美容師の仕事を始めて、半年も経った頃には、手荒れで、ボロボロになっていました。美容師は、手がよく荒れると聞いていたので、誰もがなっていくものだと思い、簡単に考えて、皮膚科へ通っていました。
最初は、近くの皮膚科で通いだし、その病院の先生も、「美容師の手荒れね。」みたいな感じで、薬の成分の所をちぎった薬を、簡単に出してくれました。まさか自分の手が最悪な結果になるなんて、考えもせずに使っていました。
手が荒れては、塗り薬、荒れては塗り薬、の繰り返しを続け、治りが悪くなると、また違う薬を出されて、使い続けました。治りにくくなると、また違う皮膚科へと変えて、通いました。途中から、内臓が悪いからかと思い、内科へも通いました。が、結果は全く変わらず、手には、黄色くにじんだ包帯が巻かれた状態でした。
仕事に行っては、手袋を付けてシャンプーをし、夜寝る時は、たっぷりと皮膚科で出された薬を塗り、寝ていましたが、夜中になると、かゆみで目が覚め、傷口が開くのをわかっていながらも、掻きむしっていました。朝起きると、傷口と手袋がくっついて、手袋をぬぐと、一緒にかさぶたまではがれて、包帯を巻き、仕事へ行く毎日でした。
そんな毎日を送っていると、あの阪神大震災が起こり、店が半壊状態になって、営業ができなくなり、店を辞めました。非難生活をしながら、バイトをしている頃には、自然に薬も使わなくなり、今までがうそのように、手荒れが治っていました。
店を辞めてから4ヶ月もたった頃に、元町で働く友達から、もう一度美容師に復帰しないかと誘われ、ちょうどその頃には手荒れはなくなっていたし、電車も復旧しだしたので、もう一度始める事にしました。でも、やはり仕事を始めて、すぐに、また元の状態へ戻り、皮膚科へ通うことになりました。
その皮膚科は、お客さんに紹介してもらい、通い始めました。通い始めると、今まで以上に治りが早く、薬が切れると、すぐに通っていましたが、手荒れだけではなく、顔にも赤く湿疹が出てくるようになりました。その先生の薦めで、「体質改善の注射がある」という事で、週に3回くらいのペースで通い始めました。
それからは、手荒れの方もすっかり良くなったと思い、仕事をしていたのですが、その時は突然きました。手荒れのひどさが、今まで以上に早く進み、手が腫れあがり、手をパァの状態でも、指と指の間に隙間がなく、そこらじゅうから汁が垂れ続け、微熱も続きました。そんな時、彼女が、数年前に全身がアトピーになり、通っていた松本漢方クリニックを紹介してもらい、通い始める事になりました。
最初は、漢方薬を煎じて飲み、腫れあがった手を漢方薬に浸す毎日でした。1ヶ月もする頃には、手の方がかなりマシになっていたので、手袋をして、店の受付として復帰しました。
松本漢方クリニックへ通い出して、今年で3年目、その間、煎じた漢方を飲み続け、年に一度ぐらいのペースで高槻まで通い、血液の検査を続けた結果、アトピーの数値が、ピークの時よりも半分以下にまで下がりました。
今回の血液検査で、また数値が下がっている事でしょう。今年で、美容師を始めて、ちょうど十年目になります。この十年は、美容師の勉強と共に、手荒れとの戦いでもありました。松本先生のおかげで、手荒れとの戦いも終わりを迎えれそうです。ありがとうございます。
この仕事を、これからも続けて行く限り、手荒れで悩んでる人たちに、自分の経験を教えていきたいです。あきらめる事はなく、治るのだと、そして処置が早ければ早いほど、治るのも早いという事を。大抵の人は、やはり実際に自分がそのような状況にならないとわからないものだと思います。自分もそうでした。彼女が松本漢方クリニックへ通いだしている時も、話を聞いていましたが、「自分は違う、自分はならない。」と思い聞かせていました。美容師の手荒れは、全国でもたくさんの美容師が経験して、辛い日々を送っていることでしょう。何も知らずに皮膚科へ通い、何も知らずに医者の言うままステロイドを使っているのでしょう。そういった人たちに、少しでも松本先生の事を知ってもらって、仕事をがんばってほしいです。
今年の4月で、その彼女と結婚することになり、また子供もアトピーになるようでしたら、また松本先生にお世話になると思います。
今、こうして美容師として仕事を続けられるのは、松本先生と、松本漢方クリニックのスタッフのみなさんのおかげです。本当にありがとうございました。
「アトピー・ヘルペスとの戦い36年間」 36歳男性2016年4月6日
私は、物心付いた頃より体中の痒みがあるごとに、町医者に連れて行かれステロイド剤を処方されていました。また、風邪を引けば抗ヒスタミン剤の入った飲み薬を飲んでいました。それをスタートに、松本漢方クリニックを知人に教えて頂くまで18年間病院をたらい回しにされてきました。どんな塗り薬や飲み薬をもらっても、一時的にはアトピーの症状が良くなったように見えても、すぐに悪化し、副作用の方が勝って、顔も身体全体も肌が薄くなり、汁が出はじめ、色も浅黒いのを通り越し、痒みと痛みで夜も寝られなくなりました。酒でごまかしても眠れずアルコールで暖かくなって更に痒くなりの悪循環の毎日で、もう一生治らないとの固定観念から、本当に自殺一歩手前まで心身ともに疲れ果てていました。
そんな時、友人が、ステロイド剤を一切使用せず漢方薬だけで治す病院があると、松本漢方クリニックを紹介してくれました。その時もう一つ検討している病院がありました。静岡県にある入院型集中治療で、全身のアトピーが治るとテレビでも報道されていた病院です。『何年間分のステロイド剤を全身包帯ぐるぐる巻にして浸透させ、注射でもステロイド剤を投与する』という病院です。母と引っ越ししてでも行くべきかと話していました。松本漢方クリニックと静岡の病院、最後に2つの選択肢が出ましたが、もうステロイド剤は嫌になっていたので、松本漢方クリニックを選びました。
初めて松本漢方クリニック長先生に会った開口一番が、「オレが全部責任持って、キミのアトピー絶対治したげるから!オレを信じてろ!!」との言葉にやっと助かった、やっとオレのアトピー治るんやと本気で信じて、言葉も出せないほど、涙が出そうなほど感動し安堵しました。
この松本先生を信じて、この病院でどんなに辛いリバウンドや副作用にも耐えて治そうと決心でき、またその場で、今まで使用してきたステロイド剤(飲み薬と塗り薬)を全て見せて、先生に「こんな物使ってたら、一生治らんし、いま捨ててもええな」と全部ゴミ箱へ捨てました。過去と決別し、漢方治療がスタートしました。
かき傷や患部に塗る紫雲膏という赤い塗り薬を基本に、毎日食後に飲む漢方の煎じ薬、そして一日三回お風呂に1~2時間入る入浴の漢方薬を使い、最初の約半年は、脱ステロイド剤の強い副作用(リバウンド)で、通院前よりも、顔も身体全体の皮膚もほとんど崩壊し、汁が溢れ出し、強い強い痒みと痛みで、気が狂いそうになりました。しかしこれを乗り切れば治るという気持ちと、松本先生が、「何かあったらすぐ電話してきい」と個人の携帯電話まで教えてくださり適切なアドバイスと、先にアトピーやアレルギー症状を乗り越えられた方々の手記によって、なにより勇気付けられました。想像以上の苦しみを耐えに耐えて、段々と辛かった一日三回のお風呂にも、皮膚が弱いながらも、全身元に戻ってきて、お風呂に入っている時間が、強い痒みが和らぐ安らぎになりました。夜はまだ、痒みで眠れず朝昼の間に、うっすらと休む程度に過ごしていました。毎日煎じ薬や、お風呂に入れる薬の炊き出し、汁や薬が染み込んだ服やら布団の洗濯・食事全てを、忙しい仕事の中母がやってくれました。「あんたは、アトピーを治すのが仕事や」と、18才の私を支えてくれた母親には、本当感謝しております。
半年後に、まだ弱いながらも顔身体全体に、まともな肌が張り出し、赤みがあってまだ痒みが強いながらも、汁は出なく、生活もまぁ普通に過ごせるようになり、少しは、外出も出来るまでに回復していきました。
それからは、段々と夜も寝られるようになり松本漢方クリニック通院1年後には、漢方のお風呂も、卒業し、食後に煎じ薬と紫雲膏塗り薬だけを使用し、友人とも遊びに行け、社会復帰を果たし、仕事にも行けるまでになりました。汗をかく夏は、濡れていると痒くなって荒れるので着替えをこまめに行い、冬の乾燥時期も、肌荒れで痒くなりますがそれほど問題なく過ごせ、順調な日々が続いていました。しかし、油断もあり人にもらったムヒ「ステロイド剤塗り薬」を使ってしまい、あまりにスッキリして気持ちがよく、23才の頃1年間ほど使い続けてしまい、やはり副作用を感じ松本漢方クリニックを受診しました。先生に相談し、『浮気して苦しむのは、自分やし、ウチは儲かるけど、アホな事したな』と叱られました。血液検査でもIgE抗体にもリバウンドが見られ、そこから半年ほど仕事を休業するほどアトピーでまた苦しみましたが、なんとか回復し、仕事に復帰、私生活でも結婚し、子供2人にも恵まれ、アトピーも完治まで間近と、本当に幸せな生活を送れていました。しかし私の無学無知の為、たまに頭痛に悩まされていて、先生に相談すること無く、またまた頭痛薬「バファリン」等を使ってしまいました。33才頃から、夏が過ぎ冬に入ったすぐにヘルペスが出だし、松本漢方クリニックでは、抗ヘルペス薬をもらい症状は、すぐに消えていましたが、2~3年の間に、ヘルペスが頻繁に出るようになりました。その時やっと、自身が使っている頭痛薬の危険性と関係性に気付き、医院のホームページで調べて頭痛薬の使用を辞めた頃には、手遅れでした。35才にして、全身のヘルペスでまた仕事を休業。改めて、松本先生に相談し『頭痛薬や鎮痛剤で、ヘルペスウィルスとの戦いを抑えてる間に、神経細胞でウィルスは増え続けて、免疫が戦いよった時に細胞を壊してヘルペスウィルスを殺して症状がでるんや、最後は、ヘルペスや!』と教えて頂き、また副作用との戦いが始まってしまいました。今度は、IgE抗体数は、それほど高くなく、ヘルペスウィルスの数値が異常に高くなっていて、アトピーは、顔や唇や首の薄い肌の所から汁が出ている程度でした。寝不足やストレスがかかるとヘルペスが酷くなる程になりました。やはり仕事が出来なくなり、また1年と半年ほど休業となりましたが、家族も会社も回りの皆さんは、私のバカさ加減とアトピーに慣れておりますので暖かく優しく見守ってくれて、ゆっくりとマイペースで、辛く苦しい闘病生活をいつものように乗り越える事が出来ました。
今度こそ、まさに三度目の正直、松本先生からも「苦労して、二倍、苦しんだ分いっぱい勉強して、世の中の医者や病院、製薬会社が金儲けの事しか考えてない事がわかったやろ!病気は、医者が作ったんや!自分の免疫があれば自分で全部治すことが出来る」と言われました。
私は、一般皮膚科で処方のステロイド剤塗り薬と飲み薬、薬局で売っている塗り薬、頭痛薬でアトピー性皮膚炎と、ヘルペスになりました。36年間、本当に辛い痒みと痛みを存分に味わいました。松本先生に出会わなければ、確実に20才までに自殺していたと思います。アトピーが治って普通に生きているだけで本当に幸せを感じており、松本漢方クリニックが、あらゆる病の治療においても世界初だと私は思っています。今から治療を松本漢方クリニックでスタートする方、またネットで調べたりして、松本先生を知られた方々、松本先生が言われ書かれている通り絶対に治ります。辛いリバウンドを乗り越えれば必ず普通の日常生活が手に入ります。出来れば、私みたいに自分の無知無学で、薬局や市販の薬などに手を出されたように、わからない事があれば、すぐに松本先生に相談し何でも聞いてくださいね。わざわざ遠回りをして苦しまずに済みますんで(笑)
「アトピー手記」 匿名希望38歳2014年8月30日
自分のアトピー記 A・Y
小さい頃からアトピーで、ひどくなった時は皮膚科に行き、もらった薬を塗れば症状が収まるので大人になる迄はそんな症状で過ごしてきました。7年前から仕事が忙しくなり、まず腕にかゆみが発生。その時にステロイドを処方されました。症状が良くなった様に見えたのでかゆみが出た時だけ塗る様にしていましたが、しばらくすると背中、腹、足とかゆみが広がって、やがて顔や頭皮にまで現れました。ステロイドでは根本的には治らないとうすうす感じながらも、仕事の忙しさにかまけていました。いよいよ全身がかゆみにおおわれました。寝るのもつらいぐらいになって、ステロイド以外の治し方は無いのかと探しだしました。でも沢山の情報がインターネットには氾濫し、どれを信じて良いかわからないまま試行錯誤しました。アトピーで有名な病院にも、約一年前通いましたが、結局ステロイド処方で何も解決しませんでした。また一からインターネットで検索し、ステロイドを使わないとの事で松本漢方クリニックにたどりつきました。最初、松本先生から「黒人みたいに真っ黒やなぁ」と言われました。ステロイドで皮膚も赤黒くなっていましたが、「絶対治るから」の言葉で通い続けようと思いました。ステロイドをやめてから2~6ヶ月はかゆみと寝不足で正直、体も心も病んでしまいましたが、「治る」の言葉を信じて通院しました。会社も約1ヶ月休みました。半年を過ぎてから眠れる様になったので体は楽になりました。かゆみは少しずつしか改善していきませんでしたが、確実に良くなっていると実感でき、ステロイドを塗らなくても良いという解放感があります。
今通院しだして一年半になります。
体も心も以前より楽になりました。
これからも宜しくお願いします。
また完治の時に続きの手記を書きたいと思います。
「アトピーの治療経過」38歳女性2005年10月15日
松本先生にお世話になりまして、早いもので、6年になります。ありがとうございます。
私は、小学校2年生の時、水疱瘡にかかり、痒くてひっかき、それ以来アトピーが広がりました。以来6年前まで、私は、皮膚科で出されたステロイドを塗ったり、飲んだりしていました。(なので、約20年もステロイド漬けになっていました。)今、思えば、足やお腹、腕など、サメ肌でザラザラだったところもありましたが、痒くもなかったので、薬を塗らずにほおっていたところは、知らぬ間にサメ肌が治っていますので、他の部分も薬を塗らずにほおっておけば、こんな酷い目にあわずにすんだのかもしれません。
なので、私のアトピーは、顔、首、腕の内側の関節部分、手の部分です。20年も塗っていると、顔は真っ赤、そして花粉の飛ぶ頃には腫れ、首や腕も黒ずみ、毎日毎日、塗らずにはいられない状態でいましたし、また塗っていれば、いつか治るものと思っていたので、お化粧の下にも塗っていました。
そんな時、同じ会社だった友人から、「いい病院があるよ。」と、松本漢方クリニックを紹介してもらいました。ちょうど会社の契約も終わりだったので、治したい一心で、行ってみることにしました。初めて松本先生にお会いした時、白衣ではなく、全身真っ黒だったので驚きましたが、松本先生の熱心な話と、「治してあげる」と握手をしてもらううちに、信じてやってみようと思い、お世話になることにしました。
その夜から、壮絶な治療が始まりました。その時のIgEは6410でした。顔はチクチク、真っ赤に腫れ、顔、腕、耳の後ろからも汁が流れ、首は回らなくなり、ロボットのようでした。煎じ薬に、漢方のお風呂も朝夕と2回入り、寝たきり状態になり、外出など出来なくなっていました。松本先生から手記の本を分けて頂いておりましたので、何度も読み返し、頑張って貫こうと思い返してすごしていました。
そのうちに、小さい頃に出ていた足の付け根(パンツの線のところ)や、背中、出たこともなかった太ももにまで、大きなブツブツが出てきました。擦れるので、男物のパンツを履いていました。目の下も大きく腫れもしました。さすがに辛くて、お風呂の中で泣きました。このとき、こんな悔しい気持ちは絶対に忘れないでいようと心に決めましたので、今まで大きなリバウンドがあっても、耐えました。ほんとに酷かったです。(半年後IgE6000→1年後IgE8290→2年後IgE9740→3年後IgE8950。)
なんとか外出できるようになった頃に、結婚し、妊娠しました。松本先生に伺ったところ、「煎じ薬を飲んでいても大丈夫。」とおっしゃっていましたが、私は、妊娠前から煎じ薬を辞め、治療はお休みしていました。妊娠中は、不思議とアトピーも気にならないくらい楽になっていましたが、子供が生まれ、母乳を3か月でやめた途端に、アトピーが噴出すように出てきました。
微熱は続き、顔、首、腕は真っ赤で熱をもち、汁も出てきて大爆発しました。まだ、夜中にミルクと子供に手がかかり、微熱も続き、大変だったので、義母にも助けてもらいました。そのときのIgE6750でした。半年後9030です。先生のお話では、「頂点は越したんじゃないか。」と言って頂きました。治療を始めてからも、変わらずずっと数字が高いですし、リバウンドも並大抵じゃなかったです。
今では、顔の赤みはとれ、皮膚も強くなってきています。ただ、私の場合、結婚してから出産までお休みしていたこと、ステロイドの使用年数が20年ということと、毎日塗っていたことがあるので、そう簡単にとれないと思っています。
まだまだ気長に治療を続けていこうと思っています。まだまだ痒いですし、ブツブツ、そして色素沈着で黒ずんでいますが、治っていく過程を見ていますと、患部が真っ黒になってくると、アトピーも出て、その後、いつの間にか黒い皮膚がとれていくみたいです。この繰り返しのようです。
また花粉時期には、洗髪時にうつむくと、鼻水がジャーッと流れていましたのも、目が痒いのも、治まりました。体もけだるかったのが、今では軽くなりました。
こうして、ステロイド漬けから助けてもらえたのも、松本先生にお会いできたからだと感謝しております。もし、出会えずにいたらと思うと、本当に地獄です。ありがとうございます。まだまだ治療させて頂きますので、引き続きよろしくお願いいたします。
それから、息子も、離乳食をはじめた頃に、アトピーが少しでておりましたが、顔はすっかりよくなりました。あと少し、お腹部分と股のところが少しでていますが、よくなっています。ありがとうございました。
皆さんも、リバウンドにあわれて、非常に辛くて悔しいと思いますが、ずっとその状態が続くわけではないですから、乗り切って頂きたいと思います。そんな時、私は、リフレッシュも美容も兼ねて、銭湯で腰湯やサウナで汗を出しています。気分転換にもなるし、痒みも少しはやわらぐような気がします。
松本先生、手記が遅くなりまして、申し訳ありませんでした。少しでも皆様の治療の手がかりになりますかどうか。(治療を中断していました時期もありましたので。)
下手な文章で申し訳ありません。
私は、35歳、会社員です。平成9年頃、右の手のひらがむけ始め、それが止まらなくなりましたので、近所の皮膚科で見てもらいました。2回目の診察で、高齢だった先生が体調不良で休業されたので、知人から京都のK病院を紹介され、行く事になりました。
その治療は、飲み薬と、ある特殊な薬を手のひらにつけるものでした。不自由であり、数ヶ月行っても治らず、それどころか手の指紋がなくなり、自分の手ではないようになりました。
そこで、松本先生のところでお世話になり、「必ず、治します。」といって頂き、それを信じたので、今でも行っています。生活は、普通の暮らしをしております。松本先生から、「そこで使っていたものはステロイドで、生死にかかわる時しか使ってはいけないものである。」ということも、教わりました。「一時的に防いだだけで、何の治療もしていないので、体の中から治さないといけない。」と言われました。そして、それを、日本中の人に教えなければならないと考えておられ、この手記を書く決心をしました。
追記
昨年、治っていないものの、通院を休止し、治療せずにいた事があり、松本先生に怒られました。薬の量も、知らない間に間違っており、1日分を3日も、1週間もかけて服用しておりました。飲み続けてはいたものの、効き目の少ない方法で行っていた事に最近気がつき、とても反省しております。
今後は、自分から、聞きにくいことも積極的に問い合わせないと、治るものも治らないし、長期化するばかりで、自分が辛くなるだけだと思いました。時間的な事など、色々な問題はありますが、それを乗り越えたいと思っておりますので、よろしくお願い致します。
他の方の手記を読ませて頂き、かなりの努力をしている様子がわかります。精神的・経済的な事等を克服しなければいけないので、私の手記は、それに比べれば参考にならないかもしれませんが、良くない見本として、見て下さい。
「漢方でのアトピー治療」匿名希望37歳2006年7月1日
松本先生、手記が大変遅くなって申し訳ありません。やっと約束を守りました。
私は、幼児の頃からひじの内側が痒くて、いつも掻きむしって血が出ていました。当時は私の周りには、そんな子供はあまり見かけませんでしたが、アトピーの初期症状でした。掻きむしった皮膚からでるリンパ液や血のなんともいえない臭いを、今でもよく覚えています。
私をかわいそうに思った父は、総合病院に連れて行ってくれました。そこで出されたのが、後々に私を苦しめることになるフルコート(ステロイド)でした。塗った途端にツルリと治るその薬を子供心に大変よく効く良い薬だと思い、以降常用するようになりました。一方で、その薬を塗って出来た皮膚は、妙に透明で薄い皮膚でしたし、他の部分とは日焼けの仕方も違っていて、不気味な感じがしました。
小学校・中学校と、一進一退を繰返し、フルコートを自分で買っては塗っていましたが、高校時代には症状は出ませんでした。大学に入って一人暮らしをするようになり、炊事や掃除をするようになってから、手の平にすごく痒い水泡が出来ました。いつものフルコート塗っていましたが、なかなか治らず、友人が通っている皮膚科に行くと塗り薬と飲み薬が処方されました。皮膚なのに飲み薬が処方されたことが不思議でしたが、飲んでみると、病的に眠くなる副作用がありましたので、別の薬に替えてもらうよう頼むと、「食欲の出る副作用の薬にします」と言われたので、その皮膚科に通うのをやめて、またフルコートを使いました。薬局でいつもフルコートをまとめ買いする私に「何に使うの?」と、もの言いたげにしていた薬剤師のお姉さんは、副作用のことを知っていたんですね・・・その頃の私は、何も知らずに使い続けていました。
社会人になって、高槻市にある某化学メーカーの研究室で微生物を扱うようになって、ますます手の症状が酷くなり、化粧も始めたので顔の皮膚も荒れてきました。会社の寮では、同じ悩みを持つ友人と、いつも情報交換をしていました。その中にクロロフィルを使っている友人がいて、少し興味を持った私は、街を歩いていて見つけたクロロフィルの店に入り話を聞きました。そこで初めてステロイドの副作用を耳にしてゾッとしました。暖房の効いた教室で、私だけが赤い顔して火照っていたのは、このせいだった・・・!毛深いのも!(これは遺伝でしょうが)すごくショックでした。信じていた薬に20年近く騙されていたのですから。なんとかステロイドをやめようと、次の日から自己流で離脱にチャレンジしました。でも、クロロフィルを試す気にはなりませんでした。なぜなら、クロロフィルを始めると、朝も夜も一日中クロロフィルの化粧をしていなければならないこと、シャンプーや石鹸などクロロフィルしか使えないこと、クロロフィルをしている人の顔の色が緑色っぽくて不自然なこと、が理由でした。
さて。ステロイドをやめた私の手は、みるみるうちにガサガサになり、皮膚が突っ張って痛くてたまりませんでした。お風呂上りが一番辛く、身体を拭くよりも先に、手にニベアをすり込んでいました。ニベアを選んだのは、一番ベタベタして油っぽかったからです。私の手は、その辺のハンドクリームは受け付けないほどに、乾燥して突っ張っていました。汚い話ですが、トイレの後も、手を洗いたくないほどでした。
さらに仕事では微生物を扱うため手の消毒は不可欠でした。70%エタノールをいつも手に吹き付けなければならないので、手の傷にしみて、痛くてたまらず、歯を食いしばって仕事をしていました。あまりの辛さに、手にぴったりのゴム手袋も使用しましたが、内側についている粉で、私の手荒れは酷くなりました。大量に出る洗物(試験管、ビーカーなど)は、ゴム手袋を必ず使っていました。脱ステの最中も、私は自分のアレルゲンを見つけようと、社内で新製品向けにおこなわれるパッチテストに参加していましたが、私の場合ネガコン(蒸留水)にも反応してしまいました。水の中の金属類がアレルゲンだと、自分なりに予測していました。
他にも敏感肌用の高価な石鹸や化粧品も試しましたが、それらは普通のものよりも、さらに悪いように感じました。そんな生活を4年ほど続けて、結婚することになり実家に帰りました。
実家は、田舎なので、手の症状は改善しそうなものでしたが、これまで以上に悪化しました。水道管が錆びていて、赤っぽい色の水が出ていたので、私自身はこれが悪化の原因だと思っていました。手は、痒くて痛くてたまらず、真っ赤でした。さすがに、涙が出るほど辛かったけど、頑張って耐えました。「どうせステロイドしか出ないから」と病院を拒む私を、私のしていることが理解できない両親は、批難し、病院に行けと、毎日強く言いました。とうとう、手の痛さと痒さに耐えられなくなっていた私は、あれから医学も変わったかなと、とりあえず両親の勧める病院に行ってみることにしました。
先生は、私の話も聞かずに、手を見るなり、こんなに酷くして!ゴム手袋をしないからだ!と大変怒られました。私は心の中で、この先生はダメだ。。と思いました。一番辛いはずの患者が、自分のために、何の防衛策もしていないと、この先生は思っているのでしょうか。ゴム手袋の中でそれに被れないように、綿の手袋をしていますよ、更に寝るときも綿の手袋までしていますよ、と言う気にもなりませんでした。「ステロイドを出すのか」と聞いた私に、先生は激高して「こんな酷い状態は、ステロイドでなければダメだ!!」と酷く怒られて、私は失望と怒りで、病室を出て行きたかった。。。けれど、悲しいかな、素人で無力な患者の私は、その薬を貰って帰るしかありませんでした。家に帰っても、貰った薬を使う気になれない私を見て、両親は別の病院を勧め、私は、最後にもう一回だけ行ってみようと気を取り直して、総合病院に出かけました。女医さんで、私の話を聞いてくださり、そして気の毒そうに、これは主婦湿疹であること、治療法はまだないこと、ステロイドを使って気長に治すしかないこと、等を本を見せてくれて丁寧に説明してくださいました。誠実で、まともな先生だと思いました。私は、現在の医学の限界であることを知り、失望し、脱ステを頑張ってきた4年間を思い、絶望と共に無気力になりました。私の脱ステの闘いは、幕を下ろさざるを得ませんでした。次の日から、貰ったステロイドを少しずつ使い始めました。しばらくぶりに使うステロイドは、私の手をキレイにしてくれました。
結婚して、新大阪に住んで半年が過ぎた頃、薬がなくなり、ステロイドを貰いに皮膚科へ行くことにしました。ステロイドを貰うだけだからどの病院でも同じでしたが、昔友人に駅近くに良い病院があると聞いていたので住み慣れた高槻に行きました。病院の名前も聞いていなかったので、適当にブラブラ歩いていましたが、なかなか見つからず、西武側かな?と歩き始めてふと右側をみたとき、突き当たりに「皮膚科」の文字を見つけ、私は、何の気なしに、その医院に向かいました。これが、松本漢方クリニックとの出会いでした。
扉には、「ステロイドは使いません」と書かれてありましたが、それをみても、その頃の私には「ふぅ~ん・・・」程度の感動になっていました。これが数ヶ月前だったら、ものすごい感動だったでしょうに。看護婦さんは私の手を見て「アトピーですね」とおっしゃいました。初耳でした。顔中赤くなる、あのアトピー?私が?洗剤負けだと思っていた私には、衝撃的な言葉でした。アトピーに関する知識もなく、アトピーってなんだろう。。調べなければ。。と思いました。
松本先生は、私が誰の紹介でもなく当医院に来たことを聞いて、大変珍しい、と言われ、(キョトンとしていた私に)そこまで酷くなってないからステロイドの怖さがわかってないのだ、ステロイドを使って、もっと苦しめ、と言われました。・・・先生は私が疑っていると思われたのでしょう。私には、悲しい言葉でした。もっと早く先生にお会いして、私の気持ちを話したかったです。それでも、先生の「絶対治るよ」の言葉は、私の胸に響き、嬉しかったです。そんな言葉を発した先生は、今までいなかったからです。私はその日から、自己流でない脱ステを先生の確立された治療法に沿って、始められることに光を見出し、頑張って先生についていく決心をしました。
漢方を煎じて飲み始めて、三日くらいで手の平に水泡がたくさんで始めました。どんどん増えて、手の平・指の周り。。出た事のない手の甲にも、水分を含んだ塊が膨らんできました。痒くてたまりませんでしたが、沢山掻いて消毒して、薬をすり込んでいればよいので、気が楽でした。手の症状が治まった頃、顔が真っ赤に腫れ、ボコボコしてきました。顔に塗った覚えはないけど、薬を塗った手で顔は触るし、血中から顔の細胞と結びついたのかな、と考えていました。私は、どこから見てもアトピーでした。でも、これは治るためのプロセスだと信じて、家にばかり居ないで、どんどん旦那と街へ出かけました。先生は私の状態を見て「大丈夫、これでよい」と言ってくださいました。あの赤い薬は、私の手がどんなにガサガサに乾燥しても、油分でしっとりさせてくれ、びっくりしました。
しばらくして、朝、鏡を見たら、顔の症状が潮が引くように全くなくなっていました。目を疑うほどで、私の体の不思議に感心せざるをえませんでした。手から顔の症状が出ておさまるまで2~3週間。それが1クールとして、4~5クール終わった頃、顔の症状は出なくなり、手の症状だけになりました。夜中、どんなに痒くても、消毒して薬を塗ると、痒さは半減しました。微生物の仕事をしていた私には、その理由が理解でき、納得して治療できてよかったと思います。
その後、主人の転勤3回、出産も3回して今に至ります。今私は痒くないのです。なかなか医院に行けなくて、先生に薬を送っていただきました。サボりがちな私は、電話口で、先生にいつも怒られ、電話するのが怖かったです。でも、ステロイドしか出さない、質問しても怒ってばかりの先生とは、全く違います。松本先生は、ステロイドで見かけだけを良くする先生ではなく、アトピー完治の治療法を確立していて、それゆえに、はがゆくて患者に対して怒るのです。
子供達も喘息やアトピーでお世話になっています。主人は鼻炎ですが、本人は、本気で漢方治療する気が未だないようです。こればっかりは、周りでどれだけ頑張っても、どうにもなりません。アレルギーとの闘いは、周りの協力は不可欠でしょうが、本人の決意が一番重要です。苦しみを乗り越えるのは、患者本人だからです。ちなみに鼻炎の漢方もすばらしいです。私が風邪を引いたとき、鼻づまりで苦しみました時に、飲んだところ20分でスッと通り、6時間効果が持続しました。二番煎じでも、3時間は持続しましたから、飲まないと損です。ただ、大人は頑張って飲めば良いとして、小さい子に飲ませるのは難儀です。いつも、なだめすかしお菓子を与え、最後は半ば怒って飲ませました、、それでも、ほんの少し飲ませるのがやっとでした。いつか、カプセルにでもして、味が分からないままに飲めると最高なのですが。。。欲張りすぎでしょうか。お風呂の漢方は、アトピーにはもちろん、身体も温まり、ホカホカして、冬でも布団が暑いくらいです。ステロイドとの苦い出会いによって、私は、医者から出される薬に疑問を持つようになり、特に子供に飲ませる薬は、母親として責任があるので、薬の本を買ってきて、薬を飲ませる前に必ず調べています。風邪薬に、アレルギーを抑制する成分を入れないで欲しいと、願うばかりです。
さて。。わたしのアトピーとの戦いは、終わったかに見えましたが、終わりではありませんでした。4月に3人目を出産して、久しぶりに手に水泡が出来(病院で、消毒ばかりしていて新しいアレルゲンに出会ったからだと思っていました。)それが治ったころから手の節に痛みが・・・!!最初は、リウマチの初期だと分かりませんでした。産後、誰にも世話にならず、自宅で子供達の世話や家事をして、かなり辛かったので、無理したからだと思っていました。左足の付け根も痛くて、朝は調子よくても、夕方からは、足が前に出なくなりました。1ヶ月して整形外科に行ったところ、足の筋の炎症によるものと言われ、効果が謎でしたが電気を掛けて、湿布を貰って帰りました。
手の痛みは、先生のHPを見ていたので、もしかしたらリウマチかも、、と心の隅っこで思っています。産後に発症するシチュエーションも同じだし。でも、疑問があります。どうして、関節に出たんだろう。私はアトピーだから異物は皮膚に出したほうが簡単なはずだろうに。。親指と人差し指の節、関節が、手先を使うと痛むのです。突き指をした感覚に似ています。触っても特に痛くないし、パソコンを打つのも特に痛くない、朝、こわばるわけでもなく、よく分からないのですが。産後一ヶ月のときは、指先に力を入れると痛くて辛かったですが、二ヶ月目の今、少し治ってきました。でも、違和感があり、キチンと治したいです。また、先生のお力を借りたいと思っています。
以上
「アトピー手記」匿名希望31歳2011年12月25日
私がアトピーと本格的に付き合うようになってから、今で約4年が経ちます。
松本先生にお世話になるようになってからは、1年3ヶ月が経ちました。
幼少の頃から小学校6年生頃まで、アトピーで痒みはあったものの、関節がかゆくなる程度で、ステロイドが入っている薬を塗っていればすぐに痒みは治まる程度の症状でした。幸いにも、中・高・大学・就職してからしばらくは体に何も異変はなく、痒みも全くなく、アトピーだったことを忘れるぐらいでした。
大好きなサッカーを毎日して、汗をたくさんかいても全く気にすることなく過ごしていました。
そんな体に異変が起きたのは、再就職をして、仕事でのストレスを強く感じるようになった時からでした。
海で日焼けをして帰った次の日、突然体中が痒くなり、たちまち赤くなり、痒みを我慢できなくなりました。
顔にも発疹がでてきて、これはただの日焼けではないと感じ、すぐに以前行った事のある皮膚科に駆け込みました。
その時の診断は、『アトピー』とははっきり言われず、多分アトピーが再発したんだろうと自分で思い、処方される薬(ステロイド入りの塗り薬、飲み薬)を毎日一生懸命塗って、飲んでいました。
薬を塗ると、一時的に症状は治まるものの、すぐに悪化。また、薬を塗り症状を治め、時には強い薬に変更し、症状を抑える。その繰り返しが約2年程続きました。中々完治しないので、病院を変えようかとも思いましたが、仕事も忙しく、また、違う病院へ行き、症状が悪化しても嫌だなという思いから、その治療法が最良だと信じ通院していました。
そんな時、『この病院がいい』と違う病院を紹介され、その病院へ通院することとなりました。
それが後に症状を悪化させる原因になろうとは、夢にも思いませんでした。
そこでも、はっきりと『アトピー』という診断はされず、最初の病院のようにステロイド入りの塗り薬・飲み薬を処方されました。
それでも中々よくならないので、点滴治療という新しい治療も始まりました。
初めは点滴までするのかとびっくりしたのと、本当に点滴で症状が治まるのかと半信半疑でした。ところが、点滴をした次の日、すぐに症状が軽くなったように感じ、これはいいと思い、行けるときは毎日点滴を受けに行きました。
しかし、完治することはなく、強い薬を塗ったり、点滴をして、症状を一時的に抑えては、悪化することを繰り返すばかりでした。
いつになったらよくなるのか、いつまでこの症状と付き合うのか、途方に暮れるばかりでした。そんなある日、知人と話をしている時、松本漢方クリニックのことを知りました。話の中で、『その先生は必ず治してくれるから!』と何度も熱弁する知人の話を聞いて、今までの病院のことも頭にあり、半信半疑、しかし、そんなに言うなら・・・と、その言葉を信じ、松本漢方クリニックを受診することにしました。松本先生の第一印象は、声の大きい変わった先生でした。
今までの治療法、経過を話すと、『あほか!そんなんあかん!!』と怒鳴られ(笑)それでも最後には『必ず治してあげるから』と握手をしていただきました。
まだ治療を始めていないにも関わらず、やっと治るのだとホッとしたのを覚えています。その日から、漢方での治療が始まりました。
煎じ薬、漢方のお風呂、消毒、塗り薬、飲み薬・・・
今までとは違った治療法に最初は戸惑いました。煎じ薬は飲むのも辛いぐらい苦く、塗り薬も漢方のお風呂も消毒もにおいがきつく慣れるまでは抵抗を感じたのを覚えています。最初の診察の時に、今までそれだけのステロイドを塗り、更には点滴で体にステロイドを入れていたのだから、どれだけのリバウンドがあるかはわからないと言われていました。
ところが、煎じ薬を飲み始めた頃は、顔や体は赤く痒みもでてきたものの、そんなにひどい状態ではありませんでした。もしかしたら、このまますぐによくなるのでは・・・ステロイドを使ってはいたけれど、大丈夫だったのではないかと、甘く考えていました。それがすぐに間違いだったと気づくまでに時間はかかりませんでした。
治療を始めて、しばらく経つと、強いリバウンドが始まったのです。
膝より上が全部(髪の中まで)真っ赤に腫れ上がり、痒くてしょうがなく掻いても痒みが引かず、薬を塗っても治まらない・・・
寝ている時も掻きむしり、妻が思わず掻いている手を止めてしまうほどひどかったようで、朝起きると、手やシーツ、布団に血がついていました。
掻いた所からは汁が出て痛く、腫れて真っ赤か。
それでも痒くてかきむしる・・・たちまち体中ひどい状態になりました。
仕事が営業ということもあり、人に会わなければいけなく、会う人会う人にどうしたのか!?とびっくりされていました。
人の目線が気になり、外出することも苦痛になりました。
休みの日には家にこもるようになり、気分もふさぎ、子供とも遊んでやることができませんでした。本当に体力的にも精神的にも辛い日々でした。
そんな中、漢方のお風呂に入る時だけは、痒みが一時的にでも治まり、ほっとする時間となりました。入れる時は2~3時間入っていました。
お風呂から上がるころには、湯船は掻いた時に落ちた皮で真っ白になっていましたが、その後の皮膚の状態はつるつるで、これを繰り返せば綺麗になるんだという励みにもなっていました。ひどい状態、少しよくなり、またひどくなり・・・のリバウンドを繰り返し、本当に本当に少しずつ赤い発疹が消えていきました。それでも、血液検査をすると、数値は悪いこともあり、落ち込むこともありましたが、松本先生には、『良くなったり、悪くなったりを繰り返してよくなるのだから大丈夫』と言っていただき、根気よく治療を続けていきました。仕事が忙しく、漢方のお風呂に入れなかったり、煎じ薬を飲み忘れたり、薬を塗らずに寝てしまったり・・・そんなこともありましたが、1年3ヶ月経った今、首はまだ痒みがあり、良くはなっていませんが、首以外はびっくりする程、きれいになりました。治療を始めた頃の写真を見て、自分で『こんなにひどかったのか!?』と驚く程、今はよくなりました。
これも、松本先生をはじめ、治療費を出してくれている両親、毎日煎じ薬を作ったり薬を塗ったりしてくれている妻、どんな状態でも変わらず、パパが大好きだと言ってくれている娘に支えられて今があり、本当に感謝しています。
あと、少し松本先生にはお世話になりますが、必ず完治したいと思っています。
現在、アトピーに苦しんでいる方、アトピーは治ります。
今は辛くても必ずよくなるので、諦めず、治療してください。
妻が言っていました。私の変わりに病院に薬を取りに行った時、私と同じ症状の人を見て、心の中で【必ずよくなるからがんばって!!】と祈っていたと。
この辛い経験をした人はみんな、同じ症状に苦しんでいる人に、直接は言えなくても、心の中で応援をしています。
人それぞれ期間は違っても、必ずよくなります。
諦めないでください。
「アトピー手記」匿名希望37歳2007年4月10日
手記を書かせていただきます。
まだ完治していませんが、普通の生活が出来るようになりました。
とにかく、ステロイドのない生活をしたい一心で、7年前に、強引に自分でステロイドをやめました。それまでは、自分でお金を稼ぐようになってから自分の保険証を使って、皮膚科でステロイドをずっともらっていました。
そもそも、子供の頃は小児アトピーだと言われていて、ほおっておけば治りますと医者には言われていたのですが、親が薬局で買ってきたステロイド剤にだんだん頼るようになってしまいました。
親も、たくさんステロイドを買い与えることはしなかったので、学生の頃まではそんなにたくさんステロイドを使ってなかったと記憶します。
でも、やはり自分の保険証を持つと、自分の思い通りになるので、皮膚科へ足繁く通いました。そう考えると、20代はずっとステロイド漬けの生活をしていました。29歳で結婚をして、出産を含め自分の健康を考えたとき、やっぱりステロイドは止めたいなと純粋に思いました。
保険か利くとはいえ、皮膚科へ通い続けるのもいやだったし、ステロイドがなかったら生きていけない状態になっていることも自分でわかっていたので、なんとかしたいとずっと思っていました。でも、皮膚科の先生に相談したところで、「うまくつきあいなさい」という言葉ぐらいしか返って来ませんでした。
もう、医者には頼らず、勝手に自分でステロイドを止めようと決意し、30歳の誕生日を機に、使用をやめました。ステロイドを使っている方がご存知のとおり、恐ろしいぐらいのリバウンドが来ました。今考えたら、自分でよくそんな怖いことをしたなあと思います。耐えられるわけないのに、必死で耐えました。その頃、仕事も行き、家事との両立もしていたのですが、職場の同僚も、当時の旦那も、一応は応援してくれましたので、なんとか3ヶ月は耐えました。
でも、もうほとほと疲れてしまい、3ヶ月後には皮膚科へ行き、ステロイドではなく、プロトピック軟膏というのを処方してもらいました。
ステロイドではないので、大丈夫と勝手に思っていましたが、この軟膏も新薬なので、今考えると怖い薬を使っていたなあと思います。それ以前に、ステロイドではない他の薬に依存するというのも、意味のないことだったと思います。
そして、いろいろと考えているうちに、薬を使わない方が気分的に楽だと思ったので、何も使わず、そのうち皮膚科へ行くのも止めました。
気は楽でも、皮膚は辛かったです。
全身がしもやけになったような感じで、表面はどんどん皮がめくれるし、身体中かゆくて、かゆくて、赤黒くなりました。ひじ、ひざの裏は、常にじゅくじゅくでした。そして、耳たぶからは、黄色い液体がずっと出続けていて、ずっと止まりませんでした。首も、かけばズルリと皮がむけて液体が出続けました。
顔も、すっかり人相が変わりました。まぶたは常に腫れていて、表面の皮がつねにめくれて、かゆくてしかたがありませんでした。
ほほも、あごも、とにかく真っ赤で、そして表面は皮がいつもめくれていて、自分でも気持ち悪かったです。手も、アカギレだらけで、とにかく痛いしかゆいし、どうにもなりませんでした。白ワセリンを塗ったり、自然化粧品のスクワランなどを使って、なんとかしのごうと思いましたが、やはりどうにもなりませんでした。今思うと、耐えられるわけがありません。
また少しずつプロトピック軟膏を使いました。
そして、ステロイドを抜き始めてちょうど1年後の2001年に、インドへ旅行する機会がありました。インドのある病院での治療でアトピーが治ると聞き、期待に胸を膨らませてインドへ行きました。インドから戻って、インドで指導されたとおりに、もらったオイルを塗り、薬を飲みましたが、半年後、挫折しました。毒をもって毒を制すというやり方だったのですが、とにかく、それまで以上に皮膚が辛くて、辛くて、せめて皮膚をなんとか保護できないのかと思いました。この治療はあまり意味がなかったかもしれません。
そしてその頃、インドの治療に頼るぐらいなら、漢方薬の方がよっぽど自分に合っているのではないかと思いはじめました。でも、漢方治療といっても、どこへ行っていいのかさっぱりわからないし、とりあえずインターネットで無難なところを探しました。
西宮に、無難なところがあったので、そこへしばらく通いました。
かゆみが和らぐ時もありますが、基本的には、特に様態は変わりませんでした。
とにかくリバウンドが出ている間は、どんなことをしても止めることはできないし、耐えるしか方法がなく、本当につらいものだと思います。でも、ステロイドと決別するためには、とにかくリバウンドに耐える以外選択肢がないことは、わたしもわかっていました。その頃、漢方薬を飲みながら思ったのは、リバウンドに対処する具体的な漢方治療があればいいのにということでした。
漢方薬を飲み、でも皮膚には何も塗らずに、なんとか頑張っていたのですが、やはり皮膚に何か塗らないとどうにも耐えがたかったので、アズノール軟膏という塗り薬を漢方クリニックで処方してもらいました。
とりあえず、表面的には、それでなんとかしのぐことが出来ました。
でも、アズノール軟膏は、青色の薬で、その色がすごく気になりました。
塗ると、皮膚の色が暗い感じになるので、心配でした。アズノール軟膏を使いながら思ったのは、何かに依存するというのは、やっぱり解決にならないということでした。使用しながら、やっぱり納得できなかったです。
そして2002年の1月から5月まで、偶然ですが、インドに暮らす機会がありました。ほぼ半年ですが、この半年で、なんとアトピーがまるで完治したかのように、何事もなくきれいになりました。肌も真っ白です。とても不思議でした。
一応まだアズノール軟膏は使っていたのですが、それにしても、本当に楽になりました。インドにもしも一生暮らせるとしたら、おそらくリバウンドの苦しみとは無縁の生活が送れたと思います。でも、インドにいたのは5月の下旬ぐらいまでで、それからはまたこちらで同じような生活をしなければいけません。
インドから戻ってから半年は、何もしなくても大丈夫でした。
このままずっと楽な思いをしたかったのですが、やはりそうもいかなくなりました。2003年の春には、インドできれいになった皮膚は跡形もなく、また同じようにひどいことになりました。
辛抱できず、また以前行っていた漢方クリニックへ駆け込みましたが、びっくりしたのは、そこの先生にステロイドを勧められたことです。
以前からその先生には「ステロイドを抜いているので、そのために漢方薬を飲みます」という意思を伝えているにもかかわらず、ステロイドを勧めてきた医者に対して、非常に憤りを感じました。それと同時に、途方にくれてしまいました。もう、わたしはアトピーを完治できないのか。もはや医者を頼ることは出来ないのか。それなら、もう自分が医者になるしかないのか、とさえ思いました(なれるわけないのだけど)。困り果てているわたしに、友人が「高槻にいい病院があるらしいよ」と教えてくれました。今思うと、本当に、持つべきものは友です。よくぞ、教えてくれました。この友人のおかげで、わたしのアトピー人生ががらりと変わったのです。わたしが望んでいた、アトピー(アレルギー)を治すための漢方。くいいるようにホームページを読みました。すると、わたしが身体で体験したこと、感じたこと、疑問がすべて書いてありました。
自分の考えに完全に合致している病院が高槻にあるとは、わたしにとってはまさに奇跡でした。ステロイドをやめてからも数種類の薬を使っていたので、ここの治療にかかったらまたひどいリバウンドが来るのは目に見えていましたが、今まで手探りで苦悩しながら自分で勝手に対処していたことを思うと、この先生を信じていれば必ず治せるという確信がある分、とても強い気持ちで挑めると思いました。
これからは、先生を信じれば、どんなリバウンドでも耐えられる。必ず治るという確信をもって生活ができる。そう思うと、もういてもたってもいられず、2003年の9月に、松本漢方クリニックへ通い始めました。漢方の入浴剤や塗り薬や消毒液は保険が効かなくて大変でしたが、一生続くわけではないし、背に腹は替えられませんでした。やるしかない。とにかく、一生懸命家で薬湯に入り、治療をし、松本漢方クリニックにも一生懸命通いました。治療を始めた頃は、熱も出ましたし、大変でした。毎日薬湯に入るのは流石に辛かったし、やはりすんなりは楽にはなりませんでした。でも、希望をもって治療が出来ることに、本当に喜びを感じました。希望が持てることが、一番重要なことだと思います。
わたしは、松本漢方クリニックへ通う前に、いろいろと自分で回り道をしました。
だからこそ、松本漢方クリニックの治療方法に納得がいっているし、確信が持てたんだと思います。もうお世話になってから4年目ですが、今は、漢方風呂は入らずにすんでいますし、経済的にも楽になりました。様態も随分よくなっています。やっただけのことはあります。ただ、花粉の時期は、かなりアトピー症状が出ます。
花粉については、ましになるまではまだ数年かかると先生に言われました。
花粉の時期は一年に一時期だけなので、常にふれているほこりやダニに比べて、ふれる機会が少ないので、年数がかかるということです。まだ完治はしていません。でも、ひとつ言えるのは、松本漢方クリニックでアトピーの完治ができるのは間違いありません。やはり、ステロイドはだめだと思います。わたしは、ステロイドをやめて正解だったとつくづく思います。そして、脱ステロイドを全面バックアップしてくれる松本漢方クリニック、松本先生の存在は、わたしにとっては正に命拾いでした。ずっとステロイドを塗ってきたのだから、完治まで時間がかかるのは当たり前だと思っています。
まだまだ、完治の手記を書くまでは、あきらめずに、松本漢方クリニックにお世話になるつもりです。
「アトピー手記」匿名希望37歳2011年12月15日
●私のアトピー治療について
2003年03/12(火) 初めて松本漢方クリニックの扉を開けました。
なぜこの医院を知ったかと言うと、会社の先輩と皮膚科の話をしていた時に、北海道からわざわざ診察にくるという程評判が良く、なおかつステロイドを一切使用しない治療を行うお医者さんがいる、という話を聞いたからでした。
私の当時の皮膚状態の悪化は2001年9月頃の陰嚢の痒みから始まりました。
当時は仕事が忙しく、残業は当たり前で徹夜業もたまにあり、今考えるとストレス要因や体力的にも弱っていたのかも知れません。具体的には陰嚢に強烈な痒みが発生し、掻くと変な黄色い汁が出てきて止まらなくなり、放っておくと下着やズボンに染み出してくるため常にガーゼで押さえていなければならないような状態でした。ガーゼを1時間に1回は取り替える必要があったため仕事中でも頻繁にトイレに行きました。さすがにこのままではマズイと感じ、地元の大きな病院である高槻総合病院で診察を受けました。この時の診断内容は忘れてしまいましたが、漢方薬と塗り薬を処方されました。一週間もたたない内に黄色い汁は止まり、強烈な痒みもほとんどおさまりました。
2002年に入り気が付くといつのまにか横腹あたりがちょくちょく痒くなっていることに気づきました。見るとポツポツと過去に経験したことがあるダニ食われ症状らしきモノがありました。しかし痒みのレベルが違いました。
強烈で痛みをともなう痒みでした。近くの病院の皮膚科にかかり薬をもらって塗ったり飲んだりしていました。その頃はその薬がステロイドだと意識する余地は全くありませんでした。
その後は症状的には痒みとポツポツだけでしたが、その症状が足、背中、肩、胸といつのまにか全身にひろがっていました。痒みに関してはおさまったり、強烈に痒かったりといったりきたりしていました。この頃はまだ、『ダニアレルギーがひどいな』くらいの意識しかありませんでした。高槻総合病院・河端病院にも行きましたがもらった薬で痒みは引くので特に継続的には通院しませんでした。薬も毎日塗るという感じではなく、痒くなったら痒いところに塗るといった感じでした。
2002年の10月いいかげんにこの痒みとポツポツを根本から直したくて高槻の大桑医院を訪ねました。そこで『これアトピーだよ』という衝撃的な診断を受けました。愕然として完治するのでしょうか?との問いに先生は、『難しい。一生つきあうことになるかもね』ということでした…。家に帰ってアトピーについて調べるといろいろと深刻な内容が目に付きました。症状・ステロイドの危険性・副作用・慢性化などなど。調べれば調べるほど不安になりました。
これまで処方された塗り薬を調べてみると、ステロイドが入っているものばかりでした。やばいな~なんて思っているときに松本漢方クリニックの話を聞いたのでした。
2003年03/12(火)松本漢方クリニックで初めて診察を受けました。先生から治療方針やステロイドの危険性、リバウンドのリスクなど説明を受けました。ステロイドを使わないというだけでなんとなく安心できたし、患者さんの書いた手記を読んでみてもなるほどと思わせられました。自分の今の症状よりはるかに深刻で辛い症状の患者さんがたくさんいて、この医院で治療を受けて完治した、あるいは完治するまでがんばっている、と知って勇気付けられ私も完治するまでここでがんばって行こうと思いました。不安な点としては脱ステロイドによるリバウンドでした。これは患者さんの手記を見るとかなり大変で苦しそうに感じました。私の場合は患部が服に隠れるところにありましたが、リバウンドによって顔とか肌の露出しているところに症状が出るとしんどいだろうな・・・と不安でした。しかし自分は脱ステロイドと言っても毎日薬を塗っていた訳ではないし、他の患者さんから見て使用量は(恐らく)少ないのでたぶん軽いリバウンドで済むだろうと楽観もしていました。どちらにしても、リバウンドでひどくなったとしても完治するまではいずれは通らねばならない道であるという話でしたので、なんとかはね返して完治させると誓いました。
家に帰り、それまで使用していたステロイド入りの塗り薬(チューブ10本くらい)を全て捨て、代わりに処方された謎?の『赤い薬』と『エルタシン軟膏』を患部に塗って私の脱ステロイド治療がスタートしました。
2011年10月現在も松本漢方クリニックに通っています。症状は当時と比べるとかなり改善されており、周期的に完治状態と軽い痒みが発生する状態を繰り返しております。血液検査の数値もそれが裏付けており、ほとんどの関連数値は順調に下がり続けており、現在はほぼ通常の値の範囲であるが一部の数値がまだ若干高い状態でそれが周期的に出てくる軽い痒みの原因だろうとのことでした。
まだ『完治した!』とまでは言えない状態ですが、確実にそれに向かって前進しているという手ごたえはあります。リバウンドにより辛い時期もありましたが、正しい道を進んでいるという思いと松本先生の励ましを受けここまで続けてこれました。先生の治療を信じて続けて良かったと思います。
このまま完治までこの治療を続けていきたいと思っています。
「アトピーの体験談」匿名希望37歳・5歳2004年6月12日
滋賀県大津市
私の家族の体験談を書かせていただきます。
私の主人は、幼い頃から、アトピー持ちでした。でも子供の頃は、肘や膝の後ろに少しだけ出るくらいだったそうです。しかし大きくなるにつれ、少しずつ悪くなり、就職を機に、ストレスと寝不足などから、次第に範囲は広がり、見かねた母が、いろいろな事を試しました。例えば、あら塩を入浴中に全身にすり込んだり(これが結構沁みるらしい)、肌を保湿させる入浴剤、入浴後に塗る全身用の保湿化粧品、体質改善のための健康食品など。でもなかなかこれという効果が現れませんでした。
結婚した頃の主人は、寝てる間も、一度掻き出すと、一時間くらい掻き毟っていました。ある日、ある塗り薬を使用するようになりました。そのある塗り薬を、アトピーが出ると塗り、そして良くなり、また出ると塗り・・・それを繰り返していくにつれ、アトピーが出る範囲が段々広くなり、全身に広がって行きました。
私はその塗り薬がなくなってしまったので、近くの薬局に買いにいきました。しかしその薬局に置いてなかったので、塗り薬を取り寄せってもらう事にしました。その時、薬剤師さんに「この薬は、とてもきつい塗り薬なので、あまり常用しない方がいいですよ。」言われました。その薬こそ、ステロイドだったのです。その薬の使用を控えるようになると、主人の全身は血だらけで、見るのも痛々しいものでした。
ある日、私は、「以前お世話になった、松本漢方クリニックに行こう。」と主人に言いました。生まれたばかりの娘も、アトピーを持っていました。娘も、アトピーはまだ軽い方で、首の後ろに少しだけ出ている程度でした。松本漢方クリニックに行くと、赤ちゃんからお年寄りまで、たくさんの患者さんがいました。皆さん、色々な病院の処方された薬でひどくなって、松本先生を頼ってこられた人なのでしょう。私も、もっと早く松本先生にかかったらよかったと、後悔しました。松本先生は「必ず治します!」と断言されました。
まず体の外側からは、皮膚を清潔にする消毒液で消毒し、漢方の入浴剤の入ったお風呂に入り、その後に赤い塗り薬を塗ります。体の中からは、1日3回、食前に漢方の飲み薬を飲む。体の中の体質改善と、外傷も同時に治す、という方法でした。でも先生の「我慢しないで、どんどん掻いて悪くなった状態から、完全に治しましょう。」という言葉に、主人は救われたそうです。今までは、痒いのを我慢するやり方ばかりだったので・・・
その日から、主人は、仕事が遅くなっても娘と一緒に、漢方のお風呂に最低でも2時間浸かっていました。そのおかげで、皮膚はスベスベになりました。娘は、一ヶ月くらいで良くなりました。
しかし、主人が漢方を始めて一ヶ月たったある日、リバウンドが始まりました。皮膚は赤く腫れ上がり、ウロコのように硬くなり、当たると激痛がはしり、そのうえヘルペスにもなって、寝不足の日々が続きました。「もう、止めよう。」と、何回も考えたそうです。
二ヶ月ほど経つと、段々症状は良くなり、30年も苦しめられたアトピーが、約2年で良くなりました。IgE抗体はまだ高いものの、5年経った今でも、皮膚にはまったくアトピーは出ませんし、痒くもないそうです。あれほどひどかった背中も、つるつるです。今では、家族の中で一番肌がきれいかも。
あんなにひどかった主人のアトピーや、娘たちのアトピーも治してくれた松本先生に、大感謝です。治った今でも、我が家では、赤い塗り薬は、何でも薬として大活躍です。もう手放せません。
松本先生、これからも沢山の患者さんを救ってあげて下さいね。松本先生に出会えて、よかったです。本当にありがとうございました。