「アトピー治療の手記」32歳男性2007年7月3日
僕のアレルギーは花粉症から始まりました。
症状は高校生位から出始め花粉の飛ぶ時期だけ鼻水、くしゃみが出ると言う感じでした。
時が過ぎ毎年少しずつ酷くなっていき鼻水止めの薬を飲んだり点鼻薬を注したりしながら症状を抑えていたのですが、花粉の時期のみだった症状が一年中鼻がつまる様になり点鼻薬が手放せなくなっていました。点鼻薬は4年位使い続けたと思います。
途中位から手に湿疹の様な物が出だしたので市販の塗り薬を塗ったりしていました。
その頃はなんかおかしいな?と思う程度で花粉症との関連も知らず、湿疹が出たら塗り出たら塗りを繰り返していました。そうこうしているうちに今度は指の関節の所が割れてきたり痒みが出たりしてきたため、近所の違う皮膚科に何気なく受診しました。
その病院では手に出来るカビと言われ紫色の薬を塗って治療していましたが、なんか納得がいかず花粉症もこのままでは駄目だと思いアレルギー科をパソコンで検索したところ松本漢方クリニックが出てきました。家も近いと言うことでこの時も何気なく受診しました。
それで松本先生から言われた言葉がアトピーだったのです。
思ってもいなかった事すぎてその時はそれほどショックではなく、そーなんやー位でした。
それから薬の煎じ方等を聞いたりしながらめんどくさいなーと思いつつ家に帰りました。
家に帰ってアトピーと言う物はどんな物かとか手記など読んでいる内に自分がどう言う事になっているかがだんだん解り不安でいっぱいになりました。それと同時に絶対に治さなくてはとも思いました。それから松本先生が絶対に治る、治してあげると言う言葉を信じアトピー治療が始まったのです。まず、鼻の詰まりを和らげましょうと言う事で鼻重視の薬(煎じ薬、粉薬)を一週間分出してもらいました。それを家に持ち帰り煎じて飲む事2日目から徐々に鼻が通り始め日に日にどんどん良くなって行きました。長い間、鼻が詰まりっぱなしだったのが、わずかな時間で良くなっていくんです。一週間後、受診した頃には少し通りが悪かったですが点鼻薬がいらない様になっていました。鼻が通る様になったので今度はアトピー重視の薬に変更し治療が始まりました。この時点では鼻もすぐ良くなったしアトピーも酷くなかったためそんなに長くはかからないだろうと思っていました。しかし、その考えは甘かったです。煎じ薬を飲み、日が経つにつれ少しづつ症状が広がって行きました。3ヵ月位たった頃には太もも、首、腕、お腹などに湿疹、痒みの症状が出始め汁も出るようになり38度位の熱もでました。
それから2週間位の間は夜寝る頃に痒くなり、今までに経験した事も無い痒みで眠れず辛くて、辛くて涙を流す事もありました。この2週間が一番辛かったです。
夜も段々眠れるようになり少しずつ良くなって行きました。しかしながら痒み、普通の肌には程遠く、かけば皮膚が剥がれるといった感じで傷だらけでした。
その後も煎じ薬を飲み続け良くなっては悪くなりと言う状態が続きました。
しかし、前より悪くなるという事は無く少しずつ良くなって着ていると言う実感があったので頑張って煎じ薬を飲み続けました。この頃からは本当に治るのかと言う思いは少しありましたが他の病院に行ってステロイド等の西洋医学では治らないと、感じていたのでこれしかないと言うのと松本先生を信じて頑張り続けました。そのかいあってか3年半たった今では元の肌に戻り以前の自分になっております。次回の検査の数値が良ければ終わりになると思います。長かったですが先生と漢方を信じて良かったと思います。これから治療を始める患者さん、今辛い思いを、されてる患者さん色々な方がいると思います本当に治るのだろうか?と不安いっぱいの方が沢山おられると思います。僕も初めは不安いっぱいで本当に手記って真実なのだろうか?と思ったものです。しかし、信じて続ければ治ります。僕よりも辛い思いをする方も沢山いると思いますが信じて最後まで続ければ治ります。インターネットで松本漢方クリニックを検索すると治らないとか色々書かれていますが、西洋医学にどっぷり浸かった世の中で薬を服用すれば比較的直ぐ効くと言う感覚があるため時間をかけて治す漢方に耐えられず、効果が出るまでに止めてしまった方がそう言う事を書き込んでいるんじゃないでしょうか?そう言う意味では感覚も変えていかなければならないかも知れません。リバウンド、半端なく辛いです。
しかし治ると信じて諦めず頑張って下さい。松本先生、スタッフの皆さん今まで本当に有難うございました。これからもアレルギーで苦しむ方たちの力になっていつまでも元気でいてください。また、お世話になる事があると思いますがその時は宜しくお願いします。
ありがとうございました。
「アトピー手記」N.K.32歳2004年7月20日
息子は、乳児湿疹がとてもひどく、小児科の先生から、「アレルギーがあるからです。」と言われたのが始まりです。まだミルクを飲んでいる頃はよかったのですが、離乳食になる頃には、卵除去食にしたりして、とても大変でした。
その頃は、非ステロイド剤の「スタデルム軟膏」や、ジュクジュクしたひどい所には、ステロイド剤の「ロコイド軟膏」、カサカサした所にはワセリンなどを、背中や顔(ほっぺ)に塗っていました。それで、1歳を過ぎた頃には、ぴたりと治ってしまったのです。
しかし、毎日塗っていた私の指に変化が出てきました。しだいに爪と指の間が腫れてきたのです。毎日塗り続けた事によって、薬が沈着していたのです。(治るまでに、1年くらいかかりました。)
そして3年前に、突然、息子の首の下に湿疹が出来始めました。(夏場の“あせも”がひどく、掻いてしまった痕からです。)だんだんと皮膚も像の皮のようになって来ました。その頃、自分も通院しているからという事で、友達が紹介してくれたのが、松本漢方クリニックでした。
病院に行く時、知らない人に「あの子の首みて!かわいそうに・・・。」と影で言われながら、辛い思いで電車に乗り、松本先生の所まで行きました。松本先生から「ヘルペスだ。きちんと、治してあげる。」と言われ、とても勇気が湧いてきました。
毎日毎日、何度も何度も沸かして、入浴剤を作り、指示されたとおり、薬も塗りました。すると、少しずつ治ってきたのです。冬場も、乾燥したカサカサ肌に、入浴剤と塗り薬で治してくれます。傷口にも塗ると、元の皮膚に戻してくれます。
本当に、松本先生には感謝しています。つるつるの肌になれて、よかったです。松本先生、本当に有難うございました。紹介してくれた友人にも、感謝しています。
「アトピー手記」匿名希望38歳・4歳2004年10月8日
34歳の時、第2子男児を出産しました。私は、小さな頃からアトピーで、肘のうら、足の膝のうらなどに出ておりましたので、心配でした。男児は、母親の体質を受け継ぎやすいと聞いていましたし。
3ヶ月の頃、長女がインフルエンザになりました。母乳の免疫があるので、長男は大丈夫だろうと思っていましたが、しっかりインフルエンザにかかってしまいました。「入院した方が、安心だ。」と医者に勧められ、3ヶ月の長男は、入院しました。点滴を打つ横顔に、ポツポツと赤い湿疹が出始めました。病院の先生に相談すると、「乳児湿疹でしょう。」と言われました。私は、ステロイドを、小さい頃から塗り続け、飲み続けていましたので、「ステロイドに頼りたくない。出来たら、ステロイドが入っていない塗り薬を出してほしい。」と頼みました。
でも、退院してからも、いっこうに治らない赤い湿疹に、「もしかして、アトピーなのかなあ・・・」と思い始めました。そんな時、私の母の友人の話を聞きました。「孫が、アトピーを治す為、松本漢方クリニックというところに通っている。しかも、ステロイドは使わず、完治に向かっている。」そうで、私は、勇気を持って、松本漢方クリニックに行ってみました。
長男の診断をしてもらうと、「アトピーだ。」と言われました。ショックでした。「やっぱり、嫌なところが似てしまった・・・」と思いました。でも「お母さんも、アトピーですね。お母さんの方が大変よ。お子さんは、早く治るけど。」と言われました。「えっ!」と思いました。
お風呂の煎じ薬に入り始めると、長男の顔のほっぺた全体が真っ赤になり、かわいそうでした。毎日、消毒やお風呂、赤い薬とエルタシンを塗って、これで治るのかと不安になりました。
ところが、私も一緒にお風呂に入っているので、私の体も、みるみるうちに真っ黒になりました。真っ白だった私の肌は、傷だらけ、像のような肌になっていきました。寝ても覚めても、痒みと血だらけ、体を動かすだけで痛みがあります。出来たら、人に会いたくなく、家の中から出たくありませんでした。鏡に映る自分の顔は、別人のようです。何もかもが嫌になるくらいでした。「お母さんの方が大変よ。」の意味がわかりました。
現在、長男は4歳で、ツルツルの顔になりました。私は38歳、あの真っ黒だった自分ではなく、白い肌に戻りつつ、アトピーの出る範囲も少なくなってきています。私も長男も、これからも続けますが、松本先生には、感謝の気持ちで一杯です。あの時、松本漢方クリニックを訪ねてよかったと、心から思います。これからもよろしくお願い致します。
「アトピー手記」匿名希望 31歳2006年10月21日
私が初めて松本漢方クリニックを知ったのは13年前でした。
ステロイドの副作用があるのは分かっていても、皮膚科に行けばステロイドの入った薬を出され、かゆくて薬に頼る事しかできず一生付き合っていかないと思っていたアトピーを漢方薬で体質改善をし完治させるというのです。
正直、半信半疑でしたが通院することにしました。
漢方薬の煎じ薬を飲みだすようになってしばらくすると、今までステロイドで治まっていたアトピーが、リバウンドで体中にでてき、ひどい時には外出も出来ない状態になりました。熟睡して寝ることが出来ない日が何日も何日も続き、顔や体は熱をもって真っ赤になり、皮膚は人間というより象みたいにシワシワで、その傷口からは汁がでてき、布団の上は血の跡と皮膚が剥がれた残骸でいっぱいになった時期もありました。治療中、市販の風邪薬を飲んだらいけないのを知らなかった私は風邪をひく度風邪薬を飲み、せっかくの治療を遅らしてしまっていた時期もあります。
私も病院に通い続けて気が付けば、もう13年が経ちます。
一番ひどい時は自分以上にひどい人はいないだろうと思っていましたが、先生から私よりもっとひどい人は何人もいると聞き写真を見せてもらいましたが言葉が出ませんでした。自分でもこんなに苦しんでいるのに、その人達の苦しみは想像を絶する事だったと思います。けど、そんな人達でも完治したと聞くと、自分も頑張れば治るのだと思える事が出来ました。今思うと、ひどくなったり少し落ち着いたりと山あり谷ありの状態がずっと続いていたのでいつ頃からというのは言いにくいんですが、確実にアトピーはおさまってきてあと少しという所まで良くなりました。ステロイドの薬で黒く硬くなった皮膚も、今ではどんどん綺麗になってきました。漢方薬は、即効性ではないので長期間の治療が必要といわれます。今治療で苦しんでいる方も大変だと思いますが、必ず治ると信じて頑張ってください。私も、あと少し頑張ります。
最後に、先生に出会えた事を感謝します。有難うございました。
「アトピー手記」匿名希望37歳2014年2月15日
三歳半の時に喘息と診断され、ほぼ同時期にアトピーが発症したと思われます。物心ついたときには、ひじや膝裏がかゆくなると、医大から処方されたステロイドの塗り薬をなんの疑いもなく塗っていたことを覚えています。
その後小学生高学年になるころには、喘息とともにアトピーもあまりでなくなりました。ところが、中学になり、毎日外での部活動に励んでいたある日、顔が真っ赤に腫れ上がり、かゆみと黄色い汁に悩まされました。地元の皮膚科にいくと、写真を撮られ、「難病開発研究所」におくられました。結局はっきりとした原因はわからないけれど、おそらくステロイド剤を塗りすぎて皮膚がうすくなり、そこに紫外線が大量にあたってアレルギー反応が出たのでは、というのが医師の見解でした。プロトピック軟膏を処方され、それをせっせと塗り、日焼けに気をつけてすごしました。
高校大学では、幸運にもアトピーに悩まされた記憶はありません。アトピーがすでに過去の記憶となっていた社会人四年目あたりに、顔にかゆみをともなう湿疹がでました。眠っていたアトピーが、ストレスによって呼び覚まされてしまったのかもしれません。それからは、またステロイド剤にたよってしまいました。しかし、そのころから、塗っている間は消える湿疹が塗らないとすぐでてくることに不安を感じはじめました。もしかして、ただ湿疹を体の内側におさえこんでいるだけではないかと・・・皮膚科医にそれを伝えると、長期間のステロイド使用は肌がくろずんだりするが、短期間なら大丈夫、だんだんステロイドのランクをおとしたり、うすめて使用したらいいと言われました。
いまひとつ納得できなかったので、皮膚科をかえ、あまりステロイドを塗りたくないという希望をつたえると、次は亜鉛華軟膏とイソザックをまぜたものや、アズノールとスレンダムをまぜたもの、レスタミンとオイラックスをまぜたものを処方されました。とりあえずそれらでごまかしながら、表面上の皮膚を落ち着かせて日々をすごしました。
ところが、出産を機にまた一気にアトピーがふきだしてしまったのです。しかも、大事な我が子のお顔にも乳児湿疹が・・・自分以上に生まれたての子にステロイドを塗ってもいいのだろうかとなやんでいたころ、知人から松本漢方クリニックの話を聞きました。
もともと漢方に興味もありましたし、早速松本漢方クリニックの門をたたきました。院長先生の早口に圧倒されながらも、理論と実績にもとずく揺ぎ無い自信に魅せられ「信じてやってみよう」という気になりました。
それからの半年弱の期間はなかなかハードで、もう二度と経験したくありません。顔や胸や指の皮膚が火傷したかのようなケロイド状態でズルズルとむけ、かゆみで眠れない日が続きました。外出もできず、買い物はすべて宅配にしていました。「本当にこの治療でいいのかな」と何度もおもいましたが、体験談の手記を読み、自分と同じ、またはそれ以上のリバウンドに悩まされたが、快方にむかっているという言葉に励まされ、治療を続けることができました。
また、一緒に薬草風呂につかっていた一歳の娘の肌がとてもきれいになったことも、私の心を支えてくれました。
子育てにおわれながら、指示されたとおりに入浴とせんじ薬、塗り薬を続け、ついに入浴とせんじ薬を卒業できました。
途中第二子にもめぐまれ、長女以上にきつい湿疹がでましたが、迷うことなくともに薬草風呂にはいり、あっという間に完治しました。ステロイド等余計な薬を一切つかっていないので、リバウンドもなくすぐに効果がでたのでしょうね。その後のオムツかぶれなどにも赤い塗り薬をぬりました。小学生と幼稚園児のふたりは、とてもすべすべなお肌です。
私のアトピーがよくなったのはもちろん嬉しいですが、それ以上に子供たちが生後まもなく漢方治療に出会え、ステロイド漬けにならなかったことを本当に幸せに思います。
現在の私は年間を通して指に湿疹がでる程度です。それから、花粉の時期にまぶたの上に湿疹がでたりします。症状が軽くなったので、ついつい診察から足が遠のいている不真面目な患者です。でも、赤い塗り薬だけは毎日かかさずお風呂あがりにぬっています。風邪をひたら、葛根湯でなおし、どうしてもの時だけ抗生物質だけのみ、アレルギー抑制剤は飲んでいません。それから、松本先生に助けていただいた感謝の気持ちだけは一生持ち続けます。
依頼されていたこの中間報告もなかなか書かず、大変申し訳ありませんでした。
こんな私ですが、これからもちょこちょこ通わせていただきたいと思っています。
「アトピー手記」匿名希望36歳2009年03月24日
私がアトピー性皮膚炎になったのは、19歳の頃です。
18歳で就職し両親が実家に帰ったため、母方の両親(祖父・祖 母)の家に居候する形で社会人生活がスタートしました。
社会に出ると学生とは違い色々なストレスが知らない間に溜まってきたのか、背中と首に赤い湿疹が少し出ていました。最初は気にせずにいたのですが、祖父から病院にきちんと行って直しておきなさいと言われ高槻病院に行きました。病院では体用の塗り薬をもらい自分ではあまり塗らずにいたのです が祖父にお医者さんに出された薬は毎日塗らないと治らないと、 風呂上がりに塗り薬を自分では手の届かない背中など体中に塗って もらっていました。症状は、塗り薬を塗ると治まるのですが暫くすると又赤くなり、湿疹の範囲がだんだんと広くなってきて顔にも湿疹が出てくるように なりました。症状が少しずつ悪くなり病院で新しい塗り薬を貰いに行くと、次は体用の塗り薬と顔用と頭皮用の塗り薬3つを渡されました。
新しく貰った薬も祖父に毎日塗って貰っていましたが、良くなるば かりか悪くなる一方でだんだんと体全身に湿疹が広がってきました。
病院で渡された塗り薬はステロイドだったのですが、その時はステ ロイドがどんな薬かも知らず毎日全身に塗っていました。もちろん 症状は酷くなるばかりで、とうとう高槻病院に1ヶ月程入院するこ とになりました。入院中、薬の種類は何か分からないのですが、飲み薬・注射・点 滴・塗り薬といろいろと投与され、退院時には全身の湿疹はウソの
ように綺麗になりましたが・・・血液検査の結果が入院最初の数値より退院時の時の方が悪くなっているので、引き続き通院をするように言われ、案の定2ヶ月もしないうちに全身湿疹(汁)だらけになりました。
これではいけないと思い、いろいろな病院をさまよったのですがぜんぜん良くならず、一生アトピーと人生を共に歩まなければならないのか悩んでいました。
月日が経って、食事療法なのでアトピーが少し楽になっていた時期もあったのですが、会社の転勤がきっかけとなり暫く調子の良かったアトピーがまた酷くなりだしました。アトピーが酷くなりこのままでは会社を休まなければならないと自分自身で判断し近くにあった市岡医院に行くと、ささきアレルギー
クリニックを紹介され、診察してもらうとやはりステロイドを渡されたのですが早く治したい一心で駄目だと分かりながらステロイドを使いました。案の定、皮膚はだんだんと悪くなり、かゆみも酷く掻きむしって体全身汁だらけになってしまいました。こうなると会社を休んででもアトピーを治したかったので相談すると診断書を1ヶ月ごとにしか書いてくれなくて、会社から色々と手続きの証明書を持って行くとその度に同じことばかり書くのかと文句を言われながら高い料金を請求され、この病院は信じられないし治せないと思いました。
やはり大きな病院がいいのかと高槻病院に久しぶりに行くと、皮膚科の女医は更に悪く、あなたより酷いアトピー患者はたくさんいるから長期治療の診断書は書けない。あなたは会社をズル休みしたいだけじゃないですか?と言われ呆れ返りました。会社を長期で休んででもアトピーを治したかったので診断書を書いてくれる病院を探したのですが、たまたまインターネットで松本漢方クリニックの
ことを知り高槻に住んでいたのに私は松本漢方クリニックを知らなかった ので、こんな近くにステロイドを全く使わない病院があったのかと 感動し直ぐに松本漢方クリニックに行きました。初めて病院に行き松本先生とお会いし、会社を長期で休んでアト ピーを治したいと相談すると、直ぐに長期治療にによる診断書を書いて頂きました。長期治療の診断書を直ぐに書いてくれる病院がなかったので、それ だけで精神的に楽になりましたが・・・ここからが大変でした。
先ず、脱ステロイドをしなければこのアトピーは治らないので、今まで弱り続けていた皮膚や内蔵を回復させるべく、毎日!苦い煎じ薬を3回飲み続け、汁だらけの皮膚を消毒するためにイソジンを体に塗りその後数分後に漢方風呂に5時間入浴、風呂から出たら全身に赤い薬を塗るように指示され絶対に治りたい一心で頑張りました。
最初の3ヶ月間は酷くなるばかりで、本当に治っているのか不安な 毎日が続きました。皮膚は一向に治らず見た目は前よりも更に酷くなり、顔からの汁も止まらず毎日が地獄の日々でした。1日中全身がかゆみに襲われ(特に食後)、睡眠することが全然できず、朝と夜は関係なく疲労のピークに達するとやっと眠れる日々でしたが、松本先生に会社を休んでいるのだから朝と夜は気にしなくての良いと言われ、この一言で楽になりました。
4ヶ月に入った頃、やっと全身の汁は治まってきたのですが、皮膚 は赤みを持ち全身のかゆみは治まらず、体中ボロボロでしたがこの 状態が6ヶ月頃まで続きました。半年をすぎると少しずつ体の変化が始まりだし、次は全身に大きな 蕁麻疹が出てその状態が3ヶ月程続きました。
新たに全身の蕁麻疹に悩まされ、もちろん体全身のかゆみは治まらずこれが一生続いたらどうしようと悩んでいましたが、松本先生に回復している証拠だと言われ、そうなんだと自分に言い聞かせながらひたすら我慢の日々でした。
(先生に痒かったらどんどん掻きなさいと言われたので、毎日体を掻いてすごしていました。)
10ヶ月を過ぎる頃に少しづつ蕁麻疹の大きさが縮小し、体のかゆみも前よりも少し楽になってきたので散歩による運動(1時間~3時間)で、体力回復に努めました。この頃から散歩効果もあったのか、やっと夜に寝れるようになってきてだんだんと体が軽くなり回復への兆しが見えてきました。長い間、煎じ薬・イソジン・漢方風呂・赤い薬を続け、適度な運動も始めてかゆみを感じなくなってきました。こうなると回復力は一気に増し、皮膚が見る見るうちに良くなり本当に自分でも驚くばか りです!体は正直でかゆみが無くなると皮膚を掻かないので、どんどんと赤い皮膚は正常な皮膚に戻り松本先生からも良くなったと診断され、結果1年間会社を休職したのですが健康な体を取り戻し元気に復職できました。
この1年間たくさん悩んで苦しみましたが、嘘のように元気に回復し松本先生に出会えて本当に良かったです。ありがとうございました。
私自身もう一つ幸せだったのは、治療を始めて1ヶ月頃に我が子を授かったのですがアレルギー(アトピー)が心配で、この苦しみを我が子には味わってほしくないと心配していたのですが、松本先生に赤ちゃんも漢方風呂に入れても良いと聞き、生まれて直ぐから漢方風呂に入浴していたおかげで、1歳になった今でも周りの赤ちゃんよりも肌は白く綺麗な皮膚状態でアレルギー(アトピー)も無く元気に育っています。
「アレルギー体質の改善に向けて」匿名希望 女性35歳2004年7月13日
最初に松本漢方クリニックを訪れたのは2004年1月9日のことでした。その2,3日前に、突然、ポツッと蚊に刺されたような赤いふくらみが足の甲に出来、それが見る間に2個、3個と増えていきました。その時は、2,30分もすればかゆみもふくらみもひいたので、「冬に蚊がいるわけがないし、何か他の虫にでも噛まれたのかな。」と思っていました。(それもいやな話ですが・・・)
そして次の日の朝、顔を洗っていると、手にかゆみを感じ、指の先から手首まで赤くなっていきました。冬の冷たい水ですから、今までもしびれるような感覚になったり、赤くなったりしていたので「手が暖まれば、治るだろう。」と軽く考えていたのですが、しばらくしても治らず、むしろ赤い皮膚の上に、ところどころ湿疹も出てきて、かゆみが増していきました。しかも、昨日かゆくなった足の甲まで、湿疹が出てきたのです。それらは不思議なことに、昼前には消えてしまいましたが、「これは、ただごとではない。」と思い始めていました。しかしながら、その一方で、かゆみも湿疹も消えたことだし、もう明日は出ないんじゃないか、という気持ちもありました。
そして次の日、不安な気持ちで顔を洗ってみると、昨日と同じように、手が赤くなっていきました。しかも、水が手首から肘へ流れ落ちると、その水の流れにそって皮膚が赤くなり、肘も、水が流れたあたりがポツッと赤く腫れ、かゆくなっていきました。足の甲も、それからさらには膝にまで湿疹が浮かび、かゆみが出てきました。「もう、これは、病院に行かないと治らない!!」そう思いました。
昨日と同様に、昼前には湿疹は消えたものの、「明日かあさってには、病院に行こう。」という気持ちには、変わりはありませんでした。ただ、どこの病院に行くかと考えた時に、かなり悩んだのも事実でした。
実は、松本漢方クリニックを知ったのは、さらにその数ヶ月前に友達と会った時のことでした。その時に、友達が、数日前から体中に湿疹が出たので、自分でインターネットで探して、それらが完治できるという漢方の病院を見つけたので、そこにに通い始めたと話していたのです。私は、その時は、アレルギー症状も出ていなかったので、当事者としてではなく、「そんな病院が近くにあるんだ、早く治るといいね。」という気持ちで聴いていただけでした。(私と友達は高槻市在住なのです)その後、その友達からの年賀状に「だいぶ良くなったよ!」と書いてあり、「ほんとに、よかったなあ。」と思っていたところだったので、自分に湿疹が出た時も、真っ先に、松本漢方クリニックが頭に浮かんでいました。以前、友達から話を聞いたときにも、普通の病院でもらうステロイドは、出ている症状を抑えるだけで、完治はできないという認識は持っていたので、漢方だったら、体質も変わるだろうし、湿疹も治るのだろうな、と納得していました。それでも、私が松本漢方クリニックに行くべきかどうかと悩んでいたのは、保険のきかない漢方もあるので、金銭的に大変かも、という思いからでした。長期間通うとなったら、かなりの経済的負担になってしまいます。他の病院で薬をもらったとしても、今の私の症状なら、すぐに抑えられるだろうという気持ちもありました。しかしながら、それは、その一時的なものであって、何かの拍子に、どこかに症状が出てくるかもしれない。今まで、湿疹、急性鼻炎、突発性難聴など、アレルギー体質のためか、ストレスが病気に出やすいのか、数々の病気を経験してきた者として、それは予想出来ることでありました。「こうして松本漢方クリニックを知ったのも、何かの縁だ。いい加減に、体質をかえた方がいい時期が来たのかもしれない。いくらお金がかかっても、自分の健康にはかえられない。」などと考え、「思い切って、行ってみよう。」と思い始めたのです。
早速、先の友達に、「松本漢方クリニックのことを、詳しく教えてほしい。」とメールすると、「松本漢方クリニックのホームページを、よく読んだ方がいいよ。」と教えてくれました。ホームページに行ってみると、なにやら目をひく字体で注意書きがたくさんあって、正直、「これらを、ちゃんと守れるだろうか。」と不安に思いました。そしてリバウンドのことも気になりました。なにしろ、今までに患った湿疹、突発性難聴などで、ステロイドを半年から一年以上飲み続けていたからです。しかし、行かないと、どうにも始まらないのです。決心がつきました。
次の日、松本漢方クリニックが木曜で休みだったため、翌々日の金曜に、松本漢方クリニックに行きました。最初の問診をしてくださる看護師さんに、私の過去の病歴を話し、ステロイドも飲んでいたことを話すと、「ストレスを抱え込みやすいんやな、でも自分がしんどいだけだから、治していかな。」と言われ、ほんとにそうだと、しみじみ思いました。その後、松本先生の診察が始まりましたが、病院に通えない患者さんから、ひっきりなしにかかってくる電話の応対をしながらの診察で、最初は面食らってしまいました。(笑)松本先生は大きな声で「リバウンドは出るけれど、徐々に少なくなって、治るから。」と言われ、カルテにささっと山型のグラフを描かれたのが印象に残りました。そのグラフの右端、リバウンドが0(ゼロ)になるところを、私はこれから目指していくんだと思うと、なんだか身が引き締まる思いがしました。
しかし、薬の使い方の説明や、他の市販の薬やタブレットは一切禁止というのを聴くにつけ、納得しつつも、ちゃんとできるだろうかという不安が、またまた湧いてきていました。
帰って、早速、煎じ薬を作りましたが、火加減が強すぎて、二番煎じくらいで焦げ付いてしまいました。飲み慣れない苦さに、1日分を飲み終わるころには、すっかり胃が重たくなり、これが毎日続くかと思うと、うんざりしてしまいました。友達に「行ってきたよ。」とメールを打つと、友達は、すぐに自分の体験をまじえながらの返事をくれました。身近に、同じようにがんばってる人がいることは、ほんとに心強いものでした。と同時に、あらためて、リバウンドのすごさや漢方風呂の大変さを教えてもらい、自分もそうなるのかもと、すごく怖くなりました。でも、「ここを乗り越えなければ治らない!友達や他のたくさんの患者さんが乗り越えて来た道なんだ。」と自分に言い聞かせました。
次の日は、前日と同じように、顔を洗っていると手に湿疹が出てきました。足にも出て、なんだか足の裏までかゆいのです。「いよいよ来たか」と覚悟をしましたが、1時間後くらいには、湿疹は消えていました。また夕方に少し出ましたが、それも同じように消えていました。
だいたいそんな調子で一週間が過ぎていき、二回目の診察の日が来ました。検査結果は、ダニとガと食物の数値が少し高いくらいで、むしろIgE数値は、基準値より低いくらいでした。その検査結果と症状の様子から、漢方風呂はなしで、煎じ薬のみになりました。そのうち、あんなに面倒で味になじめなかった煎じ薬にもすっかり慣れ、生活の一部になっていきました。
リバウンドは、前述の通り、だいたい朝と夕方に湿疹が浮かび上がって、消えて行きました。これが湿疹の不思議なところなのですが、なぜ、今回、手首までと肘、足の甲と裏、膝だけなのか・・・。昔出た湿疹は、お腹と背中に出て、ずっとかゆみがあったのです。でもそれゆえ、まだまだ油断はできないなと思いました。「いつ何時、どこに出るかは、神のみぞ知る」大げさかもしれませんが、私にとって、湿疹とは、まさしくそのようなものでした。
それでも、一、二ヶ月を過ぎたころから、徐々に湿疹の範囲が縮小しているような気がしてきました。ほこりっぽいところで、くしゃみが出たりしていたのも、なくなったのです。体質が改善されてると、実感した瞬間でした。
しかし、その間に風邪をひいてしまい、市販の薬も飲まず、安静にしていたのですが、どうも、なかなか治らないので、耳鼻科に行ってみると、副鼻腔炎で、抗生物質を飲まなければ治らないとのこと。漢方を飲んでいるので、他の薬は飲んではいけないということを、耳鼻科の先生に言うと、「それは、松本先生に聞いてみた方がいいですね。」と言われました。そして、すぐその足で、松本漢方クリニックに行き、診察を受け、耳鼻科でもらった処方箋を松本先生に見せました。幸いにも、松本先生から、「この抗生物質は、飲んでもいい。」と言われたので、抗生物質と漢方の両方を飲み、副鼻腔炎も、おかげさまで治りつつあります。このように、他の病気で、病院を掛け持ちする場合は、必ず双方の先生に相談すること。これは非常に大事なことだと思いました。
そして4,5ヶ月目になると、湿疹も2,3日おき、4,5日おきに少しずつ出るといった感じで、6ヶ月目になると、ほぼ湿疹が出なくなりました。そのかわり(といってはなんですが・・・)、3ヶ月目頃から、昔から出ては消えを繰り返していた頭皮の一部が、またかゆくなってきました。頭皮が赤くかゆくなり、時々フケみたいなかさぶたが取れるのです。ですが、それも、最初に頂いていた赤い塗り薬を毎日ぬっているので、徐々に少なくなりつつあります。
他に症状もないので、その頭皮が治れば、もう完治は目の前!そう信じています。その間にも、松本漢方クリニックを教えてくれた友達と、ずっとメールで、お互いの症状などを連絡しあい、励まし合っておりました。その友達も、めでたく、数ヶ月前に完治し、松本漢方クリニックを「卒業」しました!!
私も、体質改善できた後も、ストレスとうまくつきあい、上手に発散し、身体を大切にしていきたいと思います。このことに気付かせてくれた松本先生、医院のスタッフの皆様、友達には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
私がはじめて松本漢方クリニックに通うようになったのは、平成10年の冬でした。
体の関節にアトピーが出てきたからです。それまで私はアトピーとは無縁だと思っていたので、自分でも驚きました。以前からイネ科の花粉症で夏になるとくしゃみが止まらないひどい状態で、花粉症の薬をずっと飲んでいました。でも、それがアトピーと関係あったということは全く分かりませんでした。
仕事をはじめ、いろいろなストレスもあって、アトピーとなって体に出てきました。知り合いの方から松本漢方クリニックを教えてもらい、通うようになりました。
さっそくせんじ薬をもらい、体にはぬり薬をもらって塗りはじめました。
リバウンドですごいひどい時もありましたが、漢方風呂に入るようになって少しずつ肌がきれいになっていくのを実感しました。せんじ薬はなかなか毎日続けて飲めませんでしたが、先生は全くそんな私を怒られることはありませんでした。そしてだんだんよくなって体のアトピーはきれいに治りました。しばらくすると、今度は顔に出てくるようになり、松本先生とお話して風邪薬や目薬などでもステロイド剤が入っているからということも教えて頂き、風邪を引いた時には松本漢方クリニックで出してもらった風邪薬を飲むようにしました。するとよく風邪を引いていた私があまり風邪を引かなくなり、風邪の引きはじめに飲むようにすると、風邪を引いてもひどくならないうちに治っていました。免疫力が上がってここ数一年はほとんど風邪を引いていません。本当にこれは不思議でした。顔に出ていたアトピーも冬の乾燥する頃になると出るくらいになっていて、冬になると頑張ってせんじ薬を飲んでいました。でも、顔に出ていたアトピーも昨年から全く出ないようになりました。ここまでくるまでに何年もかかり、顔にアトピーが出ていた時は目立つのでとても嫌な思いもたくさしましたが、今は松本先生のおかげでアトピーは治りました。治るまでに何年もかかったので、「本当に治るのか。」「いつになったら…。」と思ったこともありましたが、途中で止めてしまわなくてよかったと思っています。松本先生には感謝しています。ありがとうございました。
「鼻炎とアトピー手記」31歳女性2006年10月21日
手記を書くことが目標だったので、こうして書く機会を与えて戴けたことは何より嬉しいです。私がアレルギーを自覚したのは、小学校2年生か、3年生ころだと思います。ゴールデンウィーク中に友達と外で遊んでいるときに、突然鼻水が止まらなくなり、目が痒く、涙で目もぐちゃぐちゃ、持っているハンカチでひたすら鼻と目をぬぐっていたのを覚えています。
それから季節の変わり目、気温の寒暖差で同様の症状は出るようになり、寒い日の朝、鼻がぐずぐずし、くしゃみを連発、家族からは、「静かにしろ、また風邪をひいたのか」と怒られ自分の自己管理がなっていないからだと自分を責める日々でした。
小学校5年生の頃から、咳を伴うようになり、一度咳が出ると、なかなか止まらず、学校の授業中に咳が出ると、クラスメートに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。咳も気温が下がると出やすく、夜中の気温が下がったときは一度で出すと一時間以上も続き、夜寝るのが怖かったのを覚えています。
この咳の症状は、当時習っていたピアノの先生が勧めてくれた漢方薬(小青龍湯)を三箇月ほど服用していたら改善されました。相変わらず、鼻炎は続いていたのですが。
小学校高学年頃から家の掃除を手伝うようになり、台所用洗剤、風呂用洗剤など手袋をはめずに素手で扱っていた為か、中学校入学したばかりの頃から手に痒みを伴う水泡ができ、掻いて水泡がやぶけると手に切り傷がいっぱいでき、それでも素手で家事をしていたため、手がパンパンに腫れていました。
近所の皮膚科へ行き、薬をもらって塗っていたらすぐに手の水泡はなくなり、きれいな手にもどります。治ったと喜ぶと、また水泡ができ、掻いて破けて・・・薬を塗って・・・この繰り返しでした。
ある日、母が皮膚科でもらった薬を近所の薬局の薬剤師さんに見せたそうです。
処方された塗り薬が強いステロイド剤であることを知った母は、すぐに私から薬を取り上げました。(リンデロン)替わりに買ってきたのが馬油だったと思います。このとき母が私から塗り薬を取り上げなかったら・・・私はもっと強いステロイドを処方されていたかもしれません。皮膚科へも行かなくなりました。
相変わらず手の湿疹と鼻炎に悩まされる日々が続きます。
思春期のこの頃に、手が恥ずかしくて見せられないというのは精神的にも辛い時期でした。常に指の節の何箇所かが切れていて、手を洗うのも痛い。
手は絆創膏だらけ、水泡が破けて出てくる汁が痒みをさらに広がらせ、湿疹がどんどん広がっていく状態でした。それでも高校受験、高校進学、大学受験とこなしていけたのは、自分でも不思議です。鼻炎は気温が安定していればあまり出ないものの、湿疹は常にあったので、夜明け前の時間帯が一番痒くしょっちゅう目を覚ましていました。
寝不足で朝はフラフラの状態で、電車に乗って通学していました。
一番酷かったのは喫茶店でアルバイトをしていた大学1年から3年の夏です。
恐らく消毒に使う漂白剤で酷くなったのだと思いますが、手は真っ赤に腫れ、曲げられないくらいまでになりました。なんとか曲げても第一関節がやっとの状態です。自然原料のシャンプーに変えたり、金属アレルギーではないかと歯科へ行って検査してもらったり、漢方薬を飲んだり色々試しましたが、どれも解決に至りませんでした。
大学1年の冬にインフルエンザに罹り、そのとき飲んだ薬で全身に湿疹が出たことがあります。
ベンザエースですが、それまでにでなかった、顔、腕や肱、足の潰瘍状の湿疹顔にヘルペスができ、精神的にも参りました。
皮膚科の権威の先生がいるとの近所の人の勧めで中津にある済生会病院へ行き、診察を受けました。
「ベーチェット病の疑いがあるなあ」とおっしゃる権威と言われる先生
「あの、ベーチェット病とはどんな病気なのでしょうか?」と私が尋ねると
「ああ、難病の一種やな」笑顔であっさり答えるその感覚に不信感を覚えました。
検査の結果、ベーチェット病ではなかったのですが、そのときに処方されたのは、飲み薬のステロイドでした。
母が「もう行かなくて良い」と言ってくれたのを幸いに、二度とそこへ行くことはありませんでした。
その後、ルイボスティーがアトピーに良いと言われれば飲んでみたり(口に合わず、習慣づけは失敗に終わりました)色々試しましたが、諦めていました。
二十一歳の夏に、高槻へ引っ越し、母がたまたま偶然松本漢方クリニックへ行ったことが私の転機の始まりでした。
母は昔から新薬は大嫌いで、漢方薬が大好きでした。
母の新薬嫌いがなかったら、私はステロイド漬けでアトピーも酷い状態になっていたことだと思われます。
といっても、どこの病院へ行っても私の湿疹は「主婦湿疹」と言われ、洗剤に直接手を触れないように、塗り薬を塗るように言われるくらいだったのですが・・・
母の勧めで松本漢方クリニックへ行ったとき、漢方薬独特の臭いと聞えてくる大声にびっくりしたのを覚えています。
先生と初めてお目にかかったときは、迫力にただただ圧倒され、言いたいことの半分も言えなかったのではないかと思われます。
ただ心に残った言葉が「絶対治したるで」これはすごく勇気づけられました。
その後、看護師さんから説明を受け、自分の虚弱体質はアトピーから来るものであることを理解したとき、親から理解してもらえない辛さを打ち明けたとき、涙を止めることができなかったのを覚えています。
アトピーが治れば・・・私は健康になれるのだ、頑張ろう。
それから煎じ薬を飲み始めたのですが、私の場合、皮膚へのリバウンド症状はなく下痢が続いたり、胃の調子がおかしくなりました。
煮出すのは二番煎じまで、一番煎じも二番煎じもお湯で薄めて三日かけて飲むとそれらの症状は治まりました。
一年半くらい通っていたと思います。
が・・・大学を卒業し、就職した頃から私は通うのをやめました。
若かったのだと思います、すぐに結果が出ないことに苛立ちもあったのでしょう。
その後、25歳で結婚し、堺へ住むようになり、生活環境が変わったのか、再び手の湿疹に悩まされる日々が続きます。
料理を作る際、野菜を切るときに野菜から出てくる汁にかぶれ、かゆみを我慢しながら料理の下ごしらえをする、痒さに耐えかねて掻いてしまうと手が切れてしまう・・
手の節々に絆創膏を貼り、夫の実家がすぐ側にあったので義母に事情を説明し、夫の実家で食事を一緒にするという生活に切り替わりました。
このままじゃいけない、これでは子供ができたら大変だと再びアトピーと闘おうと思い、地元の漢方薬を扱う薬局に行き、一年ほどそこで処方される漢方薬を飲んでいましたが、症状は改善されることはありませんでした。
結局そこも自分の判断で通うのをやめました。
再び松本漢方クリニックの扉を叩くのは、二年前にはじめて花粉症になったことです。
これまで私はスギ花粉には反応したことがありませんでした。
時期が3月、4月だったのでヒノキに反応したのだと思いますが、鼻水だけでなく、鼻詰まりで頭が重く、ある晩、酸欠状態になり、眠れなくなったのです。
このままでは私はアレルギーで死んでしまうと本当に思いました。
実母に相談し、ようやく高槻へ帰省する際、松本漢方クリニックへ行こうと思い立ったのでした。
再び先生の診察を受けたときに、これまで全然理解できなかったことが理解できました。
先生が患者さんに対して怒鳴っている声が正直怖くかったのですが(若い頃)この怒りは患者さんにぶつけたものではなく、それまでその患者さんを診てきた医師たちに対するものであることがわかったとき、今度は絶対に先生から「手記を書きなさい」と言われるようになるまでは治療を根気よく続けていこうと固く心に誓いました。
私の場合、アトピーよりも鼻炎の方が辛かったので、当初は鼻炎の症状が治まってきてからアトピーの漢方へ移行していったのだと思いますが、鼻炎に関しては、即効性があったように思います。
あの目の痒み、鼻詰まりが嘘のように取れ、快適になったのです。
季節の変わり目の鼻炎も出ません。
アトピーは、この半年で症状がほとんど出ないようになりました。
炊事も素手で行えます。
なにより嬉しいのが、以前はちょっと外出しても翌日は体がだるく、鼻炎が出たり、疲れが取れなかったのが、今は全くそのような状態にならないということです。
素手で掃除や炊事が行えることが何より嬉しいです。
時折、二十代のうちに短気を起さず、真面目に通っていればもっと早いうちに鼻炎とアトピーとさよならできたと思うのですが、
真剣に治したいと思ったのが結婚してからだったので、これで良かったのだと思います。
あと少し、お世話になると思います。
先生から一日も早く「もう飲まなくてもいいよ」とおっしゃっていただける日がくるまで私は毎日漢方薬を煎じ、飲み続けるつもりです。
この手記が読んでくださる皆さんの心の支えになれば幸いです。
「アトピー治療の中間報告」31歳女性2005年2月18日
人生の晴れ舞台、結婚式。でも、結婚式の2週間前だというのに、顔は、人生最高に真っ赤に腫れ上がっていました。
ここ5年、顔に炎症が出ることに、困り果てていました。年中炎症があるわけじゃなく、なんかの拍子にでて、居座る・・・といった感じです。いったん居座りを始めると、3ヶ月は悩まされます。顔全体が腫れ上がり、汁がでて、熱くて、痒くて・・・そんな顔なのに、2週間後に結婚式を控えていました。
手あれがでても、顔が腫れ上がっても、ステロイドを絶って、はや7年くらい過ぎていました。ステロイドが怖いという話が、アチコチから出始めた頃から、我流でやめていましたが、結婚式の為に再開するのか・・・と、あきらめかけたこともありました。そんな時紹介してもらったのが、「松本漢方クリニック」でした。
松本先生の意見と、私の家族の意見が、全く同じだったので、結婚式までの2週間、先生にかけてみようと覚悟しました。松本漢方クリニック初日、先生の「掻いてもいい」という言葉で、深夜、痒くて眠れなかったので、初めて掻きました。掻いても掻いても痒いのですが、なんとか気が済んで、掻く手を止めると、顔全体から汁がジュワジュワ出続けました。水をぱんぱんに含んだ風船の表面を、うっすら傷つけて、そこから、中の水が、どんどん、どんどん染み出るような感覚です。冬に、結露がついてる窓硝子のようでもありました。その「結露」を、化粧用コットンで拭くというより、下から上へ表面をこそぎとるという感じで、何回も何回も拭き続けました。こんなにも汁がでることは初めてだったので、体験記で読んでいたにも関わらず、不安で、怖くて、辛くて、気が狂いそうで、涙が出ました。一通り、気が済むくらい拭いて、汁が落ち着いた後、きちんと消毒し、お風呂の一番水をつけ、やっと眠りました。
すると、翌日!!!むくみが少し落ち着いていたのです。それから1週間、毎日、お風呂に、朝、夕1時間ずつ入り、一度リバウンドらしくなりながらも、なんとか「まし」になってきました。でも、あくまでも「まし」です。汁が出て、むくみが落ちついた翌日、顔の赤さはまだまだひどいものですが、むくみが落ちつたので、気持ちが軽くなりました。毎日すこ~しずつ、赤みがうすくなってきている気がし、お風呂にはいり続けました。
一週間後、回復へ確実に向かっていると感じることが出来た勢いが、再びとまり、また悪くなっているようになって、あせりました。でも、通い始めよりは悪くなっていなかったので、信じました。でも正直、私の心は、アキラメの言葉が出つつありました。
そんな時、家族の「絶対(結婚式に)間に合うわ!!大丈夫やわ!!」って言う言葉に、何度励まされたことか。そんな声に、暗示をかけられ、信じる気持ち(信じたい気持ち)と、アキラメの気持ちを両方抱えて、私に出来ることは、お風呂に入る事だけだったので、入りまくりました。
とうとう迎えた結婚式の当日。当日も朝5時に起き、1時間お風呂に入って、スタンバイ。化粧室に通されて、どんどん化粧を重ねていき、ウェディングドレスを着て、家族の待つ控え室に。親戚は、「うわ~!!(綺麗な~っていう気持ちの)」だったのに対し、家族は、「うわ~(間に合ったか~!という、安堵と喜びの声)」でした。化粧を重ねてもらうと、なんとか大丈夫な顔になっていました。
後で写真をみても、ライトの関係で、何枚かはひどいシワもありましたが、光の具合がよい写真などは、本当に綺麗な花嫁でした。
毎日お風呂に2時間入っていたので、体重も4キロ落ちていました。戦ってる時は、体重計に乗る気力なんて無かったので、結婚式が終わって、体重計にのって、驚きました。
一緒に立ち向かってくれた家族の、「うわ~」を、今でも忘れません。
長々と書きましたが、私の肌荒れは、指先の主婦湿疹?から始まったという事が、本当にくやしい限りです。簡単に、ステロイドを指先に塗っては治まり、また出ては塗り。何年後かに、再び出たときには、手全体に。また何年後かには、顔に・・・・
今でも、すっかり出なくなったわけではありません。でも、「ヤバイ」と感じると、またお風呂に入り、耐えることが出来ています。ひどくならずに、快方へ向かうというのでしょうか、そんな状態です。
ステロイドの危険性が私の耳に入り、幸い、私も、7年くらいステロイド絶ちをしていたので、松本先生にも、「2週間は、賭けや。」といわれたのですが、賭けに勝ちました!2週間で結果が出せましたが、それでも苦しかったです。
でも、今では、自分で回復できるということも分かりますし、喜びでもあります。何のアレルギーか分かっている人はいいと思いますが、原因不明でアレルギーがでる、私のようなタイプは、自分のカラダで立ち向かうしかないのだと思います。
2月のはじめに、また前触れなく、顔に炎症が出始め、怖かったのですが、お風呂に入って回復しました。
今回は中間報告ですが、早く結果報告が出来るようになりたいです。