「娘のアトピー手記」
(お母様記述)7歳2016年5月8日
(お母様記述)7歳2016年5月8日
娘は2013年9月、4歳半ばから突然アトピーの症状が現れ始めました。「ステロイドは治すのではなく抑えるだけ。やめたら悪くなる。」そんな思いから、家から通えるステロイドを使わない病院をさがしました。しかしその時に処方されたのは抗アレルギー剤でした。ダニ、ほこりを除去すること、肉・甘いものはだめ等・・・。痒がる娘がかわいそうで、言われるがままに抗アレルギー剤を1ヶ月飲ませました。
その後、一時的にアレルギー症状がおさまり、抗アレルギー剤の投与をやめましたが、アトピー対策を中心とした生活が続き、食事制限の他に、私は毎日掃除ばかりして過ごしていました。一体いつまでこんな生活が続くのだろうか・・・。再来年小学校になったら給食は食べられるのだろうか・・・。そんな時にインフルエンザにかかり、抗インフルエンザ薬を飲んだ後、また痒くて眠れなくなってしまいました。病院を受診すると、また抗アレルギー剤が処方されました。1ヶ月も飲むと、痒みは減るどころかどんどん増し、恐ろしいくらいの痛みを伴った痒みに襲われました。寝ると1時間もしないうちに、転げのたうちまわり、顔・首・腕・膝の裏は血だらけになりました。
「このままではいけない。これはちがう。何とかしなくては。」と必死で調べ、とうとう松本漢方クリニックのホームページを見つけ、治療方針や手記を読んだのは、眠れなくなって4日目の朝でした。松本漢方クリニックホームページを読み、「自然治癒力の破壊、自然後天的免疫寛容でアレルギーは完治する。」そして「ステロイドや抗アレルギー剤はそもそも免疫を下げてしまう。」と知り、まさに目が覚める思いでした。今までのことが納得できました。私は決心しました。二人とも、まる3日間ほとんど眠れていませんでしたが、小学生の息子を学校に行かせるとすぐに大阪へ向かいました。
初めて松本先生とお会いしたときに、「アトピーは絶対に治る」とお話して下さいました。そして、私の心に刻まれたのは「この治療をやるのも地獄、やらないのも地獄。どうせやるなら、その先に未来が見える地獄がいいじゃないか」という言葉でした。最初の2ヶ月は想像以上に大変でした。煎じ薬は飲んでくれましたが、イソジンの消毒はとても痛がり、娘は泣きさけびました。消毒して、黄色と赤色の軟膏を塗るのに30分はかかりました。漢方のお風呂も入ると痒くなるようで、10分入らせるのが大変でした。漢方風呂に入ると泣きながら、掻きむしってしまいました。松本先生に相談すると、「どんどん掻いていいから。そのかわり、きちんと塗り薬を塗るように。」と言っていただき、今までの、「掻かせてはいけない」から解放され、本当に気持ちが楽になりました。だんだん夜も眠れるようになり、2ヶ月後には3時間くらいは痒みで起きなくなりました。
5ヶ月も経つと4時間程度まとめて眠れるようになり、顔と首はかさついているものの傷は消え、半年休んでいた幼稚園も元気に登園できるようになりました。膝の内側や肘の内側はなかなか良くなりませんが、ただれて痛くて歩くのも大変だった頃に比べたら、このくらいなんでもないと思えるほど良くなりました。しばらくはこの状態で落ちついていましたが、小学生になり、生活の変化からかアトピーの症状が悪くなってきました。2015年夏になり松本医院に行くと、ヘルペスでした。そして抗ヘルペス剤の軟膏を処方していただき、塗るとだいぶ落ち着きました。
IgE値は、2016年4月の時点で上昇を続けており、まだピークになっていないようです。2年半前と比べて症状はかなり改善され、煎じ薬が変わりました。この漢方を飲むとすぐに、また娘の痛いような痒みが始まりました。数日ですぐに足の膝の裏や腕の肘の内側は、赤く腫れ上がりました。夜もかなり痒いようで、ボリボリと音をたてて掻いており何回か目を覚ましました。しかし、2年半前に比べたら「こんなの平気!学校へ行ける!」と娘も言ってくれ、一度地獄のような日々を味わい、普通の生活ができるようになった私達には、「きっと今度も夏までに落ち着くのではないだろうか」という希望がありますので戸惑いはありません。
松本先生の「食べたいものは食べたらいい(添加物山盛りの食品はもちろんダメですが)」、「子供がやりたいことは、やらせてあげたらいい」、「普通の生活をしたらいい」そして、「必ず治る」という力強い言葉に支えられ、私達は迷うことはありませんでした。娘はこれまで決して弱音を吐かず、これには親である私もとても驚いています。先生と出会えたことと、このアトピー治療を通じて、私達は前向きに強く生きることを学んでいます。これから後半戦だと思っております。今後とも宜しくお願い致します。