「みんなにささえられて」33歳女性2006年1月26日
松本漢方クリニックに出会ったのは、脱ステロイドで治すことで有名であった病院が、ステロイドの服用を勧めた時でした。もう、一生ステロイドを使わなくては生活できないんだと、辛い思いで一杯でした。
光が見えました。それまでの治療でしたことは、多量のステロイドを使い、抜き、服用し、抜くということだけでした。二度のリバウンドで、心はボロボロでした。この時、もう一回ステロイドを抜き、やってみようと思えたのは、松本先生の治療法の確かさを感じたから、希望が見えたからでした。
時間はかかりましたが、きれいになり、縁あって結婚することができました。そして子どもが与えられました。
妊娠4ヶ月でつわりが終わると同時に、アトピーが吹き出してきました。顔は腫れて、割れ、両足とも腫れて、かゆみで傷が出来、浸出液がべったりつきました。それが全身に広がると、洋服が着られなくなりました。ガーゼと包帯を巻いても、油紙をはさまないと、浸出液で全部くっついてしまうからです。家中に私の皮が落ち、つもっていました。
家事は一切出来なくなりました。毎日近所の実家で食事の用意や洗濯をしてもらいました。それでも、しんどいときは、お風呂に薬をたいていれ、お風呂で食べ、お風呂で眠り、お風呂で一日を過ごしました。休日の日は、お風呂にオセロやトランプを持ち込んで、夫とお風呂のなかでゲームをしました。夜中どうしても耐えられないときは、夫を起こし、眠い目をこすって起きる夫をみては、申し訳ない気持ちで一杯になりました。夫は「これも、いつか良い思い出になるよ。」とのんびり励ましてくれました。
何とか耐え切れたのは、松本先生の治療法が確かであることを知っていたからと、お腹の赤ちゃんが私を支えてくれたからです。お腹に向かって、「お母さん、がんばるからね。元気で生まれてきてね。」と声をかけたとき、ぽんぽんと蹴り返してくれるこの命のために、私が出来る最高のことをしようと思いました。体はボロボロでしたが、赤ちゃんはすくすく育っていました。
最初ステロイドの使用をすすめていた、産科の先生も、「敗血症になるかも知れないから、消毒だけはしっかりするように」と応援して下さいました。
9ヶ月目になったとき、なんだか湿疹の勢いがなくなったように感じました。病院行きのカバンにも、たくさんの包帯とガーゼを詰めました。
そして、その日を迎え、私たちはとうとう娘と会うことが出来ました。娘は元気な産声をあげました。すべて終わって、部屋に入ったとたん、びっくりしました、足の湿疹が枯れているのです。昨日までは、包帯を巻かないと、気持ち悪くて眠れなかったのに、その日は何も巻かず、ぐっすり眠りました。こんなにぐっすり眠れたのは、10ヶ月ぶりでした。病院に持っていった沢山の包帯とガーゼは、いまだに使われることなく家に眠っています。
その日から、一日一日治り続け、半年後には、また元のツルツルした肌に戻りました。
松本先生に、無事生まれた報告をしたとき、「よく頑張った!」と握手をしたことを今でも覚えています。松本先生、実家の両親、祖母、夫すべての人に支えられて、出産できたと、いまでも感謝しています。
私の横には、今、2歳になった娘がいます。アトピーで苦しんだのはほんの10ヶ月、そして娘がいる喜びは一生です。娘にもいつかこのことを話してやりたいと思います。
「アトピー手記」匿名希望32歳2005年9月21日
私が松本漢方クリニックを訪れたのは、1999年7月のことでした。会社の同僚から、知り合いがこういう病院に行っており、良いという話を聞いたから、アトピー性皮膚炎の私にも、と教えてもらったのがきっかけでした。正直に言うと、失礼な事ながら、この時は半信半疑でした。どの病院に行って薬をもらっても、マシになるどころかどんどん酷くなる一方で、今まで出てなかった場所にまでアレルギー反応が出てくるようになっていたので、少しでもマシになればいい、そういう思いだったのです。
病院の待合室で他の方々の手記を拝読し、「ああ、こんな状態になるのならば、私も仕事を休まなきゃならないな・・・嫌だなたぁ」と思いつつ、診察を受けて、帰りました。この時はまだ覚悟も出来ていませんでしたが、念の為にと、仕事先には前もって話を通しておきました。
飲み始めたら、早速反応がありました。顔が真っ赤になって、腫れ上がっていました。鏡でみた時は、かなりショックでした。早くマシになれ・・・と思いつつ、仕事を休みました。
その翌日には更に酷い状態になり、黄色い液が、顔からじくじくと浮き上がってきました。これが、今まで使用し続けてきたステロイド等の体に溜まった悪いものなのだなあ、それが体内からでていっているのだな、と松本先生の話を思い出しつつ、嬉しい反面、かゆくて気がおかしくなりそうでした。これが酷くなる一方だったらどうしよう、そんな思いに捕らわれました。精神的にも一番辛かったと思います。
黄色い液がかさぶたの様になった後、剥がれたかと思うと、また液がにじみ出てかさぶたになる・・・。少し引いたりぶり返したりを繰り替えし、そんな状態で仕事を休み続けて、1週間程経った頃だった思います、嘘の様にスッと症状が軽くなりました。真っ赤に腫れ上がっていた顔も戻り、顔がつるつるになりました。驚きでした。今までのは何だったんだろうと、疑いたくなるほどでした。
それからは疑っていた自分を反省し、治療を続けました。毎年ごとに、症状が、少しずつですが和らぎ始めました。真っ赤に腫れ上がっていた顔も、腫れ上がることも無くなりました。顔以外のアレルギーもわずかなものです。あれほど苦痛に苛まれていたのが嘘のように、今では症状もごく軽く、精神的にもかなり楽になりました。
ここまで来るまでにかかった年月は長いですが、後悔はありません。もう一歩だと自分を励ましつつ、これからも続けて行きたいと思います。早く松本先生から「もう大丈夫」だと言って貰える日を楽しみにしています。
私は20歳過ぎた頃からアトピーの症状が出だしました。春先や秋に決まって出ていたので、その度に皮膚科に通いました。その頃は京都に住んでおり、周りで有名な皮膚科に通っていました。その皮膚科は毎回混んでいて、1~2時間待ちは当たり前でした。診察はあっという間に終わってしまい、ステロイドの薬を出されて、最初は弱いものでしたが、通院するうちに、だんだん強い薬に変っていきました。大阪に引越してからも、遠くなりましたが年に数回通っていました。最初はステロイドについて、あまり知らなかった為、疑いもなく薬を使っていましたが、薬がどんどん強くなっていき、飲み薬まで出されるように不信感をもっようになりました。(飲み薬は、体に悪い気がして、飲まなかったと思います)
また症状が出てきたらその皮膚科には行きたくないと思っていたところ、松本漢方クリニックを見っけました。「漢方」とあったので、その方が体にも良いのではと思い、行ってみることしました。待合室で、手記を読んでいるちに。
「やっぱり、やめようかな」と思いましたが、「完治」の言葉を見て、自分も治療を始めようと決意しました。
煎じ薬を飲み始めて2~3週間位すると、顔や足が腫れ、皮膚もぼろぼろになりました。足からは液が出るし、顔も赤かったので、外出も嫌で、極力出ませんでした。毎日消毒、お風呂、塗り薬を繰り返し、煎じ薬も2、3度煎じて飲みました。1ヶ月位すると、腫れも引き、日常生活に支障もなくなって来ました。お風呂は半年は続けていたと思います。4ヶ月位たつと、皮膚は少し赤みが残っていましたが、痒みもほとんど無く、落ち着いた状態になりました。その後も落ち着いていましたが、秋口や、2月3月になると、痒みを感じるようになり、部分的にでしたが、アトピー状態になりました。しかしその時期を過ぎると、症状はなくなりました。
今現在で約6年位になると思いますが、途中妊娠の為、煎薬を中断した時期がありました。妊娠の2月に、また症状が出てきて次第にひどくなり、お風呂を再開しました。最初のにリバウンドの時ほどではなかつた物の、また顔が腫れて皮膚もボロボロで、体重は減る一方だったので、産婦人科の先生は心配していましたが、そのまま、塗り薬とお風呂で通しました。(赤ちゃんは元気に生まれました。)出産した後は急に症状が良くなり、その後もリバウンドも無く、過ごしました。産後に煎じ薬を再開しました、毎年2月を過ぎて花粉が飛び出すと、痒みも部分的に出てきますが、範囲も年々少なくなって来ています。
完治を目指して、現在も治療中です。
「私と娘のアトピー闘病記・・そして今、思うこと」匿名希望39歳8歳5歳2004年1月25日
思い起こせば、私は幼稚園の頃からアトピーだった。その頃の私は 時々、指に水泡ができたり、関節がジュクジュクしたりして、痒くつらい思いをしていた。しかし、小学生の時、油性の「フルコート」を処方されるようになった。油性のフルコート…今思えばステロイドである。小学生の私が、医者からもらった薬をなぜ疑うことができるのか。母も疑うことなく私にその薬をわたし、痒ければ塗っていた。中学、高校、大学時代は、あまり悪くならず、薬もほとんど塗ることはなかった。結婚して出産するまでは、たまに薬を塗ることはあるもののアトピーは小康状態だった。
1995年春、1人目の子供(娘)を出産後、アトピーは徐々に悪化した。娘もアトピーだった。基本的にはワセリンやベビーオイルを塗って保湿していたのだが、悪化すれば医者から処方された弱いステロイドを仕方なく少し塗っていた。
1996年秋、新築の家に引越しした。しかし、私は、その冬、急に目の周りが痒くなり、首筋がゴワゴワになってきたのである。こんな状態になったのは、初めてだったのでどうしていいかわからなかった。近所の皮膚科に通い、ステロイドについても必ず質問したのだが、「飲み薬や注射のステロイドならば副作用もあるかもしれないが、塗るだけなら副作用などない。」「そんなに神経質になるから治るものも治らない」と言われてしまった。その頃、ステロイドの副作用のことが雑誌やニュースで見聞きしていたのだが、「先生がそう言うのだから大丈夫だろう・・」と自分に言い聞かせ、何よりこの状況を脱したい一心で、ステロイドを首や顔にまで塗るようになってしまった。その年は冬だけが悪くなるだけでなぜか、春から夏になるとほとんど症状は治まった。
1998年春、2人目の子供(息子)を出産した。心配していたが息子はアトピーではなかった。息子の肌はすべすべで、娘の肌とは全く違っていた。子供の肌は本来こんなんなんだ・・うれしい反面、上の子が可愛そうで仕方なかった。その頃3歳の娘は、全身ガサガサで、手や関節はいつもジュクジュクであった。私自身は、妊娠中はステロイドを塗ることは避けていたが、冬も前年ほど悪くはならなかった。
しかし出産後、再び悪夢が襲った。以前よりもまして顔全体が赤く、目は腫ればったくなり、首はゴワゴワに、また前は首から上だけであったのが、体全体も赤く腫れてきたのである。私は、ますますステロイドに対する不信を持っていた。
7月、助産婦さんから紹介されたステロイドをあまり使わないという京都の病院に行くことにした。その病院は血液検査によりアレルギーとなるものを見つけ出し、それを排除するという方針の病院であった。しかし、私と娘は血液検査をしたものすべてといっていい程アレルギー反応がでてしまった。卵・牛乳・大豆はもちろん、米・小麦と行った主食から、牛肉・鶏肉、鰯・鯵などの青魚、えび・かになどの魚介類、食品添加物全般、ホルムアルデヒドといった住居関連、ハウスダスト、猫や鳥などのペット類・・これでは、食べるものもなくなるし、家でも外でも生活ができなくなるのではないか、と思うほどだった。しかし、その時はわらにもすがる思いだったので、食事を徹底して改善し、しっかり掃除し、空気清浄機を購入して家から発生する有害物質を極力取り除くようにし、できる努力は全て行った。
すると間もなく、驚くほどよくなったのである。しばらくはがんばったのだが、このような生活には無理があり、またストレスも溜まっていった。また娘が遊ぶもの、食べるもの1つ1つに口を挟み、娘も何をやるのも私の許可を得て、という状況だった。そして、悪くなると「何か悪いものを食べたのではないか?」と常に自分を責めるようになってしまった。しかし、このままアレルゲンとなるものから逃げてばかりではいけない・・今後、娘は幼稚園へ、学校へと行くのに、このままでは普通の生活ができなくなる・・私は、この病院にも疑問をもつようになっていた。
1999年4月、娘は幼稚園に入園した。娘のアトピーは今まで避けていたものが入ってきたからか、悪くなった。とうとうそこでもステロイドと飲み薬の抗アレルギー剤を出されてしまった。
8月、娘が重症のとびひとなってしまった。アトピーがあった為、とびひは全身にひろがり、ステロイドを塗り、その上を包帯で巻いた状態になってしまった。飲み薬のステロイドは拒否していたのだが、1ヶ月間で大量のステロイドを塗ってしまいかなり不安で後悔した。
このままでは、私も娘もだめになる・・私は、本や雑誌などを読み、いろいろな方法が世間に出回っていることを知った。東京でステロイドを使わない先生がいるとのことで、行こうか迷ったこともあった。しかし、東京まで行くのに踏ん切りがつかなかった。いろいろ読んだのだが、その中で納得の行くもの、今の状況で可能なものはほとんどなかった。娘は、とびひはなおったものの、アトピーは夏休み前よりも悲惨な状態になってしまった。
9月、私も、再び、突如として全身が黒くなりゴワゴワになった。それは、今までよりもはるかにすさまじいものだった。激しい痒みと痛み・・今までとは違う恐ろしい形相・・後ろを振り返ることもできないくらい首の皮膚は硬く象のよう・・また、全身には大きなおでき状のニキビ・・手も赤く腫れあがり、握ったり開いたりもできず、炊事もできない・・腕や足は、赤黒く、浮腫みで今まではいていたズボンの太もも部分がきつくなり、服や風が触れるだけでも痛い・髪の毛は抜け、頭皮まで浮き上がり、フケだらけのよう・・このままではいけない、なんとかしなければいけない、治したい、なんでも好きな物が食べれて好きなことができる生活を取り戻したい・・私達は必死であった。
当時、我が家にパソコンはあるもののインターネットはしていなかった。そこで、主人が会社で「アトピー」と検索し、調べてきてくれた。インターネットが今ほど普及していなかったのが幸いして検索してもまだ200件ほどしか引っかからなかった。それを1つずつあけていき、目にとまったのが松本漢方クリニックだった。場所は、家から40分位・・これなら長期になっても行ける距離である。私の今の状況は間違いなく、先生の論文や手記に書いてあるものと同じ、ステロイドのリバウンドだ・・ここに行けば、治るかもしれない・・ここしかない、しかし私も手記にあるような恐ろしい状況になることは間違いない・・娘4歳、息子1歳、まだ子供にも手がかかる・・いろんな思いが交差していた。しかし自分1人でこの状況と戦うのは、限界であった。
意を決して、松本漢方クリニックに行くことにした。10月、先生の話をもっと詳しく聞きたかったので、私だけで来院した。
先生は、私を見るなり「大丈夫、絶対直してあげるからね」と握手をしてくれた。私は、インターネットで松本漢方クリニックを知ったこと、ステロイドに対する不信、娘もアトピーであることを話した。「なんで娘さんも連れてこんかったんや」と怒られ、次週つれてくる、と約束した。
それから毎日、煎じ薬をたき、消毒し、お風呂に1時間入るという生活が始まった。私の身体はますます、どす黒く、皮は突っ張り、動くのもやっとという状態にまでなってしまった。子育てまっ最中の私にとって肉体的にも、精神的にも、時間的にもつらいものであった。
次の週、しんどい身体をひきずって娘を連れて松本漢方クリニックに行った。娘も、私と一緒に一週間、漢方風呂、消毒、煎じ薬を始めていたので、既にステロイドのリバウンドが出ていた。娘の状態は相当ひどく、腕や足の関節や手のひらはひどい炎症を起こし、体中ガサガサで、コイン大の赤斑がところどころ現れていた。しかし、娘は握手をしてもらい「絶対治してあげるからね」と言われ、「今までの先生とは違う、この先生なら治してくれる」と直感したようだった。また、松本先生に「何をしてもいいし、何を食べてもいい」と言われ、幼い頃から制約ばかりされていた娘はうれしかったのだろう。
「消毒をしてお風呂に入って、薬も飲もう、そうすれば絶対治るからね」、と娘と約束した。今まで我慢すれば治ると信じていろんなことを我慢させていたが、結果として裏切ってしまうことになっていたので、私も娘をもう裏切ることはできない、と必死の思いであった。しかし今度の治療はするべきことさえすれば、掻きたければ掻く、食事制限もしなくていい、したいことはすればいいというものであったので、娘も私もつらいながらも以前よりは気がラクであった。そして何よりも、先生に握手してもらって、絶対治るんだと娘も確信したようであった。とはいうものの、毎朝、幼稚園に行く前に消毒しシャワーで流す、と言うのは娘にとってもつらいものであったに違いない。
私は外に出るのもつらかったが、娘を幼稚園に送迎し、娘が帰ってくるまで日常の家事をしながら息子と過ごした。また、痒さと痛さで、夜も眠れないほどだった為、睡眠薬も処方されたが、眠りは浅く、一日中眠たい状況だった。
私は全身がむくみ、アレルギー熱も出て、子供たちと一緒に風呂に入るというのが困難になってきた。子供の風呂は主人が早く帰ってきて入れたりしていたが、折りしも2000年問題という主人の仕事では大変な山場であったため、毎晩帰りが遅くなってきて無理が言えなくなってきた。そこで近くに住んでいた母が見かねて、手伝いにきてくれることになった。母も最初は、私と孫の姿に絶句したが、松本漢方クリニックに一緒に行って話を聞いてもらい、納得したようだった。夕方、風呂に入れるのを手伝いににきてくれ、実家に連れて行ってもらい、夕食を食べて帰ってくるという毎日だった。
11月、寝込むほどのしんどさ、顔のむくみがかなり引いてきた。まだ、手足のむくみや、全身の湿疹、耐えられないような痒さは残ってはいるものの、一番気にしていた顔は以外に早く引いてきた。しかし、掻いて体中の皮がポロポロと落ち、家中、布団中、衣服も皮だらけ・・毎日、布団をはたき、衣服からの皮を落としてから洗濯をし、掃除をしても、家中すぐ皮だらけ、という状況だった。そこで、新聞紙を敷いてその上で掻いたりしたが、コップ1杯分位の皮が落ちたこともあった。
しかし、気をつけていたにも関らず、娘がとびひになってしまった。夏に重いとびひになっていたので、かなり動揺したが、しっかり消毒し、抗生物質を飲ませたので、重症になるまでにはならなかった。それ以降も、とびひになりかけることもあったが、怪しいときには、しっかり消毒していたので、広がることはほとんど無かった。
また、息子は、小児科の先生から喘息の気がある、と言われたことがあったのだが、その頃、夜、風邪とは違う、咳き込むと長引く咳をしていた。そのことを先生に相談すると、喘息系の煎じ薬を出してもらった。とうとう私、娘、息子と3人が松本漢方クリニックの世話になるようになった。何とか薬を飲ませたが、毎夜、咳は続いた。しかし「今晩はいつもより咳がひどい。このままで大丈夫なのか」と思った翌晩、ピタリと咳をしなくなったのである。そして翌晩もさらに翌晩も咳はでなくなった・・「喘息は簡単に治る」という松本先生の言葉通り、10日位で本当に治ってしまった。私はこれで「私と娘も本当に治る」と確信し、それが心の支えとなった。
12月、寒くなってきて、1時間の風呂や、朝夕の消毒がかなりつらく、娘も根をあげることもあったが、一緒にがんばろう、とお互い励ましあいながら、延々と風呂と消毒を続ける毎日であった。しかし、随分体がラクになり、家事も少しずつできるようになってきた。母も2ヶ月間ほぼ毎日手伝いにきてくれていたが年末にはもう私も子供たちと一緒に風呂に入れる位の元気が戻って来た。
2000年2月、ある日突然、私の体の皮がポロポロ落ちるということが収まった。気が付かなかったが、随分と皮がしっかり張っている。赤く炎症を起こしていた手は、深いしわはあるが、皮が張ってきて、痛みは随分引いてきた。まだ、夜は眠れないほどの痒さはあるが、日常生活はある程度普通にできるようになった。
4月、娘は幼稚園の年中になった。娘の状況は、以前ほど赤い炎症はないが、夜は何度も痒がって起き、全身ガサガサであった。
6月、幼稚園でプールが始まった。しかし、まだ体中、ガサガサしており、手も湿疹だらけで、娘も嫌がったのでプールに入るのは断念した。
7月、夏休み。毎日、漢方風呂に入った。朝、沸かし夕方まで水遊びも兼ねて、汗をかいたら何度も入った。夜も風呂を入れなおして、また入った。娘は入浴後痒がり、上半身裸の娘の下に新聞紙をひいて、1時間あまり背中を掻いてやっていた。ポロポロと皮は落ち、新聞の上は皮で一杯になった。いつまでこんなことが続くのか…娘がかわいそうでならない。
しかしある日、風呂後、痒いと言わなかった。そしてその日を境に入浴後、ピタリと痒い、と言わなくなったのである。見れば娘の肌はつやがあり、生まれ変わっていた。私たちの場合、3人とも「きょうはいつもよりひどいな」と思った次の日、状態が好転する、と感じた。
8月、娘の肌の状態はとても良い。園の夏期保育はプールに入るのだが、娘に入るかどうか尋ねると、「入りたい」と言った。恐る恐るプールに入れたが、まったく痒くならず、大丈夫だった。幼稚園の担任の先生も夏休み前の肌との変わりように驚いていた。とうとう、娘は生まれて初めて、湿疹のない、普通の肌を得たのである。
私は、痒さはほとんどなくなっていたが、まだまだ完全には治りきらず、黒ずんだ肌である。とはいえ、他人から見てもひどい状態からは脱していた。また、この頃から睡眠薬を飲まなくても眠れるようになった。
2001年1月、冬になった。私は例年、冬が最も悪くなるのだが、また首が少し悪くなった。しかし、以前に比べると全然違い、少し痒くもあるが、普通の生活ができるようになっていた。娘は、手などが少し赤切れになったが、どんどん白く、普通の肌になっていった。
4月、娘は幼稚園の年長になった。娘は、誰が見ても、そんなひどいアトピーだったとは、わからないほどになっていた。そして、以前から習わせたかったスイミング教室にまで通えるまでになった。
私は、春になるとまた少しよくなり、深かった手のしわもかなり薄くなった。先生の許可は取っていなかったが、状態が良くなってきたのと、経済的な理由でほぼ毎日入っていた漢方風呂を少しずつ減らしていった。煎じ薬は、毎日飲んでいた。
7月、夏休み、特に悪くなったわけではないが、また水遊びを兼ねて漢方風呂に1日何度も入った。夏は、治癒を早める絶好の期間と思い、汗をいっぱいかき、新陳代謝をよくし大好きな海にも何年かぶりに行き、日焼けをし、肌の入れ替えを図るようにした。
2002年1月。私は、また首が少し悪くなった。その頃には、漢方風呂もほとんど入っていなかったのだが、また入ることにした。悪くなると入り、良くなるとやめるようになった。
3月、今まで花粉症になったことのなかった私が、花粉症になった。血液検査をすると、以前そう高くなかった杉花粉のIgE値がかなり高くなっていた。今までとは別の煎じ薬も飲むようになった。
4月、娘は小学校入学、息子は幼稚園に入園した。私は花粉症が治まり、松本漢方クリニックに通うのもその頃より数ヶ月に一回というペースになった。
2003年1月、冬。また首が少し悪くなった。
4月、娘は小学2年になった。私は首が良くなったのと入れ替わりに、再び花粉症になった。しかし前年よりも軽い気がした。また花粉症の煎じ薬を飲み始め、花粉の飛散が終わると、当たり前だが花粉症も治まった。
12月、この1年近く、皆、健康でアトピーも良い状態だったので、すっかり松本漢方クリニックに行くことを忘れていた。気がつけば、漢方風呂も、煎じ薬もここ1年くらいはご無沙汰していた。たまに悪くなると、先生からもらった赤い薬を塗れば、すぐに良くなっていた。しかし、冬になってまた少し悪くなり、赤い薬がとうとうなくなったので数ヶ月振りに松本漢方クリニックに行った。
そして今2004年1月、松本漢方クリニックに通い始めて4年・・娘8歳(小学2年)、息子5歳(幼稚園の年中)、私39歳になった。先日、久しぶりに来院した時に、先生に「まだ完全に治ったのではない」、とは言われたものの、今では、あの壮絶な戦いが嘘のような穏やかな日々を送れるようになった。
本当につらかったのは、私は半年、娘は1年位で、治療から2年位である程度治ったと実感していた。娘の方が時間がかかったように思えるが、今は娘の方がいい状態である。娘はここ2年位、たまに先生からもらった赤い薬を塗るくらいで、煎じ薬もほとんど飲んでいない。のびのびと小学校生活を楽しんでいる。ステロイドや抗アレルギー剤で免疫を押さえ込んでいた為か以前は風邪などもひきやすかったがほとんど風邪もひかず、健康で丈夫な身体になった。幼稚園時代の凄まじい状況を知る者は少なく、「そんなにひどいアトピーだったの?」と言われる。本当に湿疹の無い、痒くない、何を食べてもいい、何をしてもいい、普通の生活を送れるようになった。
息子は、あれ以降、夜、咳き込むことはなくなった。私も、冬場は少し悪くなるものの、やっと普通の肌に戻れた。
松本漢方クリニックの治療を始めて、最初の1年間は「どうして、こんなことになってしまったんだろう・・医者を信じて、処方された薬をぬっていただけなのに・・」と思い続けた。私は、松本漢方クリニックに通う前、ステロイドは塗り薬のみでステロイドの注射や飲み薬は使用していなかった。それにも関らず、リバウンドは起こったのだ。幼少時代は免疫反応からくる本来のアトピーだったかもしれないが、大人になってからは、ステロイドのリバウンドからくるアトピーがほとんどだったと思える。しんどい時、つらい時には、松本先生の論文や様々な方の手記を読んで、自分を励ました。そして、娘と「おかあさんも頑張るから、一緒に頑張ろう。」とお互い励ましあった。幼い娘が頑張ったから、根をあげそうになった時も、私も頑張れたのだ、と思う。私たちは、アトピーとうまくつきあったりアレルゲンから逃げるのではなく、アトピーと真剣に戦ったのだ。そして本当に勝利を得て、アトピーとの戦いは穏やかに終わっていくのだろう。
今、アトピー治療と称してステロイドを与えられているものが、私や娘と同じ道を歩むことになるのか・・治したくて、良くなりたくて行った医者・・なのになぜそれよりもひどい状況にならなくてはならないのか・・また、現在では市販されている虫さされの薬にさえ、ステロイドが入っている。それを疑うことなく、ステロイドが入っていることさえ知らずに、誰でも自由に使っている・・本当にいいのだろうか・治療を進めるほど、ステロイドの恐ろしさと、自分の身に何が起こっていたのか、またあのままでは多分治らなかっただろうということがわかり、遠回りはしたが、松本漢方クリニックを知ることができて本当によかった、と思える。もし、あの時別の病院に行くことにしていたら、ステロイドの飲み薬や注射をされてさらに取り返しのつかない、ステロイド人間になっていただろう。松本先生とめぐり合えたことで、幼い頃からずっと背負ってきたアトピーとようやく決別できそうである。松本先生および松本漢方クリニックを見つけてきてくれ最も凄まじかった時いやな顔せず励まし協力してくれた主人、そしてこの治療を理解してくれいろいろ手伝ってくれた母に感謝の気持ちで一杯である。
私が様々な人の手記を読んで励まされたように、これから戦いに入る人、また、真っ最中で苦しんでいる人の励みになれば、と思っています。
「アトピー治療手記(中間報告)」33歳女性2005年11月20日
松本漢方クリニックにかかるようになってから4年ほど経ちます。今では,治療を開始した頃とでは比べ物にならないくらい症状が改善し,体が楽になりました。ただ,松本先生のおっしゃったとおり,花粉に対しての反応が未だに少し残っており,昨年とそして今年も、秋の花粉で顔にだけ炎症がおきました。だいぶ治りつつありますが,この憎らしい花粉の症状を根こそぎ叩くべく、来春の本格的な花粉の時期に向けて、苦い漢方薬を飲んで頑張っています。
私は生まれつきアレルギー体質で,喘息,アレルギー性鼻炎,アトピー性皮膚炎と経験しましたが,喘息と鼻炎は比較的軽くて済んだものの,大学生の時に出たアトピー性皮膚炎には長いこと悩まされました。
20歳のころに初めて全身に湿疹が出て、松本漢方クリニックにかかり始めて、改善の兆しの見えた29歳までの9年の間です。今思うと、20代のいい時期をアトピーで悩んできたことがもったいないです。20代半ばまでは症状を抑えることに徹してきましたが,それ以降は、体に蓄積されたものは出さなければだめだと思うようになり,アトピーによる悩みを取り去ってくれた松本漢方クリニックに行くことに決めたのです。
他の方のお話や手記を見てみると,体からリンパ液が滲み出していたという方も少なからずいらっしゃるようですが,私の皮膚症状は、とにかく乾燥して、赤黒く、ごわごわ・カサカサで、麟屑が落ちるというものでした。この症状が一番ひどかったのは、松本漢方クリニックにかかり始める1年ほど前でした。
松本漢方クリニックのことは,インターネットを通じて知り合った、当時大阪在住の方から話を聞いて始めて知り,松本先生のアトピー治療の理論や治療を受けられた方々の手記を、HPで何度も読みました。大まかな理論はわかりましたが,いざその治療を始めた時に、自分の体に、どんな見たこともない反応が起こるかと思うと、とても恐くて,治療を受けると決めて大阪に向かうまでには少なからず時間を要しました。
松本漢方クリニックを教えてくれた方は、実際に治療を受けて改善した方で,「やはり相当苦しかったけれども、本当に治る」という当人の言葉に背中を押されて,2001年の2月に、意を決して大阪に向かいました。
薬湯用と飲用の漢方薬,そして紫雲膏に似た赤い塗り薬,傷口に塗る軟膏と抗生物質を処方してもらい,地元に戻った次の日から、漢方漬けの日々が始まりました。煎じ薬は独特な匂いですが,私にとっては、それほど敬遠するものではありませんでした。3番煎じまで作って、毎日飲みました。
飲み始めてからの1週間の間,腹痛のない軽い下痢様の便が出続け,おなかがすっきりしたようになりました。アトピーの人は、皮膚からに限らず体外への排出がうまく出来ていないということを、身をもって理解しました。薬湯はものすごい色とは裏腹に,湯船に浸かっている間は、とてもリラックスできました。1時間近くかけて入浴して,上がってからすぐに赤い軟膏を塗るのですが,最初の薬湯の後は、消しゴムのかすのように皮膚がぽろぽろ落ちました(少し驚きましたが、逆に楽しくなり、落ちるだけ落としました)。
薬湯と煎じ薬を始めて2ヶ月ほどは,ひどく疲れました。その当時は、割と日中の仕事ともうひとつ仕事を掛け持ちしていたせいもあって,手が空くと、よく横になって休みました。しかし,乾燥と麟屑は前にも増してひどくなったものの、心配していたリンパ液の滲出はなく,微熱が出るといったこともなく過ごせました。
治療中の目立った出来事は,治療開始1ヶ月目頃から、両太腿の内側からお腹にかけて、膿を持ったにきびに似たできものがぽちぽちと現れ始めたことです。1ヶ月ほど続いて出なくなりました。それから,たまに夜中、着ているものを全部着替えなくてはならないほどにびっしょり汗をかいて起きるということが何回かありました。
症状が改善し始めたことは,職場の人に言われて気づきました。「最近、顔がきれいなってきたよ。」と言われ,周りにはそう見えるんだと思いました。それからは自覚している症状が以前より楽になっていき,治療を始めて約半年で、一番きついところを越えられたように思います。もちろん,良い状態と悪い状態の波は何度もその後ありましたが,そのきつさが全くちがうのです。
今では、皮膚症状は全く出なくなりました。肌が普通の状態であることがとても嬉しいです。
私は,治療を始めて2年目に,鍼灸専門学校入学と同時に大阪に来ました。学生に戻り,通学の傍らの仕事で,時間と経済的余裕が限られてしまい,通院をさぼり気味になってしまったことと,改善して調子に乗ったことで,今こうして春秋の花粉に顔の皮膚が反応して、苦しんでいるのだと反省しきりです。
これからの冬の冷え込みには気をつけ,初心に帰って煎じ薬をしっかり飲み,完治の手記を早く書けるようにしたいと思います。
アトピーが気になり出したのは、中学生の頃からでした。その時から皮膚科を転々として塗り薬で抑えていました。薬を塗るとましになるので定期的に病院に通い、塗り薬を処方してもらうという事を繰り返していました。
しかし、’07年の秋、アトピーがひどくなり薬を塗ってもおさまらなく特に顔は洗うと赤くなりとてもかゆくなりました。次第にかゆいだけではなく水で洗うだけで痛くなるという症状が出ました。病院も変えた方がいいのかと思っていたので、漢方で治すという松本漢方クリニックの名前を聞いて高槻まで出掛けました。
実際行ってみると、まずアトピーがひどいと思っていたらヘルペスだと言われました。血液検査をしてみても、アレルギーの値はもちろん、ヘルペスの値も高く、それで顔に痛みがあったのだと思いました。
漢方での治療を始めて3日目ぐらいの朝、鏡を見ると顔が真っ赤になっていました。赤い塗り薬をもらって塗ったので、その為だと思いましたが、体の中の毒素が出てきた結果でした。目も腫れて唇もどす黒く、とても酷い顔になりました。体もお腹や太ももがざらざらで赤かったです。とても仕事に行ける状態ではなかったので無理を言って休ませてもらいました。しかしすぐに治りそうな状態ではなく、いつまでも仕事を休めないのでメガネをかけて、マスクをして出勤してました。体は今までとは比べられない程かゆくてかゆくてたまりませんでした。その中で仕事をしなければならないのでとても辛かったです。かゆければかきなさいということでしたが、激しくかいてしまった後はひっかき傷ができて痛く、またすぐにかゆみはやってくるのでとても落ち着かない日々を過ごしていました。そのうち、今までアトピーにならなかった足や耳たぶまでもがカサカサになり、どこまで広がるのかと絶望的な気持ちになりました。しかしそういった部分は治るのが早くて済みましたが・・・。
漢方治療を始めて3ヶ月経った頃、ますます悪化していき、仕事から帰ってくるとまず体中をかき、お風呂に入ってもかき、ベッドに入ってからもかゆくて1時間くらいは落ち着いて寝ることができませんでした。
このように、ひたすらかき続けていたので、体は傷だらけで、皮膚も薄くなり、常に寒気がして、毎日半泣きで仕事に行っていました。そして、精神的にも体力的にも限界が来て職場に長期休暇をもらいました。
それからは仕事に行かない分、睡眠を十分に取り、お昼過ぎから漢方のお風呂を沸かし、3~4時間お湯に浸っていました。お風呂に入ってもかゆかったのですが、次第に落ち着き、気持ち良いバスタイムを過ごすことができました。ゆったりとした時間を過ごしていた中でも症状は変わらず、手のひらや足の裏にヘルペスが出たり、顔や首、体中から汁が出たりと辛い日々が続きました。
お風呂から出て薬を塗ってもすぐに皮は乾燥してパリパリになるので体や手にさらしや包帯を巻いて寝ていました。手が一番ひどい時は、ミイラみたいな手になっていて、手の甲にひび割れがたくさんできて、お箸を持ってご飯を食べるのも辛かったです。体中の皮もボロボロむけて歩くのもしんどくて、ずっとベッドで寝ていました。いつまでこのような状態が続くのだろうかと思いながら、治療を始めて5ヶ月ぐらい過ぎると傷だらけの体が少しずつ良くなってきました。傷が治り新しい皮膚ができてきました。更に1ヶ月過ぎるともっと良くなり外出する様にもなりました。それからはどんどん良くなりお化粧もできる様になりました。一番ひどかったお腹や腕、肩等を除いた所はスベスベした皮膚に生まれ変わりました。かゆみもすっかりなくなり、数ヶ月前の日々が嘘のようです。
漢方治療を続けて一年、あと少し薬を塗らなければならない箇所があり、煎じ薬もまだ飲み続けていますが、10年以上苦しんだアトピーが消えつつあるのですごく嬉しいです。漢方の力はすごいと実感しています。
私が、松本漢方クリニックに、通院し始めてから12年がたちます。正直、こんなに長く通院することに、なるとは思っていませんでした。
松本漢方クリニックに通院し始めるまで、私もステロイドを使っていて、ステロイドをやめた後の副作用もありましたが、10年以上も前の事で、その時期、他にもいろいろあって、ほとんど覚えておりません。でも私としては、それは、良かったと思っています。辛い事をいつまでも覚えていては、前向きに生きていけないし、無理に思い出す必要も無いと思います。
私が、副作用よりも辛かった事は、20代を化粧も出来ず。お酒落も出来ず、下向きに送ったということです。(友達の付き合いも減ったし、)
過ぎた年月は、どんなに頑張っても取り戻せません。失ったものが多いので、正直、書くことがないのです。他に書きたいことがあるとすれば、私が、不安に思っていることです。
手や足は治りましたが、顔や首が、今だに赤くなかなか治らないのです。
まるで、象の肌のようで、顔にしわが、多いせいか実際の年齢より老けて見られます。本当に、人間の肌のようになるのだろうか、せめて化粧が出来るように、なればいいのにと思います。
短くて、本当に申し訳ないと思いますが、私としては、顔が「人間の肌」のようになって、気持ちが明るくなったら、もっと書くことが出てくるかもしれません。でも、今の時点では、不安なことの方が多くて、どう書いて良いか、わからないのが、現状です。そういう患者がいることも頭に入れて置いてもらえればと思います。
松本先生がこの手記クレーム付けられ外来の手記には、出していません。
私は20歳の時、突然花粉症になりました。毎年花粉の時期はひどい鼻水、鼻づまりにでした。3,4年間は市販の薬を飲んで症状を抑えていたのですが、あまりひどいので耳鼻科に通うことにしました。その耳鼻科では私の鼻炎は治らず、耳鼻科に通うのをやめ、また市販の薬を飲むことにしました。その時薬店で勧めてくれたものを飲むとポツポツと蚊に指された後のようなものが出だしました。小さな膨らみはほかの膨らみとくっつき地図のように赤く膨らみ広がり、すごく痒いものでした。近くの病院に蕁麻疹として診察を受けにいきました。血液検査の結果は杉やヒノキなどのひどいアレルギーであることがわかりました。(耳鼻科では検査していませんでした)
結局、蕁麻疹を抑える薬を飲むことになりました。薬を飲み始めて2,3ヶ月たっても薬を飲まないと蕁麻疹は出てきました。
ある日朝起きると、瞼が腫れとんでもないことになっていました。その日を境に蕁麻疹の症状は悪化しはじめました。手首や、ひじの内側、あらゆるところに蕁麻疹は出ました。寝ていても圧迫されている場所はすべて赤く腫れあがり、かゆくて目が覚めてしまうほどでした。病院では原因がわからないまま、また2,3ヶ月が経っていました。
そろそろ赤ちゃんも欲しいけどこんな状態じゃ無理だなぁ、どうしたらいいだろうと、途方にくれた時、友人から松本先生を聞きました。迷わず松本先生のところに受診しに行きました。アロハーシャツを着た先生は「大丈夫治してあげるよ!治るからね!」と笑顔で言いました。先生いわくアトピーとのこと。
その日から以前の薬をやめ、松本先生から処方してもらった塗り薬と煎じ薬を始めました。今でも忘れない「痒いのが出てきたらこれ塗るんやでぇ、何ぼ塗っても大丈夫…」の先生の言葉、院内は程よい漢方の匂いで心地よかったのですが、煎じ薬はこの世のものとは思えない、匂いと味…でも、痒いのを耐え続ける事を思えば何のその、と思いながら飲み続けました。
症状は見る見る好くなりました。信じられない!1ヶ月も経たないうちに蕁麻疹は出なくなりました。一年弱通いました、私は先生の許可なく、勝手に薬をやめてしまいましたが、あれから蕁麻疹が出ることはありません。
その後3人の子供に恵まれました。今10歳、8歳、2歳です。
残念ながら子供たちに私のアレルギーが遺伝していたようで、10歳の長男はアレルギー性鼻炎、8歳の次男は蕁麻疹、一番下はまだ症状は出ていませんが、恐らく何か潜んでいることでしょう。
私の手記は自分の体験、そして子供たちの手記へと続きます。
3歳の時に、小児喘息になり、それが治ると同時に、アトピーになりました。ひじの内側、ひざの裏や首に湿疹が出ましたが、小学校の高学年くらいから、その症状もなくなり、短大を卒業するまで、何の症状も出なかったので、てっきり治った気持ちでいました。
でも働き出すようになってから、ストレスのせいなのか?、またアトピーに悩まされ始めました。小さい頃とは違い、手や顔等に症状が見られる様になり、大阪の上本町にある日赤病院へ行きました。そこで、漢方薬とステロイドの薬を渡されました。すぐに症状はなくなり、安心していると、しばらくしてまた湿疹が出てきました。それを繰り返しているうちに、どんどんひどくなってきたのです。「もう、この病院では治らないんだ!!」と思い、何かで治らないものかと考え、インターネットでいろんな病院を調べ、松本漢方クリニックを知りました。
そこで読んだ体験談は、まさしく闘病で、私は、自分がそれに耐える事が出来るのかと恐ろしくなりましたが、松本先生が「絶対に治してあげるから!!」という強い言葉をくれた事と、家族が「やってみなさい。」と支えてくれた事で、頑張ろうと思えました。
治療し始めてから、どんどん皮膚がはがれていき、顔も体も赤く腫れ、痛くて仕方ありませんでした。それがましになると、足がパンパンになり、変な匂いの汁が、次々と、まるで体から湧き出てくるかの様に・・・。その頃が一番ひどく、寝ているのもつらくて、一日中座っている事もありました。
体が痒くて寝付けず、どんどんやせてもきました。家事をすることも出来ず、主人に買い物に行ってもらったり、実家の母が手伝いに来てくれたりと、家族に助けてもらい、何とか乗り越える事が出来ました。家族には、本当に感謝しています。
辛い時を過ぎると、後はどんどん良くなりました。体の痛みも消え、白い肌が増え出した時は、うれしかったです。肘の内側と、首は、なかなか良くなりませんでしたが、それでも少しずつ良くなる兆しがわかり、気長に頑張って、今ではキレイになりました。
治療して3年になりますが、今は、体もかゆくなくなり、皮膚もつっぱったりする事もありません。完治まで、もうすぐだと思うと、うれしくて仕方ありません。松本先生の言葉を信じて救われました。本当にありがとうございました。
私のまわりでアトピーで悩んでる人がいたら、「大変だけど、きっと良くなるから、頑張ろう!」って、この病院を勧めて、励ましてあげたいなと思います。
松本先生より、もう大分良くなってきたので、そろそろ手記をと言う事で書こうと思います。僕の経緯の様なものですが、僕自身、医院の待合室で読んだ手記が参考になったり、励まされもしたので、これからお読みになる方にとってもそうなればと思います。
20歳台の頃から冬になると足が痒くなる乾燥肌の様なものに罹り、30歳頃には季節を問わず痒みがあり掻くとグチュグチュと滲出液が出てくる様になりました。手部と大腿部の内側でした。皮膚科に通い、多分ステロイドの軟膏だったと思います。薬を塗っては治まり又酷くなっては、治まっての繰り返しでした。
35歳頃にはそういった部位があちこちにでてきて、頭部はふけが止まらなくなり夕方から夜にかけて痒みが酷くなり掻かずにはいられない状態になりました。痒くて眠れない日ももありました。さらに膝窩部は浸出液が多く、それが固まり痛くて膝が曲げられなくなり、体全体(顔面、胸部、腹部以外)から、ふけの様なものや、浸出液の固まったものや、掻き傷のかさぶたを四六時中掻いて取らなければ気が済まなくなりました。その頃は痒いか痛いのか、 疼いているのかよくわからない状態だったと思います。不眠は続き、ついに皮膚が破れるのではと思う様な痛みが続く様になり、痛み止めやステロイドの錠剤を飲用する治療を始め1年後、不規則ながらも眠れる様になり皮膚の痛みはなくなり、少し前の痒くて皮膚の老廃物がボトボト落ちてという状態に戻った頃、近所で松本漢方クリニックの評判を聞き診て頂くてくことになりました。僕は会社員で営業の仕事をしていましたが、これまで書いた皮膚の状態の悪化と仕事忙しさは比例していた様に思います。原因を考えるとストレスという事になるのかも知れません。35歳を過ぎて、上記のピーク頃には仕事をやめ、1年間は家に籠っていました。そして、松本漢方クリニックに通い始めた頃、コンビにのアルバイトを始めています。ちなみに仕事を辞めたのは皮膚の状態が原因ではありません。人間関係が上手くいっておらず、それをきっかけに辞めたのです。松本漢方クリニックの治療方針は、ステロイドを使わない事であり、煎じ薬や漢方入浴剤によって、体内老廃物を体外に押し出す様、促進ある事であると、自分なりに曲解しているのですが、そういった方針や松本先生の強烈な個性が、これまで行ってきた治療とは全く違い、ここでなら治してもらえるのではと思いました。(松本先生は常々、治すは自分自身やでと、おっしゃつていますが、)そして松本先生の絶対治してやるの言葉と力強い握手に励まされ、今日まで2年間毎日食前の煎じ茶と1日おきの漢方入浴を続けて来ました。煎じ茶はその強烈な臭いに始めは閉口したものの良薬は口に苦しと我慢し続けています。今だに慣れるという事がありません。入浴は何時間でも何回でも入っていいと聞いていたので、アルバイト以外の時間でも入っていいと聞いていたので、アルバイト以外の時間は入浴に費やすといった感じでした。入浴中は皮膚の疼きの様なものがなくなりリラックス出来るので長時間の入浴が苦になると言う事はありませんでした。又漢方入浴の後は普通の入浴後皮膚が乾燥していく時に感じる疼きの様なものも感じる事はありませんでした。煎じ茶 も漢方入浴も準備が大変で時間がかかるのですが、僕の場合、独身で実家で暮らしているので母親が、その準備をやってくれています。その頃は、過度なるバイトに適度な睡眠がとれ治療に専念しているという感じでした。患部は除々に減っていきます。良くなる前兆みたいに入浴時、その部分から粘土みたいな古い角質が掻いた爪の間から取れていました。(入浴時石けんを使ってタオルでこすっても垢が落ちるという事はなく、爪で掻いて剥がすという感覚です)通院を始めて1年後には頭部と下肢以外は治ったと言っていい常態」になり、仕事も介護施設の生職員に就き体力的に問題なく勤労できる様になりました。皮膚の状態が良くなるにつけ入浴時間は減って行きました。皮膚が正常になるに伴って長時間湯に浸かる事が苦痛になってくるのです。(つまり、正常になってくるのです)
今後も松本先生と相談をしながら治療を続けていこうと思います。(手記によるとこの辺で治療を止め、ぶり返した例もあったので)決して治療費は安くなく、松本漢方クリニックでの治療を続けてこられた環境に感謝したいです。自分で読み返してみて、悪文だと思いますが、これ以上上手く書けると思いません、ご容赦下さい。関係者の皆様これからも宜しくお願い致します。