私は幼い頃からずっと、長い間アトピー性皮膚炎で苦しんできました。いろんな病院に行ってみたり、様々な薬を飲んだり塗ったりもしました。でもアトピーが治ることはありませんでした。そんなときに、父の知り合いの、私と同じアトピーの症状を持つ人に紹介されたのが、この松本漢方クリニックでした。初めは「どうせこの病院に通ってもアトピーが治るわけない」と思っていました。
漢方を始めてみて、最初はすぐにマシになったので、少し希望が持つことが出来ました。でも、一週間がたった頃、急に全身からリンパ液が出てきて、これまでにないほどに症状がひどくなりました。ステロイドのリバウンドがでると聞いてはいましたが、あまりのひどさに泣きました。学校も休まざるを得なくなることも何度かありました。リバウンドがくるたびに「もうこの治療法をやめたい」と何度も思いました。アレルギー数値もなかなか下がることはなく、絶望したことも多々ありました。
治療を始めてから1年ちょっとたった頃、やっとまともに化粧が出来るようになり、とてもうれしかったです。何度もやめようと考えましたが、これを乗り越えたら治るかもしれないという、少しの希望を持って、あきらめずにがんばってよかったと、今では思えます。
「アトピー途中経過」20歳男性2006年6月26日
僕はアトピー性皮膚炎の治療を行うために、松本漢方クリニックに訪れました。治療を始めて、今で、10ヶ月ほど経ちました。治療を始めた時と今では、アトピーの状況が全くちがいます。
一番かわったことは、赤切れがなくなったことです。毎年冬になると、ひどい時では、物を握れないということがありました。普通の状況でも、コップ、エンピツなど、普段の生活で手で持って使うものを使用するとき、痛くてたまりませんでした。でも、僕は去年の9月くらいから治療を始めたんですが、その年の冬は、全く赤切れができませんでした。それがとても嬉しかったです。いつも通りにコップを持ってお茶を飲んで、いつも通りエンピツを持って勉強する。それだけで、とても嬉しかったです。
ただ、治療をはじめたばかりのころは、リバウンドでとても苦しみました。でも、リバウンドを乗り越えたからこそ、今の僕がいます。まだまだ治療は続くだろうけど、着々と、良くなってきているのが分かります。この調子でしっかりと治療を続けて、アトピーに『バイバイ』と言えるようにがんばりたいです。
松本先生、これからもよろしくお願いします。
「治るアトピー治療と出会って」匿名希望25歳2005年5月23日
京都府
私は空気も水もきれいな田舎で育ちました。が、幼児期から、アトピー性皮膚炎、アレルギー性鼻炎にかかり、もう20年以上付き合っています。小学生までは、肘と膝の内側に出る程度でした。でも一度、じめじめした夏休みの日に、喘息の発作を起こし、息ができない苦しさを体験したことがあります。鼻炎のひどい日は、点鼻薬をさし、アトピーには塗り薬をつけ、ステロイドに頼ったままの生活が続きます。
中学生になると、手にも出るようになり、治したい一心で、良い皮膚科だと聞いた個人病院に走りました。診療時間はあっというまで、「強めの薬、中くらい、弱い薬を使い分けなさい。」と言われて、三種類の塗り薬をもらいました。その日から薬を塗りたくり、手には包帯と手袋をして寝るようになりました。
でも、ましになったかと思ったら、前以上にひどくなり、きつい薬ばかり塗るようになります。何度も同じ薬をもらいに行きました。今考えると、とても恐ろしく、くやしくてなりません。これらの積み重ねが、この後、私をもっと苦しめることになるのですから。しかも、知り合いから、「ステロイドは体に悪い」と聞いていたのに、病院の薬なしで、どうして治したらよいのか分からず、大丈夫だろうかと疑いながらも、使い続けていたのです。その時、もっと調べればよかったと悔やみます。
ひどくなる一方なので、今度は、日赤病院に行きました。そこでは、数種類の塗り薬をもらい、看護師さんにべったりと塗られました。医者には、「自転車のハンドルのゴムが、皮膚に悪い。」と言われたのを覚えています。それを塗っても治るわけもなく、治るどころか、薬が効かなくなりました。その上、顔にもアトピーが出るようになったのです。
私は、薬が怖くなり、高校生になって、友達に教えてもらった、ステロイドを用いない気功と針、漢方で治す病院に行きました。他にも、市内の、除去食で治す診療所にも行ってみましたが、ごはん、パン、卵など、食べてはいけないものばかりで、とても続けることはできませんでした。
前者の気功の病院に通うと決め、そこで、今まで10年以上使い続けたステロイドをやめる決意をしたのです。月に2、3回通い、気功治療をし、その時の体の状態に合わせて、小青竜湯、葛根湯など、難しい漢字の並ぶ顆粒の漢方薬を2、3種類飲んでいました。「アトピーには、紫雲膏がいい。」と言われ、薬局で買い、今も使っている赤い薬を塗るようになりました。
ステロイドをやめて、この治療をはじめて、何日かはアトピーがひいたのです!でもそれは、恐ろしいリバウンドの前兆でした。一気にまぶたは腫れ、手は今までにない痒さで、大やけどのようになりました。右手の指は全部曲がりません、爪も変形しました。肘と膝の内側は、リンパ液が汗のようにでて、真っ赤、歩くたびに痛いのです。体力もなく、すぐに疲れる状態でした。そして、熱も38度出ました。夜も眠れず、精神的にもぼろぼろでした。体は悲鳴をあ
げているのに、包帯を巻き、学校は行かなくてはと思って、通いました。いっぱい涙を流しましたが、色々な人に支えられたから、乗り越えられました。リバウンドの時期は、針、気功治療をうけ、アトピーの部分に、病院でもらったよもぎの消毒液をつけ、赤い薬をつけていました。この苦しい時に、松本漢方クリニックに出会っていたらと思います。今考えると、あんなひどい状態で、よく合併症にかからなくて済んだと思います。何も知らずに、ステロイドを急にやめて、怖いことをしました。
初めてのリバウンドのピークは、この治療で乗り越えましたが、アトピーが治ることもなく、相変わらず、顔、手、足に出ていました。このような状態が3年近く続き、私はまた、市内の別の皮膚科に行き、やめていたステロイドを使ったのです。久しぶりにつけたせいか、一晩で皮膚はきれいになり、久しぶりに、自分はこんな顔をしていたのかと、鏡を見つめていました。治らないのは分かっていたので、また元通りです。体も心もしんどくて、学校に行くだけがやっとの状態でした。私はずっと、この皮膚のままなのか、これからやりたい仕事も、このままでは出来る自信がない、先のことを考えると、暗くなる一方でした。なぜ私だけこんなに辛い思いをしないといけないのかと、親にあたった時もあります。こんな学生時代、学校は高槻に通っていたのに、悲しいことに、卒業するまで松本漢方クリニックに出会うことはなかったのです。
卒業して、仕事を始めるという時に、やっとこの日がやってきました。従姉が、「友達が松本漢方クリニックに通って、すごくきれいに治ったよ。」と教えてくれたのです。「ステロイドは使わない、漢方治療」これを聞いただけで、「ここしかない!」と思いました。
平成12年4月に、初めて松本漢方クリニックに行き、松本先生に「絶対に治してあげる!」と言っていただきました。論文はお風呂にも持っていって、何度も読みました。説得力のある言葉に励まされ、「治る!頑張ってみよう。」と決意しました。その日のIgE抗体量は、384でした。
自宅にあった、今までの塗り薬は、全部捨てて、松本漢方クリニックの治療に専念しました。よく目立つ顔に、アトピーが出たまま仕事をするのはつらく、ストレスにもなりました。けれど、「帰れば、治るお風呂に入れる!辛いのは、今だけだ!絶対に治す!」と自分を励まし、頑張りました。
「ステロイドを使った分、リバウンドが来る、IgE抗体量も上がってから、どんどん下がるからね。」と言われました。言われたとおり、私にとって、二回目のリバウンドがきました。今度は、顔に出て、目の周りが赤く腫れ、皮膚は、リンパ液が出て、ジュクジュクです。煎じ薬を飲み、漢方風呂は、長い時で三時間入りました。漢方風呂に入っているときが一番休まり、皮膚も気持ち良いのです。
顔に出るのを何度か繰り返し、その度に診察に行き、また電話をかけました。松本先生はいつも「治る!」と力強い言葉で言って下さるので、それに励まされて、弱気になっていても、治すぞという気になれ、乗り越えられました。
煎じ薬が苦手で、さぼってしまうこともありましたが、今は、顔も治り、肘と膝の内側にも出ていません。年々体も強くなり、風邪をひくことが少なく、疲れも感じません。慢性鼻炎だったのも、いつの間にか鼻が通るようになっています。今までになく、体がとても楽で、元気になったのです!
IgE抗体量は、一番高かった時で、618、現在は、183まで下がりました。あと少し、手の指に出ているアトピーと、色素沈着を早く治したいので、三番煎じまで飲んでいます。
今仕事に普通に行けるのも、性格が前向きになったのも、健康な体になったのも、松本先生のおかげです。本当にありがとうございます。感謝の気持ちで一杯です。また、私を支えてくれた、周りの人にも感謝します。これからも、松本先生に完治したと言ってもらえるまで頑張ります。
今までこの病気と付き合って、色々勉強させてもらいました。治らないと分かっていて、ステロイドを売りまくる、病院、医者が許せません。治るどころか、悪化させているではありませんか。仕事で、子どもと出会う機会が多いのですが、アレルギーの子は、除去食や、ステロイドをつけ、また服用している子がほとんどです。私と同じで、治っている子はいません。この状況が、とても恐ろしく、黙っていられません。私の経験を、今後の人生に活かしていきます。これからもお世話になりますが、よろしくお願いします。そして、今アトピーと闘っておられる方、完治するまで、一緒に頑張りましょう!最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
「アレルギー治療に関する手記(中間報告)」29歳男性2011年10月1日
i:発症
2005年頃
湿疹が手脚にできはじめる。
初期症状は軽く、ポツポツと数か所に出来る程度だった。
その当時は自宅付近の皮膚科のある総合病院にてステロイド含有の軟膏薬を処方してもらい治療する程度でおさまっていた。
ii:再発・治療
2006年頃
突然顔面の皮膚が真っ赤になり、腕や脚にも複数の湿疹ができる。
再度症状が現れ、以前よりも重度であったため以前の病院から皮膚科専門の医院に変え治療を行う。
その際に処方されたものは、セレスタミン・アレロックなど3~4種類の錠剤と漢方薬数種類。
しかし、処方された薬を飲んでいる間は症状はおさまるものの、薬の効果が切れるとまた症状が出る
他に治療の方法が無く、薬を飲めば症状がおさまるため、根治させるためというよりは薬で症状を抑える目的で通院を続ける。
2009年
次第に症状がおさまってきたため、通院を終了する。
iii:二再々発
2011年2月
少しではあるが湿疹が手脚にできはじめる。その後まもなく首や顔にかゆみが現れる。
同時にアレルギー反応によるものなのか、体が焼けるように熱くなり顔全体に赤みが現れる。
→この頃から貴:松本漢方クリニックにて通院と治療を開始する。
iv:松本漢方クリニックでの治療
2011年2月13日
初めての問診と血液検査にてダニ・ハウスダストのアレルギーが最も大きな原因であると診断。
※健常者の約300倍のアレルギー反応値が血液検査にて確認される。
初回の診断の結果、漢方による体質改善とリバウンドによる症状緩和のための漢方風呂による治療を行うこととなる。
2011年2月下旬
治療開始前は顔の一部に出ていただけだった赤みが顔全体に広がり、ヘルペスによる目や肌のかゆみ・ただれを発症。
2011年3月初旬
かゆみは全身(主に上半身)にひろがり、肌の色が黒くなる。
治療開始後しばらくはかゆみがあっても3時間程度漢方風呂に入っていれば何とか1日過ごせていた。しかしこの頃から最低でも7~8時間/日は漢方風呂に入らないとかゆみがおさまらなくなる。
2011年3月中旬
依然として症状に変化なし。
上記症状に加えて、ニキビのようなデキモノが脚に多数出来る様になる。
治療は初回診療時のものをそのまま継続。
2011年4月中旬
症状が徐々に改善し始める。赤らんでいた顔が少しずつ良くなり、黒くくすんでいた全身の肌も少しずつ元通りになる。
※2回目の血液検査を行う。前回値よりもやや下がり、健常者の200倍程度まで減少。
2011年5月初旬
肌は元通りとはいかないものの、健常者とほぼ変わらない程度まで回復し、また漢方風呂に入らなくても通常の生活を行える程度にまで回復(漢方煎じ薬(飲み薬)は継続中)。
現在に至る
私がこの治療を始めたのは、2004年の6月頃なので、今からだいたい2年前になります。父の知人の紹介で松本漢方クリニックを知ったのですが、はじめは、一気に体に負担がかかり、外に出るのも苦しいくらいで、正直やめたくなった事もありましたが、現在では、以前のような、痒みのかなり軽減し、体調も良くなったので、紹介して頂いて本当に良かったと思っています。
治療を始めた頃、私は営業職をしており、我慢できない痒みや、ボロボロになる肌、赤い顔で営業をしなければ、ならない苦しさと、闘わなければならず、精神的にもかなり参っておりました。こうした状態は、良くなるためのプロセスであり、誰もが通る道であることは松本先生や皆様が残された手記によって救われていたので、その事を心の支えにし、ひたすら耐え続けました。
その後、松本先生の、仰がれた通り、良くなる時期と悪くなる時期をほぼ3ヶ月毎にむかえ、気がつくと悪くなる時期も、それほど悪くならなくなっておりました。そして2006年4頃には、腕もほとんどきれいになり、痒みもお酒を飲んだ時や、お風呂を出た後など、特定の時に、多少痒くなる程度になっておりました。
治療が、どれくらいで、終わるのか、それは人によってそれぞれだと言うことですが、たいていの手記には、1年前後で治った、との内容が多かったように思います。しかしながら、私がほぼ良くなるまでにお費に多大な金が、かかってしまうことにあります。漢方風呂やその他を、いつも毎日分、買う程の、お金は私にはありませんでしたし、かと言って治療はやめたくなかったので、多少量を減らして治療を続ける事となりました。それでも、細々とでも続けていれば、いつかは、良くなるという例を示めせたかなと思っている次第です。この事について、1日も早くこの治療の有効性が認められ、一人でも多くの人が負担のかかることなく、ちゃんと治療を受けられことを祈っております。
最後に、松本先生と医院の皆様に感謝の言葉を述べさせて頂きます。
有り難うございました。
私がアトピーとの戦いになったのは平成17年の5月でした。
目の周りの皮膚が広範囲に真っ赤に腫れ、外に出るのも恥ずかしくてずっと俯いたままで、何よりも夜にとても痒くて眠れない日が続いたのが辛かったです。
寝不足のため仕事も集中できず、急に休む日もあり、職場には大変迷惑をかけてしまいました。アトピーが酷くなる一年前には目の周りが少し痒かったので、近くの皮膚科のステロイドをずっと塗っていました。
それがどんどんエスカレートして強い薬になっていき、それも利かなくなって困っていたときに、職場の同僚から松本漢方クリニックの事を教えてもらいました。
漢方と消毒液と赤い塗り薬を頂き、毎日欠かさず行っていました。1週間ほどで痒みも見た目もましになりました。しかし暫くするとリバウンドでまた元に戻りました。周期的に良くなったり、酷くなったりの繰り返しでした。でも松本先生とお話をしていると必ず治るという気持ちが沸いてきて、酷い状態の時も乗り切ることができました。
1年後からは急激に良くなり、見た目は全く分からなくなりました。痒みもほとんどなくなりました。現在は完治するまで後もう少しのようです。頑張りたいと思います。痒くなくて普通に生活ができるということは本当に有難いことだと痛感しました。この体を大切にしたいと思います。
松本先生には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。
〈異変に気が付いた時〉
私は夏の時期は必ずと言っていい程あせもが出来たりして、体がかゆくなっていました。約5年位前の夏、虫か何かに刺された様に腫れてしまったので、かゆみを我慢出来ずに掻いていました。なかなか腫れが治まらないので、掻いてしまってパイ菌が入ったのだろうと思い、市販の塗り薬を使用しました。そしたら、体に合わなかったのか周辺に、また気付いた時には全身に蕁麻疹のようなものが出来ていました。
〈アトピーと知って〉
腫れが治る事も無く、全身に広がってしまったのを親もさすがにおかしいと思ったのか病院を探してくれ、松本漢方クリニックさんを見つけ、診察してもらう事にしました。そして検査の結果、アトピーという事が分かりました。私自身ビックリしましたが、こういう症状もアトピーなのだと妙に納得したことを覚えています。この日から私のアトピー治療が始まりました。
〈初めての漢方薬〉
消毒薬を患部に塗ったり、漢方の風呂に入ったり、煎じ薬を飲む治療でした。
ただ、漢方の風呂の臭いが気になったり、いつまでこの治療を続けたらいいのかと、正直言って気になる事は多々ありました。でも、皮膚の感じが良くなるのが分かったし、漢方薬の治療に慣れてしまったのか、そんなに気にする事はなくなりました。先生からも聞いていましたが、漢方治療をしていく内に痒みが増したり、患部がかさつかずじゅく、じゅくして湿っぽくなったりといったリバウンドが出たりして、思う様に順調には行きませんでした。
アレルギーの総合の数値は上がり下がりを繰り返してから下がっていくと先生がおっしゃられた事がその通りで何度か検査をしましたが、数値はすぐには下がりませんでした。そして当分この状態が続きました。
〈治療方法が変わって〉
毎日続けていたのが1日おきになり、週2回になり、それから患部の消毒と漢方の入浴剤が無くなり、煎じ薬だけでの治療に変わって行きました。この煎じ薬は当初飲み始めた時から、別に味に違和感も無く好き嫌いなしで飲めていたので、治療としてはすごく楽になりました。
この頃にはもうリバウンドもなくなって、皮膚の状態も明らかに良くなってきていて、まだ治りきれていない患部に赤い軟膏を塗るという状態でした。
そしてアレルギーの数値も急激に上がることは無くなって、少しずつ下がっていく様になりました。
〈今の現状〉
今も煎じ薬での治療が続いています。この間にも何回も血液検査をしてアレルギーの数値の変動を見ています。順調に下がってきているので次回の検査に期待したいと,思います。仕事を始めたので夜に飲む時間が多少ずれてしまいますが、毎日ちゃんと続けています。
〈漢方治療をした事での変化〉
私はハウスダストのアレルギーを持っていると自分で認識してから、空気が悪い所に行くと鼻がむずむずしたりして、前よりも敏感に反応する様になりました。漢方治療のおかげで体質が改善されたのか、前は風邪を引くと長引いてましたが、体調が悪くなってもすく゛に回復する様になりました。私自身、環境が変わったというのもあるかもしれませんが、だいぶ免疫がついて、自然治癒力が増した結果だと思っています。まだアレルギーの数値は多少上がり下がりの変動がまだ見られますが、ハウスダストの数値は確実に下がっていってます。この数値と反比例してスギやヒノキなどの花粉の数値が上がっていたので少し心配になったのですが、検査をする季節によっても違いが見られるそうなので安心しました。
「アトピー手記」匿名希望28歳2011年2月27日
私がアトピーだと正確に診断されたのは、何歳頃だったのか…
母の話によると赤ちゃんの頃から乾燥肌で所々サメ肌があり、3歳頃から耳たぶがよく切れていたそうです。その他には目立った症状はなかったのだとか。耳たぶには保湿剤を塗っていたと聞きました。
私のアトピーがひどくなりだしたのは確か、9~10歳頃だったと思います。
きっかけは水疱瘡にかかった後に徐々に症状が出てきました。母はそのとき掛かった皮膚科医師から「水疱瘡にさえかからんだら、アトピー酷くならんだのになぁ…。」と言われたそうです。
それまでは軽く耳たぶが切れるぐらいだったのが、いつからか気が付くと内肘に湿疹ができるようになりました。皮膚科では確か、ヒスタミン軟膏を処方してもらい痒い所に塗っていました。しかし、痒みが収まると感じたことはありませんでした。薬を塗っても一向に良くならなかったけれど、とりあえず薬は続けていました。
症状が改善しないので、違う皮膚科にかかったりもしました。
次にかかった皮膚科では、ツムラの漢方薬(何番だったのかは覚えていない)とヒスタミン軟膏だったと思います。
漢方薬は苦くてとても飲みづらかった記憶があります。その治療も特に効果はなかったように感じました。
その次の皮膚科でもヒスタミン軟膏だったと思います(当時は薬の名前などを書いてなくて、青い蓋の容器に入っていたものだったので…)。内肘の湿疹がましになったように思ったが、薬を塗るのをやめるとまた湿疹が出てくる…を繰り返していた。
(この期間、毎日決まって薬を塗っていたというわけではなく、薬を塗らない時期や病院に行かない時期はあったと思います。)
そんな治療を続けていた私が、アトピーに対して嫌悪感を抱き始めたのが13歳か14歳の頃でした。それまでは、アトピーに対して「まぁ、しょうがないか」程度にしか思っていませんでした(そのせいか、それまでの症状やどのような治療をしていたか記憶がかなり曖昧です)。
それほどまでにひどくなかった湿疹がいつの間にか膝の裏やお尻(太ももとお尻の境)に出てくるようになりました。痒みは激しくなり、朝起きるとシーツに血がついていたり、爪の中に血が固まっていることは毎日でした。
学校でも私の周りにはアトピーの子がおらず、いても軽い乾燥肌や湿疹が少しあるだけ…。兄弟も私を含めて5人もいるのにアトピー(アレルギー)があるのは私だけで「なんで私だけ?」という疑問と怒りが次第に湧き上がってきました。目に見えて悪化した私に、母はアトピーにいいと聞いた布団(アレルゲンを寄せ付けないらしい)やサポーター・保湿剤(馬油配合のものとか)を買ってきてくれていました。皮膚にいいと評判の温泉を片道20分かけて母が毎日のように汲みに行ってくれていたので、夜は温泉のお風呂に浸かって、保湿剤を塗っていました。治療は塗り薬を塗ってもあまり、よくならなかったからか、いつの間にか皮膚科に行くことをやめていました。
このときの母は本当に大変だったと思います。薬を塗っても何をしても良くならない…今になって、母も辛かったと思います。でも、母がどんなに頑張ってくれても私のアトピーは良くなることはありませんでした。
15歳頃では瞼が赤く乾燥し痒みが出てきました。指先にも症状が出てきて、右薬指の先に小さな水疱ができて痒くて毎日潰していました。徐々に爪の中にも水疱が出来てくるようになって、爪の長さが半分ぐらいになっていました。
この指の水泡は左薬指にもできましたが、特に何も塗らずに治っていきました。
14歳の春に花粉症の症状があったので、今年も花粉症あるだろうなと、この年の春に内科を受診しスギとヒノキの花粉症だと診断を受けました。
花粉症の予防のため週1回を4回、お尻に抗アレルギー剤の筋肉注射をしたが、目の痒みはあったので点眼薬を貰っていました。
そのまま、特に病院に行くこともないまま、高校生になりました。
でも、症状は悪化していく一方で、特に膝の裏と臀部が酷くなり、傷は深く歩いたり座ったりするときの動作に痛みを伴うようになりました。
浸出液で制服のスカートが張り付いたり、湿ったりしていました。
さすがに辛くなってきたので母にお願いして病院に行くことにしました。
そして、このとき出た薬はステロイドだったのだと思います。
瞼にはステロイドが低濃度のものを、膝裏と臀部にはステロイドの軟膏がでました。(でも、薬の名前はよくわかりません。青い蓋の入れ物に入っていて、(瞼)(体)と蓋に書いてあるだけでした。)
処方してもらった薬を塗りだすと、良くはなってきたものの完全に治ることはありませんでした。ただ、歩いたり座ったりするのが痛くなくなったので、病院に薬を貰いに行ったのは、最初のを含めて2回程だったともいます。
この頃、同じクラブの同級生にアトピーの友達がいました。その子は背中が酷いと言っていました。
ある日、アトピーがなかなか治らないことをその子に相談すると、「これすっごい効くよ。少ないけどあげるわ。」とその子が使っていた薬を貰ったのです。
薬の名前は覚えていませんが、後々その薬はかなり危険だということに気付きます。その薬のチューブには赤い四角い枠に赤い文字で劇薬と書いてありました。当時の私は、アトピーの子が「効く」と言ったことを信用し、『あの子が良くなったんやから、これ塗ったら私もアトピー良くなるんや』と、その薬を使うことに少しも躊躇なんてありませんでした。
貰った薬を使いきった頃には、症状は改善していました。でも瞼は時々乾燥して赤くなっていたので保湿剤を塗って過ごしていました。
このとき、アトピーが出ていたのは膝裏と内肘、瞼でした。
そして、高校を卒業し看護学校に入学した私は、あの時貰った薬はかなり危険なものだったのだと知りました。あと、どんなに効くからといって自分の薬を他人に譲ることがいけないことだとも…。でも劇薬を使ったことで、なんら体に異変は起きていなかったので「そうやったんや…。」程度の考えでした。当時は…。
2002年春、その頃専門学校で仲の良かった友達に衝撃的な事を言われました。
『あんた、一生そのままでええの?アトピー治したいと思わへんの?』
「アトピーって治らんのちゃうん?」と私は返しました。アトピーはアレルギーだから治ることはない。そう、思っていたしアトピーに対して治らないと諦めていたので友達の言葉にかなり驚きました。
その友達もアトピーだとその言葉を言われたときに聞いたのですが、アトピーだとは思えないほど、症状はどこにもでていませんでした。
その子は『漢方を飲んで治療している。』と言って、『本当に治したいと思うんやったら、今度私が病院行くときに一緒に行こう。』と言ってくれました。
これが、私が松本先生に出会うきっかけでした。
2002年4月3日初めて松本漢方クリニックを受診しました。今までに訪れたこともなかった、漢方科という領域と診察待ちの患者さんの多さにびっくりしました。
友達が診察待ちの間、治療について色々教えてくれたり、患者さんの手記を読んでどんな治療を辿るのかを知りましたが、いまひとつ想像することが出来ず不安でいっぱいでした。そして、私の番が来ました。
友達が診察室に一緒に入ってくれかなり、安心感が持てました。先生はパッと見厳つい顔で、診察室に入った時は「怖い先生やん…。怒られるんやろか…。」と内心思っていましたが、先生はすぐに笑顔で握手してくれました。
病院の先生と握手なんて今までしたこともなかったし、先生から握手を求めてくるということに本当に驚いたし、嬉しくもありました。
先生は「治るよ。花粉症もアレルギーはみな治る。」と断言してくれました。
この時血液検査で初めてIgE抗体の値を調べました。【IgE 1204 UA/ml】看護学校でアレルギーのことについては学んでいたので、自分もおそらく高値であることは予測していましたがそれは予想を上回っていました。アレルギーを持っていない人は【0】か、限りなくそれに近い値だからです。自分の実際を知って、「ああ、私もきっとすごいリバウンドが来るんだろうな。」と覚悟しました。それからは市販の保湿剤は一切使わず、処方してもらった赤い軟膏とエルタシン軟膏を塗りました。煎じ薬を飲み始めると、瞼が悪化して皮膚が乾燥しガサガサになり、皮膚が干からびた土のように浮いてきて痒みが酷くなりました。先生は「痒いのは我慢しなくていい。」と言ったので、掻きました。
そのまま飲み続けること2カ月、徐々にアトピーが酷くなってきました。
それまで、顔はそれほど症状が酷くなることはなかったので、電車に乗って学校へ行く・実習に行く。といった公共の場に出ることがだんだん苦痛になってきました。夏休みに入ると、人前に出るというストレスから解放されたためなのか、ちょうどリバウンドが本格的になってくる時期だったのかはわかりません。それまでリバウンドなんかないまま、治っていくのじゃないかと思っていましたが、これがリバウンドだ…と、この頃初めて感じました。
顔は瞼から徐々に鼻以外の全体に見る見るうちに広がっていき皮膚は赤黒くごわごわといて、触ると分厚いと感じるほどでした。とにかく痒くて、常に掻いていました。掻きすぎて、気付くと眉毛がありませんでした。目も痒くて、涙が黄色みを帯びて粘着性のあるものになっていました。毎朝起きると、目ヤニでまつ毛がくっついていました。
腕も内肘から徐々に末端に広がっていき、前腕全体が顔と同じような皮膚になっていました。例えるなら象の皮膚みたいでした。
そして、他にも今までアトピーが出たこともなかった、首~胸の上・肩・脇(背中側)・足の指にまでリバウンドが起こっていましたが、治療を始める前までひどかった膝裏や臀部には一切症状は出てきませんでした。
毎日常に微熱があるような状態で、倦怠感がひどく夏休みの間は家の外に出ることはありませんでした。1日1回処方された薬湯に浸かっている時だけ体のゴワゴワ感がなく、痛みを感じることなく関節を動かせる自由を感じることが出来ました。薬湯に浸かって軽く皮膚を擦るだけで、垢のように皮膚の塊が取れました。皮膚がどんどん新しくなっていく、悪いものがどんどん出ているのだなと実感でき、毎日1時間以上浸かっていました。
この頃、排尿時にあれっ?と思うようになりました。そのまま放置していたのですが、次第に違和感が残尿感・排尿時痛に、ついには血尿が出るほどになってしまいました。先生に電話で相談すると、膀胱炎とのこと。
抗生物質の錠剤を処方してくれたので、さっそく飲むと3日程で良くなりました。水分を積極的に摂るようにしたためか、膀胱炎はこの1回しか起こさずに済みました。1ヵ月程、そんな状態が続きましたが、少しずつ皮膚が綺麗になっていきました。8月の終わりには外出できるぐらい症状が良くなってきたのと、先生に病院に来るようにと言われたこともあって、4カ月振りに受診しました。眼科の診察もしてもらって、目には特に異常はなし。
この時も血液検査をしました。
【IgE 1839】前回よりもかなり上がっていました。でも、薬で症状を抑え込んでいた分がちゃんと排出されているのだと、この年の夏目で見て実感することが出来ました。
夏休みが終わり、学校が始まり、実習が始まり…私のリバウンドは夏をピークにどんどん落ち付いていました。といっても、完全に症状がなくなったわけではなかったのですが、ピーク時のような皮膚が赤黒く分厚くなるようなことはありませんでした。
でも、治療を始めるまではなかった症状もでてきました。
埃(ハウスダスト)が少しでもあると、鼻水・くしゃみ・目の痒みがとまらなかったり、衣替えしたての服を着ると内肘に蕁麻疹のような大きい湿疹がボコボコと出る、美容院に行きシャンプーをしてもらった後、首にたくさん(シャンプークロスのカビ)湿疹が出るようになりました。
今考えると、やっと体が正常にアレルギー反応を起こすようになったのだと思います。あと、汗をよくかくようになりました。それまでは、夏場締め切った室内にいても、額にジワリとしか汗は出なかったのに、汗が流れるように出てくるようになりました。
『漢方って本当に体質改善できるんや…』素直にそう思いました。
そんな症状のまま、1年が経ち2003年また夏休みを迎えると再びリバウンドが起こりました。初めてのリバウンドでていた足の指にはリバウンドがなく、昨年よりも重くはないように感じました。1回リバウンドを経験したためか、精神的に余裕がありどんどん掻いてどんどん出してやろう!!と思っていました。
再び、消毒→薬湯→軟膏→掻く→軟膏→掻く・・・の生活が始まりました。
でも、薬湯に入るたびに皮膚が元のように綺麗になってき、3週間ほどで外に出られるようになりました。そして、夏の終わりに病院に受診。
血液検査の結果は【IgE 1474 UA/ml】前回よりも下がっていました。
この年の秋から、実習が忙しくなり毎日睡眠時間が30分、1時間…煎じ薬を作ることが出来なくなっていました。そして、そのまま「作らなあかんな…」と思いながらも治療を自己中断してしまいました。
忙しかったことと、症状が内肘に少し、鼻下の溝が乾燥してカサカサになる程度だったのでアトピーをそれ程まで苦痛に感じなくなっていたからだと思います。日常生活をアレルゲンに気をつけながら過ごしていました。そうすることで、特にひどくなったりはしなかったからです。
そして、2006年結婚・妊娠。2007妊娠中の春、それまでひどくなかった花粉症が皮膚にまで出てくるようになりました。花粉が触れる、服に隠れていない顔・首に強いかゆみを伴う湿疹ができ、赤く腫れました。
出産後、帝王切開だったこともありしばらく入院していたので退院する頃には花粉症の症状も、湿疹も治まりました。
ある時風邪をひいた私は、実家から遠く離れ周りに頼れる人もいない、風邪をこじらせてしまったら旦那や子供に迷惑がかかってしまう。そんな気持ちで、市販の風邪薬を使ってしまいます。でも、飲む量は最低限に…。
今考えると、なぜこの時松本先生に相談しなかったのかと思います。でも、結果的に松本先生のもとに駆け込むことになるので、わたしにはこのきっかけが必要だったのかもしれません。
2007年10月。症状がでてきました。風邪薬の中の抗ヒスタミン薬に体が反応したのでしょう。右中指、第1関節から上とその中指と薬指の間に水疱がたくさん出てきました。皮がずる剥けるぐらいにびっしりと水疱が出来て痒くて仕方がありませんでした。
2008年春、花粉症の主症状(くしゃみ・鼻水・目の痒み)に加え皮膚症状も顔・首・胸に出ていました。でもその症状がなかなか良くならないまま、今度は犬の毛に反応したのか、前腕にも湿疹が出てくるようになりました。
夏になり、症状は良くならないまま、さらには痒みで夜も眠れなくなっていました。
摩擦が刺激になって痒くなるので、寝るときは症状のひどい前腕には包帯を巻いて、首にはタオルを巻いていましたが、一向に良くなる気配はありませんでした。
ちょっとの埃や汗にも反応するようになり、「このままでは、あかん。やっぱり、治療はちゃんと終わらせやないと。もう1回松本先生の所で見てもらって治したい。」そう、思うようになってきました。そして、2008秋再び松本先生に助けてもらう為に、大阪に向かいました。
診察待ちの間、「勝手に治療を中断した私を松本先生は受け入れてくれるんやろうか。自分勝手にもほどがあるよな…。」と不安な気持ちでいっぱいでした。でも、松本先生はこう仰ってくれました。「よく僕の所に戻って来てくれた。
僕を信じてくれてありがとう。」と、最初の時のように握手をしてくれました。私が「先生なぜそんなこと言ってくれるんですか?」と聞くと、「君は看護師しとったんやろ。現代医学のなかにおったのに、また僕を頼ってくれたことが嬉しかった。」と、先生は診察中に何度も握手してくれました。
私は、実際にリバウンドを体験したことでアトピーの特効薬と言われていたステロイドの恐ろしさを知っていたので、普通の皮膚科に受診することは考えてもいなかったので、松本先生が私を快く歓迎してくれたことがとても嬉しく、今度こそ最後まで頑張ろうと決意しました。
それから、私の治療が再び始まりました。
2008年秋の血液検査では【IgE 1044 UA/ml】松本先生は「ピークは過ぎたみたい。君が頑張ってステロイドを使わなかったから体が自分を治す力でここまで下がったんや。」と仰いました。
煎じ薬を飲んでいると、不思議と皮膚が綺麗になっていきました。
2007年からひどかった花粉症もこの年の(2009年の)春は少し、くしゃみと鼻水が出るだけで、皮膚にもひどい湿疹が出ることはありませんでした。
2009年12月の血液検査では【IgE 667 UA/ml】でした。
2009年に妊娠・
2010年出産があり、現在薬は服用していませんが症状は時々(ホルモンバランスもあると思うのですが、生理前の黄体期に)顔~鎖骨の辺りに軽い湿疹が出て2週間ほどで治って…を繰り返しています。
現在のIgEの値がどれくらいかは分かりませんが、私にアトピー治療という選択肢をくれた友人、そして治療を始めた当初から私の辛いときに支えてくれた母と夫に感謝をしつつ、今度は完治に向けて途中で挫折することなく頑張っていきたいと思っています。
「ステロイドに頼った結果」24歳女性2006年9月30日
私は小さい時からアトピー性皮膚炎で皮膚の柔らかい部分(首、胸、腕・膝の裏等)が痒くて、四六時中かいていました。両親はかなり私を辛抱させていたようですが溜まりかねてステロイド軟こうに手を出してしまいました。これを塗ることで私が楽になることを選択したのです。しかし、常時使用していたわけではありません。ステロイドの恐ろしさを知り、いけないと考え一時はステロイドの使用を止めたのですが、リバウンドに耐え切れず再び使用するといったように高校に入るまでは繰り返してきました。いつも、ステロイドは恐ろしい、ステロイドを使いたくないと、心のどこかに思っていたある日、知り合いから薬局に漢方ののみ薬でアトピーが治ると話があり飛びつきました。たくさんの粉薬、たくさん塗り薬・・・ステロイドではない!と信じ2年間続けましたがいっこうに改善の効果なく断腸の思いで中止しました。大学も卒業し、社会人となった平成16年4月、アトピーをきっちり治そうと心に決め松本先生の元を訪ねました。以前より話は聞いていましたが徳島県と高槻との距離の問題、それと治す為の苦しさを私に耐えられるか・・・不安でなかなか決心がつきませんでした。しかし、やっぱり治したい!!との強い思いで母と-緒に松本漢方クリニックに行こうと決心しました。先生は「絶対に治してあげます!!」と言いきってくれました。ココから新たなアトピーとの闘いが始まりました。煎じ薬の苦いこと・・・片手にはチョコレート、自分を奮い立たせ飲みました。飲み始めて10日くらいより皮膚が腫れ、硬くなり、赤黒く変色し、汁が出始めました。(特に両手の指先~腕、鼻下~首にかけて)痒くて、痒くてたまりません。夜中痒くて眠れないこともしばしばありました。汁はダラダラ出て日中はガーゼで保護しなければならないほどでした。汁が乾くと次は皮膚が乾き痛みに変わります。「もう嫌だ。やめたい。」「仕事に行きたくない。」「外に出たくない。」「どうして私だけ。」と何度思い涙したことか。しかし、このままではと初めに決めた思いを思い返し続けてました。この状態が2年間ぐらい続いたでしょうか。今から思うと良いと思いしてきた事が自らの体を痛めつけていたのだとつくづく感じさせられ反省しています。治療を始めて4年半になりました。それから色々と症状について先生に相談しながら進めています。一時の苦しみ、辛さ痛みや痒みも少しずつ和らいできました。先生の「絶対に治してあげます!!」の言葉を信じて、心の支えにまだまだ家族に迷惑をかけると思いますが完治にはもう-息だと思い頑張って行きたいと思います。先生ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
先生の「よろしく!」と握手してくれる温かい手はホッと出来、大好きです。
「アトピー手記」匿名希望21歳2013年7月20日
私は赤ちゃんの頃からアトピーの症状がありました。母はステロイドについて本で読み、それを娘に使いたくなかったそうですが、薬を使わないと真っ赤になって転げまわる私を薬なしではどうすることもできず処方された薬を塗っていたそうです。幼稚園生の頃、お風呂上りに薬を塗っていたことを覚えています。手の届かない背中は親に塗ってもらっていました。症状がつらかった記憶はありませんが、おそらくこの頃は全身に薬を塗っていたと思います。
小学校時代はほとんど症状もなく過ごしました。たまに膝の裏側がカサカサとするだけで、薬も使いませんでした。
中学生の頃に、唇の上の一部が赤くかゆくなり、皮膚科で塗り薬をもらって塗っていましたが、その時の医師の対応に不快感を抱いたこともあり、処方された薬を全部は使いませんでした。その部分の赤みは出たり消えたりを繰り返し、いまでもまだあります。
高校2年生の時、いきなり症状が出るようになりました。全身にぽつぽつと湿疹ができ、指の一部や脚の一部だけ皮がむけて、転んで擦りむいた傷口のようになりました。知り合いに薦められて長年やっている漢方薬の薬局に行き、塗り薬を2種類と粉の飲み薬を処方され、一日3回飲んでいました。寝ている間に掻かないようにと、包帯や綿の手袋もそこでたくさん買いました。薬を飲むと症状は軽くなりましたが、指の箇所だけはしばらく治りませんでした。
また、虫刺されの跡が気になっていたので膝下全体にも塗り薬を塗っていました。跡はダニによるものなのか色素沈着を起こしていてなかなか消えず、そのあと5年ほど虫刺されの跡に悩むことになりました。半年ほどそこの薬を使って、アトピーの症状が表れなくなったため薬を使うのをやめました。
そして高校3年生の夏、学校に近い祖父母の家に下宿して毎日夏期講習に通い、朝から晩まで勉強していた時です。またしても突然症状が出ました。今度は瞼だけで、両方の瞼が赤く腫れて一重瞼になりました。冷やしたり目元をマッサージしてみたりしましたがしばらく腫れは引かず、我慢できなくなってまた例の薬局に行き薬をもらいました。腫れはすぐに引きました。
大学入学後、半年ほどは特に体に変化はなく、授業にサークル、アルバイトと充実した日々を送っていました。1年生の10月ごろ、アルバイトを増やして3つ掛け持ちしていました。そのうちの1つの職場の方針と自分の価値観がどうしても合わず、その職場に行くのが憂鬱でした。先輩の紹介で始めたバイトでしたので辞めづらく、いやだと感じるのは自分が甘いからだ、もっと頑張らなければと力んでいました。そうして3か月ほどたったころ、手首や肘の内側、膝の裏側に症状が出てきました。久々に自分の体に表れたアトピーにショックを受けました。冬の時期でしたので、いつもタートルネックに袖口の長い服を着て患部を隠して生活していました。アルバイトでは着物を着るので手首の傷口が隠せず、余計にアルバイトの時間が嫌で仕方がありませんでした。
ステロイドがよくないというのはネットで何度か見たことがあったので、なんとかステロイドを使わずに傷を治してしまいたいと思い、自分のアレルゲンを調べに電車にのって皮膚科に行ったり(結局アレルゲンの検査はしてもらえず、「40歳くらいになったら治る、気になるなら薬出しますよ」とだけ言われてまた電車に乗って帰ってきました。)肉類やお菓子類、ジュース等を完全に避けてみたりといろいろつくしましたが、症状は日に日に悪くなっていきました。
そしてついに我慢できなくなり、皮膚科に行きました。待合室にはたくさんの人がおり、予約したにもかかわらず2時間以上待ちました。看護師からいつ症状が出たかを聞かれ2か月前からと答えたら、は、とあきれたように笑われました。医者は、「とりあえずその皮膚をいったんきれいにしないと話にならない。最初だけ強いの出すよ。」と言いました。塗り薬は顔と首用、体用と2種類、痒くて夜眠れないと言ったら、飲み薬も複数渡されました。薬を使うと、すぐに発疹がなくなりました。それはほんとうに魔法のようでした。ただ、皮膚はすべすべになりましたが肌の色は黒いままでした。そこでようやく私は「怖い」と思いました。ステロイドが悪い、よくないとは知っていたのですが、使ってしまってその力を自分で体験してようやく、本気でステロイドについて調べ始めたのです。
症状が表れてから日に日にひどくなっていくのは、本当に辛かったのです。全身を襲う痒み、しゃがんだり立ったりするだけでいたむ膝の裏、横を向くと裂けるほどに痛む首、目の周りの黒い皮膚。なによりも私はもとの自分の顔が好きでした。ナルシストのように聞こえてしまいますが、年頃の女性というものはみんな少なからずそういうものではないでしょうか。かわいい服を着て、自分に似合う髪型にセットして、プリクラをとって、恋の話をして、みんなでたのしくおしゃべりをして。それまでキラキラしていたもの全てが、不安の要素になりました。なるべく肌を隠せる服を、首元を隠せる髪型を、いつ症状が重くなるかわからないから先の予定は全て断り、仲のいい友達と話すときも目を合わせずにうつむいていました。昔から、症状が見た目に表れるアトピーという病気であるということに強いコンプレックスを持っていました。「自分がアトピーだ」なんて家族以外に言ったことがありませんでした。周りにも見た目で分かってしまっていると頭では理解していても、口に出すことができませんでした。「体調が悪いから」と言って会おうとしない私を心配する恋人にも、打ち明けられませんでした。この手記を書いている今でさえ、アトピーという単語を避けている自分がいます。症状が出てから松本漢方クリニックに出会うまでの期間は今まで生きてきた中で一番つらい時期でした。あれほどにつらかった日々が、数種類の薬で1週間足らずでナシになるなんて。自分は何かとんでもないことをしてしまったのではないかと、ドキドキしながらネットでいろいろなサイトを回りました。
そして松本漢方クリニックを見つけました。はじめ、「ステロイドを一切使わない」というホームページの言葉を私は信用していませんでした。ステロイドを使わない皮膚科なんてあるわけないと思っていたのです。患者さんの手記をいくつか見て、これを公表するってすごいなと思いました。気になって、論文を読んでみました。1回目は、ほとんど理解できませんでした。ただ、この人(松本先生)は本当にステロイド(とそれを使う人たち)が嫌いみたいだ、と思いました。その場でもう一度読んで、なんとなく理論がわかってきました。3回目に読んだとき、この人は殺されてしまうのではないかと心配に思いました。この人の戦っている相手は、世界中の人が、とても大きく、強く、立派なものだと盲目的に思っているものです。少なくとも、手記を書かれた方たちや私は、そうは思っていません。とても大きく強いものだと認識していることは変わりません。相当に、非道であるということを、ここに付け足さざるを得ないほど、ひどいことをされてきたのです。生まれてきてからずっと私と母を苦しめてきたもの、すがりついてきたものの実際を、19歳になって知りました。
しかしその時の私は、怒りよりも、悲しみよりも、喜びでいっぱいでした。先生の論文を読んで、この病気が完治すると分かったのです。こんなにうれしいことはありません。いままで薬でごまかしながら、いつもどこかで怯えていました。次はいつ症状が表れるのだろうか。このまま死ぬまでずっと出てこなければいいのにと願っていました。幼稚園生以来にアトピーの症状が出た高校2年生の時、自分の子供は絶対にアトピーだろうから、結婚はしないし子供も絶対に産まないと決めていました。
先生の手記を読んだら、生きる希望がふつふつと湧いてきました。治療を頑張って、完治したら。この皮膚が全部、もとにもどったら。将来、自分の赤ちゃんを産みたい。赤ちゃんはすぐに松本漢方クリニックに連れて行って、そうしたら、私は普通の奥さんでお母さんになれる。それが全部夢じゃないというのがうれしくて、なんどもホームページにアクセスしては論文を読みました。論文と、年齢の近い患者さんの手記を印刷して実家の母に送り、松本漢方クリニックに行きたいと相談しました。母は論文を読み、私の治療を精神的にも金銭的にも応援してくれました。
すぐに一人特急電車で京都まで向かい、高槻まで行きました。私は、あの論文を書き、そしてあの手記を書いた方々の原動力となった先生に会えるのがうれしくて緊張して、胸がいっぱいでした。松本先生は想像していたよりもお若く、テキパキと忙しそうでした。表面上のものではない、患者に対して責任を背負った真摯な本物の優しさを感じさせる方でした。
そうして治療を始めたのが4月の頭です。煎じ薬はしばらくは匂いも味も受け入れられませんでしたが、2週間もすると慣れました。そしてすぐにリバウンドが始まりました。全身に症状がでて、顔がむくみ、リンパ液が出て、微熱が続きました。毎日怠く、体中がピリピリして、夜は布団が文字通りびっしょりになるほど汗をかきました(布団の下の床が濡れたほどです)。1か月ほど、アパートの部屋にこもっていました。大学は休むことにして、5月の連休が終わってから実家に帰りました。ちょうどこの時期から弟も松本漢方クリニックに通い出し、一緒にリバウンドの生活を送りました。弟は高校に通いながら、放課後は弟子入りした美容院で働いていました。リバウンドの最中に10キロ以上距離のある学校まで毎日自転車で通い美容院で接客までする弟と、大学を休んで家にこもっている自分を比べて情けなくなりました。だからと言って学校には絶対に行きたくありませんでした。自分は甘えているとわかっていますが、悩んだところで自分は家からは出ないしストレスがたまって完治が遅れるだけだと思うことにしました。リバウンドの時期と状態は後の方にまとめて記します。症状が軽くなったので、秋からは学校に復帰しました。アルバイトは1つにしました。半年間休んだ分の単位を取り戻して同期のみんなと一緒に4年生に進級できるよう(私の学部ではきめられた単位数をとらないと4年生になれない制度なのです)、倍の量の授業を受け、すべて最高評価の「優」をとりました。今年の2月からは本格的に就職活動を始め、毎日動き回っていました。昨日東京、今日大阪、明日名古屋と、毎日違う県にいました。この時期は1か月で20回以上高速バスに乗りました。この時期はとても症状が安定していたので、アトピーのことを気にせず、こんなに集中して就職活動に取り組めたのは本当に幸運でした。おかげで第一志望の会社に内定をもらうことが出来ました。病気が治ることも知らずにうつむいていた日の精神的な辛さと比べたら、こういう努力ができることは幸せ以外の何物でもありませんでした。
一番つらいリバウンドの時期を超えるまで、頑張ってください。そこから皮膚の入れ替えの時期は、どんどん自分が生まれ変わっているようで楽しいです。私は理解してくれる周りの人にたくさん助けてもらってきました。自分自身の免疫の力で治せる理由、今までのやり方では治らない理由を理解できていれば、確実な完治の未来が描けますし、そこに向かっていく過程のつらさも乗り越えられると思います。この手記が一人でも多くの患者さんの背中を押すことができたら、とてもうれしく思います。
◆以下、ステロイドを使った時期と期間、リバウンドと皮膚の入れ替えの時期を簡単にまとめます。
・治療開始時のIgE値は100程度でした。治療1年目には上昇しており、怠リンパ球の数値も低くなっていました。
・リバウンドは治療を始めてからすぐに始まり、3か月ほど続きました。アレルギー熱と火傷したような皮のはがれた皮膚からリンパ液が流れ、痛かったです。漢方風呂にこまめに入るようにしました。リバウンドが落ち着いた頃、やたらと蚊に刺されました。いままで夏でもほとんど刺されることが無かったのに、治療4ヶ月目の夏は半日で5か所も刺されました。その次の年はほとんどまったく刺されなかったのですが、これは蚊の唾液に対しても私の体が免疫寛容を起こしたのでしょうか?
2回目のリバウンドは治療から1年たった3月ごろです。1回目ほどひどくはなりませんでしたし、頻繁に漢方風呂に入っていたため症状は良くなったり悪くなったりしながら2か月ほどで落ち着きました。
治療から2年目の春にはほとんど症状が無くなり、ひじの内側とひざの裏が赤いくらいでした。3か月ほどその状態が続き、また首まわりや顔に少し症状が出て、よくなったり悪くなったりを繰り返して今に至ります。
(現在治療2年4カ月目)
・治療を始めてから1年と半年ほどで、おなかの黒い皮膚が元に戻り、腕も肘の内側を除いて元に戻りましたこの部分は幼少期と、松本漢方クリニックにかかる直前に1週間ほどの期間、ステロイドを塗っていた部分です。
・治療を始めてから1年ほどの頃に、膝下全体がむくんで赤くなり大量にリンパ液が出る時期がありました。この部分は高校2年生の時に半年ほどステロイド入りの漢方軟膏を使っていた部分です。1か月ほどその状態が続き、落ち着いて、さらに一年ほどたつと、高校生のころから悩んでいた膝下の虫刺されの跡がほとんど薄くなりなくなっていました。漢方風呂に入るたびに全身の皮がむけるので、アトピーの症状のないところも治療前よりきれいになったと思います。手や足の甲などは真っ白になりました。
・現在、片目の瞼、唇の上の一部、首のまわり、鎖骨周辺、肘の内側、膝の裏のみが赤くなっています。この部分は幼少期、高校2年生の時に半年間、松本漢方クリニックにかかる直前に1週間ほどの期間、ステロイドを塗っていた部分です(瞼は高校生の時期のみ、唇の上は中学生の時1か月ほど)。
◆ヘルペスウイルスについて
小学生のころから重い生理痛と車酔いに悩んでいました。ブランコに乗ったり激しく上下運動をするだけで気分が悪くなるほどでした。高校生のころから偏頭痛と立ちくらみが日常となり、頭痛がひどいとよくロキソニンを服用していました。これらの症状がヘルペスによるものだと分かったのも、松本漢方クリニックの論文を読んだからです。治療を始めたころは毎日37℃以上熱があり、リンパ液が盛んに出ていました。アトピーの煎じ薬に合わせて生理痛の煎じ薬も処方してもらい、痛みのある時は抗生物質があるので心強いものです。車酔いと立ちくらみは劇的によくなりました。車に乗っても酔わないので、就職活動の際の夜行バスの移動も気兼ねなくできました。立ちくらみもひどいときには一日に何十回もあったものが、ここ1年半ほどはまったくありません。生理痛に関しては、治療開始から半年の頃、あまりにも強い痛みに倒れ救急車で運ばれました。その後痛みのない月はありませんが、以前のように一日中唸っているということはなく、2、3時間の痛みのピークを越えれば普通に動けるほどになってきました。
皮膚がえぐれたような傷口はヘルペスウイルスに侵されている証拠だそうですが、私は腕にいちばん出ました。治療を始めてから3か月ほどは、肘から手首にかけて彫刻刀でところどころ削ったようにピンク色の肉が見えている状態でした。空気に触れているだけでひりひりと痛み、物をとるために腕をのばすと悶絶する痛みでした。この頃は首やひざの裏も同じ状態だったので、家事はほとんどなにもできない状態でした。リバウンドを超えるとあとはひたすら皮膚をはがす時期です。患部は赤くなりボロボロになりますが、リバウンドの時のように肉が削れたりリンパ液が出たりしませんし痛みもほとんどありません。
◆完治まで楽しく乗り切るために行っている工夫を挙げてみます。
・私は冬と春に症状が強く出ます。比較的夏は軽くなるので、勇気を出して半袖を着ることもあります。ランニングして汗をかくと面白いほど皮膚がぽろぽろむけるので、夏は週に何回かランニングをして十分に皮膚を剥がします。週末は漢方風呂に入って肌を労わって補充して、また平日に走って汗をかいて皮膚を落として、を繰り返しています。漢方風呂をさぼると傷が目立ちます。
・2年と4か月治療を行ってきましたが、その間によくなったり悪くなったりを何度も繰り返しました。初めはそれに一喜一憂していましたが、悪くなるのはリバウンドが起きている証拠、体が元に戻ろうとしている証拠なので、早くもっと出し切れと思えるようになりました。
・それでも肌がきれいになるのはうれしいものです。つらいときには完治した時の自分を想像して励んでいます。半袖を着て、温泉に行って、など
・いろいろなものを食べます。なるべく多くのアレルゲンをリンパ球に送って後天的免疫寛容を起こすチャンスを増やすために、また、皮膚を作る栄養を摂取し、ストレスの少ない健康的な生活を送るために。
・外にいるときは患部を意識的に日に当てています。
・風薬、湿布、目薬、痛み止め、ムヒ、ハンドクリームなど基本的に薬は使用しない。化粧は石鹸で落ちるものを使っています。美容液成分などが入っていないものをなるべく使うようにしています。けがなどで他の病院に何か処方された場合は松本先生に使用していいか相談する。必要無いかもしれませんが、私はコンタクトレンズの保存液が気になったので、装着する前に生理食塩水でレンズをすすいでから使っています。
・松本漢方クリニックのホームページに遊びに行く。たくさんの方々の手記や先生の論文を読むと、自分の完治が待ち遠しくなります。
松本先生へ
初めて先生にお会いした時、アトピーの治る理由を私が理解していると知ると、先生はとてもうれしそうでした。先生のニカッとする笑顔が印象的でした。きっとこの医院でのお仕事は、大変なことばかりだとおもいます。
放棄せずに辛抱強く私たちに道を示してつづけてくれること、いつも感謝しています。
大学では分子生物学の研究室に進み、ある植物のある遺伝子のプロモーター活性の調査を卒業研究のテーマに選びました。遺伝子についてもっと勉強したかったのと、遺伝子について研究する側の考え方を少しでも垣間見ようと思ったためです。まだまだ自分の勉強不足に気づかされる日々です。
こうして毎日意識的に過ごせているのも、先生と出会えたからです。
これからも完治するまで、よろしくお願いします。