「ステロイドはもう使いたくない!」匿名希望39歳2013年9月13日
生れて39年間アトピーと付き合って来ましたが 子供の頃のアトピー症状はそれほど酷いものでは無く手や足の関節の内側に炎症が出来る位の軽いものだったのですが、しかし年齢を重ねるごとに症状は段々悪化していきました。
小学校の高学年頃には顔にも炎症が出始め 身体も炎症が関節部分からドンドン広がって行き、ついには全身にアトピーが、今から思えば「アトピーを治そう、治そう」と思いながら一生懸命に塗っていたステロイドが逆にアトピーを悪化させる原因になっていたとは、当時は「小学校の高学年位になれば 治るからね」とお医者さんに言われていましたから 「そんなモノなんだな~」って位の軽い気持ちだったのですね、中学校に入っても全く良くならない、それどころか悪化して行く、薬の強さもドンドン強くなって行くのに効かない「おかしい、、、」この頃から食事制限や脱ステロイドなど色々試してみましたがあまり効果は在ったとは感じられません ステロイドのリバウンドでボロボロになってしまい学校にも通い辛い状態に 結局はまたステロイドに逆戻り しばらく使わなかったものですからよく効くんですよね、しばらくは、コレはもう治りはしないけど一生ステロイドと付き合っていくしか無いと思っていました、 症状は良くなったり悪くなったりを繰り返し、 ステロイドと保湿剤でごまかしながら何とか今まで過ごしてきました。 しかし去年ついにステロイドが効かなくなり、どうしようもない状態に全身の掻き傷からリ浸出液が止まらず仕事も出来ない程で 今までこれほど酷くなったことは無かったので凄くショックでした「ここでアトピーが治った」と言うお医者さんを教えてもらい何軒もまわって見ましたが またステロイドを勧められるんですよね、 ステロイドが効かなく使いたくなくて来ているのですけどね(笑)中にはウチではちょっと無理だから「診療代は今日はもう良いので」と言われたところもありますよ「えぇーw」と思いましたけど 無理なら仕方ないです。
とりあえず抗生物質と非ステロイドの塗り薬を出してもらったんですが「このままじゃダメだなっ」と、しばらくステロイドを使わなければまた効くようになってくるかもしれませんが、 もう二度と使いたくありませんでした。
今まで散々お世話になって来た薬ですが やはり怖いのですね、 そこでインターネットで脱ステロイドで出来れば完全にアトピーを治せるお医者さんは居ないか本気で探してみましたところ松本先生のホームページを発見しました。
他のお医者さんのホームページとは一味違ったフインキが、そして「当病院ではステロイドは絶対に使いません」と赤文字でTOPにバーンと、内容を読んで見ると( かなり簡略化していますが、)
アトピーは環境汚染で無限に身体に入ってくる化学物質が原因だ
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身体のIgE抗体がそれを異物として判断し湿疹を作り排出している
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でもIgE抗体有限だから 無限に入ってくる化学物質を排除しきれない
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身体が化学物質を「排除しきれない 無理っ」と諦める
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化学物質を追い出すのではなく共存を選ぶ
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サプレッサーT細胞が働いて「免疫寛容」が起こる
↓
アトピーが治る!(ホームページに無茶苦茶詳しく載っています)
凄い内容ですよね、今までこんな事知りもしませんでした、身体にはちゃんとアトピーが治るシステムが有るのに「炎症を抑えるために塗っていたステロイドが免疫力を落とし免疫寛容(アトピーが治るシステム)
の邪魔をしてアトピーが治らない、 むしろひどくなっていた」なんて、「これだ!こう言うお医者さんを探していたのだ」 コレが松本先生に診てもらおうって思った切っ掛けです。
松本先生に観てもらってアトピーが治った患者さんが書いた手記も読ませて頂きましたが、簡単にササッと治るものでは無いと言う事は解りましたが「コレなら治りそう頑張って見よう」と言う気持はさらに強くなりました。
実際診察してもらうと 「辛いよ40年近くステロイドを使って来たのだから時間は掛かるよ」「でも 必ず治してあげる」
とても力強く言って頂き 、ガッチリ握手をしてくれる!今までこんなお医者は居ませんでしたね。
大体 観てすぐ「あーアトピーだねー」と言ってステロイドを出してくれる、アトピーの原因、根本治療を自信を持ってしっかり教えてくれるお医者さんに今まで出合って来ませんでしたのでとても心強かったです。
看護婦の横山さんもアトピーだったみたいですけど、 松本流アトピー治療で治ったみたいで 色々優しく丁寧に教えてくれ 実際に治った人が目の前にいるんですから「後は自分が頑張るだけだな」と思えました!
「治療法は単純明快でした」
1、漢方の煎じ薬 (免疫力を上げる)
2、漢方の粉薬 (免疫力を下げずに症状を緩和する)
3、漢方のお風呂 (皮膚の新陳代謝を高め痒みを抑える)
4、抗生物質の塗り薬 (ブドウ球菌の感染を抑える)
5、赤と黄色の漢方の塗り薬 (抗炎症、傷の修復、殺菌)
6、ヘルペスの飲み薬 (ステロイドで免疫が下がった皮膚に入り込ん だヘルペスを抑える)
7、抗生物質 (傷の感染を防ぐ 熱が37度を超えたら飲む)
「漢方で免疫力を上げて要らないものを出して、傷のケアをして免疫寛容が起こるのを待つ」脱ステをすると物凄く炎症が出るんですよね、今まで抑えていた分が噴き出す感じで、皮膚も物凄く剥けます、松本先生は「皮膚のウ○コや出し切れ」と!「好きなだけ掻いていいよ」「細菌に感染しない様に殺菌して塗り薬でしっかりケアすれば大丈夫!掻いた後もアトピーの傷痕は残らない」今まで掻くなって言われ続けて来たのに掻いて良いって言うのはビックリしました!(顔を掻きすぎると悲しい気持ちになるので そこは控えめにしていますが、)脱ステして漢方を飲んでるせいか皮膚の向け具合が兎に角凄いです、集めるとマグカップ一杯分くらいは在りますね、悪いものは出した方が良いみたいですから しっかり掻いてしっかり出してしっかり殺菌ケアする!
漢方のお風呂に毎日トータルで5時間入る、身体を温めて免疫力を上げ皮膚の代謝を早め痒みを抑える、今まで長風呂をする習慣が無かったものですから慣れるまでは大変でしたが馴れれば意外と平気です。
ステロイドで皮膚の免疫が下がって、神経細胞に隠れていたヘルペスウイルスが皮膚まで上がってきていてコレがピリピリと刺すような痒みの原因らしいですが、 これも先生に聞いて初めて知りました、まさかヘルペス何て思っても見なかったのですが、 ヘルペスの薬を飲むとピリピリした痒みが無くなります。
僕が先生にお世話になってはや1年ちょい、2カ月程でまず大量に出ていた浸出液は少なくなってきました。
IgE抗体と言うアレルギーを示す値が有るのですが
18000(初診)
↓
28000(半年程)漢方で免疫力が上がって上昇中!
↓
18000(一年後)現在下降中!!
IgE抗体の値が(人によって数値は違うみたいですが)上がり切ると免疫寛容が起こるらしいです。 株の値動きの様に上がって下がってを繰り返しながらピークの値を迎えると また上がったり下がったりしながらドンドン下がって行くみたいなのです。
僕は28000が頭打ちだったんじゃ無いかと思っています(たぶん、)症状は痒い 痛い皮膚が良く剥ける、傷が目立つまだ続いていますが、皮膚の調子の良い時の比率が増えてきたと思います。 数字で見ると体の状態が解り易くてとても励みになります!後どの位掛かるかは解りませんがこのまま下がり続けて治ってくるのが楽しみにしています。
ただ、40年ステロイドを使い続けたのですから、長期戦になるのは覚悟しています もっと早く松本先生に出会っていれば良かったと思いますが今更嘆いても仕方ないです。(実際先生にも 「なんでもっと早く来なかった」言われましたが、)もう ステロイドを使う生活には戻りたくはないですね、使っても一時症状は収まっても治りませんし、やはり痒い事には変わりありません、 汗をかけば痒くなる気を抜けば痒くなる、 疲れると痒くなる痒くて寝られない、 ステロイドで抑えてる限りずっと付き合っていかなければいけない痒み、たとえ一時苦労しても克服したいです。
この文章を読んで頂いている方に言わせて頂けることが在るとすれば、完治や脱ステはステロイドを使っている期間が長いほど治療時間が掛かりますから「早くした方は、きっと楽ですよ!」 出来れば赤ちゃんの時に受けたかった、「もう痒いのは嫌だ、アトピーに制限されたくない」と覚悟を決めた方
松本先生の話を聞いて見て下さい、先生のパワーに圧倒されるかもしれませんが、最近 松本先生にこんな本を行くたびに勧められます
「人殺し医療 マフィアが支配する現代メディカル・システム 」
国際医療マフィアは人間の生き血を啜る、それが金融マフィアの裏の顔、患者の命を弄び「薬」と称して「死」を売り捌く「医療」と称して大量殺戮に手を染める――
お医者さんが患者に進める本じゃ無いですよね、僕は松本先生の本当の事を語ってくれる数少ないお医者さんの一人だと思っています。
長文最後まで読んで頂き有難うございます。
松本漢方クリニックとの出会いは今から5年前になります。
以前から肌が弱く、出産後増々ひどくなり、毎日の炊事、洗濯が苦痛で仕方ありませんでした。そんな時、主人の知り合いの方が、医院へ通院されて良い結果が出た事を聞き又、主人からも勧められ通うことにしました。私自身、学生の頃より皮膚科へ通ってはいたものの、何処の病院へ行ってもあまり良い結果が得られず、今回も半信半疑でありましたが通い続けるうち、いろいろな方の手記を読ませてもらい、又先生の励ましもあり、変われるかもと、思えるようになり、1年通院しました。その問、苦い漢方薬やルミウンドで想像を絶する戦いでありました。私の場合、色々な所にステロイドを塗っていたせいもあり、リンパ液が流れては人間の皮膚とは思えない程ただれたり、顔の表面がつっぱって、話したり、笑ったりが苦痛で、何時になれば元に戻れるか不安で一日を過ごす事が非常に長く感じられていました。
半年が過ぎ、一年が過ぎた頃、ようやく光がみえてきたと感じ始めた私は、自分の勝手な判断で、通院をやめてしまいました。その結果、治りかけていた肌は、又、かゆみが出たり、ヘルペス等のトラブルが生じ、松本漢方クリニックへ頼らざるをえなくなりました。
勝手にやめた私にとって、松本先生へのイメージは、恐怖以外の何ものでもなく、ただれた肌と腫れた唇を診て、怒られるのを覚悟し医院へ行ったところ、「お久しぶりです、どうですか?」とのやさしい口調に、安心し気が楽になりました。久しぶりに、あの苦い漢方薬を飲み始めて-週間がたちましたが、今までの状態がウソのように、みるみる治っていく様子が、はっきりと分かるのです。
顔の肌のキメも以前に比べ整っていると周りが言ってくれると嬉しくて、今度こそは、松本先生からの「もう、大丈夫!!」とおっしゃって頂くまで、自分に負けず、頑張ろうと,思っています。諦めたくないから頑張ります。
松本先生、宜しくお願いします。
「アトピー手記」匿名希望38歳2006年8月24日
私がアトピーと初めて言われたのは、結婚してしばらくしてからのことでした。手荒れがひどくなり、なかなか治らないので、病院に行って薬をもらい、その時はすぐに治りました。でも、何ヶ月が過ぎ、今度は目の周りがかゆくなり始めました。それで、また薬をもらい、その時はそれで治ったのですが、しばらくすると、かゆくなったり、治まったりの繰り返しが続く様になりました。それでも、たいした事はないと思って、ちょっとかゆくなると、薬をつけていました。それから何年かすぎ、平成16年6月のこと、朝起きたら、顔中が真っ赤になっていてびっくりしました。私は友人から松本漢方クリニックのことはきいて知っていたので、すぐに行きました。「直してあげる」の言葉にほっとする自分がいました。それからわたしの治療は始まるのですが、自分でももっと安易に治るだろうと思っていたので、漢方薬を飲み始めてしばらくして、全身がかゆくなった時にはとても不安でした。一番ひどい時は、かゆくて眠れず、人に会うのも嫌になるほどでしたが、それでもここまできたら、信じてやるしかないと思って、がんばりました。症状が落ち着いてきたのは、平成18年の春頃でした。毎年、花粉症にも悩まされていたのが、首筋が少しかゆくなる程度で、おさまったのです。そして夏には時々かゆくなるものの、その場だけで、おさまる様になりました。今思えば、あの辛かった時は一時の様に感じられます。先生に「中間報告を書いて」と言われた時には本当にうれしかったし、「完治した」と言われるまでがんばろうと思うので、よろしくお願い致します。
私が松本先生にお世話になって、約1年が経ちます。ここにたどり着くまでは、本当に長い道のりでした。
私の身体にアトピー性皮膚炎の症状が出始めたのは、3歳くらいの時でした。当時は湿疹も臀部だけで、おそらくステロイドの弱い薬を塗ったり、放っておいたり、様子を見ながら何とかやり過ごしていました。成長するそれぞれの段階で、出たり治まったりする湿疹と付き合ってきました。
それが25歳で第1子を妊娠、出産した頃から、環境の変化やホルモンのバランスの崩れからか、恐ろしい痒みが出るようになりました。妊娠中はさすがに薬は使わず我慢していましたが、3人の子供を産み終えると、もう我慢出来ないとばかりに、ステロイドやヒスタミン剤を全身に使用するようになりました。その時は薬の副作用について無知で、また知ろうとも思わず、今から思えば恥ずかしい限りです。3番目の子供を産み終えた31歳の時から33歳までの2年間、ほとんど毎日、ステロイドの薬を使い続けていました。
私がこのような状態に陥ったのには、当時の皮膚科医の責任も大きいと思います。私が通っていた柿木皮膚科では、ステロイド(私の場合は、ネリゾナというstrongレベルのもの)をクリーム状の基剤に混ぜ、ハンドクリームのような容器に入れたものを出されました。一度診察すれば、その後3ヶ月は、その薬だけを出され、「ステロイドの薬は、顔には塗らない方がいい。」という他は、何の注意も受けませんでした。こうして使い続けるうちに、だんだん中毒のようになり、ステロイドを止めると、あっという間に顔に赤味が出て、薬を切らす事が出来なくなっていきました。最後の方は、もう禁を破って、顔にもステロイドを塗ってしまっていました。多少の罪悪感はありましたが、「基剤で薄めてあるから、まあ、いいだろう。」という間違った認識で、罪の意識を封じ込めてしまっていました。
こんなダメな私が、ステロイドを止める決心をしたきっかけは、友人の妹が、漢方でアトピーを完全に克服したという話を聞いたことでした。ただしこれは、成人してから急にアトピーを発症したその妹さんが、ステロイドに頼らずに、すぐに漢方薬を始めたので、あっという間に症状が改善したというもので、私の場合とは全く違うケースでした。しかし、2年間ステロイドを使い続け、「このままではいけないのでは?」とうすうす感じていた私は、とにかく、彼女が通ったという岡山の漢方医を訪ねる事にしました。この先自分を待ち受ける恐ろしい試練など、全く予想もせずに。
岡山の先生は、やはり開口一番、「ステロイドは恐い薬だから、徐々に減らして、止めなさい。」と言い、1か月分の煎じ薬を出してくれました。私としては、徐々に止めたつもりでしたが、身体の変化は急激なもので、使用を中止して3日で、今まで経験した事もない痒みに襲われ、顔はみるみるうちにムーンフェイスになり、身体中に湿疹が広がりました。
この頃には、やっと私も、ステロイドの副作用を書いた本などで知識を得ていましたので、来るべき試練がやって来たのだと思いましたが、1ヵ月後、その状態を見た岡山の先生は、「おかしいなあ~。」を連発し(今思うと、この先生は、ステロイドのリバウンド症状を、今までに診ことがなかったのですね。)、薬の処方を変え、肉類と糖分の摂取と飲酒を禁じました。私は言われたとおりの食養生をし、ちゃんと漢方薬も飲んでいましたが、そんなことで治まるリバウンドではありません。
次にやってきたのは、寒冷じんましん(時は、11月)、過呼吸、手足の硬直と震え、寒気、今までを遥かに凌ぐ痒み、皮膚のはがれ、リンパ液の噴出という恐ろしい事態でした。そして、そうこうしているうちに、気がつくと、髪の毛以外の体毛(眉毛、脇の毛、腕や足の毛など)が全て抜けていました。次の診察の時、そんな私を見て、岡山の先生は困惑を隠しきれない様子でしたが、もっと困惑したのは、私の方でした。「この先生で、本当に大丈夫なんだろうか?」という疑問が湧いてきて、ものすごい不安に襲われました。が、他に為す術もなく、とにかく時が解決してくれるのを待たねばと、漢方薬だけは飲み続けていました。
松本先生の事をバイト先の上司から教えてもらったのは、そんな時でした。インターネットで情報を公開していると聞き、早速、藁をもすがる思いで読み漁り、「もう、この先生に頼るしかない!」と思い、早速受診したのが、ステロイドを中止してから3ヶ月経った12月27日のことでした。ステロイドのリバウンド症状を全て理解した松本先生の確かな口調と「何でも来なさい!」という懐の深さに、私はやっと安心し、信頼してついていける人に出会えたと思いました。もちろん、松本先生に出会えたからといって、急激に症状が改善するわけではありませんでしたが、迷いを捨て取り組める治療を見つけた事は、大きな精神的安定でした。また、あれもダメ、これもダメ、の食事制限や、掻く事の罪悪感から開放されて、ストレスが軽減した事は、治療を少しでも早めてくれたのではないかと思います。
3月頃になると、前述したような耐えられない程の症状はほぼなくなり、抜けた体毛も徐々に生えてきて、やっと人間らしい生活が出来るようになりました。そして夏頃には、痒みもほとんどなくなり、完治かなと勝手に思い込んでいましたが、寒くなり、乾燥の季節になって、また少し顔や関節が痒くなってきたので、やはりまじめに治療を続けようと思い直した次第です。
これだけ長く煩わされてきた持病ですし、免疫を抑制するような薬もあきれるほど使用したので、そう簡単に完治するとは思っていませんが、こうして手記を書く権利を与えられて(大袈裟ですが、松本先生が冗談っぽく「では、そろそろ、中間報告としての手記を書く権利を与えます。」とおっしゃった時には、「ああ、とうとう私にも、そんな時期が来たのだ。」と感慨深く思ったのです。)、1年前、悪寒に震えるただれた手で、他の方の手記をめくり、読み漁っていた事を思い出すと、1年でここまで回復した事に、改めて驚きと感激を覚えました。
これからは、完治まで気長に治療を続け、新しく手に入れた自分の人生を楽しんでいきたいと思います。松本先生、スタッフの皆さん、本当に有難うございます。それから、苦しむ母を慰めてくれた3人の息子達、その母子家庭を支えてくれた実家のみんなに、改めて感謝です。
この手記を読んで下さる方の中に、もし、今、すごく苦しい状態にある方がいらっしゃるなら、どうぞ、今を耐えて、乗り切って下さい。思い出話に出来る日が、必ず来ます。
「アトピー 喘息 リウマチ 鼻炎 手記」37歳女性2008年3月9日
長男が通っていた幼稚園のママ友に「子供3人ともが喘息で、松本漢方クリニックに通いだしてから夜中に救急車を呼ぶ事もなくなり、治ってきている人がいる」と教えてもらったのがきっかけで松本先生の事を知りました。自分がアレルギーだと自覚した事はなかったのですが、大学生の頃から春頃に目を掻いていた覚えがあるので、すでに花粉症になっていたのかも知れません。整理初日には、整理痛や頭痛もひどく、立っていられないほどでした。11年3月に5年勤めた仕事を退職し、長男を5月に出産しての初めての育児がはじまりました。なんとなく体調が悪いのは、慣れない子育てのせいと思っていましたが、12年3月に目の痒み、鼻水やくしゃみもひどくなり受診すると、杉とヒノキの花粉症と診断されました。病院では、これから毎年花粉が飛ぶ前の1ヶ月から花粉症を抑える薬を飲まないといけないと言われましたが、出された薬は1~2回飲んでほかしたように思います。その4年ほど前から食の勉強会に参加したりして、現代の環境がいかに悪いか、大気汚染、化学農薬、食品添加物、有機野菜等の知識を一般の人よりも得ていたので、病院に行かずにすむ健康な体を作るのは、口から入る物が重要だと思い、水や食べ物にますますこだわるようになりました。その翌月4月、季節の変り目で風邪を引いたと思っていましたが、熱は下がっても酷い咳が止まりません。特に、夜寝ようと横になる時と明け方にひどくなり、完全に治まるまで丁度2ケ月かかりました。近所の病院を2,3件回りレントゲンを撮っても異常はなく風邪が長引いていると診断されました。
その後、風邪引いたり熱を出したりした後は、必ず咳が2ヶ月ほど続くことになりました。14年2月に次男を出産し2人の子育てに専念していましたが、主人がどうしても女の子が欲しいと常に言っていたのと、次男は意外にもおとなしくあまり手がかからなかったので、これならもう一人育てられると思い、15年7月にかかりつけの産婦人科を訪ねました。ずっと体調が悪かったのでまずそれを何とかしたいと思っていました。就職してから、整理前の2~3には必ず、ひどい頭痛、肩こり、首こり、筋肉痛で動けなくなり、整理が始まると、治まるという症状に悩まされていました。月経前症候群(PMS)ということでツムラの当帰勺薬散を飲み始めることになりました。あと、常に疲れていたり、やる気もなく体が温まらない(平熱35,2度)、風邪をしょつちゅう引いたり、便秘もひどく、学生時代の友人に会うと「昔ははつらつとしていた」と言われ、もしかしてうつ病かもとも思っていましたが、血液検査の結果、橋本病と判
10月から駅前に甲状腺専門の内科にも通院する事になり、チラージン50を毎日飲む事になりました。産婦人科の方は、出来れば出産は35歳までに終えたいと思っていたのと、卵子の状態が若い頃と違い、排卵しても毎回受精可能な大きさに育っていないということだったので、排卵誘発剤のクロミッドを服用する事になりました。そして排卵前後に6本注射を打ちました。(HCGとあと1種類名前を忘れました。排卵しやすくなり着床しやすくなる注射と説明されました)妊娠するまで1年間それらの排卵誘発剤をステロイドとは知らずに、積極的に取り入れてしまうことになりました。
16年11月、妊娠中で気をつけていたにもかかわらず風邪をひいてしまい、例の咳が始まりました。3人とも妊娠中はお腹が張りやすく、安定期の頃から張り止めを1 日に3~4錠飲んでいたうえに、咳で腹圧がかかると胎児に影響があると言われましたが、産婦人科で出された咳止めは全く効果がなく、風邪ではなく「咳喘息」かもしれないので症状が出たときに受診するようにと言われていた医大へ行くことになりました。今まで苦しんでいたのをやっと治してもらえると思っていたら、「とりあえずステロイドの吸入器を毎日吸って様子を見ましょう、でも喘息なのですぐには治らないし吸入しても咳はすぐ止まらない」と言われました。薬は飲まない方針だったけれど、ステロイトドは使ってはいけないとは知らず、使わない方がいいぐらいの知識しかなかったし、薬を使うことが嫌なことより、胎児のために咳を止めなければいけないと、とりあえず言われたとおり毎日吸入しました。でも効果は特に感じず、日にちがたつと咳は治まってきていたので15日間ぐらいで勝手に吸入をやめ、また風邪を引いたら受診と言われ通院も止めました。17年4月、無事に生まれてきた三男は、生後47日目に小児科でアトピーと診断されました。それからまず子供が松本漢方クリニックでお世話になることになり、ベビーバスに入らなくなった7月から、子供たちと一緒に私も漢方のお風呂に毎日入ることになりました。8月にまた風邪後の咳が始まったので、子供共々先生にお世話になることにしました。「咳喘息」がアレルギーだと知らず、医大に行くまではずっと風邪が長引いていると思っていたし、その医大では喘息なので治らないと言われ悩んでいましたが、これでやっと治してもらえると希望をもてるようになりました。血液検査の結果IgEは37でしたが、スギ16.6、ヒノキ3.26の花粉症でした。幸い夏だったので、お茶代わりに煎じ薬は3番まで飲んでいました。今となっては温かいのを飲めるようになりましたが、初めの頃は吐きそうで飲めなかったので、氷を入れて冷やして飲んでいました。アルミの鍋より土鍋で焚いた方がまるやかになるとママ友に教えてもらい、さらに、1番煎じを飲んだ後、水を1口飲むと不味さもほとんど感じないのでこれらは今でも続けています。咳瑞息のほうは薬を飲み始めてから3日後には横になって夜寝られるようになり、1ヶ月ほどでほとんど治まりました。根本から治したいと,思ってはいましたが、咳が止まると意気消沈しそのうち勝手に通院を止めてしまいました。この頃は6才の長男も突然アトピーになり、三男と共に漢方のお風呂は1日おきに入り続けていました。
長男の入学で慌ただしい19年4月が過ぎ、5月の連休が終わった直後から、左手の肘の内側から汁が出だし、微熱が続き、ブツブツが左手と左足に、顔首の右半分と右腕は火傷のように真っ赤になり、お腹から右足にはブツプツとザラザラのアトピーが1ヶ月ほどで広がっていきました。目の回りの皮膚の柔らかいところや耳も皮が剥がれていき、7月の終わりには治まってきましたが、一時はどうなることかと不安でいっぱいでした。10月から11月は風邪が長引き、咳が治まるのに1 ヶ月ほどかかり大変でしたが。ようやく落ち着いたと思った12月、今度は左目の下が痒くなり、あっという間に500円ほどの大きさに広がり、汁でグジュグジュ、またアトピーになってしまいました。三男は季節を問わず、ひどいときは1ヶ月間の半分ほど熱や下痢、風邪を引いたり病気ばかりでものすごく手がかかり、そのうえ普段の家事や長男次男の送迎や付き添いもあり、秋から冬は家族間で風邪の伝染し合いをしたりで怒涛の毎日でした。少々の顔のアトピーにかまっていられず、顔中に広がっていったわけではないので消毒と赤い塗り薬でごまかしていました。19年2月中頃から、鼻づまり、微熱、喉痛、目のかゆみでまた花粉症も始まりました。洗濯物や布団を外に干せないのでイライラはしつつも、アトピーが広がったり、咳喘息で苦しいのより、花粉はまだましだったので特に花粉症の煎じ薬は飲んでいませんでしたが、19年ぶりに高校の同窓会が9月に開催されることになったので、見た目気持ち悪いし、顔の500円大のアトピーをなんとかしようと、またアトピーの煎じ薬を飲み始めました。毎日少しずつでしたが、ぐじゆぐじゆがかさかさに変わり、範囲も小さくなっていったので、朝起きて鏡で顔を見るのが楽しみになっていました。完全に皮膚が戻るまでもう少し、と思っていた6月の終わり頃から、体がだるいのが続き微熱が2週間下がりません。いつも何かしら季節の変わり目は体調を崩すので、またかと思っていましたが、7月中旬のある朝、足がむくんでパンパンになっていて、翌日はさらにひどくなっており、手首と足首の関節が痛み始め、しゃがんだときには膝がバキッとすごい音で鳴りました。指の関節が痛くてブレーキを握れないので自転車に乗れなくなり、膝が痛くて家の階段も下りられなくなりました。インターネットで調べると関節リュウマチは不治の病で、症状が治まっている状態をステロイドでいかに長く保っていくかという治療をするが、15年ほどかけて少しずつ動けなくなり、寝たきりになったり、人工関節の手術をするというようなことが書いてありました。最新の免疫抑制剤で寛解の状態を保てるみたいなことも書いてありましたが、免疫は高めるもので抑制してはいけないのですよね。関節リウマチの薬は副作用がひどいとも載っていました。3人の子供たちの世話があるので、動けなくなるのは困ります。微熱が続いたり、とにかく関節が対称で痛いという症状があてはまったので診察にかけこみました。検査結果、血沈17、CRP 0.39,IgE 10.1でやはりリウマチと言われ、お風呂は2日に1回、毎週鍼とお灸を受けることになりました。鍼はものすごく痛くて怖いと思っていましたが、髪の毛より細い鍼だと聞いて、痛みもほとんどなく、打ってもらった後は体が軽くなったようで、腰がいつもミシミシと痛んでいたのも鍼の後2日間ほどは感じず楽になったようでした。1週間ほどして生理が始まりましたが、毎月悩まされたPMSの症状も全くでなかったので、1回打ってもらっただけなのに鍼パワーにとてもびっくりしました。お灸は関節の痛いところに寝る前に1回していました。慣れない頃は時間もかかったし、熱く苦痛でしたが痛みはすぐに引いていきました。お灸は手軽にできるし効果抜群ですが、熱いのだけは未だに慣れません。
微熱がまたで出し長い間しんどいと思っていたら、9月の血液検査で単純へルペスの値が128(基準2以下)あり、ヘルベス性慢性疲労症候群とわかりました。風邪を引いたりしたこともあり症状が治まるまで1ヶ月半ほどかかりました。10月末には手首の違和感はなんとなくあったものの、血沈5となっていたので、お風呂は3日に1回、鍼も2週間に1回からもうしなくていいことになり、回復してきたととてもうれしく思いました。しかし12月中旬に感染性胃腸炎にかかり、やはり年末は咳喘息で苦しんでいました。20年の年が明けてすぐ、子供たちがインフルエンザ、咽頭結膜炎、感染性胃腸炎と次々病気にかかり、手首の違和感はまだ続いていましたが通院できずにいたら、1月末の血液検査でCRP 0.16、IgE 14..1となっており、やはり完全に治っておらず、また鍼灸をしなければならなくなりました。2月下旬に風邪を引いたので今は咳が2週間続いており、喘息の煎じ薬をまた飲んでいます。今回は咳がまだ治まらず、夜寝られない状態が続いています。出産後次々に病気になり、リウマチになったときにはこの先どうなるのかととても不安でした。知り合いにリウマチの人もいなくて、誰にも病気の相談ができなかったので、今までに書かれた手記をたくさん読ませていただきました。参考になることもたくさんありとても励まされました。家族の協力が必要と言っても、主人は当てにならず長男がいろいろ手伝ってくれました。リウマチ、咳喘息、アトピー、花粉症、橋本病、それぞれつらい病気で毎日大変ですが、でもなんとか治るよう頑張りたいと思っていますのでこれからもよろしくお願いします。
松本漢方クリニックにお世話になるようになって半年が経ち手記を書かせていただけるまでになりました。少しでも私の手記が病気に悩み不安に思っておられる方のお役に立てればと思いす。
最初に症状が出たのは昨年末です。朝、起きて指が曲がりにくく突き指したのかなと思いました。放っておけば治ると思っていましたが、曲がらない本数が増えていきました。医学事典やインターネットで調べてひょっとしてリウマチなのかなと思うようになりました。今年のお正月、急に左腕が動かなくなりました。湿布を貼ったり、電気治療でなんとか動くようになりましたが痛みが残りすっきりしないので総合病院に行くことにしました。リウマチの検査をしてもらいましたが断定できないということで1ケ月後にまた来るよう言われました。私は1ケ月も放っておくのは不安だったので個人の整形外科に行きました。欠損IgG抗体が71.0ありこの薬が効けばリウマチでしょうと言われ2週間分の薬をもらいました。この頃は足もしびれるような感じがあったり痛いところが増えていくようで怖かったです。その薬は飲めば痛みは良くなっていきました。しかしリウマチに効く薬だからステロイドではないかとこの薬に対して不安が募り始めました。同じ頃、妹がステロイドを飲んで肌に後遺症が出た人に会ってとてもかわいそうだったよ。怖い薬だから飲まない方がいい。と話してくれました。ステロイドを使わずにリウマチを治す方法はないのだろうか。私はインターネットで探しました。そして、運良く松本漢方クリニックのホームページにたどりつきました。私は小さい頃、喘息だったので先生の論文に納得しました。そして、早速、妹についてきてもらって3月25日初めて松本漢方クリニックを訪れました。先生にいろいろと怒られ「帰れ!」とまで言われましたが最後には「必ず治してあげるよ」と握手をしてくださいました。私は絶対治すと強く思いました。その日は血液検査をし鍼をして薬をもらって帰りました。検査の結果は血沈10、CRP0.44、RF55でした。それから漢方薬とアミノバクト、漢方風呂、お灸をやり始めました。始めてすぐに手がパンパンに腫れましたが一週間もすると腫れはひき指が曲げやすくなってきました。4月2日(2回目)にまた行きました。鍼をして薬をもらって帰りました。織田先生からは手足が冷えているので温める工夫をするよう言われました。締め付けるものはよくないと言われました。お灸も頑張るように言われました。次の日から一週間くらいリバウンドがありましたがお灸をすれば楽になりました。私のリバウンドは痛みだけで動けないことはなかったです。仕事にも影響なく普段の生活ができました。4月15日(3回目)には血液検査と鍼をして薬をもらって帰りました。検査の結果は血沈12、CRP0.05以下、RF52でした。
4月の下旬に生理がありいつも薬を飲む程の生理痛なので薬なしではとても辛かったです。でも、これも自分の体のためと耐えました。今でも生理痛はありますがこの時に比べるととても楽になっています。この頃と5月にも前回のようなリバウンドが一週間くらいありました。
6月11日(4回目)久しぶりの松本漢方クリニックです。この頃は家の近くで鍼をしてもらっていたので鍼をしないで帰りましたが先生には織田先生が一番だからここに来たら鍼はしなさいと言われました。血液検査と薬をもらって帰りました。検査の結果は血沈8、CRP0.05以下、RF27でした。あとRFが下がれば正常です。段々、痛みはなくなり朝、左手のこわばりが少しあるものの指もグーにできなかったのにできるようになりました。お盆明けからアミノバクトは飲まなくてよくなりました。9月16日(5回目)血液検査と鍼をして薬をもらって帰りました。検査の結果は血沈6、CRP0.05以下、RF10でした。正常になり、こうして手記を書いています。本当に嬉しいです。健康な体のありがたみを感じています。ありがとうございました。でも、アトピーが出ていないので必ず出るよと言われています。これからまた冬が来て寒くなってきます。体の声を聞きながら対処してアトピーを待ちたいと思います。
完治までもう少しよろしくお願いします。
「アトピー潰瘍性大腸炎手記」匿名希望33歳2012年2月8日
『潰瘍性大腸炎・アトピー性皮膚炎の治療記録(途中経過)』
「腹痛は?」
「ありません。今までも痛みはないです。」
「下痢や血便は?」
「今はありません。」
「…どうして潰瘍性大腸炎って診断されたの?」
私は松本病院ではちょっとめずらしい、「特に症状もないのに治してもらいにきた、潰瘍性大腸炎(かもしれない)患者」です。
治療を始めてまだ3カ月半ですが、一旦飲み薬の治療を中断する為、途中経過を書かせて頂くことになりました。
始まりは昨年の初夏、風邪を引いてお腹を壊してから、一日に何回も、白い粘液にうっすら血が混じったものが出るようになり、近くの医院で血液検査をしても炎症反応も無く、原因が分かりませんでした。
風邪が治ってからも粘液だけはどんどん出続け、ネットで調べて(大腸の病気?まさか潰瘍性大腸炎…)と思い、2カ月間、低残さ食を食べたり、ストレスを持ったままだと治らないかも、とカウンセリングに行ったりしつつ様子をみていましたが、とうとう思い切って、大腸の病気が専門と書かれていた外科に受診しました。外科では直腸鏡を使い、「17センチ奥からずっと炎症が続いていますね。出血はまだあまりなく、ここから粘液が大量に出ています」と説明をうけ「潰瘍性大腸炎」のパンフレットを渡されました。慢性の病気なので、長期間症状がでていないときもずっと薬を飲み続けなければならないとのことでした。家に帰り、さっそく貰った薬(サラゾススルファピリジン飲み薬及び座薬・リンデロン座薬)の添付文書をネットで探しました。
聞きなれない名前であったサラゾスルファピリジンの文書にはリウマチの薬として開発されたことや、炎症を抑える薬であること、数々の副作用が書いてありました。
この薬を症状がなくても長期間(もしかすると一生)飲み続けなければならず、飲んでいると授乳もできない。
丁度結婚を控えていたので、この点はとても気になりました。
一生薬を飲み続けるとどうなるのか、薬なしで治す方法はないのか。
その後は、何かに取り憑かれたように、いろんな方の闘病記を読み漁りました。
いつかは自分もしないといけないのかもしれないと、注腸のやりかたから、果てはパルス療法、腸を切る手術のことまで…
読めば読むほど大変な病気であると知り、薬で症状は落ち着きましたが、早くも(人工肛門にしても、大腸以外に炎症がでたらどうしよう。ステロイドの副作用で身体がぼろぼろになったらどうしよう。将来早死にできずに認知症になったとき、装着器具を理解できなくなったらどうしよう。人に迷惑かけるのではないかしら)と自分の暗澹たる30年後、40年後をせっせと想像(妄想?)しては落ち込んでいました。
松本漢方クリニックを知ったのは、とあるクローン病患者さんのサイトを見たのがきっかけでした。そのサイトでは、松本漢方クリニックの治療でクローン病の完治を目指しているサイト主さんが、松本漢方クリニックと出会ったきっかけや、膠原病を治す為の松本理論を、小学生でもわかるくらいにかみ砕いて、とてもくわしく綴ってありました。リンクをたどって松本病院のサイトに行き、潰瘍性大腸炎やアトピー完治の理論・患者の皆様の体験記が詳しく書いてあるのを読んで、「ここへ行けば、治らないと言われた潰瘍性大腸炎も、小さいころからのアレルギーもすべて治る!」とうれしくなりました。
10月、初めて松本漢方クリニックを受診しました。
服薬履歴や、症状が一度治まっている状態のことを話すと「早く来て良かった。必ず治ります。」と力強く握手をしてくださいました。
アトピーと鼻炎をずっと患っていることも、ひと目で診断され、潰瘍性大腸炎用の煎じ薬2種類の他にアトピーを出す粉薬と鼻炎の症状を和らげる粉薬も一緒に飲むことになりました。
初めての鍼灸を受け、山のような薬を両手にぶら下げて新幹線で帰りました。
煎じて早速飲んでみましたら、事前に覚悟していたほど酷い味ではなく、しかも片方の煎じ薬は甘くておいしかったのでほっとしました。
早速今までもらった薬を全部捨て、漢方薬ひとすじに切り替えたところ、3つの変化がありました。
一つ目は鼻炎が目に見えて良くなったこと。
小さいときからアトピーよりも鼻炎が酷く、今までも漢方薬(『小青竜湯』)を処方されたことがありましたが、ほとんど効きませんでした。松本漢方クリニックで出されたのは、同じ名前の漢方薬と『荊芥連翹湯』。けれど、面白いように症状が取れ、飲んでいるうちに効かなくなるようなこともありません。以前は、漢方薬と同時に抗アレルギー薬や抗ヒスタミン薬を処方されて飲んでいたので、それがいけなかったのではないかと思いました。
二つ目は貧血が改善したこと。
2回目の血液検査の後、先生に「貧血は大腸炎の前からあったな。生理が軽くなったやろ」と言われました。
まったくその通りで、下半身の出血に効く『きゅう帰膠艾湯』のおかげでしょうか、婦人科に行っても「心配ない」としか言われず、でも貧血持ちなだけに気にしていた『排卵期出血』というのがみられなくなり、だらだらと続く方だった生理も軽くなって、周期も整い、とても楽になっていました。
「こんなに簡単に、貧血が治っていきます。本当になんでも治るのですね」と思わず漏らすと、「そらそうや」と簡単に返されました。
まさか、婦人科の症状まで取ってもらえるとは思っていなかった、私からは不思議に見えても、先生にはあたりまえのことのようでした。
三つ目はアトピーが一気に悪化、というか活性化したこと。
薬を飲んで一週間で顔と首がはれ上がり汁が流れ、今まで黒っぽく変色していた背中や腕にも紅くはっきりした発疹が出来ました。
二か月ぐらいマスクとガーゼで顔を保護しないと外を歩けないくらいの状態が続き、年末になると、顔の赤みが落ち着いてきて、患部が下の方へ広がっていきました。きちんとアトピーが出ないと、薬を変えたりしないといけないと、他の患者さまの手記を読んで知っていたので、(これが、治療が順調にいっている証拠なのだ)と思いながら痒みの発作をやりすごしていました。
1月の初め、潰瘍性大腸炎の症状が出ていないので、粉薬をすべて中止し、潰瘍性大腸炎とアトピーの煎じ薬をそれぞれ一種類ずつ飲むことになりました。
それから一週間後、妊娠が判明した為、現在は、飲み薬のみ休薬し、漢方風呂と塗り薬でアトピー治療を続けています。
飲み薬をすべて止めて3週間たちますが、まだ完全には治りきっていない鼻炎がぶりかえしたのと、アトピーの噴き出す勢いが少し衰えているように感じます。妊娠時はどうしてもステロイドホルモンが出るので、そのあとのリバウンドは酷くなるだろうと予想していますが、「必ず治る」と分かっているので、
いつか、本当に良くなって手記の続きが書けるようになるまで、頑張っていこうと思います。
追記
アトピーの症状経過は、細かく記録しようとすると手記だけでは書ききれず、またインターネット上の松本漢方クリニック以外のサイトで「松本漢方クリニックで治療した人の、治療終了後の状態が知りたい。途中経過で完治まで書かれていないのが不安。本当に再発しないのか。」
という声をいくつも目にしたのもあって、治療開始時より、ブログに症状を記録しています。時にはアトピーの経過写真も載せて、更新はゆっくりですが、細く長く続けていく予定でいます。
ブログ名『一患者の治療記録(潰瘍性大腸炎・アトピー性皮膚炎)』
アドレス:http://penpen10apple.blog.fc2.com/
「私のアトピーと知らない間に完治した娘のアトピー」匿名希望37歳2016年2月13日
私が松本漢方クリニックを訪れたきっかけは妊娠でした。塗り薬などもお腹の赤ちゃんに影響をあたえると知り、ステロイドを止めたいと思っていたところに、たまたま知り合いに教えてもらったのです。
初診で松本先生は 「アトピーは治る」とおっしゃいました。衝撃でした。今まで「治る」と言うお医者様はいなかったので、私は“一生アトピーと付き合っていくものだ。アトピーとはそういうものだ”と思っていました。しかし、その考えが間違っていることを先生から教わりました。その時に初めて、産まれてくる赤ちゃんには私と同じアトピーで悩ませることはないかもしれないという希望も生まれました。
煎じ薬と塗り薬と消毒とお風呂の治療が始まりました。特にお風呂は入れる限り、何時間でも入っていました。漢方風呂の治療は患部が内側から潤う感じが私にはとてもとても心地よくて「治療なのに気持ち良くていいのかなぁ」と思ったものです。お腹の赤ちゃんもお風呂の間は活発に良く動いていたのを覚えています。同時に痒みも増すのですが、先生に「掻いて良い」と言われていたので、心は軽くなり存分に掻いていました。この一言は今まで「掻いたらダメ」と言われていた私には最高の言葉でした。もちろん掻いた箇所は痛みます。でも次の日には薄く瘡蓋のようなものになるので、安心して、自分の免疫力を信じて掻くことが出来ました。
「出産後は出るよ」と先生に言われた通り、体中症状が悪化しました。赤ちゃんには私が飲んだ煎じ薬を母乳から摂取させて、患部には軟膏を塗り、漢方風呂の入浴はビニール製のベビーバスで行いました。産まれた赤ちゃんは、初めは何も肌に出ていませんでしたが、数ヶ月後、体と頬に出始めました。特に頬はジュクジュクしていて酷かったので、周りからは「かわいそう」とよく言われました。先生はHPで『治療は家族の協力がないと出来ません』と書かれています。私は自分も一緒に治療していて実感がありましたので、周りからそういうことを言われても気にしないようにしていましたが、家族の理解は必要不可欠だと思いました。たわいない周りの言葉で挫けたり、悩んだり、ストレスにつながるからです。この治療中、娘の見た目が痛々しく思えることはありましたが、一度もアトピーが原因で泣いたり、ぐずったりすることはありませんでした。
見た目にもわかるくらいの症状は、1歳くらいで無くなり、後は3歳くらいまで軽い症状が出る程度でした。それ以降、現在の7歳まで全くアトピーは出ていません。娘はアトピーだったことも、治療を受けていたことも、ほぼ覚えていません。現在も治療中の私には羨ましい限りですが、 本当はこれがあるべき姿なんだと感じます。私の世代では奇跡のような話ですが、これが真実だと松本先生に会って知ることが出来ました。本当はこんなにも単純だったのに、みんなで勝手に複雑化しているんですね。手記を読んでいる皆さんに言いたいのは、1日も早く松本先生の治療を受けることが、1日も早い完治に繋がるということです。
自分の文章が読まれることに気恥ずかしさがあり、今日まで書けずにいた手記ですが、8年たった今も先生は、私のようなただの一患者にこの治療を広める大切さを熱く語ってくれます。先生は、病気で悩みを抱えるたくさんの人が、一人でも多く松本漢方クリニックに辿り着けるよう願っておられると感じました。私は「手記」を全く理解できていなかったこと、自分の勝手な理由から書かなかったことをただただ申し訳なく思いました。
先生にお会いすると私はいつも前向きな気持ちと勇気がわきます。未熟な私にはそれがどうしてかきちんと理解出来ず、まだまだ先生が必要です。こうして手記が遅くなる始末で本当に申し訳ありません。
最後に娘のように、知らない間に完治するのが当たり前の世の中になることを切に願います。
「周囲の人に支えられて」36歳女性2003年12月13日
私は幼い頃から肌が弱く、あせもや湿疹ができることが多かったので、よく皮膚科には通っていましたが、アレルギーだと言われたことはありませんでした。中学生くらいになると、乾燥による痒みを感じるようになり、洗剤による手荒れがひどくなりました。そして、20歳を過ぎたころから、首や肘や膝の裏に激しい痒みを感じるようになり、市販の痒み止めを塗ったり、(肌の状態がひどくなってそれらの薬が効かなくなると、)総合病院の皮膚科で薬をもらったりして過ごしていました。
29歳の頃に病院で初めて血液検査をすることもなく「アトピー性皮膚炎ですね」とあっさり言われ、塗り薬や飲み薬をもらって飲みました。病院には通い続けたわけではなく、症状がひどくなって我慢できなくなると薬をもらいに行っていたのです。数年が経ち、薬を塗っても症状が改善されないようになって、ようやく血液検査をしましたが、その時の結果には異常はなかったのです。それでも、次第に肌がただれた状態になり、首筋の肌は赤黒く変色し痛痒くてたまりませんでした。顔にもその症状が出るようになっていきましたので、当時は、とにかく痒みを抑えたい一心で、ステロイドを含んだ塗り薬や飲み薬をもらい、とにかく痒みを抑えることができれば良いと思っていました。お医者さんには「完治させることは難しいので、うまく付き合っていくように」と言われ、「そういうものなのか」と半ば諦めながらも、段々薬が効かなくなり症状がひどくなっていくような気がして、ずっと薬を塗り続けなければならないことに対する不安がつのっていきました。
そんな私の状態を見て、当時、通っていた大学院の教授が松本漢方クリニックを紹介してくださったのです。そして、最初に松本漢方クリニックに伺ったのは34歳の時(2001年6月12日)でした。あまり予備知識のないままに軽い気持ちで伺ったのですが、診察までの間に患者さんたちの手記を読み、あまりにも壮絶な治療過程を知って、治療を始めるのが怖くなってしまいました。しかし、診察室に入ると松本先生の勢いというかパワーに圧倒され、不安を感じる間もなく「えぇーい、がんばってやる!」という気になっていました。
漢方薬を飲み始めて2週間ほどすると、手足や顔が赤く腫れ始め痒みが激しくなり、次第にそれが全身に広がって微熱が続くようになりました。3週間ほど経つと37~38度の熱が続くようになり、首や耳が腫れ、次に顔が浮腫み、日に日に顔が丸くなっていきました。そして、4週間ほど経ったある日、一日に体重が3kgも増えました。全身が浮腫み、靴も履けず歩くのもままならず、思い通りにならない体と自分でも見るのが嫌になるほど赤く腫れ上がった顔が情けなく、涙が止まりませんでした。
痒くてイライラして眠れない日が続き、「本当に治るのだろうか」と不安で仕方ありませんでした。そんな不安を抱きながら医院に伺うと、必ず松本先生は診察のたびに「必ず直してあげるから!」とおっしゃって握手をしてくださいました。もう、後には引けませんし、とにかく先生を信じて続けるしかない。私には他の選択肢はありませんでした。それでも不安で仕方がないときは、松本漢方クリニックのホームページを開き、先生の書かれた治療方針や手記を何度も繰り返し読んだものです。
薬湯に入るようになってからは、お風呂の時間だけが痒みや痛みから解放される時間となりました。最初は長時間の入浴が苦痛でしたが、次第に、好きな音楽を聴きながらリラックスできるようになりました。ほとんど眠れない日々が続いていましたので、お風呂の中でうとうとできる時間がとても幸せに感じました。そして、つい朝までお風呂の中で過ごしてしまう日が増えたのです。
顔から足の先まで、全身に赤い薬を塗らなければいけない日々はつらく、お風呂から出ると歯を食いしばりながらピリピリと痛みが走る全身に薬を塗っていました。ただれて真っ赤になっている顔に赤い薬を塗り、真夏だったにもかかわらず、薬でベトベトになった体に長袖のシャツ長袖の服を着て出かける毎日でした。部屋中が漢方薬の臭いでいっぱいになり、家具や建具は油で汚れたようになってしまいました。
治療を始めて4ヶ月経つとピークは過ぎたようでした。それでも常に全身が痒く、仕事から帰ると1時間ほどは全身を掻きむしり、ボロボロと古い皮膚を剥がすのが日課になっていました。「皮膚を入れ替える」と松本先生はおっしゃいましたが、まさにそんな状態でした。何をするのも億劫になって食欲もなくなり、一気に体重が減りましたので体力がなくなっていることも実感し、無気力になってしまいました。ほんの少しずつ症状は治まっていきましたが、時々小さなリバウンドはあり、ヘルペスができて耳の下から頬と首のあたりまで広がり、熱が出て痛くて痛くて眠ることができなくもなったこともありました。本当に治るのかと不安になって、どうなってもいいと自棄になったりもしました。
1年を過ぎたころからは薬を塗る回数も量もずいぶん減り、1年8ヶ月程経った頃には、首や顔など痒みの残っている部分だけに薬を塗る程度になり、やっと化粧もできるようになりました。いつもただれて赤黒くなっていた首筋はきれいになり、肘や膝の裏も健康な肌になってきました。そして、治療を始めて1年10ヶ月を過ぎると、やっと痒い部分がなくなり、首や顔の肌もきめ細かく健康な肌がもどってきました。今では何も気にすることなく化粧をしたり、洋服を選ぶことができ、長年の悩みから解放されてとても爽やかな気持ちです。
今思い返すと、本当に辛い毎日でした。それでも何とか「焦らず気長にがんばろう」と自分に言い聞かせて治療を続けることができたのは、診察が終わると必ず握手をしておっしゃってくださる「絶対に治してあげるから!頑張りましょう!」という松本先生のお言葉があったからです。誰に会うのも嫌だと思うほど情けない顔をしていた私に、「どんなお化粧よりもその笑顔がすてきよ」と優しくおっしゃってくださった看護婦さんの言葉が今でも忘れられません。家族や友人にもずいぶん心配と世話を掛け、外に出るのが億劫になっている私の代わりに買い物や食事の準備や病院への送り迎えをしてくれたり、薬を取りに行ってもらったり、と惜しみなく協力してくれたのです。そして、真っ赤に腫れてただれた顔で出勤していた私を、温かく見守り励ましてくれた職場の先輩や同僚にも感謝の気持ちでいっぱいです。いつも親身になって協力をしてくれ、改めて周囲の人々のありがたさを感じました。最初に松本先生を紹介してくださった教授も、いつも私の治療の進み具合を気にして声を掛けてくださいました。
振り返ると、周りの方々の温かさや優しさがあったからこそ、ここまで続けてくることができたと改めて感じます。私一人で乗り越えるにはあまりにも厳しい壁だったと思いますが、皆さんのおかげで頑張ることができました。心から「ありがとうございました」と言いたい気持ちで一杯です。
「松本先生の言葉を信じて」32歳男性2006年5月14日
私は、2002年の12月に松本先生に診察を受けて、3年5ヶ月ほど、経ちます。今年の3月の検査で、IgEの値が18.000と聞き少しほっとしています。驚く人も少なくないと思いますが、最高値は66.300まで上がったのです。先生にもいままでに80.000まで上がった患者がいたけど、それに次ぐ程の値と言われました。
02年12月に2.121、’03年10月に6.120、’04年4月に7.240、’04年10月に23.950、’05年4月に66.300とリバウンドし続けました。子供の頃からアトピー性皮膚炎や喘息に悩まされていましたが、近所の医者で塗り薬を出され「そのうちに治るだろう」とあまり深く考える事無く塗り続けていました。
それが、これ程のリバウンドを起こしたのです。とてもおろかな事をしたのだと、後悔です。
私には2つ年上の姉がいます。その姉が、毎日の様に薬を塗っている私に「その薬を塗っていても治らないよ!完全に治す気があるなら絶対に治すと言う医者を教えてあげる。」と言われ、半信半疑で松本漢方クリニックに通う事になったのです。姉からリバウンドのきつさ、煎じ薬のまずさ、など驚かされていましたが自分はそれ程ひどくならなにだろうと、甘い気持ちでいました。
初受診の後先生に、インターネットをしっかり読むように言われたのに、すぐに読まず先生に怒鳴られました。松本先生が「絶対に治してやる!」と言ってくれているのに、自分がこれでは・・・と反省して、先生を信じて治療をしようと決めました。
3年半ほどの間に、ヘルペスで救急病院に走ったり、10日間程熱が少し上がり、だるい日が続いたり、膝、肘の内側がかゆみを通り超えて痛みで寝ずらい日が続いたりと、きつい事がありました。いろんな事を乗り越えて、やっとIgEの値が降下を始めたのです。松本先生の言葉を信じた事は間違いではなかったと、ほっとした気持ちが今の本当の心境です。でも、やっと18.000なのです。これからまだつらい日々が続くと思います。「絶対に治してやる!」と言う松本先生の言葉を信じて治療を続けていきます。よろしくお願いします。