僕が高校生の時の話です。スポーツや運動した時汗をよくかいて、汗疹みたいなのがたまにできたりしていた。よくかゆくなるので、近所の皮膚科に行って塗り薬をもらっていてそれをよく顔や手に塗っていた。
塗った後は結構綺麗に治っていた。それでまたかゆくなったりしたら塗ってを繰り返していた。
何ヶ月もその状態が続いて、塗っても治りがよくならなくなっていった。 それでうちの母親がその病院に行ってなんの薬を使ってるんか聞いてきた。その薬がステロイドという名前でした。ステロイド??って何?って感じやった。
ステロイドの事調べてみると、ちょっと使うくらいやったら問題ないらしいけど、使いすぎるとよくないってことだけわかった。てか、そういうことがあるんやったらそうやと説明くらいしてくれたらいいやんって思った。
その主治医から聞いたんは薬の使い方、塗り方くらいやった。高校生やから別にええかって感じやったんかな?正直腹たった。
それでステロイドを使うのをやめた。
やめたころから毎日かゆくて、顔や手あたりが酷い状態やった。そんな状態が続いて、母親が高槻駅近くの松本漢方クリニックを見つけてきた。
噂では漢方を使って、そういうアトピーなどを治すというものやった。ステロイドで副作用はこりごりやったから、副作用のない漢方にかけてみようて思った。
煎じ薬と赤い塗り薬、消毒液、風呂の煎じ薬を使って治すらしい。言われるままやっていった。
最初は今まで使ってた分のステロイドの悪い部分?を出し切るために、酷く顔や手が荒れた。先生の話によると、ちゃんと治ろうとする力が働いて、そういう状態になってるんやって理解した。
治しはじめのころは酷くて鏡とかみたくなかったけど、日が経つにつれて、だんだんよくなっていくのがわかった。
4、5ヶ月したら荒れてたんがほとんどわからんくらいになった。いろいろ薬の事や治る理論とか難しいことはわからへんけど、この松本漢方クリニックに来て先生のいうこと聞いてそれの通りにしてたら治ったからよかったです。
ありがとうございました。
アレルギーの根本治療
まずはじめに自分の体を本来あるべき姿に導いて頂いた松本先生、そして看護師の方々にお礼を申し上げます。以下では治療前後の経過を中心に考察を交えて書き連ねていきたいと思います。
始まりは8、9歳のころ、冬~春に鼻詰まり・鼻水を発症して近くの耳鼻科にかかり、アレルギー性鼻炎、蓄膿症、中・外耳炎、副鼻腔炎などと順番に診断され、ザジテン、フルナーゼ等を処方されました。季節的(一時的)なものだったのでそれほどひどくなく、処方された薬を用い、表面的にはおさまっていました。
13、14歳のころ、体に1点2点と冬~春にのみ決まった場所に湿疹ができ始めました。別の病院の皮膚科にかかり、アレルギー性皮膚炎と診断されました。飲み薬としてアレロック、アレグラ、保湿薬、副腎皮質ホルモンなどを処方されました。この時も時期が去ってしまえば何ともなかったので特に気にも留めずに処方された薬を用いて、表面的にはおさまっていました。
16、17~20歳のころには季節的な湿疹がひどくなり、ニキビ、口内炎も慢性的にでき始めました。風邪にもかかりやすくなっており、風邪なのかアレルギーによるものなのか分からない発熱、痛み、体のだるさが連日続きました。
そして8、9歳から20歳に至るまで2月、3月に限定して発症していたため、季節的な周囲の「環境」(温度差、湿度)が関係しているのではないか?、
突き詰めて述べるとすれば自分の体が季節的な周囲の「環境」にうまく「適応」できていないために体がその「環境」を敏感に感じ取って「拒否」することで周囲の「環境」と調和をとるために「発症」という形で体の表面に現れているにすぎないのではないか?と考え始め、どちらにしろ今の治療法のままでは根本的な解決にはならないと自分の考えが固まりました。
インターネット、本で調べていくうちに自分の考え、キーワードと通じる部分がある本医院を春休みを利用して訪問させて頂きました。
最初の診療である2010年3月に松本先生は頻繁に「免疫」という言葉を用いて「理論」に重点を置いて説明されていたのがとても印象的でした。
なぜなら今まで自分を診断して頂いた臨床医の方々は「病名」と処方である「薬」に固執していて物事を根本・本質からとらえようとするむしろ患者の傍に立つ臨床医だからこそ備えていなければならない「理論」としての「思考・考察」の部分が欠如しているように思えたからです。それは多分「理論」を追求すること(根本療法)では自分達に利は少なく、処方である薬に重点を置く(対症療法)方が利益があるからでしょう。いわば(金銭的、時間的等)自分に利益のあることは進んでやるけれども損になるようなことは相手のためになるようなことがあってもやらないという資本主義に毒された医療界の負の側面なのでしょう。金欲という名の一時の欲望に溺れ、人間それも医療人としての良心においてこれ以上悲しいことはありません。
2010年3月の初めから漢方風呂、煎じ薬、粉薬、塗り薬を続け、からだのだるさ、かゆみ、痛み、発熱、出血等、筆舌に尽くしがたいリバウンドを経て1カ月ほどで湿疹は大部分がおさまり、2,3カ月で鼻の閉塞感も緩和され、一年経った現在同じ季節でも一時のひどかった時に比べて大分良好です。
現在も治療中の身ですが「完治(に近い状態)」という最終的な目標に向けて頑張りたいと思います。
この手記をお読みになっている方にも現在治療中の方、治療に挑戦しようとなさっている方、松本先生の治療法に疑問・不信感を抱いている方等いることでしょう。今度は大丈夫です。きちんとこの松本先生が、この医院が、様々な面で誤った日本の現代医療から「真実」という正しい1点に導いてくれます。
その後治るのか治らないのかは自分の決意・意志次第です。
最後にいつの日か患者の方々がリバウンドを含めた治療中の数々の苦難を乗り越え、周囲の環境に適応しうる本来あるべき体を取り戻されること、
および少しでも手記を書いて頂ける方が増え、これらの手記が未来に向けての日本の医療そしてそれに関連する政治、経済、教育等が正しい方向に導く一助となることを心から願っております。ここまで長文をご精読頂きありがとうございました。
手記を書け、と先生は言うがどう書いたらいいのか・・・・待合室にある手記はよく読むけれど、自分の事となると、どう表現したらいいのか?どこから話せばいいのかよく分からないけど、先生は書かないとあきらめてくれないので書く!
そもそも、私がこの医院に通い始めたころは手記を書くなんて聞いていなかった・・・私がこの医院に通い始めたのは、中学三年生の春くらい。計算すると今から約十二年前。長し・・・・ホントに長い!しかも未だに治っていないのだからほんとに私のアレルギー君は、しぶとい!その十二年前の松本漢方クリニックは鍼灸治療も、漢方の入浴剤もなく、受付の台も違うし、いすの位置も本棚の位置も違ったし手記なんて無かった。でも、先生はあの頃と変わらない。いや、あの頃よりもパワーアップしているかも?先生があの頃と変わったことをあげるとすれば、握手をするようになったことかな。(笑)ある時から先生は診察している時に握手をするようになった。びっくりしたが、先生は患者さんに安心感と信頼を与えるためにしているのだとすぐに分かった。なぜなら、この治療はまず、信じる事から始まるからだ。
正直、通い始めた頃の私は先生の言っている治療方針の半分も理解していなかった。それでも治療を受け入れ、耐えることができたのは漢方が本当にいいものだと思っていたからだ。実は私は小学校の時に、ある病院で漢方治療を受けた事があった。その時は、塗り薬を使うことが無くなったくらい本当に良くなった。後からわかった事だが、乳幼児の頃からアトピーだった子は小学校の中学年になると良くなる事が多いらしい。ちょうどその時期と重なったから良くなったのかもしれない。しかも、その病院では塗り薬に関してはステロイドを使っていた。後で松本先生に聞いたことだが、漢方とステロイドを同時に使うと漢方のおかげでステロイドの吸収が良くなるらしい。それで、リバウンドも無く、良くなったのだと思、どっちにしても完治はしていなかった。
中学生に入ると、また症状が出始めた。再びその漢方治療の病院に行くと思いきや、その病院はとても遠いために、私の両親は小さい時に通っていた高槻にある皮膚科に私を行かせた。そこは、飲み薬はあまり出さないものの、塗り薬はバリバリのステロイドを出していた。両親も私もステロイドはあんまり良くないとは分かっていたが、結局、遠くの病院に行っても、塗り薬はステロイドなんだし、またすぐに治ると思っていた。ステロイドの本当の怖さを理解していなかった。やはり、ステロイドだけあって一時的にはすごく良くなった。だが、また症状は出てくる。そしてその間隔がどんどん狭くなり、ひどさも増してくる。そして、少しきつめのステロイドを処方された時に、やっと私は怖くなり、漢方の病院にもう一度、通いたいと母に言った。一度、塗り薬も使わなくていいくらい良くなったから、そこに行けば大丈夫だと思ったから。しかし、やはり遠いという事であまり賛成はしてくれなかった。そこで、とにかく漢方ならどれも同じだと思っていた私は、いつもの高槻の皮膚科に行く途中に漢方って書いてある医院があるからそこはどう?と言った。すると知り合いに、確かそこに通っている人が居ると母が言って、その人にまず、聞いてみることになった。その人はアレルギーの症状で行ったのではないが、良くなったし、他にも色々と効くみたいだからアトピーもいいんじゃない?との事で、そこに通うことになった。
始めて松本漢方クリニックに行ったときは土曜日の午後だった。そう、士曜の午後は休診・・・・意を決して行ったのに・・・(笑)仕方なく、その日は買い物だけして帰った。後日、平日の午前に受診して学校は遅刻していった。まず、松本漢方クリニックに入った時にその匂いに驚いた。そして、今は無いが、本棚の上などに朝鮮人参や何かの木の根っこのようなものがホルマリン漬けなのか酒に漬けてあるのか知らないが、そんな瓶がたくさん並べられていて、めずらしくて面白かった。そんな観察をしているうちに名前を呼ばれて診察室に入った。とにかく、先生の勢いには驚いた。まず、「必ず治したる!!」そしてステロイドを処方している先生を馬鹿呼ばわりするわ、今まで私にしてきたことはすべて間違っていると母に言うわで本当に驚いた。でも、何よりも驚いたのは、掻きたいなら掻け!治してあげる!必ず完治させてあげる!と言われた事だった。今まで言われた事が無かったし、自分自身も将来、神がこの地球を楽園にかえてくださるまでは、この病気と付き合わなくてはいけないと思っていた。それが、はっきりと「完治しなかったら訴えてもいい。」ときた。そして、完治するまでの理論と過程の話が始まった。よく分からなかったけど、なんとなく先生が言っている事は納得できた。要するに、自分の持っている治す力を呼び起こすのだ、と子供ながらに理解した。そしてそれを納得したのは、私が幼い時から勉強していて、信じている聖書と考えが一致する所があると思ったから。聖書の詩編139編14節には「人間はくすしく造くられている。」と書いてある。つまり、人間はとてもすばらしく精巧に造られている、だから限界はあるものの病気を自分で治す力も備わっていると思っていたので、先生の言っている事は正しい、治療を受けようと思えた。
そこからの私の生活は精神的にも身体的にも大変だった。ついでに経済的にも。(笑)その時は本当に家族の理解や神に祈る事が支えとなった。どんな様子だったかは、他の方の手記を読んでいただいたらよく分かると思います。でも私は本当に辛かった、お涙ちょうだいなんて事はちょっと書きたくない。思いだしたくないと言うか、実は本当にひどかった時の事がずいぶん昔のような気がして詳細には覚えていない。でも、今の時点で私はアトピーのせいで人生の五年は損をしたというか、無駄にしたと思っている。その言葉でその壮絶さを察して頂きたい。しかも未だに治っていない・・・。本当に忍耐力の培われる治療だ。家族にも、とくに母親には痒い時やら、辛かった時とか色々とあたってしまった。悪いことをしたと思っている。ごめんね。でも、それを受け止めてくれた事が多かったので本当に支えになった、ありがとね。この手記を読んでおられる患者さんのご家族の方はできる限り、理解をしてあげて欲しいと思います。自分でも怖くなるくらい自分の感情が抑えられなかったり、気が変になってしまったりする時があるんです。痒いのは痛いよりも辛い、と言われるくらい本当にイライラするし、掻きむしった後は痛いし、もうボロボロ。集中力もないし、夜も寝むれないので、おかしくなるのは当たりまえなんです。だから、理不尽なことを言ったりする事もあると思いますが、できるだけ、受け止めてあげてほしいと私は思います。
ところで、私は仕事で医療事務をしている。そして、数年前まで地元の皮膚科に勤務していた。そこではステロイドを処方している。その事ではえらく先生には嫌味を言われた・・(笑)数年間、そこに来ている患者さんを見ていると、やっぱりステロイドでは治らないと実感した。本当にどんどんひどくなる人もいた。でも、私は松本先生のようにステロイドを処方する先生を馬鹿にしたりはしたくない。西洋医学を勉強した人にとっては、ステロイドを処方する事が普通でそうするしかないと確信しているし、何も悪気があってしているのではないと思う。もちろん、ステロイドを処方するのであれば、副作用の危険性とかを患者に伝える義務は医者にあると思うが。結局、どの病院に通うか、どの治療を受けるかは患者が決めなくてはいけないのだと思う。私がこの手記で伝えたいのは、自分や自分の家族が病気になった時には、とにかく調べる必要がある、という事。調べる方法は今では色々とある。本を読むなり、人に聞くなり、インターネットを調べるなど出来るし、お金や時間や体力がかかるけれども色々な病院で受診すればいいと思う。そして自分が納得のいく治療をしている病院に通えばいいと思う。だから、私はあえて自分がここまでステロイドのせいで悪くなったのを、通っていた病院や先生のせいにはしたくない。無知だった自分達のせいと思っている。
私はまだ完治はしていないが、完治する日はそう遠くないと思っている。最近はすごくひどくなる事はほとんど無く、痒みも全然ラクで体もしんどくない。自分が本当はこんなにも体力があったのか!と思うくらい毎日、動けるようになった。見た目も、すぐにはアトピーとは分からないと言われたりしている。本当に嬉しい!私は将来、病気や死がなくなる日がくる事に希望を置いているが、その日が来るまでは松本漢方クリニックにお世話になるつもりでいる。例え、アトピーが治ったとしても市販の風邪薬や他の病院で出される薬よりも漢方が私は好きなので、その都度、松本漢方クリニックに行こうと思っている。よろしくお願いします。
こんにちは。
私が松本先生にお世話になってもう2年半です。
この私の手記が少しでも、アトピーで悩んでいる皆さんの参考になればと思います!
私はもう覚えていないのですが母に聞く所によると、私は3歳位の時にアトピーでした。首の前一面とあごの所が赤く腫れて、じゅくじゅくして、かいてかいて知が出て大変だったそうです。きっかけはチクチクしたセーターを着て、次の日から赤く腫れていたとの事です。
そして何日たっても治らないので医者に診てもらうと、血液検査をしてもアレルゲンが特定できず原因不明と言われたそうです。何十種類ものパッチテストをしたそうですが、何も反応はなかったそうです。そして、その時は医者からステロイド薬をもらったそうですが、当時母はステロイド薬の怖さを本で読んだ事があったそうで、その薬を使わず玄米菜食で私を育ててくれました。そして1年半程過ぎて首とあごの腫れが引きかかなくなり、普通の皮膚になったそうです。
それからというもの何もアトピーと思われるような皮膚病には悩まされませんでした。そして正常な皮膚に戻り、月日は15年経ちます。この15年はアトピーに悩まされず、楽しく過ぎていきました。
しかし唇はガサガサに荒れるので、医者からもらった薬(ステロイド薬)を荒れると塗り、母から使うなと言われていたにもかかわらず、にきびができるとほんの少し塗ったりして過していました。
2003年4月大学受験を無事終えて喜んでいたのも束の間、顔のほっぺたに赤い湿疹ができて、みるみるうちに広がって紫色に似た色になってきました。
最初はにきびかと思いましたが、首の後ろ一面にも広がりました。驚きました。明らかに異常です。とてもかゆくてかゆくて、がまんできませんでした。
顔も首も赤くなり、母も父も心配し、がまんできなくなったので治る薬を求めて病院に行きました。
アレルゲンが“スギヒノキ”と“オオアワガエリ”というイネ科のアトピーでした。そこで渡されたのがステロイド薬でした。
少しずつ塗ると何も害はないよと言われました。塗ると次の日には何かしら、マシになったときもありましたが、つけてもつけても治らない日々が続きました。
治るどころか、悪化してしまいました。
母も「もう薬を塗るのやめなさい!」と言うので止めました。
丸々3ヶ月、毎日治るよう願いを込めて塗っていました。その時私は、薬が効かないと分かって一生アトピーを背負わなければならないんだと思い、かなり落ち込みました。
そして何気なくインターネットで皮膚科を開くと、松本漢方クリニックが載っていました。これが私と松本漢方クリニックとの出会いです。
インターネットの内容をざっと読み、ステロイドを使わずに治す事が出来ます!と書いてあり、手記も読ませて頂き、皆さん頑張っているんだ、そして治す事ができるかもしれないと思いました。
私はこの時偶然だけど、松本漢方クリニックを見つける事が出来て本当にラッキーだったと思っています。 当時パソコンを滅多に使わなかった私が、その時はなぜかパソコンに頼りました。そして、藁をも掴む気持ちで松本漢方クリニックに行きました。
最初妹が「インターネットを信用してもいいのか?」などと言ってましたが、そんなのはおかまいなしでした。2003年7月末でした。
最初、松本先生に会った時、「絶対治してあげるから、僕を信じなさい」と言われました。
そう断言して下さった松本先生にとても驚きましたが、本当に救われました。不思議な人だなと思いました。何と言えばいいのかわかりませんが、一目で信用できて、この人なら治してくれると思いました。
そして初めて貰ったお薬は、初めて経験する味で、最初はうわーっと思いましたが、だんだんとなれました。その日初めて入った薬湯は、かゆければかいてもいいと初めて言われたので、思いきりかきながら入ったのを覚えています。
それからは、飲み薬と薬湯とかゆみとの毎日でした。
私はアレルギー値は他の人より大分低いのですが、アトピーが人目につく顔と首に出たので、とても悲しく辛かったです。やはり私も20歳の女子なので、人目を大分気にしました。
ひどい時はかゆくてかゆくて眠れない時もあり、大学に行くもの電車に乗るのもつらく、何日も休んだ事もありました(両親に心配をかけました)。
2003年9月になると古い皮膚がはがれ、すごい早さで皮膚の再生がされているのか、ポロポロと皮膚がはがれ、顔と首の赤みが大分マシになりました。
治ったのかな!?と思いましたが、そんなに甘い事はありませんでした。
10月に血液検査をした所、“オオアワガエリ”のアレルギー値は基本値になっていました。
2003年12月
顔と首も痒さはありましたが、膝の裏に赤い湿疹ができて、痒い毎日でした。しかし、正月が明けて2004年の3月くらいになるにつれて、だんだんと引いていき、正常な肌に戻りました。それ以来この部分にアトピーは出ていません。きれいな皮膚です。
2004年2月頃
私はアレルゲンがスギなのですが、この年は花粉が少なかったらしく、思っていたよりもひどくなりませんでした。
2004年4~5月頃
顔も首も大分赤みが治まり、痒みも少なくなりはじめました。
2004年7~8月頃
背中の途中までかいていた首の後ろのひどいかき傷がほとんど治り、みるみるうちに何もないきれいな肌になっていきました。これ以来首にアトピーはでていません。6月の血液検査ではヒノキのアレルギー値が基本値になっていました。
2004年9月頃~2005年1月頃
首は何もなくなりきれいになりましたが、今度は手の指に水泡みたいなのが無数にできて、とてもかゆい状態になりました。特に右手の薬指と小指がかゆかったです。
2005年2月~3月頃
3月になると右手の薬指と小指がパンパンにはれあがり、皮膚がきれて熱をもち、かなり痛みました。他の指もカサカサになり、左手の指もきれました。赤い血がにじみ、カバンを持つと苦しかったです。
この時は顔もうっすらとほっぺたのところに赤みがひろがりました。
2005年5月
今は指もおさまり、所々カサカサしていますがかゆみも治まり、カバンも持てるし首も何も無いから首周りのあいた服も着れます。
顔も少し、目の上やほっぺたに赤みがでる事もありますが、3日位で何も無い時もあります。きれいな皮膚です。そんな時は化粧をしたりして楽しんでいます。はっきり言って、本当に嬉しいです。
精神的にも肉体的にも苦しい時もありますが、そんな時は松本漢方クリニックに行って診察してもらって、「大丈夫!治したる!」と言ってくれる松本先生に会いに行くのが一番の喜びでした。
漢方にはお金がかかるので、どんなに行きたくなくてもバイトには行きました(週2回ですが)。辞めたいと思った事は何回もありますが、今まで続けてきてよかったなーと思います。親にもお金の負担をかけずにすんだし、もうアトピーの事を一番に考えなくてもいい状態になったみたいなので、貯めたお金で旅行の費用にもあてれます。
両親は毎朝、飲み薬をたいてくれました。つらい時も話を聞いてくれたし、妹も喧嘩をしてもアトピーがひどい時は優しくはげましてくれました。いつか治るよと、何回も言ってくれました。
本当に、1年前ズルズルだった皮膚がこれ程までに治るなんて、とてもうれしいです。これも松本先生のお陰です。ここまで治して頂いて有難うございました。完治するまでがんばります!これからもよろしくお願いします!
生後一ヶ月よりアトピー性皮膚炎になり、九ヶ月で食物アレルギーとわかる。除去食を続けてきたが大人になっても卵だけは食べられなかった。
食べられないものと思い込んでいた。アトピーの塗り薬も成長するに従い使用することも増していった。途中に喘息の症状も現れたため吸入の薬や予防薬が必要となり長く通院することになった。小学生の高学年のころにアトピーの塗り薬を辞めることにより症状が少しずつ改善していった。この時もリバウンドといったものはなかった。長年卵アレルギーだけは諦めていたが、松本漢方クリニックの話を聞き通院することになった。そして薬を飲み、先生の指示通りに卵を食べ続けるようになった。一度だけ軽い反応が出たがすぐに大事には至らなかった。また副作用としては軽いヘルペスが起きたぐらいである。そして半年ほどたったころには生卵も食べることができるようになった。現在もリバウンドといったことは起きずに安定した状態である。もっと早く知っていたらよかったと思っています。
「アトピーと喘息手記」21歳男性2007年3月4日
幼いころから喘息で、笑いすぎたり泣きすぎたりするとよく喘息が出ていました。喘息が治まると今度はアトピーが出たりしていました。幼いころに飲んでいた薬は覚えていません。が、恐らくステロイドだと思います。喘息になると病院で吸入してもらいました。小学校になると喘息もアトピーも酷くなり治まったりもしていましたが、プールの授業のとき、治まっていた身体でも普通の人の肌と少し違うなー。なんとなくザラザラしている感じがあるなーと感じていました。そのとき使っていた薬は、喘息のときはテオドール、メジコン、アトピーのときは、アルメタ軟膏、アゼプチン、アレロック、酷いときようにネリゾナ軟膏を使用していました。市販の薬も使っていました。酷くなくても全身にクリームのように使っていました。テオドールを飲んできた量なら自信はあります。
小学校六年になると、臨海学習で、海にいき泳ぐ予定でしたが、喘息が酷くて泳げませんでした。実は、泳ぎは得意でクラスでも1、2位を争うくらい速かったので、悔しかった。
テオドールを飲んでも効かなかった。次の日、ある先生が、「これをするといいよ」と、試してみると、徐々に治まった。使用したのは、はっきり覚えていないが急に落ち着きました。ただ、かなり心臓がドキドキしました。先生も喘息だったのでもってきていたらしい。中学に入るとしばらく、でなくなりました。が、ときどき吸入は使用していました。気管支を広げる薬をもらいました。時間にして一分弱ですが、息ができない時がありました。アトピーは多少ありました。多少でしたが、クリームのようにステロイドを塗っていました。
中学三年になるとリンデロンを使用しだしました。高校生のころは、アトピーだけありました。このころ、皮膚科に行ったりして薬をもらいました。薬の名前はプロトピックです。その先生は、「ステロイドは副作用があるので新薬を使いましょう」といいました。実は、ステロイドが悪いというのは聞いていましたが、自分が使っている薬がステロイドだとは気付かなかったので、びっくりしました。ステロイドと表記していなく、副腎皮質ホルモン剤と表記していたのでわかりませんでした。ただ、しばらくして、新聞にプロトピックで幼児が死亡というのがでて怖くなり皮膚科へ行かなくなりました。新聞で書かれていたのは幼児にはプロトピック使用不可。幼児はまだ免疫が低いから。このとき「じゃあなんで大人はいいねん」と思いました。そのときから不信感を抱きました。高校卒業して受験で浪人するとストレスも手伝ってか、爆発的に痒くなりました。勉強も痒くて集中できませんでした。リンデロンや抗アレルギー、抗免疫抑制剤ではもう抑えきれなくなってきました。その次の年の五月についにリバウンドが激しくなり額からリンパ液が出始めました。これはただ事じゃないなーと思いインターネットで調べているとステロイドの副作用だと知りました。ただ、最初見たのは松本漢方クリニックではなく、他のサイトでした。
実は、松本漢方クリニックにくる前に、一度自力でリバウンドを行いました。リンパ液は一度おさまりましたが、相変わらず全身が痒かった。これでは駄目だと思い探していると二ヶ月後に母が松本漢方クリニックをインターネットで見つけました。見つけ読んだとき意外と素直に信じられました。それまでの医者は気管支に出たら喘息で皮膚に出たらアトピーになる。と言っていましたが、なぜそうなるのかまでは教えてくれませんでした。IgE抗体とかも初めて知りました。これはアトピーというよりステロイドの副作用だと。後、いままでやってきたことと正反対と言ってもいいようなことだったから信じられたのかも知れません。いままでは、医者から掻いてはいけないと言われてきました。アトピーが酷い時に通っていた病院にいくと、そこの先生は「掻いてない?」と聞いてきます。僕が眠っている時に掻いています。と、言うとしばらく沈黙します。最後には、保湿を良くしなさいで診察終わりです。松本先生の理論がとてもわかりやすかった。だいたい保湿を良くして何の意味があるのかよくわからない。そして松本漢方クリニックに行きました。最初先生を見たときイメージ通りの感じの方でした。
次に行った時、血液検査の結果IgE抗体1180、リンパ球10.6でした。
先生から「リンパ球がこの歳でこれは低い」と言われたのが印象に残っています。しばらく煎じ薬飲んで、漢方風呂に入っていましたが四ヶ月ぐらいはあまり変化がありません。強いていえば身体が真っ赤で痒く、体が寒いというくらいでした。煎じ薬は思っていたよりおいしかった。四ヶ月が過ぎて血液検査をするとIgE抗体1412、リンパ球15.7と多少上がりましたがあまり変わりません。十二月、先生が「スピードアップできんこともないけど」と言ったので薬をかえました。すると、すぐに症状が現れました。薬をかえて十日後、まず第一にヘルペスになりました。ヘルペスの場所は口の中でした。右首のリンパが腫れ痛くて頭に響いて食べ物が食べられず流動食しか食べられませんでした。熱もでました。この時、リンパ球8.5。奇しくもこの日は、二十歳の誕生日でした。忘れられない誕生日になりました。一週間してよくなりました。しばらく落ちついたと思ったら、だんだん今度は皮膚に症状が出始めました。
どんどん皮膚の剥ける量が激しくなってきました。皮膚がだんだん赤黒く象肌のように体全体へとやがて広がり始めました。お腹には彫刻刀で彫ったような線がありました。
次の年の一月頃になると軽く掻いただけでいとも簡単に剥けました。毎日布団には黒い皮膚が大量に落ちました。よく掻きすぎて爪が割れました。頭と額、手や肩と足からリンパ液と汗が大量に出ていました。何回剥いたらいいのだというくらい剥きました。しだいに皮膚が紫色に変色してきました。皮膚が包帯にくっついて包帯を剥がすと液体と血だらけでした。体はいつも鳥肌が立ち寒く、震えて剥きすぎると剥いた部分は熱く痛いし、体の芯は寒いという奇妙な感覚でした。当然、消毒は染みて痛い。毎日二リットル水を飲んでいました。一番辛かったのはお風呂に出るときでした。先生からは、二時間お風呂に入りなさいと言われましたが二時間以上入っていました。お風呂に出るのが怖かった。お風呂に浸かっている時だけが落ち着きました。出ると最初の三十分くらいは痛みで泣いて、しばらくすると強烈な痒みが一時間以上襲ってきます。四月からは寝たきりみたいな状態になりました。手足が動かずトイレにいくのもやっとでした。漢方は利尿作用がありトイレには何回も行きました。さすがに辛かった。夜も眠れず睡眠薬をもらいましたが、寝むれない日も多々ありました。体重は54キロから46キロにまで減っていました。五月の血液検査、
IgE抗体4825とやはりあがっていました。栄養不良でタンパク質を多く摂りなさいといわれプロテインとアミノバクトを勧められました。かなりしんどさが楽になりました。六月になると寝たきりは解消され、このころ少し喘息になりましたが漢方の薬ですぐ治りました。こんなに簡単に治るのだと思いました。最近テレビで見たのは、東京では喘息患者が裁判をしているようですが、この松本漢方クリニックにくれば簡単に治るのになと思いました。七月半ば頃になると急におちつきました。リンパ液も止まり、痒みもずいぶん楽になりました。皮膚も綺麗になっていきました。血液検査をするとIgE抗体6400。まだ上がっていましたが体はあまり痒くありません。まだこの年の夏は冷房を使う必要がなかったです。十月の検査はIgE抗体3291、リンパ球22.9でまだIgE数値は高いですが初診時とは比べものにならないくらい状態は最高にいいです。リンパ球は正常になりました。傷も炎症も無くなりました。「もう何をしても大丈夫です。」と言われました。その次の年の一月は、IgE抗体1876になりました。毎日大量の包帯を洗ってくれたり掃除してくれたり、精神的な面でも支えてくれた親や先輩や友達に感謝しています。家族の協力と理解が必ず必要です。あと漢方がすべて保険が利けばいいなーと思いました。お金がかかるのでこの医院を勧めたくても勧めにくい。ピークの時はたくさんの方が書かれた手記をできるだけ読むようにしました。素直に信じられた僕でさえピーク時のときは多少半信半疑になりました。この松本漢方クリニックで終わらせる決意が必要になります。皆さんも、必ず治すのだという決意で治療を進めていってください。自分自身の体でこの理論の正しさを感じられると思います。
まだ治療の途中ですがこれからもよろしくお願いします。
「アトピー手記」匿名希望29歳2006年3月14日
平成17年10月14日、初めて松本漢方クリニックへ行きました。僕の場合、兄が何年か前に松本漢方クリニックの治療をうけ、アトピー性皮膚炎が完治したからです。
僕が最初にアトピーが発症したのは23歳位のことで、あらゆる病院に行き、いろんな治療をうけ、最終的には神様の力でアトピーが治るという話を聞きつけ、和歌山市まで祈ってもらいにまでいきました。(注意、タダじゃありません。)どうぞ笑ってください!!もちろん全て治りませんでした、というか、酷くなるいっぽうでした!!あの頃はどうかしていました。
でもどうかして頭がおかしくなる位毎日がとても辛く、二次災害、三次災害である白内障、網膜はく離と、アトピー性皮膚炎になった人の最悪の例の決まったレールの上を真っ直ぐ突き進んできてしまいました!!僕は音楽(バンド)のプロを目指していたので、月に6~8回のライブ(コンサート)がありました。ライブの2日前には、病院で貰ったステロイドをたくさん顔に塗って、お客さん(ファン)に僕がアトピーであることがわからないようにと努力してきました!!(でも、たぶんアトピーはばれてたんやろうと思います。)
その頃アトピーの悪化と相反して、音楽の方は順調で、東京の某音楽事務所に誘われ、上京しました。曲作り、練習、ライブの毎日、orステロイド、かゆい、真っ赤な顔の毎日が続きました。
そしてある日のこと、事務所関係のことから、たまたま皆もよく知っている某超有名ミュージシャンと会う機会があり、その時、彼に、一目で「おまえアトピーやろ!」と、皆の前でめっちゃえらそうに言われました。まわりにケラケラ笑われました。正直ショックだったし、ムカつきました。でも上下関係上もそうやし、実際僕はアトピーやし、何も言い返せませんでした。しかしよく話をきいていると、「俺もアトピーなんや。水飲め!!イオン水飲め!!イオン水で、俺もなおったんや!」と自慢げに話してきました。
そして次の日、すぐに大阪に住む母に電話し、イオン水を取り寄せて、毎月東京に送ってもらうようにしました。毎日2リットル以上飲むように心がけました。
それから3ヶ月くらいして、徐々にですが、信じられないことに、ステロイドやプロトピック軟膏を塗らなくても、痒くもならないし、肌の乾燥もなくなってきました。半年ぐらいで、あのいかにも無理してる感じの、がさがさで赤紫色の顔が、正常の肌色に戻ってきました。
そしてその後は、自分がアトピーであることを忘れるくらいまで回復しました。
それから3年が過ぎ、東京の風は冷たく、バンドは解散(今から考えれば当たり前やけど、音楽でメシ食うのは難しいです。)、夢をあきらめ、大阪へと帰りました。
そして資格をとり、福祉関係の仕事につきました。なれない仕事に緊張が続き、ストレスからか、半年くらいで、忘れてかけていた肌の乾燥が現れ始めました。日々進行し、気づけば、またステロイドを使い始めていました。治っていたはずのアトピーです。もはやイオン水も効きませんでした。
もうこれは、兄から聞いていた松本漢方クリニックしかないと思い、平成17年10月14日、初めて診察を受けました。
その日から、ステロイドとの壮絶な戦いが始まりました。それはみなさんが体験談に書かれている以上にひどいものでした。こんな状態で、本当に治るのかと(兄が治ってるにもかかわらず)不安になりました。なんども体験談を読み、励まされました。それでも親に当たり散らし、精神的にもかなり不安定な状態がつづきました。
3ヶ月間くらいは、一歩も外へは出れず、肌から臭い汁は出るし、寝る前は死ぬほど痒いし、掻いた後は動けないくらい痛く、全身ぼろぼろになってきました。特に風呂前の消毒がすごく辛く、漢方風呂の中も皮だらけになりました。
それから、希望の光は、治療から3ヶ月半目くらいからみえてきました。痒みが少しましになり、寝れるようにもなりました。あの臭い汁も出なくなりました。お風呂前の消毒も痛くなくなりました。
それから1週間くらいで、軽く外に遊びに行けるようにまでなりました。両親の笑顔も、僕の笑顔も戻ってきました。
現時点(治療から5ヶ月目くらい)では、まだ完全には治ってませんが、だいぶ楽になり、普通の生活ができるようになりました。治りかけてからは、すごく早いような気がします。
4月から新しい仕事も決まったので(前の仕事は休みすぎて、治療中に首になりました)、治療も、仕事も、頑張っていこうと思います。
松本先生、ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。
私が松本漢方クリニックでお世話になり始めたのは、5年前でしょうか。
飲み始めの頃はリバウンドも激しく、あまりの痒みと痛みで1日2時間程しか眠れない日々が続きました。それでも、松本先生のおっしやっているのを支持し、信じて今日までやってきました。
今までは、症状自体は落ち着いていきつつもIgE数値は上がり続けていたのですが、ここ最近になって、一度数値が下がり、それ以降は検査の度に数値が下がっていっています。
松本先生から「一度下がり始めると、早いから」と言われ嬉しい限りです。
やっとゴールが見えてきたのかなと思っています。
松本先生の「もう大丈夫」というお墨付きをもらえるまであと少し頑張ろうと思っています。
今では症状も落ち着き、アトピーで困る事もほとんどありません。
残りのあと少しをよろしくお願いします。
「アトピー性皮膚炎・中間報告」28歳女性2006年12月17日
松本漢方クリニックに通院しだして、1年3ヶ月になろうとしております。この間のアトピーの症状の変化を書きたいと思います。
私は小学校低学年頃から、肘の内側や膝の内側に汗がたまると痒くなっていましたが、特に皮膚科ではアトピーと診断されませんでした。食物やダニなどに反応するか検査もしましたが特になかったようでした。
ひどくなったのは中学に入った頃でした。今までの生活環境がガラリと変わって、かなりのストレスもありました。痒い場所は背中、わきの辺り、足と体全身になってきました。肘と膝も続いていました。頭も痒くてふけがすごく出ていました。汗のかく夏や乾燥の冬はひどいかゆみで、しかし一年を通してかゆく、ひどい時は寝ている間に掻き破りパジャマが血だらけになっていました。その頃からステロイド軟膏を使用していたと思います。それでも皮膚科では敏感肌としか言われたことはなかったのです。
中学高校大学と、症状は良くなったりひどくなったりの繰り返し。ひどいところはステロイドを塗り、ましなところは保湿剤を塗るのが日課でした。薬を塗らない日があったりと、ばらばらでした。薬がなくなればまた皮膚科を受診して薬をもらいの繰り返しでした。私も、これは一生治らなく、コントロールしていかなくちゃならないものなのだと思っていました。
仕事を始めてから今までなかった指先にも痒みがありました。特に爪との境目の皮膚にブツブツと小さな発疹が出て痒く、皮膚が下がって爪が下へ現れてきました。近所の皮膚科何軒か受診しましたが、結局はステロイドと保湿剤でした。
結婚、妊娠中もあまり変わりなかったのですが出産後に徐々にひどくなってきました。初めての育児でのストレスや、睡眠不足、主人が遅い帰宅だったので家事などもこなし、それだから肌の手入れはきちんとできていませんでした。痒くても薬を塗れない忙しさだったのです。冬、入浴後、脱衣所に出た途端背中がピリピリっとはり、加湿器に背中を当てながら薬を塗らないと、痛がゆかったのです。それから指先もひどかったのです。爪との境目の皮膚はいつもじゅくじゅく膿んで腫れあがっていました。もちろん炊事も手袋をはめ、お風呂の石鹸や水でさえもしみました。
こんなにひどくなったのは初めてで、これは何とかしなくてはと思い、アレルギー協会というところがあると知り、そこで専門医を紹介してもらいました。そこの先生は体が反応するもの(アトピーを起こすもの)を取り除いて症状を軽くしていこうとの考えの先生でした。
その病院はアトピーやアレルギーに関する情報量はすごく多くて、私はそこでかなり勉強させてもらいました。そこでの治療法は、食物日記を書き痒みが出ていると思われる食べ物を除去していく(又は、月一回や週一回程度に変える)方法でした。それから畳の下の防カビ材はひどいものだから畳の部屋を使わないようにしたり、鍋や家具を見ては使用しない方がいいものを言われました。どんどん自分の使える物・食べられる物が減っていくのには気持ちも沈みましたが、少し痒みが楽になったということは事実でした。
しかし、そこで半年ほど通院していた時に息子にもアトピーの疑いがある症状が出ました。もちろんそこの病院へ連れて行き受診しましたが、どうも納得の行く答えではなかったのです。その後、息子を通院させるか否かを悩んでいました。
その時に母親の仕事先の知人が松本漢方クリニックを紹介して下さいました。その方はアレルギーは、まったくないのですが、弟さんが昔からアトピーで、2年半ほど松本漢方クリニックに通院しているが症状がましになってきたと話してくれました。弟さんとも電話でお話をして松本漢方クリニックの治療法なども詳しく聞かせていただきました。弟さんは岡山県の方ですが、大阪の高槻の病院に通院するということはそれなりの成果が期待できるのではないかと思いました。私はその時の病院でも少し楽にはなっていたのですが、松本漢方クリニックのHPの「完治する」という言葉に惹かれました。一生治らないと思っていたのですから。ステロイド軟膏を塗るたびに「これを止められる日はこないんだろうな」と思っていたのです。ただ、料金が高いというのと、今はじめるとこの忙しい中でリバウンドが出ることがすごくネックでした。HPの書き方も気になる点もあったので、かなり悩んだ挙句、一度行ってみてから考えようという事で受診しました。
初診で松本先生がさほど詳しくアトピーの箇所を見られなかったことと、(先生が多忙なことは分かりますが)説明などがあまりなかったことが私の気持ちを沈ませました。やっぱり止めようかなとも思っていました。その日は血管が出なかったこともあって血液検査は失敗でした。薬は消毒液と煎じ薬一種類と入浴剤、赤い軟膏と抗生物質軟膏、風邪をひいた時の漢方薬と抗生物質(内服)でした。一週間分でした。聞いていたとはいえ、治療費を見てびっくりしました。
その日から漢方薬を煎じ、漢方風呂に入りました。3日後、軽いめばちこのようにまぶたがはれました。背中や足など今までひどかった箇所がひどく痒くなりました。まぶたの腫れは2日後に引きました。しかし、体の痒みは少しづつですが出てきているようでした。薬剤師の叔母に薬の一覧表を見せてどういう効果が期待できるものか聞きました。1週間それほど一気にリバウンドは来ませんでした。なんとなくじわじわと体が痒いかなあというくらいでした。1週間後、松本漢方クリニックに通院するか悩んでいました。
私の皮膚を見た祖父が、ある神社を紹介してくれました。肌についての神社です。昔祖父は娘のことでそこを訪れそこの宮司様に助けていただいたということで紹介されました。私は松本漢方クリニックの通院を迷っていたこともあり、そこへ参拝しました。ご祈祷していただくときにそこの宮司様は、私は一言もアトピーのことを話していなかったのですが、症状まで見事に言い当てられ、治療法もお話してくださいました。そのお話してくださった治療法が、漢方につながっていたのです。しかも、イソジンなどの消毒液を浴槽に入れて浸かるといいよといわれました。(後で知ったのですが、イソジンを浴槽に入れる事を勧める皮膚科はあるようです)これは松本漢方クリニックの治療法と重なることが多いと思い、通院を決心しました。
治療は、煎じ薬は毎日欠かさず作り飲みました。初めは4番煎じか5番煎じまでしていたのですが、3ヶ月頃からは3番煎じまでにしました。漢方風呂は毎日入れましたが幼い子供と二人の入浴では長時間浸かっていられず、浸かっている時間は20分程度だったと思います。朝は消毒の後シャワーで流しました。
はじめてから3ヶ月間は、かなりの痒みが広がっていました。今まで出たことのない太ももにも、小さな発疹が無数に出て痒く、掻くと汁が出てきました。箇所は、首から下は全部かゆかったです。小さな発疹がある箇所は掻くと汁が出て、発疹のない箇所は掻き破れて血が出てきました。痒いところはとにかく掻いて、落ち着いたら赤い軟膏を塗りました。夜も痒くて何度も目が覚めました。一番ひどかったのは指でした。8本の指が、爪との境目はじゅくじゅくで膿んでいて腫れていました。常に綿の手袋をして生活しました。
4・5ヶ月頃は、寝汗がひどく、多い日は夜中に3・4回着替えました。ちょうどその頃は冬だったのです。12月や1月です。しかもこの年の冬は厳冬で、大阪でも雪が降って少し積もった年でした。それなのに、今までなら靴下をはかずには寝られなかったのに、薄いパジャマで寝ても夜中に寝汗で何度も目覚めました。もしかしたら微熱続きだったのかもしれません。そしていきなり高熱が出ました。皆インフルエンザを疑いましたが違いました。薬が飲めないので、水分だけで乗り越えました。5日間位かなりの高熱が続きました。痒みは変わりありませんでした。寒い間は朝のシャワーも止めていました。この頃、浴剤の作り方をかえました。手記で、ある男性がされていた方法です。その男性は長いアトピー暦をお持ちでありながら4ヶ月で完治したということだったのでまねをしたのです。浴剤を袋に入れて、圧力鍋にかけるのです。確かに、浴槽で蒸らすよりもすごく濃い絞り汁が取れました。それに時間も蒸らすよりかかりません。匂いは濃くなった分きついし、鍋も続けると使い物にはならないけど、この方が効きそうだったので以後こうしています。
6~8ヶ月頃。春でいつもはこの時期にまぶたやあごが痒くなっていましたが、今年はましだったように感じました。少しですが足の色が白くなったといわれるようになりました。色素沈着で黒くなっていた肌の色が明るくなったのではないかということでした。確かに足の掻き破りは少なくなったかなと思いましたが、その分背中や今まであまりなかったわきに広がり掻き破っていました。この頃、指の方も落ち着く日もありました。爪との境目の皮も元に戻りつつありました。ましな日は寝る時だけ手袋をしました。夜中に痒くて目覚める回数もぐんと減りました。暖かくなってから、また朝のシャワーを再開しました。
9ヶ月から1年、太ももの痒みはまだまだありましたが、小さな発疹は消えつつありました。指はまたひどくなって、一日手袋の生活でした。この頃ひどかったのは、肩、わき、わきの裏側で、掻き破っていました。掻き破るのはこの箇所くらいになりました。後の箇所は痒いけれども、掻き破ることは少なくなりました。小さな発疹の箇所も少なくなりました。
1年から1年3ヶ月、太ももの痒みが消えました。掻き破っていた足も痒くなくなりました。もう二度と見られないと思っていた爪との境目の皮は8本とも元に戻りました。これは本当に信じられません。それに掻き破ることがほとんどなくなりました。痒いのはわき、わきの裏側、うでの内側、首の後ろ(髪の毛が当たる箇所。初めから痒かった箇所です)くらいです。自分自身では、本当に痒みも発疹も消えつつあり症状も軽くなっていると思えるのですが、血液検査の値は未ださがらないのが心配です。また今後第二のリバウンドが来るのだろうかという不安が残ります。息子も私が始めて3ヶ月目頃に受診しました。息子は消毒・入浴剤・軟膏でした。しかしもう完治しています。息子の肌がきれいになっていくのを見て、自分も頑張ろうと励みに頑張ってきました。松本先生の「完治」のお言葉を早く聴きたいです。治療費は我が家にとってはかなりの出費で痛いのです。保険が適用されるように祈るばかりです。次は完治の手記が書けるように頑張りたいです。
「アトピー手記」匿名希望25歳2006年1月14日
僕がアトピーになったのは、高校2年生の時です。最初は、左脇のところに、少しできものができていたぐらいでした。そのころは、アトピーに対する知識もほとんど無かったので、すぐに近くの皮膚科に行き診察を受けました。そしてステロイド剤をもらい治療を開始しました。
良くなったり悪くなったりを繰り返していましたが、高2の冬休みに、いきなりひどくなりました。そのためステロイド剤の量も増え、高3に入ってからは、顔もひどくなり、体のひどい範囲も増えました。
高校卒業後は、もっとひどくなりました。ステロイドは強くなっていきましたし、体中痛くて、動かすのもいやでした。
そんな時、ステロイドが良くないことをテレビで見て、やめることにしました。そうすると、みるみるうちにひどくなっていきました。熟睡することもできなくなり、精神的にもかなりしんどかったです。その頃、断食がアトピーに効くという話を聞き、やってみることにしました。これはかなり効果がありました。傷口がかさぶたになり、ほんとうにましになりました。普通の肌の状態と見分けがつかないくらいで、まさに健康そのものというまで回復しました。
でも健康な状態は、1年ちょっとしか持ちませんでした。また、22歳の夏からアトピーがひどくなりました。今度は新薬を使うのがいやだったので、漢方薬のある病院に行きました。そこでは、漢方と抗ヒスタミン剤を併用しました。
この松本漢方クリニックにきて、始めてそれがいけないことと知りました。それを聞いたとき、正直、何のこっちゃ意味解らん状態になりました。今までやってきたことが全部否定されたことに、力が抜けてしまいました。でもアトピーは治さないといけなかったので、頑張ることにしました。
この治療を始めて、最初は、言われたとおりひどくなりました。特に首と背中からは汁が出てきてひどかったです。僕は、04年の6月から治療をはじめましたが、04年の8月くらいまでは、ひどかったです。
ある日、背中からたくさん汁が出てきて、まだひどくなるんかいんなと思ったんですが、その次の日から、背中の汁がピタッと止まったんです。今思うと、その日を境に症状がましになっていきました。最初は塗り薬も1週間に2~3個必要だったのですが、それもだんだん減っていきました。
04年の12月、だいぶ症状もましになってきました。まぁ冬なんで、乾燥するということはありましたが、痛みも痒みもましでした。
そして、年が明け順調に症状はましになっていったのですが、05年の3月になると、花粉の時期ということもあり、少しひどくなりました。(ちなみに、僕は、毎年この時期になるとひどくなります。)でも、花粉の時期も終わり、5月の中頃になると、症状も落ち着きました。
6月に入り、毎年この時期になるとひどくなるので、ひどくなるかなぁと思っていたのですが、まったくひどくならず、むしろどんどん回復していきました。
それから冬になって、現在にいたりますが、症状は、落ち着いています。誰が見ても、アトピーとは気付かないくらいです。Igeの数値も、04年の6月は、4800程あり、05年の4月までは、4800~4300くらいでしたが、05年の9月に検査した時には、1600程まで下がっていました。
これからこの治療をする人は大変やと思いますが、この治療理論を信じて、頑張ってください。