「アトピー手記」匿名希望79歳2013年6月18日
アトピーの治療を振り返って
一昨年12月半ば頃、突然背中に痒みをおぼえ、2・3日すると痒みの箇所が他に移って行くので、A皮膚科医院を訪ね診察を受けると乾燥性の湿疹だと診断され、「綿の肌着」を着なさいと言われて薬を出された。今日まで、何十年来いろいろな肌着を着用して来たが、まさか肌着で急にこんな事にはならないだろうと思いながらも薬を塗っていた。塗ったところの痒みは治まったが、様子が芳しくないので2ヶ月程過ぎた頃、原因を知りたくて医院を変えて、B皮膚科医院で診察を受けるとやはり乾燥性の湿疹だと、診断は同じであった。
この頃、親指や人差し指の付け根に米粒くらいの硬い出来物が出来てきていた。水痘性の湿疹でこの薬が良く効くからと、A医院とは違うやや水色がかった軟膏や、水痘性の湿疹に貼り薬を出された。一時的には効いたが状態は一進一退で、ここでも約2ヶ月位い続けていたが一向に良くならず、暗澹とした気持ちになった。両医院で出された薬がいずれもステロイド系の薬であった。過去にステロイドはよくないと話題になったのは記憶にあったが、これまで使用した事が無かったので、どう良くないのか分からず、大丈夫かなと思いながら塗っていた。結局、両医院では症状の原因は分からずじまいであった。
果たしていつまで続くのやらと不安になり、4月に入り駆け込み寺の思いで「松本先生」を尋ねた。開ロー・番、「アホ、なんでもっと早く来なかった」ど度肝を抜く一声、「こんなことで死ぬことは無い、必ず直してあげる」との言葉に救われた気持ちなりました。
ただしきついリバウンドがある事を承知しておいて下さいとも言われた。
血液検査の結果、食べ物や花粉などによるものでなく、空気中の埃や食品の中から、今まで摂取した物と異なった化学物質が体内に入った場合、高齢で抗体が弱っている為、これらの化学物質に対する抵抗力が低下しているので、これらの化学物質と共生出来るように改善しなければならないとの診断で、原因も分かって半ば安心した。
煎じ薬・薬湯・塗り薬による治療を始めて2・3日すると先ず背中に、第1回目のリバウンドが出始めた。初めは湿疹も「点」であったがだんだんと広がって「面」になり、薬を塗るにもカを要した。二人暮らしの為、背中への塗り役を妻にしてもらった。湿疹も「点」から「面」に広がって来ると、薬を塗るのにもカを要し、その結果、妻も体を痛め今では二人して松本先生にお世話になっている。背中に続き、足・腕・腹部と、次から次へと体中いたるところにリバウンドの症状が現れたが、頭部と顔面にはきつい症状は出ていない。
リバウンドの症状が背中一・面に現れた時には胸をそらすと、背中がツッパッた感じで胸をそらすことも出来ない感じであった。同時にリンパ:液や漿:液が出るようになり、痒みも伴い、就寝時にはバスタオルを体に巻いて寝たが、体液で濡れ、何度も取り替える為に睡眠出来ない夜が何日も続いた。
肌着やタオルなどが体液や薬の色などで汚れ物も多く、一日に何度も洗濯機を回してくれた妻にも随分面倒をかけた。症状はその後、2回目・3回目・4回目とリバウンドが繰り返し現れたが、経過と伴にリバウンドも逆に「面」から「点」へと変わり、消えていく間隔も短く、範囲も部分的なものとなって、状態も良くなって行くのが分かって気持ちも落ち着いていった。
リバウンドで熱が出た時の為にと最初に薬も頂いたが、幸い熱も出ず服用することもありませんでした。毎日、煎じ薬・塗り薬(赤・黄色の軟膏)・薬湯等でただひたすら治療に専念するのが日課でした。
松本先生の治療を受けるまでの間、初めの医院で用いたステロイドを塗る期間も短かった為か、漢方治療を始めてほぼ1年3ヶ月くらいでだいぶ良くなっていきました。現在は殆ど痒みもなくリバウンドも出ない状態が続いていますが、まだ皮膚の色が黒ずんだ部分が残っているため治療は続いています。
血液検査も1回目よりも2回目、さらに3回目とIgEの数値が下がっている結果が出て、一時の状態に比べれば本当に気分的にも楽になりました。先生をはじめ、医院のスタッフの皆さんや、背中に薬を塗り続けてくれた妻や妻が体を痛めてからは、娘や孫たちも毎日交代で出向いて来て塗り薬を務めてくれた。助けられてここまで回復出来たことに対し、ただただ「ありがとう」の感謝の一念です。先生の言葉を信じ治療を続ければ回復は間違いないと断言出来ますが、ただ薬代が高額になるのには驚いています。
医療保険を納めているにも拘らず、漢方薬だからと言ってなぜ薬によっては保険が適用されないのか疑問に思います。
医療保険審議会では、漢方薬の一部を保険の適用外扱いと判定:しているのが不思議でなりません。漢方を保険扱いとするのに医師会や製薬メーカーにとって何か不都合なことでもあるのかと勘繰りたくもなります。もっと広い視野で対処してほしいものです。
ステロイドの効果を信じ治療を望む人がいる一方で、ステロイドはで根本的な治療にならないと判断し、漢方医療による治療を望む患者の多いのも事実です。
医師会や保険審議会の事は全く分かりませんが、東洋医学・西洋医学の違いや、化学新薬や漢方薬の違いはあっても、高度な技術を必要とする手術や精密な検査も伴わない一般的な治療や薬品であれば、共に同様な保険適用範囲とすべきではないかと思います。薬湯剤」・一つにしてもただ単なる入浴剤ではなくあくまでも「薬」ですから「保険対象薬」とすべきだと思います。「ヘルペスウイルス」の増殖を抑制する薬「ベルクスロン」にしても、服用は個人の自由でしょうが、使用し易いように薬価の見直しをするのが患者という立場の弱者に対する心配りのある、かつ薬価上の公平な扱いでなはないでしょうか。最近、新聞や他のメディアで、今まで手が付けられていなかった医療での、患者の「身体的・経済的負担の軽減」という記事を見ますが、保険審議会の方々は古くから多くの人々が馴染んで来た漢方にも目を向け、患者の「経済的負担の軽減」に努めてほしいものです。保険で、広く誰もが安心して治療を受けられるよう改善を望みます。
初めて症状が現われたのは、平成9年の春でした。左足の甲の部分に1mm位の発疹が直径10cmのかたまりとなり、2ヶ所に出来ていて、痒い感じがあり、何かできているけど2~3日したら治るだろうと楽観していました。
とこが、1週間しても治らず、市販の痒み止めを塗って我慢していました。
少しは治った様な状態になるけれど、又その横に出てきたりして、少し変だなと思いはじめ約2ヶ月経過し、近くの皮膚科へいきました。「草むしりでもして虫に刺されたのでしょう」とのお医者様の言葉、その頃はガーデニングが流行していて、私も少しは草花を植えたりしていました。
私は買って来た草花の苗についていあ虫に刺されたのだろうと思い、続けて塗り薬を塗っていました。10月頃さわやかな気候になり、湿疹は治まりました。
よかったと思っているうちに年が明け、春先暖かくなると又左足、甲に湿疹が出てきました。同じ皮膚科に行って塗り薬を処方していただいて、治療しました。同じ様に細かい湿疹のかたまりが、2~3ヶ所出ていたのですが、秋になると治っていました。そして次の年も、その次の年も同じ状態です。
一回の虫刺されでこんな状態変だと思い市の総合病院の皮膚科へ行きました。
結果は『貨幣型湿疹』との事でした。その時状態はなるほど500円玉位の大きさになっていました。最初に湿疹が出来た時より大きくなっていて、これからだんだんひどくなるのかな?ただの虫刺されじゃないじゃない?と思いましたが以前の薬とちがった塗り薬を出してくれたので、また頑張って治療に専念しました。やはり涼しくなると出なくなりましたが、その2年後から冬でもポッポッと出て、1年中細かいのが、所々出るようになりました。範囲は足首ぐらいまで広がっていました。でも痛くないし、薬を塗ると3~4日で治るので安心していました。安心しているとまた別の部分に現われるといった具合で更に、3年経過しました。
18年の年末、実家へ行った時の事です、母が「高槻市に漢方薬で治療してくれる、お医者様がいらっしゃる、行ってみょうかな」と言い出したのです。実は母も5年前から両手に湿疹が出来ていて困っていて、友人に聞いて来られたらしいのです。(友人の息子さんのお嫁さんが高槻市出身らしいのです)
私はすかさず「それなら私も行くよ」と言って平成19年2月電車を乗り継ぎ2時間かけて松本漢方クリニックへお世話になることなりました。
診察の結果「アトピーです、一時的にリバウンドがあるけど必ず治してあげます、頑張って飲み薬と塗り薬を続けなさい。」松本先生が言われ握手をされました、何か力強いものを感じ続けてみようと思いました。
最長は10日後、次からは月に一度の割合で診察を受けました。
煎じ薬というのは煮ている間は、独特の臭いがして、家人達は夕方帰宅途中「家の近所まで来ると臭っている」とよく言っていました。そして味はと言えば甘味、苦味、その他多様な味で最初は飲みずらかった、そのうち風邪引た時には、松本先生に「他の薬は飲まない様に!」と注意をして頂き風邪様の薬も処方して頂いて、風邪の方は食後、湿疹の方は食前にと続けました。水分摂取量がどうしても多くなり、どこえ行っても先にトイレを探すといった具合でした。そしておっしゃる通りにリバウンドがあり、その時までに見た事が無いほど湿疹が広がりました。膝関節ぐらいまで広がっていました。痒い!痒い下着や靴下、シーツには、赤や黄色の薬の色が、そしてかきむしって血の色までも・・・。洗濯しても落ちず、旅先での浴場や以前から通っていたスイミング教室では素足になるのが恥ずかしかった。そしてそんな足の状態をカメラに納め、9月も終わりに近ずき涼しい風が吹く頃、湿疹が激減したのです。
松本先生の言葉を思いだし、「リバウンドがあるけど、次に良くなるから」と私はこれで完治するかも?と思いました。
11月初旬、完全に湿疹がなくなり、下旬に診察を受けた時は「よかったね、頑張ったね」と言って頂き、本当に心から「ありがとうございました。」と言葉がでました。それ以来湿疹は出ていません。家族にも「今日も足はスベスベだよ」と言うと「よかったね」の返事が煎じている時の臭いをがまんしてくれて本当にいつも有難うと感謝の気持ちで一杯です。10年悩んだ事が嘘のようです。
松本先生、医院の皆様お世話に本当に有難うございました。
「松本漢方クリニックとの出会いから完治まで」59歳男性2015年12月10日
僕が初めて松本漢方クリニックにお世話になったのは、15年ぐらい前だったと思います。当時、原因不明の湿疹に悩まされていた僕は、神にすがる気持ちで友人から松本漢方クリニックの情報を聞き、受診する事になりました。
それ以前は当然ながら自宅近所の皮膚科に行って薬を頂いていました。私は当初安易な気持ちでいましたが、湿疹は広がる一方で、2週間ぐらいで体のあちこちに出現するようになりました。そして、異常な痒みに悩まされて、通常の睡眠が取れなくなっていきました。
そのため大学病院を受診し、検査などをくり返し、アレルギーと言われ、ステロイド剤治療を始めました。しかし進行を止める事は出来ず、睡眠不足から疲労が蓄積し、体中がクレーターだらけになり、「もう生きていけない」なんて思っていたところに松本漢方クリニックと出会ったのです。
松本漢方クリニックは僕と同じ様な沢山の患者さんであふれかえっていて、僕は院内のあちこちに貼ってあるアレルギーに関する貼り紙を読みました。その時点で僕は松本先生を完全に頼りきっていた様に思います。藁にもすがる気持ちでした。
診察室に入ると、松本先生は、独特な口調で自信たっぷりに「必ず治したる」とおっしゃいました。その時、僕は先生が神様に見えたことを憶えています。高価な漢方薬と治療方法を入手した僕は、その晩早速自宅で家族のサポートを得ながら漢方薬風呂を作り、治療を開始しました。
その晩、なんと2ヶ月ぶりに朝までぐっすり眠れたのです・・・。「これは治る~~~~~」と大声で叫んでいた僕がいました。それから毎晩欠かさず、漢方薬風呂を作り、治療を続けると、2週間ぐらいで痒みも殆どなくなり、湿疹の傷口も乾いて沈下状態になっていきました。ただ2、3日治療を止めると少し痒みが出てきたので、2カ月ぐらい治療を続けました。その結果、「完全に完治した」と思える状態になりました。15年経った現在も再発は全くありません。
松本先生は僕にとって本当に神様だったのであります。それくらい僕は当時困惑しておりました。松本先生と家族には、本当に感謝、感謝で一杯であります。ありがとうございました。
2002年10月29日(水)は、私にとって一生忘れられない出来事がありました。それは名医松本先生との出会いでした。この時初めて、アトピーの治療法として、松本先生が十数年もの長い年月をかけて研究開発された漢方薬であることを知りました。
煎じ薬(良薬口に苦し)は飲み慣れるまで5~6日かかりましたが、慣れてきますと2番茶・3番茶は他のお茶より美味しく服用するようになりました。
入浴剤は我が家のお風呂の最高温度が48度のため、大きいおなべで70度に沸かしたお湯に入浴剤を入れて1時間放置した痕、浴槽(48度)に入れ、尚1時間放置する作業が少し大変でした。それから入浴時間は今まで20分くらいでしたが、湯あたり寸前の40分位入る様にしました。
8月頃からもうすでにアトピーとの戦いが始まっていました。最初は腹部→胸部→背中→脇→腕→太腿→足と段々と痒くなり、特に辛かったのは就寝中の午前2時から4時の2時間で、睡魔に襲われながら掻くため睡眠不足になり、神経が苛立ち一日中気分の悪い状態が続いていました。治療2ヵ月半位から痒みが徐々になくなり、湿疹も背中の方から少しずつ治ってきました。診察時の松本先生が「治してあげる」という言葉は、どれだけ勇気づけられ励みになった事でしょう。そして通院から6ヶ月足らずで、アトピーとの戦いの終盤を迎え勝利を実感しています。
もし、名医松本先生との出会いがなかったら、今、この歓喜もなかったと思います。心から深く感謝します。
又、看護婦さん、スタッフの皆様の優しい対応と親切にご指導して頂きまして、本当に有難うございました。
最後に、現在治療中の皆様へ。完治するという希望を持って、頑張って下さい。
平成22年5月から松本先生にお世話になり2年経過しています。
襟足に強い痒みを感じていました処500円玉位いの、アトピーが出来始め、ジュクジュクしていて目は目やにで固まり指で目を開ける毎日が続き、体調も悪く不安な 毎日でした。
実姉が魚アレルギー(たこ焼きの 蛸一切れで)目が真っ赤に充血する症状が出始め松本漢方クリニックに通院し今は、どの様な魚も食べている姉を目の当たりにして、私も松本先生に駆けつけました。
「治してあげるから」と握手をして頂き心強くて、以降漢方を煎じ解毒潤肌湯に入浴する毎日でした。
それは玉葱の皮を一枚一枚月日をかけて、剥がして頂いているようで、体が楽になり5年前の自分に戻れている。
そんな体調で暮らせるようになりました。
松本先生有難うございました。
漢方を何時も確実にお送り下さるスタッフの皆々様にも御礼申しあげます。
私は現在43歳の主婦です。松本先生の所に来させてもらったのは、アトピー性皮膚炎で困っていたからです。私は26、7年前、16、7歳ぐらいの時から皮膚科通いをしていました。当時ステロイドはすぐ治る!という感じで気軽に使っていました。今思えばちょっとあせもが、酷くなったとか、
ちょっと赤くなっているとかいうと、すぐ皮膚科に行っていたように思います。19歳を過ぎたあたりから、顔とか首に、赤い斑点の様なものが出来はじめ、ステロイドを塗っても、あまり治らず、けっこう悩んでいました。
あちこち皮膚科通いをしていました。ある皮膚科では“ステロイドは飲んだ方が良い”と言われ飲み薬を処方された事もあります。そして24、5歳くらいの時でしょうかいきなり、顔がパンパンに腫れあがり、(鼻の高さがわからなくなるほど!)あっという間に全身にパンパンに腫れあがって、体中が痒くて、
そのうち体中から、汁みたいなものがいっぱい出て、もう本当に怪物のようでした。2ヶ月近くは、外にでられない状態でした。私も本当につらかったですが、そばでみていた家族にも、つらい思いをさせたなーと思います。
なんとか、回復し新しい仕事もはじめ“あの時はすごかった”と半分笑い話になっていたのですが、35歳を過ぎたあたりから、また、顔に赤い斑点が出来はじめました。“ステロイドは塗ったらダメよ”と母から言われていたのですが、やはり顔に出たら、人前に出られないので、早く治したくて、また皮膚科もすすめるので、つい使ってしまいます。
ステロイドはこわい!!とすでに言われはじめていたのですが。
そして、又、思うように治らず、評判の良い皮膚科を転々とする日々でした。
37歳の時、又、顔がパンパンに腫れあがりました。顔だけでした。数週間で、会社に戻ることが出来ました。
それから、結婚し2児を出産しました。最初の子を産んだ後、今度は手に湿疹がいっぱい出て、家事が出来ないくらいでした。とにかく早く治したい一心で、私は又、ステロイドを塗っていました。その時は、“くせにならないよう、ステロイドでさっとおさえてしまいましょう“という皮膚科の先生の言うことを、ステロイドはこわいけど、仕方がないかなーと思っていました。
そして43歳の春頃、又顔に赤い斑点が出始めました。とりあえずいつもの皮膚科で、コロイドをもらい、顔に塗っていました。数週間たっても治るどころか、どんどん広がっていく感じです。
その皮膚科の先生に“このまま治らないようだったら、もう1ランク強いステロイドを出しますね。”と言われハッとしました。もうここに来るのは、やめよう、ステロイドは使わない!とその時きめました。手にいっぱい、湿疹が出来た時、漢方で治したら?とすすめられた事があったし、松本先生の事も、全国から通ってくる先生が高槻にいるらしいと聞いていました。漢方はとにかくすごい、大変で時間がかかるとも聞いていました。でも、“もう漢方で治していくしかないなー”と思い、主人も近くにそんなにいい先生がいるなら、行ったら?と賛成してくれたので、通いはじめて、4カ月になります。私の場合、顔に出ていた赤い斑点は1カ月もたたないうちに消えてしまいました!びっくりです。そしてもっとびっくりしたのが、“このままだと、あなたはリウマチになっていたよ”と松本先生に言われた事です。又、時々頭痛がして、吐気がしていたのですが、私は更年期がはじまるのかなー、と思っていましたが、“ヘルペスですとも言われました。
こちらにお世話になっていなければ、原因もよくわからず、体調不良に苦しんでいただろうと思い、今はホットしています。
数値が正常になるまで頑張ろうと思っています。
私は今、実父の『脱ステロイド」に挑戦している。
これは私にとって、二男に次ぐ2人目となる患者だ。
台療開始日は、平成19年G月9日 記念すべき66回目の誕生日となった。
実父は、以前から'怪我やデキモノが治りにくかったが、今回母から「病院の薬を塗ったら良くなるけど、暫く塗らなかったらまた出来てくる」と言う話を聞いて、「変だなぁ~何の薬を塗っているのだろう」と不思議に思っていた。
何となく、-度松本先生に看て貰ったほうが良いような気がして良くなった二男の顔見せがてら、大阪へ向かった。
何と、父が塗り続けていたのは『ステロイド」であり、治療は二男と同じ方法だった。【父の場合、そんなにひどくはならないだろう】そんな風に気楽に考えていたけれど、現実は違った。
お風呂の薬の作り方、煎じ薬の作り方、消毒の仕方、軟膏の塗り方二男で'慣れきっていた私は、治療のコツと消毒が非常に重要だと言う事抗生物質の軟冨は、どんな患部に付けたら良いか?熱は、体重は、などなど、ナンチヤッテ先生まがいに両親に言い聞かせた。
父は、「そんなに流れる程、消毒液塗らなくても、」なんて言っていたが、二男が早い段階で良くなったのは、消毒液をしっかり塗ったことと、軟膏を一日に何度も塗ったことを話した。初診から2週間が過ぎる頃、母が父の皮膚はすごくなっている、以前大学病院でイソジン消毒液に被れると言われたが、今使っている消毒液に被れているのではないか?と聞かれた。先生に電話して尋ねたが、「パイ菌を殺しているだけで、成分が皮膚の状態に影響を及ぼしている訳ではない」と言われた。両親には、松本先生から貰った薬以外は絶対に使用しない事を強く念を押した。
その頃、首周り全体は真っ赤になり、陰部も真っ赤であり、血が滲んで痛くて眠れないと訴えていた。顔と足首・足の裏以外は、全てにリバウンドの症状が出ており、背中は全体が赤くなっていた。腰の部分と下腹の部分は、黒ずんで皮膚が腐ったかのような色をしていた。私は、松本先生の理論を理解した者として、父を冶したい一心で毎日実家へ通うことを決めた。夜は、私が消毒して、薬を塗ってあげよう!!その方が早く脱出できる筈。そう信じていた。
「痒いし、痛いし、眠れない」父は、そう言ってこぼした。二男が痒がって、足を擦り合わせていた事を思い出させると父は、じっと黙っていた。だけど、今にも火を噴きそうな身体を見ると早く何とかしてあげたい気持ちで、胸が痛んだ。松本先生に写真をデータで送ると、翌朝電話が掛かって来た。
松本先生は、むくみがないかを尋ねられ、相当のリバウンドでキツイと思うのでプロテインを送ると言われた。眠れていない事を話すと睡眠薬も送ってくれる事になった。父は「痛いけれど、我,漫できない訳じゃない」とは言うが、これから自分がどうなるのか?この状態から何時抜け出せるのか?怖かったと思う。眼科から貰った目薬が実家にあったので、松本先生に許された薬以外は絶対に使用しないようにキック注意した。治療から17日目、全身が真っ赤になって1週間後から、リンパ液が出ている部分がごく僅かになった。背中からは、皮が剥け始めており、シーツにも落ちているし、下着を脱いだら落ちてくると言って悲観している。しかし、新陳代謝が活発になっており、新しい皮膚へと生まれ変わっている証拠なので、むしろ喜ぶべきである。
先生に電話をして確かめると、先生も同じ答えだった。頂いた睡眠薬が効いて良く眠れたのが嬉しいようだった。だが、熱が37.3℃あり、首と陰部がたまらなく痛いと言う。先生に言うと、黄色ブドウ球菌なら抗生物質が有効だけどそれで治まらないなら、ヘルペスが疑われるとの事。
アレルギー熱で微熱は仕方ないが、だるくて辛いロ寺は、お風呂の時間を短時間で済ませても良いと言われる。ただ消毒は欠かさないで。
ヘルペスのお薬をお願いした。
日中に自分で陰部を消毒したら、首の痛みが緩和されたとの事。主人が、リンパで繋がってるから?と言うので、なるほどと納得。その代わり、手の甲がパンパンになって、下げると肘辺りまで痛むと言う。朝・日中と消毒し、抗生物質を塗り、プロテインを飲むように伝えた。今日は松本先生からへルペスの薬が送られてくるので、届いたら飲むようにとも伝える。治療から20日が経過する頃、母も治療効果が目に見えるようになり消毒の大切さや薬の塗り方、塗る量を父に指示していた。まだまだ全身が真っ赤だけど、リンパ液が出ている箇所が減り、首や陰部を最初ほど痛がらなくなったので、消毒がし易くなったと言っている。母も父に付き合い、早朝暗いうちから起きて、お風呂の薬を作り、消毒し塗り薬を塗っているようなので、寝不足が続いているようだった。
自分が仕事に行く前に済ませなければならないし、食事の用意もしなければならない。私に出来ることは、夜の消毒と薬を塗ってあげる事くらいしかないけど、力付けてあげたいと思っている。1ヶ月が過ぎても、手足の腫れや全身の拝みと痛みは続いた。リンパ液が流れ落ちるほどだったり、滲む程度になったり症状は日によって違う。
c)このころ、体重は10Kg近く痩せてしまっていた。
ビールや焼酉寸などのアルコールを絶っていること、糖尿を現す数値が高いことから、ご飯の量を控えていること、飴などの甘いものを食べていないこと。。。それに加えて、睡眠不足が原因だろう。治療を始めた頃、消毒液を塗ったり薬を塗ったりしていた時と比べてお腹周りがスッキリしているので、私としては今の方が良いのでは?と内心思っていた。こんなダイエット普通では出来ないだろうし、この治療がもたらした思わぬ副産物のような気がする。
2ヶ月、3ヶ月・・・少しずつ、改善しては元に戻るような状態を続けながら半年を過ぎる年末年始頃、ようやく落ち着いた状態を保つようになっていた。
しかし、体の芯から湧き上がってくる痒みやこりこりした感覚はなかなか良くならない。見た目には、かなり改善していると思うのだけれど、父は「まだまだ、痒い」とぼやいていた。私は、山場は乗り越えていると思っていたので聞き流していた。治療から1年が経ち、黒ずんだ部分は残っているが消毒をしたり、念入りに薬を塗ることはなくなっている。「いや、まだまだ・・・」などと父は言っているが薬を使っている素振りはない。ご飯も普通に食べ、好きなアルコールも飲んでいるので治療に至るほどの何かは、無いとみている。
息子(二男)の治療をしていた頃は、色んな不安もあるにはあったがそれを乗り越えられたので、父の治療に関してはいささかの不安も無かった。ただ、父は息子が良くなったことと自分が同じように良くなるとは、なかなか信じられなかったようで言い含めるのに時間が掛かったし常に不安に思うこと、疑問に思うことに答える必要があった。歳を取って、この闘病生活は辛かったと思うが定年後であったことと、回りの協力があったことは息子の時同様、ありがたかったと思っている。
アトピーに関しては、手遅れなんてことはないし気付いたとき、勇気を出して治療に当たれば必ず良くなると自信を持って言える。
「アトピー・喘息の手記」44歳女性2005年5月12日
現在、44才になる主婦です。私は、以前から、軽い喘息と蕁麻疹を持っておりましたが、40才を過ぎ、初めてアトピー性皮膚炎を発症しました。
二年前の2003年一月、突然、顔や体にアトピーの症状がでました。顔はパンパンに腫れあがり、大変悲惨な状態となりました。こんな経験は初めてで、どうして、こんな事になったのかも分からないまま、早く、腫れをひかせたい、との思いで、近くの皮膚科に行きました。
そこで出されたのは、ステロイドの入った飲み薬と、塗り薬で、服用すると、一週間程で、腫れの症状が治まりました。
しかし、ホッとしたのもつかの間、薬がきれる頃、また、顔が腫れてくるという状態の繰り返しになりました。「このまま、ずっと、ステロイドを続けなければならないのか・・・」と落胆し、途方にくれてしまいました。そんな時、知り合いの方から、「うちの子供もアトピーで、松本漢方クリニックに行っているのだけれど、年々、良くなって、今ではほとんど症状も出てないよ。一度、行ってみたら?」と教えてもらい、すがる思いで、松本漢方クリニックに行きました。
ドアを開けると、待合室には、たくさんの患者さんであふれ、あまりの多さにビックリしましたが、「治療の効果があるからこそ、これだけの方たちが松本先生を頼って来られているんだなー。」と思いました。診察室に入り、松本先生の「必ず、治してあげます。」のお言葉に勇気づけられました。「漢方治療を信じ、長い目で治療していこう!」と決心しました。
そして、薬湯、煎じ薬、消毒液、軟膏を頂き、治療が始まりました。治療して、しだいに体の腫れも治まっていきました。手の腫れ、痒みは、なかなかひきませんでしたが、顔には出なくなったので、精神的にとても楽になりました。
2年目の、2004年の冬には、三回ほど顔の腫れもでましたが、去年の様に、顔全体が腫れあがる、といった事はなく、所々、腫れがある、といった感じでした。また腫れても、数日で治まり、アトピーの症状は、前年に比べると、随分軽くなりました。
ただ、この冬には、喘息が度々出る様になり、松本先生から喘息の粉薬を頂く様になりました。この薬が、驚くくらい、よく効いて、ゼイゼイ咳き込んで、息苦しくなっていても、これを飲むと、自然と治まってくるのです。 ですから、喘息がでても、以前は、『ひどくなってきたら、どうしよう』という不安が先走りましたが、今は、『この薬があるから、大丈夫!』と、大変心強く、安心出来ました。
その喘息も、半年ほど続きましたが、それ以来、ピタッと止まり、不思議なくらい、全く出なくなりました。
また、血液検査でも、「数値が、随分良くなっている。」と松本先生に言われ、大変嬉しかったです。
三年目の現在、喘息は、あれ以来、全く出ていません。またアトピーも、随分軽くなってきています。今は、手の甲に少し痒みがあり、煎じ薬も続けていますが、治療前に比べると、誰の目から見ても、治療効果があったと確信できると思います。
今は、「松本漢方クリニックにお世話になって、本当によかった!」と、心から感謝しています。
「アトピー手記経過報告」匿名希望52歳2006年9月25日
「これは何かおかしい。」と感じたのは、7年前の2月頃だったと記憶しています。顔面の上半部(額、頬)に異常な乾燥状態と掻痒が続いたため、近くの皮膚科を受診しました。見立てはお決まりの“様子を見ましょう。”で、ステロイド塗布薬(フルコート、リンデロン)と内服薬(抗炎症剤)を処方されました。当時、アトピーという単語が他人の話であった私は医師の処方を疑うこともなく、云われるままに約3ヶ月を過ごしましたが、処方当初の比較的短期間の劇的な改善の後は、症状が徐々に悪化して、身体全体に発疹や局部的な糜爛状態も見られるようになりました。この時点で私は、医師の処方に疑問を抱き、処方されている薬等(外用、内用)について調べてみることにしました。すると、当時、私にされていた治療法は一般的ではあるものの多数の非快癒者が社会に溢れ、ステロイド被害が大きな問題になっていることを知り、愕然としたのを鮮明に記憶しております。そこで私は、他の治療法を懸命に模索することにしました。様々な治療法について情報を得た中で選択したものは、「水治療」でした。これは、三重県の医師が試みていたもので、強酸性水を身体全体に噴霧して消毒し、直後に保湿剤を塗布するというだけという簡便な方法でした。私はその簡易さと食事制限のないことを理由に安易な選択をしてしまったと、二度目の後悔をしました。当初はそれなりの効果があったものの、あとは小康状態が続いて、結局、半年後に断念することになりました。次に試みたのは、例の「丹羽式」でした。これは当時勤務していた会社の同僚が私の状態を見て紹介してくれたもので、その劇的な効能に飛びついた私はやはり精神的な余裕を無くしていたと云わざるを得ません。今思えば、その怪しげな説明会を何の疑いもなく受け入れた私は、早速、様々な薬を取り寄せてその治療法を開始しました。結果は世間に流布されている通りのもので、約半年後に私は一人前のステロイド被害者となりました。職場での正常な勤務もままならず平常心を失いかけていた私は、自分の人生を一度見直してみるつもりで休職し、新たな治療法を捜すことにしました。何故、最初から松本先生に辿り着かなかったかは、私自身の不徳が招いた結果としか考えようがありませんが、兎にも角にも最初の症状から約2年半掛かって
やっとその門前に辿り着いた次第です。初診は大変新鮮なものでした。他の患者さんも書いておられる通り、先生の病気に対する明解かつ理論的な説明と患者に対する熱心かつ丁寧な接し方は、快癒を希望しても虚しい日々を過ごさざるを得なかった私を含めた多くの患者に確実な希望を与えるものであったと考えます。私は、全てを託すことにしました。細部の症状や改善の過程については、他の皆さんと大差ないことから記述を控えますが、約3ヶ月半でほぼ快癒という状態に至りました。この時点で私は大きな勘違い(油断)をしてしまったようです。IgE値等の具体的な指標値の低下等を確認することもなく、快癒したと思いこんだ私は、先生方に深謝しつつも、新しい職場での責任ある立場を維持するために仕事を優先させることを選び、継続的な治療を怠ってしまいました。以後約4年半の間、特に深刻な再発症もなく過ごしてきた私は、今夏の体調の変化に悩まされることになりました。忘れかけていた身体中の掻痒感は私を慄然とさせるものがありましたが、先生に快癒の確認をして頂くこともせず、やや切迫した事情があったとはいえ、私的な都合で肝心要の最終段階を端折るという当時の愚行を思い出し、忸怩たる思いでいっぱいです。私としましては、今回の再発という事態を前回の中途半端な取組方の結果と神妙に受け止め、改めて最後まで真剣に治療に取り組む所存です。といいますのも、先生にお任せすれば確実に快癒に向かうことを既に経験している私としましては、再度全てお任せすることで、良好な結果が得られるという勝手な確信があります。誠に横着とは存じますが、今度こそ完全な快癒を目指して努力致しますので、宜しくご指導の程、御願い申し上げます。
「リウマチ アトピー ヘルペス手記」匿名希望47歳2011年1月29日
松本漢方クリニックを受診した2008年5月27日の前後で私の人生は180度変わりました。廃人へ向けて転落して行く恐怖の26ヶ月間と、快方への30ヶ月の記録です。読者の方には申し訳ないのですが、自分の文才の無さを痛感しております。言葉が足りない分は松本先生のコメントが補って余りあると思いますので、恥を忍んでお目にかけます。
26カ月前
・人事異動で念願の研究職場へ移る。行政職(特に本庁勤務)は希望者の多い花形職場だが、道理が通らず無理が通ることがたまにあり、理科系の自分には性格的に合わないと痛感した。最後の3カ月は心理カウンセラーにも通った。幸い職場の理解があり、労働組合の助けもあって、10年ぶりに元の研究職に復帰できた。
24カ月前
・研修先で鞄から分厚い本を取り出そうとしたら、手の甲が激しく痛んだ。翌日以降なんとも無かった。
22カ月前
・起床時から左肩に激痛。前日の午後から何となく違和感があった。
左手首から先は何とか動くが、脇から肘を離すことができない。
・翌日、A整形外科で左肩に痛み止めの注射を2本打つ。(これが後々トラブルの元に。)
針を刺し込むような肩の痛みは少しましになったが、それでも痛い。
・翌々日、ウクレレ教室で四十肩の症状に似ているというアドバイスをもらい、ストレッチ体操を教わる。
・一週間後、すっかり治る。
2008年10月9日(約20ヶ月前)
- 北朝鮮が地下核実験を実施。職場は放射能モニタリング強化体制に移行。
- 時間外勤務と休日出勤が続く。
18~20カ月前
・靴が両足とも窮屈。特に左足の甲が痛む。
・いつもと同じ鞄が重い。肩から背中にかけて荷物を巻き付けたような重量感。
・電車から降りようとした時、アキレス腱に激痛。座席から立ち上がるのに難儀した。
・両足指と両膝が痛みだす。以後、痛みは徐々に増し、日常化する。
15カ月前
・A整形外科で右足裏と左足外側のレントゲン撮影。結果は異常なし。歩行のたびに痛む。
14カ月前
・B病院内科を受診。起床時から右手がこわばり、左手首から先と両足裏が痛む。結果は異常なし。
11~12カ月前
・右手中指が腫れて痛み、ペンや実験器具が持てない。A整形外科でバネ指と診断される。 指先の器用さは実験屋の命といっても過言ではない、1滴をコントロール出来ないよう な手では商売あがったりである。いきなりリストラされるような職場ではないが、現状 では、はっきりきっぱり税金ドロボーである。自主退職の4文字が脳裏をよぎる。
以後、約2ヶ月間、毎週、A整形外科で痛み止めの注射を打つようになる。(これでますます泥沼へ)
9カ月前
・出勤途中に右手首から先が腫れて痛みだす。途中下車してC整形外科へ駆け込む。
右手首と両足指のレントゲン撮影。骨に異常は認められないがリウマチの可能性を告げられる。
・A整形外科で右手中指のバネ指を手術する。右手は使えるようになったが、その後、左手中指、左右親指にも同様の症状が現れたため、ヤブ医者と判断し逃げる。
7カ月前
・D医大病院リウマチ外来を受診。
・両足の指が変形しているため足底板(靴の中敷き)を作成。一足3万円強、全額自己負担。後日、職場の庶務課を通じて医療費還付手続きをしたので、実質1万円前後の負担ですんだ。
・足底板の入る特製靴を買う。(ドイツ、フィン・コンフォート製、一足4万円弱)
この靴は足の変形が治った後も、付属品の健常者用の中敷きに変えてはき続けている。大幅な円高ユーロ安になったあとも値下げしない殿様商法には腹が立つが、今ではビルケンシュトックのサンダルともども手(足か?)放せない。さすがの耐久性と履き心地、恐るべしメイド・イン・ジャーマニー。
6カ月前
・ウクレレ教室をやめる。京都の教室まで通うのが大変なのと、指の痛みで弦が押さえられなくなった。
4カ月前
・喉の右奥が痛む。痛みは、その後5カ月続いた。
・足指の変形と痛みが進む。寝ていても布団の重さが負担に感じるほど痛い。
・両ヒザは常に痛い。階段の乗降は手すりにすがって一段ずつしか動けない。特に階段の下りは恐怖。正座など論外、一度でも床に座ったら柱にすがって立ち上がる羽目になる。
・自転車には乗れなくなった。ヒザの痛みでペダルを踏めないうえに、手の痛みでブレーキが握れない。
4カ月前~2カ月前
・両ヒザ、両手親指と人差し指に激痛。鎮痛剤の注射を毎週打つ。
・毎日、鎮痛消炎剤(ロキソニン)を半錠服用する。痛み止めなしでは生活できない。
・朝夕、リマチル1錠を服用する。
1カ月前
・リマチル1錠を朝昼夕の1日3回に増量
2週間前
・夕食後、入浴中に腹部と太股外側に蕁麻疹が出る。かゆい。
リマチルの服用をやめるが蕁麻疹はおさまらない。
1週間前
・リマチルの服用を再開。代わりにロキソニンの服用をやめるが蕁麻疹はおさまらない。
・ロキソニンの服用をやめると痛みで生活に支障をきたす。具体的には両足指と両ヒザの痛みによる歩行困難。両手指の痛みは箸や筆記用具が持てないのを通り越して、パソコンのキーボードを打つことも苦痛に感じるレベル。
・上顎が痛むので食事にも時間がかかる。食は細くなったのに体重はここ2~3年で3kg近く増えた。(浮腫のせいで太った)
2008年5月27日
・松本漢方クリニックを受診する。
・鍼灸治療でヒザの痛みがやわらいだので、心斎橋までライブを聴きに行く。
・左手で握り拳を作ることが出来た。
2日後
・鎮痛消炎剤(ロキソニン)の服用をやめたため、痛みはあるが以前より動ける。
・職場にお灸セットを持参。昼休みにせっせと灸をする。
3日後
・起床直後、左肩と両手指、両ヒザがこわばっているのが分かる。
・昨日より椅子から立ち上がる時、ヒザの具合が楽になった。
・右手でペンが持てるようになった。(ただし、身障者用のユニバーサルデザイン補助具付き)
1週間後
・右手で水道の蛇口をひねれるようになった。1Lのペットボトルが持てる。
・ヒザの具合が良くなってきた。和式トイレが使える。
10日後
・入浴後、脇腹にアトピーが出た。
2週間後
・六甲アイランドで神戸ウクレレ交流会の演奏を聴く。ウクレレ教室の仲間と再会。
・普通のペンでも右手で筆記できるようになった。
18日後
・右太股と首筋にアトピー
3週間後
・起床時の動きにくさは相変わらず。
・背中、両腕にもアトピー。特に右腕の肘まわりは凸凹で見ていると気持ち悪い。
・朝4時頃、痒みで目が覚める。
4週間後
・朝から全身がだるい。両足首におもりをつけられたような気分。
・足裏の痛みが限局してきた。以前はどこもかしこも痛かったが、ツボが分かるようになったので灸を効率的にできる。
5週間後
・アトピーが治まったらリウマチが悪化。左肩が再度痛みはじめる。
・ヒザの痛みが限局してきた。以前は全体が痛んだが、最近は皿の上半分だけ。
6週間後
・半年近く続いていた喉の痛みが消えていることに気づく。
・家族から姿勢が悪いと指摘される。やや前屈みで左肩が前に出ているらしい。仰向けに寝てみると確かに左肩が床から浮いている。
・夕方の入浴をやめて、朝風呂に変える。起床時はあちこち固まったままでギクシャクするが、入浴して温めると動かしやすくなる。
7週間後
・毎朝の動作が以前ほどつらくなくなってきた。全身に力が入るようになってきた。
・階段の登りが早くなった。左右交互に足を出しても大丈夫。(下りはまだ1歩ずつ)
・平行移動が早くなった。(カニの横ばい歩き)
・左手の握力がかなり回復。タオルを絞るのに不自由しなくなった。
・中古のiPod Touchを買う。漢方風呂の良い暇つぶし。
10週間後
・一度はおさまっていた左肩痛が再発。
・左手は起床直後を除いて握り拳を作れるようになった。
・右手は人差し指が痛むので、握り拳は作れないがペンや箸は持てる。箸の持ち方が悪かったので、これを機会に正しい持ち方に直そうと思う。
3カ月後
・漢方風呂に入浴中、iPod Touchを湯船に落っことす。チャック付きポリ袋に入れてあったので無事。
・一時ましになっていた両足指の痛みが再発。左足中指の痛みは最後まで残った。
・両ヒザの痛みはほとんど治った。自転車にも時々乗る。
・左肩の痛みは相変わらず出たり出なかったり。
4カ月後
・背中と首筋にアトピー
・半月ほど口内炎に悩まされていたがヘルペスと判明。
5カ月後
・左肩痛が再発、就寝中でも疼く。松本漢方クリニックに来る22カ月前に受診した整形外科のステロイド注射が良くなかったらしい。結構な数を注射しているので長引くかもしれない。
6ヶ月後
・右まぶたにアトピー。視界がさえぎられてうっとおしい。治るまで4カ月近くかかった。
・足のむくみが取れて扁平足、大根足が治った。体重が約1kg減った。
・あちこち痛いし痒いが、半年前に比べたら別人のように動けるようになった。職場でも立ち仕事ができるようになったが、握力がまだ戻らない。
・2008年分の医療費:389,500円
10ヶ月後
・両ヒザはほとんど完治。5つある市立図書館のうち、一番遠い山の上の図書館へ自転車で行く。ほぼ3年振りの上り坂にもかかわらずヒザの痛みは出なかった。足指は痛い。
2009年4月28日(11ヶ月後)
・日本政府が新型インフルエンザの発生を宣言。職場は保健所からの応援を加えても回りかねる程の激務に突入。
2009年5月25日(12ヶ月後)
・北朝鮮が地下核実験を実施。新型インフルエンザ対応中にもかかわらず、放射能モニタリング強化体制に移行。ますます人員のやり繰りが苦しくなる。
13ヶ月後
・右足人差し指と左足中指以外のリウマチはほぼ完治。変形していた甲や指もほぼ元通りになった。
・肩の痛みはゲリラ的に出たり引っ込んだりする。
14ヶ月後
・手指にヘルペス。これは痛い。水疱がはじけてからは更に始末がわるい。灸を据えると
滅茶苦茶痛いが、痒いのよりはまし。新型インフルエンザが一段落ついて、ほっとしたとたんにヘルペスが出た。
15カ月後
・手指のアトピーは治った。
・左顔面にアトピー。まぶたが腫れて視界が完全にふさがれる。冷やすと少しはましになるが、完全に「お岩さん」状態で人前に出られる顔ではない。幸い盆休み期間中だったので最悪期を脱してから出勤したが、それでも会う人ごとに驚かれた。「四谷怪談」とか「あしたのジョー」とか言っても若い人には通じないので、エイドリア-ンと叫ぶと同年輩には受けた。最近の若者はスタローンの出世作「ロッキー」を知らんのか。
2009年9月16日(16ヶ月後)
民主党・鳩山政権発足
日本には謎の鳥がいる。正体はよく分からない。
中国から見れば「カモ」に見える。
米国から見れば「チキン」(臆病者)に見える。
欧州から見れば「アホウドリ」に見える。
日本の有権者には「サギ」だと思われている。
オザワから見れば「オウム」のような存在。
でも鳥自身は「ハト」だと言い張っている。
それでいて、約束したら「ウソ」に見え、
身体検査をしたら「カラス」のようにまっ黒、
釈明会見では「キュウカンチョウ」になるが、
頭のなかみは「シジュウカラ」
実際は単なる鵜飼いの「ウ」。
私はあの鳥は日本の「ガン」だと思う
17カ月後
・左顔面のアトピーが治った。
・アトピーが治るとリウマチが出る。
・ヒザ、アキレス腱、足首、手指など、あちこちに突然リウマチの痛みが表れては治る。
・体重がさらに1.5kg減った。ほぼ標準体重に戻った。
・2009年分の医療費:438,090円
2010年2月吉日
・職場に最新鋭の分析機器が導入された。
自民党・麻生政権が最後の力を振りしぼって付けてくれた特別会計予算で購入。「これであと10年戦える!!」民主党政権は返せと言ってきたが各都道府県はあっさり無視。政府がアレでも地方公務員が国民の安心・安全を守る。来るなら来い、毒入りチャイナ。(本音を言うと来て欲しくない。)
21カ月後
・両耳から下あごにかけてアトピー。
- 朝から右脇腹に肋間神経痛のような痛み。夕方には背中の右半分に拡大。
- ヘルペス薬を服用して6日後に治る。
24ヶ月後
・左足中指以外のリウマチはほぼ完治。
・肩や手首は時々痛むが、すぐに治る。
・両耳から下あごにかけてのアトピーは今も治っていない。
・自転車をオーバーホールに出す。ついでに部品のグレードアップとタイヤ交換も依頼。
・楽器店にウクレレのメンテナンスを依頼。
24ヶ月と17日後(2010年6月13日)
・小惑星探査機「はやぶさ」地球へ帰還。NHKの実況中継なし。受信料返せ(怒)。
和歌山大学のインターネット現地中継に望みをかけるも、回線がパンク状態でつながらない。仕方がないので某匿名巨大掲示板の気象・天文板を覗いてみたら、半年前の知的で和やかな雰囲気はどこへやら、サーバーも落ちよと言わんばかりの狂乱のお祭り騒ぎ。
25カ月後
・オーバーホールの済んだ自転車を受け取りに行く。西京極から自宅まで25kmを自走。
身体のどこにも痛みを感じないのは何年ぶりのことかと感激。
・楽器店から調整済みのウクレレが戻ってきた。時々思い出したように手指が痛むこともあるが、すぐに忘れる程度になった。昔の楽譜を取り出して練習再開。
28ヶ月後
・東京へ出張。東京は結構アップダウンの多い地形であり、行き先も不慣れな場所なので少々不安だったが、リウマチの痛みはほとんど感じなかった。
30カ月後
・左足中指以外のリウマチはほぼ完治。
・両耳周辺のアトピーは今も治っていない。
・体重は1年前より0.5kg減って元に戻ったが以前より体力がついた。
- 以前はすごい寒がりだったが今は普通の人並みになっている。
松本漢方クリニックの治療で体質が変わったらしい。コレステロール値が下がった。
・2010年分の医療費:493,210円
以上、駆け足ではありますが足かけ5年の記録を記しました。
謝辞
松本仁幸先生および松本漢方クリニックの皆様
お陰様で健常者に復帰できました。ボキャ貧な理科系脳には感謝の言葉もございません。今後は、人のお世話にならぬよう、人のお世話ができるよう、そして報いを求めぬようにガンバってまいりたいと思います。
これから松本漢方クリニックを受診される患者さんへのメッセージ
・石の上にも3年と言いますが2年で何とかなりました。
まだ完全には治っていませんが、この調子なら完治する日も近いと確信しています。信じる者は救われる、みんな一緒に元気になりましょう。大丈夫です。
- 松本漢方クリニックで治療するようになってから体質が変わったと感じます。
- 風邪をひかなくなりました。(インフルエンザは別。仕事柄、業務命令でインフルエンザワクチンを投与される職場ですが、型が合わなければインフルエンザにかかります。)
- 以前はすごい寒がりでしたが、今は普通の人並みになっています。
- 本態性低血圧で以前は毎朝フラフラしていたのですが、最近は目覚まし時計1個でスッキリ起床できます。血圧そのものは変わってません。(最高血圧90弱、最低血圧45前後)
- 総コレステロール値が250台から200台まで下がった。
- 治療費のことが気になる方も多いと思いますが、寝たきり寸前から健常者へ戻れるのですから安いものです。ちなみに2008年分の前半は大学病院、後半は松本漢方クリニックです。リウマチの最新治療を大学病院で受けると、結構な金額がかかるうえに免疫は確実に弱ります。
2008年分:389,500円(保険3割負担121,250円、保険外180,250円、鍼灸88,000 円)
2009年分:438,090円(保険3割負担194,810円、保険外139,280円、鍼灸104,000 円)
2010年分:493,210円(保険3割負担226,890円、保険外162,320円、鍼灸104,000 円)