「アトピー治療手記」23歳男性2006年1月31日
この治療を始めたとき、とりあえず三ヶ月で何か変わるだろうと、何となく思っていました。実際今三ヶ月が過ぎて、リバウンドが一段落してきています。約三ヶ月間会社を休み、治療に専念していました。その間本当に地獄だと思えるような体験をしました。その時の状況を少し手記として語らせていただきます。
幸いな事に、ひどかった時期の事は記憶が薄れてきているため、少し具体的ではなかったり、抜けていたりするかもしれませんが、許してください。そして、今同じような症状を体験されている方は、いつか治ると信じてがんばって、今を耐えてください。そうするしかありません。私もそうでした。
ではだいたいの時期と状況を記していきます。
<初めての診察の事>
松本漢方クリニックを知ったのは、会社の先輩からの紹介でした。インターネットで理論を少ししか読まずに診察を受けたため、『五回読め!』とどやされました。その時はほとんど説明がなく、本当に大丈夫かと思いました。今でも思いますが、自分の考えだした治療法を、自分の口で説明するのは医師の義務だと思います。大量の患者を相手にするため、時間がないのかもしれませんが、それならそうと断りをするべきだと正直感じました。
<会社を休みだす前>
煎じ薬を飲みだして二三日、体がほてったような感じになって、仕事中も少しぼんやりしていました。既にリバウンドが始まっており、かゆみが激しくなって、仕事も集中できなくなってきていました。
なんとか一週間は出勤したものの、それ以降約三ヶ月欠勤することになりました。もともと風呂にはあまりつからなかった私は、風呂にずっと入っているのがつらく、一時間も入れずに出ていました。
<父の入院の時期>
会社を休みだして二週間、父親が入院することになり、病院に送り迎えをしなければならなくなりました。かゆみもあり、少しぼーっとした状態で車に乗っていたので、ちょっと危険だったかなと今思います。
幸い一週間で退院することができる程度だったため、それはそれでよかったのですが、緊張感が切れたのか、そのころから急に症状がひどくなってきました。かゆみが全身に広がり、傷もかなり増えてきました。
<寒い時期>
症状がひどくなってくると、すごく寒気がするようになってきました。9月のまだ暑い時期でしたが、部屋には暖房を入れ、フリースをきて過ごしていました。
風呂から上がると、すぐに上半身の皮膚が乾燥し、ひきつって、ひりひりして痛く、赤い薬を塗らないと服も着られない状態でした。あがってからすぐに服を着られないのと、寒さに耐えるので、しばらくじっとしていました。一時間、長いときには二時間くらい、赤い薬を少しずつ塗りながらじっと耐えていました。
<足が腫れた時のこと リンパ液があふれだした>
10月に入った頃、足がだんだんと腫れだして、傷口からリンパ液が流れ出るようになりました。お風呂からあがり、少しじっとしていると、下に敷いていた新聞紙一面がぬれてしまうくらいで、新聞紙を替えてもまたびちょびちょになってしまうほどでした。きりがなかったので、とりあえずガーゼをかぶせ、包帯でぐるぐる巻きにしていました。包帯もすぐにぬれて、ずっと湿っていました。
この状態が一ヶ月半ほど続きました。
<眠れない時期>
かゆいところが全身余すところなく、足の裏以外はすべての表面に症状が出ていました.頭をかいた後は足をかき、腕をかいてまた頭をかくというように、絶え間なく、長いときには二時間以上かきつづけるようになっていました。
そのときまだ楽だったのは、ベッドに横になることでしたが、耳の中では、何かゴボゴボと液体がたまっているような感じがして不快でしたし、耳の表面にも傷があって、まくらに耳をつけることもできなく、頭を一部だけベッドにつけて寝ようとしていました。それでもまたかゆみがおそってきて、結局夜通しかき続けるということになってしまいました。
眠れない日々が一週間ぐらい続いたので、松本先生に頼んで睡眠薬をもらい、なんとかそれで眠れたものの三・四時間ぐらいで、目をさましてかきはじめるという感じでした。
眠れない時期は三・四週間ほど続き、その後も朝の四時か五時には起きて、かいていました。
<風呂上がりに熱があがる>
10月半ば頃、風呂から上がり、少しずつ薬を塗っているのを繰り返していたせいか、夜寝る前に熱が38℃ぐらいに上がり、毎晩抗生物質を飲むようになりました。しかし、次の日のお昼を過ぎると熱が下がるため、続けてお風呂には入っていました。
<高熱で頭がふらふらした>
熱がしばらく落ち着かず39℃まで上がった時があり、そのときはさすがにかゆみも忘れ、かなり頭がぼーっとして、とてもしんどい状態でした。熱がありすぎて頭がおかしくなってしまわないかと心配して、頭に氷枕をしてさますようにしていました。一度抗生物質がなくなってしまったことがあり、病院にもらいに行く事も困難だったため、近所の診療所で、自分が受けている治療を説明して、熱冷ましのような薬と抗生物質を出してもらいました。抗生物質の薬以外は飲みませんでしたが、それ以来抗生物質は絶対に切らさないよう特に気をつけていました。今でも使わなかった分が一週間分くらいあります。
その頃はしんどかったのですが、かゆみを忘れて寝ることができていたので、それだけが良かったです。その状態は二週間ぐらい続きました。
<ふらふらの状態での通院>
時期を同じくして相変わらず足の膝から下の部分からリンパ液がでていた頃いったいどうなっているのだと自分の足をじっくり見てみました。すると何か小さいつぶつぶのような物ができているではないかと思い、「ひょっとしたら、ヘルペスか?」と思って、心配になりました。ふらふらの状態でしたが、姉に付き添ってもらい、病院に行き、先生に見てもらって薬をもらおうとしました。そしたら、そんなときにタイミング悪くJRが止まっており、阪急で行ったのですがものすごく混んでいて、ただでさえしんどかった私には、ほんとにつらい乗車時間でした。
見てもらった結果、結局ヘルペスではないことがわかり、それは良かったのですが、もし事前に写真などで症状の状態を見てもらっていたら、わざわざ無理していかなくても良かったかもしれませんでした。このとき二回の血液検査をしました。
次の日、松本先生から自宅の方に電話があり、検査の結果をおしえてもらいました。結果はIgE抗体が26000という数値でした。最初の診察時に7000だった数値が、かなり上がっていました。それからプロテインを一日大さじ15杯と、アミノバクトを三食後に飲むように言われました。自宅に電話をかけてもらえるとは思っていなかったので、驚きました。心配してくれているのだと感じ、すこしうれしかったです。
髪の毛が大量に抜けおちる
頭も傷だらけになって、かきむしっていたため、髪の毛が抜けていきました。シャワーで頭をゆすいでみると、手のひらが真っ黒になるほど髪の毛がついていました。これには、本当にショックでした。端から見ると、明らかに病気に見えるほどだったからです。後でまた元通りになるという話をされましたが、不安でした。
<熱が出て、風呂に入れない時期>
11月中頃、熱がしばらく続いて、高熱で風呂に入れなくなり、消毒して洗い流し、薬を塗って包帯をまくという作業を母親に手伝ってもらいながらしました。
このときの状況が、一番最悪でした、かゆくて全身ひっかきまわした後で、すぐにでもお風呂に浸かりたかったのに、それを我慢しなければならないことや、背中の皮が鱗のようにはがれていたのですが、中途半端にしかはがれなかったため、仕方なくそのまま服をきて、服の上からもわかるぐらい皮がでこぼこになっていました。さわるととてもはがしたくなって、気持ち悪く、熱も高かったので、ふらふらでした。
足の腫れも、太ももとふくらはぎの区別がつかないくらい腫れ上がり、重たく感じるほどでした。さらに太ももの皮膚が象の皮膚のようになり、その形のまま、ぼろぼろとはがれおちていきました。
風呂に入れない状況は二週間と少し続きましたが、本当につらかったのは、一週間ぐらいでした。風呂に入れないのは三・四日ですこしずつ慣れ、熱も38℃を少し下回るようになりました。それでもその頃はずっと毎日松本先生に電話をして、熱の状況を報告し、お風呂に入っても良いか判断してもらっていました。
<同じ時期、大量にご飯を食べていた>
全身の皮が毎日ぼろぼろとめくれ落ちていたため、ものすごいエネルギーと栄養を必要としていたのか、朝からご飯を二杯おかわりし、目玉焼き二つにハムのおかずを食べ、その後またパンを食べるという、信じられないくらいの量を食べていました。それにプロテインも飲んでいたため、ものすごい栄養量だったと思います。それでも顔や上半身は全く太ることがありませんでした。でも足の腫れだけはすごく、体重が8kgも増えていました。
<熱が落ち着いて、足の腫れが退いてきた時期>
11月末、熱がだいぶ落ち着いてきて、風呂に入れるようになり、体の状態も少しましになってきたころ、もう一度病院を訪ね、血液検査をしました。少し状態も良くなってきているし、IgE抗体の数値も下がっているに違いないと思っていたのですが、結果を聞いてびっくりしました。92000という数字になっていたのです。過去最高の数値だと言われましたが、一番辛かったとは言えません。手記を読んでいると、自分以上じゃないかと思うような状態の人もいます。数値としんどさは、必ずしも比例する物ではないと思います。
少し楽になってから検査したので、最高に高いときはいったいどうなっていたのだろうと恐くなりました。相変わらずプロテインを飲むようにと言われていたので、きれかかっていたプロテインを補充して飲み続けていました。
それからさらに一週間ほど経つと、足の腫れが急激に退いていきました。今まで何がはいっていたのかと思うほど足は細くなり、体重も一気に5kgぐらい減っていました。二ヶ月間ほぼ寝たきりのような状態だったため、筋肉はなくなり、治療を始めたときより細くなっていました。
<散歩をしだした時期>
体がだいぶ楽になり、気持ちにも少し余裕が出てきたため、少し散歩をすることにしました。時間にして30分くらいでしたが、それでも疲れるぐらいでした。しかし、久しぶりに外に出歩く事ができ、うれしかったです。
<会社へ行く準備をしだした時期>
12月上旬体調が驚くほど回復してきたため、会社に行く準備をしだしました。いざ会社に戻るとなると、二ヶ月半ほど休んでいたため、産業医という会社が雇っている医者に見てもらい、出勤の許可をだしてもらわないと行けないということで、それを受けにいきました。それから、休んでいた間欠勤という扱いだったため、給料がもらえていませんでした。そこで傷病手当金という社会保険制度で、月収の6割程度をもらえる制度があるため、それに必要な書類を用意したりしていました。やっぱり行くまでには不安がありましたが、この頃は、一週間で体の状況が変わっていたので、なんとかなるだろうと思っていました。
<会社へ行き始めた時期>
幸い会社の仕事が忙しくなく、周りの協力もあって、思っていたより楽でした。それでもこの頃は、尻や足の裏に傷が多く、汁も出ていたりして、仕事場まで歩いたり、デスクワークだったため座っているのがつらかったです。12月の中旬から復帰したため、二週間と少しがんばれば冬期休暇だったので、気分は少し楽でした。
久しぶりに会社に向かう電車の中、私は泣いていました。これまでの苦しかった日々や、母親が一生懸命手伝ってくれたことや、毎日状況報告していた先輩が、毎日欠かさずにメールを返信してくれたことや、派遣でさらに契約社員の私を職場に残れるように気遣ってくれた上司、励ましの手紙やCDなどを送ってくれた彼女のこと、それからもちろんここまで回復できるまでつきあってくれた松本先生のことも思い出しながら。
そして今この手記を書き終えようとしている1月末、仕事は定時で上がらせてもらい、尻と足の裏もだいぶましになってきました。はげあがった頭の毛も、だんだんと短い毛が見られるようになり、顔色や肌が少しきれいになってきました。
まだ足には、手伝ってもらって包帯を巻き、仕事中にも頭を隠すためのニット帽をかぶっています。でもつい1・2ヶ月前までから考えると、信じられないくらい普通の生活に戻れています。この治療は想像を遥かに超えて辛いものでした。
紹介してもらった先輩が、簡単におすすめできないと言っていたのもうなずけます。私の場合比較的短期間でここまで来ました。他の方の手記を読んでいても、非常に長い間苦しんでおられるかたも多いようです。私も第二のリバウンドの不安が残っています。来てほしくはないですが、乗り切れる自信もあります。
松本先生には感謝しています。ステロイドを使わずに、今生活できているのですから。この治療法がもっと認められて、たくさんのアトピー患者が治る事になればいいと思っています。
私は23歳の半分くらいを治療に費やしてしまいましたが、人のやさしさにふれることができた貴重な時間だったと、今は思う事ができます。それから、この治療は、一人では絶対できないと思いました。母親が手伝ってくれなければ、ベッドの上でぶるぶる震えながら、高熱をだして、痛みで気絶して、そのまま栄養も摂れず、のたれ死んでいたかもしれません。母親には本当に感謝しています。この治療の辛さは、やってきた本人しかわかる事ができません。どんなに今が辛くても、いつか治ると、いつか終わると、それだけを信じてがんばって耐えてください。辛くて長く感じるこの人生のほんの一瞬を。
<治療中にやっていてよかったこと、そうでもなかったことなど参考に>
これは最初良かったのですが、状況がひどくなってくると、それどころではなくなっていました。あとその頃流していた曲をきくと、当時を思い出してしまうのが辛い。
元々お笑いが好きだったのもあって、これだけが一番の癒しだったかもしれない。眠れない夜は、録画したお笑い番組をずっと流していた。
とにかく寒い時期はたくさん着込んでいましたが、そうでもなくなってくると、長袖のものだと腕に汗をかき、かゆくなってきたため、腕の部分が長袖一枚でいられるベスト形のフリースが役にたちました。
はじめ牛乳に混ぜて飲んでいましたが、とてもじゃありませんが、大量に飲めませんでした。でもオレンジジュースに混ぜて飲むと、結構楽に飲む事ができました。
・傷病手当金の申請
ご存知の通り、この治療には大金が必要になります。薬代だけではなく、私の場合、ガーゼや包帯代が結構かかりました。月給の6割程もらえるこの制度のおかげで、薬代のほとんどをまかなえるくらいの大きな金額をもらうことができました。申請は一ヶ月毎とかに分けて申請する事も、三ヶ月間を一気に申請する事もできます。
「治療開始から7ヶ月を経過して」27歳女性2003年10月19日
松本漢方クリニックに、アトピーの治療のために通い始めて、7ヶ月が過ぎました。初めて診察を受けるまでは、少し不安もありました。先生に「治してあげるよ。」と言われた事で、心が楽になりました。初めて聞いた言葉に、思わず涙が出そうになり、嬉しくて仕方がありませんでした。
こちらへ来るまでに、色々な病院へ通いましたが、誰の言葉も信じる事が出来ず、どこも長続きしませんでした。体質改善のために、ある所では注射をし、別の所では、体質改善など出来るものでないと言われました。一番遠い所では、和歌山まで通った事もありました。
一生つき合っていくしかない、絶対に治らないのだと諦めていたので、ひどい時だけ病院へ行きました。嫌がっていたステロイド剤も気にせずに使用し、かゆみがひどくイライラして眠れない時などは、抗ヒスタミン剤も服用しました。そんな時に会社の方から、こちらの松本漢方クリニックについて教えられたのです。
治療を始めて1~2ヶ月の間は、少し辛いと思いました。まずリバウンドの症状が出、顔や首、手などのひどかった部分が更にひどくなり、赤く熱を帯びて、痒くて痛くて仕方がありませんでした。手や顔の傷なども、枯れたと思えばまた出来るの繰り返しで、傷の治りも遅くなった気がし、「これを乗り切れば」と何度も何度も思いました。それまでステロイドなどを使用していた分だけ、リバウンドが大きいわけですから、「何故あんなものを!!」と悔しくてなりませんでした。微熱もしばらく続き、会社でも仕事が手につかない日もありました。
それが少しずつましだ、と思えるようになったのは、3ヶ月目にはいったあたりからでした。気付けば、微熱もなくなり、顔や手のむくみなども無くなってきました。少しずつですが、体の痒みも減ってきました。ただ、痒みがあってかきむしっても、以前のように気になったりイライラしたりはしなくなりました。嘘のように、全く気にならなくなりました。
今もまだ、顔から手首に少し傷があり、体の手の部分も無意識に掻いたりはしていますが、何も辛いことなどありません。もう、治る事が解っているからです。病院に行く日が楽しみになるとは、以前には考えられない、信じられない話です。
松本先生、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。
「アトピー完治5合目に達する」匿名希望23歳2006年1月6日
僕は小さい頃からアトピーでした。でも、それ程痛々しい症状が表れることも無く、病院に行って薬をもらい、塗っては治り、また普通の肌を取り戻しての繰り返しの日々でした。それも2、3年に1度症状が出る程度でした。また、親も罹っていた病院の先生も、アトピーは大人になれば自然に良くなるといった風に言っていたので、僕はアトピーと真剣に向き合おうしませんでした。
でも、京都で浪人していた頃、アトピーが出た時は、それまでとは違いました。薬が全く効かないのです。近所の病院から京大病院に変えても全く変化は無く、僕のアトピーは、産まれて初めて全身へと広がり始めました。恐怖心で病院に行ってもまた薬をくれるだけ。でも本当にさっぱり効かないのです。僕は馬鹿らしくなって、そして怖くなって、薬を塗るのを止めました。今思えば、それはステロイドだったに違いありません。
その後、浪人の甲斐あり、志望校にも合格し、部活にも入りました。ただ、薬を止めた僕は、一時の絶望的な痛みと痒みからは解放されてはいたものの、以前として症状が回復する兆しは見えませんでした。そんな私を見て、部活の先輩が紹介して下さったのが松本漢方クリニックでした。「3年我慢するんと、一生苦しむんやったら、3年我慢するほうがエエやろ?」先輩はおっしゃいました。「俺も昔アトピーやったんやけど、そこ行ったら治ったで。少し、時間掛かったけどな。」そして、僕は松本医師と出会いました。
大よそ一般の病院の先生とはかけ離れた人でした。松本医師は、ただ、僕に「絶対、治したる。」と言い、握手を求めてきました。いきなり握手を求められたので、最初僕は、矢沢栄吉かヤクザかと思いました。「そして、ノーベル賞取るから」と言われて、僕は、アトピーの写真を撮られました。何もかもが初体験で、ただただ唖然としました。
でも、松本先生の言われた通りに薬湯につかり、煎じ薬を飲む度に少しずつ症状が楽になっていくことに、もっと唖然としました。正直、薬を煎じるのは手間のかかる作業だし、面倒臭がりの僕には当初は堪えました。でも、症状が楽になるにつれて、自然とその怠性は薄れていきました。
勿論、まだ、首や肘にはアトピーがあり、毎日飲み薬と消毒、赤い塗り薬を続けています。幸い恐れていた程のリバウンドは起らず、IgEの数値もピークを過ぎ下がってきました。まだ、見た目にはアトピーだと判る位だとは思います。でも、絶望的な痒みと痛みはもうありません。これは、あの苦しみを味わった人にしか判らないかもしれないけど、確実に生活が楽なのです。
でも、皮膚の症状のみを見て、本当に治っているのか心配してくる知り合いがまだいます。これは全てステロイドが招いた誤解だと思います。人々の頭の中に、薬を塗ればすぐ症状が改善されるとインプットされてしまっているのかもしれません。これは、本当に怖い事です。今、薬局に行けば、当たり前の様にステロイドが含まれた軟膏が置かれています。僕は、これを誰かがお金を払って買って、塗りたくるのかと想像すると、居た堪れない気持ちになります。
勿論、松本医師と出会うまでに会った病院の先生方も、僕を痛めつけようとわざとステロイドを出していた訳ではないでしょう。ただ、知識が無いだけだったのかもしれません。でも彼等は医者ではありません。ただの病院のヒトです。当たり前ですが、医者は患者の病気を治してナンボです。どんなに金を稼いでも、でかい病院に勤めても、治せないなら医者じゃないと思います。僕はアトピーを治せると言い切られた医者を、まだ、松本医師以外知りません。もしかしたら、この世にはそんな医者はいないのかもしれません。でも、アトピーで苦しんでいる人達を救える医者が一人でも増えるのを願っています。
「アトピー手記」匿名希望24歳2005年11月8日
松本漢方クリニックで治療を始める前は、ステロイド剤を塗って、何とか毎日を過ごしていました。その毎日の中で、かゆくてかゆくて、気が狂いそうになるのを我慢して、与えられた薬を塗っていました。まだ治療中ですが、松本漢方クリニックと出会い、全く今までと違う治療を始めて1年7ヶ月たちましたが、治療前と比べて痒みの度合いが違います。
私は、動物アレルギーの数値が一番高いです。猫を飼っているのですが、治療するまでは全く分かりませんでした。猫好きな私にとっては、とてもショックでした。治療を始めた頃、猫を見るだけで体がぞくぞくしてきて、痒みが増してましたが、今は、猫を抱いたり触っても、前の様には痒くもならず、だいぶ楽になりました。
去年は、海に2回行きました。行く度に、顔と、首、腕から、たくさんの汁が出てきて、ベッドから身動きするのも、体がだるくてしんどかったのです。その頃は、掻くと、ミミズ腫れの様に皮膚が腫れて、汁が出てきたのですが、きつい漢方に変って、湿疹がたくさん出てくる様になりました。大きな蚊に刺された様な赤くて大きな湿疹が、体中に出ました。今は、首、肩、お腹、足、腕、顔に、ほぼ全身ですが、湿疹が出ます。更にビックリしたのですが、最近、頭皮にもプツンとした湿疹が出ます。抑えると痛いです。
相変わらず湿疹が出ます。7月よりはだいぶ楽になり、頭皮と、肩と首によく出ます。酷い時は、朝起きて髪の毛に触ると、カピカピに汁が固まって、ボロボロ落ちるほどです。
治療始めた頃、IgEの数値が4800ほどありました。半年後、一時2000代になりましたが、又4000代に上がりました。それでも痒みが楽になり、体では変化がある事を実感できています。
私は重症患者だと松本先生に言われた時は、本当にショックでしたが、本当に治る道を歩んできている事が、今は、逆に自信になっています。月日はかかると思いますが、治る事を信じて、漢方治療を頑張りますので、これからも宜しくお願いします。
「アトピーの治療に入って─No1」23歳女性2004年3月17日
<2004年1月28日(治療に入って9日目)>※1月19日より治療開始
治療に入り、毎朝起きると、偏頭痛がある。ひどいときは、吐き気がする。
2・3日目ぐらいから首に痒みが発生し、赤くなっていた。
5日目(1月24日)、掻くと汁が出てくる。少し掻くだけで皮膚が剥がれ、リンパ液が出て、常にタオルを巻いていた。首だけではなく、あごのライン、おでこ、肩にも、非常な痒みが発生し、夜、眠れなくなる為、朝方かお昼に寝ていた。掻くとスッキリするが、どんどん皮膚がぽろぽろになっていくのを見て、辛くなった。松本先生に電話した時「必ず治してあげるから。」という言葉が心に響いて、病気に立ち向かう勇気になった。夜になると、気が狂うほどに掻いてしまうが、「今、少しずつ完治に近づいているんだなぁ。」と自分に言い聞かせた。傷が大きくならないように、やすりで爪を磨いた。
漢方風呂に入る前の消毒が、傷口にものすごくしみる。他の病気にかかると、完治が遅くなるので、しみるが、消毒はきちんと傷口にする様心がけている。また漢方風呂に入ると、首の皮膚が、誰かに上から剥がされているような激痛が発生し、その後、痒みが全身に襲った。この時に「ステロイド剤で治る。」といっていた病院の先生を信じてきた自分、またステロイド剤について知識不足だった自分が、恥ずかしいほど情けなく、涙が止まらなかった。裏切られたショックは大きく、悔しくて、何とも言えない気持ちだった。治ると思って今までやってきた事が、全部自分に返ってくることが、信じられなかった。1日も早く完治させたい為、お風呂の時間を増やし、煎じ薬を飲む回数も増やした。また、耳がむくんだ為、プロテインを飲んだ。
<2004年2月4日(治療に入って16日目)>
朝起きて、ビックリした。いつも偏頭痛があったのに、頭が痛くない。吐き気もない。頭が痛くないため、改めて、「健康って、こんなに幸せなんだ!」と実感した。
首やひじは、動かそうとしても、かさぶたになっている為、うまく動かせない。ひじがパンパンにむくんでいる為、プロテインを飲み続けている。治療するまでは、平均体温が36.6度だったが、治療をはじめてからは、35.8~36.3になった。
<2004年2月6日(治療に入って18日目)>
手の指、手の甲、手首にものすごい痒みが出て、じんましんみたいなブツブツが出てきた。掻くと真っ赤になる。(今まで、そこは痒みがなかった。)相変わらず、首周り、あごのライン、頬、腕に激しい痒みがあり、掻いた後ヒリヒリして、痛みが治まらない。
<2004年2月19日(治療に入って1ヶ月)>
痒みが、以前と比べて大分治まり、気持ち的にも楽になった。傷口も、以前に比べたら、大分キレイになってきている。もしかして、「リバウンド1回目が、終了するのかなあ。」と思った。夜も、前よりかは眠れるようになった。
<2004年2月29日(治療に入って1ヶ月10日)>
松本漢方クリニックで診察を終え、家に帰り、漢方風呂につかっていた。お風呂から上がって、頬を触ってみると、ビックリするほどツルツルな皮膚に変わっていた。治療するまではカサカサで、化粧をしても、皮膚が剥がれるほど乾燥肌だった。お風呂から上がるとつっぱって、笑うと「ビキッ」として痛いくらいだった。本当に自分の肌かと疑ったが、すごく嬉しかった。
最近、朝起きると、着ている衣類が湿っぽくなっている。治療に入って、長時間お風呂に入っている為、寝ている間、汗をかくのかなぁと感じた。
<2004年3月10日(治療に入って1ヶ月20日)>
3月1日より、会社にも復帰し、働けるようになった。たまに、手首や腕、首が痒くなり、集中出来ないときもある。治療に入って、一番過ごし易い。3月1日から、食事に含まれている添加物や農薬に対して前よりも気にするようになり、野菜をゆでたり、食べる物に気をつけるようになった。
<2004年3月12日(治療に入って1ヶ月22日)>
体温 朝36.2度 夜35.9度
今日、仕事をしている時、偏頭痛が和らいだ気がした。やはり腕と首に、一番痒みが出る。カサカサとして、皮膚がひび割れている。今は、特に腕に症状が出ていて、掻いて皮膚が剥がれている。服があたると痛いが、仕事が忙しいので気が紛れる。
「アトピーの治療に入って─No2」23歳女性2004年7月13日
<2004年4月5日>
今日、お風呂に入る前くらいから、蚊に刺されたような大きな湿疹が背中に出来たが、あまり痒みはなかった。お風呂に入ると、蚊に刺されたようなものが、背中だけではなく、腕やお腹、ひじなどに出てきた。こんな湿疹が出てきたのは初めてだったので、ビックリして、どうしていいかわからなくなった。朝になっても、前日よりはひいているが、完全ではない。それから、夜になる度にたくさん出てきて、掻くと余計に出てくる。触ると、ボコボコになっている。
煎じ薬もだいぶ慣れ、飲みやすくなった。
<2004年4月15日>
蚊に刺されたような湿疹は、だいぶひいてきた。仕事中にひざの下が痒くなり、掻くと、赤いニキビ(できもの・触ると痒い)のようなものがたくさん出てきて、強く痒いたところは水脹れみたいになり、パンパンに腫れ、曲げるのも苦痛だった。頭の中がパニックになり、イライラした気持ちが治まらない。掻くと赤い湿疹が出てきて、見た目も悪い。こんな皮膚になってしまって、本当にキレイな肌に変るのか信じられなくなり、「一生、このままだったら、どうしよう。」とか、ずっと頭の中がグルグルしていた。赤い湿疹が潰れると、透明な液が出てくる。特に、ひざの下と、手首と腕の痒みがひどく、掻いた所はかさぶたになっており、汁も出ている。掻くと、先に血が出るのではなく、汁が出てくる。朝になって布団と見ると、皮膚が剥がれ落ちていて、コロコロクリーナーが手放せない。
<2004年4月26日>
だいぶ湿疹も治まった。掻くと赤いできものが出てくるが、前よりはあまり出て来なくなった。今は、特に、夜になると痒くなる。お風呂に入ると、背中、腕や足に、湿疹がたくさん出てくる。お風呂から上がる頃には、だいぶ引いている。以前は、布団の上に皮膚がたくさん落ちていたが、最近は、あまり気にならなくなった。
<2004年5月10日>
だいぶ痒みも落ち着き、夜が寝やすくなった。手首に痒みがひどかったが、最近、我慢出来るくらいになった。松本先生に、「今年は海に行って、表皮をたくさん脱ぎなさい。そうした方が、早く完治するから。」と言われたとき、夏はチャンスだと思った、当分の間、海で日焼けをしていなかったので、少し恐いが、完治の為にも、なるべく早く海に行ってみようと思う。
<2004年6月2日>
治療を始めた頃に比べると、最近、首、肩などの痒みが落ち着いた。前ほど傷はひどくないが、夜に痒みがひどくなることがある。首を掻くと、汁が出て、朝起きると、シャツに薄黄色いシミみたいな痕がたくさんついている。布団の上には、相変わらず皮がたくさん落ちている。
<2004年7月2日>
今日、トマトを切っていたら、痒みが急にひどくなり、気が狂うほどに掻いていると、掻き過ぎて、ひどい傷になってしまった。掻いた所は汁が出て、手の甲や手首がパンパンに腫れ上がり、頭の中がパニックになった。掻いたら痒みが治まり、楽になるが、その後傷の痛みで、目に涙がたまる。手が痒くなると、他の所も痒くなってきて、顔や首や肩を掻くと、ハムのように腫れ上がり、目も片方だけが棒のようになって、パンパンで痛い。漢方風呂に入り、上がると、余計に痒くなり、寝ている時、何度か目が覚めた。起きる度に汁がたくさん出ていて、気持ち悪い為、タオルで拭いていた。首を曲げるのも困難な為、会社を休んだ。体がだるく、何をするにも気力がなく、その日は、敷布団の上にバスタオルを敷き、寝ていた。
<2004年7月4日>
汁は体中のあちこちから出ているが、痒みはだいぶなくなった。傷の痛みはある。もう何回来たか分からないが、「また、リバウンドだろうな。」と思いながら、赤い塗り薬を体中に塗った。目の腫れもだいぶなくなったが、手や手首の腫れがなかなか引かない。毎日が嫌になる。「どうして、こんな目に遭わないといけないの。」と考えたりすると、涙が止まらない。でも、きっとこのリバウンドを一つ乗り越える事で、体の中の悪いものが少なくなり、完治に近づくのだと、自分に言い聞かせた。
今日は、会社に行った。帰ってからお風呂に入っている際、自分が完治した姿を想像すると、胸が一杯になり、涙が止まらない。「今は、自分に自信がない。でもいつか、堂々と半袖を着たり、今まで出来なかったオシャレをしたり出来るようになるんだ。もう、自分の肌の事で、人の目を気にしなくてもいいんだ。」と思うと、頑張ろうと感じた。今は、充電の時期なんだ・・・・・と。
「アトピーの治療に入って─No3」23歳女性2004年12月7日
松本漢方クリニック御中
いつもお世話になっております。
治療を始めて、もう少しで1年が来ますが、痒みも、初めの頃に比べたら、だいぶ楽になりました。完治するまで頑張りますので、今後とも宜しくお願い致します。
<2004年7月27日>
松本先生から、「海に行くと、完治に早く近づける」と聞いて、「よーし、なるべく行ける日は、海に行って、悪いものをイッパイ出そう。」と、心に決めた。でも内心は、「どんな風になるのだろう。」と不安だ。
今日は、海に行く日。浜辺に着いて、海水に浸かると、傷口がヒリヒリして痛いが、消毒薬をつけるよりは、痛みがましに感じた。30分海の中で遊んで、30分経つと、浜辺で、海水で濡れた皮膚を、太陽に浴びさせた。それを5~6回くり返した。
入り始めの時は、顔が赤くなってなかったのに、帰りの電車の中で自分の顔を見てみると、パンパンに腫れて、触ってみると、皮膚が固くなっていた。(汁が、溜まっている為)
家に帰って、顔や腕、肩が痒くなり、赤い所を掻くと、汁がたくさん出てきた。日焼けでヒリヒリして痛いが、これを乗り越えたら、また一歩完治に近づくと、自分に言い聞かせた。
2・3日すると、ボコボコになっていた顔の腫れが、治まってきた。背中のヒリヒリは、まだ治らず、漢方風呂がつらい。
1週間経つと、顔もキレイに皮が剥がれ、背中の日焼けした皮膚も、ボロボロに剥がれ始めてきた。皮膚が剥がれるところが痒くて、掻いてしまう。背中、肩の皮膚が剥がれると、キレイな肌が見えた。ツルツルな肌が嬉しくて、ついつい触ってしまう。
<2004年9月23日>
夏は、2回、海にいけた。2回目に行った方が、症状はマシだったが、日焼けがひどく、前よりもたくさんの箇所で皮が剥けた。
最近、またひどくなり、首から汁が出て、タオルで拭いていた。夜も、気付かないうちに掻いていて、汁が出て、気持ち悪く、目が覚める。痒くて寝つけなくて、明日の仕事の事を考えてしまい、気が焦る。
2・3日前から、痒くて、眠れなかった。朝方になると、痒みが楽になり、寝られるが、寝不足で、仕事中眠くて、集中出来なかった。
<2004年10月5日>
今日、お風呂に入っている時、「今日、痒みが楽だ!!」と思った。いつも掻いていたのに、掻かなくても、痒みが楽な分、イライラした気分も楽になった様な気がする。
首のリンパが大きく腫れていたが、あるのかないのかどうかわからない程、小さくなっていた。すごく嬉しくて、お母さんにすぐ言った。
とても寝付きも良く、朝起きても、ヒリヒリしない。
いつも首を掻いているのに、首に傷がなかった。すごく、本当に嬉しかった。
<2004年10月22日>
今日、また突然痒みが出てきたような気がした。特に、肩、首、ひざの裏が痒い。でも、治療を始めた頃(2004年1月19日、治療を始めた)に比べたら、だいぶ楽になった。
10月の初旬の頃に、首のリンパが、触ってわからないくらいに小さくなったなと思っていたが、今日触ったら、リンパ節が確認できた。気のせいかなと、一瞬思った。でも初期に比べると、リンパの膨らみも、だいぶ小さくなっていると思った。
現在、看護専門学校3年生となる娘の代わりに母親の立場から体験をしたためます。幼児期に、アトピー性皮膚炎と診断され、皮膚科で軟膏を貰って湿布しておりました。その当時、医者が処方する薬に対して(チューブに貼られていた薬名は剥がされていた)何のためらいもなく信用し、瞬時に痒みが治まるので6歳くらいまで通院しておりました。今思えばこの時から、ステロイド軟膏という劇薬を娘の肌に使用していたのでした。
小学校に通い始めた頃から、近くの病院へ転院。そこでは、飲み薬(漢方薬)と外用薬としてベトネベート軟膏・リンデロンA軟膏・プレトニゾロン軟膏「ドージン」・保湿剤「ヒルドイド」・鎮痒剤「オイラックス」等使用していました。担当医曰く、その薬の強さと使い方を間違わなければ副作用はほとんどなく、症状がひどい箇所に集中的に湿布し範囲を広げない事、そして徐々に軽い薬に変えていくという説明でした。中学1年生まで通院していたように思いますが、娘に初潮が始まってからアトピーも陰を潜め、全く薬を使用しなくても良くなってきたのです。まさに「治った!!」と思いました。ところが、高校2年生の夏、再発。仕方なく以前通っていた病院にUターンしてしまったのです。これがそもそもの大間違い!ステロイドを塗布したときだけ治まるだけの繰り返し、いや、返って酷くなってくるような状態で「ステロイドでは治せない」と実感しました。遅すぎた判断でした。
では、何処の病院に・・・・・? 当時我が家にはパソコンが無く、姉にインターネットで情報を検索してもらいました。すると、膨大な「アトピー完治の理論」を切々と説いておられた松本先生に目が留まりました。それは、文明を発達させてきた為に人工的な化学物質である農薬・ディーゼルエンジン車の排気ガスなど環境汚染が根本的原因で、人体に異物が侵入し、それを皮膚から排除している現象である。痒いときは掻いて早く異物を対外へ排出する事・皮膚が傷つけば漢方浴剤、皮膚の再生を促すには漢方煎剤を。免役を抑制せず自然療法を用いる方法に強い衝撃を受けました。
平成11年10月9日受診。先生にお目にかかり一応ステロイド離脱の説明を聞き「頑張っていこう、任しときなさい、絶対治してあげる。」と自信に満ちた力強い声と共に娘と握手を交わして下さいました。初診時、IgE抗体 537、それ相応のリバウンドはやってきました。学校も4日程休んだ事もありました。部活はバスケットでキャプテンをやっており、県大会出場をかけての試合にはリバウンドのため体調不良でフル出場出来なかった責任感、本人にとっては辛く悔しい年であったことだろうと思いました。
平成13年4月、希望していた看護専門学校に合格し、2時間近くかけての通学が始まりました。ところが7月下旬頃から症状が少しずつ悪化していきました。10月上旬から5日間・14日間と2回の実習が予定されていました。自宅から研修病院まで遠距離の為、ビジネスホテルを利用しての実習でした。この時首が回らないほど皮膚が突っ張り、切れたりポロポロと皮が剥がれ落ち、床は粉で真っ白だったでしょう。両腕は全体に腫れ上がり、曲げづらく痒みも半端なものじゃなかったかと思います。(ホテルは迷惑だったでしょうね。)何とか乗り切り、実習を終えて帰宅できました。すると、12月くらいからうそのように症状が快復して、綺麗な肌に戻ってきました。
平成14年7月下旬、2年生の2学期から実習も増えるという理由から、自宅を離れ学校近くでマンション暮らしを始めました。ケアーも娘一人に任せておりますが、現在のところ多少おでこ・肘に症状があるようですが、あの悲惨な状態は陰を潜めているようです。
平成15年4月、3年生となり実習の毎日でレポート提出に寝る間もない程追われてるそうです。(本当かな?)
現在のところ安定していても、又いつかと不安は絶えず抱えておりますが、先生の治療方法を実践することがアトピー離脱への道と確信しております。
この手記を書くにあたり、私の半生を振り返りながら、アトピーと自分がどのように関わってきたかをご紹介しようと思います。いざ思い出してみると、私の今までの人生ほとんどがアトピーとの付き合いだったということをしみじみと感じました。
私の記憶では、保育園時代は喘息で入院したことがあり、今思えば、それがアトピーに関する最も古い記憶です。
小学生時代は、手や足の関節の内側(裏)が痒かったのを覚えています。その頃はそれが異常だということが分からず誰でもそうなるもの、つまり普通なんだと思っていました。
一方、中学生時代、高校生時代は不思議と肌はきれいで、「白くてきれいな肌をしているね。」と女性からも言われるくらいでした。
その状況が豹変したのは大学1年生の夏でした。友人と夏に海に行ったのがきっかけだったと思います。思いっきり太陽の日差しを浴びたのが原因だったのでしょうか、その翌日、顔が真っ赤になって痛痒くなっているのに気づきました。今から考えるとそれが地獄の始まりだったような気がします。しばらくして顔、体、足と場所を変えてどこかが荒れているような体になりました。
私はもともと病院嫌いだったので、皮膚科には行かずに、親がなぜか持っていたチューブに入っている塗り薬をおまじないのようにずっと塗っていました。その薬がステロイドだと分からずに・・・。とりあえずはそれで急に良くなったりして、やはり時が経てば治るんだなと無理やり納得し、特にアトピーに向き合うことはしませんでした。
しかし大学を卒業し、大学院に入学するころから定常的に全身の肌が荒れ出すようになりました。状態がますます悪化し、2年ほど経過した時、ようやく自分はアトピーでしかも重度なんだと自覚するようになりました。
大学院も卒業し、就職してからは出張が多く、こんな体で一生やっていくのか?とふと思ってしまうことが増えていきました。しかし、それでも過去の経験で急に良くなる事があったので、いつか時が経てば治ると自己暗示にかかっていました。もちろん、一向に治る気配がありませんでした。こんな感じで一生過ごしていくのか。そんな覚悟を徐々に固めつつ過ごしていました。
松本漢方クリニックを知るきっかけになったのは、就職して一年目(2002年)の夏頃でした。二週間ほどの長期間の出張があるとのことで、念のためアトピーの薬(ステロイド)でももらいに適当な皮膚科を探しにぶらぶらと駅付近を歩きました。会社の寮がJR高槻駅の近くだったのでその辺りをぶらぶらと歩いていました。そのなかで初めに目に付いた看板が「M皮膚科」でしたが、そこは休みでした(今から思えばそこが休みで本当に良かったです)。仕方がないので他の皮膚科を探しているところで、「松本漢方クリニック」を見つけることになったのです。
「松本漢方クリニック」と毛筆体でデカデカと掲げている看板がまず目に入りました。そのときの私の感覚では「ちょっと気合の入った皮膚科やな」という感じで、なんとなく期待感を持つことができました。そして「えいや!」で中に入りました。すると今までの皮膚科とは全く雰囲気が違っていました。どことなく漢方臭く、なんとも言いようのない雰囲気、しかし漠然とこの上ないポテンシャルを感じました。極めつけは「ステロイドは一切使いません」との張り紙。私が求めていたものはこれだと理屈抜きの感情を抱いたのを憶えています。
松本先生に初めてお会いしたときのことは今でも鮮明に憶えています。この上ない自信に満ちており、周りからどんな攻撃を受けようとも決して己を曲げることはないであろう、人間的な芯の強さを感じました。「絶対治してあげるから」と握手していただいたのですが、そうそう言える言葉ではないと感じ、あまり深く考えず全てを松本先生に託すことにしました。人生には数多くの分岐点がありますが、この瞬間も私の人生にとって大きなものとなったことは言うまでもありません。今から思うとこの導きは神様の働き以外のなにものでもないと痛感しています。世界で一つしかない医院にぶらっと立ち寄って行けたのですから!
ここからが天国へ向けての地獄のスタートでした。薬を飲み始めること数日で、まず胸が痒くなりました。次第に顔が赤くなって痒くなりました。掻けば掻くほど痒さと痛みが増し、黄色いリンパ液で体がいつも湿った状態になりました。どんどん掻いて肌がえぐれてもさらに痒くなるので櫛で胸を思いっきり引っかいたことがありました。するとこの上ない多量のリンパ液が放出され、ぞっとしたことを憶えています。寝ても覚めても逃れられない苦しみ。会社もしばしば休むこともありました。顔は真っ赤になり、体力も異常に奪われ、いつもどんよりとした、近寄りがたいオーラを出すようになっていました。周りからは「顔赤いぞ」とあからさまに突っ込まれることもありながら、しかしそこまで自分を理解させることも難しかったために精神的にも苦痛でした。会社の寮住まいで一人身だったので本当につらかったです。
私を支えたのは、この治療が正しいという確信のみでした。松本先生に指示され、初めにHPを読み、その内容に納得できたこともあり、いつか完治できるという思いを強くもつことはできていました。たとえ見た目がひどくなっても「治っている!」と思うことができ、なんとか頑張れました。それまでステロイドでなんら変化なく治る傾向がなかったので、変化があること自体、完治へ向かっている実感がありました。
そんな状態も永遠には続きませんでした。初めはIgEの値が600程度だったのですが、治療を続けているうち最大1500になり、そこから下降していきました。私の場合、痒くなる時期に「波」がありました。その二回目のピークが収まったところで、ようやくIgEの値が下がり始めました。現在では、5~6回のピークを乗り越え現在ようやく症状が落ち着いている感じです。
松本先生には申し訳ないのですが、仕事が理由でしばしば松本漢方クリニックにいけない時期がありました。いまから思えば根気強く、しっかりと詰めて通い続けることが早期完治の秘訣だと後悔しています。
長い間(もう5年くらいになるでしょうか)私に向かい合ってくださっている松本先生に本当に感謝しています。まだ完治ではないのですが、局所的に悪化する以外、本当に楽な生活を送ることができています。何事も楽をして天国を得ることはできないとつくづく感じていますし、松本漢方クリニックの治療は本物ゆえにこの苦痛があると理解できています。簡単には治らないですが、完全に治ると信じています。これからも最後まで気を緩めずに治療に向き合わなければならないと思っています。
完治まではまだ少し先ですが、これからもよろしくお願いいたします。ここまで良くなったのは事実ですので、これをもって中間報告とさせていただきます。
以上
私が、松本漢方クリニックを知り、通い始めたのは、4年程前・・・
美容師の仕事を、はじめて半年ぐらいした頃、昔から時期的に、手荒れが酷くなったり、元々皮膚が、かぶれやすかったりして、弱いことは、わかっていて美容師を目指したわけですが、毎日使うシャンプー剤やいろんな薬液で、荒れ始め、そのころ他院でもらっていた、ステロイドの薬を塗っても治まらないくらい、全手の指が膿をもったように腫れ、手首から肘にかけてもプップツが出来てしまい、お客さんからも心配されたり、きっと気持ち悪がられていたように思うほど酷い状態になりました。その状態で、痛みを我慢しながらもしばらく仕事を続けていたのですが、顔や足にまでブツブツが出来、精神的にも限界になってしまい、仕事を辞めることを決意しました。
そして、母親がアトピー治療の良い病院がないか知人に聞き、探してくれたところ、漢方で治療されているという松本漢方クリニックの事を教えられ、その方の娘さんのアトピーが、漢方を続けた事で完治したということを聞かされました。
滋賀県の私の家からは電車で2時間ぐらいかかり、通うには、少し遠く不便だと思いましたが、初めて知った漢方治療に期待を持ち、完治出来るという、言葉を信じて行って見ることにしました。
漢方の事なんて全く知らなかった私は、医院で続けるように言われた漢方風呂や飲み薬の独特のにおいや薬の苦さになかなか慣れる事が出来ず、毎日苦戦しながら続けはじめました。
ステロイドなどの薬を使えば一時的に治まった傷も、はじめの頃は、松本先生のおっしゃっていたリバウンド現象で、酷く荒れる状態が続き、それを乗り越えなければ、ならないということは、決して簡単ではありませんでした。
寝ている間もひどい痒みに襲われ、手袋をしていても、掻きむしってしまい、血だらけになってしまう事もしょっちゅうでした。
治療をはじめて、2、3ヶ月たった頃、漢方薬にも慣れ症状も少し治まってきて、ようやく、先が見え初めた気がしました。
それから、2年ほど松本漢方クリニックにかよい続け、治りきったわけでは、ありませんが、ほとんど症状の跡形も残らずキレイに戻りました。そして結婚、出産、育児と忙しい日が続き、途中治療を止めてしまっていたのですが、また少しアトピーが、出はじめたので、これからも、根気良く治療を続け、漢方の力を信じ完治を自覚したいと思っています。
「アトピー ヘルペスの手記」匿名希望28歳2011年1月11日
タイトル「メニエール病と診断され…」
あれは2009年の初夏、ちょうど梅雨の時期の月曜日でした。朝、目覚めた瞬間、天井がグルグルと回り、明らかに自分の感覚がオカシイことに気がついたのです。起き上がろうとすると、ひどい頭痛に襲われました。とにかく、落ち着こうと水を飲むと嘔吐。激しいめまいで、まともに歩くことすらできませんでした。
その日は安静にするしかないと思って会社を休み、ベッドで寝ていたのですが、昼過ぎになっても症状は全く変わりません。私は思わず救急車を呼んでしまいました。
ただ、街の総合病院の医師に診断を受けても特に異常は無いと言われ、念のため、CTスキャンを取っても、何一つ悪いものは映らなかったのです。病院のベッドで休んでいるうちに、幾分症状はマシになったものの、不意に起きあがった時、歩いている時に突然起こるめまいは一向に消えませんでした。
そうこうしている内に医師が口にしたのは「耳鼻科に行ってみては…」という頼りない言葉。ただ、私は消えない症状が怖くて、仕方なく近くの耳鼻科に赴きました。
そこで、検査を受けた後に下ったのは“メニエール病”の疑いがあるという診断でした。メニエール病という名前自体も初めて聞いたばかりでしたが、なにより、はっきりとした治療法が無いと言われたことがショックで、途方にくれました。ただ、その不安もすぐに消えました。
翌日、私はアトピーでお世話になっていた松本先生に相談したのです。
すると、先生からは「それはヘルペスや。大丈夫やから心配せんでええ」の一言。
私は自分の思い描いていた不安な感情が、先生の力強い言葉によって落ち着いていくのを感じました。ヘルペスはアトピー治療の過程で何度も経験していましたから、安心したのかもしれません。
それからは、先生からいただいた抗生物質の錠剤と、漢方薬を煎じて飲みました。当初は、不意に起き上がったり、寝返りをうったり、歩いたりすると、めまいがまだ起こりましたが、1週間程すると、症状が少しずつ落ち着いて来るのを実感。症状が起こった当初は、なかなか治らないため、出口が見えない不安がありましたが、それも徐々に薄れ、気持ちもすっかり明るくなったのです。
10日も経った頃には、リハビリを兼ねて近所の公園まで歩きました。途中の自動販売機で買ったジュースを飲んでも、もちろん嘔吐しません。
そして、2週間くらいで完全にめまいはなくなり、再び会社で働くことが出来ました。
その後も、アトピーの患部や、口元にヘルペスが出来ることはありますが、めまいが出るということは一切なくなりました。今思えば、すぐに先生に相談したことが全てだったと思います。
私は、アトピーの治療に時間が掛かっていますが、それは、幼少期に皮膚科からステロイド入りの軟膏や飲み薬をもらったことが大きな原因になっていると思います。ただ、メニエール病(要はヘルペスなのですが)に関しては、松本先生からいただいた以外の薬は全く使っていませんから、それが大きかったのでしょう。
2010年の6月からは、転職で、大阪から東京へと引っ越し、仕事は、朝から深夜に渡り、以前よりハードになったものの、アトピーの症状もスッカリ落ち着き、快適に暮らしております。
もちろん、メニエールは再発していません。
「アトピー手記」匿名希望26歳2006年12月22日
松本漢方クリニックにお世話になったのは、2003年の春だったと記憶しています。
小学生くらいからステロイドを使用してきて、だんだんとステロイドを塗る回数も増えて、このままじゃいけないと思い、ネットで検索して見つかったのが、松本漢方クリニックでした。今まで、病院を変えたのは数え切れないくらいでした。
そのため、最初はだめで仕方ないと思って、松本漢方クリニックに行きました。
診察が終わって、薬を飲み始めた後、1週間くらいして、自分の場合、足首、首と手首に湿疹が出始めました。
これがはじめてのリバウンドでした。2003年の3月だったと思います。
それから私は一度もステロイドを使用していません。
確かに、足首、首と手首にはよくステロイドを塗っていたと思いました。
でも自分の場合、赤い塗り薬を塗るとかゆみや痛みはだいぶ楽になりました。
住んでいる場所が東京ということもあって、それから医院の方に行けていません。
先生、ごめんなさい。
あれから3年、2006年現在、赤い塗り薬を塗るだけです。
毎年、湿疹が出るところが違っているのですが、足首が冬になると少しひどくなるだけです。
でも今までステロイドで苦しんできた頃に比べると、はるかに楽です。
ステロイドを使用しなくても、塗り薬を使用するだけで良くなりました。
それくらい今は楽に生活でいるようになりました。
塗り薬の使用もだんだん頻度が少なくなっている気がします。
一度お礼に伺いたいと思っています。
松本先生これからもよろしくお願いいたします。
そしてどうもありがとうございます。