「アトピー手記」匿名希望43歳2010年11月9日
昨年、九月・・・カサカサやかぶれがしょっちゅう出るので薬局で売っている漢方薬を(カサカサ乾燥肌のかゆみにきくと書いてある)飲んでみました。
すると、顔面が赤く発疹、むくみ酷い状態になってしまいました。
ステロイド治療の恐さを知っていたので松本漢方クリニックのドアをたたき、
私にあった漢方薬と塗り薬をいただきました。
何をぬってもカサカサで異常な乾燥だった肌がいただいた塗り薬を塗ったとたん乾燥がやわらぎ、漢方薬を沢山飲み、
二日後には腫れ上がった顔のむくみが消えました。
五日後、両頬のかぶれが茶色くなってはむけを繰り返し始めました。
そして漢方薬を飲み始めてから気になっていた薬疹も二週間後くらいから減りはじめ快方に向かう確信をしました。
数ヶ月、漢方薬を飲み・・・たまに化粧品をぬってかぶれおこしたことありますが、先生に化粧品の害等も教えていただいたり、
本当に先生には感謝で一杯です。
パンパンに腫れ上がった顔を治していただき本当にありがとうございました。
何か他に方法があるはずだとインターネット何日もかかってついに探し出しました。“ステロイドは使いません”の松本先生を!!私は地方なので主人と一緒に大阪まで行き先生にお会いしました、色々話しを伺い励まされて漢方の治療を始めました。煎じ薬と薬浴でゆっくりとでも確実に良くなって行きました。
主婦湿疹とは比べものにならないあの激しい痒みから解放され今はまったく痒くありません。アトピー性皮膚炎、慢性皮膚病は松本先生の漢方療法で根治出来るんです。掲載されている先生の論文では、人間の進化の過程で獲得した免疫システムが正常に働いて、ストレス、ハウスダスト、農薬や化学物質等を認識して体から排除しょうとして表われる症状、先日NHK特集で病の起源という番組で、人間がダニに対して抗体を持ったのは私達が、ネズミの頃だったそうです。体の免疫システムは正しく働いてサインを出しているのに薬で抑える→自己免疫システム働く→薬で抑えるを繰り返して30年、塗った薬が少しずつ皮膚から吸収されて体に溜まって行くなど考えもしませんでした。
私が松本先生に巡り合えなかったら今頃どうなっていたのか・・・たぶんステロイドの薬漬けになり、又それも効かなくなって途方にくれていたのではと恐ろしくなります。
私の場合は食器用の合成洗剤で手に湿疹が出来て皮膚科を受診したのがそもそもの始まりです。“主婦湿疹”と診断されました。小さな塗り薬を一つもらい調子の悪い時だけ少しずつ塗って治まっていました。治療してから30年治りませんでしたがそれほど悪くもならず、このままこの病気と付き合っていくんだろうなと思いました。
5年前のある日突然首や顔が赤くなり始め激しい痒みがおこり皮膚科を受診したところ“アトピー皮膚炎”と医師に告げられショックでした。ちまたでは良く耳にしますが、実際の所良く判らないので「先生、根治療法はあるんですか」
と尋ねた所「あなたはもう治らない、もしそういう所があるならそこへ行って下さい」もう2度ショックでした。その日は薬をもらって帰ってきましたが、
飲み薬やら塗り薬やら今までとは比べものにならないほどの量で私は瞬間的に思ったのです。30年皮膚科に通っても治らないのに、これほどの薬を使っても治るはずがないと・・・今度はその溜まったものを排除しょうとしてアトピー皮膚炎になってしまったということでした。
私の場合30年治らなかった皮膚病が松本先生の漢方療法のおかげで7~8ヶ月で根治出来ました。あの時思いきって大阪に来て良かった!!
大変感謝しております。
有難うございました。
追伸
手記を書くのが遅くなりまして、大変申し訳ございませんでした。
次男が現在、弘前大学医学部医学課3年生で、私も10年ぶりに一念発起して半日の事務の仕事を始め一年がたちました。体のバランスをくずし、またアトピーが顔を出してしまいました。
子供が卒業するまでもう少し頑張りたいと思います。
またお世話になります。
松本先生の根治療法続けさせて下さい。よろしくお願いします。
「Sさんのアトピー手記」匿名希望49歳2004年8月17日
初診の日、2004年6月15日(火曜日)
身体全体が痒くて、特に皮膚の弱い所が、痒くて堪りません。赤くひぶくれて、ブツブツ湿疹があり、掻くと血が出る有様でした。痒みが出てから1年半くらい、近くの病院でもらった飲み薬と塗り薬で治していました。出たり引っ込んだりの繰り返しで、一向に良くならないので、インターネットで見た「ステロイド剤を使わずに、必ず治る」と書いてあった当病院に来ました。
松本先生にアレルギーと言われ、少しショックでした。何故ならば、私は丹後の田舎育ちで、子供の頃から家業(百姓)を手伝い、自然と一緒に育ってきたので、考えもつかなかったからです。そもそもアレルギーは、現代病と考えていました。思い起こせば、都会に出てきて約30年になるので、無理もないかもしれません。
3日目を迎えて、ミミズ腫れしていた所が、少し赤味が引いてきたように見えます。5日目を迎えて、ミミズ腫れと湿疹が出てきました。これがリバウンド現象でしょうか?
6月22日から、煎じ薬が変りました。1週間くらいすると、腕に出てきていた蕁麻疹が4分くらいの赤味に変ってきました。腰の辺りの黒ずんでいた所も、少し薄くなってきました。脚の方も、赤味から薄黒くなってきました。痒みは依然としてありますが、以前よりだいぶ良いです。汗をかくと痒みが増し、また、別の所に、痒い湿疹が出来たりします。
検査の結果は、IgE 137 スギ 5.23 イネ科 14.40 で、飲み続けて一ヵ月半の8月6日で、薬がなくなりました。その間に、6回程湿疹が出たり引っ込んだりしましたが、8月16日現在、痒みは、ほとんどといってありません。大変きれいになりました。
松本先生、有難うございました。
私が、初めて何か顔の頬が赤いな?と思ったのは、三年前の9月末でした。そのまま二、三日するとプツプツしたものができたので、近くの皮膚科に行きました。其のときは、私は外回りの仕事をしている為、何か木にかぶれたのかな?くらいに思っていたのです。そこでは、塗り薬をもらいました。それから2ヶ月ほど、良くなったり、悪くなったりを繰り返していました。それで年明けに頬全体が赤くなってきたので、一度、病院を変えようと思い、女'性雑誌で紹介されていた豊中市にある病院に行ったのです。そこでは、月2回筋肉注射をしました それと塗り薬と飲み薬です。すると、少しずつですが、良くなって
いたのです。少し頬に赤みがあり、腫れしているものの、あまり目立たない程度になっていました。でも半年ほどたった頃、急に顔が真っ赤に腫れ上がり、少し触れただけでも痛いのです。熱も持っていました。その時は、毎週、筋肉注射をしました。それから一ヶ月ほどすると、状態も落ち着いてきて、以前の状態に戻りました。それから又半年ほど通院しましたが、それ以上、状態は改善しませんでした。なんとなく、頬が赤く時々プツプツ出たり、少し腫れているという感じです。そんな時、親戚の人に松本漢方クリニックを紹介されたのです。それで去年の3月になって松本先生にお会いしたのです。前の病院で、筋肉注射をしていた事をいうと、とても驚かれ、怒っておられました。何てことをする医者だと・・・それから、でも絶対、治してあげるからね。と言ってくださいました。それから、二週間ほどすると赤いプツプツが徐々にでてきました。でもまだそれほど酷くはありませんでした。すると、先生がスピードアップしよか?とおっしゃいました。煎じ薬が変わりました。それから-週間ほどすると、だんだん顔全体が赤くなり腫れも酷くなってきました。それから2日後、朝起きてみると、なんと顔が、本当にお多福みたいに腫れ上がり、目は殆ど開けられないくらいになり唇は茶色に変色し腫れていました。先生は、まだまだ、これから
リバウンドがでてくるよ。と言われました。何しろ、一年以上、筋肉注射をしているのだから。それから、病気との戦いが始まりました。消毒、赤い薬を塗る。薬湯に入る。赤い薬を塗り何時間かして、乾いてくると、パリパリとかさぶたになり、とても気になり拭わずにはいれません。夜寝るときも、ティッシュの箱が手放せなくなりました。夜中もそのかさぶたを拭わずには居られないのです。顔は触ると、ざらざらしていて、痛くてなでるようにしか、顔を洗えません。顔全体が熱を持っている感じで、アイスノンでよく冷やしたりもしていました。そして首にもブツブツしたものが出始めました。最初はのど仏のあ
たりだけだったのが、首の後ろまで広がりました。それは痒いと言うより痛い感じのできものでした。そして、今度は、胸のあたりに、小さい水泡状のものが、いっぱいでました。ヘルペスです。かゆくて掻きまくり、水泡がつぶれ、その後、胸のあたりは、茶色く変色しました。その頃から、両腕に発疹が出てきました。そして、両太ももにも発疹がでました。でも、そんなに気にはしていなかったのですが、だんだん、両腕の発疹が広がってきて4月末になると両腕が真っ赤に腫れあがりまるで象の皮膚のようになり痛くて下に腕をおろせないようになりました。そして、血液検査をすると、体の状態もとても悪くなっていました。それからは、微熱は続くし、下痢はする、耳の横のリンパ腺がドクドタするし、体感温度が取れないのか、急に寒気がしたか,思うと、急に体がカーッと熱くなり汗がどっと出たり、吐き気もしたり、自分で自分の体をどうすればいいのか、本当につらかったです。そして、ついに仕事を休むことにしました。足にも腕と同じような症状が現れ、太ももは浮腫み、膝の部分に何重もの蛾ができました。長く立っているのが、辛くなり足の裏も少し腫れているような感じでした。又、喉の部分にも違和感がでました。咳きがでて、のど飴が、手放せません。喘息の様な症状です。その時は、何ヶ月か、喘息の煎じ薬を飲みました。そして、その後は猛烈な痒みとの戦いが始まりました。一日の内、午前と午後2回猛烈に痒が襲ってくるのです。我慢できません。腕と足を掻きまくりました。皮膚もいっぱいめくれました。先生が、痒ければいくら掻いてもいいよ。その代わりしっかり消毒して薬を塗りなさい、と言ってくれたので気がらくになりました。でも、夜寝るときは、手袋が手放せなくなりました。寝ている間にも無意識のうちに掻いてしまうからです。そして痒みとの戦いの後は、ピリピリとの戦いです。あの感覚はなんて言えばいいのでしょうか?痒みが収まってきた頃、夕方になると、両腕がピリヒ・リして、腕を抱え込ん
で縛って、耐えていました。痒みもつらかったけれど、あのピリピリは、それ以上につらかったです。それから、もう一つ私か辛かったのは、頭痛です。特にこめかみの辺り、後頭部が、ずきずきしました。酷いときは、夜も寝られませんでした。先生に言って頭痛のせんじ薬も飲むようになりました。今では、頭痛もだいぶ楽になっています。とにかく、私は、先生の絶対始るよ、と言う言葉を信じ、自分が今しなければいけないことに専念しました。病気との戦い、自分との戦いです。仕事も四ヶ月休みました。その内二ヶ月は、朝晩2回、薬湯に入りました。それがとても良かったと,思うのです。今でも毎日薬湯に入りがんばっています。治療を始めてちょうど一年になります。今では仕事にも復帰できるぐらい元気になり、顔もだいぶ良くなってきています。
先生には、本当に感謝しています。
先生に出会わなければ今頃どうなっていただろうと,思うと恐ろしいです。これからも、完治にむけてがんばっていきます。皆さんも松本先生の絶対治るよ、という言葉を信じてがんばってほしいと思います。
私は、72歳の男性です。7~8年前から膝から足首にかけて、湿疹が出来た。
原因はさだかでない。思いあたるのは、素足で長靴をはいた時に靴擦れが出来た、その傷にブドウ球菌が付き化膿したのだと思う。それで皮膚科をあちこちと行き、塗り薬や飲み薬をもらい続けましたが、良くなったり、又悪くなったりの繰り返しでした。そんな時息子の嫁が、インターネットで調べてくれ、
高槻の駅前に、松本漢方クリニックという漢方薬でアトピー、ヘルペス等の疾患を治療する、先生が居られるので、一度先生に相談してみてはと言われる。
高槻か遠をいな少し迷う。平成21年6月5日意を決して、松本漢方クリニックを訪ねる。
そして松本先生は傷を見て、「これは治る、必ず治してあげる」と言われる。
「人間は自浄力を持っていて、傷を自分で治そうとする力があるので必ず治る」と力強く言っていただく。それで先生いわく、今迄に塗ったステロイド系の塗り薬を使った期間だけ、リバウンドが起きると、時間はかかるが、必ず治ると、
そこで自浄力を補う煎じ薬、漢方系の消毒液、入浴剤、塗薬を処方して頂きました。それから3ヶ月すると、傷や湿疹が3倍~4倍に増えてきた。1年過ぎた頃に、傷がカサカサになってきた。それを診た松本先生は自浄力が付いてきた証拠だとのこと。それから暫く過ぎた頃、カサカサが減ってきて、傷、湿疹が少なくなってきた。今は入浴剤なしで、煎じ薬は粉末に変わり、現在に至っています。松本先生には感謝しています。
私が、初めて松本漢方クリニックに来たのは、36歳の時です。口の中に発疹が出ました、少し痛いだけだったので、2~3日様子を見ていました。するとその発疹が歯茎、唇にまで広がってきて痛みもものすごくなってきました。外見からでも発疹がわかるほどでした。これは病院に行かなくてはいけないと思い皮膚科の病院に行くことにしました。
松本先生に診てもらうと単純ヘルペスと診断を受けました。原因はアトピーと言われました。とりあえず飲み薬と漢方薬を併用して、一週間程すると痛みも発疹もきれいに無くなりました。それからアトピーを治す決心をしました。決意と言っても松本先生の言うことを守るだけでした。
3月~6月になるとスギ花粉とヒノキ花粉で目のかゆみ、涙、鼻水、鼻づまりがひどくなります。市販の目薬や風邪薬は禁止されていたので鼻が両方ふさがって口で呼吸をするぐらいひどくなります。そうなると漢方薬を飲む以外ありません。2週間分もらって症状は良くなります。そんなこんな状態が7年も続き、IgEが最高1.000だったのが今では400台にまで下がり、症状的にはつらくない状態になりました。「これからも下がっていきます」と言っていただきました。
松本漢方クリニックの皆様方、長い間ありがとうございました。
〜中間報告〜
2012年11月にて、治療を始めて5年になります。
2007年11月14日に初めて松本漢方クリニックを訪ねました。
その当時私は、ほぼ全身と言ってよいほどアトピーに悩まされていました。
ドライアイ、ヨクジョウヘン、ドライマウスのような症状も発症していました。
アトピー発症は小学6年生の時です。初めて皮膚科を受診し、その病気を知りました。そして、その時にもらった薬が副腎皮質ホルモンという塗り薬でした。
当時は疑うこともなく、処方された薬を塗り、体質改善と言って注射をうったことを記憶しています。
薬はすぐに効き目を現し、一時的であっても症状は治まりました。それ以来、かゆみが出れば薬を塗っておさえるということを30年以上もの間繰り返してきました。私の場合、そこに喘息も発症してしまい、アトピーと喘息がワンセットになりました。
内科の先生からは、「この薬はきついから発作の時のみ使用すること」と、注意を受け吸入器をもらいました。
それ以来、吸入器は常にバックの中あり手放せなくなってしまいました。
頭が痛くなれば頭痛薬、胃が痛くなれば胃腸薬と、薬に依存する日々でした。
皮膚科も、よい評判を聞けば必ず訪ねました。けれど、先生は決まって「治らないからうまく付き合わないと……」「25歳以降は全身に出てくるよ」などと話されました。実際に年を重ねるごとにアトピーは全身に広がっていきました。
これではいけない何とかしなくてはと、テレビで話題になった土佐の病院へ行ってみようかなどと考えていたある日、友人から松本医学のホームページのことを聞き、松本漢方クリニックを知ることとなったのです。
忘れもしません。初めて受診したあの日、先生が「必ず治るよ」と、握手して下さった事。今までそんなことを言って下さった先生は一人としていなかったのですから……。思いが込み上げて診察室で涙ぐんだ事は、今でも鮮明に覚えています。
そして、その日から漢方薬との付き合いが始まりました。
お風呂の解毒薬、飲む煎じ薬、煎じている時の匂いはなかなかのもので(苦笑)、正直なところ、最初は本当にやっていけるのか不安ばかりでした。
お風呂の煎じ薬は1時間以上入っていなければならず、カラスの行水の私にとってはかなり辛かったです。
良薬は口に苦しとは言いますが、飲み薬の方も、とても飲めたものではありませんでした。治療を始めてから3日目から、頭の中、顔、首、胸の周り、脇、股関節などからリンパ液が出て熱っぽくなるなどの症状が現れ、その日を境に私の生活は、過去には経験したことのない試練の連続となりました。
私は、ゴルフのキャディをしており、人と接することは避けられません。
この頃の顔は赤ら顔にブツブツで、見るからに悲惨な状態で、周囲の人からジロジロ見られている感じからは逃れられず、仕事中であっても脇の下、股関節、胸の辺りのかゆみに襲われ集中力は散漫になり、精神的にもかなり不安定な状態でした。職業柄、軽装では務まらず、汗には悩まされます。
アトピーにとって汗は一番辛く、特に夏の勤務は大変で、かなりきついのです。
ここからはエピソードを含め強く印象に残っていることをしたいと思います。
治療を始めて半年くらい経った2008年4月21日のこと、その日もかゆみと戦っていました。治療をめぐって家族と口論になり、精神的に追い込まれていたこともあって、自分の携帯電話を逆に折って破壊してしまいました。
治療事態が大変だったのです。
しかし、やめるわけにはいかない。必ず治ると信じているから。
体中からリンパ液が出ようとも、耐え難いほどのかゆみに襲われようとも、決して負けないと決意しているから。
2009年5月17日、右膝内側靭帯損傷という大けがをしたときは、膝に血と水がたまり象の足ほどかと思うほど腫れ、かなりの痛みに泣かされましたが、治療は血を抜いてもらうだけにしてもらい、痛み止めの注射は断り、飲み薬やシップ薬も使いませんでした。
高熱で、寝汗や悪寒、膝は想像を絶する痛み。けれどシップは敵!
私の中の白血球が頑張っている実感。「かゆみより痛みの方がまし!」と我慢しました。ついに、漢方薬のみの治療で乗り切ったのです。
こうしてアクシデントを乗り越えつつ、日常的に避けられないことも迎え撃たなければなりません。その中で一番辛いのが生理中です。
頭痛が四日間ほど続き、首から上を取ってしまいたいくらい痛みに悩まされます。治療前なら「こんなときはバファリン」。でも、決して戻らない。
「ガンバレ!私!!」と耐えています。
決して楽な治療ではなく辛いことも少なくありませんが、辛いことを数えても仕方がありません。どうせ数えるなら良いことを数えた方がいいと思うのです。
お薬の注文で電話をしたとき、松本先生はいつもお忙しく早口ですが、とても救われた言葉があります。「かゆいのは当たり前、掻いて楽しんで!」。
この言葉を聞いてからは、かゆみを我慢して掻かないようにして辛かった私は過去のものになりました。今は我慢していません。
我慢しないので、時々「イナバの白ウサギ」状態になり痛くなることもありますが。(笑)
こうして精神的な変化にも健康を実感しています。
治療前にヨクジョウヘンの手術まで決まっていた目も、この治療のおかげで綺麗な黒目になってきたこと、唾液も以前より多く出ていること、冬には必ず引いていた風邪も、この5年間はほとんど引かなくなったこと、不思議です。
そして、先の楽しみもあります。私は二十歳の頃から水泳に通っているのですが、その仲間と約束していることがあります。治ったら浴びるほどお酒に付き合うと。
それまでは決してお酒は飲みません。
今後も治療に専念し、健康のありがた味を肌に感じながら頑張りたいと思います。
松本先生、これからもどうぞよろしくお願いします。
余談ですが、先日肌年齢を測定したところ、なんと……27歳でした。万歳!
以上
数年前から顔が少し赤くなり、春先は特にひどくて気になり、皮膚科でビタミンA・C・Eの飲み薬と軟膏をもらい塗っていましたが、ある時顔全体が赤くなり、とても痒くなったのでアレルギーかも知れないと思い、松本先生のところへ行きました。平成17年3月中旬のことです。診察で塗り薬が「ステロイド」だということを知りました。
アレルギーの説明を聞き、消毒液と塗り薬(2種類)と漢方薬をもらいました。漢方薬は苦くて飲みづらいですが、元の肌に戻す為に飲み続けました。血液検査でスギの花粉症の反応がでましたが、先生は握手をしながら「絶対に治してあげる。」と言われ、心強く思いました。
3ヵ月程経った頃、赤かった顔も少しましになり、ザラザラしていた肌がツルッとした感じになってきたときに、初夏で暑くなり、汗をかきやすい手足の一部に湿疹ができました。今はほとんど判らなくなりました。
たくさんの方々が大変な思いをしながら遠くから来られていることに驚き、私は高槻市内なのでラッキーでした。
飲み始めて4年半になりますが、「飲む化粧品」と聞き、しばらくは飲み続けようと思います。
これからもお世話になりますので、よろしくお願いします。
二十歳の頃より両手先指がひび割れ、痛くてその度に市販の「フルコート」
使用、少し良くなっても、再びすぐに手荒れ酷く繰り返していました。社会人になり、自分であっちこっちの皮膚科へ行き良いと聞けば病院を変え何軒もためしてみました。近所の診療所で処方された副腎皮質ホルモン軟膏が効果あったので常に塗りつけていました。何の飲み薬か覚えていませんが、飲み薬も飲んでいた様に思います。これさえあれば「安心」と思いずっと使用していました。それから結婚、二度出産をし、もちろんの事、家事をしていましたが、
いつの頃からか指先から腕、ついには顔面の痒みが出始め赤くなり、皮がボロボロ落ちてくる様になりました。上の子が幼稚園、小学校へ入ると、当然周りのお母さん達との関わりも増える中、無意識にカサカサの肌をボリボリ掻き毟り、服に血がにじんでいる事ありました。そんな姿が自分はとても嫌で子供もそんなお母さんの事嫌だろうなぁと、悲観的な考えがどんどん増してきました。その頃から、ありとあらゆる事をしました。するが思いであちこちの病院へ行きました。しかし結局、副腎皮質ホルモン軟膏、大病院でも同じ極めつけに、最後に行った民間の病院では「あっこの手湿疹とかは治りませんョ!こんなん治せるんならボクが教えて欲しいわ、ここで働いている看護師も皆指先にバンソウ膏貼っているョ」目が点、そんな言葉が返って来るとは、「何の為にここに来たんだろう」腹が立つやら、情けないやら、処方された薬、帰りに全部捨ててかえりました。ステロイド、とても恐ろしいという事もあらゆる本(ex経皮毒)にも記述されているし「もう二度とステロイドは嫌だ!」と思いました。そんな時昔のご近所さんから久々にTELがあり「久ぶり!前に肌あれでとても悩んでいたよね、すごく良い物があるのだけど」と言われ治したい気持ち一杯で飛びつきました。それは外国製品で会員がどんどん紹介していく様なシステムのものでした「ネズミこう」と似ていましたが、とりあえず、数ヶ月ためしてみました。値段は安くはなかったです。でも親身になっていろいろしてくれました。保湿した後に、たっぷり押し込む様につけるというのを数ヶ月すると、なんと!とてもキレイになりました。とても嬉しかったし、はまりました。
でもお金がかかり、パートはしていましたが、それにほとんど費やしました。良くなり、しばらく何もしないでいると、また痒み、赤み、痛み、ひび割れ、
結果「これもダメか」心がおれました。食べ物がダメなのか?「シャンプー、リンス、食器洗剤が悪いのか?」「水?」「料理に使っている鍋?」ありとあらゆる家中の物を疑いとても高額な鍋セット、浄水器も購入しました。主人には申し訳ないので自分が独身時代に蓄えていた貯金をはたいて買いました。そんな私を見るに見かね、近畿の皮膚に良いと聞けばあちこちの温泉に日帰りで連れて行ってくれました。本当に必死でした。そんな事をしている内に平成9年になり、母からいとこの子供の話を聞きました、それは・・・1目の赤ちゃんの皮膚が赤くただれて状態で生まれて来て、ありとあらゆる病院へ行っても治らずで、そこで「松本漢方クリニック」にたどりつき治して頂いたということでした、
すぐ、いとこに連絡を取り詳しく聞きました。いとこも我が子があまりにかわいそうで、一番かわいい時に外に連れ出すと周りが嫌な顔したり、子供同士のお友達も出来ず、家から出たくなかったそうです。そんな時に「松本漢方クリニックさん」の事を聞きつけ、最後の神頼みというか、最初は「治せるもんなら治してみ!」と言う思いで行ったそうです。松本先生の「わしが治したる!絶対!」とおっしやる言葉を信じこの医院に懸けたそうです。赤ちゃんなので、塗り薬と漢方風呂で根気よ続け、気が付けば肌はゆでたまごの様にツルン肌になって、思う存分外へ出れる様になったそうです。その話を聞いてもう一度だけ、私も病院へ行ってみようかなぁという気持ちになり、最後のつもり足を運びました。
平成19年8月8日想像していた病院とは違い慣れない漢方の匂い、待合室で他の患者さんの会話から親子連れの方は北海道?もう一人の男性は東京、びっくりでした。そんな遠方から来られたんだ、皆さん必死なのだと思いました。
診察室へ、松本先生は私の顔を見るなり「治る!治したる!あなたの症状はまだまだキレイや」って、いとこから松本先生の口調や雰囲気など聞いていましたが、あまりに断言されたので、涙が出るくらい心が軽くなり嬉しかったです。その日から決意が固まり、治療しょうと思いました。この日より漢方治療開始、煎じ薬、塗り薬、漢方風呂、帰宅ごすぐに煎じ薬、何ともいえないくさい臭いが家中に広がりました。その匂いに家族は頑張って治そう!ととても協力的でした。何が何でも治したい!思い最初とても飲みつらい薬でしたが、鼻をつまみながら飲みました。漢方風呂、毎日パートから帰ったら、鍋でにたたせたものと、お風呂に入れ漢方風呂を作り、入ったり、出たりを繰り返し、バスタオルを巻いて家事をし、また入る、を何度もしました。毎日、数日後には肌が乾燥してきて皮膚がポロポロと落ち始め、もちろん痒みも酷かったですが、松本先生が「痒かったらガマンせず、掻いたらいいよ」とおっしゃって下さったので夢中で掻き毟る事もありました。血がにじみ服も汚れる事も、でもめげず、塗り薬を塗ったりしながら続けてしていると、半年後には、きたない肌はキレイになりました。一番酷い時を知っている周りの人たちは「どうして治したの?」「教え!」と言われる程になりました。本当に嬉しかったです。
それから2年程、花粉症も毎年出ていたのに、出なくなり薬も頼らずに過ごしました。
平成21年9月何となく肌あれ、指、手の甲、腕に痒みと赤みが出はじめ、すぐに松本先生に連絡し、お薬を処方して頂きました。数ヶ月で引きました。
毎年、夏前から肌の調子が悪くなっている様だと気が付きました。
平成22年9月富士山へ、登山前から少し咳が出ていたのですが、気にせず登山へ、
8合目で悪天候の為、途中断念その日から咳が止まらず、一度咳込むと息が出来なくなるぐらいで、窒息しそうでした、毎日毎日続き、あまりの苦しさに近所の内科へ「咳喘息」と診断、そして出されたのが、吸収引器でした、ステロイドが嫌で先生に「ステロイドは嫌いなので他の薬お願いします」と伝えると「長く使うのは良くないけど今は使わないと無理です」と言われしぶしぶこの時だけと吸引しました。症状はしだいにおちつきました。
平成23年今度は春から夏にかけて、花粉症が再発、何年も出なかったのにと思いました。この時知人が市販の「アネトン」が効くよと教えてくれたのでためしてみると即効きいたので、仕事にもさしつかえるので毎日、朝1回だけ飲みました。この年は肌も荒れる事はなかったです。
平成25年この年も春先の花粉症に「アネトン」使用、夏前から右手の指の間から赤く痒みとただれが出始めそれがどんどん広がり、手首、腕、両腕、と症状が悪化しました、ガマン出来ず、松本先生へと受診、その時初めて気づかされました、なぜ今回症状が出だしたのか!市販の薬を使用した事がダメだったとお聞きし、ショツクでした、自己判断で他の薬に頼ったのと後悔しました。免疫が下がっていることも原因、まだまだ理解出来ていなかったので、しっかりと理解しなくては!と思いました。今回は顔には出ていませんが、引き続きお世話になります。宜しくお願いします。
「リウマチ アトピー手記」76歳男性2008年12月27日
主人の闘病生活が始まったのは、平成19年9月19日です。
それ迄は他の病院でステロイド治療でした。注射塗り薬でした。でもいつ迄もこの治療では、体力が弱るばかりです。ステロイド治療を一切断ちました。
リバウンド(後で松本先生に教えて頂きました。)すぐに両足が腫れ約2倍になり象さんの足の様でした、歩くのもやっとの事でした。体全体特に背中が紫色
の斑点が出来痒くて寝られずの毎日でした。長男がインターネットで高槻に
松本先生が居られるとの事で、さっそく10月6日伺い、診て頂き高齢だから辛抱出来るかと心配して言って下さったのですが、何とかの苦しみから抜けだして一日も早く健康を取り戻したい、一心で頑張りました。夜間日付けが替わる頃から痒いの連続で、夜中1時~3時頃にお風呂を沸かし入浴し(入浴剤煎じたる)塗り薬を全体に塗り少し落ち着く日々の毎日でした。足から皮膚から水分がたくさん出て、敷き布団2枚シーツを通し水分で再々布団も取り替える始末でした、多い時でパジャマ6着分洗った事も再々でした。バスタオルで足の袋を作り水分を取る様にしたり色々考えました。朝4時位になると本人はウトウト寝る状態でした。私は3時頃に起き食事の用意、仕事にと頑張りました。
夏の看護は大変でした、太陽の光が目に痛く感じる事も再々あり、
主人は痒いの連続でイライラして大声でまるで日々喧嘩の様でした。何とかこの薬害から抜け出さないと、駄目になると必死でしたが何度投出してしまいたいと思ったか知れません。平成20年10月位から痒いのが大体落ち着いてきました。地獄から抜け出せた様です、まだまだ完全には、遠いですが信念を持ち努力して行けば希望が待ってます。
入浴剤、塗り薬、煎じ薬(名薬です)
松本先生の御陰でここ迄来られましたどうか松本先生を信じ頑張りましょう。