「リウマチとアトピーの途中経過」35歳女性2006年10月17日
<2004.年5月>
(下旬)首に強烈な痒みが出て、市販の痒み止めをぬったら膿んで黄色の汁が出てきました。しばらくは服が汚れないようにコットンを貼っていましたが、痒くて、痒くて夜も寝れず、24時間掻き続けました。
<2004.年6月>
この時期から私の皮膚科巡りが始まりました。5件の皮膚科を渡り歩き、どの先生からも検査をしないままに蕁麻疹と言われ、痒止めの飲薬と塗り薬を処方されました。初めは何の疑問も持たず「これで痒みが止まる」と思っていました。飲み始めて1週間はピタリと痒みが止まり安心していましたが、再び強烈な痒みが出てきました。それからは、色んな種類のステロイドの薬を飲み、また塗りました。それでも痒みは止まらず「そんなに痒いのなら」と出された薬がセレスタミンでした。塗り薬はロコイド、アンデベート、デルモベー
セレスタミンは8ヶ月間1日3錠飲み続けました。セレスタミンを飲み半年位経った頃からほぼ毎日、コムラ返しになり30分ほど足が動かず、硬直していました。初めは寝ている時になっていましたが、所構わずコムラ返しになっていました。(痛かったです)
<2004.年10月>
毎日、毎日、毎日、強烈に痒くて睡眠不足か続き気が狂いそうでした。
(大阪)心斎橋の皮膚科からは「蕁麻疹に効く薬は全て出したのに一向に痒みが止まらないと言うことは、蕁麻疹じゃない!あなたの痒みはストレスからきてます。僕が診た感じ精神が病んでいるから、まず心療内科に行きなさい」など、いろんな皮膚科でいろんな事を言われました。
<2005年4月>
この頃には足首の裏側に茶褐色のアザみたいなものができ、そのうち痛みが出て痒みに変わり掻きまくると、また黄色の汁が出てきました。この時、通院していた皮膚科から「もうお手上げ!医師である私が言うのもおかしいけど、このアザといい、しっかりした大きな国立病院で精密検査をして下さい。」と言われました。今思えば症状が悪化する度に皮膚科から見放された状態でした。足からは黄色の汁が拭いても、拭いても湧き出てできて、風呂上りに血流が良い為か「プシュー」と汁が飛んだ事もありました。
<2005年5月>
通院していた病院から見放され次はどこの皮膚科に行こうかなと病院を探ていた頃、ある朝、肩に激痛!泣きながら整形外科に行きレントゲン検査の結果、右骨石灰沈着性腱板炎と診断されました。先生は「普通は老人がなる病気やのにおかしいな~でも注射したら治るかもしれん。痛いけど試しで注射しましょう」と言われ、私が「ステロイドですか?」と聞くと「よう利くステロイドやで」と先生は笑顔で言ってました。もうステロイドは嫌だと思っていたので(気づくのが遅すぎた)ステロイドの注射は拒否しました。
案の定、先生は不機嫌になりましたが、なんとか座薬と湿布だけもらいました。「もう松本漢方クリニックに行くしかない」と思いました。私は以前から松本漢方クリニックの存在を知人二人から知らされていましたが、二人とも「患者に怒鳴りまくる先生でめっちゃ怖い!でもあそこなら治るで」「口は悪いけど腕はいいで」と聞いていました。「怖い」という言葉で松本漢方クリニックに行く気にはなりませんでした。「でも・・もう・・松本漢方クリニックに行くしかない!」と、決心し友達に付き添われ松本漢方クリニックに行きました。
<2005年5月21日>
松本漢方クリニックへ行く。診察を受けるまでに2時間は待ったと思います。診察室に入り松本先生は、肩を痛そうに抱える私を見て「またアホが来た!何飲んだ?」と怒鳴られました。松本先生から「セレスタミン8ヶ月1日3錠飲んでお前死ぬ気か!」とか「医師や言うだけで出された薬は何でも飲むんか!」とか「出された薬をなんで調べへんねん!パソコンで調べたらセレスタミンがどんな薬かわかるやろ!」とか「薬漬けになってから来な!駆け込み寺ちゃうぞ!」とか、とにかく、怒鳴られまくりの20分間でした。そして「診る限りリウマチに間違いない 今から血液検査や」と隣の部屋へ看護婦の方から採血してる最中に「うわ~内出血やわ!こりゃあかん!」と呆れた様子でした。注射後の私の腕は広範囲に内出血し紫色になっていました。採血後、松本先生から「来週また来い!それと痒いのは蕁麻疹やない!アトピーや!」と言われ、最後に「大丈夫やリウマチもアトピーも治したる!その代わり漢方飲め!鍼せぇ!お灸せぇ!それと俺が出す薬意外飲むな!分かったか!」と言われ、最後に、今ではすっかり慣れた松本先生との初めての握手をしました。1週間後、検査結果を聞きに松本漢方クリニックへ行き、リンパ球、血沈、抗核抗体、血沈を筆頭にほぼ半分の検査項目に異常が出ていました。(この時、CPR1.31・RF42・血沈40・抗核抗体40)松本先生から「リウマチの痛みもアトピーの痒みもすぐには止まらん!リバウンド覚悟しとけ!」と言われました。この頃はリウマチの痛みとアトピーの痒みが交互に現れました。とかく、痒みは強烈で、ところ構わず掻いて、掻いて掻きまくる日々で痒みは増すばかりでした。痒みが治まると今度はリウマチの痛みが出できました。このような状態が2ヶ月近く続き、その後は薬が効いてくれて極度の痛みや痒みは少し和らいできました。睡眠もちゃんと熟睡できるようになり、精神的にも気持ちが楽になりました。数値が下がると共にゆっくりではありますが、腕が自由に動くようになっていました。
<2005年>
いつ頃か忘れましたが、今までは「痛い・痒い」だけの症状だったのが、+「肩に鉛を背負ってるような体の重ダルさ、頭痛、車酔い状態の気分の悪さ、目の下を輪ゴムで縛られたような目の圧迫感、足の浮腫みと浮腫みからくる内出血」でした。これもリウマチの症状ですか?と松本先生に聞くと「ステロイドの副作用や」と言われました。本当にステロイドは体に悪い薬だと改めて思い知らされました。色んな症状が現れて気分が滅入る日々でした。
<2006年2月>
この頃から耳の聞こえが悪くなったような気がして、特に仕事での電話応対で相手の名前を聞き間違えて上司から怒られる事が何度もありました。先方に何度も会社と名前を聞きなおしても聞き取れず電話が鳴る度に恐怖でした。この事も松本先生に聞くと、「そんなもんステロイドの副作用で当たり前のある症状や血中の酸素不足が原因や大した事ちがう気にすな、そのうち治る。電話が壊れてる事にしとき、ほっとけ!ほんで電話かけてきた奴に、もっとでかい声で話せ!って言うたれ!」と言ってくれました。この時の言葉が一番印象深く温かい言葉で、とても救われました。
<2006年4月>
仕事を辞める。他の患者さんのように病気が原因で働けなくなった訳でもなくリウマチやアトピーが原因でもなく情けないですが、ただただ電話の恐怖から開放されたい一身でした。松本漢方クリニックに通医院して1年が経ちました。月1回の血液検査で現在では、ほぼ正常値に戻り、残すは抗核抗体とCRPの数値だけです。リウマチになる以前の体に早く戻りたいです。治ったら大好きなボーリングがしてみたいです。
<2006年10月>
現在、2ヶ月通院していません。私は松本先生を何回も怒らせています。
今回また怒らせる事をしました。治療をサボった結果、今まで症状が出なかった顔にアトピーの症状が出て、唇の縁に出来物が出ています。一番、症状が出で欲しくなかった個所でした。自業自得です、今までの治療を無駄にしてしまったのかもしれません。今後は、治療に対して真面目に向かい合い、サボらず、逃げずに治療に取り組んで行きます。先生、すいませんでした。
手記というより最後は、反省分になりましたが、リウマチもアトピーもどんな病気も本人の取り組み方次第で治る病気も治らないのだと思いました。
「アトピー性皮膚炎、治りました!」37歳女性2005年9月6日
大阪 狭山市
私は、小学生くらいのころから、アトピー性皮膚炎でした。特に岐阜から東京に引越ししてからは、体中ざらざらになってきて、母が国立病院やら大学病院やらに連れて行ってくれましたし、漢方薬や肌によいクリームなど、いろいろ試してみました。
学生時代は、ステロイド剤は欠かしたことがなかったし、大人になって、いろいろ良いお医者さんを回りましたが、結局どんな大きな病院も、アトピー体質を根本的に治す事はできないのだと思いました。薬を塗りながら、うまく付き合っていけばよいと、あきらめていました。漢方薬もいまいち続かないし、良くなった感じがしませんでした。
そして30歳を過ぎて、自分は治すのは諦めたけれど、どうしても息子(当時 幼稚園年少)のアトピーは治してやりたいとなったときに、とうとう松本漢方クリニックさんを知りました。
その時は吹田市に住んでいましたが、幼稚園の先輩ママが、「うちの下の子(1歳半)は、松本漢方クリニックさんに行って、半年で治ったのよ。」と紹介してくださいました。たしかに、その赤ちゃんは、すべすべしたきれいな子でした。しかも、その先輩ママのご主人は、阪大病院の先生なのですが、阪大に行かずに、わざわざ松本漢方クリニックさんに行かれるということに、私はびっくりしました。そして、そこは根拠のない民間療法をするのではなく、きちんとした病院だということで安心しました。
初めて来院した時、しっかりした、怖いくらいの雰囲気の先生と、優しいお母さんみたいな先生(いつも、うちの息子も、「けいたっていう名前だよ~。」と言いながら、血液検査をしてくださる)と、忙しいながらも、てきぱきと気持ちよく仕事をこなす事務のお姉さんたちがいらして、漢方薬の臭いがたちこめていました。
診察を受けながら、松本先生のアレルギー疾患についての考え方が、科学的で、理屈に合っていて、しかも治療法が大変説得力のあるもので、びっくりしました。経験してきたステロイド剤の副作用について、この病院で、やっと納得できる説明を受けたし、痒かったら、いくら掻いてもよいという、聞いたこともない嬉しい言葉を聞きました。「これは、いい先生を見つけた!」と思いました。
診察が終わって、松本先生は、「絶対治してあげます。」と、手を握ってくださいました。「そんなことを言い切ってしまうなんて、すごい先生だなあ!」とびっくりしましたが、今思えば、それだけの裏付けがあってのことでした。本当に治りました。
以下は、自分と息子の経過を少し話します。
自分への治療法は、松本先生のおっしゃるとおりにしました。漢方のお風呂も、消毒も、煎じ薬も、渡された本を読み返しながら、進みました。子どもが就学前だったのと、当時は専業主婦だったおかげで、お風呂に何時間も入れたのがありがたかったです。ステロイド剤のリバウンドもひどくありましたが、ほとんど全身、ぼろぼろひりひりどろどろになったあと、す~っと引いていきました。松本先生のおっしゃっていた通りになり、すごいと思いました。
途中、いつまで治療すれば治るか、とても不安になりましたが、絶対治ると信じていました。先生の考え方は正しいと理解していましたから。本を読み返しながら、信じて進み、完治に1年半くらいかかったと思います。
それから徐々にひじやひざの裏の黒ずみも薄くなり、お肌もつるつるになり、お皿はいくら洗っても、全然手荒れしないし、本当に私は治りました。今も治ったままで痒くもありません。すごく嬉しいです。
息子は、小さい頃から気管支炎になりやすく、象さんのように肌がざらざらになって、痒がっていました。吹田市民病院やら、江坂の皮膚科やら、岐阜の有名な病院も、いろいろ行かせていただきました。でも治らず、掻いたらいけないと、包帯を巻いたりして、夜も痒くて、なかなか寝つくことができなくなりました。
しかし松本先生の治療を始めてから、気が楽になりました。いくら掻いても、怒らなくていいし、漢方のお風呂などは、遊びで、おねえちゃんと何時間も入れたりして、親子とも楽しめました。ただ、やはり煎じ薬がなかなか飲めませんでした。すごく苦いですよね。それで気長に構え、煎じ薬は、いつでも気が向いた時に、歌いながら飲むようにしたり、後でジュースを口直しで飲んだりと、今思うと、かなり甘やかしたやり方をしたと思います。
しかし、それでも、私のように長期間サジデンやステロイドのお世話になっていなかったせいか、治りが早かったように思います。漢方のお風呂は、幼稚園のときに、入らなくてもよくなったし、煎じ薬を1日分を、1週間でやっと飲み終わったりしていた頃もあったわりには、小学校4年生あたりで、ほとんど治ったと思います。しかし5年間くらいかかったということでしょうか。
アトピーは皮膚に出たり、皮膚がましになれば、鼻炎になったり、喘息になったり、目がかゆくなったり、いろんなところに逃げていくような気がします。松本先生には、皮膚を中心に、鼻炎のお薬もいただきました。
息子はがんばったら、1日分を2日で飲めますが、放っておいたら、何日も飲んでいないときがあります。しかし、やはり続けて飲んでいると、肌も、冬は、鼻も調子が良いということが分かったようです。
小学校6年生の今では、自主的に飲みます。このように、何年も、ほそぼそと治療を続けています。もっと集中して、2週間分をきちんと2週間で飲むペースを何ヶ月か続けたら、きっと本当に完治するかとは思うのですが、今、夜はぐっすり眠れるし、お肌は少し痒い時もあるけれど、さらさらして、艶もあるし、鼻も詰まらないし、そこまで困ってないのです。松本先生、すみません。
とにかく、松本先生がいてくだされば、安心なので、のんびり煎じ薬を飲み続けている次第です。松本先生、ここまで面倒を看てくださって、ありがとうございました。そして、もう少し、どうかお付き合いいただけますよう、よろしくお願いいたします。
今春、久しぶりに来院した時は、とうとう義父母も同行しました。孫がひどいアトピーだったのに、嫁の言うとおり、とうとう治ったのだと喜んでいました。
「蕁麻疹について」匿名希望31歳2004年4月18日
私は、1年前より蕁麻疹の症状が出始め、かゆみ止め等により対処していましたが、次第に症状が悪化し、かゆみで夜も熟睡できないようになりました。このため、皮膚科医院の診療を受け、ステロイド剤や飲み薬などの治療を行いましたが、どの薬剤にも効果が見られず、途方にくれる日々を過ごしておりました。
どこか良い医院が無いか、職業別電話帳を眺めていると、松本漢方クリニックの「アレルギー科」に目がとまり、アレルギーの専門医ではとの期待で、行ってみる事としました。通院1日目に、インターネットのホームページの閲覧のアドバイスを聞き、早速、松本先生の論文をプリントアウトし、主人とともに読みました。主人も私も、先生の新しいアレルギーの解釈が、とても理にかなっていて、納得のいく内容であるというのが感想であり、通院の価値があると直感しました。
通院を始めて、次第に睡眠への支障がなくなり始め、その後、徐々に発疹がなくなり、発疹をかいた跡も徐々に消えていきました。
約1年目には、発疹がほぼ無くなり、血液検査の結果、IgEの数値が半減していて、あらためて治療の効果に驚きを感じました。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。
私が体に異変を感じたのは10年くらい前の冬でした。
OLをしていてお茶汲みなども仕事のうちだったからか、まず手がカサカサして痒くなりました。そして、その年の風が気持ち良い初夏に海岸に遊びに行った時に顔がうっすらと腫れて赤くなりました。
恥ずかしくて病院も行かなかったのですが母が心配して病院に行った方がいいと勧めてくれました。
手もひどくなってきた事もあり、近所の皮膚科へ行きました。
すると先生は主婦湿疹ですね。と言いました。え?主婦じゃないのに?
と聞くと、職場で洗い物とかをしていると主婦湿疹になる人がたくさんいる。
と言われました。私はなるほど。と納得し、処方された軟膏を3日に1回くらいせっせと塗っていました。しばらくすると3日に1回じゃ効かなくなり、手は毎日塗っていたと思います。顔もたまに赤みがあると塗っていました。
そんな頃、看護士をしている親友がステロイドは良くないと教えてくれました。でもラベルにステロイドという言葉も書いてないからステロイドじゃないとう。と薬を見せると、これにも入っていると聞かされました。
でもその頃には既に依存症になっていて、ステロイドを止める事なんてできなくなっていました。薬もだんだんと効かなくなってきてこのままじゃダメだと思い、市立病院の皮膚科に行きました。そこでもアトピーとは言われステロイドを出され、ここもか、と思いました。そしたら親友が車で30分くらいの所にでステロイドをあまり出さない病院があると聞き、そこなら治るかも?と思い行ってみました。そこでは乾燥による痒みだと言われ、主な治療は消毒と保湿クリームでした。洗顔も医薬品の石鹸を病院で買い、ビタミン剤も処方されました。かなり長い事そこの病院に通いました。今まで行った病院よりはマシだったのですが治るという思いにはならなかったのが本音です。保湿クリームには少量のステロイドが入っていましたから。その頃は小さくて丸い蕁麻疹のようなのが顔によくできていて、それにも悩んでいました。ステロイドを使用しているとなる事があるって聞いた(自分で調べた)ダニ、ニキビかな?って勝手に思っていました。
その頃には医者は信用できないっていう観念が私の中にありました。
ステロイドなんて言葉もしらない私に塗りつづけると良くない、とも言わず効かないとだんだん薬を強くしていく医師。病名さえわからない医師。
不信感はどんどんつのり、病院は治してくれない。もしくはヒドクさせられる。くらいの思いがありました。なので信用できるのは自分だけ。おかげでPCでいろいろ調べるようになりました。
そこで松本漢方クリニックを発見!ここならもしかして!って思いました。
その頃には私は結婚して出産もしていました。
仕事も結婚と同時にやめていたので手記に見る恐ろしい?リバウンドも今なら絶えられるかも。って思い大阪まで行きました。
先生はどうした?って聞いてくれて、私がその頃、紫外線を浴びるとダメだったので紫外線アレルギーと思うんですけど・・・。って言うと『そんなん、ちゃうちゃう!アトピーや!』っておっしゃいました。
アトピー、今までどの病院で聞いても血液検査をしても違うって言われたあのアトピー!?こうもはっきり言われるとショックでした。でも先生の治して
あげる!大丈夫!の言葉はホントに頼もしかったです。
そんなにはっきりと病名を言い、自信満々の先生の顔!ココならホントに治るかも。って思いました。
その日から私の生活は漢方生活に変わりました。その日の夜の入浴後にはお腹に湿疹がでました。もう?とビックリ!
湿疹はお腹から首の下、首にと上へ上へと上がっていき、今は手がやっかいなもので長引いてて2年目に入っています。顔はまだでてないのですが、このまま出ずに終わって欲しいと望むばかりです。首に出ていた頃は、大好きなおしゃれもできずに夏でもタートルばかり着ていました。
今は洗い物や入浴の時はコットン手袋の上にビニールやゴム手袋をしています。この手袋を外す日が待ち遠しいです。まだまだ治療途中ですが普通の生活ができるようになったこと、とっても感謝しています。
紫外線に浴びれなかったので、昼間の外出はほとんどしませんでした。
どうしても用事があって外出すると、その日のうちに赤くなり、腫れてきて元に戻るのに5日くらいかかっていましたから、予定も週に1回くらいしかいれれませんでした。夜になるとやっと動けるって感じで、買い物に行ったり外出していましたね。当時は日焼け止めを塗って、帽子を被り、サングラスをして、
車窓にはUV液を塗りまくって車の運転をしてました。駐車場からの移動はそれプラス日傘と首にストール。(これが夏はいいのですが冬は皆が見ます^^;)宅急便でさえ時間指定で夜にしていました。(玄関ドアを開け
てる間に入る紫外線さえイヤでした)今は日焼け止めはさすがにしていますが他は全部なくても大丈夫になりました。毎日の外出もOKです!
これが一番嬉しかった事です。
母なんかには未だにホントに良くなってるの?って聞かれるので、見返してやるっ(笑)まだまだ完治は先かもしれませんがあともう少し!
頑張りますので松本先生、宜しくお願いしますネ!!
「娘のアトピーと主人の喘息」匿名希望4歳・34歳2006年2月3日
私が家族とともに、松本漢方クリニックを訪れたのは、2005年5月頃です。
主人がインターネットで松本漢方クリニックを見つけ、是非松本先生にお会いしたいと言い、三重県から車で大阪の松本先生の元へ伺いました。
私の家族は、主人が喘息で娘がアトピーです。主人の喘息は大学時代に肺炎になり、それ以来10年以上悩まされています。今年で34歳となりましたが、昨年、松本先生にお会いするまでは、一生治らないだろう、きっと長生きできないのでは・・・と、いつも不安でおりました。病院を何度も変え、その度に違う薬が出されましたが、必ずステロイドの吸入薬が付いていました。ですが、良くなる事は全くなく、たびたび発作が起き、吸入薬を何度も吸い、夜中に病院へ連れて行くことが何度もありました。
苦しむ主人の様子を見てこちらもとても辛くなり、見ていられなくなる事もあった程です。
娘の方は、生まれてから6ヶ月ぐらいの時から、たまにほっぺたが赤くなり痒がっていました。それが少しずつ大きくなり、1歳になる頃から肘の内側、足の付け根、膝の裏まで痒くて、何度も掻いてジュクジュクした感じになっていました。小児科で塗り薬をもらい(ステロイドです)、塗るとすぐにきれいになりましたが、何日かするとまた痒みが出て掻きむしります。何度も同じ事を繰り返していました。
そんな時です。主人が松本漢方クリニックを見つけました。インターネットで調べ、プリントして私に見せました。今まで喘息の本などを読んだりして、喘息は治らないと思い込んでいた私は、とてもびっくりしました。そこには絶対に治ると書いてあったからです。とにかく松本先生に会おうと家族で向かいました。
最初にお会いした時、「大丈夫。治してあげるよ。」と力強く言って下さいました。3歳の娘にも「治るよ。痒い時には掻いてもいいよ。」と説明してくれました。何か今までの悩みが消え、希望が見えた気がしました。
主人には今までの薬を止め、漢方煎薬が出ました。最初、発作が出た時には吸入器を使ってもいいと言われましたが、漢方を飲みだしてから一度も発作はおきず、吸入器も使っていません。
娘は漢方のお風呂に入り、塗り薬を毎日塗り、あっという間にきれいになりました。肘の内側だけ、冬になり再び痒くなりジュクジュクしていますが、お風呂に入り、塗り薬を続けています。
今まで治らないと思っていた喘息も、ステロイド漬けの日々も、今ではずっと前に事のように思います。
松本先生にお会い出来た事を、とても感謝しています。
完治に向け、漢方を続けていこうと思っています。
アトピーを通じて学んだたくさんのことを書き記したいと思います。
幼少の頃からアトピーでした。何に対してのアレルギーかを病院で調べ、イースト菌、しょうゆが検査結果でした。給食も一人だけお弁当を持っていっていたことをよく覚えています。イーストでアレルギー反応がでるということで、通常の食パンと違って全くふくらんでいないパンを朝食で食べていたことも。おいしいとはいえませんが、それはそれでなんとなく癖になる味でした。その頃の記憶はその程度で、自分自身痒かったことはあまり覚えていないのですが、家族には無意識に掻いている姿が印象にあるようです。
小学校低学年くらいの時に、兄もアトピーだったこともあり、兄弟で近くの皮膚科に通い、チューブ入りの軟膏を塗り始めました。薬の名前はわかりませんが、ステロイドだったと思われます。兄と薬の蓋の色が違っていたり、自分自身も時々色が変わっていたこともありました。高学年になるにつれて、かゆみもカサカサ感もほとんど目立たなくなっていましたので、かさつくときは市販の保湿クリームを塗っていました。
高校2年生の冬に、首が急に赤くなり、リンパ液がでました。今まで、アトピーを自覚していたし、痒い時はこうしようとか、痒くなりそうなことは避けたりしていたけど、見たことのない症状に驚き、あせり、これは普通ではないと慌てました。親に相談し話しているうちに、身に覚えがありました。それは、親戚の使っていた軟膏をふとした時につけてみると、おもしろいほどかゆみもなくなり、肌がきれいになるということがわかり、借りていました。はじめは借りていたのですが、常用するようになっていました。悪化したのは、その軟膏が手に入らなくなってからでした。それはかなり重症用のステロイドでした。
色んな皮膚科に行きましたが、ステロイド以外でアトピー治療を行っている病院はありませんでした。その頃には、首から上の鼻・耳を除くすべてが赤くなり、リンパ液がでていました。高校に行くことも憂鬱で、毎日掻かないように、顔を母親に包帯でつつんでもらい、ベットに入っていましたが、痒くて眠れない状態でした。冬の寒さが肌にささり、外に出ることは他の人の目も気になるので、私にとっては地獄でした。
しばらくして、親の知人がアトピーの専門医が家の近くにあるということで訪ねてみました。医者はステロイドでしか治療しないと思っていたので、恐かったのですが、何にでもすがりつきたい心境でした。「抗生物質」とその医者いわく、「赤ちゃんが塗っても大丈夫な軟膏」をもらい、1週間もすると、みるみるキレイになっていきました。「抗生物質が効いたのだ」と医者も言っていたので、初めは、私の知らない治療法があったのだと思っていました。でもしばらくして、自分の体に、「『赤ちゃんが塗っても大丈夫な軟膏』にはきっとステロイドが入っているのだな。」と、気付かされました。
でも、せっかくきれいに戻った顔を、またあの地獄の毎日に戻る勇気はありませんでした。思春期で未熟だった自分が、あの地獄を耐え抜く自信がなかったことと、高校を卒業できなかったらどうしようという将来への不安と、何気ない家族の一言に傷付き、アトピーの私は家族にも相手にされないというマイナス思考が、ステロイドの恐ろしさより勝っていました。ステロイドを塗って生きていくと決めました。
それから10年、高校を卒業し、大学に行き、就職し、楽しい人生を送っていました。その間も、毎日寝る前に顔を含む全身に「赤ちゃんが塗っても大丈夫な軟膏」を塗っていました。初めの5年くらいは、習慣の一つで、事務作業のように塗っていましたが、だんだんと罪悪感が大きくなり、このままではいけないという思いも強くなっていました。
その頃、親の知人が、ステロイドを使わない松本漢方クリニックの存在を教えてくれました。手記を読んで愕然としました。高校の時に初めてリンパ液が出た時と同じ焦りを感じました。リバウンドを経験していたので、言葉のひとつひとつが胸に刺さりました。手記を読めば読むほど、ステロイドを一刻も早くやめなければいけないと思いました。それでもなかなか松本漢方クリニックへ行く勇気はなかったのですが、毎日軟膏を塗るたびに思い出し、塗ることが悪化につながるのだと毎日毎日思い、ついには、私にとっての戦いをする決意をしました。
そして、「今後こんな風になるけど、戦っていくから、協力してください。」と、親・友人・会社へ説明しました。私が思っていたより、周りの反応は良かったので、とても安心しました。また説明することで、自分自身に戦うことの準備ができました。
ステロイドを使用することを止めて、すぐには大きな変化はありませんでした。でも、3、4ヶ月ごとに肌がカサカサになり、紫雲膏をぬってもぬっても乾燥していました。ただの乾燥ではなく、象のような肌で、いわゆる肌色では全くありませんでした。その箇所は、顔、首、胸、背中、太ももなどなど全身にわたっていました。昼は仕事場にいるので、思う存分掻けず、掻けないことにイライラしていましたが、その分家に帰って思いっきり掻くと、その分皮膚が剥がれ落ち、それを掃除する自分が情けなくて情けなくて。でもまた次の日も掻いて、また情けなくなっていました。
洋服は、夏でも長袖で、顔も化粧で隠していましたが、腕を上げ下げすること、首を動かすこと、少しでも体を動かすと皮膚も動くので、がさがさの肌を常に感じながら、なんとも言えない不快感を毎日感じていました。周りの人に協力をお願いしていたのですが、アトピーの自分を認めたくなくて、いつも無理をして、掻く動作を隠していました。
1年半くらいの間、その状態が続き、時々おでこ、太ももの付け根、耳たぶ、からリンパ液がでましたが、数ヶ月するとひいていました。アレルギー値はどんどんあがっていき、自分としては、先の見えない状態が続いていて、一生この肌か・・・、と考えたりもしました。
ステロイドを止めて2年後、ついに顔からリンパ液がでて、首、胸、背中と、上半身はすべてその症状が出ていました。そこまでくると毎日会社に行くのがつらくて、でも痒くても絶対に掻けない。一度でも掻くと化粧がとれて、リンパ液が表面化して化粧では隠せなくなる。化粧をしなければ人間の顔ではないので、その頃から鏡を見なくなりました。
そこまできてもアトピーに負ける気がして、2ヶ月ほど勤務を続けていましたが、会社にも迷惑をかけていると感じたので、休職することにしました。「休みの間暇だろう。」と本など差し入れをくれる人もいたけど、生きているのだけど、何もしたくない。体を少しでも動かすと肌も動くので、リンパ液がでている肌を感じたくない。ただリンパ液がでるのをおさまるのを待っていました。
動かすことに抵抗がなかったのは、目だけだった。それでもお腹はすくので、じっとしていても、3食ともしっかり食べていました。しかも大盛。食べても食べてもリンパ液にでていくのがわかりました。全く太らず、逆に痩せていました。体は異常に寒くて寒くて、布団をかぶって暖房の部屋にずっといました。
お風呂に入ることは苦痛でした。自分の体を見ることが何よりいやでした。お風呂からあがったあと、紫雲膏をぬることも、初めは塗ることで気持ちも痒さも落ち着いていましたが、次第にリンパ液がでている肌に塗っても塗っても滑り落ちていくようで、1日に朝と晩お風呂に入るごとに塗りなおすのは、むなしくなっていました。
「いつになったら、この状態が終わるんだろう、来月は?来年はどうなっているんだろう?」それでも良くなると信じて、毎日毎日過ごしていました。体の不調は、自分自身を成長させてくれることと、周りの人たちにどれだけ支えられているのかということがわかる期間でもありました。でも不思議とこの状況になったステロイドを憎むことなく、これからは病院についてだけでなく、色んなことに対して、自分で勉強していかなければいけないと思いました。
病欠に入って3ヶ月、顔の一部からリンパ液が出なくなり、その後もだんだんと出ない部分が広がり、顔を洗っていて、なつかしい感触がしました。普通の肌がでてきたからです。にきびができてようが、毛穴が汚くてもいい、待ちに待った普通の肌が出てきた時、先の見えなかった私は、うれしくてたまりませんでした。でもまた悪くなるかも知れないし・・・・。とも頭の片隅にありましたが、アレルギー値より何より自分の体が、回復に向かっているのではないかと実感していました。
1ヵ月後会社に戻り、通常の生活は送っていましたが、朝晩お風呂に入り、紫雲膏を塗りなおす日々は続いていました。リンパ液は、顔・体からは出なくなっていましたが、まだまだかゆくてたまりませんでした。人前で掻くのはいやなので、1人になると1時間でも2時間でも掻いていました。でも病欠前にくらべると、思いきり掻けるくらい肌に弾力はありました。書き傷は今もありますが、かゆみはすこしづつ少なくなり肌も肌色に戻りつつあります。
今は少しくらい頭が痛くても、薬以外の体に負担をかけない方法で解決したいと思っています。私にとって色んなことを学んだアトピーですが、くじけそうになったことは数知れず、その時に支えてくれた多くの人に感謝したいと思います。松本漢方クリニックの看護師の方、父、母、兄、友人、そしていつも「必ず治してあげる」と固く握手してくださった松本先生、本当にありがとうございました。
私は小さい頃からアトピーでした。小さい頃から漢方薬を飲み、そこまでひどくならなかったが、高校生からひどくなり、結婚し、子供を授かると子供もアトピーでした。しかし、松本,医院に通って3年が経ち、31才になった今は症状が無くなりました。
親から聞いた話では、3才頃からアトピーと診断され、飲み薬の漢方薬に蜂蜜をいれて飲んでいたようです。小学生になり、夏場の汗をかく時期だけ、肘と膝の裏には発疹ができ、寒かった記憶があります。その時も漢方薬は飲んでいましたので、見た目は普通の子と変わらない感じでした。
中学生になり、たまに痒くなり、掻きむしることがあり、その時に親が皮膚科に連れてってくれました。その皮膚科では、無愛想な先生でしたが、ぬり薬を出してくれて、その薬を塗ると痒みも発疹もすぐに治っていました。その時は、なんてすごい薬なのだと、痒くなるとすぐにその薬を塗っていました。
高校生になり、その薬のおかげでほとんどアトピーの自覚は無くなっていましたが、アルバイト先の寿司屋でエビの皮むき作業を行ったところ、手の指と甲の部分が赤く腫れ上がりました。エビの汁があまり肌に良くないようなことも聞き、アルバイトなのでできないと言うことも言えず、そのまま作業を行っていましたが、半年経つと薬を塗っても痒さが治まりませんでした。そこで、また皮膚科に行ったところ違う薬をもらいました。見た目は以前使っていたものと変わりませんでしたが、またよく効く薬だと喜んでいました。その後、就職してからも手荒れはひどく、薬を塗り続けたおかげで、普通の生活はできていました。24歳になって結婚をし、子供も順調に生まれましたが、子供には1才頃から発疹ができていました。病院に行くとステロズドの入った薬をもらいました。この時初めてステロイドと言う言葉を聞き、家内がいろいろ書籍で調べたところ、ステロイドはあまり良くないと。依存してしまうことがあるとのことで、子供にはなるべく使わないようにしようとひどくなったときだけ使っていました。子供が3歳になり、アトピーと思われる症状(発疹、かゆみ)がひどくなりました。自分も仕事で徹夜が続き、手荒れがとてもひどくなっていました。子供には自分のように薬が無いと生きていけないような生活はさせないよう{こと、この時から自分もアトピーについて勉強しました。その結果、今まで自分が使っていた薬がステロイド入りということに気づきました。中学生、高校生とどんどんステロイドの量を増やし、治っていたと錯覚していたことに気づきました。またまわりでもステロイドはダメだという風習もあったので気づいたんだと思います。子供にもステロイド入りの薬を少し使っていただけにどうしたらいいか悩みました。しかし、やはり自分と同じような目には遭わせたくないということで、ステロイドを使わない病院をインターネットでいろいろと探しました。ただ、いろいろな病院のホームページでは、「漢方で冶します」とか、病院側の治療方法のみが記載されていることが多く、本当にそのとおりになるのか、その病院の本質がわかりませんでした。漢方治療となると保険がきかないと聞いていたし、継続的に続けないといけないということもあり、なかなか踏み出せませんでした。しかし、子供と自分の症状は悪化していくだけで、なんとか早く見つけようとして、各病院のホームページを細かく見直して、発見したのが松本漢方クリニックでした。最初は他の病院と同じように見ていましたが、信じさせてくれたのは、松本先生の考え方でした。一言。いつも言われるこの言葉です。「アトピーは必ず必ず治してあげますから」一回目に松本漢方クリニックに言ったのは平成20年5月でした。
医院に行ってみると、あまりの人の多さにびっくりしました。不思議な先生だなと言うのが第二印象でしたが、目を見て話をしてくれて、言った台詞が「我慢はするな。痒かったらなんぼでも掻いたらいいんや。それが正常な反応や。絶対治してやる」でした。この言葉がとても印象的でした。
松本漢方クリニックでは、煎じ薬と漢方の風呂、塗り薬をもらいました。子供と僕の飲むお薬はすべて煎じ薬にし、漢方の風呂は2日に一回入るようにしました。ただ、子供はお薬もお風呂も全て嫌がってました。僕は仕事が忙しく、平日は漢方の風呂にはほとんど入れませんでしたが、土日には子供と長く浸かっていました。漢方の風呂に入ると体が心から温まり、患部が痒くなる症状がありました。それを赤い塗り薬で抑えましたが、痒みを抑えられるわけもなく、掻きむしる毎日でした。今まではステロイドで症状を見せてなかったのですが、ステロイドを止めてからは手の指は倍近く腫れ上がり、人には見せられない状態でした。しかし、手はどうしようもないのです。絶対見えるのです。この年なので、あまり気にせず、人から言われたら今治療中なんですと答えながら淡々と昼間は生活をしました。ただ、夜寝たときに無意識に掻きむしっていたようで、いつも朝になるとパンパンに膨れあがり、血だらけになっていることもありました。
松本漢方クリニックに行ってから3ケ月。子供も私も症状は悪化するばかりでした。
他の患者さんの手記では、3ケ月で治った人、1年で治った人いろいろ症状により書いてありましたが、うちの家族は本当に治るのか不安でした。
それでもきっちり治るまでやり抜こうと決めたからには、がんばろうと続けました。ただ、-つ変わったことがありました。松本漢方クリニックに通ってから、免疫力が少し上がったのか、子供があまり発熱しなくなりました。通う前は、よく熱が出て、その都度どこか病院に連れて行っていましたが、それがほとんど無くなっていました。そういう小さな変化も継続した結果かと思います。冬になると乾燥するせいか、子供の症状がさらに悪化しました。夜は掻かないと寝むれないほどとなっていました。私の手先は相変わらずでした。春先には子供が花粉アレルギーを持っていたせいか、痒みがひどく、顔も腫れ上がっていました。松本漢方クリニックに通って-年間。少しの変化はあったものの、私と子供はひどくなっただけでした。ちょっと不安になっていました。2年目に入ってからもお薬とお風呂、塗り薬は継続して使用していましたが、私の手は少し良くなりました。少しというのは、起きているときは痒みが無くなり、夜も毎日掻きむしることは無くなりました。調子のいいときは、腫れも発疹も無い普通の手の時もあったほどです。ただ、これも他の患者さんの手記にもあった症状で、良くなったり、悪くなったりの繰り返しが始まるんだと。ただ、この時までは手先だけだった発疹が、顔にも移ってしまいました。なぜ顎の辺りが痒くなったのかは、よくわかりませんが、ヒゲも弟りれないほどでした。しかし、急に治せるものでもないため、とりあえずは今やるべきことを続けようと言うことで、続けていました。
2年目の春、また花粉が飛ぶ季節には、子供がひどくなりました。ただ前の年、その前の年ほどではなく、普段より少し痒がるかな?という程度でした。3年目に入りいいカロ減そろそろ治る兆しがあっても。と思っていましたが、そう簡単にはいきませんでした。私は職場が現場の方に移り、昨年よりも少しゆっくりできる仕事場になり、睡眠時間が今まで5時間くらいだったのが、8時間は寝られるようになりました。新しい職場に移ったのが、4月。そこから3ケ月たった7月に遂に治癒の兆しがありました。それは、手のひらがあまり乾燥しなくなったこと。今までは手が乾燥し、痒くなるため、赤い薬でコーティングをしている状態でしたが、赤い薬を塗らなくても、そこまで乾燥しなくなりました。手先の痒みは多少あったものの、そんなに掻きむしるほどではなく、まったく薬を塗らないで生活ができるようになりました。これは今まででは考えられない変化で、今後もこの赤い薬を塗らないと生きていけないではないかと思ってましたから、この変化にはびっくりしました。その後、治っているか試してみようと、私だけ漢方の風呂も入らず、塗り薬も使用しない状態を続けてみました。9月になっても痒くなることはほとんどありませんでした。素手で食器を洗っても症状は出なくなりました。
子供も夏場もほとんど痒くなることはなく、夜もぐっすり寝れるようになりました。平成23年1月現在、私は仕事で遅くなったときは少し手が痒くなることはありますが、発疹等も1日で消えるような状態となりました。
ただ、子供が漢方の風呂に入るときには一緒に入るようにしていますが、塗り薬を塗ることなく、生活ができるようになりました。
今まで生きてきた中でこんなにも楽になるとは思ってませんでした。素手でなんでも作業ができる。食器洗いも掃除もこんなに楽にできるとは、健康な人はすばらしいと思いました。これも継続して松本漢方クリニックでお世話していただいたおかげです。私個人としては、7月からほとんど症状が出なくなったため、もう大丈夫かなとおもっていますが、子供が完治するまでもう少し様子を見ながら、お世話になろうと思います。
私は、今までも普通の生活をできていたかと思ってましたが、実は薬が無いと生きていけてませんでした。私は約3年かかって普通の生活ができるようになりつつありますが、世間ではまだアトピーで苦しんでいる人が多々いるかと思いますが、根本的な考えから松本先生の意見を取り入れていただけたらと思います。
松本先生には薬に頼り切った生活から解放していただき、誠にありがとうございました。
中学時代の喘息、これがすべての始まりだったと思います。病院での吸入や点滴をくり返した結果、喘息は良くなったものの、高校3年の時突然顔の皮がむけ、かゆみが生じるようになりました。それ以来、私の生活の一部となった病院通い。もちろんたくさんのステロイド剤を体中に塗る日々でした。
誰が見てもアトピーと分かる顔つきになり、いろいろな方から「○○はアトピーにいいよ」という情報が舞い込むようになりました。藁をもすがる思いで試してみるもののどれも症状は悪くなる一方・・・結局病院へ舞い戻り、以前よりきついステロイド剤を処方されるという悪循環に陥っていました。でもそのたくさんの情報の中で大学4年生のとき、ステロイド剤の危険性を知りました。それ以来、ステロイド剤に使用を中止しました。もちろんすぐにリバウンドで、頭のてっぺんから足の先までパンパンに腫れました。仕方なく病院に行き「ステロイド剤の使用を中止しているのでステロイド剤は処方しないで下さい。」と医者に頼みました。ですが医者が「ステロイド剤は入っていません。」と処方した薬を塗ると、あれだけひどかった体がウソのようにキレイになったのです。「だまされた。」という不信感だけが残りました。
その後、就職してからは私の意思に反して、ステロイド短期処方の入院を2回しました。こうして私のアトピー人生は、医者によって更に深刻なものになっていきました。
「もう、何も試さない。」「誰の言うことも信用できない。」・・・とふさぎこむ毎日でした。そんなある日、同じようにアトピーで苦しんでいた従姉が松本漢方クリニックでアトピーが治ってきた(当時治療中)と言う話を聞きました。当時の従姉の様子を見た母親の話を聞くことで少し希望の光がさしてきました。
今まで色々試してきたけれど、全然ダメだったこと。医者にさえ裏切られたこと。もう私に失うものは無い。これが最後のチャンスと信じて松本漢方クリニックへの通院を決めました。
2001年1月、初めて松本漢方クリニックに足を踏み入れ、先生と交わした会話は今でも決して忘れることは出来ません。「絶対治してあげるから!」どれだけ安心し、勇気付けられたか分かりません。たくさんの薬をいただき、治療が始まりました。毎日の検温・消毒・入浴。今までにもリバウンドは経験していたこともあって「やっぱり・・・」という感じでしたが、もっともっと壮絶なものでした。関節が全然曲がらない・目が開かない・常に暑いし・くさい。とても人間の体とは思えない症状が続きました。体からにじみ出るリンパ液が服とくっつき、服を脱ぐときの痛みもあまり感じない時さえありました。でも、毎日の入浴はなぜかホッとするひとときでした。湯に浸かっているときは、不思議とかゆくなかったからです。
3ヶ月くらい経った時、37.3度を超える熱が続きました。夏には手のひらと足の裏に水泡ができ、ヘルペスになりました。そのときも不安で先生の自宅にまで電話をさせていただき、優しく励ましていただきました。どんな時も適切に,誠実に対応してくださり、感謝しています。
まだ、治療が続きますが、無事アトピーから卒業できる日を楽しみにこれからも頑張っていこうと思っています。松本先生の「絶対治してあげるから!」という言葉を信じて。そして私も胸を張って「絶対に治る!」と、今アトピーで苦しんでいる人たちに伝えたいです。
IgE抗体の数値が700台になって一段落したので途中報告をしたいと思います。私が幼いころから悩み続けていたアトピー性皮膚炎を松本漢方クリニックで治そうと思ったきっかけは、弟が以前にアトピー性皮膚炎の治療で松本漢方クリニックに通って治したことです、いままではステロイドを塗るだけではその場は湿疹が治ったように見えますが、しばらくするとかゆくなりステロイドをひんぱんに塗り続けました、私は2007年の2月に初めて先生の診察を受けました。
そのときは体温が高く足の皮膚がぼろぼろにはがれていました。
それを診察して松本先生はリバウンドがきついと治療を中止する可能性があるとおっしゃいました、でもその後に中止がなければ必ず治るともおっしゃいました、私はそのことばをしんじて通院を開始しました。
赤い軟膏と入浴の漢方の薬と煎じ薬をいただき先生の指示に従って治療を開始しました、通院を始めて一ヶ月たったころ足を中心にリンパ液が出だしました
かなり体が疲れやすくもなりました、これらの症状も弟が経験していたのでつらい状態でも耐えることができました。
こんな状態の私を家族は気遣って薬を塗ってもらい、先生を信じていこうと励ましてくれました。
松本先生はステロイドの影響でIgE抗体の数値が、あがったりさがったりしていくうちにアトピーが治るとおっしゃいました、こんなに抗体の数値が変動するとは思っていなかったので、やはりステロイドは体によくない薬だと思い知らされました。
早めに通院をしなかったので長い時間がかかってしまいましたが、体調はつらいリバウンドのころよりかなりよくなっています。
かゆみの不安がなくて眠れることがうれしいです
まだ通院は続きそうですがもう来なくていいと先生がおっしゃるまでがんばりたいです。
松本先生今後もよろしくお願いします
香川県
私とアレルギーの出会いは、今から20年前です。小学校6年の時に、花粉症にかかり内科で薬をもらっていました。
中学に入り、膝の裏や肘にアトピーが出始め、近くの皮膚科へ通院していました。アトピーとは診断されずに、ステロイドを処方されていました。その頃は、アトピー、ステロイドなどの知識は全くなく、保湿剤感覚で塗ってました。
高校、社会人になってからは花粉症の薬をもらう為に診察に行くのが面倒になり、市販の鼻炎薬、目薬を使用していました。
結婚して一人目の子供を出産し、半年位したころから、今まで一定のトコしか出ていなかったアトピーが、顔に出るようになってきました。
慌てて大きな病院に行きましたが、すごく弱いステロイドですから・・・と言われて2.3日使用しました。その頃、主人がステロイドはよくないらしいから、使用するのをやめるように言われました。それが、今から8年前でした。突然ステロイドをやめたので、リバウンドは激しく、6カ月の子供を育てながら、痒みと子育てとのストレスで頭がおかしくなりそうでした。
ステロイドをやめ、8カ月ほどした頃、ネットで松本漢方クリニックをみつけました。それから、しばらくお世話になっていたのですが、育児休暇が終わり、仕事復帰しながらの治療・・・となりました。見た目には全くアトピーとわからにまでに回復した為、半年程続けた治療をやめていました。松本先生の所へ行くまでに、ステロイドをやめていたので、みんなの手記のように激しいリバウンドにはなりませんでした。それまで、一人でリバウンドと戦っていたからかな?と。
それから、4年半、2人目の出産から約半年後、手の指だけが激しいアトピーになり、再びお世話になる事になりました。そして、また半年たち職場復帰後、会社を変わり家を購入し、と経済的に苦しくなり、手のアトピーも全くなくなっていたので、お薬もやめていました。
それから、約3年毎年夏に汗をかいた時に肘や膝首が少し痒くなっていたくらいで、お肌はツルツルでした。もちろん、ステロイドをやめてからは、鼻炎薬、ステロイド、ヒスタミンの軟膏などは全く使用していません。
この夏は、肘の内側、脇、手の指が 汗をかいてかくと蚊に刺された跡のように蕁麻疹ができ痒みと戦っています。
また、下の子もこの春からアトピーを発症し、ほぼ全身です。生まれてから、ステロイドは一度も使用してはいないのですが、生後1カ月の時に高熱が出て、咳を止める為にと、ヒスタミンの飲み薬を飲まされました。いけない!と思いつつも、生後1カ月で点滴なども使用できずに、熱が下がらず、このままでは後遺症が残るかもしれないという事でいっぱいになり、先生の治療のままに従っていました。
それから、3歳になった今では、全くといって良いほど、風邪、熱とは無縁です。3歳になるまで、何度か風邪を引き、ヒスタミンも処方されましたが、よほどひどい1日くらいしか使用していません。抗生物質とヒスタミンは分けて処方してもらい、抗生物質のみ飲ませていました。
私の煎じた漢方のお茶は、三番煎じを少し飲んでくれるくらいです・・・。だから、お風呂につけてやり赤い軟膏を塗ってやっています。子供と二人、眠れない日々が続いていますが、頑張って完治したいと思います。頑張ってお金と気持ちのやりくりをして・・・。
なかなか松本先生の所へ行けそうにないので、近くの皮膚科でIGEを検査してもらった方がいいのでしょうか?
自分の思いついたままに書いたので、とりとめのない文章になってしまいましたが、よろしくお願いします。