アトピー性皮膚炎 20〜29歳の患者さんの手記 その19目次
「アトピー手記」20代男性2003年2月28日
「アトピー手記」(お母様記述)20代男性2003年3月2日
「自分の免疫を信じて」 26歳女性2017年4月15日
「アトピー手記」23歳男性 2010年11月5日
「深夜残業の中、アトピーと戦った日々」28歳女性2006年3月29日
「アトピー手記」21歳男性 2010年7月4日
「アトピー手記」匿名希望27歳2013年3月19日
「アトピー手記」20歳男性2007年10月16日
「アトピー手記」20代男性2003年2月28日
「アトピー手記」(お母様記述)20代男性2003年3月2日
「自分の免疫を信じて」 26歳女性2017年4月15日
「アトピー手記」23歳男性 2010年11月5日
「深夜残業の中、アトピーと戦った日々」28歳女性2006年3月29日
「アトピー手記」21歳男性 2010年7月4日
「アトピー手記」匿名希望27歳2013年3月19日
「アトピー手記」20歳男性2007年10月16日
僕が松本漢方クリニックに通い出して6年が過ぎました。そもそもアトピーになったのは、今から10年ほど前の中学1年生の時で、始めは目の上が少しザラザラする程度でした。その頃はまだ、アトピーに関する知識もほとんどなく、市販のオロナイン軟膏などを塗って、すぐに治るつもりで居ました。当然いつまで経っても治らず、段々と患部がまぶたから額へと広がっていきました。また皮膚もザラザラな感じから、膿んでいるような汁が出始め、悪化していきました。
家ではどうしようもなく、皮膚科に行く事になりました。もらった薬を塗ることで、症状が悪くなる事もありましたが、軽くなれば薬を塗る量も減ります。それが原因かはわかりませんが、また元のひどい状態に戻っていました。慌てて丁寧に薬を塗ると、また少しの間マシになり、薬がおろそかになると再びひどい状態になりました。この繰り返しが、病院を一度変えながら、4年ほど続きました。まぶたから始まった患部が、背中や首など全身近くに広がっていました。
松本漢方クリニックを紹介してもらったのはこの頃で、約6年前になります。初めて松本先生に会った時の印象は、とにかくよく話してくれる先生だな~というものでした。今も変わらないですが。「絶対に治してやる!大丈夫だ!」など、自信満々に言ってもらえたのを良く覚えています。4年間、他の病院に通っていたわけですが、治る気配がなく悪化し続けたこともあり、このまま一生治らないのではないかと漠然と思っていました。そんな中、「絶対に治る!」という言葉に随分励まされました。
最初の診察では、まずアトピーの原因と治療法の説明を受けました。「皮膚病は患部に薬を塗る」という程度のイメージしかなかったので、かなり驚いた記憶があります。アトピーなどのアレルギーの原因は、アレルゲンという物質にあって、その物質を対外に吐き出させなければならないそうで、ステロイドを使うと逆に体内に抑えこんでしまうようです。治療法も、そのアレルゲンを早く外に出すために漢方を使うということで、非常に納得出来るわかりやすい話でした。
漢方のお風呂に入り、煎じた薬を飲み出して、1ヶ月ほどで、全身の皮膚が赤黒くなり皮がむけだしました。この頃は大した痒さもなくて、十分に我慢できる範囲でした。体が微熱を持った感じがありましたが、学校に通うのが辛いというほどのこともなかったと思います。まだ余裕がありました。話に聞いていたより随分楽で、少し甘く見ていました。実際は、この時がピークの状態ではなく、僕の場合、本当にひどくなったのは、漢方を始めて4ヶ月ほど経ってからでした。
寝ている間にかきむしった皮膚がひび割れ始め、全身から汁が出てくるようになりました。汁がでていたために、服が皮膚に張り付き、脱ぐのが嫌になるくらいの痛みがありました。異常なほどに皮がむけ、痒みもひどくなり、夜眠れない日も続きました。それまでは嫌だった漢方の風呂が、一日の中で一番楽な時間で、何時間も入っていました。風呂から出るときはつらくて、ひどい痛み、痒みがありました。またそれほど暑くない日に尋常ではない汗をかき、それが原因なのか、全身が針でさされたように痛みました。自分の体が自分の思うようにならず、ひどく惨めで、悔しかったのを覚えています。心が安まることなくイライラと落ち着かず、家族や学校の友達にかなり八つ当たりしていたと思います。
この春の一ヶ月ほどは、「いつまでこんな苦しみが続くのか、本当に快復に向かっているのか。」と、とても不安でした。先生に症状のことを言われていたにもかかわらず、「自分だけは例外で、治らないのではないか。漢方の治療をやらなければよかった。早く止めたい。」など、後ろ向きな考えばかり頭にありました。しかし、このピークを過ぎた後は、今までのことが嘘のように楽になったのを、覚えています。体が確実に快復に向かっている、という実感が持てた事で、気持ちが楽になったんだと思います。
ピークを過ぎてからも、手の甲や、足のかかとにアトピーが出て、なかなか治まらないこともよくありました。3年間ほど春になると症状が出て、秋の終わりになって無くなる、というのを繰り返しました。先生の言われたとおりに消毒をきちんとしていなかったのが原因の一つかな、と今になって思います。消毒液を塗るのが痛くて、よく避けていました。しかし一番苦しかった時期と比べると、全然違って余裕がありました。
今ではちょっとした症状もなくなり、よくここまで治ったな、と思います。結局ステロイドを使った時間と同じくらいの時間がかかりましたが、終わってみれば、苦しんだ時期が嘘のようで、やはり松本先生の話のとおりだったな、と思います。
長い間、僕を励まし続けて下さり、本当に有難うございました。
息子の手記を読んでいて、改めて、苦しい道のりをよく諦めずに闘ってこれたなと、彼の意思の強さに胸が熱くなります。絶えず励まし続けて下さり、心の支えになって下さった松本先生には、言葉では言い尽くせない感謝の気持ちで一杯です。
私も、先生のご説明に納得し確信したものの、結果はすぐに出てきませんので、ましてや一時期よりずっと悪くなったわけですから、正直不安になることもありました。また自分の仕事にエネルギーの大半を使ってしまっている私を気遣い、子供たちの面倒を本当に骨身を惜しまず世話をしてくれた祖父母の陰ながらの支えと共に、葛藤もありました。
当時、難病で入院していた祖父は、息子のことを何よりも大事に思っていましたが、彼の膿だらけの体を見るに耐えず、「本当にその治療で大丈夫か。」と言ったこともありました。愛情深かった祖父に、自分の姿を見せたりそんな言葉を聞くのが耐えられないのか、見舞いに行く事も減っていきました。
毎日の様子は、想像以上のものでした。夜中に隣の部屋から、まるでベッドの上でのたうち回っているような音と、かきむしる音が入り混じって聞こえてくるのです。本人しかわからない苦しみを、ただ黙って見守るしか出来ず、つらい日々でした。風呂上りに薬を塗るのですが、全身の症状の中で特にひどかった背中は、赤黒く固く盛り上った皮膚が、乾燥と膿とひび割れとで、とても人の肌とは思えないほど痛々しいものでした。夏には、汗と膿で、学校には下着の替えを7枚も持たせた時がありました。夜には痒みで眠れず、学校へ行っても居眠りしたり、保健室で休んだり、発熱があって試験を辞退したり、半袖の制服が着られず許可をもらったりと、本当に色々なことがありました。高校の先生も、随分心配して下さいました。日頃弱音を吐かない彼が、「学校へ行きたくない。」と言ったことがありましたが、「行った方がいい。」と酷なことを言ったりもしました。ここで家族が踏ん張らないとと、心を鬼にしましたが、大袈裟じゃなかったと、今は思います。
少し良くなりかけたときに祖父が他界しましたが、今の息子の姿にきっと安心している事でしょう。私自身が弱気になったときにも、祖母は、毎日大量の洗濯物や世話をしながら、息子の愚痴の聞き役にもなり励まし続けていましたし、何より松本先生を信じて、「きっと良くなる。」と言っていました。息子は一番しんどいときに、「先生に会い、話を聞くだけで気持ちが楽になるんだ。」と言って、通い続けていました。お陰で本当にきれいな肌になりましたし、何よりも困難を乗り越えた事で心身ともに成長できたことを嬉しく思います。
私たち家族にとって、松本先生との出会いは生涯忘れられません。心より感謝しています。長い間、本当に有難うございました。
松本漢方クリニックにお世話になり、4年前に手のアトピーが完治しました。2012年4月、バイト先での水仕事により右手中指の内側が荒れてひび割れ、しばらくするとその周りに小さな水疱が沢山出来始めました。水疱の出来た箇所は日に日に痒みが増していき、掻き毟ると水疱の範囲はどんどん広がっていきました。痒くてたまらず、夜も眠れない日々でした。次第に全ての指、手の甲までアトピー(手湿疹だと思っていましたが、後に松本先生から手湿疹もアトピーだと言われました)は広がり、ここで初めて大阪に住む親戚の勧めで松本漢方クリニックを訪れることになりました。
2012年5月のことでした。免疫をあげるため煎じ薬(漢方)を処方していただき飲み始めると、その日から地獄のような日々が始まりました。(笑)煎じ薬を始めた翌日から痒さは増し、赤いぶつぶつも腕の方まで上がってくるようになり、たまらない痒さで一日中掻きむしりました。先生は、「痒いのは自分の免疫が化学物質と闘っている証拠。沢山掻いて良い。」と言ってくれたので、我慢せず思いっきり掻くことができました。時には漢方風呂に入ったり手だけを浸けることにより少し楽になったりもしました。痒みにプラスして、ヘルペスのピリピリした痛みも手全体に感じるようになり、アシクロビルを飲みながらの漢方治療となりました。夜は綿の手袋をして寝ましたが、夜中に掻き毟ることで浸出液がだらだらと出て、手袋はびしょびしょになるため、途中で起きて新しい手袋に変えたりもしていました。痒さで寝付けない辛い日々だったのを覚えています。
しかし、漢方を始めて2週間で、私の手は免疫寛容を起こしたのか痒みはなくなっていき、日に日に綺麗になっていきました。掻いた傷の痕が消えるのには少し時間がかかりましたが、それでも確実に元の肌の状態に戻っていくのが分かりとても嬉しかったです。それも、ステロイドなどの免疫抑制剤を使ったりせず自らの免疫で闘ったからこそだと思いますし、松本先生にはとても感謝しています。もし、皮膚科に行きステロイドを処方されていたら、今でもアトピーに苦しみ悪化し、悲惨なことになっていただろうと怖くもなります。松本漢方クリニックを勧めてくれた親戚、辛い日々を支えてくれた家族にも感謝の気持ちでいっぱいです。
治ってから4年間、素手で何を触っても全く問題がないくらい快適な生活を送っていましたが、最近結婚したのを機に水仕事が急に増え、右手にまた少し湿疹が出来始めました。そのため現在、また松本漢方クリニックで漢方を処方してもらい治療を始めるところです。前回治ったことが自分の自信になっているので、今回も自分の免疫を信じてまた完治するよう頑張っていきたいと思います。松本先生またお世話になりますがよろしくお願いします。
<はじめに>
私は、現在28歳です。20歳でアトピーを発症し、ステロイド塗り薬による治療を3年続けた後、松本漢方クリニックを訪れました。
当時は、東京で一人暮らしをして勤めていたため、大阪の実家へ帰省時に通院し、普段は宅配便で薬を送っていただき、治療に励みました。深夜残業の続く過酷な労働の傍ら、深夜に半分眠りながら漢方風呂に入り、煎じ薬を沸かして飲むという、今では思い出したくもないような忙しい日々でした。
その甲斐あって、半年後には、見た目はアトピーと分からないぐらいに良くなりました。その後は、季節により少しかゆみが出る箇所もありましたが、現在ではどこにも症状がなく、血液検査の結果でもIgE抗体の数値が下がっています。最近知り合った人は、「アトピーだった」と言っても誰も信じてくれない程です。そしてきれいになった肌で、昨年は、結婚式で、堂々とウェディングドレスも着ることができました。本当に、松本先生に出会えてよかったと心の底から思います。
私のアトピーとの戦いについて手記を書かせていただくことにより、これから治療に励まれる方の参考になれば幸いです。またこの手記は、読者の方が松本漢方クリニックホームページにも掲載されている院長の「革命的アトピー(アレルギー)の根本治療法」を読み、理解されていることを前提に書かせていただいております。手記ももちろんですが、治療を始める前に、この理論を熟読し、自分が今、何の目的で、何をしているのかを理解して、治療を進めていくことをお勧めします。
<私のアトピー治療年表>
20歳(1997年)春:アトピー性皮膚炎を発症<IgE抗体値:1500 IU/ml>
(以後、あちこちの皮膚科でステロイドを出され、塗り続ける。)
24歳(2000年)秋:松本先生初診、漢方治療開始<IgE抗体値:4030 IU/ml>
(初診時は象のように黒ずんだシワシワの肌になっていた。)
24歳(2001年)冬:松本先生2度目の受診<IgE抗体値:2791 IU/ml>
(辛いリバウンドが終わり、肌がずいぶんきれいになっていた。)
28歳(2005年)秋:初めての出産
(妊娠を機に、唯一少しかゆみが残っていた頭部のかゆみがなくなる。)
28歳(2006年)春:松本先生3度目の受診<IgE抗体値:688 IU/ml>
(アトピーの症状はどこにもない。血液検査をしていただく為、受診。)
<アトピーと戦った4年間>
1.発症から松本先生に出会うまで~ステロイド漬けの日々~
地元の大阪を離れ、東京の大学に入学して1年が経った20才の頃、左肘の内側にかゆみを感じて、皮膚科を受診した。その頃の私はあまりにも無知で「ステロイド」という言葉さえ知らず、出される薬をただただ塗る。
しかし、少し良くなったと思えば、また悪化し、患部は頭皮、首、顔、膝裏・・・とどんどん広がるばかり。皮膚科をいくつか転々とするものの、結局はどこに行っても同じ。
血液検査したところ、「あなたのIgE抗体値は1500。正常値は170以下ですので、あなたはアトピーです。ダニ・埃・カビ・動物上皮にアレルギー反応があるので、それらを排除して、フローリングの部屋に住みなさい。」と医者に言われる。当時、室内で猫を飼っている伯母の家に寄宿させてもらっていた為、それが原因かと思い、すぐにフローリングのワンルームマンションに引越した。
しかし引っ越して清潔を保っても一向に良くならず。むしろ悪化の一途をたどる。でも女子大生として、お化粧ぐらいしたい。皮膚のために良くないと思いつつ、無理やり化粧をするが、顔はシワシワで、メイクはよれよれ。事情を知らない高校時代の友人に「メイクがヨレてて、変やで。」と指摘されて、張りつめていた糸が切れて人前でワンワン泣いてしまったこともあった。首は象の肌のように黒ずんで、シワシワになっていき、最初は後頭部だけだった頭皮のかゆみも全体に広がり、朝起きたら枕は血だらけ、一日中フケがボロボロと落ちる。だから黒い服は着られない。人前でもかゆみを我慢できず、つい頭をボリボリ掻いてしまう。本当に辛かった。これでは将来結婚できるだろうか、ウェディングドレスは着られるだろうか、と思って悲観的になっていた。
ちなみにこの頃「ステロイド」の存在を知り、自分がそれを使っていることも知るが、その怖さまではまだ知らなかった。今となっては、その時きちんと調べなかったことを猛烈に後悔しているが、「アトピーには、ステロイドを使うものなんだ」と疑いもなく捉えていた。
そんな頃、幼少の頃からずっとアトピーに悩んでいる大学の友人から「アトピーの名医」を紹介される。電車を乗り換え、東京タワーの近くにある総合病院の皮膚科を受診。1年ぐらいはその医者にかかったが、今考えると何のことはない、ただの「愛想の良い」医者だった。「アトピーは、一生付き合っていかないといけない病気だから、気長にね。」と言い、強いステロイド軟膏と、「かゆみ止め」として飲むと強烈に眠くなる赤い錠剤を大量に出す。この内服薬を飲んでアルバイトに出勤し、何度も立ったまま眠りそうになった。今考えれば、その友人だってアトピーが一向に良くなっていないのだから、その医者が「名医」であるはずがないということに、当時の私はなぜ気づかなったのだろうか。
私の肌は、どんどんシワシワのゴワゴワになっていった。かゆくて、タートルネックはもちろん、綿以外の衣服は着ることができなかった。また、ステロイド軟膏の上から「白色ワセリン」や「ヒルドイトソフト」を塗って保湿するようにと医者から指示があった。重ねて塗ったとたん、気が狂うような痒みに襲われて、救急で駆け込んだこともあった。
そして発症から3年の月日が流れ、大学卒業を迎える。その間にはかゆさと戦いながら就職活動もなんとか頑張って、希望の会社に内定をもらっていた。卒業前に友人達と卒業記念の写真を撮りに写真館へ行ったが、アップ写真ともなれば、象のような首がとても目立つ。「みんなきれいなのに、私だけなんでこんなになったんやろう」と悲しくなり、「デジタルで修正できませんか?」とカメラマンに懇願した。
そして卒業式の日。入学した時から両親も楽しみにしていた伝統の角帽と袴姿での記念写真も、ゴワゴワ肌が目立つ。
就職し、配属されたのは、また東京。そしてとても忙しい部署だった。コールセンターのスーパーバイザーという仕事で、いきなり年上の部下をたくさん抱え、顧客からのクレーム対応にも追われるという、精神的にも過酷な業務の上、要領がつかめていないこともあり、毎日終電近くまで残業し、休みもあまり取れなかった。そのストレスもあってか、症状はどんどん悪化するばかり。そして、アトピー治療のことなんて考えることができないぐらい疲弊していた。
そんな私を見かねた母が、行きつけの美容室で松本漢方クリニックでアトピーを完治させた人の話を聞いてきた。高槻は幼少の頃住んでいた懐かしい町。そして実家からさほど遠くない。「実際に治った人の話を聞いたんやから、信じられる!行ってみよう!」と母。しかし、日々の生活に疲れ果てている上、「○○がアトピーに効くらしいよ」「△△にアトピーの名医がいるらしいよ」という情報をあちこちから提供され、試してみても効果がなく、ほとほとうんざりして無気力だった私は、最初正直なところ「またかー。」と思った。だから、私は松本漢方クリニックのホームページを検索してみることすらせず、両親に引っ張られるような形で、松本漢方クリニックの門を叩いたのだった。
2.ハードな仕事とリバウンド~深夜の漢方風呂~
2000年9月4日、日曜日の松本漢方クリニックの待合室は人であふれかえっていた。漢方薬の匂いの中、患者さんの手記を読んで待つこと約2時間。患者さんの「before・afterスライド」を見せていただき、松本先生に「絶対に治してあげるから!!」と力強く握手をしていただいた時の診察室の光景は今でも忘れない。「アトピーは治らない」と“アトピーの名医”とやらに言われ続けてきた私には、この言葉がとても心強く、また衝撃的で、一気に目が覚めた。
また、この時「昔はアトピーなんてなかったのに、なんで今こんな病気があるんだと思う?昔から埃はあるのに、何故昔の人はアトピーにならなかったんだと思う?」と松本先生に質問され、先生の理論を予習してこなかった私は返答できなかった。今まで「そもそもアトピーとは何か」ということを考えたこともなかったことに気づいたのだ。「アトピーとは、“わけの分からないもの”という意味で、原因不明ですから。」という医者の言葉を疑ったことがなかったのだ。松本先生から“埃や食べ物そのものではなく、それを媒体として体内に入ってくる化学物質等を、体が異物と捉えて戦って勝った結果、皮膚を壊して、体外へ排出する、しかしいずれ必ず人間は戦いに負ける日が来る=自然治癒する。だから漢方で行っているのは、戦いの期間中の傷の後始末なのだ”と教えていただき、目から鱗が落ちる思いだった。
帰り道、懐かしい高槻の松坂屋の喫茶店で一息つきながら、親子3人で「頑張ろう」と誓った。その時には、今までお先真っ暗だったのが嘘のように、晴れやかな気持ちになっていた。
東京の1人暮らしの部屋に帰ってからは、深夜残業で帰宅後に漢方風呂を沸かし、日付が変わってから入浴する日々が始まった。松本先生のおっしゃったとおり、リバウンドはすぐ始まった。日に日に患部はひどくなっていったが、それが嬉しかった。不安は一切なく、ステロイド皮膚症から脱皮しているんだなぁ、ツルツルの肌はもうそこまで来ているんだなぁ、と前向きな気持ちだった。
忙しくて、飲み薬を煮出す時間を見つけるのも一苦労だった。眠さとの戦いだった。時にはお風呂で1時間生薬を蒸らしている間にうたたねしてしまい、ぬるいお風呂に朝方に入浴したこともある。風呂の中でうとうと寝てしまったこともしばしば。
そして赤い塗り薬を顔に塗るので、もちろんメイクができないどころか、目の周りは薬で真っ赤。電車に乗って通勤するのも、人に会うのも嫌になったものの、ここでオシャレ心を捨てては女がすたると思い、オシャレな伊達メガネと帽子を購入、そして髪がふれると痒い首元は、綿のシャツの襟を立てるという技で、楽しみながらなんとか乗り切った。
薬が切れそうになったら、仕事の休憩時間に会社の公衆電話から松本先生に電話し、宅配便で送っていただいた。そんな日々が3ヶ月ほど続いた頃、気づけばずいぶん肌は綺麗になっていた。お正月に帰省した際に、母はきれいになった肌に驚いていたほどだ。
そして、治療開始後5ヶ月が過ぎた翌年2月には、顔や首はほとんど症状がなくなっており、かゆみがあるのは肘の内側と頭の中ぐらいになった。ずいぶん良くなったので、一度松本先生に診ていただこうと思い、2001年2月26日に2度目の受診、血液検査をした。
検査の結果、IgEの数値は初診時の4030から下がって、2791になっていた。しかしまだまだ高い値なので、頑張らないといけない。でも、症状の軽減は、数字に見事に現れるのだと実感したと同時に、努力した分結果が出るんだと思い、嬉しくなった。
そして松本先生に「漢方風呂は週に1度ぐらいにしてもいいよ。手記を書く準備をしておいてね。」と言っていただいた。ようやく、少し睡眠時間が増えた。
3.アトピーを克服して~結婚・出産~
実は、2度目の受診直後から、さらに仕事が激務になり、徹夜で帰宅できない日や、会社の椅子で仮眠せざるを得ない日々が続いた。2001年春からその年の冬にかけてはずっとそのような日々で、煎じ薬を飲めない日もたくさんあった。それどころか、多忙すぎて体力的にも精神的にもダウンしてしまい、会社を3ヶ月休職することになったのだ。アトピーの症状は、頭の中と肘と首に少し、という程度になっていたので、さほど日常生活にも困っていなかったが、漢方薬がいくつか余ったまま継続できない状況に陥ってしまい、気ばかりが焦った。
実はそのまま、5年の月日が流れて今日に至る。その間に結婚し、退職し、人間らしい生活を送るようになるとともに、日増しに症状は軽くなっていき、見た目にアトピーとは分からないようになっていた。おかげで、結婚式には肌をたくさん露出したウェディングドレスも堂々と着ることが出来た。
そして昨年の妊娠を機に、最後に残っていた後頭部の症状も消えたのだ。長らく失礼してしまったが、一度ちゃんと松本先生に診ていただき、遅くなってしまったが出来ることなら手記を書かせていただきたいと思っていたところに、昨年生まれた娘がアトピーになった。そして久々に松本漢方クリニックのホームページを何度も何度も読み直し、5カ月の娘を抱えて新幹線に飛び乗って、久しぶりに受診させていただくこととなった。
久々の血液検査の結果、IgE抗体値は、なんと688にまで落ちていた。私の体は化学物質に負けを認めてきているようだ。個別のアレルゲンに対する数値も、ダニは10分の1、ハウスダストは7分の1程度に落ちている。
今は症状はどこにもなく、「ひどいアトピーだった」と言っても信じてもらえない。そして湿疹や創傷で真っ赤な顔の娘をつれて歩いていると、1日3人ぐらいの見知らぬ人々から「あら、アトピー?かわいそうに、治らないんでしょう。塩水がいいってきいたわよ。」「ドコソコのお医者さんがいいって噂よ。よくきく軟膏を出してくれるらしいわよ(←どうせステロイドだろう)」等と言われるが、「アトピーは治るんですよ。だって、私もアトピーだったんです、きれいになってるでしょ。」と自慢の肌を見せつけている。相手は黙る。ああ、なんとも爽快だ。ステロイド漬けのあの頃には、こんな日が来るなんて思わなかった。
本当に、松本先生に診ていただいてよかったと思う。感謝の気持ちでいっぱいだ。そして、あの時無気力になっていた私を引っ張り出して、松本漢方クリニックに車で連れて行ってくれた両親、なかでも娘のアトピーに有効な情報をあちこちでかき集めてくれ、松本漢方クリニックへ導いてくれた母には感謝したい。
そしてアトピーの娘を持った今、「あのままだったらきれいな花嫁衣裳は着られないと思ったから、なんとしてでも治してあげたいと思った」と言った母の気持ちが痛いほどわかる。今、娘も松本先生にお世話になっていてリバウンド症状が始まっているが、自分の経験が何よりの証拠なので、ドンと大きく構えて治療を楽しんでいる。娘のツルツル肌を取り戻す日を楽しみにしながら。
<さいごに>
最後になりましたが、これから治療に励まれる方には、途中辛い時期もあると思うが、どうかあきらめずに頑張っていただきたいと切に願います。松本先生のおっしゃるとおり、人によって完治までの期間はそれぞれだと思いますが、必ず終わりは来ると私は信じています。
忙しい診療中に、何度も電話で相談に応じてくださった松本先生の「何かあったら、いつでも電話するように!治してあげるからねー!」という電話の向こうの大きく力強い声は忘れません。本当にありがとうございました。娘の治療でこれからもお世話になりますが、よろしくお願いします。
花粉症とアレルギー性皮膚炎の漢方治療
はじめに
松本先生のおかげでアトピーを治すことができ、感謝の気持ちでいっぱいです。遅くなりましたが私の治療の手記をお送りします。
治療中、心が折れそうになった時のことも正直に書きますのでどうぞお許しいただきたいと思います。
Ⅰ.ステロイド治療に対する不安と疑問~松本漢方クリニックとの出会い
私が覚えている範囲で皮膚科を受診し、ステロイド治療をしたのは下記のとおりです。ステロイド使用後は症状が治まった(実際は治まったように思えた)が、再発を繰り返し、その症状は年々重症化していきました。
高校生の時に受診した皮膚科で処方された薬について、薬剤師から薬についての説明で、「今日処方されたのはステロイド剤です。長く使い続けると皮膚が薄くなって赤くなる副作用があります。とくにチューブタイプのこの薬は強い薬です。だから良くなったらなるべく早く使用を中止してください。」と言われました(実は私はこの薬剤師に感謝しています。なぜなら、ステロイドについての疑問と不安を感じるきっかけを作ってくれたからです。そのおかげで松本漢方クリニックにたどりつくことができました。ステロイドについて知らなければずっと疑わず使用し続けていたと思います)。
その時、私は『長く使うと良くない薬なんだ。塗って大丈夫なのだろうか?』と不安を感じました。でも、薬を使わないとかゆみやじゅくじゅくが治らないと思い、他に方法を知らなかった私はそれらの薬を塗布しました。ステロイドはよく効いて、じゅくじゅくだった皮膚はあっという間に奇麗になり、しっとりすべすべの肌になりました。それが嬉しくて、カサカサしていた胸元に首回りの延長だからと弱いステロイド入りのワセリンを1~2回くらい薄く塗布したこともありました(これがのちの後悔に追い打ちをかけることになりました)。
皮膚の病気は繰り返して発症し、薬を塗るたびに症状は落ち着きました。
でも治ることはありませんでした。薬剤師の言葉がひっかかった私は、症状が出るたびに、あちこちの皮膚科を受診しましたが、どこの皮膚科を受診しても処方される薬は同じだったため、この病気にはこの薬しかないのだと思っていました。
しばらく症状が落ち着いていたのですが、社会人になって2年目の秋、
今まで見たことのないくらい顔(とくに目の周り)がパンパンに腫れ視界が狭くなり、首には強いかゆみを伴う赤黒いまだら模様が浮かび上がりました(今までで最もひどい症状でした)。当時は窓口業務にあたっていた私でしたが、
症状のあまりのひどさに受診を勧められ、近所のアレルギー科を受診。
血液検査の結果花粉症(スギ、ヒノキ、イネ、ブタクサ全てに高い数値が出ていた)と診断され、やはり学生時代に処方された薬に加え、錠剤や点鼻薬が処方されました。錠剤は、症状が出ていても出ていなくても飲み続けたほうがいいと言われました。薬の説明書を読むと、「妊娠中は使用しないでください」とありました。
私は次のような不安と疑問を感じました。
疑問1
一向に治る気配がなく、症状が治まっては発症を繰り返している。
このままステロイドを使い続けて大丈夫なのか?
疑問2
『妊娠中は使用できない』と書いてあるが、妊娠中に花粉症やアレルギー症状が出たらどうするのか?その時は痒みを我慢するしかないのか?
一生飲み続けないといけない薬、体に毒ではないのだろうか?
疑問3
どうにかしてステロイドを使わなくても病気を治す方法はないのだろうか?
そんな不安と疑問を抱えながらもステロイド治療を続けていたある日、職場のある上司に『ステロイドを使わないでアトピーを治療してくれる病院が高槻にある。孫がそこで治療してアトピーが治った。良かったら受診してみてはどうか』と情報をいただきました。ステロイドを使わない治療を探していた私は思い切って受診することを決意しました。
Ⅱ.漢方治療の経過
松本漢方クリニックを受診。漢方の飲み薬と入浴剤、赤い軟膏などをいただき、早速その日から治療を開始。持っていたステロイド剤等は全て処分(もちろん松本漢方クリニックを受診してから現在までステロイドは全く使用していません)。
頭のじゅくじゅくは一番症状がひどかったですが、治るのも早かったです。最後まで症状が出ていたのは首でした。しかも脱ステロイドで最後まで反応していたのが、自分が高校生の時に何気なく塗った首回りから胸元にかけての範囲でした。ステロイドを塗ったところと塗ってないところの境の色が明らかに違ったまま1年間が経過。皮膚の赤みは秋のみの症状だったのにこの年だけは症状が一年中続きました。もちろん今はその境もわからなくなりましたが、最後のリバウンドだったのか、ステロイドの恐ろしさを改めて感じた瞬間でした。
Ⅲ.治療中に思ったこと
こんなことを書いたら先生に怒られるかもしれません。先生には申し訳ないのですが、治療中に一度だけステロイドの誘惑に負けそうになった瞬間がありました。
それは松本漢方クリニックに通い始めて3年目、自分がずっと夢を見ていた結婚式を控えた時のことです。
『首がガサガサごわごわしたままの花嫁なんて嫌だ、結婚式の日だけは奇麗な私でいたい。もしどうしても結婚式までにガサガサごわごわが治らなかったら、この時だけちょっとだけステロイドを使いたい』と弱い心でそう思ったのです。
ですが、ステロイドは使用せずに結婚式を迎えることができました。その頃には首に赤みが残っていただけだったのでファンデーションで隠してもらい、式を終えることができました。
松本先生、治療中に私は本当に一度もステロイドは使いませんでしたし今も使っていませんが、あの時は心の中で負けそうになってしまってごめんなさい。でもステロイドを使わずに乗り切ることができ、今は本当に良かったと強く思っています。そしてそれは先生の明るい元気な声や、周りの支えのおかげだったと、今でも感謝しています。
ステロイドは使用すれば症状は一時的に治まったように見えるのですが、そのあと訪れるリバウンドはステロイド使用前よりも本当にひどいものだということを私は長年繰り返しながら経験してきました。
アトピーの治療は本当に根気が必要と思います。身体的にも精神的にも、根気と周囲の理解と支えが不可欠です。私は先生や、松本漢方クリニックを紹介してくださり励ましてくださった上司、そして治療を応援してくれた家族に感謝の気持ちでいっぱいです。おかげで今はステロイドなしで生活することができるようになりました。
去年生まれた娘は、私の遺伝子を強く受け継いだようで、生後しばらくして乳児湿疹と診断されました。最初は赤いぽつぽつとした湿疹がでていたのが次第に頬から目尻、耳にかけて赤くなり、じゅくじゅくガサガサになりました。
ですが、やはり松本先生にお世話になり、ステロイドを使用しなかった娘は私よりかなり早い期間で完治することができたところです。そのことはまた娘の手記に記したいと思います。
おわりに
私と私の娘の治療を乗り越えて思うことは、まず、ステロイドに対して疑問・不安を持つことができて良かった、ということです。
そして、ステロイドを使用せず、松本先生の薬で治療を続ければ、私の娘がそうであったように、長年使用してきた私よりもずっと早い期間で治すことができるということです。もちろん治療には身体的にも精神的にも辛さを伴います。そのため根気や周りの支えが必要ですが、乗り越えることができたからこそ、ずっと薬を使用しなければならなくなる体にならずにすんだのだと思います。
松本先生、病院のスタッフの皆さま、本当にありがとうございました。
また何かありましたら、その時はどうぞよろしくお願いいたします。
私がアレルギーに対して持つ、一番初めの記憶は小学校低学年の時だったと思います。その頃は単なる喘息持ちの病弱な子供で言うだけで‘’こういうものなのだ‘’と、特別イヤだという気持ちは持っていませんでした。
ただその頃から松本漢方クリニックに至る間での間、気功やらなにやら転々と病院に通っていて、どこの病院に通おうが、同じであるという印象だけが大きなものとなっていました。私も他の方と同じように初めが喘息で、後にアトピーにかわりました。
それまでは特に気にならなかったのですが、アトピーはとうてい無視できるものではありませんでした。
高校1年生の秋から、高校2年生の冬に至るまで、本当に辛かった記憶があります。それでいて、私の家ではとにかくステロイドはいけない、という教えがあったので薬を率先して使うことはありませんでした。高校2年生の冬、私が松本漢方クリニックに通いだしたのが、その春からなので、それが一番辛い時期だったと思います。本当に辛い時期はベットに手を縛って寝ていました。そして、春から松本漢方クリニックに通い始めました。
漢方は飲みずらくて苦労しましたが、治る為だと思って飲んでいます。
本先生は、絶対に治ると言ってくれたので、私も頑張る事ができました。
それから、リバウンドがあると松本先生は言っていたのですが、通い始めたのが春で、一番辛い時期を過ごした後だったため、対して気になる事はありませんでした。
数値は少しずつ下がっているのでこれからも頑張ります。