松本先生には2008年よりお世話になっているかと記憶しています。
幼い頃より肌が弱く、乳児の頃は薬局に良い薬だとすすめられたフルコートを頻繁に全身に塗っていたようです。
乾燥肌で常にカサカサでした。高校受験を機に肌の状態は悪化し始め、学校より皮膚科へ行くのが、日課となっていました。
リンデロンを処方され常に家にはこの薬がありました。
なかなか皮膚科と縁が切れない時、松本漢方クリニックの事を友人より知り通院し始め現在に至ります。治療し始めてすぐ、全身にリバウンドの症状が現れました。
熱をもち、いろんな箇所からリンパ液が出る、かゆみで傷だらけになりました。体だけならまだしも、顔、頭皮にも出たので、人に会うのが嫌になる程、酷い姿でした、始めたからには、途中でやめる訳にもいかず、現状より少しでも良くなればと考えていました。
次第に酷い状態が少なくなり、腫れも引き今では指が少しあれているだけです。
まだ完治はありませんが、松本先生より手記を書くよう言われたと言う事はゴールまであと少しだと思っています。
ステロイドの薬を続けていくより、漢方で治すという考えに切り替えて本当に良かったと思っています。
現在治療をされている方々、必ず治るという事を信じて頑張って下さい。
「リバウンドを乗り越えて」匿名希望38歳2011年11月28日
この手記が通院開始からだいぶ時間がかかってから書いたのはまだ完治してないこともありますがあまりにも辛い経験で手記を書く為に思い出すのも辛いからというのが本音です。
しかし、実際はかなり通常の生活がおくれている(今は毎日、風呂の後に軟膏を上半身と足の甲に塗る程度です)
私は子供の時からアレルギー気味で膝や秘儀の裏をよく掻いていました。
成長とともに症状はあまり気にならない程度になって行きました。
しかし26歳くらいから徐々に乾燥肌になってきたりと変化が出始め、地元の皮膚科に行き、軟膏を2種類もらい、使用してました。この時キズとかがひどい時に塗るようにと言われて渡されたのがステロイドだったと思います。キズ口に塗ると翌日には治っている、今考えると恐ろしく強力な効き目でした。これが後で自分を苦しめるとは思いもよりませんでした。
その後、乾燥が徐々に酷くなり、保湿用として渡されていた軟膏も使用量が増えていきました。32歳くらいの時に知り合いに紹介されて東京にある皮膚科を紹介され通院を始めました。そこは脱ステロイド(軟膏)をうたっていて当然リバウンドで皮がむけ、辛い思いもしましたが抗アレルギー剤を同時に服用を指示されました。結果、効果は一時的なものであとからこの抗アレルギー剤の服用にも苦しめられました。
ある程度通いましたが納得がいかなくなってきていた所に当時勤めていた会社の先輩の奥さんがアトピーになってしまい苦しんでいた時に松本漢方クリニックに通って良くなったからと聞きました。大阪の高槻までは自宅の湘南からはかなりありますが抗アレルギー剤の服用をやめた事での強い倦怠感と悪寒に耐えて、一人新幹線に乗って松本先生を訪ねて行きました。
会社の先輩からかなり個性の強い先生だけど信じてみてと言われ、実際に通院していた本人とも話して実際のリバウンドの経験とかを聞いて大阪へ行く決心をしました。
長い待ち時間のすえに、診察をしてもらい、血液検査もしてアレルギー数値を図りました。その時にステロイドを止め、リバウンドに立ち向かう必要があると説明を受けました。ある程度はきついとは覚悟してましたが実際は想像以上に辛いものでした。
漢方の煎じ薬を飲み、漢方風呂に入り始めました。徐々にリバウンドが始まり、松本先生にはじめて診てもらったのは夏でしたが12月位になると仕事中でも体から体液(リンパ液)が滲み始め、服が濡れるようになりました。仕事には行ってましたが倦怠感がすごく、自律神経もおかしかったようで寒気もして、どうにか通勤している状態でした。脇の下と股のリンパ腺が卓球の球位に腫れあがっていました。
その後、あまりにも体が腫れて辛いので4ヶ月間の休職をする事になりました。
その後4ヶ月間はほとんど外に出る事無く、家の中で耐え忍ぶ生活が続きました。夜寝るときは胴体と、両足全体にバスタオルを巻きつけ、その上から服を着て寝ました。そうしないと寝小便を漏らした様にリンパ液でベットがずぶ濡れになってしまいます。
もう、映画で見た麻薬中毒者が禁断症状で苦しんでいる様な状態でした。
朝起きる時は最悪の気分と体調で無理やり目覚め、すぐに2時間くらいは漢方風呂に入りやり過ごす感じでした。漢方風呂に使っている時が一番体が楽だったので食事もその中でしたくらいです。
昼くらいに風呂から出るとテレビを見て時が過ぎるのを待つばかりです。
正直、自分はどうなるのかと良く考えてしまいましたが松本先生に二日おきに電話で状態を話し、絶対に良くなるからと細かく電話診察をして頂いていたので心配せずに信じて頑張る事が出来たと思います。また、妻も食事を徹底的に体に良いメニューを考えてくれて、いろんな面倒を見てくれたので乗り越えられたのだと思います。本当にこの間の事は一生感謝しても足りないと感じています。自分の事故免疫力、先生、妻を信じれたからこそ乗り越えられたのだと思います。正月休みの時も先生から何かあれば連絡して良いからと自宅の連絡先も教えて頂きました。もし一人でいたら私は精神崩壊して死んでいたかもしれません。何度も生きているのが辛いと思いました。それくらい皆さんの想像を超えるリバウンドの辛さでした。
リンパ液が大量に出るので体重が減っていき、筋肉も落ちてしまし、痩せて行きましたが先生からプロテインを飲むようにと言われ飲んで持ちこたえました。キズには風呂場で消毒をして対応しました。正月の特番の寅さんの映画も風呂の中から鏡に映して見ました。
漢方風呂に入ると明らかに肌の調子が良くなるのがわかるので煎じるのは面倒ですが家族で入ってある意味、楽しんで入っていました(だいぶ後の事ですが)
その後、痒みが強く寝れなくなると睡眠導入剤で寝ていましたが翌日ぼーっとしてしまい、午後になると一瞬、記憶が飛んでしまう事がしばらく続きました。
4か月たってかなりつらい状態は脱したので仕事に復活しました。しかし、以前ほどではありませんが周期的に軽いリバウンド(倦怠感、リンパ液がでる、指先が割れる、悪寒)は続きました。相変わらず寝れないので導入剤は必需品になっていました。
周囲の人には事情を分かってもらい、あまり無理をしない様にはしていましたが時には仕事がどうしてもきつく、でもこなさなければばらない時は頭では分っていても体が付いておれず周りの人には迷惑をかけたし、正直、使えない奴だなと思われたともいます。その分、体が良くなってからはその時の分を取り戻すために必死に頑張っています。
そんな感じで良くなったり、悪くなったりを繰り返していき、その周期が徐々に長くなって行きました。私は趣味で釣りとサーフィンをしますがそのころには良く釣りに行き、気分を紛らわせていたものです。それから1年後にはサーフィンも復活する事が出来ました。さすがに真昼は日焼けするので夕方に入ってますが久しぶりに海に入った感動は忘れられません。今でも足の甲が皮がぼろぼろ剥け、リバウンドを繰り返していますがそのうち良くなると思い、あまり気にしていません。(良くなったり、悪くなったりを繰り返しています)
まだ昔の何もなかった時には完全には戻っていませんが体に無理をしない程度にしている位で普通の人と同じように生活できています。今回の体験で苦しんでいる時に色々な事を考え、学びました。薬の恐ろしさや副作用に始まり、周囲の助けに対する感謝の気持ち、病気で苦しんでる人への思いやり等色々考えました。
私の場合は周りの人や友人に大々的にステロイドの副作用と戦っていると言っていたので友達がたまに見舞いに来て、冗談言ったりしていたのも有難かったです。今は、まだ少しの波はありますが今日にいたるまでの約5年間は少しずつ少しずつ良くなっていくのが自分で感じ取れました。
今は良くなったので気をつけていた事を忘れがちですがあの時の事を思い出すとぞっとしますし、正直まだ過ぎ去った事として忘れ去ることができません。全国には私と同じように何も知らずステロイドを使用し、苦しんでいる人が沢山いると思います。この手記を読んで少しの希望と励みになってくれればと思います。まだ松本先生にはお世話になりますがこれからもよろしくお願いいたします。
「アトピー、ヘルペス手記」匿名希望38歳2011年8月20日
アトピー、ヘルペス治療経緯
平成23年5月半頃より体にだるさを感じる。皮膚の調子も悪く、辛い痒みが日々続く。耳や首のひっかいた後からは、リンパ液が出てしかもいつもより粘っこい感じがする。
平成23年6月23日会社の事務所でクーラーの冷え込みに寒気を感じる。
取引先との夜の会合があったが、寒気と体のだるさが治まらず、会合を断り帰宅。熱を測ると38度。痒みも酷く漢方風呂にはいるも、痒みにより皮膚の状態はさらに悪化。翌日熱は、39度9分まで上昇。会社を休む。
松本先生に電話。抗生物質の錠剤を飲む。アトビーの煎じ薬も引き続き飲用。
熱は、下がらず40度を超え最高42度まで上昇。松本漢方クリニックに通院。
カポジ水痘帯状ヘルペスと診断。
院内で熱性痙攣により倒れ、救急車で私立豊中病院まで搬送され、入院。
松本先生の指示を受けながら、抗生物質2種類および水分を点滴。
皮膚は、首から胸、腕にかけて火傷状態。疱瘡が全身に広がる。
亜鉛華軟膏を全身に塗り、ガーゼで覆う。ステロイドで早期に皮膚を治し、皮膚からの2次感染を抑えるべきと医師から指導を受けるが、ステロイド治療は断る。食欲がまったくなく、食事が喉をとおらないため、このままでは回復するどころか衰弱する一方だと重い、ロキソニンで熱が下がった状態だと食事がとれたため、薬の力を借りて病院の食事をとる。(ロキソニンは一日朝晩二回胃薬とともに服用。完食できるようになった)食事がとれるようになってから、体力は日に日に回復。皮膚は10日後位で赤みはまだひかないが、ようやく皮膚が固まり、熱も下がったため退院。
ただ、首から肩、胸そして手の小指にかけて、ピリピリ痛み、小指に至っては、正座した後の痺れと同様の状態で感触も鈍い。血が通っていないのではないか、または神経がやられたのではないかと心配したが、松本先生に尋ねるとヘルペスの症状だと診断。現在、松本漢方クリニックで煎じ薬(免疫を高め、皮膚を回復させるもの)と漢方風呂、そしてベルスクロンでアトピーとヘルペスを治療中。
熱性痙攣の際は、先生に命を助けて頂き心より感謝しております。
体の痺れも大分範囲が狭くなってきました。この調子で完治まで負けずにがんばってまいりたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
「アトピーで苦しまないため真実を知って下さい」 38歳男性2017年6月2日
松本漢方クリニックのホームページに書かれている「革命的アトピー(アレルギー)の根本治療」の論文を初めて読んだ時はすごく難しかったです。しかし少し理解できてくると「アトピーの治るメカニズムが書いてある!」と思い、やっと探し求めていた病院を見つけたと思いました。なぜならアトピー患者が辿る病院を探す放浪の旅を私も辿って来たからです。幼少の時からアトピーがプツプツと出ていたのでフルコートを塗っていました。もちろん治る事はないのですがそれ程、気にせず成人まで過ごせました。
20歳を過ぎた頃に、顔に湿疹が少しできたので地元の有名な皮膚科の診療所に行きました。顔の表皮をスライドガラスに乗せ顕微鏡で調べていただき「なんて丁寧な先生」と思いました。診断はニキビに菌が入って炎症を起こしているという事で医院オリジナルの薬を貰いました。しかし塗っても治らない、むしろ顔以外にも湿疹ができ何回か通院して疑問に思ったので先生に「本当にニキビなのですか?」と尋ねました。先生は口を濁すだけで明確な答えは返って来ませんでした。分からないみたいなので血液検査をする事になりました。検査結果はIgE抗体が6200もあり、どうやら私はアレルギー体質なのでニキビが治りにくいと診断されました。処方された薬を塗り続けても少しも良くならず、この病院ではダメだと思い違う病院を探す事にしました。
当時の私は違う病院に行けば違う治療法があり必ず治るものだと思っていました。行く病院で処方された薬は全部ステロイドでした。その頃には全身に湿疹ができ、いったい顔のニキビからなぜこんなに全身に広がったのか自分でも訳が分からず、そしてどの先生も私の疑問に答えてくれませんでした。
こうなったら医大に行くしかないと決意し、医大なら最先端の治療を受けられると思い行きました。パッチテスト、医大に行くまでに塗った薬などをテストしてみると一番反応しているのが、皮膚科の診療所の保湿剤でした。アレルギー患者にアレルギー反応する保湿剤を処方していたみたいです。その結果に医大のU先生は「K先生は良い先生」と弁明していました。(K先生は医大の先輩みたいです。)もちろん保湿剤が根本原因とは思わず、医大ならアトピーが治らない理由を教えてもらえるものだと思っていましたが、キンダーベート、プロトピック、リンデロン、アレロックを処方されました。そして1日の行動で何をしたら痒くなるかを記録しなさいと言われました。もう私の頭の中は附に落ちないことばかりでした。なぜこんな体になったのかも分からず、治るとも言ってくれないし、本当に治るのかと疑問ばかり出るようになり医療に不信感を抱く様になりました。就寝時、常に枕元には薬を置いて薬漬け、昼夜は逆転し引きこもりがち、気分は絶望的になり完全に堕落した生活をしていました。ステロイドを塗っても数日しかもたないし、無理やりアレルギー反応を体の中に押し戻している感じがして本当にこんなのを塗り続けて良いのだろうかと素人の私でも不安に思うようになりました。インターネットでアトピーの事を調べていると「水で治った」とあったので購入してしまいました。今から思えば何の根拠もなく治る訳がないのにワラをもすがる思いでした。皮膚科の先生がアトピーを治してくれていれば、こんなにアトピービジネスが氾濫せず、騙されるアトピー患者もなかったのだと思います。結局水なんかで良くなる事もなく、ステロイドにも嫌気がさして自分で脱ステをしてしまい路頭に迷っていました。私みたいな路頭に迷うアトピー患者はたくさんいると思われます。一体皮膚科の先生達はどう思っているのか伺ってみたいものです。
ネットでやっと見つけたのが松本漢方クリニックでした。松本先生の論文を読むと今まで解らなかったアトピー性皮膚炎という病気がなぜ起こるのか?成人してからなぜ酷くなったのか?顔にできた小さい湿疹から全身になぜ広がったのか?そしてなぜ皮膚科で治らないのか、私が知りたかった事が全て書かれていました。ハッキリ言って「すごい!」と思いました。こんなに説得力があって根拠が書いてあって、今までの皮膚科の先生たちが口を濁していた事すべてが解ったので、自分の中でアトピーに対する不安がなくなりました。松本先生の治療を受け、論文を深く考える様になり色々思い知らされました。
結局アトピーってステロイドの副作用の影響がほとんどで、今まで他の皮膚科で治療をしていた事は全くの無意味。むしろどんどん悪くさせていた事。そして実は製薬会社と医師と厚労省は確信犯でアトピー患者を作り利権にまみれていた事。その事実を知って腹が立ってしまいショックも受けました。この事実を大半のアトピー患者は知らず今でも薬漬けで医療はクリーンで間違いが無いと昔の私みたいに信じているのでしょう。とてもやるせない気持ちになります。テレビを見れば花粉症や風邪薬のCMがあふれ、日本人は気軽に薬を乱用しています。免疫抑制剤が入った薬を服用し、みんな知らずにリバウンドという時限爆弾を仕掛けられて製薬会社と病院のカモにされているのです。そのうち、アトピー患者がもっともっと今より増えアレルギー患者で深刻な社会になると思います。本当に重度アトピーになれば、引きこもり、無職、自殺、低収入、鬱、こうした人達が増え経済や社会が回らなくなると思います。こうした要因を作っているのが製薬会社、病院、官僚だと思います。彼ら達は、目先の利益ばかり考え、その結果どういった事になるか考えもしないと思います。そして彼らのしている事をごまかしているのがアレルギーを扱ったTV番組です。松本先生の論文の知識を知ってしまったら、病気を扱うTV番組に疑問を感じます。「要因であるアレルギー物質を避けよう」などと放送し、本当の原因である抗体がなぜ高くなっているのかを言わないのか?そこを追求するとバレちゃうからだと思います。また、厚労省も正しい治療法に保険が効かなく、利権の絡んでいる間違った治療法には保険が適応されているなんておかしいと思います。こうした事実をまだ松本先生のお考え、論文に出会えていないアトピー患者に知ってもらいたいし、諸悪の根源であるステロイドの危険性を知ってもらいたいと思います。
今私はリバンド中で日々つらい思いをしていますが、2度とステロイドを塗りたいとは思いません。私みたいにアトピーで苦しむ人を作らせない為にもこの事実を少しでも広めて知ってもらいたいと思います。
「治療する方へのアドバイス(アトピー手記)」 32歳男性2016年5月23日
この手記を書くにあたって私も病院の手記をいろいろ読ませて頂きましたが漢方治療を始めて皆様と症状的なものはそれほど差異がないと思っています。ですので、私の意見というか考え方 心持ちをアドバイスできればと思います。
・一生80年、2~3年人生棒にふる気持ち
・福利厚生のしっかりしている会社員ならやるべし
・人には勧めない
私は松本漢方クリニックにお世話になったのが24歳の5月頃でした。社会人3年目頃だったと思います。高校生ぐらいからアトピー的な感じで薬を塗ったりしてごまかしてきました。小、中高生の時は喘息持ちでなんだかんだで薬づけの人生でした。当時お付き合いしていた彼女(今の妻)に「松本漢方クリニックに行ってみたら」と勧められ、行ってみたのが始まりです。
漢方を始めて1週間しないうちに全身に湿疹やらなんやらがダーッと出てきました。朝起きたら目から膿が出てきて目が開けられない状態でした。一カ月ぐらいは我慢して会社にも行きましたが、私の精神状態も最悪な状態でしたので、とりあえずひと月会社を休むことにしました。当時勤めていた会社は歯科技工のほぼトップの企業で、福利厚生等が万全でしたので、休むという事には心苦しいところもあったのですが、生活をするという意味ではそれほど大変ではありませんでした(実家暮らしでもありました)。もちろんひと月ではアトピーなんて治るわけがありませんが、働きながらよりは心が安定していたのか比較的に良い方に改善されていく感じはしました。
それからは働きながら治療していました。仕事から帰ってきたら薬草のお風呂に入り、紅い塗り薬をたっぷり塗りました。数分間はホッとしました。紅い塗り薬を塗るときは使い捨てできる下着等をかましたほうが良いと思います。通常の洗濯ではなかなか洗ってもとれません。松本先生にお世話になった初年度は50万円ぐらいかかりました。病院の領収書やそれにかかったレシート等必ず残しておきましょう。高額医療で私の場合は2万円ほど返って来ました。何もしないよりかはいいのではと思います。
周りの友達(アトピーで悩んでいる人)には勧めませんでした。その人がどういう心意気で治したいとかがわからなかったから中途半端な気持ちで話したら中途半端な結果になるだけと思ったからです。後々「やらんかったらよかった」とか言われたくないですしね。
そんなこんなで2年、3年が過ぎました。最初の頃に比べるともちろん落ち着いていましたが、顔の赤みや身体全身の痒みはもちろん継続したままでした。やることは薬草のお風呂に入って(入る頻度は減りましたが)赤い塗り薬をたっぷり塗りまくることだけ。私個人的にやっていたこともあります。夏場は海によく出かけていました。他の方の手記にもあると思うのですが、海水につかって太陽の日差しで焼くというのもあるとは思うのですが皮膚のターンオーバーを早めてあげることもしていました。(私は二色の浜によく行きました。当時はまだ海水の透明度が高かったです。)正直、海水に浸かれたのは腰下が限界でした。
5年ほどたった頃からが自分的には一番しんどかったかもしれません。職場が変わったこともあったのかストレス等で痒み等がぶり返してきた感じです。朝から夜中まで働いていたのもあったのかな。一年ぐらい続いたかなと思います。心の安定は大切だなとも思いました。治療を始めて7、8年経つと顔の赤み、体全身の痒み等は比較的落ち着いてきたと思います。たまには症状が出ますが。テレビで見た情報ですが、「漢方治療に即効性はないので、ステロイド等使っていた期間が10年あったとしたら、使った期間の半分すなわち5年は必ず続けなければならない」と聞きました。これを自分に当てはめると幼少の頃から喘息や眼の痒み、もちろんアトピーもありましたのでステロイド的薬を使っていたのがざっと20年あると思うので、10年必要です!
松本先生にお世話になって足掛け8年ほどです。この時期に手記を書けてよかったです。
「アトピー手記」匿名希望33歳2006年3月11日
子供のころ、アトピーだったけど、治ったと思い込んでいましたが、18歳の夏、ある日の夜に、突然背中やおなかがかゆくなって再発しました。
当初は、地域では皮膚病関係でそこそこ有名な薬局や医者に行きましたが、結局与えられるのはステロイド関係の塗り薬で、いったんは収まるけど、安心したころに再発するといったことの繰り返しでした。
30歳の頃、仕事が忙しくなってストレスもあったのでしょうか、もう通常の塗り薬ではどうしうようもなくなり、悩んでいたころ、職場の先輩に松本漢方クリニックのことを教わり、行ってみることにしました。
松本先生の主張は、通常、私がいろんなとこで聞きかじっていたアトピーに対する知識とまったく異なるものでした。また、治療のためには、今までステロイドで押さえ込んできたリバウンドが出、いったんは余計にひどくなることも知りました。
松本先生の漢方薬を服用し始めたことによるリバウンドは、予想以上にひどく、毎晩かゆくて眠れませんでした。一番ひどくなったころには、仕事も2週間程度休みました。何度も、「本当にこのままで治るのかな?」という不安にかられました。
結局、少しよくなったり、また悪くなったりの繰り返しで、いつからかほとんどアトピーのことを気にしなくてもすむくらいになりました。
今では、まだスギ花粉のシーズンには少しからだがかゆくなりますが、少しかゆくなる程度で、以前に比べるとまったく気にしていません。
これから治療を始めようとする方々も、最初にくるリバウンドを乗り越えて、アトピーを克服してほしいと思います。
私がアトピーになったのは、就職して2年くらいたったときで、大阪に住んでいたのですが、当時、松本漢方クリニックのことは知らず、会社人の紹介で皮膚科を紹介してもらったのですが、原因はダニ、ハウスダストでした。薬はステロイドにワセリンを多く含んだものでしたが、あまり良くならず、悪くも無くでした。そんな日々が続いていましたが、広島に帰って、いろいろ皮膚科をまわりましたが、どこも一緒でした。
ある日、姉が、何にもつけないほうがいいよといったので、何もつけずに、ただ洗って、清潔にしている日々をしていて最初はひどくなりましたが、半年くらいで、ある程度よくはなったのですが、今ひとつ良くならずでもステロイドのような薬は使いたくないと考えてはいましたが、漢方が良いことを聞き、調べていると松本漢方クリニックがよいとその時思いました。
先生の考え、いろいろな人の手記を読んで、ここなら信用できると思ました。
最初は、体全体が痒くなりましたが、よくなると信じ続けました。私は検査によると、軽いほうだったので、半年くらいで、全体の痒みがとれ、あとは関節部分だけとなりました。
仕事の関係で一時休んでいたりしましたが、あともう少しだと思うので、がんばりたいと思います。
ありがとうございました。
これから治療される方、先生を信じてがんばってください
「アトピーと鼻炎の中間報告」匿名希望31歳2005年12月17日
私は、24歳ごろからアレルギー性鼻炎がひどくなり、知り合いから「近くの病院で注射を3回打てば、完全に鼻炎がよくなる所があるよ。」と聞きました。それから30歳まで、3回ステロイドの注射と、フルナーゼ点鼻薬(ステロイド)を使っていました。
しかし27歳頃からとても風邪を引きやすくなり、28歳になると、怪我をするとすごく傷の治りが悪くなっていきました。そして29歳頃から顔や体に赤い湿疹ができはじめ、30歳になると、顔が赤くかぶれ、化粧水でも、ただの水でもしみるようになりました。皮膚科に行っても、ステロイドの塗り薬をくれるだけで、塗って3日間くらいは調子がいいのですが、その後は、塗る前よりもカサカサやかぶれがひどくなっていきました。
その頃は、ステロイドの怖さを何も知らずに使っていましたし、病院の先生も、ステロイドだとはおっしゃいません、薬の注意事項にもステロイドという表示なんてありません。でもこのまま薬(ステロイド)を使い続けていたら、とても大変なことになるかもしれないという恐怖におそわれました。
そしてインターネットで自分の症状を検索し、松本漢方クリニックに出会いました。なぜだか、ここだと思い、「革命的アトピー(アレルギー)の根本治療法」を読み、松本漢方クリニックに行くことを決めました。主人に相談し、「松本漢方クリニックで、鼻炎とアトピーが治らなかったら、あきらめる。」といいました。そのぐらいの覚悟をもって、平成16年8月25日、飛行機で松本漢方クリニックに行きました。
松本先生は「鼻炎をステロイドで抑えてたから、アトピーになったんや。」と言われ、まったくそのとおりだと思いました。松本先生は、「必ず治したる!」と言われ、握手をして帰りました。
平成16年8月25日から、漢方治療が始まりました。漢方のお風呂に入り、粉薬と煎じ薬を飲みました。しかし煎じ薬を飲むと動悸がし、粉薬を飲むと食欲が低下して、下痢をするため、しばらく漢方のお風呂だけで治していました。
<8月~12月> 漢方のお風呂のみ
顔全体と首が赤く、がさがさとしていました。赤い湿疹が首、あご、ほほ、おでこに出てきました。その湿疹が出ては消え、出ては消えてを繰り返し、痒みもありました。でも首のがざがざが治り始め、顔の外側部分の湿疹が小さくなり始めました。でも全体的に顔は赤く外に出るのも、人に会うのも嫌でした。
鼻炎は、煎じ薬も粉薬も飲んでいないので、鼻づまりがひどくとてもつらかったです。でも松本先生から「みかけにだまされてはいけない。」と言われ、絶対治ると信じてがんばっていました。
<1月~4月> 漢方のお風呂と粉薬
松本先生から「粉薬を飲んでみたら」と言われ、一日2回か1回飲み始めました。すると鼻づまりが少し楽になりました。顔は全内的に赤かったけれど、ちょっとずつ赤みが引いているようでした。でも赤い湿疹は出たり消えたりを繰り返し、全体的にまだがさがさとしていました。
<5月~9月> 漢方のお風呂と粉薬
この頃からとくに風邪をひくようになり、必ず口の中に口内炎ができました。風邪薬の煎じ薬を飲み、抗生剤をもらって乗り切りました。しかし風邪薬の煎じ薬と粉薬を一緒に飲むと、どうしても動悸がし、食欲が低下するため、また粉薬をのまなくなりました。
鼻炎は、粉薬を飲まないと鼻づまりの症状がでてくるのですが、以前ほどひどくなくなりました。顔は全体的に赤みが引いてきて、赤い湿疹も小さくて、赤みのない湿疹に変わってきました。一年前はあんなにがざがざの肌だったのに、そのがさがさも少しずつ普通の肌に変わってきました。
<10月~12月> 漢方のお風呂と粉薬
11月頃から、また粉薬を一日に1回飲むようになり、鼻づまりは少しあるものの、我慢できるくらいになってきました。顔は、ほほの中央部分とまぶたが少し赤いのと、口周りに少し小さな湿疹があるくらいで、化粧もできるようになり、アトピーだとは気づかれないくらいになりました。また風邪を引いても、煎じ薬を飲むだけで、3~4日くらいでよくなるようになりました。
本当に松本先生には感謝しています。松本先生に出会って、先生を信じて、自分を信じてよかったと思います。あともう少しお世話になると思いますが、よろしくお願いします。まだ松本漢方クリニックには一度しか行ったことがありませんが、必ずもう一度行きたいと思います。本当にありがとうございました。
「松本先生と出会って」匿名希望38歳2004年11月21日
私が初めて松本先生にお目にかかったのは、1999年8月の事でした。第2子出産から3年が経っていましたが、「これ以上ステロイド軟膏を塗り続けるのはいけない、何とかしたい。」と、インターネットでアトピーの検索をしていたところ、松本先生のホームページをみつけたのです。以前、知り合いから、「高槻におられる松本先生は、アトピーの患者さんもたくさん診ておられるし、一度相談してみたら。」と聞いていて、お名前だけは伺っていました。でも、その頃は、自分がそれほどひどい状態ではなかったので、頭の片隅においただけでした。松本先生の住所を見て、「あー、あの時の・・・。」と思い出したわけです。先生の書かれている理論や患者さん方の手記を拝見し、「あー、間違いない、一度、この先生をお訪ねしよう。」と思いました。
以前子供の頃にも、首すじ、ひじの内側、わきなどがカサカサして、皮膚科に何度も通ったことや、第2子出産後、かゆみがひどくなり、強いステロイド軟膏を処方され、ごく弱いものだからと、ステロイドのはいったクリームを渡され、顔にも2年半ほど毎日塗り続けていたことをお話すると、「わしが治したるさかい、がんばりや。」と、力強いお言葉と握手を頂いたのです。
以前通った皮膚科の先生は、ずっと一生塗り続ける事の不安を訴えると、「顔に化粧するのと同じようなものだから、大丈夫です。」との答えでした。松本先生にお会いしていなければ、今も皮膚科に通い続け、顔にも身体にも塗っていたかと思うと、本当にこわいです。使っていたステロイドは、すでにかなり強い段階のものだったようで、それがだんだん効かなくなってきたら、どうなっていたのでしょう。
私の場合、最初のうちは真剣さが足りず、すぐには効き目があらわれなかったのですが、本腰をいれ、煎じ薬、消毒、お風呂に取り組みだして、一週間目くらいからでしょうか、顔にもかゆみが出始めました。「薬でおさえた順序と逆をたどる」と聞いていましたが、本当におっしゃるとおり、新しく(最近)おさえていたところから、順に、症状が悪くなっていったのです。顔は次第に真っ赤になり、人に会うのも恥ずかしく、できるだけ人目にふれないように暮らしていました。どうしてもでなければならない所には、目深に帽子をかぶり、タオルで口元をかくして・・・と、何ともあやしい風貌だったかもしれません。けれども、そうやって、ある程度普通に(普通ではないのですが・・・)過ごせていたのかなと、今振り返っています。
少し出歩くと疲れるし、微熱も続いたりで、「無理は、したらあかん。」と言われていたのに、体温を測るのを忘れた日もあり、先生にお叱りを受けたこともありました。頭痛がして、肩が凝ったような、身体全体がだるいような毎日が、ずいぶん続きました。眼のかゆみもすごくて、こすると充血し、更にかゆくなり・・・でした。何度も、お電話でご相談させて頂いて、抗生物質を処方していただきました。遠方であっても、いろいろとご配慮頂いたので、大きな不安はなく、頑張ろうと思う事ができました。
十分な家事も出来ずに、休んでいる事が多かったので、家族の皆に我慢してもらう毎日でしたが、よく理解して、いろいろと助けてくれました。掻きこわして、ジュクジュクになった皮膚も、お風呂と赤い塗り薬のお蔭で、少しずつしっかりとしたきれいな皮がはってきて、かゆみも次第にひいていきました。
4月半ばから、8月いっぱいまでが、本当につらい毎日でしたが、その後は一進一退を繰りかえしながらも、次第に楽になっていきました。
今、こうして元気に暮らしてられるのは、松本先生とお薬のお蔭だと、感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございます。
アトピーで苦しんでおられる皆さんが、一人でも多く松本先生とお薬にめぐりあえ、回復されます様、お祈り致します。
1999年の10月頃から、肌に痒みを感じ、最初、白癬菌による皮膚病かと思い、近所の皮膚科に行きました。症状を説明しただけで、簡単に診断して、「これ、塗っといて。」とチューブ1つをくれただけでした。以前からステロイドは恐いと知っていたのですが、言われるまま塗っていました。その薬がステロイドというのは、次に行った医者に聞いて知りました。しかし痒さが静まるのなら仕方がないと思い、同じ薬をもらいました。しかし掻いている所から炎症が出だし、気分も沈み、何が原因か調べようと、別の医者で、30種類のパッチテストをしたのですが、今度は、それが原因で炎症が広がりました。
早く治したいと思い、医者も何回か変えましたが、やはり体質を代えないと炎症を治すだけだったら、いたちごっごだと思い、2001年7月末、松本漢方クリニックに通い始めました。ステロイドを止め、最初は抑えられていた炎症が広がりだし、煎じ薬は吐きそうになるくらいまずく、薬湯はのぼせそうになりましたが、治す事に専念しました。
お陰で、2001年11月には、肌はきれいになりました。「えらくなおったなあ。」と思ったのもつかの間、2002年の3月には、身体にぶつぶつが出ました。やっぱり「そう簡単には、治らない。これからだんだん暑くなるのに、うっとうしいなな。」と思いながらも、その年の夏、前年と同じ経過をたどり、10月には、肌はきれいになりました。
が、しばらくしたある日、食事の最中、人相が変わるほど顔が腫れてきました。その症状も、2003年1月には治りました。この年の冬も調子が悪く、4月頃まできれいになりませんでした。夏は冷夏だったので、快適に過ごせましたが、盆明けから残暑が厳しく、そのため手首に湿疹が出ました。それがきれいに治るのには、年末までかかりました。
2004年、今年の冬は、あまり症状は出ず、顔に少し出ている程度です。これからどうなるか分からないけれど、身体は、以前よりかなり良くなってきていると思います。まだ薬は続けないといけないと思いますが、皆さんも、良くなったり悪くなったりを何度もの繰り返して、治ってくると思いますので、執念で取り組んでください。