「息子のアトピー手記」
(お母様記述)2歳2007年6月20日
(お母様記述)2歳2007年6月20日
手記の前に・・・初めて医院で次男の診察を受け、後を追うように私も受診してはや2年が過ぎようとしています。二人で頑張って揃って手記を書こうと思っていましたが、子供はアッという間に良くなり、私はまだまだ悪戦苦闘しています。その為なかなか筆が進まず提出が遅れましたことをお詫びします。
次男は2005年1月11日生まれです。生後2週間目に頬にボツンと発疹ができました。私の父は兄弟の数が多く、その中で、父だけアトピーが酷かったらしいです。私自身も生活に困るほどではなくても肌が弱いとは感じていました。実母は私が一人目を出産する時から、子供にアトピーが出ないか心配していましたが、長男は幸いにしてその様な事もなく過ごせたので、今回は私も発疹を見るまでは肌の心配など全くしていませんでした。
しかし、だんだんと頬だけでなく体全体がガサガサしてきて、顔も赤みが増してきたので、ベビーオイルを塗ったり、石鹸も「ミノン」を試しましたが駄目でした。また、次男は長男と比べても喉がゴロゴロよく鳴ったり、おちんちんがたらーっと元気がない時が多いのが気になっていました。母いわく、おちんちんがきゅっと小さくなっている時は元気で、風邪なんかの時にはだらーっとなるものだとのことで、長男と比較しては不安になっていました。
そして、1ヶ月検診を迎え、乳児湿疹と言われ、アンダームクリームをもらい、実家から自分の家に戻ってからも薬を薄くつけて、よくなってはまた赤くなるのを繰り返し、どんどん酷くなっていきました。近くの評判の良い小児科へ早く行きたかったのですが、産後私の体はかなりガタガタで、骨盤から腰周りが体を動かすたびに痛く、ズボンを脱ぐために足を上げる時に痛み、歩いていて向きを変える時に痛み、石段をふんばって上がる時にはお尻から腰にかけて激痛が走りました。私は長男の時にも仙骨を痛めてしまい、明石のカイロプラクティックへ通院して治しました。しかし、その医院が神戸の住吉に移転しており、近くの他の医院では全く治らず、何とか早くそこで診てもらい、次に子供のアトピーの治療を受けたいと思いました。しかし3時間おきの完全母乳の育児だったため、私がカイロプラクティックまで往復できる時期を待ち2月末迄我慢して、やっとの思いで住吉まで行きました。診断は出産で内臓が下に全て引っ張られているので神経が圧迫されてあちこちが痛んでいるのと、骨盤の片側が出産時に引きずられているので片足が伸びた感じになりバランスを崩しているとも言われ、何回か時間との戦いでひやひやしながら通い、だんだん痛みが消えて動きやすくなっていきました。
2月末に私の体の原因がわかったこともあり、急いで例の小児科へ次男を連れて行きました。そして、「アンダームでは保湿が足りないから、アズノール、アンダームを一日2、3回たっぷり塗って下さい。」と軟膏を渡され、早速塗ると赤みがひき、数日は安心していたのですが、そのうち数時間たつと赤くなり、塗ると治るを繰り返すようになりました。相変わらず喉はゴロゴロ言うし、あまり薬は塗らないほうがいいのかと薄く塗ったりしていましたが、ますます酷くなりました。2回目の受診時には「保湿だからたっぷり塗らないと意味がないのだ!」と怒られました。帰ってたくさん薬を塗ってみますがますます酷くなりました。3月中旬を過ぎた頃から首が座り始め、抱っこができるようになりましたがよく首を振ります。義母から「顔が痒くてこすってるんと違う?」と言われ、よく見てみると確かにそうでした。
4月初旬の夜中、まだ生後3ヶ月の乳児なので夜中も授乳で起きますが、明らかに体や顔が痒くて自分で起きて掻いている状態になってきました。授乳すると眠くて寝てしまいますが、数時間後にはまた痒がって目が開き泣きます。数日後3回目の受診で同じアズノール軟膏と白い亜鉛華軟膏を痒いところに塗るよう渡されました。
その時に「アトピーではないですか?」と医師に尋ねると、「お母さん、まだ1ヶ月しか経ってないのにアトピーと決め付けないで下さい。」と言われました。そして顔をこすりつけ痒がることを伝えると、「お母さんは綿100%の服を着ないといけませんよ。」との返事で、私の頭の中にははてな(?)マークが渦巻きました。普通に考えても今の衣類事情からして綿100%の上下を着ている人は、肌着ぐらいだと思うのです。実際箪笥の中を調べてもそんな衣類なんて数えても片手の指ほどにもなりませんでした。
この時、このままでは駄目だな、とふと思いました。又この医院では、出す薬の一覧を渡してくれていましたが、当然アンダーム軟膏の下には、ワセリン、プロベン、キンダベート、リンデロン・・・と続いており、次に受診すれば1つずつ強い薬を処方されることは容易に想像できました。もう一つこのままでは駄目だと思ったことは、近くに住む当時3歳の子供をもつ方の話を聞いたことでした。この方も例の小児科に今もよく通っていますが、生後2ヶ月でアトピーになり、医師の指導で母乳をやめ、おやつもアレルギー対応のものに限り、度々アレルギー相談をして今は治ったそうです。
私も勧められたりしましたが、私には除去食を作り続けたり、大事な母乳を止めることは絶対に嫌で、ましてステロイドの使用は軽々しくするものではないと感じられました。これは病院頼みではすまないと思い立ち、当時日頃殆ど使っていなかったパソコンでまず自分がこの病気について知らなければと思い、検索を始めました。お決まりの通り、症状や対策といった項目が並び、誰かの体験めいたものが見たくなりました。何項目も開いていった時、ふと『生後2週間でアトピー性皮膚炎発症・・・』のタイトルを発見。次男も2週間目からの発症だった為思わず開いてみると、なんと赤と黒の文字がぎっしり並んでいました・・・。
私は松本漢方クリニックさんの患者さんの手記のページを何の知識もなくいきなり開いて見ていたのでした。文字の多さに圧倒されつつ、興味津々で読んでいるとこの病院が高槻にあることを知り明石から何とか行けなくもないなと思いました。全て読み終えた後、これは筆者と誰とのやりとりだろうと非常に気になり、再度『松本漢方クリニック』から検索することに・・・。そこでようやく先生のお考えや治療について触れることができました。私自身前々から、アトピーや花粉症の原因について一般的に言われていることが腑に落ちませんでした。しかし科学物質が原因ということ、反応する食物や環境を避けなくてもアトピーは治ることを知り、何とかして一刻も早く次男を高槻まで連れて行きたいと思うようになりました。
数日間悩んでいるうちに子供は寝る前にしきりに両手で顔を掻くようになってきました。起き上がれて足も動くようになれば、おそらく体も掻きたかったに違いありません。夜10時頃寝ますが、1時半、4時過ぎに起き、朝方疲れるのか熟睡します。逆に私が起きる時間がきてこちらが寝不足になってきます。これはもうどうにかして松本漢方クリニックへ行こうと決心しました。ちょうど3ヶ月になり、次の日曜は宮参りとお食い初めの予約をしており、どうしても行けない為、実母に相談して4月16日(土)に付き添いを頼みました。
実家に話をしに行った時、父も横で聞いていましたがしばらくして「そんな治療はおかしい。」と怒鳴りだしました。父は前述のとおり小さい時から兄弟で唯一アトピーに悩まされ(戦前生まれだから今のように周りの人や兄弟にもあまり理解されず苦しんだようです)学校も早引きして住友病院などで薬をもらったり、祖母があらゆるお寺を回ってお札をもらってきたりいろいろしたそうです。掻かないようにする包帯もよくしていたようです。ただ父が結婚した頃から湿疹が引いたらしく、私が物心ついたころには、父の本当に酷い皮膚はあまり見た記憶はありませんでした。ただ、頭はしょっちゅう掻いていて、白いフケのような粉が飛んでいることはよくあり、皮膚科もよく行っていて頭によくステロイドを塗っていました。
父は「良いということは色々試してきた。大阪まで行ってどんな病院かよくわからんところに小さい子を連れて行ってほんまに治るのか!」とかなり疑っていました。しかし母は、「最初からステロイドをこんな小さい子に塗るのはよくないから一回行ってみたらいいやんか。」と言ってくれました。母は父の姿を見てか、私に「ステロイドは使わんほうが良いからなあ。」と時々言ってくれていました。
4月16日の朝、明石の大久保から1つ先の西明石駅まで車で送ってくれると父が来てくれました。何だかんだ言っても心配してくれていたようです。はじめはJRの在来線で行く予定でしたが、新快速でも高槻まで1時間余り、34ヶ月の子供を大型ベビーカーに乗せて9時台の電車で迷惑にならないか非常に心配でした。西明石の時刻表で10分後に新幹線が着くのを知り、急きょ新大阪まで乗ることにしました。2倍以上の運賃になりましたがこれなら30分ほどで着き、もし泣いても座席を移動できるので安心でした。こうして何とか松本漢方クリニックへたどり着き、2時間半程も待った後、ようやく松本先生に呼ばれた時、「これでこの子は助かる!」と強く感じました。
診察室ですぐに先生から、「遠いところからよう来たねえ。どうしてここに来ようと思ったの?」と言われ、とっさのことにびっくりしました。病院でそんなことを尋ねられた事がなかったのでこの手記で書いたようなことはひとつも言えませんでした。「ただ父がアトピーで苦労したので・・・。」ぐらいの返事がやっとでした。そして先生から「大丈夫。つるつるにしたるでー。」と言っていただきました。また看護師さんからも印象的な言葉をかけていただきました。「アトピーが出る子はそれだけ異物を認識できるすぐれた子なんですよ。」という感じのことをおっしゃって頂いたと思います。恐らく他の医院では、アトピー患者は病人扱いの言葉しか聞かないと思うので、この時本当にここで頑張ろうと思ったのでした。
そして、宮参りを終えた翌日から治療を始めました。皆さんと同じ煎じのお風呂に入れました。漢方風呂初日、私が次男と一緒に入ることにしました。入っているうちに私の太ももの辺りがなんとなく痒いような感じがしました。他の家族に聞いても痒い人はいません。数日間同じようにお風呂に入り、2回赤い薬をつける作業をしましたが、やはり私だけ痒みがありました。私自身蕁麻疹の注射や痛み止めを足に数回注射したり、手などに軟膏を少し塗った記憶があるのでそのせいかと思い、この際、思い切って私も治療しようと思い立ち、次の日曜、今度は主人に頼んで車で松本漢方クリニックまで行きました。1週間でまたやって来たので、先生は最初不機嫌そうでしたが、「私も治そうと思って来ました。」と言うと、うれしそうに「この際一緒に治しときよ。」と言ってくださいました。
その日から私の煎じ薬を煮出す作業も増えましたがなかなかすぐに大きな変化は出ず、3ヵ月後にものすごいリバウンドを体験することになります。私自身のことは、また改めて書ける日が来た時に詳しく書くつもりです。次男は見ている限り、治療前より悪くなるようなリバウンドはなかったと思いますが、約1週間で頬が以前に比べ、少し赤くなり、次におなか、わき腹が赤くなり、足がまだざらざらしていました。しかし、以前に比べ、夜中頭を掻きむしることはなくなり、だいぶ寝てくれるようになってきました。
5月の連休に入ると、少しおさまっていた赤みが、顔やおなかにぱあーっと出てきだしました。少しリバウンドなのか、薬をつけていると、少しずつましになってきました。初診から1ヵ月後の5月中旬、顔はだいぶきれいになってきましたが、近くで見るとまだ赤く逆に傷が目立っており、お風呂上りもおなかをよく掻いていましたが、あまり掻かなくなってきました。でも、少し外出が続き、昼の消毒と薬が1回しかできない時は、体全体が少しカサカサして、発疹が出ます。しばらく1日2回塗るように頑張ってみました。
5月24日、4ケ月検診を受診したらやはり肌のかさつきを指摘されたので、適当に「皮膚科に行っています。」と受け流しました。先月に比べると酷い状態は脱していたので、それ程しつこくは言われず、早めに松本漢方クリニックへ行ってよかったあと思いました。6月に入るとぱっと見は殆ど発疹は目立たなくなってきましたが、夜中は両足など、日中も眠くなると頭やお腹、足をまだ掻いていました。この頃ふと気づいたのですが、おちんちんが調子の悪い時以外はいつも小さくしまっているようになっていました。喉のゴロゴロもいつのまにか鳴らなくなっていました。アトピーをステロイドで封じていたら、喘息になっていたかと思うとぞっとします。
6月下旬頃、離乳食としておかゆを食べ始めましたが、しばらくすると激しく泣くので様子を見ると、首から下が蕁麻疹になって熱っぽくなり、2~3時間後に少しずつおさまってきました。初めておかゆを食べたからか、先週BCGを受けた影響なのかわかりませんが、蕁麻疹が出ると快方に向かっているはずなので少しほっとしました。予想通り、2~3日後から皮膚がつるつとしてきた感じがして、頬も赤みが少し消えてきたようでした。暑さもだんだん厳しくなり、あせもらしいものがおしり、後頭部、首に出ましたが、赤い薬で除々に治っていきました。
この頃から次男と引き換えに、私自身の状態が日に日に悪くなっていきました。7月中旬までは何とか普通の生活をしていましたが、ちょうどこの頃次男が初めて風邪らしい症状になり、先生に電話すると、「母乳をたくさんあげていると治るからがんばり。」といわれ、半信半疑で母乳だけで過ごしていると、少しずつ良くなっていきました。しかし、この約1週間の間に子供に意識を集中しすぎて、自分のリバウンドの急激な進み具合を落ち着いてみる余裕がなく、気がついた時には両足のむくみが半端ではなく、あわててプロテインを買いに行ったものの数日後には正座が全くできず、歩くのもやっとで顔も足も赤くなり、2ヶ月以上家に閉じこもる最悪の状態へと進んでいきました。
子供は今では他人から見てもアトピーと言われることは全くなく、全くきれいな皮膚を取り戻しています。ただ、約1年程は、1ヶ月良いかなと思うと、背中やお腹、足とほんの少し痒みや赤みが出て、薬で治っていくという感じで、最近は花粉の時期に少し痒みが残っているようですが、夜もぐっすり寝てくれるようになり、元気そのものです。
今思うと、私と子供のリバウンド時期がずれていて、本当に良かったと思います。この間、子供の手記を書くのが遅れたのは、私のリバウンドが本当に想像以上のものでいまだに特に足が酷く、大変な状態が続いているので、なかなか筆が進まないことが原因でした。これからは、私の手記が一日も早く書けるようにもう少し頑張っていきたいと思います。もう少し先生にはお世話になります。よろしくお願いします。