「脱ステロイドを人生のテーマとして(アトピー手記)」
39歳2015年5月16日
39歳2015年5月16日
20年前に訪れた松本漢方クリニックに、また通い始めて半年ほどになります。今は9才になる息子の為に通っています。息子は膜性腎症と言う病気です。私が松本先生にお世話になったアトピーとはかけ離れた病名ですが、巡りめぐって、最後の砦、松本漢方クリニックへ参りました。でも、息子を連れて松本漢方クリニックへ通う選択がきたのは、今までの巡り合わせがあったからこそだと、色々な出会いに、深く感謝せずにはいられません。その最後の選択を、最初の選択にすれば良かったと、後悔もありますが、今は粛々と息子に漢方を飲ませることに専念しています。そして、息子の手記の前に、20年前書けなかった手記を書かせていただきます。
私のアトピーは子供の頃からのもので、ステロイドで誤魔化しながら成人まで過ごしていました。勿論、ステロイドがいかなるものかという知識は全くありません。自身が塗ってきたものがステロイドということすら知らない人間でした。大人になり、社会に出て1人暮らしを始めた頃から、手の指の痒みが今までにも増して酷くなり、水泡から汁が吹き出ては瘡蓋になり、水泡ができて掻いてめくれて汁が出ての繰返し、全ての指にティッシュを巻いてその上から絆創膏を巻いたりテープで止めて出勤していました。見かねた他の職員が声をかけて下さり、そこで初めて松本漢方クリニックの存在を知ったのでした。
20年前のことで、細かな記憶は薄れていますが、鮮明に覚えているのは、新しい痒みはさっさと治っていき、過去を遡るように痒みが治っていくことに感動したこと、痒かった肘の関節部分が真っ赤にアザのように皮膚が盛り上がり(夏だったので、道行く人が見てくるくらい)何ヵ月も赤みが取れなかったのが、ある日ふと気付くと色が薄くなっていて、明らかに正常な皮膚が下に控えているような感覚があり、いつも漢方を煮出してくれていた母に、「なにこれ!?皮膚の感覚が変!なんか違う!!」と何度も指で皮膚を触り、この下で何が起こっているんだろうかと、その感覚が不思議で不思議でたまらなかったことは今でもはっきり覚えています。そうなってからは、治るまで凄く早かったように思います。
結局、1年も通わずして治ってしまいました。当時お付き合いしていた方にも「絶対治るよ、やるかやらないかは自分次第やけど・・・」と松本漢方クリニックを紹介し、全身アトピーだった彼は結局1年休職して治療に専念することになりました。治る兆しが見えた頃に別れてしまい、私も指が後少しで治りきるという所でしたが、彼がストーカーのようになったので、気持ち悪く、会うかもしれない松本漢方クリニックへ行きづらくなり、手記を書かずしてそのまま20年、訪れることがなかったのです。
しかし松本漢方クリニックで身をもって体験した出来事により、「脱ステロイド」が私の人生のテーマとなりました。「脱ステロイド」をテーマに掲げ(大袈裟ですが(笑))出産で首が荒れてしんどかった時も、子供に湿疹ができた時も、眼科で塗り薬をいただいた時も、旦那に蕁麻疹ができた時も、義母が子供の虫刺されにステロイドを塗っておきなさいと持って来た時も、角が立たないように塗る振りをして塗らずにいました。ハチに刺された時でさえ塗らず、とにかく、ありとあらゆる皮膚トラブルには断固塗らない体制を維持してきた20年でした。
そして、ずっとずっとずっとずっと、ステロイドは使わない!が念頭にあったからこそ、阪大での息子の治療方針に「待った!!」をかけられたんだと思います。
手記が遅れましたこと、お詫びいたします。息子の手記が書ける日は、まだ先になりそうですが、本人の免疫力を信じて見守っていきたいと思います。