「K大皮膚科を受診しても治らなかった皮膚炎が、
快方へ向かった娘のこと(アトピー手記)」
(お母様記述)10歳2017年8月18日
(お母様記述)10歳2017年8月18日
私たちの娘は、5歳の春に、不思議な湿疹が始まりました。最初は、次々と手の指の先に水庖が現れては潰れるという繰り返し。高槻市内の皮膚科を受診し続けても、「アトピー性皮膚炎」とか「水虫かな」などと診断され、薬を飲んだり塗ったりしても、良くなることもあれば悪くなることもあり、薬が効いているという実感がなく、本人の体調に左右されたり、蒸し暑さがきついなどの天候で左右されているような感じで、治療に悩まされ続けていました。
5歳の8月には、突然の40度を超える高熱の後、手足の関節の全てに水庖が10個ほど現れ、関節は真っ赤に腫れ上がり、何事かとびっくりしました。母の私白身が病院の受付事務に携わっている関係で、大抵の皮膚科の病気を診てきましたが、これはただ事ではないと感じ、慌ててK大病院皮膚科に連れて行ったところ、難病の一つ「自作感作性発疹」と診断され、強いステロイドの飲み薬を処方されました。
この時も、大きな発疹は治まったものの、その後も、絶えず、体のどこかに水庖が出ていて、潰れては痛さと痒さでイライラする、といった本人の辛さを、どうにか治してやりたいと、皮膚科通いが続きましたが、これといって良くも悪くもならず、本人の苦しみが続く状態でした。
そんな時に、私の勤める病院の患者さんで「潰瘍性大腸炎」という難しい病気の方から、ある日電話を受け、「今後の治療は、松本漢方クリニックで受けます。ここなら治してくれるので、もう他の病院の薬はいりません」と診察予約をキャンセルされる電話を受けました。
私たち事務職員の間では、「潰瘍性大腸炎で薬を飲まなくても治す病院があるなんて信じられない」と噂になりました。インターネットで調べると、漢方薬で治しているとのこと。そのとき、娘はここを受診するべきではないかと感じました。というのも、娘の皮膚の水庖は、皮膚の表面にできるのではなく、皮膚の下の方から沸き上がる気泡のように徐々に表面に浮かんできて最後にパチンとはじけて膿がドロッと出るので、体の内部を治さなければ水庖が現れるのを止められないと痛感していたからです。
ただ、この時、娘は8歳。まだ母親の言うことを聞いてくれる年齢だったけど、漢方薬を飲めるかどうかとても難しいものでした。また、娘は発達障害を持っていて、特に、口腔過敏のため、食べられる食事が10種類ほどしかなく、学校の給食も四苦八苦して食べるような状況で、果たして漢方薬が飲めるかどうか、とても不安でしたが、「今、治療を始めなければ」、「娘の苦しみを早く取ってやらなければならない」と決断し、娘を連れて、松本漢方クリニックを受診しました。
初診の日、案の錠、診療所の室内に漂う初めての強烈な漢方薬の匂いに、娘は「もう帰る」を連発し、私が必死で説得して受診。受診後は、私の作った漢方薬を、大泣きしながら飲み、塗り薬で真っ赤や真黄色に染まる手足に泣き続けていました。
松本漢方クリニックの治療が始まって、最初の3日間は劇的に水庖が消えましたが、1週間後には急激に悪化し始めました。それでも、私は自分が20歳の頃から4年間、煮出した漢方薬を飲み続けて、持病を治した経験を持っていたので、漢方薬は「一度悪化するように見せかけているが、続けていくことで治ること」、「漢方薬は、体の基礎的な内部の治療をすることがメインだから、西洋薬の風邪薬のように1週間ほどで治すのではなく、数ヶ月や数年単位で飲み続けて治していくこと」などを体験していたので、娘の症状がどんどん悪化していても、「これは薬が効いている証拠」だと信じて、嫌がる娘に「がんばっていて偉い」とほめ続け、「絶対に治るから、がんばって」と励まし続け、どうしても薬が飲めない日が続くこともあっても治療を続けました。
時には、泣いて嫌がる娘を前に、私の夫や私の母から「こんなに小さいんだから、苦い漢方薬は可哀想。止めてあげて」と言われて、私も泣きたくなるような気持ちになったこともありましたが、夫や母に対しては「大丈夫、松本先生を信じて、薬を続けさせて」と伝え続けてきました。
治療が始まって2ヶ月を超える頃から、今度は急激に水庖が消え始めました。松本先生からも「戦いに勝ち始めたな」と褒められ、娘も、ようやく、この辛い治療を続ければ、他の子と同じきれいな皮膚になれることが少し信じられるようになりました。病院からの帰り道、「この苦い薬を飲んでいたら、湿疹が消えるんだね」と自分から言うようになりました。
娘が前向きに薬を飲める日が増えてきて、更に、皮膚の水庖が現れることが減りましたが、それでも、学校の行事でヘトヘトに疲れたときなどは、どっと押し寄せるように水庖が現れ、そういう悪化したときに娘は疲れているから飲めない時もありましたが、飲めたときの方が3日後くらいに水庖が破れずに治ることに娘が気づき始め、次第に、娘が「しんどいときは、がんばって薬を飲んだ方がいいんだね」と言い始めました。
今でも、時々、発達障害が悪化して食欲が無い時は薬が飲めない日が続くこともありますが、それでも薬を続けることが娘の自信や確信になっているので、飲めない日が続いた後に「さあ、今日こそ薬を飲もうね」と声掛けすると、娘は自分で「よし、がんばろう」と言いながら飲んでいます。
今、皮膚の表面は、ほとんど水庖はありません。きっと、この治療を乗り越えたとき、娘は「漢方薬の治療がなかったら、私の体を治すことはできなかった」と分かってくれるでしょう。私の説得と、松本先生を信じてくれた娘、本当に良くがんばってくれて、うれしいです。本当に長い長い苦しいトンネルを娘と走り続けてきました。松本漢方クリニックを受診するまで、ゴールは無いトンネルだと親子で苦しんできました。でも、今、ゴールの出口が見えてきて、こんなに幸せな日が来るなんて夢のようです。本当に、松本先生には感謝してもしきれないほどです。