先生のアトピーに関する論文や患者さんの手記を何度も何度も、理解できるまで読ませていただきました。
そして2011年8月30日、娘と二人で岡山から新幹線に乗って、松本漢方クリニックを訪れました。
緊張と不安な気持ちで病院に到着したのは、早朝8時半です。受付の方は嫌な顔をせず応対してくださり、待合室で手記ファイルを読みながら診察を待ちました。漢方薬の匂いが立ちこめる院内ですが、何となくホッとできる雰囲気の待合室です。
初診。先生はお忙しく電話応対をこなしながら娘と私に話をしてくださいました。「ホームページを読んできたか?内容は理解できているか?」「これからかゆみはどんどん出るよ、ピークに達するまで。とにかくこれから続けることが大事。」最後に娘と握手してくださり、笑顔で「必ず治るよ!治すのは先生じゃなくて、あなた自身!」とおっしゃいました。この「治るよ」の一言に、どれほどの力をいただいたか。今日からが新しい始まりなのだ、という覚悟を決めて岡山へ帰りました。
(処方していただいている薬)
・せんじ薬
・漢方入浴剤
・塗り薬の赤と黄色
・消毒薬
・漢方粉薬(鼻水、目のかゆみ用に)
・抗生剤フロモックス(発熱時に)
遠方なので、二週間に一度ほど電話診察で薬を送っていただきます。調子が悪い時や、不安なことがある時は、電話で先生に質問をします。
リバウンドのはじまり
今までの抗アレルギー薬を絶ってから、漢方のせんじ薬を飲む毎日が始まりました。のどに刺すような、独特の苦味がするお茶。娘はしばらくの間、泣きながら飲んでいました。飲むのを拒否したことも度々です。せんじ薬と同量以上の水を用意して、苦い味を消しながら飲んでいくという方法を見つけましたが、水分で満腹になり、一時期かなりの少食になってしまいました。煎じては飲ませ、娘とケンカになりながらも、がんばって飲んでほしい一心で、私は毎日せんじ薬を煮続けています。
リバウンドの始まった皮膚は、イライラとかゆみがひどく、出血するまでかき続けるのでキズになり、消毒とシャワーをするたびに朝から号泣です。赤と黄色の塗り薬をぬって、やっと落ち着き、学校に行く前のこの支度だけでずいぶんと時間がかかりました。漢方のお風呂には欠かさず毎日入りました。お風呂も毎日、泣きながら入ります。かなりぬるくしないと、キズが相当しみるらしく、入ってしばらくすると体が慣れてくるようでした。
リバウンドはどんどん進み、目のまわり、おでこ、首筋、腕、手の甲、手首、おなか、ひざ、ひざ裏、太もも裏、足首、にまで広がりました。湿疹がジュクジュクし始めると感染症を起こして、熱が出ました。毎日必ず熱を計るようにと、先生から指示をいただいていたので、熱が37.2度以上出始めたら要注意です。高熱が出て、ピリピリ・ちくちくとした痛みが走るのは「ヘルペス」が原因です。先生に電話をして、ヘルペスの薬とフロモックスを処方していただき、熱はすぐに下がりました。ピリピリとした痛みも引きます。
毎日が『かゆみ』との戦いで、学校に行くのが辛い日もたくさんありました。手足の関節がキズになって切れているので、体を思うように動かすのも辛い、体育の授業は着替えをするにも皮膚がこすれて痛いので、一年生の間はよく見学をしました。切れた傷からは出血するので、身につける服はいつも血だらけです。冬になっても綿のTシャツ、体に触れてもなるべく痛くない服を選ぶのが大変でした。タイツやハイソックスは、皮膚がこすれて関節に当たるので履くこともできません。
リバウンドの見た目の状態から、娘は周りの人に冷たい目で見られたり、どうしてアトピーがそんなにひどいのかと友達に聞かれたり、ずいぶん辛い思いをしてきたようです。母親の私も、周りの人から色々と言われてきました。アトピーは治るの?漢方はいいと聞くけど本当に?娘の肌の状態を見て、可哀想に…と同情されたことも。そんな中、私たち親子は毎日せっせと、せんじ薬・漢方風呂・消毒をして塗り薬、を繰り返していきました。辛いリバウンドの日々が続きましたが、娘はアトピーを克服したい一心で、途中でくじけそうになりながらも頑張ってきました。
初診から9ヶ月目。二回目の診察で医院を訪れました。まだリバウンドの途中で、先生からは、大変だけどがんばって今のまま続けるようにと言われました。先生にはいつも、お電話の時でも、「治るよ!がんばって!」と励ましていただいています。その言葉を聞いていたから、頑張ることができたと思っています。母親である私がくじけてしまっては、娘を励ますこともできず、毎日の薬を煎じることもできない。時には心を鬼にして、治療を続けていきました。
治療開始から一年。小学生になって二度目の夏休みが来ました。この夏も、プールに入ることはできませんでしたが、肌の状態は一年前に比べると、格段に良くなっています。キズから出血がないことや、手足の関節の曲げ伸ばしが自由にできるようになったこと、梅雨時期までは肌を出すのが嫌で長袖を着ていたのですが、夏には、半袖を着たいと自分から言い出しました。体の動きも活発になってきて、汗をかいてもキズが滲みるようなことはなくなりました。この頃から、漢方入浴は一日置きに入ることにしました。
治療開始から一年二ヶ月。肌の調子は、ますます良くなりました。寝る前には手首などに、少しかゆみが出ますが一時的なもので、イライラするような以前のかゆみはなくなってきました。掻くことで、皮膚から落ちるポロポロした皮が部屋のいたる所に散乱していました。寝た後の布団の上は特にすごかったです。それだけ、皮膚が再生を繰り返しているのだということがよくわかりました。このポロポロが部屋に落ちていない、つまり、皮膚を掻かなくなってきました。肌の見た目もずいぶん落ち着き、キズができていた所はキズがほとんどなくなり、強い皮膚になりつつあります。今までひどい乾燥肌に悩まされてきましたが、この冬が近づいてきても、極端にカサカサすることもありません。黄色と赤の塗り薬を塗って、保湿を心がけています。
快方に向かって
何より今、娘の気持ちが明るくなり、体も軽く、かゆみと痛みの不快感から解放されつつあることが、いちばん嬉しいです。
アトピーは治らないものと思っている人が世間の大多数だと思いますが、私たち親子は松本先生を信じて『アトピーは治る』と、身をもって経験してきました。先生からいただいたお言葉や、今まで手記を書いてくださった患者さんに感謝しています。ありがとうございました。
まだこれからも、先生のアドバイスをいただきながら、治療を続けていきたいと思います。
(ここまでは、2012年11月14日現在の手記です)
治療開始から2年半を経て
漢方治療を始めてから2014年1月現在で、2年半の月日が経ちました。
ひどいリバウンドも峠を過ぎて生活できるようになったと感じたのは、この1年ほどの間です。
狂ったようにかきむしることは少なくなり、冬場は乾燥肌に悩みますが、シルが滲んで痛々しかったことを思えば皮膚もずいぶん強くなりました。皮膚が痛くて体を動かすのも辛い日々が続きましたが、3年生の今は体育の授業を休むこともなくなり、活発に動けるようになりました。夜は痒みのせいで深く眠れませんでしたが、今はたまに痒みや痛みを訴えますが、よく眠れているようです。
治療を始めてリバウンドが続いていた頃は、1年間ずっと体重も増えずにヒョロヒョロの体型でしたが、今は体重も増えて体力もつき、皮膚が少しずつ強くなっています。皮膚の痛みから解放されて、元気に明るくなれたことが何よりの幸せです。
今もずっと続けているのは、月2回ほど電話で漢方薬を送っていただき、
①せんじ薬を飲む②赤と黄色の塗り薬③月に2回ほど漢方入浴のお風呂に入る、この3点です。
確実に、娘のアトピーの状態は良くなっています。ただ、劇的に変化してきたのではありません。ゆっくり時間をかけました。いつになったら治るのか?とよく人に問われます。見た目だけでの判断で、早く治ればいいというものではないので、私たち親子は地道に治療を続けています。娘も、あの苦いせんじ薬を嫌がることなく飲めるようになりました。日常に取り込んで、辛い治療と思わずに長い目で見ようと考えています。そうしながら、2年半の月日が経ちました。
この時点で手記を書かせていただいていいのか?と考えました。しかし、治療開始頃のひどかった状態も残していかなければ、と思い長くなりましたが綴らせていただきました。
これからも変わらずに、松本漢方クリニックへお電話し、漢方薬を送っていただく方法を続けていきます。松本先生と月に一度はお電話でお話して、元気をいただいています。遠方のため、診察になかなか伺えませんが、近いうちにまた診察に伺いたいと思っています。よろしくお願いします。
1ヶ月頃から顔に湿疹が出来始め、1ヶ月検診で薬(アンダーム軟膏)をもらい塗っていましたが一向に良くならず、アレルギー専門の病院で診てもらい母乳だったため食事制限と薬をもらい様子を見ました。
汁が出てきて酷くなったため再度受診すると亜鉛化軟膏とワセリンをもらい様子を見ました。これで良くならなければ弱いステロイドを使用するとの事。
私自身、ステロイドは使用したくなかったので別の病院を受診しましたが結果は同じでした。どこかステロイドも使用せず、出来れば食事制限なしの治療方法はないものかとネットで調べていると〔松本漢方クリニック〕のHPに必ず治るの文字が目に付き読んでいると食事制限もないステロイドも使用しない。これだ!と思い遠方でしたが受診しようと思いました。この頃の月齢は3ヶ月半でした。
松本漢方クリニックに入ると漢方薬独特の匂いが立ち込めていました。
松本先生に会うと手記で読んだ通りの先生でした。熱を測ると37.6度。「感染しているよ」と大きな声で言われ薬を飲んで行きなさいと、抗生物質を服用。顔は赤い塗り薬で真っ赤でした。
家に帰ると夜遅かった事もあり顔を拭き塗り薬〔エルタシン〕と赤い薬を塗りました。毎日、朝晩の消毒と塗り薬、漢方風呂に入れ1週間すると少しずつ赤みと湿疹が引いてきました。漢方風呂に入れると痒くてかきむしって泣き叫ぶ為15分~30分入れるのがやっとでした。途中、心配になって松本先生に電話すると「痒くなるのは当然、大いに結構」と言われ私も一緒に掻いてあげました。10日過ぎると今までなかった背中太ももにも湿疹が広がってきました。
薬を頼むため先生に電話すると少しずつ何でも食べなさいと言われ卵、牛乳が入った食品も食べるようにしました。
そのせいか痒みが増し機嫌も悪く夜も2,3時間ごとに起きては泣いていたので痒いね、と抱っこしながら寝かせていました。
1ヶ月ぐらいまでは顔もかきむしって枕や衣服に血や汁が付いていて、とても悲しくなりました。本当に良くなるのだろうかと不安に思ったものです。
2ヶ月もすると急に良くなった感じで赤みもなくなり遠目で見ると治ったかと思うぐらいの状態でした。朝方まで寝てくれるようにもなりました。
治療を始めて2ヶ月半ぐらいの頃、離乳食の事もあり2回目の受診をしました。
見た目には随分綺麗になっていて先生からも手記を書くよう言われました。お風呂も2日に1回でいいとの事。とても嬉しかったです。
秋になると湿疹が出たので松本先生に電話すると最後に花粉が残るからねとの事。2週間程、漢方風呂に入れると湿疹も引いていました。
あれから4年がたちましたが秋に少し湿疹がでる程度で何でも食べられるようになり本当に感謝しています。ありがとうございました!
生後2ケ月頃から顔に湿疹ができ始め、最初は小児湿疹と思いこんで、特に気にもしていませんでした。でも3ケ月たってもなかなか治らず、ジュクジュクになり始めました。まず近くの小児科で診てもらいました。
そこでは、「アトピーかもしれない」と言われ、私自身かなり落ち込みました。先生が、「ステロイドは塗りたくないやろう。」とアンダーム軟膏(非ステロイド性抗炎症剤)を処方され、塗り始め1週間ですっかり綺麗になりました。
主人と喜んでいたのもつかの間、また湿疹が耳から頬にかけて広がり再度病院に行きました。次にでた薬は、抗アレルギー剤でした。もちろんその時は薬に対してなんの知識もなかった私は、先生に言われるままに飲ませましたが、これもよくなりませんでした。先生に、「治るのに、どれくらいかかるのか」聞いたところ、「1年間は、まず」言われました。
0歳の子に、1年間も薬を飲ませ続けるなんて、絶対に嫌だと思い、他の治療は何かないかとインターネットで探していたら、たまたま主人が松本漢方クリニックのホームページをみつけることができました。私は、みなさんの手記を夢中で読みました。ここで確信しました、「絶対治る」と・・・。
5月11日、松本漢方クリニックに行きました。漢方独特の匂いが充満していて、診察室の奥から時々松本先生と思われる大きな声がよく聞こえていました。診てもらうと、松本先生はすごい迫力で、少し圧倒され、ひたすら話を聞くのみでした。でも「絶対治したる!」と言っていただけたので、やっとアトピーが治ると思うと、すごく嬉しくてたまりませんでした。
漢方入浴1日目、生後5ケ月の娘を1時間入れるのは大変だったので、まず45分ぐらい入浴させました。風呂に上がってからは、濃い液をコットンに浸し、パックさせました。それから赤い薬をすりこみました。すると、寝る時に今まで聞いた事のないようななき声で掻き毟り、とても寝れる状態ではありませんでした。でも私もこれを覚悟していたので、朝まででも付き合うつもりでした。それから数日間は、夜中痒くて寝れないようで、何度も目を覚まし、なんとか抱っこして寝かせる・・・の繰り返しでした。朝起きると肌着は茶色に染まり、敷きタオルに、掻いたあとの皮がボロボロ落ちていました。
それから2週間たった頃から、皮膚の表面がかさぶたになってきて、下から綺麗な皮膚が出できてるようになりました。でも良くなったと思っても、また湿疹がでてきてひどくなるという状態が2週間サイクルぐらいでありました。
それから2ケ月たった夏には、ほんとうにツルツルになりました。私もびっくりしたし、周りの人からも「綺麗になったね~」と言ってもらいました。
松本先生に電話したら、「何でも食べさせてるか?」と言われました。まだ離乳食も始まったばかりで、それほどいろんなものは食べさせてなかったので、それからは卵を毎日少しづつあげました。その直後には口の周りが赤くなり、耳のつけねは掻いたりしていましたが、お風呂に入れながら繰り返してるうちに食べてもあまりでなくなりました。その代わり、うどんやコーンクリームスープを食べさせた時は、目の周りまで赤くなりましたが。朝起きると治っていました。
9月になり、保育園入園の為に再度血液検査をしました。4ケ月に時には、IgE 308だったのに対し、IgE 2168、アレルギー反応は卵だ{ナに反応してたのが、小麦・大豆・牛乳と増えていました。「お肌はつるつるなのに、なぜ?」と思い、かなり落ち込みました。松本先生に電話したところ「いろいろ食べさせてるから数値がでるのは当たり前、もしかするとIgE 5000あったかもしれない、気にするな。」と言われました。保育園では完全除去食ですが、自宅では今まで通り特に気にせずいろんなものを食べさせました。
10月になり、いきなりアトピーがひどくなりました。松本先生には「花粉に反応している」と言われ、またがんばって漢方のお風呂に2ヶ月間入れたところ、完全ではありませんが少しづつ良くなってます。
実際保育園に通ってるせいか、よく風邪もひきますし、鼻水もいつも垂らした状態です。それから中耳炎になってしまいました。耳鼻科で処方される中耳炎の薬のなかには、鼻炎をおさえる為の薬があり。抗ヒスタミン剤が入っています。漢方治療の妨げになることは十分わかってるのですが、娘はまだ年齢も低く、中耳炎をそのままにしておくわけにもいかないので、耳鼻科で処方された薬は、そのまま飲ませました(松本先生すいません)。これで治療が延びてしまう事も理解したうえで、そうさせてもらいました。
漢方治療に対して、批判的な考えをされる方も周りにはたくさんいましたが、私達は、この治療こそアトピーを治せる一番の良い方法だと信じてるので、これからもしばらくがんばりたいと思います。
最初は、長男が2歳になって、春頃に手首に湿疹ができて、近所の小児科で塗り薬をもらいました。薬を塗ると、すぐに治りましだ。その後、たまに、湿疹が出ていましたが、症状も軽かったので、そのままにこしていました。夏にまた、少しひどくなったので、病院に行って、薬をもらい、塗るとまた、すぐに治りましだ。薬はステロイドです。ステロイドドは悪いと聞いていましたが、少しくらいは大丈夫だと思い使いました。春と夏の2回、それぞれ、2~3日程使いました。そして、秋に症状が急激に悪化。日に日に、ひどくなり、手首から腕全体へ、そして、足、首、顔、お腹等へと広がり、ステロイドに頼る事は、危険だと思い、他の治療の方法をいろいろと探しましだ。馬由、プロポリス、酸性水、食事療法等、試してみましだが、効果はありませんでした。神戸に良い病院があると聞いたので行って見ましだが、ろくに診察もせず、治療の方法はというと、水を作るとても高価な機械を購入し、2歳の子供に何リットルもの水を飲ますと言う方法でした。行くだけ無駄でした。その間の2ヶ月で、症状はどんどん悪化し、夜中じゅう、体のあちこちを掻きむしって、朝は布団が血だらけ。掻かないように包帯を巻いたりしましだが、かえって、掻けないから辛かったようで、大泣きしていましだ。それに、包帯が体液で引っ付き、取るのが大変でした。そして、母親の友人から松本漢方クリニックのことを聞き、診察してもらうことに決めました。初めての診察の時、『必す、治してあげます。頑張りましょう。』と自信満々で言われ、わらをもつかむ気持ちで、漢方治療を始めてみました。長男が2歳10ヶ月の時でした。漢方のお風呂は、作るのが大変でしたが、慣れれば、それほど苦にはなりませんでした。それより、とても大変だったのは、お風呂に入る前の消毒です。アトピーの範囲が広かったので、消毒する箇所も多く、しかも、とても痛いのです。毎日、泣き叫ぶ我が子を力ずくで、消毒してから、お風呂に入れましだ。1日2回、お風呂に入った日もありましだが、お金がかかり過ぎたので、とにかく、毎日、1日1回は、入るようにしました。すると、まず、進行が止まりました。1ヶ月後、ボロボロの皮膚ばかりだったのが、少し普通の皮膚がみえはじめました。とても、うれしかった。半信半疑だったのが、これで、治るという確信に変わりましだ。治療を始めて、3ヶ月後の春ぐらいから、劇的に変わっていきました。あれ程酷かったアトピーが、顔から綺麗に治っていきました。首も治り,お腹も治っていきました。梅雨時や秋頃の乾燥し始める季節は、少し悪くなったりしまたが、順調よく、治っていきました。治療を始めて、一年後には、アトピーの出ている箇所は、両手の手首と肘の裏、両足の膝の裏を残すだけになりました。
これまで、順調よく治ってきましたので、完治も、もうすぐだと思っていましたが、ここからが、とても長く感じましだ。そこから、だいだい、4ヶ月で左足の膝の裏が治り、さらに、もう4ヶ月で右足の膝の裏が治るというようなペースで、4ヶ月ごと|こ、アトピーが残っていた箇所が1箇所ずつ、治っていきました。お風呂も毎日から1日置きになり、そして、2日置き、3日置きへとなっていき、そして、1週間に1回のお風呂になっていきました。そして、長男が4歳の時の夏に、妹が生まれ、妹は生まれて3ヶ月で、アトピーが出て、すぐに、漢方治療を始めました。そこから、一年間、またまた毎日、漢方風呂に、今度は兄妹で入ることになりました。長男がもうすぐ6歳になる頃、そして治療を始めてから、およそ3年、松本先生から完治と言われました。この3年が長いのか短いのか、わかりませんが、とにかく、ステロイドにたよらずに治ったことは事実であり、とても感謝しております。長男は、もうすぐ7歳、元気に小学校に行っています。あの治療前の大変だった状態のことが、遠い昔のように、感じています。本当に、ありがとうございました。
「アトピー 喘息手記」匿名希望4歳2012年9月13日
息子は、母方であるうちの家系の影響で、ひどくはないものの生後半年から乳児アトピー性皮膚炎と診断を受けて皮膚科に通ったり、卵アレルギーで1歳半までは卵の除去をしたりしていました。1歳の頃にアトピーの症状がきつく出て、当時はせっせとステロイド軟膏を塗って包帯を肘のところや膝のところにして保育園に行っていました。
その後、すこし治まってきて2歳児クラスに入ったときにはアトピーもましにはなってきて、やれやれといった感じでいました。変化といいますか、悪化が始まったのは2011年11月末からでした。当時、息子の保育園のクラスで水疱瘡が大流行。息子は比較的早めに水疱瘡にかかったものの、その後治癒の過程でかさぶたができる頃に痒みがかなりひどくなり、小康状態を保っていたアトピー性皮膚炎が悪化してしまいました。…ここからが息子の苦行と親の右往左往のはじまりでした。当時、仲のよかったお母さんの中に鍼灸の治療を受けさせて、傍目で見てもそうとわかるほどアトピーがよくなった子どもがいました。
そのお母さんが子どもを連れて行っている鍼灸院に息子も連れて行ってみたのですが、結論から言うと息子には合っていませんでした。東洋医学では、治療をしていく過程で一見症状が悪化してみえるデトックスのような時期があり、その長さには個人差が大きいそうですが、結局年を明けても息子にはデトックスしかありませんでした。デトックスどころか気管支炎になってしまいました。というのも、風邪をひいて咳をしても「咳も悪いものを出しているのは身体にいいことだからおさえてはいけない」という説明で小児科に行くのをとめられ、いつもならもう薬をもらって飲んでいるぐらいの咳や鼻水もこらえて様子を見ていました。そして、とうとう息子の咳はとまらなくなり夜中もコンコンする(しかもその日は、鍼灸院で治療を受けた日の晩でした)ので、慌てて小児科に駆け込みました。息子は気管支炎になっていました。そのときの激しい後悔と鍼灸の先生に対する恨みのような感情は、今でも憶えています。でも、結局子どもの責任は母親である私(と夫)が背負うしかないものです。いちばん苦しいのは息子で、そうさせてしまったのは私だと思うと、もういてもたってもいられませんでした。鍼灸院の先生に事情を話して「先生のおっしゃる通りにしてしまって後悔しました」と率直に言いました。治療を受けている周りの患者さんたちは息をひそめている中、私はなるべく言葉を選ぶようにしましたが、先生は「それでも様子をみるべきだ。咳はおさえてはいけない。そうやっておさえてよくなって、またおさえたりするうちに小児ぜんそくになった子どもを何人も見ている」というようなことを言われました。でも、もしこのひどい咳をおさえなかったらやっぱりそのままぜんそくになるからいっしょなのにと私は納得できませんでした。ただ、最後にもしまた咳がひどくなったらまずこちら(鍼灸院)に連れてきなさいと言ってくれたのは多少、気がすみました。
小児科と併行してその後2回ほど鍼灸院にも行きましたが、息子は鍼灸院ではまったくよくなりませんでした。行くだけ無駄だということがわかったぐらいでした。小児科では咳止めの水薬を2種類ほどもらっていました。最初は咳をおさえていた薬もだんだん効かなくなってきました。小児科の先生はぜんそくに準じて対応するということでぜんそく日記や息子の生後からのさまざまな問診の用紙を記入するように言われました。そのつもりで日記を書き始め、問診の用紙に目を通しましたが、ほんとに治るのだろうかという不安と疑問は増すばかりでした。私も今でこそ「発作がないぜんそく持ち」になりましたが、ぜんそくのしんどさは経験しているので多少わかります。気管支拡張剤は多用すれば心臓に負担をかけると聞きますし咳止めの水薬が効いている兆しはまったくなく、夜中に咳き込みがとまらず何時間も背中をさする日がつづきました。朝方や夕方、そして夜中から明け方、お薬を飲んでいても3時間は咳をする子どもの横で自分を責めながらどうしたらいいか考え、必死になってネットでいいお医者さんがいないか探しました。わりとよさそうに思えるお医者さんはどれも遠方で、その中で患者さんの治ったという手記に惹かれて選んだ医院が高槻市!いやいや高槻市でも治ってくれるなら…と、まだ半年に満たない下の子を抱っこして息子の手をひきガタゴト電車に揺られて行ってきました。
松本漢方クリニックとはこうして出会いました。そのときの私はちょっと悲壮な感じで、周りのことはほとんど目に入ってなかったので、夫は私の気持ちはわかるけど感情的にはすごく迷惑だったようです。私は連日の睡眠不足と多少の医者不信でピリピリしているのがよくなかったのか、先生との初対面は絶賛!とまではいきませんでした。すみません。そんな私でも先生のバイタリティーあふれるオーラはわかりました。後でホームページを読み返し、研究を積み重ねられ人のために尽くす医療を実践されているのだなあと思いました。やっと治るかもしれない。いや、きっと治ると思えてきました。ほんとに希望を持てるというのがどれほどありがたいか…。そのときの心境も忘れられないです。
息子にしてみれば初めての漢方で、泣き叫んで逃げていやだいやだと言うのに1日に4回!!風邪薬まで含めたらなんと8回!!!まだ3歳になってまもない子どもに「薬の必要性」を説くのはかなり厳しいものがあり、息子は煎じ薬の独特の味がコタえるらしくて最初は吐いたりもしていました。それでも結局は飲まされるのに、よく毎回いやだいやだと言えるなあというぐらい泣いていました。飲み始めて3ヶ月くらいはいやがって、どこかに出かけたり実家に行ったりしたときは頑として飲みませんでした。人の目があるとさすがに怒声をあげて無理矢理飲ませられないことがわかったみたいで、そういう知恵は働くのだなと感心したりもしましたが、ここでやめては元も子もないので、いっしょに飲んでみせたりご褒美で釣ってみたり…こちらもあの手この手を考えました。そうこうしているうちに気管支炎はほぼ治りました。確か、飲み始めて2週間以内で効き目が出てきて1ヶ月を過ぎる頃にはずいぶんよくなりました。春は体調を崩しやすいので、4月いっぱいは飲んでいたでしょうか。
5月の連休明けに先生へのお礼の挨拶をかねて受診し、そこからアトピーの薬をいただくようになりました。病気の子どもを持つ親というのは、正直言って東洋でも西洋でも治ってくれるなら民間療法でも…というような気持ちが多かれ少なかれあると思います。私もそうです。でも、あのまま小児科で薬の副作用を恐れながら、でも咳がとまらないので早めに薬を飲ませてみたり夜中にずっと背中をさすっていたりしたら、今頃どうだっただろうと思います。
同じ効かないなら、まだ漢方を飲ませているほうがずっと安心できるというのが、私の松本漢方クリニックを選んだ動機のひとつでした。でも手記にははっきり治ったとあるし先生は医院という立場をとっているし(薬局ではない)、とにかく行ってみようと思いました。その決断は間違ってなかったと今でも思っています。気管支炎もまだ時々出たりはしますし、アトピーも完治とまではいきませんが、ほんとにびっくりするぐらいきれいになりました。もちろんデトックスはありませんでした。アトピーの煎じ薬を飲む頃には息子もやっと味に慣れたようで、漢方を飲むのはもうお手の物です。我が家では、煎じ薬を飲む間はテレビを見てもいいことになっているので、息子は自分から「お薬ちょうだい」と言っています。だんだんよくなってくるとお薬をサボりがちですが、気管支炎もアトピーも完全に卒業するまでは、まだもう少しかかるのかなあという気がしています。でも、ある日それぞれピタリときれいに治るまでつづけていこうと思っています。今、下の子が1歳と2ヶ月です。この子がまたお世話になるかもしれません。松本先生には長生きしていただいて、たくさんの患者さんを助けてほしいと切に願っています。先生、ありがとうございます。
まだお世話になりますが、どうぞよろしくお願いします。
松本漢方クリニックのスタッフのみなさまにも感謝申し上げます。
娘がアレルギーのような症状を起こし始めたのは、3-4カ月位からでした。何が原因かと、お医者さんで調べてもらったり、どの方法だと治るかと、色々やってみました。しかし、食べ物とその他でのアレルギーということで、除去食や回転食と、治療薬で、なかなかよくなりません。(ステロイド系の薬を使用するのだけは、以前から避けておりました)
1年ほどあれこれ続けておりましたが、残念なことに、悪くなりはじめ(肌の掻き壊しが、全身いたるところに広がり始め)、破綻しかけていたところに、松本先生のお話を聞き、お世話になってみることにしました。
2004年1月に、初めて見てもらいまして、それからは、毎日、傷ついた肌の治療と漢方のお風呂を続け、少しずつ少しずつ、肌が回復していきました。それに伴い、除去食も、少しづつ解除していくことができました。
しかし、食べる量を注意していたにもかかわらず、小麦とミルクで、アナフィラキシーショックを起こしてしまいました。全身の水ぶくれやむくみ、それに伴う呼吸障害があり、直接生死に関わる危険な状態です。そんなこともあり、除去食の解除は、あせらずゆっくり進めることとしました。
それもあって、半年位で、肌の状態は、普通と同じくらいにまでよくなりました。但し、食べ物へのアレルギーはまだまだですが。
また、妻が、昨年めでたく妊娠しましたが、娘の時と同じく悪阻がひどく、治療に専念できる状態ではなくなってしまい、この時期くらいから、治療を一時お休みすることにしました。もう後数日で次の子が生まれる予定です。
生まれてきましたら、また娘(長女)の治療を再開しようと思っております。引き続き、お世話になりますが、何卒宜しくお願い致します。
「松本先生との出会いに感謝」R H3歳2011年6月17日
娘の顔や体に赤い発疹が出始めたのは2007年の年末、ちょうど娘が生まれて一カ月経つ頃でした。すぐに一カ月検診があったので医者に相談してみると、乳児発疹なので様子をみるようにとの事でした。その時病院で「父母、もしくはその親兄弟親戚にアレルギーをお持ちの方はいらっしゃいますか。」と聞かれました。私が「花粉症やアレルギー鼻炎持ちならいます。」と答えると、「それでしたらこの子もアトピーを発症する可能性があります。」と言われました。私は親兄弟親戚にアレルギー体質が一人もいない家系があるのかと、少し不思議に思ったことを記憶しています。
それからはネットで調べたり人に聞いたりして、アレルギーに良いということは次々と試しました。ステロイドは怖いとの知識は持っていたので、病院へ行こうと当初は思いませんでした。ワセリンを塗って治ったと聞けばワセリンを買いに行き、馬油が効くと聞けば塗ってみる、オリゴ糖がいいと聞けば注文して飲ませ、自分も飲みました。
母乳を飲んだ直後に顔と体にまだらな赤い地図のような発疹が浮かびあがるので、食物アレルギーがあることは明らかでした。私は自分の食べたものを詳細に記録し、娘の発疹の出具合との関連を自己分析しました。すると卵、牛乳、小麦粉という代表的なアレルゲンに反応していたので、それらを避けるようにしました。ところがその三点を除くとパンやお菓子が食べられなくなり、私自身の体重がみるみる減っていきました。母親が妊娠中に食べたものが関係していると書いてある書物もあったので、私が変なものを食べたせいで娘がアレルギーになったのだと自分を責めました。そんな時主人の友人の子供が苦い漢方薬を何年間も飲んで、ひどいアトピーを治したという話を聞きました。
ところが漢方薬代が月に3万円以上かかるというし、まだ苦い煎じ薬は飲めないので、すぐには無理だと思いました。娘の湿疹は徐々に悪化して耳の根元も切れて、アトピーの典型的な症状だと言われるようになりました。生後一カ月から三か月にかけては夜泣きもひどく、寝ていても枕に顔を擦り付けながら寝ていました。昼間も体をかきむしって泣くことが多かったです。赤ちゃんはこんなものかと諦めていましたが、今思えばよほど痒かったのだと思います。朝まで一睡もしてくれない日もあり、親も体力の限界でした。
そして2008年3月、ちょうど100日のお祝いをした次の日、娘の顔から体中が発疹でやけどをしたように真っ赤になってしまったのです。私はもう自己流は限界だと観念して近所で評判の良い小児科に行きました。小児科では抗アレルギー剤とステロイドの塗り薬を処方され、抗アレルギー剤は体に蓄積されない安全な種類であること、ステロイド剤は使い方を間違えなければ怖い薬でないことを説明受けました。私は最近の医学ではステロイドはそのような取扱いになったのかと思いました。ただ、先生がステロイド剤は薄く塗りなさい、間違っても一カ月で一本使いきっては駄目だと強調されていたことが、少し気になりました。帰って娘の体を洗い、言われたとおりステロイド剤をごく薄く塗りました。するとどうでしょう!やけどをしたように真っ赤だった娘の全身が、次の日にはつるつるピカピカになっていたのです。あまりの効き目に少し恐ろしくなりましたが、初めてみる娘のきれいな白い顔、ニコニコの笑顔は今でもはっきりと覚えています。その後、発疹は完全に完治はしなかったけれど、真っ赤になるという事もなく、食べ物によっては少し出てまた引くという状態で過ごしていました。ところが薬を使うようになって娘の咳がひどく、のどをゼロゼロ鳴らすようになりました。2008年4月末、夜中12時頃に娘が苦しそうに息をしていたので救急病院に連れて行くと、ぜんそく性気管支炎と診断されました。夜中に救急病院は何度か行きました。5月に入ると耳垂れも出て耳鼻科にもかかるようになり、娘もいわゆる「アレルギーマーチ」に一生付き合って行くのかと、暗い気持ちになりました。
抗アレルギー剤を飲ますのも食前、食間と日に何度もあり、まじめに与えようとしてノイローゼになりそうでした。また、実家の母親に「薬は怖いから飲まないように」と自身が言われて育っていたため、こんなに小さい子供に(小児科医曰く)体に吸収されないとはいえ、こんなに頻繁に薬を飲ませていいものかと日々葛藤しました。小児科と耳鼻科通いが続き、体力的にもへとへとでした。そして忘れもしない2008年5月18日、娘と家族三人で参加したある交流会で、主人の後輩の奥さんから松本漢方クリニックを紹介してもらったのです。漢方治療だけれど値段も良心的との事。その後輩一家は親子で治療をしてアトピーを治したとのことでした。松本漢方クリニックを紹介してくれた奥さんには今でも本当に感謝しています。主人に誘われて参加した交流会で私と娘の運命が変わりました。
私は家に帰ってさっそくパソコンを開き、松本先生の論文や患者さん達の体験談を夜通し読みました。ステロイド剤や抗アレルギー剤についての記述に背筋が凍る思いでした。その時点で娘は松本先生の指摘するとおりの病状をたどっていたのです。ステロイド剤と抗アレルギー剤の類はその日から即やめました。次の日の朝一番にでも松本漢方クリニックに飛んで行きたかったのですが、次の日は月曜で医院はお休みでした。やむなく火曜日まで待って、もうすぐ7カ月をむかえる娘をベビーカーに乗せて、電車を乗り継いで高槻に向いました。主人が日曜に車で行こうと言ってくれましたが、日曜まではとうてい待てませんでした。
高槻につくと松本漢方クリニックはすぐ駅の近くの分かりやすいところにありました。
松本先生はすごく優しそうな先生で、娘も松本先生が好きになったようで機嫌よくしていました。何よりも嬉しかったのは、先生から「遺伝は関係ない」、「母親が妊娠中に食べたものも何も関係ない」、「この子の体は悪いものを出そうとする正常な体」との趣旨のことを言ってもらえたことです。ずっと自分を責めていたので本当にすっと気持ちが楽になりました。食べ物も除去食をせずに何でも食べるようにとの事でした。(それから何でも食べるようになり、私の体重もリバウンドしてしまいました)
その日は漢方の入浴剤と赤い塗り薬、消毒液、熱が出たときの抗生物質をもらって帰りました。初診でしたが全て合わせて1万5千円前後だったと思います。その後、完治するまで入浴剤と塗り薬を何度か追加で送ってもらいましたが、トータルで娘の場合は5,6万円で治りました。年齢が小さければ小さいほど早く治るようです。その日から漢方治療を始めたわけですが、ステロイドと抗アレルギー剤をやめた激しいリバウンドで、娘の顔と体は以前よりもっと真っ赤にただれ、ひどい火傷でもしたような状態になりました。見知らぬ人にまで病院に行きなさいと声をかけられる程でした。それでも主人の協力もあり、松本先生を信じて漢方風呂と赤い塗り薬を続けました。抗アレルギー剤は一切やめていたので、娘が風邪をひいたときは小児科で処方された鼻水や痰の薬は飲ませずに、松本先生に煎じ薬を処方してもらって飲ませました。
電話で対応してもらえるので本当に助かりました。
娘の皮膚炎は6、7月にかけてちょっとずつですが良くなっていました。ところが耳鼻科の先生にも漢方治療をしている旨を伝えて、抗アレルギー剤をやめていたのに、耳垂れだけが何度もぶり返すのです。そこで電話で松本先生に相談してみたところ、「耳鼻科で耳垂れを綿棒でふき取る時にステロイド剤塗っている、ステロイド剤塗ればぶり返すのは当たり前。」とおっしゃるのです。私はびっくりして耳鼻科医に確認したところ、「うん、ほんの少しね、塗っているよ。」とのこと。私はがっかりしました。それからは耳鼻科には行かず、松本先生の指示通り娘の耳垂れを綿棒できれいにして消毒して、そこにも赤い薬を塗りこみました。私はこれでほんとうに治るのかと半信半疑でしたが、数日で娘の耳垂れは完治し、それから3年間一度も再発していません。
娘の皮膚の症状は8月末ころにはほぼきれいな状態になりました。食べ物によっては蕁麻疹がでることはありましたが、その頃、松本漢方クリニックに行って漢方入浴剤下さいと言っても、「この子はもう必要ない。」と先生は売ってくれないのです。入浴剤も一つ千円以上と安くはないので、金儲け主義ではないかと当初少し疑っていた主人も、松本先生を信頼するようになりました。赤い塗り薬は娘のお気に入りで、完治した後もずっと塗り続けています。擦り傷やむしさされにもベタベタとぬっています。私が火傷した時なども娘が赤い薬を持ってきて塗ってくれます。食べても大丈夫な生薬なので、好きなようにさせています。
一歳を過ぎた頃から3歳7か月になる現在まで、娘のアレルギー症状はほぼありません。よっぽど添加物の多いものを口にした時に、口のまわりが一瞬赤くなる程度です。皮膚にいたっては、娘の乳児時代を知らない人には、ひどいアトピーだったと信じてもらえないほどキレイです。何よりもしょっちゅう小児科、耳鼻科、救急病院に通っていたのが、嘘のようにまったく病気をしていないのです。私がインフルエンザにかかったときでも、予防注射もせずに娘はぴんぴんしていました。
すべては松本先生の指示で抗アレルギー剤を一切やめたおかげと思います。
3年前の5月に松本先生を紹介してもらえなかったら、私はきっと娘をひどいアトピー、ぜんそく持ちにしていたと思います。本当に人との出会いに感謝、松本先生との出会いに感謝です。夫婦でよくこのような話をするのですが、体験記が遅れてしまったことは弁解のしようがないです。ただこの三年間、知り合いでも見知らぬ人でも、娘と同じような皮膚炎の症状を目にしたら、松本漢方クリニックを紹介していました。そのうちの何人かは実際に通い、完治した人もいるようで嬉しいかぎりです。
松本先生、松本漢方クリニックのスタッフの皆様、いつも親切に指導して下さり、本当にありがとうございました。
松本先生、末永くお元気で、一人でも多くのアレルギーに苦しむ子と親を救って下さい。