「私のアトピー手記」25歳女性2004年10月27日
私のアトピーとの闘いは、幼い頃から既に始まっていました。私が覚えている限り、幼稚園の頃から、ステロイドの薬を塗っていたと思います。その頃は、耳の下が切れたり、汗をかくと、肘、膝の裏が痒くなったりという症状が主でした。両親もなるべく薬を塗らないように治そうとはしていたようですが、症状がひどくなってくると、強い薬とはわかっていながらも、市販のステロイド薬を使って治していたようです。
その後、ステロイドを多用し始めたのは、中学3年になった頃からでした。その頃になると、今まで出ていた部分以外にも、顔(特に目の周り、口の周り)や首が痒くなり始め、掻くたびに傷ができ、みるみるうちにひどくなってきました。ちょうど、思春期とでもいうのでしょうか、一人前にも自分の見た目に気を使うようになり、目に見える部分に傷ができているということが嫌になり、早く治したい、そこで、近所の皮膚科へ通うようになりました。
そこでもらった薬を塗ると、あっという間に傷がきれいになり、症状がおさまりました。(もちろん、その薬はステロイドです。)傷がおさまれば、薬を塗るのを中断し、また症状が出始めたら薬を塗って、という繰り返しでした。そのような状態は、その後ずっと続きました。
次第に、それまで皮膚科でもらっていた薬が効かなくなるようになり、先生から、「では、薬を少し強いものに変えますね。」と言われ、新しく薬を処方されました。その頃になると、私も丁度、高校生から大学生になる頃だったでしょうか、おそらく様々なメディアを通じてではあったと思いますが、ステロイドの怖さを知るようになっていました。しかし何分、塗れば、症状は一時的ではあってもおさまりますし、他にどう治療していいものかもわからず、怖いとは思いながらも、使い続けていました。
それが忘れもしない、大学3年の春です。この松本漢方クリニックと出会って、私の人生が変わりました。そのきっかけとなったのが、私のいとこが、アトピーではありませんが、自分の病気を治したいというので、インターネットで病院を検索しているという話を聞いたことです。大学に入ってからパソコンを使い始めた私は、そういう利用の仕方があるのかと思いました。では私も、「アトピーを治すために、一度探してみよう。ステロイドを使わずに、アトピーを治せるような治療法はないものか、そういう病院はないものか」と。しかし、インターネットの世界の情報は膨大です。膨大にありすぎて、それらを一つ一つ見極めるのも大変でした。ですので、今思えば、そんな中で松本漢方クリニックを見つけられたのも、何かの運命ではなかったかと。
では、なぜ、私が松本漢方クリニックを選んだのか。一つには、漢方を使って治療をしているというコメントに惹かれたことです。ただ、何よりも、私がこの病院なら信用できると思ったのは、院長先生による根本治療の理論を読んだ時でした。そのページを見つけた時には、正直驚きました。読むのにも一苦労、内容も一度読んだだけでは理解できず…。しかし、何か直感めいたものがあったのでしょう、私は日をあけてでも、何度も何度も読み返しました。それに加え、患者さんが書いた手記にも、全て目を通しました。正直時間はかかりましたし、大変でした。そして、ようやくその理論が理解できるようになりました。これほどまでにしっかりとした理論を展開しているのだから、絶対に大丈夫。私にはそう思えました。
初めて松本漢方クリニックを訪ねた時、まず、それほど大きな病院ではないことに驚きました。(正直、私の中では、もっと大きい病院を想像していました。)そして松本先生にお会いして、もっと驚きました。(病院の先生というと、白衣を着て、こう何というか、威圧的で…という、あまりいい印象を持っていなかったもので。もちろん、いい意味での驚きでした。)松本先生とお話する中で、「この先生なら信用できる、絶対についていける。」そう思いました。(この気持ちは、実際に先生とお話すれば、絶対にわかると思います。)
漢方を飲み始め、治療を始めて感じたことは、人間の体は、何て正直なんだろうということです。今までステロイドを塗って症状を抑えていた所に、きちんとリバウンド症状が出るのですから。痒みが出てきて、「あっ、そういえば、ここにも昔傷ができた時に、ステロイドを塗っていたなぁ。」などと思い出すことも度々ありました。今までなら、痒くなったら、なるべく傷を作らないために、掻くのを我慢していましたが、今からは、先生のおっしゃるように、痒かったら掻いたらいいんだ、人間の生理現象なんだもん、我慢なんてしなくてもいいんだ、そう思ってどんどん掻きました。
しかし、実際最初の1年位は、ホームページで皆さんの手記を読んで想像していたほどひどいリバウンドは起こらず、「あれ?こんなものなのかな?」と少しあっけにとられていた部分もありました。しかし、私のステロイド歴をなめてはいけません。1年後、本当に辛いリバウンドの時期が来ました。
その頃の検査結果を今見返してみても、きちんと数値にも表れていました。一番大変な時期でした。もう全身、至る所が痒くて、夜も寝られませんでした。(本当です。)夜中、何度も痒さのために目が覚め、痒いところを掻きまくって、やっと落ち着いて寝始めたら、また痒くなって…という繰り返しでした。傷もたくさんでき、ぐちゅぐちゅと膿もでき…、膿が服にも付くし、度々着替えて…。これが本当のリバウンドかと、まざまざと感じさせられました。
その頃から、煎じ薬だけではなく、漢方のお風呂にも入るようになり、数ヶ月間こんな状態が続きました。数ヶ月経った頃、少しずつおさまり始め、楽になってきました。今思えば、私の場合、この世にも一番大変だった時期が、数ヶ月ほどで過ぎ去ってしまったことは、幸運だったのかもしれません。もちろん、その後も数値の変化に伴うように、痒みがひどくなったり、果てはくしゃみがとまらなかったり(私の場合、鼻炎もありましたので)など、いろいろありましたが、あの頃ほどひどい状態になることはありませんでした。『いろいろ』などという言葉で、簡単にまとめてしまっていますが、ここまで来るのに何年もかかりましたし、完治までまだ時間はかかるでしょう。しかし、小さい頃からステロイドを使ってきた時間に比べれば、こんなの短いくらいで、何も苦にはなりません。
ここまで、長々と私の闘病記を書いてきましたが、この手記を最後まで読んで下さった方に対して。
正直、この闘いは、本当に言葉ではいい尽くせないほど辛いものです。辛く、長く、孤独な闘いです。でも、この辛さを乗り越えられた時、私は、人間として、非常に成長できたと思えました。だって、どんなに嫌なことや辛いことがあったとしても、それは、この闘いに比べたら、本当にちっぽけで、微々たるものです。何より、この闘いを乗り越えられた自分がいるんですから、少々のことでなんて、めげていられません。嫌なことがあっても、当時のことを思い返すと、自然と負けていられないな、頑張らないと、と思えるようになりました。我ながら、随分と、強くたくましく成長できたなと思います。もちろん、一番辛かった時には、両親に、精神的にかなり支えてもらいましたし、今でも支えてもらっています。両親には、本当に感謝しています。
そして、松本先生にも。辛いときに、先生にお会いして、お話すると、何故だか心が落ち着きました。辛いことなんてどこかへいって、頑張らなきゃという気持ちにさせられましたし、勇気をもらえました。ありがとうございます。まだまだお世話になるかとは思いますが、ますます強くたくましくなる私を見守っていて頂ければ、幸いです。
僕は、生まれながらにしてアトピーを持っていました。物心がついたときには、関節の曲がる部分の皮膚って言うのは、像の肌のようなボコボコとしている状態でした。ひどいときには包帯を巻いて学校へいくなど、今考えると大変な思いをしていたんだなと思います。
いろんな病院へ行っていろんな薬をもらいました。はじめはどれも良くなるのですが、使っていくに体が薬になれていって効かなくなってきます。そういう事を繰り返していく中で、近所の同じ症状に悩む方に、松本漢方クリニックを教えていただきました。
はじめは、「今までステロイドで溜めていた悪い物質を出していくので、はじめは、リバウンドとしてかなりひどくなります。」というのを聞かされていました。でも僕の場合、特別ひどくなる事もなく、症状は改善されていきました。関節部分もきれいな皮膚になり、自分の皮膚では初めて見ました。家族も、僕の皮膚を見て喜んでくれました。
今で松本漢方クリニックさんに通い始めて5年近くになりますが、だいぶよくなりました。これからもがんばって煎じ薬を飲み続けて、完治を目指したいと思います。
松本漢方クリニックに出会って、実に3年3ヶ月が経った今、手記を書くことが出来ました。
最初のきっかけとなったのは、右肘に蚊に刺されたかな?かゆみ止めでも塗れば治るだろうという程度のことでした。けれどいつまで経ってもかゆみは治まらず、それどころか湿疹のようになり、いつしか左肘にも同じように左右対称に湿疹ができました。なかなか治る気配がなかったので、近所の皮膚科へ行ったのですが、生憎休診でした。その後も残業が続き、行く機会がありませんでした。徐々にひどくなる一方だったので、「仕事の合間に行っていいから、早く治しなさい。」と言って下さり、タウンページで探す事にしました。(私の仕事は建築関係なので、仕事場所がよく変わり、その当時は、阪急高槻駅の近くに決まったばかりでした。)タウンページには、たくさんの皮膚科が載っていました。その中で、松本漢方クリニックに行く事にしました。なぜその時「ここにしよう!」と松本漢方クリニックを選んだのか今でもわかりませんが、私にとって大変良い出会いだったと感謝しております。
早速、松本漢方クリニックに向かいました。1999年8月でした。
松本漢方クリニックに着くまで、自分の今までの症状の変化を自分なりに頭の中で整理していました。そして松本先生にお会いし、手足の赤くひどくなっているところを見せ、私が何も言わなくても
「あぁ~、アトピーやね。私が必ず治します。ここ(松本漢方クリニック)は誰かの紹介?」
「タウンページを見て来ました。仕事がこの近くなので・・・」
「タウンページ?いいとこ選んだ!」
とおっしゃっていたことを記憶しています。私の家族や周りにアトピーになっている人がいなくて、アトピーというものが全くわからず、松本先生に「アトピーや。」と言われた声と文字がぐるぐる頭の中で回っていて、動揺を抑えることが出来ませんでした。
その日から、松本漢方クリニックの治療がスタートしました。
普段でも痒いのにお風呂に入ると体が温まるせいか、手足がむず痒く、少しでも掻いてしまうと止まらなくなると思ったのと、「アトピーは掻いてはいけない!」という周りからの情報と固定観念があり、我慢する事でイライラしていました。一週間後、血液検査の結果が出るので松本漢方クリニックへ向かいました。松本先生に、痒くてどうしようもない事、寝ている間に無意識に掻いてしまう事、飲食・・・色々質問をしました。松本先生は、「掻きたければ気が済むまで掻けばいい。血が出ても思う存分掻いたらいい。ただし、先生の言う事を聞いて、消毒をし赤い薬を塗り、煎じ薬を飲んでいれば大丈夫。」と、私が不安に思っていたすべての質問に答えてくれました。
そして煎じ薬を飲み続け、手足が元の肌に戻ったのは、4ヶ月経ってからだったと記憶しています。
その手足と平行して両耳も痒かったのですが、手足同様、うすくなり良くなるだろうと思っていましたが、松本先生は、「まだ煎じ薬を飲み続けなさい。」とおっしゃいました。その後も、両耳だけが痒いだけで何もなく、8ヶ月が過ぎた頃でした。
唇が荒れてきました。2000年10月でした。
それから急激に顔の変化が起こり、おでこ以外真っ赤になり、皮膚に熱を感じヒリヒリと痛み、むず痒さとパンパンに腫れ、見るも無残な顔になっていました。夜は痒くて何度も目を覚ますし、掻けばジンジン痛くてやりきれない思いの繰り返しで、朝は顔全体がつっぱり、重い口を開けると、薄茶色の皮がどんどん浮き出てシワシワの顔でしたが、毎日休まず会社に出勤していました。体もすこしだるくなって、仕事から帰ると、何もする気が起こりませんでした。そんな私の顔を見て、周りも家族さえも気持ち悪がられ、イヤな思いをしていました。
半年ほど続いたある日、会社を通じてK病院を紹介され行く事にしました。2001年4月24日でした。そこで写真を撮られ、ステロイドの入っていない優しい薬と言われ「プロペト」という塗り薬をもらい、掻かない・皮をめくらない様指示されました。炎症を起こし治りが遅くなるからだそうです。後日パッチテストを行い、その結果、埃・ダニ・花粉・動物・金属などに反応しているので、それらには近づかない・触れない様、そして太陽には当たらないなどの注意を受けました。アトピーではないが、原因はこれから調べていくとのことでした。診察時に原因を尋ねても、「なぜ顔ばかりそのようになるのか、まだ調べている段階だ。」との返事でした。2週間後には肌の色に近づき、2ヶ月が経った6月26日、日差しがきつかったので薄く日焼け止めを塗って、会社へ出勤しました。ところが、またあの皮膚に熱を感じ重くなっていく感覚があり、恐る恐る鏡をのぞくと、そこには以前のような顔が映っていました。急いで病院へ連絡し、先生に病院に来てもらい私も病院へ駆け込みました。ステロイドの入ったこの薬でないと治らないと言われ、塗りました。家に着いた時は、顔から黄色い汁がいつまでもダラダラ流れて出ていました。
その3日後、会社で松本漢方クリニックに通っている野口さんと初めてお話しすることが出来、今までの事をお話しした所、一緒に松本漢方クリニックで頑張ろうとたくさん励ましてもらいました。全く何も知らず最初にタウンページで松本漢方クリニックを見つけたのも、こうして偶然にも野口さんとお話しすることが出来、松本漢方クリニックとは縁があるように思えました。
2001年7月4日、松本漢方クリニックへ向かいました。
診察時、黙っていればわからなかったかもしれませんが、そんなモヤモヤした気持ちではこれから松本先生と向き合えない、私自身隠す事がイヤでしたので、今までのことを正直に話しました。ものすごく怒鳴られましたが、病院を後にした時スッキリした気分になり、これからまた1から再スタート、新たな気持ちで立ち向かおうと心に決めました。
それからまた、顔が真っ赤に腫れ熱を感じパンパンに腫れ、夜は痒くて眠れない日々、朝は目やにで目が開かないという以前にもましてひどい状態が続きました。8月7日煎じ薬湯を頂きました。翌日、今まで見たこともない別人のような顔になり、気休めですが、会社にはマスクやマフラーで少しでも隠れるようにしていました。ところが、顔は人目に触れる所、仕事で出かけなければならず、一歩外に出れば世間の冷たい視線、指をさされ笑われもしましたが、松本先生は「そういう人達はほっとけばいい。」というような顔で、私の話を聞いてくれました。そんな事もあり、少しでも早く良くなり、マスクやマフラーをはずして仕事が出来るようにと、祈る気持ちで毎日仕事から帰ってきて、1時間以上は洗面器に顔をつけるよう努力しました。当初私の顔を見て、家族さえも気持ち悪がられ、身の詰まる思いをしていましたが、再度松本漢方クリニックでの治療に専念しているその間、母は、黙ってずっと一緒に起きて終わるのをじっと待っていてくれました。
私のリバウンドは、10ヶ月間続きました。
その努力の甲斐あってか、少しずつ良くなり、身体も気持ちも外に向けて動けるようになり、松本先生の了解を得て、10日間の海外旅行にも行く事が出来ました。
まだ耳や身体の一部、顔には茶色の跡が残り、時々痒みがあってまだまだ治療半ばではありますが、久しぶりに血色のいい健康的な肌を鏡で見る事が出来ました。
最後になりましたが、松本先生並びにいつも心温まる笑顔で優しく声をかけて下さる看護婦さん、松本漢方クリニックのスタッフの皆様、本当に感謝しております。「青春はこれから」「美人に戻してあげる。」という松本先生の言葉は、今のこの血色のいい健康的な肌の事だと実感しております。本当に有難うございます。ここまで快復できたのは、松本漢方クリニックの皆様のお陰はもちろん、煎じ薬湯を入れた洗面器に、顔を1時間以上つけている間、黙って一緒に終わるのを待っていてくれた母、そして何より周りの友達の励ましがあったからです。その人達の励まし・助け無しでは、今の私の姿はありません。皆さん、本当に有難うございました。また、アトピーで苦しまれている人達が、この松本漢方クリニックと幸いにも出会える事が出来ますよう、心からお祈り申し上げます。
完治に向け、最後まで治療を続けたいと思いますので、これからもどうぞよろしくお願い致します。
私の場合、子供のころからアトピーだったわけでなく、家族にアトピーのものもいませんでした。しかし、ごくまれに蕁麻疹ができたり、目がかゆくなることがありアレルギー性結膜炎といわれることはありました。
皮膚に異常を感じたのは20歳のころで、目の下が少し赤くなり、一ヶ月たってもなおらなかったので近所の皮膚科にいったのが最初でした。「これを塗って様子をみなさい」とリンデロンを処方されました。しばらくぬると赤みはひきました。しかし、塗るのをやめるとまたもとにもどるどころか少しずつ赤い部分の範囲が広がり始めました。ぬってましになるとやめて、また赤くなるとぬっての繰り返しをしているうちに、はじめは季節の変わり目の一時的なものだと思っていた赤みが慢性化し、ステロイドを塗りつづけなければならなくなる恐怖を感じ、その病院にいくのは半年ほどでやめました。
次にいった病院は京都の皮膚科では有名なところでした。そこでの治療法もやはりステロイドでしたが、そこでの説明では「今でている症状をまず抑えることが大事である。そのためにステロイドを使うのは怖いことではないし、症状の程度に合わせて薬の強さを調節するから大丈夫」とのことでした。しばらくはその言葉を信じ、まじめに通院しました。しかしここでもいつまでたってもステロイドからはなれられる兆しがみられません。このころには顔とひじの関節にかゆみがあり、赤みや黒ずみがわかるようになっていました。半年ほどたったある日、私はしびれをきらせて先生に「いつになったらステロイドをやめられますか、あまり長期にわたって使うと副作用があるときいているので気になるのですが」と尋ねました。すると先生は怒り口調で「症状があるときにステロイドを使用することは長期とはいわない。副作用があるのは、健常な肌の人が化粧の下地のように何十年も使いつづけた場合だ。」といわれました。私は「じゃあ10年症状が続き、10年間薬を塗りつづけなければならなくても、長期とはみなさず薬を塗らせつづけるんだ」と感じ、不信感でその医者にもいかなくなりました。
このころには、もうどこの医者にいってもステロイドを出すのは目に見えているし、それにしたがっても治らないという絶望感があり、もうどこへもかからず、薬も一切塗りませんでした。するとみるみるうちに症状はひどくなってゆき、特に顔は少し掻くと汁がにじんだりしていました。それをみていた母は、納得のいく治療をしてくださる医者を必死でさがしてくれました。次にいった医者はステロイドを強制しないという方針のところだったので、シャンプーを変えてみたり、ダニのつきにくい布団に変えてみたりという身の回りのケアをしながら、亜鉛華軟膏やワセリンなどで症状をだましだまし、しのいでいました。かゆみはかなりありましたし、顔も赤黒くなっていましたが、ステロイドよりはましだと我慢して、1年半くらい治療をしました。しかし、大学を卒業し、いままで部分的だった症状が体全体に広がりました。さすがに先生もびっくりされ、ついにステロイドを出されてしまいました。
結局この先生にも決定的な切り札はステロイドしかないんだという不安を感じていたところ、インターネットで松本漢方クリニックというステロイドを使わない医者があることを知りました。手記にリバウンドがあると書いてあったので、不安はありつつも、ステロイドのような副作用がないということで治療をすることを決意しました。私の場合、汁が出るほどではありませんでしたが、顔は腫れ、手が2本では足りないと感じるほど体中がかゆくてかゆくてたまりませんでした。治療をはじめて三ヶ月目がピークで夜も寝れないし、朝には布団にめくれた皮と血がついていました。働いていても、睡眠不足でぼんやりするし、見た目を気がきになって、職場で会話もほとんどしませんでした。本当につらかったです。半年したぐらいから少しずつましになり始め、それからはよくなったり悪くなったりしながら、徐々にかゆみがましになってきました。それにつれて皮膚もよくなって、治療を始めて三年たったいまではもう生活に支障がのあるかゆみもなく、確実に快方へ向かっています。松本漢方クリニックにであえた私はラッキーでした。松本先生をはじめここまでささえてくれた周りの人すべてに感謝の気持ちでいっぱいです。松本先生に完治を宣言されるまで、もう少しがんばろうと思います。
「アトピー性皮膚炎から私が得たもの」25歳女性2004年6月28日
私が松本漢方クリニックの治療を受け始めたのは、平成12年の10月頃でした。あれから約3年半の月日が経ちました。25歳になった今、やっとペンを執る事ができました。
25年間、アトピーと付き合ってきて、多くの病院を転々としながら、痒みと戦ったのは約21年間。松本先生と出逢って、リバウンドで一時的に悪化しながらも、見違えるほど綺麗な肌になるまでにかかった期間は、約1年半でした。25年間のうち、たったの1年半です。
人生、いつ、何があるか、わからないものです。私は25歳になった今、この世に生まれて、アトピー性皮膚炎と向き合い、それを乗り越えて、本当に良かったと思っています。本来なら、どんな症状で、どういう風に治っていったかを書くものだと思うのですが、初めての仕事とアトピー性皮膚炎の治療とで、とにかくその日その日を生きるのが精一杯で、ほとんど記録を残していませんでした。何でも悲観的に否定的に物事を考えてしまう方だったので、そういう事ひとつ取っても、苦痛でたまらなかったのです。こうして手記を書いていると、改めて自分の甘さに気付かされます。でも25歳を迎えた今、私のアトピー性皮膚炎と共に戦ってくれた家族・友人・先生、私をとり巻く全ての人々に感謝しています。
21歳の9月、私に松本漢方クリニックを教えて下さった方、松本漢方クリニックに通われていたお姉さんとそのご家族、そしていつも暖かい目で見守って下さった職場の方々、私はいつも誰かに助けられ、支えられ、愛され、救われて生きてきた事を、心から感じています。私を含め、この世でアトピー性皮膚炎になった人には、必ずそこから学ぶことがあるという事を、覚えていてほしいと思います。『なんで私だけが・・・。』と思うこともあると思いますが、アトピー性皮膚炎が完治しようとしている今、私はアトピーになる運命だった事に感謝したいと思います。
私がアトピー性皮膚炎から得たものは、このページには書ききれないくらい沢山あります。今の私にとって、松本先生と出逢っていない人生なんて考えられません。それは、アトピー性皮膚炎と戦い、乗り越えた人なら、必ずわかる日が来ると思います。アトピーを与えられた私たちは、他の人にはわからない辛さや苦しみを味わった分、人一倍喜びも大きく、些細な事も涙が出るほど感動したり、感謝する事ができるのだと思います。人それぞれ感じ方(気持ち・心のあり方)というのは違うものです。私が今、本当に美しい世界を見ることができるのは、アトピーがあったからだと思います。今、このページを読んで下さった方がいるとすれば、私の手記を読んだ事も、全てめぐり逢い(出逢い)だと思います。きっと偶然ではありません。
私の21年間と、松本先生と出逢ってからの4年半のアトピーの様子を書き添えることはできませんでしたが、今の私に言える事はただひとつ、『この世に生まれてきて、本当に良かった』という事です。今生きていることを、心から幸せに思います。それは、アトピーが治って肌が綺麗に見えるからとか、痒みが無いからとかそういうことではなく、本当に人の優しさや思いやりや愛情を感じることができたからです。
今は心の中が曇っていて、辛くて、苦しくて、何もかも嫌になって、消えてなくなってしまいたいと思うこともあるかもしれませんが、先には、必ず、美しく晴れ渡った世界があると信じて、頑張って下さい。これが、今の私に言える全てです。この世はとっても美しいところですよ。
最後になりましたが、松本先生をはじめ、松本漢方クリニックのスタッフの方々に、心から感謝します。
手記・写真などを残せなかった事が本当に悔やまれますが、これから先(アトピーに限らず)、いろんな所で苦しんでいる人を助けてあげたいと思います。それが、これからの私にできることだと思っています。本当にありがとうございました。
「長いアトピー生活を振り返って」26歳男性2009年2月8日
私がアトピーと自覚したのは高校3年の冬でした。
ある日突然何の前触れもなく、肌がかさかさし猛烈な痒み襲われるようになりました。本当に耐えられない位の痒みでしたので、近所の皮膚科に行き透明の塗り薬をもらいました。
この薬を付けるとかさかさもなくなり痒みも治まりました。
しかしこれも最初の内だけでその内、塗っても塗ってもかゆみが治まらないようになり、おまけにニキビの様なものまで出来るようになりました。
この頃になると何をどうしても痒みが治まらない状態になっており何とかしたいと考え、知人の紹介で松本漢方クリニックを訪れました。
最初の診察の時に私が長年悩んでいたアトピーを酷くしている原因が何であったかやっと理解出来たのです。
私は小さい時から体調が悪くなるとよくじんましんが出来ておりました。
皮膚科に行くとスプレー式の薬を頂き、それをかけるとすぐ治っていましたのでそれ程気にしてはいませんでした。
しかし今考えるとこれもアトピーでしかも治ったのではなく、むりやり抑えてるという事でした。
漢方薬の治療を始めてから、今までに味わった事がない位の猛烈な痒みに苦しみましたが、1年程でかなりましな状態にまで回復しました。
今では花粉症の時期を除けば何の問題もなく日常生活をおくっております。
後どれくらい通うはわからないですが、完治するその日まで宜しくお願い致します。
「松本漢方クリニックに出会って」匿名希望20歳2009年9月30日
私は幼い頃アトピーと思った事はありませんでした。でも今考えると指と指の間に湿疹ができてじゅくじゅくになったり、蕁麻疹ができたこともありました。中学生のころは、人より少し肌が汚いかな、という程度でアトピーは出ていませんでした。しかし高校生になって化粧もするようになり、顔が赤くなってカサカサになってぷつぷつしたのができ始めて、皮膚科に通うようになりました。皮膚科でもらった薬を顔に塗っていました。ステロイドです。夜に縫って朝起きるとすごくきれいになって、塗った部分が白くなっていたので、すごい効き目だなと思う反面少し怖くなってのを覚えています。でも良くなるので塗っていました。高校を卒業までの3年間、毎日ではないものの湿疹ができるたびステロイドを塗っていました。これが私の間違いでした。
そのうちに顔だけだったのが首、腕、背中、足にまで傷ができるようになり、明らかに酷くなってきているとおもいました。薬を塗らないでいると、顔も腫れて酷い状態でした。鏡を見るのが嫌いでした。いろいろな皮膚科に行くようになり、ステロイドより副作用が少ないと言われるプロトピック軟膏を塗るようになりました。「アトピーは一生治らないから、うまく付き合っていくしかない」と言われ、とてもショックでした。プロトピックを塗りながらなんとか大学に通っていました。薬で抑えていたので、そんなに酷くはなかったけど辛かったです。それを1年弱続けて、このままではいけないと思い、インターネットで色々調べ、脱ステ・脱プロに興味をもつようになりました。(この時はステロイドは塗っていませんでしたが)このまま薬を塗っていても良くならないと思い、塗るのをやめました。すると、どんどん悪くなっていき、顔も首も2倍くらいに腫れて、リンパ節の腫れ、赤黒なり、滲出液もでるようになり、今までにないくらいに酷くなりました。人間の顔ではなかったです。私はどうしていいのか分からなくなり、途方にくれました。
そんな状態のわたしを見た姉が、インターネットで松本漢方クリニックを探し出してくれたのです。これが私にとって幸運でした。松本漢方クリニックのホームページを読んで、すごい事が書いてあると圧倒されました。
次の日さっそく松本漢方クリニックに向かいました。
2009年4年19日です。多くの患者さんがきていて、待っている間、手記を読ませてもらいました。本当に治るのかな・・・という気持ちでした。看護婦さんが私の酷い顔を見て「私もあなたと同じくらい酷かったのよ」と優しく励ましてくださり、治療の方法・漢方の煎じ方など丁寧に教えてくださいました。その方は膠原病だそうです。診察室に入り、」松本先生に、「絶対に治るから」と言われ握手をしてもらって、今まで病院でそんな事を言われた事がなかったので、とても嬉しかったです。
その日から漢方の治療をはじめました。煎じ茶・入浴剤・消毒液・紫雲膏・抗生物質の軟膏をもらいました。煎じ茶を飲みはじめ、さらに日に日に悪くなっていきました。全身に赤い斑点のような湿疹ができて、顔・首・腕・足・耳からも滲出液がでてきて、気持ち悪いし、痒くてたまりませんでした。掻いた後は痛いし、全身傷だらけでした。自分の醜い姿を見ると情けなくて精神的にかなり辛かったです。外に出れる状態ではなかったので、大学を1年休学することにしました。痒みが強くて夜寝れなかったし、体中の皮膚がバリバリに固まっていたので起き上がったり、手足を動かすのも苦痛でした。消毒をするのが、激痛でした。でもブドウ球菌を殺さなきゃいけないので泣きながらしていました。消毒するときには、化粧する時に使う大きな筆を使うとやりやすかったです。1週間後に38度の熱もでました。松本先生に電話をすると「感染症」と言われ、母が薬をもらいに行ってくれました。それを飲むと熱は下がりました。シャワーを浴びるのも痛かったけど、漢方の風呂は傷にしみにくく気持ちよかったです。浴槽の中で全身を掻きむしっていました。皮がボロボロと毎日めくれました。浴槽もベットも皮だらけでした。どんどん悪くなっていく状態に、もう死んでしまいたいな・・・と思っていました。でも「悪いものがでてるんだ、先生を信じよう」と自分を励ましながら、毎日欠かさず煎じ茶を飲み、お風呂に入りました。お風呂で見れるテレビを買い、毎日2時間~4時間入っていました。そんな状態が2ヶ月ほど続き、少しづつ良くなってきているのがわかりました。綺麗な皮膚が見れるようになっていき痒みもマシになりました。それから悪くなったり良くなったりを繰り返しながらツルツルしてきました。皮膚が硬い部分が治りが早かったような気がします。でも2ヶ月目はまだ顔が赤く、傷もしわも黒ずみも残っていました。3ヶ月たったころにはお風呂が2日に1回でよくなりました。
現在治療を初めて5ヶ月半ですが、見た目にはアトピーとわからないまで改善しています。松本漢方クリニックに出会い私の人生は変わったと思います。感謝の気持ちでいっぱいです。まだ完治はしていませんが、私の体が早くあらゆる物質に免疫寛容がおこるようにがんばります。
現在の気になる症状は、顔に小さなぷつぷつした湿疹ができることです。でも、化粧も普通にできるようになりました。松本先生に「もう来なくていいよ」と言われる日が、待ち遠しくて仕方ありません。その日まで宜しくお願いします。何かあればすぐに松本先生に相談しようと思っています。
今から治療をはじめる皆様、治療中の皆様へ
松本先生は最善の治療、適切なアドバイス、そしてアトピーを治してくれます。治療費は一部保険がきかないので少し高く、私の家庭はたいへんでした。リバウンドは、本当に辛
かったですが私でも乗り越えられたので、きっと乗り越えられると思います。Ige抗体が頂点に達し、下降しはじめると楽になるように思います。私のIge抗体は7500から4000に下がりました。まだ高いですが、さらに下がると信じています。今までアトピーということで、たくさん辛い経験をしてきたと思いますが、そこから解放される日がきます。諦めないで頑張って下さい。 松本先生、本当にありがとうございました。
「アトピー手記」匿名希望26歳2006年5月30日
わたしは、幼い頃から肌がよわくて、湿疹がでては、ステロイドでおさえていました。もちろん、塗るとすぐにおさまるので、そのときは、治ったと思っていたんです。でも、しばらくすると、又出て、薬をぬって…の繰り返しでした。わたしの場合は、手のひらがすごくかゆくなりますが、そのほかは綺麗だったので、たいしてきにせずに、ステロイドを常用していました。10年くらいした頃でしょうか、突然顔にではじめて、'悩むようになりました。そして、インターネットで色々調べていくうちに、松本漢方クリニックを見つけ、ステロイドが良くないという事がわかりました。そして、松本漢方クリニックで完治することができると知って、すぐに行きました。それから、1年くらいは、外に出られないくらい酷い状態になっていました。でも、それをぬけると、だんだん綺麗二なっていきました。今、治療を始めて、2年くらいです。まだ、調子の悪いときもたま'二ありますが、確実にIgE抗体は、少なくなっています。最近は、花粉の時期もあって、少し波がきてるのですが.初めの頃にくらべたら、全然ましです。これからも、完治を目指して頑張りたいと思います。先生、これからもよろしくおねがいします。
まず、はじめにアトピーは絶対に治ると信じてください。そして治るものなのです。
松本漢方クリニックにお世話になったきっかけは、私の祖母からの情報でした。兄妹が3人いますがその中でも、私が一番アトピーに悩まされていました。小学校のときから体全体にアトピーが広がっていました。しかし、20歳ぐらいには、一時治まりかけたのですが、また元に戻り苦しむ日々が続いていました。
今までは、近所にある皮膚科にずっとお世話になっており、炎症をしずめるために、ステロイドの軟膏を塗っていました。しかし、完治するわけではない。そんなことを、一生やらなければならないのかと落胆してしまいました。また、アトピーなど治るはずがないということも、私自身のなかで確立されていました。
大学の友人には、「漢方で治療した子がいるよ」とは聞いてはいたが、また違う医者にかかっても同じだと思っていました。しかし、一向に回復に向かわないので、松本漢方クリニックにいってみようと考えたのです。松本漢方クリニックではステロイド剤は一切使用しないと張り紙がありました。さらに、アトピーが完治した方の手記がたくさん綴られており、それを読みながら診察の順番を」待っていました。
恐る恐る診察室に入り、今までの治療方法を話しました。先生は最後に言いました。「必ず治してあげるから」と言い握手をしてくれました。その時の私は今までにないくらい期待をし、先生におせわになり、努力をしてみようという気持ちになりました。そこから、漢方との付き合いが始まりました。
煎じ茶である薬草のお茶は毎日飲むこと。2番茶も飲むと良い。薬草風呂には週3回以上に入る。なるべく長く入るとよい。お風呂に入る前は必ず消毒をしてから入浴(朝、夜)。お風呂に入れる薬草のしぼり汁を、風呂上りに必ず塗る。さらに、赤い軟膏を塗る。掻いてしまい傷になったところは、軟膏を塗る。このように、毎日欠かさず行う日々が始まりました。
母親も妹も協力をしてくれました。背中などは1人で塗ることができないので、塗ってもらい、お風呂の用意やお茶の用意は必ず母がしてくれました。治療して次の日からひどくなり、赤い湿疹が体に多くでてきました。先生からは、仕事が出来なくなるかもしれないとも言われていましたが、仕事は絶対に休むことはしませんでした。私は、煎じ薬のお茶が苦手で息を止めて一気に飲まなければ飲めない状態でした。今でも慣れません。家族に言わせるとまだ飲みやすいというのですが、私はどうもダメで・・・。
私は温泉好きだったので、いつも1時間以上入ることができました。お風呂から上がってきた後はきもちいいのですが、朝になるとどんどん痒みが出てくるという状態であり、仕事にいっても手につかないことも多々ありました。その度に先生に状況を話していました。先生はいつも「必ず治してあげるから」と励ましの言葉をもらえました。
この状態が三ヶ月続きました。三ヶ月以降は下半身に出る時や上半身に出る時など、部分的に湿疹が出始めました。
落ち着き始めたのは、治療を始めて八ヶ月後ぐらいのことでした。私は11月に初めて先生の病院に行ったので、丁度夏ぐらいから落ち着きはじめました。しかし、汗をかくと蕁麻疹みたいに、小さな湿疹が上半身に出ることはあります。しかし、日常生活には今まであった痒みはなく、とても過ごしやすい毎日を送れています。
まだ、花粉の数値は高いということ、ステロイド剤を使用していたために目の下が黒いことがあり、煎じ茶と薬草風呂には入っています。また私は、この煎じ茶を飲み始めてから体の調子がすごくいいことを実感しています。肩こりがなくなったこと、体の疲れダルさが解消されています。
最後になりましたが、先生には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
「アトピー・ニキビの治療」匿名希望29歳2005年5月12日
松本漢方クリニックに通い始めて8ヶ月が経過しました。私は、ここに通い始めるまで、ステロイドを使った期間が数ヶ月程度でしたので、他の皆さんに比べたら、症状も軽いかもしれません。その短い期間の使用でも、あの薬の恐ろしさを、私自身で感じることができました。
数年前まで、肌は人よりも丈夫だと思っていました。それが2年ほど前に、突然に顔の皮膚がカサカサになったってきたので、自己判断で保湿クリームなどを塗っていました。けど、さらに顔のカサカサし、白い粉が吹き出てきたので、怖くなって、近所の皮膚科にいきました。
そのとき、病院で良く効く薬(ステロイド)処方してもらい、渡された薬を素直に1週間ほど塗ったら、治ったので、普通の生活に戻りました。
あれから何もなかったのですが、約1年後、また急に顔の皮膚がカサカサしてきました。前回通り、自己判断で保湿クリーム(非ステロイド剤)を塗っていましたが、その時は、前回の時よりも症状が悪くて、外を歩くだけで、冷や汗が出て、顔がヒリヒリし、顔には水分が無い状態でした。怖くなり、何かにすがるように、近所の皮膚科に行きました。
そこで、また処方されたのが、1年前にもらった良く効く薬でした。なぜかこの時、薬のことに無知な私が、薬に疑問を持ち、インターネットで、その薬について調べてみることにしました。だんだん薬の効能や副作用を知っていくうちに、『使いたくない!』と思うようになりました。肌の調子の良いときは、自分の保湿クリーム、悪いときは、病院でもらった良く効く薬(ステロイド)を塗っていました。
でも、そうこうしているうちに、症状はどんどん悪化していき、顔がだんだん膨らんで、頬は赤くなり、少しでも歩くと、冷や汗が出て、ヒリヒリしていました。【・・・私どうなるのだろう?悪い病気??】と不安を抱え、再度近所の皮膚科に行きました。そうすると、先生が、「私の顔の状態をみて、血液検査をしないとわからないですが、可能性として、最悪の場合、君の顔は出ている症状は、膠原病の顔面蝶形紅斑の症状かもしれない。」と言われました。「とりあえず血液検査の結果がでるまで、飲み薬と、塗り薬を塗ってください」といわれました。
早速、家に帰って、病名と薬をネットで調べてみると・・・最悪でした。【この先どうなるのだろう・・・】もう、怖くて、怖くて、会社の先輩に相談してみることにしました。そうすると、先輩の従姉妹が松本漢方クリニックに行っていて、「かなり症状がひどいアトピーであったが、もう解らないくらいキレイな肌になったよ。」と聞いて、救われた気持ちになりました。
病院に行く前、松本漢方クリニックのホームページや先輩の話を聞いていたので、覚悟していたのですが、待合室で待っていると、患者さんに注意している松本先生の声が響いてきて、ビックリしました。また、お会いすると、今までに出会ったことない個性的な先生でした。
でも、松本先生のステロイドに対する怒りが、すごく伝わってきました。『膠原病なんかと違うわ!俺がきれいに治したる。なおらんかったら、金返す!』とまでいって、握手してくれたのが、うれしかったです。
治療が始まって、1ヶ月は、皆さんが他の手記にも書いてあるように、本当につらかったです。場所が顔だけに、せんじ薬と、赤い塗り薬をぬった次の日からは、顔の皮膚が剥がれまくり、【どこまで剥がれるのだろう・・・もう普通の顔に戻れないのでは??】と不安もありましたが、松本先生に言われた言葉や、皆さんの手記の言葉を信じ、がんばろうと決めました。
ヒリヒリも顔の腫れも2週間ほどで消え、1ヶ月もしたら、キレイな皮膚が出てきました。このとき、本当にうれしかったです。
その後、治療を続けていくと、今までほとんどニキビが出来たことは無かったのですが、顔に大きなニキビが出ては消えの繰り返しでした。ニキビに手が触れると痛いのですが、悪いものが体から出てくるような気がして、とことん付き合おうとおもってきました。
そのニキビも今年3月頃には出なくなりました。せんじ薬も、ニキビは終了のようです。これから肌のほうに変わるようです。
最近、家族・親戚・友達に、「肌がきれいだ」といわれます。以前の私よりも、ずっと肌がきれいみたいで、『うらやましい。』と言われます。
まだ、治療当初よりも、IgEは高くなっています。これからも治療が続くとおもいますが、松本先生、宜しくお願いいたします。