「アトピー手記」匿名希望37歳2014年1月14日
皮膚炎・妊娠性湿疹手記
私が妊娠性湿疹だと診断されたのは2004年、第一子を妊娠中の産婦人科でのことです。全身に赤い大きな湿疹と激しい痒みが広がり、毎日掻き毟って傷になりました。体中がヒリヒリとただれたようになり、夜は眠れず、痒い、痛い、ばかり考えていました。赤ちゃんへの影響を考えて、ステロイド等での治療は行わず、消毒や傷薬のみでなんとか過ごしました。出産後は症状がすこし落ち着きました。赤い湿疹は相変わらずでしたが、痒いながらも日常生活には支障はない程度でした。そして2人目が1歳を過ぎた2008年になって、このままではいけない、治療しよう、と思い立ちました。近くの病院を検索し、松本漢方クリニックのHPを見つけ、翌日受診しました。他の皮膚科に行かなかったのは、かゆみどめの塗り薬を塗っても根本治療には至らないと思ったからです。
松本漢方クリニックでの治療はせんじ薬・薬湯・塗り薬でした。
乳幼児がいるため、20分以上の入浴はまず不可能で、薬湯は濃いめに煮出して浸かる代わりに塗ったりしました。初めて1週間目から徐々に発疹の赤みが増し、痒くなりました。また、せんじ薬の効果か血行が良くなり、体温が上がり、体調は良くなりました。そして約一年後、大きかった湿疹が平らになり、色も赤から黒っぽく変りました。リバウンドらしいリバウンドがなく、淡々と続けられたのは、今まであまり治療をしてこなかったからかと思っています。1年半ほどが経ったころ、血液検査の数値も下がり、症状も落ち着いたので治療を終了しました。正直なところ、この頃には、確かに治まってきたけれども、妊娠、授乳が終わって体質が変わったのかもしれない、痒みはまだあるし、妊娠前のアレルギー体質程度は残っているようだ、と感じていました。
それから5年、アレルギーは全くなくなってしまいました。
・金属アレルギーでつけられなかったネックレスも平気になりました。
・腕などを爪でひっかくと赤く腫れていたのに、赤くもならなくなりました。
・ピアス跡が痒くなりどんどん大きく腫れ、切除してもまた腫れる、を繰り返していた耳たぶも、全く痒くなくなりました。腫れもありません。
(これは木村病と診断されていました)
・黒く残っていた湿疹のあとも、うそのように何もなくなりました。
・一昨年には、3人目を出産しましたが、何の痒みも起こりませんでした。
以上のことから、やはり松本漢方クリニックでの治療が、私のアレルギー全般を治してくれた、と確信するようになりました。そして今頃になって手記を書いています。
手記の提出が5年も後になってしまい、申し訳ありません。
半信半疑、の私でしたが、確かに松本先生に助けていただきました。
痒みに悩まされることのない生活を、本当にありがとうございました。
4月頃、仕事が忙しく、過労とストレスから、急に顔に赤い湿疹が、出はじめ、急性のアトピーになりました。アレルギーは、持っていましたが、特に食べ物で、体に異常がでたり、化粧品にかぶれたりといった、経験が無かったので、皮膚科に行き、もらった薬を塗っていました。2~3日で赤みが消えてので、薬はやめました。ところが3日後ぐらいに、又、同じ様な状態に戻り、痒くて、乾燥も酷くなって行きました。薬が合わなかったのかと思い、別の皮膚科へ行きました。するとそこでは、ステロイドは完全に治りきる前に中途半端にやめると状態を悪化させる場合があり、今はその状態にあるので、もう一度このまま、その薬を完全に治るまで塗りなさいと言われました。1週間位塗り、今度は完全に治ったので薬をやめました。ところが、又、2~3日すると痒く赤くなり、鼻のところにも広がり、口まわりだけだったのが、目、額、にもではじめました。しょうがないので又薬をぬりました。塗っている間は、本当に綺麗な肌になるのですが、やめると、やっぱり赤くなり、皮膚がカッターで、切れ目を入れた様に何重にもめくれている感じになり、白く粉をふいた時もありました。ステロイドは怖いと目にした事があり、そういう事かと実感する思いでした。長期使用はしたくなかったので、ネットで、ステロイド以外で治療している病院をさがしました。そして松本漢方クリニックの事を知りました。遠方からも患者さんが来ている医院と知り、私はとても近くにこの様な医院をすぐ見つける事が、出来たので、とてもラッキーだったと思いました。煎じ薬と、塗り薬、消毒液ももらい、2回通院しました。2回目に薬をもらう頃には、もう治る兆しが見えていた感じでした。あれだけステロイドを塗っても治らなかったのに、飲み薬と赤い軟膏でこんなに早く治ると思っては、いなかったので正直びっくりしました。アトピーで悩まれている方の手記などを読み、私も長期戦で頑張ろうと思っていたので、本当に松本漢方クリニックの皆様に感謝しています。
松本先生の取り組みと、漢方のすばらしさ、またストレスや日頃の食生活や運動不足など日々の生活を見直しよいきっかけになったと、今では思えます。でも松本漢方クリニックに出会えて、本当に助かったと心から思いますので、これだけはもう一度、言わせて頂きます。
本当にありがとうございました。
「アトピーの根本治療を体感して」30歳男性2007年6月13日
~前説~
私は長岡京市に住む30歳(2007年6月現在)の男性です。松本漢方クリニックに通い始めて延べ8年目を迎えました。先生の治療を受けている中では古株になりつつあるのではないでしょうか?この8年には様々な出来事があり、私の誤った判断とくどい体質から治療が長引いているのだと思います。その辺はあとで詳しくは書くことにします。
松本漢方クリニックへ通院されている方の8割がアトピー系の患者さんと思いますが、私もその一人です。私の場合、小さい頃にアトピー性皮膚炎と思われる症状があり、近くの皮膚科や薬局での薬で治療をしておりました。その後、症状もなくなっていたのですが、小学校~高校にかけて、風邪薬を服用した時や体調の悪いときに蕁麻疹が出るようになりました。その時も薬局で買った薬を飲んでいたと思います。今にして思えば無知な治療方法だったと後悔しています。本格的なアトピーとの格闘が始まったのは社会人になってからになりますが、その辺もあとで詳しく書くことにします。
これから体験談を書く中で男性の局部に関わる話や一部、見苦しい表現があるかも知れません。出来る限り読み易いように書いていきたいと思いますが、そういった内容や表現が好ましくない方はお読みにならないようにお願い致します。
~始動~
初めて松本漢方クリニックの扉を叩いたのは1999年6月25日、忘れもしない給料日の日でした。あの狭い待合室(ごめんなさい、先生。)には人が溢れ、椅子に腰掛けることも出来ないほどでした。患者さんの中には街で見かける、一目で「アトピーだな?」とわかる人もいれば「何の治療で?」と思える人まで様々でした。正直、これほどまで患者さんがいるのか驚いたことを覚えています。
私が松本漢方クリニックを知ったのは、母の友人が治療を受けて完治したという話を聞いたことでした。社会人になってから症状がひどくなってしまった私は、薬局で買った薬では抑えられないほどになっていました。母が言うには「松本漢方クリニックは漢方薬を中心とした治療らしい」との伝え話をしてくれました。
母も私も一度、漢方薬で失敗したことがありました。高校の時に全身のかゆみに悩まされ、薬局で漢方薬を処方してもらいました。その高い薬は対価を表す効果もなく、症状に変化がないまま月日が流れ、かゆみは薬を飲まなくなってから落ち着いていました。
そのことがあったからか、「漢方薬」というものがイマイチ信用出来なくなってしまっていました。ところが、問診と採血の中で松本漢方クリニックでの治療の説明を受け、診察室で衝撃と言うべきインパクトのある人物に出会うことになりました。松本先生です。機関銃のようなトーク、装甲車のような突進力、英雄のような説得力。どれを取っても自分の周りには存在しないような人がいました。そこから私の戦いは始まりました。
~激変~
治療を始めた私の体は、休火山が火山活動を再開したような状態になりました。ありとあらゆる場所からかゆみが発生し、皮膚はどんどん崩れていきました。最初の1ヶ月は症状がひどくなる(リバウンド)と言われていたので、ある程度は想像していた範囲だったので耐えることが出来ました。ところが、2ヶ月、3ヶ月と月日が経つのにつれ、その症状は想像を絶するものとなっていました。普通の生活が送れないほどに症状は悪化し、全身のかゆみから生きること自体がつらく、何度も挫折しそうになりました。しかし、治療を止めようとは思いませんでした。この時点で症状は、最高に悪い状態になっていました。私は症状について改めて考えてみました。これの状態は何を意味しているのか?体で何が起こっているのか?一つ確実に言えることは「体に凄まじい程の変化が起こっている」ということなのです。例えば、このようなことが、そこら辺の皮膚科で治療して起こりうるでしょうか?薬局の薬を買ってこのような状態になるでしょうか?他で治療をした場合、多くはあまり変化のない小康状態が続くでしょう。
しかし、先生の治療は違いました。「今まで君が使用した薬(免疫を抑制した)を全て出してしまわないと治らない。人によって違うが、リバウンドは辛くなるだろう。」その言葉通り、リバウンドはやってきました。私の想像を遥かに超えて・・・。
この時点で私は「この先生を信じ抜いてみよう」と思いました。今まで治療に関して、茶を濁した発言や断言が出来ない医者ばかりでしたが「絶対に治してやる。」馬鹿がつくほど真っ直ぐな先生。乱暴な言動が多い先生ですが、私はお話を聞いていて非常に筋の通った話をされていると思います。それは筋の通ってないことが許せない性格なのでしょう。私はそんな先生の人間性を信じてみようと思いました。
~体質~
私は未だに体にかゆみが残っています。治療を始めた当初に比べれば激減とも言うべきものになっていますが、治療を始める前に比べると大差ない症状になっています。しかし、大差があるのは症状ではなく、体の状態なのだと思います。
先生は「体質改善」と言う言葉を非常に嫌います。(皆さん、先生の前ではこの言葉は使わないで下さい。逆鱗に触れることになります。)先生の治療を受けて分かりましたが、この治療は「体を元の正常な状態に戻す」になるのだと思います。全ての原因はIgE抗体の異常な免疫活動による疾患が原因と松本先生から言われました。では、この異常は何から発生したのでしょうか?環境汚染、人工化合物、農薬、ストレス、そして悪魔の薬(ステロイド、抗ヒスタミン剤など)など、様々な原因が考えられると思います。
この世の中には数え切れないほど、人体に影響を与える物質が存在しています。人類はその様々な要因と共存して行くしかありません。共存するには体をその環境に合わせるしかありません。この行為は松本先生の言われる通り「改善」ではないと思います。本来、人間は環境に対して高い順応性を備えていると私も思います。何かの要因で狂わされた体の順応性を取り戻す治療、それが松本漢方クリニックでの治療だと私は思います。
~要因~
私の症状を悪化させた原因は「ストレス」でした。(私が勝手に思っているだけで科学的根拠があるわけではありません)先生の下へ訪れる3ヶ月前頃から私は仕事へのストレスに襲われていました。仕事が嫌いになったわけではなかったのですが、慣れてきた仕事への面白みが薄れ、上司への不満が溜まり、現状に漂流している自分が嫌になっていました。
そんな毎日を過ごすにつれ、体の色んな部分にかゆみが現われ、それが全身へと広がっていきました。その時の自分を振り返っても、生活環境で思い当たる要因が「仕事へのストレス」しか思い当たるものがありませんでした。ストレスが溜まると胃に穴があくように、免疫への影響も考えられると思います。先生にも影響がないとは言い切れないと言われたこともありました。何にせよ、人にはそれぞれ要因があり、その要因は数え切れるようなものではないのだと思います。
~発汗~
今も思うのですが、ストレスや緊張した時の汗と運動した時の汗には違いが見られます。同じ発汗ですので、多少はかゆみを伴いますが、一般に「変な汗」と言われる汗をかいたときには異常なかゆみに襲われます。私の症状では脇の下、股上、ひざの裏がかゆくなることが多く、どこも発汗が多いところばかりです。「変な汗」をかくときは、その汗が止まらず、自分の意思とは関係なくじわりじわりと沸いて出てきます。
この治療を始めてから発汗に対する恐怖心が芽生え、運動することへの嫌悪感で苦しみました。運動どころか、汗をかく行動が出来なくなってしまった時期もありました。その反動で、症状が軽減された今では積極的に運動をするようになりました。現在も、通勤や外出先で「変な汗」をかくとかゆみに襲われることがありますが、運動でのかゆみは殆どなくなりました。発汗の分泌物が、ストレスの感じていない時とストレスを感じている時で違いがあるのかは分かりませんが、抗体の働きが違うのではないかと感じる時がありました。幸い、顔への症状は殆どなかった為、人にアトピーと気づかれることは殆どなく、稀に「アトピー?」と聞かれることがあった程度でした。
~目線~
治療をするにあたって一番辛かったこと、それは局部の症状でした。特に通勤の時には非常に辛い思いをしたことを覚えています。夏になりますと、嫌でも汗をかきます。汗はかゆみを促進させる作用があります。しかも、かゆみが強くなるとストレスを強く感じる「変な汗」が多量に分泌され、またかゆみが・・・。この悪循環は密閉空間(会社や電車の中)でかなり経験しました。症状が出ると、なるべく目立たないようにかき続けるのですが、かゆい部分は男性の局部や脇の下が多く、端から見るとただの「変態」です。
見られていないと思っても、やっぱり恥ずかしいし、情けなくて、非常に辛い思いをしていました。私の場合、脇の下と局部の症状が特にひどく、症状が出続きえていた部分でもありました。出来ることなら体から切り取りたいと思ったこともありました。
~協力~
この治療は、家族や周りの人達の協力がなければ成り立たない治療です。世間一般の常識で考えると、この治療方針すら理解されないことが多いと思います。治療をする本人は完治を強く信じて治療を始めますが、経過の中で不安を感じることも少なくありません。その時に支えとなるのが、家族の理解と周囲の協力です。当然、周囲の皆さんがこの治療を理解することは難しいと思います。本人ですら、治療を進めてみないと実感することが出来ないわけですから。私は母親、妻にこの治療でかなり助けてもらいました。煎じ薬を作ってもらい、痒い時には痒みが治まるまでかいてもらいました。私の背中をかきながら2人は半信半疑だったと思います「こんな酷い状態でほんとに治るのか?」と。でも、私は信じる道を選びました。2人も考えに理解を示してくれました。私が諦めようと思った時も、献身的に支えてもらったことで自分を奮い立たせました。
~対処~
私がかゆみへ対処するために考えたのは「熱湯シャワー」でした。(良い子の皆様は真似しないで下さい)今も私は一日に最低、朝夕2回のシャワーと夜に入浴しています。これは汗を流し、体を清潔にするという意味もあるのですが、朝夕のシャワーはかゆみが発生する部位に対して熱湯を浴びせ、かゆみを軽減させる(麻痺させる)のです。熱湯はある程度の温度になると爪で強くかいた時と同じような「ジンジン」とした感覚になり、強くかいた後のような感じなります。全てのかゆみが取れるわけではないのですが、この方法で私は幾度となく救われました。一時期、しずかちゃんを超えるぐらいのシャワー好きになっていたと思います。今も変らずシャワー好きですが。
この対処に副作用はないと思いますが、あんまり良い方法ではないのかも知れません。本来、治療では皮膚をかけるだけかいて再生を促し、IgE抗体を消費することを目的としています。しかし、この熱湯シャワーを浴びると少なからず「皮膚をかく」と言う行為が減ってしまいます。これではIgE抗体の消費を妨げてしまうかも知れません。
~覚悟~
この治療に「途中放棄」はありえません。途中で投げ出すぐらいなら最初から治療しない方が良いです。少なくともお気軽に出来る治療ではありません。ご自分の治療への決意、家族の理解がない方は、勝手な意見ではありますが、治療をされない方が良いと思います。
治療を放棄された方の多くは、「詐欺」だとか「あの病院は治らない」と言われています。その方達の文章を見ていると、この治療を理解していない方が多いです。治療費がかかることや「治療を始めるとどうなるのか」、「どういう経過を辿るのか」をあまり理解されていません。全てはホームページに公開されています。そういったことを読みもせずに治療に訪れ、簡単に治るだろうと思うこと事態が間違いだと思いました。(そういう私も、最初は気軽に考えていた一人ですが。半年ぐらいで治療は終わるのだろうと)
信じることは難しいことだと思いますが、この治療を始めようと思った方は何があっても諦めないで下さい。これまで自分が頑張ってきたこと、周囲の協力、費やしてきた時間、治療にかけた費用、全てが無駄に終わってしまいます。信じて進むしかありません。
私も一度、フェードアウトしてしまいました。自分が勝手に「完治した」と判断してしまったからです。今でもものすごく後悔しています。そのことが治療期間を延ばしてしまった原因になってしまいました。自分の馬鹿さ加減に頭にきます。
皆様には私と同じ失敗を繰り返して欲しくありません。この治療には2つの選択しかありません。途中で諦めるなら「治療をしない」、完治を目指すなら何があろうと「諦めない」どちらを選ぶかは皆様の自由です。ただ、中途半端はいけません。症状が酷くなっているだけで、何の解決にもなりませんので。
~経過~
私はまだ治療中の身なのですが、いつか必ず卒業生になれると思っています。その時期もすぐそこに迫っています。この治療が終わることを何よりも望んでいたのですが、残念なことに娘が同じアトピーだと分かりました。私と松本先生との関係はまだまだ続きそうです。(別に嫌って訳じゃないですよ、先生。)
ただ、娘が同じ目にあってしまうと思うと不憫でなりません。子供は大人より他で治療を受けた経験が少ない為、治療が早く済むと言われています。この治療に近道はありませんが、出来るだけ早く治療が終わることを祈りたいと思います。
今後とも娘共々、宜しくお願い致します。以上
「不安から安心へ、そして確信へ」匿名希望38歳・39歳2005年11月20日
私ども夫婦は大分県に住んでいます。年に数回しか通院できませんが、松本先生の「必ず治してやる!」の言葉と、電話でのやさしい応対を励みに、二人で治療を続けています。
’03年、私たちと松本先生との出会いは2月の事でした。ある日の朝、妻が起きてくると、目の周りを中心に赤く腫れあがって、まるで別人のような顔になっていました。どうしたのかと尋ねると、昨日から目の回りに少し痒みを感じていたが、理由がわからないとの事であった。とても仕事になんて、それどころか外にすら出られないような顔になっていました。仕事の忙しさからのストレスではないか、そんな風に二人で話しました。
次の日も腫れは引かず、口の周りにまで広がり近くの皮膚科に行きました。そこで処方されたのは、ステロイド入りの薬でした。妻はステロイドの事にある程度知識があったそうで、結局は使いませんでした。
ステロイドは使いたくないし、他に何かよい手はないかと、皮膚によいという温泉に数回行きました。しかし、症状は悪化し続け、しまいには汁まで出るようになってしまいました。
どうしてよいかわからず、インターネットで調べたところ、松本漢方クリニックにヒットしました。そこには手記があり、妻にそっくりの症状の方がいらっしゃり、しかも回復していったという事が報告されていました。妻は、「ここしか治らない。」と思い、「私はアトピーだ!」と言う事を知りました。手記に勇気をもらい、松本先生の治療法に励まされ、「行くしかない。」そう決意しました。
妻は、初めての診察で、ドキドキしていましたが、「絶対治してやるから!」という松本先生の言葉と、握手をして頂いた手のぬくもり、看護師さんの優しさ、すべてに涙があふれていました。妻は、「ステロイドを使わず治療していける、ほんとうによかった!」そう思ったそうです。
ところで、私はというと、妻にそんな事が起こっているのに、漢方薬なんて効くものかと全く信じておりませんでした。また、妻の事を、「アレルギー体質で大変だなー」とぐらいにしか思っていませんでした。そう、アトピーはまさに他人事でしたが、妻と話したり、松本先生の「革命的アトピーの根本治療法」を読んでいくうちに、そういえば、「私の体に突然できるカサカサのかゆい皮膚はなんだろう?」と思いだしました。
時期は覚えていませんが、社会人になって、足のくるぶし、土踏まず、肘、手首、いろんなところがカサカサになりました。掻いてはカサカサになり、○○軟膏とかいうものを塗って治まり、何年かたつとまたできる、の繰り返しだったような気がします。思えば、IgE抗体を押さえる成分が入っていたのかと考えれば、治らない事が納得できました。
そこで、8月、妻と一緒に診察を受けました。ここ2年程前から冬になると、太股の内側が全面カサカサに赤黒くなり、痒みが止まらない事が続いておりましたので、私も診てもらいました。松本先生は、私の顔を見るなり、「アトピーがあるな。」と言われました。「えっ?!」という感じでした。太股は見せなくとも、顔や首筋にも十分兆候があるという事でした。私は「自分はアトピーではない」という気持ちがありましたので、とても複雑な心境でした。でも、「治してやるから!」という松本先生の言葉に少し安心しました。「頼ってみよう。」そう思い、それから煎じ薬を飲んで塗り薬を太股に塗るようになりました。
そうして、’04年3月までの冬の間は痒みもほとんどなく過ごす事ができました。春になり、痒みもカサカサも全くなくなりました。漢方によるアトピー治療を信じるようになりました。
’04年、この冬妻の方はと言うと、2月、またもや少し腫れが顔に出ました。しかし、煎じ薬と消毒と塗り薬、薬草風呂で、すぐに症状は改善していきました。
妻は、小さい頃から鼻炎や喘息がひどくて、入院していた事もあったそうで、その時かなりのステロイドなどを使用しているからだろうなと言っていました。そういえば私も鼻炎がひどく、点鼻薬にステロイドが入っていると言われた事があったなーと言う事を思い出しました。ぞくっとしました。
’05年、さぼったりもしながら煎じ薬を飲み続け、1月、「今年は、例年の十倍花粉が飛びます。」とテレビでは大騒ぎの年でした。私にも、突然、首の周囲を赤く腫れあがるように、微熱とともにアトピーが出現しました。これまでにない初めての激しい症状のものでした。しかし、松本先生に指示をいただいたとおり、消毒と塗り薬、煎じ薬を続けたところ、一週間程で症状は落ち着きました。この時、もし松本先生にお世話になっておらず、何の知識もなければ、パニックになっていただろうと、ぞっとしました。
11月、冬の気配とともに、腕にアトピーがぽつぽつ。ああ、今年もまたでたなという感じですが、不安は全くありません。なぜならば、IgE抗体は自然と作られなくなり、この戦いはいつしか必ず終わるからです。そう確信しています。それまで、松本先生、これからもお世話になります。夫婦ともども、よろしくお願い致します。
~治療のきっかけ~
私が、松本漢方クリニックでアトピー治療するきっかけとなったのは、私の子供でした。子供が2歳くらいの時から、湿疹が良くできるようになり、ある病院でアトピー性皮膚炎の診断を受けました。当時は、ステロイドに対する知識もなく処方された薬を付けていましたが、それは良く効く薬(今になって考えてみると・・・ステロイド?)で、湿疹が出るとその薬を付け治療していました。
ところが、ある日家内が、ステロイドの副作用について新聞だったか何かの雑誌だったかは良く覚えていませんが、その記事を読み、とんでもない副作用があることが分かりました。しかし、アトピーが完治したという話はあまり聞いたことが無く、それからというもの私達は、子供は痒がるもののステロイドは使いたくないということでどうしたものかと困っていました。
そんな頃、妻の従兄弟から松本漢方クリニックを教えて貰い、HPがあるので読んでみたらと言うことでHPを見ました。文字だらけのHPで、少々驚きましたが、さすがに子供の将来がかかっているとあって、一生懸命読みました。驚いたことにそこにはきちんと理論立ててアトピーは治ると書いてあるでありませんか!しかもステロイドは一切使わず漢方薬で治療するとのことでした。私達は高知県に住んでおり、さすがに頻繁に通院するのは難しいと思いながらもアトピーがいつひどくなるか分からない、またステロイドの副作用に苦しむ子供の姿は見たくないので、早いうちに治してあげたいと思い子供の治療で松本漢方クリニックを訪れたのがきっかけです。
~アトピー治療~
私達が松本漢方クリニックを初めて訪れたのは、今から2年ほど前の7月でした。昼の12時半頃松本漢方クリニックに到着し、午前中の診察にギリギリ間に合いました。それから待つこと約3時間。その間にも診察室からは怒鳴り声が・・・「ここ病院だよね?」って誰かに確認したくなるような時間でした。午後3時過ぎやっと診察の順番が回ってきた私達は診察室に入り、子供の今までの経過や症状について先生に説明しました。そして先生は子供を一目見て「うん。アトピーやね。絶対治してあげるから。」と一言。そして次の瞬間、私を見て「問題は君やね。」とまた一言。私は、一瞬「えっ?」って聞き返し、ぽかんとしていました。そして先生に「今までアトピーって診断受けたこと無いんですが・・・」と言うと、先生は、「それは今まで君を診てきた医者がアホやから分からんかっただけやろう。おまえのその赤い顔はアトピーの他何でもないわ。」と言われました。もともと子供がアトピーでその治療に来ていた私は、恥ずかしげもなく「アトピーと言われたことはないんですが、10年くらい前からニキビの親分みたいな大きい吹き出物が出るようになりました。」と言うと、先生は、「おまえ一体いくつや?30歳も過ぎてからそんなニキビできるか。アトピーやからそんなんできるんや。大丈夫。絶対に治してあげるから。ツルツルにしてあげる。」と言われ、握手。今までにこんなにストレートに言う医者にはあった事がないし、選挙じゃあるまいし握手する医者なんて初めてでしたので驚きました。しかし、何故かその時は疑うこともなく「アトピー治療するんだ。」と漠然と思っていました。今考えれば、動物の本能というか直感というか無意識のうちに信じてしまったように思います。
その日から、子供とのアトピー治療が始まりました。私の場合、血液検査の結果、やはり杉花粉やハウスダストと言った数値が、通常よりも高い状態でした。治療内容は、煎じ薬、粉薬(鼻炎)、入浴剤、軟膏の4種類で必要に応じて抗生物質というものでした。煎じ薬は漢方薬独特の臭いと微妙な甘さ、粉薬は、通常の病院で貰う一回に飲む薬の量の2~3倍の量で、かつ、これまた漢方特有の臭いと苦み、甘さが混在する飲みにくいものでした。入浴剤はというと入浴できる状態にするまでに1時間、入浴を開始してから1時間と時間的にも体力的にも結構辛いもので、軟膏は軟膏で赤紫というか何とも奇妙な色で臭いもあるものでした。
治療を初めて2ヶ月くらいから顔のニキビはどんどん出てきて、まるでニキビお化けの状態になりました。私が幸い男だったからでしょうか、そんなに気にもせず、毎日煎じ薬と粉薬を1日3回、お風呂も子供と入浴。毎朝、晩顔せっせとに軟膏を付ける日々が続きました。職場へ行くと「どうした、その顔!油ぎっしゅ。」と言われ、その都度松本漢方クリニックの治療を今受けていることを説明していました。しかし、治療を始めてから4~5ヶ月くらいするとニキビもドンドン治ってきました。「もしかして速くも完治?」と思うほどキレイになってきました。そうなってきてからのことですが、職場の人の中には「さすがに、あまりに酷かったので何も聞けなかった。なんか悪い病気でもしているんじゃないかと思って」と言う人もありました。そして期待していた2回目の血液検査を行ったところ、なっなんとアレルギーの数値が悪化していたのです。「えっ、良くなっているんじゃなかったの?」と思い、先生に聞くと「アトピー治療は、よくあることだ。心配せんでええよ。絶対治してあげるから。ツルツルにしてあげる。奥さんも心配せんでええよ。ツルツルにしてあげるから。けどあんまりキレイになってモテ過ぎるようになったからいうて浮気したらあかんぞ。」とのお答え、そして握手。「へっ?なんだそりゃ。」と思ったのですが、それでも何故だか分からないけど治療に対する疑問は、湧いてこなかったのです。
その後、ただひたすら言われた治療を続け、鼻炎の症状もドンドン軽くなり、顔にはほとんどニキビも出ない状況になり、3回目からの血液検査では数値も改善され始めました。驚くことに、洗顔の時の顔の手触りが明らかに前とは違って来ていたのです。そんな時、妻から「松本先生は完治が近くなると治療に関する手記を書いて」って言うらしいという話を聞きました。そして忘れもしない平成18年8月29日に通院した際、「もう山場は超したな。手記書いて、手記を。」と先生から言われ、信じられないくらい嬉しくなりました。全然、自分の治療をしようと思って通院したわけではないのに私を見て治療してくれた先生に感謝します。
~終わりに~
未だ完治しているわけではありませんが、もう少しの所に来ていることは事実です。それは血液検査でも証明されているように。松本先生の診察は、診察自体はものの5分くらいで終わるのですが、その後の日本の政治などの話が面白かったです。面白かったなどとは言ってはいけないのでしょうが、その歯に衣を着せないストレートなものの言い方といい私には合っていたのでしょう。けれど良い医者というのは、合う合わないではなく、要は治せるか治せないか、嘘を言うのか真実のみを言うのか・・・ってことではないでしょうか?松本先生はそう言う医者であると思います。(決してゴマをすっているわけではありません。)そのことが、あの大きな怒鳴り声であり、口癖の「アホ!」「治してあげるから。」であり、あの何回もした握手なんだろうなと思います。
最後にもうひとつ今回治療をしてきたうえで重要なことがあります。もちろん松本漢方クリニックの治療や松本先生を信じることは重要ですが、家族の協力も必要不可欠です。嫌な顔一つせず、煎じ薬や入浴の準備をしてくれた家内や一緒にお風呂に入ってくれた子供。(子供も治療の必要があったわけですが・・・)この重要な要素が、あってこそ「完治」の2文字が見えてくるんだと思います。
子供の方の治療はまだしばらくかかりそうですが・・・私自身はもう一踏ん張り。完治まで頑張って治療を続けます。
「松本漢方クリニックとの出会いについて」35歳男性2006年2月12日
私が松本漢方クリニックと出会ったのは、平成16年の8月の事です。いきさつとしてお話すると、幼少の頃からアトピー性皮膚炎を患っており、定期的に地元の皮膚科にいっていました。
中学・高校・大学は、運動していて、体の抵抗力があったのか、あまりアトピーの症状は見られませんでした。しかし社会人になり、ストレスからか、又アトピー性皮膚炎が発症しました。
それからは、定期的に皮膚科に行っていたのですが、痒さがでると、もらった塗り薬を塗りました。塗ると不思議な程、痒みや赤みがなくなり、また痒くなると塗るという形で、慢性的に塗り薬を塗っていました。薬がなくなると、痒みで夜に寝れないので、本当に塗り薬に頼る毎日でした。
そんな生活が約10年続いていたのですが、そのうち、もらった塗り薬を塗っても効かなくなってきました。皮膚科にその事を言うと、更に強い塗り薬に替わりました。最初はそれで効いていたのですが、そのうち、それも効かなくなりました。痒みで夜も寝れないし、仕事にも支障をきたすので、もっと強いものを求めました。医者の先生が、「あまりステロイドの強いものにすると、良くない。」と言われ、「確かにそうかもしれない」と思っても、今日を過ごす為に塗るしかなく、いつも顔が赤い状態が続きました。
でも冷静に考えると、1日たりとも塗り薬を手放せなく、それもだんだん強いものになってきている。そのうち効く薬がなくなるのではないかという恐怖が芽生えてきました。私は仕事が忙しく、そうは言ってもステロイドの強い塗り薬しかなかったのですが、だんだん状態がひどくなっている私を心配した親が、アトピーを治すと評判の薬局を見つけてきました。
それが平成16年の4月の事です。そこは、今塗っているステロイドを徐々に減らしていき、漢方薬(紫霊芝だったと思う)を飲み、患部を保水するというスタイルでした。
それからは、辛い生活がスタートしました。極力ステロイドを塗らずに我慢の日々でしたが、やはり辛さからか、「本当に治るのだろうか?」という疑問はありました。そんな時、親がインターネットで、松本漢方クリニックの情報を知りました。
ネットで確認してみて、驚きました。それは、今までの皮膚科は、具体的にアトピーを治す術を知らず、ステロイド薬で、その場を抑えるだけだったのに対し、松本先生は、明確にアトピーの仕組みを分析しており、完治する方法を明記していたからです。
それからすぐに松本漢方クリニックに行きました。初めて行った時の感想は、院内に漢方薬の匂いがした事、松本先生が個性あふれる人だった事、そして、これまでの患者さんの手記がたくさんあった事が印象に残りました。行ってみて、「ここなら、アトピーが完治するかも」という大きな希望が湧きました。なので、松本漢方クリニックまで遠い事や、薬代が高い事は、私には問題ありませんでした。これから何十年もアトピーで苦しむ事や、満足に仕事も出来ない事を考えると、本当に治るのであれば、お金で表せない価値があると思ったからです。
それから、通院が始まりました。辛かったのは、痒みでした。ステロイドを塗ると、痒みが治まるのは分かっていましたが、絶対に塗りませんでした。それは、ステロイドを塗ると治らないと、松本先生が理論で教えてくれていたからです。その確信がなければ、またステロイドを使用していたかもしれません。
そうは言っても、つらい時期が続きました。丁度夏場だった事もあり、汗をかいたときの苦しさは、想像以上のものがありました。時には、本当に治るのだろうか?と思ってしまう時もありました。
そして会社を1ヶ月半休職する事になりました。それでも乗り越えてこれたのは、松本先生の励ましと、両親の大きな協力と応援、そして他の方の手記を読んだからです。手記の中には、自分よりも本当に大変な人がたくさんいて、これくらいで根をあげれないなと感じました。
2004年8月のIgEが1595、12月のIgEが1621、2005年11月のIgEが999になり、本当に良くなりました。真っ赤だった顔も普通の色になり、肌も綺麗になりました。たまに痒みは感じますが、我慢出来ない痒みではなく、夜も充分寝れます。まだ完治はしていないので、油断は出来ませんが、あのままステロイド薬を塗っていたらと考えると、ぞっとします。本当に感謝しています。有難うございました。
「アトピー手記」匿名希望37歳2004年8月29日
私は、子供のころから、アトピーでしたが病院に通う程ではなく過ごしてきましたが、32才の春に、花粉症になり、すぐにアトピーも悪化し始めました。最初に行った病院は、アトピー治療で有名な病院でしたが、症状が改善する事なく、悪化もしくは現状維持でした。
その後、インターネットで、松本先生を知り、お世話になる様になりなした。今でも、覚えていますが、初めの頃のリバウンドで、きしるが出て、夜も眠れない日と、顔が腫れた事など、つらい事もありました。でも、松本先生の「治してあげる」と言う言葉を信じ、又家族の協力もあって、今では、以前に比べ良くなりました。
先生、病院のスタッフの皆さん、本当にお世話になりました。これからも、宜しくお願いします。
「アトピー手記」匿名希望33歳2004年6月29日
10歳の頃、背中に少し湿疹が出て以来22歳まで、ステロイド軟膏を塗り続けていました。その間症状が良くなるどころか、アトピーの範囲が広がるばかりで、不安に思っている時、顔に痛みのある湿疹が出たので、通院していた皮膚科と別の病院に行くと、ヘルペスと診断され、「ステロイドは、長く塗り続けない方がいいよ。」と言われました。その事をきっかけにステロイド離脱を考え、決心するまでに数ヶ月かかり、22歳の5月に会社を退職しました。
退職後すぐに、三重県に住む親戚の伯母さんの家にお世話になりながら、近くの赤目温泉に毎日通い、温泉に一時間位は入っていました。しかし一ヶ月経った頃に、急に高熱が出て、皮膚も火傷のように酷くなってしまったので、自宅に帰る事にしたのです。それからは、長くて辛い日々を過ごしました。なぜなら、この時の症状は、皆さんの手記にもあるように、全身が火傷のような皮膚になり、空気に触れているだけで痛みがあるので、消毒液のイソジンを塗り、包帯を全身に巻いていました。包帯を取る時に、皮膚がめくれて血が出て、リンパ液が包帯にくっ付いて剥がれる時や、お風呂に入る度に、痛みが辛くて「痛い!痛い!」と叫んでいました。背中の痛みが激しく、横になって眠る事さえ出来ない日もありました。熱は38度前後が、1カ月以上続きました。もちろん痒みが無くなる時はありません。
この間は、F皮膚科の、ステロイドを使用せずに治療をしてくれる先生が、自宅まで往診し、常に励まして下さいました。治療法は、イソジンと抗生物質の飲み薬でした。最近、母から聞いた話ですが、この頃、母が毎日、職場先からお昼の休憩時間も帰って来たのは、私が自殺するのではと心配だったからだそうです。実際に、辛さと不安で何度も自殺を考えましたが、家族や友達、現在の主人には、ほぼ毎日のように電話で励ましてくれたお蔭で、耐えられたと思います。本当に感謝しています。
一年後、症状が良くなったので仕事を始めたのですが、数ヶ月後には、また顔が真っ赤に腫れて、皮膚がボロボロと剥がれ続け、痒みのせいで集中力もなくなり、微熱もありました。この状態が続いていたのですが、28歳の時に結婚をし、慣れない家事と仕事で、より一層アトピーに疲れていました。
そんな時職場の人がインターネットで松本漢方クリニックを見つけてくれたのです。その日の帰り「やっと楽になるかも・・・」と、微熱があったせいかボーっとしながら、松本漢方クリニックに向かったのを憶えています。
松本先生に診察して頂き、「治したる!」と一番嬉しい言葉を聞いて、不味い煎じ薬と漢方のお風呂と洋服も赤く染まってしまう真っ赤な塗り薬を貰いました。
数年前のリバウンドの事を思い出し、会社を退職しました。平成15年10月から平成16年4月までは、外出もほとんどせずに耐えました。漢方を飲み始めても、リバウンドがすぐに出なかったので、ステロイドを止めて9年位経っていた為、もしかしてこのまま治るのでは、と思っていたのですが、3ヶ月過ぎた頃に、顔が腫れ、リンパ液も出て、体中の皮膚が剥がれ始めて、痒みで眠れない事が多かったです。手首が一番酷い状態で、真っ赤に腫れ、深いシワが出来て、リンパ液も出て来ました。不思議な事に、症状の酷い所は多量の汗が出て痒くなり、その後に痛みだすのです。この頃は、家事がほとんど出来なかった為、実家に帰り、母や主人の協力と、常に励ましてくれた事で治療に専念で出来、感謝しています。
5月頃には何とか落ち着き始め、微熱もなくなり、顔の腫れもひき、リンパ液は出なくなり、血液検査のアレルギー反応も少し下がっていました。IgE抗体の数値は上がっていたので不安ですが、松本先生が、「ダニやハウスダストの数値が下がっているから、大丈夫。もう、手記書いてもいける!」と言われたので、書く事にしました。まだ顔と首からは多量の汗が出ますが、痒みは、以前より随分楽になりました。
完治までには少し時間がかかりそうですが、私は完治するまで、不味い漢方を飲み続けます。松本先生のお言葉通り、絶対に完治すると信じています。
「アトピー戦記」匿名希望33歳2012年11月23日
●アトピーの症状と経緯
かゆみと症状の経緯を、記憶を頼りに綴っていきます。
幼少期、首と肘の内側にあせもが出来ていました。特に首は、お風呂上り、掻いた後のかさぶたを母がペリペリと剥がしてくれました。特に皮膚科などに通う事はありませんでした。
小学校の高学年頃。乳首がかゆくなり、朝起きるとパジャマの胸の部分が汁で汚れている事がありました。朝の食卓や洗濯の時に、上着についた汁の汚れが母に見つかるのですが、部位が部位なだけに、指摘されるのが嫌でした。
この汁をどうにかするために、初めて皮膚科に行ったと思います。その時の処方は「貼り薬」でした。薬剤が塗布された台紙を、適宜の大きさに切って患部に貼り付けます。今ならわかります。「そんな強いステロイドを、吸収率の高い部位に貼りつけるなんて。しかも子供に。何てことをしてくれたのだろう!」ですが、当時は母もアトピーやステロイドの副作用を知りませんので、「お医者さんが出してくれたお薬」を疑う余地はありません。もちろん、キレイになりました。見た目だけ、だったわけですが。
それから10年以上、皮膚科とは無縁でした。中学、高校の多感な時期に皮膚を気にせず済んだ事は、幸運と言えばそうだったかもしれません。しかし、同時にステロイドの副作用に関する情報とも無縁になったのです。言い換えれば、いくらメディアがステロイドの副作用や訴訟問題を取り上げようとも、当時の私は「自分には関係ないから」と真剣に受け止めることは無く、ずいぶん後になってかゆみが再発してもなお「上手に使えば問題ない。だって、お医者さんが出す薬だから。」という認識を持ち続けることになってしまったのです。
(恥ずかしいことに、アトピー性皮膚炎の治療薬としてステロイドが使われ始め、その副作用が問題視され、訴訟問題にまでなったケースもあるという事を知ったのは、今(2012年の初夏、33歳)と言っても過言ではありません。)
次に皮膚科へ通ったのは、横浜から奈良に引越し、大学を卒業してからの事です。「日本皮膚科学会 アトピー性皮膚炎 治療ガイドライン」が示す通りの基準に沿って、ステロイド外用薬や保湿剤を処方されていました。当たり前のように。その頃から、かゆくなれば皮膚科へ通い、薬を貰う。一時的に症状は無くなるが、またかゆくなると…という典型的なパターンが出来上がっていきました。ちなみに、今考えても首を傾げたくなるのですが、なぜか、通った皮膚科ではっきりと「あなたはアトピー性皮膚炎です。」と言われた記憶が無いのです。「ああ、赤みがかなり出ていますね」「かゆそうだね、塗り薬出しておきましょう」「飲み薬も出しておきます。かゆみが強い時に飲んでください。」などとよく言われました。私が「これってアトピーなんでしょうか?」と尋ねると「そうですねえ、アトピーでしょう」と返ってきたことはあったような気がしますが。
●脱ステ生活のタイムスケジュール
7:30 起床 夫の弁当作り
8:00 シャワー、塗り薬
9:00 煎じ薬、朝食
洗濯
12:00 煎じ薬、昼食
掃除
買物 ←行かない日もあり
15:00 二番煎じ、おやつ
18:00 煎じ薬、夕食
20:00 入浴、塗り薬
23:00 就寝
特に用事の無い平日はだいたいこんな感じです。が、もちろん常に離脱症状を抱えながらの日々です。穏やかに過ごせていたわけではありません。脱ステ2か月目以降、アルバイトに復帰してからは、仕事がある日は1時間早起きして朝の支度をします。
●食べ物について
私は、食事制限をしていません。
ただ、「食」については、私自身、脱ステ生活を通してその大切さを痛感しました。人の身体は食べたもので作られるわけですが、脱ステ前の私は食生活をおろそかにし過ぎていました。脱ステをしてから、食の好みが変わりました。それは、無理に変えたのではなく、「おろそかにしていた部分」を改善しただけです。また、「改善しよう!」と意気込んだわけでもなく、身体が欲するものを食べるようにしたら、不思議な事に自然とそうなりました。
だから、肉やお菓子も食べます。
パンもお米も食べます。
ビールも少しは飲みたい(笑)です。
たまには、暴飲暴食もあり!だと思っちゃいます。
一方で、野菜や果物の摂取量は格段に上がりました。
皮むきやカットは手間ですが、野菜も果物も美味しいなと、食べるたびに思います。栄養素は、サプリメントや栄養補助食品ではなく、食材から摂取したいと思うようになりました。
また、一日に一杯は欠かさず飲んでいたカフェオレ(インスタントコーヒーと牛乳)が、全く飲みたくなくなりました。脱ステ前はとりあえずカフェオレ!というぐらい愛飲していたのに。
食生活に気を付けた方が良いのは、何もアトピー治療に限った事では無いはずです。食品に含まれる添加物や化学物質の過剰摂取はもちろん、そもそも食べ過ぎや飲み過ぎは万病の元ですからね。
●入浴について
私の場合、最も手間と時間がかかるのが「入浴」です。
薬湯には3~4日に1回ほど、それ以外は普通のお湯に入っていました。
①消毒
ネオヨジンを染みこませたコットンで患部を殺菌します。イソジン色なので見た目が大変なことになりますが、消毒・殺菌は傷ついた皮膚を細菌の感染から守るためにも大切ですね。とは言え、患部の様子や時間の都合などで消毒を省くこともあります。
②入浴(薬湯の場合)
シャワーで消毒液を洗い流す
↓
かきむしる(30~40分)
↓
熱すぎないお湯に浸かる(20~30分)
↓
かきむしる(約20分)
↓
この頃には湯温がかなり冷めているので、追い炊きをしてお湯に浸かる(約10分)
↓
終わり
長風呂をすればするほど解毒が促進されるという事で、私は1.5~2時間程度かけていました。
●塗り薬
入浴後、赤い軟膏と黄色い軟膏をほぼ全身に塗ります。
基本的にシャワーと入浴後の1日2回、できるだけ薄く塗るようにしていました。足は皮膚の範囲が広いので、軟膏の減りが早い早い…。
●かゆければ、掻けば良い
個人的には「掻いても良い」という治療方針は本当にありがたかったです。これが無ければ強いリバウンドの症状に耐えられたかどうか……
長風呂で身体が温まると当然かゆみが増し、代謝も上がって大量に皮がむけます。なので、とにかく掻いて掻いて掻きむしりました。風呂場で掻くので、出血しようが皮がめくれようが流してしまえという勢いで。
「痕が残るのでは?」と心配されるでしょうが、大丈夫でした。もちろん、掻き壊してしまうと傷がしばらく残りますし、掻いた後は結構な痛みが襲ってくる事も多いのですが、皮膚が回復するにつれ、ちゃんと綺麗になっていきます。これはもう、「私の肌を見て下さい」というしかないのですが…
あのかゆみは生半可な意志で耐え凌げるものではありません。熟睡していても起きてしまうし、かゆみがあると食欲も尿意も、時に呼吸すら二の次になるほどですから。
掻いて皮がむけて、新しく皮膚が出来て、またむけて…を何度繰り返すかは症状の度合いによりますが、かゆみが起こる部分は、悪いものを出し切り、やがては健康な皮膚に生まれ変わるのだと考えれば、「かゆければ掻く」という本能的な行為はごく当たり前の正常な反応だと私は思います。
●痛みとかゆみ
特に漢方風呂に入ると、入浴中や出た直後は心地よいのですが、タオルで肌を拭いた瞬間から皮膚に激しいピリピリ(時にビリビリ)した痛みがやってきます。私の場合、症状では「かゆみ」は勿論「痛み」も相当キツいものがありました。入浴後に限らず、このピリピリ感の不快さは異常です。イライライライラして、平常心で居られません。ピリピリ感に耐えながら台所で水仕事や調理をするのが本当に苦痛です。
入浴後のピリピリが治まると、だいたい次はかゆみが来ます。そのタイミングが就寝時と合わさることも多いのですが、そうなると眠れません。そういう時期が続くと、夜が憂鬱になってきます。かゆくてどうしようもない時は、消毒液を塗って洗い流していました。そうするとかゆみが引くのです。かゆみが引いた後に痛みが来ることもありますが、かゆいよりはマシ!
漢方風呂に入ると、効能の「解毒」の文字通り、入浴後に必ずと言っていいほど激しいかゆみ・汁・患部の広がり・痛みに苦しむことになります。何度か苦しんでいるうちに、漢方風呂に入った後の数日は強めのリバウンドが来て、それが治まると皮膚のどこかしらがマシになっているのが分かってきました。
●脱ステの記録:2~3日目
初診の翌日、生まれて初めて「漢方風呂」というものに入りました。入浴の結果、パンパンに膨れていた顔の腫れが、翌朝マシになっていました。赤みも若干引いているようで、2日目ながらも「この調子で治っていくんじゃないか?」と淡い期待を抱きました(即、見事に打ち砕かれますが)。
煎じ薬は、中には合わない(体調が悪くなってしまう)人も居ると聞きます。それが心配だったのですが、どうやら私は大丈夫なようです。味の感想としては「…まずい」もしくは「…飲めなくはない」の二択が大半かと思われます。何となくですが、「まずい」と感じた人は、ずっと「まずい」。「飲めなくはない」と感じた人は、慣れてくると「悪くない」ともすれば「おいしい」と感じる傾向にあると思われます(ちなみに私は後者でした)。
●脱ステの記録:4~5日目
漢方風呂のおかげで顔の腫れが引いたので、週明けからはアルバイトのシフト通り出勤しました。
しかし、腫れが引いたのは本当に一時的なもの。治療を開始した時点で既にステロイドの離脱症状は現れ始めていたし、何より「脱ステ」は、まず「症状を出す」事だと言っても過言ではないでしょう。私の場合は、まず顔周りから悪化し始めました。おでこや首は赤く腫れ、顔面のむくみは増し、初診で処方された塗り薬はあっという間に使い果たしてしまいました。2日間のアルバイトが本当にしんどく感じました。
●脱ステの記録:7~18日目(休職)
「……これ、やばい」
症状は身体と精神を蝕み、夜の眠りは浅くなっていきました。趣味の事はおろか、パソコン画面に向かう事も、携帯でメールを打つ余裕も無くしていました。
17日目:予定をキャンセル
食生活を改善し始めたとは言え、リバウンドの波は強くなる一方です。ゴールデンウイーク最終日の日曜、以前から楽しみにしていた趣味のイベントがあったのですが。
「…起きれない。無理だ」
出かけるどころの体調・顔・髪形ではありませんでした。まぁ、無理だろうな…とは思っていましたが。まさか私がそんな状態だとは知らない趣味の知り合いから「今どこ?」とメールを貰った時は、寂しいような悔しいような気持ちでした。でも、本当にそれどころじゃなかったのです。キツくて。
18日目:休職
遊びの予定をキャンセルするだけならまだしも、ゴールデンウイークが明ければバイトの事も考えなければなりません。しかし、これも予想通り(?)。
「…むり。」
日常生活すらままならないのに、仕事なんて無理!という心境でした(中には、リバウンドの酷い状況の中でも仕事を休まず続けられる方もいますね。
尊敬します。本当に)。問題は、「どの程度むりなのか…」という事。前向きな気持ちとリアルに襲ってくる症状にユラユラしながら、出した結論。
「5月いっぱい、休ませて下さい」
●脱ステの記録:19日目~1か月目
5月一杯の休職を申し入れてホッとしたと同時に、これからが脱ステの本番です。
20日目:腹を括る
処方箋は電話で郵送をお願いする事が出来たので、5月分を送ってもらう事にしました。今までの使用ペースから治療に専念できるだけの塗り薬と煎じ薬、入浴剤を気持ち大目に計算しつつ……とは言え、保険が適用されない薬も含まれており、なかなかお財布にやさしいとは言えませんでした。でも。これで治すと決めたわけだし、今後もずっと定期的に皮膚科に通い続けて薬を貰う生活の事を思えば、「今一時の辛抱!」そう自分に言い聞かせました。
同時に、春先に申し込んでいたエステを解約しました。
エステのコースは、痩身を目的とした内容でした。…が、もう、こんな皮膚の状態になり、心も体も悲鳴を上げていたこの期に及んで、エステも何も無いです。
エステ?その前にやる事あるだろ。っていう。
この時期の症状は…
顔:おでこ、ほっぺた、アゴ、耳から汁
首:汁
腕:火傷のようにパンパンに腫れ上がる
胸:乳首から汁
主に上半身に強く症状が現れ、特に乳首、耳朶と耳の後ろからの汁、そしてかゆみが不快でした。夜は異常に火照ったり、なのにブルブルと総毛立つような震えが来たり、布団をかぶらずにはいられないぐらい寒気がするのに熱い…という、暑いのか寒いのか分からない体感に苦しみました。やっと寝付いたと思ったら今度は首や耳からの汁と掻き毟ったことによる出血などの不快感で目が覚め、酷い時には起き出して洗面所で洗い流した後、キツさに途方に暮れる事もありました。
日中はまともに服が着れず、夜はだいたい3時間ごとに目が覚める日々でした。
23日目:約10日ぶりの外出
着替えて、近所のスーパーへ行きました。寝込んでから、約10日ぶりの事です。それからは2~3日に1回のペースで徒歩5分のスーパーや神社、ファミマなどへ出向いていました。…なぜ神社なのか?それは、猫が大量に居たからです。境内に10匹ぐらい飼ってるんです、その神社(笑)。
ちなみに、症状のきついこの時期、自分の中で有意義だった買物は、ファミマの無印良品コーナーで購入した「手帳(3月始まり)」です。私は手帳を持たない人間ですが、この時はたまたま商品棚に最後の1冊だったのを見つけまして…。「日記代わりになりそうだな。」という事で購入しました。普段、コンビニの商品なんて目的のコーナー以外はほとんど見ませんが、身体が思うように動かずあちこち行けなくなると、たかがコンビニ(失礼)でも「ここで何か必要なものが買えれば」的な気持ちになり、決して広くは無い店内をじっくり眺めて回っていました。
手帳があると、病状が酷くてパソコンも携帯も全く手につかない時でも、
ペンさえあれば色々と書くことができます。殴り書きでも。備忘録的に症状の経過や変化、気持ちなどを綴っていました。見返すのもカンタン。それがあるから、今この手記が書けると言っても過言ではないです。
28日目:朝型の生活へ
それまで、目が覚めても満足に起きられませんでした。結局、シャワーの為に起きて活動しだすのはお昼近くになっていました。この日は一時的に朝の症状がマシだったのだと思います。そしてこの日から、朝7時過ぎには起きるようになり、夫の弁当作りを復活できるようになり、一日のサイクルを朝→昼→晩で送れるようになりました。…とは言え、厳しい症状はまだまだ続いていくのですが。
●脱ステの記録:2か月目~39日目
33日~39日目:
2か月目に入り、症状は徐々に変化していきました。
それまで上半身が中心だったかゆみが、両脚にも現れるようになりました。身体は常にどことなく怠く、特に夕方を過ぎると両脚を含めて全身がかゆくなり、かきむしる日々。顔や肩、乳首、耳は良くなったり悪くなったりを繰り返し、塗り薬でベタベタするのが不快で服も満足に着られない。両手も炎症とベタベタで水仕事がツラい。
数日ごとに嫌気がさし、気を取り直し、再び嫌気がさし、夜が来て、かゆくて眠れず、夜が明け、朝が来て、ぶり返す炎症にイライライライラ、全てにムカつく。
新たな症状が加わったのもこの頃からです。
「激痛」
右足の裏側、足首~ふくらはぎの辺りが、内側から突っ張るような感じで、動かしたり触れたりするとものすごく痛いのです。
その激痛の翌日はとにかく怠く、アトピーの患部がビリビリして、右耳に耳鳴りも出ていました。本当にツラかったのですが、乗り切れたのは、キツい中でも当初と比べればマシになってきていた部位があったからです。
「あと一週間で、5月も終わりかぁ……」
職場に伝えた休職の期限がじわじわと近付いてきます。
治療に専念できるようにと注文した漢方薬も、ちょうど無くなりそうです。
明日は、診察。明日、行って、来月からどうするかを考えよう。
●脱ステの記録:40~42日目(決意)
40日目:通院
初めて通院してから約1か月ぶり、三度目の診察です。長い待ち時間の末、ようやく診察室へ。「顔。だいぶ良くなったのじゃない?」
先生の第一声でした。嬉しかったです。少しずつマシになっていた実感が「気のせいではなかったのだ」と思えて。
この一言で、決意しました。
「来月から、職場復帰してみよう。」とは言え絶賛リバウンド中でしたし、まだまだ不安はあったんですが。
41日目:
通院の翌日、京都駅へと出向きました。1か月、休職したので、リハビリ兼ねて職場への差し入れを買いに行ったのです。アトピーを抱えつつ、ほぼ1か月ひきこもっていた身体を慣らすにはまぁ、ちょうど良い外出だったと思います。
日中は何とか出歩けても、夜は相変わらずかゆい。この頃は全身症状+特に両脚のかゆみとむくみが酷かったです。また、新たに追加された「痛み」。これからはかゆみ+痛み+むくみに悩まされる日々が待ち受けることになるのですが…ともかく。
42日目:
家の掃除をし、明日の事や今後の経過について考えながら一日を過ごしました。明日から仕事。長い、一ヶ月だったな。
●脱ステの記録:43日目~6月一杯(疲労困憊)
6月は、「全身症状」と「激痛」、「むくみ」そして「かゆみ」を常に抱えながら過ごしました。
43日目:アルバイト復帰の初日
朝は5時半に起きて準備をしました。療養前の倍の時間が掛かりましたが、朝起きて夜は日付が変わらないうちにベッドに入るという生活を余儀なくされたおかげで(?)、早起きはあまり苦になりませんでした。
45日目~:
左足首が激痛に襲われました。動かすのもキツイ。
6月に入って両脚にも症状が出始めてから、ずいぶん「むくみ」が酷いと思っていた矢先でした。左足首が全体的に熱を持ち、触れるだけでも痛い。仕事には行きましたが、四六時中ズキズキと痛くてたまりませんでした。何とか乗り切って帰宅しましたが、立ち上がるだけで太い針で刺すような痛みが容赦なく襲ってくる。ふくらはぎや足指を動かすだけでも皮膚が引き攣れて痛みが走る。
呼応するように右の耳鳴りがワンワンと酷くて、途方に暮れ痛みに耐えながら作業するしかありませんでした。
5月下旬にも右足が内側から痛むことがありましたが、その比ではなく。歩くのが困難だとか、呼吸が乱れるほどの激しい痛みは今まで無かったので、自分の身体がいったいどうなってしまったのかと思いながらやり過ごしました。
6/5(47日目):
半日ほど寝ている。左足首、相変わらず激痛。両腕、手首、両脚、背中、右耳のかゆみが酷く、乾燥も強く、火照りも強い。掻き毟った後の白粉が顕著になる。
6/6(48日目):
左足首、少しだけ腫れが引くも、まだ痛みとむくみがかなりある。近所の郵便局とスーパーへ行くのが精一杯。薬湯の後、両腕や背中、尻など、新たな部位の皮剥けが顕著。
6/7(48日目):
左足首、むくみが酷い。痛みは少しマシ。両脚、尻に赤い斑点が目立つ。耳鳴りは無し。
6/8(49日目)~:
左足首の激痛が一段落した後は酷い「むくみ」がやって来ました。「むくみ」というより「腫れ」と言った方がいいかもしれません。特に膝、足首の腫れが顕著で、少しでも曲げ伸ばしをすると皮膚の突っ張りを強く感じました。また、アトピー特有の赤い発疹や象肌、かゆみや皮剥けの症状も酷く出ていました。
この頃は、「夕方以降」になるとかゆくなり、掻き毟り、出血、乾燥して肌がボコボコになり、居てもたっても居られず這う這うの体で入浴、入浴中は全身の皮剥け、入浴後はピリピリとした痛みに苛まれてイライライライラ。それがおさまると再び猛烈に手足がかゆくなり、掻き毟る……という一連のサイクルが出来上がっていました。
職場に復帰し、症状も徐々によくなって、気付けば……なんていう都合のいい経過になれば良かったのでしょうが、そうは問屋がおろしません。
徐々に行動範囲が広がるのと並行して少しずつ、本当に少しずつアトピーが改善し、また、同時に、今まで無事だった「背中」「尻」「指」などにも汁や皮剥けが出始め、ピリピリしたりかゆかったり赤くなったりカサカサしたり……という全身症状がありました。良くなっている部分があるのは分かるのですが、症状が新たな部位に広がりを見せるとひどく落ち込みました。
夫と大きな声を張り上げて大喧嘩を繰り広げたのも、この時期が一番多かったと思います。ケンカの原因は些細な事です。
今思い出そうとしてもあんまり覚えていませんから。
でも、二人して大声でわめきあった事は鮮明に思い出せます。
私は、言うまでもなくアトピーを抱えながらの生活に心身ともに疲れ果てていましたから、普段なら「まぁいいか…」で流せることも流せず、当り散らすことも増え、また、そんなことをしてしまって自己嫌悪と「つらいんだからしょうがないだろう!」という気持ちでいっぱい。症状が酷くなると平常心を保てず、夜にイライラして叫んだことも。健康な夫は夫で、ハードな仕事に加えて色々と我慢する事もある中で、アトピーに苦しむ今まで見たことも無い嫁の姿に少なからず思うところはあったでしょう。
たまに行動を共にしては、何かがスイッチになり、お互いに感情が爆発してしまっていたのです。できることは増えてきた。前向きな気持ちになる事も増えた。でも、まだかゆい。夜、死ぬほどかゆい。 うわ言を言うほどかゆい。二時間以上断続的に激しくかゆい時も。まだ痛い。掻き過ぎてヒリヒリヒリヒリする。怠い。 顔、5歳ぐらい老けて見えそうなくらい、疲れた表情をしている。少しずつ治ってきてはいるけど。「身体がついて行かない」
……このジレンマが、悔しくて悔しくて辛くて。
6/28(70日目):
足首や手首の突っ張り感、ヒリヒリ感、かゆみ。日中は怠く、寝てしまう。
家事と入浴と食事で一日が終わってしまう。 6月も終わる。つらい。
6/30(72日目):
症状、あまり変化なし。 入浴後の不快感に嫌気がさす。
けれども、何が変わるわけもなく。 寝る前が一番つらい。……とは言え。
つらいことばかりだったかというと、そうでは無かったのは事実です。
冷静になってみると、この頃には、初期の頃に悩まされていた「汁」、自分の中でわりと大きな懸念材料だった「乳首」や「顔」のアトピーを気にする事はほとんど無くなっていました。何より、時短での復帰とは言え、引きこもりを脱して「仕事」をしているわけですから。思えば、身体が動くようになった分、「動かない」部分が余計に気になり、回復を実感できる心の余裕が無い状態だったのです。よくありますね。 難病や大ケガ克服のエピソードで。
「今では病気に感謝しています。」というコメント。その時の私から言わせれば。
アトピーなんか、「クソっくらえ」。動かない手足も、汚い皮膚も、剥けて汚い落屑も。 消えろ。早く。 それのみ。
●脱ステの記録:73日目~(症状の変化)
私は、アトピー治療にステロイドを使わないと決めて今の治療法にシフトしてから、「身体本来の機能を信じる」ことにして、あとは身体に任せることにしていました(めんどくさがりですし)。余計な事はなるべくしない。
でも、「何もしない」のでは、身体の方も持っている力を発揮できませんので…
「朝起きて、夜寝る」「毎日、風呂に入る」「朝・昼・晩に食べる」
「果物や野菜、魚や肉のバランスを意識して食べる」
「フタを開けたらすぐ食べられるもの、味の濃いもの(加工食品・サプリメント)は避ける」「無理のない程度に、仕事をする」「たまには外食をする」
という生活を送るようにしました。というか、今の治療を続けていくうちに自然とそうなりました。…と言いますのも、「漢方の煎じ薬」を一定量、一日三回煎じて飲むという投薬を欠かさずやろうとすると、極力、規則正しい食生活にシフトせざるを得ないのです。やってみれば分かります(笑)。
先月(6/1)から仕事に復帰はしたものの、朝にシャワー&軟膏、夜に入浴&軟膏というやり方はそのままでした。7月に入りカレンダーも替わるというタイミングで、「朝のシャワー&軟膏」をやめてみる事にしました。
73日目(7/1):朝のシャワーをやめる
7月になった。朝から本降りの雨。
治療後、初めて朝のシャワーからの一連をやめてみる。身体の、特に患部周辺がカサカサ、ヒリヒリ、突っ張るのが分かる。顔や腹部はあまり気にならない。軟膏のベタつきがあるよりマシかもしれない。夕食後、背中、両腕、両足を掻き毟る。部分的に汁、出血、全体的にボコボコ。
75日目:
身体が全体的にサメ肌になり、ザラザラしている。発疹は赤い傷になって出血が目立つ。突発的に一部位がかゆくなり、激しい皮剥けを起こす。その後は皮膚がボコボコになる。手の甲~手首がザラつき、ヒリヒリと赤みが強い。夜、全身がかゆくて痙攣状態になる。居てもたってもいられなかった。
辛かった。この時期、明らかな症状の変化を実感しました。
身体が「乾燥」するのです。異常に。そして、その乾燥を鎮めようとして軟膏を塗ると、かゆみが激化し、おさまるまで動けなくなりました。まるで身体が「余計なモノを塗るな!!!!」と憤怒しているかのように。アトピーの症状にも流れというか段階というか…があって、症状は経過をたどるにつれ、色々な表情をみせる事を実感しました。
77日目:
軟膏を控える。保湿をやめ、傷を治す方を重点的に。掃除・洗濯・料理で15時過ぎ。昼寝で17時過ぎ。何にもできない。料理、炊事の際、手をかなり使う。治りが遅いのはそのせいだろうか。背中の傷が目立つ。
●脱ステの記録:4ヶ月目~(二度目の血液検査)
78日目(7/6)~:
この頃から、かゆみに一定のリズムみたいなものが感じられるようになりました。かゆみが顕著に出てくる時間帯は「夕方以降」。ちょうどバイトから帰ってくる時間です。特に、帰宅直後と入浴後と寝る前。このタイミングで発作的に強いかゆみに襲われ、我慢できずに掻き毟っていました。
症状として目立ったのは、手の甲、手首、首、両脚、膝の裏と表。
カサカサ、ヒリヒリ、ガサガサ。そして落屑が目に見えて増える。特に仕事から帰宅し、乾燥した状態で足などを掻き毟った後は発疹からの出血、また、フローリングに白い粉が積もりました。見た目にも嫌悪感があったので、すぐに除去できるよう、コロコロと掃除機の出番も多かったです。
かゆみの酷さは、中→中→強→中→弱→……別の部位にかゆみの発作が発生……中→中→強→中→弱→……一度おさまった部位に再びかゆみ発生……のような。渦中では「せっかく治って綺麗になってきたと思ったのに、また……あーぁ……」と、無限ループに嫌気がさしていました。
しかし、それは、肌が皮剥けを繰り返し、繰り返し……生まれ変わっている証拠。長い目で見れば、本当に少しずつですが、肌本来の強さを取り戻していたのだと思います。
4か月目(7/21):通院、二度目の血液検査
まだかゆみは残りますが、症状も一時期に比べれば落ち着きました。
パッと見、目が行くであろう顔は本当にマシになりました。
いい機会なので、夫にも付き添って貰い、それなりに自信を持って受診しました。実際、この頃には漢方風呂にも入っておらず、掻き毟ったとしても消毒・殺菌が必要なほどの酷い傷になる事もない。また、塗り薬の使用量も目に見えて減っていましたから。結局、漢方の煎じ薬のみを処方して頂きました。漢方薬を煎じて飲む。これは正直めんどくさいですが、健康体に戻ったとしても続けていいかもなぁ…とも思えるものです。なので、完全に湿疹が身体から消え失せるまで、もしくは先生から「もう飲まなくていいよ」と言われるまでは続けようと思っております(今はもう飲んでいません)。そして診察の最後に、二度目の血液検査をしました。 血液検査をしながら、久しぶりに看護師さんと話しました。
私:どうも、おかげさまで。
看:よくなりましたね。指のこの辺とか…
私:化粧、なんですが。実は、あの日(初診)から、一切してないのです。
看:そうですか。…どうですか?意外と快適でしょう?ノーメイク生活も。
私:…そう、ですね。なんか、…化粧崩れとか気にしなくていいし。…はい。
という事で。ファンデーションは付けず、口紅も塗らず。外出時は眉毛を書き足し、日焼け止めを軽く塗るのみ。よってメーク落としは無し。洗顔は石鹸のみ。今(8/23現在)は、それで仕事も遊びもやっています。でも「えっ、ファンデーション使ってないの?」と聞かれます。人の目なんて、いいかげんなものなんだなぁ~…と。
101日目(7/29):血液検査の結果
残念ながら、数値に改善は見られませんでした。 確かに症状はまだはっきり残っている。 でも、症状は絶対に改善している。
この頃は、部位としては手の甲、肘の内側、膝の裏表、足首に症状が出ることが多く、身体を動かした後や入浴後などのタイミングで赤い虫刺されのような発疹がバーッと出たり、ひっこんだり、プツプツとした小さな赤い斑点がポチポチと出来て、それを掻き毟るとそこだけが破れて出血し……という感じでした。血液検査の結果だけを見れば、芳しいものでは無かったのですが。
だから、薬を増やそうとか、食生活を見直そうとか、そういう気持ちにはなりませんでした。今まで通りの食生活を、今まで通りに続けていれば、いいんだ。
という、根拠のない(?)自信だけ、ありました。何せ、一か月引きこもりの状態から、私の症状の経過を知る人は皆、「本当にマシになったね!」と言ってくれる。ここまで回復できたのですから、自分自身の身体そのものが動かぬ証拠みたいなものかなと。ちなみに、88日目(7/16)を最後に、日記は書かなくなっています。書くとすれば、外食をしたとか、漢方を注文したとか、その程度でしょうか。苦しい症状を綴る事は、今はもうほとんどありません。
●脱ステの記録:5ヶ月目(8/19)~:リベンジ成功
5月、リバウンドの症状が酷くて欠席したイベント。そのイベントは8月にも開催されます。 アトピー治療を続けながら、「夏には、さすがにもう治っていたい!」という願望も込めて、参加の申し込みだけは済ませていました。
そしてもちろん、そのリベンジは叶ったのです。 久し振りに友人にも会えました。 朝から猛暑日で、汗をかき、重い荷物を抱えて。
食べ物も、その日ばかりはジャンクフードやら炭酸ジュースやら甘いものやらを気にせずバクバク食べました。でも、大丈夫でした。 …大丈夫、大丈夫。
現在(8/23)もまだ、症状は残っています。手の甲、膝の裏表、足首 そしてたまに発疹がバッと出たりもします。かゆみも。 なので、まだ寛解とは言えません。次の目標としては、次の血液検査の結果で、「数値としての改善」が見られること。そして、「湿疹が完全に消えること」。
今の生活は、というと。
・食べたいものを食べる
・風呂はシャワーで済ます日もある
こんな具合に、緩んでいます。
今後、生活や症状に変化があれば、改めて続きを書きたいと思います。
どなたかの目に留まったこの記録が、少しでも何かのお役に立つ事を祈りつつ。私の脱ステについての手記は一区切りとさせて頂きます。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
●【補記】最後に
アトピー治療を始めてから8か月ほど経過した11月半ば。3度目の血液検査の結果が分かりました。
概ね、正常値に回復していました。
身体に残る湿疹は、もうほとんどありません。あったとしても、アトピーでない人がたまに痒くなる感じのごく軽いものです。だから、湿疹で死ぬほど苦しんでいた数か月前の事を思うと、あれは何だったのだろう?と首を傾げたくなる程です。今になって、治療当初から先生が繰り返し、繰り返し言って下さった「俺が治すんじゃない。あなたの免疫が治すのだ」という言葉の意味を実感しています。そして、「回復するまでの時間は、身体だけが知っている」という事。薬を使うと、表面上は綺麗になる、けれどもその代償として、本来備わっている免疫力が抑えられ、結果として更に薬に頼ったり、新たな病魔に侵されたりというループに巻き込まれているに過ぎないという事も。
アトピーに悩み、縁あって、松本漢方クリニックに辿りついた皆さん。
治療の過程で、挫けそうになる事もあるかと思います。松本先生の言う事が信じられなくなったり、症状に苛まれ、出口が見えない日々に嫌気がさすことも、一度や二度では無いかもしれません。でも、どうか、「ここに来たことは間違いじゃない」と信じ、また、自分の力を信じて下さい。
苦しんだ日々は、その後に待つ「湿疹の無い、綺麗で、強い身体」の為の準備期間だと思える日が来ます。必ず。
そして、受診のたびに松本先生が話す様々な言葉の意味を、身を以て体感して頂きたいと思います。
松本先生ならびにスタッフの皆様、本当にありがとうございました。
【参考】●アトピー性皮膚炎の治療に処方されたステロイド薬
平成18年2月~平成23年8月約5年半
・錠剤
クラリチン錠10㎎
エバステル錠10㎎
ニポラジン錠3㎎
ゼスラン錠
アレグラ錠60㎎
アレロック錠5
・軟膏
ロコイド軟膏0.1% Ⅳ群・M(中)
パスタロンソフト10%
フルメタ軟膏0.1% Ⅱ群・VS(かなり強)
スチブロン軟膏0.05% Ⅱ群・VS(かなり強)
リンデロン‐V軟膏0.12% Ⅲ群・S(強)
ネリゾナ軟膏 Ⅱ群・VS(かなり強)
アンテベート軟膏 Ⅱ群・VS(かなり強)
アロミドン軟膏0.3% Ⅲ群・S(強)
パルデス軟膏0.05% Ⅳ群・M(中)
サレックス軟膏0.05% Ⅱ群・VS(かなり強)
・クリーム
リンデロン‐VGクリーム0.12% Ⅲ群・S(強)
・ローション
リンデロン‐VGローション Ⅲ群・S(強)
・保湿剤
プラスチベース
ビーソフテンローション
ヒルドイドローション
プロペト
・貼り薬
DRE(ドレゾニンテープ)?
※処方箋が残っていないため、不明。
アトピー性皮膚炎の始まりは、それは突然に目の周りに激しい痒みに襲われた事からの始まりでした。
平成15年8月、仕事中に暗く狭い室内で汗を掻きながら仕事をしていると目の周りが急に痒くなり、掻いても掻いても痒みがなかなか治まらなく不安を感じながら掻いていました。それが今までにない痒みだったために翌日、会社内の診療所で診察してもらった所、アトピー性皮膚炎と診断され、もう完全に治らないと頭の中をよぎった事を思い出します。過去に仕事の関係上、手あれ防止の為にゴム手袋をつけての作業で、指先が痒くなり掻くと水ぶくれができ、できては潰れを繰り返した為、指先にできた傷が完治する事はありませんでした。そこでW皮膚科に診察をうけ、もらった飲み薬、塗り薬を服用しましたが治る様子はなく塗り薬に関しては寝る前に塗り、朝になると傷がふさがり治った様に見えましたが、掻くと元に戻る状態が続いたため、使用するのを自然とやめました。その後、2つの違う皮膚科の診察を受けましたが、もらった薬のメーカーが違うだけで痒みの症状は何一つ変わる事はなく、再度W皮膚科に診察を受けると先生から「痒みの原因は自分で見つけて下さい」と言われたため、(この一言が後に漢方で治療を決意するきっかけとなりました。)どこの病院にも診察を受ける事はありませんでした。それからは、アトピー性皮膚炎と分かる2年前に職場が代わり、症状は良くなってきたと思っていた矢先、徐々に痒みが手と背中になり、上唇が荒れ始めたため、市販の痒み止めの薬及びクリームを頼る様になりました。当然の如く、痒みが一向に治まる事はなく平成15年8月を迎える事になりました。症状が悪化し、病院へ行くにしても又、同じ薬を貰うだけで終わるとおもいながら、タウンページをめくっていると松本漢方クリニックが目に留まり、診療項目にアレルギー科がある事に気が付き、今までに皮膚科ばかり受診いていたため今度はアレルギー科にしようと決心し松本漢方クリニックで診察を受ける事を決め行った所、入り口付近から漢方の匂いが漂っていました、以前の自分なら漢方と聞くだけで、値段が高くあまりいいイメージをもっていませんでしたが前の皮膚科の先生に言われた一言が頭をかすめ、何のためらいもなく入って行く事が出来ました。松本漢方クリニックでの血液検査の結果は、ハウスダスト、ダニ、スギにアレルギー反応がある事が分かり、漢方の粉薬と塗り薬を貰い様子を見る事になりました。その時の松本先生の印象は、怒りっぽく、早口で、こちらから気軽に話しかける事が出来る雰囲気ではありませんでした、(ただし、「絶対に治して上げます。」の一言は大変たのもしかったです。)
治療開始(平成15年9月)から1ヶ月ぐらい過ぎてから両足のモモの内側が新たに痒くなり12月頃から粉薬から煎じ薬に代わった後は体の痒みが広範囲に広がり、通院前にひどかった唇がひどくなって行き、マスクをつけて会社へ通勤していました。翌年の6月頃には痒みが首筋、背中へとひどくなり、ほとんど病院と会社に行く以外は外出が出来ない状態の日が続き、夜中のあまりの痒みに耐えられなく睡眠時間が2~4時間の日が4日ぐらい続いた時は、さすがに睡眠薬を病院で貰い、それでも十分とはいえませんでしたが睡眠をとる事が出来ました。その様な状態の為か、会社が休みの土日は、ほとんど食事以外は一日中寝ている状態が続き、唯一の楽しみは漢方風呂に入る事で、痒みがひどい時は2日に1回のペースで入っていました。こんな状態が1年近く続いたと思います。そうこうしている内に、痒みのピークが僅かに過ぎると自分の体が少しずつよくなってきている事に僅かながらに気付き始めると、漢方風呂や煎じ薬の回数が減り、通院回数も減り始め次第に通院しなくなりました。
通院をやめてから2年後に、痒みが出始めた為、松本漢方クリニックに通院する事になり、煎じ薬を2週間近く続けると良くなり、通院をやめる事の繰り返しになってきていますが、これからもお世話になると思いますが、よろしくお願いします。