「アトピー手記」匿名希望61歳2014年9月24日
私は何年も皮膚科であたりまえの様に処方されたステロイド剤を塗り続けてきました。5年前に、手、首、足、体にも今まで以上に赤いブツブツした湿疹ができ、皮膚科で処方されたステロイド剤でかえってひどくなり、ステロイドがこわくなりました。
アトピーだった友人にステロイドを使用しないアレルギー科を紹介してもらいいったん良くなりましたが、この4月にまた首全体(耳たぶにも)が赤くなりました。ステロイドは使用したくないし、漢方だったらと思い、ネットで捜し、松本漢方クリニックを知りました。
先生のお話に納得し、安心して治療しました。3週間程で首の湿疹は良くなりました。3年程前に低音性難聴と診断され仕方なくステロイド剤を服用しましたが、今は耳鳴りがまだある事を相談しました。それはヘルペスが関係しているとの事で今はその漢方も服用しています。体に悪いものは押えこまず、外に出して体の中からきれいにしたいです。
「アトピー・花粉症の手記」41歳女性2005年5月29日
松本先生との出会いは、娘のアトピーからでした。娘は1才半の頃、突然「かいかい!かいかい!」と、布団にはいると、自分で爪を立てて、肘の内側を掻きむしるようになりました。夜になると、眠れない日々が始まりました。
丁度1才半健診があり、小児科の医師にアトピーと言われ、小児科を受診しました。ステロイドを処方され、その日早速塗りました。でも、かゆみは治まらず、その夜も眠れませんでした。次の日、娘の肌はとてもきれいでした。でも、かゆみは治まらず、夜は眠れません。
何とかしてやりたくて、もう一度小児科を受診しました。今度はヒスタミン剤を処方され、ステロイドを塗り、ヒスタミン剤を飲ませました。結果は同じで、かゆみは治まらず、眠れません。そのうち、娘の肌が黒ずんで、かゆみも全身に広がりました。
「こんな薬、駄目だ!」と思っていた時、舞鶴共済病院で、ひどいアトピーが治ったと、土曜日に聞いて、早速月曜日に行こうと準備していた夜、実家の母から、「高槻の病院で治った人がいるから、連れて行ってみよう!」と電話がかかりました。それで、次の日、高槻に向かいました。
運が良かったと思います。曜日が違えば、舞鶴に向かってました。もう待っていられませんでした。
その後は、ほかの方々と同じで、リバウンドを繰り返しながら良くなっていきました。「本当に良くなるのか?」と疑ったときも勿論あります。治療前よりひどくなったことが。何度もあります。
今、娘は、ピカピカのほっぺです。自分で顔を触って、「どっこも、ザラザラ!」と言っていて、幼稚園の頃は、座ってても常にどこか掻いていたのに、小学校では、普通に座って授業を受けています。
そして、今年、息子がじっとしていられないほど、ひどい花粉症になりました。目は常にこすっていて、真っ赤。鼻水・くしゃみで、苦しくて夜眠れない息子のイライラが伝わってきました。「薬ないんか!」の息子の一言で、高槻行きを決めました。息子も、今、楽になってきました。
私も、今年は目や鼻がつらかったので、息子と一緒に飲んでいます。花粉症を抑える薬を長期に使用した人で、リュウマチに苦しまれている人が増えていると教わりました。私は、松本先生に出会って、アレルギー性疾患の根本が同じことを知りました。
多くの病院は、次々と病名と薬を変えるだけです。同じ時間とお金を掛けるなら、治る方に使います。信じてみてください。即効性はないし、忍耐はいりますが、「良かった!」と思う日が来ます。
『アトピー~長年の戦いの果てに~』
「おい、肌荒れているのにそんなきつい薬ばかり使っていたら終いに内蔵やられるぞっ!!」
京都に在住する私が松本漢方クリニックのお世話になるきっかけは上司のこんな一言によるものからでした。
今から3年半前いつもは季節の変わり目に出ていたアトピーの症状がなかなかひかず、以前通っていた病院より処方されたステロイド・非ステロイドを含む3種類の塗り薬を症状に応じて使い分けていましたが、一番強いステロイドがあまり効かなくなり違う方法を考えねばと思っていた矢先でした。その上司が依然高槻に勤めていた際、漢方の治療で有名なところがあり、
知人に通院して症状もよくなっている人もいるとの強い勧めもあって松本漢方クリニックの門をくぐることになりました。
事前にホームページ上でステロイドを使わない治療とのことで、それまでの治療の過程で使っていたステロイドによってリバウンドが激しい旨は先生のコメントと完治または治療中の患者さんの手記をみて覚悟してのぞみました。
最初の問診の中でアトピーに対してのいままでの治療のながれを話しました。
私は幼少期より皮膚が弱く、子供の時分はアトピーよりはむしろ花粉症のほうがひどく季節の変わり目にはいつも耳鼻科に通っていて皮膚の方はかかりつけの医者より塗り薬をもらうか市販の薬を使っていました。
そうこうするうちに中学・高校と進み、大学受験を目前にするときに花粉症があまりにひどいため子供の時より通っている医院のすすめで定期的に静脈注射と皮下注射による体質改善の治療をすることになり2年ほどで花粉症は出なくなりました。松本先生によるとこの20数年前の治療が現状を悪くするきっかけになっているとのことです。
それからは軽い症状はでるものの市販薬でまかなえる程度で推移したのですが30歳半ばの時、丁度転職で別職種につきそのストレスが引き金となりアトピーがかなり大きくでてきたのです。
その際に処方されたのが前述のステロイド薬だったわけです。
今迄の経緯よりステロイドをかなり長年にわたり使用していたのでリバウンドの大きさや治療の期間が長引く旨を先生よりお聞きし、必ず治るからとのお言葉を胸に治療に臨みました。
煎じ薬と入浴剤を使用しはじめてからすぐに件のリバウンドの症状がでてきました。顔全体がただれて腫れあがり、赤い塗り薬を塗っても体液が染み出てきました。また顔以外にも腕や肘膝の関節裏等も赤い湿疹がでました。
接客業の為、見た目が悪いのは支障がありますが、その点は肝を据えて臨んでいるのでそのままやりすごしました。多少体温も上がりはしましたが、
間にかかった風邪が長引いたくらいで特に生活に支障はなかったです。
そうこうするうちに3ケ月程でいったん症状はおさまりを見せました。
…ただ顔およびその他患部は日に焼けたように黒くなりましたが。
それから2~3ケ月は大きな変化がなく治療を続けましたが秋にさしかかる季節の変わり目に顔を中心としてただれたようになってきました。
これから先は1年通して症状が出続けるのではなく時候の変わり目に、目の周辺から額にかけて集中してでるようになりました。ただその症状が出るごとに範囲がどんどん狭まり少しずつですが治っていっていると実感できました。
手記を書かれている他の患者さんのように日常生活に支障をきたすようなことがなかったのは幸いでした。みてくれは気持ち次第でなんとかなりました。
ただ問診をうける際の先生の励ましと煎じ薬・漢方の入浴剤を使った入浴等の家族の理解がなければここまでこられなかったと思います。
まだ道半ばですがこの治療を続けて完治できるようにがんばっていきます。
「アトピー手記」匿名希望45歳2013年6月14日
生後3ヶ月目からアトピー性皮膚炎と言われ、幼少の頃からアトピージプシー色々な薬を使った。
24歳の時にある本と出会い、温泉治療に踏み切る。薬を一切断ち、1年8ケ月休職して身体と向き合う。完治ではなかったものの、1年8ケ月後に会社に復帰。
その後も波はあるものの、薬は使わず。
30歳で結婚し大阪へ。
2年くらい経った頃に身体に変化。かなり悲惨な状態になる。リバウンド状態のような症状。まだ、ステロイドが残っていたのかとショック。
気功治療に頼る。病院へも行くことに。ステロイドは使いたくない。
と言ったが、免疫抑制剤は使っていたのかも。2年位してまともな状態になる。
39歳の時、また急に症状が出で来る。この時は手がひどく、皮が1枚剥けたような感じになる。ひじの内側も症状が広がり、この時薬を使用。
(ステロイドはイヤだと言ったが、何が出たのかは分からない)
この症状もいつしかおさまる。しばらくは、よくなったもののH23/10頃よりなんとなく肌の状態がよくない感じ。
ず一っと、くすぶり続けH24新年早々おせち料理を食べたとたんかなり悪化。あわてて6日に病院へ。この時は、ステロイドを塗ったと思う。
この時から、多少よくなった時もあったものの、いい状態の肌がなく本業も休業することに。なすすべもなく、どうしよう、どうしょうと思っている日が続きH24/7/17の夜なんとなく見ていたネットで『松本漢方クリニック』をみつける。
そう言えば、先輩が通ったことがあると言ってたな。
と思いだし、明日行ってみることに。
H24/7/18初通院。
ネットに書いてあった通り、キョーレツな印象の先生。検尿・血液検査・診察で煎じ薬・煎じ湯等を処方してもらう。ステロイドを使用しない。と強く言われただけで安心する。
煎じ湯を入っていた時に、『これで治るんだ!』と思えた。
1年8ケ月していた湯治生活が甦ってもきた。身体は何しろ痒い・痒い・痒い。
血が出るまで思いっきり掻いている。
夜は当然のごとく眠れない日が続いているけれど、寝ないと死んじゃうだろうからいつかは眠れるだろうと、あまり気にしないことにしている。
煎じ薬は毎日飲んだが、毎日きっちり3食とっている訳ではないので、
処方された薬はあまってしまった。又、チューブの薬は使わなくていいのかと思い、この1週間は使用せず。
H24/7/25・2回目の通院。
検査の結果がでた。1gE882、水痘帯状ヘルペスEIA価54.5LD(LDH)357、LDLコレステロール162、総コレステロール234
そして、『:コレステロールが高いのは食べ過ぎ。炭水化物を減らして、野菜を多くとるように。そうすればコレステロール値が下がってくる。』とも。
『かなりよくない』とのことで、今日からは、薬湯を2日に1回にしなさいと言われる。この1週間は2日連日を2回。出たり入ったり約5時間の薬湯を4回。合計20時間。
肌は最初2~3数日は顔や目の周りに赤みがかなりあった。30日~は少しだけ赤みがうすくなる。
顔や足にむくみを感じる。ゴワゴワやガザガサになったりして像の肌。
うるおいは全くない。
掻き傷は薬湯に入ると治ってくる。すごくひっかくものの、血は出るが体液は出てこない。
痒みは常に激しく、夜はナカナカ眠れない。けれど、30日の夜だけはけっこう眠れた。
H24/8/1・3回目の通院
8月は21日間x5時間=105時間
9月は20日間x5時間=100時間
10月は22日間x5時間=110時間
11月は21日間×5時間=105時間
12月は21日間x5時間=105時間薬湯に入った。
症状は一進一退という日々が続くが、薬湯に入っていることで安心する。
H25年
1月は21日間x5時間=105時間
2月は18日間x5時間=90時間
3月は18日間×5時間=90時間・+4時間
4月は12日間×5時間=60時間・+4時間半+4時間5月は17日間x5時間=85時間
H25/5/7に通院し、先生から経過を書いてと言われました。
やっとここまできたか~
そんな思いです。
症状は今もまだまだありますが、初通院した日のことを思えばだいぶ良くはなりました。
けれど、ここで安心せず治るまでは治療を第一に頑張ります。
松本先生へ
思い起こせば高校生の頃から手に湿疹が出て病院に行って薬をもらっていた
ように思います。その当時はまだステロイドの塗り薬が悪いものだと言う認識がなく、軽い気持ちで使っていました。結婚して高槻に住むようになって初めて松本先生にお世話になって、漢方薬でアレルギーが治ると知りました。先生の治療はとても簡単なもので、漢方の飲み薬を飲むことと塗り薬を塗ることそして、他の薬を使わないことです。最初は本当に治るのかな?と半信半疑でしたが、先生の指示に従って治療をしているとだんだんよくなっていきました。
漢方はすぐによくなるものではありません。気長に頑張ることも必要です。
でも、診察の時に先生から「必ず治してあげるから」と言う力強いお言葉を頂き先生を信じて頑張ってこれました。私のアレルギーは軽いものでしたからそんなに治療も苦しくなかったけれど、松本漢方クリニックに行けば本当に大変苦しい状態の患者さんも多くおられます。しかし、通院しているうちにみんなだんだんよくなられていくのです。このように目に見える形でよくなられるのを見る時、漢方は本当に信頼出来る薬であると思います。私の方は2年前から花粉症も発症しており、その治療も松本先生にお願いして漢方を出してもらっております。去年は漢方のおかげで、花粉の季節も全く症状が出ずに過ごすことが出来ました。そのほか、風邪の時にも先生に薬を出していただいています。のどが痛い時は漢方を1週間程飲むとすぐによくなりました。
また、子ども達もアレルギーあるので先生にお世話になって回復しております。
これからもまたいろんな病気でお世話になりますが、宜しくお願い致します。
「水虫とアトピー」62歳女性2004年12月21日
足の裏、指の間の水虫の治療中、目の周りが、痒みとともに赤く腫れ、アトピーと診断されました。数件の皮膚科を転々とし、内服薬と、軟膏、それに治らないからと、水虫にまでステロイドを処方されました。
困って、悩んでいる時、松本先生を紹介して頂き、受診しました。「治してあげるから。」という松本先生の力強いお言葉と、煎じ薬、赤い塗り薬、入浴剤を頂いて、平成16年2月末より、治療を始めました。
煎じ薬を服用して、2日目、恐ろしいほどのリバウンド(まぶたが腫れ、目が開かない程の水ぶくれ)が現われ、1ヶ月目位に、2回目のリバウンドがありました。下半身は、4ヶ月目頃より2ヶ月間、円盤のような湿疹が出ました。
目のまわり、首は、2ヶ月目頃より治り始め、今は、ツルツルきれいになっています。(治療より、10ヶ月目)分厚く角質化して、ヒビ割れ、痛かった足裏、指の間のジュクジュクも、少しずつ治っています。
水虫だと診断され、治療していましたが、治らないはず、私の場合は、アレルギー化していたそうです。後もう少しで、足もきれいになれそうで、楽しみに頑張っています。
煎じ薬を服用して、アトピー以外に治って嬉しかったのは、10年来、静脈瘤のため、足のむくみとだるさで、メディカルストッキングを着用しないと、立っているのがつらかったのですが、着用しなくてもだるくなく、むくみも軽くなった事です。夏でも、氷のように冷たかった足が治った事です。
「アトピー手記」匿名希望40歳2011年11月8日
食べたいものを食べる喜びを得るために
私は物心ついた時からアトピー性皮膚炎を患っていました。
症状がよく出ていたのは肘の内側、膝の裏側、顔、背中でした。
母は私の治療に積極的で、どこの病院がよいという噂を聞けばすぐにそこに連れて行ってくれてはいましたが、どこに行っても「長い付き合いになる」とか「大人になれば自然と治る可能性がある」と言われるばかりでした。
ただ、今思うと私にとって幸いだったのは、ほとんどの病院でキンダベートというステロイドではあっても弱い薬をもらうことが多かったことです。
一度20歳の頃に母がステロイドの危険性をどこかから聞いて来て、脱ステロイドを試みたことがありました。顔や頭から汁が出続けること1ヶ月、頼る医師もいずに止めてしまったのでこれがいつ終わるのか、これが正しい道なのか母も私も不安になり、一度は通うことを止めていた奈良県の石川医院に再び足を向けました。先生は「うちの薬にもステロイドは入っている。この症状はステロイドを使わないと治まらない。」と言われ、脱ステロイド症状に疲れ果てていた私と母は言われるままに治療を再開しました。
それから結婚・広島県への引越しを経て石川先生から「何もここまで通ってこなくても、広島で医師にかかりなさい」と言われ、それからは大学病院にかかるようになりました。大阪に帰ってきてからも近くの病院などにかかりました。
30歳を越えた時、急に調子がよくなり、ほとんど医者いらずの状態が何年も続きました。時々、肌荒れをした時にだけキンダベートを塗り、ひどく荒れたときにはデキサンGを塗るという生活でした。ところが、34歳の時に妊娠したのを期にみるみるうちに顔の赤みと荒れが広がり、それが全身に広がっていきました。さらに出産を経て、かなり荒れるようになりました。
そんな時、特定の食べ物を食べると肌が荒れることに気がつき、食べたものをチェックしてどんな食べ物で荒れるのかを調べはじめました。
それと同時に、娘のかかりつけの小児科がアレルギー科もやっていたので、そこでIPDというIgEの数値を下げる薬を飲み、キンダベートを塗るという治療をはじめました。しかし、一向によくならず、塗り薬をステロイドの入っていない軟膏に変えたり、プロトピックに変えたりしましたが、どちらも合わずにすぐに止めました。
らちがあかないと皮膚科に通ってみたりもしましたが、状態は悪くなる一方でした。自分で調べた肌荒れを起こす食べ物を血液検査したのですが、すればするほどアレルギー数値の高い食べ物がドンドンでてきて、口に出来るものが減っていきました。魚介類は青身の魚以外は全て食べられず、野菜も根菜は人参と牛蒡以外は食べられず、なんとか葉菜は食べられる状態でした。
じゃが芋は食べられるけど、山芋や蒟蒻(こんにゃく芋)はダメ。
果物は林檎以外は食べられず、とうもろこしも食べられず・・・とにかくじんましんや肌荒れを起こすものばかりで、食べる楽しみが減っていきました。
それでも晩御飯を食べた後には毎回口のまわりに蕁麻疹を出していたので、
よくよく考えたところ、毎晩味噌汁を飲んでいたのでネギが悪いのではないかと考えました。そこでネギはなかったのでタマネギで血液検査をしたところ、見事にクラス3をたたきだしました。これがかなりショックでした。
タマネギは料理を作るうえで欠かせない食材です。これが食べられないとなると、この先の人生食べる喜びを失うことだと絶望したのです。
そんな時、友人数名から聞いた松本漢方クリニックを思い出しました。
そこでは漢方を使って治療するのでステロイドを一切ださない。
だから脱ステロイドはまぬがれない。
一度脱ステロイドのおそろしさを知っていたし、かなりお金がかかると聞いていたのでなかなか踏み出せずにいましたが、このまま食べる楽しみをなくしたままに人生を過ごすなら、数年間耐えてみようと思ったのです。
それに、除去食に付き合ってくれる主人や娘に申しわけないという気持ちもありました。私がこんな状態だとなかなか旅行にも行けないし、外食できる場所も限られてきます。そうは思ったものの、それでもなかなか松本漢方クリニックには足を向けられず、まずはその当時通っていた皮膚科で保湿剤のみを貰って自分で減ステロイドを始めて、自分を追い込んでから行くことにしました。
6月の頭から減ステロイドを初め、顔が真っ赤に腫れあがり体がガサガサになった状態で耐え切れなくなった時、月末に松本漢方クリニックに足を踏み入れました。
松本漢方クリニックに行く前にHPで先生の論文を読みました。
正直、凡人の私には難しい文章でしたが、大意は読み取れました。
そして、論文の『免疫寛容』という言葉を見て、「これが私の求めている治療だ」と思いました。今まで行ってきた西洋医学の治療では、アレルギー反応を起こす食材は除去するのが普通でした。でも、先生の治療では、免疫がアレルギー反応を起こす化学物質(食物に含まれる)を受け入れて攻撃しないようにできるのです。化学物質を多く含まない農薬を使わない野菜などを食べられればいいのでしょうが、「体によい」とされる食物を買うにはそれなりにお金がかかります。それをずっと続けられるほどに我が家にお金があるわけではないのです。
安く食費をあげようとすると、スーパーで安売りしている食材を買うことになります。お友達と外食するにしても、お店をいつもオーガニック食材を使うところばかりを選んでばかりはいられません。松本漢方クリニックでの治療に踏み切ったのには、『免疫寛容』にかけてみようという思いでした。
皆様そうだと思いますが、初めて松本先生にお会いしたときはそのパワフルさに驚かされました。なんだかもう勢いで「はい、はい」となっていたのを覚えています。ただ、ひとつ感激したのは携帯電話の番号を渡されて、「診療時間外に何か起こったらここに電話しなさい」とおっしゃられたことです。
松本先生にとって、四六時中患者さんの面倒をみるのは本当に大変なことだと思います。自分のプライベートな時間をいくらでもあなたの為に削りますよとおっしゃってくれる先生がどこにいるでしょうか?
これから始まる脱ステロイドという恐ろしい肌荒れを起こす治療を前にして不安だった私の心は「先生がいつでもついていてくれるのだ」と少し軽くなったのを覚えています。そして、2日に1回の薬湯、煎じ薬、赤い塗り薬という治療がスタートしました。それからは本当に辛い日々でした。
先生は「何でも食べなさい」とおっしゃっていましたが、ただでさえ酷い肌荒れで痒くて痛いのに、アレルゲン食材を食べたらもっと酷くなるので、2年間、ずっと除去を続けました。減ステロイドをしたときから顔は赤かったのですが、脱ステロイドを始めたらどんどんと脱皮をはじめました。体中ブツブツで皮はバリバリ。まともな皮膚なんてありません。
薬湯に入ると入ってから30分は痒くてあちこち掻きまくり、出た後も顔が痒くて30分くらいはタオルでこすりまくり、後は保冷剤で冷やして痒みを抑えたりしました。子どもに寝る前に絵本を読んであげるのを日課にしていましたが、痒すぎて1文読むたびに「ううう・・・」とうめいたりしました。
それでも読めればいい方で、読めずに顔をこすりまくる時もしばしばありました。体中の脱皮も酷くて、家中皮だらけで掃除機をかけずにいれない日はありませんでした。只、私は今まで塗ってきたステロイドが比較的弱いものだったからか、汁気が少なくてすみました。悪化するのも顔が悪い時期が1月続けば、次は体が悪くなるという感じで、少し落ち着いたら次は別の場所が悪くなりきりがなかったです。特に長かったのは手首で、あまりの痛さに包帯を巻いていました。空気に肌が触れるのが痛かったり、違和感があったりで一年中長袖を着ていました。顔が一度よくなり、このままよくなるかと思ったら、体の悪化の後に再び少しずつ赤くなりだして、また脱皮が始まったときは本当に落ち込みました。「ちょうど1年目」「ちょうど2年目」という節目の時が一番悪化が酷くて、それが6月だった為、梅雨から夏に変わる季節の変わり目でただでさえ肌へのダメージが大きい時期だけに「これがいつまで続くのだろう」と辛かったです。
ただ、大きく悪化した後は、必ずその後に肌に大きく良い変化が現れるのです。
それを知っていたので、それだけを励みに毎日を耐えていました。
見た目がえげつないので、できれば外に出たくなかったのですが、娘をなるべく人と接しさせてあげたいという思いがあったので、しょっちゅう外出していました。こんな顔の私と食事を取るなんて嫌だろうなぁと申し訳なく思いながらも、友人と共に児童施設やお外でランチをよくしていました。
友人達は、「一緒に食事をするのを嫌だとは思わないよ。大変やなぁとは思うけど」と受け入れてくれていたのでとてもありがたく思っています。
月に1度だけ会う友人達、近所に住む友人達、どちらもいつもお肌のことを気にかけてくれていて、「最近はどう?」「今日は調子よさそうやね」と温かく見守っていてくれました。
先日、その頃よく遊んでいた友人と久しぶりに会ったら、あまりにも肌がきれいになっているので驚いていました。素直なその反応がとっても嬉しく思えました。家族にも本当に迷惑をかけました。
ハンバーグなど、タマネギなしでは美味しくない料理は、私はタマネギなし、主人と娘はタマネギ入りなどと分けて作りましたが、抜いても支障のない料理のときは私の除去食に付き合ってくれていました。
両親や義父母にも治療に入る前に「これからどういう症状がでるかわからない。もしかしたらしばらく寝たきりになるかもしれない」と話しておいたので、ずっと心配してくれて「何かあったら手伝うから」と言ってくれていました。
娘が幼稚園や小学校に入った時に、母親がこんな姿だからといじめられたりしないようにという気持ちもあって、小さいうちから治療を始めたので、甘えたい盛りの娘をだっこしてあげられなかったり、お風呂に一緒に入ってあげられなかったり、「痒い、痛い」とさけぶ姿を見せたりと、本当にかわいそうなことをしたとおもいます。主人も休みの日は私が夜少しでもゆっくり出来るようにと、夕食後すぐに薬湯に入っている間に娘の面倒を見てくれたり、薬湯の日は外出しても早く帰るなどとスケジュールに合わせてくれていました。
こうして私は周りに支えてくれる人達が沢山いたのですが、一番心の支えになったのは戦友、つまり脱ステロイドをしている人たちです。
松本漢方クリニックで知り合った人、友人のご主人、そしてブログで知り合った人達です。
ブログで知り合った方々は、私なんて比べ物にならない程に酷い脱ステロイド症状になやまされていました。なので、「この人達に比べたら、まだ私はましなのだから耐えなくては」と本当に励みになりました。
戦友達の具合が悪くなれば、「やっぱりそう簡単にはよくならないのだな」と覚悟ができましたし、よくなれば心から「よかったね。次は私の番かも」と嬉しく、励みになりました。ネットをされている方は、自分と同じ時期に脱ステロイドをされた方を探されてみてはいかがでしょうか?共に耐える方がいると、気持ちが全く違いますよ。ちなみに私のブログは「アメブロ 杏奈の虹色日記」で検索していただいたら出てきます。
今は調子がよいので、参考にならないとは思いますが、2年前(2009年)6月から脱ステロイドを始めているのでその前後から読んでいただけたら、毎日ヒーヒー言いながら過ごしていたのを感じていただけると思います。
さて、私には何よりも励みになったことがあります。
それは十数年前に実は脱ステロイドしていた古い友人が「脱ステロイドをして3年は調子が悪かった」と話していたことです。
この具体的な「3年」という数字が目標となりました。
脱ステロイドを始めたときは「3年どころか1年もこの状態で耐えられるかどうか」と打ちのめされる反面、「3年耐えたら普通の人に近い肌になるのだ。」と励みにもなりました。
最初の1年。
本当に辛くて、1年も耐え切れない、1ヶ月だって耐えられないと思いながら日々を過ごしました。2年目に入っても、全く脱皮は終わらず、脱皮が少なくなってきたのを感じたのはちょうど2年目に入る前でした。
しかし、ちょうど2年目にはまた悪化。しかし、その悪化の波を2月ほど耐えた時、いきなりお肌の調子がぐぐぐっと上向きになりました。
ずっと背中やお腹まわりにあった湿疹が消え、荒れるのは肘の内側と首だけになりました。そして、ある日、毎日のように食事中に口の周りが痒かったのに、急に痒くなくなったのです。気のせいかと思いましたが、それから1週間痒くなかったので「これは回復したのだ」と確信しました。
それからしばらく経ってから、少しずつ今まで除去していたものを食べだしました。結果、じんましんが出ませんでした。
「食べるものがない」と絶望した日々がウソのように今では外食でもおうちでも何も除去せずに食事をしています。調子には波があるので、じんましんが出る日や、肌荒れの範囲が広がる日もありますが、悪化した上に悪化するのではないので、「そのうちひくだろう」とあまり気にせずに塗り薬だけ塗って過ごせるようになりました。松本先生に相談して、薬湯が3日に1回になり、それから1月ほどで「自分で薬湯に入る日を決めたらいい」とおっしゃっていただけました。今は全く入っていません。煎じ薬は飲んでいますが、塗り薬なんて半月に1個くらいしか使いません。
ピークの時は1週間で1個使っていたのに、ウソのようです。
最後に、私のIgEの経過と当時の経緯を記しておきます。
2009/06/26
6760
治療開始
2009/11/24
6729
治療5ヶ月目
肌荒れが酷く、数値が50下がっただけだったので、
ゴールがまだまだ先なのだとがっくりする。
2010/6/28
7720
1年目。
まだまだ肌荒れ、脱皮の日が続く。
ようやく数値が上がったので、免疫の活動が活性化し、見た目はまだまだでも自分の体に変化があったことに
喜ぶ。
2010/3/2
4036
1年8ヶ月。
ほぼ半分に減る。
肌荒れはピークに比べれば少し落ち着いてきた。
しかし、この2ヶ月後に悪化。
2011/9/13
3594
2年2ヶ月。
除去せずに食事が取れるようになる。
薬湯もなくなり、肌も軽いアトピー程度になる。
治療中の皆様、本当に辛い日々をお過ごしと思います。
でも、悪化の後にはかならず回復があります。
これはピークの時に主人に言われた言葉です。
「ずっと頑張らなくていいから、今日一日だけ頑張れ」
松本先生と自分の持つ力を信じて今日一日だけ耐えてみてくださいね。
「乾癬 アトピー手記」49歳男性2011年9月17日
乾癬、アトピー、脱ステロイド 中間治療手記
☆2011年5月中旬 皮膚病の発端
子供のころから、この季節になると、手足に数カ所、小さな発赤が出ていた。
梅雨明けくらいには収まるので、病院へ行くことはなかった。
気になるときは、市販のオロナイン軟膏などを時々自分で塗っていた。
ほかの皮膚病は、右手甲にいぼが3個できて、親が気持ち悪く思い、小学生のときに外科でちょんぎってもらった記憶がある。
水疱瘡にもかかったけれど、さほど悪化はせずに治癒した。
さて今年は、腕(肘周り)、脚(膝周り)の発赤の面積がやたら大きく、顔にも発赤が出てきたので、近くの皮膚科医院で診療することにした。
軽いかゆみはあるが、膿やリンパ液が出ることはなかった。
青い魚にはアレルギーがあるのだが、食べた記憶はないし・・・。
初めてステロイド剤の塗り薬を数種類処方された。
化学技術で食っている人間なので、もらった薬はすべて調べます。
四肢、頭髪部、顔で使い分けるようにと、3種類の塗り薬を処方された。
また、花粉症もあるということで、抗ヒスタミンの飲み薬も処方。
抗ヒスタミン剤は、これまでも飲んでいたので、まあ安心だったが、ステロイド剤の怖さについては、知識としては知っていた。
まあ一度自分自身で試してみるか?という気分であった。
これがすべての間違いだった。
私、技術者なので、何でも自分で試したい人種なのだが、度し難いな・・・。
最初の1週間、塗り薬は効き目が良く、すぐに完治するかと思った。
が、1週間をすぎてから、肌の発赤はぶりかえして、塗り薬を毎日使っても、なかなか症状は治まらない状態になった。他には、外耳炎になったように、耳たぶから垢がぼろぼろ出る。頭髪部からもフケがぼろぼろ出る。1ヶ月、この皮膚科医院とつきあったが、毎週の受診のたびに毎回、病名が変わり、(なんで変わるのかね?)胴体にも発赤が出てきたので、これはまずいと思った。人相も変わってきた気がした、いわゆるムーン・フェイスか?真菌感染の検査は毎回やってくれたので、誠意はあるドクターであった。
最後には血液検査を再度行い、膠原病の一種のようだが、典型的なパターンではないらしく、病名を特定できないようだった。結局この医院のドクターはさじを投げ、地元の総合病院への紹介状を書いて渡してくれて、そこでおさらばとなった。
☆2011年6月中旬 転院を考えた
近所の知人に、別の皮膚科医院を教えてもらい、受診したが、やっぱり塗り薬にステロイド剤の処方が入っていた。このときの診断は、乾癬とのこと。
この漢字は書けないな。この医師に少し質問すると、表皮ではなく、真皮部分の炎症だと言われた。看護師さんがステロイド剤を肌に塗り込み、手足を包帯でぐるぐる巻き、ミイラのような状態で、初診終了。待合室の子供たちに、不思議そうな顔で見られた。(^_^;)一方、紹介を受けた総合病院の Web サイトをみると、皮膚科では症状に応じて、免疫抑制剤も投与しますとあった。
げげ、そんなものは使って欲しくない。生死に関わるわけでもないし。
その総合病院には結局、行かないことにして、これまでに処方されたすべての薬を、いったん使わないようにした。 このままでは薬漬けの毎日になると思い、友人・知人のメーリングリストに、どこか良い医者はいないかと尋ねた。すると、大阪の高槻に漢方で皮膚病を治す医院があるとのこと。
それが松本漢方クリニックでした。医院の Web サイトが見つかったので、在宅仕事の合間に1週間ほどその文章を読みふけった。学生時代に京都にいたのだが、外傷やいぼの膿を無理矢理出す漢方軟膏を、昔から売っている店があるのを覚えていた。そのほうが治りが早くなるそうで、松本漢方クリニックのサイトの内容は、その薬と通じるような治療理論であった。1月ばかりのステロイド軟膏治療で、どのくらいの副作用(リバウンド)が出るのか不安だったが、この医院に賭けてみることにした。 守秘義務がまだあるので、詳しくは話せないけれど、分子レベルの免疫系の動きは、就職してから仕事がらみで勉強したので、松本漢方クリニックの Webサイト(松本先生の論文や、患者さんの手記)は、今も興味深く読んでいます。もちろん、臨床治療に関しては、全く素人です。 その間は、塗り薬も服用薬も使わなかったので、皮膚炎の症状はだんだん悪化していった。
見た目では、全身の5分の1くらいが発赤している状態となった。
膿やできものは出ず、皮膚の発赤のみなので、なんとか我慢できた。
同時に、関係があるのかないのか、手先と足先が痺れた感じになり、歩くのが辛い状態になった。パソコンやサーバーのキーボードのタイピングも遅くなってしまい、私の仕事には致命的になりつつあった。
(後の松本先生の診断では、ヘルペス・ウイルス感染だとのこと。
唇にぼこっと一つだけ、というできものはよく出ていたので、ヘルペス・ウイルスは身体に持っています。)ちょうど地元の公立病院での定期健康診断があり、手足のしびれの原因は更年期障害ではないか?
ということだった。男なんですがね。(^_^;)漫画家のはらたいらさんも、そういう病気になったというのは知っていましたが・・・。
CTスキャンでの脳検査は異常なしということなので、ひとまず安心。
ただし、鬱病になる可能性があるので、定期的にカウンセリングに来るようにとのこと。少し離れた所に住んでいる、母親と弟夫婦に、自分の言動が変なら、遠慮無く言ってくれと伝えておいた。友人たちにはひとまず内緒。
☆2011年7月上旬 松本漢方クリニックへ・・・
平日に休みを作り、兵庫県から大阪府高槻市の松本漢方クリニックへ電車で行く。
インターネットで地図を見ていたので、すぐに見つかった。
ほぼ駅前にあるのだが、足先が痺れて、歩くのはちょっときつい状態だった。
受付を終え、問診票を書いて提出した後、すぐに看護師さん(医師でしたら、
すいません)の問診がしばらくあり、アトピーにおけるIgEの説明を漫画で教えてくれた。 このあたりの理論は、松本先生の論文を読んでください。
文系の人には、解りにくいかもしれないけど・・・。採尿と検温をまず行った。
その後、順番待ちの患者さんは多く、2時間半くらい待たされて、熱中症の兆候が出てきた。暑さには弱いのです。待合室は、皮膚病の人に配慮してか、あまり冷房は効いておらず、湿度も高めだったので、時々外へ出て、自販機で飲み物を飲んでいました。 さて、初診ですが、松本先生は腕と背中をめくって見るくらいで、うん、わかった、治るよ、と握手を求められました。
化学薬品の害についていろいろ話され、半分雑談みたいな問診でした・・・。
カウンセラーとしてのスキルもある先生らしいと思った。白衣を着てはらないのには、不思議な感じがした。インターネットでうちの医院を見つけたのだね、と確認されたので、Web サイトに記載されていた、IgE と IgG の違いについての文章に、感心しました、と伝えると、また握手を求められました。
職業の履歴(化学技術関係)を話すと、あなたはインテリやくざですね、と言われて、苦笑するしかなかったです。化学技術が生み出す人工化合物が、アトピーやアレルギーの原因だという説の方なのです。子供の頃に、
オロナインを塗りまくったのは、まずかったな、と言われた。余談ですが、うちの業界でアレルゲンとして有名なのは、ペプチド合成試薬の DCC, WSC などで、けっこうアレルギーが出る人が多い。私は大丈夫だったが。単体のヨウ素にも出る人がいたね、ヨウ素イオンではないので、お間違えなきよう・・・。
それから、病名ってなんだと思う?というような質問をされたので、治療法をわかりやすくするための方法なんじゃないですか?、というようなことを答えた。松本先生は頷いて、電話を取って、その問答を早口でしゃべり始めた(口述筆記?)。また、治療過程の写真を撮るように勧められたが、気が向かないので、手記のドラフトだけを書くこととした。(この文書です)雑談しながらも、問診票をチェックして、これはこうと言ってくれるし、その間も電話での問い合わせに何件も応対しているし、頭の回転の速い先生だなあ・・・60歳くらいに見えるけど・・・という印象でした。
北海道からの電話もあり、驚いた。他人のカルテを見るわけにもいかないので(自分のカルテは横目で読んでるけど(^_^;))、電話中は横を向いていた。
最後に、肩こりも治した方がええやろ?と言われて、むむむ、皮膚病はどこへいったんだ?と思った。不思議なドクターですね(^_^;)
後はお決まりの採血を行った後、煎じ薬の作り方を看護師さんに教えてもらった。熱水抽出の経験はあるが、あくまで化学実験なので、煎じ薬の作り方は興味深い話だった。薬湯に毎日5時間浸かってくださいってのには、ええって思わず言ってしまい、たまたま近くを通りかかった松本先生にも、浸かってよと言われ、困った。仕事のない日なら、なんとかなるけど・・・。
あと、血沈計測をやっているのが、懐かしいなと思った。私が子供の頃は、まだまだ結核が多かったので、熱が出るたびに測られていたなあ。
漢方の煎じ薬2種(飲み薬と、風呂の薬湯、漢方は素人なので成分理解できず)、抗生物質3種(セフェム、アシクロビルが飲み薬、塗り薬はゲンタマイシン、いずれも副作用の少ない定番の抗生物質・抗ウイルス物質・抗生物質)、後は皮膚消毒薬のポピドンヨードを処方され、熱中症になりかけながら、なんとか自宅へ帰宅した。健康保険が利かないせいか、漢方薬は割高であった。 松本先生は抗生物質を否定しないので、安心した。抗生物質がなければ、私は赤ん坊の時に感染症で死んでいたと聞いているからです。翌日から、自宅でそれらの薬を使用開始、ステロイド剤ほどの即効性は無いわけだが、ひとまず信じて続ける。風呂用の煎じ薬は、サラシで袋を作って使うのが良いと言われたが、私には縫製スキルはほとんどない(一人暮らしでもあるし)。
中型のタオルを春巻きの皮のように使い、漢方薬を具材として包み、麻紐でくくるというやりかたで、薬湯をバスタブへ抽出することにした。
飲み薬のほうは、最初コーヒー・フィルターを使っていたが、すぐに目詰まりするので、目の細かい茶こしを買って、それで濾過することにした。細かい植物繊維が出てくるが、まあ気にしないで飲む。
2年前にウイルス性胃腸炎(食中毒の一種)にかかり、それから、常に吐き気に悩まされている。 朝に飲用の煎じ薬を作るのだが、1、2日目の煎じ薬は、半分くらい吐いてしまった。3日目からは、冷やしてから、空腹時に飲むようにして、なんとか飲めるようになった。まあ、失敗した中華料理みたいな風味ですね。 夕方か夜に、指示通りに真っ赤になっている皮膚部分にポピドンヨードを風呂場で塗ってから、薬湯に1時間ほど浸かり、(平日に5時間浸かるのは無理)、風呂上がりに2種類の塗り薬を発赤部分に塗る。
夏場に体中がほかほかして、私にとっては気持ち悪い。冷え性の人には良いのかもしれないが・・・。発赤している部分は、治療開始後、逆に広がっていくように思えた。手足腹を中心に、だいたい全身の5分の2くらいまで増えてきた。体中が痒くて、睡眠不足になってきた・・・。これはきつい。
睡眠不足になると、頭痛が出てくる体質なので、困った。
☆2011年7月中旬 申し訳ないが、遠隔治療
東北震災がいくらか落ち着き、請負仕事が復活してきたことと、足先の痺れが収まらず、まともに歩けないため、通院はせずに、電話で松本先生に1回目の相談をする。最初の問診票で、自宅の電話番号を間違えて書いていたらしく、連絡がとれなかったそうで、叱られた。すんません(^_^;)
初診時の血液検査の結果で、アルコール中毒じゃないのか?と言われた。
確かに毎晩晩酌しているが、これまでの健康診断で指摘されたことがないので、愕然とした。 ひょっとして、肝臓も痛んでいるのか?持病がいろいろ出てくる年齢、49歳であるが・・・。ひとまず、そちらの治療もしようということになり、2週間分の別種の漢方煎じ薬と、追加の漢方の塗り薬を送ってもらった。
漢方薬はやっぱり高価である。血液検査で自分が気になったのは、ヘルペス・ウイルスへの抗体価の高さだったが、そういうものなのかな。化学実験(薬物合成実験)をずっとやってきたし、料理も適当にやっているので、煎じ薬を作るのは苦労しない。長風呂が苦手なので、薬湯風呂は、温水プールくらいの温度に調整して、入ることにした。頭髪や顔を洗った後は、湯船の中でばしゃばしゃと頭へも薬湯をかける。皮膚の表面が少しずつ剥がれて、薬湯風呂に浮かぶようになった。
特に耳たぶと鼻の皮膚はすごい早さではがれてくる。
飲む方の煎じ薬は、1日あたり8回くらいに分けて飲むようにした。
それから数日して、手首と足首の関節から先が、さらにしびれる感じになってきた。よちよち歩き状態である。微熱が出てきたことが気になるので、松本先生に2回目の電話をした。市販のアスピリンやロキソニン(解熱、鎮痛、抗炎症薬)を飲んでもいいかと尋ねたら、だめだと言われ、あんたは学があるんだから、私の論文を全部読めと言われた。はい(^_^;)アスピリンも免疫低下の作用もあるんですねえ、安全な薬だと思っていたけど(飲み過ぎると、怪我をしたときに血が止まりにくくなるので、ご注意を)。ますます睡眠不足がきつくなった。
使い残していたステロイド軟膏や抗ヒスタミン剤に手を出しそうになったので、さっさとタタキ捨てた。ステロイド塗り薬を使っていた、頭髪部にはかさぶたがどんどん増え、顔はカサカサ部分が増え、手足腹の発赤はさほど良くならない。こりゃ、しばらく治療に時間を入れないとあかんなということで、
仕事の請負をしばらく減らすため、クライアントさんたちに相談した。
経済的にはちと苦しくなった。まともに歩くことができないくらい、くるぶしや手足指がしびれてきて(前にも書いたが、ヘルペス・ウイルスと免疫が戦っているとのこと)、微熱のせいか、自宅マンションにいるときは、マットレスの上で横になっていることが増えてきた。これでは仕事がきちんとできるわけはない。ステロイドのリバウンド、恐るべし。今から思えば、このころが一番辛かったように思う。
☆2011年7月下旬 なぜかニキビ消失
子供のころから病気がちだったが、いまごろ皮膚病になることが呪わしい。
治療開始から3週間、わずかに発赤部分がマダラ状に薄くなったように見える。皮膚の赤い部分は少し収まってきたようなので、ポピドンヨードは使わなくなった。ゲンタマイシン軟膏は、痒い皮膚を掻くときの保険として、指先に塗っていたが、これも使わなくなった。頭髪部や耳たぶのかさぶたは、あいかわらずぼろぼろ出てくる。膿が出ないのはありがたい。
塗り薬の色素が服にどんどん付くのは困るけど・・・。関係あるのかないのか、以前は上腕にニキビが常時出ていたのだが、いつのまにか無くなっている、これも漢方の効果か?
仕事を減らしてできた時間つぶしに、漢方薬をちょこちょこ調べている。
☆2011年8月上旬 再びリバウンド?
治療開始時の発赤部分はマダラ状になってきて、だんだん薄くなってきたのだが・・・、困ったことに、ステロイド軟膏を塗った記憶のない背中や尻にも発赤は広がってきて、痒みも出てきた。
あせものようなブツブツが各所に少し出てきたが、膿が出るわけでもなく、単に痒いだけである。足先のしびれ(ヘルペスの影響)は良くはならない。
松本漢方クリニックへ電話をかけて、漢方薬とアシクロビルを補充してもらうことにした。
発熱が出たら、すぐに連絡するようにとのこと。現状は36 ,8℃前後というわずかの微熱状態がつづいており、体がだるい。
☆2011年8月中旬 夏ばて・・・
蛋白質を多めに食べた方がいいと思うのだが、例年の夏ばてのため、食欲がまったくない。少しずつ食事をとる。皮膚炎の症状もごくじわじわと良くなってるかな?というところ。手先、足先のしびれもわずかにましになってきた。
発赤していない部分にも痒みを感じ、ここが次に発赤するのかなと思うと、憂鬱になる。なぜだか、目やに(関西弁で言う、目くそ)が多く出るようになった。
☆2011年8月下旬 少し進展
最初に発赤していた、手足腹の赤みが引いてきた。漢方治療開始から、2ヶ月弱で効果がでてきたようだ。尻の発赤も引いてきたが、背中と肩はまだ痒いので、爪をできるだけ立てないようにして掻いている。
手先、足先の痺れは残っているため、あまり自動車を運転しないようにしている。足先に発赤は無いが、むくんでいる状態、リンパ液が貯まっているのかな?
☆2011年9月上旬 皮膚が薄くなった?
台風12号の対策やらで、住んでいる自治会の活動に引き出されてしまい、少し治療をさぼった。すんません。手足腹の発赤は、最もひどいとき(7月中旬)の半分くらいに引いてきた。背中と肩はまだ赤い部分が残る。これまでと同じく、膿が出ないのはありがたい。頭部のフケやパサパサはいくらか収まってきた。耳たぶと鼻のパサパサはまだ続いている。手先、足先の痺れは、あまり良くならない。皮膚が薄くなったのか、力を入れて手足を使おうとすると、軽い痛みが走る。もう少し涼しくなってくれれば、通院できると思うのだが・・・。
☆2011年9月中旬 好転しつつあり
皮膚の発赤と痒みは、ステロイド軟膏を塗りだした頃(5月)の状態まで急に戻ってきた。赤いというよりは黒っぽい発赤になっている。
背中と肩はまだ痒いが、だんだん治ってきたなあと実感できた。
夜中に痒くて起き出すことも減ってきた。ただ、手先と足先の痺れはなかなか取れない。皮膚がまだまだ薄い感じで、自動車や自転車に乗るのも少し辛い感じである。堅いものに当たると、手足が少し痛い。9月だというのに、まだまだ暑く、食欲が戻らない。まだ治療途中ですが、松本先生に感謝します。
あのまま、ステロイド剤を使っていたら、どうなっていたことやら。
通院しない不良患者ですが、これからもよろしくお願いいたします。
中間手記これまで。
私にアトピーの症状が出たのは中学2年生のときです。腕に湿疹がでて、
アセモだと思い薬局でアセモの薬を買い塗っても治らないから皮膚科にいくと「アトピーですね」と言われました。それから、29才くらいまで湿疹が出たり赤く痒くなったりしたら、皮膚科に行き薬をもらって塗っていました。
(ステロイド)それで、ある程度は収まっていた為、仕事や生活にあまり支障はなかったように思います。29才の頃、離婚などストレスがひどかったせいか顔まで真っ赤になり、皮膚科でもらった薬を塗っても飲んでも良くなりませんでした。回りからはあれを食べたらいい、これを飲んだらいいと言われ、
親切がストレスになって疲れていた頃、子供の保育所で、知り合いのお母さんに勧められ、土佐清水の病院の分院の新大阪の診療所にいきました。
ステロイドが少ししか入っていないという軟膏をもらい、食べてはいけないものなどの注意を聞いて帰りました。そして早速もらった薬を塗って1週間もすると肌は綺麗になっていました。その時は何も考えず、いい薬だと思い、それからずっと塗り続けていました。でも塗り続けているとだんだんと薬の効き目はなくなっていくみたいでした。それでもアトピーのほうは生活に支障のないくらいに小康状態を保ち6年くらいはたまに薬を塗る程度で過ごせていました。ただ肌はくすんでいてファンデーションはいつも一番黒い色を選んでいました。
化粧品の販売の仕事をしていましたが、だんだんアトピーがひどくなり、どこの皮膚科の薬を塗っても飲んでも治らなくなりました。黄色ブドウ球菌に感染して全身ひどい状態になるし平成20年10月ごろには顔は赤く皮がめくれて、とてもじゃないけど化粧品の販売を続けていくことはできないと、無理を言って11月の始めに退職しました。
8月に松本漢方クリニックのことは聞いていましたが、仕事も休めないし、今のまま薬で押さえるしか、しょうがない、私には無理だと思っていました。でも薬も効かなくなって仕事も退職して…こうなったら徹底的に治したい治せるものなら治したい!松本先生の論文を読むと頭の悪い私でもアレルギーの根本治療は理解できました。この頃も回りに色んなものを勧められて何も聞く耳をもてない状態でしたが、松本漢方クリニックは自分で納得し、たくさんの手記も読んで、覚悟と期待の入り混じった気持で受診しました。
「治るよ」と力強く握手していただいたときは久しぶりに笑顔になれた気がします。
そして私の治療が始まりました。私は喘息もあってメプチンエアーもよく使っていると伝えていたので最初は喘息の煎じ薬と赤い塗り薬でした。次の日には顔はボロボロに皮がめくれ首は首輪をはめられているかのように重く人間の皮膚とは思えない状態でした。微熱がでて悪寒がして、腕も足もパンパンにムクミました。お風呂上がりは辛く一時間はうめいて一時間は掻いて、何もできませんでした。すごい痒みで夜も寝れなかったけど、仕事やめて治療だけなんだから耐えようと思い、何も考えず教えていただいたとおりの治療をひたすら続けながら色んな苦痛を我慢しました。一日が過ぎるのがとても長く感じました。
2週間たつと、むくみと微熱はなくなってきていました。そして、もう喘息は大丈夫ということで、皮膚の煎じ薬に変わりました。また次の日から皮がめくれ、赤紫に腫れ、痒みと痛みに耐える日々が続きました。先生の掻いてもいいという言葉はとても気が楽になりましたが、痒いので力を入れて掻くのと皮膚がめくれやすくなっているためか、掻いたところは皮膚が削れて後は痛くて大変でした。
11月から治療を始めて2ヶ月め、少しは寝れるようになってきました。お風呂も最初は二時間くらいしか入ってなかったけど、五時間入るとお風呂上がりがだいぶ楽に感じれたので2日に一回五時間入るようにしました。顔は赤みがなくなり、足は膝裏以外は健康な肌になってきました。
1月末に仕事も決まりました。経験上やはり化粧品販売の仕事です。松本先生にも相談して、大丈夫!と応援してくださり、化粧がしやすいように黄色の塗り薬もいただき、薬を塗った上に化粧して仕事を始めました。仕事上、回りが皆、普通以上に綺麗にしているので、首の黒さや腕の湿疹など、まだまだ普通の肌ではないことに辛く思うこともありますが、社会からも抹消されそうだった状態を思いだし…ずっとではなかったけれど、25年前からステロイドを使用し、時には注射や強い薬を使ってきた自分がこんな短期間(半年)でここまで良くなれ、化粧品の会社に再就職できたのは夢みたいなことです。
大変な治療だと思いますが希望があるから耐えられます。綺麗な肌になった自分を想像したら頑張れます。実際に腕と首以外は見た目もほとんど普通の皮膚になれました。細胞を作るのは自分だから、強くなってポジティブになって一日も早く完治しようと思います!
松本先生、松本漢方クリニックを紹介してくれた人、嫌な顔をせず見守り助けてくれた家族を始め、私を支えてくれている全ての人に感謝し、完治までもう少し頑張ります!松本先生、よろしくお願い致しますm(__)m
現在67才ですが、50才頃から体にかゆみが有り、近所の皮膚科を京都北区の方まで治療に通っていました。その時は寒冷性アレルギーと言われましたが、夏でもかゆみが取れませんでしたので塗り薬(ステロイド)を使い続けてきました。最近、手に水ほうが出来て、つぶすとかゆくてかゆくてたまりませんでした。知人に漢方にしたらと言われ、娘と娘の知人に松本漢方クリニックを紹介して頂きました。
最初の診断の時、先生に今まで使っていたステロイドのリバウンドで相当にきつく出ると言われました。(家族の協力が必要)でもこのかゆみが無くなるのならどんなに楽に成れるかと思い、治療に踏み切りました。
H20、12月より漢方治療を始め、1ヶ月過ぎまでは普通にお仕事が出来ましたので、これは大した事は無いと思っていましたが、なんとなんと、2ヶ月目からリバウンドが始まり、顔、手、足と、きつい状態に成りました。顔は赤くはれ、自分では無い様な顔に成りました。足はパンパンにはれて歩けない状態で、手は象皮の様に成りました。本当に治るのかしら?と不安な毎日が続きました。でも絶対に治してあげると先生の強い言葉がありましたので、信じて通院する事にしました。
治療から3ヶ月経過の時、血液検査で、高原病、リウマチ、ヘルペスと出ていましたが、4~5ヶ月を経過するごとに、体の方も顔の方も少し楽に成ってきた様に感じてきました。6ヶ月位に成ると気分的にも楽に成り、明るい気持ちに成りました。 7月に入ってからは外に出る事も有り、化粧も出来る位に成りました。皮膚の方はまだ黒ずんでますが自然に消える事を望んでおります。
8月より仕事に復帰する事に成り、松本先生には大変お世話様に成りました。先生のお陰で普通の体にもどれた事、本当に感謝しております。ありがとうございました。
今までの経過の写真を同封させて頂きます。