アトピー性皮膚炎のため、漢方薬でよくなると聞いたので飲み始めました。1週間後、最初に顔中が炎症で真っ赤になり、首・手・ひざの後ろなど、赤くジュクジュクしてきて、汁が出てきて、痛くて眠れませんでした。
1ヶ月、2ヶ月は、良くなったりひどくなったりの繰り返しで、これで良くなるのかと思いました。しかし、皮がポロポロと取れ始め、少しきれいになってきました。
他の方の手記を拝読しておりますと、とてもご苦労なさった方が多いようでしたので,私のように,年齢が2○代でも、すぐに完治するパターンもあるのだということを知っていただきたく,筆を執りました。
私の場合、もともとそれほど酷い症状はありませんでした。毎年夏の前半に、体のどこか-部(場所は、頭だったり、手だったり、毎年変わるのですが)の皮膚が荒れる,痒くなるという程度だっだので,ほとんど病院にもいかず、ハンドクリームなどでお茶を濁しつつこれまで過ごしてきましだ。
ただ、今年は、就職のストレスか、例年より少しだけ酷い症状が出ましたので、祖母の紹介により、松本漢方クリニックに通わせていただきました。「治療開始ころは、酷くなる」とのことでしたが,私の場合は、これまでステロイドを使用していなかったおかげか,大して酷くもなりませんでした。治療開始3日目くらいが最も酷く,あとはじわじわと治っていったという感じです。
治療中は、確かに、スケジュールはきついものがありました。しかし,社会人1年生で、残業があまりなかったこと,準備を母が手伝ってくれたことで、事なきを得ました。
現在、台療を始めて1カ月半ですが,もう傍目にはほとんど判りません。本当にありがとうございました。
「アトピー手記」匿名希望24歳2013年11月9日
私が皮膚炎になってから五年ほど立ちました。未だに治ってないですがましにはなってきています。
五年前、ニキビがでたので皮膚科にいき薬をもらいました。その薬が体にあわず皮膚炎になりました。そこからそれを治すためだとステロイドを出されましたがどんどん悪化した。
病院が信用できなくなり自分で皮膚炎についていろいろと勉強しました。いろんな病院を回りましたがどこもいまいちでした。
とりあえずステロイドをつけると確実に悪化するだけなので脱ステしました。
最初はひどくなりましたがあとからはどんどん回復してきました。
ただ私はもっともっとはやく治したかったので松本漢方クリニックを訪ねました。
漢方がいいのは知っていたので今はお世話になっています。
訪ねて一年半くらいたち皮膚も大分回復してきました。
まだ完治はしてないのでこれからも頑張りたいと思います。
「アトピー闘病記」匿名希望29歳2006年12月4日
私のアトピー暦は中高生の時に遡ります。中学の時はそれほどでもなかったと思うのですが高校に入ってからはよく皮膚がぼろぼろとはがれていたのを覚えています。その時から街医者の皮膚科で処方されていたステロイド薬を使い続けていました。結局社会人になってしばらくするまで使い続けていましたので10年近く使っていた事になります。
一度大学生の時に顔がパンパンに腫れ上がった時があったのですが、思えばあれが一度目のリバウンドでした(当然そのときもステロイド薬でその場しのぎをしてしまったのですが…)。
ステロイドをやめてから3年間は特に酷い症状もなく日常生活を送ってきたのですが、かといってきれいな顔になったわけでもなく見る人が見ればすぐ分かる(ステロイドで抑えてきた人の)アトピー肌の顔でした。
二度目のリバウンドが起きたのは2005年の2月末です。その前からどんどんアトピーが酷くなっていたのですが、ある日朝目覚めると明らかにそれまでとは違うレベルで顔が腫れ上がっていました。すぐに以前経験したリバウンドと同じものだと分かり、その当時の記憶が脳裏によみがえってきました。実はその前の2004年12月頃からも股間からリンパ液が染み出してきて止まらなくなり熟睡知らずの夜が続いていました(後になって思えばこれはその後続く更に激しいリバウンドの噴火の兆候でした)。すぐに掛かり付けの医者に見てもらい、しばらく会社も休んで実家で自宅療養することにしました。
この時分に通っていた医者は、ステロイドは使わない方針でその点では良い線を行っていたのですが私のリバウンド状態に関しては正直お手上げといった様子でした。
途方に暮れながらインターネットでアトピーの療法を調べていたところ何年か前に一度ネット上で見かけて「お気に入り」に入れっぱなしにしていた松本漢方クリニックのホームページに気付きました。手記や根本治療法の記述を読み、これはひょっとしたら、と思い(正直)だめもとでも試してみようと決心しました。
そこからが地獄の闘病の始まりでした。4月の末にはいったん症状がましになり会社にも復帰したのですがゴールデンウィーク明けにさらに酷いリバウンドが襲ってきました。夜中に顔面と首筋に激しい痒み(痛み)が襲い、黄色いリンパ液が止めどもなく染み出してきて上着もベッドに敷いていたタオルもジュクジュクに、溜まらずシャワーを浴びても激痛が襲いもちろんそんな事で痒みやリンパ液がおさまる事もなく…
本当に苦しくて(情けない話かもしれませんが)死にたいとさえ思ってしまいました。泣く泣く実家の母親に電話したのを覚えています。再び休職をして実家での自宅療養に入りました。
本当に苦しい闘病でした。(全身の腫れ上がりや、止まる事を知らないリンパ液のおかげで)熟睡できた日は一日も無く、夜中から朝まで苦しみ続けてへとへとになって疲労のあまり朝方に少し眠りに落ちるといった感じでした。
薬湯の前の全身消毒、薬等あがりの薬を塗る時の全身、顔面の傷口への激痛も忘れる事が出来ません。夏が近づきだんだん暑くなってくると日に何回か発作のように痒くなり事がありました、これも本当に苦しくそれが起きたときには倒れこむしか無かったです。体力的にも非常に衰えており、一日中家にいると気が滅入ってくるのでせめて夕方の涼しい時には近くまで散歩しようとするのですが、それも途中で息も絶え絶えになったりしていました。
繰り返しますが本当に苦しい闘病で、自宅療養時の母の助け、会社の理解、そして松本漢方クリニックの治療と言う心の支えが無ければこのリバウンドは乗り越えられなかっただろうと思います。
7月末頃からか少しずつリバウンドが治まってきて熟睡できる日が増えてきました。8月は(依然闘病は続いていましたが)ほぼ毎日熟睡できる状態で、9月の頭には無事復職が出来ました。
それからも地道に治療を続けさせてもらい今は2006年12月。11月には気になっていた右目白内障の手術もしました。体力的にも回復しており人一倍元気で活発に運動などもしています。
まだ関節部分の内側、首筋、顔にはアトピーが出ており、皮もはがれたりするのですがもうリンパ液が出たりする事はありません。顔も周りの方から徐々に丈夫な肌が見え始めています。これは経験された方は分かると思うのですが所謂ステロイド肌とは明らかに違うものです。
闘病を続けて確信したのは、ステロイドを続けても何の治療にもならず肌はどんどん破壊されていく事、苦しくてもリバウンドは必ず乗り越えられる事、リバウンドを乗り越えた後の肌は「ステロイド肌」とは明らかに違う自然の強い肌になる事、です。
この手記を読まれる方で現在リバウンド中の方には本当に頑張って欲しいです。なかなか人には分かってもらえない苦しみかも知れずくじけそうになる事もあると思うのですが頑張って治療を続けてください。ステロイド(と抗アレルギー剤)を使用しない限りいつか必ずリバウンドは乗り越えられます。
私も免疫寛容後の綺麗な肌になるにはまだ多少時間がかかると思いますが頑張ろうと思います。
以上、乱筆乱文ご容赦下さい。
生まれつきのアトピーで、幼児期はジュクジュクアトピー、小中学生はカサカサアトピー。特に疑問を抱くことなく、ステロイドを塗る生活をずーっと続けてきていた。高校生の時、母の情報で、丹羽先生の話を聞き、薬を変えた。
大学生の時は、寮生活で、ベジタリアンになってみる。「結局、一生、薬を塗り続けなくてはいけないのか。」とあきらめつつも、その時は、「少し楽に過ごせる、見た目が少しマシになると、」それだけで安心し、とりあえずステロイドを塗り続けていた。ベジタリアン生活も、結構苦痛でストレスであり、肉類、油物を食べては嘔吐したりを繰り返していた。
医療関係に就職して、良かったり悪かったりを繰り返しながら、何でも食べて過ごしていた。見た目にすぐアトピーと分かるので、いろんな方から、「この石鹸がよい」とか「どこどこの温泉がいい」とか、たくさんの情報を頂いたが、「有難う」とだけ言って、ほとんど手をつけずにいた。実際あきらめもあった。
2002年2月頃、母がインターネットで、松本漢方クリニックの話を持ってきた。父母は、よく検討してみるべきだと言っていた。でも私は、今考えても、何故そんなにすぐ実行したのか、自分でも説明出来ないけれど、とりあえず病院を訪ねてみようと思った。仕事が休みの日に、日帰りで、新幹線で行った。近づくと、噂の貼り紙、漢方の香、たくさんの患者さん。手記を読みながら待った。手記は、ネットでも読んでいた。
名前をよばれて、採血等をして、煎じ薬、入浴剤、消毒の説明があって、これまた、噂通りに、松本先生と握手して、山ほどの漢方薬を受け取った。助けて欲しかったのか(?)、何故か泣いていた。看護婦さんお勧めのお好み焼き屋さんに寄って、帰った。お好み焼き屋さんも「頑張ってね。」と言ってくれた。
その日は、遅くに帰宅した。父母は、やはりリバウンドが心配で、仕事の件もあるし、もう少し考えてと言っていた。私も、「とりあえず行ってみて、考えよう。」と思っていたが、目の前に山ほどの漢方薬があり、これが脱ステロイド、完全治癒への道だと思ったら、「先延ばししても意味が無い、考えている間、ステロイドを塗っていたら、意味が無い、今すぐやろう。」と思った。
煎じ薬を飲んで、ビックリした。からいような、甘いような、とにかくマズイ!お風呂も、塗り薬も、結構臭い。1週間もしたら、すぐに全身がジュクジュク、デロデロ、パンパンだった。こんな汚い臭い得体の知れないものを、ひたすらステロイドで押さえ込み、封じ込めていたんだと、ショックだった。すぐに働けなくなり、職場の理解もあって、2月の後半は休みを頂いた。
この半月がもっともひどく、動けない。入浴時のみ、動ける。食事をすると、食べた直後に痒みが襲い、狂ったように掻く。傷だらけで、痛い。夜間もつらく、布団は血と体液だらけの日々が続いた。でも、どれも手記で読んだとおりの症状で、悪いものが出て行くーって感じで、それだけで耐えるしかない。この時期は、家族の協力があったからこそ過ごせた。自分では何も出来ないから。入浴時の洗髪は母にしてもらい、薬を塗るのも手伝ってもらい、夜、眠れない時も、「何も出来ないけど」と言いつつ、側で「頑張れ、がんばれ。」って声をかけてくれたり、さすってくれたりした。(私は、痒いだの、痛いだの、あれして、これしてと、わがままを言っているだけだったけど、母を始め、家族の方が、ずっとつらくきつかったのでは?と思う。有難う。)
表皮ではなくて、皮膚の裏側を、何かが這っているような、どうしようもない痒さで、痛い方がずーっとマシだと思うくらいに痒かった。ただ、どれも手記で読んだ事のあるものだったし、これを乗り越えれば薬なしの生活が出来るという希望があった。だからきつい日は、「明日は、今日より楽なはず!」って、ただただそれだけを思って、待っていた。調子が良い日は、「明日は、今日より悪いかも?」と覚悟しながら、「3月1日からは、出勤してもらわないと困る。」と言われていたので、とにかく出勤していた。父母は、「無理するな、きついなら、休んでいいよ。休みがもらえないなら、辞めてもいいよ。」と言っていた。でも私は、休む事が出来なかった。下を向いて、出来るだけ人目に付かないようにして、通勤していた。周囲の理解もあり、困難な事はフォローしてくれたし、患者さんも、逆に心配してくれていた。その頃は、ほんとに何とか行っている状態で、ただただ「いつかは抜け出せるはず、20年以上も塗り続けていたんだ、押し殺していた体の反応が、今爆発しているんだ、いつかはもっと楽に過ごせる日々が来るはず。」と待つだけだった。「今日も、ステロイドを塗らずに済んだ。今日も、ジュクジュク悪いものが抜けていった。」と思い、つらい症状も、手記を読めば、経過良好と思えた。冷蔵庫の奥に入れて、捨てられないでいたステロイド剤も、「もういいよね。」って、母と一緒に捨てた。
7月の夜、顔がすごく痒くて、一生懸命掻いたら、次の日、目の周り、唇がパンパンに腫れ、とても外へ出られる状態ではなく、3日間休んだ。見れる顔になったら、すぐに出勤した。9月にも、床を這いずり回る程痒い日があった。ヘルペスにもなった。時間差で、いろんな部位に、いろんな症状が出たが、どの時期も、「新しい症状は、体質が変っているサインだ。ステロイドを使ってない限り、安心だ。」という確信があった。手は、今でも良かったり悪かったりを繰り返している。「ステロイドを手で塗るから、手の症状が一番長いのかな?」
今は、何でも食べているし、塗り薬を塗らなくても良い部位が増えてきている。時々、ストレスを感じた時に、痒みが出る。緊張する日は、じんましんが出る。痒いときは、すぐ掻く。掻いて、皮膚が破れて、汁が出る。前は嫌な症状でしかなかったが、まだ悪いのが体内に残っている、でも、今出て行っている、と思えば、つらくない。
清潔にして、塗り薬を塗る。悪いものがあるうちは、内側から出たがっているから、なかなか傷が治らない。いつまでもジュクジュクしている。が、ある程度出たら、傷は固まり、皮膚が出来てくる。それを繰り返していれば、皮膚が破れなくなってくる。そして、前より楽な日が増えてくる。じんましんも、気分が落ち着いて、時間が経てば引いてくるから、ただ待つ。
私が勤めている病院の皮膚科の先生には、点滴とか内服薬とかを勧められたが、私はとにかく薬は異物という認識が異常にあり、断固拒否するので、最近は、「薬を処方しても、飲まんやろ?飲んだら、楽なのに~。まあ、呼吸困難の発作さえなければ、死にはしないから。」って、理解してくれている。「ステロイドも、そんなに悪くないよ。」とい言っているときもある。
事実、私は、煎じ薬、入浴剤に関して、あまり真面目な患者ではなかった。家族の方が、今日はきちんと入浴しようと、積極的だった。それでも、随分皮膚の回復は見られ、ステロイドを中止してから2年、症状はすごく落ち着いたし、自分の皮膚に違和感を感じないようになってきている。時々、他人に症状が出ていた頃の写真を見せるが、多くの人は、絶句とか、「へぇ~!」って言う。私は恥ずかしくないし、「すごいでしょ。」って思っている。
松本先生との信頼と、皆さんの手記と、家族の協力があって、2年間、ステロイドなしの日々を過ごした。まだIgE抗体の数値は全然下がっていないけど、確実に、体が本来の機能を取り戻しているという実感がある。
「アトピー手記」匿名希望25歳2005年10月15日
初めて、松本漢方クリニックに行ったのはもう6年も前のことになります。今、数えてみて、6年も経ったんだと驚いています。あっという間でした。松本先生に何度も手記を!と言われつつ、書かないと・・・と思いつつも、旅行に行ったり、遊んだりと、ほんとにすいませんでした。(薬などの心配も無く旅行に行けたのも、本当に松本先生に出会えたからこそです。本当にありがとうございました。)記憶をたどりたどり書いていきたいと思います。
当時18歳、大学に入ってすぐの4月下旬でした。手・足・首という体の関節という関節が切れ、汁や血が出て、歩くことも大変でした。大学にも、入学式の2日後から行っていませんでした。
私は、幼い時からアトピーでした。しかし、そんなに症状はひどくありませんでした。ちょうど近所に有名な皮膚科の病院があったこともあり、症状が出たときだけ薬をもらい、使っていました。それが、ステロイドでした。薬を処方されるに際して、何の説明もありませんでした。でる→塗る→治る→でる→塗る→治る→でる・・・・・を繰り返していました。途中、スイミングスクールに通っている間はなぜかおさまっていました。
しかし、高校1年の夏。久々に院長先生の診察でした。3歳から通っていたのに、今になって、『今まで治っていないのなら、もう一生治らない。』とサラリと言われ、私は泣きながら診察室から出てきました。
その後、漢方とステロイドという病院を知り、2年ほど通っていました。その間も、花粉症に効く注射など、今聞くと恐ろしくなるようなことを数々していました。
そして、大学も決まり、時間に余裕が出来たこともあり、母の進めで、病院を変えることにしました。まだ、松本漢方クリニックではありません。ステロイドを使わない病院でした。私も母も、ステロイドがいい薬ではないことは知っていましたが、ステロイドの離脱ということに何の知識も無かったため、薬が辞めれる!!ということで、軽い気持ちでステロイドの離脱を始めました。1999年1月のことです。しかし、今思うと、あんなに簡単に決意できたのは、何も知らなかったからだろうなあと思います。
しかし、その分大変でした。想像もしていなかった状況に、自分がみるみるなっていきました。皮膚が赤くなり、はれ、切れて、汁や血が出てきました。体の関節という関節からです。汁とは、リンパ液だそうですが、においもありました。首は鼻に近い分、匂いもしました、動かすと痛いため、横を向くことも難しかったです。ステロイドを辞め、消毒をし、お風呂(普通のお湯)に長時間入り、ワセリンを塗る。そして、食事制限(私は、大豆・小麦がだめでした)。これが治療方法でした。治らない傷、おさまらない痒さ。全く先が見えず、耐えられませんでした。母に、「もう、殺してよ。」と言ったこともあります。今思うと、ほんとにひどいことを言ったと思います。
そして、母が、松本漢方クリニックを知人から聞き、紹介してくれました。やっと、松本先生と出会うことが出来ました。1999年4月下旬のことです。文章が前後していますが、ここで文頭につながります。
初めて診察室に入った時、松本先生が握手をしながら、『必ず治ります。』『必ず治ります。』と、手を握って、何度も何度も言ってくださったことを覚えています。そして、とことん話も聞いてくださいました。これまで、先の見えていなかった私は、とても安心しました。『何でも食べたらいい、痒かったら掻いたらいい、いらん皮膚は取ってしまった方がきれいな皮膚が生えてくる。』と、何度も言ってくださったことも覚えています。とても、気が楽になりました。大学を1年休学しようかと考えていた私に、「GW明けから、行ってみなさい。」とも言ってくださいました。今でも、もし松本先生に出会えていなかったらと思うと怖くなります。
漢方のお風呂と煎じ薬、赤い塗り薬をもらいました。早速、家に帰って煎じ薬を飲み、消毒をし、漢方のお風呂に入り、赤い薬を塗りました。次の日、びっくりするくらい体が楽になっていたことを今でも覚えています。今まで快方に向かうことがなかったため、ちょっと怖いくらいでした。お風呂が好きな私にとっては、漢方風呂は特に問題ありませんでした。逆に、傷が良くなると思うと、ラジオと水をお風呂に持ち込んで、毎日たっぷりつかっていました。
最初は、針治療も受けていました。GW明けには、学校に通い始めるようになりました。朝、目が覚めると、皮膚が乾燥していて動きにくかったため、毎日消毒とシャワーを浴びてから学校に行っていました。
それから、漢方づくしの毎日を送っていました。皮膚の状態は、傷に赤茶(漢方の色に似ていました)のようなものがくっついてきて、何日かすると、薬をすり込んでいるとそれがむけ、きれいな皮膚が出てきました。そしてまた、切れ→赤茶→むけ→きれいな皮膚の繰り返しでした。せっかくきれいになった皮膚がまた、切れた時にはショックですが、何度か繰り返すと、だんだんきれいな時が長くなりました。赤茶のものが剥けるのがうれしかったです。(消毒は、しみてイヤでしたが、少し温めて使うと、しみるのが和らいだ気がしました。)
大学にも慣れ、私はダイビングのサークルに入っていました。夏休み3週間ほどの合宿が鹿児島の島で行われるのが恒例でした。私は、こんな状態で行くのは不安でしたが、松本先生とも話し(松本先生に、あれは駄目とか言われたことはありません)、行くことにしました。赤い薬はもちろん。消毒液に、コットンに、ピンセットにと、準備万端で行ったのですが、結局、赤い薬しか使いませんでした。特に、痒くなることもなく、毎日海に潜り、真っ黒に焼けて、大阪に帰ってきました。
夏休み明けからは、朝、シャワーを浴びることもなくなりました。アルバイトも始めました。友達に家に泊まったりもできるようになりました。
治療は、以前と同じです。煎じ薬、消毒、漢方風呂、赤い薬です。私は、お風呂上りに何もしないで居られることを夢みていました。皮膚の状態は、切れることはほとんどなくなりましたが、赤茶→剥け→きれいな皮は、長い周期でくり返していました。この時期が一番長かったように思います。松本先生に出会ってから、6年も経っていますが、しんどかったのは最初の3ヶ月くらいで、後は時が経つのをゆっくりと待つという感じでした。(一番苦しくて辛かったのが、松本先生に出会うまでの3ヶ月でした。ほんとに、出会えてよかったです。ありがとうございました。)
2回生の秋から大学の傍で、一人暮らしを始めました。松本漢方クリニックに通い始めてから1年と3ヶ月くらいです。この頃は、もう漢方風呂も実家に帰った時くらいで、煎じ薬も自分がしんどいなと感じたときだけで、あとは粉薬にしてもらっていました。消毒と塗り薬は続けていました。
2年目・3年目というのは、あまり気にせず、気長にアトピーとのんびり付き合うという感じでした。朝・晩塗っていた薬が、だんだん量も減り、晩だけで良くなっていきました。
そして、4年目の頃には、念願の、お風呂上りに何もしなくても平気にまでなることが出来ました。皮膚も、もうすっかりと良くなりました。アトピーやったと言っても、逆に『うそや!』といわれるくらいでした。
それから、バックパッカー、進学、就職活動、卒業旅行、就職と、いろいろなことをしてきましたが、松本先生から言われていた、「また悪くなるかもしれない。」ということもなく、毎日を楽しく送っています。アトピーの治療を始めてから、若干細かいことを気にしなくなったかもしれません。そして、何よりも、ひとつのことを乗り越えたという自身が自分についたと思います。
私の場合、松本先生に出会うまでいろいろなことをやってきたため、IgE抗体がとても多く、皮膚が良くなってもまだまだ正常値ではありません。最近、通院をさぼっていますが、正常値になるまで気長に治療していきたいと思います。松本先生に出会えて、本当に救われました。ありがとうございました。これからも、宜しくお願い致します。
最後になりましたが、松本先生をはじめ、いつも病院へ行くと声をかけてくださった看護婦さん、針の先生、ほんとうにありがとうございました。この治療は、松本漢方クリニックの皆さんなしではありえませんでした。
そして、家族の助けなしでも乗り越えられなかったと思います。いつもそばに居てくれて、薬を煎じ、お風呂を沸かし、マッサージをしてくれていた母。私と同じように治療に付き合ってくれて疲れているのに、自分のやりきれなさをぶつけたり、ひどいことも言ったりしました。本当に、ごめんなさい。ありがとうございました。初めて、一緒に泣いた父。仕事の合間を縫って京都から高槻まで車で送り迎えもしてくれました。ありがとうございました。そして、父・母を独り占めし、生活リズムさえ私中心になっているにもかかわらず、何も文句いわず。ずっと家にいる私と一緒に遊んでくれたり、出かけていたときは、お土産を買ってきてくれたり、本当に、ありがとうございました。たくさんのひとに支えられ、今の私があると思います。本当に、感謝でいっぱいです。ありがとうございました。
今、治療されている皆さん、頑張ってください!!乗り越えたあとには、きれいな皮膚以上の何かが、きっと発見できると思います。
拙い、文章ですが手記とさせていただきます。
「アトピー手記」匿名希望26歳2005年4月10日
私は、治療を始めて、二年になります。もともと色が白くて、日焼けすると、火傷みたいになり、冬は、乾燥して、がさがさになっていたので、肌が敏感なのだと思っていました。
20歳の冬、首と肘がかさつき、かゆくてたまりませんでした。ただの乾燥肌だと思って、保湿剤を塗っていました。今思うと、アトピーの始まりだったのかもしれません。
翌年の春ごろに、急に、顔ががさがさになり、まぶたも赤く腫れ上がりました。いつもと同じ生活をしていて、急にです。受付の仕事をしていることもあり、すぐに皮膚科に行って、診てもらいました。アトピー性皮膚炎といわれ、ステロイド軟膏をもらいました。塗ると治まるのですが、やめると、また赤く腫れ上がるのです。
一年間に、3件ほど病院を変わりました。どことも、ステロイド軟膏(ケナコルト、アンテベート)や、免疫抑制剤(タクロリムス・プロトピック)などと、抗アレルギー剤をだされました。もともと、ステロイドはきつい薬と思っていたし、副作用もあるので、継続的に使いたくないと思っていました。
そんなころ、産まれて4ヶ月ほどの甥っ子が、アトピーで、見ていられないほどのひどく荒れた肌になっていました。こんなに小さな子に、ステロイドを使うのはかわいそうだと思い、ステロイドを使用しない病院をインターネットで探しました。そして、見つけたのが松本漢方クリニックだったのです。
治療法と手記を、すべて読みました。県外という事、お金がかかるということ、リバウンドがひどいということ、不安はありましたが、迷いはありませんでした。自分のためにも、甥っ子のためにも、一日でも早く治療を始めたいと。
来院し、説明をうけ、松本先生に会い、「絶対に、治してあげる」と言っていただいた時には、もう自分が完治したかのようなうれしい気分になり、自信がもてました。今までの病院で、「治してあげる」という言葉を聞いた事がなかったからです。甥っ子にも、早く受診させるようにと、帰るとすぐに、姉に電話しました。
煎じ薬、お風呂と、治療を始め、すぐに顔が腫れ、肘、首、背中、手指とアトピーがでてきました。顔の腫れは早くに治まりましたが、手指の方がひどかったです。切れて、指を曲げる事が出来ないし、浸潤液がひどくて、ガーゼを重ねて巻いていたのですが、すぐに染み出てくるんです。背中も、下着をつける前に、ガーゼを何枚も重ねて張っていました。リバウンドは覚悟していたので、ピークが過ぎるのは、あっという間でした。後は、出たり引いたりの繰り返しが、長い間続きました。
今は煎じ薬だけですが、いつの間にかって思うぐらい、綺麗になっています。リバウンドのひどい時期を知っている仕事場の人、友達には、「肌、綺麗になったねー!」って言われるようになりました。
手記を書くように言われて、「やっと、この日が来た!!」と、うれしく思っています。治療に協力してくれた家族、友達、そして、私に自信を与えてくださった松本先生に感謝します。この治療を始めて、しんどいと思ったことはありません。松本先生を信じているからだと思います。まだ、完治していないけど、甥っ子、4ヶ月になる姪っ子と、一緒にがんばります。
この手記を読んで下さってるみなさん、リバウンドで苦しんでる方にも、自信をもって、がんばっていっていただきたいと思います。
「アトピー治療」J.Y.25歳2005年1月20日
私が、松本先生に診察していただいたのは、平成15年の5月だったと思います。誰かに紹介してもらったわけではなく、ホームページで、松本漢方クリニックのサイトを見つけたのです。
あまりの顔の痒さ・体の痒さに情緒が安定せず、涙ばかりがこぼれる毎日でした。そこで、松本漢方クリニックのサイトを見つけたとき、光がさしたように感じられました(大げさではなく)。
私のアトピー歴は、幼稚園にさかのぼります。といっても、首や肘の内側、膝の内側が少しカサカサする位のものでした。思春期のころには、痒みが出るときはほとんどなく(受験前は首を掻いていた記憶もありますが)、花粉症以外で体について悩むことはほとんどありませんでした。
その後、私は結婚し、子どもを授かりました。子育てをしながら生活するなかで、また体に痒みがでてきました。近所の医院に通っては、処方箋にかいてあるとおりにステロイドの薬をもらって膝の裏側に塗っていました。
松本漢方クリニックに通っていらっしゃるかたはおわかりだと思いますが、ステロイドの薬は塗った後は楽になるのですが、どんどんその薬がきかなくなり、強いストロイドの薬を塗っていかないことには痒みが消えなくなるのです。それを繰り返しているうちに今度は、今まで痒みがでたこともない顔面にも痒みがでてきたのです。
通っていた医院の先生も、顔にステロイドの薬の塗布することははばかられるらしく(顔面は薬の吸収率が高いというのが理由でした)、異なるチューブの薬を処方されました(名前は忘れてしまいました)。その薬を塗布しても、私の顔は赤くかさかさするばかりです。
その旨を先生に伝えると、プロトピックという新薬を塗るようすすめられました。プロトピックの製造メーカーが作成した薬の説明書を渡されたのみで、先生から特に薬に関する説明はありませんでした(私が説明をもとめても!)。「妊娠はしてないですよね」と何度も何度も尋ねられはしましたが・・・・
数回プロトピックを使用したものの、やはりあまり効目がなくなってきました。そのころには、私の子どもアトピーの痒みの症状がでてきていましたので、私は他の方法を探すことにしました。
知人のアトピーの人が通っている病院を教えてもらっては、通ってみました。しかし、治療にあたって満足のいく説明をしてくれる医院は1つもありませんでした。ひどいところでは、先生が「うちの孫にも使っている薬なんだから、危険はないよ」と一言。まったく非論理的もよいところだと思います。
病院探しをしていたころは、薬をすべてたちきっていたので、私と子どもの体の皮膚の痒みはさらにひどくなっていました(リバウンド症状というのでしょうか)。
そして松本漢方クリニックのサイトを見つけたのです。
松本先生のアトピー論は、私の脳では全てを理解できないものの(未だにそうですが)、非常に論理的であると感じられましたし、また、先生自身が「必ず治す」と文章にて宣言してくださっていたので(口約束ではなく)、すぐに診察していただこうと決めました。
何にでも投げやりになりかけていた私が積極的に治療をしたいと言い出したので、家族は快く賛成してくれました。はじめて、松本漢方クリニックを訪れたとき、むせかえる漢方の匂いに驚きを覚えました。同じくアトピーに苦しむ人の手記を読ませてもらいながら、診察をまちました。
その後の診察で、先生が「アトピーをなおしてあげる」と握手をしてくださった時、私自身が前向きに治療と向かいあおうと心に決めた瞬間となりました。
とはいうものの、漢方のかわった味に慣れるのも、のびの良い赤い薬の匂いになれるのには、かなり時間はかかりました。
漢方のお風呂に入りながら、掻きむしった皮膚からにじみ出る汁をながしては、涙がこぼれました。
でも、これで一歩づつ痒みとの別れに近づいているのだと、自分に言い聞かせていました。
薬を飲みはじめてから1年半たって、もともと痒みがなかった個所の痒みがひどくなり、毎日の外出も心苦しくなる日が続きました。が、いつの間にか(ホントにいつの間にかという感じです)痒みが和らいできたのです。
そこで、入浴の際の漢方をやめて、飲み薬と塗り薬の2本立てで治療しております。痒みはなくなりませんが、かなり症状は良くなっていると自分でも感じられるので、希望があります(ステロイドを使用していた時の永遠の絶望と違って)。
皮膚の症状はもちろん、前向きに生活を送れるようになったのも、全て松本先生のおかげです。ありがとうごさいます。
これからもよろしくお願いいたします。
また、松本漢方クリニックの皆様には電話にて漢方の送付をお願いしているさいに、親切に対応いただき感謝しております。
そして、いつも私に理解を示し応援してくれる家族にも感謝を。
最後に、アトピーに苦しまれている皆様、先生ご自身が自信をもって治療にあたってくださる病院は私の知っているかぎり松本漢方クリニックしかありません。
皆様にとって松本漢方クリニックが前向きに生活できるための一歩となりますように。
※つたない文章で申しわけありません。
私は、幼稚園に入る頃には、もうアトピーにかかっていました。母がいろんな病院に連れて行ってくれたのを覚えています。けれど、いっこうに治りませんでした。その頃の症状といえば、ほぼ全身がアトピーで、かきむしり、きずだらけでした。
20歳くらいの頃に、私の叔母から松本漢方クリニックの事を聞き、迷わずに、次の日に松本漢方クリニックにむかいました。
2年くらいたちましたが、今ではアトピーだと気付かれないくらいにまで治りました。本当に松本先生を信じてよかったと思っていますし、感謝しています。これからも煎じ薬を飲み続けます。
これから治療を受けられる皆様、治すことだけを考えて、松本先生の言う事を信じてください。絶対に治してくれます。つらい事もあるでしょうが、負けずに頑張ってください!
幼いころからアトピー肌で、夏には汗で腕や膝の裏が痒くなり、冬には乾燥で手荒れがひどくなったり、そのたびにその頃はステロイドを使った薬を塗っていました。
ステロイドを塗るとその時はきれいになるのですがまたすぐに荒れてきて、塗って、荒れての繰り返しだったのでアトピーとはそうゆうもので治らないものなんだと思っていました。
ところが6年ほど前にアトピーを漢方で治したというのを聞いて早速松本漢方クリニックに行ってみました。
先生の言うとおりにステロイドは使わず漢方を飲み始めました。
初めの頃は変化はあまりなかったのですが、その後飲み続けるうちに痒い範囲が広がっていき、しまいには痒くて眠れなくなるほどでした。
ピークは2~3年目のころだったと思います。
そのたびに飲むのをやめようかと思ったのですが先生の「絶対に治してあげるから」という言葉を思い出し、続けているとあるときからましになっていきました。先生に言うと「山は越えたね」と言ってもらいそれからは本当にひいていきました。
今では以前が信じられないくらいにきれいになっていて松本先生には感謝しています。