岩手県陸前高田へ

大阪の生協主催の岩手県へのボランティアバスに応募したら当選した。

往復は車泊で活動は実質1日にも満たない。しかしこの支援をずっとつなげていくことが大事と生協の方がおっしゃったのが心に残った。これからも毎月60名の組合員が参加するようだ。

行ってみるまでは、こんなちょっとした活動はかえって迷惑なのではないか、と考えていた。今回参加してみたら、地元の皆さんが口をそろえて「ごくろうさま、来てくれるだけでいいんですよ。」と笑顔でおっしゃられていて、嬉しい気持ちでいっぱいになった。あとは、つなげていくこと。自分が見たこと感じたことを、帰った後にたくさんの人に話してより多くの人に現地を訪ねてもらいたい、と思った。百聞は一見にしかず。まだまだ人手は必要だし、仕事の内容もいろいろとある。

私たちが今回手伝わせてもらったのは、1日目は陸前高田ボランティアセンターより広田町に作られているゲートボール場やパターゴルフ場の整地や花壇の世話。2日目は遠野まごこころネットさんの仲介で、同じく陸前高田市上長部地区の麦や菜の花畑、菜園の整備だった。

どちらも津波でたくさんの命がなくなり、あとには瓦礫や腐敗した魚が散乱したという。これまでの活動によって、今は石ころや小さなガレキが残るくらいきれいになっていたが、畑にするには表土が全部流されたため、栄養も乏しいようで、菜園部分には堆肥を蒔き、目に付いた石ころを拾い集める。

参加者の中学生の女の子が、きれいなホタテやアワビの貝殻をいくつも洗って干していた。持って帰るという。後で気づいたけど、ここには本来あるわけないものだった。地元方の中には、住んでいるところから海が見えなかったので、まさかそんなに海に近いと思っていなかったり、標高が低いという意識がなかったりということもあったようだ。それぞれの危機管理について改めて考えさせられる貴重な話を聞かせていただいた。

新しくできたグラウンドで、少年たちがユニフォームを着て野球の試合をしていた。わたしたちのボランティアバスが通るとき、手を止めてみんな帽子を振ってくれたのが心に残った。ありがとう、そして、がんばっぺし!

東北の短い春は、桜梅桃がいっせいに咲くと聞いた。本当だった。それ以外もこぶしや水仙、菜の花なども。

半島になっている広田町は、当時陸の孤島となり、救助が遅れたという。海水浴場だったところに道路の断片があった。

広田町のゲートボール場とパターゴルフ場の間に花壇を作っている。もともとは家やガソリンスタンドが建っていたと、地主さんが話してくれた。

気仙朝市が土日に開催されている。その名も復興饅頭(写真)はボリュームがあって粒あんが美味しかった。コーヒーを飲んだあとの紙コップにメッセージを書いて七夕飾りにするとか、貸本屋さんとか、朝市の「α」マーク入り野球帽など楽しいアイディアがいろいろ。2日目の朝早く目が覚めたので、旅館の周りを散歩する。一見とても美しい川だが、ところどころ木が枯れていたり、電柱が折れて転がっていたりすると、ここにも津波が押し寄せてきたんだ、と実感させられる。

線路が寸断されたりして、今は止まっているJR大船渡線。

避難場所になっていた体育館でもたくさんの方がなくなったという。語り部の方が、最後は自分で判断することも大事とおっしゃっていた。

陸前高田の象徴になっている一本松。だいぶんと葉が茶色くなってきていているとのこと。もとは7万本の松原があった。

陸前高田の市街地には、1年以上経ってもまだガレキが積まれたまま変化がないとのこと。

街中は今までは建物を目印にしていたから、全部なくなってしまったことで、かえって道に迷ったりします。と地元の方がおっしゃっていたのが印象的だった。

上長部のおがさん(お母さん)の差し入れで、わらびと茎わかめの和え物が届いた。わらびが太くてぽりぽりおいしい。メンバーの中には、近くのわかめ工場の作業のお手伝いをさせていただいたグループもいた。上長部の菜の花畑。石ころ交じりの中で、菜の花が元気に育ってきている。さらに追肥して生長のお手伝い。

帰りに寄った遠野で米酢とふきのとうを買った。陸前高田の川の駅よこたで胡桃を買っていたので、蕗味噌にした。初めて食べたけどほろ苦くてなんともいえない味だった。