「たどり着いた脱ステロイド生活(アトピー手記)」
匿名希望 28 歳
2018 年 4 月 8 日
匿名希望 28 歳
2018 年 4 月 8 日
病気との出会いは保育園に通っていたころから。卵白でアレルギー反応を起こし、痒みや赤みが出現していたが、母が継続的な除去食を行うことにより成長とともに皮膚はさっぱりきれいに改善された。
小学生になると冬場両手が乾燥し、毎年のように赤ぎれができたが、これも一時的に過ぎなかった。中学になり部活で毎日汗をかくようになると、膝裏や下着がこすれる部分に痒みが出現。これまで傷が消えないことがなかったので不信に思い、近医の皮膚科を受診し薬を処方してもらった。それが恐怖のステロイドであるとも知らずに。
早く痒みを抑えたいがためにもらった薬をこまめに塗り続けた結果、膝や裏や肘の痒みや赤みは改善。がしかし効果は1週間持たず、痒みが出現してはステロイドを塗ることを繰り返す日々を送っていた。大学生活が始まると勉強等で多忙な日々の連続。受験勉強という今まで味わったことのなかった重圧に押しつぶされそうになりながら毎日を精一杯過ごしていると体が悲鳴をあげた。顔から体にかけて真っ赤になった部分が熱を持ち、両手掌には水疱を認めた。傷を掻いては潰れを繰り返し、傷口はヒリヒリと痛みを生じた。ちょうど成人式が数か月後にせまっており一刻も早く完治させたいという気持ちになっていた矢先、アトピーの点滴治療〇〇クリニックを新聞の広告欄で見つける。
そこはこれまでの病院とは違い、アンチエイジング等にも力を注いでいた。まずは毛髪検査を実施した結果、水銀中毒であることが判明。解毒するには血管内をきれいにする必要があるためキレーション治療の説明を受ける。内容は月に一回程度の自費の点滴治療+ビタミン剤・アレルギー剤(ザイザル、ポララミン)の内服、ステロイド軟膏の塗布などであった。母とともに内容を聞き、「金額は安くないが、早く治るならばいいのではないか」と背中を押してくれたため通院することになった。
数か月続け、少し症状は改善し、どうにか成人式には出席できたが、通院期間をあけてしまうと症状が悪化。すると「ステロイドやアレルギー剤の種類を変更します」と主治医から提案される。数日内服し続けると授業中ウトウトしてしまい、ひどい眠気に襲われたかと思うと夜は目が覚め、昼夜逆転に近い生活を送ることになってしまった。さらには掻いた傷が治るどころか以前よりひどくなり、皮膚をかきむしると皮が落ちてしまうのを恐れ、服を着ること事が嫌になっていた。
これ以上頻繁に通院することに恐怖を感じ、主治医へ「まだ回復へ向かわないがどうしたらよいのか」と相談するとこんな言葉が返ってきた。今でも忘れることはない「アトピーの人は一生治らんから通い続けなあかんで。大体みんなよくなったら通院やめて、次来るのは悪くなってから。けえへんかったら絶対悪くなる」当時生真面目だった私は言葉を真に受け、通い続けることへの使命感にかられ、通院を継続した。
社会人5年目の秋になると仕事を任されることが増え、勤務時間内には収まらないような仕事量になっていた。休日は夜遅くまで職場で残業、疲労が回復しない日々を送っていた。これまで使用していたステロイド軟膏では効果がなくなりつつあった。体の変化に気づいていたが仕事で他者に迷惑はかけられないと思い見て見ぬふりをしていた。そんな生活を数か月続けていると頭皮や足の甲、股部分など大学時代には認めていなかった箇所まで症状が広がっていた。7軒目のアトピーの病院ではプロトピックという強力な軟膏を処方された。主治医からは「塗布し始めは灼熱感があるが、それを超えると痒みが軽減される」、と副作用の説明を受けた。毎日のように髪の毛の生え際に塗り続けた結果、以前より傷の治りが遅く、いつの間にかひっかいても出血しない皮膚の構造になっていた。ある日チューブの注意書きに目が留まった。そこには妊娠中は禁忌、と記載あり。妊娠等の予定はなかったが、今後妊娠したとしたらこの薬を塗り続けることはできない、依存しすぎるのもよくないのではないかと疑問に思い主治医へ相談。すると「その時はその時で考えます」とあっさり済まされ、これを機に病院へ通うことをやめようと決意した。
そんな折、母がネットで漢方治療の松本漢方クリニックがヒットしたと情報提供してくれた。とにかく早く治したい一心で自宅から1時間ほどの松本漢方クリニックを受診。勉強不足だったので「病気を治すのは誰や?」という有名な質問に答えることもできず「勉強しなさい!」と叱咤激励をうけた。シュン太郎になった私をみて「最後には必ず治るからな」と松本先生の力のこもった握手をかわした。その日から自分の病気は自分の免疫で治すことに専念した。
初診日は食前の漢方、アシクロビル4錠/回×朝昼夕寝る前、赤と黄色の軟膏、お風呂の薬草を数日分処方してもらい最後に採血も行った。賃貸での一人暮らしであったため漢方を煮出すことはできたが、浴槽に色がつくのを恐れ、お風呂は実家に帰った時に入ろうと安易に考えていたが考えは甘かった。治療開始2日ごろになると大腿部は蕁麻疹のような症状が出始め、それが首や顔全体にひろがり口角も切れ始めた。だるい体で精神的にも落ち込んだまま、できれば誰にも会いたくなかったが渋々職場へ出勤。勤務開始1時間ほどで体が持たなくなり、その日は早退させてもらうことになる。自宅へ帰りボロボロになった体と心を休めようとするが、身の回りの世話もままならず、その日は自宅で廃人のように過ごしていた。当然出勤できる余裕もなく本格的な治療は実家で開始することになった。
通院1か月目
1週間ほどすると38度台の発熱、ひどい悪寒で10月にも関わらず布団と毛布を首までかぶり、さらには電気アンカまでつけて寒さをしのいでいた。耳下と鼠径部のリンパの腫れ、透明~黄色のさらさらのリンパ液の漏れは耳下だけではなく両脇と鼠径部にまで至り、抗生剤の内服が始まった。当然熟睡できず、全身を掻きむしっては全身から出たリンパ液が下着にくっつき、夜中にタオルや下着を交換して過ごしていた。リンパ液の漏れるところにはガーゼと包帯で保護したが朝起きるとビッショリ濡れていることもあった。昼はほぼ寝たきりの状態、夜は目が冴えて深夜1時間記憶がなくなるのはいいほうだと感じていた。
傷だらけの体には漢方風呂を沸かすだけの軽作業も体にこたえ本当に情けなかった。周りからみれば大げさに思えるかもしれないが、座るだけで精一杯、首を動かすことも笑うことも避けたいくらい傷口がピリピリと全身に響いていた。が、漢方風呂に入ると不思議なくらい気持ちがよく唯一リラックスできる幸せな時間だった。3時間も入っていると傷口には薄くて白い膜が覆いかぶさり皮膚を修復している様子で、驚きを隠せなかった。私の場合はお風呂に入った直後がつらく、薄皮がどんどん捲れ始め、ポロポロと掻いていると大さじ1杯分ほどの落屑を認めた。
そのため毎回洗面所には新聞紙をひいて風呂用の椅子に座りながらケアしていた。皮がはがれると急激に寒気を感じ、急いで薬草風呂の濃縮した液体を綿花に浸し、化粧水の感覚で全身に塗布した。(濃縮した液の作成方法は松本漢方クリニックの看護師さんから教わった。浴槽に60度のお湯を1/5程度張り二重にした排水ネットの中に薬草を入れ、蓋をし、1時間ねかせる。1時間後に排水ネットを取り出し搾り取る、すると150ml程度の濃縮液が完成する。使用時以外は冷蔵庫にいれて洗顔や皮膚が乾燥したときに使用する。
お茶用ネット等は薬草が膨らむとすぐにパンパンになるので、伸縮性のある排水ネットが使いやすいと感じたが個人の使用しやすい物でいいかと思われる。)ひっかき傷のあるところにはアシクロビルの軟膏、乾燥部分には黄色の軟膏、炎症のある部分には赤の軟膏という順序で塗布していった。はじめの1か月は症状が全身にまで広がっており、広範囲のスキンケアが必要だったため黄・赤軟膏はそれぞれ1個を3日~4日ほどで使い切るという猛威のスピードで消費していた。発熱による倦怠感や体のごわつきで自分では全身に軟膏塗布するほどの体力も気力もなく、首元や背中や足のスキンケアは全て母が介助してくれ本当にありがたかった。
2か月目
毎日3時間以上の漢方風呂と内服薬、スキンケアのお陰でようやく寝たきりの生活を卒業し外出できるようになった。一日のスケジュールとしては夜間覚醒してしまわないように7時半起床、8時~9時の間に薬草風呂を蒸し、9時からお風呂に入る。入浴後のスキンケアは一人で行えるまで回復、30分かけて全身のすみずみまで丁寧に薬草の濃縮液と軟膏塗布した。このころの私の体は、お風呂から6~7時間経つと悪寒や皮膚のごわつきを感じ、体が薬草風呂を欲していた。そのためどんなに夜遅く帰ってきても昼沸かした(ちょっと濁った)漢方風呂に入りそこから30分かけてのスキンケアを徹底した。
全身症状としてはステロイドを常々塗布していた両股のリンパ液がとどまることなく滲出。平熱に戻ったので抗生剤は中止になったが、右くるぶしの紅斑と腫れを認めたため一時的に再開したりしていた。
3か月目
苦渋の決断で、12月一杯で退職することになった。治療に専念するためには正しい選択だったと思う。毎日の3時間のお風呂と煎じ薬、アシクロビルの内服は継続している。傷口が増え始めたため入浴前に消毒薬を傷口に染み込ませ3分ほど乾燥させてから入るよう説明を受けた。染み込ませた時突き刺すような痛みを生じたが、入浴後はなんとなく体全体が楽だった。このころから脇や両股からでていたリンパ液も出なくなり関節の可動域が広がり感動した。
9か月目
煎じ薬とアシクロビル内服は継続。薬草風呂はこれまで欠かさず1日2回入っていたが、ようやく入らなくても過ごせるような、ごわつきのない皮膚の感覚になってきた。薬草風呂を沸かさない日は、必ず朝夜1日2回軟膏塗布することで何とかしのぐことができた。このころから肉体的にも精神的にも少しずつ余裕が出たため、週3回程度のパートで働き始め、社会復帰できたことに自信が持てた。
結婚式までにはどうにか親戚や友人に晴れ姿を見せることができた。今思えばこの目標があったからこそ毎日継続した治療に専念できたのかもしれない。新婚旅行沖縄に行く予定だったので、先生に「煎じ薬を飲んでおいたほうがいいのか」と聞いてみると「楽しんでこい!」と背中をおしてくれたので初めて煎じ薬なしの生活が1週間ほど続いた。すると、悪くなるどころか気分も体調もよく帰ってくることができた。それから完治に近づいていると自己判断し松本漢方クリニックをお休みしていた。またこのころは毎日のように汗をかく習慣があった。
15か月目
アセトンという除光液を指先に使用して就寝すると、翌朝首や顔面、手の甲を掻いた傷跡が残っておりドキリとした。と同時に、これまでコントロールできていた自分の肌が巻き戻されショックだった。後ほど肌につけると危険な薬液であったことに気づいた。またここで自分の甘さが出たな~と思った。少しの油断がこれまでの努力を水の泡にした気がした。これを機にお休みしていた松本漢方クリニックを半年ぶりに受診することになる。完治前に治療中断してしまったことに後悔していたが、先生は怒ることなく薬類と元気を処方してくれた。患者が勝手なことをしても見捨てることなく、むしろモチベーションを上げてくれる先生に本当に感謝しています。まだ完治していませんが、先生や家族、友人に完治したと報告できる日を楽しみに、治療に取り組んでいきたいと思います。