「アトピー手記」
49歳2013年7月4日
49歳2013年7月4日
『脱ステロイド治療の時系列症状』
0.はじめに
この手記は、これから脱ステロイド治療を始めようとさされている方、始めてまだ間もない方、更には、脱ステロイド治療がどの様なものなのかを調べている方々に対して、私の経験、そこから得た知恵を以下の項目でまとめた物です。特に3章『脱ステロイド治療時の症状』は、時系列に沿ってまとめました。但し、症状は個人差があり、使用したステロイドの量、期間、使用方法等によって大きく変わるので、あくまでも参考程度に留めて頂きたい。
1.アトピー性皮膚炎根本治療までの歩み(自己紹介)
2.松本漢方クリニックとの出会い
3.脱ステロイド治療時の症状
4.まとめ~治療時に気をつける事
5.最後に
1.アトピー性皮膚炎根本治療までの歩み(自己紹介)
①発症
アトピー性皮膚炎の発症は高校時代(’70年後半)肘や膝の裏側や瞼に痒みが出始めた。痒みが酷く耐えられないので、ごく普通の対応として近所の皮膚科に連れて行かれ顔用、顔以外用の2種類の薬を処方される。思い起こせばこれがステロイドとの出会いだった。アトピーはこの薬を短期間使うと当分治まり、また暫くすると再発するものの悪化はしなかった。中学時代より競泳に取り組んでおり、汗をかくと塩素の臭いが漂うほど強い塩素のプールに毎日2回入っていた。水泳を始めたきっかけは小児喘息。小学校時代、水泳が小児喘息に良いという話を聞いた親によって夏場だけの水練学校に入校したのがきっかけだが、季節の変わり目の呼吸困難が止むことは無かった。(49歳の今でも季節の変わり目には呼吸困難に苦しめられる)大学に進んで1年間アメリカに水泳留学する際も、常備薬としてステロイド入りの軟膏を持って渡米したが、この時からの2年間は再発する事がなくしばし穏やかな日々を過ごす事が出来た。
②再発その1
帰国し大学3年(‘85年)の秋、自らの不注意でオートバイ事故を起こし、肩を負傷(肩鎖関節脱臼)。4ヶ月間のピニングをするも現役には戻れなかった。事故から半年後にアトピーが再発。この時から上半身にも症状が現れ始めた。大学を出て23歳で就職。赴任先が東京で、一人暮らしがスタート。事故後半年から再発したアトピーは25歳位までの数年間で治まったが、この間色々な治療を試した。良い医者が居ると聞くとわざわざ訪れる事を繰り返した。肌の再生スピードを上げるレーザー治療という今考えればとても怪しい事も保険外で行っていた。短期間だったが漢方薬も試した。基本はステロイド軟膏だった。
③再発その2
28歳(‘91年)の時に現在の職場に転職し、関西に戻ってきた。転職先の勤務状況は驚く程ハードで、転職した者は新卒と違い短期間で仕事をモノにしなければならない。徹夜は日常、寝られる時でも3時程。入社後1年間は殆ど家にすら帰れなかった。転職後数ヶ月で再発。29歳で結婚するが、結婚後数年間はまたステロイド軟膏と過ごす。この時も3年程で治まったが、自分では「肌のことで悩むのはもう止めよう」と考え始めたのをきっかけに治まった様に思えた。32、3歳で一旦治まったアトピーがまた発症するのは、47歳になってから。この15年程の期間は乾燥によって冬場に痒みが出る事があったが、ニベア等を使い治まっていた。
④再発その3
47歳(‘11年)での再発は離婚がきっかけであると思われる。オートバイ事故により競泳を止めざるを得なくなった時、転職した時、そして離婚した時。全て相当なストレス下にあったと考えられる。(松本医師には否定されたが)年齢がそれなりにいってからの再発で、気持ち的には「またか」程度だったが、結果的にはこの再発が今まで一番厄介だった。再発したのが秋だったので、乾燥からの痒みと思い、直ぐに皮膚科に行く事はせず、ニベアやメンソレータムADクリーム等で痒みと乾燥を押えていた。2011年の春になっても痒みが治まらず、痒みと肌荒れは全身に広がる。近所で評判が良いとされる皮膚科を訪問する事にした。
⑤ステロイド漬け
この皮膚科で処方されたのは、顔用にとロコイド軟膏、プロトピック軟膏。顔以外に使用するボアラ軟膏。飲み薬としてアレジオン錠やニポラジン錠。薬が無くなったら通院する生活が続いた。最初は肌荒れが若干治まった様に見えていたが、劇的に良くなるわけではなく、ボアラ軟膏では効かなくなってきたという理由で、ネリゾナ軟膏も処方される。更に追い討ちを掛ける様に、頭皮にも痒みが出始め、リンデロンVローションを処方された。処方された塗り薬は、ロコイド軟膏:Ⅳ群(mild)の薬。ボアラ軟膏、リンデロンVローション:Ⅲ群(strong)の薬。ネリゾナ軟膏:Ⅱ群(verystrong)の薬。この皮膚科に通院していた1年半の間(2011~’12年)、どんどん薬の強度が上がって行ったが、症状は悪化する一方であった。「これはおかしい」と感じ始めたきっかけは、胸にブツブツ状の発疹が出始めた頃。(後に松本医師からこのブツブツ状の発疹はカポジ水痘様発疹症で、ヘルペス菌によるものとの説明を受ける)この医者は蕁麻疹だと主張し、1日又は2日で収まると言い張り、ネリゾナ軟膏の使用を進めたが、どれだけ時間が経過してもブツブツ状の発疹が治まる事はなかった。これを機にこの医者との決別を決意し、同時に自らの判断でステロイド剤の使用を中止した。2012年10月だった。結果的にステロイド使用は1年半。この間使ったステロイド軟膏は、ロコイド軟膏を65g、ボアラ軟膏820g、ネリゾナ軟膏280g、リンデロンVローション200mlだった。
⑥ステロイド休止後
1年半使用し続けたステロイドを止めたのが、2012年10月頃。それ以降は乾燥を止めれば痒みが軽減すると考え、ニベア等も使用したが、白色ワセリンを多用していた。胸に出来たブツブツ状の発疹は痒みの為、ブツブツの頭が掻く事で破れ傷になって更に悪化していたが、良くないと思いながら使っていたステロイドを止めた事で気持ちだけは軽くなっていた。年が明けた2013年1月。学生時代からの友人たちとの新年会の席上、中学時代からアトピーだった友人が漢方を使って今ではほぼ完治しているという話を聞いた。彼は32歳の時にステロイド抜きの入院治療をしたと話してくれた。この時始めてステロイド抜き治療がある事を聞き、漢方薬が有効である事を体験者から聞く事ができた。ステロイド抜き治療がどんな内容かまでは聞かなかったが、直感的に自分に必要な事はこの治療であり、漢方薬なのだと感じた。2013年1月16日だった。
2.松本漢方クリニックとの出会い
①WEB検索
飲んで帰ったその日からWEB検索を始めた。色んな病院が上がってきたが、一際目を引いたのが松本漢方クリニックだった。長い論文(?)に他に無い独自の論調。プリントアウトして隅々まで目を通した。全てを理解できないまでも大枠で捕らえる事が出来た。自分の身体は自分の免疫で治す。普段から風邪をひいても市販薬を飲まず、フルーツ(特にキィウイ)を大量に食べて寝るだけで治してきた事もあり、自己免疫という単語には馴染みがあった訳だ。患者さんによる手記も読み応えがあった。特に目を引いたのは「俺が治したる!」という力強い言葉。こんな事を豪語する医者なんか聞いた事がなかった。それに何より独自固有の長所がある人が好きなので、一発でこの人だと思った。思ったら即動きたくなる。ここで治療を受けるかどうかは会ってから、話を聞いてから決めればよいと考えていた。
②初診
思い立ってから二日後の1月18日、松本漢方クリニックを訪ねる事にした。週末に行こうかとも思ったが、平日のほうが空いていると踏んで訪問したが、待合室は患者さんでいっぱいだった。受付を済ますと同時に松本医師の論文を「よく読んでおいてください」と、渡された。WEBで読んだ論文と同じ物だったが、復習として再度読み返す。やはり細部までは理解できないものの、大枠で理解できるレベルに変化はない。この間、診察室から大声で話すのが聞こえていた。
「治せるのは俺だけや!」、「俺が治したる!」かなりの豪傑だと感じた。診察室に呼ばれいよいよ豪傑との対面。思ったより小柄。しかし目が鋭い。仕事柄何百人もの経営者と接してきた直感で『このオヤジに託そう』と思った。問診が始まった。病歴、使った薬、症状、答える尻から全て否定する。
ステロイドが如何に悪いか。医者が如何に悪者か。現代の医療を全て否定する。論文を読んで分かっていたが、豪快に全てを否定する。「こんな事言うのは世界で俺一人!」ひとしきり持論を展開した後、「聞きたい事ないか?」と、聞かれた。質問した事は治療の期間。この答えがまた面白い。「そんなん分からへん」はぁ?分からない?よく聞くとステロイドを使った期間、量によってリバウンドの状態、期間には個人差があり、正確に期間を答えられないらしい。この答えを引き出すには、しつこく聞かないと答えてもらえない。ここで悟ったのは、聞きたい事は自分が納得できるまで聞かないと何も分からない事になるという事。少し気を抜くと持論の展開が始まるので、常に話を良く聞きながらも、自分が納得できるまで諦めてはいけない。
初診で受けた治療は、検尿、血液検査。処方されたのは、漢方の煎じ薬、漢方湯、漢方軟膏2種類、ヘルペス菌を抑えるベルクスロン、掻く事で出来た傷を消毒するネオヨジン、ブドウ球菌によっての発熱を抑えるフロモックス、傷に塗るエルタシン軟膏だった。
松本医師の論文を読み、話を直接聞いて分かった事は、今までアトピー性皮膚炎の治療として行ってきた事は症状を封じ込めるだけで、根本治療ではなかった事。治療とは本来その病、症状を治す事であり、症状を単に軽減させるだけのものでは無い筈。アトピーを治すと言うことは、決して封じ込めて『安心』することではない。
松本医師の目を見た瞬間からここで治療してもらう事を決めたので、後はこの医者を信じて自分に出来る事を精一杯やるだけだった。とは言え、この段階ではまだこれから起こるステロイド抜きのリバウンドがどれ程のものかは正確に理解できていなかった。
3.脱ステロイド治療時の症状
①治療開始にあたって自身で課した事治療を開始するに当たって、幾つかの項目を自分自身に課す事にした。これは治療の効果を最大限引き出すために必要であると考えたからだ。
・処方された漢方薬はキッチリ飲み続ける
当たり前の事だが、治療に必要であると判断して処方された薬を素人判断で勝手に調整して、正しい結果が出る筈が無い。松本医師を信じて治療を開始したのだから当然の事。
・漢方湯には毎日最低3時間は入る
初診で松本漢方クリニックに伺った際、治療に要する期間は分からないとの回答をもらっていた。自分の性格的に先が見えない事をダラダラ続ける事が不得手なため、ステロイド抜き治療におけるリバウンド期間を勝手に3ヶ月と決めた。競泳選手時代も長距離は不得手で、根っからのスプリンターだった事も影響しているかもしれない。とは言え、単なる自己暗示である。漢方湯は毎日、可能な限り長時間入る事が望ましいが、時間が無ければ週末だけでも良いと事前に言われていた。前述の通りリバウンド期間を3ヶ月と決めたので、毎晩最低3時間は漢方湯に浸かる事を自分に課した。
・自己の免疫を高めるのに良いとされる事は全てやる
治療のスタートは蓄積されたステロイドを身体から抜く事だが、根本治療も平行して実施される。とは言え、根本治療は何も特別な事ではなく、自身の身体がアトピー性皮膚炎を発症させる化学物質と結合したタンパク質を敵ではないと思い直させる事であると理解した。松本医師はこれを自然後天的免疫寛容と説いている。免疫寛容を起こすには、免疫を高める事が不可欠である。それには腸を正しく機能させる事である。ならば、腸に良いとされる事を全てやる。別に難しい事ではなく、正しい食事を毎回摂取する事。コンビニ弁当の類、カップ麺等の所謂ジャンクフードは既に止めていたので特に難しい事でなかった。少し神経質に聞こえるかもしれないが、水道水に含まれる塩素が良くないとの情報を得たので、飲用のみビタミンC100%の原末を入れて除去して使用。
・プラス思考
治療とは常にストレスとの戦いである。但し、そのストレスをどう捕らえるかで結果は大きく違ってくる。どんな状況・状態になろうとも、それは一時的な事であって、これからの人生を楽しく過ごす事の方がよっぽど長く有意義だと考える事にした。例えば食事制限。私の場合、食材でのアレルギー反応が全く無かったので、出来た事かもしれない。(抗体検査では幾つかの項目で数値が高かったが、症状が無いので無視する事にした)アトピー持ちに悪いと言われる食材等を制限する事も一時考えたが、マイナスに考えるよりは、プラスで考える方が長続きするので、制限は一切実施しなかった。
②治療開始~30日治療をスタートした次の日から即反応が表れた。身体中にアトピーの症状が出始めた。最初は全身がとにかく痒くて痛い。松本医師から「痒い時はドンドン掻け、掻いて傷が出来たら消毒してエルタシン軟膏を塗れ」と言われていたので、何も考えずに掻いた。しかし、掻いて傷が出来るとやはり痛い。しかし、この痛みは掻いて出来た傷による痛みだけではない。同時に胸のカポジ水痘様発疹症(ブツブツ状の発疹)が熱を持ち、熱くて寝られなくなった。元々短時間睡眠に耐えられるので、楽観視していたが、この症状は半月以上続いた。
後にこの脱ステロイド治療期間中は休職する人が殆どだと聞いたが、休職する事なくフルタイムで仕事をこなしていた。仕事内容は出張が中心で、普通に出社する事が少ない職種なので、相当きつかった。特に新幹線の車内や飛行機の機内は乾燥が酷く、乗った瞬間からピリピリし始め、背中を背もたれに付けて座る事が出来ない位だった。よって移動中も寝る事が出来なかった。
夜は寝られない、昼間は出張、帰宅後は漢方湯に数時間。昼間は仕事モードによって気が張っていて交感神経下にあるため症状を感じないが、出張の帰路に着く頃くらいから何とも言えない胸辺りがゾワゾワするような異様な感覚に襲われ、集中力が無くなり、何も考えられなくなった。
帰宅すると更にこの症状は悪化。遅くに帰宅しても、毎日3時間以上漢方湯に入った。ベッドではカポジ水痘様発疹症の発熱と、ゾワゾワ感で寝られないが、風呂では疲れも合わさって良く眠れた。入浴中だけは痒みも痛みも無く、ゾワゾワ感も悪寒も無く、全く普通でいられる。いつしか睡眠は風呂でしか取れなくなっていた。長時間風呂に入るため、食事も風呂でとった。結果、漢方湯には4~5時間入っていた。この漢方湯では、毎回皮膚が剥ける。私の感覚では2時間経過した頃から剥け始める。風呂以外でも昼間、乾燥によって皮膚が剥ける。帰宅してからの痒みが酷く、掻くと皮膚が剥がれる。毎晩帰宅後は茶碗に2杯分は剥がれていた。アトピーの症状の次は、滲出液(リンパ液)が出始めた。治療開始から僅か4日目の事だった。
最初は前腕から出始め、耳、腕、肩、頭、足へと移行していった。この滲出液は厄介で、自分で全くコントロールが出来ない。仕事中に読んでいた書類にポタポタと何かが垂れてきた!と思ったら、耳から出た汁がメガネのテンプルを伝って落ちたものだった。クライアント先であろうと、どこであろうとお構いなしに滲出する。出始めた時は無色透明、無臭でサラサラだったリンパ液が、半月後にはやや黄色がかった色になり、粘り気が出て、腐った脂の様な異臭を放つ様になってきた。この臭いは周りの人には分からないらしいが、自分では常に鼻をつく異臭に悩まされた。また、粘り気があるため、頭皮からでたリンパ液が頭髪に絡みつく。これを取ろうとすると頭髪も一緒に抜けてしまった。この時は頭髪からリンパ液が垂れない様にタオルを巻きつけていたのが災いした。リンパ液は所構わず流れてくるので、何かで拭わないといけない。最初はタオルを巻きつけて輪ゴムで止めていたが、膝下部分は歩くと簡単にずれてしまう。前腕部分はかさ高く邪魔になった。何か良いものは無いかとWEB検索していたら、『チューブ型包帯チュビファースト』を見つけた。腕や足にキッチンペーパーを巻きつけ、これを付けるだけで簡単に滲出液を止められる様になった。キッチンペーパーは二重構造になっている為に、よく吸い取ってくれた。
治療開始から7日程経過した頃から悪寒が酷くなり始め、常に寒い。室温を30度に上げても悪寒がありブルブル震えるほど。これは皮膚が毎日入れ替わる事で、薄くなっている事が原因との説明を受けた。同時に体温調節が上手く出来ない事も原因のひとつらしい。(この寒気は3ヶ月過ぎまで続いた)治療開始から10日で顔が赤く腫れあがり、続いて脚、腕もパンパンに腫れ上がった。顔の腫れは目が開けられなくなる程で、流石に目が見えないと外を歩けないので、数日間仕事を休んだ。目の腫れと同時期に目やにが酷くなってきた。直ぐに松本医師に相談したら、目薬を処方してくれた。もう少しで市販薬を購入する所だったが、市販薬にはステロイドが入っているらしく、絶対に使用してはならないと釘をさされた。また、この段階で白内障にかかるリスクがある事も知らされた。松本医師からの目薬を使わなかったら危なかったかもしれない。しかし、このリスクについて事前に知らされる事は無かった。些細な事でも松本医師に相談しなければならない。勝手な判断や、そもそも変化に鈍感になってはいけない。自分の身体の変化、変調に気を配り続ける事が重要だと認識させられた。
脚は象の様に腫れ、膝が曲がらなくなるほどになった。この時は足首から下がまだ腫れていなかったので、階段を上れるが、降りられない状況だった。足の腫れは不快なだけでなく、痛みもあり歩く事も困難な状況になっていて、歩行補助にトレッキング用のストック使っていた。飛行機に乗る際も持参したが、ストック先端の尖った部分にカバーがついていれば機内持ち込みが可能である。(ストックを持っていると、地上職員も、検査場の職員も、もちろんCAもとても親切に気遣ってくれる。まるで水戸黄門の印籠を持っているかの様だった)足首から先が腫れ始めたのは治療開始から30日経った頃。靴が履けなくなり、更に歩行困難になった。通常のビジネスシューズでは、紐が上部だけにしかないので、到底履けたものではない。スニーカーの様に紐が指近くまである靴でないと対応できない。
③治療開始30日~60日
この期間は最初の30日までの症状がずっと続いた。酷さを増したのはリンパ液の滲出。粘り、異臭は前述したが、身体中至る所から滲出する。治療時期が冬であり、悪寒も酷い事に加え、このリンパ液の滲出で更に身体が冷やされる。室温30度でも寒い訳だから、クライアント先ではコートを脱ぐ事も出来なかった。治療開始から40日位経過した頃から、顔、頭皮からの滲出が減ってきた。これで少なくても他人に見える範囲では、『赤く顔が腫れた人』レベルにまで落ち着いた。前腕や膝下からの滲出が特に多かったが、60日あたりから徐々に減少してきた。それでも体中の腫れはなかなか引かない。腫れているのはリンパ液が原因だと考えられるので、この腫れが引かない限り、リンパ液の滲出から逃れられない。
この時期は兎に角熱が良く出た。熱が出ると集中力、思考能力が極端に低下し、悪寒も酷くなり、胸のザワザワとした不快な感じも全て酷くなる。熱さましのフロモックス錠は、37.4度を超えたら服用しろと指導を受けていたが、この頃から症状が出はじめたら迷わず服用する事にした。もちろん松本医師に相談して決めた。毎日夕方になると症状が出始めていたので、予防的に服用する事もあった。夕方に服用しておくと、帰宅後がとても楽だった。治療開始後30日から60日後までの1ヵ月間が症状のピークだった。
全身から滲出液が流れ、一日で茶碗2杯分の皮膚が剥がれ、更に風呂でも剥ける。毎日熱が出て熱さましのフロモックス錠を飲まないと何も出来ない状況だった。何とも言えないゾワゾワ感、ワサワサ感があり、常に気持ちがブルーで落ち着かない状態で、精神的にも最悪だった。前述しているが、60日あたりから滲出が減少し始めたので、明らかにリバウンドのピークを超えたと認識できる様になってきた。とは言え、これから更に別の問題が起こる事になった。
④治療開始60日~90日
60日頃から明らかに肉が落ちてきていると認識できる様になった。特にお尻の肉がなくなり、皮がダブついていた。移動中の座席が辛く感じ始めていた。リンパ液の滲出が減少してきて、身体の腫れが徐々に引き出す事で、体重がみるみる減ってきた。治療開始時98キロ体脂肪率30%あった身体が、2週間ほどで85キロ・7%にまで落ちた。ウエストに至っては、98センチから81センチに。これによって着られる服が無くなってしまい、多少苦労した。更に追い討ちを掛ける様に、60日を過ぎる頃から身体に力が入らずフラフラし失神しそうになる事が多くなった。特に風呂では、浴槽から上がる際、転倒しそうになる程だった。あまりに酷いので松本医師に相談し、アミノバクトを処方された。滲出液と毎日剥がれる皮膚のせいでタンパク質が異常値にまで下がっていた。血液検査をしてくれた友人の内科医は「栄養失調の老人の身体」と表現したほどだった。
この60日頃がリバウンドの症状がピークだった。このピーク時までは普段通り仕事をこなしていたが、60日から90日までの1ヵ月間は休職し治療に専念する事にした。少し前までは常に寒かった症状が、寒い暑いが繰り返し襲ってくる様になっていた。暑くなると急に汗が噴出してきて、一時的にパニック状態になる。汗をかいた部分は酷い痒みがありとても不快だった。
1ヶ月の休職期間中、溜め込んだ仕事をパソコンで一気に片付けるつもりでいたが、タンパク質不足による衰弱で何も手に付かなかった。特に携帯電話の細かい画面等は触る気にもならなかった。この約1ヶ月間は唯ひたすらソファーに座っていた記憶しかない。
この時期も風呂では全身の皮膚が毎日剥け続けていた。痒みも治まる気配が無い。ただ、乾燥による皮膚の剥けは落ち着き始めていた。丁度この頃から大腸の調子がとても良くなってきているのが実感できた。便通の出方がまさに「スルッ」という感じで、少ししか出なかった印象を持って便器を覗き込んでみると、その量の多さに驚かされた位だった。気持ち的には自己の免疫を高める準備が整ったという感じで、これからの治療に拍車が掛かる様でとても楽しみになった。
⑤治療開始90日~120日
治療開始から2ヶ月間でリバウンドのピークを超え、3ヶ月目にはタンパク質不足でかなり衰弱し休職を余儀なくされたが、ほぼ当初の予定通り3ヶ月でリバウンド期間を抜ける事が出来た。とは言え、まだまだ症状としては充分過ぎる程バラエティーに富んでいる。
丁度3ヶ月が経過した4月17日に仕事復帰。約1ヶ月ぶりの職場で、同僚たちから「痩せたねぇ」と声を掛けられる。顔は痩せたというよりもやつれ気味で、ほうれい線は深く、縦に皺がよっていた。まだ赤みがかった顔ではあったが、少し前までの辛さは全く感じられなかった。
治療を始めて早い段階に、粘度のあるリンパ液によって頭髪が抜けていたが、この頃からまた抜け毛が目立ち始めた。抜ける部分は治療前に頭皮が痒くなった箇所で、リンデロンVローションを大量に使用した箇所と重なる。改めてステロイド剤の怖さを実感した。
漢方風呂の長時間入浴も継続していた。数ヶ月前まではただ唯一の落ち着ける場所だったのが、この頃は入浴すると痒みが激しくなり始めていた。更に、長時間入浴しても皮膚が剥けない日が出始めた。かと思うと全身剥ける日もあった。5月に入る頃から気温がドンドン上昇していき、少し前まで悪寒で苦しんでいたのが嘘の様に、今度は暑さに苦しむ様になってきた。特に直射日光に当たると軽いパニック状態になり、先ず太腿から発汗し始め、次に脇腹、背中と進んでくる。この状態で汗をかくと痒さが酷い。同じ汗でも食事の時にかく汗では何も変化は起こらない。パニックになる事もなく、痒くなる事もない。不思議だ。
⑥治療開始120日~170日(執筆している7月4日まで)
仕事に復帰して忙しくなってきたのと、漢方湯での皮膚の剥けが無くなってきたので、漢方湯での長時間風呂は週末だけにする事にした。普段はビタミンCで塩素を抜いた風呂に30分~1時間浸かるか、更に時間が無いときはシャワだけで済ます事も増えてきた。ただ風呂上りのケアは当初からの漢方湯の原液を塗って、漢方塗り薬を使っている。
痒みは相変わらず酷い。脇腹が痒くて堪らなくなり、掻きたくても指先の皮が剥けていて掻けなかったので、拳を使って掻いていたら「ポキッ」という音と共に激痛が脇腹に走った。大きな息が出来ない、身体を捩れない、咳が出来ない、笑えない等の症状は明らかに肋骨骨折だったが、レントゲンを撮っても骨折箇所は見つからなかった。
最初に頭髪が抜けた部分から毛が生え始めており、今では3センチほどに成長している。先月頃からの抜け毛は1ヶ月ほどで収まってきたが、後頭部を除いて随分透かれた感がある。年齢が微妙な事もあり、何とか頭髪は温存させたい。長い治療期間を経て、随分『普通』に戻ってきた。今では前腕部分と、膝下部分の肌が特に黒いが、季節柄日焼けに見えなくもない。それでも痒みはまだまだあり、殆ど何もない様に見える背中の痒みが酷い。この痒みも徐々に、本当に少しずつではあるが軽減されてきている様だ。
4.まとめ~治療時に気をつける事
松本漢方クリニックでは事前に入ってくる情報が限られている。これは人によってステロイド剤の使用量や期間が違い、更に出てくる症状にも違いがあるので、一概に「こうだ、こうなる」とは言えない模様だ。白内障リスクの件、タンパク質不足による衰弱の件はかなり危ない状況であった。それでも事前アナウンスがない。本文に記載しているが、自分の状態に常に気を配り少しの変化でも松本医師や看護士の横山さんに相談する事が肝要だ。今回の手記はこれから脱ステロイド治療を始められる方に出来る限りどんな状態だったかを知って頂こうと考え書かせてもらった。これから治療を開始する方、初めて間もない方へ、事前に以下の準備をされる事を強くお勧めする。
①頭髪が抜ける心配が有る方は、事前に短くしておく方が安心かもしれない
リンデロンVローション等を頭皮に使用した方は覚悟が必要。薬剤を使用した箇所と、リバウンド箇所との相関関係は無いらしいが、残念ながら私の場合は同じ位置でのリンパ液滲出が多かった。覚悟だけはしておいても損はない。また、リバウンド期間中は鬱に近い状態にまで落ち込む。自分の見た目がどうのというのは二の次ではあるが、最低限の身だしなみは整えておきたかった。事前に分かっていれば短めにカットしておいたと今では思う。
②リンパ液の滲出に対応する物の準備
リンパ液は所かまわず滲出する。自分でコントロールする事は不可能だ。それが故、日常生活に支障をきたさぬ様にリンパ液の流出は止められる方が良い。キッチンペーパー:本文でも記載したが、これが一番吸うし、何より安価。チューブ型包帯チュビファースト:キッチンペーパーを巻いた上に使用する。ズレないので重宝。足が腫れた時の靴:夏場はサンダルでもと考えるかも知れないが、指の付け根から腫れるのでサンダルも無理。大き目のスニーカーを準備しておけば安心。体重計:日々の自分の変化に気を配る意味でも必要。体脂肪率が分かる物なら更に良い。
③よき理解者を持つ
一人で対処できるほど楽なものではない。家族や友人に全てを話し、理解してくれる、サポートしてくれる人が絶対に必要。私の場合は一緒に暮らしている人が献身的にサポートしてくれた。彼女が居なかったらここまで一人で辿り着けていてなかった。途中で投げ出してしまったかもしれない。彼女がいたから、彼女の為にも、と思える人が傍に居てくれて幸せだった。クライアントにも全て自分の状況を包み隠さず話した。見た目で充分にオカシイ訳だから、何かあるとは思われるだろうが、こちらから話す事で気持ちも楽になる。この治療の事を知っている人は意外に少ない。自分自身もよく知らなかった。話した事で関心を持ってもらい、また新たな話をしてくれる。「実は私も。」という話も結構出てきた。これらの事も治療を続ける勇気につながる。よき理解者は絶対に不可欠である。
5.最後に
この手記を書いている今、7月4日現在、まだ完治している訳ではない。痒みも充分過ぎる位残っている。肌の色は赤(赤色人種)こそ通り過ぎたがまだまだ黒い(黒色人種)。肌表面もザラザラしている。これからの道のりの方が長いだろう。でも、辛いリバウンドを乗り越えられた自信が、今ある全ての症状が消えて無くなるという確信となって充満している。これからは自己の免疫の勝負だ。痒みから開放され、綺麗な肌を取り戻すその日まで、治療開始時に課した事を忘れず、破らず、そして急がず、自分のペースを崩す事なく、治療を継続して行こうと思う。