ぼくがアトピーに悩まされ始めたのは、16~17歳くらいの時です。地元(三重)の病院に行って薬をもらって治す、という感じでしばらくはやっていました。先生は「ステロイドではない」と言っていましたが、薬の名前や内容などは教えてくれず、何か隠している様な雰囲気だったのを覚えています。薬を塗ってしばらくは良くなるのですが、また症状が出てきて一向に治らないので、親のすすめで「土佐清水病院」という所へ行きました。
一週間ほど入院して帰ったのですが、その一週間後にはまた症状が出始めました。その時点で「なんかおかしいな」と思っていたのですが、土佐清水は有名な所らしいので、まあそのうちに治るんだろうと思っていました。高校を卒業して大学に入り、しばらくは浮かれていて大丈夫だったのですが、やっぱり症状が出てきて、悪化しているように感じたので、どうしようかと悩みました。そんな時期にたまたま、「アトピーは必ず治ります。ステロイドは一切使いません」という看板を見かけ、本当に何となく行ってみたのが、ここ、松本漢方クリニックだったのです。
まず松本先生に、「土佐清水はとてもひどいところで、ステロイドを使いまくっているインチキ医者だ」と聞いてびっくりしました。確かに入院している時、何だか違和感というか、いやーな感じはしていたのです。(土佐清水の院長は、まるで教祖のように偉そうでした。)それに実際、治るって言っていたのに全然治っていない訳ですし。
松本漢方クリニックは、誰の紹介でもなく、本当に何となくで行ったので、どうしようと少し考えましたが、先生の言っている事はよく理解できたし、何より、治療内容やら、使う薬やら、途中で起こる悲惨な状況など、何一つ隠さず、詳しく説明してくれたところが、「この人は信用できる」と思い、ここで治療する事にしました。今まで、薬やら治療の内容などを詳しく説明してくれる医者は、一人もいなかったのです。
その時のIgE抗体が3千くらいで、先生に、「しばらくはどんどん上がるし、症状もどんどん出てくるよ。」って言われていて、頭では分っていたつもりなんですが、正直、それを受け入れる(というか本気で治そうという)決心があいまいだったので、症状が出てくるに従い、「やっぱり治らないのでは?」と絶望したり、投げやりになったりして、あまりきちんと治療していませんでした。
そうこうしているうちに、IgE抗体が1万くらいになり、本当にボロボロになりました。もうどう考えても元に戻るとは思えず、死のうかとも思いましたが、そこで初めて、先生の「必ず治る」という言葉を思い出し、「こうなったら、とことん信じよう」と決心し、まじめに治療する様になりました。結局、1万6千まで上がり苦しみましたが、ある時期から少し楽になったように感じ、ひょっとしたらと思い検査をしたら、1万1千ぐらいまで下がっていました。まだまだすごく高い数値ですが、「治りだしたら早い」と言われていたので、とても嬉しかったです。それで実際、半年後に測ると、6千ぐらいまで落ちていました。治りだすと、本当に早いみたいです。
それから半年ぐらい経った現在、まだ検査はしていないのですが、症状というか肌のあれはもうまったくなく、痒みもあまり感じなくなりました。(まだ少しはある。)日常生活に支障をきたす事は全くなく、肌がやや黒っぽくなっているので、時々「焼けているね」とか」「地黒なん?」とか言われてしまいますが、アトピーとは誰にも言われなくなりました。今はそれを治している最中です。まだ完治したわけではないので、もうしばらく続けなければいけませんが、治っていく過程を身体でもって体験しているので、もう迷いはありません。
もしこれから治療を始める方がおられたら、しんどいときもありますた、必ず先生の言ったとおりになるので、安心して、きちんと続けていってほしいです。ぼくのように途中さぼったりしていると長引いてしまうので。
松本漢方クリニックの皆様
私が松本漢方クリニックで治療を受けるようになったきっかけは、友人の紹介でした。
幼い頃からアレルギーを持っており母の話しによると幼稚園の頃は外に出て遊べば顔が痒くなり、小学校の頃はプールに入ると塩素で顔が赤くなり、つっぱったようになっていました。家には、常にステロイドの軟膏が一つは転っていたように思いよす。鼻炎もあり季節の変わり目には毎年の様にくしゃみ鼻水が止まらなく毎週耳鼻科に通って吸入と注射をしていました。高校にあがるとクラブ活動を毎日毎日するようになり春と秋に顔がバンパンに腫れ目も二重が無くなるくらいに、おいわさん状態になり毎朝、氷で目を冷やして少し腫れを押さえて学校に行ってました。学校に行くのも憂鬱でクラブの朝練を休んだりして部活のメンバーも心配してくれました`。今までなった事のないような顔になり原因が分からず皮膚科や内科に行ったりしましたが医者に「他の病院に行った方が…」と言われたり悲しくて待合で涙ぐんでいると看護師さんが!痛いんでしょ、涙出るよ」とティシュを差し出してくれたりしました。しかし、部活を引退した年から、腫れなくなり普通にお化粧でき、当時は原因が分かりませんでしたが今になって日光はアレルギー源が呼び起こすと手記に書いてあったので納得しました。部活を引退し、飲食店でアルバイトを始める事になり、次に待っていたのは手荒れ!飲食店でだけあって洗剤は強力な物を使っており、みるみる手が荒れてきました。アルバイト先で食器を洗う時は、いつもコゴム手袋をして手を水で洗うのがおっくうになり、お風呂で髪の毛を洗う時は、手の切れ目に髪の毛が入って眼が痛いので、お風呂でも手袋をしていました。何回か皮膚科に通ったのですが同じ度膚科に行くと早くバイト辞めなさい!と言われそうで違う所(福山市荒木医院)にも行ってみした。すると「検査をします」と言われたので「洗剤で荒れて原因分かっているので…」と言ったら「前の皮膚科で検査したんだったらそれ、持って宋いや!!」と私のいない所で看護師さんにグチってました。頭にきました…結局、手荒が原因で飲食店でのアルバイトは辞め、手の切れ目はなくなりましたが、ずっとしわしわの指をしていました…高校を卒業し専門学校、そして就職してからは、鼻炎はありましたがアトピーの方は見た目にも全くと言っていいほど出なく、ただ李節の変わり目に顔が乾燥して少し目の上の皮が裂けていた位でふつうにお化粧もし、生活に支障無く自分がアレルギー持ちだと言う事を忘れる位でした。しかし!!私に悪夢が舞い降りたのは2003平12月に隣の県に転勤してからでした。行って3ヶ月位は何も変化はなかったのですが、3ヶ月位から(2004年3月頃)まず股の内側に赤い少し大きめの斑点が出来るようになり次第に足と腕に広がっていきました。最初はダニやホコリでなったのとばかり思っていました。今度こそ!と思いまた荒木医院(福山では有名な皮膚科なので…)に通い始めました。診察は、1、2分で終わり注射と飲み薬、塗り薬を2週間分もらい無くなったら行くといった感じでした。その頃友人から松本漢方クリニックに通っている話しを私にしてきました。丁度私も手足が荒れていたので相談にのってもらいました。しかし、治療の内容を聞くと、私にはそんな勇気もなかったし、まだ、足だけだし顔には出てないしいつか引いて良くなるだろうと思っていました。夏だというのに手足を出せないので、いつも何か羽織っていました。9月頃になり少しだけ治まり病院に行き「最近どうですか?」と聞かれたので「少し調子良いです」と言うと身体は診ずに「じゃ、今日は、注射は無しで薬は1ケ月分出します」と言われました,
※その時の薬一メドロール錠、トロキシン錠、ニポラジン錠、アレロック錠5、ネオマルミンTR錠、ロコイド軟膏、ロコイドクリーム、べトノバールG軟膏、べトノバールクリーム、ヒルドイドソフト、ワゼリン(白色〉
友人からも薬の話しも聞きステロイドをずっと塗り線けると皮膚が色素沈着し黒くなり塗っても、塗っても効かなくなるよ。と聞き怖くなって少し控えていました。しかし、塗るとその日には治まるのでどうしても全くやめるというのは、まだ出来ませんでした。飲み薬の水は大丈夫ごろうと思い塗り薬は控えても飲み薬は飲んでいました。が、何度か話しを聞いていると飲み薬も良くないと聞き飲むのを辞め、この際!!と思い、思い切って上記全体の薬を廃棄しました。 母の知り合いがアトピーには炭がいいと,炭風呂に入ったり薬局へ行き何か良い物ないか探したりしていました。皮膚科の薬を全てやめた頃から顔にも出てくるようになり、化粧をしていても痒くなって赤くプツプツになったり、お化粧は怖くて出来なくなりました。転勤になり引越して毎日帰りも遅く10時11時当たり前、次の日になる事も慣れない仕事に疲れて夜ご飯も食べず寝るといった事もありました。転勤する前は7時8時に終わりその後友人と遊びに行ったり好きな事をしたり楽しい日々を過ごしていたので、それが-気に急変しさらにアレルギーが出てとても切ない日々でした。2004年10月頃から次第に顔は真っ赤になり今まで出ていなかったお腹や背中全身に出て、くるようになり痒くて、痒くて朝の4時頃まで眠れなく次の日睡眠不足のまま仕事、といった繰り返しでした。体は全体的にカサカサ、肩を触るとザラザラというより砂利を触れっているような感覚でした。お向けで寝ると背中が痛いので横を向いて寝ていました。ストレスか歯ぎしりするようになり「夜唸っていたよ」と妹に言われる事もありました。昼の販売業をしていたので毎日人と接する仕事なのにとても見せられる顔ではなかったので、いつも帽了は欠かせませんでした。友人からの遊びの誘いも断るようになり、出掛けたいのに私はなぜやりたい事も出来ないようになったんだろう…何時治るか分からないしこのままの婆は絶対イヤ!!と思いその頃から松本漢方クリニックに行こうか迷い始めました。仕事中に鏡に映る自分の姿を見て悲しくなりボーツと考えたり涙ぐんだり仕事どころではなくいつも頭の中は治療の事ばかりでした。治療をして、アレルギーを治す事に越した事;はないと思いつつも保険も利かない物もあり莫大な金額がかかるし、何よりもリバウンドを乗り越えられるかというのが大きな問題でした。この治療をするにあたって誰もが乗り越えないといけない難関がステロイドを使用した分だけ長引きさらに今まで溜めてきた体の中の悪い物を出し皮膚が最悪の状態になるというリバウン、それが怖くて、怖くて2週間~1ヶ月程悩み続けました。毎日松本漢方クリニックのホームページの手記を読み、読んでは怖くて泣きやつて決意をし、親の理解がいる治療で母にも連れ添ってもらわないといけないので決意した事を伝え大阪に行く日程も決めました。しかし、急に怖くなり一回断念してしまいました。その1週間後2004 11 5 ついに新幹線に乗って行きました。最初に看護婦さんからアレルギトーがなぜ起こるなど説明を受けました。身体の写真も撮り、看護師さんが「転勤してストレスが溜まったんやろ、お母ちゃんの所に帰りな、あんたはこれからしんどくなるやろうけど頑張りな」と言ってくれたので涙が出ました。先生は「絶対治してやるからな!治らんかつたらなんでも、買ってやる」と言って手を握りしめてくれました。今まで行った病隠はただのお金もうけで患者のことなんて一つも考えてない悪いと知っておきながらも、ただ薬だけを出す所ばかりだったのでここまで説明してくれ必ず治すと言ってくれたので信じて頑張るしかない!と思いました。仕事の為転勤してたので、上司に事情を話し実家に戻らせてもらえるようお願いをしました。それからは42キロ程の距離を毎日通いになり、朝は今までより早く起き夜も今までより遅くなり、それプラスお風呂に1時間以上浸かるという慣れない事にもストレスを感じるようになってきました。お茶も漢方は飲みにくいと聞いてはいたのですが本当に飲みにくく最初は飲むとオエオエなっていました。仕事もしんどくて疲れ果てお風呂所ではなく1時間も浸かれなかったりお風呂で御飯を食べたりしていました。治療を始め実家に戻り夜も外出をする事がなくなり毎日家での食事、こんなに母の手料埋が美味ものだったと始めて実感し、毎日お風呂と漢方を何時間もかけて作ってくれ私が夜遅くに帰ってきても起きてきて背中に消毒と赤いクリームを塗ってくれ、親のありがたみというより愛情を感じました。しかし、真っ赤顔、荒れ果てた体、慣れない生活にストレスもピークに達していました。ある日ささいな事で妹とケンカになりストレスが爆発してしまいました。気づいたら辺りの壁をボンボン殴っていてその後呼吸が荒くなり治まったと思ったら最後に顔面しびれ、母に背中をさすられ「仕事辞める…?」と言われました。しんどい治療の中もう一人支えになっていたのがこの治療を紹介してくれた友人です。一緒に治療を乗り越えてきているのでしんどくなった時お互い励まし合い良き相談相手になってくれました。治療を始めて1週間1週間で背中や股など
少しずつ引いてきているのが目に見えていました。治療を始めて4ヶ月程経った位から顔の赤みが少しひいてきました。その頃からお茶も紅花入りの飲みやすい物に代わり、このまま良くなってくれれば…と思っていましたがそんなに簡単な物ではなく1,2ヶ月程経つとまた赤くなってきました。朝起きるといつも顔が気になり起きてまず一番に鏡を見る習慣が身についてしまいました。赤みがひどい日は仕事に行くのがおっくうになり人と話すのが嫌で人の目も気になり消極的になっていました。治療を始めて,10ヶ月程経った頃からかまた顔の赤みがひいてきて体もひどい所は、首、肩、すねの裏位になってきました。仕事も実家の近場に移動になりお化粧はアイメイクしか出来ないものの出掛けられる程になってきたので、ストレスも感じなくなってきました。ただ、風邪をひいたりしても薬に治療を遅らす成分が入っているので飲めないので辛いです。今、治療を始めて1年、まだまだ先は長いかもしれませんが、1日も早く治療出来る様に願いたいです、完治して今までのコンプレックスとさよならして、はやく綺麗になりたいです。
治療を始めて、この夏(2004年)で、丸3年が経ちました。去年、一昨年は、ステロイドの離脱やアレルギー症状でつらい日々でした。今年の夏は、あせもが出る程度で、普通の生活を送っています。やっと普通の生活が出来るようになり、嬉しく思っています。これまでの経過を振り返りたいと思います。
私が初めてアトピー性皮膚炎と診断されたのは、小学校1年生でした。子供の頃の記憶ははっきりとしませんが、一番ひどかったのは、小学4年生の夏だったように思います。皮膚科に通うのはもちろん、色々な民間療法も試みましたが、効果があったのかどうかはわかりません。
中学生になると、自然に症状はなくなりました。ですから、塗り薬が手放せなかったとか、辛くて学校を休んだ、ということはありませんでした。
アトピーの症状が再度現れたのは、成人してからでした。正確には、就職して、夜勤をするようになってからです。子供の頃の症状とは違い、手首から先だけに症状が現れました。手のひらも手の甲も、両面がひび割れ、皮膚のシワも無ければ、血管も見房えない程腫れて、浮腫んでいました。バンソウコウ、包帯、綿手袋、ゴム手袋をして、仕事をしていました。夜も、痒みで、熟睡はできませんでした。就職中は、漢方の病院へ通っていましたが、勤務が変則的で、きちんと煎じ薬を服用できず、通院もできず、治療に専念できませんでした。
結婚の為、退職すると、手の症状は治まってきましたが、今度は、顔や耳、胸部などに症状が現れるようになりました。症状に波がありましたが、徐々に症状が広がり、悪化していきました。
この頃、四国のT病院を紹介されて、食事制限や、塗り薬で治療していきました。症状は軽くなりましたが、なかなか薬を手放すことはできませんでした。また、食事の制限がある為、ストレスも多くなり、「食事制限ができないために、症状が良くならないのだ。」と、自分を責めるようになりました。そのうち、T病院にも通わなくなりました。
症状は軽く経過していましたが、出産してから約一年後くらいに、急激に悪化し始めました。ステロイドは塗りたく無かったのですが、微熱も出るようになり、近所の皮膚科で、「こんな状態だったら、塗らないと駄目です。」と言われ、ステロイドを使ってしまいました。それでも劇的に良くなる事はありませんでした。
この頃インターネットで、松本漢方クリニックのホームページに出会いました。「もう、何をしても治らないのだ。」と思っていたのですが、手記を読んで、「治るかもしれない!」と思いました。しかし、あまりの闘病記にびびってしまい、なかなか治療に踏みだすことができませんでした。
治療に踏みだすきっかけとなったのは、1歳になる子供でした。「この先、子供が幼稚園や学校に行くようになった時、母親のせいで、いじめにあってしまうかもしれない。」と考えたからです。「それだけは、避けたい。」と思い、松本漢方クリニックでの治療を決心しました。
2002年8月、松本漢方クリニックでの治療開始。微熱があったので、抗生剤の内服から始まりました。そして、煎じ薬の内服。2~3日で熱が落ち着いてきたので、薬浴を開始。顔、首は赤く腫れ、弱い所はひび割れ、リンパ液がにじんでいました。発汗多量だが、クーラーにあたると、ピリピリと痛い。首には、ガーゼとタオルを巻いて、過ごしていました。
一週間経つと、両足に赤い湿疹がでて、痒い。顔や首の症状は、相変わらず。耐えがたい痒みは、ずっと続く。首は、空気に触れるだけで、ピリピリと痛い。動くのが辛く、日中もうたた寝することが多くなった。リンパ液の匂いが、臭い。全身ヒリヒリ。入浴後、皮膚が剥がれても、下の皮膚も、赤黒い。治療開始後1ヵ月は、このような状態だった。その後は、首の腫れが軽減してきたが、やはり皮膚は赤黒く、他の症状も、あまり変化がない。
それでも、9月半ば、子供を連れ、5分ばかり外を散歩するまでになった。季節が秋になり、過ごしやすくなると、症状は軽くなっていった。この頃辛かったのは、足の付け根。シワに沿って、ほとんどがひび割れて、リンパ液がにじんでいた。痒みも辛いが、トイレの時、しみて痛く、苦痛だった。トイレを我慢してしまう程、苦痛だった。しかし、この症状は、半年も続いた。秋冬は、全身に症状が見られたが、何とか普通の生活を送ることができた。
しかし、次の年(2003年)の春。また症状がでてきた。今度は、リンパ液こそでなかったが、皮膚の痒み、乾燥、赤みが主だった。夏にかけて、どんどん酷くなり、全身の皮膚が、軽い火傷をしたような感じで、薄いピンクの長袖長ズボンをはいているようでした。正常な皮膚のように、しなやかさがなく、関節を動かすと、皮膚が伸びないので、体を動かすたびに、ヒリヒリと苦痛でした。
この年は、前年よりも体重の減りが激しく、38kgまで落ちてしまいました。プロテインを飲んでいましたが、全く体重は増えませんでした。体がだるく、生活の意欲も低下していました。子供を外に連れて行くこともできず、周りの家族に頼りっぱなしでした。
この年は、アトピーが治るようにと、調子の良い時に、少しずつ千羽鶴を折っていました。薬浴は、ずっと入り続けていました。毎日、古い皮膚が剥げるのに、次の日には、また皮膚が剥げる、の繰り返しでした。
11月下旬頃、症状が落ち着いてきました。皮膚も剥がれなくなり、12月には、薬浴を卒業し、普通のお湯に入るようになりました。また久しぶりに、家族で、遠出(ドライブ)をしました。体に負担がくることも無く、普通に過ごせました。この時初めて、治療のヤマ場を超えたのかな、と実感しました。
2004年春。また夏に向けて、症状が現れるのでは、と心配していましたが、落ち着いていました。しかし花粉症になってしまい、くしゃみ、鼻水、目の痒み、目ヤニ等の症状が現れました。松本先生に、電話で症状を伝えると、「アトピーの煎じ薬から、花粉症の煎じ薬へと変えましょう。」とのことでした。花粉症の煎じ薬は、飲むと、急速に鼻詰まりが治るので、すぐに楽になりました。
5月に入ると、花粉症の症状は、自然に軽くなっていきました。
そしてこの夏、汗疹の症状はありますが、それ以上に悪化することなく、経過しています。
以上が今までの経過です。余談ですが、子供は、1歳前に、卵アレルギーであることが分かりました。食べると、体にブツブツが出るのです。子供とは、毎日、一緒に薬浴に入っていました。現在、3歳になります、が卵を食べても、体にブツブツがでることはありません。先生からは、「薬浴に一緒に入り続けたことにより、子供のアレルギーも、治ってしまったのだ。」ということでした。
また、治療を始めてから、生理も止まっていましたが、それも正常に戻り、現在二人目を妊娠中です。まだ完治宣言をしていただいてないので、正直、その事実に戸惑いましたが、この2~3年の事を思うと、本当に信じられません。嬉しいです。
事実、もう二人目は、諦めていました。あまりに、自分の置かれている状況に絶望し、普通に生活できることを、ずっと羨ましく思っていました。洋服にしても、デザインより素材。暑い夏でも、半袖を着る事ができない。薬の色が染み込むので、それが目立たない色。髪の毛も、生え際が抜けてしまい、顔の症状を隠す意味も含め、いつも帽子を深くかぶっていました。何より、人の目が気になるのです。
身体的な苦痛と同時に、精神的な苦痛もあじわってきました。アトピーで苦しんでいる方、治療中の方、皆さん、同じ思いをされているのではないかと思います。でも、必ず良くなります。
また、治療を受けるにあたり、松本漢方クリニックの治療方法を理解してくれ、励まし、支えてくれた家族に感謝します。
私は、普通の生活を送れるようになりましたが、完治するまでは、根気よく治療を続けていくつもりです。
手記を出すのが遅くなり申し訳ありませんでした。
考えがまとまらず、時だけが過ぎてしまい、素直にあった事を書きたいと思います。昔からアトピーだと診断はされましたが、関節部分に出る程度でそれほど薬には頼る事は、あまりありませんでした。
それが酷くなりだしたのが、就職をして、2ヶ月をたった頃の時です。
病院勤務という事もあってか、不規則な生活に、なってから手先が酷く荒れて、あかぎれの様に、ひび割れてきて、手先がうまく使えず、服のボタンをとめるのも苦労したし、髪の毛も自分で洗えず、自分がなさけなくなりました。
その生活が、1年半くらい続きました。病院も3ヶ所くらい行ってステロイド入りのクリームを出され、ひどくて痛いので、薬にたよってしまい、魚を食べると体が痒くなる事もしばしばありました。それを見ていた兄が「松本漢方クリニック」の事をおしえてもらいました。
最初はやっぱり不安の方が多くてなかなか1歩がふみ出せずいました。
でもやるだけの事は、やってみょうと7月の初め松本漢方クリニックをたずねました。
想像していた以上に漢方のにおいが、すごくて正直いって怖かったです。
松本先生に会って「絶対に治してあげる」と言ってくれて、ホットしました。
漢方薬と入浴剤をもらって、なにもかも初めてで、最初はこれでいいのかと思いながら過ごしていました。3日目に入った時から顔が腫れてきて、う日が続きました。何をしてもうまくできず・・・泣いてばかりでした。
こんな手いらないって思った事もあったし、本当になさけなくて、なさけなくて、空回りばかりしている日が1ヶ月くらい過ぎていました。
少しずつ漢方薬と漢方風呂にもなれてきて、手の痛さにも慣れたのか、それが普通だといい聞かせていたのか、出来る事をしょうと思いました。
あまり手には負担をかけないようにしたり、綿の手袋をいっぱい買い込んで、それをつけて作業をしたり、仕事場ではみんな理解をして下さって負担の少ない仕事を回して下さいました。その少しの事だけど私はすごく嬉しくて感謝しています。その事もあってか、腫れも引いてパンパンに腫れていた手や顔、腕も普通にもどりました。
痒みと体液はずっと出て痛みと痒みとは戦いは、続きましたが、1年をたった位から乾燥にかわり、痒みはあるものの、ジュクジュクはなく仕事もみんなと同じ仕事が出来るまでになりました。
今は、まだ痒みはありますが、すごいスピードで回復している感じがします。
これからもまだまだ頼らなければいけないと思いますが、よろしくお願いします。
「きれいになった!(アトピー性皮膚炎手記)」28歳女性2016年11月30日
今から2年ほど前に松本漢方クリニックと出会いました。私のアトピー症状は、小さい頃にはなかったのですが、20代になって突然出てきました。初めてのことだったので友達が行っていた他の皮膚科を受診しました。この皮膚科では私の顔を見るなり話も聞かず、薬を差し出し、使用方法だけを言う診察でした。変な診察だなと思いつつも薬を塗ったらすぐに治ったのでラッキーと思っていました。それがステロイドとも知らずに・・・。
何ヵ月が経ってまた同じ症状が出たので皮膚科へ行きました。この繰り返しが3回くらい続いた頃、このままではずっと治らないのではないかと疑問に思い始め、他の皮膚科を探し見つけたのが松本漢方クリニックでした。
テレビや雑誌では“漢方は体に良い”と言っていたので、ここだったらこのボロボロになった皮膚も治るのではないかと思い診察してもらいました。先生は私の顔を見るなり、「これもそれもヘルペスや。」と言いました。そんなにヘルペスができているの??色々わからないことだらけでしたが、HPを読むにしたがって段々理解できてきました。ステロイドをエサにヘルペスが増えていたなんて恐ろしいと思いました。
処方された漢方は美味しくなく、こんなんで治るのかと疑うばかり。飲んだ2日後あたりからリバウンドが始まり、マスクをせずには外に出られないほど皮膚がボロボロになり、リンパ液も出ました。皮膚が分厚くなり、思いっきり笑うこともできず、辛い日々が続きました。「アレルギーも持ってなかった私がなんでこんな目にあわなあかんの?」と、ずっと苦しい思いばかりでした。そんな時はHPの手記を何度も読みました。手記の中に書かれた「治りました、もう少しで完治します。」そんな言葉を信じて毎日過ごしていました。
漢方を飲んで、薬を塗るということを繰り返し、やっとボロボロな顔がアトピーとは分からないくらい治りました!まだ腕には少し残っているけどちゃんと治るから最後まで綺麗にしていきたいです。『治すのは自分自身の免疫』です。ステロイドがどんなに恐ろしいのか色んな人に知ってもらいたいです。
私が松本漢方クリニックに通い始めたのは、20才の時でした。
もともと小さいときからアトピーで、その頃は、ステロイドが悪いとは知らずに、すぐ治る便利な薬だからと、よく使っていました。松本漢方クリニックに通い始める少し前に、ステロイドが良くないと知り、いろいろな皮膚科で、ステロイドを使わない治療をして欲しいとお願いしながら、色々な皮膚科を転々としていました。やっとステロイドを使わない治療をしてくれる皮膚科を見つけて通っていたのですが、ある朝突然、顔中に赤いぶつぶつができ、顔中がピリピリと痛かったのです。その症状が出る前日にもその皮膚科に通い、鼻の横に出来ていた1つ2つのぶつぶつのことで相談していたのにもかかわあらず、いつも通りの薬を出されるだけでした。その翌日だけに信用出来ず、何処の病院に行っていいのか悩んでいたときに、知り合いに紹介されて、松本漢方クリニックに行ったのです。
診断は、ヘルペス。今までのステロイドの使用も原因であると聞かされ、そこまで私の体を蝕んでいたことに、恐怖を覚えました。そんな不安な私に「必ず治るから」という松本先生の言葉。もう最悪な状態まで来てしまっていた私には、先生を信じるより他に有りませんでした。先生のおっしゃった通り、ステロイドを使いすぎていた私には、治療はかなりつらいものでした。薬により、顔は腫れ上がり、体中の肌はぼろぼろ(毎朝布団は、はがれ落ちた皮膚がすごく、掃除機をかけるほどで、服を着替える前には、新聞の上に座り、はがれ落ちる皮膚を落としてからしか、服を着れないほどでした。)、指、手首、肘の内側・・・など間接の所ところが腫れ上がり、皮膚もごつごつになり、切れて出血し、包帯を巻いて毎日を過ごしたことも有りました。
そんな症状も、2ヶ月、3ヶ月、半年・・・時間が経つにつれ、一箇所ずつですが、包帯が外れ、きれいになっていったのです。
そうして治療を初めて2年が経った頃には、初めて出会う人からは、私がアトピーで有ることが分からないほど、きれいになっていました。私の場合は、そこで油断し、通うことを勝手に辞めてしまったのです。もう大丈夫と、勝手に判断してしまったのです。
確かに、それから3~4年ほどは、何事もなく過ぎました。ところがある日、またヘルペスが出たのです。「環境が変わったことによるストレスが要因となり、出たのだろう。」とのことでした。自分勝手に治療を辞めてしまったことを、本当に後悔しました。
それから、再び治療を始めたのです。再開して、3年余りが過ぎました。今では、右手のひら、両手肘の内側。この三箇所だけになりました。悪いところだらけで、数え上げればきりがなかった私の症状も、今では3箇所。しかも、いつも酷いわけでなく、季節の変わり目や、なにか自分で分かるほどの無理をした時に、決まって荒れるのです。(手のひらは、家事をするので、どうしてもかさかさしてることが多いのですが)
ここまで良くなるなんて、最初通院し始めたときには、思いもしませんでした。治療には長い時間がかかります。でも、一時でもつらい思いをするくらいなら、どんなに時間を掛けてでもきれいになりたい。今はそう思えるようになりました。あと少し、あと少しそう思いながら、これからも治療を続けていきます。
私が松本漢方クリニックに通い始めたのは約一年前、2011年の3月。藁にも縋る思いでした。私の程度は弱かったものの、物心ついた頃にはステロイドを使用しており、皮膚科や鼻炎のため耳鼻咽喉科に通っていました。春先や汗を書く季節になると膝や肘裏にすこしでる程度でした。しかしその状況が一変したのは中学2年生の頃でした。ある日部活で日にやけてからというもの顔が腫れ上がり、黄色い浸出液がでてくるようになりました。通常の日焼けならしばらくしたら改善するはずが、良くならず皮膚科に頻繁に通う様になりました。「痒くなったら何回でも塗ってよい」との説明のもと、思春期で外見が気になる年頃でもあり、学校でも薬を塗っていように思います。しばらくすると状態は落ち着きましたが、薬を使用しどうにか抑えている状態でした。そうしているうちに、今度は臀部に赤く腫れた湿疹が出来始めました。湿疹がひくとニキビの様なものができ、それを繰り返していました。皮膚科の先生は、受験生に多く、座りすぎによる湿疹と診断されていた記憶があります。程度に差はあれ、少し良くなり、また悪くなり…場所も顔だったり、臀だったり、膝や肘裏だったり…を繰り返し約7年が立ち、看護学校を卒業しました。働き始めてからは特に手にひどく湿疹がでて、小さな水泡を作るようになりました。痒くて仕方がなく、普段は気をつけていても寝てる間に掻いてしまい、手袋をしてみたり、保湿を徹底してみたり色々行いましたがまったく無意味でした。一時的に改善しても持続はしませんでした。就職して二年がたった頃の夏、今までできたことのなかった膝から下の部分にとても小さいブツブツとした湿疹ができはじめました。ちょうど仕事も忙しくなり、上司が変わりストレスを強く感じはじめたころでした。皮膚科にいくと乾燥が原因といわれ保湿剤と1番弱いランクのステロイドを処方されました。夏なのに乾燥も何もないだろうと不振に思いながらも清潔、保湿などできる限りのことに努めました。しかし軽減してはまた悪化し…の繰り返しでした。それから一年がたち、状況は悪くなり、背中、腕、そして頭皮にも痒みと湿疹、時には浸出液(黄色い汁)がではじめました。さすがに過去にもない皮膚の状態に非常になやみました。そんな時処方されたのは抗アレルギー剤の内服、ステロイド剤の内服でした。さすがにステロイド剤の内服には抵抗がありましたが、内服なしでは出勤出来ない状態にまでなっていました。そうしているうちに、胃炎、胃腸炎、インフルエンザ、月経不順、停止と次々に体調を崩していきました。副作用により免疫力、抵抗力が落ちていたのだと思います。その時、私には結婚を考えていた恋人がおり(今の夫です)、こんな状態で結婚し子どもを授かることができるのかと不安になりはじめました。そんな私と一緒に悩んでくれていた主人がインターネットで猛検索のうえ探しだしてくれたのが松本漢方クリニックでした。
恥ずかしながら、看護師という仕事をしているにも関わらず、アレルギー、アトピー性皮膚炎に関する知識はほぼ皆無に近かったと思います。看護学校の授業でも、臨床にでてからも「アトピーは治らないもの。治療の第一選択は抗アレルギー薬、ステロイド剤の使用。完治は困難であり、食生活、皮膚の清潔に努めながらうまくつきあっていくしかないもの」だったからです。おそらく松本先生意外の皮膚科の先生は皆さんそのように学ばれ、診療をされているのではないかと思います。その中で松本先生の論文や皆様の手記は衝撃的でした。論文は今までの常識とは違いましたが、理にかなっており納得がいきました。ただ手記を読んだだけで治療の壮絶さは計り知れず、治療開始には悩みました。しかし松本先生、看護師の方からの話を伺い、頑張ろうと思えました。今までの先生とは違い、松本先生にはぶれない治療根拠と信念、そして必ず治すという患者に対する責任が感じられ、患者がその治療に大切な時間と費用をかけるように先生の治療に対する思いが、伝わってきたからです。
それからの治療経過は他の方も書かれている状態です。漢方を飲みはじめて5日間ほどで顔も目も腫れ上がり、全身の痒みにひどくおそわれました。仕事をしていても集中出来ず、今は心身ともに休めて治療に専念すると決め仕事を2ヶ月あまり休みました。治療しながら仕事をされておられる方には本当に尊敬します。私はその点根性なしで自分に甘かったですね、全身は火傷のようにただれ、夜は眠れず、顔がお岩さんのようにはれあがった姿に毎日涙し、暫くは鏡を見られませんでした。新婚でしたが、そんなどころではなく、主人は家事や治療の手助け一切を文句ひとつ言わずに助けてくれました。そのお陰で漢方薬と漢方風呂を毎日、続けることができました。そうしているうちに約三ヶ月程で外にでても服をきていればわからないようになり、約一年たった今では手に少し、背中にすこし出ている程度です。恐らく今まで生きてきた中で1番肌が安定している状態だと思います。仕事で忙しく漢方を飲み忘れて寝てしまうこともありますが、先生に完治しましたと言われるまでは頑張って続けていきます。治療を受けようか悩まれている方、治療中で一時的にどんどん悪化していく皮膚の状態に苦悶している方…自分の体を守ってあげられるのも治してあげられるのも自分です。そしてそんな自分を支えてくれる、家族だったり、友人だったり周囲の力です。治療は想像以上に苦しいですが、必ず頑張ってよかったと思える日が来ます。そして自分の人生観もかえてくれるものかもしれません。手記が遅れもうしわけありません。今後ともよろしくお願い致します。
私は、生後3ヶ月くらいから、アトピーが出てきていました。そのため、10歳くらいまで、皮膚科でステロイドをもらい、身体に塗っていました。その後、母が、ステロイドの恐さをテレビや本で知り、皮膚科の通院を止め、一般に売られている高保湿クリームを塗って過ごしていました。
中学・高校とアトピーでしたが、特に顔が赤くなったり、痒みで夜眠れなかったりなどの症状は出ませんでした。でも専門学校に通学するようになってから、みるみる顔が赤く腫れて来たり、リンパ液が首筋から出てきたりして、「これは・・・」と思い、知り合いから、この病院を教えてもらいました。
始めは、「こんなに顔が腫れているのに、本当に治るのかなぁ。」と心配しましたが、漢方のお風呂に入ったり、薬を飲んでいるうちに、少しずつ腫れが引いていきました。その後、今度は肌が黒くなってきました。少し不安になる事もありましたが、診察してもらう時に、松本先生から「絶対、治してあげるから。」と言ってもらい、安心して治療を続ける事が出来ました。
松本漢方クリニックに通ってから、半年くらいして、「少し、顔が白くなってきた。」と家族から言われました。自分では、背中や腕が痒くて、顔が白くなってきていることは、あまりわからなかったので、言われて、とても嬉しかった事を覚えています。
それから今まで、約4年くらい経ちますが、何度かリバウンドを繰り返して、だいぶ良くなってきたと思います。でもまだリンパ液が少し出るので、しっかり最後まで続けたいと思っています。まだIgE抗体が 3000 程あるので、通常の基準値に下がる日を楽しみして、これからもがんばりたいです。
「アトピー手記」匿名希望23歳2006年3月18日
私がアトピーになったのは、高校2年生の時でした。その時は、腕ぐらいで、他の所は大丈夫でした。ステロイドは使いたくなかったので、酢を塗って、何とか治していました。
しかし、短大に入ってから、かゆみがひどくなり、顔にも出てき始めました。赤く腫れたようになり、汁もたくさん出始めました。体の方もかゆみがひどくなって、背中、腕、お腹にも出てきました。かきすぎて、お腹は色素沈着で黒くなり、背中はあっち二つちから汁が出始め、ぽこぽこになってしまいました。かゆくなるから、夜寝る前は、かゆみ止めを背中やお腹に塗って寝てたし、殺菌するため、酢も顔とか湿疹が出てるとこには、全部塗っていました。
病院もいるんなとこに行きましたが、ステロイドを必ず出されました。ステロイドは効き目はすごいけど、体にはきついから、塗るのが正直怖かったです。でも、ひどくなったので、やむを得ず塗っていました。恐ろしい程に、ステロイドを塗ったら、どんどんましになり、やっぱりすごい効き目だなあと,思いました。でも、ステロイドは怖い薬だって母に言われていたし、短大卒業後まで、ひどいところのみステロイドを塗って、ましなところには酢を塗るようにしていました。
短大を卒業し、働きはじめましたが、そこでまたアトピーの状態が悪化しました。顔、背中、お腹もまたひどくなり、腕もとても人に見せられるような状態じゃなかったです。だから、制服の半そでを着るのが辛かったのを、今でも覚えています。寝る時も顔や体をかかないように、包帯を顔、腕とかに巻いて、ミイラ状態にして寝ていたこともあります。
でも、二週間程で、そこの職場を辞めたとたん、今までひどかったとこがましになりました。仕事のストレスであんなにひどくなってたんやなあと思いました。
その後も、酢を塗ったりして、何とか頑張って過ごしてきました。
そして半年後ぐらいに、土佐清水病院があると父と母から聞いて、行ってみました。治療法は、一ヶ月位入院して、ステロイドを体中に塗って、包帯を巻いて治すと言われました。その時のアトピーの状態は、あまり良くなかったので、先生に「入院した方がいい」と言われました。ステロイドを体中に塗るのは、もう`怖かったし、嫌だったけど、いつまでたっても良くならないから、しょうがないかなあと思いました。
そんな時、父がインターネットで、この松本漢方クリニックがあるということを調べてくれました。漢方で治療し、ステロイドは一切使わないと言われ、正直かなり安心しました。そこに行ってみようと思い、土佐清水病院の入院はやめました。今思うと、やめといて、本当によかったです。もし、あのまま入院していたら、ステロイドの副作用で、今ごろひどい目にあってたかもしれないし・・・・
初診の時、松本先生に「絶対、治してあげる。」と言われ、すごい嬉しかったし、頑張ろうと思いました。
そして、そこから漢方の治療が始まったのです。煎じ薬を飲み、紅い軟膏を塗り、漢方のお風呂も、毎日一時間位入ってました。一旦ひどくなるって、治療を始める前に松本先生に言われてたから、それなりに覚`悟はしていました。でも、思っていたより、そんなにひどくはならなかったです。確かに、顔から汁が出たりとかはしましたが・・・・ステロイドをそんなに塗ってなかったからかなあと思いました。
その治療を半年位続けてましたが、あまり変わらなかったから、松本先生が「じゃあ、ちょっと薬変えてみよう。」と新しい薬を出してこられました。ちょっときつい薬とか言われたけど、全然不安じゃなかったです。もう大丈夫やと松本先生を信頼してたからです。
そして、その新しい薬を飲み始めました。前の薬と違って、一段と臭いがすごかったから、びっくりしました。それでも、「絶対治したんねん!」という気持ちで薬を飲み続けました。しばらく飲んでたから、顔、背中、お腹の皮がぱりぱりはずれていきました。「脱皮みたいやな」って、母や父と笑った記憶がありますが・・・。古い皮膚から新しい皮膚に変わったのでしょう。そして、顔の赤みもとれ、汁も出なくなり、背中、お腹の色素沈着もとれて、元の肌に戻ってきました。すごい嬉しかったです。
まだ、顔がちょっとかゆくなったりとかして、赤くなったりしますが、薬を飲んだり、紅い軟膏を塗っているので、そんなにひどくはなりません。それに、体には出なくなったので、嬉しいです。
松本漢方クリニックに会えてよかったです。松本先生がいろいろ助けてくれたし、それに最初にいわれた「絶対に、治してあげる!」といわれた言葉が、治療中の励みになりました。松本先生、ありがとうございました。
今は、薬を飲まなくてもいいようになるのが私の夢です!これからもよろしくお願いします。
現在25歳ですが、4歳の頃には、もうアトピーになっておりました。不思議と、12歳の頃からは症状が出てこず、もう治ったのだと思っていましたが、そう思うのもつかの間、16歳頃からまた症状が出だしました。
幼少の頃は、顔以外の体中に症状が出ていたのですが、この時はとくにひどく、早く治したい一心でした。周囲の“あそこの病院は良い”という噂に、藁をも掴む思いで、いくつかの病院を受診し、ステロイドを貰い、治療してきました。年頃でもあり、顔は一番気になる部分。毎日毎日せっせとステロイドを顔に塗り、一日たりとも塗らない日はありませんでした。少しでも怠ると、次の日は真っ赤になり、皮膚がゴワゴワになる有様だったのです。
一向に治る気配はなく、アトピーとは、このまま一生付き合わなければならないのかと、半ば諦めていました。しかし、23歳になった頃に、知人から松本漢方クリニックを紹介され、松本先生からお話を聞き、HPを読み、「今度こそ治るんだ」と思いました。
初めて飲む漢方薬に、漢方入浴。漢方薬はとっても苦く、鼻をつまみながら飲み、入浴も1時間以上ということで、慣れるまでには時間を要しました。しかし、一番辛かったのは、リバウンド症状でした。ステロイドを塗らないと、次の日はもう真っ赤になっていた私でしたから、先生の指示により塗らなくなってから、たちまち顔中が赤く腫れて、掻いた所からは汁が垂れ、痒くて痒くて眠れない日が続きました。悲しくて泣いた日もありましたが、松本先生の「絶対治るからね。」というお言葉を励みにして、ここまで来る事が出来ました。
2001年8月末に来院した、初回の検査でのIgE抗体の値は、2321、2002年2月の検査では、2560、2002年8月の検査で、3026 でした。この頃が、リバウンド症状が一番ひどい頃でした。しかし、IgE抗体の値が下がり始めた頃(2002年12月検査時、1812 )から、リバウンド症状も治まりつつあり、2003年6月の検査では、914 まで下がりました。
今ではもう、顔が赤くなる事はなくなりました。時々痒くなることもありますが、一日中、どこかしら体を掻いていた頃に比べると、嘘のようです。象の皮膚のように、ゴワゴワして赤黒かった肌も普通になり、ツルツルしてきました。人並みにしてみたかった化粧も、楽しむ事が出来、本当に嬉しいです。
松本先生始め、松本漢方クリニックのスタッフの皆様には、本当にお世話になりました。松本先生から治療終了の言葉を頂くまで、これからも漢方を飲んで、漢方風呂に入って、頑張っていきたいと思いますので、宜しくお願い致します。