「アトピー手記」匿名希望35歳2010年1月28日
20年前程からアトピーになり、松本漢方クリニックさんに出会うまではずっとステロイドで治療しておりました。以前まではどの皮膚科へ行ってもステロイドで、
アトピーの発症を抑える治療しかせず、ステロイド治療しか知らずにズルズルと今日まで至ります。ステロイド治療も長年続けていくうちにだんだん効かなくなっていき、そのことを以前の病院に相談すると以前よりさらにきついステロイドを処方していくと言うステロイド漬けの繰り返しでした、今まではステロイド治療しか周りになかったのです。
松本漢方クリニックさんの治療を初めて、最初は今までのステロイド使用のツケが一気に現れ、4ヶ月程はリバウンドに苦しみ、夜に布団に入る時がかなり辛く椅子で寝たりしていました。松本先生からもカ「がんばれ!!絶対直したる!!」と元気づけられ、苦しみながらも希望をもって治療を続けていく内に、だんだん体も耐性がついてきて皮膚自体がだんだん強くなっていく感じがしてきました。ステロイド時代の時、痒みは抑えられても、皮膚自体はかなり弱っていたので今までの治療ではありえない経験です。間接部分や首周りも、以前はステロイドの影響の為しわしわの真っ黒でしたが、今では黒いのはスッキリなくなりました。
冬場とかは今でも空気の乾燥等で体に痒みはありますが、以前と比べて皮膚自体が強靭になってきているので掻いてもさほどひどくはならなくなりました。まだアレルギー値は高い方なので治療は続けておりますが、皮膚が強くなっただけでも生活自体はかなり楽になってきました。これだけでも私にとっては今までにはなかった大きな変化です。
「アトピーを治してくれるという先生が、高槻にいて、全国から患者さんが集まってきているから、あなたも行ってきなさい。」と、ある方に勧められ、半信半疑で来院したのは、ちょうど一年位前のことでした。
酷い時は、一時的ではありますが、顔は腫れ上がり、手先の皮がもろくなって、カバンの中のものを探すのに、カバンをかき回しただけで、血がにじむような、やわな私でした。外出出来ない顔になったり、日常的に、自由に手が使えないストレスは、症状そのものよりもつらいものでした。
漢方薬には、みるみる症状を改善させる即効性はありませんが、松本漢方クリニックで頂くお薬には、確かに効いているという実感がありました。少しずつ、少しずつではありますが、症状は軽くなっていきました。
松本先生が、「花粉症も治してあげるから。」とおっしゃって下さり、この春の花粉症の症状は、例年よりも、うんと軽く、夜眠れない程の鼻づまりはなく、過ごせました。
そして、丸1年が過ぎた今、目に見える皮膚のただれや炎症は、全くなくなり、松本先生から「手記を書いてください。」と言われました。それは、すなわち、治療が終了に近づいているとおっしゃって頂いたようで、本当に嬉しく思いました。
松本先生に治療して頂けて、本当に幸運でした。有難うございました。
「私のアレルギー治療について」31歳男性2007年6月14日
まさか自分の手記を書くことになろうとは・・・。この手記を書いている時点では、まだ治療の途中経過報告ですが、アレルギーが完治しょうとしている嬉しさと驚きが、入り混じった複雑な気持ちです。
縁あってこの手記をご覧になっている方の、今後の治療に際して、少しでもお役に立てれば幸いです。
私はニキビ・吹き出物に悩まされ、「これがいい」と聞くと積極的に取り入れ、治療にあたっていました。具体的な治療薬としては、テラコートリル軟こう、ミノマイシン(抗生物質)、天然水、洗顔料などです。
元々油性の私は、高校生の頃からニキビがひどく、外見を気にする性格もあって、近所の薬局に行き何かいい薬はないかたずねました。そこで処方されたのがテラコートリル軟こうでした。その当時はステロイドの知識は無く、早く治したいとの思いから使い続けました。すぐに効果が表れ、顔のニキビが減ったので、このまま続ければニキビはなくなるのではないかと思っていました。
高校卒業後上京した私は、その春とてつもない花粉症の症状に見舞われました。くしゃみ・鼻水・目のかゆみ、あまりに突然の出来事だった為、この諸症状が花粉症だと認識したのは、その後ずいぶんと時間が経ってからだったと記憶しています。後に判ったことですが、花粉症というものが私のアレルギー体質から引き起こされているということは、その時夢にも思いませんでした。
花粉症の症状をやわらげたいと思い、病院にかけつけました。名前は忘れましたが、抗ヒスタミン剤・抗アレルギー剤を処方された記憶があります。その薬のおかげで花粉症の症状はやわらぎましたが・・・。
花粉症の季節が過ぎ、秋頃だったと思いますが、何を思うことなくそれまで使い続けてきたテラコートリル軟膏の使用を止める事にしたのです。その後しばらくしてからです。ほんの数ヶ月の間に顔中ニキビだらけになりました。それだけにとどまらず、夜中は寝ていても無意識のうちに顔をかきむしって、朝目覚めると爪に血が付着していたり、背中にも吹き出物ができて、Tシャツに血が付く始末です。
いったい自分の体に何が起きているのだろう、何かの病気にかかったのだろうか、そんな思いが頭をかけめぐりました。
「とにかく早く治したい」焦っていた私は、近くの皮膚科に行き、塗り薬や飲み薬をもらって使い続け、しばらくしても症状が改善されないと判ると別の病院を紹介され、そこでもまた塗り薬・・・追加されたのは抗生物質でした。指示どおりに抗生物質(処方されたのは、記憶しているものでミノマイシン、ミノスタシン、バナン)を飲み続けました。するとどうでしょう。7~10月程で顔中にあったニキビが減っていきました。「こんないい薬があったのか」私は何の疑いもなく、抗生物質を2年ほど飲み続けました。
抗生物質のおかげでニキビの症状は良くなったのですが、ある日友人とカラオケをしている最中、激しい胃痛におそわれました。次の日病院にかけつけ、胃カメラで検査をしてもらったところ、胃炎だと言われました。「日常生活の中で原因だと考えられるものは?」と医者から問われ、「抗生物質を飲み続けています」と答えると、「それが原因だよ!」と言われました。ニキビ治療のためによかれと思って飲み続けた抗生物質によって胃が痛めつけられるとは・・・。その後は胃を治すために抗生物質を止めたわけですが、あの塗り薬をやめたときみたいに、飲み薬を止めたら顔のニキビがひどくなるのじゃないか?そんな不安が頭をよぎりました。思ったとおり数週間後に顔のニキビはひどくなり始めました。
半ばニキビの治療をあきらめ、何をせずにただ時が過ぎていきました。一向に顔のニキビは治る気配もありません。やはりこんな生活が続くのは嫌だと思い、インターネットでニキビに関する情報を探しました。
ステロイドはだめ、抗生物質を飲み続けることは良くない、リバウンドとは・・・etc.。数多くのホームページを見ている中、運命的に松本先生のホームページを見つけました。
松本漢方クリニックのホームページに掲載されている患者さんの手記、松本先生の言葉は、これまで見てきたホームページと趣が異なっており、また信頼たるものであると感じました。
「この医院に行ってみたい」、松本漢方クリニックの所在地が大阪であると知って、関東在住の私は正直とまどいましたが、何とかして治したいという気持ちから、
松本漢方クリニックへ行く決意をしました。
土日は混むだろうとおおよそ予想はしていたのですが、朝早くにもかかわらず既に何人もの患者さんが待合室で待機していました。また棚には数々の手記がありました。
2時間程待ち、ようやく私の診察です。初診の時は松本先生に何を聞かれ、どう答えたのか、正直あまり覚えていません。ただ、松本先生の「必ず治りますから」この言葉が私に松本漢方クリニックを信じて治療を続けていこうと決意させたのでした。
多量に処方された漢方を、教えの通り煎じ飲んでみました。
ものすごいまずさです。
それと赤い塗り薬、お風呂用漢方。遠方のため4ヶ月~半年ぐらいの間隔で通院しましたので、電話で薬は追加注文させてもらいました。
約5ヶ月後の再診です。初診時に採血した血液検査表を見せてもらいました。どの項目もものすごい数値です。私はかなりのアレルギー体質であることが判りました。
その後も漢方を飲み続け、通院時は前に採った血液検査表を見せてもらいました。数値が下がっている・・・。本当に驚きです。顔のニキビも減りました。背中の吹き出物はかなり良くなりました。本当に嬉しい気持ちでいっぱいでした。
治療を始めて早や3年あまり、状態は良好です。これからも松本先生の言葉を信じて治療に励みたいと思います。
ここまで自分の治療体験を思い出す限り書き記しました。この手記を読んでくださる方々のために、是非途中であきらめずに治療を続けていただきたいと思います。
どんな治療方もそうですが、いくら他人が良いと言っても、実行する本人が信じて続けなければ全く意味がないと考えます。インターネットによって運良く松本漢方クリニックに出会うことができました。また、多くの患者さんの手記を読み、松本先生の言葉を信じて、これまで治療を続けることができました。
1日3回飲まなければいけない粉薬を、つい忘れてしまったりと反省すべき点はありますが、完治するまで根気よく治療を続けたいと思います。
最後に、この手記が日々アレルギー・アトピーで苦しんでいる多くの方々の一助けになることを祈って。
「松本先生と自分自身を信じて完治を目指します」34歳男性2016年2月28日
私がアトピーと診断されステロイドを使い始めたのは15歳の頃だと思います。病院を変えてみても処方される薬はステロイドで17年程ステロイドを使いました。ある日、顔にヘルペスができました。一気に顔中に広がりお化けみたいな顔になり、これはやばいと思いました。そんな時、母が知り合いから聞いてきた松本漢方クリニックの話を教えてくれました。病院を変えるのはこれが最後。ここしかないという気持ちで松本漢方クリニックを受診しました。これが松本漢方クリニックとの出会いです。
顔中ブツブツのヘルペスは1ヶ月ぐらいで元の顔に戻りました。思えばリバウンドも一緒にあったのか苦痛の1ヶ月でした。それからは幸い顔に大きなリバウンドはありませんが、とにかく体が痒いです。特に腕と足へのリバウンドが酷く毎日が眠れない日々です。掻くので傷ができ、かさぶたが酷いです。毎朝の布団の掃除が大変です。あちこちにかさぶたが落ちるので掃除が大変です。
松本漢方クリニックに通院を始めて3年が経ちます。体調が良くなったり悪くなったりを繰り返しながら日々過ごしています。それでも少しずつ良くなってきているのかなと思います。アトピーを治すのは自分自身です。自分自身を信じ、先生を信じ、まだまだ辛い日々ですが頑張って行こうと思います。
「アトピー中間報告」36歳女性2004年6月17日
私が最初に松本漢方クリニックを訪れたのは、急な引越しによる疲れとストレスで出来た口唇ヘルペスの為でした。数年前から、疲れたりストレスがたまると、年に1度位、口唇ヘルペスが出来るようになりました。引越し前に通っていた病院で、「引越し先で出たら、アレルギー科のある病院を探しなさい。」と言われていたので、タウンページで探しました。
最初、松本先生は、タウンページで探したことを知ると「一見さんは嫌いや。」という旨のことをおっしゃり、「ホームページを5回読みなさい。」と言われたので、大変驚きました。そして診察が始まると、私の顔を見て、「あんたはアトピーやな。」と言われました。確かに、その時の私の顔は真っ赤だったのですが、引越し作業の埃やダンボールなどによるかぶれだと、特に気にしていなかったので、これにも大変驚きました。化粧品やシャンプーを変えたりすると、すぐにかぶれるので、自分の肌が弱いことはわかっていましたが、この歳になってアトピーと言われるとは思っていなかったからです。
でもよく考えてみると、子供の頃から、冬にセーターや毛布を着るようになると、首が真っ赤になり、今思えばステロイドを塗っていました。寝ている時に首をかきむしるので、首にタオルを巻いて寝ていたこともありました。ひじの裏が赤くなったり、無意識に顔を掻くので、いつも爪を短くしていたりと、アトピーの症状が沢山ありました。あと、ヘルペスと同じく、数年前から、花粉症の症状がありました。子供の頃からアレルギー性鼻炎でしたので、アレルギー体質なんだとは思っていましたが、これらの症状が、全てアレルギーのせいだったんだと、改めて知りました。先生が「ホームページを読みなさい。」と言われた訳がわかりました。
私の症状は軽いので、漢方の粉薬と、赤い塗り薬と、消毒薬を出して頂きました。その後、たまに偏頭痛があるので、「鎮痛剤を漢方薬と、一緒に飲んでも大丈夫か」と尋ねたところ、「あんたは低血圧やろ。食後、眠たいやろ。」と言われ、またまた驚きました。本当に低血圧だったからです。食後眠いのは、みんなだと思っていたのです。でも血圧が低いと、食後に脳の血液が、食べ物の消化の方にまわってしまうから、眠くなるんだそうです。頭痛に血圧が関係するとは思いもしませんでした。これも血流をよくする漢方の粉薬を、処方して頂きました。
通院して約1年たって、血液検査のIgE抗体の数値が、192から114に下がりました。アレルゲンのハウスダストやスギ・ダニの数値も下がってきました。今年は、ヘルペスも花粉症の症状も出てないし、偏頭痛も以前ほどは無く、食後眠くなることも無くなりました。毎食薬を飲み続けるのは面倒だし、最初は、顔に赤い薬を塗るのもちょっと抵抗がありましたが、漢方は地道に続けていくしかないと思うので、頑張っていきたいと思います。
私は、運よく松本漢方クリニックの近くに住んでいますが、遠方から通院されている方や、ひどい症状の方は、煎じ薬やお風呂など、本当に大変だと思います。でも最後には、きっと良かったなと思える日が来ると思います。私も完治の報告が出来る日を心待ちにしています。
最後になりましたが、松本先生をはじめ、医院の皆様、いつも有難うございます。そしてこれからもよろしくお願い致します。松本漢方クリニックに出会えたことを本当に感謝しています。
「アトピー手記」匿名希望36歳2005年10月21日
子供の頃、小児喘息を患いましたが、小学校にあがる頃には治まりました。以後、大学をでるまで、夏に関節の裏に湿疹ができたり、朝晩鼻をかむ程度で、社会生活に影響することもなく過ごしてきました。ただしこの間、湿疹がひどくなると、病院で軟膏をもらって塗っていましたから、ステロイドを知らず知らずのうちに使っていたことと思います。近所で評判の先生がいると聞きつけると、母は何とか治してやりたいの一心で、いろいろな病院へと連れて行ってくれました。今思うと、よく効く薬を出す先生とは、つまり強いステロイドを出す先生という意味でしょう。
就職した22歳から29歳頃まで(実家を離れていた時期)は、ほとんどアレルギー症状もなく、健康に過ごしてきました。体が強くなったのだと思っていました。
97年初頭に実家へ戻り、新築の家に移った夏頃から、徐々にアトピーの症状が出始めました。食べ物、飲み水、シャワーの水、温泉療法、尿素、強酸性水、遠赤外線、ゲルマニウム入浴と、いろいろなことを試してみましたが、悪くなる一方でした。酸性水では、顔が、遠赤外線療法では、全身に湿疹が出る結果となりました。
どうにも痒くてつらいのと、結婚式を控えていたため、人から教えられ、大阪市内の病院に通い始めました。首筋の神経にレーザーをあて、副交感神経を高めながら、徐々にステロイドを減らしていくという療法で、ちまたで言われる「医師のコントロールのもとに使うステロイドは、問題ない」という言葉を疑うことはありませんでした。
99年夏に、なんとか結婚式を終え、秋が来る頃には、だんだんとステロイドが効かなくなってきているのを肌で感じていました。顔にも塗っていましたが、薄い皮膚のすぐしたには、すぐにもあふれ出るアレルギー症状を抱えている感じでした。ステロイドの恐ろしい副作用について知るにつれ、何とかしなければという気にもなっていました。
しかしながらアトピーは全身に広がった状態で、四六時中痒くて、痛くて、苦しくて、叫び出しそうな日々でした。病院に行かないわけにも行かず、泣きながら毎日を過ごしていました。とくにお風呂上がりは苦しく、掻いて掻いて掻いて、夜も眠ることができず、毎朝新聞配達の第一便の音を聞きながら、へとへとに消耗し、絶望していました。
あるときの血液検査で、白血球の値が異常に高く、とうとう入院を勧告されてしまいました。しかし、医師には「そのかわり、MRSAに感染することを覚悟してほしい。」と言われました。病院なのに、院内感染を承服させるということにどうしても納得できず、かつステロイドは絶対に抜かなければ、このままもっとどうしようもない地獄になるという思いもあり、病院をやめ、自分でステロイドは使わないという決心をしました。
ちょうどタイミングよく、高槻に住む叔母が、松本漢方クリニックのことを教えてくれました。とにかくステロイドを使わないという方針に、この先生にかけてみようと来院しました。
最初の晩、漢方のお風呂に入り、赤い薬を塗った後、肌がようやく呼吸できたような気になりました。それまではステロイドやワセリンなどの、ねっとりぐちょぐちょの薬にまみれ、肌が窒息しそうな感じだったのを思い知りました。ほっと一息ついた感じでした。このときIgE抗体値は2950、ハウスダストとダニに大きく反応しているようでした。
しかしながら、治療期間中は楽なものではありませんでした。至る所から浸出液がにじみ、苦しくて、苦しくて、何度泣いたことか分かりません。掻きむしった後のぞっとするような感覚、しかし掻かずに必死に我慢しようものなら、その後に気が遠くなるような、刺すようなかゆみの発作におそわれました。寒気がひどく、エアコンの室温を28℃に設定しても寒く、ベッドに入り布団乾燥機を背中にあて、20分もしたころにようやく体が温まる日もありました。お風呂上がりは、泣きながら、痛みが去るのを10分も20分も待ちました。いったいいつまでこんな地獄の責め苦にさいなまれるのか、といたたまれない思いでした。
何かの事故に巻き込まれ、このまま死んでしまっても構わないと、罰当たりなことさえ考えたこともあります。しかし決して自分から死のうなどと考えなかったのは、ひとえに松本先生の「絶対治る、治してあげるから」の力強い言葉によるものでした。これまでどの医師からも聞いたことのない、「治る」という松本先生の言葉ほど、重たく、また希望を与えるものはありません。この言葉を聞きたいがために、毎週松本漢方クリニックに通っていたとも言えます。耐え難いレベルの苦悩の期間は、ありがたいことに2カ月ほどで終了し、あとは徐々に徐々にゆるやかに楽になっていくようでした。
2000年5月には仕事を始めました。8月の抗体値は1800。01年初頭にはあまり症状もなくなりました。抗体値を量ることもなく「治った!」と判断し、松本先生には感謝をしつつも、勝手に治療を止めてしまいました。
4年半の月日が流れました。ここ2年はとくに仕事が忙しくなり、ほとんど休息も取らず、年中働いている状態で、食生活もよいとは言えない状況でした。徐々に体の各所に湿疹がではじめ、05年の夏には、とうとうひじの裏が真っ赤になり、「再発」したのだと感じました。
間の悪いことに、アトピーが悪化するのと前後して、子宮筋腫の治療のため、ホルモン注射を2回打っていました。たまたま受けた検査で、筋腫が悪性である可能性を指摘され、MRI検査を受けた結果、良性であることが判明したのですが、開腹手術をするか、注射で筋腫を縮めなければ、妊娠は不可能と言われたからです。「何が何でも、すぐにも治療しなければ」という思いに駆られていました。恐ろしいことに、ホルモン注射がステロイドの一種だとは、このとき疑ってもみなかったのです。
3回目の注射は、すでに顔が真っ赤で、あまりにアトピーの症状が進んでいたため、中断せざるをえない状況になっていました。ほどなく仕事を休まざる終えないほど全身に広がりました。湿疹だけでなく、だんだんと顔と首にむくみが強くでるようになりました。呼吸さえ苦しくなってきて、口で息をしている日もでてきました。
そしてこのころ、ホルモン注射とは合成のステロイドであり、じつはとても怖い治療を受けてしまったということを知りました。このむくみはその副作用ではないのかと、遅まきながら気が付きました。これまでステロイドは二度と使わないと思っていましたし、今回も使いたいという誘惑は一切ありませんでした。徐々に状況の悪くなる私を見て、周囲の人が幾度となくステロイドを勧めても、まったく取り合う気もなかった私が、まさかステロイドを注射という形で使っていたなんて!大きなショックでした。ちょっと考えたり調べれば分かることを、なんて馬鹿だったのだろう、と思います。
やはり松本先生でなければ、治してもらうことができない、と今更ながらに反省しました。むくみだと私が思っていた症状は、「ステロイドの副作用の、ムーンフェイスだ。」と松本先生に言われ、愕然としてしまいました。
今回は、風邪薬や痛み止めなども、アレルギーの完治を妨げるものだと知りました。疲労や食生活や薬など、気をつけなければならないことは、何とたくさんあるのでしょう。今はきちんとした食事をとり、規則正しく生活し、昼間はウオーキングにもでかけたりしています。四六時中かゆみ、痛み、不快感に悩まされますが、自分の引き起こしたことです。必ずよくなることに疑いの気持ちはありませんので、耐えて、頑張りたいと思います。またしばらくお世話になりますが、どうぞ宜しくお願いいたします。
脱ステロイドしてから6ヶ月目に入りました。今までの経過を写真に収めたので、プリントアウトして一緒に送付させて頂きます。
<写真参照>
①②一ヶ月目・・・湿疹が体中に出来赤みを帯びています。
この頃は後から考えればまだましな痒さだったと思います。
③④二ヶ月目・・・二ヶ月目後半から体がむくみだし、足がパンパンに腫れています。この頃から浸出液がとてもひどく、少し掻いただけで、液が出てとまりにくくなりました。
(④の画像が粗くて見にくいと思いますが、)特に首が一番ひどく、毎日だらだらと浸出液が流れ出しました。
引き続き体中真っ赤な状態でした。この時が最も岸く、精神的にも一番辛かったです。
⑤三ヶ月目・・・・体のむくみがピークだった頃です。掻いた部分がしわしわになりました。この頃から赤かった体が少しずつ全身真っ黒へと変わっていきました。
⑥八月現在・・・・一時は驚くほど黒かった体は、ほんの少しですが肌色に戻ってきたと思います。(脇の写真参照)掻いた部分は特に黒く傷になっています。首のしわもかなり深くまだ目立ちます。これも写真の撮り方が悪く分かりずらいかと,思いますが、(すねの写真参照)両手足は斑点のような傷がいっぱいあります。
快方に向かっているのは間違いありません。本当に苦しくて辛い毎日でしたが、今は脱ステロイドをして良かったと心から思っています。まだまだ肌は以前に比べれば椅麗ではありませんが、自己治癒力で気長にゆっくり治していこうと思います。本当にありがとうございました。
「アトピーとの闘い」匿名希望30歳2005年3月29日
私は、幼い頃からアレルギー体質で、物心のついた頃から、少しでしたがステロイドを塗っていた覚えがあります。それでも高校時代まではアトピーという理由で特に苦しむことはなく、水泳もできましたし、友達とお風呂に入ることもできました。
それが大学に入学して二年ほど経った時、急に顔や体がカサカサし始め、おかしいなと思いすぐに大学病院に駆け込んだのでした。そこでもやっぱりステロイドを貰い、しっかり塗るように言われました。ステロイドの副作用に少し不安があったので先生に尋ねると、適量なら心配はないと言われたので、その言葉を信じて塗っていました。その後すぐに収まったので、それからは酷くなったら塗るの繰り返しで、そのまま二年ほど使い続けました。
それから、また三年ほど経ち、やはり周囲の様々な情報からステロイドは恐ろしいということを知り、酸性水を使用した治療を始めることにしました。
酸性水をふりはじめてすぐに体からリンパ液が出始め、外出できないくらいに体中がはれ、リバウンドが始まりました。しかし一ケ月ほどするとリンパ液も収まり、どうにか落ち着くようになりました。
その後何年かは落ち着いた状態が続いていたのですが、酸性水での治療もすっきりしない状態が続くので、母親がインターネットで見つけてくれた松本漢方クリニックへ行くことにしました。
松本漢方クリニックではアトピーの原因などの話を伺い、松本先生の力強い言葉に勇気づけられました。なにより、リバウンドの恐ろしさを知った後だったので、絶対ステロイドを使わないという強い先生の信念が何より安心させてくれました。
それから漢方の飲み薬を飲み続けました。ステロイドを使わなくなって二年ほどたつので、もうリバウンドはないものだと思っていたのですが、初診から二年ほどたった冬の初め、急にまた顔や体がカサカサし始め、そのうち体中からリンパ液が出てきて、ズルズルの皮膚の状態になってしまいました。
ちょうど職場が変り一人暮らしを始めたことも会って、肉体的にも精神的にも疲れていたのが引き金になったのかもしれません。出し切ったと思っていたステロイドがまだ体にしつこく残っていたのだと言われ、悲壮な気分になりました。朝は皮膚がひっついて目も開けられなくなり、顔はパンパンに腫れて原形と全く違うものになってしまい`ました。体のいたるところからリンパ液が出て、服が濡れ皮膚にくっつき、脱ぐのが痛くて服のままお風呂に入ることもありました。夜は痒くて眠れず、また一日中ずっと微熱が続き、仕事も集中できない状態が続きました。
先生にお願いし、診断書を書いていただき、思い切って仕事を二ヶ月間休むことにしました.二ヶ月間は、実家にもどり最低一日二回は薬湯に浸かり、栄養をとってゆっくり過ごしました。仕事へのプレッシャーがなくなったので、夜眠れなくてもあせらなくてもよくなり、気分的にもかなりよかったと思います。
どうにか二ヶ月後には仕事に復帰することができましたが、また仕事に戻ると酷い状態にもどってしまいました。しかし一番酷いときに比べると確実によくなってきている自覚があったため、仕事をしながら治療を続けました。朝は体中に包帯をまき、仕事中に痒くなれば、別室にこもって薬を塗るという生活を送りました。そのうちゆっくりでしたが体液はおさまり、つるつるの皮膚が再生していることがわかりました。
夏には半袖をきても気にならないようになるまで回復し、顔もお化粧が出来るようになりました。
冬になる頃には薬を郵送してもらえるくらいに回復し、久々に松本先生に逢った時、「こんなに美人だったのか」と言ってもらい、お世辞にもうれしかった覚えがあります。それから二年ほど経ちますが、まだ体にカサカサが残るくらいで、アトピーとはわからないくらいになりました。
いろんな治療を試みましたが、結局アトピーを悪化させていただけだったのだとおもいます。ようやく松本先生に正しい治療を施していただき、今の生活があることに感謝しています。先生の「絶対治してあげる」の言葉を信じ頑張ってよかったと思っています。ありがとうございました。
「アレルギー治療の手記」匿名希望36歳2004年8月9日
私は、生まれてから大学を卒業するまで、京都で育ちました。
幼年期から、よく腕や脚の関節、首周りにできる湿疹に悩まされていました。その度に、近くのかかりつけの小児科で、軟膏をよくもらったものでした。無色透明で、チューブに入った軟膏。患部にすり込むと、赤くカサカサしたところがしっとりと気持ちよくなり、痒みも治まるのです。痒くなる度に塗っていました。それが、後の悲劇を生むことも知らずに・・・・。
中学に進学してからは、皮膚の状態は比較的良好で、さほど気にならなくなりました。ニキビも、他の生徒たちよりもむしろ少ない方でした。ところが、小さな事件がきっかけで、私のアレルギーとの闘いが再度始まったのです。それは、受験も控えた中学3年の冬、自宅で小火があったのです。家の修繕工事中、埃とすすの中で生活していました。私の部屋にもすすが入り込んでいて、何か焦げ臭い室内で受験勉強をしていました。そして受験も間近に迫った頃、私の鼻に異変が起こりました。くしゃみ・鼻水が止まらなくなったのです。そう、それも一日中。さすがに応えました。受験は何とか乗り切って、希望校へ進学できたのですが、高校生活は、その点においては辛いものでした。
大学進学をむかえる頃、私は、京大病院へ検査してもらいにいきました。どうしても現状を何とかしたかったのです。数種類の注射で検査した結果、杉花粉とハウスダストに高い反応を示していることが分かりました。埃に注意して、部屋の掃除をこまめに行う、ということでした。「なるほど、京都には杉が多いし、それはありかな。」と思いました。それに、「世の中には、卵や牛乳にアレルギーがあって、好きなものも食べられない人もいるのだから、まだましなほうだ。」と自分を慰めていたものでした。
ところが甘かった。毎週、減感作療法という、免疫反応をすこしずつ弱めていく治療を京大で始めたのですが、待ち時間が長く、午前中は大学の授業に出られないなどの弊害が出て、さらに、これで完治するのは5人に一人程度という確実性のなさから、だんだんと病院から足が遠のいていったのです。
この頃は、ある時は湿疹出たり、ある時は鼻炎が酷かったりと、交互にそれを繰り返していました。病院も、近くの耳鼻科と皮膚科へ行っていました。耳鼻科では点鼻薬をもらい、皮膚科では軟膏をもらう、これの繰り返しでした。
就職してからも、ずっとそんな調子でした。鼻炎がひどいと、集中力を削ぎ、能率も悪くなります。仕事にも支障を来すこともありました。見た目には悪くないので、怠けているように見られてはいないかと、不安になることもしばしばでした。この頃は、鼻炎だけの症状でしたが、年々悪くなっているようでした。この病気の始末の悪い所は、殺さない程度に、じわじわ病人を苦しめることです。それも一生かかって。
この頃、新聞やニュースで、花粉症の人が急増していることを、よく報道していました。それも、都会の人ほど深刻だというのです。私は思いました。「なぜ、杉の多い多摩の人より、都心の人が多いのだろう?」と。
やがて転勤と結婚が重なり、京都に戻ってきました。29歳でした。この頃から、湿疹がまた姿を現し始めました。夏頃には、アレルギー性の結膜炎も患いました。鼻のレーザー治療も試しました。でも改善にはほど遠いものでした。
そして30歳の秋、それは起こりました。出張で2日間、ある化学繊維工場を訪れたのですが、戻ってきてから、首・手足・背中と湿疹が広がっていったのです。いつものように、皮膚科で軟膏を処方してもらったのですが、それが効かないのです。さらに強力な薬にしてもらったのですが、それも効果が持続せず、さらに強くして・・・ダメでした。私は、途方に暮れてしまいました。
そして、10年ぶりに、京大病院へいきました。そこでの治療法は、強めの薬と弱めの薬を、症状の程度によって使い分けていくというもので、長い期間になる、ということでした。「冗談じゃない。また長い時間待たされて、時間を無駄にするのか?」と憤慨し、病院に通うのを止めました。とはいうものの、症状は日ましに悪くなり、仕事も休みがちになってきました。首や手足の痒みと、見た目の不快感から、外出するのも嫌になるほどに・・・。
「万策尽きたか?あきらめて京大に通うか?」と思った矢先、運命的な変化が起こりました。妻が、仕事先の知人から、松本漢方クリニックを紹介して頂いたのです。その知人の親戚の方も、松本仁幸先生のお世話になり、改善したと聞き、私は藁にもすがる思いで(表現が陳腐ですみません。)松本漢方クリニックを訪ねました。
松本先生は、私を見るなり、開口一番、「あ、大丈夫ですね。必ず私が治してあげます。」とおっしゃるのです!・・・驚きました。100%治すことを公言できる医者なんて、今まで会ったことがないからです。
松本先生は、たくさんの患者さんが待っているにも関わらず、初診の私に、アレルギーのしくみやタブーについて語ってくれたのでした。憑き物がとれたような思いでした。「アレルギー反応は、自然界に存在しないものを、体内から排除する、健全な生理現象であること。それは身体の性能が良すぎるということ、むしろ胸を張ってよいことなのだ」と。「鼻炎もアトピー性皮膚炎もアレルギー性結膜炎も、現れ方の違いで、根本は同じしくみのアレルギー反応であること」さらに「農薬や排気ガスから出る化学物質との関連」「IgE抗体について(以上のことの詳細については、先生の理論を読まれるほうがよく分かるので、省かせて頂きます)」
「ステロイドの弊害について(これは大変重要なキーワードです。これから治療を受けようとされる方、忘れないでください)」も説明して頂きました。驚いたのは、これらの事柄と、私が今までやってきたことのつじつまが、ぴったりと合うということです。そう、これまでのアレルギー治療に使われてきた軟膏、点鼻薬、目薬などののすべてに、「悪魔の薬」ステロイドが使われているのです。なぜ「悪魔の薬」かというと、使用すれば、速効性はあるが、それは一時的なもので、リバウンドにより、さらに悪化の一途を辿り、さらに強力な薬を要求する、それを繰り返す、正に麻薬のようなものだからです。
私はインターネットで調べた高知のある病院について、先生に尋ねました。先生はその名を聞くやいなや、「あれは、最低や!」と一蹴したのでした。「あれこそ、ステロイドの権化みたいなもんや!」とまで言ってのけたのです。この時、私は思いました。「この先生は、ホンマもんや!」と。先生の、この仕事に対する情熱と誇りを感じたからです。
私は、幼少の頃から、ステロイドに冒されていたのです。そんなものを、何故、小児科で扱うのか?そんなリスクがあることが分かっていながら、何故使うのか?説明もなしに!私は憤りを覚えました。しかし、過去を振り返っても仕方ありません。前を向いて行くしかないのです。
血液検査(これはIgE抗体量を調べるものの)後、先生と、今後の治療について話し合いました。まずステロイドは一切使わない。今更化学物質を無くすことなど、人類が滅亡しないかぎりありえないので、それを逆手にとって、漢方薬により、アレルギー反応を促進させ、限りあるIgE抗体を使い切る、ということ(先生の理論をお読みください)。
そして覚悟を決めなくてはいけないこと、それは、ステロイドを使った年数だけ、完治するのに時間がかかるということ。それには家族の協力が不可欠であること。
私は覚悟を決めました。この後は、私の最大の理解者である妻が書き綴った日記を基に、治療経過をまとめたものをご紹介致します。
<1998年>
10月31日(土)曇り 1日目
今日から、毎日漢方薬風呂に2時間入り、朝夕食前に煎じ薬を飲む。
11月 1日(日)晴れ 2日目
顔に少し出てきた。お風呂から上がってしばらくしたら、少し痒みが出てきた。
11月 3日(火)晴れ 4日目
お風呂出た後、すごく赤く顔に出たが、2~3時間すると赤みが退いた。すごく痒い。
11月 5日(木)晴れ 6日目
今まで今日が一番赤い。特に首の周りが。
11月 7日(土)晴れ 8日目
首の痒みと共に、痛みを感じる。顔と同じパターン。
11月 9日(月)晴れ 10日目
服が擦れるだけで、首が痛い。風呂に入った途端に痒くなる。全然眠れない。
11月11日(水)晴れ 12日目
顔の皮がボロボロとむけた。まるで脱皮のようだ。
11月12日(木)晴れ 13日目
首の皮が突っ張ってきた。
11月13日(金)晴れ 14日目
大分痒みが無くなってきた。
11月14日(土)晴れ 15日目
今までで一番落ち着いている。
11月15日(日)晴れ 16日目
また寝る頃になって、痒みがひどくなってきた。
11月16日(月)晴れ 17日目
首の周りに出てきた。
11月18日(水)晴れ 19日目
また眠れない日々が続いている。
11月20日(金)晴れ 21日目
やや赤みが退いたようだ。
11月22日(日)晴れ 23日目
首の皮が、パリパリになってきた。
11月23日(月)晴れ 24日目
赤みがとれて、赤黒くなってきた。
11月25日(水)晴れ 26日目
今までの中で、一番顔が綺麗。一皮むけた感じ。風呂に入っても赤くならない。
11月28日(土)晴れ 29日目
痒みがもどり、赤みも復活した。
12月 1日(火)晴れ 32日目
この頃、一週間サイクルで、出たり退いたりの繰り返しだ。
12月 4日(金)曇り 35日目
顔首の皮が突っ張り、全体に赤みを帯びてきた。
12月 9日(水)晴れ 40日目
顔の皮が、ガサガサになった。
12月13日(日)晴れ 44日目
痒みが出てきたり治まったりが続く。
12月19日(土)晴れ 50日目
汗がよく出るようになった。
12月26日(土)晴れ 57日目
このところ、あまり変化が見られない。
12月29日(火)晴れ 60日目
腕の関節にたくさん赤みが出てきた。関節が痒い。
<1999年>
1月 3日(日)晴れ 65日目
痒みの間隔が空いてきた。
1月 5日(火)晴れ 67日目
落ち着いているが、夜になると痒くなって、何回も起きていた。
1月 9日(土)晴れ 71日目
鼻の周りが赤くなってきた。
1月17日(日)曇り 79日目
首と手の関節だけになった。
1月20日(水)晴れ 82日目
背中も痒くなってきた。
1月21日(木)雪のち曇 83日目
今日は、すごく赤くなっていた。
1月28日(木)晴れ 90日目
大分落ち着いてきた。あと少しか?
2月 1日(月) 94日目
始めたころのように、とても痒い。これがリバウンドか?
2月 6日(土) 99日目
痒みがひどい。
2月 9日(火) 102日目
身体全体が赤い。寝不足で辛い。
2月14日(日) 107日目
見るからに痩せてきた。
2月27日(土) 120日目
寝不足のせいか、白髪が増えてきた。
3月 9日(火) 130日目
赤みも痒みも一向に退かない。
3月14日(日) 135日目
お風呂に入ると、しっとりして痒みも治まる。
3月20日(土) 141日目
股間の周りが痒くなった。未明に目が覚めてしまう。
3月25日(木) 146日目
赤みは少なくなったが、痒みがすごい。赤くなっていないところも痒い。
4月17日(土) 169日目
風呂に入れなかった日は、とても痒い。
5月15日(土) 197日目
赤みがなくなった。少し痒いくらい。
6月 1日(火) 214日目
痒みもほとんどないので、調子の良い日は、薬草風呂を止めた。
6月15日(火) 228日目
痒みも無くなり、今日から薬草風呂を止めて、煎じ薬のみとする。
以上が、私の最も辛かった時期の治療生活です。まだ汗をかいた時などは、赤く痒くなることもあるし、鼻炎も時々ありますが、生活に何ら問題はありません。ただ、2004年の今でも、煎じ薬は飲んでいます。前記でも述べましたが、ステロイドを使った年数だけ、完治するのに時間がかかるのです。今年は、子供も生まれました。きっとこの子も、いずれアレルギーが出るでしょう。親として、辛いものです。子供を作ることにためらい、初子誕生まで、結婚から7年もかかってしまいました。以前先生から、「生まれたら、すぐに連れていらっしゃい。早ければ早いほど、治療期間は短くなるから」という言葉を頂いたことを思い出し、決心がついたのです。これからも、親子共々お世話になりますので、どうぞよろしくお願いします。
最後に、今日初めて松本漢方クリニックを訪れた方、あきらめないで、希望を持ち続けてください。
そして、同じように苦しんでいる知人・友人・親戚の方がいらっしゃるなら、松本漢方クリニックをお勧めください。みんなで闘いましょう。
2004年8月4日 記
「アトピー治療体験談」36歳男性2005年7月1日
①この治療に出会うまで
子供の頃から、アトピーと喘息に悩まされ続けてきた訳ですが、普通に医者にかかってきました。しかし、一向に完治しないこともあり、大学の時に、漢方薬での治療をする、ある病院にいきました。あまり知識も無く、説明も十分でなかったので、リバウンドが出たとき、驚いて、悪化したのかと思い、止めてしまいました。
それから数年が経ち、社会人になって、2年目に喘息で倒れたのです。強烈な薬を点滴され、飲まされ、退院してからも、なかなか薬も減らない。アトピーも喘息も良くなっている様ではないのです。
今までは皮膚科に行ったりして、ステロイド系の薬を出され、塗ったらすぐきれいな皮膚になるので、それを使っていたのですが、ステロイドが良いものでないと、僅かではありましたが知っていました。塗ったらすぐ皮膚がきれいになるなんて、その薬の恐ろしさを感じていたのかもしれません。これは何とかしなければならないと考えていた時、親の知り合いの紹介で、松本漢方クリニックを知ったのです。
②初期の治療の奮闘
最初に松本漢方クリニックを訪ねたのは、喘息は勿論ですが、アトピーが非常に悪い状態(顔も耳の回りも首も掻き毟って、むけている)だったからです。喘息は命に関わることも有り、優先して治すということでしたが、アトピーの方の煎じ薬も出て、同時進行でした。
飲み始めてからしばらく経つと、体の中が熱いような感じ、力が入らない感じになり、戦っているんだという実感がありました。とにかく体が痒くなり、特に首から上はひどくなりました。首は、掻いて皮がめくれていると、寒気がして、肩をすくめるので、肩がこります。また顔は、薄いかさぶたで覆われ、そのかさぶたが割れてくる状態でした。皮膚が再生している途中なのか、非常にもろく感じられました。あまりにも強く掻くので、掻いている手の爪の生え際が、当たってめくれてきました。かゆみの為、睡眠もままならなくなってきました。
③自宅での治療
治療を始めて半年程経って、このような状態になったため、スピードを高めようと、会社を休み、自宅での治療に切りかえました。
煎じ薬の2番・3番煎じをせっせと飲み、高たんぱくの食事を取り、苦痛だった風呂に毎日入り、塗り薬もしっかりと塗りこんでいました。いままで出ていなかった手の平や足の裏に、グレー色にしみ(何かが出てきている感じ)が出てきて、やがてぽろぽろと皮が剥けだしてきました。他に足首がひどくなりました。要は、全身から悪い組織が出て行き、細胞が入れ変わっているんだなという実感がありました。
入浴は、最初しみるので苦痛だったんですが、治っていく実感を感じられるので好きになってきました。1回風呂に入ると、捲れた皮が湯船にびっしり層になって浮くほど、毎日新陳代謝が活発になっていたのです。
食欲だけは一切落ちませんでした。また、栄養をしっかり取ろうという意識が働いていたからかも知れません。特に細胞を作るたんぱく質を取りなさいということで、よく食べたのが豆腐、よく飲んだのが牛乳でした。
やがて自宅での治療を続けて4ヶ月が経ったころ、皮膚組織が強くなってきているのを感じました。痒くて掻いたら、今までならすぐ捲れていた皮膚が、明らかに丈夫になってきていました。
④仕事への復帰
このような状況になり、仕事をできると判断し、復帰をしました。まだまだ足などはパリパリに皮が張っている状態でしたが、めくれてヒリヒリしたり汁がでることは無くなっていたので、出るようにしたのです。休む前とは違い、体は楽になっていました。喘息に関しては、具体的に実感はなく、知らないうちに出なくなっていました。
⑤最後に
今もまだ治療中ですが、あのままステロイドでのごまかし治療を続けていたら、どうなっていたかと思うと、怖い気がします。リバウンドは怖いですが、そのほうが治っていく過程なので、ずっとましです。