アトピー性皮膚炎 40歳以上の患者さんの手記 その18目次
「アトピー手記」匿名希望42歳2011年5月18日
「アトピー手記」匿名希望64歳2011年12月1日
「娘のアトピーと私の喘息」母65歳娘37歳2016年11月20日
「アトピー手記」匿名希望47歳2011年12月21日
「アトピー喘息手記」匿名希望72歳2010年11月19日
「アトピー手記」匿名希望43歳2011年3月27日
「アトピー手記」55歳男性2011年5月29日
「アトピー手記」65歳女性2010年7月4日
「アトピー手記」匿名希望42歳2011年5月18日
「アトピー手記」匿名希望64歳2011年12月1日
「娘のアトピーと私の喘息」母65歳娘37歳2016年11月20日
「アトピー手記」匿名希望47歳2011年12月21日
「アトピー喘息手記」匿名希望72歳2010年11月19日
「アトピー手記」匿名希望43歳2011年3月27日
「アトピー手記」55歳男性2011年5月29日
「アトピー手記」65歳女性2010年7月4日
『漢方治療~自分自身を信じて~』
少年時代:アレルギー性鼻炎と診断され、不定期に耳鼻科に通い薬を投与される。(今となっては何の薬だったのだろう・・・)当時ほぼ年中くしゃみをしていたような記憶がある。特にひどい時に耳鼻科に通院していた。
中学・高校時代:時々ひじの内側などに痒みが発生し、治療に皮膚科に通院。塗り薬やひどい時には飲み薬を処方される。(ステロイド系だった気がする)
20歳代:時々出現する痒みの対策として、皮膚科に通院し塗り薬を処方されることもあったが、頻度は年に1・2度とさほど多くはなかった。くしゃみは時々していたが耳鼻科に通うほどひどくもなかったので通院せず。
30~32歳:結婚を期に住宅環境が変化。くしゃみはあまりしなくなったものの、身体の痒みが徐々に出てきたが特に治療はせず。
33歳~:新築戸建住宅を購入。この時期から身体の痒みの部位が広がり始める。やむなく皮膚科に通院再開。飲み薬とステロイドよりも副作用の心配がなく安心ということでプロトピックが処方され、頭部はリンデロンを塗り薬として処方され何も疑わず使用。やはり使用すると一旦症状は緩和される。
しかし年々痒みの発生する頻度は増加。発生場所も広範囲になり、
ひどい場合は突然蕁麻疹が全身に発生するようになった。その度に皮膚科に通院するが結局は原因不明と診断され、とりあえず痒み止めの飲み薬と、
プロトピック&リンデロンを処方された。
だがその効果もすでに弱まっており、痒みが収まるどころか痒く感じる頻度は高まり範囲も全身が当たり前となっていた。
ちょうどそんな時2008年5月頃(39歳)、会社の同僚が漢方でアトピー治療に挑戦。1・2ヶ月の休職を経て復職しその症状が最悪状態よりも少し改善してきたのを目の当たりにした。
詳しくその治療法を確認すると、なんと私の地元の高槻市にある松本漢方クリニックで漢方治療に取り組んでいるというではないか!!同僚は翌日、煎じ薬や薬草風呂などのサンプルを会社に持参してくれ、是非HPを見てその治療ポリシーに納得すれば治療に取り組めばよいと勧められた。これが松本先生との出会いのきっかけである。
すぐにHPで公開されている手記や治療の信念や理念を確認。
内容はシンプルで自己免疫力の働きを適正にし、数多あるアレルギー物質に対して免疫寛容を起こす自分自身の力を信じるということ。
内容は医学にまったくの素人の私でもすぐに理解できたが、実際に休職してまで治療した同僚の凄まじい容姿の変化が、私の松本漢方クリニックの門を叩くことに二の足を踏ませた。
だが身体の痒みが放置していても止むことはなく、いつまでもこの状況で何も変わらないと決断。2008年8月ついに松本先生と初対面する。
問診表を書き、血液検査、そして診断。「大丈夫!必ず治る。アトピーで死ぬことは無いと」松本先生は宣言。たしかにアトピーで死んだ奴がいるなど聞いたことがない。先生の説明もHPを熟読していたので納得済み。
あとは漢方の力を借りて最後は自分の力を信じるのみ。そして予定通りの煎じ薬(毎日飲用)・薬草風呂(とりあえず週末2回1時間程度入浴)・赤い塗り薬などが処方された。「本当は同僚のように1ヶ月程度休職し、毎日薬草風呂に何時間もつかれば治るスピードも速いのだが」と勧められたが、
さすがにそれは出来ないということで先の処方で様子を見ることに。
初めの2週間は大きな変化がなく、2回目の診療で「スピードを速めよう」ということで煎じ薬を変更。その効果かどうかは?だが、2週間を過ぎた辺りから顔も赤らみ腫れぼったくなり、痒みがとまらなくなった。松本先生の治療での唯一の救いは、痒いならどんどん掻いて身体に不要なものを外に出す人間本来の仕組みに従えば良いという事。掻けば気持ちいいのでどんどん掻いて肌は益々ぼろぼろの状態に。また漢方の煎じ薬の効果で、全力で身体がその内にある不要なものを出そうとしている為か、非常に身体が熱く(おそらく体温も少し上がっていたと思う)また全身の疲労感が発生していた。
このような状態が1月以上続き、ひどい時は痒さや身体の火照りで夜にしっかりと眠れなくなり、治療の際に睡眠薬を処方していただいた。
一方でかなり全身全霊をかけて自分自身が治療していたのだろうと思う、
周囲からは「やつれた」「老けた」「大丈夫か?」と心配された。
今思い出すとかなりひどい容姿だったのだと思う。実際治療前に68Kgあった体重が、治療後2ヶ月程で62Kgになっていた。ダイエット効果は抜群だ(笑)治療を始めて4ヶ月くらい経過した12月頃には少しではあるが痒みのひどさも一番ひどい時に比べれば落ち着いて来た。といっても顔は赤く腫れ、全身ボロボロで掻けば皮が剥げ落ちる状態は変わらずのままだった。時々眠れない夜には睡眠薬を飲んでいたと思う。
身体の痒みのピークが過ぎたこの頃からだったと思うが、指先の指紋が全部なくなった(親指ひとつだけを残して・・・指紋は大切だとはじめて知った(笑))。先生曰くヘルペスの影響だとのこと。この時期くらいからヘルペスの影響と思われる肩こり・頭痛・局部的痒みやチリチリと感じる現象が出てきた。結果この現象に一番長く悩まされることになってしまったのだが・・・
また他の方の手記にもあるが、この頃の安らぎは薬草風呂につかり思いっきり身体をかきむしる事。もちろん湯船は剥げ落ちた皮だらけで後処理が大変だった。また布団も枕も掻き壊すため血だらけ皮だらけだった・・・。
妻には本当に風呂掃除や布団ケアで随分と迷惑を掛けた時期だった。
今更ながら本当に感謝している。
年が明けた頃から痒みの減少は進んだ反面、時々蕁麻疹があちらこちらに発生することが増えてきた。蕁麻疹は熱く痒いのだが、肌表面は以前よりもボロボロな感じが若干治まりつつあるように感じた頃だった。
時間の経過と共に徐々に痒みも痒い部位も減少してきたが、春の花粉の時期にはやはり酷く反応し、肌もボロボロに逆戻り。この辺りから一進一退の状況で、治療開始から1年を迎えても目立った大きな変化はなく、他の方々の手記のような更なるリバウンドも幸い起こらないまま時間が経過し徐々にではあるが痒みも減少し痒い部位も限定されて来た。ヘルペスの影響でまだまだ悩まされることは多いのだが・・・。
「ほんとうに治るの?」と治療コストもかかる中、毎朝煎じ薬を作ってくれた妻には本当に本当に感謝している。
2011年3月松本先生から、完治したとは言えないがIgeの数値もついに減少傾向になり顔の赤みや腫れぼったさも取れたので手記をそろそろ書いて欲しいと言われ、ようやくそこまで来たのかとほっとすると共に、まだまだヘルペスが時々暴れたり花粉やその他アレルギー物質には過敏に反応してるので、まだ早いのではとも感じたが駄文で良ければと書かせていただいた。
今後完全に免疫寛容し自分自身がアレルギーに打ち勝つにはまだまだ時間を要すると思いますが、私は自分自身の力を信じて行きたいと思っています。
松本先生、今後ともよろしくお願い申し上げます。
また様々な外圧に屈することなく松本先生の治療理念で一人でも多くの方が救われますことを祈念して私の手記を終わりたいと思います。
〈アトピー治療中間報告〉
2回目の報告になります。前回は松本漢方クリニックにたどり着くまでを書きました。
アトピーに悩まされて20年、漢方治療を始めてから1年10ヶ月が経ちました。
2010.1.19
ホームページを読んで一気に世界が開けた感じ。希望をもって松本漢方クリニックを訪ねました。初診。先生の話を聞いて安心し、この時点ですでに完治を確信しました。
2010.3.13
1回目のリバウンド
顔の腫れ。真っ赤に腫れあがり目、開かない。ロ、開かない。首から胸にかけてザラザラ、象の肌状態。黄色い液体が滲出。かゆみがひどい。夜眠れない。
2010.3.17
松本先生に電話
顔がますます腫れあがり単なるリバウンドとわかっても生きた心地がしない。鏡はとても見れない。先生は"顔が腫れて死んだ人はいません。いやならステロイドに戻りなさい"と冷たい。そう言われてもリバウンドで死ぬ人の第1号になるのではないかと恐怖心にかられました。しかしステロイドに戻る気はない。内臓に異変はないのなら死ぬことはないだろう。それなら時間が経つのを待つのみと、ただ、ただ耐える。ひたすら耐える。ホームページを毎日読み完治
報告を書くときを想像して過ごしました。この時に私が一番ほしいと思った情報はリバウンドについてです。いつ、どこに、どの様に現れてどのくらい続くのか。何度でもでるときいていたし。人によって違うのはわかりますが、とに
かくどんなことでも知りたいと思いました。手記を読むと漢方治療を始めてすぐにリバウンドというケースが多いようですが私の場合2カ月後でした。
2010.4.1
顔の腫れがだいぶ引いたのでマスクをつけて外にでられるようになった。
2010.4.23
2回目のリバウンド
両腕が腫れてボンレスハムみたい。長袖に腕がとおらない。
2010.4,30
顔が石鹸で洗えるようになった。マスクなしで外出できるようになった。
2010.5.20
ロの両端にヘルペス。赤く線をひいたように出てドラキュラみたいに見える。腫れはなし。
2010.6.2
左足のひざ下からリンパ液が出てくる。左ももに湿疹。
2010.6.10
腰痛、肩こりがひどい。左足の症状は変わらず。
2010.7.01
腰痛、肩こり消えてる。足は変わらず。
2010.7.08
体重減少に気がつく。いつの間にかダイエットができていた。5キロ減でスマートになりました。これは予期しなかったことでうれしかったです。
2010.7.11
左足のリンパ液止まる。包帯はずす。両ももに尊麻疹様。ひじの内側と肩に湿疹。
2010.7.20
唇に異変。痛くて歯磨きができない。
2010.7.22
ロ周り最悪。唇がしびれる。食べられない。
2010.8.08
ロの両端が真っ赤。マスクなしでは外にでられない。左ひざ下の湿疹ひどい。
結局、夏中顔はマスク、足は包帯で過ごす。
2010.10.25
顔の赤みがきえたのでマスクはずす。足は変わらず。
2010.11.22
足の湿疹変わらず。痛みがひどくなる。この痛みとは針を刺されているようなヒリヒリ、ちくちくの痛み。ヘルペス特有の痛みだそうです。見た目は焼けどのケロイド様です。
2011.02.23
左足のヘルペスの痛み変わらず。昼も夜ものべつ痛い。かなりつらい。
2011.03
毎年悩まされていた花粉症が今年はほとんど出ない。
2011.05
足の痛み変わらず。手の指に湿疹。
2011.07
足の痛み緩和。手の指も改善。
2011.08
足がまた痛い、再発か。夜は包帯をして寝る。手もかゆい。
2011.09
せんじ薬、塗り薬は今までどおりだがお風呂を足湯に切り替える。
お風呂についてはその効果は絶大です。リバウンド中はお風呂だけがたよりでした。毎日1時間以上つかるのですが退屈です。それでお風呂用のテレビを買い、確実に1時間入りました。長く入るほど後が楽です。
結局2010年10月から2011年9月までの1年間は左足と手の湿疹、痛み、かゆみが出たり引いたりの状態でした。長い時間でした。
2011.10
左足がかなり改善、ヘルペスの痛みは止まったもよう。夜だけ手がかゆい、おフロを一日おきにする。
2011.11
ここまででいえることは私の場合、大きなリバウンドは3回です。それも1回目(顔と胸)が激烈で後は少しずつですが軽くなっているような気がします。そして同じところには出ない。最初のリバウンドは初めての経験であり、覚悟はしていても相当なショックです。しかし、これを乗り越えればまず後戻りはありません。2回目は腕やもも、3回目はロのまわりと左足。
3回目はリバウンドというよりはヘルペスでしょうか。痛みが激しく、しかも長い期間です。今現在はヘルペスの痛みはほとんどなく、夜に手の指と足がかゆい程度です。以前にも書きましたが、今、私は町の皮膚科医を全く信用していません。アトピーをここまで悪化させたのは今まで使用したステロイドや抗アレルギー剤であり、薬害以外の何ものでもないと確信します。
病気を治すのに免疫を抑制するということにずっと疑問を持っていました。
その疑問に答えてくれたのが松本先生です。もっと早く知ることができたらという思いはありますが、それでも出会えたことを幸せと思い、ただ感謝するのみです。
行くと必ず、東京へはいつ進出してくださるのですかと伺うのですが、先生はもうすぐですと答えるのみ。1日も早い進出を待っています。