私のア ト ピ ッ ク 履 歴
幼い頃は、他の人が普通に使っている入浴石鹸は使わず、「ハイレン石鹸」とかいうのを医者から指示され、また下着は勿論、綿100%のものに限っていました。また実際、ナイロン製のマフラーは、首をチクチク刺激し、不快だった記憶があります。
小学低学年の頃は、鼻がグズグズし、これまた不快で、鼻のまわりが常にただれていました。近所のおばあさんから「最近、オロナインという、よく効く軟膏があるそうやから、子供さんに使ってあげたらいいのに。」と言われ、それを不愉快そうに漏らしていた母を覚えています。
その頃から、喘息の発作もときどき出るようになり、発作時に、ドイツ製吸入薬を医者の指示で使用しましたが、吸入すると、心臓の心拍数が上がるので、幼いながら、本能的に拒否した記憶があります。
思春期にはいると、指先や手のひらに、水泡が出来たかと思うと硬くなり、ひび割れて、これまた不自由で、苦痛でした。又突然、就寝まえに、足の親指が異常に痒く、パンパンに膨れ上がってしまい、翌朝には、腫れがひいていたこともありました。山芋入りお好み焼きを食べた後、胃痙攣を起こし、唇まで浮腫で膨れ上がったこともありました。でも自分では、他の人との違いは、アレルギーが少し強く出るだけだと思っていました。
中学3年になると、受験のストレスからか、しばらく出ていなかった喘息発作が、たびたび出るようになり、近所の小児科で、医者から、体質改善という注射を受けるように指示されました。でもその注射が、本能的に何だか将来的によくないもののように感じて、途中で行かないようにしていたら、医者の方から「途中で止めたら身体に悪いから、続けて来なさい。」と注意されました。
高校、大学とは、指先のひび割れはずっとありましたが、喘息のことなどすっかり忘れているくらいで、体力もつき、アルバイトに水泳コーチをする余裕さえありました。また友達にも、指先に湿疹が出来易い人がいて、彼女が「アレルギー、どこかにいつも出ているわ。」と、気楽にお付き合いしているのを間近に見て、「こんな風にやっていくのも、ひとつの方法なんや。」と思ったものでした。
その後は、常に鼻がグズグズしやすいのはありましたが(今も出そうです)、かなり元気で、希望どおりの職種に就職出来、病院とは縁遠く、毎日が充実していました。
そして結婚後、第一子を妊娠中は、春先に一時的に鼻炎に悩まされ、第二子を妊娠した頃からは、1ヶ月ほど、夜中に蕁麻疹が出ては目が覚め、悩まされました。手の指に出来る湿疹も、綿手袋とゴム手袋をするなどで我慢していましたが、蕁麻疹は、睡眠中に出てつらいものがありました。それで、育児が第一と思い、皮膚科に通い始めるきっかけとなりました。
そして忘れもしない、’95年3月18日、前日から何だか息苦しさを覚えていて、昔経験したあの喘息のような・・・だんだんと苦しくなり、夜眠れるかなと思い、高槻市内の総合病院へ行きました。随分と待って、呼吸時の酸素量を調べられたり、一通りの問診を終えた後、「点滴をしましょう。」と告げられました。看護婦さんが『すぐに楽になりますよ。』と言われたように、点滴後1時間するかしないかで、呼吸しやすくなりました。
それからは一年くらい、何のアレルギー症状も出ずにいたのですが、’96年の春過ぎくらいから、脚のあちらこちらや手のひらに、吹き出るように湿疹が出来始めたので、「松本漢方クリニック」を訪れました。
それからは、誰もが知るリバウンド・・・じわじわと辛くて、暗い毎日。『うゎっ、注射や。』と、即座に松本先生に言われたように、ステロイドの結果として、私の胸、お腹、そして背中に向かって、黒くて恐ろしい変性細胞が広がっていきました。その後の苦しい生活は、正直なところ、思い出したくないほどで、毎晩眠ることも出来ず、疲労が蓄積され、何時間もベッドの上で、前かがみで、体中の痒いところを掻き続けました。そのために、腰痛まで引き起こしました。
どのくらいの量のステロイドを入れられたのかを知りたいのと、また実際リバウンドの激しさを知ってもらいたいのとで、病院長に会いに行き、伝えました。カルテから、当日の症状と使用した薬、担当医がわかりました。
症状 : 急性咽頭浮腫
使用した薬 : ソルメドール125mg
製薬会社 : アップジョン社
直接処置をした医者にも会いたいと、病院担当者に伝えましたが、『担当医に話しはしておりますが、会うことを拒まれております。』と。それもそうでしょう。とっておきの万能薬にクレームをつけられることは、彼らそのものを否定することなのですから。それを証明するかのように、可愛い我が子にアレルギー症状が出ると、すぐさま、ここ松本漢方クリニックを、遠路はるばる訪ねて来る、現代医学を修得した医者が数名いる事実を、どう理解しますか!
が、今の私は、『運が良かった。』と素直に思っております。どんな形にせよ、幼い頃からの蓄積が、必ずリバウンドとして現れたでしょう。そんな自分の身体を、本当に健康な体にするという答えを出してくれる松本先生、「西洋医学の理論に精通し、なおかつ東洋医学の経験を融合された名医」に巡りあえたのですから。
また現在は、17歳のこどもが、よく微熱を出し悩まされることで、先生には、大変お世話になっております。再び闘いの日々の中ですが、先生を信頼し、治療を続けさせてもらいます。また、こどもの経過を、手記に綴らせてもらうことにもなるかと思いますが、よろしくお願い致します。
「アトピー手記」匿名希望58歳2011年11月9日
平成23年3月より松本先生の御指導を受けております。6~7年前から両手の指が荒れ始め、アカギレ、小さな水泡、痒みが出て市販薬を用いていましたが、いっこうに治らず、皮膚科を受診しました。更年期によるホルモンバランスのくずれかも?といわれステロイド薬とそうでない軟膏を繰り返し用い、良くなったり、又逆戻りの繰り返しで、医師からは皮膚が薄くなりますとは言われていたものの仕方なく使っていました。
しかし3月から急に顔全体に湿疹が出始め花粉症によるものと言われ、塗り薬を処方されましたが、1週間してもなかなか治らず焦りました。以前から存じていました。松本先生を思い出し漢方でしっかり治そうと思いました。先生から言われた言葉はアトピーです。考えもしなかった言葉でしたが、ただ治りたいそれだけでした。
顔はマスクをしないと外出も出来ず、まぶたまで腫れあがる時もありました。
3ヶ月半マスクは、はずせず夏に向かうにつれうっとうしい事もありましたが、真夏になるにははずせました。そして手の方は手袋をはずす事も出来ず、これは今も続いておりますが、以前と比べると指がかなり乾燥し、少しつつ楽になってきています、6~7年間ステロイド薬を使い続けたので、時間がかかっても必ず元の指になる事を楽しみにしています。
松本漢方クリニックで治療を始めたのは平成22年7月30日。
早いもので1年8ヶ月が経とうとしています。
私は物心がついた時から首や脇の外側に部分的ではありますが湿疹が出ていました。今のように「アトピー」という言葉も無く情報もあまり無く、母が買ってきたステロイド剤『フルコート』をたまに塗っていました。
それから小中高校、短大、就職、結婚、出産と環境は変わりましたがアトピーの範囲や状態はあまり変わらず月に数回ステロイドを、そしてプロトピックも使用しました。
40歳の春頃に首のアトピーがひどくなり京都のT病院を書物で知り月に一度通い、漢方+ステロイドの治療を5年間続けました。
後で松本先生よりその治療が著しく条理に反する事だと聞き(漢方で新陳代謝を良くした身体にステロイドを入れる)大変驚きショックを受けました。
その後平成22年の6月下旬に顔にアトピーが出たのです。
原因はわかりませんが仕事のストレスかもしれません。
京都の皮膚科に2件通院しましたが、お決まりの治療方法で抗アレルギー剤+ステロイドを出されました。
長年の経験でこんな治療では良くならない・・・・。
そんな時会社の同僚が松本漢方クリニックで治療され良くなられた事を聞き松本先生にお世話になって根本的に治療しようと決心しました。
初めて受診した時、先生に「必ず治してあげる」と握手していただき、看護師さんからは「いろんな病院に行かれたのですね、でもここが最後の病院になると思いますよ」と心強い言葉をいただきました。
治療は煎じ薬と赤と黄色の軟膏でした、漢方風呂は諸事情で数回しか入りませんでした。私は煎じ薬を飲んだ翌日から両腕と首にデトックスが出始め10月の上旬から本格的にひどい状態になり、両腕は軟膏を塗ってガーゼで覆い首はハイネックシャツで隠しました。
痒くて痛い日々でしたが会社は休まずに行くことが出来ました。
山を越えたのが22年12月の下旬で首と腕から少しずつきれいな肌が出てきました。
でもリバウンドが2ヶ月に1度くらい半年程続きました。
半袖を着る季節には首・腕ともに改善し、現在は腕もきれいな肌になり両耳の下に少し発疹が残っている状態です。
顔は漢方を飲んでから次第にはりのある肌になった気がします。
途中から粉薬に変えましたがステロイドやプロトピックに頼り恐る恐る生活していた日々から免疫力がつき健康な肌色になりました。
もう少し時間がかかるかもしれませんが治療を続けたいと思います。
松本先生を信じて良かったです、ありがとうございました。