私が、松本漢方クリニックに通院し始めたのは、2006年春でした。
2005年春に、目の上の皮膚に痒みと赤い爛れができ、とある皮膚科に行った時その先生が「あんまり出したくないんやけど」と処方された薬はステロイド剤でした。出したくないなら何故だすのだろうと疑問を持ちつつ塗るとすぐ症状は消えました。
2006年春には、あまりにも痒みに赤い爛れが酷かった為、これは何かのアレルギーかもと思い松本漢方クリニック行きました。
診察前の説明や松本先生の説明聞き、今自分に起きている症状がとても納得がいき、松本先生の「必ず治してあげるから!」の言葉が励みとなり、漢方での治療が始まりました。
初めの1年間はリバンドの激しさ、痒みに鏡も見たくないほどでした。
2007年には、漢方を飲み続けているとリバンドの症状が出てくる範囲や痒みも減少していきました。
2008年には、忘れたころに症状が現れましたが、長引くことなく改善されました。
2009年には、リバンドも出ることなく生活を送っています。
あまりにも痒みに赤い爛れに挫けそうになったりしましたが、診察に行くといつも松本先生が、「必ず治してあげるから!」の言葉に励まされ3年治療を続け、症状の出ない顔を鏡で見るのが楽しみです。
この手記を書けることに感謝します。
松本漢方クリニックとの出会いは今から12年前にもさかのぼります。
当時高校3年生だった私は幼馴染が高校を休んでいるのを知りお見舞いに行きました。
そこで目にしたのはアトピーで全身真っ赤になっている、変わり果てた、友達の姿でした。
落ち込んでいると思いきや、この状態になっているのがむしろ良いと言い出し松本漢方クリニックの話を聞きました。それが松本漢方クリニックとの出会いでした。
数ヵ月後とっても綺麗に治った彼女と卒業式を迎えることもできました。
このとき、あまりに衝撃的だったので「松本漢方クリニック」という名前を覚えてしまいました。
そして私は1998年に通院を開始しました。私は友達の一件もあり、絶対に治ると確信して疑いませんでした。始めはストレスで急にできてしまったニキビ治療で門を叩きました。これが始まりです。始めは毒を全部出すということで顔中今までにないぐらいブツブツができましたが私自身は全く気にしませんでした。何が一番の敵かというと、周りです。親をはじめ、友人など「どんどんひどくなっているから止めたら」の一点張りです。しかし、私は確実に治ると信じ続けていました。約3ヶ月で私の顔は元通りになり周囲をようやく納得させることができました。
今では「化粧品なに使っているの?」と聞かれますが松本漢方クリニックの塗り薬のみということは内緒にしています。
さて、このニキビ治療を皮切りに実はアトピー性皮膚炎ということも判明。
ここからが本番です。
せんじ薬を飲み続け見事にリバウンドが出てきました。私の場合は首と右手首に集中しました。
「かいてもいい」と先生からも言われていたので思いっきりかきました。
ここでも周囲の「やめれば」攻撃にあいました。本人よりも周囲のほうが、実際はひどく見えるのかもしれません。私自身はそれほど大したことはないと思っていました。右手首が特にひどかったのですがいまでは嘘みたいにきれいです。またわかりません。
とてもひどい時期は約2年ほどでした。後はダラダラと血液検査の結果と、にらめっこ状態が続きました。
あとの長い年数は自分自身の体調を整えるといった時期でした。
何かというと、漢方を飲むことでいままでひどかった生理痛がなくなり、体調も良くなりました。ひどい時期を過ぎてからは「何故病院へ?」というぐらい周囲から見ても全くアトピーは、わかりません。
私自身もお守り代わりに漢方を飲んでいました。
また幼馴染と会ったとき、この話をしたら完治している彼女もお守り代わりに漢方(粉薬)を未だに飲んでいると聞きました。
治療と戦ったというよりも私の場合はいつも周囲をどう説得させるかの方が難しかったです。
どうかこの手記をお読みの方、自分自身を信じ、また絶対治ると信じて取り組んでください。
最後に私自身の検査結果を表にまとめコメントもつけました。
ご参考になればと思います。
検査日 IgE値
1998年11月25日 1,194
1999年7月2日 574
2000年5月30日 399
2001年9月7日 387
2002年11月8日 502
2002年3月1日 351
2004年1月9日 672
2005年8月5日 296
2006年9月9日 290
1998年~1999年:この時期が右手と首にアトピーが一番集中した時期でした。
2000年~2004年:この時期は周りから見ればどこがアトピーかどうかもわかりません。
しかし煎じ薬を続ける。
2005年:この年に妊娠したので出産が終わるまで漢方はお休みしました。
2006年:せんじ薬から粉薬へと変更。2007年夏まで服用。先生から完治のお墨付きを頂く!
「自分で考え自分で決断する」 30歳男性2017年1月31日
「君は黒人やな」私と松本先生との出会いはこの一言から始まりました。小さいころからアトピーがひどかった私は、たくさんのお医者さんにかかりました。あるときは食事療法を取り入れ、またあるときはアトピーに効能のある温泉に行き、そして評判のいいお医者さんの話を聞けば両親が車で片道2時間かかるところを連れて行ってくれました。両親には非常に感謝しています。そのおかげで中学生、高校生、大学生と年齢とともに良くなってきました。しかし、完治には程遠く、肌は乾燥し、痒みがなくなることはありません。そこで、社会人になってからの友達の勧めがきっかけで松本漢方クリニックを訪れました。
ここで最初の松本先生の一言にもどりますが、黄色人種である私がなぜ黒人のように肌が黒くなったのでしょう?その答えは松本漢方クリニックのホームページにあるコラムで詳細が説明されています。気になる方は、是非コラムをご覧ください。
さて、松本先生の診察にて、1番記憶に残っている言葉が「勉強しなさい」です。皆さんは、なぜ自分がアトピーなのか、アトピーとはどういったものなのか考えたことはありますか?私は、恥ずかしいことにこれまでほとんど考えることなく、人生を過ごしてきました。今までのお医者さんは、「この薬を使いましょうか」「症状が酷くなってきたので、ステロイドで抑えましょうか」といった話ばかりで、松本先生のように自分で考えることを促す先生はいませんでした。アトピーとは生涯の付き合いになります。ならそのアトピーについて自分で考え、自分で決断することが必要なのではないでしょうか。お医者さんの言うことや、周りの評判を頼りにすることは大事ですが、自分から情報を集め考えることを放棄してはいけないと今では感じています。
私が松本漢方クリニックに通い始めたのは、2016年1月なので、現在で1年ほど経過しました。幸い私はステロイドを10年以上使用してなかったので、免疫力の向上によるリバウンドはおとなしいものでした。検査によると免疫力は高くなってきているようですが、まだまだ肌が乾燥し、痒みがあります。自分の免疫力に期待して、今後も頑張っていきます。松本先生、これからもよろしくお願いします。
「アレルギー性鼻炎とアトピー」匿名希望32歳2004年8月6日
松本漢方クリニックへ通い始めて、もうすぐ二年になります。
私は、中学生の頃からアレルギー性鼻炎に悩まされ、耳鼻科に通い続けていました。「一生治りません。」と常に言われ、症状が悪くなると耳鼻科に行き、薬を飲む繰り返しでした。そんな時、友人のすすめで、松本漢方クリニックへ行く事になりました。
それまで漢方に関してあまり知らなくて、「どんな治療なんだろう?」と不思議でしたが、診察室に入り、今までの経過を松本先生に話すと、きっぱり「治してあげます。」と一言。驚きました。その日から、漢方薬を煎じて飲み始めました、とても飲みにくい味で、鼻をつまみながら飲んだものでした。少し日が経つにつれて、鼻の奥が、確かに今までと違うのです、空気が通りやすく、つまった感じがなくなりました。アレルギー症状がひどい秋と冬がきましたが、前年と比べものにならないくらい、「辛い日」が激減しました。
「このまま、アレルギーよ、私から去ってしまって!」と願いましたが・・・。十年程耳鼻科に通い薬を飲み続けた私には、甘い考えでした。鼻の調子が良くなると、今度は、顔、手や体にアトピーが・・・。今年の春は最低でした。今までに経験したことのない痒みに襲われました。必死に掻くのだけど、ますます痒くてたまらず、「どうすればいいの?」と不安になりました。その時は、松本漢方クリニックの手記を読み、「必ず、治る!」と信じ、何とか山を越せました。先生がおっしゃるには、「体の中の悪いものが、症状として表れているから。」とのことです。「そうか!痒いってことは、悪いものが私から離れて行ってるんだ、どんどん離れて行って下さい。」と、今は思えます。もちろん症状が悪いときは、痒さと戦うので精一杯です。
もっと早く松本漢方クリニックに出会えていれば、症状を抑えるだけの、体に悪い薬を飲まなくてすんだのに、と悔やまれます。ここに来るまで、何も疑わずに、アレルギー性鼻炎に効くというものを飲んでいたのですから。またどんな症状が出てくるのかわかりませんが、松本先生を信じて、戦いに挑むつもりです。
「母子アトピーとの闘い」匿名希望36歳・2歳2005年3月16日
幼い頃より、私はアトピーでした。顔と首と手の関節の内側が常にカサカサして掻いていました。その当時は、ステロイドを塗っていました。そして私が22歳の時、朝目が覚めると、高熱と目が開けられないほど腫れており、手と顔は黄色い汁でグチャグチャになっていました。この時松本先生と出会っていたら、後々苦しむ事はなかったのですが・・・
とりあえず、当時通院していた内科で診てもらいましたが、先生はどうしていいかわからず、K労災病院の皮膚科を紹介してもらいました。
「黄色ブドウ球菌感染症」でした。すぐ入院することになりました。点滴と塗り薬(ステロイド)の毎日でした。
そしてその年の12月に、やっと松本先生に出会う事ができました。
初めてお会いした時に「僕は、必ず治してあげるからね」と、力強い握手をして下さいました。やっと治ると思いました。
粉の漢方から始めてもらいました。すると、太ももがカサカサになりました。とても痒くてたまりませんでした。松本先生は「かいても大丈夫だからかきなさい」と言って下さいました。
当時、付き合っていた彼がいました。(今の主人です)彼は全てを受け入れてくれました。そして結婚、出産。
次男の出産後、3ヶ月になっても乳児湿疹が治らず、悪化していきました。かかりつけの小児科へ行くと、ステロイドを出されました。
これではいけない、私と同じ事になってしまうと思い、松本先生を訪ねました。松本先生は、「アトピーは、必ず僕が治してあげるからね」とおっしゃいました。そして薬浴を始めると、みるみるうちにきれいになりました。
今ではアトピーとわからない位、きれいにつるつるの肌になりました。私はまだ闘っていますが、治ると希望を持っています。
これからも、松本先生 よろしくお願いします。
私の症状は主に手に出ます。カサカサになるだけではなく、皮膚が裂け割れます。手の内側外側両方にその症状は現れます。
高校生の頃に花粉症になり、何故か時折、手に治りにくい裂け目ができ始めたのが私のアトピーの始まりでした。高校時代はたいした悪化は無かったのですが、20歳前後に悪化し、肘・膝・の内側をかくようになり常に黒ずんでいました。肘・膝は黒ずむ程度だったのですが、手はかき過ぎで割れ放題、割れ目からは体液が常にしみ出ていて、ばんそうこうやティッシュでいつも裂け目を押えていました。この頃は皮膚科で処方されていたステロイドを常に塗っていました。症状は生理周期に影響されるようで、とても波がありました。
20代中頃にステロイドは一時的に良くなるだけで、完治させる薬ではない。
塗っても塗らなくても同じでは?悪い時は悪いし、調子がいい時は調子がいいし、とふと思い。常に塗るのを止めてみました。仕事や生活上、手が使えないのは困るので、特に悪い時だけ塗るようしに、できる限り我慢しました。
ステロイドと少しばかり距離を置くようになり1年が経った頃、知り合いから漢方治療だとステロイドを使わないと聞き1年通院しました。その漢方治療では悪化も改善もしませんでした。私に合う治療法ではなかったと考え1年で止めてしまいました。そして、またステロイドをたまに使う日々に戻り1年経った頃、高槻に住む友人から「アトピーは必ず治ります」と言う医院があると聞いたのが、松本漢方クリニックでした。
松本漢方クリニックでの治療は、峠を越えるまではとても辛かったです。煎じ薬を飲み始めて3週間ほどは変化がなかったのですが、その後、みるみる悪くなりました。手はもちろん肘・膝の内側、顔、症状が出たことがない腕・首・肩・脇まで痒くなり赤黒くカサカサ・かいたところから体液は出放題。漢方風呂に浸かっている時だけその痒みから解放されていました。症状は1度悪くなり、その後治っていくと覚悟はしていたのですが、当時は乗り切れる自信はありませんでした。来週はもうちょっと良くなっているかも・・・と自分に言い聞かせながら過ごしました。そのうち痒みで眠れなくなりました。睡眠薬を処方してもらいましたが、それでも眠れなかった時はかなり弱気になりました。やはり来週には眠れる様になっているかも・・・と自分に言い聞かせました。症状が耐え難いほど悪かった期間は4か月くらいだった気がします。その後緩やかに落ち着いていきました。
現在、私の手は調子がいい時期は普通の人の手とかわらないぐらい良い状態です。ステロイドを塗っていた時には考えられなかった程よくなっています。ただ、花粉症の時期には悪くなります、年々手に出る症状はマシになっている気はします。
季節の変わり目は少し症状が出ます。
そう簡単には治らないようです。しかし、松本漢方クリニックでの治療を続ければ完治すると信じて、時折休憩を入れてしまう
私ですが気長に松本漢方クリニックで治していこうと思う日々です。
「アトピー手記」匿名希望31歳・2歳2004年4月24日
息子は、生後3週間が過ぎた頃から、頬のあたりを中心に、顔全体へと湿疹が出てきました。小児科の先生の診断は、“乳児性湿疹”ということで、「アンダーム」という薬をもらい塗っていました。一進一退とういう状態がしばらく続き、3,4ケ月の頃には、顔中引っかき傷だらけ・・・
何とかならないものかと、本も出版されている地元では有名な漢方病院を訪れました。(ステロイド=こわい というイメージがあったので、漢方を処方してくれる病院を選んだのですが、この病院も、ステロイドも処方していました)診断は「アトピー性皮膚炎」。「アズノール」という青い薬、風呂漢方液、消毒薬をもらい治療を続けていました。ここでも一進一退を繰り返すだけで悩んでいたところ、友人から「インターネットで、こういう病院のHPがあったよ。」と松本漢方クリニックのことを教えてもらいました。
早速HPをみましたが、「何だかすごい所だなぁ。」と一瞬躊躇しましたが、「息子のため・・何とかここで治しておかないと。」と、愛知県に住んでいますが、幸い実家が滋賀(高槻まで電車で40分)だったので、母についてきてもらい、息子が7ケ月のとき、松本漢方クリニックを訪れました。先生の“必ず治してあげます。”という言葉を信じ、治療がはじまりました。
実は、私も、10年来アトピーに悩まされていました。体は季節の変わり目に痒くなるくらいですが、手がひどく、ステロイドを塗っていたこともありました。特に生活が困難というわけでもなかったので、私はこのまま一生付き合っていくのかなぁと思っていました。しかし、何とか息子を治したいという気持ちで訪れた病院でしたが、先生、看護婦さんのお話を聞くうち、「この病院なら、私も治るかも・・」と、私も治療を決意しました。
消毒、漢方風呂、お風呂のお薬の濃い液を塗り、紅い軟膏、傷口に白い薬。それを1日2回朝、夜と毎日繰り返しました。息子は小さかったため、漢方風呂に長時間つからせることは出きず、せいぜい10分が限度でした。息子はステロイドによる治療をしていなかったせいもあるのか、リバウンドはしませんでした。
私は、漢方薬を煎じて飲み、初めて漢方風呂に入った晩から、ひどい痒みに眠れなくなりました。今まで痒くなったことがない体の部位までも痒くなり、これがリバウンドかとびっくりしました。二人の消毒、漢方風呂・・・と慣れない治療にくじけそうになりましたが、それでも、先生の言葉を信じて続けました。私のリバウンドは1ケ月半続き、その後は日に日によくなり、今では、手が夜寝ているとき痒いぐらいです。
息子は、顔から胸、二の腕、首と痒い部分が順番に移っていき、気がつくと、引っかき傷は消えていました。卵にアレルギーがあるのか、マヨネーズを食べたときだけ、顔が赤くなりましたが、先生の「何でも食べさせなさい。」という言葉を信じて、特に慌てず慣らしていきました。
現在2歳5ヶ月ですが、食事はすべてOK、オムツが擦れる腰の辺りが、たまにかぶれるぐらいで、薬も塗っていません。早い段階で松本先生に出会えたことが、本当によかったと思います。「必ずなおしてあげます。何かあったら、いつでも電話を下さい。」の言葉を信じたからだと思っております。本当にありがとうございました。(現在、私は妊娠・出産で治療を中断していますが、また再開したいと思っておりますので、今後とも宜しくお願いします。)
私は、30歳になった今もなお、アトピーに苦しめられ、治療を続けている男です。今は、松本先生と出会い、松本漢方クリニックで治療を受けていますが、27歳の11月に松本先生に出会うまでと出会ってから、今まで約3年と2ヶ月の経緯を、途中経過ではありますが、同じ苦しみを受け辛い日々を送ってこられた方々を少しでも勇気付け、これからの治療に希望を持っていただけたらと思います。
私は、自分が物心ついた時には、すでにアトピーになっていました。親が言うには産まれた時は色白でとてもキレイな肌をしていたそうです。私は自分が気付いた時にはアトピーだったわけですから、大人になってからアトピーになった人よりは、あまり重く考えていなかったと思います。自分の身体が正常な状態、キレイな肌の自分というものを知らないからです。
しかし、小学校に入った頃から、人と違う自分に気付き、人の目を気にする様になっていました。この頃の症状というと、肘の内側、膝の裏、股関節、男性器あたりがひとく、ジュクジュクしていたり、また、夜眠る時などは背中が痒くて寝付くことが出来ず、親に背中をかいてもらい、親は私の事を重い手加減してくれているにもかかわらず、私は「血が出てもいいから、おもいっきりかいて」と毎晩イライラしていました。
この頃、親を含めまわりの大人に言われていたのが「大人になれば自然に治るよ」という言葉でした。いろんな病院に通ったり、また市販の薬を使って、その場しのぎな事をしていたと思います。
私が小学生の高学年ぐらいから、大学を卒業するぐらいまで長く通い続けた病院が家の近所の中西皮膚科です。私は幼心に、この病院に行ってもらった薬をぬれば、すぐキレイになると思っていたのを覚えています。
今思えばこれがステロイドであり、またかなり強いステロイドだったと思います。私は病院の薬がなくなると、市販のフルコートを塗ったり、また病院に行っては注射を打ってもらっていました。またこの注射がものすごく効き、注射を打つ前の状態が嘘の様に良くなるのです。この注射も今思えばステロイド注射だったのだろうと思います。
何も知らない、何の知識もない私達は、中西皮膚科と信じ、大人になれば良くなるよという何の根拠もない言葉を信じ、長々とこんな事を続けていくのです。
小学校の頃は、私と同じプールに入れば、ブツブツがうつると言ってイジメられ、気持ち悪いと避けられたりもしました。しかし私は、体が大きく、一緒に少年野球をしていた仲間もいたので、そんなイジメに負けることなく、逆にやり返すぐらいの行動に出ていました。だから、イジメられたり、避けられたりしている方、そんな事に負けたら、アホらしいし、もったいない、気にする事はないですよ。絶対に治りますから。(そう私も信じています。)
小学校から高校まで私は野球をしていましたが、汗をかいたり、砂にまみれたり、日焼けしたりで、症状はどんどん悪くなっていましたが、やはり中西皮膚科に行き、注射を打ち、薬を塗れば落ち着くので、病院に行くペース、薬を塗るペース、注射を打つ回数だけが多くなっていました。高校の時は寮生活でしたので、わざわざ親に頼み、中西皮膚科から薬をもらい、送ってもらいました。せっせとステロイドを送ってもらい、体に塗り込んでいたのです。また、帰省で家に帰ると、注射を打ってもらったりしていました。最悪ですね。
それでも私は自分のやっている事を疑う事なく、薬を塗れば楽になる、好きな野球を頑張れるという思いで、この状態を続けていくのです。この長い間、中西皮膚科に通っていましたが、血液検査をした覚えもなく、今自分がどういう状況なのか、数値的にはどうなのか、どの様になっていくのかといった、具体的な話は全く無く、診察室に入り「最近どうですか?」と聞かれ、「あまり変わりありませんね」と答えると、「そうですか、では薬出しときます」とか、「今日は注射打っときますね」といった感じでした。私自身もさっさと薬もらって帰ろうといった感じでしたし、いつか治る、もう少し大人になれば治るといった、バカげた何の根拠も無い、変な自信でいたのかもしれません。
そんな状態を続けながら、大学に入り、野球からアメフトに変わり、運動をバリバリしていた頃、あいかわらず中西皮膚科に行っていましたが、だんだんと症状が良くなっていました。病院に行く回数が減り、薬を塗る量も減り、薬を塗っていたのも練習後のシャワーの後や家で風呂上りにカサカサしている部分やつっぱりのある部分ぐらいで、今まで人前で肌を見せるのに抵抗があったのに、クラブ中に上半身裸になったり、海やプールで人前で水着姿になるのも平気なほどでした。その頃、私の中には、このまま治って行くんじゃないかという思いがありました。
ただ、自分の中でかなり症状が良くなってきたと思っていた人前で肌を出すことに抵抗が無くなってはきていましたが、ひどい頃に比べてマシになっただけで、まわりの人から見ればアトピーだと一目でわかる状態で、まだまだ正常な状態ではなかったと思います。
しかし、大分良くなっていたので大学4年間は、とても楽しくすばらしい時を過ごしました。
大学を卒業後、就職せずに、資格を取る為、勉強を始めました。今思うと、今まで運動一筋で勉強などまともにした事のない私が勉強漬けの日々を送ったせいで状態が悪くなってきたのではないかと、就職しなかった事や勉強漬けの生活を送った事を悔やんだりしました。また逆にこれから味わう脱ステロイドによる猛烈なリバウンドの苦しみを考えたところ、恐らく大学卒業後すぐに就職していても、あの苦しみの中私は仕事を続けていけてなかったと思います。それを考えると脱ステロイドによる、アトピー根治を目指せる、また決心することの出来る状況にいた事は、良かったのかもしれません。
専門学校に行きながら、大学時代から働いていたバイトをしていました。徐々にアトピーの状態がひどくなってきてある時、知り合いの方にステロイドは良くないのでステロイドを使わず、水を飲んだり体に吹き付けたりして治療する病院を紹介してもらいました。
そこは明石にある「公明会 明石病院」でした。そこで私は初めて脱ステロイド治療を始める事となりました。当時25歳だったと思います。
明石病院では、飲み水と体に吹きつける水、2種類水を買って帰り、ひたすら水を飲む事と、体が乾燥すれば水を体に吹きつける事をしていました。するとやはりすぐリバウンドが来てどんどん状態は悪化して行きました。皮膚はカサカサでひび割れ体を動かすのが痛くなり、自分で車を運転して病院に行くのも辛くなっていました。すると先生が塗り薬を出すようになり、先生に聞くと、あまりにもひどく、いきなり完全にステロイドを抜くのはやめましょうといって、弱めて薄めたステロイドを出すようになりました。やはり、薬をやめる事は出来ないんだなと感じた反面、かなりしんどい状況でしたので、薬を塗り少し楽になって来たので、ちょっとうれしかったのも事実です。
そんな完全にステロイドを絶つ事の出来ない中途半端な状態が続き、極端に悪化はしないが完治することもないといった状況の時に、先生から、熊本県にいい温泉があるので行ってみないかと提案され、この頃にはアトピーを治す為ならなんでもするといった考えになっており、熊本に1ヶ月程行きました。むこうでは、病院に入院し、近くの温泉に朝・晩入り、あとは病院でゆっくりするといった感じでした。そこはとてものどかでゆっくりする事ができ、ストレスを感じる事もなく、たしかに体の状態も少し良くなっていき、夜も眠る事ができました。
しかし大阪に帰ってきてしばらくすると、アッという間に元の状態に戻りました。結局熊本に行っている間と帰ってきてしばらくの間だけでした。
こんな事なら、俺は熊本に住み、仕事もせず、ただ温泉に入って人生を送らないといけないのかとかなり落ち込み、また熊本に1ヶ月も行かせてくれた親にとても申し訳なく、情けなくなりました。
そんな精神的にも肉体的にも苦しい時、知り合いの人から、まだ実験・研究段階だがかなりいい成果が出ており近い将来、“がん”なども治す事が出来る様になる治療方法があり、アトピーも絶対治す事が出来ると言っている研究者がいるが会ってみないかと話があり、親はかなり心配をしていたが、私自身アトピーが治るならといった思い(ちょっとやけくそ)でしたし、話しを持ってきてくれた人自身はとても信頼していたし、その人も何とか私の体を良くしたいといった思いが伝わったので一度話を聞く事にしました。
そこでは、温度42℃のお湯に浸り、体温を40℃以上に上げ、その状態をキープし、1時間程入浴しておくといったものでした。そして、ステロイドも絶対に使ってはいけないと言われました。
この治療法は、細胞から治すといったもので、血液サラサラにし、体質を完全に変えるのが目的だった様です。42℃のお湯に入り、体温を40℃以上でキープし1時間の入浴をしていたら、フラフラになりました。
ステロイドを完全に使わない生活になった為、体はまた最悪の状態でした。この頃は体全体がパリパリになり入浴の治療に行く以外、布団から出ることすらままならなくなりました。かなり厳しい日々が続きましたが、アトピーを治す為ならとただその思いだけで生きていた様に思います。入浴の治療に行くと血液を採られ、いろんなデータを取られ、まるでモルモットやなと感じた時もありましたが、もしこれでアトピーが治るなら、またこの方法がアトピー治療に有効なら数多くの人が救われるなと期待を込めて頑張っていました。
そして3~4ヶ月経った頃、目の異常を感じました。はじめはただ単に目が悪くなったなと思っていましたが、次第に視界がくもりはじめ、車を運転していても、信号が見にくくなり、青なのか黄色なのか信号にかなり近づかないとわからないといった感じで、はじめて眼科に行きました。すると、白内障だと診断されました。普通白内障は、歳をとってからなるものだが、若くてもアトピーでステロイドを使っていたり、糖尿病だと若くてもなる事があると言われました。
白内障は手術をすれば見える様になるので大丈夫と言われましたが、目の手術はかなり恐いものがありました。
そこの眼科では、白内障の手術は日帰りで、とても評判が良く、手術の予約が1ヶ月程先でした。手術までの1ヶ月の間にどんどん目の症状が悪くなり、うっすら視界が白く見えるなといった程度だったものが、手術の2週間前ぐらいには全く目が見えなくなり、視力0になりました。何をするにも手探り状態、家の中はまだ感覚的に覚えているので、一人で動けますが家を一歩出ると、誰かに手を引いてもらわないと歩けないほどでした。
目が見えず一人では何もできない苛立ちと、このまま目が見えない状態だったらどうしようといった恐怖、26歳にして家族に手を引かれないと外出できない情けなさ、いろんな思い、全てマイナスの思いが私の中にありました。
しかし目は、白内障の手術をすればすっきり驚くほど見える様になりました。これで、一生目が見えなかったらどうしようといった恐怖から、開放されました。
視力は回復し、日常生活は送れるようになりましたが、白く、濁った水晶体を取り、かわりに人工のレンズを入れた事により、20代にして、老眼のような状態になりました。本を読むにも携帯のメールを見るにもメガネがないとはっきり見えないようになりました。ステロイドは皮膚だけでなく、視力まで奪うのかとほんとに悔しかったです。
そんな肉体的にも精神的にもかなりしんどかった時、母親の職場の方(女性)から、松本漢方クリニックを紹介されたのです。その女性と会った時、この人が以前アトピーだったとは全くわからない程、きれいに完治していました。
その人から漢方で治療する事を聞き、今までした事の無い方法だなとは思いましたが、今まで数々の方法をためし、これといった成果が出ていなかった私は、なかばどうせ今度もといった気持ちでした。
松本漢方クリニックに初めて行った時の印象は、まず強烈な漢方の臭いと、強烈な先生のインパクトでした。
先生に初めて会った時、とにかく勢いがあって、かなり自信を持っている方なんだと感じました。
血液検査をし、私のIgEの数値を見て、先生が「こんなに数値が高いのは、今まで数多くの人を診てきたが5本の指に入るな、長い付き合いになるけど、必ず治るから」と、言われた時は、”必ず治る”と言われた事にかなり驚きました。今までいくつもの病院に行きましたが、ここまで言い切ったのは松本先生が初めてでした。
かなり投げやりな気持ちになっていた私、どうせ今度もといった気持ちの私でしたが、何をしたらダメなのか、そしてこれからどういった苦しみが待っているのか、そして先生を信じてやって行けば必ず治る、と良い事も悪い事も苦しい事も全て隠す事なく、はっきり言い切ってくれる先生を少し信じてみようという気持ちにさせてくれました。
そして私の苦しい脱ステロイド生活は、日増しにひどくなって行きました。
煎じの飲み薬を水代わりに飲めるだけ飲み、そして体を消毒し漢方風呂に最低3時間は入るといった生活でした。体が乾燥し、ひび割れ動くのがつらい状態でしたので、漢方風呂は皮膚が潤い、入浴している時は体の痛みがとても楽になりました。(風呂から上がり、しばらくするとまた痛み出しますが。)
当初とてもつらかったのは、煎じ薬を飲むのがつらかったです。初めは少し飲むと吐き気がするほどでした。しかし出来るだけ飲み、早く体の中に溜まった悪いものを体の外に出すようにと必死でした。
煎じ薬を飲めば飲むほど、体の中の悪いものは出て行きます。が、平行してリバウンドもひどくなっていきました。体からリンパ液が出てきて、朝起きるとTシャツや下着は黄色くパリパリになり体にくっついている状態で、臭いもひどく、体は常にだるく、布団にくるまりほぼ寝たきりの生活でした。
ただ唯一、大学の頃からしていた深夜のバイトは意地で続けていました。バイトを辞めてしまい、家から一歩も出ない生活をしてしまったら、社会復帰できなくなるのではと不安があったので、なんとかバイトを続け、薬代は自分で払い続けました。しかし家から出るのはバイトのある日だけ、週に3・4日、それも深夜で、できるだけ人目を避けていました。友達と遊ぶ事もなくなり、声をかけてくれるも、体がしんどかったり、自分のひどい状態を見られたくないという思いで誘いを断り続けていると、しだいに誘われる事もなくなりました。また古い友人から結婚するとの事で結婚式に出席してほしいと誘われた時も、仕事で出席できないと嘘をついていました。久しぶりの再会、ほんとはすごく出席したかったですが、今の自分の姿、仕事もまともにせず、ほぼひきこもり状態、それに比べ相手は仕事をし結婚をする。悔しさと情けなさでどんどん周りを遠ざけていました。
今思うと、自分から孤独になっていました。おそらく、全てさらけ出し、正直に話していれば解ってくれるやつらだったのに、当時の私にはそんな余裕も勇気もありませんでした。
孤独感のあった私、苦しく投げやりな私を見捨てず支えてくれたのは家族でした。母は私をこんな体に産んでしまったと自分を責めており、私と同じくらい、精神的に苦しみながら、私の身の回りの事をしてくれました。父は多く語らない人で、おそらく20代半ばの息子が仕事もせず、家にひきこもっているのは、歯がゆく、情けない気持ちでいたと思います。でも父は私のために、風呂の準備をしてくれていました。
私は、そんな二人の支えがあり、なんとか頑張ってこれました。松本先生にであって1年半以上過ぎた頃には、かなり症状も良くなり、体も元気になってきていました。
そして、深夜のバイトを辞め、昼間働きに出る事にしました。今ではその仕事ももうすぐ2年が経ちます。その間、休む事なく元気に頑張れています。また、大学を出た後、目指していた資格を取る為、勉強の方も再開し、今は週2回、仕事の後に夜学校に行き勉強しています。
以前では、こんな事が出来るなんて想像も出来ませんでしたが、先生を信じ、家族に支えられ、苦しい時期を耐えて来て、ほんとうに良かったです。
まだまだ完全に治った訳ではありませんが、途中経過として手記を書く事になりました。これからも完治するまで先生に着いて行き、そして今まで人生遅れをとっていた分、少しでも遅れを取り返し、巻き返したいと思います。
長々と書きましたが、この手記を読んでいる方、今はしんどく苦しい時だと思いますが、あんなにひどく、人生投げ出しそうになっていた私が、ここまで変われました。
必ず良くなります。松本先生を信じ、頑張って下さい。
私もまだまだ頑張りたいと思います。
「松本先生、ありがとうございました!」35歳女性2005年9月19日
私のアレルギーとの付き合いは高校時代からでした。アルバイトでレジ係をしばらくやっていたところ、金属アレルギーで湿疹ができ、皮膚科に通いました。アルバイトをやめると湿疹も治まり、病院通いも中断・・・。
就職してしばらくしてから、アレルギー性鼻炎に悩まされ、耳鼻科に通院。症状の強いときだけ通い、薬で症状を抑える・・・。完治は望めず、症状をコントロールするのがアレルギーの治療だと思っていました。旅行などで環境が変わると、特に症状はひどくなり、専用のティッシュペーパーの箱を持っていくこともしばしばでした。
4年ほど前からは、日光に当たると、顔中に湿疹ができるようになりました。痒みも強く、気がつけば顔にみみず腫れができていたなんてこともありました。また皮膚科通いが始まりましたが、軟膏を塗っても症状は一時的に良くなるだけで、日に当たれば湿疹が出る。日焼け止めを塗り、冬でも帽子が手放せない生活。軟膏の種類も変わり、ステロイドを使用するようになりました。
長期にステロイドを使用するのは良くないということは知っていましたので、「どうにかならないか・・・」と考えていたところ、松本先生のことを知り、通うようになりました。
漢方を煎じること、あの味に慣れることには苦労しましたし、効果がすぐに現れるわけではありませんので、継続する動機付けは難しかったのですが、「30年間かけて作ってきたアレルギー体質が、そんなに短時間で変わることのほうがおかしい。」と思い、続けてきました。
1年ほどで、湿疹に悩まされることはほとんどなくなり、長年付き合ってきた鼻炎の症状も軽くなってきました。数値が徐々に下がることも励みになりました。
2年間の通院で、松本先生から「もう来なくてもいいよ。」と言われたときのうれしかったこと!
現代社会では、アレルゲンに囲まれて生活することは避けられず、また症状が出る可能性はあるのでしょうが、良くなることがわかった今ではもう不安はありません。
今、病気と戦っている方も、あきらめずに続けてください。頑張る必要はありません。ただ、まじめに薬を飲むだけでよくなるのですから・・・。
私は、小さい頃からアトピー性皮膚炎と診断されておりました。
しかし、当時はそれほど病状もひどくはなく、季節の境目ぐらいにしか発症しなかったため、大して問題になるほどではないと思っていました。
症状が大きくなったのは、21歳になった時でした。今までは部分部分にしか出ていなかった症状が全身に及び、耐えること自体が苦痛になるほどの痒みと痛みを伴ってしまいました。
もともと医者嫌いで、半端に「医者にかかっても、ちゃんと治らずぶりかえす」だの「ステロイドが危険」だのの知識だけが頭にあって、結局その時は自然に症状が治まるのを待つ状態でした。
そして今回、再び症状が悪化しました。
個人的に自然に治るのを待てる状態ではなかったので、知人から松本漢方クリニックのことを教わりました。
前述のとおり、医者嫌いに変わりはないので、その治療方法などの確認のためにホームページを見に行くと、そこには、今まで正確に知らなかったアレルギー性皮膚炎の発症理由が事細かに書かれていました。
これならと思い、翌日診察しに行きました。何故症状が出て、何をすれば収まるのか、それが理解できただけでもすごく気が楽になったことを覚えています。
先生とはじめてお会いして印象に残ったのは、真っ先に「アレルギーの原因」を話し始めてくれたこと。今まで「病名」だけを言う病院にしか行った事のなかった私には、違う世界の診察でした。
それから、漢方での治療が始まりました。最初の三ヶ月、特に二ヶ月ぐらいまでは、最初に診察に言った時よりもその痒みがひどく、外出はもちろんのこと、寝ることもままならない日が続きました。処方してもらった漢方の薬湯の中で、知らないうちに寝てしまうこともありました。正直、薬湯の中が一番状態が安定していました。
漢方の煎じ茶も、最初はその匂いに辟易したものですが、今これを書いている時点ではなんとも思わなくなっています。本来は人肌程度の温度で飲むものといわれていたのですが、体が熱を帯びて、春先だというのに暑くて仕方ない時は、少し冷えた状態のまま飲んだりもしました。とにかく、欠かさず飲み続けることだけ考えていました。
正直なところ、治療中の症状が安定するまでの間は、何を考えていたとかそういう記憶があいまいです。その痒みと痛みを耐えることで一杯一杯で、他のことを考える余裕がなかったのが本音です。
今、これを書いている私は、当時とは比べ物にならないほど症状は治まっています。完治にはまだもう少しかかるのでしょうが、通常の生活が普通にできることを先生には感謝しております。