「アトピー手記」匿名希望28歳2004年11月7日
まずはじめに、この治療法を実践してくださった松本先生に、そして、半年間、私を支えてくれた家族に、さらには経過を見守ってくれた会社に、お礼を言いたいです。本当にありがとうございました。
私がこの治療を乗り越えることができたのも、皆さんの詳細克明な手記のおかげです。これからステロイド離脱をする方、特にプロトピック離脱をする方に、少しでもお役に立てればと思います。
アトピー経歴
最初にアトピーを発症したのは、4歳の頃だったと思います。当時は、私はもちろん、親も、病気の知識など全くなく、誰かから「良いらしい」と言われた病院に行き、毎回薬を身体中に塗られて終わりという治療を続けていました。しばらくして、その病院が藪医者だったと分かり、行かなくなりましたが、当時の病状は、あまり深刻でなく、知らないうちに治ってしまいました。
小学校に上がってしばらくすると、喘息が始まりました。これは、本当に苦しくて、何度も夜中に、救急車で病院に担ぎ込まれましたので、良く覚えています。小2のときに入院しました。この時期、アトピーは全く影を潜めます。小2~3でサッカー、小4~6で少年野球をやっていましたが、季節の変わり目には、必ずと言ってよいほど、喘息の症状に悩まされ、スポーツが次第に嫌いになっていきました。
「喘息には、水泳がいいよ。」と、親が誰かから聞いてきて、小4のときに、水泳を始めたのですが、始めてすぐに浸出性中耳炎にかかり、すぐに水泳を止めるように言われました。
中学に入ると、喘息はますます深刻になり、人生で、この喘息さえなければ、どんなに楽しいかと思うようになります。中3の修学旅行で、ひどい喘息になり、金閣寺を思い出すたびに、ひどい喘息の思い出が重なります。後でいろいろな本を読みましたが、アトピーが出ているときは、喘息は影をひそめ、喘息のときは、アトピーが影をひそめる、という症状の方は、かなり多いようでした。(松本先生の理論にもあります。)
高校に入ると、部活がきつくなりました。とにかく体力作りとかで、マラソンばっかりやらされ、死ぬ思いでしたが、その成果なのか、喘息の症状が、次第に弱っていきました。マラソンで、喘息を発症した後、15分くらい経って、また走ると、不思議と苦しさが半減しているのです。これまで苦しくてしかたのなかったマラソンが、段々楽になっていきました。と、同時に・・・アトピーが出始めます。
最初は額でした。「何か、カサカサするな~。」程度で、1ヶ月に1度くらい皮膚科に通い、保湿剤をもらっていました。汗をかくと赤くなる感じで、少し痒い程度でした。当時の皮膚科の医者は、「ステロイドは良くないから」と、なるべく亜鉛華単軟膏をつけていました。
しばらくして、額だけだったのが、手や足にも、カサカサした部分が目立ち始めました。アトピーだということになり、「ひどいときには、これを」ということで、ステロイド剤を出されるようになりました。薬の名前は、あまり覚えていません。
大学に入って、炎天下でテニスをするようになり、首の後ろの皮が剥けて、痒くなりだします。この頃は、完璧にアトピーといえる症状が、顔や首、手などに出ていました。本気でアトピーが気になりだしたのは、この頃です。サークルの活動も、おろそかになりがちでした。
また、ひどくなった部位にステロイドを塗っても、「こりゃあ、治らないぞ。」ということが、何となく患者として感じていました。ただ薬を塗って治すのではなく、時期が来たら、治ってくれれば、という思いでした。
ところが、社会人になって、状況が変わってきます。それまでの睡眠バッチリな学生生活と違い、ホコリだらけの満員電車での通勤、夜遅くまでの残業、慢性睡眠不足など、ストレスの多い生活になったせいか、アトピーが悪化します。「ステロイドじゃ治らない、じゃどうしたらいいか」ということで、いろいろな本を読んだりして、自分なりにアトピーを研究し始めました。水道水に含まれる塩素がいけないというので、残留塩素除去のために浄水器をつけたり、中和するために、ビタミンCを過剰に取ったり、部屋を清潔に保つために掃除をし、睡眠をなるべくとり・・・でも、いっこうに良くなりません。
そんな頃、たしか2000年春だったと思いますが、転勤先の皮膚科で、新しい薬をだされました。プロトピック軟膏(免疫抑制剤)です。先生が言うには、「ステロイドのように、リバウンドが起こらないので、安全で、今、非常に注目されている。」とのこと、「新薬なので、検査のために、尿を取りますが、問題ありません。」と言われました。
試してみると、これが劇的に効きました。顔が、全く見た目では良くなりました。他の部位も、手の指以外は、ほぼ完治(見た目だけですが・・・)し、「こりゃ、いい!」と、塗りまくりました。今思うと、これが大きな間違いだったのですが・・・
東京に戻り、新しい皮膚科でも、プロトピック軟膏を出してもらい、3年塗り続けました。治ったかなと思い、塗るのを止めると、また肌が荒れてきて、また塗る、また良くなってと、「塗る・良くなる・止める・また荒れる・・・」の繰り返しで、さすがに「これは、おかしいぞ。」と思いはじめました。先生に「この薬で、治った患者さんって、いるのでしょうか?薬から離脱した人は、ご存知ですか?」と聞いてみると、先生は黙りました。「うおっ、ひょっとして、いないのか・・・」と思い、「これは、まずいぞ。」と思いました。
この薬の特徴として、頭皮が荒れるというのがあります。プロトピックを使うようになって、頭皮が荒れた、フケが多くなった、頭が痒くなったという例は、たくさんあるようです。仕事はスーツですから、フケが目立つのが嫌でした。15分おきに、背中を確認していたと思います。
そして、いよいよ、プロトピックが効かなくなりだします。NHKの番組などで、アトピーが特集されますが、だいたい治療法は、「掻かなきゃ、治る」とか「まずステロイドで症状を抑え、治したあとで、徐々に薬を減らす」「保湿を欠かさない」です。今思うと「塗らなきゃ、治る」が正解だったわけですが、当時は、会社もあり、リバウンドが怖かったので、薬を手放すわけにもいかず、その場を切り抜けるために、使い続けていました。
プロトピックが効かなくなった頃には、頭皮から黄色い液体が流れ出し、血だらけで、頭を洗うとしみて、痛く、苦痛になっていました。毎朝、起きると、シャワーを浴びないと出かけられないほどでした。「これは、まずい。」と思い、先生に相談、ステロイドの飲み薬を勧められました。先生が言うには、「ステロイドの飲み薬は、飲み方さえ間違えなければ、良い薬だ。」とのことでした。私は、3ヶ月で離脱しようと思い、2003年6月から飲み始めました。
さすがにステロイド、効果は劇的で、1ヶ月で、完全に、見た目では完治しました。徐々に薬を減らし、8月末で使用を中止、あとは、プロトピックで治そうと思いました。いま思うと、滅茶苦茶な治療方法です。11月に、再びどうしようもない状態になりました。再びステロイド飲用を開始、翌2004年3月にストップしました。最後に飲用したのが、3月2日だったと思います。さすがに、今回は、すぐまたリバウンドが来ると分かっていましたので、インターネットなどを使い、必死で情報を集めだしました。
離脱へ向けて
YAHOO!JAPANの検索窓で、アトピー性皮膚炎と打ち、出てきたページ全てに目を通しました。温泉治療、塩素除去、土佐清水病院、蛋白質や脂肪の除去、等等、自分の体験から、そこに書いてあることを分析して、信頼できる情報を探しました。その中の一つに、松本漢方クリニックがありました。
アトピーと10年以上闘っている人は、この理論を読んだとき、なるほどなと思えるところがたくさんあると思います。西洋医学による対処療法では、完治はないなと思いはじめていた私は、「やっぱり、そうか。」と、松本先生の理論に激しく同意しました。アトピーが、戦前の日本や、発展途上国にはあまり見られないこと、アメリカに1ヶ月旅行に行った時、ほぼ症状がなくなったこと(このときは、コメを食べなかった)等、思い当たる節がいくつもありました。疑問に感じていたことが、いくつも解消されていき、「うん、これだ!これで行ってみよう!」と思ったわけです。
しかし、残念ながら、病院は大阪高槻市、私は東京在住ですから、通うのは困難です。そこで、みなさんが受けられた治療法や対処法を熟読し、自力で治そうと思いました。「自分は、ステロイドはそんなに使用していないから、2ヶ月もあれば、離脱できるだろう。」と安易に考え、会社に休暇願いを出して、本格的に治療を開始しました。
ステロイド飲用中止1週間で、外出できない身体になりました。(3月10日)プロトピック中止1週間で、これまでで最悪の状態になりました。(3月20日)3月末の時点で、「これは、安易に考えすぎたな。自力での克服は、困難だ。」と思い、松本漢方クリニックに行こうと決意しました。
4月2日、新幹線に乗って、朝一で大阪へ向かいました。松本漢方クリニックでは、看護士さんが、丁寧に治療の説明をしてくれました。ホームページを熟読していたので、ほぼ理解している内容でした。松本先生と話した内容で、ショックだったのが、「プロトピックは、下手なステロイド剤よりも、リバウンドが強烈だ。」という言葉でした。「何てことだ、プロトピックを塗りまくりだったぞ・・・」と、とても後悔したのを覚えています。
治療開始
それからの治療は、みなさんも書かれていますが、本当に悲惨でした。煎じ湯に入っている2時間だけが、幸せでした。煎じ湯に入った初日、身体中の皮が剥がれて、湯船いっぱいに広がり、楽になりました。「ああ、松本漢方クリニックに行って、よかったな。」と感じました。
夜は一睡もできず、掻きつかれて、眠り、1時間くらいして起きると、顔中血だらけ、リンパ液だらけ、シャワーを浴びて、やや復帰するも、1時間でもとの恐ろしい顔に・・・と、この頃は、とても生きた心地がしませんでした。何もする気が起きず、一日中寝ているような状態でした。この頃、力になったのが皆さんの手記です。「みんな苦しいけど、克服したんだ。私も頑張ろう。だいたい自分の症状からして、4ヶ月くらいで、少しはマシになるだろう。それまでの辛抱だ。」と思い、何とか生きていたという状態です。
家中がリンパ臭くなりました。「止まらない、この気持ち悪い液体は、一体何なんだ?薬を止めただけで、何で、ここまで、身体がぶっ壊れてしまうんだ・・・ここまでになる原因をつくった、あの医者たちは、一体何者なんだ、ありえないだろう、これ・・・」など、悶々と考えたりして、時間が過ぎるのを待ちました。
6月に入り、少し顔がマシになりました。風呂に入って、1時間でぐちゃぐちゃになっていた顔が、崩れなくなりました。一時は、瞼の上からリンパ液が流れ、それが固まって、目を圧迫し、目が開かなくなり、焦点が合わないほどでしたが、それが、やや軽減されました。
7月に入り、明らかに良くなってきました。しかし、まだリンパ液は止まりません。両手両足、胸から、特に大量の液体が流れ出ていて、シャツが黄色くなりました。顔がマシになったのと、気候が暑くなって来たのもあって、散歩に出られるようになりました。
ようやく夏も過ぎる頃、9月の末になって、腕と胸の一部を除いて、リンパ液が出なくなりました。治療を始めて約半年経ち、ようやく普通の生活ができるようになりました。
そして現在
今、これを書いているのは、11月、もうすっかり寒くなりました。今では職場にも復帰し、1年前と変わらない生活が送れるようになりました。
1年前と大きく変わったことが、1つ、それは、アトピーの薬を一切使用していないことです。もし、今後、病気が悪化することがあっても、二度と薬は使わないだろうし、使わずとも治る気がしています。これは、私にとって、とても大きいことです。まだ完治してはいませんが、日に日に良くなっているように感じ、とてもうれしいです。
もし、まだ薬から離脱できていない状態で、これを読んでいる方がいらっしゃいましたら、是非とも、離脱することをお勧めします。ステロイド剤、抗アレルギー剤、抗ヒスタミン剤、それぞれどれくらいの間使いつづけたかによって、改善する時期は異なると思いますが、止めるのが早ければ早いほど、完全に離脱できる瞬間も、早くに訪れることでしょう。リバウンドの症状は、半端ではないし、普通の人にとっては、仕事との両立は困難に思います。思い切って、1年休養するつもりで、本気で取り組んでみてください。そして、家族の方が近くにいるのであれば、是非助けてあげてください。タオルの交換や、部屋の掃除、風呂の準備や後片付け、食事の準備と片付けなど、本人一人で全てを行なうのには、かなりの精神力が必要になります。長い人生のうち、たった1年でいいのなら、短いものだと思います。あなたのアトピーはきっと改善します。頑張ってください。
「アトピー手記」K.K.26歳2003年11月1日
─中間報告(前半)─
治療開始から、1年半以上経ち、中間報告を書くことになりました。治療経過をメモっていたノートを初めて読みましたが、書いてある症状が全く思い出せず、もっと写真を撮っとけばよかったです。今回は、そのメモをまとめて、中間報告(前半)にしたいと思います。
ステロイドは、13年間使いました。ひどい時たまに使う程度でしたが、最後の2年間は、大学病院で、4種類のステロイド、3種類の漢方薬、抗アレルギー剤、ビタミン剤を出され、薬漬けの毎日を送っていました。
〔治療日記〕
*2002年3月8日 IgE396
=1週目=(2002年3月8日~)
松本漢方クリニックから帰ってすぐ、煎じ薬を飲む。直後に、こめかみからリンパ液がしたたり、ぎょっとする。前日まで塗っていたステロイドの抑制が、一挙に開放されたのか、もう後戻りは出来ない。“抑えなければ”から“出してしまわなければ”へ。松本先生の言葉どおり、掻きまくる。全身からリンパ液、首から上が赤く膨れ、鼻だけ白くて、変な顔・・・。薬湯を、ガーゼと糸を使い、鍋で1時間近く煎じて作る。慣れない作業で、さらに昼夜逆転。
=2週目=(3月15日~)
2週目に入り、松本漢方クリニックへ行くと、松本先生は写真を撮り、「困ったら、電話しなさい。」と言われる。夜遅く、薬湯後、パジャマを着た途端、急にボン!と腕からじんましんが出だし、何事と思いつつ、必死で掻くうちに、全身猛烈な痒みで、手が追いつかない。髪が抜け、頭の中は真っ白のパニック状態になる。
首の皮膚を肉ごとえぐった瞬間、恐くなって「ギャー!」と叫ぶ。そこからは無我夢中で、気付くと、朝になっていた。脈が速く、息苦しい。松本先生に電話して、飲み薬を中断し、一人では無理なので、家に帰ることになった。消毒しないとと思い、シャワーすると、つき刺す痛みで、また絶叫する。タクシーで、家に連れて帰ってもらう。
次の日には、首から肩、胸にかけて、日焼けのようにめくれ上がり、乳首の色が薄くなった。首の皮がつっぱる。夜、痒みが増し、リンパ液で腹から脇の下はヌルヌルで、首から上は、タオルがびっしょり濡れる。体中痒く、シャワーと消毒だけで、3時間以上かかる。耳の中が腫れ、膀胱の周りの炎症で、トイレがつらい。「飲み薬は、自分のペースでいい。」と言われたので、ほんの少しずつ飲みだす。薬湯で、顔の皮がボロボロに剥がれる。うつらうつらして、熟睡できない。
=3週目=(3月22日~)
足がぱんぱんにむくむ。ごわごわの肌で、所々じゅくじゅくして、ズボンが湿る。首の周りから、ひっきりなしに汁が出るので、タオルを巻く。ぴりぴり痛むので、首が伸ばせず、肩が凝る。耳がつまって聞こえにくいので、近くの耳鼻科で通してもらう。鼻炎とアトピーで、耳の中が腫れているのだった。
帰ると、どっと疲れがくる。体力がなく、食事、寝る、消毒作業以外、何も出来ない。洗濯の量がすごいので、たまに自分でやる。テレビの音がつらい。耳の中は汁でゴボゴボし、耳たぶは汁まみれで、上から塗る薬が流れ、「どうすんの、これ!」とイラつく。傷だらけの首に薬が滲みて、失神しそうなので、とりあえず何か叫ぶ。松本先生に報告すると、「漢方薬も飲んでたからや。○大病院め!」と怒る迫力がすごくて、聞こうと思っていた事を忘れてしまった。
ひどくなる次の日は、大抵消毒が楽になる。皮膚のない部分が増えていき、寒気がする。皮がほぼない腕を、寝ている間に掻いて、ズルむけたようになる。胴体も皮が薄く、リンパ液でヌルヌルする。布団の内側上下に、巨大なバスタオルを止め、汚れないようにする。爪は、ぎりぎりまでやすっておく。胸にかさぶたが再びはり、朝起きると、粉が下に溜まっている。異常食欲で、夜食が必要になり、1日4食の毎日だが、出る方もすごく、早送りモードで見ているようだ。体重は、3kg増えていた。
ホームページの手記を読む。1時間が限界だ。
=4週目=(3月29日~)
気合を入れ、松本漢方クリニックへ行こうとするが、バスと電車3本の距離である。電車中で、口の周りが痒くなり、全身へ広がり、我慢すると足がピクピクする。2本目を降りた地点で、駅のトイレに直行。混んだトイレで1時間以上掻いて、フラフラするし、胃はムカムカ、「もはや・・・」と家に帰る。
耳が聞こえ辛く、抗生物質を飲む日々。熱のある時は、薬湯は止めても良いらしい。あと、耳の所まで薬湯にもぐるのは、止めた方がよさそう。飲み薬は、回転が早くなり過ぎないように、量を調節した。むくんだ足首は、押すとへこむ。内側が腫れて痛く、靴が入らない。象足になる。薬湯ではりかけた皮を、赤い塗り薬の後掻いて、はがす。皮を、どんどんはりかえている。
友人を見送りに行く途中、車窓から満開の桜が。停車中、花粉が舞い込んだのか、眠くて目が開けにくい。全身に力が入らず、シャワー中、集中力が途切れ、じっと座り呆けているかと思えば、首筋に当たれば激痛で、悲壮感がして泣く。
治療前から通っている、近くの鍼へ行く。飲み薬を元の量で飲んだような、急転回になって、グォーッと掻き破り、消毒はさらに滲みて、絶叫し続け、薬湯につかる間も興奮冷めやらぬ感じになった。腕や足は丸太のようで、立ったり歩いたりしづらい。薬を塗る力がなくて、塗ってもらう。ただ座っているだけで、精一杯。後頭部がむくんで、頭とのどが痛い。
松本先生に、何度か症状を伝えるが、口ではなかなか説明出来ない。今なら、デジカメの写真を送ったら良かったとか考えられるけど。あと、勝手に鍼に行ったのは、良くなかったらしい。
=5週目=(4月5日~)
足はじゅくじゅく、ボロボロで、どんどん皮が剥がれていく。ズボンにリンパ液が溜まる。首、耳の皮は、“はる、溶ける、汁流れる”を繰り返している。朝起きて、日課の消毒を考えると気が重く、気合を入れて風呂場へ入ると、恐怖で震える。「この痛みに、何時まで耐えるんだろう。このまま治らへんかったら・・・」と、気の迷いが出る。
治療を始めて一ヶ月が経ち、疲れてきた模様。激痛の中で、“外へ出たい~。遠くへ行って歩きたい~。”と思うとたまらず、大泣きする。全身からひたすらリンパ液を出す時期のようで、服、タオルがぼとぼと。薬湯は、使った後白濁し、生臭くて吐き気がする。
傷の快復が、心なしか早くなって来た。足のむくみが、上の方からひいてきている。足の先がむくみ始め、クリームパンのような指。耳たぶのリンパ液に、血が混じってきた。首は、爪では傷がつくので、タオルでこすって掻いた。リンパ液が濃くなって、臭いもすごい。流れ続けるので、落ち着いて寝られず、やたら気が滅入る。体がこわばるので、横になるにも人の手を借り、唸りながらやっと足が伸ばせる。
1日のほぼ3分の1を、風呂場で過ごす。薬を塗ろうにも、すでに汁だらけで、ぎょっとする。相変わらず食べて、排泄する量がすごい。治療前より、4.5kg増加。
=6週目=(4月12日=)
耳の中、乳首、陰部と胴体の炎症がひどく、首は、爬虫類のようなしわが段々に出来て、毛穴からリンパ液が光っている。タオルを取って空気が当たると、ゾクッとして痛い。足の肌が、赤黒くがたがたしている。足の裏にも炎症が出て、むくみで歩けない。
夕食の時分に、1時間近く痒みが襲い、その後、寒気でガチガチ震える。毛布にくるまり、ストーブで温まると、少し動きやすい。導眠剤があまり効かず、すぐ目が覚める。首の皮がしっかりはっていて、短時間だけだったが、これは初めて。耳の腫れがまし。尿の量・回数が増え、薬湯で、どんどん皮がはがれるようになる。リンパ液が臭くて、アラマオイルをつけたティッシュを置いておくと、吐き気がましになった。
=7週目=(4月19日~)
首の前の段々が、平らになってきた。疲労感・眠気が、1日中ある。寝ている間に替える首のタオルやパジャマが増える。ひざの皮を掻くと、ブチブチとすごい音がして、引っ掻きやすくなった。尿やリンパ液が、どんどん出て行く。ぱんぱんだったふくらはぎが、ぶちょっとして、細くなってきた。足が軽く感じる。
=8週目=(4月26日~)
「1時間掻いて、30分、悪寒でうなる」コースが、夕方と夜の2回ある。寝ている間のリンパ液が少し減ってきた。食べる・排泄する量が減る。ネオヨジンもどんどん減る。
ある晩、いつものようにこん身の力で、足をバリバリ掻き破ると、リンパ液が玉状に一面にあふれ出てきた。びっくりした。これが足のピークだったようで、以後、むくみがしぼんでいく。足首のむくみがピークになり、リンパ液が出だす。足指には、炎症。
片道10分の散歩中、服が湿り、体が閉まって苦しく、帰ってへたばる。
=9週目=(5月3日~)
よくのどが渇き、朝方まで眠れない日々。首の皮が厚くなって伸ばしやすいが、がたがたで消毒がうまく出来ず、全身1時間半かかる。髪の毛も汁でネトネトして、頭皮の消毒に骨が折れる。首から胸にかけて、皮がささくれ立ち、たまにひび割れが出来る。2日おき程度に、軽い散歩が出来るようになる。
=10週目=(5月10日~)
消毒しやすいように、髪をかなり短くカット。治療のことを説明すると、驚かれた。首、足、頭の症状が落ち着き、腕も綺麗になった。「人間の肌や!」と思った。むくみがひいて、正座が出来る。
松本漢方クリニックへ。途中、痒くなりつつも、無事たどり着き、「楽しんで掻きなさい。」とまた言われた。楽しんで掻く勇気が、少し出てきた。体重は、治療前に比べ、5kg増加。飲み薬は、まだ5分の1ほど。
=11週目=(5月17日~)
塗り薬が、あまり減らなくなる。熟睡は出来ないが、初めてはっきりした夢を見る。目だった痒みは、日に一回になる。薬湯につかると、“ブツブツが出る → 掻く → かさぶたがはる”のが早くなったのが、よくわかる。足には、ボタン大の硬いボツボツがあり、はがしていく度に小さくなっていく。徐々に、飲み薬を増やす。
=12週目=(5月24日~)
適当に消毒すると、雑菌が入って、小さく腫れて痛い。手の爪がもろく、はがれやすい。胴体の炎症がひどく、腹部を掻いて、赤い点々が出る。足のむくみはひくが、炎症は続く。1時間以上歩いても、平気になった。靴下が、傷にはりつく。
=13週目=(5月31日~)
くしゃみ・鼻水と頭痛がある。痒い所を掻くと、「皮がベロッとめくれ、汁が出る」症状に変わってきた。手や胴体の症状が、きれいにひく。洗濯や読書、近くへの外出が出来るようになる。飲み薬の量が、2分の1になる。
6月以降は、変化が緩やかで、一進一退を繰り返すが、楽になっていく。
=9ヶ月目(12月11日~)
軽いリバウンドがある。「おそらく花粉のせい。」と、松本先生は言われる。朝、目が開きにくい。ヒヤヒヤしたが、5日目で治まった。
*2003年2月12日 IgE 889
=1年4ヵ月目(2003年7月21日~)
また軽いリバウンド。足の裏から、厚い皮がどんどんめくれ、皮が薄く赤い。耳の中の腫れが悪化して熱をもち、抗生物質を送ってもらう。必死、耳の中を消毒するが、夜中、ジンジン音がし、のども腫れて痛い。耳がキリキリ痛くて、寝付けない。
体に炎症が出て、生臭い。久しぶりに、消毒を2回する。次の日薬湯で、皮と汁がいっぱい出て、濁る。その次の日から、耳の腫れがひいて、痛痒い。耳の中の皮がつっぱり始め、穴の周りの皮がめくれる。さらに2日後、耳が治る。
*2003年9月2日 IgE 845
=現在=(2003年11月)
「あれは何だったのだろう。」という感じ。日焼け止めが濡れる。日光にも当たれる。綿以外の服も着られる。白昼、堂々と歩ける。
まだ手の爪はもろく、足の裏の皮が、薬湯でベロベロめくれ、薄くなってひび割れやすい。鼻先と指の薄皮がめくれて赤いし、下半身の傷跡もまだらに残っている。が!治療前とは比較にならないしっかりした厚い肌になり、刺激から護られるので、気分が安定する。消毒を全くしなくても良い日が、最近続いた。
漢方薬以外、あまり頼まないようになった。
─中間報告(後半)─
〔治療まで〕
幼児の頃から、鼻炎、気管支炎、あせもがあり、11歳で、頭皮から指、手足へ、アトピーが出始め、ステロイドは、ひどい時だけたまに塗る。20歳の時に、アルバイト漬けで疲労が溜まり、パン製造の仕事では、指の皮がボロボロになり、そのうちじんましんが出だす。熱気の中以外でも、風呂上り、日光に当たった時、走った時など、体温が上がると出てくる。10円玉ぐらいのが、みるみる広がって繋がりだし、全身すごい痒さ。仕事中、顔まで出始めた頃、バイトを変える。
ステロイドは、出来れば使いたくないので、京都の皮膚科に行ってみた。除去治療をしていて、O(オー)リングテストというのをやる。片手にアレルゲンを持ち、反対の手がどう反応するかを見るもので、卵・肉に反応したので除去することに。他にも小さい子供が来ていて、あらゆる香料に反応するらしく、除去が大変そうだった。日常生活では、精神的にも実際的にも、除去を徹底するのは難しい。
近所の新しい皮膚科へ行ってみた。女医だったが、一言めが「パンツ以外、脱いで。」だったのは、ショックだった。顔と体用に、ステロイドをくれた。
次の年の春から、9ヶ月間、アイルランドへ行く。以前から行きたい所だった上に、日光が弱く、涼しいので、嬉しかった。まだしばらくじんましんは出ていて、人と会う約束にも、治まるまで行けない事とかがあった。滞在先に医師がいて、手かざしやハーブで治療していた。“体に直接尋ねる”のだそうで、またO(オー)リングテストのような事をしてもらう。持っていった頭痛薬は、きついと言われた。持参のステロイドは、わざわざテストされなくても、きついのは分かる。西洋薬に批判的で、病院は恐い所だと言う。医師に見放された人や、どこも悪くないのにつらい人が、よく来ていた。
街に、自然食品店が多く、無添加食品、ハーブ、本など置いてある。「代替医療(西洋薬を使わない)」の存在をはじめて知り、「日本にもあるのかな?」と思う。
帰国後、家族と険悪になる。肉・卵除去のこと、ほこりが嫌で、掃除しない事、他あらゆる事でもめる。旅疲れもあり、心身弱り果て、アトピーが復活。人込みや、電車に乗るのが恐くなり、心療内科に通い始める。
一人暮らしをして、様子を見ることになった。近場に、漢方医が見つかって行くが、良くならず、むしろ悪化。(「当たり前やん!」と今なら思えますが。漢方は、症状を出すものと知りましたから。)足がぱんぱんで曲げられず、全身むくんだ感じで、血汁のついた服の洗濯に追われる。部屋に一人で、アトピーにかかりきりの日々で、「私の体は、どうなってしまったのだろう?」と思う。(副作用の内容をほとんど知らず、今なら、これはリバウンドだったのかもと思えますが。)
人に会うのも恐くなってきて、復学したものの、行けない。親にインターネットで探してもらい、「○大病院」は、漢方も扱うらしい。」と聞いて、通いだす。大学病院ならどうかと望みを持ったが、漢方だけでは治せないらしく、ステロイドを使うのだった。「なんやー。」とがっくり。コンピュータごしの診察で、「夢のような薬はない。」と言う。ひざがどんどん腫れていき、入院か転地療養を言われる。
長野の知り合いのペンションへ、3週間、避暑に行く。楽しいどころか、死んだような気分。
ステロイドで、むくみや炎症がひいて、次の年は、楽に過ごす。薬の種類が増えていく。学校に通い始める。病院で勧められた防ダニふとんを買う。除湿機、低刺激製品を買う。エアコンの掃除も、業者に頼む。医師が、北海道に移住してアトピーが治った代わりに、鼻炎になった人や、スペインで治った人のことを話し、「治るなら、移住でも何でもしよう。」と思う。
掃除機を毎晩布団にかけて寝たり、毎日掃除したり、ほこりが嫌で、物を触りたくなくなったり、「これって、ノイローゼやん。」と思う。アトピーが出た途端、気分がどっと落ち込み、日常でも、気分の上下がジェットコースター並で、疲れる。
顔や手足の皮膚が薄くて、日に当たると、チリチリ溶けそうな感じ。顔に、日焼け止めクリームすら塗れず、深く帽子をかぶり、友達の肌と見比べ、「何で、私の肌はこんなんなんだろう。」と思う。
「今、またひどくなり出したら、乗り越える気力がない。どうしよう。」と思っているうちに、再び悪化。頭皮から汁がにじみ出し、あちこち痒みが増して、熟睡出来ない。夜中、ほぼ毎日泣いた。(マンションだから、あまり大泣きも出来ず、親に電話で訴えるが、親もどうすることも出来ず、ただ疲労。)
足の裏の水泡が増え、炎症がしつこくて、「これは、何だろう?」と疑問。(今なら、これもアトピーと分かる。)医師は、「靴で、かぶれているかも。」と言い、最強のステロイド「デルモベート」を下さる。ステロイドの塗り方の見本として、看護婦さんが塗ってくれた時、「ネリゾナ」を、油絵ナイフのようなものにどっぷりつけて、バターのように塗りのばすので、ひきつった。普段、ものすごく薄く塗っていたので。保湿剤のワセリンは、ねばねばしてのびが悪く、塗るのに1時間かかる。服に付いて、不快で、洗ってもなかなか落ちず、洗濯機の方が汚れる。
病院の医師が、行く度に違う人で、たまにあたる研修医は、こちらが「大丈夫か?」と聞きたくなる程。ある医師が、「次から、新薬のプロトピックに替えよう。」と言う。次の時、違う医師だったので、聞いてみると、「あれは、ニキビが出来やすく、感染もしやすくなる。」と言うので、恐くなって止めておく。出口が見えず、アトピー流離人のようで、「こんな事してて、何になる。」
アトピーのケアで、その日が終わる。「ずっとこのままなら、死んだ方がまし。」でも死ぬ勇気もなく、「何の為に、生まれてきたんかなあー。」と、絶望的になってくる。深夜に「妖怪人間ベム」のアニメをやっていて、その歌で、妖怪の主人公が「♪~とても醜いこの体。とても人には見せられない。はやく人間になりたい。♪~」とかいうくだりがあって、「これは、私や。」と思う。
学校をやめる決意をした2003年3月始め、祖母から、松本漢方クリニックで治療している知り合いの赤ちゃんの話を聞く。「えっ!」と思って、ホームページを読むと、驚きの内容で、心が弾んだ。(久方ぶりに。)学校に退学届けを出し、治療法と理論を読み返す。
次の日、祖母と、松本漢方クリニックへ行く。半信半疑ながらも、治療することに迷いはなかった。
(完治報告、また、書きます。)
「アトピー手記」匿名希望24歳2011年2月11日
私に初めてアトピーの症状が出たのは小学校低学年の時でした。腕やひざの裏がかゆくてその時は市販の塗り薬を風呂上りにつけていると自然に治りました。それからしばらく症状はでなかったのですが、高校3年の頃にまた症状が出始めました。ストレス等は特に無かったのですが、当時は飲食店でアルバイトをしており、食器洗いや消毒液などで手が荒れてしまい、皮膚科で処方されたステロイドの塗り薬を使用していました。それからすぐに全身にアトピーの症状が出始めました。最初は顔のまぶた辺りの皮膚がカサカサになり、お風呂で毎日擦っているとだんだんと皮膚が薄くなってきたのか汁が出始めました。寝て起きたら汁が固まって髪が張り付いていることがよくありました。手足の指からもどんどん汁が出て、布団も枕もすぐ汚してしまうのが辛かったです。高校には毎日通っていたのですが、顔には何枚も絆創膏を貼っていました。しかし飲食店のバイトは接客業ということもあり、続けることはできなかったです。皮膚科から処方されたステロイドを塗っていたのですが、インターネットで調べてみるとステロイドは最初は効くけど使い続けるともっと酷くなるということを知ったので、市販のクリームを塗り、ステロイドはあまり使わないようにしていました。それでも一向に治る気配が無かったので、卒業するちょっと前に母の紹介で新大阪のアトピーの病院に行ってみることにしました。
そこで処方された薬はステロイドを少し含んだ塗り薬でした。ステロイドを使いたくなかった私はあまり気が進まなかったのですが、その病院の人に「アトピーはステロイドを使わなければ治らない。」と言われたので、そういうものなのだなと思い、使うことにしました。
薬はとても良く効き、1週間くらいで顔も綺麗になりましたがステロイドによる一時的なものだと思っていたのであまりうれしくはなかったです。
しかし、一目でアトピーとわからないぐらいになったので、大学に入ってからは色んな人と積極的に交流できたり、接客のアルバイトもできるようになったので感謝しています。
薬を塗り始めて2年ぐらいするとだんだんと肌がくすんできました。あぁ、ステロイドが効かなくなってきたんだなと思いました。
処方された薬はステロイドの量が一番少ないタイプだったので、一段階上げてステロイドが少し多く入った薬を進められましたが、このまま使い続けて一番強い薬も効かなくなったら?と思うととても使う気になれませんでした。大学2年の頃に母が松本漢方クリニックを紹介してくれました。正直アトピーを治せる病院は無いんじゃないかと思っていたので、今回の母の薦めもあまり乗り気ではありませんでした。しかしこのままずるずるステロイドを使い続けるわけにもいかないし、なにより松本漢方クリニックはステロイドは一切使わない!との事なので行ってみることにしました。過去ステロイドを使っていた人は辛いリバウンドがあると聞かされました。でも高校卒業間際の悲惨な状況にくらべたら多少のリバウンドなんか乗り越えられると思いました。松本漢方クリニックで処方された薬は塗り薬や煎じ薬や漢方の入浴剤なんかの他に感染症予防のための消毒液なども渡されて、一体どんな酷いリバウンドがくるんだろうと、少し怖かったです。
案の定、松本漢方クリニックの治療を始めてすぐは顔も赤黒くなって背中はガサガサになりました。夜は痒くて痒くて一晩中掻き続けていたと思います。前の病院では極力掻かないようにと言われたのですが、松本先生は掻いてもいいと言って下さったのでとても気は楽でした。一番辛いと感じたのは全身にでる蕁麻疹です。
激しい運動をすると突然全身に蕁麻疹が出て、学校のサークル活動中に逃げるように帰る事も何度かありました。
蕁麻疹が本当に辛くて市販の蕁麻疹を抑える薬を服用していたのですが、蕁麻疹は身体が治すために戦っている証拠なんだからそれを押さえてはいけないと松本先生に怒られてしまいました。
実際、酷い蕁麻疹は3回くらいでアトピーが良くなってくると腕に軽く出るくらいになりました。半年くらいでアトピーと気づかないくらい良くなって、ステロイドを使ってないというのもあり、とても救われた気持ちになりました。
今では乾燥の時期になるとちょっと痒くなったりする程度で、その時は松本漢方クリニックの赤い塗り薬を処方してもらっています。
今現在普通に会社で普通に働けるのも松本先生や松本漢方クリニックの皆様のおかげです。
これからも定期的にお世話になりますが、よろしくお願い致します。
「アトピーとの闘い(中間報告)」27歳男性2006年8月27日
私は生まれつきのアトピーです。幼い頃は軽いほうで、肘の裏や膝の裏に症状が出ていた程度、ちょっとひどくなると耳たぶが切れたりした程度でした。周りからは、大きくなるにつれて、いつの間にか治るから心配ないよ、と言われていました。ところが、私の場合はいつまで経っても治ることはなく、かといって特別ひどくなることもなく、高校を卒業するまで軽い症状のままでした。ひどくなりだしたのは、18~19歳の頃からです。最初は首の周りが極端にかゆくなり、我慢できずに掻くと、蛇のウロコ状にボロボロになって、皮膚がむけてきました。そのうちかゆみが全身に広がり、皮膚はボロボロとむけ、引っ掻き傷やえぐり傷、顔もはれて赤くなり、二重だった目も一重になり、まるでお化けのような顔でした。なぜ突然こんなにひどくなったのか、正直今でも分かりません。原因は1つではないでしょうし、たくさんあると思います。私は基本的に薬も飲まない人間で、風邪をひいても寝て治すほうなので、あまり薬は関係ないかなと思っていました。ただ確実に1つ言える事は、やはり『ステロイド薬』がアトピー悪化に拍車をかけていったと思います。幼い頃から皮膚は弱い方だったので、怪我をするとすぐに膿んだり、“とびひ”になったりしました。またアトピーが出ていた部分を引っ掻いて傷にして、そこから“とびひ”になることもしばしば。その時に医者から渡されていた薬が「ベトネベート」、ステロイドの入った薬でした。毎日使っていたワケでもなく、たまにしか使っていなかったのですが、それでもステロイドには変わりありません、きっと蓄積されていたのだと思います。大きくなり、アトピーがひどくなり、いろんな病院に行きました。ステロイドが決して良くない事は、実は幼い頃から知識として知っていました。でも他に良い治療法を知らなかったんです。「アトピーを治す薬は無い、自然と治るまで付き合っていくしかない」、そう言われてきましたから。医者にも新聞にもテレビにも。どの病院でも言われることは同じでした。「皮膚が極端に乾燥しているから、保湿が大事。それからこの薬を毎日飲んで下さい(おそらく抗炎症剤とかそんな類のものだと思います)。そしてひどくなって我慢できない時は、この薬(=ステロイド)を塗って下さい。」出来ればステロイドはイヤだったので、違った治療法をしている病院にも行きました。そこは、肘のツボにレーザーを当てる治療でした。おそらく効果がないわけではないのでしょう、実際そこで治ったという話を聞いて行きましたので。でも、そこでのレーザー治療以外に渡されたのが、飲み薬と塗り薬でした。結局は薬で抑えながら徐々に治していきましょう、そういうところでした。他の病院と同じですね。ステロイドで治るはずが無いことは分かっていたので、使いたくはありませんでした。でも他に治療法も無い。何よりもステロイドの効果の絶大さは、身をもって知っているだけに。あれは麻薬です。塗って30分もしないうちにみるみる効果が出るのですから。そして今までの苦しみが嘘のように楽になる。アトピーや他のアレルギーで苦しんでいる方々からすれば、正に手放せない薬、麻薬です。正直ステロイド以外には無いのか、そう途方に暮れかけていた時に、親が松本漢方クリニックの話を聞いてきました。ステロイド等は一切使わずに、漢方薬を使ってアトピーなどの治療をしていると。しかも私の住んでいる高槻にあると。こんな近くにありながら、なぜ今まで知らなかったのでしょう。もっと早くに聞いていれば。とにかくステロイドを使わなくて済むのなら、本当に治るのなら、と神にもすがる思いでした。他の患者さんも手記にも書かれていますが、まず松本先生とお会いして一番印象的だった事が、「必ず治してあげます」という言葉。今までは医者の方から「治してあげます」などという言葉は聞いたことがありません。「上手に付き合いましょう」といった言葉ばかりです。上手に付き合う?この人は本当にこの苦しみを理解して話しているのか?何度も気が狂いそうになったり、本当に殺してくれ!と何度も思ったくらいに苦しいアトピーと、どうやって上手に付き合え、というのだろうか?でも松本先生は「治す」とはっきり言われました。今も言われます。そして漢方治療をしていく上で、1度はリバウンドでひどく苦しくなる事も、ちゃんとお話されました。完治させるまでにどういう治療を行ない、どういう過程を踏んでいくか、よく考えれば当然のことなのですが、今まではっきりお話してくれた医者は1人もいませんでした。それからもう1つ、漢方で治す自信を持つことが出来たのが、これまで皆さんが書いて下さっている手記でした。皆さんが本当に苦しい思いをして、それでも漢方を続けて治していった、その事実が私に希望を与えてくれました。先生のこの力強い言葉のおかげ、そして他の患者さんの手記のおかげで、私はその日からステロイドや飲み薬の類を全て、ゴミ箱に捨てる事が出来ました。松本漢方クリニックでの漢方治療を続けて、もう6年以上になります。他の患者さんに比べれば、おそらくかなり長い間続けているのでは、と思います。個人差もあるでしょうし、また私自身が時々サボってしまった事もあるでしょう。良くなってくると、つい楽をしたくなってしまうものです。そのせいもあったのでしょうか、私の場合、リバウンドのピークが遅くにやってきました。一昨年~去年がもっとも苦しくひどかった時期です。私の場合、特に夏に一番症状がひどくなりました(逆に冬が一番マシになりますが)。体中傷だらけで、皮は布団の上やその周りに白いフケのように散り、皮膚が炎症を起こしているので熱を持ち、汗をかき、それがまたかゆみをひどくさせる。クーラーの効いた部屋でその状態です。もう苦しくて気が狂いそうで、睡眠薬無しでは全く眠る事も出来ませんでした(睡眠薬を飲んで、辛うじて3~4時間ほど眠るというか、意識が飛んでいるという感じでした)。それこそ死にたい、殺してくれ、と真剣に考えた事は数え切れないほど。それでもステロイドは絶対に使わず、ただただ治ることを信じて漢方を続けました。そして今年になって、ようやくピークを越えたのか、治る兆しが見えてきました。今も上半身を中心に症状が出ているのですが、掻いても引っ掻き傷やえぐり傷はほとんど出来なくなり、フケのように落ちる皮の量も減ってきました。そして何よりも、顔や首に症状がほとんど出なくなったこと!たまにかゆくなることはあり、顔にも少しは出ていますが、周りから見てもあまり気にならない程度のようで、目も以前のように二重になりました。また夏になっても睡眠薬を使わずに眠る事が出来ています。夜寝る前に、1度は必ずかゆみのピークがくるのですが、それが落ち着けば、いつの間にか眠っているのです。今まで夏にこんなに眠る事が出来なかっただけに、本当に嬉しい事です。この調子で夏を乗り越えられれば、冬はどれくらい楽になれるのか、来年の夏はどうなのか、ある意味楽しみにもなっています。もちろんサボらず漢方を続けることが前提で。漢方薬の治療は、それはそれで大変です。漢方を煮出す作業、入浴、どれも時間がかかります。また家族の協力もかかせません。1人暮らしの方はもっと大変だと思います。でも一生続けるわけではありません。治ればもう一般的な普通の生活が普通に出来るのです。私は今も漢方を続けて治療しています。それがあと半年続くのか、1年なのか2年なのか分かりません。でも確実に良くなっている事は実感しています。まだまだ時間はかかるかもしれませんが、完全に治るまで、松本先生を信じて続けていきます。これから漢方で治療される皆さんも、あきらめず、根気よく、頑張って続けてみて下さい。他の患者さんの手記を見ている感じでは、きっと私のように何年もかからずに治せるのではないかと思います。最後に、あまりに仕事が多忙だとはいえ、今までなかなか手記を書けずにいて申し訳ありませんでした。でもこれほど多忙な状態でも、ちゃんと仕事が出来るようになったのは、松本先生のおかげです。完治させるまでこれからもよろしくお願いします。完治した時の手記が書ける日を楽しみに。
「ステロイドをやめて」22歳男性2004年8月15日
私は、2年前の2002年5月頃、15年ほどアトピーと喘息の治療のために使い続けていたステロイドをやめようと、漢方を考えました。
以前、インターネットで松本漢方クリニックの事を知っていたのですが、東京在住のため遠いので、近くの漢方屋で煎じ薬とステロイドの入っていない塗り薬を貰い、使用をはじめました。しばらくして、ひどいリバウンドが始まりました。2~3ヶ月ひどい症状が続き、10月頃、少し不安になっていた時、松本漢方クリニックのホームページに載っていた感染の事を思い出し、熱を測ってみたら37.2度以上あって、体重も減ってきたので、心配になり、思い切って松本漢方クリニックに行きました。
そこで、松本先生の力強い言葉を聞き、もう一度、一から始めようと思いました。遠方のため、薬は宅配で送ってもらいました。それから毎日、体の傷を消毒してから、漢方の入浴剤の入ったお風呂に1時間以上入りました。体の消毒はとても痛いものでした。2ヶ月くらいたった頃、症状が軽くなりましたが、それから何度もリバウンドを繰り返し、その度に。症状も少しづつ軽くなってきました。
これからも、まだお世話になります。よろしく御願いします。
「アレルギーと診断されて」20歳男性2006年8月2日
私は、幼い頃からアレルギーが出ていて、ただのアトピーだと思っていました。最初は市販で売っている薬で治っていたのですが、高校に入ってからだんだんひどくなり近くの病院に行って、薬を塗っていました。塗っていた時は、治ってきてかゆみもなくなってきていたのですが、日が過ぎていくうちにどんどん薬を塗る場所が広がってきました。このまま塗り続けていたらどんどん広がっていくのが自分でもわかってきて、病院を変えようと思いましたがどこの病院に替えれば良いのか分かりませんでした。でも家族の力もあり松本漢方クリニックを見つけることが出来ました。
松本漢方クリニックに行ってアレルギーだと診断されて自分がアレルギーだなんて思っていませんでした。アレルギーは治らないと思っていたので、すごくショックでした。でも松本先生が「最後まで信じていれば治る」と言われ、アレルギーについて書いてある本をもらい、色々調べました。アレルギーは体の中の悪いものを出し尽くさないと治らないので今まで以上にひどくなると分かり、最初はすごく辛かったです。
松本漢方クリニックで治療を始めてからすぐにアレルギーがひどくなり今まで出ていた場所もさらにひどくなり、かゆくて仕方ありませんでした。血液検査をしてもアレルギー値が上がったり、下がったりし、冬はあまりなくて、夏になると悪化しました。途中で「本当に治るのかなー」と不安になることもよくありました。それでも先生の言葉を信じ体をかくのを止めず、かくだけかきました。そのうちにだんだん体のかく場所が少なくなり、徐々にアレルギーが引いてきているのが分かるようになり、血液検査のときに松本先生に「徐々に治ってきているよ」と言われすごくうれしかったです。「最初は治らないのじゃないかなぁ」と思っていたことが「治ってきている」と言われ「最後まで諦めないでアレルギーという敵にちゃんと向き合い、治ると信じてきたからこそここまで来れたのだな」と思いました。
自分ひとりの力ではなく、松本先生や家族の協力があったから自分もちゃんとアレルギーと向き合えたのだと思います。これからもアレルギーと向き合えたのだと思います。これからもアレルギーと闘う人はまだまだいると思いますが最後まで諦めないで治ると信じていれば必ず治る病気です。アレルギーになったことで色々気づいたことや、アレルギーによって色々分かったこともたくさんありました。アレルギーは絶対にいやな事だけではないので最後まで向き合いアレルギーをもっと知ることが大切だと思います。私もここからが勝負なので最後まで戦いたいと思います。ここまでこれたのも、松本先生の力と経験があったからだと思います。本当にありがとうございます。
「アトピー治療経過報告」23歳女性2005年9月21日
私は、幼少の頃より、よくあせもや湿疹が出来てはいましたが、アトピーだとは思ってはいませんでした。しかし、大学の4年の5月頃、顔に湿疹らしきものが出来てきた為、近くの皮膚科で診察を受けました。
しかし悪化する一方なので、大学病院を受診しました。湿疹が、顔以外にも、首、内股などへ広がりを見せた頃、アトピー性皮膚炎との診断を受けました。その時も、それまでも、ステロイド剤と思われる物を処方されていましたが、私は兄がアトピーであった為、直ぐにインターネットを通じて、アトピーについて調べると同時に、病院探しを始めました。
そこで松本漢方クリニックを検索し、7月下旬頃、初来院しました。それから治療を開始し、3、4日で症状が酷くなるのを実感しました。顔は全体が赤く張れ、ジクジクと汁も出ている様な状態で、とても痒く、不愉快でした。
日を追う事に、顔から首や臀部、内股、脇下など、全身にその症状は広がっていき、この頃が精神的に一番つらい時期だった様に思います。とにかく無気力な状況で、夏休みだった事でもあり、家に引きこもる生活を送っていた事を憶えています。
一ヶ月経過した頃、少しずつではあるが、1週間程の周期で、良くなったり悪くなったりと、症状に波を感じる様になりました。学校が始まる9月の中頃には、まだ目や口の周りは赤く、オバQみたいな状態で、人に顔を見られるのには抵抗を感じていました。でも症状の軽減は進んでおり、酷かった頃と比較すると、雲泥の差であったため、気持ちは前向きへの変化していきました。
その後も症状の軽減は続き、2年を過ぎた今では、身体全体に出るというよりは、局所的に症状が現れている様に思えます。ある時期は首筋であったり、それが消えた頃には、脇に出たりといった状態を繰り返しています。しかし以前の様に、赤くただれて、ジクジクと汁が出る様な事はなく、ポッポッと出て、痒くなった所を掻いてはかさぶた状になるのを、又掻き壊すといった状況です。見た目には、周囲の人は、アトピーだとは気付かない程度になりました。
治療の途中から、30~40分程度で消える湿疹(暖かい所から寒い所に出た時や、その逆など、気温の変化に乗じて現れてくる様なもの)がよく出てくる様になりました。松本先生に相談した所、特に気にする必要も無い様であり、症状も痒みも一時的なので、現在は慣れた状態にあります。今後も、続ける事で、完治を目指します。松本先生、宜しくお願い致します。
私は幼い頃からアトピーで、小学校高学年から大学2年の夏までステロイドを使っていました。最初は普通の皮膚科に通院し、その後は土佐清水病院に通っていましたが、薬がまったく効かなくなりました。そんな時、何気なく見たHPが松本漢方クリニックでした。それまで、アトピーは治るはずはないと決め付けていた私にとって、松本漢方クリニックの手記に衝撃を受けました。私と同じような病歴を持っている人たちが完治していたからです。親に相談して、親も先生の理論を読み納得した上で松本漢方クリニックに通院しました。最初の1ヶ月は全身が赤くなり、手や首、関節がひりひり痛みお風呂の入っている時間が唯一痛みを忘れられるときでした。その後は、波はあったものの体が少しちくちくするぐらいで、日常の生活を普通におくれるまで良くなりました。正直、飲み薬の効果はよくわからなかったのですが、お風呂と塗り薬は大変私にあっていたと思います。私ももう松本漢方クリニックに通院してかなり経つので、細かい症状は忘れてしまったのですが、一度良くなってまた悪くなるときが一番精神的に辛かったように思います。しかし、先生の絶対治したるという言葉と、自分で絶対治してみせると決意して治療に励んでいるうちに、症状のよしあしであまり一喜一憂することがなくなりました。現在は完治とは言えないけれど、以前に比べよくなりとても満足しています。しかし、生活環境が変化すると部分的に悪くなることもあるので、今後も松本漢方クリニックに通院していきます。松本漢方クリニックのHPに出会って、ここまでよくなれたこと、ステロイドの弊害を教えてもらえたことに大変感謝しています。巷では松本漢方クリニックの完治について賛否両論あるようですが、私は先生の治療を全面的に信頼しています。ただ、治り方は人それぞれで、時間のかかる方はやはりかなりかかるのではないかと思います。手記を見て飛びつくのではなく、経済的なことやこれまでの治療を考慮し先生の理論、治療を納得して通院されることをお勧めします。
私は産まれた時からアトピー性皮膚炎でしたが、物心がつく頃には少し跡が残っている程度で、それほど重症ではありませんでした。
しかし社会人になり、今までとは違う種類のストレスを感じたからか、原因は色々あると思いますが、急にアトピーがひどくなり始めました。
始めに行った病院はステロイドを使う治療法で、少し通いましたが、あまり良くならず、その時に紹介してもらったのが松本漢方クリニックでした。
漢方は初めてだったので、毎日薬を煎じたり、お風呂に入る準備や入浴だけで2時間以上も時間が必要な治療は大変でした。その上、家族の協力なしにはできない治療なので、協力してもらっているにも関わらず、即効性はないため、ほんとに治るのかという気持ちで不安になり、家族と喧嘩することも多くなりました。また、今まで症状が顔に出たことがなかったので、まだマシだという気持ちもあったのですが、漢方を始めてから顔がもろもろになり、お化粧もできなくなり、しかし、接客の仕事をしなければならないので毎日が辛くて仕方ありませんでした。精神的にかなり不安定な状態が続き、今思えば少し鬱のような感じになっていました。しかし、徐々にですが良くなってきているのがわかり、一年半くらいで大方治りました。
もともと極端に刺激等に弱い肌なので、これからもその肌と付き合っていかなければなりませんが、松本漢方クリニックの漢方の治療に出会えたことで、現在ではアトピーの症状がでることはほぼありませんので、とても感謝しております。ありがとうございます。今治療中の方やこれから治療をされる方、どうして私だけ・・・と考えたり、すごく辛くて後ろ向きに毎日を送っている方もいると思います。でも私がそうであるように、アトピーは必ず治り、その先には今の状態からは想像できないような素敵な未来が必ず待っています☆それを信じて、長く辛い治療にめげず頑張って下さい!!
「尋常性乾癬とアトピー」27歳女性2004年10月1日
最初は、肘、膝がかさついている状態で、いつか自然に治ると思い、様子を見ていたのですが、全然治らず、ある時、白っぽいカサブタが出来始めたのです。あまりにもがさがさして、逆にドンドンと酷くなってきた感じがしたので、皮膚科に行った。
病名は、尋常性乾癬と診断された。そこで処方された薬は、メキタミンとワカデニンとピロミジン。ドボネックス軟膏。寝る前には、トクダームを貼って座る。通院先では、紫外線光線療法。
通っても、なかなか良くならないし、ある時、他の病気にかかっているから、治りが遅いのではと思い、病院で血液検査をした。やはり病名は同じで、治療も同じ様な事をすると、説明を受けた。3年くらい通院したが、なかなかよくならず、思いきって病院を変えた。
松本漢方クリニックで、アトピーと診断された。松本先生に「治してやる!!-縮に頑張ろう。」と言われた。ここから、ステロイド脱出の戦いが始まった。以前に使っていた分が、一気に皮膚に現れ始めた。肌の色が白い方なので、赤みがかった湿疹。痛そうに目立つので、スカートや水着を着るのも恥ずかしいほどにひどかった。かゆみなど、顔やおしりや背中などに出始めた。こんなにも湿疹が出て、ほんとに治るかのとも思ったのですが、でも、不思議と跡形もなく消えていることもあった。
今では、あの頃に比べたら、マシになりました。赤の軟膏と漢方薬、入浴剤のおかげです。でも、夏は、ましになる.海水浴も勧められたのですが、効果ありました。海に行った日には、皮膚の調子もよかった。IgE抗体も、始めの半分に減りました。松本先生の処方される薬を、続けようと思います。