読書日記 2011年12月

「菜食主義者」

若い女性がある日から肉をいっさい口にしなくなった。それをきっかけに家族や親類から湧き出てくる欲望や心の傷が描かれている。 韓国の人が書いた小説は初めて読んだ。翻訳がうまいのか、言葉の構造が日本語と似ているからかわからないけど、文体が自然で中世的な印象を受ける。あまり翻訳本を読んでいるという気がしなかった。 こういう小説を読んでいると、いやおうなく、自分のことを考えさせられる。それもいい小説の証なんだろうか。小説のなかで綴られている家族の関係や男女の関係を読んでいると、いつのまにか、自分の中のそういう部分と照らし合わせるように思考をめぐらせている。それは小説の中の人物に共感するしないという話ではなくて、なんというか、本気度が伝わるような感じがする。人間のマジな部分に迫ろうとする文章は、読んでいる人のマジな部分に働きかけてくる。あるある、とわかるより、もう少し深いところでコミュニケーションできる気がする。

こんなことを思うのは、この小説が女性作家によるものであり、中世的な文体で書かれていることも影響していると思う。男性が書くと(自分も男性なので)、もう少し共感できる/できない寄りに読んでしまうのかもしれない。

「大津波と原発

今回の震災と原発事故について、目に見えないところで何が起こっているのか、長期的に見てこれはどういう意味を持つのか。そんなテーマで3者によるユーストリームのラジオ番組の対談をまとめた本。 なるほどと思ったのは、内田樹氏による狼少年の話。狼少年は自分の正当性を認めされるために、いつの日か狼が本当にやってくることを願うようになる。このことはいろいろな事に当てはまりそうだ。危機ばかり叫ぶ人は、その危機の到来を待ち望んでいる。そのことを楽しみだと言わずに、危ないと叫ぶところにずるさがある。自分だって思い当たる節がある。うちの会社はもうだめだと言うときには、ぶっつぶれてくれないかなという期待がある。日本はもうだめだと言うときにも、似たような感情がある。破壊願望みたいなことが自分のなかにあるのだ。そういうものを「ある」として考えるのと、「ない」として考えるのでは、見通しのよさが変わってくるだろう。(って、内田氏みたいな文体になってしまった)

もうひとつ人間のコントロール能力は信用できないという点も、そのとおりだと思った。原発にしても遺伝子組み換え作物にしても、一番の問題はそこだと思う。どんなに優れたバッターでも打率4割を打つことはできないし、狙ったところに球を投げ続けられるピッチャーもいない。100パーセントのコントロールは人間には無理だ。そのことをちゃんと設計の内側にとどめておくことができるか。そこを見ておかなければいけないといけないと思った。

「計画と無計画のあいだ---自由が丘のほがらかな出版社」

なんだか勇気づけられる。ミシマ社の三島さんは特別な人ではない。少なくとも外からはそう見える。でも出版社を立ち上げて、もがきながらも楽しく進んでいくことができている。自分も何かやろう。そんな気にさせられる本だ。言葉によって動かされるということがあるならば、この本はそういう力を持っている。人を動かす言葉がすべてすばらしいかと言えば、そうではないだろう。怪しい言説で多くの人が動かされてしまうこともある。でもそうだとしても、言葉というものは扱うに値するものなのだ。人と人との関係をよくしたり、風通しをよくしたり、そういう言葉を扱いたいと自分も思う。たとえば三島さんは文章がすごくうま いというわけではないかもしれないが(本業はライターではなく編集者である)、それでも伝わってくるものがある。そんなことを考えさせられつつ、唐突にパンチ佐藤が出てくるところに思わず笑ってしまった。「希望難民ご一行さま」

ピースボートの裏側を知りたい。そんなちょっとやましい動機で読み始めたけれど、それ以上のおもしろさがある本だった。 著者である若手研究者の大学院生が、 ピースボートに乗船する。そのとき乗船者に対して行ったアンケート調査の分析と、実際の旅の様子のレポートで構成されている。若者らしい軽めの文体を使いつつ、研究者らしい文献の引用やデータの分析があり、独特の風合い。あまり読んだことのないタイプの本だと思った。 ピースボートに乗る若者については、クールで辛口な皮肉の利いた分析と描写がされている。乗ってた人はムッとするだろうなあと思いきや、最後にちょっと驚く著者の独白があり、憎めなさが醸し出される。それと、他の研究者を紹介するときに使う枕詞が文脈と全然関係ないけど人となりを捉えていて、思わず笑ってしまった。

本のなかにあった「旅が出口になっている」という言葉に、そうだよなあというか、そうだったよなあという気持ちになる。自分も旅を会社生活の出口として利用した経験がある。あわよくばそれが何か次の入口になればいいなと思っていたが、今のところそうはなっていない。何なのだろう今のこの停滞感は。熱く夢中になれることもなければ、生活が脅かされるという危機感も感じられない。まったく困ったものだ…

と、いうような人に「別にそれでいいじゃないか。余計なことはさっさとあきらめて、今の状況を楽しみなさい」と言うのが、この本の結論である。大人に対して、若者をあきらめさせろ、と言う。いまの若者は、仕事や自己実現などの「目的体」よりも、居心地のいい仲間との「共同体」を重視しようとしている。それでいいじゃないか。そういう主張だ。

たしかに目的と共同体って、そのままではぶつかりそうな気がする。必ずしも両立できるとは限らない。それをどちらかひとつ選べと言われたら、共同体という答えになるのだろう。それが今の時代の「希望難民」ということなのだろう。

「フリーライダー」

身につまされる内容だ。フリーライダー、いわゆる「ただ乗り社員」の問題について、研究者とコンサルタントである2人の著者が分析し、その対策を提案している。自分もつね日ごろから問題だと思っているのは、このへんのことだよなあ。そういうことを感じていたから、自分はこの本を手に取ったのだろうと思う。 自分のなかにも「フリーライドしてるんじゃないか」という気持ちがある。仕事は自分なりにやっていても、ほんとに給料に見合うのかと問われるとわからないし、そもそも会社自体が社会の中でフリーライドしているのかもしれない。そんなフリーライドの連鎖の中にいるんじゃないかという居心地の悪さ。言い換えると、割に合っているのかどうかわからないという感じ。これをいかに解決するかというのは難しい問題だ。でもひとつ確かなのは、自分はフリーライダーにはなりたくない。そう思っているということ。 いや、でも待てよ、とも思う。たとえばもし自分が環境保護の活動家とかだったとして、会社にもぐりこんでろくに働かず、給料だけもらってそのお金を環境保護につぎ込んだとする。これは会社側から見ると給料泥棒というフリーライダーだけど、環境保護側の視点から見ると、会社のほうこそ自然資源を搾取しているフリーライダーだと言うこともできる。まあ、これは極端な話だけど、視点が変わればまた違った見方がある。

うーん。こういうことは、とりあえず「みんなが同じことをしたらどうなるか」を考えることから始めてみるのがいいんじゃないかと思っている。

「日本は悪くない悪いのはアメリカだ」

1980年代に出版されたキャッチーなタイトルのこの本。ポイントは「国民の完全雇用を守るのが政治である」という主張だ。 TPPとかグローバル経済とか、いろいろ議論されているけれど、いったい自分はどこに視点を置いて考えたらいいのかわからない。そんなところに「日本の政府は、日本に住んでいる日本人の暮らしを守ることをまず考えるべき」というのは、ひとつの考え方の軸になる。 逆に、グローバル化を主張する人は、すでに軸足が日本にはないということなのだろう。そう考えると、自分の立場も揺さぶられる。海外で暮らすという選択肢も、うすぼんやりと考えたりするからだ。

忘れちゃいけないと思うのは、自分の調子がいいときと悪いときで、考えが変わるということ。なんでも自由に競争するのがいいという考え方は、自分の調子がい いときは心地よく聞こえるけど、そうでないときはそうでない。アンラッキーも含めて自分の調子が悪くなったときも、それが受け入れられることかどうかを考えていたいと思う。

「三陸海岸大津波」

明治、昭和の時代に三陸海岸を襲った津波について、体験した人の声や資料などの記録をまとめた本。著者が実際に三陸の各地を訪れ、津波の経験者から話を聞き集めている。もっとも近い津波から37年(チリ津波は除く)たった、昭和40年代に発表されたもので、まだしっかりと記憶している人が多く、生々しい体験談になっている。 今回起こった東日本大地震の津波は未曾有のものと言われるが、同じような災害が過去、それもそう遠くない過去に起こっていて、そのことがきちんと記録されている。そのことを改めて知らされた。 印象的だったのは、津波が起こって地震が心配されたとき、長老たちのほうが「心配ない。津波は来ない」と言い切っていたこと。それもあって、夜中に地震が起こったあと人々は再びふとんに入って眠ってしまい、犠牲を増やしてしまった。ひどく寒い時期で外にいるのが耐えられなかったというのもあるだろうし、一概に長老たちのせいだとは言えない。でも、津波くらいの周期の出来事になると、長老の言葉もあてにならないこともある。時間の幅がもっと長いのだ。

昭和35年のチリ地震の津波のときは地震の揺れは感じず、津波だけが「のっこのっこ」とやっってきたという。こういう表現や「ヨダ」という津波を表す呼び方も印象に残った。巨大な自然現象を怪物とみなす、古くからの言い伝えだという。そういう伝え方のほうが、長く語り継がれるものになるのだろう。