「松本先生との出会い」匿名希望25歳2004年5月20日
2003年9月14日、主人と松本漢方クリニックに行った。沢山の人に驚いた。
主人の指が切れる症状は、どんどんひどくなっていて、薬がなくなると、いつもぶりかえす。「根気よく続けないからやん。」と思っていたけど、本当は、その逆。今考えると、ステロイドのせいだったんだな。怖っ!主人の母から、松本漢方クリニックのことを、「絶対治るらしいよ。」と聞いて、「よし、行ってみよう!」ということになった。
私のアトピーは、小6で治ったけど、夏になると、両肘内側に、あせものように出てくる。だから、毎年、夏は、腕が黒くなる。慣れてはいるけど、女性にとって、この腕は、ちょっと恥ずかしい。それが、今年は一層ひどかった。範囲が広がってきて、赤みも帯びてきていた。もともとアレルギー体質で(体質という言葉には、語弊があるけど)、夜には鼻が詰まったりするし、今年初めて、花粉症とも言われてしまった。山口で育った私にとって、大阪の水が合わないのか、風呂上りは体がピリピリしていた。
主人はといえば、大学時代に、初めて手の症状があらわれて、以来5年ほど、関節が切れてしまっている。特に冬は乾燥して、血が出てくる。痛いらしい。しかも、長い間薬を塗ってきたからか、皮膚は硬く、象のようになっていた。見た目に、太さも増して、指がなかなか曲がらないほどだった。しかも、カビが生えたように、白く粉を吹いていた。
2人とも皮膚が弱いのか(これも、アレルギーかもしれないが)、疲れたり、ストレスがたまったりすると、体に表れる。主人はそれがひどくて、仕事が忙しい時期に入ると、指が切れてくる。ある意味、分かりやすい人だ。皮膚科には何度も行ったし、色んな薬も塗った。それがいけなかったのかもしれない。だけど、どのお医者様も皆一様に、ステロイド尽くしだ!「強いやつでガッと治して、弱いやつに切り替えて下さい。」って言われていた。主人に処方された強いステロイドは、数ある中で、2番目に強いものだった。
言われた通りにガッとやったが、薬が無くなるころには、反動もガッときた。そういうのを続けてきたんだから、私たちの考えが安易だったのかもしれない。だけど、治りたいという思いだけはあった。将来子供を持つときのことを考えると、なおさらだった。今、治しておかなければ!そうして、松本先生とお会いすることになった。
HPの文章や手記を読むうちに、少し怖気づいた部分もあった。でも、もう、前に進むしかない!ドキドキしながら、松本先生の部屋へ・・・夫婦そろって、拍子抜けした。初めて会うタイプのお医者さまだったから。白衣じゃなくて、柄物のシャツ。「怒るで、しかしっ!」と、どこからか聞こえてきそうな出立ち。マシンガントーク。でも私たちにとって、その雰囲気は、とても魅力的だった。しかも、『絶対』という言葉に、何かすごい力を感じた。なんでも曖昧にまとめる現代で、『絶対』を使える人。ひきつけられないはずが無い。
「絶対治したる。」と握手をしてもらって、診察は終わり!1週間分の漢方薬と入浴剤を、現在実行中。最初は、苦いし、まずいし、オエーと言いながら飲んだ。お風呂も、久々につかって、のぼせ気味だった。それもじきに慣れてきて、主人に、もしやリバウンド!?と思われる現象が起こってきた。2人だから続けられるっていうのもあるかもしれない。完全に治った自分を想像して、楽しみにしている。明日、また先生のお話を聞くのも楽しみだ。一週間の結果を見て、何て言われるだろう?
――これを書いてから、半年が経った。その間、煎じ薬を飲み漢方風呂に入り、煎じ薬をサボることもあったが、松本先生から「もう、いい。」という言葉を戴いた。私にも、多少なりともリバウンドが訪れ、赤く広がり、痒かった!一番驚いたのは、ニット系の洋服を着ると、じんましんが出たことだ。ボコッと膨らんで、痒くなる。一時的なものなので、時間が経つと治まるのだが、今まで体に起きなかった現象が起きると、びっくりする。去年、花粉症の時期には、一ヶ月ほど、喉が真っ赤に炎症を起こして、痛くてたまらなかったのが、今年は無く(花粉が少なかったのも、幸いしたのか)、くしゃみ・鼻水もめったに無かった。ありがたい♪
振り返ってみると、アレルギーに対する勘違いを正してもらい、アレルギーとストレスとの関係(これは、夫婦揃って、「へぇ~っ!」を連発した。)など、様々な勉強が出来た。治療というよりは、先生の講演を聴きに行くといった感覚で、松本漢方クリニックへ足を運んでいた。
主人は、今もなお、アトピーと戦っている。だが、以前に比べ、格段に肌はきれいになっていっているし、ペースは遅くとも、治っていることが実感できる。思うに、この治療には、家族の理解・協力が必要だ。確かに疑ってかかる人もいる。正直言って、治療代もかかるし、めげそうになるときもある。でも、治って胸を張っている自分を想像すると、頑張れるはず…と考えながら、今日も主人に薬を塗ってあげてます!「負けて勝つ」の精神で。
「アトピー完治まであと少しだ!」25歳男性2003年11月25日
私がこの病に悩まされ始めたのは16歳、丁度高校2年くらいからだったと思います。それまでにも手足の関節の裏側に少しだけなっていました。アトピーに関しては全く無知だったのでとりあえず近所の皮膚科に行きました。「皮膚が悪いんだから皮膚科に行く」当然のことだと思っていました。おかげで??20歳になった頃には外見はほとんどわからないくらいにはなりましたが!透明の薬を寝る前や患部が乾いてきたら塗らないと赤くなりました。塗る量と回数が少ないんじゃあないかなと思いマメに塗りました。症状のいい時には薬を止めようと思い何度も離脱を試みましたが無理でした。これまでには幾度となく医院を変えていた私はもっといい医者はいないのかとたずね大阪市立大学医院の皮膚科に行きましたが最終的にはあまり症状は変わりませんでした。そこでは月2回程度の通院で行くたびに採血をしていました。当然透明の薬(クロマイP軟膏)も塗っていました。ある夏の日、汗をかくと非常に痒くなりボロボロになった背中を見せ「前回来た時より悪くなっつてるんですが?」と言うと「血液を見ると良くなって来ている」と言いました。そこで私は「治るんですか?」と聞くと「気長に付き合っていかないとだめです」と言いました。私はこれを聞いた時、絶望と怒りがこみ上げこの日以降この病院には行きませんでした。偶然にそのころ仕事場が異動になり辛そうにしている私を見ていた店長が松本漢方クリニックの存在を教えてくれました。本当に偶然です。あらかじめインターネットで療法、手記をみて早速次の休みに行きました。忘れはしません平成14年9月11日です。ドアを開けると凄い漢方の臭い。順番を呼ばれ入ると芸術家っぽい先生。もっとも私の聞きたかった「治るんですか」という問いかけに「絶対に治る!」力強く言ってくれました。それから漢方で治し始めたのですが手記を書いていた人は症状の極めて凄くひどい人で自分は年末には良くなっているだろうとなぜか思っていました。リバウンドの辛さを何にも知りませんでした。始めた頃は2週間程度で背中の傷が良くなってきました。少しずつ顔が赤くなりました。漢方風呂に入っている時は1日で一番皮膚が痒くもなく痛くもなく最高の時間でした。毎日風呂の水面びっしりと垢が浮きました。
風呂から上がると急にそこらじゅうが刺すように痛くなり、すぐに赤い薬を塗りまくりました。まさに地獄でした。風呂に入る前は消毒をするんですがこれも傷口に非常にしみて辛かったです。11月頃~翌年6月ぐらいまでは目がよく霞むようになりました。失明してしまうんじゃあないかと思いました。ある日毎年開催されるフィッシングショウにいきました。バス釣りが三度のメシの次に好きな私は当然凄く楽しみにしていました。会場に行く途中でいつものように目が霞み始め会場に着いた時にはもう最悪に視界がさえぎられていました。ゆっくりと良く見れたはずが見えません。しかも足は痛いし体は痒いし最悪です。家に帰り思いっきり泣きました。自分はなぜ生まれて来たのか本当に分からなくなりました。症状がひどい時は何度も死にたいと思いました。寝る前、明日の自分は生きているのか不安で寝れませんでした。横にまり寝ようとしても体が熱くてなかなか寝付けず目が覚め起きるとフトンは汗でベッタベッタ。汗をかく事で無意識のうちにかいてしまい皮だらけ。足の甲、ヘソの下辺り、腰のパンツのライン、顔(3~4日)からは11月頃~6月頃まではリンパ液が出まくりました。足からリンパ液が出るんですが靴下はベトベトになりお気に入りの靴を履けずいつも同じでした。ミイラのようでした。それでも1日たりともこの療法を続けました。当たり前ですが1日も早く健康な体になりたかったからです。これがだんだんとよくなり今日11月25日現在はもう非常にいい状態です。風呂上りに少し痒いぐらいです。毎日入っていた漢方風呂も1日おきになり薬もほとんど塗らなくても大丈夫です。やっと出口が見えてきました!先生本当にありがとうございます!
もう少し頑張ります!!
「アトピー手記」匿名希望21歳2013年1月22日
娘は小さい頃から肌が弱くて一年中些細な刺激で痒がることが多く、特に乾燥する冬は掻いては体中に湿疹がよくできていました。その度に近所の皮膚科に行き処方されるがままステロイドを使っていました。常用するのは良くないと分かっていましたが状態が悪くなるとどうしても塗っていました。そんな日々が何年も続き、成長するにつれ少しは良くなっていたかのように思えたのですが、中学3年生の時急に症状が悪くなり今までにないくらい全身に蚊に刺されたような湿疹ができたのです。知人にいい皮膚科があると教えてもらい診てもらったのですが、やはり出された薬はステロイドでした。しかし放っておけずステロイドを使ってしまいました。このままでは娘が一生薬を手放せなくなるのではないかと怖くなりました。なんとか脱ステロイドが出来ないかと思いインターネットで検索してはいろいろと試しました。しかしどれもこれも良くなるどころか状態はどんどん悪くなるばかり結局また皮膚科に行きステロイドを使って状態を抑えるということの繰り返しでした。高校受験もあったのでとりあえずは様子を見ることにしました。
高校生になってから本格的に治療をしようとまたインターネットで検索したところヒットしたのが松本漢方クリニックでした。漢方薬の治療、しかも『ステロイドは一切使いません』という言葉に救われた気がしました。ホームページ中のアトピーの記述を読んでいるうちに今まで娘の病気についてあまりにも解ってなくて医者に言われるがままやり過ごしてきたことを後悔し、それで娘が今しんどい思いをしているかと思うと一日でも早くここで治してあげたいと思いすぐに娘を連れて行きました。しかし松本漢方クリニックでの治療法、リバウンドの事の説明や写真を見せられてとても怖くなった娘は違う方法で治療すると言って松本漢方クリニックでの治療を拒みました。やっとここまで辿り着いたのにここで引き下がるわけにはいきませんでした。毎日毎日説得しそれでもなかなか首を縦に振ってくれなかった娘がとりあえず処方された漢方薬湯に入ってみようと促したところとても気に入りやっと治療を決意してくれました。
最初の血液検査の結果から先生に『数値的には大したアレルギーではないよ』と言われたのでそんなひどいリバウンドもなくすんなりと良くなっていくのかなと思っていました。ところが、治療を始めて一週間ほどしたころから痒みが倍増しました。特に夜お布団に入って寝ようとすると急激に痒みが出てくるようで一ヶ月以上まともに眠れない日々が続きました。寝たくても寝られない、一晩中あちこち掻きまくりとても辛かったようです。それと同時に体中の皮が毎日毎日どんどんめくれ、特にひどい部分は皮膚がテカテカになり着ている物の少しの刺激でさえも痛いと感じるくらいでした。しかも風邪を引いていないのに寒気がしたり暑くもないのに汗のような体液が出たりと皮膚が正常なサイクルで生まれ替われないため思いもよらぬ事が起きていました。急に赤い発疹のようなものがいっぱい現れたかと思うと微熱が2~3日続きました。これはヘルペスだと先生に言われました。このヘルペスにはリバウンド後も何度となく悩まされました。本人曰くピリピリととても痛かったそうです。皮膚は黒ずみたるんでシワシワになるし、本当に想像していた以上のリバウンドでした。
夜は痒みでまともに眠れず、朝は寝不足でふらふらになるので三週間ほど学校を休んでしまいました。リバウンドの最中娘が一番落ちつけたのが漢方薬のお風呂でした。ひどい時は朝晩それぞれ二、三時間ほぼ半日くらい入っていました。その後、痒みはあるものの夜も眠れるようになり普通に生活を送れるようになったのですが、三ヶ月後第二のリバウンドが来ました。リバウンドは一回だけだと思っていた私達はとてもショックでした。特に娘は一度辛いリバウンドを経験してだんだん良くなっていると思った矢先に第二のリバウンドが来たのでかなり辛かったと思います。それを毎日見ている私もとても辛く出来ることなら代ってやりたかったです。
また一からやり直しのように痒みで夜は眠れなくなり、皮はどんどんめくれ、寒気も汗のような体液もでました。しかも一度目よりひどいリバウンドでした。高校二年生に進級したばかりなのにまた三週間学校を休んでしまいました。
リバウンドの治療途中何度もくじけそうになり、ここだ!と思ってきた松本漢方クリニックなのに『本当にこの治療法でいいのか?』『これが娘に合っているのか?』などと気持ちが揺らぐことも何度もありました。そんな風に私が迷っている時娘に『まだ一年も治療してないのに合っているかどうかなんて分かれへん。
先生もそんなにすぐに治らんよって言ってた。じっくり治療しなあかんねん!』と言われハッとしました。娘が治ると信じて頑張っているのに私が迷っていてはいけない、最後まで信じて支えてあげなければいけないと反省しました。
それからは迷わず治療に専念しました。
とは言うもののなかなか良くなるものではなく一進一退を何度も繰り返し、その度に弱音を吐く事は多々ありました。気持が萎えてしまう時は診察の際に先生に喝を入れてもらったり励ましてもらったりしました。先生とお話しているだけでいつも元気をもらっていました。そしてアトピー性皮膚炎という病気の事もいろいろと教えてもらいました。今まで通っていた皮膚科はどこもこんなに丁寧に教えてくれませんでした。本当に勉強になりました。
松本漢方クリニックで治療を始めて約四年経った頃から肌の状態が安定してきました。
リバウンドの時のようなカサつきは無く、掻いてもすぐに湿疹が出ることがなくなりました。それよりステロイドを使わずに生活が送れるようになった事が本当に嬉しいです。娘本人も辛かったけど頑張って治療をして本当に良かった、今思えばあの頃が嘘のようだと言っています。まだステロイドの後遺症で肌の色が黒ずんでいるところがあります。冬場は乾燥でかさつき痒くなる部分もあります。でも今、娘は何の支障もなく大学生活を楽しく送っています。長期の海外旅行や友達とプールに行く事も以前は考えられないことでした。
娘のこれまでの頑張りがこれからの人生に於いてプラスになればいいと願っています。
松本先生と巡り会えた事に感謝します。
「アトピー手記」匿名希望29歳2005年7月22日
私は、生まれた時から、アトピー退室で、幼少期は関節がカサついている程度でしたが、思春期の頃から徐々にひどくなり、体育のマット運動の時間や、受験の時は、特に激しく出ました。
高校を卒業するまでは、ステロイドを継続的には塗っておらず、ひどい時に皮膚科を受診し、一時的に塗る程度でした。継続的に塗りだしたのは、20才前後だったと思います。主に手足の関節や、首回り、カサついている所や、掻いて傷になっている所に塗っていました。塗ると、すぐに痒みが治まりました。
22才の時、左日が白く霧がかかった様に見え、視力が低下しました。右日も、左日ほどではありませんが、白く濁って見えました。大学病院で、白内障と診断され、1年半ほどで、両目とも手術しました。「白内障の原因は、はっきりと分からないが、ステロイドによるものか、目が痒くて、ずっと平手で目を叩いていたので、その衝撃によるものかもしれない。」という事でした。左目は、水晶体がひどく濁っていたので、目の奥が見えず、「叩いていた衝撃で、網膜はく離を起こしている可能性がある。」と言われましたが、結局白内障だけでした。
お勤めするようになっても、人目につく所にアトピーが出ているのが嫌で、手足の関節や、首回り、肌荒れでお化粧のりが悪い時は、顔にもステロイドを塗っていました。しかも薬局で購入し、医師の指示なく使用していました。危険な事だと理解していましたが、仕事が忙しくて、病院に通う暇がない。そしたら薬局で購入し、ひどい時に塗って寝れば、次の日にはきれいになっているので、出勤できる。それの繰り返しでした。リバウンドの事も知っていたし、自分のやっている事が矛盾しているのも分かっていたので、心の奥でずっと不安でした。
だんだんとステロイドの量は増えていく。でもアトピーの症状はひどくなり、範囲も、手足の関節、首回り、顔だけだったのが、全身に広がり、顔も赤黒くなっていきました。そして今年の4月初め、アトピーは、もう治まりがつかなくなり、限界で、仕事にも行けず、怖くなって母に相談しました。
こうして、仕事を休んで、ステロイドを止める事となりました。この日まで約10年近く、その時々で波はありますが、一般的にステロイドの強度が3といわれているクリーム(10グラム)を、だいたい2週間に1~2本ぐらいのペースで塗り続けていました。ステロイドを止めた次の日から、爆発的に症状が悪化しました。特に顔がひどく、赤く腫れあがり、ただれて、汁も出ていて、本当にものすごい状態でした。病院に行くと、ステロイドを出されるので、水をたくさん飲んで、お風呂に何度も入り、ワセリンで皮膚を保湿して、家で過ごしていました。症状は、全く良くなる気配がありませんでしたが、お風呂に入っていると、痒みや痛みが少し楽になり、精神的にも落ち着くので、入っていました。
ステロイドを止めて2週間が過ぎた頃、唇に吹き山物ができました。以前から、へルペスがよくできていたので、薬を持っていて、それを塗って様子を見ていましたが、日に日にひどくなり、顔全体に広がっていったので、大学病院へ行きました。「カボジ水痘様発疹症」と診断され、1週間、点滴入院しました。 「アトピーの悪化で、皮膚の抵抗力が低下している所に細菌が入ることが原因で、アトピーをコントロールしないと度々なる。」と言われました。(アトピ-の完治は、なかなか難しいということでした。)コントロールとは、つまりステロイドを使うことでした。私の血液検査の結果では、「一定の期間、ステロイドを飲むべきだ。」と言われました。「ステロイドは、一切使いたくない。」と言うと、「抗アレルギー剤を飲みながら、プロトピックという新薬を塗って、コントロールしましょう。」と言われました。プロトピックの注意書きの所に、『塗ると、肌が熱く焼けたような感覚があります。』とか、『マウスで実験すると、10年間プロトピックを使い続けたマウスは、普通のマウスに比べて、皮膚ガンになる確率が高い』とか、『吹き出物が出やすくなる』と書いてあり、「新薬なんて、実験台みたいで怖いなぁ、医者がステロイドを飲むべきだと言っているのだから、飲んだほうがいいのかなあ。」と色々考えながら、一度は止めようと決めたステロイドでしたが、気持ちが揺れ動き。自分がこの先どうなって行くのか分からず。不安でいっぱいでした。
その頃、母がインターネットで松本漢方クリニックを見つけて。「やっぱり。ステロイドは使わないほうがいい。すごくいい事を書いておられる先生がいるので、退院したら行ってみよう。」と言ってくれました。ステロイドを止めて、松本漢方クリニックを受診するまでのこの1ヶ月間が、今思えば、先行き見えずで一番辛い時期でした。
5月8日 初診日(脱ステロイド1ケ月目)
大学病院を退院した次の日、母の日に、母と2人で、1時間半かけて車で行きました。受付で、「手記を読んで、お待ちください。」と言われましたが、顔はパンパンに腫れて、目はふさがりそうに重く、全身が熱っぽくて、ボーっと待っているのが精一杯でした。
診察室で、松本先生が「絶対に治してあげるから、大丈夫。」と、私の手をとり、握手してくださった時、母は涙ぐんでいました。私もですが、きっと母も、松本先生にすがる思いだったと,思います。母の日に、こんなに心配をかけて、悲しい思いをさせてしまって、申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。赤黒く腫れ上がった自分の顔を人に見られているようで、辛くて、帽子を深くかぶり、さっさと家へ帰りました。
そして、この日から、漢方の治療が始まりました。(初診時の血液検査の結果、IgEの数値は、4110でした。)手足、首回り、顔と、10日ほどで、だんだんひどくなっていきました。症状がひどかった所はさらにひどく、出ていなかった手足の指と、指の間や、肘や、膝まで、赤く腫れ上がりました。特に激しく出たのは手全体で、手のひらは白いけど、裏返すと真っ赤に腫れ上がり、境目はミミズ腫れのようでした。痒いので掻いていると、汁が出て、傷ができて、ものすごく痛みました。それを繰り返していると、やがて象のようなきめの粗い肌になり、さらに掻き続けていると、しわが裂けて、ひび割れてきました。水がしみるのはもちろん、手や指を動かすことさえも辛く、お箸を持ってご飯を食べるのも一苫労でした。
私の場合、手首、足首、手足の指や関節、肘、膝など、曲げ伸ばしする所がひどかったので、体を動かすことが苦痛で、包帯を巻いたりしてしのいでいました。痒いので掻き続けていると、その後にものすごい痛みがやって来るという繰り返しでした。起きているときは、ずっと『痛い』か『痒い』と言っていたような気がします。一番辛いのは、消毒の時でした。塗ったときはそうでもないのですが、乾いている途中にものすごい痛みがありました。掻いてすぐの消毒は最悪でした。
お風呂に入って、痒いので掻くと、ポロボロとあかのようなものが落ちて、それも半端な量ではないので、掻きまくって皮膚を落としてから、漢方風呂につかっていました。お風呂は大好きでした。夜もリンパ液が出て、体がじとーっとして寝苦しく、何れていても身の置き場がなかった私にとって、漢方風呂につかっている時だけが心落ち着く時間でした。お風呂につかりながら、寝たりもしていました。良くも悪くも、毎日皮膚に何らかの変化が見られて、治療のやりがいはありました。
私の場合、松本漢方クリニックへ行った時には、ステロイドを止めて1ヶ月が経っていたので、すでに顔のリバウンドが始まっていたのか、漢方の治療を始めると、一時的にひどくはなりましたが、結構早く引いていきました。でもその他の部分は、すごくひどくなりました。手、足の裏以外は、すべて出たような気がします。頭の中にも出ました。常に耳の中や裏側はジクジクしていて、黄色い目やにや、鼻水もうみのように出ていました。夜は眠れないので、睡眠薬を出してもらっていました。朝起きると、リンパ液でシーツが黄色くなっていて、寝ている間に掻いた皮膚も沢山落ちていました。(赤い薬と混じって、赤色の粉でした。)症状や、出る時期も、箇所によってさまざまで、どこかがよくなると、他の箇所がひどくなるという感じでした。でも、その中でも、膝から下と、肘から下は、ずっと出続けていました。
何度かリバウンドがありましたが、始めの1~3回目がひどかったように思います。大きいリバウンドも経験しながら、どれほどたくさんの皮膚がはがれ落ちたか分かりません。だんだんとはがれ落ちる皮膚の量が減ってきたのです。そして、ステロイドを塗っていなかったお腹や背中の皮膚から、だんだんと正常な肌に戻っていきました。今でも、手足の関節や肘や膝はザラザラしていて、痒みがあり、赤みもありますが、掻いて血が出るようなことはなく、ひび割れもありません。一番ひどかった手の甲や、手首の辺りも、赤みと痒み程度です。その他の部分は、掻くと蕁麻疹が出ることが多くなってきました。一番気になる顔の皮膚の色ですが、あざのような黒さはなくなり、たまに赤くなりますが、自分でも本当にきれいな肌になったと思います。今でも目やにが多いときは、「リバウンドかな?」と思ったりします。あんなにリバウンドが辛かったのに、今は分からないぐらいになりました。
漢方の治療を始めて、1年2ヶ月になります。始めの頃は、リバウンドがひどくて、辛くて、「自分は、本当に回復に向かっているのだろうか?」と不安になることが何度もありました。そのたびに患者さんたちの手記を読み、自分の症状と照らし合わせては、心を落ち着かせていました。外出もほとんどせず、精神的にも不安定だった気がします。「もし、あの時、母がインターネットで松本漢方クリニックのホームページを見つけてくれていなかったら、どうなっていたんだろう?」と考えると、怖くなります。松本漢方クリニックを見つけてくれて、私の漢方治療の、一番の理解者になってくれた母、経済面で支え、暖かく見守ってくれた父、そして、何より私の体をステロイドから救ってくれた松本先生に感謝しています。ありがとうございました。
小さい頃からアレルギー体質で、よく母といろんな病院に通いましたが、一向に良くならず、大変な思いをしたのを、良く覚えています。体中をかきむしるために、家のいたるところに血や体液がつき、看病をしていた家族が、大変な思いをしていたと思います。
そんな体中に出ていたアレルギー反応が、幼稚園に入るときには治まり、小学校・中学校と平穏に暮らせたので、もう治ったものだと思っていました。
しかし高校生になると、春はアレルギー性鼻炎、夏はアレルギー性皮膚炎と、昔を思い出させるような症状が出始めました。どちらの症状も、季節が変わると治るために、これといった治療もせずに、自然に回復するのを待っていました。幼い頃に病院に行き、もらった薬で、病状がさらに悪化した記憶があるために、大小を含めた病院のたぐいは、まったく信用していませんでした。
決まった季節に症状が出、決まった季節に治り、毎年のように繰り返していたために、アレルギーの病気を少し甘く見ていたと思います。
大学生になり、飲食業のアルバイトをはじめてから、手があれはじめました。冬になると、皸(あかぎれ)を起こし、大変でしたが、楽しい仕事でしたので、気になりませんでした。
しかし、就職活動をはじめたころから、昔を思い出させるような、ひどいアレルギー性皮膚炎になりました。足の裏やひざのところが、炎症により、ぐちゃぐちゃになりました。絶えず水が出ているような状態で、靴や靴下が、常に汚れました。就職活動でスーツを着ていたために、毎日のケアが大変で、ストレスもかなりたまりました。
耐え切れず、街の皮膚科に行き、薬をもらい、様子を見ました。ステロイド系の薬をもらい、使用すると、ぐちゃぐちゃだった患部が、急に治り始めました。治る過程は、急に患部の皮膚が再生し、青色の肌になり、色が徐々に戻るといった、今までにない治り方でした。でも治ったために、普通の生活に戻りました。
それから一年後、同じような症状になったために、また薬をもらい、治そうとしました。去年と同じように治ると思っていましたが、そうはいきませんでした。患部は、赤色から紫色に変わり、接客するのもためらうようになり、人生にあせりを感じました。
そんなときに、松本漢方クリニックを知ったのです。今までの医者と同じようであれば、行くのをすぐに止めていましたが、漢方薬を使い、ステロイド系の薬を否定していたので、頑張って治療を受けようと思いました。
アレルギー数値なんてものを計ったことがなく、計ってみると、普通の人の3000倍もあると言われ、驚きました。今までぎりぎりの状態で生きてきたのだなと、はじめて思いました。
そして、松本漢方クリニックで、消毒液・塗り薬・入浴剤・飲み薬をもらいました。たくさんの種類をもらったので、続けていけるかどうか不安でした。特に飲み薬は、なかなか飲むことが出来なかったのです。松本先生からは、「たくさん飲むと、早く治る。」と言われていましたが、なかなか飲めませんでした。
しばらくは、消毒液と塗り薬、入浴剤の治療が続きました。それでも1ヶ月たつかたたないかのうちに、手の紫色が、徐々に赤色・ピンク色と戻り、人前に出せるぐらいまで戻りました。そのことで、治療に自信がもて、飲み薬も飲めるようになりました。
現在で、治療2年目ですが、アレルギー数値が、3000―900―500―300 と下がってきています。一番実感が持てることは、アレルギー性鼻炎が、今年はかなりましだったことです。3・4月は、毎日、鼻水と目のかゆみに苦しんでいたのが、週1回に減り、快適な春を過ごすことが出来たことです。
これからも治療を続け、普通の人並みになるように頑張りたいと思います。そして治療を支えてくれた家族と病院のスタッフに、心から感謝しています。
私は今アトピー治療で、松本先生に治療していただいています。初めて松本漢方クリニックを訪ねたのは2005年の春でした。
中学に入学した頃から、春先になると顔が赤くなり、湿疹のようなものが顔から首にかけて出はじめました。痒くても顔を傷つけるのが嫌なので、掻く事ができず、痒みを抑える薬をもらうために、近所で評判の皮膚科に通い始めました。先生から「副作用があるから付けすぎないように」と言われ、塗り薬と飲み薬を渡されました。当時私はステロイドという言葉を聞いた事もなかったので、塗ったら綺麗に治る魔法のような薬だと思っていました。
私の場合は春が過ぎるとまた元のように戻ってしまうので、年中ステロイドを使うということはありませんでしたが、中学から高校に入るまで、春になると薬をもらいに病院に通いました。
ところが、高校に入学した年から毎年出ていた湿疹のようなものは出ることもなく、痒みもなかったので、治ったのだと思いました。それから3年間、何事もなく過ごしました。
ところが大学に入って1年ほどした時に、体中にブツブツとした湿疹が出はじめました。汗をかいた時に体中に出て、しばらく経つと引いていくという感じでした。痒くて痒くて仕方がなく、湿疹が出ている時は人に見られていないか、周りの目がすごく気になり辛かったです。かつて行っていた病院の薬も全く効かなくなり、途方にくれていたところ、知り合いから松本漢方クリニックを紹介されたのです。先生が私が通っている大学に通っていたということも何か親近感を感じさせてくれました。
そこで初めて、ステロイドの恐ろしさを知り、今まで平気で使い続けていたことを考えるとゾッとしました。その他メンソレータムや目薬など日常的に使っていたものもダメだということを知り、その日から一切使うことをやめました。松本先生は、掻きたければ好きなだけ掻いたらいいし、食事制限もする事はないとおっしゃいました。それまで掻けなくて、食事も好きに食べれなくて、精神的にキツかったので、松本先生の言葉を聞いたときはとても救われました。
それから漢方を煎じたお茶と、薬草湯に毎日入り続け1週間も経つと、だんだんと湿疹がでなくなり肌も元に戻っていました。
しかしそこで勝手に治ったと思い込んでしまい、それから病院へ行くことをやめてしまいました。今思うと、先生のおっしゃることをちゃんと理解していなかった上に、恩知らずな事をしてしまったと反省しています。 再び春が来たとき、私の顔は今まで以上にひどいものとなってしまったのです。お風呂に入って汗をかいたときに、顔に湿疹が出てそれは翌日になってもひくことはありませんでした。水ぶくれのようになった顔は自分の顔とは思えないほど腫れ上がり、良くなることはありませんでした。外に出ることができず、学校にも1ヶ月行くことはできませんでした。今さらステロイドを使えるはずもなく…怒られることは覚悟の上、松本先生に頼るしかないと思いました。予想通り、診察室に入ると、松本先生に怒られましたが、帰る時に先生は「必ず治してあげるから。」と一年前と同じ言葉をかけて、力強く手を握ってくれました。
その時、今度こそちゃんと真面目に通って、先生を裏切ることは決してしないと強く思ったと同時に、今まで重荷になっていたものが消えていく感じがしました。
あれから1ヶ月、肌は元に戻り、今まで以上にキレイになっているようです。私の場合は今のところひどいリバウンドもなく、順調に手記を書かせていただけるところまできています。今度こそは、先生の完治!!という言葉が聞けるまでがんばるつもりですが、そうなった時は、もう先生の独特なお話が聞けなくなるのかと思うと少し寂しい気もします。これからもよろしくお願いします。
「鼻炎 アトピーの治療」23歳女性2007年2月16日
初めてアレルギー症状が出たのは、小学6年生位だったと思います。
初めの頃は鼻炎で、市販の薬を飲んでいましたが、効かなくなり、病院に通うようになりました。しかし又、その病院の薬も効かなくなり、他の病院へ、という事が2度あり、3つめの病院では漢方顆粒剤と抗アレルギー剤を出されたと思います。そこに来るまでは、2~10月まで薬を飲んでいたのが、
春と秋だけで大丈夫になったので、当時は鼻炎が治って来ているんだと思っていました。でもニキビとは違う、治らない吹き出物が増えていきました。
頬に出来た吹き出物がすごく痒くて、我慢できずに掻いた時に、皮膚がかぶれた様な感じで、汁が出てきて1cm位がケロイド状になりました。皮膚科に行き、貰った薬を1週間塗り続け、なんとか元の肌には、戻りましたが、皮膚はすぐにも破けそうに薄く、痒みもあり、違和感を感じていました。(貰った薬がステロイドだと言う事は、松本漢方クリニックに来てから知りました。)それから、耳が切れ、首の後ろも痒くなり、掻き過ぎて大きなかさぶたで黒ずみ、おかしいなと思って会社の先輩に相談した所、松本漢方クリニックを紹介してもらいなした。
平成17年10月1日初めて松本漢方クリニックへ。
松本先生に今までの経緯を話すと、今までして来た治療がアトピーを引き起こしたのだろうとの事で、7年間の通院はなんだったんだろうと、悲しくも腹立たしくもなりました。治療開始当時、私の首の後ろは掻き過ぎて、3cm大位の黒ずみが2ヵ所と耳が切れていました。本当に治るのかなぁ?と思いながら、出された煎じ薬を沸かし、飲んでいました。お茶は妙に甘くて飲みにくい!でも体が温まる感じはしました。
10月2日、初めて入浴剤を入れてお風呂に入りました。漢方薬の匂いでリラックス出来て良かった。お湯の肌あたりも柔らかく感じました。
10月3日、体全体にポッポッと吹き出物が出てきた。
10月8日、毎日すごく寝たい!先生に話したら、それだけ体が治そうと頑張っているとの事、頭痛もある。この頃からリバウンド症状が出てくる。首は掻くと、つっぱる感じで、耳も少し薬を塗らないだけでリンパ液が出る。
10月15日、リバウンド症状で、痒み、腫れが酷い、首の黒ずみもピーク。
10月20日、肌のボコボコ感が減った様な・・・。急に良くなった気がする。
10月22日、ステロイドを塗っていた胸元が赤くなり、ザラザラしてきた。脇、腕にも痒みも広がる。
10月29日、耳がだいぶ良くなってきた。顔の吹き出物のボコボコが無くなった。
11月、この頃は良くなってきても、薬の塗り忘れで症状が悪化する事が多かった。
12月17日、1年前から治らなかった、頬の大きな吹き出物が、日に日に小さく!
平成18年1月1日、肌の調子が良い、吹き出物が減った、胸元のざらつきもなくなった。でも、セーターを着ると違和感がある。そういえば、漢方薬のおかげで、風邪をひきにくくなった。
1月~5月、までは同じ様に治療し、6月は鼻炎の症状が出たので、煎じ薬―鼻炎、粉薬―アトピーにしてもらった。7~9月は順調だった。
その後は、粉薬をやめて、煎じ薬と塗り薬治療。又ニキビが気になる時は、ニキビに効く煎じ薬に変えてもらったりと、その時々の症状に合わせて、処方してもらっています。
IgE値も最初の頃に比べ、ずいぶん減ったので、これからも完治をめざして、治療をして行きたいと思います。
松本先生、今後共、よろしくお願い致します。
私は小さいころからアトピーでみんなと同じものは食べられませんでした。保育園の給食も、母がいつもお弁当を持たせてくれていました。
顔、首、ひじの裏、膝の裏がかゆくて、いつもかいていると怒られていました。物心ついたときからずっとアトピーだったので、自分にはそれが当たり前だったけど、友達はみんなきれいな肌で、自分はどうしてこんな嫌な思いをしなければいけないのかと、いつからか思うようになりました。
「かわいそうに」とか「きもちわるい」とか思われるのが怖くて、半袖も着られないし、学校のプールの時間も苦痛でした。
家族はいろんな病院に連れて行ってくれて、薬もいっぱい試しました。
一時的によくなることもあり、私は薬の成分を気にすることはありませんでした。物心ついたときからアトピーなので、「完治する」という感覚をもったことがありませんでした。
わたしが松本先生に会ったのは高1のときで、知り合いの紹介でした。
松本先生にお会いして、私は自分のアトピーが治るかもしれないことをはじめて考えました。いままでの苦しみは無くなって、みんなとおなじになれるのやとおもったら、すごくうれしくなりました。
それからの治療は、おふろで使う薬と粉薬と塗り薬で、正直、粉薬は続きませんでした。治療を始めてからはリバウンドもあったし、「やっぱり治らへんのや」とあきらめそうになるときもありました。夏は汗をかくと余計にかゆくなって、冬は乾燥して今も大変です。でもだんだんましになってきているし、血液検査でも数値は低くなっているみたいなので、はやくよくなるように治療をがんばっていきたいとおもいます。
「潰瘍性大腸炎 アトピー手記」21歳男性2012年9月15日
潰瘍性大腸炎とアトピー性皮膚炎の治療経過
僕は生まれつきアトピーを持って生まれてきました。僕には3人の兄弟がいます。3人の中で僕はアトピーが重傷でした。僕が小学校の時、プール授業があり、参加したのは3回で友達から軽蔑されて悔しい思いをしました。その当時は食事制限があり、学校ではお弁当を持参したいた事もありました。どの病院もステロイドを使用して、最初は良くなりますが、薬をやめるとすぐに酷くなり、その繰り返しの20年間でした。時には地方の病院に、朝4時から通い3時間半病院の外で母が順番を待った病院もありました。ですが結果は全て同じでした。大学3回生の20歳の時でした。授業中に何度もトイレに行きました。多い時には7回のトイレに向かいました。軟便、下痢、血便、腹痛がお腹を襲いました。近くの病院で診察を受け、下痢止めと、ビオフェルミンを処方されましたが症状は変わりませんでした。3回目でやっと消火器内科で受診でした。内腹鏡検査の結果、潰瘍性大腸炎かあるいはクローン病と診断され、病名を限定する為に再度1ヶ月後に内腹鏡検査がありました。その間1ヶ月間ミヤBMを服用していました。便の回数も多く軟便でした。2度目の検査結果で潰瘍性大腸炎と診断されました。ここでも食事制限があり、食べ盛りの20歳の僕にとってはつらいものでした。男兄弟3人だったので母は気をつかって、僕と兄弟の食事時間をずらしたり、食事制限の指導に通ったり母にも負担が大きいと思いました。このままの治療方法ではいけないとネット検索で松本漢方クリニックを知り、松本漢方クリニックのホームページで手記を読みにつれ、僕も受診をしたいと思い、これが最後の病院だと願いながら診察を受けました。松本先生は多くの患者を診察しておられるのに関わらず、威勢の良い口調で「治してあげるよ!治るよ!」と強く握手してくださいました。ここでもアトピーも潰瘍性大腸炎も免疫疾患だか、「治るからね!」と言う言葉に大きな希望をもちました。お陰様で便は正常に戻りアトピーの方も瘡蓋が無くなり、今は顔のアトピーも後少しで良くなります。松本先生は僕の21年間の苦しみを救い出してくれた恩人です。
松本先生に本当に感謝しています。
「家族に支えられてアトピー完治まであと少し」 29歳男性2015年11月15日
はじめに
この治療をするのに一人では辛いと思います。支えてくれる人が傍にいるべきです。私の場合は家族です。拙い見苦しい文章ばかりだと思いますが、少しでも、役に立てればと思います。
アトピー歴は20年位
小学低学年辺りに発症しました。詳しくは覚えていないですが、ずっとステロイドの塗り薬を使用していました。紫のキャップor青いキャップのやつでした。当時は薬の塗り方など気にもしていませんでしたので、適当に塗っていました。しかも症状が無い部位にも塗っていました。それを最初からしていたので、ずっとそのように塗っていました。「安全祈願のお守りよりも、ステロイド」と言わんばかりに持ち歩いておりました。寝る前なんかは、ステロイドで全身に膜を張ってから寝る、そんな感じでした。
「ずっとこのままだろう。アトピーは治らないってよく耳にしていたし。」そんな風に考えながら日々を過ごしていましたが、ある日ふと、「本当に塗るのをやめよう。そしたら治るんじゃないか?」って思ったのです。確信なんて無かったし、松本漢方クリニックの存在も、もちろん知りませんでした。ただ、ただ、塗るのが面倒になったからって感じでした。
そこからネットで色々と民間療法的なものから調べ始めました。「すぐ情報が手に入る時代なのになぜもっと早く調べなかったの?」と思われるかもしれませんが、ダラダラ続けていたのは、普通に生活できていたからです。「アトピーの本質を調べよう」なんて気が、まったく起きなかったのです。
日に日に酷くなる私の姿に不安を覚えた母が、松本漢方クリニックを引き当ててからが、私の戦いの始まりであり、本当の意味で本格的な治療の始まりでした。サンキューマザー。
私が松本漢方クリニックの治療を始めたのは、2013年の5月頃です。その2ヶ月程前から、ネットの知識のみで独学治療をしている最中に、脱ステロイドに切り替えていたので、すでにリバウンドの症状がある状態からスタートしました。ストレスは良くないのですが、仕事でバリバリ、ストレスを溜めながら脱ステロイドをしていました。社畜なので休みませんでした。バカでした。これを読んでいる方はご自愛下さい。
症状一覧
全身に炎症があり、皮膚は赤い。なんというか、内側からズキズキした痛み。かき傷で関節部分が腫れて、曲げるのが痛い。顔と首は皮膚が剥がれ、乾燥し真っ白でボロボロ。背中、両肩、脇辺り、鎖骨辺り、腹回り、腕、尻、内もも、ふくらはぎ、足裏をかきむしる。両手の皮膚の8割くらいはあかぎれだらけでした。
2013年7月13日 ~ 2014年1月6日
まさに私のまだ短い人生の中でですが、間違いなく最低の生き地獄でした。かきむしって、床一面が剥がれ落ちた皮膚だらけになり、常に体の内側がズキズキ痛み続け、リンパ液で体中ベトベトし、痒みのせいで小一時間眠れるかどうかの日々でした。
一日のサイクルとしては、まず出勤するぎりぎりまで掻きむしる。(ベルクスロン、抗ヘルペス剤ですかね。飲んでいました。)タオルを巻いて衣服にリンパ液がつかないようにする。仕事の帰りは駅から歩いて50分くらい軽い運動をする。気休めですが野菜中心の晩飯を食べる。そして漢方風呂に入る。これの繰り返しでした。
まぁ一日中、合間、合間にかきむしっていましたね。治療上で特に制限はありませんでしたが、この時期はまだ半信半疑でしたので、「健康的な生活を心がけるべきだ」と思い、仕事の休憩時に缶コーヒー(糖分、中性脂肪・・・)を飲むのをやめたり、運動したり、野菜食べたり・・・ほんと気休めでしたが・・・。心が折れないように自分でやれるだけの最善を尽くそうとしていたのです。まぁ治療に関係なく心がけるべき事だと思いますけど。
痒みはもちろん辛かったですが、寝られないのがもっとも辛かったです。ですから、私は漢方風呂で寝ることにしました。幸い浴槽は足伸ばせないほどの狭さで、ちょっとした溺死対策をするだけで何とかなりました。風呂の時間が至福の時でしたが、追い炊き機能がないのが残念でした。だから、眠れたのはせいぜい4時間ほどでした。寝るというより気絶でしょうか?今思うとかなり危険なことですね。皆さんはマネをしない方が良いと思います。当然起きたら水風呂になっていました・・・。かなり寒かったですが、風邪はひきませんでした。不思議ですね。ちなみに風呂に入っている間、痒みはかなり和らいでいました。ですが私は全身を掻いていました。あえて皮膚を剥がしていました。「皮膚を剥がす方が患部に漢方が染み込みやすい」と思っていたからかもしれません。それが良いことかどうかは、先生に尋ねていませんでしたが、その後の消毒と塗り薬を塗ると、その時だけは肌がツルツルになっていました。すぐにこの皮膚を取り戻せると、指先で感触を確かめていましたね。
フザけた書き方になりますが、精神的にはいつノイローゼになってもおかしくない毎日でした。家族が部屋の掃除、煎じ薬と風呂を用意してくれて、支えてくれたのでなんとかなりました。
2014年1月7日 ~2014年5月26日
リバウンドは一度だけではなく、人によっては繰り返すものらしいと聞いていた私は、「自分の場合はステロイドをお守り代わりに所持して結構使っていたから、その影響があるだろう」と思って覚悟していました。しかし、ひどいリバウンドは一度だけで、あとは綺麗になった部位が、またちょっとぶり返す・・・、この時期はそんな感じでした。リンパ液があまり出なくなり、全体の痒みが少し和らいで寝られるようになり、だいぶ楽になっていたので漢方風呂も毎日ではなく休みの日だけに切り替えていました。確かこの時期に入ったあたりで、扁桃腺炎になって39度~40度近い熱が出ました。もちろんその時も松本漢方クリニックで処方箋をいただきました。もしかしたらこれが引き金となったのでしょうか?徐々に良くなりました。
傾向としては、まずに、体中の炎症が治まり、痛みが消えて、痒みが徐々に消えていきました。(消えていない部位もあります)消えた順番は、ふくらはぎ>腹回り>足裏>ひざ裏>太もも>尻>腕>背中>脇肩>鎖骨>ひじ>首>手>顔でした。基本掻いている箇所は赤いプツプツだらけでした。ふくらはぎ、脛のあたりは掻いて赤いプツプツだらけでしたが、あるとき急に痒みが消えたのです。「お?一時的に消えたか?また来るのか?こなくていいぞ!」って感じで思っていましたが、これ以降は無くなりました。
現在まで掻き傷の傷跡が少しずつ癒えていくといった感じでした。この時期からこの部位に赤、黄色の塗り薬は塗らなくなりましたね。腹回りは綺麗になってはプツプツが出て、また綺麗になってというのを何度か繰り返した後、綺麗になりました。ふくらはぎと同じで塗り薬は必要なくなりました。足裏は指の間、かかとにあかぎれが常にあり、痒みがありました。でもいつのまにか綺麗になっていて、以降は仕事で足が蒸れたときに皮がめくれるだけで、あかぎれも痒みも無くなりました。
ひざ裏は掻き過ぎて腫れやかさぶたができたせいで、曲げるときは本当に痛かったです。座るときも伸ばしていないと耐えられない程でしたが、徐々に良くなりました。内腿あたりは、この頃だんだん良くなっていたので、掻きむしっても治る治る!って感じで調子こいて掻いたら、焼けるような激痛がきて、悶絶しました。そのあと綺麗にはなりましたが。
お尻は昔から汗疹のような感じになることが多くて、ブツブツだらけでした。まぁそれも全部ステロイドのせいですね。リンパ液が多く出ていましたが、繰り返すうちに綺麗になり、汗疹みたいな症状すら出なくなりました。
腕も赤いブツブツだらけ。リンパ液プシャーを繰り返し、また掻きすぎによる悶絶が再来しました。ですがここもその後スーと綺麗になりました。掻きすぎて腕の毛が無くなっていたのですが、また生えてきました。そのままでよかったのに・・・。
背中と脇、肩ですが、酷い場所は脇裏の付け根周辺から肩までが、あかぎれとブツブツだらけで、この部分は風呂でもよく掻いていました。ここもあかぎれが治ってから、ブツブツが消えるといった感じでした。
鎖骨周辺も同じですね。脇肩鎖骨にあかぎれがあった時期は腕を動かすのが辛かったですね。ひじの内側も腫れてあかぎれがブツブツがありましたが、この時期に腫れとあかぎれが無くなりました。ですが、痒みとブツブツはまだ継続していました。
首もリンパ液がすごかったです。ブツブツというより皮膚がボロボロで見るに耐えない状況でしたが、症状がなくなる時は“いつの間にか”なので、朝起きたら、「あれ?治ってる?」って感じでした。露出が多い部分がひとつ綺麗になった時は本当に嬉しかったです。痒みは髭を剃った後、痒いなと思うくらいになりました。
手はあかぎれだらけでしたが、徐々にカサブタだらけになりました。まだ痒みはあるものの、ひどくなることはなく、綺麗になりました。ここから現在まで一度もあかぎれにはなっていませんが、仕事上ゴム手袋をするせいでかぶれいます。ですから、たまに痒くなる感じです。
顔はやっぱり一番遅かったです。リンパ液でパックをしているような状態でした。耳も一皮めくれていましたが、この時期にはリンパ液が出なくなる程度まで治っていました。痒みはまだ継続していました。皮膚のボロボロ具合は少しマシになった程度でした。しかし今思い返すと、どの部位も掻きむしりまくっていたのにもかかわらず、血はほとんど出ていなかった気がします。血の代わりにリンパ液なんでしょうね。ステロイド使用時にはちょっと掻いただけで、血が出ていたのですが。皮膚自体が本当に別物になったように感じ始めた時期でもありました。
2014年5月27日~2014年11月10日
この時の血液検査ではTARCという項目が追加されました。成人の基準値は450未満で700以上なら中等症以上だそうです。簡単に言うと“皮膚に出ない隠れた炎症の数値”で合っていると思います。これが高いと“見た目は綺麗なのに、痒みが消えない”という状態になります。事実この時期は、パッと見ではアトピー患者には見えないほど綺麗になっていました。最初に処方された煎じ薬もこの時期に成分を少し変えてもらいました。漢方風呂は必要なくなりました。しかしまだ痒みは完全には消えていませんでした。炎症と痒みは、ほぼ決まった場所のみでした。ひじの内側と顔だけです。状況的には8割以上治っていると思っていいのかな。
2014年11月10日~現在
ここから調子に乗って怠慢になった時期がありました。現在までにもう一度採血したのですが、検査報告書を無くしました・・・。そして変わったところといえは、炎症が顔のまぶた周辺だけになったくらいです。本当にあと少しです。最後の追い込みだと思いますので、気合を入れ、頑張って完治させたいと思います。