兄も姉も「アトピーですね。」と言われながらも、痒がることはなく、3番目のこの子は、生まれた時は、きれいな肌でした。しかし、3歳くらいから、ひじの内側をかくようになり、かきすぎて、とびひになったこともありました。その頃から、かいてひどくなると、T病院に行っていました。3才の頃は、手だけが、5・6才には、だんだん首や、ひざの後ろと、かゆいところが広がってきました。かきすぎると、肌も少し赤黒くなってくるし、友達からどう思われているかなと心配もしました。
娘は、1年生から、週1回スイミングスクールに通っていました。暑い日は、汗をかき、かゆがるので、幼稚園や学校から帰ってくると、シャワーを浴びさせたり、かゆみがおさまるまで、ぬれたタオルで背中をふいてやったりしました。参観日に、娘の様子を見ると、かゆみのせいで、授業に集中できず、手が自然と動いて、身体をかいていました。夜寝る前には、私が背中をかきながら寝ていました。夜中も、1、2回かゆくて起きるので、その度にかいたりさすったりしました。時々、ガシガシ娘が背中をかく音で目が覚めたり、お互い睡眠障害の毎日でした。
8才には、背中にも広がり、ひどいときだけステロイドを塗るようになりました。塗ると、すぐつるつる、すべすべのきれいな肌になり、かゆみもなく、見た目.もよくなりましたが、薬をやめたら、すぐ発疹が出てくるという繰り返しになりました。外側だけ治るだけで、内側からは治っていなかったのです。松本漢方クリニックに通うきっかけになったのは、このままではいけない。娘も大好きなスイミングをやめなければならない。どうしようかと思い悩んでいた時、松本漢方クリニックに通院している同僚に、「漢方」で治すとはどういうことなのかを尋ねたことからです。
松本先生に、「かきたいだけ、かきなさい。」そして、ナント「かいて、楽しみなさい。」と言われました。今まで「かいたらだめ!血が出るよ。」「だめ!だめ!だめ!」と娘に言ってきたのに、頭の中が???になりました。
漢方薬を飲んだ次の日に、発熱し、学校を休みました。これから、漢方薬を飲む → 発熱 → 学校を休むということになると、勉強も遅れてくるなあと心配しましたが、この2年間で、発熱したのは、初日の1日だけでした。
「お子さんは、軽いほうだ。」と言われたので、半年、長くて1年くらいで治ると思っていました。漢方薬を飲んでからは、リバウンドで、背中、膝の後ろ、太もも、ひじの内側、首回りと、湿疹がたくさん出ました。これだけ出たら、もう終わりやろ、もう終わりやろと思っても、次々に出てきました。毎日、漢方薬を煎じたり、入浴の準備をしたり、傷の部分の消毒をしたり、1人ではいやだというので、一緒に20~30分薬の入ったお風呂に入ったり、塗り薬を塗ったり、入浴剤でかなり汚れるので浴槽を掃除したり・・・これを毎日続けることが、だんだん苦痛になってきました。でも、これも娘のため、辛いときは、「なぜ、他の病院をやめて、松本漢方クリニックにしたか」と原点に返って、改めて考えました。また、娘も、苦い漢方薬を頑張って飲んでいる、しんどいのは私だけじゃない、娘も自分も励まして、一緒に乗り切ろう、身体にやさしく、いいものだから、ゆっくり治るものだと思い、焦らないことだと思いました。
「手記を書いてきてください。」と、松本先生に言われるまで、2年かかりました。漢方薬を飲めば、絶対治ると信じ、来てよかったと思いました。次は、「治りました。」と言われるまで頑張ります。
娘も、年頃になって、少しは肌を見せられる、かわいい服も着られるようになると思います。喜べる日は近いかも!?
娘は現在11歳(小5)で、松本漢方クリニックにて治療中ですが、アトピーの症状が出たのは生後3ヶ月でした。
夫がアレルギー体質で、夫の姉妹にも重度のアトピーがおりましたので妊娠中からある程度覚悟はしておりました。
顔や体の数箇所に真っ赤な湿疹ができ、夏季は特にひどくとびひにもなりました。
母乳を与えていましたので、卵等やめたほうががいいと聞き、食事制限をしましたが外食時など食べる物に困り本当に辛い日々でした。
小児科で塗り薬をもらい塗っていましたがほとんど変化は見られませんでした。
2歳になり紹介された病院での検査で卵、小麦、その他多数の反応が出たため除去食を指示されました。
子供の前で親だけが好きな物を食べるのもかわいそうなので、今度は子供のメニューに合わせ家族全員で食事制限をすることになりました。
少しづつは良くなったようでしたが、なかなかスッキリとはしませんでした。
5歳のときに関西に転居し、付近で評判の良いと言う病院に行ってみましたが、そこではステロイドを投薬されました。
ステロイドの弊害についてはいろいろと聞いていたので最初は拒みましたが、間隔をあければ大丈夫と言う先生の言葉で使用し始めました。
塗りだしてから最初は良かったのですが、徐々に皮膚が堅くなりできものが出来たりしました。冬季はまだ良いのですが、毎年夏季になるとひどくなり、ヒスタミン剤や漢方の飲み薬を飲んだりもしました。
夜間はかきむしる音が気になり不眠状態になる事もありました。
このころになると他の子供達からも変な目で見られていることが分かるようになり精神的にも良くない状態の時もありました。
七夕の短冊にアトピーが治りますようにと書かれているのをみて絶対にどうにかしてやりたいと思いました。
そんな時友人から、会社の同僚がひどいアトピーだったのにうそのようにきれいになったと、松本漢方クリニックを紹介してもらいました。
HPで手記をみて、ここは他とは違うような気がして娘を連れて行ってみました。
先生の絶対に治してあげると言われた言葉を信じてやってみる事にしました。
最初は漢方の苦い飲み薬と1時間の入浴が苦痛のようでしたが、娘のほうにも治したいという強い信念ができてきたようでがんばって続けました。
治療開始から1ヶ月くらいでかゆみがひいてきて、皮膚の色も徐々に正常に戻ってきました。
それにつれて性格もとても明るくなったような気がします。
1年が経過し、同じ治療法を継続していますが、1時間の入浴はなかなか毎日はできません。
それでも以前のようなかゆみはなく、湿疹もでなくなりました。汗をかくと少しかゆみは出ますがシャワーで押さえられる程度です。
しかし、まだ数値的にも完全ではなく、以前塗っていたステロイドの痕も残っています。
これからもこの治療を継続していけば治るものと信じてやっていこうと思っております。
私は3才のころからアレルギー性鼻炎で、花粉の季節になると、鼻が詰ったり、風邪をひき、よく耳鼻科に通っていっていました。そしてもらった薬や点鼻薬をつかっていました。でも点鼻薬では最初は良かったけど、だんだん使う量が増えていき、薬が切れると、すぐ鼻つまって、苦しくなってしまい、夜中に何度も起きて薬を使ってしまいました。
そして小学校4・5年の時から、ヒザの裏やヒジの裏などにアトピーが出てきて、すごくかゆくなり、がまんできずにかいてしまい、アトピーがひどくなっていきました。医者に見てもらって、薬をもらったり、家でいろいろ試したりしましたが、最初は良かったけども、だんだん効かなくなっていきました。
でも中学校に入る頃には、アトピーは一時期はおさまったけど、2・3年の頃に、今度は手の甲にアトピーがでてきてしまいました。最初はたいしたことなかったけど、すごくかゆくなり、でもがまんしました。でもたえきれずにかいてしまい、またアトピーがひどくなりました。
でも、その時にお母さんが松本漢方クリニックの漢方薬を飲んでいて、それで私も松本漢方クリニックに行って、漢方薬をもらい、飲み始めました。最初はアトピーがひどくなり、すごくかゆくなって、かきむしってしまってたいへんだったけど、花粉のとぶ季節になっても鼻がつまらなくなっていたので、すごくうれしかったです。そしてアトピーもだんだんよくなってきています。これからもがんばって薬を飲み続けていきたいと思います。
2歳ごろからアトピーが発症し、全身真赤な肌でした。転々と病院を変わり治療しましたが、悪化するばかりでどうすることも、出来ませんでした。そんな時知人から、松本漢方クリニックを紹介して頂いて、さっそく受診しました。
紅い軟膏や、煎じ薬、漢方風呂、使用しはじめて2ヶ月頃、肌の状態が変り、それから、3ヶ月経った頃には、すっかりきれいな子供の肌になりました。その頃には、ぐっすり朝まで眠れるようになりました。
その子供も今は中学1年生になり、身体も大きく成長しましたが、花粉が散る、3月頃には、アトピーが再発し、顔、手、背中などに湿疹が出ます。その時は、また松本先生にお世話になっています。
今後も宜しくお願いします。
大切な初孫が、幼い頃から軽いアトピーとは聞いておりましたが、一緒に暮らしておりませんので、こんにひどいとは思いませんでした。中2の春頃、母方のおばあちゃんから、孫のアトピーがひどく、痒みがひどい為、夜も眠れない毎日だと聞きまして、驚いて訪ねてみました。体中に赤い湿疹が出来、特に顔がひどくて、額などジュクジュクと頭髪まで抜けている有様に、見ているだけで辛くて、初めてアトピーの、そしてステロイドの恐ろしさを痛感致しました。
嫁いでおります私の長女の友人が、やはりアトピーで悩んでいて、症状がひどいため、仕事も変えたりしておられた方が、最近、よい先生にかかって、少し良くなられたとの事を、以前より聞いておりましたので、すぐに資料を送ってもらいました。
すぐに、孫に見せに行きましたら、「すぐに行きたい。」と申しますので、2002年6月頃、初めてこちらの医院を訪ねました。
待合室で、孫ほどひどい症状の患者さんが見当たりませんでしたので、少し心配でしたが、初めて診察して下さった松本先生が「必ず治る。治してあげる。」と力強くおっしゃって下さいましたので、ほっとしました。
入浴剤、飲み薬、塗り薬と根気よく続けましたが、通院の途中でも人目を気にして、常にハンカチで顔を押さえている孫の姿に、どれだけ心が痛んだかわかりません。
半年間ほどは、少しずつ良くなる程度に思えましたが、半年過ぎた頃から、見る見る良くなりまして、1年くらいで、顔はほとんど目立たないくらいきれいになりました。後は、少し体に残っているくらいです。
最近、安心して、お薬を飲まない事が多くなりましたが、人前にも出られないほどのひどい湿疹に悩んでおりました孫が、明るい毎日を送れるのも、松本先生のお陰と、感謝、感謝でございます。本当に有難うございました。
本人ではありませんが、あまり有り難いので、手記を書かせて頂きました。
重症のアトピーで悩んでいた少女の、祖母より
「息子のアレルギー」T.T.14歳2004年1月18日
生後数ヶ月からの脂蝋性湿疹に始まり、1年目には首や肘の内側など色が変わってしまうくらいひどい汗疹になりました。一番上の姉も汗疹に悩まされた子でしたが、大きくなるにつれて治っていったこともあり、息子もいずれよくなるだろうとパウダーなどを叩いてしのいでいました。ある時遊びにきた友人に「かわいそうに、○○皮膚科へ行くといい薬くれるから、行っておいで」と言われ、そんなにいい薬ならばと処方してもらいました。今までは肌を乾かすような薬やパウダーだったのに、それは妙にベタベタする薬でした。でも塗るとあまりにきれいになりびっくり!こんなに即効性があるなんてとかえって気持ち悪く思いました。それと絶対に目に入れないようにという指示。それはムリです。子供は身体のあちこちを触り、その手を口に入れ、眠くなると目をこするのですから。すぐに使用をやめてしまいました。そしてその年の秋口、息子は咳をし始めました。軽い風邪かと思っていましたが、一向によくならず、その内ゼイゼイというようになりました。これを始まりに息子は年に数度喘息発作を起こすようになっていったのです。その後は、アトピー、その合間に喘息という生活が続くようになってしまいました。でも夜中にかなりひどい喘息発作が起きても、朝には学校へ行きたがる子でしたので、手帳をもらえるほどの重症だったにもかかわらず、喘息で小学校を休んだのは、1,2日程度です。休むと“午前中はいいけど必ず午後には退屈で後悔する”というのが息子の言い分でした。“容態がかわったらすぐに迎えに行きます。よろしくおねがいします。”と先生へのお便りを持って学校に行かせたことも何度かありました。でも一度も迎えが必要なことはありませんでした。比較的のんきにやってこられたのは、息子が学校を休まなかったからだと思います。本人が神経質で学校を休みがちであったなら、きっと病院を駆けずり回って薬のあるだけを使い、もっとひどいアレルギーになっていたかもしれません。本当にありがたいことだと思っています。
それと息子のかかっていた小児科の先生。私達はこの先生が主治医であったことを今でも感謝しています。4歳ぐらいのことです。湿疹のひどい息子を見て「こんなもの自分が学会で見てきたものに比べたら10の内2か3程度のアトピーや。」と元気付けて下さいました。この医院の待合室にはステロイドについての本がおいてあり、私はそこで息子に処方されているステロイドの強弱を知ることができました。ステロイドの便利さや怖さを知ることが出来たのもこの待合室でなのです。そしてステロイドはなるべく使いたくないという私の言葉に「短い期間パッと使ったら、あまり副作用はないと言われているけど、使っても治るわけでもないし、お母さんがいやならやめておきましょう。そのかわり、市販の保湿剤などでいいと思うものがあったら何でも教えて下さい。」とおっしゃいました。さらに「卵へのアレルギーが+-ってとこだけど、これぐらいなら大丈夫食べさせて。栄養失調にしないで、この子が早く大きくなって身体に抵抗力がつくのを待ちましょう。入浴前にこれで消毒をして下さい。」とイソジンを出され、ご自身の弟さんの薬局を紹介して下さいました。薬局で漢方の入浴剤をもらい息子を入浴させましたが、真夏のこと時期が悪く、暑がって2分と入ってくれません。結局しばらくでやめてしまいました。理論さえわかっていれば続けていたのに残念なことです。(この先生は感染症の心配もちゃんとなさっていました。)実は息子が3歳ぐらいの頃、某薬局から勧められるままに漢方薬を飲ませ、ひどい肌の状態になったことがあるのです。今ならリバウンドであり、心配ないとわかりますが、ただただびっくりして薬局に連れて行ったところ、薬剤師の方は、驚いてすぐに飲むのを止めてくれと言われました。高い料金をとられ、それはないのではと腹が立ち、それ以来漢方薬局に不信感を持ってしまいました。先生のおっしゃるとおり、あのひどい状態でお医者様にかからずに切り抜けようとするのは危険です。今でもあの漢方薬を1週間でやめてしまったことは後悔していません。訳もわからず本当に怖い思いをしました。あの時放り出した薬局には今でも不信感を持っています。後始末をするのは親であり、つらい思いしたのは息子だからです。感染症も起こさずに元に戻れたなんてとても運がよかったと思っています。
今もう一度漢方薬治療に関心が戻ったのは、はっきりした松本先生の理論に出会ったからです。
11歳を過ぎる頃から息子の喘息はほとんど出ることはなくなりました。アトピーは相変わらずでしたが、冬と春がひどいだけで、夏秋には退いてしまうようになりました。その頃にアンダームといういい薬があると聞き、近くの内科で処方してもらいました。あんなにステロイドには敏感だったのに、抗アレルギー剤に手を出したのは大失敗でした。最初はいいふうに思ったのですが、後はあまり効果があったように思えなかったのに気休めのために1年程塗り続けてしまいました。そしてある時一度に爆発したように湿疹が噴出してきたのです。風にあたっただけでも痛がり、皮膚科へ向かう途中に「こんな身体に生まれたくなかったなあ。」といつも明るい息子が洩らした時には情けなくて涙が出そうでした。こんなにひどい状態ではステロイドで治療するしかないと言われ、少しでもよくしてやりたくて、2週間ほど塗りました。そして1年後また同じように爆発してしまいました。またステロイド。その頃には手の甲は醜くなっており、「普通の手にただただ憧れる」という息子の言葉が悲しくてたまりませんでした。次には半年後、そして3ヵ月後とだんだん間が短くなってきます。怖くなり何かいい手立てはないかと考えている時に、私のリウマチがわかり、松本漢方クリニックで治療することになったのです。
私には自分のリバウンドと息子のリバウンドを両方一度に面倒を見る自信がありませんでしたので、とりあえず自分を、少しよくなったら息子もと考え、最初は一人で松本漢方クリニックに行きました。帰ってきて、いくら掻いてもいいということ、どんどん掻いて剥がして皮膚を入れ替えていくということ、食事制限(それまでも特別していたわけではありませんが)のようなくだらないことはしなくていいと先生がおっしゃったこと、そして先生の理論のこと、治る過程のつらさなど話して聞かせました。治れるという事実、そして何よりいくら掻いてもいいという治療はこの日から息子のお気に入りになりました。今までそういってくれたお医者様は一人もいなかったからです。それだけで8割方治った気がすると大喜びでした。治る過程についても「今より将来をとる」と全く気にする様子はありませんでした。
漢方風呂の初日、丁度何度目かの爆発を起こし始めていた息子のお尻は菌がついたにきびのようなおおきな湿疹が広がってジクジクしていました。お風呂につかり赤い薬を塗って次の日、ジクジク全部がかさぶたになっていました。そして3日目かさぶたはひらひらと落ちました。あまりの早い展開にびっくりしましたが、とてもいいことになったと家族で大喜びしました。明らかにステロイドとは違う治り方です。可能性を感じました。それからは息子にとって祖母に背中を掻いてもらいながら漫画を読むのが一番幸せな時間になりました。それでもリバウンドはどんどんひどくなっていきます。息子はバレーボール部に入っていますが、指先がボロボロになり腕にも湿疹が噴出してきた時は、さすがに部活の先生にも「これ以上ひどくなるようだったら、バレーは休んだほうがいいかもしれない。」と言われました。それでもテープを巻いて練習を休まず、家から25分程の道を歩いて8時前にならないと帰れない日々です。土日もほとんど休みはありません。このときばかりは途中まで車で迎えに行きましたが、来るなとは言いませんでした。疲れてつらかったのでしょう。食べても食べても体重が減り始めたので、プロテインを飲ませました。夜中も主人と交替で掻いてやり、「小さい時は毎晩こうだったね。」と苦笑いです・
学校では先生方や友達にアトピーの治療中だということを理解してもらえました。一度私とコンビニで買い物中に友人たちと出会ったのですが、本当に楽しそうに歓談していました。あんなにひどい状態でも仲間はずれになっていないんだと思って本当にうれしかった。20年前だったら伝染病かと傍に寄るのもいやがられたかもしれません。ほっとすると同時に時代を感じました。ひどいアトピーであることがめずらしくはなくなったのでしょう。学校では、ステロイドでは治る可能性がないと理解されている先生もあり、がんばって下さいと励ましていただきました。
それと、幸せなことに息子のリバウンドは、身体は大変なものでしたが、顔にはほとんどでませんでした。単に運がよかったのか、決して顔に薬を塗らなかったのがよかったのかはわかりませんが、ありがたいことでした。やっぱり見た目が一番気になるのは顔ですから。
始めて3週間、リバウンドはピークになりました。顔を除いて湿疹のないところはありません。ただこの時期を境にそれ以上の湿疹にはなりませんでした。でもそれ以下でもありません。それ以上ひどくなるのがさすがに怖いのか、飲み薬を飲まずお風呂だけで治したいと言いましたが、それでは時間がかかるよ、一度先生のところに行って飲み薬も処方して頂こうと松本漢方クリニックへ連れて行きました。開始40日目のことです。リウマチで足を引きずっている母とひどい湿疹の息子の2人旅は傍目には同情を引くものだったでしょう。それでも3ヵ月後の息子の2度目の診察時には、私は普通に歩け、息子の見た目も多少は見栄えのするものになっていました。薬を飲み始めて2日目だけは肌が砂色になりましたが、その後は、少しずつよくなっていきました。今でも波はありますが、ひどいリバウンドの時期は越えたように思います。結局、学校は熱で1日休んだだけで、部活も2回しか休みませんでした。ひどい状態でよくがんばったと思います。まだ、数字は上昇している状態なのですが、その内落ちてくるでしょう。
息子は14歳です。そして物心ついてから1度もアトピーでない自分の身体を知りません。私たち家族にとって何よりの喜びは、自分達の手の内にいる間にこの子を治してやれるということです。アトピーであるがゆえに我慢しなければならないことや就けない職業、これ以上ひどくならないようにと気遣いながら送る日々、みんなさよならです。いろいろな制約がなくなり、皆と同じスタートラインで社会に出してやれるのです。くだらないことと思われるかもしれませんが、親としては肩の荷がおります。
まだこれからですが、先の明るい状況であることには違いありません。終結と呼べるのがどんな状態なのかも今はまだわかりません。ただ息子の心はずいぶん軽くなったと思います。
いつかはアトピーでない自分と向き合えるのですから。
“いつか終る“ そう思えるのは本当に幸せなことです。
アトピー性皮膚炎 克服までの闘病手記 ~一般的な医療と松本医学の根本的相違を踏まえて~
私の息子は、平成17年にアトピー性皮膚炎を発症しました。
息子が小学校3年生の時です。初めは、何かの虫に刺されたのかと思って、かゆみ止めを塗っていましたが、日ごとに炎症部分が広がっていき、1ヶ月経つと首、腕、手、足の膝の裏が真っ赤にただれたようになり、一日中、掻きむしるようになり、夜中でも、絶えず掻き続けて、その音で、親が眠れない毎日が続いていました。薬局の薬剤師の勧めで、ステロイド剤を1年程、毎日塗り続けましたが、全く効果がなく、眠れない日が続き、ほとほと困り果てていた時、松本先生を母から聞き、藁をもすがる気持ちで飛んで行った事を今でも、鮮明に覚えております。
松本先生が仰られた通り、ステロイドはすべて捨て、処方された通り、赤い塗り薬を塗り、漢方茶をとにかく毎日、欠かさず、飲み続けました。
その結果、1ヶ月目に掻きむしった血のにじんだ腕に変化が現れました。
真っ赤にただれていたのが少し、赤みがひいたように見えました。
その後、矢張り、松本先生からお伺いしていたように、「リバウンド」がやってきました。激しいかゆみが、2~3週間続き、前よりさらにひどく掻きむしる夜が続きました。丁度、暑い夏で、家族みな暑さと掻きむしる音で、全く眠れない夜が続きました。しかし、松本先生を信じ、「必ず、治る!」事を信じ、処方された通り、とにかく続けました。そうすると、徐々に痒みがおさまってきたのか、ひどく掻きむしる事が少なくなり、真っ赤にただれた血のにじんだ腕から血の跡が、少なくなったのが半年目くらいです。
でも、勉強に集中すると体が温まるせいか掻くことは治りませんでした。
1年目に再度、検査に行き、IgEとヘルペスの数値がかなり下がっている事が分かり、本当に嬉しくて「矢張り、絶対、完治する」と信じました。
それからも、赤い塗り薬と漢方茶はずっと続けていったところ、夜中じゅう、掻きむしる夜が続く事はもう、無くなりました。やっと、安眠出来る夜が訪れたのです。
それからは、赤い塗り薬中心にした治療を続けていきました。発症して、2年と半年が経っていました。
真っ赤にただれた腕や首筋から、赤みが引き、カサカサに荒れてきましたが、以前のように、朝起きたら血だらけになっている事はまったく無くなりました。
息子が一番苦しかったと思いますが、よく眠れない日々を小さい体で耐え抜いてきたと思います。そして、あの時、松本先生にお目に掛かっていなければ、息子も家族も今頃、どうなっていたか分かりません。ステロイドに侵されて、息子の臓器は、ボロボロになっていたかも分かりません。
そう思うと、知識がないのは、「本当に怖い」と思います。
松本先生にお会いしてから4年ですが、アトピーはすっかり、綺麗になり、元の皮膚に戻りました。本当に、松本先生のお蔭だと感謝します。
余談になりますが、私は臨床検査の会社に勤務しており、毎日、患者さんの血液を検査している医療関係の仕事をしています。
こんな仕事をしていると、大病院の医師や大学病院のお偉い医学博士とよく話をする機会もありますし、その医師がどういう検査をするかを知る事が出来ます。話をしても、まず、「ヘルペスがアレルゲンと関連がある」事を誰も知らなかったし、「NK細胞についての知識」については、殆どの医学博士は「よく分からない」と回答された事は、かなりショックでした。
また、検査内容を毎日、見ているとA病院のB医師は、Cの検査とDの検査だけという風に、自分の分かる範疇の検査しかしないし、患者を見て検査をするのではなく、取り敢えず、自分の分かる検査をして、数値がおかしかったら、そこから病名を探される医師が「医者の仕事」と断言している医師も少なくありません。松本先生のようにヘルペスをアレルギー検査に使う病院は、皆無だと思います。日本の医学は、先進諸国と比べて20年は遅れていると言われていますが、それは、医療技術の遅れというより、医師の知識と経験不足から来ていると実感しています。
また、長年にわたる厚生省と製薬メーカーとの癒着がさらに医療業界を混乱させています。2年前に、「リタリン」というADHDの治療薬が使用禁止となりました。この薬は、麻薬であり、国際麻薬学会で23年前に使用禁止となった薬剤です。にも拘わらず、旧厚生省は、製薬メーカーと癒着を繰り返し、事件が発覚しそうになった途端に、急遽、使用禁止にしたのです。
この薬剤は、麻薬なので、人間の脳細胞に影響が無い訳がなく、実は、多くの殺傷事件と深い関係がありました。
そういう事実を知りつつも、製薬メーカーとの癒着を優先させた旧厚生省は、「自分達だけ良ければそれでいい」という方々の集まりだと思い知らされました。私の息子が、被害に遭いかけた「ステロイド」も、末期ガン患者に投与する麻薬なのです。
日本の医師達は、厚生労働省が認めている療法、薬剤であれば、何の疑いも無く、「右に習え」方式で、その通りするように教育されています。
と言うよりは、「疑うには、勉強しなければいけない」から疑わない医師が圧倒的に多いでしょう。
かなり余談が長くなってしまいましたが、大病院で一般的な治療を行っても、松本先生のような「実践的な、しかも確実に治る医療」は到底、望めない事はご理解頂けた事と存じます。
松本先生の東洋医学と西洋医学の知識と経験の量は、現在、日本に存在するハイレベルの医師の知識量の恐らく10倍以上と断言出来ますし、これほど、見事に確立された漢方の根治療法は、先進的な欧米でも存在しないと確信致します。
松本漢方クリニックに初めて伺ってから、8年目ぐらいになります。
息子は、生後1ヶ月で、顔にニキビのような発疹がたくさん出ました。その時は“乳児湿疹”と言われ、あまり気にしていませんでした。その後治まり、1歳過ぎぐらい迄は何とも無かったのですが、髪の毛の中や、全身にアトピーが出てきました。
小児科に通い、毎朝晩の飲み薬を頂きました。体質改善だと聞きました。
それはヒスタミン剤の様なものだと思いますが、2~3年飲み続けていましたが、松本先生のお話によると、この薬が息子のIgE値を上げるものになったそうです。その後、水がいいと聞いて水を飲ませたりいろいろしましたが、治る事はありませんでした。
幼稚園に行く前に、祖母から松本漢方クリニックの話を聞き、来院しました。
松本先生は、「必ず治してあげるから!」と力強く言って頂いて、今までそんな事を行ってくれた先生・病院はなかったのでびっくりしたのと同時に、大変心強かったです。
その後毎日祖母に手伝ってもらい、お風呂に入れて、漢方も飲みました。
まだ本人も小さく、頑張って治そうとする意識が乏しく大変困りましたが、ビデオを見せたり本を読んだりと、なんとか少しでも長くお風呂に入れる様にと考えました。
入園時の頃は本当に酷く、全身に発疹が出て顔は赤く腫れ上がり、人相も変わる程でした。その頃の写真を見るのは、今は本当に辛いです。幼稚園でも「気持ち悪い」と言われたりして、息子の気持ちを考えると私の心も痛みました。
夜は痒くて眠れず、朝には掻きむしった皮がシーツにポロポロめくれ落ち、シーツの痕がいっぱいで毎日布団に掃除機をかけ、シーツも毎日洗っていました。親子で睡眠不足に悩まされました。あの頃が一番しんどかった様に思います。
松本先生に「必ず治してあげるから」と何度も励まされて、なんとか息子も頑張っていました。
入学する頃には顔がとてもきれいになり、本人も私も随分気持ちが楽になり、夜も少しずつ眠りが深くなりました。
今でも痒みがあったりカサついたりする事がありますが、そんなにひどいアトピーだったと言うとびっくりされるぐらいになりました。
今は5年生になり、元気に毎日過ごしています。
もう少し漢方を頑張って飲んで、IgE値が正常になるまで松本先生にお世話になりながら、後一息、頑張ってほしいと思います。
うちの子は生まれつきのアトピーでした。
はじまりは、生後4ヶ月の時、手袋をしてもすぐに顔をこすって、皮膚がこすれて浸出液が出てきて顔中に広がってしまい、とびひになって慌てて病院へ行きました。
生後4ヶ月ということもあり、検査することはできず、とりあえずステロイドや保湿のクリームなどを出してもらい一旦は治まりました。
が、それからも顔や頭はすごく痒いようで、顔を布団にこすりつけたり手で掻こうとするので、冬の間はもこもこに大きめの服を着せて、手が自由に動けないような状態で様子を見たりしていました。でもそんな状態なので、泣きじゃくるし機嫌が悪いし・・・用事ができないのでおんぶすると私の背中に顔をこすり付けてしまうといったような状況でした。
近所の人にいろいろな病院を教えてもらい「アレルギーのいい先生」という病院を転々としました。
生後6ヶ月で行った病院で血液検査をしてもらうと、小麦・大豆・乳・卵にアレルギーがあると言われ、食品のほとんどに入っているものだけに愕然としました。母乳をあげていたので、私が今以上に食事に気をつけないといけなくなり、アレルギー用ミルクと併用することになりました。体重もなかなか増えずすごく不安ですごく心配な毎日が続きました。
また別の病院では、「アトピーです」とはっきり言われ、塗り薬にアゼノールと亜鉛華軟膏と、飲み薬にセルテクトを処方されました。しばらくは良かったのですが、やはりおでこやほっぺ、頭はかゆいようでかさぶたになったかと思うとすぐに、また浸出液が出たりを繰り返していたので、知人に遠方でいい病院があるよといわれ、行ってみました。そこでも飲み薬のシロップやインタールというアレルギーの薬をもらう。
また別の病院でも、抗生剤とステロイドをだされ、お風呂でイソジンを塗って消毒するよう言われた。
離乳食も先生の指示通り、遅めに始めたのですが、果物は大丈夫かとバナナをつぶして食べさせたところ、くちびるが3倍くらいに膨れ上がってしまったり、ぶどうを食べさせると全身にじんましんが出てしまったりと果物もだめでした。
他にも病院を転々とし、飲み薬・ステロイドを繰り返していました。
幼稚園に入るころには、顔はアトピー独特のカサついたかんじになり、ひざの裏やひじの内側はすぐに掻いてしまい、ジクジクするとまたアルメタという薬を塗り、ましなときはキンダーベートという薬を塗っていました。
あと、手の指が関節のところが切れて血がでたり、痒がったりしていました。
そんなとき、また知人の紹介でステロイドを使わないという「松本医院」を教えてもらい、すぐにインターネットで調べて先生の言葉をひとつひとつ噛み締めて必死に読みました。今までずっとステロイドを使いながら、本当にいいのだろうかと後ろめたさを感じながら、悩みながら使わざるを得なかったステロイドを使わないで治してくれるというのだから、しかも何をたべてもいいそうで・・・これぞ私が捜し求めていた先生だ!とすごく嬉しくなりました。
上の子もまだ小さかったので、高槻までは少し遠かったのですが、そんなことを行ってはいられず、すぐに行きました。
待合室の皆さんの手記を読むよう言われて読んでみると、共感したり、うちの子ももしかしたら治るかもと、期待に胸を膨らませたり、感動しながら一人でも多く読もうと必死に読みました。
最初に女の先生(看護師さん?)に薬湯の説明を受けました。正直、めんどくさそうだし、4歳の子に耐えれるのかと不安になりました。次に先生に呼ばれて診てもらったのですが、先生は問診表を見て全身に出てる?とかぜんそくは?とか体重は?と聞いただけで患部の状態をまじまじと診るでもなく、薬の説明があり、「掻きたいだけ掻かせなさい」と言われました。早口だし急いでいるのか落ち着きがないような印象で私が聞きたいこともあせってしまって聞けないような状況でした。でも今まで診てもらった先生は「掻かないように」って言われてきたので子供にもずっと掻かないよう言って制限してきたので、その事から開放されるというだけでも、すごく嬉しい気持ちになりました。
お薬も住所を見て、「電話してくれれば薬を送ることができるよ」とも言っていただきました。
初めてお風呂に入るときは、前もって言ってたにもかかわらず、お湯の色が紫色をしているのを見て嫌がりました。半分無理矢理入りましたが、意外にも長く浸かるのはぐずぐず言わずに頑張れました。でも飲み薬が独特のにおいと色が苦手のようで飲むまでかなり時間がかかってしまって、怒ったり、なだめたり・・・と最初は大変でした。
リバウンドがあるというのは手記を読んで知っていましたが、さんざんステロイドを使ってきただけに、心配でした。初日は夜、手首を特に掻いていて、普段なら夜中でも手を押さえて掻かないようにと、熟睡できませんでしたが、先生に言われたし大丈夫かと思いそのままにしていると、朝シーツは血だらけ。でも患部はお風呂に入ったせいか、そんなにひどくなっていませんでした。1日でこんなにも違うものかと今後に期待できました。
これもリバウンドではないかと思われますが、咳がひどく37度代の熱が何日か続き、胸の音もヒューヒューとなり、喘息のような状態になっていました。ひどくなってどうしていいかわからず、松本先生にお電話したときもありました。でも食べ物は何でも食べさせました。(今まではかなりの制限があり、おやつやパンなど普通に売っているものは食べれなかったので)
このままで良くなるのか・・・と不安な日もありましたが、皆さんの手記を思い出し、薬湯も飲み薬も消毒も頑張りました。1ヶ月を過ぎた頃から、少しずつ少しずつ、掻いても症状が悪化しなかったり、走ったりして運動しても咳き込むこともなくなっていって、確実に良くなっていることが実感できました。おかげで幼稚園の給食もみんなと同じものを食べることもできるようになり、風を引くこともほとんどなくなり、走り回るのが大好きになりました。
あれから6年が経ち、現在10歳になりましたが、今では花粉の時期に少し咳が出て息が苦しくなる時がありますが、すごく元気になって今でも毎日鬼ごっこしています。あと夏、汗をかくと、あせものような感じでふとももの裏がかゆくなって掻いてしまいますが、赤い塗り薬を塗ると消毒までしなくてもいいくらいになっています。周りの人にも「劇的に良くなったね」言われることが多く、本当に先生には感謝の気持ちでいっぱいです。最初は先生の個性にびっくりしましたが、今は全面的に信頼し、頼らせてもらっております。
まだもう少しお世話になるかと思いますが、これからもよろしくお願いします。
「花粉症とアトピーの治療」匿名希望18歳2005年11月20日
私は、幼い頃からアレルギー体質で、肌が弱く、アトピーが出ていました。小学生の頃に、強酸性水という水で治療をしていました。それまでは、病院に行ってはステロイドをもらい、使い続けてきたので、止めたとたんにリバウンドが出て、首や足が赤くただれて、すごく酷くなりました。結局、その治療は8年間続けましたが、完治には至りませんでした。
中学生の頃は、体育が本当に嫌いで、人にアトピーが出ている部分を見られるのが辛く、「いつになったら、治るんだろう。」と思いながら、なるべく目立たないように過ごしていました。
そして、アレルギー結膜炎、アレルギー性鼻炎が、三年生の時に酷くなり、目の周りが赤くただれたりして、花粉症が酷い時には、一日中鼻水が出っぱなしということもよくありました。
そんな時、両親がインターネットで松本漢方クリニックのことを見つけてくれました。最初は、鼻炎中心の漢方で治療が始まりました。約10日で、顔や腕の上半身に湿疹がびっしり出て、二ヶ月ぐらいで、湿疹が治まっていきました。
花粉の時期が過ぎると、鼻炎が治まっていきましたが、目の周りと鼻の下が赤くただれていました。それで、皮膚中心の漢方に替えて、半年治療をしました。
その後、目の周りと鼻の下と元々あったアトピー(肘と膝)がきれいになりました。とてもうれしかったです。
でも、花粉の時期になると、鼻炎と結膜炎はまだ非常に強くでるので、辛いです。少しでも花粉症がよくなるのが待ち遠しいです。