私が松本先生にお世話になってより、1年半になります。今では、あんなに痒くて痛かった症状が、嘘のように綺麗になりました。
最初にアトピーの症状が出たのは、3年前の夏でした。近くの皮膚科に行ってみましたが、その時は、アトピーとは言われず、湿疹と言われて、出された薬を塗りました。そうすると、驚くほどすぐに治ったので、気にも留めませんでした。
でもまた1年後に、今度は、もっとひどい状態になったのです。手だけしか出ていなかったのに、次は、足、尻、背中、そして顔、髪の毛の中まで、赤く、痒くなり始めました。そこで初めて、自分がアトピーであると言われたのです。でもその時、「アトピーって何だろう?」と思いました。今まで聞いたことはあっても、自分とは無関係だと思っていました。でも、それが、いかに大変な病気であるかは、思いも寄りませんでした。
そして、そこで言われたことは、「アトピーは治らない。だから、その病気と、うまく付き合っていくしかない。」みたいな事でした。ショックだったし、どうしたらいいかもわかりませんでした。だから、いろんな診療所にも行きましたし、大学病院にも行きました。でも結局、言われることは一緒で、「治らない。諦めよう。」と思っていましたが。知人の紹介で、最後に行き着いたのが、松本先生のところでした。
私に、初めて、「アトピーは治るから、安心しなさい。」と言って下さいました。「本当にそうかな。」と思いましたが、今思えば、松本先生を信用してよかったです。今まで病院に行って、これほど感謝したことはありません。
「アトピーは治る」それだけは、絶対に言えることです。自分の周りにも、やっぱりアトピーで困っている人がいますが、自分が治ることで、アトピーは諦めなくてもいいということを証明したいし、「松本先生の言っていることは、本当なんです。」と言いたいです。
まだ完全には治っていないけれども、このまま漢方のお茶を続けていきます。今では、とっても美味しいですよ。
私は物心つくかつかないころから、喘息もちで、小学校を卒業するまで吸入を手放せず、特に季節の変わり目は近くの内科に必ず一度はかかる、という状態でした。また、小学校3・4年ではアレルギー性結膜炎も出て、たまに、鼻炎も出ていました。
アトピーが出始めたのは中学校2年になるころ。おでこのあたりに急にぶつぶつとにきびができはじめ、それをつぶしているうちにつながってかさかさになり痒くなり、ひび割れて、目も痒くなり出し、かいているうちにまぶたががさがさになり、顔中、赤くひび割れ、朝起きて目を開けると、ひび割れたまぶたから血が出る、という状態になりました。そこで病院にいき、ステロイド剤で(リバウンドがくるとも知らず、)一時、症状は落ち着きました。しかし、すぐにまた、同じ状態になってくるのです。今度は皮膚科をやめ、小児科に行きました。小児科で、「あたらしい飲み薬で、副作用がない」ということで、名前もしらない薬をもらい、飲み、それでしばらく、高校2年くらいまで、なにもなく、たまに喘息や結膜炎が出る程度になりました。しかし、高校2年ころになると、今度は頭皮と腕の内側、ひざのうらに出てきました。ステロイドはよくないとはしりながら、とりあえず一時、症状を抑えるのにはステロイドに頼るしか方法を知りませんでしたので、使ってはやめ、また少し出ては使いつつ、食べ物や水に気をつけるといいといわれればそれを注意していいものをとるようにしたり、石鹸を自然のものに変えてみたりしました。
それで、大学から結婚するまではステロイドは一切使うことなく、化粧品も自然はのものを特別に仕入れて使うようにして、アトピーに悩まされることなく、また、喘息も吸入など使わずになおってしまうまでに落ち着きました。
しかし、結婚して次の春、夜、眠れないくらいのアトピーが頭皮、それから、今まで出たことのなかった首などにも出始めたのです。もう、ステロイドは絶対に使いたくない、と本能的に思った私は、近所のアレルギー科の先生の「症状が落ち着くまで少し使うだけ、神経質にならなくていい」という説得を無視して、インターネットでステロイドを使わずにすむ方法がないか、頭をかきかき、ふけを(そのとき直径1.5から3センチくらいのかたまりで頭皮がむけていました。血もにじんできて、リンパ液と血で固まったようなものもありました)ぱらぱらおとしながら、ひたすら探し、先生のホームページを見つけたのです。
主人の「何も大阪まで行かなくても・・・」の言葉を無視し、松本漢方クリニックのドアをたたきました。病院の中に入ると、なんともいえないここちよい漢方薬の香り、アトピー再発から、一ヶ月、「苦しかったけどなんだか何とかなりそう」な予感がしてきました。待合室で大勢の方の手記を読み、先生のお話を聞き、勇気付けられたものの、その治療法を知るや、正直「げげ!めんどくさい!こんなの出来るかな」と思いました。「でもやるしかない!これで苦しみから解放されるなら!!」と奮起しました。
ずっしりと漢方薬を持ち、匂いをぷんぷんさせ、嬉々として帰ってきた私を主人は奇異な目でみつつも、私の目にらんらんと力が入っているのに説得されたのか、治療に協力してくれることになりました。しかし、80度のお湯をどうやっておふろの3/1も用意するか、はじめは大変で、3日でくじけそうになりました。そのころ仕事をしていて、残業は毎日12時近くまで、通勤時間は一時間半だったので、「この治療するより寝たほうが治るんじゃないか?」と思うこともありました。しかし、初めてお風呂に入り、くすりをのみ、軟膏を塗った夜から、一ヶ月ぶりにもどってきた安眠を手放すわけにはいきません。「考えてみたら、やめてもどうせねむれないんだ。」実家の家族や主人にも協力してもらい、治療を続けて行きました。
一年たち、2年たち、先生に「フィニッシュにむけていきましょう、後もう少しです」といわれ、新しい薬をはじめてまもなく、妊娠しました。妊娠したとたん、激しいつわりで、とてもとてもお薬をせんじることものむこともお風呂にはいることも、できなくなりました。そもそも、おきていることさえ苦痛で、会社は辞めざるを得なくなり、退社。子供が生まれるまで、つわりになやまされ、廃人のような生活を強いられ、体重増加は5キロでこの夏、出産しました。
妊娠中は、幸いアトピーは全くでませんでしたが、産後、なぜか左の腰の部分にまたアトピーが少し出てきてしまいました。しかし、痒くて眠れないようなことはありません。
また、先生に連絡をとって、みていただきたいのですが、産後、お風呂場で滑って腰をいためてしまったため、下半身が今不自由になってしまっており、歩くこともままならないので、いくことができません。子供の世話もできず、ずっと実家で世話になっている状態です。
おまけに、子供が、どうやらアトピーのようです。
主人が近所のお医者様でステロイドでないものを処方してくれるという話をききつけて、つれていき、飲み薬と塗り薬をぬったら、次の日から急につるつるになってしまい、「これはまずい!」と思い問い合わせたところステロイドではないものの、抗ヒスタミン剤がつかわれているとのこと、一刻も早く、先生のところに連れて行きたい毎日です。今は「アトピコスキンケアオイル」を塗るしかできません。
先生、また、お世話になります。お電話いたします。
手記が遅くなって本当に申し訳ございません。
写真ですが、自宅にあり、まだとりにいくことができません。
元気になって、歩けるようになったら、必ずお送りいたします。
私はあと少し、またがんばろうと思います。
子供がまたお世話になります。
よろしくお願いいたします。
「アトピー手記」33歳6歳4歳2003年12月20日
松本漢方クリニック 様
お世話になります。先日は、息子達を治して頂き、有難うございました。
平成13年4月に、二人の息子と私は、アトピー体質で、こちらの松本漢方クリニックを訪れました。当時、下の息子は、2歳11ヶ月でした。玉子と小麦を食べると、肘の裏がぐじゅぐじゅとただれ、顔や頭も、カサカサと白い粉をふいたようでした。眠る時、掻きむしる為、髪は抜け、出血し、ぐっすりと寝る事も出来ませんでした。
上の子は、下の子ほどひどくはありませんでしたが、やはりサメ肌で、冬は、あちこちバリバリと掻いていました。(当時 4歳11ヶ月)
私は、主婦湿疹がひどく、指の間や、手の平に、小さな水泡がたくさんありました。起きた時や、ストレス、温かい時など、つい掻いてしまい、その度に広がって、あかぎれと痒みに悩まされていました。
松本先生にお話しすると、「必ず、治してあげますから。」との言葉を頂き、驚きました。今まで、「必ず、治してみせる」などと約束して下さる先生など、いなかったのですから。
赤い塗り薬とお風呂に入れる入浴剤、それから消毒液と熱が出た時の飲み薬、わたし用に、煎じ薬を頂きました。その日から、赤いお風呂に入りました。入浴剤は、お風呂に入れると赤黒く、漢方の香りが、如何にも効きそうだと感じました。1時間も入るので、息子達は、始め出たがりましたが、少しすると、「赤いお風呂は、キモチいい!」と言って、お風呂に入ったその日から、掻かなくなりました。
3日ほどお風呂に入った時、背中に、ぶつぶつと湿疹が出てきました。ひきがえるのような背中になったので、心配しましたが、「これは、悪いものが体の外へ出ようとしているのだな・・・・・」、主人と話し、様子を見守りました。そして、ぶつぶつは、少し経つと消え、顔や頭にあったかさぶたのようなものは、なくなりました。
私の頂いた煎じ薬は、何とも言えない味で、少し冷ましてから、ぐ──っと、一気に飲みました。息子らと一緒にお風呂に入り、息子らと同様に、痒い所に、一番に絞った入浴剤をつけ、その後、赤い塗り薬をすり込みました。そして手袋をして寝ると、朝には、水泡が点々になっていて、それが剥がれてくると、下から、綺麗な皮膚が出てくるのです。
上の子は、もう、普通の子とほとんど変わらない生活が出来るようになり、下の子も、生の玉子とチョコレート以外は、食べられるようになりました。
私の湿疹は、赤い塗り薬で、随分痒みも取れて、とても綺麗になりました。シャンプーや石鹸も使えるようになり、喜んでおりましたが、つい先日、友人宅で、ゴム手袋を使った所、また再発してしまいました。また、松本先生に治して頂こうと思っています。
「松本先生と出会って」35歳女性2006年2月10日
私は、中学生の頃から、アトピーになりました。まず、手荒れから始まり、汗をかくと、首や関節の内側が痒くなりました。近くの皮膚科を受診し、薬をもらい、お風呂上りに塗って、寝ていました。いつ頃か忘れましたが、TVのニュース等で、ステロイドは副作用があると言う事を知りました。実際ステロイドを使うと、翌日にはツルツルの肌になるのですが、何日か経つとまたカサカサの肌に戻ってしまうという繰り返しで、結局ステロイドが手放せない状態になっていたのです。
「ステロイドは使いたくないなー」「どこかステロイドを使わずに治してくれる病院はないだろうか・・・」と思い始め、沢山の皮膚科を受診し、ステロイドを使いたくない旨を伝えたのですが、「そんなにきついのを出してないから大丈夫」「これは赤ちゃんにも使える弱いのだから大丈夫」「きっちり塗らないと治りませんよ」etc.言われ、「あーまたこの病院もステロイドか・・・」と、がっかりして帰る日々でした。でも、それまではアトピーと言っても、首や関節の内側、手荒れ位だったのですが、28歳位から症状がきつくなり、今まで出た事が無かった顔にまで出始め、顔は隠し様が無いので本当に辛い日々でした。
外へ出ると人の視線が気になり、何も悪い事をしていないのにうつ向き加減で歩いて、鏡を見るのが怖くて辛い、辛い日々でした。
そんな時に、知り合いから松本漢方クリニックを紹介してもらいました。
病院に着くなり、“ステロイドは使いません”とか“アトピーは必ず治ります”etc.の張り紙がしてあり、まさに私が捜し求めていた病院に、やっとたどり着く事ができたのです。松本先生が「必ず治してあげるからね。」と握手してくださった事は今でもはっきり覚えています。そして、その日から漢方風呂と煎じ薬の治療が始まりました。
煎じ薬は「うわぁ~~マズイ!」と思いましたが、「これで治るのなら・・・」と思い、頑張って飲みました。
お風呂は結構気持ち良くて、1時間頑張って入りました。そして赤い塗り薬を塗って寝ると、朝シーツに消しゴムのカスの様なものが、ポロポロ、ポロポロ・・・と落ちていて、まさに皮膚が生まれ変わっているという感じでした。
顔には一度もステロイドを塗ってなかったのが良かったのか、1ヶ月もすると辛かった赤みも取れ、精神的にもすごくラクになりました。
今まで痒いのをできるだけがまんしたりしていましたが、松本先生は「痒い時は掻いていい」と言われ、その言葉も私の心をすごくラクにしてくれました。以前は掻くとすぐに皮膚に傷がつき、血や汁が出ていましたが、掻いても少々の事では血も出なくなり、肌の質が変わってきたような感じでした。
その後私も妊娠、出産をし、慣れない育児に追われ、一時治療を休んでしまっているので、いまだに、汗をかくと首が痒くなったり、手荒れ、花粉症などもありますが、それでもステロイドを一切使わず、普通の生活を送れる様になりました。(花粉症は、以前ステロイドの注射を2回お尻に打ったので、なかなか治らないのです・・・)
今、アトピーがきつくて辛い日々を送っておられる方、私のこの手記が少しでも役立てば・・・と思います。
最後になりましたが、松本先生、本当にここまで私の体を良くして下さって、感謝しています。ありがとうございました。いつも沢山の患者さんで忙しそうにしておられる松本先生の体も心配です・・・。どうか、これからもお体に気を付けて、アトピーで苦しんでおられる患者さんの為に頑張って下さいね。
私も完治できるまで、まだまだかかりそうなので、その時までどうぞ宜しくお願い致します。
松本先生へ
私が松本漢方クリニックを知ったのは、偶然でした。
3年前、外に遊びに出ていて、紫外線を浴びたのがきっかけだったのか、その2,3日後、顔が痒く赤みも出てきたので10年前の苦い経験を思い出し、不安になりました。10年位前にも、ひどいアレルギーに悩まされ、それは化粧品がきっかけでした。外出できない程の醜い顔に5年悩み、なんとか薬を使わずに治したい一心で広告を見ては、良いとされる水やお茶、石鹸など、色々試しましたが、どれも効果がなく、見かねた親にお願いされたのもあって、池田の回生病院で診てもらうことになったのです。当時、皮膚科の部長で名医だと聞いていましたが、どうせ薬を出すに決まってる、と始めから先生というものを信じていませんでした。私は、知識としてステロイドなどの薬は症状を抑えるだけで治療のためのもなではない、ステロイドは恐ろしい薬だというのを知っていたのです。先生は私の顔を見るなり、「よくそんな顔で生きていたなぁ」と言ったのです。そして案の定、ステロイドを処方され、これで良くなるから、と薬をもらい帰りました。痒みとこの情けない顔から開放されたい、薬の怖さを知っていたのに薬を手にしたのがきっかけで、この時使ってしまったのがステロイドの使用の始まりです。麻薬のようなものですね、ステロイドは。薬があると安心するのです、塗れば良くなる、そして薬の虜になり抜け出せなくなるんです。結局、薬をぬっていた時は一時的によくなるのですが、根本の治療とはならず、意を決して使用を止めました。その後、3年かかりましたが自然に良くなっていきました。それから10年後、まさかと思いましたが、痒くて病院に行くと脂漏性湿疹と診察され、薬で抑えるしかないと言われまたステロイドを処方されました。ステロイドは絶対イヤだ、と思いインターネットで病院探しを始めました。どこも、ステロイドの量を間違わなければ怖いものではない、との答えばかりでした。そんな時、偶然松本漢方クリニックのホームページに出会ったのです。「ステロイドは絶対に使用しません」、これは衝撃的でした。まさかそんな病院があるなんて。そしてその日に松本先生に診てもって、「アトピーだよ、大丈夫、治るよ」と言って握手。アトピーだったなんて、びっくりでした。そして、初めてでした、治ると断言してくれた先生は、血液検査の結果、私はもともとアレルギーの数値は高く、やはり、過去に使用したステロイドの影響が体から抜けていなかったのです。それから毎日、煎じ薬を飲み赤い薬を塗る戦いが始まりました。仕事上、接客業だったので赤い顔にさらに赤い薬は辛かった・・・。休む日もありましたが、周りの人の理解もあり、仕事を続けながら治療できました。飲み始めて2週間くらいでリバウンドが始まり、顔全体が真っ赤になり、瞼は腫れて見るにたえない顔でした。痒みで夜は眠れず、落ち込む日が続きそれでも先生に会えば、「出てきたね、もっと出しなさい」と嬉しそうに言うのです。こんなに真っ赤な顔なのに!と思う反面、余裕な先生の態度に、がんばろう!と勇気をもらって帰りました。その後、半年で症状はおさまり、普通に過ごせていたのですが、また再発。その時、歯医者に通っていて麻酔を使用したのが原因だと思うのですが、また痒みと真っ赤な顔になってしまったのです。そして、血液検査の結果、ヘルペスの数値があがっていました。またあの苦い煎じ薬の始まりです。痒いだけではなく、今度は痛い!!チクチク刺すような痛みが顔全体を襲い、夜は眠れず耐える日々でした。汁が出ては掻いて、また汁が出ては掻くの繰り返し。皮はボロボロめくれ、毎日皮をめくるのが日課になっていました。そしてそれに加えて次はニキビが出始めました。先生は「ステロイド性のニキビだ」と言って、違う種類の煎じ薬を処方、食前、食後と2種類を飲むことになりました。あのまずいのがさらに増えるなんて、と思いましたが治したい一心で飲み続けました。大きいニキビが何個も出来ては膿んで痕が残りの繰り返し、痒くて赤い顔にさらにニキビは悲しかった、けどどうしてもきれいになりたくて毎日毎日飲み続け、8ヶ月くらいたった今年、H21、3月頃からニキビの数が減り始め、今では全くといっていいほどニキビはでなくなりました。出ても小さいものですぐ治ってしまいます。
痒みと痛みも今はほとんど気になりません。たまに痒い時があるくらいで一時が嘘のようです。再度、血液検査の結果、ヘルペスの数値が少し下がっていたので、先生がそろそろ終了にむけて行こう、ということで、私の体験を書くこととなりました。今、現在治療されている方やこれからの方も必ず成果は現れます。松本先生を信じてやってこれたのも憎きステロイドの使用だけは絶対に反対だった私の思い、そして自分の免疫力を上げて漢方で治療してくださる先生に出会ったことを無駄にはしたくなかった、絶対に治る、治す、と言う思い、松本先生に励ましていただきながらやっとここまでくることができました。
松本先生に出会えたことが私の宝です、これからも完治に向けてまだ飲み続けることになりますが(良くなるとサボってしまいがちですが・・・)、さらにきれいになる為にあともう少し続けていこうと思いますので、先生よろしくお願いします。これを読んでくださった方々、諦めないでください。何年かかっても人生何十年かの一時です。松本先生と自分の免疫力の強さを信じて、治すのは決してステロイドではないのですから。
私が初めて松本漢方クリニックを訪れたのは2010年の11月です。
その時は既に違う病院でステロイドや抗ヒスタミン剤でアトピーの治療をした後で、かなり酷くなっていました。元々小さい頃からアトピーが出ていてステロイドを使っていた事もあるのですが、子供の頃はそれ程酷くありませんでした。もの凄く酷くなったのは子供が産まれてからです。子供に触る手が汚れていてはいけないと思い手をしょっちゅう洗っていてそこから手湿疹が出るようになり、痛くて眠れない程でした。余りに酷くなってきた為に近くの皮膚科で強めのステロイドをもらい塗っていたのですが、酷くなる一方で段々首にもアトピーが出るようになりました。これはいけないと思っていた時に母の知り合いに門真にあるアレルギー専門の病院を紹介してもらいました。その方のお孫さんのアトピーが良く なったという事で私もこれで良くなると思い通っていましたが、全然良くならずどんどん酷くなっていきました。そこは脱ステロイドの治療で、ステロ イドをやめると一時的に酷くなると言われていたのでそれだと思い続けていました。後に松本先生に「こんな抗ヒスタミンの治療なんかステロイドと一緒やで。この分も必ずリバウンドするよ。」と言われる事になります。その治療を続けていて段々全身に症状が出て痛くて体を動かすのが辛くて寝たきりのような状態になりました。足がヘルペスだらけになっていました。3~4ヶ月その治療を続けましたが、これは違うと思うようになっていました。その時に久し振りに会った友達が私の変わりように驚いて、お姉さんが通っていた松本漢方クリニックを紹介してくれました。そこから松本漢方クリニックに通うようになり ました。初めて診察に行った時受付で貰った紙にアトピーが100%治ると書いてあり、もの凄く嬉しいと思ったのと、置いてある手記を読み壮絶な内容に耐えられるかなという不安とで複雑な気持ちでした。そして診察の時先生は、今の医療の現状や今迄の治療がいけなかった事等色々話してくださいました。そしてアトピーは必ず治るし、治らない病気は無いと言ってくださいました。でもリバウンドも必ず出ると言われ、それがどんなもんかは誰にも分からんけど医者に儲けさせていれば儲けさせている程出ると言われました。
病院て怖いのだなって思います。この時の検査結果の数値は1500程でした。
そして治療の始まりですが、元々全身大変な事になっていたのでどこからがリバウンドなのかも分からないぐらいだったのですが、傷やただれはどんどん出来ても足にいっぱいあったヘルペスがなくなっていきました。傷は仕方ないですが、訳のわからないブツブツが数週間で消えて足もパンパンにむくんでいたのがすっきりしてきたのが凄いと思いこの治療は間違い無いと確信できました。
煎じ薬を飲んで一日置きに漢方のお風呂に5時間入り朝晩2回消毒をして軟膏を塗りました。お風呂に入ると皮がすっかり落ちてツルツルになるので皮だらけになった体を早く綺麗にしたくてお風呂が待ち遠しいのですが、上がった時の痒みが特に強いので辛かったです。夜中も汗や体液でビショビショになり着替えをしないといけませんでした。でも11月に始めてから1月には少し楽になったと感じるようになり、それまでは外に出なかったのが昼間は子供達と外に出るようになり気が紛れて痒みが気にならなくなりました。でも夕方になると酷い痒みが出てきて家事をするのが辛かったです。夜中もずっと痒くて毎日朝方まで眠れませんでした。夜中はずっとテレビを見て気を紛らわせていました。毎日本当に辛かったです。この頃他の患者さんの手記には随分励まされました。顔も知らないけど同じ思いをした人じゃないと分からない辛さを知っている人達の手記を読み、時には自分よりもっと重い症状でも働きながら頑張っている人も沢山いて自分も頑張らないと、勇気づけられました。手記を置いてくださって本当に有難いと思っています。
通い始めて半年ぐらい経った頃だいぶ症状が良くなってきていました。数値は2000に上がっていたのですが、私は血液検査をこまめに受けておらず、半年振りにはかって出た2000という数値が最初の1500から上がってきたものか、一旦2000以上に上がったところから下がってきたものかどちらかわからないけど、症状が良くなってきているのであれば下がってきているのかも知れないと言われ、そうであってほしいと願いましたがそう簡単には良くなりませんでした。ここからまた次の闘いが始まりました。季節は夏に向かう6月でした。暑くなればなる程痒みが激しく辛くなりました。クーラーの部屋から出る時は保冷剤で体を冷やしながら洗濯物を干したり掃除をしました。買い物は主人に頼み外には一歩も出られませんでした。でも暑さで免疫が上がって症状が一気にでているのだと思い、涼しくなったら楽になるはずと思ってなんとか乗り切りました。そしてやはり秋になると急に傷が減っていき9月の半ばには家族で動物園に行けるまでになりました。それからもどんどん良くなる一方でしたが、夜は 相変わらず痒くて寝ながらテレビで気を紛らわせながら朝方にやっと眠れるという状態でした。ですが最初の頃は夕方から激しく痒かったのが、だんだん痒みが出る時間が遅くなっていました。
このぐらいで診察の時に、だいぶ楽になってきた事を先生に言ったら「スピードアップしよう」と煎じ薬がより効果的なものに切り替わりました。私はちょっと心の中で、また一気に症状が出たら嫌やなって思いましたが、急に痒みが酷くなる事もなく順調に治っていきました。秋の終わり頃血液検査をした時7000程あり、リバウンドなのかと不安になりましたがそれでも治り続けていったので、多分一番酷かった夏の時にもっと高い数値になっていてそこから下がってきた7000なのかなと思います。
2月に入るとやっと夜の痒みに悩まされずに眠れる日が増えてきました。ああこれでやっと治ると思いましたが今度は花粉の季節がやってきてまた痒くなりました。でも今だけだと思うとそれ程辛く無く、夜も寝始めは痒くてもそのうち眠れていました。私は元々花粉症でしたが、一年前の花粉の時は症状が全部皮膚に出たらしく鼻や目は全く問題無しでしたが、この時はいつもの花粉症の症状が出てその上風邪をひいて咳が止まらなくなり、風邪か花粉症か何だかわからない状態になっていて先生に言って粉薬を出してもらいました。そして鼻に紅い軟膏を塗るように言われました。これがめちゃめちゃ効いて一回粉薬を飲んだだけで鼻が通ってその後数日で咳きも止まり、もらった2週間分だけで良くなりました。花粉の時季が終わると消毒や軟膏が要らないぐらいまでになり、煎じ薬だけもらうようになりました。5月頃に血液検査をした時3000ぐらいになっていました。そして先生から「手記を書いて」と言われました。その後夏になりあせも程度に症状が出ているのでまた消毒して軟膏を一日一回塗っていますが、だんだん夏も終わりに近づき症状が良くなってきました。
昨年の夏は本当に悲惨な思いをしたので今年は節電でクーラーを昼間つけなくても快適に過ごせました。今迄よりちょっと暑さに強くなりました。治療は辛
かったけど普通の暮らしができるという事がどれ程有難く素晴らしい事かわかりました。これからは西洋医学の薬に頼らず自分自身の免疫の力を信じて異物と闘ってくれる免疫を大切にしたいと思います。どんな病気も免疫で治す事が出来るという松本先生の教えを知る事が出来たのはアトピーになったお陰ですね。辛い事だけではなく得た物も沢山あったと思います。
現在辛い思いをされ治療をされている方には諦めず何とか最後まで頑張ってほしいです。
松本先生ありがとうございました。
そしてこれからも宜しくお願い致します。
「アトピー手記」匿名希望30歳2013年7月22日
初めて強度のステロイドを使用したのは、小学4年生の頃だったと思います。
その時の私は、両手の肘の内側、足の膝の内側が汁は、でて手は伸ばしにくい状態になるほど酷い状態でした。
学校では、『きたない!』とばい菌扱いにされ、イジメにあっていました。
母は、ステロイドを拒否すれば、身体よりも心の病の方が心配になり強度のステロイドの使用を決断したのだと思います。強度のステロイドを使用すれば、症状は、みるみるうちにキレイになりました。
私は、自身がつき、性格も明るくなり、イジメもなくなり、登校拒否寸前だった私が学校を好きになりました。
外見を磨けば明るい世界があるのだ。と、 強く感じるようになり、それからステロイドを16年間使い続けました。いつも肌は、キレイでした。
ただ、身体に異変がありました。1つめは、中学2年生の頃、突然、ドーナツ型をしたチカチカした光が視界の中に出現したのです。
目をつぶっても、消えません。その光は、15分ほどで消え、その後、 ひどい頭痛、吐き気、立ちくらみがあり、普通の体調から立ってはいられないほど急に体力異変するのです。1時間くらい寝ると少し楽になります。そんな症状が3カ月に1回くらい生理前に発症する様になりました。
発作の様に急に症状がでるので、外出先、仕事中、運転中には、かなり支障がでました。早急に治療してもらいたいと、眼科、内科、精神科 いくつもの病院をめぐりました。どの病院にいっても、原因は、とくに診断されず、成人すれば少しづつよくなるだろう。といった感じでした。
そんな曖昧な診断をされ、 悔しい思いが続きました。
成人になっても、症状は、変わらず、悩み続けていました。
24歳の頃、自分でインターネット検索をしてみたところ、全く同じ様な症状で悩んでいる人が沢山いる事を知りました。
病名は、閃輝暗転。
片頭痛の一種の様で 特に治療法は、今の所ない。という事でした。
2つめは、小学5.6年生の頃からでした。急に物音が雑になるのです。
人の声、風の音、 全ての音 が、頭の中で早送りをしたようになり音に対して恐怖心が突然やってくるのです。
10分ほど続きパニックになり大声で叫びそうになる寸前に普通の物音に戻ります。半年に、1.2度 ありました。私自身、 小さい頃に怖い体験などをした事で 精神的に弱い部分があるんだ、仕方ない 。と 思うようになっていました。
そんな2つの 謎の 病と、付き合い14年ぐらいがたった24歳の頃から、 アトピーが手と足だけではなく首、頭など 今まで痒みがなかったところまで痒くなり、気がつくと全身ステロイドを塗っている状態になっていました。
ステロイドは、生活の中で1番の必需品でした。
そんな中、親友がアトピーでステロイドを2~3年使用したのち、脱ステをはじめました。一瞬でリバウンド症状がでて、親友の外見を見ると他人事でもなく心苦しかったです。
もちろん親友に私も脱ステを進められました。
でも、私は、親友の何倍にもなるステロイド歴があり、結婚もまだな私には(親友は、既婚者)リバウンドの怖さに耐えられず断念していました。
親友の、リバウンドと戦いは、痒い時には、掻く。汗をかくようにする。後はほとんど放置状態でした。その結果、ステロイド歴が短いのもあり、1年ほどでアトピーは、完治しました。
私にとって影響力の高い親友の決断、行動は、その後私の脱ステのきっかけとなりました。私が脱ステを開始したのは、27歳です。
結婚し、第一子を出産した際に何十年ぶりにステロイドを使用しなくても良いほどアトピーがましになりました。脱ステするなら今しかない!と、開始しました。その後すぐには、ひどいリバウンドは、ありませんでした。
ただし、脱ステ開始5カ月ほどで顔面ヘルペスになりました。その際は抗生物質で治療し、完治しました。その頃から、季節の変わり目などにアトピーがでるようになりました。そして、第一子を出産してから1年半後にまた妊娠したのですが、妊娠5カ月で死産となってしまいました。その死産後すぐにアトピーが急にひどくなりました。何件か皮膚科に行きました。
悩みぬいた結果もぅ自分には、またステロイドを使うしか道はないと決断しようとした時です。松本漢方クリニックとの出逢いがありました。
今まで蕁麻疹は、なかったのですが、その時ひどい蕁麻疹があったので蕁麻疹についてインターネットで検索をした際、松本漢方クリニックをみつけました。
『ステロイドは、つかわない』16年間アトピーと付き合う中ではじめて見る治療方法でした。ホームページに釘付けになりました。
改めて知ったステロイドの恐怖、閃輝暗転の事や、ずっと自分は、体力がないものと思っていた事なども、もしかしてステロイドに繋がるかもしれない。
すぐに松本漢方クリニックを受診しました。すると、 閃輝暗転だと思っていたのは、実はヘルペスだった事、アトピーを必ず治してくれると言って下さった事、はじめて、 私の謎だらけの病について診断して下さいました。
それがどれだけ私自身、救われ自身を取り戻した事か、未来に光がみえた
感動の診察、感動の出逢いとなりました。この出逢いがあり、ステロイドに手を出す寸前でまた脱ステを続ける事ができました。
危機一髪でした!
それからは、漢方飲み薬、塗り薬、漢方風呂、ヘルペスの治療でした。
なんといっても、痒い時は掻きむしりました。身体も だるく 簡単な家事をするのが精一杯でした。汁は、でませんでしたが、顔、首、手、足にリバウンド症状はでました。外出が億劫で切ない日々が続きました。5カ月ほどたつと、少し症状は、落ち着きましたが、顔、首など赤黒くなりました。手のこう、両手の肘の内側、足の膝の内側は、まだアトピーがひどく、ふとももには、ひどい蕁麻疹がありました。そして、現在、松本漢方クリニックの治療をはじめて、1年がたちます。痒い時間は治療開始に比べ半分以上減りました。
(まだ漢方風呂で掻きむしる事が習慣です。ポロポロ落ちる皮?は、黒色から白色に変わり、量も3分の一に減りました)掻いても傷になりにくく、掻けば掻くほど少しずつ治っていくように思います。
赤黒さも 少しずつ肌色にもどっています。
二十代半ばから、自分で体臭があるなと思っていたのですが、ビックリする事に全く臭わなくなりました。
そして、 あの 14年もの間苦しんだ、閃輝暗転、ヘルペスの症状と物音が急に恐怖の音にかわる謎の病、この、1年、1度もでていないのです。
その原因がステロイドだった事を私は確信しています。
そんな身体の心配が減った 私は、今、第二子を授かる事ができ、妊娠5カ月となります。アトピー、ヘルペス が治る傾向にあるからこそ、 妊娠できました。外出するのも、今はもう嬉しいです!初めて診察してもらった時感じた未来の光は、みえています!まだ 完治までは、いきません。
でも、完治できる事を思い浮かべる事ができています。
松本漢方クリニックが心の支えになっています。松本漢方クリニックと出逢えた事と、アトピーを通し多方面で大切な事を学んだこと、心から感謝します。
健康な身体を取り戻すために完治を目指しまでがんばります。
「アトピー手記」匿名希望36歳2009年10月25日
2007年9月に初めて訪問してから2年が経ちました。今日までの経過を報告します。
1) あまり記憶にはありませんが幼少時からアトピーはあり、通院していたようです。
2) 乾燥肌ではあったものの、中学、高校と病院にも通うことなく落ち着いていました。
3) 大学に入り実家を離れてしばらくはなんの問題もなかったものの、2年生の途中だったでしょうか突然発症し、みるみるうちに悪化していきました。
4) この頃、ステロイドの副作用について恐怖を感じていたので、注射による減感作療法を始めました。
5) ところが病状はよくなるどころか3年生になると落屑から、眉毛も抜けるようになり別人のような顔になりました。
6) 親からは今の治療法がよくないに違いない、病院を変えなさいと言われましたがせっかく始めたので1年は続けたと思います。そうこうしているうちに徐々にでは、ありますが落ち着いてきました。
7) そして転機が訪れるのですが、オーストラリアに留学することになりました。すると不思議なことに渡豪後はあっという間に完治しました。
8) 減感作療法の効果か、環境の変化かどちらのおかげかははっきりしませんが、ほっとしました。
9) ちなみに当時の食生活は毎日、肉ばかりでしたので、私に関しては一般に言われているような食生活の改善の必要性は感じません。
10) 一年間のオーストラリア生活を終え帰国後は就職し、6年間大阪で過ごしました。
11) そして29歳で結婚後、間もなくアメリカへ赴任。この間まったく症状はなし。
12) ところが2005年、33歳で帰国後のことでした。帰国した翌月から調子が悪くなってきました。
13) そこからの悪化スピードはびっくりするほど早く、1か月もしないうちにあっというまに全身の皮膚が剥け、汁だらけ。リンパ液で下着が変色するようになりました。痛みからシャワーを浴びることが苦痛な状態です。
14) それでもステロイドは使わずしばらく頑張っていましたが、夜も眠れない状態となり、睡眠薬を飲む。それも効果がなくなり眠れない日々が続き遂にステロイド治療を始めました。
15) ステロイドは驚くほどの効果で夜もすっきり眠れるようになり、安心していましたが、やはり時間が経つにつれ塗っても塗っても最初のような効果がなくなり、遂にはなんの効果もでぬようになり、また不眠へと逆戻り。
16) 全く違う治療法はないかと、インターネットで検索していたところ、松本漢方クリニックのページが見つかりました。場所も、以前住んでいた駅、今の自宅からも15分と程近く、とりあえず行ってみようかという気持ちで通院を始めました。2007年9月のことです。
17) 通院開始時のIgE値は6600でした。
18) 治療法は、赤い塗り薬、漢方風呂と漢方薬でした。
19) 漢方風呂は1時間という時間がつらかったものの、浸かっている間は痒みがなく、落ち着ける瞬間でした。2日おきに漢方風呂に入るようにとのことでしたが、金額的なこともあり、週二回くらいしか入っていませんでしたが、
20) 半年間この治療を続けましたが、状態は悪化する一方。脱ステロイドによるリバウンドだそうです。
21) このころは睡眠薬も服用するものの眠れない状態が続き、別の内科で自律神経失調症だと診断されました。常に寒気を感じていました。
22) 眠れないことに加え、皮がつっぱる痛みで首や関節を曲げることすらもできぬようになり、ついに休職することを決めました。(IgE13000)
23) 1か月の田舎生活を送りましたが、1週間ごとに状態がよくなっていくのがわかります。1ヶ月後には自分の皮膚が戻り、1.5か月後には完全に健康体となり職場復帰することができました。自分でも驚きですが外見からアトピーとはわからない状態でした。(IgEは13000と休職前と変わらず)
24) 復職一カ月後、またもやアトピーが再発してきました。先生からは
25) これもリバウンドの一つだといわれましたが、勤務していた工場の環境が合わないのだと思い、異動願いを出し、幸いにも希望を受け入れてくれました。再発とはいえ、症状は前ほどではなく、休日、海にいくなど海水治療してみたところ、効果がありました。
26) その後はよくなったり悪くなったりの繰り返しですが、悪くなったとは言っても皮膚が赤くなり、かさつく程度ですんでいます。また、調子が悪くなってきたなと思うと海に行くようにしています。
27) 先生には怒られるかもしれませんが、休職後は週末に煎じ薬を飲んでいるだけです。
28) IgEがまだ6300あるのは心配ですが、最近はリバウンドもでておらず、健康そのものです。松本先生ありがとうございました。
【最後に】
環境を変えることができれば一番だと思いますが、そうできない場合は、海がお勧めです。リンパ液がでているよう状態でも意外と海水は沁みませんでした。日焼けもしますし、合う人合わない人いると思いますが、一度試してみてはいかがでしょうか?
海水に浸からないでも、陸上より海上の空気のほうが奇麗なのは間違いないです。
最後に、最悪期に献身的なサポートをしてくれた妻と、会社には本当に感謝しています。
ありがとうございました。
「アトピー手記」匿名希望32歳2006年9月10日
私は1997年から通院し、現在も通院しています。幼い頃からアトピーで、母は当時よく治るとされたステロイドを塗っていたのを覚えています。母も治そうと一生懸命でしたのでいいといろいろ病院に連れて行ってくれました。
10代の頃に報道などでステロイドが悪いというようなことを知った母はステロイドを使わず漢方で治すという先生が新聞に載りそれを頼りに連れて行ってくれました。そしてもらった薬で劇的に治ったのですがそれは後で知りましたがステロイドでした。使わないとは言っていましたが最初のひどい状態はステロイドで抑えその後は使わないという意味だったようです。しかし新聞にも先生の説明にもその説明はありませんでした。長い間そこにかかりましたが、結局完全には治らない現状に嫌気がさしてるところに昔口コミで聞いたことがある松本漢方クリニックを思い出しました。とりあえず行ってみようと思ったのがきっかけです。最初は先生の言ってる意味がなかなか理解できませんでしたが疑問に思うことを診察のたびに質問し理解していきました。理解はできたものの本当に治るかは半信半疑でした。しかし他に行く病院もなくやるしかないと思い始めました。他の方の手記を読むと皆さん漢方を飲んですぐに変化が表れたのに私は全く変化がありませんでした。そこでなぜ自分がみんなと同じようにリバウンドが表れないのかと不安で一杯になりました。その後妊娠をするとだんだんひどくなり皮膚がただれていきました。風がそよぐだけでアトピーの部分がぴりぴり痛くて素肌をさらけ出せず、腕や首は包帯でぐるぐるまいた状態で出勤していました。夏だったので汗をかくと痒いしむれるし、でもさらけ出すと激痛に耐えられず、そして何より見た目が首にぐるぐる包帯で地下鉄に乗っていたし会社にも言っていたので恥ずかしくてつらかったです。その後出産をしましたが出産後もひどい状態が続き朝起きると真っ先にシャワーをあびないとただれた皮膚が汚く痒く身動きが取れないほどでした。シャワーを浴びると皮膚が乾燥するまでに薬を塗らないと薄くなった皮膚がつっぱり痛みでどうにもならなくなるのでお風呂の後ももちろん必死で薬を塗っていました。生まれたばかりの子供がいるとお風呂に1時間入るのが難しいのもあり精神的にも育児とアトピーのひどい状態が重なり今思うと本当につらい時期でした。その後は包帯を巻かずに過ごせるようにはなりましたが、一見して首や腕は真っ赤でただれていたのでアトピーとわかる状態で塗り薬がないと痛くてどうにもならない状態でした。この状態が5年ほど続いたと思います。その間ほとんど変化もないので本当にこの治療で治るのかと自分でも悩みました。その度に先生に思ったことを言いましたが先生の「治る」の一言に気持ちを奮い立たせてここまで来ました。その後少しずつ年単位で治まっていき、2005年の夏になり、ようやく夏の痒みがマシになっていることに気づきました。あまりにもゆっくりとしか変化がないのでその変化になかなか気づきませんでした。今までは汗をかくと痒くて思考回路が止まってしまうほどでしたが、去年の夏はそれがありませんでした。秋になるとその痒みもすっかりなくなり、症状もさらさらの肌になりました。治療を始めて初めてのことでした。それからはこの8年間ほど薬は手放せなかったのですが、塗ることがなくなりました。ようやく完治が見てきたのかなと思う反面まだIG抗体が下がりきってないので油断はできないなと思っています。去年の秋冬と肌はまったくアトピーの症状はなかったのですが、今年の春に花粉で涙が止まらずコンタクトができなかつたり、夏は汗をかくとまたアトピーが出てきました。汗がひく季節になると治まると思っていますがまだまだ完治にはかかるのかなと思っています。子供は2人とも今まで大きなアレルギーはなくきています。目が痒かつたり蕁麻疹のようなものが出たときは先生に薬をもらい飲ませますが今のところそれで治まっています。ここまで9年かかりました。皆さんもあせらずがんばってください。
平成6年4月、勤めていた幼稚園を辞めてすぐ、急にアトピーが広がって特に顔にひどく表れてどうしていいかわからずに悩んでいた時に知り合いに松本漢方クリニックを紹介していただき訪れたのが、私と松本先生の出会いでした。「必ず治してあげますよ」先生は、力強くおっしゃって下さいました。私は、水仕事をすれば手が荒れやすい程度で、さほどアトピーがひどかった訳ではないのですが、仕事柄子供の汚した下着を洗ったりが多かったので、よく手が荒れて、2週間に一度幼稚園の近くの皮膚科に通っていました。そこで、ステロイド注射とは知らずに勤めていた4年の間、「これを打たないと治らない」と言う先生の言葉を信じて、毎回注射をしてもらっていました。今思えば、注射さえしていなければあそこまで、ひどくはならなかったと思います。漢方を飲んだ翌日から、全身にアトピーが出て、痒みで夜も眠れず辛い、辛い日々が続きました。痒い事ってこんなにしんどいの?なんで私が?そう思いました。眉毛は、全部抜けて、髪も10円ハゲができ、朝起きると皮だらけのシーツ。悪夢のような毎日でした。転職したばかりで、新しい仕事もおぼえないといけない、そういう環境の中でのアトピー治療は、本当にきつかったです。しかし半年位たった頃でしょうか。急に痒みがなくなり、つるつるの肌になっていました。松本先生を信じてよかった。鏡を見ながら実感しました。漢方治療をするには、家族の理解が必要です。どんどんひどくなる子供や家族の顔を見て、もう飲むのをやめた方がいいとか、漢方では治らないとか、反対されながら治療を続けるのはとても大変です。そして、毎日、微熱が続くので、家事や仕事をしながらの治療は、精神的にも体力的にもとてもつらいし、また、外を歩くと人の視線がとても気になります。見知らぬ人に、宗教に誘われたり、いい病院を紹介しますよとか、いい化粧品がありますよ、しばしば声をかけられました。松本漢方クリニックに通い始めて3年程たった頃でしょうか?手と関節や首には、まだ湿疹が少し残っていたので、漢方治療は続けていました。しかし、平成10年、妊娠をきっかけに、漢方を飲むのをやめていましたがしばらくは調子が良く私はすっかり漢方の事を忘れていました。でも、子供が1歳になった頃春先に首に湿疹が出来て少し悪化したので、漢方を飲み始めました。でも血液検査の数値はそれほど高くなかったです。春先だったので、花粉のせいだと、松本先生に説明してもらいました。それから首だけですがかゆみがひどかったので、私は近所のおばさんに勧められて、電気治療に数日通ったのです。すぐに異変が現れました。首だけだった湿疹が、顔にも、体中に出てきました。私は、驚いて松本漢方クリニックに行きました。そして松本先生に漢方を飲んでいるのに、電気治療をするなんて‥と叱られました。それから、なかなか良くならず、数値も少し上がっていました。もう絶対松本先生の治療以外は信じない!私はそう誓っていたはずなのです。しかし、平成12年の夏‥子供の2歳の誕生日を目前に、ハワイに家族旅行に行きました。そこで、マンゴーを食べて、目が急に痒くなったので、こすったら、ばい菌が入り、目があかない位ひどい、めばちこ、ができました。自分でも、怖くなり旅行社の紹介でハワイの病院に行ったのです。そこで、大柄の黒人の先生が「この注射を打たないとあなたは治りません」と言いました。通訳さんに、私は漢方の治療中だから、注射は打てないと、先生に伝えてくださいと、言っても、先生はこれを打たないと治らないと言っています。の言葉を繰り返すだけでした。めばちこ、に注射?と思い、私はとても不安になりましたが、どうしても断れずに注射をされました。たった一本の注射、その一本の注射で、また悪夢の数年が始まりました。あの注射はどんなに、強い注射だったのでしょうか?それから、数値が、どんどん、どんどん高くなり、またあの辛い毎日が、かえってきました。しかも、結婚して、子育てと仕事をしながらの、治療は前よりも辛かったです。一本の注射で、3年以上苦しむ事になるなんて‥何度も、何度も後悔しました。平成13年、私は、二人目を妊娠しました。アトピーがひどい時の、妊娠は、1人目の時より、何倍も大変でした。出産したら、また一人目の時みたいに、調子がよくなるかも?そんな風にも考えて、自分を励ましました。しかし、私の期待をよそに、出産して、さらに悪化し、数値を計るたびに、上がっていました。仕事、二人の子育て、家事、今思えば、家にこもってしまいたいほど、ひどい顔でした。でも、忙しくて、辛いとか、考える暇もない毎日でした。漢方を続け、シャンプーや、洗剤、化粧品などにも添加物がない物を選び、食事にも気をつけました。日本に住んでいる限りは、大気汚染や、化学物質、農薬を避けるのは無理だと思います。しかし、添加物の多い食品を、に入れると、私の身体がすぐに、地図のように赤くまだらになって、反応し とても痒くなりました。平成15年秋、ようやく、ようやく、痒みがおさまった‥と思ったのもつかのま、しばらくすると、今度は、アトピーは、びっくりするほど、よくなったのに喘息が、出るようになりました。何がきっかけかわからないのに、急に苦しくなり、ストローで息をすうようなもどかしさと、息苦しさ、そして、急に咳き込み発作のようになりました。松本先生に、今度は喘息の薬をいただきました。喘息は、治るのが、早かったように思います。長かった、私のアトピーとの、戦い、ようやく終わりに近ずいてきました、今、7歳になる息子が、喘息で、また松本先生にお世話になっています。手記を、書いてみて、無知と、愚かさゆえに、随分回り道をしたな~と、改めて思いました。この手記を、読まれた方で、これから治療を始めようとしている方へ一言、松本先生を信じて、治療すれば必ず治ります。頑張ってくだい。