アトピー性皮膚炎 20〜29歳の患者さんの手記 その18目次
「アトピー手記」20歳女性2006年11月29日
「アトピー手記」25歳男性2004年9月11日
「アトピー手記」匿名希望25歳2006年4月27日
「アレルギー性皮膚炎」25歳女性2004年12月19日
「アトピー治療記」25歳男性2006年4月18日
「アトピー 喘息 手記」22歳女性2009年8月20日
「アトピー手記」20歳女性2006年11月29日
「アトピー手記」25歳男性2004年9月11日
「アトピー手記」匿名希望25歳2006年4月27日
「アレルギー性皮膚炎」25歳女性2004年12月19日
「アトピー治療記」25歳男性2006年4月18日
「アトピー 喘息 手記」22歳女性2009年8月20日
僕は、物心ついた時からずっとアトピーという病気と一緒に生活をしてきました。昔の記憶はあまり覚えていないのですが、幼稚園に通っている頃は、アトピーで眉毛が無くなったり、二重まぶたが一重になったりしていました。体もガサガサで傷だらけでした。特に関節の裏側や、首など、汗をよくかく所がひどかったです。この状態は確か小学生の低学年ぐらいまで続いていたと思います。ひどい時は、首にタオルをずっと巻きながら学校に通っていました。アトピーが原因でいじめられたこともあります。その時は、普通の病院でもらった薬をお風呂上がりに毎日塗っていました。それがおそらくステロイドだったのでしょう。小学生の高学年ぐらいになると、がらりと変わってアトピーが見た目には全くわからなくなりました。でもかゆみは多少ありましたが、以前ほどではなかったです。この時は、ほとんど薬は使っていなかったと,思います。その状態が中学1年の夏ぐらいまで続きました。中学1年の夏ぐらいに急に両手の甲がひどくなりました。指の関節やらに湿疹がいっぱいできて、かゆくなってかいて血が出て、薬を塗ってばんそうこうを貼って、またかゆくなってかいて、この繰り返しでした。でもこの症状も何ヶ月かすると跡も残らないほど綺麗に治りました。それから、高校1年の半分ぐらいまでは、落ち着いていて、薬も使っていませんでした。中学までのことを書きましたが、あまり覚えていなくて、ひどくて印象に残っていることだけを書きました。細かいことを書けばきりがないです。それぐらい僕のアトピーはひどく、けどいろんな困難を乗り越えてきました。僕は小学校から水泳をずっとやっていて、中学、高校と水泳部でした。中学の時は、手以外はアトピーもそんなにひどくなかったので、水着になるのに抵抗はなかったのですが、高校の夏過ぎぐらいに、体がちょっとひどくなり、顔も多少ひどくなりました。水着になると体を隠せないので、湿疹が少しでもできた時はすぐにステロイドを塗っていました。ひどい湿疹ができた時は、ちょっときつめのステロイドを塗ってすぐに綺麗にしようと、毎日ステロイド漬けの日々でした。顔がひどいのは本当につらかったです。カサカサになって、水泳で日焼けもしているせいか皮がよくめくれました。皮がめくれかけというのがすごく嫌で、お風呂で顔をこすり過ぎて、顔は常に赤みがかってました。そんな感じで高校を卒業しました。卒業と同時に水泳はやめました。大学に入り、水泳もないので、体に薬をベタベタ塗ることは減りましたが、顔だけは隠せないので、顔への薬はあいかわらずでした。そんなこんなでズルズルと過ごしていて、大学2年の11月ぐらいに、耳の下にしこりのような
物ができました。それは気にせず、ほうっておきました。すると何日か後に耳掃除のやりすぎか何かが原因で耳の中が炎症を起こしてしまいました。それと同時ぐらいに両目のまぶたの周りに湿疹ができて、目もパッチリと開けられない状態になりました。病院に行って、耳は外耳炎と診断されました。目はアトピーでひどくなっていると言われました。耳と目と両方の薬をもらい使っていたのですが、全く治る気配はなかったです。顔に塗っていたステロイドも、いくら塗っても治らず、かゆみだけが増してひどくなる一方でした。病院の皮膚科に行ってステロイドの入っていない薬をもらい、それを塗りましたが、1日
も経たないうちに、ステロイドに戻ってしまいました。それぐらいかゆみが我慢できず、ステロイドに依存していたのです。その後も症状は悪くなる一方で、こめかみ辺りの髪の生え際と、耳たぶの裏が湿疹でただれて常に汁が出ている状態になり、最悪でした。枕やシーツが毎朝黄色く染まっていて、寝ている間に無意識にかいたりして、血だらけになったりしていました。そんな最悪の日々が2週間ぐらい続きました。その頃に親も今回のアトピーは、今までで最悪の状態と思って、いろいろどうしたらいいか調べてくれました。知人が昔、漢方薬でアトピーを治したというのを聞いて、ワラにもすがる,思いで場所を聞きました。それで松本漢方クリニックに通院することになったのです。これが12月です。初めて行って先生と話したり、過去に通院していた人の手記を読んだりして、簡単に治るようなものでは、ないことはわかっていたつもりでした。リバウンドは絶対に起きるからと先生に言われ、煎じ薬と入浴剤をもらってその日は帰りました。その日からは一切ステロイドは使わなかったです。次の日起きたらびっくりしました。顔がパンパンに腫れて、真っ赤で、汁がものすごく出ていました。気持ち悪いのですぐにシャワーを浴びました。次の日はもっと腫れていました。ここまでリバウンドするとは,思っていなかったです。親もびっくりしていました。腫れは一週間もしないうちにひいたのですが、相変わらず赤みはあり、汁はでていました。10日ぐらいすると首からも汁が出るようになり、さらに何日か経つと、体のほとんどが像のような肌になり真っ赤になりました。体からは汁は出ていなかったです。最初の1ヶ月はこんな感じだったので、学校も休み、バイトも休んでずっと家にいました。正直、外に出たくなかったです。毎日ひたすら治ると信じて、薬を飲み入浴していました。そして、年が明けて、数日経ったぐらいになると、顔からの汁も首からの汁も出なくなっていました。体も元の肌色に戻りつつあり、それまでは毎日ひどくなっていっていたのが、毎日目に見えて徐々に良くなっていったのです。1月後半からは学校もバイトも行くようになりました。ただその時は病み上がりだったのでしんどかつたです。治ってきたと言っても、アトピーには変わりありません。しかもひどい方でしょう。それからは少しずつ毎日治っていったって感じでした。だんだんできなかったことができるようになってきて、それがすごく嬉しかったです。今では、体だけ見ていたらアトピーとは,思えないぐらい綺麗になりました。それでもたまにかゆかったりしますが、以前に比べたら何とも`思わない程度です。顔もちょっと赤いかなというぐらいで、たまにかゆいぐらいです。ここまで治って本当に松本漢方クリニックに通っていてよかったと思います。まだ完治はしてないのですが、ここまで治ってくれただけで十分だと思っています。僕の手記で、これからアトピーを治そうとしている人が何か得る物があれば、嬉しいです。僕もまだ頑張って治療を続けて必ず完治させます。
それでは僕の体験を書かせていただきます。
僕に初めて痒みが頭部に出たのは、高校生ぐらいのことでした。掻けば微量ですが、ふけのようなものが爪にたまりました。症状としては、僕の場合は、皆さんほど、痒くてたまらないようなことはないでしたが、それでも治りたくて、他の病院へ行きました。
他の病院では、脂漏性湿疹と診断され、その後は、定番のステロイドによる治療でした。幸い、僕の場合は、ステロイドの効果がなかったのか、効いたのを感じなかったのか、わからないですが、あまり変化なく、半年も使わないくらいでやめてしまいました。
そんな時、ちょうどインターネットで、松本病院のホームページを拝見し、一度試してみようと、通い始めました。
そして一年半が経ち、徐々にですが、治ってきた実感があります。後もう少しだと思うので、がんばって、治療に励みたいと思います。
これからも、ご指導の方、お願いします。
私はほとんど生まれつきのアトピーでした。幼い私は何も知らずに、塗ったらかゆくなくなる薬だと信じてステロイドを塗っていました。色々な病院に行った記憶があります。しかしどこでも大して大きな変化はありませんでした。血液検査をされ、卵(特に卵白)アレルギーだと診断され、卵を避けていました。
小学校3年生のころ、ステロイドはよくない、ひどいリバウンドがあるらしいということがニュースになり始めたと思います。そのころ通っていた小児科で、ステロイドを止めて、漢方薬をもらいました。当時は症状に大きな変化はなかったです。
ところが、思春期を迎えた中学生の頃から、それまで出たことの無かった顔にアトピーが出始めました。(それまでは、ひじの裏、ひざの裏、首などの関節で、汗をかく部分だけにアトピーが出ていました。)
そこで当時評判だったとある皮膚科に行きました。そこでは、ステロイドの入った化粧品を販売していました。とろみのある化粧水や保湿剤というものにステロイドが少量入っており、数年ステロイドを使っていなかったためか、症状は見た目には劇的によくなりました。しかしあまりにも高額だったため、近所の病院に病院を変えました。
高校生の途中まで近所の病院に通っていましたが、症状は一向によくならず、それなのに日焼けをするなだとか、シャンプーは特別なものを使えだとか、制約ばかり多くて、非常に精神的にもつらかったです。そしてしばらくしても症状がよくならないということで、医大を紹介されました。
高校2年生から大学1回生の秋ごろまで、医大病院に通っていました。ところが、そこでの患者の扱いはまるでモルモット。大勢の研修医などに囲まれて、アトピーの肌をさらすことは、かなりの苦痛でした。しかも新薬「プロトピック軟膏」を使ってみないか?という話が出たのです。この薬は後にステロイドと同じ副作用が問題になった薬です。しかし当時、「よくなる可能性がある」と言われ、まず「2週間試して改善しなかったら、使用を中止しましょう」と言われました。そして2週間。症状に改善は見られませんでした。ところがそのとき医師は、「もう2週間続けてみよう」と言い出したのです。ショックでした。もう、この医師は信じられない、そう思って、二度とその医大病院には行きませんでした。
数ヶ月、消毒とワセリンだけで過ごしました。しかしよくなるわけもなく、途方に暮れていました。そんなとき、母が口コミで知ったのが松本漢方クリニックです。治った人がいるということで、半信半疑で、一人松本漢方クリニックへ行きました。
そこで松本先生に出会い、「絶対治る。」と言われました。
――治る――
その言葉に涙がこぼれそうになったのを今でも覚えています。一生治らないのではないか?半分投げやりな気持ちになっていた私に、その言葉は衝撃でした。帰りの自転車で、抑えきれない涙があふれました。家で家族に話しても、半信半疑な部分はあったと思います。私も嬉しい反面、やっぱり疑う気持ちはありました。
そして、そこから戦いが始まったのです。闘病という言葉がありますが、まさに戦いだと感じました。治療を始めて1週間は大した症状も出ず、自分は大丈夫なのかな?と楽観視していました。ところが、それは大きな間違いでした。
徐々に酷くなる症状。かいてもかいても、かゆくてかゆくて。一番酷かった治療一年目の自分は、写真も撮れませんでした。指から肘まで腕はあちこちに紫の水泡のようなものができ、全体は傷だらけ、指をかきすぎて爪がなくなってしまったこともありました。血や汁が出るので、夏でも手袋をはめていました。足も全体に傷があり、とにかくかゆくてしょうがなかったです。
でも何よりも辛かったのは顔でした。顔中傷だらけで、誰かわからないくらいに赤黒い顔になってしまいました。まぶたも腫れて、辛くて辛くて、毎日泣いていました。「朝起きたら、急にきれいになっていないかな?」なんてことを考えたこともあります。
精神的にかなりまいってしまい、大学での深くない付き合いの友人とは話す気力もなくなり、学校でも一人で過ごすことが多くなりました。おしゃべり好きの自分がそんなだったことは、今では信じられないですが。
そんなとき支えてくれたのは、やっぱり家族と友達。そして、バイト先の先輩でした。バイト先の先輩に松本漢方クリニックでアトピーを治した方がいて、その方がアドバイスをくれることが、非常に支えになっていました。
一年で体重が12キロも減り、半年間生理もなくなりました。松本先生は「これだけ頑張っているから、ストレスだろう。気にしなくていい。」とおっしゃってくださっていたのですが、生理が止まるのはやっぱり女としては非常に心配でした。半年してきたときは、普段嫌でしょうがない生理がとても嬉しかったです。ストレスが身体にこんなに影響を与えることを初めて実感しました。
ピークだった大学2回生を終え、3回生になったころから、症状が徐々に改善してきました。本当にうれしかったのは、顔のアトピーがどんどんよくなり、写真を撮る勇気が出たこと。夏には海にも久しぶりに出かけました。(松本先生が、「海水浴は治療によい。」とおっしゃっていたのを友達に話したら、友達が誘ってくれました。)症状が改善していくにつれ、精神的にもどんどん楽になり、友達も増え、元の明るい自分を取り戻せました。
よくなってきたこと+忙しさから、漢方のせんじ薬を飲むペースや病院に行くペースが減り、治療が遅くなってしまいました。今現在25歳になっても、まだ治療を続けることになってしまっていますが、もうアトピーの傷はほとんどありません。手も足も、関節部分の皮膚にキメが少し荒い程度です。顔の肌などは、友達に「お肌がきれいでうらやましい。」といわれるほどです。
辛かったあのとき、諦めずに頑張ってよかったと思います。何度もやめてしまおうかと考えました。でも、ここで止めたら今までの辛さが無駄になってしまう、そう思って頑張りました。
「治る!」その言葉を信じて。
今はまだ完治宣言は出してもらっていません。でも、もうすぐだと信じています。(松本先生に、手記を書いてと言われましたし)
この手記を書くために、辛かったことを思い出すのもしんどかったですが、これから頑張る皆様にとって少しでも応援材料になれば、と思って書きました。
“アトピーだから”って我慢していたことを、我慢しなくていいって、すごくプラスだと思います。私は化粧をしたり、髪を染めたり、といった普通のオシャレをできるようになって、とってもハッピーです。
きっと、治療は辛いです。でも、乗り越えればいろんな喜びが待っています。頑張って下さい。
私は、小学生の時から、腕や膝の裏側が痒くなり、かいていました。夏や乾燥する冬場は、特にひどかったように思います。その時は近所の皮膚科に行き、おそらくステロイド入りの薬をもらって、塗っては治り、また痒くなって塗って・・・これの繰り返しだったように思います。
高校生になり、手や足のかゆみはいっそうひどくなり、目の上が痒くなったり、顔に吹き出物ができたり・・と、いろんな症状がでてきました。塗って治っても、またすぐにひどくなって、かゆみが出てくるので、今度は大きな病院に行ってみました。そこの先生達は、私の顔の吹き出物を見て、顔を見合わせて、「チョコレートの食べ過ぎです。」と言いました。「ほとんど食べてない。」と瞬時に思いました。疑問をもちながら、もらった薬を塗ってみたら、目の上が真っ赤に晴れ上がり、大変なことになりました。「これじゃ治らない」と思い、途方にくれていると、母の知り合いの方が、松本漢方クリニックを紹介してくれました。
松本先生は、私の顔を見て、確信をもって「絶対治るから、大丈夫。」と言いました。「ほんとかな?」と思いながらも、松本先生のあまりに自信たっぷりの様子に圧倒され、「信じてみよう」と思いました。食事制限は全くなく、「何を食べても大丈夫」。「痒い時は、がまんすると、ストレスになるから、どんどんかきなさい。」「最後は、絶対きれいになるから、大丈夫。僕を信じてね。」と先生は言ってくれました。
初めて飲んだ飲み薬は苦く、正直、とってもまずかったです。でもこれを頑張ったら、よくなると信じて、飲み続けました。「初めのうちは、今までの悪いものが、全部出るからね。」と言われたとおり、最初のころは、あらゆるところがかゆくなり、「こんなんで、本当に治るの?」と失望する時もありました。でも「全部できったら、あとは良くなるよ。」という言葉を信じて、薬を飲み続けました。3時間の薬湯にも、頑張って入りました。
すると、だんだん痒かったところも、かゆみが無くなっていき、ひどかった傷跡も、きれいに消えていきました。「すごい。本当だ!」と思い、感動しました。これを頑張ったら、きっと、アレルギーは無くなると、確信しました。
今では、体のかゆみは全くなく、顔に出るにきびだけになりました。あと少しで治ると思うと、嬉しいです。アレルギーの数値も、190あったのが、今では、50になりました。毎日飲み薬を飲んで、完治の日を待ちわびています。
確かに、飲み薬はおいしくないし、薬湯に入るのはつらかったです。でも、やると、必ず治ります。本当です。心から治したいと思うなら、頑張って飲み続けてください。松本先生を信じて、大丈夫です。
私の手記が一人でも多くの方の目に留まり、少しでも精神的・身体的苦痛を取り除くことができればと願います。
私は3歳頃にアトピーと端息を発症、幼いころ端息は特にひどく3.4回入院した記憶 があります。松本先生はステロイド注射が最悪の治療法と言われておりました。考えれば、入院中は一度も塗り薬を使用した覚えがありません。全くかゆみがなかったのです。たぶん点滴の中にステロイドが入っていたのでしょう。そんな治療歴を持ち、松本漢方クリニックに出会う大学浪人時までステロイドを使用していました。その頃アトピーは治る病気ではなく、 一生付き合っていかなければならないものだと思っていました。松本先生に「治してやる。」と言われた時は、思わず「アトピーって治るんですか?」って聞きなおしてしまいました。「当たり前や!」とあまりに簡単に断言されてしまいました。それまでに治療をしてくれた医者に「良くする。」とは言われても「治す。」と言われたことがなかったので正直嬉しかったです。治すと断言する医者を疑うのはおかしな話で、私は言われるがままにすぐ治 療に入りました。
治療を始めて3~4日でリバウンドがでてきました。朝起きればリンパ液で髪の毛はギトギト、布団も黄色くなりベトベトでした。母親は顔や指が赤く腫れ、ボロボロに剥がれ 落ちた私の姿を見て泣きそうになっていました。そんな母親にいつも私は「大丈夫やって。治るから心配せんでいいで。」と言い続けました。しかし強気な発言をしたものの正直かなり苦しかったです。表皮が薄くなっているせいか、そろそろ夏だというのに厚着をしないと寒いのです。さらに夜眠れないことが多く、常に倦怠感が伴い、動きたくないというのが本音やったと思います。そんな状態は2ヶ月ほどで徐々に改善され、無事大学にも合格することができました。順調にIgE抗体の数値が下がっており喜んでいたのですが、大学3回生頃から数値が上がり始めました。もう少しで治ると思っていたのでショックでしたが、今までさんざんステロイドを使用してきたし一筋縄ではいかへんよなあ、まあ最終的には治るから上がるとこまで上がれやって思っていたら、数値は上がりに上がって2万3千!ステロイドの恐ろしさを改めて感じました。2回目のリバウンドは1回目以上に辛かったで す。掻きすぎて体中が痛く、夜全く眠れないのです。夜12時頃に布団に入り、朝6時くらいまで痛くてのたうちまわるのです。6時間ものたうちまわると体力の限界になるのか朝6時くらいに意識を失ったように眠ることができるのです。朝7時には起きて大学に行く意をするで、1日の睡眠時間は実質1時間くらいでした。それが約2ヶ月続いたのです。言葉では表現できないほどの苦しさでしたね。この苦しい状況を知っているにもかかわらず母親は毎朝7時に私を起こしてくれるのです。寝かしておいてあげたいというのが母親の本当の気持ちやと思いますが、毎朝ちゃんと起こしてくれるのです。母親も辛かったと思います。そのことを思うと毎日大学に通えたのは母親が起こしてくれたからやと心から感謝しています。そしてその頃東京に単身赴任していた父親は何も言わずに治療費を払い続けてくれました。両親の支え無くして今の自分はないと、恥ずかしながら初めて心から親に感謝しました。現在でも治療を続けていますが、赤前に出られるのです。アトピーでない人には当たり前すぎて、この感動は理解い塗り薬もほとんど塗らないほど状態はよくなりました。薬を塗らなくても人できないでしょうね。松本漢方クリニックに治療を委ねた人はこの感動を得ることができますよ。私はこれからも根気よく治療を続けていきます。最後までお読み下さいまして、ありがとうございました。
私のアレルギー病歴ですが、生後6ヶ月の頃に全身に湿疹が出始め、アンダーム軟膏でいったんは治まり、3歳になってマイコプラズマという肺炎を起こし、一週間程入院しました。その後学童期になってから喘息にたびたびなやまされていたことと、あいかわらずアトピーに悩まされていたので、人づてに松本先生のことをお聞きしましてお世話になりました。
喘息に関しては、大変ありがたいことに先生の漢方が私には大変有効で発作が出ても、煎じ茶を飲めば2~3日内に治まりました。
アトピーについては新芽が芽吹くころに私のアトピーも同じで、漢方煎じ茶で乗り切るようにしてきました。
高校生になり、色々と悩むところもあったせいか原因不明の微熱が一週間ほど出ては下がるということがしばらく続き、私も両親も大変心配し、総合病院で検査してみたら抗核抗体という部分が人よりも高いらしく、将来的に膠原病の可能性もあるので気をつけておくように。しかしながら抗核抗体が高くても問題なく普通に生活している人が大勢いることも事実である。ということだけが分かり、結局、原因不明のままで、ふたたび松本先生におせわになりました。漢方煎じ薬で2年ほどがんばり、その間にいつしか熱もでることなく普通の学生生活をおかげさまで送れるようになりました。
この様に幼少のころから私は漢方に助けられ、今日という日があります。最近はアトピー性皮膚炎が一時的に出ますが、長引くこともなくなりました。
今後もいろいろとお世話になることとは思いますが、よろしくご指導お願いいたします。つたないですが、私の感謝の言葉とさせていただきます。
ありがとうございました。