「喘息・アトピー手記」
41歳2014年11月21日
41歳2014年11月21日
松本漢方クリニックで治療を始めておよそ4年になります。最初に病歴をお話しします。幼少時はアレルギーが出たことは一度もなかったです。高校1年の秋、突然両目の周りが、かぶれました。まるでパンダの様でした。年頃だったので恥ずかしく、普段かけない黒縁メガネをかけて隠しました。高校卒業し社会人になった辺りから、通年性鼻炎の症状が出始めました。刺激物や空気の変化に反応してはよくクシャミをしていました。21歳の春、とても酷い結膜炎にも初めてなりました。24歳の夏、両腕肘の内側に湿疹のような症状が広範囲にできました。アトピーのように見え、こんなこと一度もなかったのにと不思議に思っていましたが、その夏の間に症状は消えていました。
29歳、色んな環境が変わったり今まで経験したことないようなストレスを抱えていた時期でした。風邪でもないのに春頃から咳が出始めました。この時は昼間にしか出ませんでした。それ以降、出たり出なかったりを繰り返しながら、治療することもなく2年位が経過しました。ある時、風邪をひいた時に今まで経験したこともないような“発作”に襲われ、死ぬのではないかと思ったほどでした。すぐ救急に行ったのですが、まさかの気管支喘息と言われ、点滴や吸入みたいなのを受けて帰りました。数年前からの咳はその為…ショックでした。
それ以降、発作予防のためフルタイド吸入を使うようになりました。気管支拡張剤のシールも使用。昼間に出ていた咳が夜中~朝方に移行したのはこの頃位だったように思います。それからというもの、風邪をひく度に発作を起こしてました。点滴も何度かしました。2007年6月。34歳、旅先で風邪をひいてしまい発作が出てしました。発作をしずめるメプチンエアーを所持してなかったのでどんどん悪化していき、ついには救急に運ばれることに。即入院と言われましたが旅行中であった為、帰るまでの間に3度の点滴を受け、何とか地元の病院で入院することとなり、2週間後に退院しました。その後はまた昼間にも咳が出ては風邪で発作を起こしていました。
フルタイドは継続。2009年11月36歳。また過度のストレスを抱えてしまいました。この頃から腕に湿疹がポツポツと出始めました。同じくして私の知人(後に松本漢方クリニックを紹介してくれた)も肌の不快な症状が出ていました。彼女はヘルペスで既に松本漢方クリニックでお世話になっていたみたいで、この時も迷わず松本漢方クリニックに行っていた様です。しばらく様子をみていた私の湿疹は治る気配がないので、何のためらいもなく皮膚科に行きました。診断はアトピー性皮膚炎とのこと。喘息同様出るべくして出たのかな…と思いました。そこで数種類の塗り薬を出されました。勿論ステロイドです。顔に塗る薬を『これは薄く塗って下さい』と言われました。言われた通り薄く塗っていました。
でも症状が改善されることがなかったので、また同じ皮膚科に行き新たな薬を処方されました。この時5種類の塗り薬を塗っていました。それでもやはり良くなるどころか少しずつではありますが悪化していきました。ステロイドの怖さを知らない無知だった私は、薄く塗るように言われた薬を、1日何度も塗り直していました。松本漢方クリニックで治療をしていた友人はと言いますと、途中首の辺りがリバウンドで真っ赤に腫れ上がっていましたが、1年後にはすっかり治っていました。私は…ステロイドを“お守り代わり”のように塗り続けてましたが一向に治らないので途方に暮れていました。そしてようやくこのままではいけないと思い、松本漢方クリニックについて友人に聞いてみました。
2010年10月。『絶対治してあげる!』と力強く握手して下さった先生の言葉を励みに、アトピーと喘息の治療が始まりました。帰ってから早速、漢方を煎じました。私は2日後からおでこにリバウンドと思われる症状が出始めました。それはみるみるうちに範囲を広げ今まで経験ない得体の知らない黄色い汁(リンパ液)も出てとても恐怖を感じました。その矢先(漢方飲み初めて5日後)突然高熱が出て喘息の発作まで出てしまいました。これまでの発作時も勿論とても苦しい思いをしましたが、今回は比較にならない苦しさでした。お恥ずかしい話し、あまりの辛さに何度も失禁してしまうほどでした。
発作を止める吸入器は使ってはいけないんだと勝手な自己判断で数日間死ぬ思いで過ごしましたけど、松本先生に電話した時使っても良いことを知りすぐに送って頂きました。先生からは強く励まして頂きました。勿論喘息の煎じ薬を飲み、吸入器も正しく使い発作が少し落ち着いてきたのは発症してから6日後です。あの時は本当に死んでしまうのではないかと思いました。喘息が落ち着き始めてから次はアトピーのリバウンドがいよいよ本格化してきました。おでこから目の周りと段々顔中に広がっていき、顔の凹凸がなくなるほどパンパンに腫れ上がり性別もつかないくらい顔が変わってしまい、気持ち悪いほどリンパ液も出てきてそれはそれはとても不快でした。
そして今まで経験したことない激しい痒み。体の中から突き刺す痒み。あまりの痒みに短く切っていた爪ですが激しく立てると血が滲み出てきて…痒みが強く襲ってくる時はうずくまり唸るようにこの行為をしていました。顔中、血まみれとリンパ液で本当に何とも言えない状態でした。朝になるとリンパ液が固まっていて、人間の顔とは思えない例えようのない恐ろしい状態でした。そんな顔を見られたくなく家の中ではうつむいていることが多かったです。私の場合、症状はおでこから始まり顔、耳、首、胸、腕と徐々に下へ広がっていきました。腕は手首までの一面火傷したようになり肘の内側は切れて伸ばすことができなくなりました。そのせいで稼動域が狭まり何をするにもとても不自由でした。耳の症状もとても酷かったです。耳の中からも汁が垂れ流れ、耳切れもしていて、耳裏までリンパ液が出ていました。耳ひとつだけでも本当に辛かったです。上半身から出るリンパ液で服がじっとり湿ってきますが、着替えてもすぐ湿ってくるほどでした。
首にタオルを巻いてみたのですがチクチクする為止めました。漢方風呂は色んなことから解放されるので出来るだけ長く入ろうと思い、長い時で8時間位入ってました。ヤカンに水を入れて頻繁に水分補給をしていました。携帯も持ち込み手記を読んだり、湯船に浮かんだ皮膚の量で回復度合いを図っていました。夜は痒みで殆ど睡眠とれず朝方に少し寝る程度でした。夜はとにかく嫌な時間でした。クリスマスになる頃には一番酷い状態から比べて、少し状態は落ち着いていたように感じます。それでもまだまだ外出できるようなものではなかったです。お正月が明けて間もなく、また喘息が出てしまいました。軽い発作ではなかったですが、吸入がある安心感から前回ほどの辛さは少なく感じました。勿論、喘息の煎じ薬も飲みました。飲むことでの安心感もありました。吸入を使うのは前回よりも少なく苦しい時間は短かったです。
日数的にも発作が落ち着くまで前回が1週間、この時は3日ほどでした。喘息が出ている時は不思議と肌の状態が落ち着きます。症状は肌か気管、どちらか一点に集中して吐き出させているのかと思いました。ですので発作が治まったら、またリバウンド症状が少し悪化(元の状態)してきました。でもこの後、しばらくしてから炎症部分が少しずつ少なくなっていきました。いつ回復するのか先の見えない治療に、内心ずっと不安でいっぱいでしたが、元の肌が少しずつ見えてきてようやく回復の兆しを感じることができました。快方期に入ったと思えた時期です。仕事復帰も考えるようになりました。そう思えるまで、漢方飲み始めて約3ヶ月目です。ここからの回復のスピードもまた早かったように思います。
リバウンドが出てからずっと外出できませんでしたが、2月になり元の肌が増えてきたので仕事復帰に向け体力をつけようと散歩を始めました。しかし、運動による発汗で痒みが増してきたので散歩は中止しました。でも快方期と思えてからの肌状態は、私を裏切らなかったです。日に日に確信してきました。
2月27日。ようやく仕事復帰を果たせました。その後は、少しの痒みや症状を残しながらも大きなリバウンドも無く数ヶ月と過ぎていきました。同じ年の11月終わり頃、目の周りが赤く痒みが出てき始め…仕事は騙し騙し行っていましたが、12月5日朝目が酷く腫れ上がりリンパ液も出始め、ついに仕事を休んでしまいました。そこからの悪化はあっという間でした。3日後には顔中に広がっていました。あの闘いはもう終わったんだと思っていただけにとてもとてもショックでした。変な話し、最初のリバウンド時より精神的な打撃が大きかったのです。そんな状態で数日間酷く落ち込んでいました。
その間も漢方は飲んでいましたが…。しかし、今まで漢方の力を借りて自分の免疫力を高め、信じて治療を頑張ってきたことを思い出し、また闘おうと誓い直しました。12月末はまだ外出出来る状態ではなかったですが少し落ち着いきました。でもここからが長かったです。1度目のリバウンドより状態は酷くないのですが良い悪いの波が激しく、結局仕事復帰したのは翌年6月でした。その後のリバウンドは何度か繰り返してます。でも仕事を休む程ではありません。
現在、2014年11月。目の周りが赤くなりリンパ液が出てますが、数週間で治まるだろうと思ってます。喘息の発作も出ることなく現在に至ります。
手記が大変遅くなってしまったこと、この場をお借りしてお詫び致します。本当にすみませんでした。松本先生と出会い、先生の激励、漢方の力を借りながら、苦しいリバウンドと発作に耐え今まで闘ってきました。その大きな支えと励みとなったのは皆様の体験談が詳細に書かれた手記、そして家族の理解と協力無しには乗り越えることは到底できませんでした。私だったら…あんな酷いリバウンド状態の家族を何も言わず見守り続けることができるか分かりません。そして松本先生。これからもうしばらくお世話になると思いますが、どうぞ最後まで宜しくお願い致します。