彼の名は

Tより1日早く台中のアパートに入った私は、さっそくもう到着している写真家のYくんにメッセージを送る。

F:台中着きました。今どこですか?

Y:ホテルで選手が開会式に出発するのを一緒に待ってます

F:バスに同乗して一緒に開会式に行くの?

Y:まだわからないっす

聞けば、バスの出発予定時刻まであと30分ほど。

アパートに着いたばかりで汗だくだし、誰もいない今のうちにアパート内を探検してみたい気持ちもある。が、今ホテルに向かえば選手に会える可能性が高い。葛藤の結果、時間をロスしてしまったが、あと15分というところで、やっぱり行こう、と宿を飛び出した。

ホテルの名前と場所はわかっているのだが、そこへ行くバスを探している暇はない。なんかドラマみたい。走りながら、タクシーを停めようとする私。しかし、タクシーは少ない上に停まってもくれない。走っていくには遠いし間に合わないだろう。あぁ、無理かも。と思ったとき、路上の上品そうなおばさまと目が合った。ホテル名を言ってみる。通じない。漢字でなんというのだったかな?とうろ覚えで漢字を並べてみると、あぁ、それなら、こう書かなくちゃ。と丁寧にメモを書き直してくれて、一緒にタクシーを探して停めてくれた。「このホテルに、このお嬢さんをちゃんとつれていってよ!」とかなんとか言ってくれた気がする。ありがたい。

残り5分。普段まったくタクシーに乗らない私。こういうとき「とばして!」とか「あの車を追って!」とかそういうこと言うと追加料金を取られるかもしれないし、この際あまり急いでいることを悟られないように、しかしシートの真ん中に座って首を前に突き出している時点でかなり焦っている様子は伝わってしまっていたと思うが、どうしたことか、この運転手は非常に安全運転であり、スローであった。

出発予定時刻はすでに過ぎてしまった。ホテルが見えたころ、たくさんの人とバスが見えた。間に合った!神様ありがとう。ちゃんとお釣りをもらってから、落ち着いたふりをしてポーチに降りたった

とにかく!と、目の合ったキューバ御一行の一人に声をかけてみる。おっ、英語が通じるのが嬉しい。嬉しいが話していくと彼は選手ではなくてスタッフだった。しかしキューバチームのフィジカルトレーナーということでそれはそれでお話できて光栄なのであった。お互いパートナーがいて子がいないところも同じでしかも同い年とわかって意気投合したが、それ以上の話題はなく、それきりになってしまった。

時は過ぎて

キューバの最終戦終了後、選手たちがバスに乗り込む裏口には台湾人を含めてたくさんの取り巻きがいた。そんな中、美しい女性たちには、キューバチームの関係者がボールを手渡しでくれたりしていたのだが、所詮、怪しい女な私はもらえるわけもなく、といってそんなに何かが欲しいというものでもなかった。でもボールに関して言えば、キャッチボールに使いたいと思わなかったわけではなかったが、他の人たちが大切に飾るであろうそのボールをただ実用目的で欲しいというのも失礼かもしれないし、欲しくない顔をしていた。

そんなとき、かのフィジカルトレーナー君がバスに乗り込むところに目が合ったので、アディオスと手を振ったら、引き返してくれて、私に手を伸ばして何かを差し出した。私の手には小さなキューバの旗が揺れていた。なんだか泣きそうになった。バスがなくなった夜道を、何度もポケットの中にある小さなものを確かめながら歩いた。もったいなくて、使わず今も飾ってある。そういうものを欲していたんだった。