「松本先生、ありがとうございました」17歳女性2006年3月16日
私がはじめて松本漢方クリニックを訪れてから、もう5年の月日が経とうとしています。
アトピーは小学校1年生の時に首の後ろにポツン、と2センチくらいの湿疹が出たのが始まりでした。それが、ひじやひざの関節の後ろ、首、終いには全身へと広がっていきました。近くの皮膚科に通って、ワセリンや、ひどい時は弱いステロイドをもらって塗っていました。
それでもなかなか良くならずに、淀川キリスト教病院に変えました。そこでは、顔にもステロイドを塗るように言われ、私と母は疑問に思いながらも、1年ほど塗りました。塗っても塗っても一向に良くなる気配もなく、私はこのまま一生こうやってアトピーと付き合っていくんだな、と思っていました。
そんな時、母から「ステロイドを一切使わない、漢方治療でアトピー治す病院がある」と聞かされたのです。さっそく母に松本漢方クリニックのホームページを見せてもらい (その時は今と違って、画面が黒色で統一された、見るからに恐ろしいページでした) 、その治療法やステロイドの副作用について、さらには患者さんの壮絶な闘いが綴られた手記も読みました。6年生だった私は、正直、自分も手記のようになるのが怖くて、すぐに決断が出せませんでした。「中学になったらする」と母に言って、とりあえずはまた、ステロイドの日々を送っていました。
そして中学に上がり、一段落した中1の夏休み。ついに私の治療の日々が始まりました。その時の私は、これから起こる恐ろしいリバウンドよりも、治った後の期待のほうが大きかったです。それでも未知な漢方治療に、やっぱり不安はありました。
初めて松本先生に会った時、「絶対治してあげる」と言って、私の手を強く握ってくれました。この先生なら信じられるかも、と思えた瞬間でした。
家に帰って、さっそく漢方のお風呂や飲み薬、塗り薬・・・と、家中が漢方独特の匂いに包まれました。まずお風呂の色に驚きましたが、私は治療中ここが一番落ち着く場所になりました。
何週間か経ってもあまり変化は起きず、「リバウンドって、こんなもんなんかなぁ?」なんて思ったりもしました。しかし、着々と身体の中ではリバウンドのための準備が始まっていたのでしょう。だんだんと顔も赤くなりだし、痒みも以前よりひどくなってきました。
そして治療から3ヶ月が過ぎた10月の半ば、爆発するようにリバウンドが始まったのです。
私は9月の半ばまで学校に行っていましたが、とうとう行けなくなりました。まず朝ベットから起き上がることが闘いでした。はがれる皮膚、溢れ出す黄色いリンパ液がパジャマにひっついて、身体が引き裂かれるんじゃないかと思うくらいの激痛。皮膚同士もひっついて乾いて硬くなり、伸ばすこともできない。毎朝、母が「今日は、どう?」と言って起こしに来て、二人がかりでゆっくり起きる。起きたらすぐ漢方のお風呂に入ります。その前の消毒がすごく痛い。お風呂につかってほっと一息していると、一面にはがれた皮膚が浮いてくる。それを自分の方に寄って来ないように手で払う。今考えると、汚いものでも何でもないのに、おかしな事してたなぁと思います。しばらくすると母が入って来て、その一面に浮いた皮膚を見ながら、「どう?今日はよく剥けたねぇ。すごいなぁ。きっと、どんどん皮膚が生まれ変わってるんよ!」と嬉しそうに言います。
一晩分のリンパ液や皮膚を落として、お風呂から出ると、空気に触れて、一気に痛みが襲います。母がすぐに、赤い薬を体全体に塗ってくれます。リンパ液も流れ出して、漢方の匂いと混じって、嫌~な匂い。あんなに赤黒くて汚い身体を、母は一度も嫌な顔ひとつせず塗ってくれました。それが朝一番にする大仕事でした。
母が、私の脱いだものを洗濯する時に、まずバサバサと振るい落とさねばならないほど、皮膚がパジャマにひっついていました。黒いベランダの柵が、一面に白くなりました。
ちょうどその頃、母は仕事をはじめていました。それまでずっと専業主婦だったのに、慣れない仕事を一生懸命して、その帰りに高槻まで出て、私の代わりに薬を取りに行ってくれます。今みたいに真空パックされていなかった二週間分の漢方の薬は、仕事で疲れているのに、すごく重かったと思います。
一日中つきまとう、自分の身体から発せられる嫌なリンパ液の匂い。首を傾げることも、上を向くことも、振り返ることもできない。腕や脚を、曲げ伸ばしする運動さえできない。服を着るのも脱ぐのも、最低5分はかかる。ただ当たり前のことを出来るのが、どんなにありがたいか思い知りました。
夜も同じようにお風呂に入り、薬をつけてもらい、ようやく寝る頃。布団に入って、「あぁ、また今日も生きたんだな。」と思いながら寝ました。
毎日泣いていました。痛みや痒み。変わり果てた自分の身体を見るたびに、惨めで、情けなくって、弱音もいっぱい吐きました。そのたびに母に励まされ、時には叱られました。私も母も、ただ必死でした。
身体は楽になってきましたが、相変わらず学校に行く気にはなれませんでした。そして、だんだんと新しいきれいな皮膚が見え出したのが、2001年の暮れ。勇気を振り絞って、二学期も終わる3日間だけ学校に行きました。約半年ぶりの学校。 みんなに忘れられたかな~と思ってると、あったかい声が待っていました。
それからも治療は続きましたが、前よりも良くなって来ていることは自分でもわかりました。時々悪くなったり、またそのたびに漢方の薬をもらって良くなったり。繰り返して来た5年間。
今、私は高校2年生になりました。もう赤い塗り薬を塗らなくても大丈夫なくらい、あのリバウンドの日々が嘘のように健康体です。
ずいぶん前からよくなっていたのですが、なかなか手記を書くことが出来ずにいました。それは、もう一度つらい日々を振り返るのを、無意識に避けていたのかもしれません。でも、私が同じように乗り越えて来られた人の手記から勇気をもらったように、治療をしようか迷っている人、今治療中の人たちの励みになればと思って書きました。
どうか、つらくて苦しくて絶望的でも、治療を続けてほしいです。松本先生が、会うたびに「絶対治してあげるから」と言ってくださった言葉は嘘ではありませんでした。その手の握る強さに、何度も励まされました。この治療は、時間と、根気と、家族の協力が必要です。ゆっくりでいいと思います。信じて頑張ってください。
たくさんの時間を犠牲にして、その中で失ったものもあります。でもそれ以上に、大切なものを得ることが出来ました。かけがえのない友人、毎日を当たり前に生きていることの幸せ。絶対一人じゃできなかったと思います。色んな人のおかげで、ここまで来れました。
最後に、松本先生や看護婦さん、家族や親戚、友人。そしてお母さん。感謝してもしきれないくらいですが、本当にありがとうございました。
「アトピーで悩む子供達のお母様方へ」18歳女性2004年7月9日
梅雨から初夏にかけて、乾燥注意報が多くなり、アトピーにとって、嫌な季節になってきました。私の娘は、今年大学生になり、今年の4月に、漢方のお薬を卒業致しました。薬を飲まなくなって1ヶ月くらい経ちましたが、腕の内側と首筋の部分に少し出たくらいで、普通の肌の状態にすぐに戻りました。でも、長い漢方生活でした。
松本先生との出会いは、今から9年前でした。娘が小学生の時からお世話になっていた整体の先生の紹介でした。整体の先生はとっても物静かな方で、松本先生もそんな感じの先生と思い込んでいた私達親子は、初めて松本先生にお会いして、あまりにタイプが違うのでビックリしてしまいました。松本先生は大阪芸人の様に、診察中一人でしゃべりまくり、芸人医者という感じでした。タイプはどうあれ、医者として病気を治す志は立派な先生だと感じ、お世話になる事に決めました。
漢方薬を飲まし始めた娘に、リバウンドの影響で、すぐにヘルペスになってしまい、一瞬漢方薬を後悔しました。でも、松本先生を信じると決めたのだから、最後まで信じて頑張ろうと思いました。でも、娘にとって漢方薬は苦痛で、毎日、夜1回しか飲みませんでした。病院では何回もと言われますが、子供には無理です。私は、それでもいいと思っていました。子供によって性格が違うのだから、1日1回でも良いと思っていました。無理に押しつけてもストレスになり、1日1回でもお薬は飲んでいるのだから、それよりも続ける事の方が大事だと思いました。漢方薬を飲み続けている事に対して、褒めてあげて下さい。
漢方は、治るまでにとっても時間がかかります。この9年間、良くなったり悪くなったりの繰り返しでした。娘は「漢方薬を飲んでいても、アトピーは治らない。」と思っていた時期もあったようです。でも親が、こんな風によくなっていると説明してやる事で、納得していました。事実、娘の皮膚は、アトピー独特の黒ずんだ皮膚ではなく、みずみずしい肌です。赤いお薬を毎日きちんと塗る事によって、黒ずんだ皮膚にはなりませんでした。人によって、個人差はあります。でもきちんと続けていれば、みずみずしい皮膚に戻りますから、皆様、頑張って下さいね。
後は、便秘に気をつけて、睡眠をよくとり、ストレスを溜めさせないように気をつけて下さいね。毎日の生活習慣と、松本先生の漢方薬で、一人でも多くのアトピーのお子様が早く治ります様、祈っています。
「喘息とアトピー」匿名希望17歳2004年8月27日
3歳の時に、小児ゼンソクで入院。その後、小学校卒業する頃まで、小児ゼンソクの治療で、近所の小児科へ通院していました。当時、毎年1回の血液検査を受けていたのに、「スギやハウスダストに、注意するように」言われただけで、IgE抗体の言葉さえ分からず、又質問もせず(すぐに怒る先生でしたので)、ただ医師の言われるままの治療をしておりました。(気管支を広げる錠剤を、毎日朝晩飲む。発作が出たときにと、吸入器を渡される。)アトピー治療で、松本漢方クリニックに行き、始めてIgE抗体の意味を知り、ゼンソクもアトピーも、出るところが違うだけで、アレルギーだと言うことを知りました。(その当時の血液検査の数値を見ると、8年あまりの治療にもかかわらず、現在の数値と変わっていません)
でも小学生の高学年あたりから、風邪をひいてもゼイゼイといわなくなり、その内に、自分の判断で、通院するのをやめました。
中学生になり、ゼンソクの症状も全く出なくなり(今思うと、治ったからじゃなかった)、元気に過ごしていた3年の夏、アトピーが出始め、近所の皮膚科で診察してもらうと、「ストレスをなくし、掃除をこまめにして」、挙句のはてには「布団まで変えたら」と、カタログまで渡されました。そして処方される塗り薬を、ステロイドの怖さも認識しないまま塗りつづけました。(包帯まで巻いて。あの包帯が黒く変色していたのは、汚れだけではなかったのか)最初は綺麗に直るのですが、段々と塗っても治らず、病院を代えました。
2番目の病院で、最初の塗り薬がきついステロイドだったと聞かされ、「貴方は普通の人よりは軽い方のアトピーなので、とりあえず、ひどい部分にステロイドを塗って、他の部分には、ステロイドが入ってない薬を塗りなさい。それでキズが無くなったら、ステロイドの方は、塗るのを止めなさい」と言われました。「これは、一番軽いステロイドなので、少量なら、そんなに心配する事はないです。」と丁寧に説明して貰ったので、安心して通院をしていました。
でも、結局は同じ事でした。「こんな事をしていては、駄目だ。」と、インターネットでいろいろ調べ始め、ステロイドの本当の怖さを知り、知人の勧めもあって、松本病院に行こうと決めました。
平成16年3月から、松本漢方クリニックに通院しています。初めて受診する前に、松本漢方クリニックのホームページで、先生のお話やアトピー患者さんの手記を読み、リバウンドの苦しさを覚悟して、治療を始めました。
思っていたとおり、リバウンドの症状が、顔と手足以外に出始めました。覚悟していたとはいえ、あまりの醜さ(体中がデコボコ)に正直ショックで、それに毎日1時間近くの入浴、赤い塗り薬で服は汚れる、飲みづらい漢方の茶(今では、1番煎じ2番煎じと、苦も無く飲めます)と、つらい毎日でした。でも「これで、綺麗になれるんだ」と自分を励ましていました。
2ヶ月くらいこの状態が続いたと思いますが、日に日にキズがなくなり、綺麗なってきていました。
3ヶ月ごろには、お風呂も週末だけで、塗り薬もあまり塗らなくなり、後は肌黒いのが白くなってくるだけだと思っていたら、何と、首がものすごく痒くなりだしました。梅雨の時期で、「汗をかくから、しょうがないか」と思っていたら、一気に、体中リバウンドの症状が出始めました。1度目の時には出なかった首や脇の下が特に酷く、肌もゴワゴワして、どす黒く、とても落ち込みました。
6月の診察日に、沈んだ気持ちで診察室に入ったら、松本先生が「お~出たか、波があるからな。大丈夫やで、絶対綺麗に直したるからな。」とあっさりと言われ、ちょっと拍子抜けでした。
あれから又3ヶ月経ちますが、今はキズの範囲も少なくなり、少しは落ち着いてきました。でも、痒みはあいかわらずあり、掻くと、すぐに肌がデコボコになり、まだまだ我慢の日々です。
あと何度リバウンドが出るのか、何ヶ月で完全に治るのか、焦らずにと思うのですが、やはり気になります。
「アトピー手記 中間報告」11歳男性2006年7月14日
生まれて間もなく顔に湿疹が出てきました。
そ後湿疹は全身に広がり、しょっちゅう掻きむしっていました。幼稚園に入り、少しマシになりましたが、あまりかゆみは引きませんでした。スクールキャンプは、何故かあまりかゆくはなりませんでした。小学校入学後、健康診断で皮膚炎と鼻炎と診断されたため、水泳の授業に参加する為に治療済証明書を貰ってきなさいといわれ近所の皮膚科へ行きました。耳鼻科へも行きました。ある日、知人から「家の子はステロイド塗ったら治ったよ」といわれステロイド剤を塗り始めました。ステロイドは、塗り始めはよかったのですが、しばらくすると皮膚が紫色に染まり、硬くなって象のような皮膚になってしまいました。それを原因に一度は中断したのですが、4年生になってすぐ悪化して、またその皮膚科へ通いました。皮膚が液第にヴチュヴチュしてきて、医者に診てもらいましたが、「異常なし」の一言でした。しかし、体育祭の日、11時頃38、7度の熱でダウンし、内科へ行つたらあの同じ皮膚科を紹介されました。診断結果は、ヘルペスでした。-週間で治りましたが、膿がでて、かゆくても掻けず完治後も乞帯を巻いて通学しました。そんな中2004年(4年生)10月、高槻にアトピーを治してくれるお医者さんがいると聞き10月27日その病院へいくと、松本漢方クリニックという名でした。先生の第一印象は、マギー司郁でした。ドブのような煎じ薬と、真っ赤な軟膏,1時間入らないといけない入浴剤でした。薬は不味い軟膏は服につく、風呂は退屈だった。でも、先生は、何時でも「必ず治るから」と握手してくださって、自分でも自信がもてました。事実、1年8ケ月通い続けた今、全体的に(特に外見が)良くなりました。これはあくまで中間報告ですが、これからも通い続けて治療に励みたいと思います。
息子は幼稚園に入った頃から、手足の関節の部分だけアトピーが出ておりました。昼夜関係なくいつも掻いている状態でした。
とくに寝る前などは、酷く掻きむしっておりました。
それを見ては「掻いてはだめ」と怒っていました。
どうにか治してやりたいと思いつつ、何もしてやれない自分を責め続けるける日々でした。自宅近くの皮膚科で処方された薬を塗り、続けても一向に良く、ならず、毎日悩んでいました。そんな時、インターネット松本漢方クリニックの事を知り、
早速行ってみると、とても早口で、お電話される先生で「治してあげるよ」と言っていただいたのをよく覚えております。治療方法は、まず皮膚の傷を消毒して、漢方湯に1時間入り、紅い薬を塗ると言うものでした。
最初は消毒するのが、痛くて泣いて逃げ回っていましたが、それも2ヶ月程で慣れ漢方湯も、1時間入ってくれていました。松本先生言われる通り、治療を続けていると一進一退のくり返しが続き、小学1年生になる頃には、あまり掻かなくなり、皮膚も少しずつきれいになって行きました。と同時に風邪をひくと、咳がひどく、喘息を起こす様になったのです。
アトピーが少しましになって、中断してしまいましたが、まだ完治していないので、最後まで治療を続けたいと思っております。
松本先生どうかこれからも宜しくお願い致します。
手記を書くのが大変遅くなりました事深く反省しております。
本当に申し訳ございませんでした。
「アトピー中間報告」匿名希望19歳2006年3月18日
2005年1月から、松本漢方クリニックでお世話になっています。バイト先で知り合った方に紹介してもらいました。
私は、幼い頃からアトピーで、小学生高学年の頃には、鼻炎、喘息の症状もでていました。
高校生の頃には結膜炎にもなりました。昔から、飲み薬や塗り薬、病院からだされた物を毎日真面目に使ってました。
松本漢方クリニックに来た頃は、顔は真っ赤でしたが、体はほとんど症状もなくきれいでした。でも体がきれいだったのは、ステロイドを使っていたからです。顔も一番弱いステロイドを使っていました。自分の使ってる薬がどんな物か全く知らず、医者を過信していました。
松本漢方クリニックでのアトピーの治療ででてくる症状は、私も多くの患者さんが書いているとおりなので、書くまでもないと思います。私はアトピーの症状が強くでてるのに、リウマチになったり、髪の毛が2/3くらいはげたり、手のひらや、足の裏まで皮膚がさけたり、本当に自分が腐ってしまうんじゃないかと思うような日々でした。
家族皆の賛成で松本漢方クリニックの治療を始めた訳ではないので、いろいろありました。私は、親がもっと病院を調べて、本気でアトピーを治そうとしてくれてたら、こんなことにはならなかったなんて、勝手なことを思ったりしましたが、私ぐらい重症の人は、長期間1人で治療生活を送るのは無理なんじゃないかと思うので、家族の協力は大きかったです。
05年1月のIgE値は、4810、ピークは24120でした。
06年3月現在、8千くらいまで下がりましたが、これから花粉の時期なので、またひどくなったりして、完治まではまだ遠そうです。
手記は、松本漢方クリニックで治療を始めるのを考えて迷ってる人のためにあると思うので、知っておいたほうがいいかな、と思うことを書きたいと思います。まず、私の住んでる家は賃貸なのですが、ホーローで、漢方の入浴剤の色がついてしまいました。ステンレスは大丈夫みたいです。薬はだいたい二週間分ずつでて、家が遠い人は送ってもらえます。
何が言いたいのかよくわからない文章になってますが、このへんで中間報告を終わりたいと思います。
4月から環境の変化もあり不安ですが、治るまでよろしくお願いします。
息子を連れて松本漢方クリニックの扉を叩いたのは、今から3年前になります。
平成20年2月27日。当時6歳でした。
最後の病院にたどり着くまで、そこまでの道のりは本当に険しく大変なものでした。生まれて間もなく顔、体中に湿疹。特に顔はジュクジュクしていて「可愛らしい赤ちゃん」の顔には程遠いものでした。お風呂の回数を増やしたり、着替えを頻繁にかえたりしても状態は全く変わりませんでした。
そして、程なく皮膚科へ。腕のいい医者だと評判の(当時)
ありきたりの軟膏(リンデロンとサトウザルベ等混ぜたもの)と飲み薬。
これが悪魔の薬の始まりでした。2週間に1回通院しなくてはいけなくなり、仕事もしていたのでやりくりも大変なものでした。でも子供の健康には代えられません。愚かな私は5年もの間まじめに通い続けました。
確かに薬を塗っていれば症状は良くなり、安定していました。
皮膚の病気で皮膚科に通う、そして先生に処方される薬をつける。飲む。
何を疑うでしょう?先生を普通に信じて通うだけです。患者なのですから。
これが一般の患者だということです。
何も知らないとは無知であり、罪なのです。この現実を知るのにそれ程時間はかかりませんでした。
どうして、良くなっているのに通い続けなくてはいけないのか?
なぜ薬を塗る間隔を空けると、皮膚がぼろぼろにじゅくじゅくになってくるのか?いつぐらいまでを目途に治療を続けるのか?
医者は何一つはっきり、明確には答えてくれず、対応の仕方にも不信を覚え悪意さえ感じました。
今思えば、ここからが今後進んでいく道の分かれ道だったような気がします。
出口の見えないトンネルの二つの入り口です。
一つは、もしかしたら治るかもしれない道に入るということ(まだ分かれ道はやってきます)
もう一つは、恐ろしいことですがアトピーごときで(今だから言えます)一生を棒に振る人生にさせてしまう道に入ってしまうという事です。
恐ろしいことです。決して大げさに言っているわけではありません。
これが今の医学の現状なのです。皮膚科においてはと付け加えてはおきますが。
松本漢方クリニックの松本先生が口をすっぱくして私たちに訴えられていますが、本当に適切な治療をして正しい薬を使って治してくれる医者がどれだけ見えるのかという事です。
本来、患者は対価を払い治療を受けることができるはずなのに、現実はこの医療業界の権力者たちの思惑にどこまでも利用されています。
言葉は悪いですが餌食にされていると思います。
いわゆるこの憎くき「ステロイド」西洋医学を謳っているすべてといっても過言ではない病院(皮膚科)ではこの薬を使わないところはないでしょう。
幾つかの病院、医院クリニック回りましたが、ひどいところは飲み薬に「ステロイド」です。
弁明のために付け加えますが、この「ステロイド」が本当に死ぬか生きるかを決めなければいけない時にだけ必要な分量使われて助かっている人もみえるという事です。
それは、松本先生の論文やホームページを見れば詳しく書かれています。
本当の意味で正しい医療を受けられなければ、何のために対価を払っているのか意味が分かりません。
こういう分かりたくもない現実を松本漢方クリニックに出会うまでの長男の治療を通じて分かったのです。知ってしまった以上怒りと悔しさ、
情けなさで胸がはちきれそうでした。
長男は薬で抑えられていたであろう幼少期はある意味良かったのですが、私が不信から薬を殆ど塗らなくなり、方法を模索しだした5歳6歳の息子の皮膚の状況は写真を撮ってありますが涙なしでは見られません。正座もできなく、お風呂も入るのに沁みて嫌がり、私の心は張り裂けそうでした。
この時期私はどうしていたかというと、仕事が終わり、子供を寝かしつけるとパソコンに向かい、いい病院・いい情報を得られないかと毎晩検索し少しでも良いといわれる自然食品の店を扱う店でそのものを試してみたり、水を買ったりとか、情報集めに必死でした。
そして、ある週刊誌から名古屋にアトピーを治す病院が掲載されていてパソコンで検索していくうちに『大阪 松本漢方クリニック』にヒットしたのです。
もう無我夢中で先生の論文、治ったと言われた方の手記なるものを読みふけました。不思議なもので、治るかもしれない、ここに行けば治る!!ともう私は一人興奮して舞い上がっていました。
私は賭けようと思いました。地元の名古屋ではなく、大阪に行きたい、行ってみたいとその夜主人に相談しました。
すぐ大阪行きが決まり、念願の松本先生にご対面です。
確かに強烈な人柄の先生でいらっしゃいましたが、治療に関して激烈な想いと安心感を感じたのも事実です。
こんなじゅくじゅくで目も覆いたくなる皮膚の状態を見て「治してあげる」と一言!私が地元の病院に対しての憎悪も不信も間違っていないこと、今の医学界の現状というマル秘?プリントもいただき更に医療業界の汚い世界を少しだけ垣間見たようでした。
松本先生の激烈な熱さは、今の医療業界の現実を知るが故のものなのでしょう。
そして、噂の通り握手もしてもらいました。漢方薬煎じ薬、漢方特有の赤みの塗り薬。お風呂用の漢方薬とどっさりもらって岐路につきました。
毎日漢方薬を煎じ長男の息子に飲ませました。
いえ、長男は覚悟を決めたようにいつも一気に自分から飲み干し、1ヵ月くらいでジュクジュクは治まってきました。
あれだけひどかったのに、ひどいリバウンドは見られなく、夜は痒くて寝られないだろうとお互い覚悟していましたが、お風呂の後の消毒に涙していました。私もなみだ目の息子に鬼のようになって消毒をしていました。本当に時間と共に落ち着いていきました。
小学校の入学で夏を迎える頃までは、体操服も長袖、長ズボンで先生にも友人にも温かく見守られて順調に落ち着いていきました。
本当は長男に関しては、余りにも順調だったため細かくは思い出せないのです。
ただ、やはり、途中とびひになりかけたことがあり、お風呂の漢方の回数を増やしたり薬の種類を増やしたりすることはありました。
長男、次男とともにアトピーの治療を始めたこともあり、先生のお言葉どおり、次男のアトピーのリバウンドが日に日に増して凄くなり次男にかかりきりになっていきました。(次男は現在もう少しですが、完治近くなりましたら改めて手記を出させて頂きます)
1年半を過ぎたあたりから、あまり痒がらなくなり、それと同時に鼻づまりに悩まされるようになりました。
春と秋の花粉が飛散する時期などは特に辛そうでした。
今現在小学校4年生となりほぼ3年生の3月(治療開始から3年くらいでアトピーだったとわからないまでになりました)今は跡形も残っていません。
松本先生には感謝し切れません。そして本人の努力・先生の治療方法と情熱・漢方・私と主人の愛情これのどれが欠けてもアトピーは治らなかったに違いありません!
また、長男次男のアトピーの対応で私が体調を崩し、仕事も止めました。
やはり、漢方治療は保険が利かないので、金銭面を考えると苦しかったです。
(保険で適用できる漢方は全て保険で利くのですが、漢方外用剤などは保険が使えないのです。)
やはり、先立つものはお金ですから。(現実です)
ただ、私のように西洋医学で余計な治療?をせず最初から松本漢方クリニックでお世話になっていれば、ここまで金銭面も辛くなかったかもしれません。
よって、治療期間も長くなってしまいました。
都道府県にも依りますが、現在、乳児医療や子供医療で西洋医学の病院では年齢に応じて無料で治療を受けられますが、正しい治療を受けられてこそ活きたお金の使い方です。
いくら無料でも正しい治療で根本的に治らなければ治療を受ける意味がありません。
今後ともよろしくお願いいたします。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
子供は生まれて6ヶ月頃からほっぺたが赤くなり痒がるようになりました。
「あっ、アトピー!?」と思いました。
実は私も生まれて6ヶ月からアトピーが出たのです。今もまだ治っていません。
この子も私と同じアトピーで苦しむのかと思いました。
近くの皮膚科へ行ってもやっぱりステロイド。
少しはマシになるけどまた再発。ステロイドもきつくなる。
このまま私と一緒ステロイドを塗り続けるのかと思いました。
それから半年くらい後、主人のいとこに、アトピーを治してくれる病院があると松本漢方クリニックを紹介してもらいました。そして薬のお風呂、赤い軟膏、煎じ薬の日々が始まりました。先生の所にお伺いした時には、ほっぺた、おでこ、ひざ裏にも湿疹がありました。一年ほど続けました。おでこの湿疹は一時とってもひどくなり夜中痒がり夜泣きし、本当に大変でした。でも、きれいになりました。夏になるとひざ裏とおしりがひどくなりました。汗をかくと痒がりました。
涼しくなると出来なくなるので自然とやめてしまい、また汗をかくころになると先生にお世話になっていました。そのうち、ひざ裏だけでなく、ひじの裏にもでてきました。「えっ、治ってないの、ひどくなっている。やっぱりアトピーは治らへんの?」と悲しくなりました。やめようか迷いました。
でももうその頃は治療を初めて5、6年経っていました。今更、またステロイドに戻るのは嫌!!信じて前に進むしかないと思いました。
涼しくなるとマシになるので:夏場だけの治療になっていましたが数年経つとひざ裏はあまりでなくなってきました。
今年の春から中学生になり、環境の変化のストレスからか初めて首の周りに湿疹ができ、とてもひどくなっています。けれど今汗をかく事も多いですがひざ裏、ひじの裏はあまりでていません。もう少し続けると、体中からアトピーが出なくなるのではと思っています。服やパジャマが軟膏で赤くなりべとべとになったりもしていました。毎日薬を煎じるのが面倒な時もありました。
本当に治るの?と疑問に思ったのも事実です。
だいぶ時間はかかっているけど、よくなったら治療をやめていたからと思います。ずっと続けていたらもっと早く全快していたかも...
もうしばらく子供と二人でがんばります。
僕が松本漢方クリニックに通い始めたのは、中学3年の春でした。僕の場合、大腿の辺り、膝の裏などに皮膚炎の症状が出ていましたが、ここに来られている多くの患者さんほどひどい症状ではありませんでした。
元から卵アレルギーでもあった僕は、幼少時に除去食でアレルギー反応はなくなりましたが、ずっと膝の裏、大腿の辺りが痒く、幼稚園の時にはアレルギー体質から中耳炎にもなりました。
小学校の頃、余りアトピーは出ていなかったのですが、中学に入ってクラブに出て汗をかくようになると、顔にニキビが出て、膝の裏大腿の辺りに皮膚炎の症状が出てきました。
母は、僕が幼少の頃、ステロイドの少し入った薬を使っていましたが、小学校の頃にステロイドを使うことに害があるということを知り、塗ることは無くなっていました。ただ何処の皮膚科でもステロイド入りの薬しかもらえませんでした。
そんな時に、知り合いが昔通っていたという松本漢方クリニックを教えてもらいました。渡されたのは、煎じ薬と赤い塗り薬でした。そこから丸々3年間、高2の終わりまで、ずっと煎じ薬を飲み、赤い薬を塗っていました。
ここにきている患者さんの多くは、僕よりも症状が酷い方が多く、三年もかかるとは思ってもいませんでした。思ったよりも時間がかかったことはかかったのですが、完全にアレルギー反応は無くなり、膝の裏を掻いてアザのようになっていたのも完全にきれいに治りました。
今まで色々な治療をしてきましたが、アレルギーの治療は殆んどアレルギーから身を守る様な治療法でした。ここでの治療は、アレルギーを体から除去する余り無い治療法でした。
僕でも3年かかったのですから、皆さんも根気よく松本漢方クリニックに通って治療に励んでください。
娘の治療を始めたのは、11歳・5年生の夏でした。生後3ヶ月で、ヘルペスにかかり、顔が分からなくなるほどで、もう少しで入院でした。その時の治療は、抗生剤の服用とイソジン消毒法+塗り薬でした。その塗り薬は、はっきりとしませんがおそらくステロイド剤だったとおもいます。6ヶ月頃からは、鼻水がとまらない、熱はすぐ出る、風邪をひきやすい…・・7ヶ月頃からは、おむつかぶれがひどくなり、小児科ではアンダームを処方してもらい、塗っても治らず、首をひねられるばかりでした。夜は、2時間寝ては、泣いて起き、寝かしつけ、また2時間すると起きるの、繰り返しで、朝方ぐっすり眠り朝寝坊、晩は遅く寝るので悪循環でした。私達、親はもうくたくたでした。そんなことを、繰り返しながら、2歳の頃、別の小児科で、「とにかく、夜眠れるようにしましょう。発達にも影響がでますから。」という事で、抗アレルギー剤のセルテクトを朝・晩、毎日服用することになりました。本当に、ほっとしました。やっと、話を聞いてくれる先生がいてよかったと思いました。鼻水がよくでる、花粉の時期には、点鼻もしました。また、手の指先などがぐじゅぐじゅとし、皮膚科で接触性皮膚炎といわれました。様々な塗り薬を試しました。背中もぷつぷつと痒みのある湿疹があり、ワセリン、マイザー、もうひとつ何かの混合塗り薬を背中に塗っていました。これは、かなり濃度が薄いので安心して良いとのことでした。それでもステロイドは怖いと思い、3・4日縫ってはまた3,4日間あけるということをしていました。間隔が延びてくれるのではないかと思って。一進一退を繰り返しながら、3歳ころに、風邪をきっかけに喘息が出るようになりました。テオドールを毎日服用しました。頭も痒がるようになり、リンデロンのローションを塗りました。4歳の頃が、喘息のピークで、吸入にしょっちゅう通院しました。喘息用のホクナリンテープもよく貼りました。幸い、点滴や入院にまでには至らず、良かったなと思います。同時に、アレルギー性結膜炎、滲出性中耳炎、アレルギー性鼻炎もあり、眼科・耳鼻科、小児科をめまぐるしく通う日々で、幼稚園も滲出性中耳炎、アレルギー性鼻炎もあり、眼科・耳鼻科、小児科をめまぐるしく通う日々で、幼稚園もしょっちゅう休んだり、遅刻・早退したりでした。とにかく、鼻づまりがきつかったです。点鼻薬は、フルナーゼなどで、いろいろでました。なかなか効かなくて、鼻とうりをよくする、名前は忘れましたが、チバガイギーの点鼻を手放せませんでした。この薬はとても心配でしたが。5歳になると、喘息は少しましになったものの、アトピーが悪化し、混合の塗り薬に加え強い塗り薬も使用していました。これで良いのかと、いつも疑問に思いセカンドオピニオンとして、いろいろな先生のところに、伺いました。どの先生も、今できる100%の治療だとのお話でした。小学校に上がる頃、ハウスダストと花粉が抗原という検査結果が出ていたので、布団などにも掃除機をかけ、学童期ということもあって喘息はかなり落ち着いてきました。ただ、アトピーと花粉症の症状は芳しくなく、風邪もまだまだひきやすく、また、のど痛から学校を休むことも多かったです。また、4歳頃に副鼻腔炎にかかり、それに気がつくのが遅く頭痛が頻繁に出るようになり、抗生剤と痛み止めをよく服用していたので、これも心配でした。3年生のときに、小児科の抗アレルギー剤も卒業したので、漢方薬を用いて治療する皮膚科の先生を教えていただき、小健中湯を服用しました。これで、風邪は随分とひかなくなったように思います。そうしているうちに、喘息の出ない時期が続き、テオドールも卒業しました。小児科の服用がなくなると、薬が重なることがないというので、神秘湯を服用しました。これで、喘息も全くと言っていいほど出なくなりました。そうしながらも、塗り薬はステロイドを使用し続けました。効かなくなったり、アトピーの出る場所が変わっていったりで、1週間おきに通院なので子供も嫌がり始め、また、漢方薬は粉でかなりの量があるので飲みにくくサボることも多かったようです。喘息がすっかり息をひそめてしまったので、私も安心してしまい、アトピーには、あまり目を向けていませんでした。5年生頃になると、膝にぼこっと硬いしこりのようなものができ、そこにストロング級のステロイドを塗り、塗ったところはアトピーが消えでも、別の所に出てくるという、いたちごっこになっていることに気づきました。それでも、大人になり体力がつくと治っていくかも、という気持ちでいました。5年生の7月、友人とかなり遠くのプールへ自転車で行き、帰ってきたときは、暑さというものを超え真っ赤な顔をし、全身もステロイドを塗らないと治まらないほどでした。この時にやっと気づきました。喘息が消えたのではなくて、アトピーに変化しただけなんだと。これでは、きっと、大人になっても絶対に治らないだろうと。漢方薬を飲むのをかなり嫌がっていたので、おそるおそる、松本先生の話をしてトライしてみる気はないか、尋ねてみました。子供も、「治せるのなら、やってみたい。」というので、夏休みに、松本先生を訪ねました。先生には、この病院を知っていてどうして10年も連れてこなかったのかと、随分しかられました。子供は、半信半疑で先生の話を聞いていたようです。「絶対に治したるから、頑張れ」という先生の言葉も信じていなかったようです。とにかく、1週間分の薬を頂きました。煎じ薬は、以前服用していた粉の漢方薬に比べると、飲みやすいと言っていました。以前のは、砂糖も混入していて溶かすと嫌な味で、オブラートにすると大きな2包を目を白黒させて、飲んでいたのでこちらの方が良かったようです。ただ、食前だと相当気分が悪くなるようなので、しばらくは食後にしていました。入浴剤は作ってみてびっくり。こんな色のお風呂は、初めてだったので。ただ、入ってみると本人も家族も気持ちよくて、「いいねぇ~」という感じでした。湯あたりが優しくて。顔や髪にぴちゃ、ぴちゃつけて、楽しみました。塗り薬もその赤い色にまたまたびっくりでした。夏休みということで、1週間は、1日3回のシャワーと消毒、塗り薬をしました。7日までは、肌がつるつるになり、「すごいねぇ~、こんなにぴかぴかの肌になって。」と子供と2人で喜んでいました。
先生にも、5日目くらいで次の薬をお願いするときにそのように、お伝えしました。でも、7日を過ぎた直後から肌にがさつきが少しづつ出てきて、あっという間に全身に広がりました。それでも、いつものアトピーのような感じで、本人も私もあまり気にしませんでした。夏ですし、プールにも行きました。汗もかき、肌が悲鳴を上げ始めました。状態が悪くなったと思い先生に電話をしてどうすればよいのかお聞きしました。「そのまま続けて。熱が出るようなら抗生剤を飲ませて。体重を必ず測って、減って来る様ならまた連絡をして。」と、そして困った事や何かあったり、分からないことがあればと、ご自宅の電話番号まで教えて下さいました。本当に心強かったです。滋賀県なので、距離感が不安を一層強めたのですが、いつでも先生と連絡がとれるという安心感で涙が出そうでした。体重がそんなに減ることもあるの?喘息がまた出たら?顔中に出たら?熱がとれなかったら?何か合併症でも起きたら?あの、ヘルペスで大変だった赤ちゃん時代を思い出されて…とにかく、喘息が戻ってきませんように!と願っていました。夜、寝る前になると体中を「かいて~かいて~」と言います。多少では、だめらしくて思い切り掻きました。
夜の暗い中なので、どれだけぐじゃぐじゃに肌がなっているのか怖かったのですが、朝見てみると全く何ともなっていません。本当に不思議でした。でも、これなら安心して本人が納得するまでかいてあげられると思いほっとしました。朝、私の爪に、塗り薬が茶色くなって残っています。とにかく、ばい菌を寄せ付けないように、消毒には念を入れました。シャワー前の消毒はシャワーでさっと流せば良いので楽ですが、シャワー後は大変でした。ほぼ全身がガサガサなので、塗るのも拭き取るのも一仕事でした。子供は赤色の塗り薬の匂いが嫌らしく、鼻をつまんで、あまり協力的ではないし、1,2回のことなら大人しく親の言うことも聞きますが、何日も続きすぐには、効果が目に見えて出ないとなると嫌になってしまったようです。見た目には、どんどん悪化していきました。これがリバウンドなのかなと…1ヵ月後位が、思い返すと、ピークだったようです。わき腹に、ハリウッドの特殊メークの皮膚をのせたような、べったりとくっついた壁みたいな、湿疹ができました。これが、猛烈に痒いらしくて今までにはない痒みだと言っていました。寝る前が一層かゆいらしく、のたうちまわります。眠くて、うとうと寝ようとすると、たまらない痒みが襲ってきて、目があいてしまいます。とにかく私は、言われた所を掻いてあげるしかありません。2時間、3時間ずっと掻いて何とか眠れる日もあれば、横にもなっていられず布団に座りだしそのまま気を失うように倒れこんで眠る日もありました。保冷剤で、冷やし続けたりもしました。日中も不機嫌になってきて、始終ご機嫌をとり、何とか前向きに治療に迎えるようにと思いますが、塗らせませんでした。(後で聞くと、こんなにひどいのは、何をしても絶対に治らないと思ったそうです。)2学期は、夜がそういう状況で眠れなくて、当然、朝も起きれなく登校できませんでした。また、学校にはクーラーもないので、汗をかいたときのことを考えると、どうしても行きたくないというので、了承しました。結局、2週間程休みましたので、運動会の練習は全くできず、学校の先生にも説明して理解して頂きました。その頃、本人もいろいろと考えるようになったようで、悶々としている様子に見え、松本先生に本人を連れてお話にいきました。治療としては、このまま続けるということでした。その他、薬の話ステロイドの副作用の事など。親が話しては耳に入れない事も不機嫌な顔をしながらも聞いていました。本人の考えでは、練習も1日もできていないので、運動会は欠席したいとの事で、5年生の運動会は消えてしまいました。運動会に参加できず、辛いだろうけどこれからのあなたの人生をとらないか?と難しい事をききました。本人もうなずいていましたが、やはり、辛かったと思います。それでも、運動会の数日前からポツポツと、登校し始めました。学校にいる間に消毒だけでもと思ったのですが、全然受け付けません。いろいろと、気にする年頃のようです。昼夜逆転で、3時、4時まで起きている事もあり、朝までTVを見る事もありました。1度はやってみたかったらしいのですが、面白い番組もなく、夜9時に眠れる幸せを感じたそうです。辛い経験だとは思いましたが、何かを掴んで頑張ってほしいなとも思いました。 毎日毎日、数時間かきながら、いろいろな事を話しました。松本先生からお聞きした薬の事など。ステロイド剤や抗アレルギー剤の使用で、よけいに悪化したこととか、その治療を続けても完治しないことなど。「ふ~ん、ステロイドって、麻薬みたいやなぁ~」と言っていました。そのせいか、どんなに辛くても私の方が堪えられずに、「やっぱり、止めようか?」と、掻いてあげながら聞くと、「絶対にやめない!」「もうステロイドはいや!」、と必ず答えました。ず~っと、あきらめていたんだそうです。私の病気は治らないと。学校の先生も心配して様子を見ていて下さったようです。「ブランクも感じさせず、勉強も友達関係も良好です。」との事で、ほっとしました。例のわき腹の壁も徐々に気がつくとなくなっていました。同時に、背中に鳥肌のような湿疹が出てきました。むずむずするから、掻いて~と言うところを掻いてあげると、それがどんどん浮き上がってきて、湿疹のぼこっとしたものになってきます。次から、次から、出てきました。肩、腕、足と場所を変えていきました。本当に湿疹のモンスターのようでした。退治しても退治しても、やってくるような。子供の皮膚の内側から溢れ出てきたようでした。この頃、いつになったら、先生から手記を書いてと言われるのだろうか?早くそうならないだろうか?と思っていました。それが、一つの私の目標となっていました。あんな事も書きたい、こんな事も。7ヶ月で、叶うとは思いませんでした。少し涼しくなると、やっと落ち着いてきましたが、秋口になり、今度は花粉の季節となりました。花粉症の鼻水・アレルギー性結膜炎・咳・喘息はほとんど出ませんでした。その代わり?なのか、
アトピーはまた少し、強くでました。10月中旬くらいからは、アトピーもずいぶん落ち着きました。ほとんど掻いてあげることもなくなり、自分の部屋へ、戻っていくことができました。この頃、治療して2ヶ月目位に、背中からぽろぽろと黒い垢のようなものがこすって、もこすっても出てきました。以前、皮膚は、2ヶ月周期で新しくなっていると聞いたことがあったので、そういえば2ヶ月だし、これは新しい皮膚が出てきたのかなぁなどと思い、子供に言って見ると、「塗り薬でしょ!」と、笑われてしまいましたが…冬には、すっかり落ち着いて掻いてあげる事もなくなり、スキーツアーにも参加出来るほどになりました。IgE値は、8月の初回は、300台、11月が200台だったと思います。3ヶ月毎、受診をしたときに測って頂くのですが、子供にとっては目標となり励みになりました。「今度は、どれ位になっているかなぁ?
今回は、薬サボらずに飲んで頑張ったし。」などと期待していたりします。冬なので、風邪用に葛根湯を頂きました。とても良く効いて熱も出ず、予防接種はしましたが、何とかインフルエンザにもかからずにすみました。のど痛で学校を休むこともなくなりました。7ヶ月目となる3月には、数値が100台になっていました。「もう少し、もう少しだね。」と、子供と喜びました。肌には光55沢もみられるようになりました。良くなっているという実感が本人にも出てきたようです。膝には、かなり硬いできもののような湿疹があったのですが、それもほとんど目立たなくなっています。春の花粉も、鼻水が少し出ると花粉用の薬を服用し、全く気にならずに過ごせるようになり、子供もびっくりしていました。しょっちゅう、鼻血が出ていたのですが、それも収まってきました。「やったぁ、花粉症、治った!!」と、言っていました。夏前の花粉が、かなりきついようで、アトピーが悪化しました。数値も200台に戻ってしまいました。
なかなか、簡単には抜け出せませんが、もう大丈夫と子供も私も思っています。あれほど、嫌がって、私が塗っている時は、鼻をつまんでいた子供が、今は自分から「肌、かさかさするから、塗っとくわ。」言ってくれます。その姿を見て、本当に良かったなと思います。実は、私も赤い塗り薬をクリーム代わり
に、顔にぬっています。手荒れの時に使用するとつるつるになりました。もう、ハンドクリームもいりません。この夏の日焼け後に塗ると、肌が落ち着きました。もう、家族みんなが手放せなくなっています。「去年の夏は大変やったけど…・」と、笑って言ってくれます。この夏は、プールに行くとカルキで、皮膚が悪化はしますが、問題ありません。悪化しても短期間で良い状態に戻ります。
生き生きとした子供を見て、本当に良かったと、頑張った甲斐があったなと思います。プール三昧の後、友達の家に泊まりに行く事もできました。夢のようです。ステロイドを持ち歩かなくても良いなんて。顔も、浮腫みが消え輪郭がはっきりとし、すっきりとした表情になってきました。私も家族もやっと、本当の娘に出会えたようです。子供も自信がついてきたように、思えます。まだ、汗やプールのカルキには手こずっていますが、いつか近いうちに平気になると思います。汗だくになって走り回り、これから、青春を謳歌してほしいと思っています。目標は、数値を100以下にすることです。子供と、頑張ります。私達の手の内にある間に何とか、松本先生、ありがとうございました。