2011年6月の日記(その4)

6月20日(月)地域活性化みたいな方向?

島根県のとある町での嘱託職員の募集があり、前向きに考えてみる。こういう地域の活性化みたいな方向に進むのも、ひとつの道かもしれない。このまま大都市に住み続けても、自分を生かした仕事というのはなかなかできない気がする。

企業間の仕事を考えると、会社に雇われるというのはパーツになるということだ。その状態で、自分が思っていることと行動が一致するというのは稀なんじゃないだろうか。思っていることと行動がズレるとストレスになる。まあ、パーツはパーツとして割り切って働けばいいのだろうけど、それも簡単ではなく、自分で考えろとか自主的に動けと言われたかと思うと、勝手なことをするなと言われたりする。きっと皆、そういう中をうごめいて仕事をしているのだろう。

つまりは、今の環境での仕事に希望が持てていないので、新天地を求めたいという気持ちなのだ。では地方に行けば不満が解消されるのかといえば、逆に人間関係はもっと濃密で複雑だったり、ややこしいことも多そうに思える。でもそういうところに新しい風を入れるというのも、ひとつの役割なのかもしれない。なんてことを考えてみたけれど、マンションの自治会の仕事もおそるおそるな自分に、地域活性化なんて無理なんちゃう?

6月21日(火)出ていくものと入ってくるもの

先日うちに遊びに来た福島の友人は「一度逃げたら戻れないよね」と言っていた。逃げるというのは、痛みをともなうことなんだろう。残される方としては何か一言、言いたくなる気持ちもわかる気がする。でもそれは、逃げることが正解だと、ほんとうはそう思っているからの言動ではないだろうか。

こう書きながら、会社を辞める同僚のことを考えている。重要な人が去ると、残された人には、今ある環境が輝きを失ったように見える。逆に新しく人が入ってくる場所にとっては、新天地として選ばれたという前向きな空気が運ばれてくる。だから出ていく人がいるのはいい。でもそのかわりに入ってくるものがほしい。じゃないとその場所は低迷してしまう。地方の町が人を呼びたい、移住してきてもらいたいというのも、きっとそういうことなのだろう。

6月22日(水)ただ気分よく暮らしたい

ああ、こんなことやってる場合じゃない、と思うことがあるけれど、ではどんなことをやってる場合なのかというと、よくわからない。

地域おこし協力隊という仕事が全国の過疎の町や村で募集されている。島根県の町での仕事もその仕組みを使っての募集だった。海外協力隊の日本国内版のようなものだ。ホームページをのぞいてみたところ、たまたまクリックした協力隊員のブログ内でちょっとした論争が起こっていて、それを目にしたとたん自分の気持ちが盛り下がってくるのがわかった。志とか理想の高さを問われてしまうと、ちょっとつらいなあ。ただ気分よく暮らしたい。それが自分のベースになっている。

6月23日(木)言葉は呪い?

マンション自治会で回した回覧板に意見コメントあり。意見のコメントというのは、どうしてこう胸にぐさっと何かが刺さったような気持ちになるのだろう。頭がくらくらしてしまう。昨日見たブログのやりとりなどもそう。言葉は呪いだ、ということを聞いたことがある。たしかに言葉を投げかけられると、それに返答しないわけにはいかない気持ちになる。投げかけられたものに攻撃性を読み取ったら、それに対して反撃したい気になるし、そのまま受け入れてしまうと自分の中にダメージを負うこともある。文章だと、表情やその他の情報が読み取れないから、ニュアンスを取り違えたりしてしまう。そのニュアンスをいかに伝えるかというのが難しい。今回は回覧板を早いとこ回したいという思いが先走って、表現への気の配り方が足りなかったかもしれない。いかにポジティブな気持ちを持ってもらえるかが大切だ。

6月24日(金)楽しそうにしているという革命

そうだよな。いかに楽しそうにしているかって重要だ。はたから見ると不利な環境だったりしても、楽しそうにしているということが、大げさに言うと、実は最大の革命だったりするのではないか。権力だったり、管理だったり、資本だったり、そういうものに対抗できる方法なのかもしれない。原発の問題にしても、省エネして自然エネルギーを使った世の中はこんなに楽しい、ということをもっと提示できれば共感が広がるだろう。ノルゴー博士の本にはそれが描かれていた。ストレスフルな仕事を減らし、楽しく生きて行こうという世界につながれば、その方向を支持する人は増える。原発は危険だよりも(それも真実だろうけれど)、自然エネルギーは楽しい。それが示されたらいいのに。

6月25日(土)長屋の貸家

朝から畑仕事。帰り道、とある長屋の1つに「貸家」の張り紙がしてあった。畑も近くなるし、ここに住むのもいいかもしれないなあ。くらいに思っていたら、同居人が公衆電話で立ち止まり、いきなりその連絡先に電話した。いや、まだ心の準備が…整うまえに、家賃が予想よりだいぶ高かった。

6月26日(日)ショッピングモールと野球場は似ている

朝、暑くて目が覚める季節がやってきた。暑くても天気が良いとすがすがしい。でも同居人は暑いのは苦手らしい。まあ冬は寒いのも苦手って言ってた気もするけど。

今日は靴下を買いに行く。手持ちの靴下はほとんどがかかと部分に穴が開いていて、繕っても繕ってもラチが開かずに穴が開くからだ。向かったのはショッピングモール。大量生産は問題だなんて言ったこともある気がするけど、大量生産・大量消費の象徴のようなショッピングモールに、ついつい引き込まれてしまう。

モールに入ったとき感じは何かに似ているなあと考えてみたら、野球場に入ったときの感じに似ている。外からは伺い知れないけれど、中に入るとわっと空間が開けて、人のざわめきとかアナウンスとかの反響音が耳に飛び込んでくる。そんなスタジアム感がショッピングモールにはある。

近くのアウトレットモールにも移動して、靴下とジーバンを購入。今年一番の買い物をして気分も高まった。同居人は輸入食品店でパン用の小麦粉とココナッツミルクを購入。売り子のおばちゃんにつられてキムチも購入。

(T)