「幼児のアトピー治療」(お母様記述)匿名希望3歳2016年6月13日
松本漢方クリニックで最初にもらう注意書きに、「小さな子の治療は、親の方が大変」と書かれていましたが、まさにそうでした。母である私自身が赤ん坊の頃からアトピーで、20代でステロイドをやめて大変な思いをした経験があるので、最初に息子にアトピーの症状が出た時も、薬を使う気は毛頭ありませんでした。1歳頃に顔や腕、お尻など血が出るくらい引っ掻いて、夜も痒みで泣き叫ぶ日々がありましたが、この時は、辛抱強く症状が退くのを待ち、比較的短期間で綺麗になりました。
しかし、2歳2ヶ月頃に始まった症状は、そんな私を弱気にさせるほど、凄まじいものでした。3月頃に、背中にできた赤い斑点から黄色い汁が出始めて、あっという間にお腹、顔と全身に広がり、見た目はともかく、かわいそうなのは、痒みでお昼寝の前後や夜中に狂ったように泣き叫び、掻いて血だらけになってしまうことでした。あまりに泣き声が激しく、掻いてあげたり、あやしたりしても全く泣き止まないので、夜中に夫に抱っこで外に連れ出してもらい冷たい風に当たって、落ち着いたら帰ってきてもらうようにしていました。でも、その2時間後には、また泣き叫び始めるのです。夫は翌日仕事があるので、私が夜通し掻いたり、さすったりしながら朝を迎える日々が続きました。毎日、寝不足でフラフラしながら、それでも前回同様なんとかなるだろう、と気丈に構えていたのですが、どんどん酷くなる症状、泣きながら苦しんでる息子の姿、血だらけの下着やパジャマの洗濯。頼れる親類も近くにおらず、24時間一緒の私がいつ倒れてもおかしくない状態でした。夫もこの頃には、しびれを切らして、薬を使おうと言い出し始めたので、耐えきれずに愛知の実家に助けを求めました。
顔も首も真っ赤で、体は赤黒く地図を描いたようなひどい孫の姿に父母はびっくりしていましたが、薬を使いたくない方針を尊重してくれました。実家では、父母が息子の相手を少しでもしてくれている間に、私が仮眠をとることがきたので、体が楽になりまた思考が正常に働くようになりました。ただ、日中は息子は元気なので公園に連れて行くと「わーおばけ!」「顔が真っ赤で怖い!」など、子供たちの素直な反応には私が落ち込み、「いつまでこの症状が続くのだろう・・・。」と、とても辛かったのを覚えています。のんびりした環境で1ヶ月くらいすると、傷が乾いてきて、ウロコのようにはがれ始めていましたが、まだちょっとしたことで、体中から血が噴き出して激しく痒がることに変わりはなかったです。私は、その頃ネットで薬を使わない医者を探し始めていました。その時に、見つけたのが大阪の松本漢方クリニックです。先生の理論と患者さんの手記を読んで、その治療法に深く納得できました。その後、一旦東京に戻ると、顕著に症状が悪化してしまい、心身ともに限界にきていた私は、すぐに松本漢方クリニックに行くことを決めました。夫に休みを取ってもらい、赤黒い顔をして手足に包帯を巻いた息子を抱えて品川駅から始発に乗ったのは2015年5月の第1週目でした。
松本漢方クリニックの漢方の匂いのする待合室では、膨大な量の手書きの手記が並んでいます。それらを読みながら、今までの緊張感から解放されるようなホッとした気分になったことを覚えています。松本先生は、はっきりモノをおっしゃる方で、私たちがホームページの内容をしっかり読んで理解して来ているかを確認され、息子のお腹を見て「ああ、ひどい!」とおっしゃりました。「ステロイドを使わずに、この症状ならこの子は、アレルギーが強いんやな。」と言われました。診察中もひっきりなしに、電話がかかってきて対応されますが、その活力とはっきりした物言いにパワーを感じました。その後、看護士さんから漢方薬とお風呂の作り方の説明があり、ああこれで治っていくんだ、と不安はなくなり、どんなに大変でもやりきろうと決意しました。
それからは、また私と息子だけが実家に戻り、母に手伝ってもらいながら、毎日必死に薬湯を準備して、抗生物質、軟膏を塗り、漢方を用意する日々が始まりました。漢方は苦いので飲みたがらず、りんごジュースや甘酒に混ぜたりして飲ませました。お風呂は、初めは紫色の湯船を怖がり、汁でくっついた綿を中で取るのですが、非常に痛がり10分も我慢して入っていられませんでした。少しでも長く入っていられるようにおもちゃを持ち込んで、本当に必死でした。お風呂から上がると、すぐに母が軟膏を塗り包帯をして着替えさせてくれるのですが、その間も泣いて逃げ回るので一苦労です。夜になると、相変わらず2時間ごとに大きな声で泣き叫ぶので、さすったり、掻いたり、もうダメだ・・・と倒れそうな時は、母に交代してもらい、私が横になるということを繰り返していました。私も母も疲労が募っていき、イライラしていました。2週間毎に頼む薬の費用は相当なものでしたが、遠方から電話で先生に相談でき、注文もできるのは有難かったです。
とにかく息子は日中は元気一杯で、外に出て遊びたがるので、私たちの体力がついていかず、大変でした。しかし、そうこうして1ヶ月も経つと、なんとなく顔の症状が良くなり始めました。そうなると、もう嬉しくて、嬉しくて、心の中がパアーッと晴れていく感じでした。その後は、少しずつ薄紙を剝がすように良くなっていき、私一人でもなんとか対応できるようになった7月には、東京に戻ることができました。
あれから1年以上経ちます。息子も小さいながら、よく頑張りました。回数はずいぶん減りましたが、お風呂も赤い軟膏も時折、続けています。ほとんど見た目にアトピーと分からないまでに回復し、普通に夜眠れて、楽しくお友達と遊ぶ姿を見ると、あの時、即決して松本漢方クリニックに行って本当に良かったと思います。また、家族の助けなしに、これだけのことはできませんでした。ただただ、先生はじめ、家族に感謝の日々です。
ただ、一緒にお風呂に入ったり、漢方も飲んでいた私にもだんだん症状が現れ始めているので、近く、私がまた松本漢方クリニックにお世話になりそうです。
「アトピー手記(水いぼ)」5歳男性2008年7月6日
4歳の男の子、水イボ治療
水イボになったら、普通は皮膚科に行くと思いますが。私も始めは、自宅近くの皮膚科にいきました。でも皮膚科の先生の説明に全く納得できなかったので、行くのを辞めました。
皮膚科の治療法→ピンセットで水イボをつまみ、芯をつまみだす。(すごく痛い)
再び移ったら→また水イボをピンセットつまむ。(繰り返し、繰り返し)
「抗体が出来ると終わり」だと言われ、痛い思いをして取る意味は無いと思いました。それなら抗体が少しでも早く出来る体にした方がいいと思い、
松本漢方クリニックに通いました。松本漢方クリニックでの治療は、6月末から始まり、
8月10日に完治しました。薬はイボの消毒液、エルタシン軟膏、紅い塗り薬、煎じ薬でした。
イボは掻いと汁が他に飛ぶと移り、増えるので、ガーゼで患部を覆っていました。煎じ薬を飲ませるのがひと工夫、そのままでは飲めなかったので、
ココアを入れて飲ませると飲んでくれました。
朝1番の水分が欲しい時には、多く飲んでくれたので、1日分300ccは朝に多めでした。約1ヶ月と10日で完治しました。その間、弟も移りましたが、お兄ちゃんのを薄めて飲ませると、1ヶ月10日位で完治しました。
綺麗なお肌に戻って、本当に嬉しかったし、子供も毎日頑張って飲んでくれたと思います。漢方を飲まなければ、もっともっと長く水イボと付き合っていたと思うし、(普通は1年から1年半みたいです。)プールにも入れて無かったと思うので、飲ませて本当に良かったです。
松本先生からは「乾燥肌はアトピー」と言われて少し悲しかったけどまた漢方でお世話になって治してやりたいと思います。
<息子の病歴と薬歴>
●平成9年7月17日生まれ
妊娠39週で生まれるが、2534gと、小さく弱々しかった。
●生後21日目に、敗血症にかかる。
病院に行ったのが早かったため(でも3ヶ所の病院をたらいまわしにされた)、骨髄膜炎には至っておらず、2週間退院した。点滴で抗生物質2種類を使う。その他、尿路、のど、へそなどのあらゆる検査を受ける。感染経路はわからないが、へそから血流からと同じ黄色ぶどう球菌が検出された。
●満1歳頃より保育園に通うが、この頃より季節の変わり目にひざの裏などをかゆがる
小児科でヒルドイドクリームとリンデロンVGクリームをもらい、つけた。1,2回塗るだけで再発せず済んだ。
●2歳の頃、とびひにかかる
小児科で抗生物質と塗り薬で治す。最初の処置がまずかったため、長引く。
●2歳の頃、おむつにかぶれたのかわからないが、おちんちんをとてもかゆがる。(H12.3月頃)
コンベックやその他の塗り薬でも効かず、以前もらったVGクリームを塗ったところ、一発できれいになったが、しばらくするとすぐ再発し、またVGクリームを塗るという事を3~4回繰り返した。(*知らなかったとはいえ、ステロイドの浸透率の高い睾丸に何度か塗ってしまい、今後の成長に問題がない心配である。)そして、VGクリームではもう治らなくなったので、小児科を受ける。ゲンタシンのクリームを処方され、塗るが。さらに悪化。ぐちゅぐちゅ状態になる。ウイルスかもしれないということで、抗ウイルス剤を塗るが、効かなかった。飲み薬も併用する。
●おちんちんのあと、そのまま引き続き水ぼうそうにかかる。(H12.4月頃)
水ぼうそうの感染がとても大きく、いっぱい水泡ができた。特に下半身がひどかった。抗生物質の飲み薬とカチリを塗る。このカチリを、子供は異常なほどに嫌がった。水ぼうそうが済んでも、肌は良くならず、カポジ → ヘルペス → とびひ → ヘルピス といった感じで繰り返し、肌はぐちゃぐちゃだった。皮膚科の先生に、「老人とか病人がなるヘルペスに、2回もなるなんて、あまり考えられない。」と言われた。この間、病状に合わせ、アルソタ、ゲンタシン、または、これを混合したもの、コンベック、ロコイド、アラヤナ、カチリ等を塗る。飲み薬にザジデン、ゾビラックス、アリメジン等使用。特にザジデンは5ヶ月前後飲み続けた。(H12.4月~8月)
●H12.9.10.11月 小康状態が続く
病院には行かず、ひどくなった時は、アルメタ、ヒルドイド、コンベック等を使ったが、基本はスキンケアをしていた。ベビーオイルやスクワラン等。あと、びわの葉や美肌水や、ぬか、食養生にも努める。サポーターも使う。
●H12.2月中旬 急に肌の状態が悪化する、年末年始をピークに。現在に至っている。
(*初めの頃は、患部はひじの裏、ひざの裏だけだったのが、首の前後、両うでのつけ根、内側の太もも、ちんちん、両足のつけ根、おしりの下、などに広がり、最近では手首、足首、目のまわり、耳の外と中まで広がってきた。)あわてて皮膚科へ行き、リドメックスとキンダベートとザジデン処方され、使用。一時は良くなるが、すぐ元どおりになる。以前よりも範囲が広くなり、かゆみも増してひどくなっていく。
その他、つい最近まで試みたもの
・塩風呂、塩素除去風呂
・SOD様食品(ニワーナ)
・健康茶
・整腸剤、(パンラクミン)
・生ものを控える
・綿素材の服を使用
・みょうばん風呂、茶風呂 etc.
病歴、薬歴のところを御覧の通り、明らかに素人目にもおかしいと思いました。そして「我が子の将来は、本当にどうなるのだろう。」と悲観しました。このままどんどん強いステロイドを使い、ステロイド漬けになり、アトピー性網膜剥離、アトピー性白内障などに罹り、性格も内向的になったり、ゆがんだりするのではないか、一生、かゆい、かゆいと言い続けて生きて行かなければならないのか・・・。
どこかにステロイドを使わずにアトピーを治してくれる病院や先生、治療法はないものかと、死に物狂いで探しました。いろんな書物や雑誌、インターネット・・・。そして、インターネットの中で松本漢方クリニックのホームページを見つけたのです。松本先生の根治理論、手記を読み、主人と「ここしかない!」という結論に至り、松本漢方クリニックを訪れました。
平成13年の1月末だったと思います。松本先生の「絶対に治してやる!」という言葉のもと、漢方薬の煎じ薬、入浴剤、塗り薬の治療の日々が始まりました。
最初の一週間は特にこれといった変化もなく、「ああ、この状態なら、何なくリバウンドも乗り越えられるかも!?」―――甘い考えでした。
三週間目に入った頃です。子供が狂った様に、猛烈に痒がり始めたのです。「かゆい、かゆい、かゆい~~~~~~~~~~~~!」松本先生から、「絶対に掻くのを止めてはダメだ!」と言われていましたので、そのまま見守りながら掻かせていました。両肘の内側、両膝の裏、首、内股、おしりの下、わきの下、そのうち、左膝の裏の皮膚が、横1.5cm、縦3cmくらいベラッとめくれてしまい、中の肉が見えてしまいました。感染症を起こさぬ様、抗生物質の塗り薬と赤いクリームを塗っていましたが、防ぎ切れず、足のつけ根のリンパ節が腫れ、熱が出ました。松本先生に電話で報告し、「抗生物質の飲み薬を送るから、熱が下がるまで飲ませるように。」と言われましたので、それを飲ませながら安静にしていましたら、3日程で熱が下がったと思います。
激しく引っ掻いた左膝の裏の皮膚がつっぱって、しばらく普通に座る事も出来ず、びっこをひいておりましたが、痒みと共にだんだんと日に日に良くなっていくのが目に見えてわかりました。本当に、日に日に痒みと肌の状態が良くなって行きました。
しかし、3ヶ月程たった頃に、またリバウンドらしきものが出てきました。松本先生にお話したところ、「ザジデン等の抗ヒスタミン剤、抗アレルギー剤を5ヶ月飲み続けた分のリバウンドだろう。」と言われました。そして、松本先生のおっしゃった通り、1回目のリバウンド程激しくありませんでした。
それからはもう月日と共にすっかり良くなって、1年たつ頃には、子供がアトピーになってる事は忘れる程になっていました。
治療を始めてから3年と少し経ちます。今は、両膝の内側と両膝の裏は少し残っていますが、日常生活には全く問題がありません。思い出した時に赤いクリームを塗るくらいです。途中でアレルギー性鼻炎になり、近所の耳鼻科に行きましたら(H15.3~4月頃)、危うくまたもやステロイドを飲まされそうになり、あわてて松本先生にお願いして、煎じ薬を頂きました。治療の途中で、いつの間にやら入浴剤も煎じ薬もなくなったらそのままにしていた時期もありましたので、今もアトピーが少し残っています。松本先生に「もういいよ。」と言われるまで、きちんとやっていたら、とっくの昔に完治していたと思います。
なぜ、そんな風に治療を中断したり、再開したりしてしまったのかと申しますと、諸事情で、夫婦共々多忙であったのと、正直言って、金銭的な事も理由の1つではありますが、何よりも松本先生の理論通り、アレルギーは放っておいても治るという事がわかっていたからです。(何といっても、我が子が生き証人なわけですから。)「患者というものは、喉元過ぎれば、熱さ忘れる」と、誰かエライ先生がおっしゃっていましたが、自分はその典型ではないかと思いますが(笑)。
話は変わりますが、私の母が、H15年夏頃にリウマチに罹り、現在、松本先生にお世話になっています。私が子供のアトピーで松本先生に出会っていなければ、今頃母はステロイドの注射と飲み薬漬けになり、関節という関節が変形し、2度、3度と人工関節の手術をして、やがて、薬の副作用で内臓がやられ、痛い痛いと言いながら、車いす、寝たきりの人生になっていた事でしょう。母もかなり苦しい時期を経て、松本先生にも、「弱そうに見えて、案外根性あるな。」などと言われながら、今はもうすでに快方に向かっています。
本当に松本先生には感謝の意に絶えません。我が子を救って頂き、また、母も救って頂き、そんな松本先生に報いるためにも、また全患者さんのためにもと、手記を書かせて頂きました。本当にありがとうございました。
「アトピー治療の中間報告」5歳女性2005年10月22日
娘は、生まれて間もなくから、アトピー性皮膚炎と診断され、私がアトピーだったので、やはり遺伝したのかと、ショックでした。でも、ステロイドだけは使いたく無いと思い、明石病院という所で、酸性水で治してくれる所があるとテレビで知り、明石の方まで、一年位通いつめて居ました。でも痒がって、ぐっすり寝る事が出来ず、親も毎日寝不足でした。
茨木の方の吉川医院という所が良いと聞いて、ステロイドに頼るしかないと思い、塗り薬と飲み薬を貰いました。一年位通いましたが、見た目は少ししか出ていないのですが、夜寝ると、1~2時間位で痒くて起きてしまい、それから朝方まで、おんぶしたり、さすったりしている毎日でした。それで病院に行くと、薬の塗り方が、足りないと怒られ、又せっせとステロイドをたっぷり塗る毎日でした。
そんな時、私の母の知り合いの方が、「うちの孫が東京に住んでいるけど、松本先生の所できれいに治ったよ。」と聞いて、即松本先生に見てもらおうと、主人と私は娘を連れて行きました。松本先生の話しを聞いているうちに、ステロイドをたっぷり娘の身体に入れてきてしまった事に、「もう!!なんて酷いことを娘にしてきたのだ!」と後悔して、涙が、止まらなくなってきました。松本先生は「治してあげるからな」と言って、握手をしてくださいました。
自転車で通える距離だったのですが、こんな近くに、ステロイドを使わないで、何万人と治してくれる良い先生が居るなんて、早く知り合えていればと、帰り道、泣きながら、信じて頑張ろうと思いました。「帰って、インターネットを3回以上読め!」と松本先生に言われていたので、読んで見ました。ステロイドを抜くのに、リバウンドがあって、それを乗り越えるのが、大変だと思いましたが、信じて頑張ろうと固く誓いました。
その日から、消毒、漢方風呂に入り、紅い薬を塗りました。最初の消毒が、毎日、毎日大変でした。痛がり、当時3歳になったばっかりだったので、色も怖いと言い、泣き叫び、二人がかりで走り回るのを捕まえて、塗っていました。
お風呂も、玩具をいっぱい持ってきて、アイスクリームを食べさせたりしましたが、それでも20分間つかっているのがやっとでした。
足の両膝が真っ赤になり、血がにじんでくる様になりました。それでもリバウンドが出てきたと思い、もっと全身に早く広がり、いっきに治って欲しいといつも願っていました。
1~2ヶ月が過ぎた頃、お腹、背中と、少しカサカサとしてきて、それでもまだ足ほど酷くなく、いつになったらピークを迎えるのだろうと思いました。5ヶ月目に、松本先生に「いつ頃全身に出てきて、ピークを迎えますか?」と尋ねました。松本先生は、「今これだけ出たら、もうこれ以上は出ないよ。」と答えてくれました。もう嬉しくて、あともう少し頑張ろうとおもいました。今までは、朝・晩二回消毒をした後、朝はシャワーだけど、晩はお風呂にしました。その頃になると、40分位つかっていてくれたのを、昼も消毒をして、シャワーをして、つけ汁をつけて、赤い薬を塗るのをしようと思いました。当時娘は保育園に通っていましたので、お昼頃迎えに行き、シャワーを浴びさせていました。ちょうど、夏頃でしたので、もう1日中娘をお風呂に入れるのにかかりっきりでした。夜は、痒がり、一晩中さすっていて、いつになったらぐっすり寝られる様になるのだろうと思ったら、いつもみなさんの手記を読んで励まされました。
7ヶ月目位から、「お風呂の薬を二日に一回でいいよ。」と言われました。それから、だんだん夜痒いと言って起きるのが1~2回位になり、気が付くと、今ではもう朝までぐっすり寝てくれるようになりました。
「ワァーッ!!治ったんだ!」と思っていると、春頃カサカサしてきて、松本先生の所に行きました。「すごく綺麗な肌だったのに、この頃カサカサするんです。」と尋ねると、「最後は、花粉が残るのや」と教えて頂き、「早く手記を持って来い。」と言われました。あんなに皆さんの手記に励まされ、私が、こんなに遅く手記を出して申し訳ないです。
娘は今5歳で、幼稚園の年長さんですが、皆と同じ給食を食べ、プールにも入っています。痒がる事もなく、朝までぐっすり眠ってくれています。私達、親子を救ってくれた松本先生、本当に有り難うございました。これからも宜しくお願いします。
(治療当時0歳から1歳)茨木市在住
長男の松本漢方クリニックでの治療の始まりは、生後4ヶ月半でした。もともと母親である私がアレルギーを持っていたので、妊娠がわかってから生まれるまで、肌の強い子でありますようにと願っていました。が、生まれて2.3日目から、額にポツポツとにきびのような赤い湿疹ができはじめ、顔全体に広がり、何となく痒がっているように感じました。主人を含めまわりからは、「大丈夫よ」と励まされながらも、心配で、気にせずにはいられませんでした。
産婦人科の退院時も、1週間、そして1ヶ月検診でも、「よくある湿疹だから、心配はしないで大丈夫。もっとひどい子でも、きれいによくなっているよ。」と、産婦人科の先生から言われ、半信半疑で良くなるのを待っていました。
悪くもならず、かといってきれいな肌ではなく、少しの湿疹と乾燥したようなガサガサのほっぺのまま2ヶ月が過ぎました。
生後2ヶ月半のころ、帰省出産(九州)から、大阪へ帰る直前に鼻風邪をひかせてしまい、実家近くの小児科で、風邪と一緒に肌のことを聞いてみると、乳児特有の脂漏性湿疹と診断されました。先生に「塗り薬を出しますが、ステロイドが入っているのと、入ってないのと、どちらにします?効くのはステロイドが入っている方ですが。」と言われ、ステロイドは、この子には塗りたくなかったので、入ってないほうを処方してもらいました。アンダーム軟膏でした。「ステロイドが入っていないから、大丈夫」と思い込んで、朝晩顔を拭いては、軽く塗りはじました。
風邪薬の効き目からだったのかもしれませんが、最初は効いた感じで、一瞬肌がきれいな日がありました。私の父からは、「体の中から出てくるものを抑えることは、あまりよくないのでは」と言われながらも、このまま治ってくれたらと願っていました。が、やはりまたガサガサ、ぶつぶつ、と湿疹はでてきました。
湿疹は、赤くでてきたり、落ち着いたりを繰り返し、アンダーム軟膏を塗り始めて2ヶ月弱が過ぎた、生後4ヶ月半のときです。眠くなると、痒くて顔をこすりつけていたのが、ある晩、もう抑えれなくなったように、手でもかいてかいて、ぐずって、泣いて、ほとんど眠れずに朝がきました。起きてみると、顔が少しはれ、ひっかき傷に血がにじみ、かわいそうな状態になっていました。もう自然によくなることは無いと確信し、松本漢方クリニックへ連れて行きました。
松本漢方クリニックでは、手記を読み、これからの症状の説明と、漢方風呂の説明。そして、「アンダーム軟膏も、ステロイドは入ってないものの、よくない薬だった」と聞かされ、早く来ればよかったと後悔しました。「症状は、山を描いて、必ずよくなる」と。「だだ、どれだけ薬を使ったかわからないので、いつ治るかはわからない」と。「まだ赤ちゃんだから、比較的早く治るよ。」この言葉を信じて、一日でも早く痒みがとれるようがんばるしかないと心に決めました。
漢方風呂初日は、まず20分。かさかさの肌にしみこませるように、ガーゼをたっぷり漢方風呂に浸し、顔にパッテイングを繰り返しました。何となく気持ちよさそうでした。翌日から、消毒は、朝、昼、晩。やっと首が座ったくらいだったので、最初はものすごく時間がかかりました。10時、2時は、消毒して、洗面器にお湯を用意して、タオルでふきとり、夕方の漢方風呂前は、消毒し、そのままお風呂へ。漢方風呂の時間も、1時間を目標に少しずつ延ばしていきました。一日が授乳と消毒とお風呂で終わっていた気がします。
漢方風呂開始から1週間ぐらいで、まぶたは腫れ上がり、顔を1周するように頭髪の生え際にも湿疹ができ、顔全体が真っ赤で、別人のようになりました。眠くなると痒くなるようで、顔をなすりつけたり、掻いたり、洋服にはもちろん、本人もですが、親の私たちも赤い薬がついていました。お蒲団も血がにじんでいたり、薬がついてピンクになったりしていました。
足にもポツポツとできはじめ、足にできはじめて10日後には、今度は膝下の内側と外側にびっしりできました。次は腕に。足と同じような位置にできました。
漢方風呂を始めて3週間後には、お腹にもでました。どこまででるのか不安でしたし、何よりも痒みがかわいそうで、お風呂で一緒に泣きました。もちろん息子は悲しくてではなく、じっとつけられていることがつまらなくて泣いていたのですが。
生後5ヶ月になり、寝返りをし始め、成長を写真にたくさん撮りたいと思いながらも、アトピーが痛々しく、あまりにもかわいそうで撮れませんでした。早くよくなるように、息子がどんなに泣いても、毎日の消毒と、お風呂をできるだけ長くを欠かしませんでした。
離乳食を少し遅れ目に始めました。
毎朝、起きると、顔にひっかき傷ができていて、かわいそうにと思っていましたが、よく見ていると、新しい傷はあるけれど、古い傷はもう目立たないぐらいに良くなっていくのです。これが漢方風呂の効果だと実感しました。
漢方風呂を始めて1ヶ月が経ち、消毒や入浴後の手際もよくなってきたころに、湿疹の広がりが止まり、髪の生え際の赤みもカサブタになり、消えていました。治る兆しを少し感じましたが、まだ顔はヤケドしたように赤く腫れていました。
まぶたの赤い腫れがひいたのは、1ヶ月半が過ぎた頃でした。この頃から少し顔の赤みが目立たない日もあるようになりました。一日でも早く痒くない肌にしてあげたいと、漢方風呂には息子の寝そうな時間を見計らって用意をし、お茶を持ち込んで、授乳もアリでした。寝ると、長く入れるだけでなく、しっかり的確にガーゼで浸してあげられます。起きるまで、1時間以上入れたりもしました。お風呂から上がった時には、親子ともに、手足の指はしわしわでした。
漢方風呂開始から2ヶ月、生後初めてきれいな顔になりました。まだ離乳食を進めていく過程にまたでるかもしれないけれど、本当に嬉しく思いました。
3,4日後に、やはりブツブツと湿疹はでました。しかし4,5日後にはまたきれいになりました。白身魚や豆腐、ヨーグルトなど食べさせても、特に問題はなく、湿疹ができて → 治る という周期は縮まり、きれいな肌の日が少し増えてきました。毎日だった漢方風呂も、お休みできる日もできてきました。一番アレルギーのでやすい卵も、卵黄~卵白と大丈夫でした。
治療を始めて約3ヶ月で、何とか山を越え、松本先生がおっしゃっていた「いつか必ず治る」のも確信しました。
ちょうどこの漢方風呂に必死になっていたのが夏で、消毒とお風呂のお陰で、汗疹(あせも)ができていなかったのだと気づいたのは、息子が熱を出し3,4日普通のお風呂にも入っていなかった時です。初めて汗疹がたくさんできてしまい、そういえば、もう夏も終わりに近づいて汗疹だなんてと思いました。もちろん熱が下がり、長めの漢方風呂ですぐに治っていました。松本先生から、汗疹もアトピーだと言われ、やっと私の中でアトピーを納得できた気がしました。
漢方風呂を始めて4ヵ月後には、ほとんどきれいになり、ポツポツとアトピーができても、すぐに治るようになり、5ヶ月たった診察の時には、松本先生から「ほぼ完治です。」と言われました。
時々顔が赤くなったり、手足にポツポツとできたりしましたが、ひどくなることはなく、後は週1~2回の漢方風呂で、自然に治りました。
それから3年が経ちました。今年の春までは、春秋の季節の変わり目になると、膝の後ろ側にアトピーがでて、夜寝る時に痒がっていましたが、今年の秋は、特に何もせず、痒がらずにすみました。
今では、息子の赤ちゃんの頃を知らない知人からは、アトピーだったとは思えないと言われます。松本漢方クリニックが近くにあり、日曜日に受診できることで、偶然知り得たことを幸運に思います。
手記を書くのが大変遅くなったことを反省しながら、お礼申しあげます。
「松本漢方クリニックを受診して…」7歳・5歳2005年8月21日
【私はアレルギーにならない…とは限らないんだ…】
私は二児の母です。36歳と38歳の時、女の子を出産しました。結婚が遅かったので、人よりも十年遅れの子育てでしたが、体力的にしんどかったものの、比較的落ち着いて子どもを見られたかな?と思っています。
二人の通う保育園は、今年で設立20年。早くからアトピー対応の食事を(除去食)心がけてくれていました。私自身、アトピーとは無縁だったので、自分の子どもは大丈夫!と思っていました。それでも、保育園という環境下で、アトピーのことは常に耳に入っていましたし、ひどいアトピーのお子さんも目の当たりにしていました。
しかし、「アトピーとは無縁」と思いこんでいた私に異変が…。それは、今から4年前の春先でした。なんだか鼻がムズムズし、目がかゆくてかきむしり、しまいにはかきすぎて、白目の部分に水疱ができるほどでした。周囲にはアレルギーの同僚がたくさんおり、毎年のように薬をもらって飲んでいることは知っていたので、ひょっとして…と思って受診すると、「アレルギーです」と言われました。私は鼻炎や結膜炎には絶対にならないと思っていたので、「これから毎年こんなしんどさを味わうのか…」と少々重い気分でした。
【我が子はアトピーにはならない…とは限らないんだ…】
自分の異変と共に、子どもたちにも異変は訪れました。3年ほど前から、毎年秋~冬にかけて、肌ががさついたのです。特に背中が。「かゆい~!!」と言っては背をむけ、暗に「かいてほしい」と主人や私に求めてきます。その度にかいてやっていたのですが、治まる気配は全くありません。
そこで、かかりつけの小児科を受診しました。“乾燥肌です”との診断でした。すぐ塗り薬が出ましたので(たしか、ヒルドイドだったと思います)、その夜から背中いっぱいに塗りました。何だか潤ったようで、翌日は、ツルンとしていました。「良かったねぇ!」と一緒に喜びましたが、心の片隅では、<こんなに速く効いていいの?>という疑問と不安がありました。乾燥時期を越えると、薬を塗らなくても普通の肌に戻ったので、放っておきました。
でもまた秋口になると同じでした。それを繰り返して3年。そのうち、上の子は、首の後ろにぽつんとただれたような部分が一カ所できて、かゆがりました。塗り薬が残っていたのでそれを塗ってみると、翌日には少しよくなったような感じでした。完全に良くなるまで薬を塗り続けようと思い、何日も続けたのですが、良くなるどころか徐々に広がっていきました。
そこで私がとった行動は…今から思えば、なんとあさはかな…「専門のアトピー外来でないとだめなんだ」と考え、少し遠くても受診することにしました。ついでに下の子も。血液検査の結果は、二人とも卵に軽い反応が出ているとのことでした。しばらく卵の除去をし、もらった塗り薬を塗ることになりました。(ステロイドを含んだものでした)
この頃私が思っていたことは、「こうやって除去したり塗り薬を使って、うまくつきあっていくしかないんだ…。本人たちが大きくなれば、自分たちで食事管理ができるようになるし、それを教えていこう。」と思っていました。しかし、このことをいいとは全く思えず、なんと面倒な!と思っていたのも事実です。それでも、今の子どもたちと自分には、これしかないと言い聞かせていました。
【首が動かない…!】
そうこうするうち、上の子の首のかゆみはますますひどくなり、首の後ろ全体がどす黒い色に変わり、像の皮膚のようにかたくなってきました。そして、かゆみのみならず、痛みで首が回せなくなったのです。それが昨年の秋~冬です。「もう、これはだめだ。薬を塗っても効果がない!思い切って松本漢方クリニックを受診しよう!!」こう決心したのは、今年(2005年)の1月でした。
【松本漢方クリニックを受診しようと思ったきっかけ】
なぜ松本漢方クリニックを知っていたのか、ここまで読まれた方は不思議に思われるでしょう。 こどもたちの治療の経過を書いていく前に、受診のきっかけとなった、私の母のことに触れなければなりません。
<リュウマチ…不治の病(と、思いこんでいた私)>
私の母は、現在71歳です。8年ほど前からひざの痛みを訴えていました。寒い日に行った知人のお葬式以降、ちょくちょく訴えるようになっていました。「年相応」と、さほど気にも留めていなかった私です。(本人は我慢強いので、あまり大袈裟に言いませんでしたが、今から思うと相当しんどかったと思います。)
何度も近くの内科や外科を受診していたようですが、その都度痛み止めの座薬や飲み薬をもらい、通常の生活はなんとかできていました。しかし母は、痛みが増す毎に、「リュウマチ」という病気ではないかと、何度か自分から言って、血液検査をしてもらっていました。何度してもらっても“リュウマチの数値ではない”と言われていたようです。それでも数値は徐々に上がり、とうとう「リュウマチ」という診断名が下りました。
母から「リュウマチになった」と聞いた時、「リュウマチは不治の病だ…」と、何となく世間から聞かされていた私は、「痛みと骨のゆがみがおきて、母は死んでいくのか…」と、ぼやーっと思っていました。そう思いながらも、何故かそんなにせっぱ詰まった感覚はありませんでした。(結局、自分自身が痛いわけではないからかもしれません。何と薄情な娘でしょう。)
<パーマ屋さんで…>
今すぐ死に至るわけではないので、心にひっかかりはありつつも、私も自分の生活に追われる毎日を送っていました。そうこうするうち、私の行きつけのパーマ屋さんとの会話の中で、「みなさん、お元気?」と、私の家族のことを気遣って下さったことがあり、「実は母がとうとうリュウマチだと言われて…」と話す機会がありました。昨年(2004年)の4月でした。
そのパーマ屋さんの先生が静かに「誰にもかれにも薦めてるわけではないんやけど、私の妹がリュウマチから助けてもらったお医者さんがあるんや。行ってみるか?だけどなぁ、偏屈な先生なんやぁ(先生すみません)だけど、それだけにきちんと言うこときいたら治してくれるはずやで。うちの妹は新薬がようけ入る前やったで、はやいこと治してもろた。」と言われ、住所をメモして帰ってきました。
母は運転できないので、どこに行くにも父と一緒でした。まず父にこのことを話してみました。きっと面倒くさがるだろうな…と思っていたのですが、意外にも「その住所のメモをくれ」と二つ返事でした。
この頃、すでに母は自分で着替えができず、父に手伝ってもらったり、今まで以上に父が家事を負担していたようです。機業(丹後ちりめんを織っています)をこれまで二人三脚でやってきて、仕事上も家庭上も双方に頼って生きてきただけに、父もなんとかしたいという思いがあったのでしょう。
それから数週間後の2004年5月15日。両親は高槻の松本漢方クリニックを受診したのでした。
<忘れられない5月15日>
「そんな夢みたいなこと思って来てもらったら困る!魔法みたいにすぐ治るはずがない!インターネット見てきとらんのか!!!」…初めての受診は、とにかく叱られるばかりだったそうです。それでも、最後には握手をしてもらって「治してあげる」と言われ、落ち込みつつも、やらねば…と決意して丹後に戻った母でした。
<父の協力>
その日から、煎じ薬、薬湯、お灸。これまでの生活とは違った取り組みをする毎日に、忙しさを感じていたようですが、幸いお灸は父が毎日すえてくれ、とても助かっていたようです。母のほうからしてほしいと言ったことは一度もなく、父の自主性に任せてのお灸でした。どちらもよく辛抱したものです。頭が下がります。
<痛みとの戦い>
治療を始めて1週間足らずしたころ実家に行くと、顔をゆがめ、うずくまるような母の姿。そうして出た言葉は「こんなこと(こんな痛み)、いつまで続くん?」これまで、痛い時はステロイドを入れていたので、初めて味わう終わり無き激痛との戦いだったようです。当然、私には想像もつかない痛みであり、代わってやることもできません。やさしい言葉をかければいいものを「松本先生についていくつもりで、薬もやめたんやろ!(いつ治まるかを)電話で聞いてみたら!」そう言うと、「そんなこと聞いたら、怒られる!」と母。(よくわかってるじゃない)
<2ヶ月目の???>
痛い痛いと言いつつも、松本先生から言われた治療内容はきちんと続けていました。
『真面目』の三文字が刻印されるような毎日でした。そうして過ごした2ヶ月目。トイレで用をすませ、二の腕あたりの高さにあるトイレットペーパーに手を伸ばそうとした時、「エッ?何これ?」と、これまでとは違う感覚におそわれ、思わず声が出たというのです。 これまで痛くて上がらなかった腕が、肩から自然に楽に動かせたというのです。
光がさしたとはこういう時のことを言うのでしょう。こうなればあとは良くなる一方です。気力も沸いてきて、もうだめだとあきらめていた孫とのクッキー作りが、できるかもしれない…と、目標もできたのです。
松本先生の理論を、インターネットで何度も読んでいたのもこの頃でした。
<血液検査>
「バリバリのリュウマチだ!」と言われていた最初の血液検査の値も徐々に下がり、検査結果を見せてもらう度に、素人ながらその数値の確実な下がり具合に「へぇ~すごい!」と感嘆する私でした。こうして目に見える結果が得られるということは、分かり易いし励みにもなりました。
<リュウマチの終焉>
初診から7ヶ月あまり。2004年が終わろうとしていた頃です。とうとうアトピーの症状が出たのです。それもすさまじく!「やった!!」と思いました。松本先生の理論通りです。(当たり前ですが…)
顔は赤く腫れ上がり、目など埋まってしまい、俗にいう醜い顔でした。とてもかゆがっていました。受診すると「おお、出たか!」とうれしそうな(?)松本先生の声だったそうです。当然ですが、この頃、一切痛いところは無いと言っていた母です。
こうして母のアトピーが出た頃と、私の上の子の首が回らない時期が重なったのです。これはもう神様の思し召し。次回、母が受診する時は一緒に行こう!と決めました。
【横着者の私にはぴったり…】
今の日本で住む以上、体内に悪い物をとりこまずに生きていけるわけではありません。それなら、それとうまく共存できる身体にしていかなければなりません。松本先生の理論を読ませてもらって、強くそう思いました。
生来、面倒くさがりの私なので、好きな物を好きなだけ食べて、アトピーの治療ができ、免疫力もおとさず、健康になれる。こんないい話は無い!と思いました。何より、いい例が私の母です。あの時、パーマ屋さんから松本漢方クリニックのことを聞いていなければ、父が行く気になっていなければ、今頃、母の指は曲がり、病院のベッドの上で動けず、「痛い!痛い!」と言い続けていたことでしょう。
【我が子には、心配なく次世代の子を残してほしい】
母の良くなる姿を目の当たりにしているので、治療費がかかっても、借金をしてでも(オーバーに聞こえますが、本当にそう思っていました。)我が子のアトピーを治してやりたい!と意志を強く持ちました。そして、将来、子どもたちが次の世代を身ごもるであろうその子にも、今から安心な身体を残してやりたい!と思っています。
【2005年1月28日…子どもたち初診の日】
この日はたしか水曜日。仕事を2時頃上がらせてもらい、母と二人のわが子と共に丹後を出発。夜8時まで診てくださるので、仕事に支障なく出て来られました。約3時間半の車中、話題は松本先生のことや子どもたちのアトピーのこと。母は、孫たちがアトピーだということを全く感じていませんでしたので、車中でも「愛美の首がこんなひどいことになっとるとは知らなんだ。」「まさか一緒に松本漢方クリニックに行くとは思わなんだ」と、信じられないような口振りでした。しかし、私の固い決意も同時に感じ、「お母さんがええ見本だで、早いうちなら、すぐようなるわ」と励ましてもくれました。
松本漢方クリニックのドアを開けると、2004年5月15日以降、毎回実家に行くと臭っていたのと同じ漢方薬の香りがし、一瞬、懐かしさを覚えた私です。
【遠い所をよう来たねぇ】
わが子たちの順番がくると、松本先生は、笑顔で「遠いところをよう来たねぇ」と迎えて下さいました。「北海道から来られる方のことを思えば、近いです。」と応えたのを覚えています。(あの時は全く大変だとは思わなかったのですが、今から思えば、仕事を終わってから、よく行ったなぁ…と、少々自分を褒めてやりたくなります。)
まず、採血からでした。代表で上の子だけの採血でした。泣くかと思えば、ぐっと歯をくいしばって我慢する姿に、思わず頭を撫でてやりました。松本先生も看護婦さんも褒めて下さり、本人もとてもうれしかったようです。
首のうしろの写真も撮ってもらいました。その時、ボロボロの冊子を取り出し、治療経過を記録した写真やコメントも見せて下さいました。ひどいアトピーの方が、きれいに完治しておられました。
【入浴後ってこんなに潤うものなの?】
こうして2005年1月28日を機会に、二人の治療が始まったのです。この日は帰りが夜中になったので、塗り薬だけつけ、翌日から煎じ薬と入浴剤を使いました。慣れないので気にしながら煎じた覚えがあります。
入浴剤を使ってのお風呂は、かいてもいいだけにとても楽しいものでした。暖まると余計痒くなります。でもそれを「かくな」と、止めなくてもいいのです。それがとてもうれしかったし、子どもたちも存分にかいていました。
入浴剤を使っての初日の感動は、今でも忘れません。お風呂から上がった時、これまでなら、肌のつっぱる感じが必ずあったのですが、それが全くなく、むしろ潤っているのです。すごい!と思い、翌日の保育園の連絡ノートにその感動を書いたくらいです。
上の子の回らなかった首は、入浴後からしっかり回るようになっていました。
【苦い!~お母さんお薬は?】
煎じ薬の苦さは、2週間くらいで慣れました。初めはとても苦労していましたが、今では、食前には子どもたちのほうから言ってくれます。「お母さん、お薬は?」と。つい、出すのを忘れる私です。
【ジンマシン?】
初診から5日目。とにかく、かゆがる上の子。それに左耳の下あたりが少し腫れている感じでした。薬のおかげでリンパ腺の働きがよくなっているのでしょうね。更に3日後、「もう目が開けにくい~」と言いながら洗顔する上の子。あごのラインにはブツブツが出ていました。その日の夕方には顔全体にジンマシン様の湿疹が出てとてもかゆがりました。これぞリバウンド!!と、うれしくなった私です。翌日は、熱が出ました。すぐいただいていた抗生剤を飲ませました。
上の子に後れること1週間。下の子は背中の上部にジンマシン様のブツブツが出ました。これまた「やった!」と思った私。こうして、痒さとの戦いが続いたのですが、幸い、アトピーの数値は人並みだったので、ひどいリバウンドはおきませんでした。
【首がつるつる~】
2ヶ月ほどすると、像のようだった上の子の首も、下の子の背中や関節のあたりのがさがさもなくなり、つるんとしてきました。「こんなに早くよくなっていいのー」ととてもうれしかったのを覚えています。でも、季節をワンサイクル終えないと、どの時期にどんな症状が出るかわからないとも思っていましたので、ぬか喜びはしていませんでした。
【花粉、農薬】
案の定、春先の花粉の時期には、ひじや膝の裏がしっかり痒くなり、がさがさしてきました。それに、お米の栽培途中に行われる農薬散布の時期にも。体内に悪い物が入るので、すぐさまそれを追い出そうとする戦いを、子どもたちの身体は確実にしてくれていました。
松本漢方クリニックを知るまでの私なら、すぐさまステロイド系の薬を塗っていたことでしょう。
【出会いに感謝】
パーマ屋さん → 私 → 父 → 母 → 子どもたち → 松本先生
松本先生にたどり着くまでに、何人かを経ています。もっと多い方もあるかもしれません。一つ一つの出会いが、とても意味を持ち、無駄なことは無い。偶然ではなく、必然なんだと思えます。
更に、松本漢方クリニックに行かせてもらいはじめてからは、松本先生を初めとする、スタッフの方々との出会いもありました。いつも、やさしく丁寧に接していただき、とても感謝しています。本当にありがとうございます。もうしばらく、どうぞよろしくお願いします。
【初診から7ヶ月経った現在】
現在上の子は7歳1ヶ月。ピカピカの1年生です。毎日煎じ薬を小さなペットボトルに入れ、給食前に飲んでいます。友だちの手前、嫌がるかと心配したのですが、全く問題ありませんでした。
下の子は保育園の年中組です。煎じ薬が苦くても飲めるので、周りからほめてもらい、悦に入っています。他の友だちのできないことができるという、お姉さん気分も味わっているようです。毎日、滝のような汗をかきます。2~3本のタオルが欠かせません。保育士さんからは、見ていて気持ちが良いと言われています。
二人とも、これまでよく風邪をこじらせました。上の子は気管支炎で2~3度入院したこともあります。でも今は、松本先生からいただく風邪薬(煎じ薬)で、早いうちに治ります。咳止め、鼻水止めなどを飲ませていたのが、結局、免疫力を低下させていたのですね。随分かわいそうなことをしたものです。(反省…)
でも今は、本当に元気になりました。元気というよりも、「丈夫」になった感じです。この丈夫さのまま、自分たちの人生を、大いに楽しんでほしいと願う今日この頃です。
「娘のアトピー(10か月)」(お母様記述)匿名希望10ヶ月2004年11月1日
湿疹が出始めたのは、生後2ヶ月頃で、顔に赤いブツブツがでてきました。4歳年上の娘は、乳児湿疹がひどかったのですが、特に何もケアすることなく、綺麗に治まったので、下の娘も、特に気にせず過ごしていました。
それがある日、頭をみると、白いかさぶた状のものができていて、それが日を増す毎に範囲が広がってきました。同時に、左耳の横に、ぐじゅぐじゅ汁を伴った傷ができ、顔を、私の洋服にしきりにこすりつける仕草をするようになりました。(たぶん、痒かったのだと思います)
かかりつけの小児科で診てもらい、塗り薬と化膿止めをもらいましたが、薬を塗っても、いっこうに良くなりませんでした。上の娘が治ったのだから、いつかは治ると、呑気に構えていましたが、今度は、首と両肘内側、両膝裏側に湿疹がでて、ぐじゅぐじゅしだしました。全てがくびれ部分だったため、綺麗に洗えていないのかしら程度に考えていましたが、あまりにも治らないのです。おかしいと思い、市の3ヶ月検診の時に診てもらうと、「アトピーかもしれないので、病院に行くように」と言われました。
その後受診した別の小児科で、ステロイドが処方されましたが、何となくステロイドを使用するのはためらわれ、実際に使用することはありませんでした。その後、以前から母がお世話になっている松本先生に診て頂こうと、訪ねさせていただきました。
松本漢方クリニックを訪ねさせて頂いたのは、娘が4か月に入った頃でした。多くの患者さんの中には、かなり症状のひどい方もおられ、娘の状態と比較しながら、不安な気持ちは拭えませんでした。その日は、漢方の入浴剤と紅いクリーム、消毒液、化膿止めを処方して頂きました。
処方箋には、入浴は1時間とありましたが、ぐずるので、実際は、長くても20分程しか入れられませんでした。頭部のかさぶた状のものは、2日目に綺麗に消えていました。それ以来一度も出ていません。また顔のブツブツも、真っ赤だったのが、ちょうど傷が治るように、かさぶたのような色に変化が見られ始めました。
ちょうど1週間ぐらいで、顔全体の赤い湿疹は綺麗になりました。いつも赤い顔をしていたのが、「こんなに色が白かったっけ」と思うぐらい、肌が綺麗になり、うれしくてたまりませんでした。その後、顔の湿疹は、何度も出ては治って、を繰り返しました。
それまでは、顔と、目に見えて傷になっていた所にしか関心がいかなかったのですが、お風呂に入れて全身を擦ると、太ももや膝の辺りがガサガサしており、娘も温まると痒くなるのか、お風呂の中でしきりに掻いていました。今度は、紅いクリームを、脚全体にせっせと塗りました。着ているものが全て赤く染まるのには閉口しましたが、このクリームで治るのだということを信じて、毎日頑張りました。
私達は、夫の仕事の関係で、娘が6か月の時に、中欧のプラハへ異動となりました。多めに処方して頂いた漢方の入浴剤と赤いクリームは、引き続き使用していましたが、環境の変化のせいか、顔の湿疹が一時ひどくなりました。ぐじゅぐじゅしていた耳の横と首、左肘うち側、両膝裏、脚のガサガサは、治りそうになって、また一時ひどくなり、それを繰り返していました。
ほぼ完治したのは、生後8ヶ月になってからです。今は、時々、背中とお腹に発疹がでてきますが、毎朝晩、紅いクリームを塗っており、そのおかげで、特にかゆがらずにすんでいます。
現在10ヶ月になりますが、ほぼ完治した姿を見るにつけ、生後4ヶ月の段階で、松本漢方クリニックの扉をたたかせていただけたことを、幸せに思います。当初から励まし続けて頂いた松本先生には、この場を借りて、改めて感謝の意を表したいと思っております。本当にありがとうございました。
「アトピー手記」匿名希望57歳 6歳 1歳6ヶ月2014年4月27日
親子3人で松本漢方クリニックさんにお世話になりました。
長女がアトピーを発症した事、私自身が長男出産後目の周りにアレルギーが出た事、そして長男までアトピーと言われた事が重なり、昨年の今頃はショックを受けると共に、どう対応するべきか焦っておりました。松本漢方クリニックさんの治療に入ったのが私の仕事復帰直前となり、精神的、体力的にかなり疲れた時もありましたが、私自身色々と勉強の機会となりましたし、松本漢方クリニックさんを信じて治療を続けて本当によかったと思っております。
私の場合は2件の皮膚科に行きましたが、納得いかず、迷った期間は2か月程の短い期間でした。その後松本漢方クリニックさんにたどりつけましたのでかなりラッキーだったと思います。それでも皮膚科医の宣言される事に納得いかず、ショックを受け、精神的にかなり疲れていた私は松本先生にお会いして娘の手を握って「大丈夫、治るよ」と言って下さった時には心が解き放たれ涙が出そうになるくらい嬉しかったです。友達からの紹介ということと、ホームページに目を通しておりましたので、その時には不安もなく松本先生しかないという確信を持てました。今では私達は色々な情報を簡単に得ることができます。これが昔ならと思うと・・・
皮膚科で恐ろしいステロイド剤を処方され悪循環から抜けられなかったかもしれません。いえ、そうなる可能性はありました。幸いにもタイミング良く長女のお友達が酷いアトピーを松本漢方クリニックさんに通い完治したと紹介頂いたお蔭で子供たちには安心して使える薬によって治療できました。
漠然とステロイド剤はよくないということを少し知っていましたが、長女の乳児湿疹時(今回と同じ時期でした。皮膚科では乳児湿疹と言われますが、既にアトピーだったのですね。)に数か月と、今回のアトピー発症で強いステロイド剤を使っていました。本当にすぐ治ったので期間はトータルでも1週間以内でした。後で思えば2度目に広がったアトピー症状は最初より広がり、強いステロイド剤を使ったリバウンド症状だったと思っております。私達のアトピー治療を記憶している限り記します。
平成25年3月半ば過ぎ 長女の肌の乾燥が気になりだし、保湿剤など付けて様子をみるが一向に良くならない。
平成25年4月初旬
顔や首内肘等ガサガサポツポツといった症状が広がる。
部位は限られているが、痒みも出てきて、ガサガサが酷くただの乾燥ではないと感じ、皮膚科受診する。
1回目皮膚科受診結果
アトピーと宣言される。家系の遺伝的な話と自宅でのカーペットの有無、換気等聞かれ、ぬいぐるみも片付け拭き掃除や隅々までの掃除を提案される。そして思春期くらいまで続く覚悟をとの内容も。(→娘のアトピー宣言に加え、日頃から掃除や換気は心がけていただけにショックを受ける。
また説明された事で娘にしっくりくる物がなく納得できないままおデコ用軟膏と体用軟膏、かゆみ止め水薬を処方される。
1週間経過
娘の症状を早く治してあげたいと処方された薬で対応。
軟膏は数日塗るだけで見違えるように綺麗になりかゆみも消え一安心。
5月初め
その後アトピーについて調べている内に日本の水道水塩素についてや温泉治療等に興味を持ち、そういえば以前知り合いが和歌山橋本市の温泉に通いアトピーが治ったと聞いた話を思い出し、早速温泉へ。
ステロイドを使わないでいいなら温泉に通って完治できないものか?と考えてしまう。その後2週間程落ち着いていたのが突然全身にアトピー症状広がり驚く。
5月中頃
保育園先生のアドバイスで原因物質だけでも分かればと思い大阪府立アレルギーセンターへ血液検査、ステロイド以外の治療希望で受診する。
受診結果
私が乾燥肌で弱いので体質が原因。乾燥からつながったもので、前回の中途半端な治療がよくない。表面だけが綺麗になったからといって薬を止めてはいけない。食べ物のにアレルギーがないなら血液検査も必要ないとのことで、強い軟膏から徐々に弱くして最終使用しなくて済むようにする治療を提案された。ステロイドしか治せない宣言!!!
長男もアトピーと言われ1歳未満だった為、今後、食物アレルギーが出てはいけないからと長男には希望してなかった血液検査をされる。
(→下の子を抱えながら長い間待たされ、この結果にかなりショックを受けた。また看護師の軟膏の塗り方指導では看護師がビニール手袋をして見本を見せてくれるのが気になる。)ステロイド軟こうチューブとワセリンにステロイドが混ぜてあるものが処方され通院を依頼され2週間後予約。それまで塗り続けるよう指示される。(薬を使うべきかどうか迷いながら帰宅する。)
その夜、ステロイドについて少し勉強はして使いたくはなかったものの、結局娘の酷くなった症状に薬を塗らずにはいれなかった。2日使用。
ネットで処方された軟膏について調べてみた。最強、それに近いレベルの軟膏で子供には使用しないともあり私は怖くなった。また娘に素手で塗っていた私にも影響はあると思った。薬をすぐに中断。しかし2日で長女の症状はかなり治まる。
平成25年5月半ば
ちょうど私も長男出産後、1か月程したら目の周りにアレルギー症状が出て、ステロイドを少し塗ってしのいできたが、すぐ繰り返すので悩んでいた。松本漢方クリニック親子3人受診決める。私と長女は血液検査。煎じ薬、赤い軟膏、黄色い軟膏、抗生剤、消毒液、お風呂用薬草(週2回)を処方してもらう。長男は1歳未満の為血液検査、煎じ薬不要。
翌日より治療開始。
松本漢方クリニックさん受診時は2回目のステロイド剤塗布で娘の症状は比較的落ち着いていました。治療開始後、症状はかなり酷く出るのであろうと覚悟していました。アトピー症状は内肘、首周辺、体に少しポツポツが出ていたとおもいますが、症状の範囲は広がることなく、少し善くなったかな?と思うとまた少し悪くなり・・・を1か月半程繰り返しました。それ以降はぐんと善くなり、夏の終わりにはほぼ完治?と思うくらいでした。私は洗剤を優しいものにしてから手袋なしでも出ていなかった手湿疹が久しぶりに酷くなり、痒くて痒くて夜中に酷くかきむしっていました。翌朝はヒリヒリしてましたが、煎じ液、抗生剤、軟膏、薬を塗ってすぐ善くなり、また発症するを1か月程繰り返しました。
9月 (?)
長女、虫さされから とびひにになってしまい、一気にアトピー症状が広がり焦る。松本先生の指示により、今まであまり抗生剤や消毒液を使うことなく来ていたが、消毒と抗生剤を加え軟膏をしっかり塗る。1週間ほどで綺麗に戻りホッとした途端、下の子供も同じ事態に。
お姉ちゃんと同じように治ると思っていたが、やはり1歳過ぎの息子には難しく足の裏側がこすれて広がり、かなり酷い事態に発展し、保育園側からも預かれないと言われ、親に保育頼んだものの親にももっと早く皮膚科受診するべきだったのではと指摘され、皮膚科へ連れて行かれ、ぐるぐる包帯を巻かれて帰ってきた。この時は、ここまで頑張ったのでもう少しと思い漢方治療続けてましたが、私には仕事があり忙しい日々が続いていましたので・・・
上手くいかず、精神的にも辛く、本当に悲しかったです。(先生、本当に申し訳ありません。)
11月 この頃から長女のアトピー症状はすっかり消え、その後も出ていません。ただ乾燥肌なので、やはり内肘や顔周辺はガサガサしがちでしたが、少し気になりかけたら軟膏を塗ると症状出ることなかったです。あとは保湿ローションで気をつけていくことにしました。よくなってくると子供は煎じ薬飲んでくれませんでした。
1月 半年以上経っても少し善くなっては悪くなりを繰り返していた私も今までとは違う!本当に善くなってきたと感じました。
2月 私も以前みたいにアイメークができるようになると嬉しくなり気持ちも明るくなってきました。子供は予想していたくらいで善くなってきたのに正直私に関しては少し不安になってたこともありました。
3月 息子は4月~6月くらいに少しアトピー症状と夏の虫除けをしながら汗びっしょりかいて昼寝していた後、あせもが全身ワァッと一時的にでましたが、新陳代謝が良いためか、私達と一緒にお風呂に入ったり軟膏を塗るだけですぐ善くなっていました。夏の息子の症状周りからあせもといわれたりしたので松本先生に質問しました。結果アトピーと一緒で汗に混じる化学物質が原因だとのことで息子の近くで虫除け置いていたので、かなり納得しました。
血液検査ではスギが運ぶ化学物質に反応していると出ていた長女ですが、その花粉シーズンを再び迎え、少しドキドキしていましたが、今年はアトピー症状出ることなく過ごせています。大人の私でも最初は辛かった煎じ薬を当時5歳の娘は本当によく頑張って飲んだと思います。今はステロイドを使用しなくて善くなった事の喜びを感じております。
松本先生に心から感謝致します。ありがとうございました。
息子の方は3月入ってアトピー症状出ました。軟膏で対応していたのですが、日によって全身に湿疹がでですごく痒がってるので、松本先生にお風呂用の薬草お願いしました。
また続けて息子も早く治してあげたいと思います。
まだしばらくお世話になります。よろしくお願いします。
生後2週で、顔が赤くなり始め、最初は、非ステロイド剤の軟膏を処方されました。全く効かず、次の診察で、弱いステロイドの軟膏をもらいましたが、1ヶ月もしないうちに、その軟膏も効かなくなり、また少し強めのステロイド軟膏をもらい、そういうことを繰り返して、4ヶ月を迎えました。
このままでは、将来、ステロイドの副作用で顔が赤黒くなってしまうのではないかと怖くなり、松本漢方クリニックを知り、受診しました。
初めは、消毒液、入浴剤と赤い塗り薬、エルタシンだけで、数ヶ月毎日がんばった結果、ほとんど身体や顔の傷、痒みはなくなりました。
煎じ薬を飲める月齢になると、アトピー用の煎じ薬を飲ませました。
それから、アトピーから解放されたと思ったら、喘息の症状がでて、喘息の煎じ薬を飲ませ始めました。
一度風邪をひけば、2ヶ月は咳が続き、吸入しに、病院で診察を受けると、
抗アレルギー剤、抗ヒスタミン剤を大量にもらい、主人は、病院のお薬を飲ませないと治らないというし、苦しそうな我が子をみると、不安になり、病院のお薬を飲ませたり、やっぱり効かないから松本漢方クリニックの煎じ薬をのませたり・・・。
親の迷いから、子どもの治癒を遅らせたのだと今では、解ります。
(3人目の子どもは、喘息、アトピーを同時に生後すぐから発症してますが、吸入にし、近くの小児科にいくものの、大量に処方されるお薬は捨てて、
松本漢方クリニックの煎じ薬と、気管支拡張テープだけで乗り切っています。)
6歳(小学1年生)になると、喘息発作が起きなくなり、吸入しに病院にいくこともなくなりました。
春には、花粉症になりますが、今では、風邪もほとんどひかないし、乳児の頃、アトピーで全身傷だらけだったこともウソのようです。
松本先生に出会わなければ、今も大量のお薬を飲んでいたと思います。
ありがとうございました。
「息子のアトピー完治手記」(お父様記述) 匿名希望7歳2016年3月29日
親子ともどもお世話になります。以前息子が2歳の時、アトピーの症状がひどくなりました。よだれを拭くのが足りずかぶれたのかなと思った首やお腹から、治らずに徐々に拡がっていった感じでした。当時は家族で海外駐在をしており、環境や食べ物が悪いのかなと思いつつも帰任の予定もなく対応に困っていました。私自身子供のころにアトピーがあり、病院で塗り薬をもらってしばらく塗ったが一向に良くならず、あきらめて放置していたら中学生ぐらいで治ったという経験を記憶しており、病院に行っても治るとは思わない、しかし放置するには私の子供の頃と比べて息子の症状がひどすぎるという状況でした。
その時に妻の友人がお世話になったことがあるという松本漢方クリニックを紹介され、Webサイトを見させていただきました。書かれている理論が私自身が子供の頃にアトピーが治った経験と合致し、ここならばということで一時帰国の機会に息子を連れて行きました。個性的な先生に個性的な診察と処方をしていただいたという印象でした。
いただいた塗薬と煎じ薬を自分でも少し塗ったり飲んだりしてみて確認し、これは体に良い物だという気がする、少なくとも悪く作用することはないだろう、というのが正直な感想でした。息子に飲ませ、症状のあるところに塗るということを続けました。飲み薬は苦めなので息子が飲めるかなと心配したのですが、息子は美味しいとまでは言いませんでしたが特に問題なくそのまま飲んでいました。Webサイトでは、ステロイドのリバウンド等の話も書かれています。しかし私の息子はそれまで特に薬を使用していなかったので、外から観察する限りでは最初の数日間特に変化はなく、定期的に通院できないということで薬を多めにいただいていたのもあり、まずは使い切るまで続けてみようといった感じでした。
その後の印象として、あまり手記らしい表現にならないのですが「1~2年かけて自然に治っていった」という感じです。普段海外にいて日本に帰る機会が限られていたこともあり、正直処方いただいた通りの分量で煎じ薬を飲ませることができず、薬は飲んだり切らせて飲まなかったり、塗り薬もあとどれぐらい残っているかと相談しながら症状のひどいところに塗る、また一時帰国の時にまとめて薬をいただく、というあまりよろしくない対応を続けましたが、幸いにも徐々に良くなっていき完治しました。現在は日本に帰任し、7歳になった息子はその後アトピーに悩まされることなく生活しています。ありがとうございました。
・・・と、ここで終わることができるはずが、今度は私自身の再発したアトピーの症状がひどくなり現在また先生にお世話になり始めました。息子と同じく海外駐在の途中で、環境や食事が悪かったのか再発し、日本に帰れば息子のように治るだろうと思っていたのですが治らず、最近首や顔の症状がひどくなり、対面の仕事であることもあり治さなければということで久しぶりに通院させていただきました。
息子の時と違って煎じ薬をしっかり飲み、夜中に猛烈に痒くなって掻き毟り、朝起きたら大変なことになっているだろうと思ったら不思議にも肌の状態が寝る前よりもむしろ良くなっている、というのが体感です。また、顔に赤と黄色の軟膏を塗って会社に行くのはどうしたものかなと思ったのですが、うまい分量で塗り重ねると自然な色になります。軟膏を塗りたくった私の顔を見た会社の人に「良く日焼けされていますね、どこか行かれたのですか?」と聞かれた時にはにやりとしてしまいました。
病院嫌い、薬嫌いの私にとって先生の「治すのは自分の免疫力だ」というストレートなお言葉はとてもしっくりきます。痒くならないようにするのではなく、痒くなっても大丈夫、掻き毟っても大丈夫なようにするという考えにも自然なものを感じ、安心して続けることができます。願わくば早期に完治したいと思いますが、これは私の体次第ということで体に良い生活を心がけていきたいと思います。
親子ともどもお世話になります。よろしくお願いいたします。